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「坂の上の雲」は今、何を問うのか

2009.11.30

大宣伝を展開していた鳴り物入りのNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」を観た。松山出身の秋山好古、真之兄弟と正岡子規らの「青年時代の大志」と「波乱万丈の生涯」を描く司馬遼太郎作品の映像化である。

ひたすら“前”だけを見て突き進んでいった当時の若者の姿はやはり壮快だ。殊更そう感じたのは、その青春群像が「甘え」や「癒し」ばかりを求める昨今の日本の風潮とあまりにコントラストを描いていたからだろうか。

特に、貧乏のどん底から這い上がっていく男たちの逞しさは、同じ四国出身者として興味深かった。私は、伊予の隣の土佐の出身だが、こちらは自由民権の本場である。今も、はりまや橋のすぐ近くにある高知中央公園の立志社跡には、「自由は土佐の山間より出ず」という碑がどっしりと座っている。

あの四国の片田舎から遠い遠い東京へ出て行って勝負する心境は、今の若者がいきなり外国へ出向いて行くことより、はるかに重大な決断が必要な「大事業」だったに違いない。

教育を受けたくても「受けられない人間」ばかりだったあの時代。自殺者が増え続ける今の教育現場と一体、どこが違うのだろうか。

子供たちを甘えさせ、「個性」という名の“わがまま”を増殖させてきた戦後教育と、日教組が「ついに天下を取った」と言われる民主党政権の中で権力を振るう輿石東・民主党代表代行。

ばりばりの日教組出身の輿石氏は今、「私は日教組とともに戦っていく。永遠に日教組の組合員であるという自負を持っている」「教育の政治的中立はありえない」という発言をおこなっていたことが明らかになり、国会でも問題になっている。

青雲の志を描く司馬作品を、そういう現代の教育現場との比較で観てみると、なんとなく味わいが増してくる気がする。

カテゴリ: 教育

深秋の神宮外苑

2009.11.29

今日は、「新潮45」のスポーツドキュメント「あの一瞬」の取材で、柔道の山下泰裕さんとお会いした。実は、3日前にも取材をさせてもらっているが、その時の時間が短かったため、山下さんがもう一度、わざわざ時間を取ってくれたものである。

今日午後2時から秩父宮ラグビー場で、ラグビーの関東大学リーグ戦の優勝を決める東海大学と法政大学の一戦があり、東海大学の体育学部長となっている山下さんが、それを観戦する前に、私と近くでお会いしましょう、ということになった。

昼食を取りながらの話だったが、3日前にも感じたように、山下さんの柔道に対する明晰な考え方と研究熱心さに改めて驚かされた。現役時代、「誰よりも、自分が一番(ビデオ等を見て)相手を研究したと思う」と、山下さんは語った。

山下さんが語る宿敵・遠藤純男さんとの戦いや、そこに至るまでの駆け引きは、さすがに緊迫感と臨場感があった。ほんの一端ではあるが、柔道の奥深さと幅広さに触れさせてもらった気がした。

遠藤さんへの5時間に及ぶロングインタビューと、山下さんへの2度にわたるインタビューをもとにしたスポーツ・ノンフィクションは、来たる12月18日発売の「新潮45」(1月号)に掲載予定ですので、是非ご覧いただければ、と思います。

さて、インタビューのあと、山下さんと共に秩父宮ラグビー場に赴いた私は、そのまま東海大学と法政大学の試合を観戦した。結果は、22対17で東海大学が法政大学を突き放し、リーグ戦の優勝を決めた。

しかし、残念ながら、得点が拮抗しているわりには、試合はそれほどの緊迫感がなかった。ラフ・プレーが目立ち、細かなミスが多い試合だった。ここ20年、大東文化大学に始まり、法政大学、関東学院大学など、関東大学リーグ戦のレベルが向上し、早稲田や明治、慶応などの対抗戦グループに匹敵する実力を備えるようになってきたのは事実である。

だが、ここ1、2年、リーグ戦グループのレベルは明らかに落ちている。関東学院大学ラグビー部の不祥事で一気にレベルが低下したとは思いたくないが、今日の両校のスクラム戦、バックスの展開力……等々は、ほんの数年前、大学日本一の座に君臨した関東学院大学のレベルとは比べるべくもなかった。

大学ラグビーが“停滞”すれば、それはラグビー界全体の「後退と停滞」を生む。2019年に日本でラグビーワールドカップが開催されるので、今こそ底上げを図らなければならないはずである。関係者の奮起を大いに期待したい。

秩父宮ラグビー場は、もはや秋を通り越して冬の寒さを感じさせた。すぐ隣の神宮外苑では、「外苑いちょう祭り」に多数の親子連れが集まっていた。外苑前広場から青山通りに向かう道の両側は、いちょうが鮮やかに色づいていた。見事な黄金色である。

深秋の神宮外苑を歩きながら、いよいよ師走がそこまで迫っていることを感じた。政権交代も含めいろいろあった2009年。歴史に残る激動の1年も、残りは、あとわずかひと月となった。

カテゴリ: ラグビー, 柔道

バラまきの「ツケ」どこまで

2009.11.28

鳴り物入りの行政刷新会議の事業仕分け作業が9日間で終わった。「天下りを廃す」「税金の無駄使いを許さない」という民主党政権の基本姿勢には大いに拍手を送りたい。

だが、その「理想と現実」とのあまりの乖離に首を傾げる国民は少なくないだろう。民主党政権が、中身の伴わないパフォーマンス政権であることは次第に明らかになりつつある。今回の事業仕分けも、マスコミの報じ方だけを意識し、「大ナタを振るっている」というイメージを国民に植えつけるための「パフォーマンス」の側面が極めて大きかった。

