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いよいよ目が離せない「甲子園」

2010.03.31

昨日は、TBSの夕方の報道番組「Nスタ」にコメンテーターとして出演させてもらったが、スタジオの広さといい、工夫を凝らした小道具といい、実に素晴らしかった。堀尾・長峰両キャスターの息のあった掛け合いや、スタッフの明るさも印象に残った。おもしろい番組になりそうだ。

さて、今日の甲子園はベスト8の激突だけあってどれも見ごたえがあった。中でも、昨日のブログでも書いた通り、興南―帝京戦は、やはり面白かった。

帝京は、1、2回戦を投げた大会屈指の本格派右腕、2年生の伊藤投手を先発させず、背番号1の鈴木と10番の山崎という両3年生投手を登板させた。

しかし、2人の140㌔台の速球とキレのあるスライダーも興南打線には通じなかった。ヒジをたたんでおっつけてくる興南のバッティングに、帝京は点差を広げられた。

帝京の唯一の弱点ともいうべき捕手のスローイングを突き、要所で興南が決めた盗塁が“優勝候補筆頭”の帝京の息の根を止めた。

大会ナンバー1左腕の島袋と右のナンバー1、帝京・伊藤との投げ合いが見られなかったのは残念だが、それでも今年の高校球界を代表する両校の熾烈な攻防は見ごたえがあった。

強豪激突は、やはりベンチワークを含む総合戦がおもしろい。前田監督(帝京)は消えたが、阪口監督(大垣日大)や小倉監督(日大三)など、高校球界の辣腕監督が揃ってベスト4に残った。

選抜甲子園も残り2日。いよいよ目が離せない。

カテゴリ: 野球, 随感

警視庁史上最大の汚点

2010.03.30

前代未聞である。

本日時効が成立した15年前の国松孝次・警察庁長官銃撃事件で、警視庁は「捜査結果概要」を公表し、「容疑グループ」をオウム真理教とした。

オウムの元幹部や警視庁の元巡査長ら8人が事件に関与したことを明確に裏付ける証拠や証言はないにもかかわらず、わざわざ青木五郎公安部長が記者会見し、「オウム真理教の信者グループが、組織的、計画的に敢行したテロであったと認めました」と語ったのである。

唖然とした人は少なくあるまい。

立件できなかったから時効が成立し、実行犯さえ割り出せなかった。それなのに「これはオウムの仕業だ」と発表する――その理由を問われた青木公安部長は、「国民の生命を守るため必要と判断した」「テロの悲劇を二度と繰り返さないことが大事」「個人の生命、公共の安全と秩序を守る警察の責務」と語ったのである。

刑事部と公安部が対立しつづけたこの捜査は、こうして最後の最後まで“迷走”したのである。

オウムに固執した公安部と、現在79歳の元過激派のテロリストにこだわった刑事部。両者の面子だけが独り歩きし、ついに今日、前代未聞の記者発表に至ったわけである。

実は、昨年12月から今年1月にかけて、警視庁公安部は、今回のオウムのメンバーを「共犯」として“実行犯不詳”のまま秘かに検察に「立件可能かどうか」事前相談をおこなっている。

結果は、検察に一笑に伏され、「突き返されている」のである。当然だろう。実行犯が特定できず、その共犯だけを被告人として、公判をどう維持するつもりだったのだろうか。

かつて狙撃を“自供”した元巡査長は、当時、徹底捜査され、「妄想によるもの」と結論づけられている。事件直後に本富士署内で元巡査長本人が目撃されているという“アリバイ”があったのである。また自転車で逃走した犯人とぶつかりそうになった婦警の目撃談も、いつの間にかかき消されてしまった。

2004年に別件で逮捕されたオウムの信者たちも、結局、長官狙撃で立件することができず、釈放されている。要するに、警視庁公安部が仮想する「ホシ」たちは、一度も犯人であると「証明されたことはない」のである。

それにもかかわらず、警視庁は当事者たちをイニシャルにして勝手に「ホシ」にしてしまったのだ。おいおい大丈夫か、と多少でも事情を知る者なら、誰でも声を上げたくなるだろう。

