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波乱の年が始まる

2009.12.31

今年60回目を迎えた紅白歌合戦が放映されている。家族全員でそれを観ている。いつもの、そして、典型的な日本の大晦日。もう年越しそばも食べた。

こうして、平穏な1年を感謝し、来年も同じような1年であって欲しいと思う。それが伝統の日本の大晦日だ。

ニュースは、日本列島が強い冬型の気圧配置となり、どこも大荒れになっていることを報じている。平穏な日々を望む国民とは裏腹に、来年は今日の天気のようにアップダウンの激しい“厳しい年”になるだろうと予想する。

国債発行残高は637兆円、戦後初めて国債発行額が税収を上まわる年。それが2010年だ。小泉時代の“発行額30兆円の攻防”が遠い昔のような気もする。なにしろ税収37兆円に対して、国債発行額が44兆円なのである。

歳出総額92兆円のほぼ半分を国債、すなわち借金に依存するわけである。家族単位で考えれば、家計のほぼ5割を借金でまかなうという破産状態が、来年の日本である。

コンクリートから人へ――という耳ざわりのいいキャッチフレーズと、一方で子孫にツケをまわす予算編成。国債発行の増加によって、来年は長期金利が上昇するという見方が一般的だ。

だが、永田町の「デフレ脱却」要求に日銀は抗せないという見方も一方にある。とすれば、日銀が金融緩和政策をとり、「金利上昇はない」ということになる。

金利がどうなるか、ということだけでも、これだけ正反対の予想が存在する。それだけ2010年は予想不可能な年だ。

波乱の年が間もなく始まる。“年明けカウントダウン”である。今年1年ありがとうございました。2010年も、何卒よろしくお願いします!

カテゴリ: 経済, 随感

激動の2009年

2009.12.30

今年も残すところ、あと1日となった。激動の2009年がもうすぐ終わる。政治、国際社会、事件、スポーツ……あまりに多くのことがあり過ぎて、今年が一体どういう年だったのか危うく見失いそうになる。

いつものように多くのヒーローが生まれた年だった。だが、「2009年のヒーロー」が果して10年後、20年後にどのくらい生き残っているかを考えると心もとない。

ひたすら原稿書きにいそしんでいる私も、今日は年末の東京に出てみていろいろ観察してみた。帰省客で人口密度の低くなった東京はそれだけで、日頃の“あくせく感”がなくて、なんだか心地いい。

今年は田舎(高知)の両親が東京に出てきて、こちらで寝正月を決め込むという我が家にとって初めての試みがおこなわれる。

今日はその両親も東京に到着した。土佐のお正月と東京のお正月。まったく異なる文化の融合にわが子たちもわくわくしている。

麗らかな東京の年末。激動の2010年の幕開けを間近に控えた大都市・東京は、おそろしいほどに穏やかだった。


カテゴリ: 随感

「法の下の平等」はどうなったのか

2009.12.29

年末になって、テレビでは「この1年」という番組が各局で放映されている。今年は「政権交代」という歴史的な出来事があっただけに、そこに焦点があてられる番組構成が実に多い。

鳴り物入りで誕生した鳩山政権に対して、国民は今、複雑な思いを抱いている。年末の日本列島を走った衝撃ニュース「鳩山首相の脱税額」を聞いて、溜息を洩らさない方がおかしいからだ。

鳩山由紀夫首相が6年間で母親から受けた贈与の総額が11億7千万円で、納税額は約5億7500万円にのぼった。さらに今年度分の贈与9千万円については「後刻、申告・納付する」するそうだ。

11億7千万円もの贈与を申告もしなかったというのだから、これは恐ろしい。それでも鳩山さんは「やったのは秘書であって、私は一切知らない」と繰り返している。

そもそも6億円近い脱税をしてもこのヒトの場合、「逮捕もされない」というのはどういうことだろうか。上申書一本で逮捕もされないなら、それは法の下の平等に反するではないか。誰もが「なぜこの脱税額で逮捕されないの?」という疑問を口にするのではないか。

脱税は所得税法違反である。不正な手段で課税を免れることにほかならない。同じ脱税でも悪質なケースとそうでないケースによって「逮捕されるかどうか」が決まるが、鳩山首相がやったことは「節税」ではなく、「脱税」だったことをもう一度認識すべきなのである。

鳩山首相は脱税、すなわち「違法な方法」で納付すべき「税金を少なくした」のである。国民が納めた税金によって国を動かす行政の長が、こともあろうにこれだけの「巨額の脱税」をしていたというのだから、これはもう滑稽譚である。

これから脱税の摘発を受けて刑事訴追を受けるものは、正々堂々と主張すればいい。「では、なぜ鳩山さんは逮捕されないのか」と。

ここへ来て、小沢氏にも鳩山氏と同じ脱税の噂が流れている。これまでの政党解党の際、党の資金を自分個人の政治団体に振り込ませた疑惑が浮上しているのだ。

鳩山、小沢両氏とも、自民党の最大派閥・田中派の出身である。田中派は、田中角栄も金丸信も、検察の手によって逮捕された過去がある。

二人に対して、検察はどこまで腹をくくって対処できるだろうか。静かに見守りたい。

カテゴリ: 政治

御用納めの1日

2009.12.28

今日は御用納めだ。その関係もあってか、事務所は千客万来だった。鉢合わせになったお客さんもいた。

ユニークだったのは、年齢が50歳も違う人が事務所で遭遇したことだろうか。「新宿に来ているから」と元日本共産党の兵本達吉さんがやって来られたのは午後1時過ぎ。それから20分もしない内に、今度は現役東大生(4年)の清水章弘くんがやって来た。