しかし、野党・自民党の側が「パフォーマンスにはパフォーマンスで」と、真っ向から噛みついたのはおもしろかった。ノーベル化学賞受賞者の野依良治博士を引っ張り出し、科学技術の予算大幅削減に対して、「科学技術は生命線。コストと将来への投資をごっちゃにするのは見識に欠ける」「(民主党政権は)歴史の法廷に立つ覚悟があって言っているのか」と言わせて全面対決に入ったのだ。

族議員が跋扈し、各省庁の高級官僚の言いなりになってきた自民党には確かに私も勘弁して欲しい、と思う。だが、それでもこの「大ナタ」が、一方のバラまき予算の反動から来ていることに「我慢ならない」向きも決して少なくないだろう。

わずか70億円ほどで済んだ自衛隊のインド洋での給油支援活動をやめるかわりに、アフガニスタンへの4500億円の民政支援をおこなうという鳩山政権。また、これまでも書いてきたように、所得制限なしの子供手当や、働く母子家庭よりも収入が多くなる母子加算、44兆円もの新規国債発行……等々のバラまき予算を聞いていると、「パフォーマンスもたいがいにしろ」と言いたくもなる。

産経新聞にジャーナリストの黒岩祐治さんが寄稿しているが、事業仕分けでは、「漢方薬まで健康保険の適用から外された」そうだ。こうなると、もうメチャクチャである。

臨床医の8割近くが漢方薬を処方しており、漢方薬がもはや「普通の薬」となっていることは疑いない。黒岩氏によれば、「漢方をもっと普及させていこうというのが医学界の流れ」であり、実際にその効能は末期がん患者をはじめ多くの方々の臨床結果によって証明されている。

それが健康保険からバッサリ切り捨てられれば、これは「本末転倒」も甚だしい。インド洋の給油(70億円)をやめてアフガニスタンへの民政支援(4500億円)に転じたがために、内臓疾患に悩み漢方治療に頼る多くの国民が「犠牲になる」としたら、それを国民の誰が許すというのだろうか。

「故人献金」や「母親からの9億円献金」に対して、知らぬ存ぜぬを通す鳩山首相に、そろそろ国民の目も冷めかけている。一体、民主党得意のパフォーマンス政治はどこまで国民に「通じる」のだろうか。

カテゴリ: 政治, 随感

激動の昭和を生きた人

2009.11.25

締切、徹夜、飲み会……と、なかなかブログの更新もできない状態がつづいていた。昨日11月24日は、7月に文芸春秋から出したノンフィクション「康子十九歳 戦渦の日記」の主役である粟屋康子さんの64回目の命日にあたり、取材でお世話になった関係者に集まっていただき、ささやかな「偲ぶ会」を催した。

康子さんの妹の徳山近子さんもわざわざ顔を見せてくれて、和やかな会となった。出席されたのは昭和19年から20年にかけて、十条の陸軍造兵廠で実際に康子さんと共に戦った80歳台半ばの方々である。

皆さん意気軒昂でお歳を感じさせないパワーがあった。さすが激動の昭和を生き抜いてきただけのことはある。顔を出してくれた現役のテレビマンたちをはるかに上回るお元気さだった。

皆さんのお話を聞きながら、毅然とした生きざまは、あの時代の若者に共通するものだったことを再認識させられた。あとの世代のわれわれがやらなければならないことが「いかに多いか」痛感する。

私の次作のことにも大いに話が及んだ。次の作品は、日中戦争、終戦、国共内戦……というあの混沌とした時代のノンフィクションである。証言者が少なくなる中、どこまで正確にその時代を蘇らせることができるか、課題は大きい。

カテゴリ: 歴史

柔道家の執念と信念とは

2009.11.21

今日は、「新潮45」の連載「スポーツドキュメント“あの一瞬”」の取材で柔道家の遠藤純男さんとお会いした。5時間を超えるロングインタビューだった。

秋田経法大学(現ノースアジア大学)の教授であり、柔道部監督を務める遠藤さんは、現役時代、豪快な背負い投げと内股で、世界の強豪を恐れさせた元世界チャンピオンである。あの山下泰裕にカニ挟みの奇襲をかけ、脾骨をへし折ったことでも知られる。

私は、いつか遠藤さんの話を聞きたいと思っていた。モントリオール五輪の重量級で優勝候補の筆頭だった遠藤さんは、ソ連の強豪ノビコフに微妙な判定で敗れ、悲願の金メダル奪取に失敗する。それ以降、遠藤さんには常に“不運”がついてまわった。

悲運の柔道家といえば、私は遠藤純男を躊躇なく挙げる。雪辱を期し、モスクワ五輪で日の丸をメインポールに挙げることを目指してひたすら猛練習に励んだ遠藤さんを待っていたのは、「モスクワ五輪ボイコット」という報だった。

その末にライバル山下に挑んだ遠藤さんの柔道人生。カニ挟みだけでなく、腕返しという奇策や、左からの背負い投げなど、遠藤さんは最強の敵・山下を倒すためにありとあらゆる技を繰り出していく。

同世代のライバルが次々と引退していく中、最後まで現役にこだわったこの柔道家が最後に見た光景とは何だったのか。アスリートの栄光と挫折、そして極限の勝利に賭ける執念と信念を、この人ほど感じさせてくれる柔道家は、ほかに知らない。

一つの道を極めるために一心不乱に闘いつづけたアスリートへの5時間のロングインタビューは、私にとって実に爽やかなものだった。

カテゴリ: 柔道

「凌ぐ野球」の原点

2009.11.20

明治神宮野球大会は今日、立正大学が2対0で上武大学を下して初優勝した。気温こそ低いものの抜けるような青空が広がった神宮球場。試合開始には間に合わなかったが、私は序盤戦の終わった4回表から、試合を観戦した。

