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政界激震で最後に笑うのは

2010.05.31

いよいよ鳩山総理の「退陣」が強まった。権力者が国民の支持を失った時ぐらい惨めなものはない。選挙を控えているとなれば、余計そうだ。

社民党の又市征治副党首が本日、BSの番組で、「首相退陣はあす(1日)か、あさって(2日)だと思う」と語り、政界の注目が一気に“ポスト鳩山”に移った。

動き出した流れは変えられない。参院選が鳩山政権で戦えない以上、退陣はむしろ遅きに失した感がある。かつて「日本列島は日本国民だけのものではない」と言ってのけたフシギな政治家が、ついに総理の地位を追われることになる。

国家の安全保障の根幹もわからないまま迷走の末の退陣である。誰からも同情の声は起こらないだろう。だが、ここからがおもしろい。退陣が不可欠となった時、鳩山首相、小沢一郎、輿石東の3者が集まり、急遽対策を練ったのは、言うまでもなく「今後」の対応を話し合うためだ。

まず鳩山続投の可能性を探り、それが不可能と見るや一転、“次”を狙ってくるだろう。民主党内の最大派閥小沢グループは衆参合わせて約120人、鳩山グループは50人弱、輿石ら旧総評系労組グループは約30人いる。この主要3派に旧民社系や羽田グループを加えて、民主党の主流派は圧倒的な勢力を誇っている。

非主流の菅グループや前原・野田グループは合わせて、やっと100名に過ぎない。小沢氏など主要3派が“主流派”を構成していこうという意思が揺るがない限り、どんなに小沢氏が世間の非難を浴びようが、与党内でイニシアティブを握ることは可能だ。

だが、果たして今の状態で3派が「結束を維持」できるかどうか、極めて疑わしい。なぜなら、今回も小沢氏が数にものを言わせて「次の総理」を決めることになれば、国民の失望がさらに広がり、参院選の敗北がより確実になるからである。

主流3派が「臥薪嘗胆」の策をとり、ここは一時期、他の勢力が推す有力者を担ぐのか、それともあくまで正面突破を目指すのか、そこが興味深いのである。

菅直人、岡田克也、前原誠司の非主流の有力者が、いかに主流3派とわたり合うのか。この時、ポイントになるのは、すでに参院選に向けて新党を結成している面々との連携であり、自民党内部へのパイプである。

独裁者・小沢氏に立ち向かうという意味では、彼ら非主流派も野党も差はない。一挙に政界再編成の可能性も秘めて、永田町が激動を始めた。

カテゴリ: 政治, 随感

どこか似ている「鳩山さん」と「岡田さん」

2010.05.29

鳩山由紀夫首相とサッカーの岡田武史監督がどこか似ている。

約束も守れないようなことを平気で言ってしまうことを、若者は今、「ハトる」と表現するそうだ。それなら、日韓サッカーの後、犬飼基昭会長に“進退伺”を申し入れたサッカーの岡田監督を指して、「オカる」という言葉も結構はやるに違いない。

言うまでもなく、他人に責任を転嫁し、途中で物事をほっぽり出そうとする意味である。日韓サッカーで0―2で惨敗した後、岡田さんは犬飼会長に責任をかぶせ、自らの進退伺を出したかと思うと、翌日は一転、「あれは冗談でした」と言ってサッカーファンを唖然とさせた。

しかし、ここで本人の申し出通り、岡田氏を辞任させなかった日本サッカー協会の責任は重い。岡田監督の下では、チームの気持ちはバラバラで、モチベーションが勝利への最高の鍵を握る「サッカー」という競技において、日本の惨敗は見えているからだ。

「(普天間基地は)最低でも県外」と言ってのけた鳩山さんと、W杯で、「目標はベスト4」と語った岡田監督。手腕も、哲学もない、二人のリーダーが“時”を同じうして、国民の総スカンを食らっているのも何かの因縁ではないだろうか。

さらには、鳩山さんを総理の座をつかせたのが小沢一郎氏なら、岡田さんを日本代表チームの監督にしたのは、かの川淵三郎・元チェアマンだ。その世界での最高権力者が「イエスマン」であることを理由に、二人を代表ポストにつかせたのである。しかし、結果は惨めなものだった。

