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復活に賭けたアスリートの執念

2010.02.28

朝、ヘリコプターの音で目が覚めた。「今日は東京マラソン」とすぐにピンと来た。

毎年、知人が多数出場しているレースだ。カーテンを開けると冷たい雨。最悪のコンディションである。

招待選手による激闘も最悪のコンディションの中、過酷なレースが展開された。トップでゴールを切ったのは、藤原正和だった。

この名前は懐かしい。かつて箱根駅伝の山登り(5区)で圧倒的な力を発揮した中央大学のエースである。2000年、2001年に“天下の険”と呼ばれる箱根の山で見せた藤原の爆発的な走りは今も脳裏に焼きついている。

東洋大学の“山登りの神様”柏原竜二の姿を箱根駅伝で見るたびに思い出すのは、この藤原の勇姿である。

藤原は、初マラソン日本最高記録の2時間8分12秒というとてつもない記録を持っている。これは数々の名選手たちが誰も成しえなかった大記録だ。

初マラソンは、35㌔を過ぎて「地獄を見る」という。未知の距離に下半身がついていけず、あの瀬古利彦ですら完走がやっとという状態に陥った。だが、藤原はいきなり初マラソンで「世界で戦える記録」を出して、洋々たる前途を予感させた。

しかし、藤原を待っていたのは、膝の故障というマラソン選手の“宿命”ともいうべきものだった。右腸脛靭帯炎という聞きなれない名前の故障が日本のホープ・藤原を立ち往生させた。

「藤原はどうした?」という声もやがて聞こえなくなり、藤原は長距離界でも次第に忘れられた存在となっていった。

だが、長い長い低迷のあと、間もなく29歳になる藤原が、今日の東京マラソンでアフリカ勢を振り切って見事、優勝を遂げたのである。

朝、冷え込んでいた東京も次第に晴れ間が覗くようになり、午後には、市民ランナーも次々と有明ビックサイトのゴールに飛び込んでいった。

「走りたくても走れなかった」藤原が20代の終わりにやっと掴んだビック大会の優勝。練習と努力は嘘をつかない――そのことが証明されたことが私にはなにより嬉しい。

復活に賭けた藤原の執念は、陸上を目指す青少年たちに、そして故障に悩む全アスリートたちに、大きな自信と勇気を与えたのである。

カテゴリ: マラソン

御巣鷹山から25年

2010.02.27

今日は、御巣鷹山の日航機墜落の時に活躍した習志野空挺団の元自衛隊員が、わざわざ事務所を訪ねて来てくれた。

決死の覚悟で事故現場に降り、そして生存者を救出した元自衛隊員である。今年であの事故から25年、ついに「四半世紀」が経つことになる。

昭和60年のあの出来事は、私にとっても思い出深い。来る日も来る日も「忌中」の札をくぐって遺族まわりをした日々を思い出す。

生と死のドラマと言えば、あれほどの強烈な出来事は、私の記者生活でほかにはない。今日訪ねて来てくれた元自衛隊員の話を伺いながら、あの「奇跡の救出劇」からもうそれほどの年月が経ったのか、と「時の流れ」に思いを馳せざるを得なかった。

元自衛隊隊員からは、今日、5時間近くにわたって貴重な話を聞くことができた。次にまた事務所を訪ねて来る約束をしてくれたので、これからも興味深い話が聞けるだろう。今後が楽しみだ。

新たなノンフィクションの構想を練りながら、今日は充実した土曜日の午後をおくらせてもらった。やはり事実は、小説より遥かにおもしろい。

カテゴリ: 事件, 随感

浅田真央、「命綱」を掴め

2010.02.26

凄まじい女の戦いだった。

震えるような緊張感に包まれた、華やかさとは正反対の“妥協のない勝負の世界”に、多くの人たちが息を詰め、そして魅了された。

世界ナンバー・ワンの力を持つキム・ヨナが、そのまま浅田真央を押し切るのかどうか、それはキム・ヨナの「精神力次第」だった。

あの緊張感の中で見事なハートの強さを発揮したキム・ヨナが、浅田真央を上まわった。しかし、敗れた浅田の試合後のインタビューは感動的だった。

こみ上げてくるものを抑えながら必死にインタビューに応えようとする姿は、彼女の誠実な人柄を表わしている。負けた悔しさが涙となって、嗚咽となって、観るもののハートに飛び込んで来る。