清水君は現役学生ながら、教育関係の会社を立ち上げた学生経営者だ。先週、処女作の『習慣を変えると頭が良くなる』(高陵社書店)というユニークな本を出版したばかりだ。その本を持って、報告がてら事務所に寄ってくれた。

71歳の兵本さんと21歳の清水君の年齢差はちょうど50である。兵本さんは京大法学部在学時代に入党したバリバリの日本共産党員だった。長く議員秘書を務めた「国会の生き字引」だが、なんといっても北朝鮮拉致事件を発見し、追及した人物として知られる。

兵本さんが奔走したことによって拉致問題が明らかになり、梶山静六・国家公安委員長(当時)の「北朝鮮による拉致の可能性が極めて高い」という有名な国会答弁を引き出した。彼の活動がテレビドラマになったこともある。

そんな二人が事務所で遭遇し、交わされる話は、共産主義革命から子供の教育問題まで多岐にわたった。私も原稿執筆の手を休めて、話に参加させてもらった。

兵本さんは身に覚えのない嫌疑をかけられて、のちに共産党から除名されている。どの組織も、優秀な人間には嫉妬が集まり、さまざまな障壁が立ちはだかるものである。だが、兵本さんはその時のエピソードをユーモラスに話すので、清水君にはいい勉強になったのではないか、と思う。

御用納めの日ならではのユニークさだが、こういう「出会い」こそ貴重だし、人生にとって糧になるものだと思う。今年もあと3日。来年もこういう多くの出会いがある年であって欲しいと、心から思う。

カテゴリ: 随感

映画「海角七号」

2009.12.27

今日は銀座に映画『海角七号 君想う国境の南』を観に行った。この映画だけはどうしても観たいと思っていた。昨日封切りになったもので、初日にこそ行けなかったものの、2日目に行くことができた。

私が着いた時、主役のファン・イーチェンと田中千絵の2人が舞台挨拶をしていた。場内はほぼ満席だ。

これは、昨年、台湾で国産映画として空前の大ヒットを記録した作品である。8月下旬に劇場公開が開始されると、口コミで評判が広がり、瞬く間にインターネットなどの話題を独占し、1か月足らずで興行成績が1億元を突破し、ついには5億元を超えて、台湾国産映画としての大記録をつくった。

この映画は、敗戦により恋人である台湾女性を置いたまま台湾南部の街から日本に引き揚げていった日本人教師が、引揚船のデッキで、その彼女に手紙を書いている場面から始まる。「海角七号」とは、彼女が住んでいた旧日本統治時代の住所のことである。

日本人教師のこの7通の手紙は、彼が年老いて亡くなるまで投函されることがなかった。これを投函したのは、彼の娘である。あまりに美しく、切ない手紙の内容に、亡き父の思いを伝えてあげたいと思い、60年の歳月を越えてその台湾女性宛に送ったものだ。

しかし、旧日本統治時代の住所に郵便物が届くはずもなく、宛先不明のまま配達されなかった。だが、ミュージシャンになるという夢が破れて台北から故郷へ帰ってきた主役の現代青年(ファン・イーチェン)が郵便配達のアルバイトの中でこの手紙を発見する。

物語は現代と過去を行き来しながら、「60年前に終わった恋」と、「現代に始まる恋」を描いていく。青年は地元で開催される大規模なビーチコンサートにミュージシャンとしての自分の夢を思い起こして参加するが、ドタバタの中、マネージメントする立場として登場した日本人女性と恋に落ちる。「現代に始まる恋」の男女を演じるのが台湾のポップスター、ファン・イーチェンと日本の女優・田中千絵さんである。

彼女の願いで、ファン・イーチェンは戦後60年という歳月を経て、年老いたその女性を探し出し、彼女のもとに7通の手紙を届けるというストーリーだ。

私は映画を観ながら、なぜこの映画がこれほど台湾で空前のヒットになったのかをずっと考えていた。戦争という悲劇と、運命というにはあまりに切ない男女の別れ。これまで台湾映画で、さまざまな事情によって日本統治時代が好意的に描かれることはなかっただけに、今この映画がつくられ、あらゆる世代の台湾の人々にこの映画が支持された意味を、私は考えざるを得なかった。

私は、今年7月に文藝春秋から『康子十九歳 戦渦の日記』を出版した。この作品で、粟屋康子という日本人女性に恋した梁敬宣という台湾青年の姿を描かせてもらった。康子さんが遺した克明な日記と当の梁さんの証言をもとに、当時を忠実に再現した歴史ノンフィクションである。