上武大は立正大の左腕・小石博孝と右の本格派・菅井聡の前に散発4安打に封じられ、三塁を踏むことすらできなかった。

これで明治神宮野球大会は東都大学代表チームの4連覇となった。試合後、立正大の伊藤由紀夫監督は、「東都が3連覇してきてたんで、言葉には出しませんでしたが、プレッシャーがありました」と胸の内を吐露した。

春のリーグ戦で最下位に終わり、入れ替え戦で専修大学と死闘を繰り広げ、辛うじて一部残留を果たしたチームである。そこから夏の苦しい練習を経て、一気に「日本一」に駆け上がったことになる。優勝インタビューで殊勲の小石投手が「入れ替え戦を経験していたので、(それに比べて)今日の優勝戦はワクワク感で一杯でした」と語っていたが、この「入れ替え戦」こそ東都の最大の強みとなっている。

東都の2部には青学、専修、駒沢、日大という名門校がずらりと並んでいる。もし今大会に出場していれば、そのまま優勝候補となり得る戦力を備えながら、こうした強豪校が2部に「甘んじている」のが東都である。

六大学が「見せる野球」なら東都は「凌ぐ野球」と言える。「1点」を与えない野球を徹底しなければ、東都の一部では戦っていけないのだろう、と思う。今回、東都で初優勝し、初出場でありながら日本一となった立正大学の野球は、まさに「1点を与えない」野球だった。準決勝で敗退した明治大学との差がそこにあった。

決勝の先発を任された小石投手は、投げる瞬間まで左腕がバッターに見えない変則投法だった。ぎりぎりまで肘をたたんで背後に隠すため、バッターはタイミングがとれないのである。上武大の各打者は、球の出どころがどこかを意識し過ぎて、最後まで攻略法を掴むことができなかった。

結局、立正大が今大会で相手に与えた点は3試合でわずか1点。特別に剛球投手がいるわけではない。しかし、投手力を含む総合のディフェンス力では、やはり出場チームの中で群を抜いていた。

野球は守りが基本。そのことを今年度のアマチュア野球の最後を飾る大会で立正大が証明したように思う。

カテゴリ: 野球

風化しない「オウム事件」

2009.11.19

朝10時頃からぽつりぽつりと降り始めた雨は、午後には次第に強さを増していた。私が千代田区隼町の最高裁判所南門に着いた時、すでに傍聴を求める希望者の列が雨を避けるテントの中に3列になってできていた。

今日午後1時半から、オウムの諜報省大臣で地下鉄サリン事件等にかかわった井上嘉浩被告の最高裁の弁論が開かれた。私は傍聴希望者の抽選がおこなわれる予定の12時50分の寸前に最高裁にすべり込んだ。

最高裁第一小法廷での弁論に傍聴券41枚に対して希望者が68人並んだが、無事、私は傍聴券を得た。第一小法廷の最前列の席を得た私の隣には、井上被告の両親が座っていた。私はかつて井上被告の獄中書簡の特集記事を週刊新潮誌上で発表したことがある。

そんなわけで井上被告のお父さんとは、以前から親しくさせていただいている。今日は、弁護側、検察側双方の弁論があり、一審の無期懲役と二審の死刑判決という「判断が分かれた」注目の井上裁判の最後の審理となった。

地下鉄サリン事件をはじめとする一連のオウム事件から実に14年という年月が過ぎている。井上被告の両親も初めてお会いした頃に比べ、顔の皺がすっかり深くなった。加害者家族の苦悩の歳月が窺える。

今日の弁論では、特に仮谷さん拉致をめぐる監禁致死の攻防が興味深かった。果たして仮谷さんの死に対して、井上被告の監禁致死は成立するのか否か。仮谷さんが村井秀夫と中川智正に引き渡された時、村井が「塩化カリウムでも打つかな」と言って殺害を仄めかすくだりなどは、戦慄を覚えるシーンと言える。また地下鉄サリン事件の前夜から当日にかけての実行者たちとのやりとりもリアルに再現されていった。

事件から14年以上が経過しても、まだまだ風化しない重みがオウム事件にはある。その中で重要な役割を演じた“アーナンダ”こと井上嘉浩。獄中で反省の日々を送る息子に、一縷の“生”の望みを託すご両親、そして被害者席に顔を見せた遺族たちの表情には、逆に今も癒されない複雑な思いが見てとれた。

さまざまな思いが交錯する最高裁第一小法廷で、井上被告の“最後の審理”は終了した。私は、この狂気の集団でさまざまな役割を果たした井上がその後、獄中で送った壮烈な悔恨の日々をいつかは描かなければならないと思っている。

最高裁を出た私は、その足で母校中央大学に向かった。「裁判員制度が問いかけるもの」というテーマで講演が予定されていたからだ。

午後7時。予定の2時間を過ぎても、熱心な学生から私にはまだ質問が浴びせられていた。学生の探究心に「さすが」という思いがする。その後、立川に場所を移して打ち上げの飲み会。中大の後輩たちに、久しぶりに若さとパワーをもらった1日となった。

カテゴリ: 司法, 随感

第40回を迎えた明治神宮野球大会

2009.11.18

今日は、朝から神宮球場で明治神宮野球大会を観戦した。第40回の記念大会である。この大会で「大学野球」だけでなく「高校野球」部門が始まったのが、昭和48年のことだ。その大会では若狭高校の本格派右腕・内藤投手が大活躍。平安の山根投手を下して初優勝した。

両校は翌年の甲子園でも注目校として活躍する。特に平安の山根投手のテンポの速い小気味いいピッチングが思い出される。あれから36年もの歳月が流れたとは驚きだ。

今日の第一試合もまた、あの時と同じ本格派右腕同士の対決だった。東海大相模vs帝京。今の高校野球界のトップに君臨する強豪の激突といっていいだろう。レベルの高い関東を代表する両校の戦いは、来春の選抜甲子園の優勝を占う上で必見だった。