もともと手腕も何もないのに日本代表監督となった岡田さんは、12年前のフランスでのワールドカップで、(全盛時代に近い)カズを外し、「城のワントップで戦う」という作戦を立てた人物だ。以来、サッカーファンは岡田氏のことを認めていない。城のワントップで戦ったW杯の失敗を認めず、それを今に至るまで総括もしていないからである。

けじめなき国・ニッポン。「ハトる」の鳩山さん、「オカる」の岡田さん。いずれにしてもこれほど情けない姿を晒すリーダーに「日本を託す」私たちは、みじめこの上ない。

カテゴリ: サッカー, 政治

一触即発の朝鮮半島情勢と「中国」

2010.05.25

いよいよ朝鮮半島情勢が緊迫してきた。韓国の李明博大統領が対北制裁措置を発表し、国防白書に「北朝鮮は主たる敵」という文言を復活させることを決定したら、たちまち北朝鮮は「すべての南北関係を断絶する」という宣言で対抗してきた。

いよいよ一触即発である。ここで次の魚雷が「発射」されたら、一気に全面戦争に突入することは確実だ。

韓国の金大中、盧武鉉(ノ・ムヒョン)両大統領が鳴り物入りで実施した北朝鮮への宥和策“太陽政策”がいかに机上における「夢想」に過ぎなかったか、改めて証明されたとも言える。

なぜ魚雷が発射されたのかは不明だが、「金正日の威信が低下し、軍部の暴発を止められないところまで来ている」という観測が案外当たっているかもしれない。

一昨年夏に生死の境を彷徨(さまよ)った金正日が、必死で求心力を保とうとしているのはわかる。しかし、食糧不足が“飢餓状態”にまで発展し、そこにデノミの失敗が拍車をかけ、いよいよ「軍の統制までとれなくなった」と見る方が自然だろう。

かつて日本が戦争への道を突き進んだ経緯を思い出してみる必要がある。東北地方を襲った大冷害と大津波、そして世界恐慌によって、軍部が暴発し、2・26事件をはじめ、戦争にヒタ走った歴史をわが国は持っている。農家での娘の身売りが常態化した末に、若手将校たちは立ち上がった、いや“暴発”したのである。

北朝鮮の軍隊が、飢餓状態の中で規律と秩序を守っていけるとはとても思えない。もともと賄賂が横行し、「カネでなんでもカタがつく」と言われた国だ。とても秩序は維持できないだろう。

だが、ここでポイントになるのは、中国の存在である。中国は、北朝鮮との太いパイプを生かし、これまでこの無法国家を「カードとして利用して来た」経緯がある。

無法者国家・北朝鮮が唯一、言うことを聞くのは中国だ。そして、中国は北を国際社会に対する“カード”として最大限利用してきたのだ。

しかし、そのために多くの北朝鮮人民が犠牲になってきた。脱北した人たちを中国の公安は容赦なく追い詰め、逮捕し、北に送還してきた。

強制送還されれば、殺されるか収容所送りか、どちらかであるにもかかわらず、中国は脱北(亡命)した人たちの人権をまったく無視してきたのだ。

もし、中国が人道的見地から彼らの脱北(亡命)を許せば、金正日の怒りによって忽ち中朝関係は冷え込み、中国は北を「カードとして利用する」ことはできなくなっただろう。

要するに、中国の「北朝鮮カード」とは、脱北者に対する人権圧殺の上に初めて成り立ったものだったのである。

いま話題の映画「クロッシング」は脱北者の悲劇を描いた力作だが、ここでも中国の公安に追い詰められる北朝鮮人民の姿がリアルに表現されている。

この映画を見て、今回の韓国哨戒艇撃沈事件を考えれば、また新たな視点が生まれるに違いない。すべてに優先して、中国に“北朝鮮カード”を手放させる手段を講じなければならないことに気づくのではないだろうか。

まずそこに日・米・韓は、最初のターゲットを置くべきなのである。今は、三国のより緊密な連携が望まれる時だ。

懸念されるのは、国家の安全保障問題の根幹をまるで理解できていない「鳩山総理」その人の存在である。

カテゴリ: 中国, 北朝鮮

ジャーナリズムは冒険を

2010.05.24

大阪取材4日目。今日も茨木市で、日航機墜落事故ご遺族の貴重な25年目の証言を得ることができた。着々と貴重な証言が積み重なっている。充実した内容のノンフィクションになりそうだ。