「悔しいですけど……自分のできることはできたかな、と……」。浅田は、あふれ出る涙の中で、彼女しかできないトリプルアクセルを2回成功させたことに対する女の意地を示した。

そして、試合の4分間の長さを問われ、「いろいろ考えて長かったな、と思ったんですけど……」と、去来するこの「4年」の年月の方を表現した。一流のアスリートにしかわからない「敗れる」ことの悔しさ。それがこの4年の年月の重さと共に彼女の頭に蘇ってきたのだろう。

15歳で共に世界に鮮烈デビューしたキム・ヨナと浅田。先行した浅田を追いに追ってナンバーワンとなったキム・ヨナ。最後に決着をつけたのは、両者のほんの少しのハートの強さ、言いかえれば、“勝負強さ”の差だった。

この女の戦いを見ながら、私は、「新潮45」で現在連載中の「スポーツドキュメント“あの一瞬”」の第1回でお会いした体操の加藤沢男さんの言葉を思い出していた。周知の通り、加藤さんは、いまだにアジア最多の「金メダル8個」を持つ元体操選手である。体操ニッポンを支え続けた往年の名選手だ。

加藤さんは、極限の緊張状態に打ち勝つために「失敗をする練習をつづけた」男である。加藤さんは、「あらゆる角度で失敗して、その感覚を自分のものにしていく」ことに主眼を置いて練習をおこなったのだ。

そして「どんな時にでも大丈夫という“命綱”」を掴み、極限の緊張状態を凌駕する男として世界のトップに君臨しつづけた。加藤さんの「アジア最多」の金メダル8個の秘密は、そこにあった。

浅田は、新たな「4年」に挑むだろう。その長い年月の間に、あらゆる角度で「失敗」して、是非、その「失敗の感覚」を自分のものにしていって欲しいと思う。

4年後の五輪では、加藤沢男のような“命綱”を持った選手に生まれ変わり、キム・ヨナともう一度、感動の名勝負を繰り広げて欲しい。

私は、浅田の涙のインタビューを観ながら、そんなことを考えていた。

カテゴリ: 女子フィギュア

老兵たちの証言

2010.02.25

ここのところ月刊誌の取材、締切、校了、講演……等々が立て込んでブログを更新することもできなかったが、今日は89歳になる元兵士にお会いして、いろいろなお話を伺った。

16歳で旧満洲国軍の兵士となり、旧満洲から山東省にかけて中国軍と戦ったという稀有な経験をお持ちの方だ。最後は、飛行機乗りとして青島の航空隊にいた彼は、もう少し「終戦」が先だったら、間違いなく命を落としていた。

旧満洲国軍時代、中国軍との戦闘で腕時計を吹っ飛ばされた時にできた傷痕が今も左手首に残っていた。70年以上前にできた傷が、当時の過酷な戦闘を現代に伝えている。

今年は、時間をできるだけつくって彼のような元兵士の証言を集めさせてもらおうと思っている。終戦から65年。第一線の兵士たちの年齢は、すでに90を前後している。年齢の壁を越えて貴重な証言を可能なかぎり記録にとどめていきたいと思う。

夜は、そのための貴重な“協力者”と青島ビールで乾杯。どういう人物にこれからお会いするか、いろいろと知恵をめぐらせた。どのような証言を老兵たちから引き出せるか、当ブログでも逐次、報告していきたい。

