門田隆将オフィシャルサイト | kadotaryusho.com

  • 最新情報
  • プロフィール
  • 著作リスト
  • 講演のご依頼
  • ブログ
(C) KADOTA RYUSHO. ALL RIGHTS RESERVED.
BLOG | KADOTARYUSHO.COM

ブログ

「還暦」を迎えた中国

2009.09.30

明日10月1日は天安門で毛沢東が中華人民共和国の成立を宣言して60年目の記念日である。150万人の兵士が激突した国共内戦の「淮海戦役(わいかいせんえき)」に勝利した共産軍が蒋介石率いる国府軍を大陸から追い出し、中国全土が共産化された歴史的記念日である。

しかし、その後の共産中国の辿った道は、決して人民にとって幸福なものとは言えなかった。大躍進政策の失敗、百花斉放百家争鳴(百花運動)の末の反右派闘争、文化大革命、民主化運動の弾圧……等々、この60年で中国人民が経験した悲劇は数えだしたらキリがない。

その悲劇は今もつづいており、中国政府の弾圧政策で無惨な死を遂げる少数民族の実態等々はアムネスティの最大のターゲットとなっている。

温家宝首相は本日夜、北京の人民大会堂で開かれた建国60周年の記念レセプションで、党幹部の腐敗撲滅や「党と人民の血肉関係」の強化に取り組んでいく断固たる決意を表明した。一党独裁体制をこれからも堅持し、不穏分子とは徹底対決するという意思表示でもある。

この夏以来、北京市内は、昨年の北京オリンピック以上の治安強化がはかられ、明日午前9時半から北京国際空港は3時間にわたって閉鎖されることになっている。治安維持のために数十万人の人民武装警察、そして民間ボランティア140万人が動員されるというから、まさに“戒厳令下”である。

建国60年を経て、これほどの警戒をしなければならないほど人民と“敵対”してきた北京政府。民主化とは名ばかりの国家の実態が、この異常な警戒態勢に現われている。与野党を問わず、北京詣でを繰り返す日本の国会議員たちは枚挙に遑がないが、中国の要人に「真の人権とは何か」を問うた人物は一人もいない。

中国共産党は、かつて蘭の花に目がない自民党の有力者、松村謙三への工作のためにわざわざ蘭の花の協会を中国でつくって訪日団を組織し、その上で松村氏に近づいて自民党への突破口を開いた歴史を持つ。

その後も、国会でも問題になったように、5歳から対日の工作員として特別教育を授けた女性スパイを橋本龍太郎蔵相(当時)のもとに送りこんで関係を結ばせることに成功したり、さらには有力政治家の夫人に京劇役者を近づかせて取り込んだり……と、あの手この手で日本の有力者取り込みをはかっている。特務国家、工作国家のパワーは今も健在なのだ。

手練手管の共産中国と渡り合える日本の政治家がどのくらいいるのか甚だ心もとないが、この中国の建国60周年を機に、そのあたりをじっくり考えたいものだ。政治家だけではない。われわれ国民全員で考えなければ、近い将来、中国に手痛い、そして強烈なしっぺ返しを食らうだろう。

カテゴリ: 中国, 国際, 歴史

球際(たまぎわ)の強さ

2009.09.29

昨夜は、行きつけの銀座のバー「マダム夕雨子」の30周年パーティーがあり、顔を出した。遅れて会場に着くと、元ペルー大使の青木盛久氏や作家の渡辺淳一氏など錚々たる人たちがスピーチに立っていた。

私が勤めていた新潮社の面々の顔もあり、久しぶりに言葉を交わした。私が「マダム夕雨子」に連れて行って以来、すっかり店の“常連”となっている学習院大学野球部監督の田邉隆二氏を会場で発見。久しぶりだったので、パーティーのあと新宿にまで流れ、流れて話し込んだ。

田邉氏は、私が昨年、講談社から出版した「神宮の奇跡」の主役の一人である。今から半世紀も前、東都大学1部リーグにたった1度だけ刻まれた学習院大学「奇跡の優勝」の時のキャプテンだ。

72歳の田邉さんは今、母校・学習院大学野球部の再建を託され、監督として辣腕をふるっている。強豪ひしめく東都大学リーグの3部で優勝争いをいつもおこなっているが、どうしても2部への壁が厚く、これを突破できないでいる。

2部には、駒沢大学や日本大学、専修大学といって大学球界の強豪・伝統校がずらりと顔を揃えており、壁が厚いのも当然だ。だが、それでも野球推薦さえない学習院大学をなんとかこの2部に引き上げるべく田邉監督の奮闘は続いている。