この事件は、結局、警視庁史上最大の汚点となってしまった。

カテゴリ: 事件, 随感

“生みの苦しみ”と人の成長

2010.03.29

今日の興南vs智弁和歌山の強豪対決は興味深かった。

西川遥、山本ら強打者が揃い、甲子園最多勝利監督ともなった智弁和歌山の高嶋仁監督が、どう興南の快速左腕・島袋を攻略するか、その攻防に注目していた。

昨年、島袋投手の悲運ぶりは多くの高校野球ファンの目に焼き付いている。春の選抜では、富山商業から19奪三振を奪いながら延長戦の末、サヨナラ負け。夏の選手権では、大会初日に3点先制しながら大分の明豊に4対3でこれまたサヨナラ負け。

「1勝が遠いです」と涙した島袋君がひと冬越えて、ひとまわりもふたまわりも逞しくなって帰ってきたのだ。その島袋君が今日、智弁和歌山から11三振を奪って7対2で下し、ベスト8進出を決めた。

私は昨夏の甲子園でのブログで、“島袋投手は、「1勝」さえすれば一気に頂点に駆け上がる力を持っている。彼のこれからの「精進の日々」が注目される。今日サヨナラヒットになったボールがなぜ「バットに合わされた」のか。そこを島袋君には考え抜いて欲しい”と書いた。

その課題の「1勝」を挙げた島袋君は、強豪・智弁和歌山相手に「力に頼らず打たせてとるピッチング」を披露した。そして今日の「いざという時にとる三振」を観ていて、怪腕・島袋は去年の島袋とはまるで違う存在となったことを実感した。


“生みの苦しみ”とは、それが大きければ大きいほど「人を成長させる」ものだ。力みの中にあった昨年のピッチングと、力を抜く術を知った今年のピッチング。同じピッチャーでありながら、それはまるで別人である。

だが、島袋君の前には、強豪・帝京が手ぐすねを引いて待っている。明日、帝京が三重を破れば、島袋(興南)―伊藤(帝京)という大会を代表する左右の本格派投手同士の対決になる。

上級生にならなければ会得できない「何か」を掴んだ島袋と、その「何か」をまだ掴めていない新2年生の伊藤。将来の日本の野球界を背負って立つ可能性を秘めた「二人」の激突を是非見てみたい。

カテゴリ: 野球, 随感

フィリピン「レイテ島」の戦い

2010.03.28

昨日は、神奈川県茅ケ崎市に住む一人のご老人を訪ねた。

間もなく93歳になる日本陸軍の元少佐である。陸軍幼年学校から陸軍士官学校に学んだ元少佐は、昭和19年、フィリピンのレイテ島の戦いに参加し、九死に一生を得て帰還した方だ。

レイテの激戦は凄まじく、日本軍は8万4000人の兵力を投入し、戦死者が7万9000人を超え、生存者は5000人に満たなかった。つまり作戦に参加した兵士の内、10人に1人も生還できなかったわけである。その意味で“九死に一生”という表現すら正しくない。

元少佐の身体には、戦後、手術で摘出できたもの以外に今も砲弾の破片が残っている。「レントゲンを写すたびに看護婦さんが“これ、なんですか?”と聞くんだよ」と穏やかに語る元少佐。今もかつての仲間の慰霊をつづける93歳が再現してくれた地獄の戦場は、筆舌に尽くしがたいものだった。

歴史の証言者たちへの取材は、時間との戦いでもある。猶予はない。来週もひたすら取材はつづく。

カテゴリ: 歴史

変わりつつある司法

2010.03.27

司法が変わりつつある。

昨日の足利事件の再審判決公判のニュースは感慨深かった。公判の最後に宇都宮地裁の佐藤正信裁判長は、菅家利和さん(63)に対して、謝罪した。

「事件につきまして自戒の意味を込めて菅家さんに謝罪させていただこうと思います」

「菅家さんの真実の声に十分に耳を傾けられず、17年間の長きにわたり自由を奪ったことを再審公判を担当した裁判官として謝罪します。申し訳ありませんでした」

「二度とこのようなことを起こしてはいけないとの思いを強くしました。今後の菅家さんの人生に幸多きことをお祈りします。菅家さんの思いを胸に刻み、再審公判を終わります」