カテゴリ: 歴史, 随感

オウム事件の「総括」は終わっていない

2010.02.21

今日は、15年前のオウム拉致事件の被害者となった目黒公証人役場事務長、仮谷清志さんのご子息、実さんとお会いした。地下鉄サリン、国松長官狙撃など、一気に暴発したオウム事件の端緒となった拉致事件である。

目撃者もあり、オウムによる犯行であることはわかっていても、警察は家族の訴えに耳を貸さず、緊急配備もかけないまま上九一色村のサティアンに仮谷清志さんは連行され、殺害された。

しかも、この事件は最後まで「監禁・致死」としかされず、その死が「殺人」として立件されることはなかった。善良な市民「一人」の命を救うために警察が存在するなどと、夢にも思ってはいけないことをこの事件は示している。

相手が宗教法人である限り、坂本弁護士一家失踪事件でも、假谷さん拉致事件でも、警察はこれを積極的に摘発することはしない。言い換えれば“野放し”である。

警察上層部の保身と事なかれ主義の前では、国民の命など吹けば飛ぶようなものなのだ。「信教の自由」などと一言でも言われたら思考停止するレベルのキャリア官僚の情けない実体を国民の前に見事に晒した事件だった。なんのために自分が警察官僚となったのかを、彼らはあの事件で果たして教訓にしたのだろうか。

今日、假谷さんへの取材は、気がつくと4時間を超えていた。拉致した側の井上嘉浩死刑囚とも私は東京拘置所で何度も面会をしている。私なりのオウム事件15周年のレポートを近く月刊誌で発表させてもらうつもりだ。

事件を風化させてはならない。警察を含め、多くの総括がまだまだ済んではいないのである。

カテゴリ: 事件, 随感

岡田ジャパンの前途

2010.02.20

昨日、サッカーの釜本邦茂さんとお会いし、2時間半にわたって取材をさせてもらった。「奇跡」と呼ばれたメキシコ五輪の銅メダルのお話を聞くためである。先日の杉山隆一さんに次いで、奥深い話を数多く聞かせていただいた。

地元メキシコを敵にまわして、死力を尽くして闘い抜き、試合後、宿舎に帰った選手たちがそのまま泥のように眠りこんだ話は有名だ。釜本さんの話を聞きながら、なぜそこまでチームが一丸となれたのか、納得するエピソードがいくつもあった。

あの大会での予選リーグ一回戦「対ナイジェリア戦」の釜本選手の40㍍シュートは、いまも伝説だ。ハーフラインから少し入ったところから蹴ったあのダイナマイトシュートは、世界のサッカージャーナリズムの度肝を抜いた。

だが、それから40年以上を経た現在も、彼を上まわるフォワードが出て来ない現実は何を物語っているのか。得点パターンすら存在しない今の岡田ジャパンについては何をかいわんやだが、彼らメキシコ戦士たちの遺産や教訓は、サッカー界に何も残っていないことを感じる。

暴君とも、独裁者とも称される人に牛耳られたサッカー界の現状を、熱狂的なサッカーファンはよく知っている。今年のワールドカップで、彼らの怒りがまた爆発するに違いない。

視聴率もサッカー関係の雑誌の売り上げも、監督がオシムから岡田に変わった途端、急降下したのは周知の通りだ。ファンにそっぽを向かれ、サッカー界は、またかつての長い長い低迷のトンネルに入っていくのだろうか。

バンクーバー五輪が終われば、国民の関心は、「野球」と「サッカー」に移っていくだろう。東アジアで3位にしかなれないチームが、「W杯でベスト4」を広言する指揮官のもとで、どんな戦いを展開するのか。

サッカー協会の犬飼会長は、東アジア選手権の表彰式で整列さえできなかった日本代表チームに怒りのコメントを発していたが、あらゆる面で今の岡田ジャパンに期待するのは難しい。