東海大相模のエース兼主将の一二三(ひふみ)慎太投手が、右手人差し指の爪を半分失うというアクシデントを乗り越えて、帝京の148㌔怪物一年生・伊藤拓郎投手との“本格派対決”を4対0で制し、決勝へコマを進めた。

両投手が、来年の甲子園で注目され、ファンを湧かせることは間違いない。今日のピッチングで伊藤君は何が足らなかったのか、何が一二三投手との差となって現れたかを「自分で答えを出す」ことができれば、この冬の成長が大いに期待できる。それが将来、「日本を代表するピッチャー」となるための第一の壁というべきだろう。

大学部門・準決勝の明治大学対上武大学も見応えがあった。東京六大学の覇者に一歩も引かない上武大学ナインの闘志で、試合は手に汗に握るものになった。

前半の投手戦から一転、後半は打撃戦、総力戦となった。勝敗のカギを握ったのは、上武大学の8番バッター、冨澤二塁手である。5回裏、走者2、3塁のチャンスをつかんだ上武大学は、冨澤がフルカウントから三球ファウルで粘った上に4球目を叩いて見事に三遊間を抜き、逆転。さらに8回裏にめぐって来たチャンスでもしぶとくライト前に運んで再逆転を果たした。

きわどい球を見極める力といい、ボールに食らいつく闘志といい、両チームの中で際立った8番バッターだった。結局、明治は5対8で敗れ、決勝進出はならなかった。全国の各リーグのレベルの均等化を改めて感じさせられた一戦だった。一方、東都代表の立正大学は危なげなくプロ注目の大型左腕、佛教大学の大野雄大投手を攻略して決勝進出を決めた。

野球シーズンの終わりを告げる明治神宮大会。毎年、私はこの大会を通じて翌年のアマチュア球界を占うことにしている。

冷え込む神宮のスタンドに、同じような思いのアマチュア野球ファンが今年も多数詰めかけていた。記者席とスタンドを行ったり来たりしながら、早くも今年の野球シーズンが終わってしまうことに私は一抹の寂しさを感じていた。


カテゴリ: 野球

“証言者の時間”は短い

2009.11.15

今日は山形まで行って、89歳になる旧日本陸軍の軍人・渡辺義三郎さんにお会いしてきた。内蒙古で在留邦人4万人を救うために、終戦後の昭和20年8月20日にソ連軍と死闘を繰り広げた老兵だ。

無条件降伏という名の「武装解除命令」に敢然と立ち向かい、在留邦人を助けるために内蒙古・張家口の北の「丸一陣地」で次々と死んでいった旧日本陸軍の兵士たち。渡辺さんが語る知られざる真実の数々に、思わず息を呑む。

関東軍の山田乙三司令官と駐蒙軍の根本博司令官。二人の司令官の決定的な違いはどこにあったのか。軍人がどうしても守り抜かなければならない“本分”とは何か。渡辺さんの話には、その答えがあった。

歴史に埋没してしまったエピソードを拾うためには、渡辺さんのような生き証人が不可欠であることは言うまでもない。誇張も、そして思い込みもなく、東北弁で訥々と話してくれる「ソ連軍との攻防」は、まるで映画の一シーンのようだ。

ひんやりとした、東京とは比較にならない静溢な山形の空気は、老兵の証言をさらに引き立ててくれているような気がした。

しかし、“証言者の時間”が確実に少なくなってきていることを痛感する。「待ったなし」の取材が、これからも私を待っている。

カテゴリ: 歴史

「JAL」も「ANA」も同じか

2009.11.14

日本航空(JAL)の9月期中間連結決算が「1312億円の赤字」であることが明らかになった。日本政策投資銀行などから「1250億円」のつなぎ融資を今月にも受けることになった。

確かに世界的な景気の悪化と新型インフルエンザの影響による旅客の減少も理由にはあるだろう。しかし、JALの驚くべき高さの「人件費」が経営の足を引っ張ったことは間違いない。JAL社員の厚遇については、さまざまなメディアが報じてきたので、ご存知の方も多いと思う。

たとえば、機長の月収は平均200万である。また企業年金は、一人当たり年間300万円にもなる。企業年金とは、基礎年金と厚生年金という「公的年金」とは別に、「企業が積み立てる私的年金」のことだ。

よく「2階建ての年金制度」が説明されるが、この私的年金の場合は、「3階建ての3階部分」ということになる。通常、公的年金は年間250~300万円ほどになるので、彼らはこれに企業年金を足した計600万円近い年金を年間に受け取っているのである。

600万円といえば、月額は「50万円の年金支給」ということになる。年金の少なさに四苦八苦している一般の人たちにとって、これは仰天の金額に違いない。いまこの年金が減額されることにJALのOBたちが猛反発し、「憲法違反だ」「減額は許されない」と、税金での補填が要求されている。

まったく本末転倒も甚だしいと思う。企業が倒産すれば、その企業年金がアウトになるのは当たり前のことだ。それが私企業の「運命」であり、「宿命」でもある。そのために、企業年金のある会社では、OBが現役の社員に対して、「君ら、しっかり頑張ってくれ。俺たちの年金分を稼いでくれよ」と、声をかけるものだ。

しかし、JALのOBは違う。自分たちの「3階建ての3階部分」の年金が減額される時に、なんと税金を使ってでも「補填せよ」と言ってのけるのである。「3階建ての3階部分」の年金を持たない国民が、自分たちの税金でこれを補填しなければならないようなことが現実になれば、まさに「木の葉が沈み、石が浮く」事態と言える。

JALの厚遇は金額面だけではない。機長クラスは、乗務の行き帰りは「タクシーやハイヤーの送り迎え」である。都内から成田までは、タクシー代が2万円ほどになる。横浜なら軽く3万円を超す。かつて、これが「ハイヤーではなくタクシーにする」という話が持ち上がった時、機長らが猛反発したことを思い出す。