映画を観ながら、私は、19歳で亡くなった康子さんと、今も台湾に生きる85歳の梁さんのことを思い浮かべた。

梁さんは、恋愛などご法度のあの時代、康子さんに恋し、彼女からもらった髪の毛を大切にし、それを埋めた場所に赤いバラを植え、それを戦後60年以上経た現在も、守り、育てている。

死ぬことが当たり前だったあの時代、若者は言葉に出すことのできない感情や思いを胸に戦地へと赴き、また恋人とも別れ別れとなった。映画の中の日本人教師と台湾女性も、時代に別離を強制された人たちだ。その切ない現実と歴史を、この映画は描こうとしたのだと思う。

私は、この映画と『康子十九歳 戦渦の日記』が同時期に人々の前に姿を現したことの不思議さを感じている。台湾は今、国民党の馬英九総統のもと、急速に中国との接近がはかられている。“第三次国共合作”である。そんな時代に、台湾のすべての世代が涙したという『海角七号』が生まれた。

歴史に偶然はない。日本の統治時代、そして苛烈な蒋一族統治時代を生き抜いた台湾の人たちがなぜこの映画を空前の大ヒットにし、なぜすべての世代が涙したのか。そのことを考えながらこの映画を観れば、新たな思いが生まれるに違いない。

ここのところ、私は来春刊行予定の歴史ノンフィクションの原稿執筆で連日、徹夜が続いている。昼か夜かわからない生活である。年末年始もひたすら原稿に追われそうだ。疲労を取る意味もあって映画を観に出かけたが、映画館を出た時、新たに執筆意欲が湧いてきたのは確かだ。

なぜなら次の作品は、台湾の現代史とは切っても切れないノンフィクションだからだ。なぜ今の台湾と台湾海峡は戦後、中国の手に落ちることなく、守られたのか。そこに登場する熱い思いの多くの日本人たち。歴史には、明らかにしなければならない感動のドラマが今も眠っている。

そのことを改めて実感させてもらった。気の遠くなるような量の原稿用紙に向かう私も、今日は少しばかり勇気をもらった気がした。

カテゴリ: 国際, 歴史

鳩山さんの「火だるま国会」

2009.12.25

支持率の急落やら、失態つづきの政局運営、そして秘書の在宅起訴……等々というニュースを見ていると、鳩山さんが「政権を投げ出す」のが近づいてきたことを実感する。

日頃の言動を見ていてもわかるように、この人は、別に国民のために何かやりたくて総理の座に就いた人ではない。総理には二つのタイプがあり、「国民のために総理の地位に就いて、……をやりたい」という人と、「総理になること自体が目的であって、国民は二の次」という人である。

ここのところの福田康夫、麻生太郎、鳩山由紀夫という名門の出の総理たちは、後者であることが共通している。こういう人たちは、総理になること自体が目的だから、「嫌になればすぐ投げ出す」のが特徴だ。「国民のために」がないのだから当たり前だ。執念も信念もない。ただその時を「凌げればいい」人たちである。

先の習近平・中国国家副主席と天皇とのゴリ押し会見の例を見るまでもなく、鳩山首相は小沢一郎氏の傀儡と化している。失礼ながらこれまでのブログでも書いて来たように、小沢氏程度の恫喝政治家に抗せないのが鳩山氏のレベルである。

「もし、鳩山由紀夫の秘書が同じことをやっていたとするなら、私はすぐに国民の皆様に謝罪を申し上げて、離党ではありません。国会議員のバッジを外します」――この言葉は、平成14年に自民党の加藤紘一元幹事長の秘書が脱税で逮捕された時の鳩山氏の言葉である。

偽装献金事件で秘書が起訴された昨日、鳩山氏は「議員バッジを外す」どころか、記者会見で「続投を表明」した。日本の政治家の言葉というものはここまで「軽い」のである。

だが、この人は、果して、来たる通常国会を乗り切るだけの能力と神経を持っているだろうか。すでに「脱税総理」という名を歴史に残した鳩山さんが、どこまで政権の座にいられるか、ひとえに彼の神経の“太さ”によるだろう。

そして、小沢氏に愛想を尽かされた途端に「政権が瓦解する」という脆弱な体制になった以上、ますます小沢氏への権力集中が顕著になる。

1月召集の通常国会で、鳩山総理は連日“火だるま”となる。あらゆる方法で野党は、この信念なき政治家を攻め抜くだろう。

短期間で政権を投げ出す総理がつづくのは日本の恥だ。しかし、このレベルの政治家にしか政権を任せられないわれわれ国民こそ、反省すべきなのではないか。国民がそのことを認識しなければ、いつまでもこうした愚が繰り返されることになる。

国会で火だるまとなる鳩山総理の姿を、私たち国民は“我がこと”として見つめならない。

カテゴリ: 政治

イチローの「1年」を支えたもの

2009.12.24

夜中、NHKのBSでドキュメンタリー「大記録への道 イチロー知られざる闘い」を観た。近年のスポーツドキュメンタリー番組の中で出色の出来だった。

9年連続200本安打という大リーグ史上初の大記録を打ち立てたイチロー選手の1年を追ったものだ。民放のスポーツドキュメントはすぐにスタジオにタレントを招いてバラエティ性を打ち出そうとするが、この番組は、俳優の玉木宏がナレーションを務めるだけで、あとはイチローを含め、当事者のインタビューだけで構成されたものだった。