私は、いま学習院の4年生となった古河朋也投手が入学した時から注目していた。左腕から繰り出すキレのあるストレートとスライダー、カーブは2部でも十分通用すると思っている。学年が上がるにつれて緩急のつけ方もうまくなり、古河投手がいる内に「なんとしても2部へ」と思っていたが、結局かなわず、彼の最後のシーズンを迎えてしまった。チームに何が足りないか、技術面よりも、がむしゃらに勝利に向かって突き進む気迫のなさを田邉氏は嘆いていた。

勝負強いチームや選手には、必ず“球際(たまぎわ)の強さ”がある。この一球、この一打で必ず答えを出す選手の精神力と気迫。どれだけ科学が発達しようが説明のできないその“不思議な力”が野球をたまらなく面白いものにするのである。そしてそれは、「野球」に限らず「人生」のいたるところで顔を出してくるものだ。

田邉氏の話を聞きながら、私は学習院野球部にそんな力を身につけて欲しいと願わずにはいられなかった。

カテゴリ: 野球

衰えない「裁判員制度」への関心

2009.09.27

昨日は母校中央大学の駿河台記念館での講演と、早稲田大学の英字新聞の取材を受けた。いずれもテーマは「裁判員制度」。裁判員裁判についての関心の高さが伺われる。

欠陥だらけのこの制度だが、着実に“効果”を挙げていることを私は感じている。すでに全国の11地裁で14の裁判員裁判がおこなわれた。当初の予想通り、官僚裁判官に比べて「量刑」はやや重くなったが、これまでの形骸化した刑事裁判では見られなかった国民の息遣いが、そこからは聞こえてくる。

刑罰権を独占しておきながら、被害者遺族を石ころ同然に扱い、検察のストーリーに沿って法廷を無難に運営し、求刑の八掛けで判決を書き、裁判を単なるセレモニーの場に眨めてしまった日本の官僚裁判官たち。その呆れた日本の刑事裁判が今、国民の力によって正されつつあることを実感しているのは私だけだろうか。

問題点はさまざまあるが、明治23年からつづく官僚裁判官制度を破壊する“巨大爆弾”としての役割を着実に果たしている裁判員制度。多くの負担を強いられるとはいえ、正義を自分たちの手に取り戻すために、国民はその役割を果たしていって欲しいと思う。

カテゴリ: 司法

吹き抜けていた東京湾の潮風

2009.09.24

昨日は、大学時代のサークルの集まりがあった。中央大学の「グループH」というサークルで、中大では最もマスコミ・ジャーナリズム界に人材を送り出してきたサークルである。

私も大学時代、2年からこのサークルに属していた。当時の仲間20人ほどが、顧問だった小谷哲也氏のマンションに集まり、50歳前後になった“元若者”が真っ昼間から酒を酌み交わした。

芝生のバーベキュー会場まで持つ高級マンションは珍しい。80歳近くになり、肺を悪くしている小谷氏は、鼻に酸素ボンベのチューブを通しての参加である。一見、悲壮な感じだが、ご本人は至って意気軒高。逆に参加者たちを昔と同様、盛んに叱咤していた。

小谷氏曰く、「“集まる”ということが重要なんだ」。何かがあれば「集まる」。確かに昔からこのサークルは、ワイワイガヤガヤ、何かがあれば集まっては、議論し、面白がり、そして協力し合ってきた。

卒業後30年近く経つのに、今も何かがあるたびに集まっているのだから、現役の学生たちから見たら、なんともヘンな集まりだろう。髪の毛がすっかり白くなったオジサン・オバサンたちの中には、拙著「康子十九歳 戦渦の日記」や「なぜ君は絶望と闘えたのか 本村洋の3300日」等々を読んでくれている人もおり、さまざまな感想を聞かせてもらった。大いに参考になると共に、やり甲斐を頂戴した次第である。

上に上がれば、レインボーブリッジも一望でき、バーベキュー会場には東京湾の潮風が吹き抜けていた。海外取材から帰って間もない私にとって、初めてシルバーウィークなる「休日」を実感できる一日となった。

カテゴリ: 随感

前途危ぶまれる鳩山政権

2009.09.22

鳩山政権の雲行きが次第に怪しくなってきている。世の中はシルバーウィーク中だが、毎日報道されている政治記事を読んで、「大丈夫か?」「心配していた通りだ」と憂慮する国民は少なくあるまい。