また、運航乗務員や客室乗務員(スチュワーデス)に与えられる「パーディアム」というシステムもJALにはある。システムというより悪弊といった方がいい。簡単に言えば、旅先で使用する食費を会社が負担するシステムである。

たとえば、客室乗務員なら、国内ステイで一泊7000円ほどが支払われてきたそうだ。国内ステイは、夜到着したら、翌日の昼前後に出発というのが、基本運航パターンだが、その間に7000円の食事代が出るのだそうだ。言うまでもなく、機長の金額はそれよりも多い。一泊だけの国内出張で、これだけ食事代を会社が負担してくれるところはそうはないだろう。

もちろん、外国でのステイの場合は、滞在する高級ホテルのレストランの食費をもとに計算されるため、さらに大きな額が支給されるそうだ。JALの長年の放漫経営というのは、実はこうした「社員の厚遇」から来ている。

各労組の強さと、ストライキを武器にした威圧的交渉がJALの名物だ。乗客サービスそっちのけで、自分たちが持つ既得権益、待遇の維持ばかりを求め続けた結果が、今回の破綻劇であったことを国民は忘れてはならない。

実は、もうひとつの巨大航空会社・ANA(全日空)にも、機長の増長とそれを許す会社の甘い体質がある。

ANAでは、驚くべきことに機長が「コックピットに入る時間」のマニュアルが存在しない。なんと彼らは「出発時刻の30分から40分程前に到着する」のが常なのだそうだ。つまり、ほとんど客と同じ時間に、彼らはコックピットに入ってくるのである。

先日、私はANAを利用した際、「コックピット内の不具合が発見されたため、機体交換を致します」とのアナウンスがあり、乗客が座席についた後、全員が改めて外に出され、機体交換されるという不手際に遭遇した。

「コックピット内の不具合」がなぜ客が座席に座ってから発見されるのか不思議に思っていたところ、やはりANAには、「機長がコックピットに入らなければならない時刻等を定めたマニュアル」が存在しないことがわかった。ANAでは、客とほぼ同時間に機長らが当該機にやって来ることを容認しているのだ。

そこには、「客の命を預かっている」というプロとしての意識が垣間見えない。見えるのは、ただ「便を運航しさえすればいい」という機長らの驕りである。そして、そういう増長を許す体質は、JALもANAも同じなのではないか、と思う

ANAもやがてJALと同じ道を歩んでいくことになるだろう。今回のJAL破綻劇の顛末を国民は注視し、JALだけでなくANAに対しても監視を忘れてはならないと思う。その度に、公的資金注入という名の「税負担」をわれわれが被ることを許してはならないからだ。

カテゴリ: 経済, 随感

日本の「根幹」はどこまで揺らぐか

2009.11.13

今日、オバマ大統領が来日する。中国に3日間も滞在するのに、日本には1泊のみである。さまざまな点で、この来日は“前代未聞”だ。

13日夕方に羽田空港に着くオバマ大統領は、そのまま日米首脳会談に臨み、共同記者会見、そして首相主催夕食会という段取りである。

驚くべきは、鳩山首相は首脳会談を行った後、大統領を日本に残し、深夜にアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議出席のためシンガポールへ出発することだ。

つまり明日14日は、オバマ大統領はホスト役の鳩山首相不在の中、天皇陛下との会見やアジア外交に関する演説などの日程をこなす。そのあとで鳩山首相を追ってシンガポールに向かうという。日本の首相が、来日中の最大同盟国の首脳を残して先に出かけていくという驚くべきスケジュールである。もちろん、そんな非礼は史上初めてのことだ。

中国の覇権主義がますます台頭してくる中、日米関係はさまざまな意味で重要度を増している。北朝鮮の核問題は、日本国民の生存権にもかかわることだけに、拉致問題も含めて国民は徹底して日米首脳に話し合って欲しい、と思っている。

日米首脳が腹を割って話し合える関係を築くことは、それだけ日本国民に極めて重大な意味を持つのである。しかし、鳩山首相にその気持ちも能力もない。少なくとも私はそう思う。明らかに「脱アメリカ」で「親中国」を志向しているのが鳩山政権である。

このしっぺ返しは、さまざまな面で噴出してくるだろう、と思う。「アメリカをコケにした男」鳩山首相の行動によって、今後、オバマの中国重視政策はますます強まるだろう。オバマ政権は、もともと中国ロビーを内部に組み込んだ政権だけに、これから日本軽視に拍車がかかるに違いない。

すでにアメリカのメディアには、鳩山政権への露骨な不信感が出ている。日本への批判記事が政治ジャーナリズムの主流になりつつあるのだ。

沖縄米軍基地移転問題での指導力のなさや、自衛隊のインド洋での給油活動をやめさせた鳩山政権に「親近感を抱け」というのがそもそも無理かもしれない。鳩山首相は、インド洋での給油活動のかわりにアフガニスタンへの4500億円の民政支援をおこなうそうだ。

わずか70億円ほどで済んだ自衛隊の支援活動が、4500億円の税負担となって国民の上に覆いかぶさってきたのである。暗澹たる思いになる納税者は、私だけだろうか。

日米関係が、戦後、最も「冷え切った関係」に突入していく中、国内では、すでに小沢一郎氏が幹事長室で「陳情を一元的に取りまとめて閣僚らに取り次ぐ」新ルールがスタートしている。小沢氏は、事実上の“陰の総理”となったのだ。

所得制限なしの子供手当や、働く母子家庭よりも収入が多くなる母子加算、外国人参政権問題、新規国債発行額「44兆円」というバラ撒き予算……鳩山政権によって、トンでもない事態が進行している。