こう述べたあと、佐藤裁判長以下、3人の裁判官は起立し、菅家さんに深々と頭を下げたのだ。

それは、これまでの裁判官では、とても考えられない行動である。自分とは関係のない過去の判決に対して、再審公判を担当した裁判官が謝罪する――それは「司法が変わりつつあること」を証明する象徴的なシーンだった。

黒い法衣をまとい、人より一段高いところから判決を下し、自らを“神様”と思っているのか、というぐらいに「傲慢な存在」だった日本の裁判官。その彼らが“国民の目”というものを意識しなければならない時代が「ついに来た」のだと思う。

拙著「裁判官が日本を滅ぼす」で描写した数々の実例は、「判決がすべて」というひと言ですべての責任から逃れてきた裁判官の驕りと思い上がりを指摘するためのものだった。

今回の謝罪は、もはやそれでは国民の理解が得られないことを彼らが悟ったことを表している。「裁判の内容に国民の社会常識を反映する」という司法制度改革審議会の最終意見書をきっかけに動き出した裁判員制度が、ここまで「裁判官の意識を変えた」とも言える。

司法の世界ですら変わらざるを得なくなったのである。政治も、経済も、あらゆるものすべてが「殻を脱していく時代」が来ているということだろう。

その足利事件の再審判決公判があった昨日、夜になって、早稲田大学野球部の面々が事務所にやって来た。大学の卒業式を終え、いよいよ社会人になる面々と、今まさに就職試験の真っただ中にいる新4年生、あわせて8人だ。さっそく事務所で焼き肉パーティーを挙行した。

ひとつの道を突き進んだ彼らが、どんな社会人になるのか楽しみだ。野球から、歴史から、就職の話まで、酒を酌み交わしながら、彼らと夜遅くまで話し込んだ。何人かはそのまま泊まっていったが、若い人たちの意見はいつ聞いても新鮮だし、刺激になる。

人間というのは、知らず知らず、型にはまってしまうものだ。いつも自分を戒めて、新たなものを書いていきたいと思っている私も、それは同じだ。若い人たちの意見を刺激にしながら、新たな作品への意欲が湧いてきた1日だった。

カテゴリ: 司法, 随感

「金嬉老」死去

2010.03.26

いま「金嬉老死去」のニュースが入って来た。昭和43年、暴力団幹部ら2人を射殺し、寸又峡の温泉旅館に立てこもった「金嬉老事件」の当事者だ。

30年を超える獄中生活を経て、平成11年に仮釈放された金嬉老氏は、韓国の釜山に住み、ここで余生を送った。前立腺がんの治療を受け、最近、体調を崩していたというが、まさかそこまで容態が悪かったとは知らなかった。

私は、雑誌の編集部に勤務していた頃、金嬉老氏の手記を担当し、釜山の自宅に何度もお邪魔したことがある。

氏の強烈な個性は、歳をとってからも変わらず、民族差別への強い思いを何度も聞かされた。手記は、「われ生きたり」(新潮社)という本となった。

その後、時折、思い出したように私の携帯に氏から国際電話がかかってくることがあった。意気軒昂で、衰えを知らない闘志に感心させられることが多かった。

釜山でも、相談を受けていた女性の境遇に同情し、その旦那がいる家に乱入して逮捕されたこともあった。日本と韓国、両方で獄中生活を経験するという破天荒な人生を送った人である。

凶悪な犯罪を起こす激しい性格と、それとは逆の人間的な優しさ。両方が一個の肉体に共存し、不思議な雰囲気を醸し出す老人―それが「金嬉老」だった。

享年81。ご冥福を祈りたい。

カテゴリ: 事件, 随感

気分が若いと「歳をとらない」

2010.03.25

今日は、今年88歳になる元陸軍中尉に取材させてもらった。昭和20年、沖縄の慶良間諸島で、「マルレ」という水上特攻艇の部隊を指揮していた人物だ。

4時間にわたって当時の話を伺った。熊本出身の氏は、陸軍士官学校57期にあたる。250キロの爆弾を積んで多くの仲間が水上特攻艇で命を散らした。

九死に一生を得て生き延びたさまは、まるで映画のシナリオのようだ。海岸に流れ着いた兵士の遺体を荼毘に伏し、その遺骨を軍服の胸に縫いつけ、復員後、遺族に返すシーンなどは、事実だけが持つ重みがあった。将来、この方の話を活字にさせていただこうと思っている。