同床異夢の「3党連立政権」がうまくいくはずもなく、すでに瓦解への火種はいくつも燻ぶっている。それらが、おいおいマスコミを賑わすことになるだろう。

この連休中に最もおもしろかった政治記事は、産経新聞が報じた辻元清美議員(社民党)の「やだ、やだ、やだ事件」ではなかったか。

いつも何かと話題を提供してくれる辻元氏が、国土交通副大臣起用をめぐって9月18日午後、国会内の社民党控室で就任を駄々っ子のように拒み続けたという暴露記事だ。産経新聞によれば、そこで以下のようなやりとりがあったそうだ。
 
辻元氏「やだ、やだ、やだ、やだ!」
阿部知子政審会長「そんなのダメ。やりなさい!」
辻元氏「(福島瑞穂)党首が閣議で署名しちゃってるんですよ。もうどうしてくれるんですか、幹事長!」
 
前夜、前原誠司・国交相から電話で副大臣就任の要請を受けた辻元氏は、社民党の国対委員長であることを理由に断り、対応を重野安正幹事長に一任。これを受け、重野氏は福島党首と協議しようとしたが電話がつながらず、福島氏は18日午前の閣議で、辻元氏の名前が掲載された副大臣名簿に署名してしまったという。

辻元氏の抵抗で社民党幹部は18日夜の副大臣認証式までに閣議の決定を撤回させようと動いたが、官邸サイドに拒否され、万事休す。副大臣就任と相成った。

周知のように辻元氏は平成15年に秘書給与流用事件で詐欺容疑で逮捕され、有罪判決を受けている。副大臣とはいえ辻元氏が“入閣”したことで、野党の自民党は、格好の攻撃材料を得たことになる。

かつて辻元氏は、衆議院予算委員会で証人喚問された鈴木宗男氏に対して、「あなたは疑惑の総合商社や」「ど忘れ禁止法を適用したい」と厳しく追及したことがある。

しかし、直後に自身の秘書給与流用が明るみに出ると、涙の会見をおこない、議員辞職に追い込まれた。のちに復活当選すると、「国会議員って言うのは、国民の生命と財産を守るといわれてるけど、私はそんなつもりでなってへん。私は国家の枠をいかに崩壊させるかっていう役割の“国壊議員”や」と発言している。

毀誉褒貶ぶりが常に世間の耳目を集めてきた曰くつきの議員が辻元氏。鳩山内閣は、外国人参政権問題をはじめ、すでに閣内不統一のタネが次々と明るみに出ている。果たして辻元氏のような脛に傷持つ議員を“入閣”させて野党の鋭い追及を逃れることができるのだろうか。

鳩山政権の前途が危ぶまれる。

カテゴリ: 政治

記者の基本は何か

2009.09.20

今日は二人の人物が事務所を訪ねてくれた。

一人は、明石元二郎・元台湾総督の孫で、今上陛下のご学友でもある明石元紹さん。次回のノンフィクション作品で重要な役割を果たしてくれる人物だ。

歳を感じさせないお元気さと洞察の鋭さは相変わらずで、今日も単行本執筆の際に役立つエピソードを沢山教えてくれた。来月下旬には、私と一緒に訪台することになっている。

夜は、某テレビ局に内定した早稲田大学野球部の4年生部員が内定の報告に来てくれた。シャンパンを開けて彼の前途を祝した。

私はジャーナリズム論やマスコミ突破のための面接・作文などを時々、大学等で講義しているので、この時期が来ると、マスコミに内定した学生たちが報告に来てくれる。嬉しい限りだ。

記者の基本は「人に好かれること」である。ネタ元ができるかどうか、すべてはその記者やディレクターの「人間性」による。今年マスコミに内定した学生たちは、そのことを忘れず「人間性」を磨いていって欲しいと思う。

話は変わるが、私はシルバーウィークという今回の連休がどうもよくわからない。無意味に休日だけをつくってこの国は一体どうするんだろうか。

「休み」だから事務所を人が訪ねてきてくれるのだろうが、それにしてもいつも原稿や取材整理に追われ、「休暇なし」の私にとって、こうした連休は迷惑そのもの。「働きすぎ」と「休みすぎ」のバランスをうまくとる方法はないものか、といつも私は考えてしまう。

カテゴリ: 随感

湿気を帯びた東京の夜の風景

2009.09.18

昨夜遅く台湾から帰国した。およそ3週間ぶりだ。成田から新宿に向かうリムジンバスに乗っていると、つい数時間前まで台北の喧騒の中にいたことが不思議でならなかった。

粉塵と排気ガスにまみれた台北の街角と、バスから眺めるしっとりと湿気を帯びた東京の夜の風景があまりに違いすぎるのだ。人々の活気もまるで異なる。大声でけたたましく喋る台北の人々と、静かにゆっくり話す東京人。両者は何もかもが鮮やかにコントラストを描いていて、妙な感覚に捉われた。