日本の根幹は大丈夫か、と最近つくづく思う。

カテゴリ: 国際, 政治

秋雨に霞む東京

2009.11.11

今日の東京は雨だった。事務所から眺める「秋雨に霞む東京」の風景もいいものだ。そんな事務所に先月一緒に台湾・金門島に行った75歳の吉村勝行さんが訪ねてこられた。

わざわざ大阪から出てきてくれているのに雨に祟られ、なんだか申し訳ない。今日は、吉村さんと集英社、フジテレビ、それに私で、根本博・元陸軍中将のご遺族の家にお邪魔した。60年前の国共内戦の激戦地・金門島。両軍最大の激突の場となった「古寧頭(こねいとう)村」への訪問結果を、根本中将のご遺族に伝えるためだ。

報告を終え、吉村さんは肩の荷を下ろしていた。昨日発売の「週刊プレイボーイ」には、「蒋介石を救った日本人将軍の影を追う」と題して私が根本将軍のレポートをしている。いよいよ歴史に埋もれていた真実が徐々に明らかになってきた手応えがある。

それから新宿に場所を移して飲み会。楽しい数時間が過ぎた後、外に出ると雨は嘘のように上がっていた。先週から今週にかけて2日おきに「3本」の締切に追われていた。そのため、ブログも更新できず、おまけに疲労が蓄積していた。しかし、楽しい飲み会は、疲労などどこかにすっ飛ばすパワーがあるらしい。飲み会が終わったら、肩や頭の疲労感がすっかり消えてなくなっていた。ありがたいものである。

今日はテレビのチャンネルをひねると、リンゼーさん殺害事件の容疑者・市橋達也が捕まったニュースばかりが流れている。島根女子大生バラバラ事件や恐怖の“婚カツ”殺人事件など、ここのところ大きな事件がアトを絶たない。それぞれの担当の記者たちは大忙しだろう。

それにしても、なぜ市橋は最後まで自首しなかったのか。整形写真が公開されても、それでも逃げ切れると思ったのだろうか。彼の逃亡生活は謎だらけだ。が、市橋が、時効成立直前に逮捕されて獄中で死んだあの福田和子に負けない話題を巻いたのは確かだ。

市橋の「逃亡記」は是非読んでみたいと思う。四半世紀も雑誌の世界にいた私は、世間の耳目を集める大事件の際には、どうしてもそんなことを考えてしまう。

カテゴリ: 随感

日本シリーズの勝敗を分けた“決定的瞬間”

2009.11.07

日本シリーズが今、終わった。巨人が、7年ぶり21度目の優勝を飾った。昨年、西武に惜敗した悔しさを見事に晴らした優勝だ。

原監督は「素晴らしいチームと日本シリーズを戦え、(その上で)日本一になれたことは感無量です」と、相手を讃えながら優勝の喜びを語った。

しかし、その原監督のインタビュー内容とは裏腹に、このシリーズは、日本ハム・梨田監督の采配ミスが目立った。細かなミスがあまりに多かったので割愛させていただくが、最大のものは何といっても第5戦のピッチャー交代劇だろう。

この投手交代は、シリーズの勝敗を分けた最大にして決定的な判断ミスだった。2勝2敗の五分で迎えたこの一戦、日本ハムは先発に元ヤクルトの左腕・藤井秀悟を立てた。ヤクルト時代から、巨人キラーとして知られる好投手だ。

予想通り、藤井はマウンドで肉体を躍動させた。両サイドと高低をうまく使って巨人打線を翻弄した。スライダーやチェンジアップがこれほど決まれば、巨人打線といえどもなす術はなかった。スクリューボールも打者の目を幻惑し、おそらく藤井のストレートは、打者にとって実際よりも「10キロ以上」、早く見えたのではないか。

しかし、1-0でリードしていた日本ハムは、8回表に藤井の打席がまわってきた時、代打を出して降板させてしまった。

「えっ、なぜ?」と思ったのは、私だけではあるまい。緩急のあるボールを懐に出し入れされていた巨人の左打線は腕が完全に縮み上がっていた。しかし、藤井がマウンドからいなくなれば一気に蘇ってしまう。巨人にとって、これほどありがたい交代劇はなかっただろう。

案の定、それまで4安打に封じられていた巨人打線は、藤井降板で息を吹き返した。8回、9回で都合3点をあげてサヨナラ勝ち。勝負を決めたのは、当然のごとく亀井・阿部という巨人の「左打線」だった。かくして今年のプロ野球は決着した。

野球とは“流れ”のスポーツである。采配ミスさえしなければ、たとえ少々力が劣っていても流れをうまく掴んだ側が勝利を手にすることができる。そこに野球の醍醐味がある。

今回のシリーズは、北海道のファンには欲求不満が溜まったかもしれない。しかし、2004年に日本ハムが北海道移転を果たして丸5年、すっかり北海道に定着したことを今回のシリーズは教えてくれた。

パ・リーグの野球が特に好きな私としては、今回の日ハム敗戦は残念だった。しかし、セ・リーグよりパの野球の方が緻密で面白いという考えは変わらない。今回の敗戦を教訓に、梨田監督には、是非、捲土重来を期して欲しい。

カテゴリ: 野球

“松井MVP”に思う

2009.11.05

松井秀喜(ヤンキース)が、ワールドシリーズのMVPを獲得した。もちろん日本人として初めてである。「とうとうここまで来たか」という深い感慨を抱いた日本の野球関係者は少なくないだろう。

昭和9年に来日したベーブ・ルースやルー・ゲーリック、ジミー・フォックスら、球史に残るメジャーのスター軍団に、澤村栄治やヴィクトル・スタルヒンが豪速球を投げ込んだ時から始まった日米の野球の因縁。