夜は、テレビのプロデューサー2人と赤坂の料理屋で会合。その店の女将とは以前から知り合いだったので、久しぶりに女将と再会し、話をした。以前とまったくかわらない女将の若さに驚いた。

元陸軍中尉といい、この女将といい、気分が若いと「歳をとらない」ことがよくわかる。私にとっては、歴史の証言者との対話は“時間との闘い”でもある。ご高齢の諸先輩には、いつまでも若さを保って欲しい、と心から願う。

カテゴリ: 歴史, 随感

剣が峰に立つ鳩山首相

2010.03.24

今日の東京は、気温5度と真冬並みの寒さだった。道ゆく人も、冷たい雨に打たれて、吐く息が白くなっていた。

甲子園も雨で順延。昨日、泥んこの中での試合で、やっとPL学園の中村監督が持つ「監督通算勝利記録」を更新した智弁和歌山・高嶋監督のコメントがスポーツ紙には踊っていた。高野連も、あの悪コンディションの中で試合を続行させて非難を浴びたため、さすがに2日つづけて泥の中で試合はさせられなかったらしい。

政界もここへ来ていよいよ混迷の度を加えている。5日前のブログで「民主党の致命傷になる可能性」を示唆した生方幸夫副幹事長の解任劇がマスコミ各社の世論調査に反映され、内閣支持率が急落したのだ。

いよいよ支持率が危険水域の30%を割り、政権発足半年で、ちょうど“半減”したことになる。

普天間基地移設の右往左往ぶりも国民を呆れさせている原因だろうが、あまりの急落に慌てた小沢執行部が、急遽、生方副幹事長の“解任を撤回”したのは滑稽だった。

加えて、明日発売の週刊新潮には、中井洽国家公安委員長の女性スキャンダルまで報じられるそうだ。女性に議員宿舎のカードキーを渡していたという告発記事だが、当の中井議員は「独身の私が女性にキーを渡してどこが悪い」と怒りのコメントを発した。

たしかに独身者が女性にキーを渡して悪いという法はない。どんな騒動に発展するのか、それとも何事もなくスキャンダルが無視されるのか、要注目だ。

やることなすこと、すべて国民の失望の対象となり、発足半年ですでに末期症状を呈している鳩山内閣。冷たい雨をより一層冷たく感じているのは、ほかならぬ鳩山総理に違いない。

当事者能力のない、うつろな目を見ていると、総理の神経は、いつまでもつのか心配になってくる。政権投げだしだけは、国民としてもご勘弁いただきたい。

カテゴリ: 政治, 随感

球春、真っ盛り

2010.03.21

昨日、プロ野球のパ・リーグが開幕し、今日は高校野球の選抜甲子園が開幕した。いよいよ球春真っ盛りだ。昨日の西武・涌井と千葉ロッテ・成瀬の投げ合いは見応えがあった。

甲子園の開幕戦では、強豪・天理が早くも4対7で敦賀気比の軍門に降り、一方、第三試合で日大三高が前半の苦戦を後半、挽回して14対4で山形中央を粉砕した。相手左腕ピッチャーのクセを見抜いてから一気に打線が爆発するあたり、ベテラン小倉全由監督の面目躍如と言える。

第二試合では、前評判が高く、旋風が期待された沖縄の嘉手納が花咲徳栄に4対0で完封負けを喫した。主催社の毎日新聞は痛かったに違いない。

勢いに乗ってその大会を代表するチームになるのはどこか、それを見極めるのが高校野球観戦の醍醐味だ。嘉手納が注目を浴びていたのは、その有力候補だったからだが、1点もとれずに敗退したのは、やはり勝負の厳しさを感じさせるものだった。

私はといえば、ゲラチェックの締切で一日事務所に缶詰め。甲子園に行くこともできず、少々フラストレーションがたまっている。東京は強風が吹き荒れ、事務所に閉じこもっている私の耳から一日中、風の音が離れることはなかった。