カテゴリ: サッカー

過ぎし事件から何を学ぶか

2010.02.18

先日、阪神・淡路大震災の15周年ということで、テレビも新聞も大特集を組んでいたが、この3月は、かの「オウム事件から15年」ということで、ジャーナリズムもそこへ向けて動き出している。

民放では特別ドラマも放映され、また出版界ではオウム事件に関する単行本も出版されるそうだ。未解決のまま残っていた事件が15年を迎えて「時効」になるわけで、たしかにけじめの時期ではある。

19世紀から20世紀にかけて生きた科学者ニコラ・テスラの地震兵器を研究するためにオウムはあの時、ヨーロッパに幹部を何人も派遣した。

ある幹部は、持ち出し不可のそのテスラの“高周波理論”の資料を持ち出すためにテスラの文献を収めた「史料室」から、該当ページを破って持ち出そうとしたが、職員に発見されて騒動になっている。

また羽田空港横のガスタンクに航空機を自爆テロで突っ込ませる計画も立てるなど、オサマ・ビン・ラディンも真っ青のテロ計画をオウムは持っていた。

サリンだけでなく、炭疽菌やボツリヌス菌のバラ撒き計画など、首都を大混乱に陥れる内乱計画が実際に進行していたのが、わずか15年前だったというのは、なにか不思議な気がする。

15年後、そのオウム幹部たちはすでに10人もの死刑確定者を出している。私は今週から来週にかけて、事件の関係者たちに面会することになっている。

過ぎし事件からどんな教訓を学ぶか。大量報道が終われば「あとは知らない」では、ジャーナリズムの存在意義を問われる。

この15周年を機に、もう一度、ゆっくりあの出来事を振り返ってみたい。

カテゴリ: 事件, 随感

追い詰められた北朝鮮

2010.02.17

昨日、金正日総書記が68歳の誕生日を迎えた北朝鮮では、白頭山で派手な花火が打ち上げられるなど、一見、国中が祝賀ムードに包まれているかのように見えた。

しかし、現地から漏れ出す情報は、いよいよ国家として「最終段階を迎えている」ことを指し示すものばかりだ。「慢性的食糧不足」から、ついに「飢餓状態」に入っていることが、さまざまなルートから明らかになっている。

「トウモロコシの芯を食べている」「干していた人糞すら盗まれる」「脱北女性が国境警備兵によって6000元~7000元(約8万円)で売買されている」……等々、この冬がいかに“地獄”であるかが伝わってくる。

外貨が決定的に不足している中で昨年末に断行したデノミが、いよいよ経済ばかりか国家のあらゆる部門を破綻させた感が強い。食べるものもない中で優先させてきた核ミサイル開発がストップされるのかどうか、日本人も冷静に事態の推移を見守る必要がある。

日本にとって重要なことは、ここで安易に“人道援助”という甘言に乗せられないことだ。食糧援助をしても「特定の支配階層を助けるだけ」であり、末端の人民の飢餓が解消されるわけではない。それなら、人民の飢餓を放ったらかしにして「核ミサイル開発に血道をあげてきた」現体制が崩壊する方が、よほど人民の救いになる。

今の人民の苦しみを考えると、胸が張り裂ける思いの人も少なくないだろう。あの実態を知れば、無理もない。北朝鮮の脱北問題を真っ正面から取り上げた韓国映画『クロッシング』が日本でも4月から上映されることが決まっている。

あの地獄がいかなるものか、こういうものを観ることによって少しでも実感すべきだと思う。同時に、彼(か)の政権が破綻しそうになる度に「手を差しのべて」、独裁者を生き延びさせてきたことの意味をさすがに世界も知るべきだろう。

この映画を観れば、自分たちが「何をすべきか」学ぶのではないだろうか。六カ国協議で北朝鮮の掌(てのひら)で踊らされ続けたアメリカのヒル国務次官補と同じ轍は絶対に踏んではならないのである。