イチローはこの大記録を、「この1年の結果が、僕の野球人生が充実したものになるか、残念なものになるかを決めるものとなると思っていました」と語った。あのWBCで侍ジャパンを引っ張り、胃潰瘍になってまでチームのリーダー役を務めたイチローが、そこまでの思いを持って挑んだのがこの「大記録」だったのだ。

昨年、「チームから浮いている」「嫌われている」とまで地元紙に報じられたイチローが今年はナインと一体となり、尊敬されながら充実したシーズンを送った原因が、10年ぶりにマリナーズに帰ってきたケン・グリフィーJrの存在があったことを番組は伝えていた。

イチローが胃潰瘍で欠場している時に、ベンチにイチローのユニフォームをかけたのもグリフィーなら、足の故障で2度目の欠場を余儀なくされたシーズン終盤、はやるイチローの気持ちを抑えてケガを“大事”に至らせなかったのもグリフィーである。

固く結ばれたイチローとケン・グリフィーJrとの友情が、いかに今シーズンの成績に繋がっていったかを、番組は当事者の証言と映像で見事に描き出していた。

あれほどのスタープレーヤーとなっても、大記録を打ちたてることができるかどうかが、チームメイトの存在やチームワークというものに拠っていたことに、新鮮な驚きを感じた人も少なくないだろう。

勝負の世界に生きる男たちの過酷な鍛錬や微妙な心の揺れ――民放とはひと味もふた味も違う手法でそれを表現した番組だった。こういう良質のドキュメンタリーをNHKには、これからも期待したい。

カテゴリ: 野球

検察とマインドコントロール

2009.12.19

昨日、東京拘置所に井上嘉浩被告に面会に行って来た。12月10日の最高裁判決で死刑判決が下されたばかりである。

さまざまな話をしたが、彼から私にひとつの要望があった。死刑判決を厳粛に受け止めている、と語った井上被告は、同時に「オウム裁判は法律的な吟味として、これでいいのか、という思いがあります。門田さんは司法の著作をいろいろ書いておられるので、門田さんの眼でオウム裁判をもう一度、見直していただければ、と思います」と語った。

獄中で贖罪の日々を送る井上被告は、「二度とこういう悲劇を繰り返してはならない」と何度も語った。だが、被害者遺族の胸に井上被告の償いと自戒の言葉が響くところまでいっていないのも事実だ。なぜなら、何の罪もないのに理不尽に命を断たれた人々の無念の思いは「消える」ことはなく、遺族の悲しみも「癒える」ことはないからだ。

一方で、地下鉄サリン事件の散布役(実行犯)で、1人の死者も出なかった丸の内線の横山真人の死刑が確定し、2人の死者を出した千代田線の林郁夫に無期懲役が下されるなど、オウム裁判には矛盾が目立つ。

いや林郁夫には、そもそも検察が無期懲役しか求刑していないのである。共同正犯には、「一部行為の全部責任」の原則が適用されるはずなのに、この慶應大学医学部卒業の秀才医師に検察は「死刑を求刑していない」のだ。

あるマスコミ幹部が、私に「検察は林郁夫にマインドコントロールされたんだよ」と語ったことがある。司法エリートである検察官が、優秀な慶應医学部卒のエリート医師に「死」ではなく、「生」を与えたのである。エリートはエリートを助く、ということなのだろうか。

自らが罪を被ることを厭わず、地下鉄サリン事件におけるリムジン謀議を法廷で初めて暴露し、麻原彰晃の共謀共同正犯立証の中核となった井上嘉浩。オウム法廷の検察側の立証は、大部分が井上証言に拠ったと言っても過言ではない。しかし、林郁夫と井上嘉浩への検察の対応は、天と地ほども違ったのである。

取調官をも“マインドコントロール”する力を林郁夫は持っていたのだろうか。それは被告がエリートゆえだったのだろうか。このままオウム裁判が終結していくことに私は、大いなる疑問を抱いている。

カテゴリ: 事件, 司法

カラスの鳴かない日はあっても……

2009.12.18

ずばりと本質を突かれた時に、狼狽し、居丈高になり、我を失うタイプの人間がいる。世の中にはそんな人はごろごろいるが、これが国政にかかわる人物の場合は、いささか始末が悪くなる。

民主党の小沢一郎幹事長が、中国に対して忠誠心を示すためにやった習近平・国家副主席の天皇とのルール破りの会見。この異例の会見の裏舞台が報道されて以来、民主党には抗議の電話が殺到し、鳩山首相が「小沢氏に怒鳴りつけられていた」ことまで週刊誌で暴露されている。

どうにも小沢さんの形勢はよろしくない。しかし、小沢さんはまだ懲りずに、国会内で羽毛田信吾宮内庁長官を改めて激しく批判し、「あいつこそどうかしている。天皇の権威をカサにきている」とブチまけたことを新聞が報じている。