台風並みの“春一番”は勘弁してほしい。同じ風でも、甲子園でのさわやか旋風を期待したい。明日から、どんなドラマが展開されるのか、楽しみだ。

カテゴリ: 野球, 随感

悲しみと情念は風化しない

2010.03.20

今日、地下鉄サリン事件から「15年」が経った。いまテレビでは、この事件を扱ったテレビドラマが放映されている。

リアルな映像に当時の状況を思い出す。あの日、雑誌の編集部で徹夜で原稿を書いていた私に、旧知の警視庁公安部の警部から電話が入った。朝9時前だったと思う。

「地下鉄でオウムがサリンをまいたぞ!」。警部は電話口でそう叫んでいた。それがすべての始まりだった。

その時点では、もちろん地下鉄で「オウム」が「サリン」を「まいた」などとは、何もわかっていない。つまり、そのベテラン警部は“何段階も先”の事実を私に伝えてくれたのだ。

その瞬間、私は自宅に電話して「雨戸を閉め切って、今日は外には出るな」と家族に伝え、会社の警備の人間には、「会社のシャッターを閉め切ってください!」と言った。咄嗟に、オウムがサリンを空中散布するかもしれない、と思ったからである。

あとで、その判断が正しかったことがわかった。オウムは実際に空中からの都内サリン散布を計画していた。

以来、15年。今も逃亡中の犯人がいる。一方で、すでに10人もの死刑判決確定者がいる。私は多くのオウム裁判を傍聴し、アーナンダこと諜報省大臣の井上嘉浩死刑囚とは、東京拘置所で何度も面会した。

今年1月、最後の面会をした時、井上死刑囚は私に「すべての罪は、わが身にあります」と語った。誤った師を正すことができなかった罪を、彼はそういう表現で私に伝えたのだ。

一部始終は、いま発売されている月刊「Voice」4月号に「オウム凶悪犯罪15年の修羅」と題して書かせてもらった。目黒公証人役場事務長拉致事件の被害者・假谷清志さんの長男・実さんへのインタビューも交じえてのレポートだ。

時の流れに、人間の悲しみと情念は決して風化しない。私は、15年を経ての取材でそう感じた。いつかオウム事件における人間ドラマを本として残さなければならない、と思う。

カテゴリ: 事件, 随感

参院選と“第三極”

2010.03.19

“隣の国”では、経済政策の失敗を口実に責任者が処刑され、日本では、政権与党内で執行部批判をした党の副幹事長が解任された。

民主主義国家の「言論の府」において、執行部批判を口にした途端、解任されるという前代未聞の事態は、すでに執行部が「まともな判断ができる状態にない」ことを物語っている。

小沢一郎氏の独裁体質は、「批判を許さない」という一点において、“隣の国”の領袖と瓜二つだ。しかし、そのレベルは、彼(か)の国のそれより、はるかに低い。

なぜなら、隣の国では、歴史上、一度も“民主主義”というものを経験したことがなく、独裁者の圧政こそが「日常」であったからだ。

しかし、日本は違う。民主主義、特に言論の自由という憲法に保障された世界で生きてきた60年余という歴史がある。だが、政権を握った民主党がこの半年、繰り返してきたことは、その歴史を否定し、国民を失望させることばかりだ。

執行部批判を口にした民主党の生方幸夫副幹事長の解任劇は、「民主党にとって致命傷になる」可能性を孕んでいる。「モノ言えば唇寒し民主党」の実態を以前のブログでも書かせてもらったが、今回のことは、まさにそれを地でいった。これで、ますます内閣支持率が下がることは間違いない。

長崎県知事選の衝撃的敗北を教訓にすることなく、独裁政治を国民の前面に押し出してしまった小沢執行部。検察との闘いのためには、どうしても幹事長職を降りたくない小沢氏は党内の批判封じ込めというやってはいけないことに手をつけてしまったのだ。

小沢体制は、もはや最末期である。これ以上の居座りは、参院選の大敗北を意味する。第三極結成に向かって自民党内部も、そして民主党の一部勢力も今、猛然と動いている。参院選までの政界の離合集散から目が離せない。