夜、取材の帰りに、梅田で大阪読売新聞の元記者で、かつての“黒田軍団”の重鎮と飲んだ。

黒田軍団の解体からすでに約20年が経つ。ナベツネの露骨な大阪社会部切り崩し工作で失われた社会部の勢いは、今も戻ってきていない。

かつてのパワーあふれる軍団のエピソードを聞きながら、私はマスコミ全体の“変化”を感じざるを得なかった。単なるエリート集団と化した今のマスコミ・ジャーナリズムに、地を這うような調査報道は皆無となってしまった。

今のマスコミを称して「巣で口に餌(えさ)を放り込まれるのを待つひな鳥」と語る向きもある。それほど今のマスコミは当局に見事に飼いならされているということだ。最近は、エリート学生が「官僚志望」と「マスコミ志望」という信じられない“かけもち”をやるケースが増えているという。

新聞記者が書くノンフィクションの傑作にも、最近、とんと出会えないでいる。安定ばかり求め、冒険を忘れきった日本のジャーナリズムの世界に、「明日」はやってくるのだろうか。ジャーナリズムの将来を憂うる二人の中年男の飲み会――ホテルに戻ってきたら、すでに日付が変わってしまっていた。

カテゴリ: マスコミ, 随感

変貌を遂げた道頓堀

2010.05.22

昨日から大阪に取材に来ている。日航機墜落事故のご遺族から貴重な証言をいただいている。人間の使命感と家族愛がいかに素晴らしく、同時にいかに凄まじいものであるかを改めて教えてもらった。

夜、久しぶりに道頓堀を歩いてみた。大阪一の名所・戎橋(えびすばし)の変貌に驚く。護岸工事がなされ、遊歩道が道頓堀沿いにでき、かつての汚い河のイメージが一掃されている。橋自体も新しくなり、土曜日ということもあって若者でごった返していた。

今年、某テレビ局に入社した早稲田野球部のOBが大阪に赴任していたので、久しぶりに会った。底抜けに明るいこのフレッシュマンは、仕事での苦労をまったく意に介していない。逞しいかぎりだ。これから着実に雄々しいマスコミ人へと成長していくだろう。

さて、明日は京都で取材、あさっては茨木で取材と、息つく暇がない。朝鮮半島の緊張や、週明けのニューヨーク株式市場の動きなど、気になることは目白押しだが、こちらは目の前の取材を着実にこなしていくだけである。

普天間基地問題は結局、当初の辺野古案に事実上、戻って日米が大筋合意した。一国の領袖とはとても思えない幼稚な考えしか持たない鳩山さんの支持率は、一体どこまで落ちるのだろうか。

だが、政界は通常国会が残り1か月を切り、いよいよ参院選モードだ。民主党は、鳩山さんを担いで本当に選挙を戦うつもりなのだろうか。

普天間関連の「公約不履行」で鳩山さんに「退陣して欲しい」と願っているのは、実は民主党の人たちであり、野党である自公両党は「このまま鳩山さんが選挙を!」と願っている。

鳩山首相が民主党の“選挙の顔”である限り、野党の勝利が見えているからだ。1年ごとに国家の領袖の顔をすげ変えることが当たり前になった日本。世界中が笑っていると思うと、なんだか情けない。

カテゴリ: 政治, 随感

不穏な空気が世界全体を覆い始めている

2010.05.20

今日は、“歴史の証言”を訪ねて長野まで行って来た。

今夏94歳になる零戦の元飛行士である。真珠湾攻撃に参加し、ミッドウエー海戦でも九死に一生を得て、ガタルカナルの戦いでは、敵機ともつれあいながら同島に墜落している。

生きていたのが不思議な状況の中、その度に“生還”してきた人だ。氏の話を伺いながら、人間には「運命」というものがあることをつくづく考えさせられた。

それと共に、殺し合いの無意味さと平和の尊さを必死に訴える氏の姿に心が動かされた。だが夜、東京へ帰ってきたら、韓国の哨戒艦が北朝鮮の魚雷によって沈没していたことが「正式に発表された」というニュースが流れていた。

当ブログでも指摘してきた通り、いよいよ“一触触発”の事態である。「韓国の捏造」と主張する北朝鮮の言い分に耳を傾ける人は国際社会で皆無だ。

この事件では、なんの罪もない韓国兵士たちの命が46人も喪われている。かつて北朝鮮がおこなった大韓航空爆破事件やラングーン事件などの暴挙が思い出されるが、彼らは、過去自分たちがやってきたことを反省することすらない。