太平洋戦争という悲劇を挟み、澤村をはじめ、多くの名選手が戦火の中に消えていった。戦後、敗戦の悔しさを胸に、「メジャーに追いつけ、追い越せ」を悲願として頑張った日本の野球関係者を私は数多く知っている。

2004年、近代ベースボール史上最高の打者であるイチローが、「絶対に破られない」と言われていたジョージ・シスラーの257本というシーズン最多安打記録を打ち破った。今年3月には、サムライジャパンが、WBC(ワールド・ベースボール・クラッシック)で2連覇を飾った。そして今度は、ワールド・シリーズでメジャー最多の優勝を誇るヤンキースのクリーンアップに座った松井が打ちまくり、見事、MVPを獲得したのだ。

ベーブ・ルースたちの来日から75年もの歳月が流れ、今、後輩たちが次々と多くの先達の悲願を成し遂げている事実に驚きと感動を覚える。

一昨年1月、私は松井選手に単独インタビューをさせてもらったことがある。私は、松井選手が巨人入団3年目の秋、突如、“隙のないバッター”に変貌したと思っている。その時期から、松井選手は急にそれまでの膝元の弱さを克服したのだ。

そのことをインタビューで聞いた私に、松井選手は、その入団3年目の秋に「何があったか」を飾り気のない言葉で積極的に話してくれた。その時、私は松井選手に「あなたがメジャーでホームラン王を取った時が、日本の野球が初めてメジャーを凌駕する時かもしれませんね」と聞いた。

すると松井選手は、あの人なつこい笑顔で「ファンの期待を僕はコントロールすることができません。そう期待していただけるのは嬉しいですが、僕は自分にできること、つまり自分でコントロールできることを頑張ってやっていきたいと思っています」と語ってくれた。

体格やパワーなど、さまざまな点で「メジャーで本塁打王を取る」ことの難しさを松井選手は痛感しているようだった。そして私には、松井選手の「自分でコントロールできることを頑張ってやっていきたい」というフレーズが頭に残った。

今日、MVPのインタビューを受ける松井選手の姿を見て、気負うこともなく淡々と「自分でコントロールできることやってきた」男の凄みを感じさせてもらった。

ヤンキースの契約期間を終えた松井選手が、これからどの球団でプレーするか、私にはわからない。しかし、松井選手がどこへ行こうが、これからも気負うことなく、淡々と選手生命を全うしていくことは間違いないと思う。彼は「自分でコントロールできること」に対して、謙虚に、そして誠実に向かい合う人間だからだ。

そして将来、松井が静かにバットを置く時、彼の名は「歴史に名を刻んだ男」として日米双方の球史に残るだろうと思う。

野球がつづく限り、ワールドシリーズMVPを日本人として初めて獲得した男は、日本の野球少年の“憧れ”になりつづける。テレビに流れる松井のインタビューを見ながら、私はそんなことを考えていた。

カテゴリ: 野球

世の中の流れに抗する人々

2009.11.04

今日11月4日は、61年前の昭和23年、極東国際軍事裁判(東京裁判)の判決言い渡しが始まった日である。判決文朗読と判決言い渡しは、9日間もかけておこなわれ、すべてが終了したのは11月12日のことだった。

英文1212ページにも及ぶ膨大な判決文は、ウィリアム・F・ウエップ裁判長が読み上げた。戦争犯罪人としてこの軍事裁判にA級戦犯たちが起訴されたのは昭和21年4月29日のこと。すなわち裕仁天皇の誕生日(戦前は「天長節」と呼ばれた)であり、また裁判終結後、絞首刑の判決を受けた7人が「刑を執行」されたのは、昭和23年の12月23日。すなわち現在の明仁天皇の誕生日である。

極めて“見せしめ”の意味合いが強かったこの裁判で、11人の判事の中で唯一、インドのラダ・ビノード・パール判事だけが「この裁判自体が国際法からみて問題がある。東京裁判において、日本を裁く法的地位はどこにも存在しない」として、被告人全員の無罪を主張している。勝者が敗者を裁く政治ショーの様相を呈していた東京裁判に、パール判事は敢然と異を唱えたのだ。

世の“流れ”に逆らうことは簡単なようで難しい。極東国際軍事裁判所には、「少数意見の内容朗読義務」が存在したにもかかわらず、パール判事の「意見書」は、ついに読み上げられることがなかった。

しかし、法学者として世界の趨勢に惑わされることなく、自らの意見を堂々と開陳したパール判事の功績は今も色褪せない。いつの時代にも、そしてどこの国にも、毅然と生きる人物が存在することに私は大きな勇気を感じる。拙著「裁判官が日本を滅ぼす」等々で、日本の官僚裁判官の堕落を指摘してきた私には、パール判事の姿勢が今も新鮮に感じられる。

さて、世の中の流れに抗する、という意味では、今日の産経新聞におもしろいエッセーが載っていた。作家の曽野綾子さんが書いた「透明な歳月の光」だ。曽野さんは、言わずと知れた文壇の一言居士。女性であり、クリスチャンでもある曽野さんに「居士」という表現は失礼だが、要は、誰にも迎合しない毅然とした物言いの人、という意味である。

その曽野さんが、自身が日本郵政の社外役員になって以降の感想を「辞令も説明もない緩んだ組織」と題して、エッセーの中で痛烈に日本郵政批判を展開したのだ。

亀井静香郵政担当相と斎藤次郎日本郵政社長が自宅に来て、社外役員就任の要請をおこなった様子や、その後、辞令も担当者からの説明もなく、唯一の連絡が、「給与を払い込むための郵便貯金の通帳の番号を聞いて来た」ことだけだったことを曽野さんは暴露している。いまだに外部の人に渡されるパンフレットさえ、曽野さんは渡されていないというから驚く。