これからの永田町では、何が起こっても驚かないことだ。

カテゴリ: 政治, 随感

何が起こってもおかしくない「北朝鮮」

2010.03.18

朝9時半発の中華航空で台湾から帰ってきた。帰国した途端、北朝鮮・朝鮮労働党の朴南基(パクナムギ)前計画財政部長が、先週、デノミネーション(通貨単位の切り下げ)失敗の責任を問われ、「処刑されていた」というニュースが流れていた。

韓国の聯合ニュースが報じたもので、朴氏は、デノミの失敗と民心の疲弊と混乱という事態を招いた全責任をかぶせられ、「反革命分子」として平壌市郊外で銃殺されたという。

当ブログが「追い詰められた北朝鮮」と題して、北朝鮮の状態がいかに極限に達しているかを書いたのは、1か月前の2月17日である。

いよいよ国家として「最終段階」を迎えており、「慢性的食糧不足」から、「飢餓状態」に入っていることを指摘した。集計には決して出ることのない“餓死”によって、この冬を超えられなかった人民は相当数にのぼると見られている。

責任をほかに転嫁して自らの求心力を維持しようというのは、金正日総書記の常套手段だ。しかし、ここまで飢餓状態が進行してくると、さすがに「いつ何が起こってもおかしくない」状態になっているのは間違いない。

こういう時に、“外”に関心をそらせるのも、彼の国の常套手段だ。考えられるのは、テポドンの発射で、人民の疲弊した気持ちを昂揚させること。“実験”という名の暴発に要警戒である。

カテゴリ: 北朝鮮

中山北路の四川料理

2010.03.17

台北へ来て4日目。明日はもう帰国の日になってしまった。相変わらず、タイトなスケジュールが続いている。元国民軍の老兵、学者、マスコミ関係者、出版社の社長……等々、さまざまな人と連日会ったり、取材をさせてもらっている。

来月、台湾で翻訳本が出版される「なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日」のゲラもちょうど届いた。

「なぜ君」刊行のほぼ10日後には、小生の新刊も台湾で出版されることになるだろう。今年は日本でも、外国でも、拙著が多数出されることになると思う。ありがたい限りだ。

今日は、友人・早田健文(台湾通信発行人)や中国文化大学教授の陳鵬仁さんらを招いて、今回の台湾取材の報告と出版の翻訳その他の依頼の会合をおこなった。

中山北路に面したホテルの12階にある四川料理屋で、同店自慢の料理に舌鼓を打ちながら、延々と話はつづく。10時過ぎにやっとお開きになったかと思うと、今度は林森北路のバーに場所を移して、新たに加わったテレビ局の女性ディレクターも交えて、さらに議論が白熱――。

気がつくと日付をまわっていた。明日は朝一番の飛行機に乗って東京へ。また東京では激務が待っている。疲労困憊になっている暇はない。

カテゴリ: 国際, 随感

体力と根気との闘い

2010.03.14

今日は、朝6時に起きて9時40分成田発の中華航空で台北にやって来た。午後からさっそく2件の取材をこなした。

単行本の「詰め」の取材をおこなっているが、ここへ来て新たな情報も出始めている。ノンフィクションは時間との闘いでもある。明日以降もエキサイティングな毎日になりそうだ。

夜、林森北路の台湾料理屋で一杯。同行している集英社の高田功さんも朝早かったせいか、疲労の色が濃い。

明日、あさっても用事がぎっしり詰まっている。時間との闘いより、ひょっとして“体力と根気”との闘いかもしれない。やるしかない。

カテゴリ: 国際, 随感

活字ジャーナリズムの“談論風発”

2010.03.12

昨夜は、新聞記者、月刊誌編集者、週刊誌デスクの3人が事務所を訪ねてきてくれた。そのまま「飲み会」に突入、夜中まで談論風発、さまざまなことを話し合った。

いずれもマスコミの最前線で活躍する40代のばりばりの人たちである。政治、歴史、事件……等々、あらゆることが俎上に乗った。

さすがに活字ジャーナリズムの第一線で働く面々とあって、話題には事欠かない。記事には書けない話もいろいろ飛び交った。外に飲みに行って、また事務所に戻って飲んでいる内に、気がつくと午前2時になっていた。