北朝鮮国内の飢餓状態への兵士たちの怒りと焦りが、今回の魚雷発射に現われていると、私は思う。すでに金正日による軍部への統制が崩れ始めているという見方もできる。

暴発の予兆というべきか、それとも、これは「宣戦布告」なのか。北が“攪乱”のためのテロ行為に走り始めた場合は、東京も無傷ではいられまい。

ニューヨーク株式市場が崩れ始めたという深夜のニュースを聴きながら、不穏な空気が世界全体を覆い始めていることを感じる。


カテゴリ: 歴史, 随感

学生の間に培わなければならないもの

2010.05.17

関西の取材旅行から帰り、今日は久しぶりに明治大学でのマスコミ講座があった。今日の授業は、和泉校舎での1、2年生が対象だ。もうこの講座の講師を担当するようになって10年ほどになる。

毎年、マスコミに人材を送り込んでいるこの講座のお陰で、私も、マスコミ各社に随分と教え子が増えた。昨年、夏の甲子園大会を取材をしている時も、この講座出身の教え子と甲子園の取材現場で遭遇し、いろいろと情報交換をおこなったことを思い出す。

私の母校・中央大学よりマスコミに人材を送り出すことに熱心な明治が、大いにマスコミに勢力を張っていることを実感した。

今日も、目をキラキラさせたフレッシュマン(1年生)から、マスコミ受験を目前に控えている3年生まで、百名ほどのマスコミ志望学生にさまざまな話をさせてもらった。

私の授業は目的が明確だ。マスコミ・ジャーナリズムとは何で、いかにしてそのマスコミ・ジャーナリズムの世界に入るか、である。

そのために物事を見る視点や感性、はたまた精神力などについて、どう身につけ、どう養っていくか、という実践的な話をさせてもらった。

私は、作文の書き方についても実践的に方法論について指導をするが、授業が終わっても熱心に具体的な質問をしに来る学生もいて、なかなか頼もしかった。

授業をおこなう度に、将来のジャーナリストたちを育てる意義を感じる。人間の情感と情念を描き、毅然とした生きざまを表現し、そして巨悪に立ち向かっていく闘志を、若い人たちには身につけて欲しいと思う。

学生の間に培わなければならないものは、あまりに多い。がんばれ学生諸君!

カテゴリ: マスコミ, 随感

東京は「火の海」にならないのか

2010.05.15

鹿児島から和歌山、大阪、兵庫と“転戦”している。この夏刊行予定のノンフィクションの取材である。

連日、取材対象者から素晴らしい言葉が出て、「人間」という存在そのものに対してさまざまな思いがこみ上げてくる。それらは8月出版予定の作品の上で詳細に紹介させていただくつもりだ。

それと共に、ここへ来て、さまざまな面で風雲急を告げる事態が起こってきている。私は、それが気になって仕方がない。

ひとつは、小沢一郎民主党幹事長への検察の3度目の事情聴取であり、もうひとつは、韓国の海軍哨戒艦沈没事件だ。

小沢氏の問題はここでは措(お)くとして、韓国の沈没事件は、まさに一触即発といっていい。沈没原因を調査していた軍・民間合同調査団は、すでに爆発原因を「魚雷」とほぼ断定している。

果たしてこのまま「北朝鮮からの攻撃」ということが証明された場合、韓国の李明博(イミョンバク)大統領はどんな政治決断をするだろうか。

正式発表は20日とされるが、「北朝鮮の関与」についての決定的な証拠が出れば、激しやすい韓国国民が大統領に対して強行決断を促すに違いない。

魚雷によって艦船が攻撃を受ければ、言うまでもないが、これは一種の宣戦布告である。報復≒戦争勃発であり、極東情勢は一気に混沌となる。

昨年実施のデノミ政策の無残な失敗と、飢餓状態の食糧事情――北朝鮮は、金正日自ら、中国に“物乞い”に行かなければならないほど追いつめられている。この国がどこまで暴発を回避できるのか、甚だ疑問なのだ。

また、韓国が北朝鮮の蛮行をこのまま見逃すことができるのか。「ソウルは火の海」と北朝鮮が軍事的優位を誇って脅したのは、今から16年前、1994年3月のことだった。

ソウルだけではない。東京が「火の海」にならない保障はどこにもない。平和ボケの日本人を嘲笑うように、普天間基地問題も、そしてこの魚雷撃沈事件も水面下でマグマが爆発を待つかのようにふつふつと音を立てている。