曽野さんは、このエッセーを「もしこれが西川体制の元で作られた甘い構造なら、斎藤新体制は一刻も早く組織を引き締めなければならない」と締め括っている。

日本郵政が、民間企業とは名ばかりの、いかに緩んだ“お役所”であるかが垣間見られるが、要は、曽野さんを起用した亀井氏や斎藤氏の目的が、「国民に対するイメージ戦略」だけであることがはからずも透けて見えたということだろう。

彼らにとっては、会社の中身など曽野さんに「知ってもらう必要」などなく、黙って「座っていてください」という本心が思わず露呈してしまったのだ。

だが、“官僚の中の官僚・斎藤次郎”が社長を務める日本郵政で、曽野さんがこのまま“お飾り”で終わるとも思えない。国民のために、曽野さんには、いつもの鋭い嗅覚と観察眼で次々と日本郵政の問題点を炙り出していって欲しいと思う。

“官僚の中の官僚”vs“文壇の一言居士”――両者の激突を興味深く見守っていきたい。

カテゴリ: 歴史, 随感

労組政党のお手並み拝見

2009.11.03

今週は、2日ごとの締切を3本も抱え、四苦八苦している。台湾・金門島への取材、そのあとの四国行き。東京をずっと留守にしていたために、容赦のない「締切」に追われる羽目になってしまった。

四国では昨日、伝説の名投手・澤村栄治のお嬢さん(といっても65歳)にお会いし、さまざまな秘話を聞くことができた。近くその取材結果をレポートさせていただくつもりだ。

多くの若者の命が奪われた太平洋戦争という未曾有の悲劇。その中で、残された家族が戦後歩んだ“茨の道”もまた別のドラマがある。戦火の中に消えて行った名選手たちの無念を、私はできるだけ取材し、浮かび上がらせてみたいと思っている。ご期待ください。

ところで、国会の論戦がいよいよ始まった。労組依存というアキレス腱を抱える鳩山政権に対する国民の見方は現在、失望半分、期待も半分というところではないだろうか。さまざまな問題点が見え隠れしている中、今のところマスコミの報じ方は、概ね“好意的”だ。

しかし、マスコミの得意技は、言わずと知れた“掌(てのひら)返し”である。麻生政権などは、「これでもか」とばかりのバッシングを受け続けたが、果たして鳩山政権がいつからマスコミの攻撃に晒されるようになるのか、注目していきたい。

鳩山政権が抱える火種は、「カネ」「小沢」「労組」「北朝鮮」だ。これらをきっかけにいつ閣内不統一が表面化するか、興味深い。まずはJAL再建の“税金投入”にあたって、企業年金の大減額も含め、どのくらいJAL社員たちの厚遇をブチ壊せるか、「労組政党」のお手並み拝見といきたい。

カテゴリ: 政治, 歴史

人生における“ひとつの時代”が終わる時

2009.11.01

今日は午前中、松山坊ちゃんスタジアムで、高校野球秋季四国大会決勝の今治西対高知戦を観戦。途中から降り出した雨が“土砂降り”になる中、延長11回今治西の逆転サヨナラ勝ち(6対5)となった。

最悪のコンディションの中で選手たちには気の毒な結末だった。ここのところ地盤沈下する四国野球。かつて全国をリードした四国野球も最近ではすっかり他の地区の後塵を拝している。

甲子園の勝率ナンバー・ワン県(高知)とナンバー・ツー県(愛媛)の激突のわりには、投攻守すべてにおいて物足りなさを感じたのは私だけではあるまい。四国野球「復活」には、まだまだ道遠し、の感を強くした。

雨の中、宿泊先のホテルに帰ってくると、NHKで早慶戦がテレビ放映されていた。だが、早稲田大学は昨日につづいて慶応大学に敗れ、東京六大学の優勝は明治大学に決まった。2連敗で優勝を逃したことは、早稲田にとって痛恨事だった。

しかし、1対7と大差をつけられた早稲田が最終回に見せた粘りはすばらしかった。代打で出てきた4年生が粘りに粘って安打を連ねて3点を奪った。テレビは、4年生やベンチの選手が涙を流している様子を映し出していた。

子供の時から一生懸命野球をやってきた彼らの“野球人生”がこれで終わる。プロや社会人で野球を続ける4年生もいるが、大半は野球と離れることになる。来年からは、野球部の「最上級生」から、内定をもらっている企業で「社会人1年生」となるのである。

大学の4年間だけでなく、ひたすら努力と鍛錬を続けてきた彼らが、その野球人生が終わる時、万感の思いがこみ上げてくるのは当然だろう。それだけの努力を彼らはしてきたのだと思う。

気がつくと試合後、3年生の齋藤佑樹投手が涙の4年生たちの中で、これまた目を赤く泣き腫らしていた。世話になった1年上の先輩が泣く姿に斎藤君も感極まったのだ。クールな斎藤君には、珍しいシーンである。

夜、かねて知り合いの早稲田野球部のその4年生の一人から携帯に電話が入った。「長い間、お疲れさま。よく頑張ったね」と私が言うと、彼は「ありがとうございました」と答えたまま、言葉に詰まった。そして、震えるような泣き声が受話器の向こうから響いてきた。

試合に出ようが出まいが、ひたすら努力を続けて自己を磨き、彼が悔いなく野球を続けたことを私は知っている。それは、ひとつの物事をやり抜いた男にだけ流すことが許される涙だったと思う。

人は、人生において“ひとつの時代”が終わる時、ある種の感傷に捉われる。それは誰もが持っている感傷ではないだろうか。私も大学時代にそういう経験がある。

ひとつの物事に打ち込むことの大切さ。そして、それを貫いた若者たちが流した涙。今日は、爽やかなものに触れさせてもらって、なんだか嬉しくなった。日本の若者も、まだまだ捨てたものではない。


カテゴリ: 野球, 随感