台湾でぎりぎりまで続けた取材。外省人たちの厳しい取材拒否に遭いながら、一定の成果は挙げた滞在だった。だが、まだまだ満足できるノンフィクション作品にはならない。来月もまた「決着をつけに」台湾に行こうと思う。

昨夜遅かったので、今日の朝が明けてからたまりにたまったメールを処理したり、取材報告の電話をおこなった。その上、夜は2つの飲み会に参加した。

ブログに台湾滞在記を載せていたので、飲み会では、私の動向を詳しく知っている人もいた。かつて中国から「44日間で47万発」もの砲弾を撃ち込まれた金門島で書いたブログも読んでくれていた人もいた。ありがたい限りだ。

ニュースと言えば、鳩山新内閣の発足で、“脱官僚”を目指す大臣たちの少々過剰なパフォーマンスが目についた。今後、一人一人の閣僚を取り上げながら、鳩山政権の目指すものを論評していきたいと思う。

カテゴリ: 国際, 政治

台湾最後の夜と「鳩山政権」の発足

2009.09.16

鳩山由紀夫を首班とする新内閣が本日夜、発足した。16年ぶりの政権交代である。由紀夫氏は鳩山一郎元総理の孫で元田中派の議員でもあり、むしろ最も“自民党らしい”議員とも言える。

政権交代は細川連立政権が発足した1993年以来だが、衆院選で野党第1党が単独過半数を制したことにより政権が代わるのは、戦後初めてのことだそうだ。

元自民党亀井派の領袖・亀井静香から社民党の福島瑞穂まで、政治信条も支持基盤もまるで異なる政治家たちがひとつの政権を構築したのだから、民主党がこれまで政権を批判する時に用いてきた“野合政権”そのものという見方もできる。

「脱官僚依存の政治を今こそ問うて、実践していかなければならない」という鳩山氏の言やよし。さっそく鳩山首相は09年度補正予算を全面的に見直し、一部執行停止に踏み切る方針を述べたが、これがまず官僚との戦争“第一弾”となる。ただし、国家戦略を誤ることなく、また大衆に迎合することもなく、毅然として政策を断行して欲しい。まずはお手並み拝見だ。

政権の中に“政教一致の政党”が存在しないだけでも国民の期待は大きい。この政権がどこまで選挙で主張したマニフェストを実現していけるか要注目だ。

さて、当方は、およそ3週間にわたった台湾取材も明日をもって打ち止めになる。明日午前中にも元国民軍の老兵を取材し、夕方の便で日本に帰国する。選挙当日の8月30日に台北入りしたので、すっかり秋の気配が漂い始めた東京に帰ることになる。

本日も忠烈詞から消された日本人のことを調べたり、台湾近代史研究の第一人者である歴史学者にご意見を拝聴したり、目のまわるような1日だった。

夜、この3週間お世話になった通訳やメディア関係者を呼んで、基隆路のイタリアンで飲み会を挙行した。外省人、内省人、日本人という立場を超えて、台湾の将来、日台関係、台中関係……等々、さまざまな意見が飛び交った。

経済の停滞に悩む台湾の人々が、それでも中国との「統一」でも「独立」でもなく、「現状維持」を願っている様子がよくわかった。

ワインを傾けながら、発足した鳩山政権が「中国詣で一辺倒」ではなく、日本を好きで好きで堪らない人たちが数多く住んでいるこの台湾のことにできるだけ気を配って欲しいと願わずにはいられなかった。

カテゴリ: 国際, 政治

台北から中壢へ

2009.09.13

今日は台北駅から汽車に乗って桃園県の中壢駅に向かった。7月に文藝春秋から出版した「康子十九歳 戦渦の日記」の主役の一人、梁敬宣さん(84)に会うためである。

私が台湾に来ていることを梁さんは知っているので、在台中に是非お会いしたいと思っていた。帰国が17日に決まっているので、「今日の日曜日しかない」と思い、台北駅午前11時発の「高雄行き」自強号に私は飛び乗った。

中壢駅に迎えにきてくれていた梁さんと再会を喜び、娘さん夫妻も一緒に平鎮市のご自宅に向かう。いつも明るい梁さんの奥さんが私を招き入れてくれた。昼食、夕食をご馳走になりながら、さまざまな話をご夫妻とした。

昭和20年11月に亡くなった粟屋康子さんの髪の毛を埋めた場所に植えた赤いバラは今日も可憐に咲いていた。60余年を経ても色褪せることのない「戦渦の青春」を私に描かせてくれた重要人物が梁さんである。