宮内庁長官を「あいつ」呼ばわりしたことなど、小沢氏が、まず第一にその「品格において」国政に携わることが適当でないことがよくわかる。先日、NHKが「証言ドキュメント 永田町・権力の興亡」というドキュメンタリー番組を放映していたが、その中でも、小沢氏の物言いは“突出”していた。

このNHKの番組を観た人は、あたかも小沢氏が「改革の旗手」であるかのように感じただろう。ご本人のコメントを変えるわけにはいかないので、それは仕方がないと思うが、当然、出さなければならないシーンがカットされている場合は、番組の価値を左右する問題ではないか、と思う。

番組でカットされていたのは、一昨年11月、小沢氏が時の首相・福田康夫氏と会談し、大連立に突き進んだ時の記者会見のシーンだ。大連立の方針は「いつものように」彼だけの“独断”であり、民主党内の猛反発を浴び、忽ちこの構想自体が挫折した。

小沢氏は激怒して代表辞任を表明。しかし、党内の慰留を受け、今度はわずか2日後に「代表続投を表明」するという醜態を晒してしまった。気に入らない報道に怒ったり、涙を浮かべて前言を翻したり……記者会見で見せたあまりの毀誉褒貶ぶりに、国民は唖然としたものだ。

政治家があそこまで愚かな姿を見せれば、普通は政治生命は「終わり」である。しかし、この国は違う。そういう人間が逆に権力を握り、自分が「特定の国」にいい顔をするためには、「天皇を利用する」ところまで増長させてしまうのである。

彼の特徴は“逆ギレ”である。今回の羽毛田批判もそれで、彼をよく知る関係者は、「いつものことでしょ」と不思議がるようすもない。そんな御仁に振りまわされ、秩序(ルール)が破壊されているのが日本なのである。

この20年ほど、永田町では「カラスの鳴かない日はあっても、改革が叫ばれない日はなかった」と思う。私は、誰もが逆らえないこういう絶対的な事柄(つまり「改革」など)を、殊更、声高に叫ぶ人たちを信用しないようにしている。

小沢氏を「改革の旗手」として持ち上げ続けたマスコミにも当然、責任の一端がある。マスコミはこれまでの姿勢を真摯に反省し、「恫喝政治家小沢一郎」ときちんと対峙して、真実の姿を国民の前で描き出して欲しいと願う。

カテゴリ: 政治

外交に優劣をつけた「罪」

2009.12.15

鳩山政権のアキレス腱は「四つ」あり、その一つが「小沢一郎氏」であることを11月3日のブログでも書いたが、国民は、昨日の小沢氏の記者会見を見て唖然としたのではないか。

「(天皇の)体調がすぐれないというのであれば、それよりも優位性の低い行事をお休みになればいい」「(宮内庁長官は)辞表を提出してから言え。役人なんだから当たり前だ」という傲慢な物言いに、この人の独裁によって「日本はどこへ行くのか」という心配が民主党支持者にすら、頭をもたげてきたに違いない。

今回の問題は、まったく単純な事柄だが、その本質を理解できていない人が日本中に「二人」だけいる。小沢氏と鳩山首相だ。二人にとって、天皇の存在、日本にとって皇室というものの「存在の意味」がまったくわかっていないことが露呈された。

「二人」がどれだけ中国のことを大事に思おうと、日本国民には関係がない。なぜなら、日本国民には、台湾が大事な人だっているし、韓国が大事な人もいる。フィリピンが大事な人も、ブラジルが大事な人もいる。

つまり、どの国が大事か、というのは政治の思惑とは別に、国民一人一人の“心の中”にある。だからこそ、国民の象徴である天皇は、どんな小さな国の元首であろうとルールにのっとって、国民を代表して公平に会見をおこない、国民になり代わってもてなしをしてくれるのである。

しかし今回、二人は「中国だけが大事」であることを全世界に宣言してしまった。申請期限のルールを破ってまで中国のナンバー・ツーとの特例会見をゴリ押ししてしまったことによって、これから天皇は、極端な言い方をすれば、どこの国の人でも、申請期限を破った人、あるいはナンバー・ツーの人間とも会わなければならなくなった。

「なぜ中国の人には、ルールを無視していても会見をし、わが国のナンバー・ツーには会っていただけないのですか?」と言われれば、返す言葉がない。国の強大さに関係なく、ひとつひとつの国を大事にしてきた日本国民の気持ちを代表して、皇室のこれまでの活動があったはずである。「二人」の政治家は、それを台無しにしてしまった。

「日中関係は重要だから」と「二人」は言う。ならば、「ほかの国は重要ではない」のか。相手国に優劣をつけてしまった「二人」によって、日本の大義なき外交、屈服外交が始まってしまった。

カテゴリ: 中国, 国際

談論風発の「甲子園会」

2009.12.13

昨夜は、昭和50年の第57回甲子園大会に出場した人たちを中心にした集まりである「第4回 57甲子園会」が横浜ランドマークタワー内の横浜ロイヤルパークホテルで開かれ、そこに参加した。

私は昨年に続いての参加だったが、優勝チームからは習志野のエース・小川淳司さん(現ヤクルトヘッドコーチ)、9回裏サヨナラヒットを打って深紅の優勝旗をもぎとった下山田清さんが参加。準優勝の新居浜商からは、エース村上博昭さんや片岡大蔵さん(現ヤクルトスコアラー)、ショートの近藤正人さんらが参加していた。