カテゴリ: 北朝鮮

出でよ、救世主

2010.02.15

今日は、静岡の掛川まで行って来た。サッカーの杉山隆一氏にお会いするためである。ご存じ、メキシコ五輪栄光の銅メダリストである。

杉山選手といえば、左サイドから驚異的なスピードで敵ディフェンスを置き去りにする勇姿が思い浮かぶ。

左サイドからの強烈なシュートと、あるいはセンターフォワード釜本邦茂への正確無比なパスは、世界のサッカー関係者を唸らせた。大会7得点で圧倒的な五輪得点王となった釜本を支えた杉山の存在は、往年のサッカーファンには懐かしい。

今日は、スポーツドキュメントの取材で杉山氏にお会いしたが、昨夜、日本代表は日韓戦で1対3の惨敗を喫したばかり。W杯まで「あと4か月」というのに、得点能力が決定的に欠落した代表チームの実力に、二人とも出て来るのは溜息ばかりだった。

かつて五輪で銅メダルを獲得したチームのハードな練習と、それぞれのメンバーたちの凄まじい闘志を聞くにつけ、今の岡田ジャパンの情けなさが際立ってくる。

あの時のデットマール・クラマー氏のような人柄、識見、技術論、戦略……すべてに秀でた指導者、コーチは現われないものか。

このままではW杯の惨敗は見えている。得点する選手も、いや、そのためのフォーメーションさえも作れないのだから、結果は火を見るより明らかだろう。だが、サッカー界に自浄能力は期待できそうもない。

杉山氏は、「サッカーで最も重要なのは、リズムと流れだ」と語った。その両方が欠如した代表チームを、わずか4か月でどう改革すればいいのか。

出でよ、救世主。サッカー界を救え。

カテゴリ: サッカー

「歳月の重さ」とは

2010.02.14

単行本原稿を終えると、気分がすっきりして、今週は久しぶりにゆったりした感じがする。金曜日には某誌の対談で、作家の麻生幾氏と久しぶりに顔を合わせた。司会はジャーナリストの黒井文太郎氏である。

原稿に追われていると、どうしても慌ただしすぎて「過去」を振り返る余裕がなくなる。だが今回、麻生氏や黒井氏と15年前のオウム事件を振り返り、国松長官狙撃事件などの未解明事件を語り合う内、なぜか新鮮な気分が湧き起こってきた。

お互いが持っていた当時の情報を突き合わせると、15年も前の事件とはとても思えない臨場感を感じた。当時は見えなかった事実が時間の経過と共に現われているせいもあるだろう。15年といえば「時効」の年月である。国松長官狙撃事件もいよいよ時効か思うと、お互い感慨もひとしおだった。

週刊文春のスター記者だった麻生さんと、週刊新潮でデスクをやっていた私とは、情報面ではライバル関係にあったが、組織を越えていろいろな面で麻生さんに助けてもらったものだ。

15年の歳月によって、二人とも組織から無事、独立を果たした。まだ元気があった頃の雑誌媒体の話も楽しかった。

開幕したバンクーバー五輪でも歳月というのは重いものと感じる。「4大会連続出場」とか「5大会連続出場」の選手の声を聞くと、それだけで「がんばれ!」と叫びたくなる。

なにしろ「5大会連続出場」といえば、スタートはオウム事件の前年(1994年)のリレハンメル五輪である。この長い年月、トップアスリートして自己の肉体をいじめ抜いた精神力を思うと、ただただ拍手を送りたくなる。

今日も、「4大会連続出場」のモーグルの上村愛子選手が、見事「4位」に食い込んだ。あと一歩、銅メダルには及ばなかったが、この「4位」にこそ、価値がある。

7位、6位、5位、4位と、4大会で「1位づつ」順位を上げていき、それでもメダルに届かなかったからこそ、上村の戦いには価値があるのだ。

メダルに対してここまで限りない、そして純粋に執念を燃やしつづけたアスリートとして、上村は日本のスポーツ界に記憶と名前を両方とどめたと言える。

それは、実際に銅メダルを取ることよりも素晴らしいのではないか。4位という成績によって、よりそれが際立ったと思う。今日は、上村選手の涙に日本中が感動をもらった。次は、「5大会連続出場」の岡崎朋美選手の番だ。オウム事件よりも前からオリンピックに出つづけている選手である。

思い残すことなく、爽やかに滑り切って欲しい。岡崎、がんばれ!