嬉しいのは、私が来月に出版する本の内容にそれぞれが関心を持ってくれたことだ。記事の面でいろいろ応援してくれるという。

あさってからその単行本の詰めの取材で台湾に行く。歴史ノンフィクションの醍醐味を私自身が味わいたい。

カテゴリ: マスコミ, 随感

文藝春秋(4月号)がおもしろい

2010.03.10

今日発売の文藝春秋(4月号)がおもしろい。読み応えのある記事がずらりと並んでいる。自民党の与謝野馨氏の新党結成宣言ともとれる一文は、一般のニュースでも報じられたが、私はむしろそのほかの記事に注目した。

天皇の執刀医・北村唯一東大名誉教授の直言として掲載された「小沢一郎よ、あなたは陛下のご体調を考えたことがあるのか」は強烈だった。

北村教授は、天皇の病状も知らないまま「陛下の意を勝手に忖度した」小沢氏の記者会見とその態度を、痛烈に批判している。

小沢氏は記者会見で「陛下のお体がすぐれないならば、それよりも優位性の低い行事をお休みになればいいことじゃないですか」とも発言した。

これに対して、北村教授は「小沢氏は自分の命じたことは優位性が高いのだからこれに従え、と言っているがごとくである」「陛下のご体調一つ想像できない政治家が、国家の計、国民の生活について考えをめぐらせることができるのだろうか。悲しく、残念なことである」と、天皇の手術をおこなった執刀医ならではの危機感から、厳しい小沢批判が展開されている。

またジャーナリスト松田賢弥氏の「小沢一郎“57億円略奪”の黒い霧」という告発レポートも興味深い。当ブログでも何度も指摘してきた通り、小沢氏の脱税疑惑の核心は、自由党解党の際の政党交付金の行方にある。

しかし、松田氏は、さらに以前の経世会分裂の際に消えた資金から問題を掘り起こしている。当時、経世会の金庫から「6億円」が消えた事実を、かつての盟友・野中広務氏の発言によって明らかにし、小沢氏の巨額の不動産購入資金の「原資」に対する疑惑を検証している。

ひたすら小沢擁護に終始するテレビのコメンテーターたちは、これらの核心レポートをどう読むだろうか。

月刊誌が次々と廃刊に追い込まれる中、老舗・文藝春秋は一人、気を吐いている。その役割はますます大きくなっているといえる。

雑誌ジャーナリズムの“灯”を絶やさない奮闘を次号でも期待したい。

カテゴリ: 政治, 随感

人間にとって「生」と「死」とは

2010.03.09

東京に横なぐりの雪が降っている。3月のこの時期、いったいどうなったのか。プロ野球のオープン戦も真っ盛りで、昨日も西武のルーキー、菊池雄星のプロ初登板が報じられたばかりだ。

私はと言えば、2日続けての月刊誌の締切で、またも「昼」と「夜」が逆転してしまった。今日は単行本のゲラを通読する日に充てようと思っていたが、事務所の窓から見える雪を見ているうちに“労働意欲”を失ってしまった。

音楽を聴きながら窓から雪の東京の風景を見ていたら、あっという間に時間が過ぎてしまったのだ。時の流れ――この速さに最近、驚かされることが多い。

あのオウム事件から今月、ついに丸15年が経過するのもその一つだ。いよいよ残っていた事件も「時効」となるのである。私は、この節目の時期に、月刊「宝島」(4月号)と月刊「Voice」(4月号)にオウムの記事を掲載させてもらった。

「宝島」は作家・麻生幾氏との8ページの対談記事であり、「Voice」は、「オウム凶悪犯罪“15年”の修羅」と題した12ページに及ぶ長編の特別レポートである。

昨年から今年にかけて、私はオウムの井上嘉浩死刑囚と4度にわたって面会した。14年前、井上死刑囚は自ら罪を被るのを厭わず、初めて法廷で“リムジン謀議”を暴露した。あの衝撃の法廷の時、井上はまだ26歳だった。私は20代の井上を法廷で何度も見た。

一審・無期懲役、二審・死刑。一審と二審で判断が分かれた唯一の法廷となった井上裁判は昨年12月、最高裁が井上側の上告を棄却したことにより、「死刑が確定」した。

井上は40歳となった。東京拘置所の狭い面会室で、私は井上死刑囚とさまざまな話をした。詳細は、「Voice」をお読みいただきたいが、そこには、「死」と向かい合った人間にしか語れない言葉があった。