東海大相模の安打製造機・森正敏さん、旋風を巻き起こした日南からはトップバッターの外山衛さんやエースの松田昇さん、土佐高校からはサイクルヒット男の玉川寿さん……等々、錚々たるメンバーが勢ぞろいしていた。

また広島商業の迫田穆成さん(現・如水館監督)と浜松商業の磯部修三さんという二人の全国制覇監督も参加し、光栄にも私はこの名将と共にパネルディスカッションのパネラーを務めさせてもらった。

迫田さんは佃投手(昭和48年夏)、磯部さんは樽井投手(昭和53年春)という左腕ピッチャーを擁して共に甲子園で優勝を果たしている。しかし、両投手とも、快速球も、キレ味鋭い変化球も、持っていた投手ではなかった。失礼ながら「どこにでもいるピッチャー」である。しかし、そのピッチャーで全国制覇を成し遂げたところにお二人の名将の名将たる所以がある。 その秘密はどこにあったのか。

また、“球際の強さ”をいかに選手に身につけさせるか、それは野球指導者にとって永遠のテーマである。パネルディスカッションといっても僅か20分しか時間がなかったので、十分にこれらの“秘密”を聞くことはできなかったが、両名将に一端は披露していただけたと思う。

その後、懇親会に移り、ランドマークタワーの70階で夜景を見ながら参加者たちとさまざまな話をした。最後は新居浜商業の村上さんたちとおでん屋で二次会。同じ四国出身者同士、談論風発で時が経つのを忘れてしまった。自宅に帰りついた時は、午前1時をまわっていた。

カテゴリ: 野球

小沢一郎に日本はどこまで潰されるか

2009.12.12

異例づくめである。国民も「なぜ?」という思いで一杯ではないだろうか。あさって来日する中国の習近平・中国国家副主席が、小沢一郎氏のゴリ押しで急遽、天皇との会見が実現することになったのだ。

民主党議員143名を引き連れ、総勢600人で“北京詣で”をやった小沢氏が「裏で何をやっているのか」――はからずも国民の前に現れてしまったのである。

天皇の政治利用は許されないと、野党やマスコミが騒いでいる。たしかにそうだが、それとは全く違う視点でこの問題を考察してみたい。

今月、二人の政治家が中国を訪問した。その二人のあまりの違いに私は日本人の一人として溜息をついてしまう。一人は、いうまでもなく小沢一郎氏だ。一昨年に次いで、大訪問団を組織して、胡錦濤国家主席に“謁見”した。まるで皇帝に拝謁を賜る臣下のごとき卑屈な笑いが印象的だった。国内における普段の傲慢な素顔は、どこからも窺えなかった。

民主党の政治家たちは「一人2秒」にも満たない速さで皇帝と握手し、記念撮影して、これを選挙戦に使うのだそうだ。彼らにとって中国の国家主席とは、最高の権威の象徴らしい。このサマを見れば、彼らが外国人参政権の実現に血道をあげる理由もよくわかる。

だが、私は日本の首相に会うために大訪問団を組織して、握手を求めてきた国があったことは聞いたことがない。ODAを世界中に出して、さまざまな国の発展を助けてきた日本であっても、そこに大訪問団がやってきて、感謝されたこともなければ、一緒に記念撮影をお願いされたこともないだろう。

なぜなら外交とは国益の衝突の場であり、その国の政治家が卑屈にすり寄ることは国益を損なう第一であることは、世界の常識だからだ。まして、中国と日本は、尖閣問題や東シナ海の天然ガス問題、北朝鮮の核問題……等々、数え上げたらキリがないぐらい多くの懸案事項を抱えている。

相手に舐められては、日本の国益は、損なわれることはあっても実りを得ることはない。中国と対峙する時には、常に「毅然」とした姿勢を失わないことが何より大切なのである。

中国は、一党独裁の共産党政権であり、国内の人権政策に大きな問題を抱えている。チベット、新彊ウィグル、法輪功、思想統制、ネット制限……多くの人権抑圧によって10億を超える人民を強権支配しているのが北京政府である。

しかし、日本の政治家は、中国人民が必ずしも“支持していない”その独裁政権にひれ伏しているのである。小沢氏が膝を屈している相手は、中国人民ではなく、独裁政権に対してであることを忘れてはならない。

小沢氏と全く対照的だったのが、今月2日に訪中したカナダのハーパー首相である。ハーパー首相は、中国の人権問題や少数民族政策に批判的な立場を貫いている政治家だ。

これまでも、中国の人権抑圧政策と衝突し、これに抗議するために一昨年、中国との人権対話を中断しただけでなく、かのダライ・ラマのカナダ公式訪問も受け入れ、会談した。さらには昨年の北京オリンピックの招待に対しても、「人権問題が解決されていない」との理由で出席を拒否した気骨の政治家である。

小沢訪中団の1週間前、ハーパー首相は中国入りしている。しかし、胡錦濤国家主席との会談が実現しなかったばかりか、地方指導者との会談まで直前にキャンセルされた。国家の領袖に対して、中国は“みせしめ”とも言うべき非礼な態度をとったのだ。