カテゴリ: スポーツ, 随感

中国と小沢一郎の“ホンネとタテマエ”

2010.02.12

今朝、面白いコラムを読んだ。産経新聞の伊藤正・中国総局長による「対米“ホンネとタテマエ”」と題された同紙の不定期連載コラム「ちゃいなコム」である。

オバマ大統領の訪中で米中蜜月が喧伝されてから3カ月、いま両国関係は「新冷戦」とも言われるような状態に陥っていることが冷静な筆致で描写されている。

それによれば、対立が顕著になって来たのは、昨年12月のCOP15で、温家宝首相が米中協議への出席を拒否してからだそうだ。今年に入って、米グーグル社の中国撤退問題や台湾への米の武器輸出問題など、中国の怒りが爆発するような事態がつづいているのは、周知の通りだ。

伊藤氏はコラムの中で、2月4日に中国の「環球時報」に寄せられた中国国防大学の劉明福教授の論文を取り上げている。

劉教授は、この事態が「米国の一貫した“中国制御”が背景」にあり、「米国は10年足らずで日本を、ロシアは半世紀がかりで押さえ込んだが、中国とは100年がかりの力比べになる」「それに勝つ知恵が米国にあるか」と、述べているという。中国の自信と驕りが表われた論文である。

中国がこういう強硬論に支配される一方で、中国の報道官は「自分たちは発展途上の国」「現代化の道のりは遠い」「国際協調こそ必要である」と、タテマエだけの記者会見をつづけていることを、伊藤氏はコラムの最後に記している。

ホンネとタテマエの国である中国の「現状」が窺えて興味深い。今や米国に次ぐ超大国となった中国の動向は、言うまでもなく21世紀の自由主義国家群にとって最大の脅威である。

中国が、自由と民主主義を重んじる国なら脅威とはなり得ない。しかし、それとはまるで逆の国であり、対立する組織(国家も含めて)や人物を徹底的に叩き、つぶし、蹂躙するのが中国の基本姿勢であることを想起すれば、暗澹たる気持ちになる。

また、国際世界から指摘を受けても、逆に態度を硬化させ、余計弾圧の姿勢を強化し、間違ってもそれが“改善”されることはない。今も中国国内でおこなわれている少数民族を含む中国人民への徹底した人権弾圧と管理の凄まじさは、そのことをよく表している。

中国に最もひれ伏している日本の政治家といえば、民主党の小沢一郎幹事長である。昨年12月の総勢600人を超える胡錦濤国家出席への“拝謁訪中”は、世界の良識ある外交関係者たちを唖然とさせた。

独裁と人権弾圧の国に跪(ひざまず)くために142人の民主党議員を連れていった感覚は、一国の政治を牛耳る政治家がおこなうこととは思えない。

その小沢氏は年明け以降、検察との戦いに明け暮れている。俄かにアメリカとの戦いが勃発した中国とどこか似ている。

小沢氏は検察との戦いに、ひとまず勝利している。だが、再三このブログでも指摘しているように、戦いは今も続いている。もし、小沢氏が完全勝利すれば、それから敵対する検察を徹底的に叩き、つぶし、蹂躙する可能性は高い。

中国と似たもの同士である小沢氏が、徹底した人権弾圧と管理の基本姿勢を持っているからである。日本と中国で、独裁者が好き勝手にできることを、両国の国民は誰も望んではいないだろう。