台湾で生きていた梁さんを私がやっと探し当て、梁さん自身の口から感動の物語を聞かせてもらったのは、わずか2年半前のことだ。やっと本となり、テレビのドキュメンタリーとなった今、梁さんもある種の感慨を抱いているようだった。

次は東京での再会を約して夜、お別れした。現在おこなっている取材の成功を祈ってくれた梁さん。期待には是非応えたいと思う。歴史ノンフィクションの宿命とも言うべき“時間の壁”をどう克服するか。

残された在台の時間は少ない。

カテゴリ: 歴史

ノンフィクション取材の醍醐味

2009.09.12

今日は貴重な人物に会うことができた。台湾に取材に来て2週間。最大の収穫の日だった。86歳になる河南省出身の中国・国民軍の老兵である。

台北の北部・新北投。元の国民軍の老兵たちが住む地域にその老人はいた。“歴史から消された”湯恩伯将軍の元部下である。

「命を賭して」日本人が関わった戦争の詳細を老人は縦横無尽に語ってくれた。また一つ埋もれそうになっていた史実が証言によって浮かび上がった。

貴重な生き証人に辿りつけた時ほどノンフィクション取材の醍醐味を味わえることはない。果たして明日もまたこんな感動が味わえるだろうか。

とにかく“前進”あるのみ。

カテゴリ: 歴史

揺れ動く台湾と士林夜市

2009.09.11

今日午後、注目の判決が台北地裁で下された。日本にも大いに関わる話なので、少し言及したい。

長い長い国民党支配を経た台湾は、2000年に陳水扁を総統に選び、国民党の独裁政治に終止符を打った。国民党でありながらおよそ10年に及ぶ“静かなる革命”をおこない、外省人(国共内戦に敗れ、蒋介石と共に台湾に渡ってきた中国人)の支配を崩した李登輝氏の意思を継ぐものだった。

しかし、2期目の終わり頃から、陳水扁総統の汚職・収賄が公然と語られるようになった。総統機密費の私的流用と、多額の資金が家族名義の海外口座に送金されているという噂だった。やがてそれが実際に炙り出され、総統を降りて不逮捕特権を失ったあとの昨年8月、陳氏は逮捕された。

裁判で争われたのは、日本円にして22億円ほどだが、実際はその何倍もあるとされている。国のトップのマネーロンダリング(資金洗浄)疑惑は、民進党のクリーンイメージを見事に破壊した。

台北地裁は本日午後、陳氏に収賄・横領で無期懲役を言い渡し、同じ事件で起訴された陳氏の妻・呉淑珍も無期懲役となった。2人とも公民権の剥奪と、それぞれ日本円で約5億6000万円と8億4000万円の罰金を科せられた。

「陳前総統は改革の旗を揚げる一方で、秘かに汚職を行い、人民の負託と期待を裏切った」――判決は、民進党支持者にとって重いものとなった。

私は、陳氏が総統2期目に総統府で会ったことがあるが、とてもそんな汚職をする人物には見えなかった。弁護士でもあり、民主化運動のリーダーでもあった陳氏は長く国民党の腐敗を糾弾してきた人物であり、文字通り、クリーンイメージによって成り立っていた。私もそのイメージを自然に感じ取っていた。

だが、これが崩れた時は、その反動が恐ろしい。いま台湾では国民党の馬英九政権が、台風8号被害への対応のまずさから国民の糾弾を受けて内閣総辞職となり、新内閣が発足したばかりだ。その失態も、かつての政敵である陳水扁の今回の無期懲役判決によって、国民の目からかなり逸らされたと言えるだろう。

陳氏は「企業から得た資金は政治献金で、海外送金に関与していない」と一貫して無罪を主張しているが、「政治献金を家族のものにする」ことが許されない行為であることは言うまでもない。

国民による民進党の汚職への反発をバックに昨年の総統選で勝利した馬英九氏。“第三次国共合作”を志向する馬氏が中国との統一、つまり台湾が中国に呑みこまれる方向に進もうとしているのは間違いない。

馬英九氏が総統を2期続ければ、高い確率で台湾は中国の傘下に入るだろう。それは日本にとって“生命線”である台湾海峡が「中国の内海になる」ことを意味する。

拡大する一方の中国の勢力が、ついに「台湾海峡を越える」のである。馬政権は、この陳水扁裁判を今後もコトあるごとに利用したいだろう。二審、三審と、「何度でも政治的に利用したい」に違いない。