片や600人の訪中団を組織して、皇帝に拝謁し、記念写真を撮り続けて世界の失笑を買う政治家。片や、言うべきことを言って、異例の冷遇を受けながら毅然と帰国して行った政治家。そのどちらを中国の人民が心の中で拍手を送っているか、答えは明らかだろう。

中国の人たちは、「5つめの近代化」と言われる真の民主化を待ち望んでいる。しかし、その独裁政権を褒めそやし、支える政治家が一方で存在する。こうして中国の人権問題がいつまで経っても改善されない事態が続いているのだ。いや、日本の卑屈な中国への外交姿勢が、明らかに彼ら独裁政権を支えていると言える。

自分が中国にいい顔ができれば、天皇さえ政治的に利用する小沢氏。羽毛田信吾・宮内庁長官は「天皇の役割は外交とは違う。2度とあってはならないことだ。残念」と、今回のルール破りの会談について嘆いた。

やりたい放題の小沢政治の中で、巷では確実に深刻な経済の停滞が進行している。いわば“鳩ぽっぽ不況”である。国債増発によるバラ撒き財政が株式市場に嫌気され、これから日本経済はどん底に向かっていくという見方は少なくない。

以前のブログにも書いたが、鳩山政権で「日本の根幹はどこまで揺らぐか」と、憂慮する。それでも、国民は、ひどかった自公連立政権に舞い戻る怖さを感じているのも事実だろう。その意味で、民主党は国民の“消極的支持”に支えられていると言える。

第三極を待ち望む国民の声はこれから高まっていくだろう。その時こそ「政界再編の最終決戦」が始まる。

カテゴリ: 国際, 政治

誰も救えない裁判

2009.12.11

昨日は、オウムの井上嘉浩被告の判決があった。その判決を最高裁第一小法廷で聞いた。一審が無期、二審が死刑。オウム裁判の中で、一、二審の判断が分かれた唯一の注目裁判は、井上被告の上告棄却、すなわち「死刑判決」となった。

傍聴席の第一列目の左端には、井上被告のご両親がいた。私も、第一列に席をとった。隣には、作家の佐木隆三さんがいた。わざわざ小倉から傍聴に来ていた。当初、オウム裁判を多くのジャーナリストや評論家がウォッチしていたが、事件から14年が経った今も変わらず傍聴をつづけているのは、佐木さんだけである。

「上告を棄却する」。午後3時過ぎ、それは3分にも満たない判決文の朗読だった。「いずれの犯行も非人道的。被害者や遺族の処罰感情も峻烈である」と金築誠志裁判長は判決文を読み上げた。

なぜ井上被告だけが一審と二審で判断が異なったのか。検察が井上証言をオウム事件の犯罪立証の軸に据えながら、地下鉄サリン事件の実行犯・林郁夫には「無期懲役」の求刑をおこない、井上被告には「死刑」を求刑した。なぜそれほどの「差」が生じたのか。検察から明確な説明はない。

リムジン謀議を自ら進んで暴露し、事件の全容解明に寄与して麻原彰晃の犯罪解明に尽くした井上被告。それは、さまざまな疑問点に「何も答えない」判決だった。

佐木隆三さんは、「あまりに機械的な判決だね。結果の重大性のみで判断している。これで果たしていいんだろうか」と語っていた。旧知の佐木さんと会ったのは久しぶりだったので、そのまま赤坂で痛飲した。

誰も救えないオウム裁判。井上被告のご両親が、ただ無言で立ち尽くしていたのが印象的だった。

カテゴリ: 事件

道を極めた人たちの「言葉」

2009.12.07

本日は、群馬県の高崎市まで行って来た。女子ソフトボールの宇津木妙子さん、宇津木麗華さん、上野由岐子さんの3人に会うためである。

高崎市郊外に彼女たちが所属する「ルネサステクノロジ」があった。寮もグラウンドも会社に併設されており、広大な工場の敷地内にある。まわりは畑や住宅が点在するだけで、ソフトボールに打ち込むにはもってこいの環境である。

シドニー、アテネ、北京と続いた女子ソフトの「金メダル」への死闘と執念について聞かせてもらったが、3人とも「道」を極めた人たちだけに、それぞれが深い「言葉」を持っていた。やはりこういう深い思いがあってこそ、あの金メダルへのドラマが生まれたことをつくづく感じさせられた。

まだオモテに出たことのない話もたくさんあり、どこにスポットをあてるべきか迷うほどだった。勝負の世界に生きるアスリートにしかわからない執念や因縁は、やはりそれだけで大きな感動を呼び起こす。

平々凡々と毎日を過ごす一般の人にも是非、彼女たちアスリートの話に耳を傾けて欲しいと思う。また、それだけの素晴らしいエピソードがたくさんあった。近くスポーツドキュメントとして、まとめるつもりだ。

女子ソフト知られざる金メダルまでの因縁を綴ったノンフィクションを乞うご期待――。


カテゴリ: オリンピック

「償い」と「使命」の狭間

2009.12.05

昨日は、東京拘置所である未決囚と面会した。オウム真理教の元幹部、井上嘉浩被告である。来週10日に最高裁で判決が下される。長い長い14年間にわたった裁判がいよいよ決着する。