小沢氏の“ホンネとタテマエ”をきちんと見分ける目が今、国民には求められている。

カテゴリ: 中国, 国際, 随感

オウム事件から15年

2010.02.11

今年は、オウム事件から15年という節目の年だ。そのせいか私のもとにもオウムに関するコメント依頼など、いろいろ来ている。

そんなこともあって、今日は退官している警視庁のかつてのエース取調官と久しぶりに昼食を共にして、いろいろ話し合った。

お互い記憶が曖昧になっている部分もあるが、さすがに史上最悪の事件だけあって、未解決の案件や立件されることなく闇に消えたものも多く、興味深い話のオンパレードだった。あの時の緊迫の場面がいろいろ思い出されて、時間が経つのを忘れてしまった。

亀戸道場の屋上からバラ撒かれようとした炭疽菌事件も、ひとつ間違えば、万単位の死者が出てもおかしくなかった事件である。ほかにも、ハルマゲドンのためにオウムが計画していた事柄が本当に実行に移されていたら、被害者が「どのくらい出たか」背筋が寒くなるような話がいくつもある。

明日は、某誌でオウム事件に関して「対談」がある。当時の記憶を思い起こしながら、あの歴史に残る恐怖の事件を静かに振り返ってみたい。

カテゴリ: 事件, 随感

検事総長「人事」の攻防

2010.02.09

単行本原稿が終わったので、さっそく新たな取材に入った。今日は、某雑誌から「小沢問題」へのコメントを求められたので、いろいろと意見を述べさせてもらった。

検察と小沢氏との戦いは、ひとまず小沢氏の方に軍配が上がっている。しかし、攻防は今も続いている。いや、水面下の戦いは、むしろ激しくなったと言っていいだろう。

小沢氏にとって、金丸事件の教訓をどう生かすか、それがポイントであることは以前のブログにも書いた。政治資金規正法違反でスッタモンダした半年後に師匠の金丸が脱税で挙げられたあの事件は、小沢氏にとって最大の“忌まわしい記憶”といえる。

今回、政治資金規正法違反では「公判維持ができない」との判断で、検察は苦渋の決断で小沢氏を不起訴にしたが、肝心の不動産購入の4億円の「原資」については、いまだに決着がついていない。

捜査の本丸ともいうべきこの問題を当ブログでは、これまで再三指摘してきた。自由党解党の際の政党交付金の行方と、胆沢ダム受注の見返りとしてのゼネコンからの資金。このカネの塊をめぐって “脱税”問題に「発展させることができるか否か」が焦点なのだ。

そのためには、樋渡利秋検事総長が、6月に定年を迎える大林宏東京高検検事長にその地位を譲ることができるかどうか。小沢氏は民間からの検事総長登用を実現し、なんとか検察をひざまずかせようとしている。それが成った瞬間、検察の敗北が決定するからだ。

人事を巡る鬩(せめ)ぎ合いはまさに佳境である。検事総長の「民間登用」で検察全体が総崩れとなるか、それとも検察がトップの地位を守れるか。瀬戸際の戦いが展開されている。

カテゴリ: 事件, 政治

単行本600枚、無事脱稿

2010.02.07

本日、単行本原稿600枚を脱稿した。昨年7月の「康子十九歳 戦渦の日記」(文藝春秋)に次ぐ、歴史ノンフィクションである。

今回は、台湾を救った陸軍中将の壮烈な生きざまな描いたドラマである。戦争をテーマにしながら、ヒューマニズムが根本となる爽やかな物語だ。集英社からこの春に出版される。どんな装禎の本になるのか今から楽しみである。

さて、締切でブログを更新できない間に、小沢一郎の不起訴、朝青龍の引退、プロ野球選手の自殺……等々、書かなければいけない話が目白押しだった。

原稿に追われて、ブログの更新ができなかったことをお詫びします。これからまた“いつものペース”に戻ります。

よろしくお願いします!

カテゴリ: 随感