すでに民進党から離党しているとはいえ、陳夫妻の存在は、今後も民進党のアキレス腱となり続けるのである。

夜、集英社の高田さんと台北市の剣譚にある士林夜市に行ってきた。若者の熱気が溢れる夜市の迫力に高田さんは圧倒されていた。台湾の若者にとっては、もはや過去の総統の汚職など、関心もないのかもしれない。

しかし、これが将来、国際的にアジアの力関係を左右するものだとしたらどうだろうか。不夜城とも言うべき台北の歓楽街を歩きながら、私はそんなことをずっと考えていた。

カテゴリ: 国際

台湾人の活気

2009.09.10

今日も朝から台北市内を精力的に取材で動いた。しかし、なかなか成果が上がらない。通訳の劉女史が頑張ってくれているが、こちらの蓄積したものや、知りたいポイントがすでに学者や研究者レベルを遥かに超えているので、なかなかそこまで到達しないのだ。

夜は、北京ダックで有名な南京西路の「天厨菜館」で、さる国防部の幹部と飲んだ。お互いが意見交換をし、収穫はそれなりにあった。傍らで、同行の集英社の高田さんもまんざらでもなさそうだった。

そのあと、某テレビ局の女性記者に見せてもらった史料があまりに貴重で、感激した。取材の壁にぶち当たったり、貴重な参考意見や史料に出会えたり、今日は一喜一憂の1日だった。

明日は、朝から国立の研究所に乗り込む。「スクープ史料を独占入手!」といきたいところだが、なかなかそうはいかないだろう。

ところで、台湾滞在が2週間近くになってきたので、私も結構、台湾人っぽくなってきた。猥雑な林森北路を今日も夜遅くにウォーキングしたが、違和感はまるでない。

しかし、台湾人の活気にはいつもながら驚かされる。鬱々とした日本人には、少しは見習って欲しいものだ。

カテゴリ: 国際

肩を並べてきた「ベースボール」と「野球」

2009.09.08

イチローが大リーグ2000本安打を達成したニュースが台湾でも流れていた。わずか9年足らずの2000本。まさに安打製造機である。

元祖・安打製造機の張本勲もバットコントロールこそ負けない自信があるだろうが、イチローの「内野ゴロをヒットにする足の速さ」にはとても叶わない。大リーグで前人未到の9年連続200本安打も達成間近。近代ベースボール史上「最高のバッター」であることをイチローは証明しつつある。

近代ベースボール史上「最強のバッター」が誰かについては議論が分かれるだろう。ベーブ・ルース、ルー・ゲーリック、ジミー・フォックス、ハンク・アーロン、王貞治、バリー・ボンズ……数えだしたらきりがない。

そんな中でイチローが大リーグ史上に名前を残すことは日本野球にとって計り知れない意味を持つ。WBC2連覇などで、今や日本の野球をバカにする声はアメリカでほとんど聞かれなくなった。「ベースボール」と「野球」が肩を並べつつある証拠だ。「アメリカに追いつけ、追い越せ」と多くの野球人が長年精進してきた結果だと思うと感慨深い。果たしてイチローの「9年連続200本安打」をアメリカがどう報道するか楽しみだ。

さて、私は本日も台北で精力的に取材をおこなった。台湾に来て今日で10日。随分と長くなってきた気がする。探している人物はまだ見つからないが、確実に「歴史の真実」は積み上がってきている。気を緩めず、取材に邁進したい。

カテゴリ: 野球

「影の総理」の怖さ

2009.09.06

昨日は慌ただしかった。午前中、金門島に住む82歳の国民党軍の老兵に2時間にわたって取材し、夕方の便で台北に戻り、夜は根本中将ゆかりの人物に取材をさせてもらった。

老人は、国共内戦の最終盤である1949年、21歳の時に国民党に連行され、強制的に国民軍兵士となった人物だ。苛烈な内戦は、国民党・共産党双方が互いに「兵士」をかき集めた“人狩り”の様相さえ呈していた。

その後の筆舌に尽くしがたいこの老兵のドラマは単行本に書かせていただくが、生涯、妻を娶ることもなく、ひっそり金門島の片隅で生涯を終えることになる彼ら国民軍兵士たちの運命は「歴史の残酷さ」を今に伝えるものである。

夜は、台湾の新聞に報じられた私にわざわざ連絡をとって来てくれた関係者と台北で会った。その人は、私が探していた重要人物の息子さんだった。

台湾料理をご馳走になりながら、興味深い話が次々と飛び出した。新聞報道が繋いでくれた縁である。マスコミの有難さを感じる。夜の帳が下りるまで話は延々とつづいた。

さて、台湾に来て丸1週間が過ぎた。日本の政界は、いよいよ“小沢直轄政治”が始まるようだ。といっても細川内閣の時にいやというほど経験した小沢一郎氏のワガママ政治が再びスタートすると表現した方がいいかもしれない。小沢氏の唯我独尊ぶりがこの上なく発揮されたあの国民福祉税構想の時の「夜中の記者会見」が思い出される。