26歳で逮捕された井上被告は、まもなく40歳を迎える。東京拘置所という閉ざされた空間でひたすら謝罪と悔恨の日々をおくる井上被告は、オウム裁判のなかで、一審無期懲役、二審死刑という異なる判断をされた唯一の元幹部である。

獄中手記をはじめ、多くの思いを井上被告は書き記している。そのことについて、私は昨日、彼と突っ込んだ話をしてきた。さすがに20代の頃とは落ち着きが違う。

面会は二度目だが、私はこれまで法廷で井上被告の姿を長く見てきた経緯がある。年齢から言えばすでに中年となった井上被告。自分と同じ失敗を若い人たちに絶対に繰り返して欲しくない、と井上被告は語った。そのためには、どんなことでもやりたい、と。

多くの悲惨な被害者を出したオウム事件の当事者である井上被告には、まだまだ「やらなければならないこと」が数多くある。

亡くなった人は2度と帰ってこない。「償い」と「使命」の狭間で、井上被告は今、静かに最高裁の判決を待っている。

カテゴリ: 事件

「集まること」が大事

2009.12.03

今日は、東京は終日雨だった。事務所から眺める新宿、池袋の風景は、雨にけぶって視界不良。なにやら前途に暗雲が垂れ込めている鳩山政権の行方を憂えるかのようだ。

昨夜は、大学時代の友人(秩父写真館の武藤芳行)が富士フイルム主催の全国コンテスト営業写真コンクールで「金賞」を受賞したので、そのお祝いに仲間が集まって大いに飲んだ。彼は大学時代にゼミもサークルも一緒だった親友だ。

髪の毛はすっかり白くなったが、ついに「日本一」になったという喜びがひしひしと伝わってきた。サークルの仲間が20人以上集まって、神保町にあるかつての溜まり場に繰り出してわいわいガヤガヤ。ちょうど忘年会シーズン突入とあって、二次会、三次会と、はしご酒となった。

「集まることが大事」とは、私たちのサークルの創設者の言だ。何があっても「集まること」ができる仲間はたしかに強い。大学を卒業して四半世紀以上経っても、白髪が目立ち始めた中年の男女が「すぐに集まってくる」のは、やはり濃密な人間関係と、物事に対する“熱さ”が失われていない証拠だと思う。

昨今、日本人の人間関係が希薄で、人と人との「絆」が失われつつある、との指摘は多い。歳を重ねようが“熱さ”が消えたら、たしかに終わりである。そんなことを考えながら杯を傾けていたら、気がつくとすっかり外が明るくなっていた。

カテゴリ: 随感

1年後だったら「退陣」

2009.12.01

今日は、来春出版する歴史ノンフィクションの取材で、福島県の須賀川まで行って来た。昭和41年に亡くなったノンフィクションの「主人公」のお墓参りのためである。実家にもお邪魔し、さまざまなエピソードを伺ってきた。有意義な取材だった。

さて、国会の焦点が鳩山首相の “お母さん献金”に移りつつある。母親からの9億円献金を「私は知らなかった」で済まないことは国民の誰もがわかっている。母から子への生前贈与で「4億5000万円もの贈与税が発生する」という自民党の攻撃はなかなか激しい。

これが「1年後」なら、かなりの確率で鳩山首相は、「退陣」に追い込まれただろう。彼ら名門2世議員たちは、地位に対する執着がないからだ。彼らは国民のために「何をやるか」ではなく、首相になること自体が目的化している人たちである。

だから、“目的”を達成した以上、その地位に対してそれほど執着心がないのが彼らの特徴だ。細川護熙しかり、安倍晋三しかり、福田康夫しかり、鳩山由紀夫しかり……、もし国家の領袖となって国民のために「これをやる」という信念のある政治家なら、どんなに泥をかぶっても執念で地位にしがみつくだろう。

しかし、失礼ながら鳩山さんにその“気概”があるようには、私には思えない。今回の母親献金から発展した「脱税問題」は、本来は間違いなく政権を揺るがす大スキャンダルである。だが今、メディアは発足したばかりの鳩山政権を必死に支えている。国民も自民党政権の時のように眉をつり上げたりはしていない。しかし、これが「1年後」だったら、どうだっただろうか。

国会の議場では、「こりゃ(母から子への)違法子ども手当だ!」「お母さんにもらったお金はどうしたんだ!」といった皮肉をこめたヤジが乱れ飛んでいる。おそらく「1年後なら」メディアが愛想を尽かし、ご本人も「これ以上は耐えられない」と、政権を投げ出した確率は高いように思う。「(スキャンダルが)出るのが早すぎた」――これが、今回の騒動に対する専門家たちの共通見解ではないだろうか。

だが、鳩山さん。悪運も“運”の内だ。

これを天運と言わずして何と言おう。ここは、大いなる闘志と気概をもって、敢然と政権の“離陸”を果たして欲しいと思う。そうでなければ、日本はまたしても“世界の笑いもの”になる。

カテゴリ: 政治, 歴史