先週、私は広島拘置所で光市母子殺害事件のF被告とも面会している。久しぶりの面会となったFは、私が訪ねたことを喜んでくれた。私は、Fが会うたびに優しい目となっていくことを感じている。

「生」と「死」とは何か。死刑囚は、そのことを知る貴重な証言者でもある。いつか、人間にとって永遠の、そして最大のテーマであるこのこの問題を書かなければならない、と思う。

カテゴリ: 事件, 随感

日本サッカーが最も輝いた瞬間

2010.03.05

今日は、サッカー界の重鎮・岡野俊一郎氏とお会いした。とても78歳とは思えない若々しさで、1960年代の日本のサッカーの秘話をいろいろと教えていただいた。

1968年、奇跡の銅メダルをとった日本代表チーム。日本サッカーが最も輝いた瞬間を、岡野氏独特の語り口で再現していただいた。

釜本邦茂、杉山隆一、横山謙三、小城得達の各氏と、今日の岡野氏。メキシコ戦士たちが、なぜあの奇跡を成し遂げることができたのか。だんだんとわかって来た。

日本人が限りなく強靭で、真摯だったあの時代でなければ、やはり奇跡は起こらなかった。感動のノンフィクションは、近く発表したい。

夜は、知人の傘寿(80歳)のお祝いのパーティーに出席した。会場ですっかりご無沙汰していた知人とも再会。杯を傾けている内に時が経つのを忘れてしまった。

明日は静岡での講演。テーマは、「伝説の打撃コーチ・高畠導宏を語る」だ。ここのところ司法や歴史関係の講演が多かったので、久しぶりのテーマで嬉しい。講演というより、できるだけディスカッションを楽しみたい。

カテゴリ: サッカー, 随感

ジャーナリストの“命綱”

2010.03.04

昨日、今日と広島に取材に行って来た。「新潮45」の連載取材である。出張から東京に帰ってそのまま夜、飲み会に参加した。場所は新宿、相手は、若き台湾・中国問題の研究者2人である。

中国、台湾、日本の3国の現代史に通じた研究者との会合は3時間に及び、さまざまな情報と見解が飛び交った。

来月刊行予定の小生の作品にも協力してもらっている研究者なので、実に楽しく、有意義な話ばかりだった。

昨夜は、広島で中国新聞の幹部二人と飲み会をこなし、これまた有意義な話を聞かせてもらった。

連日の飲み会で、肝臓はかなり傷んでしまったが、ノンフィクションの世界に生きる私にとっては、こういう情報交換の場こそ“命綱”である。

さまざまなヒントをもらって、新たな作品の構想も浮かびつつある。ありがたい限りだ。飲み屋を出ると冷たい雨。足早に帰宅を急ぐサラリーマンと共に、私も深夜、やっと家に帰り着いた。

カテゴリ: 歴史, 随感

「康子十九歳 戦渦の日記」

2010.03.02

今日は、BSイレブンの「インサイドアウト」という番組にゲスト出演させてもらった。夜10時からの1時間番組である。

拙著「康子十九歳 戦渦の日記」(文藝春秋)を取り上げてもらい、歴史への思いと毅然とした日本人の姿について、話をさせてもらった。

もともと番組プロデューサーが大学時代の友人だったこともあって声をかけてもらったが、番組終了後、屋台のおでんやで一杯やって大いに盛り上がった。

別に、民放局からの出演依頼もある。それもまた大学時代の関係からの誘いであり、いろいろとありがたい限りだ。

しかし、私が語らせてもらうことは難しいことは何もない。物事の本質を見る目と毅然とした日本人について、である。私は、そのことについて、さまざまな現象や事件をあてはめて話をさせてもらっているに過ぎない。

人間のありようを話したり、文章で描いたりする時に、あっちへ、あるいはこっちへ、とフラフラするマスコミ人や編集者は実は少なくない。

コメントするたびに「自分だけはそうありたくない」と思う。同時に、そう思い続ける限り、世に作品を問い続ける資格は少なくともあるのではないか、とも思う。

いつまでそれが続くか、自分との闘いでもある。

カテゴリ: マスコミ, 随感