自分は泥をかぶらず、思うように人事を動かし、政界を実質的に牛耳る手法は、若かりし頃の小沢氏が目で見、実際に経験したものだ。ロッキード事件で刑事被告人となった田中角栄は憎悪と怨念によって政界を支配する時、数を背景に幹事長ポストを握り、そこを通じて時の政権をコントロールしていった。小沢氏は自分の政界の師であるその田中角栄の手法を間近で見てきた人物だ。

それにしても選挙であれほど汗をかいた岡田幹事長を外相に“飛ばし”、自分は幹事長に就くというやり方がいかにも小沢氏らしい。外相ポストは、言うまでもなく外交と国家の安全保障交渉の最前線ポストであり、民主党の最も苦手とする分野だ。

まして岡田氏は今年5月、アメリカに核兵器の先制使用を行わないよう働きかけた政治家である。日本がアメリカの「核の傘」から外れることを容認する考えを示し、北朝鮮や中国が涙を流して喜ぶようなことを発言した人物だ。もちろん野党となった自民党は、この岡田外相の過去の発言と姿勢を徹底的に追及していくだろう。果たして、国会での岡田答弁がどうなるか、また今後の日米の信頼関係がどうなるのか注目される。

小沢氏はこの外相ポストに“ポスト鳩山”の最有力候補・岡田氏を放り込んで、自分は影の総理になる道を掴んだわけである。

小沢氏が民主党代表の座を投げ出す辞任会見までやりながら、数日後には涙の記者会見で「復帰」するという恥を国民の前に晒したのは、つい2年前のことである。

恥を知らないこの政治家が政権を裏でコントロールすることは恐ろしい。人の言うことに耳を貸さない独善ぶりは今も変わらない小沢氏。新首相は“自分の主張”を持たない鳩山由紀夫氏だけに、余計不安が募る。

政治記者たちは、これから「小沢氏の真意」を探ることが取材の重要なポイントになる。ぶっきらぼうな小沢氏の態度に右往左往する政治ジャーナリズムの姿を、これから国民は何年間も目撃しつづけることになるだろう。

カテゴリ: 政治, 歴史

「中国時報」の大報道

2009.09.05


金門島で3日目を迎えた。

昨日は、金門の地元紙だけでなく、台湾の有力紙「中国時報」が丸々1面を使って私が金門に取材に来ていることを報道してくれた。

「陸軍中将・根本博」の事跡を訪ねてきた私が金門県の知事と会談したことが大きなインパクトを与えたらしい。私が当時の関係者を探していることも記事には出ている。

あまりに大きな記事なので驚いた。台湾を訪問中のダライ・ラマの記事より遙かに大きい。歴史問題に対する台湾のジャーナリズムの関心の高さが伺えた。

さっそく記事の反響があり、台北に帰ったら当時を知る関係者と会えることになった。やはりどこの国でもマスコミの力は絶大だ。

中国との接近・交流が急速に進む台湾。馬政権の大陸への傾斜は一段と進んでいる。私が追っているテーマは、馬政権に必ずしも歓迎されるものではない。

しかし、真実に対する興味は、どの国のジャーナリストにも共通だ。今回の新聞報道で地元メディアの根本中将への関心が呼び起こされたのは嬉しい限りだ。

ここ金門は大陸とわずか2キロしか離れていない。かつては「国共内戦」の最前線だったが、今は「中台交流」の最前線。今日も当時の戦争に参加した兵士たちを取材する。

年齢的にも「証言者」の時間は、あまり残されていない。こちらは、ひたすら前進あるのみである。

明日は「朝日ニュースターテレビ」で、私が出演した「武田鉄矢の週刊鉄学」 が放映される。テーマは「裁判員制度」。興味がある方は是非ご覧ください。

カテゴリ: 歴史

今も残る「金門島」の地雷

2009.09.04


昨日は早朝に台北・松山空港から国内線に乗り、金門島に飛んできた。60年前、国共内戦の最終決戦の場となった「古寧頭の戦い」の現場を見に来た。

共産軍が押し寄せた海岸は風が強く、波も荒い。波打ち際は、土色の海水が風のために凄まじい音を立てている。

地元の案内人は、「周囲には地雷がいまも埋まっていますから、絶対に私が通るところ以外には行かないでください」という。

大陸に張りつくように浮かぶ金門島。国共内戦の最終決戦の場となっただけに、金門島には今もその事跡があちこちに残っている。

午後2時半からは金門県の県長(知事)とも会談し、多数の地元記者の取材を受けた。取材をする側から「される側」に変わるのは不思議な感覚だ。彼らは、日本人である私が、なぜこの戦いを取材に来たのか、不思議でならないらしい。

「この戦いに参加し、勝利に大いに貢献した日本人がいることをご存じですか?」。私の質問に対して金門県の知事はもちろん、地元の記者も一様に首を横に振った。

歴史に埋もれた「日本人」。壁は厚いが、なんとかこれを突破して、感動のノンフィクションを完成させたい。


カテゴリ: 歴史

台北のスコールと「金門島」

2009.09.02

台北は夜、スコールに見舞われた。バケツを引っくり返したような土砂降りがいきなり始まったかと思うと、5分後にはピタリと止まり、また10分後にはさらに激しい雨が地面を叩きつけるといった具合だ。

台湾が日本とは違う亜熱帯に属する国であることを痛感する。そんな中、今日は、明日の金門島行きを控えて、国防部や三軍病院、中国時報などをまわり、“取材と工作”を繰り返した。

台北のテレビ局の敏腕女性記者がさまざまな局面で応援してくれ、大いに助かった。バイタリティとやる気に溢れた彼女は、私が追っている同じテーマでテレビドキュメンタリーをつくり、実は私も番組のインタビューに応じ、9月12日にその番組が放映されることになっている。

歴史の真実を究明しようという意欲は、どの国のジャーナリストも共通だ。彼女が入手した資料と私が得ている資料と証言。お互い情報交換することで、取材が一挙に進んだ思いがする。

ジャーナリズムの足腰が弱っていることを指摘する向きは多い。しかし、彼女の姿を見ているとこの業界の人間も捨てたものではない、と思う。

明日はいよいよ金門島だ。かつては、毛沢東と蒋介石の「意地」と「恨み」がぶつかり合った国際政治の焦点の地だった。軍事の要衝といえば、これほどの要衝はないだろう。

取材でどんなドラマが飛び出すか、今から楽しみだ。

カテゴリ: 国際, 歴史

「時間の壁」とノンフィクション

2009.09.01

台北入りして3日目。今日も取材漬けの1日になりそうだ。

日本では、衆院選での歴史的敗北によって自民党の各派閥が事実上の崩壊状態となっている。与党から野党へと転落し、求心力もなくなった派閥が今後どう運営されていくのか興味深い。

自民党の派閥とは、日本に存在する「利益集団」の最たるものである。将来の“首相候補”を担いで、資金面・人事面で自分が援助を受けるために集まった議員集団だ。

言うまでもなくその前提は「権力」である。しかし、肝心の政権からすべり落ちてしまっては、彼らがせっかくの“甘い汁”を吸おうにも、吸うべきものがないのである。これから4年間、自民党は派閥の離合集散も含めて、絶え間なく変革に晒されることだろう。

最大派閥の森派(町村派)が公示前の約3分の1(62議席から23議席)まで減らしたのは象徴的だ。小渕総理が現職のまま倒れてから森喜朗・小泉純一郎・安倍晋三・福田康夫と、史上初の同派閥4代連続政権という離れ技を演じ、わが世の春を謳歌した派閥が、まさに壊滅的な打撃を受けたのである。

特に安倍、福田という2世総理が、2代つづけて政権をわずか1年で投げ出した気概のなさ(精神面の弱さ)は日本国民だけでなく、世界中を呆れさせたものだ。

このブログでも指摘している通り、世界は重大な岐路に立っている。覇権主義にヒタ走る中国と、核弾頭の小型化と起爆装置の開発に血道を挙げる北朝鮮。お坊ちゃま政治家に果たしてこのまま日本の舵取りを委ねていていいのか、不安が湧き起こってくるのは確かだ。

昨日会った台湾人は「(台湾の)馬政権は台湾を中国に売り渡そうとしている。日本は台湾の生命線。助けて欲しい」と悲痛な声を挙げていた。

生命線という意味では、台湾と台湾海峡こそ日本の生命線である。その生命線を60年前に守った一人の日本人の姿を描くために、いま私は台湾にいる。取材を成功させて、なんとか歴史に埋もれた人物を現代に蘇らせたい、と思う。

しかし、台湾にやって来てわかったことは、やはり関係者のほとんどが故人となっていることだ。どうしようもできない“時間の壁”。しかし、それはノンフィクションの宿命でもある。ぶ厚い壁にハネ返されながら、今日も必死で取材に走ろうと思う。

カテゴリ: 政治, 歴史