目を離すことは許されない。

カテゴリ: 北朝鮮, 随感

死して「名」を残す

2010.05.13

夜、出張先の鹿児島から帰ってきた。ぎりぎりまで有意義な取材ができたと思う。

鹿児島市内で取材の合間に、西郷隆盛と大久保利通の生誕の地に行ってみた。二人の生誕地はわずか200メートルほどしか離れておらず、“維新三傑”の内の二人がこれほど近い場所の幼な馴染だったことに改めて驚きを禁じ得ない。

いやそれだけではない。鹿児島中央駅からほど近い加治屋町というこの場所からは、「これでもか」というぐらいの明治の元勲や軍人たちが出ている。

東郷平八郎、村田新八、大山巌、山本権兵衛、西郷従道……等々、まさに枚挙に暇がない。半径200メートル以内で「日本が動かされていた」と言っても過言ではない。

しかし、私は同時に明治政府の薩長藩閥政治の凄まじさを垣間見た思いもした。長州もそうだが、薩摩も、これほど狭い地域から「偉い人」が出るのは、逆にいえば、それだけ露骨な身贔屓(びいき)人事が政府部内で罷り通ったということである。

私の故郷である土佐では、この薩長藩閥政治への反発から“自由民権運動”が育っていった経緯がある。何事にも露骨すぎる人事が好影響をもたらすことなどはあり得ない。その点で、鹿児島市加治屋町という“偉人街”は、人事に対する戒めと警鐘の街と言える。

それと共に、私は今日、大久保利通がいかに薩摩で粗末に扱われているかを知った。駐車場の端っこに気づかれないほどにひっそり立つ大久保の生誕地の石。それに比べ西郷のそれはいかにも立派だった。

西南戦争で“賊軍”となった西郷と、権力は恣(ほしいまま)にしたが、今に至るも地元でかえりみられることがない大久保。人は、“死して名を残す”ことが必要なのだろうか。

カテゴリ: 歴史, 随感

マスコミ人の談論風発

2010.05.11

昨夜は、拙著「この命、義に捧ぐ」でもいろいろ協力してもらった台湾のテレビ局のスタッフが東京を訪れていたので、夜遅くまで会合をした。

新宿で会食した後、5人が西新宿の私の事務所を訪れ、談論風発の楽しい飲み会となった。

来年は、台湾にとっては、あの孫文の「辛亥革命」からちょうど百年という記念の年だ。台湾のテレビ局としてもさまざまな企画を考えているようだ。それに絡んで、東京、そしてこの後、アメリカでも取材してくるという。

及ばずながら、私もいくつかの企画を出させてもらった。「日本側のレポートは門田さんが是非やってください」と言われ、「いいですよ~」と二つ返事をしてしまった。拙著の取材では多大な協力をしてもらっただけに、少しでも役に立ってあげたいと思う。

それにしても、国は違ってもマスコミ・ジャーナリズムに携わる人たちのバイタリティは、やはり共通している。話していても時間が経つのをつい忘れてしまった。

さて、今日は取材で鹿児島に飛ぶ。ここのところ出張つづきで腰が温まる暇がない。夏に出すノンフィクションの取材が佳境を迎えているのだ。休んでいる暇はない。

カテゴリ: マスコミ, 随感

政権末期と参院選

2010.05.09

政権末期である。発足後わずか8カ月で、鳩山政権には、終焉へのカウントダウンが鳴り響いている。本日の読売新聞の世論調査は、そのことをはっきりと表している。

読売新聞社が7日(金)から本日9日(日)まで3日間にわたって実施した全国世論調査で、鳩山内閣の支持率が「24%」となり、 前回調査から9ポイントもの下落を示したのだ。

一方、不支持率は「67%」。言うまでもなく沖縄の普天間基地移設問題での公約違反と不手際が、 国民の失望感を増幅させたのである。小沢幹事長を「辞任すべきだ」も「79%」を占めている。

権力の座というものは恐ろしい。支持率が一定の水準にあれば出て来ないはずの批判が、“政権末期”ともなると、次々、「これでもか」と噴出してくる。政治家たちは「次」を狙っているから、ひとたび人心が離れたと判断したら、思いっきり牙を剥いてくるのである。

本日、枝野幸男行政刷新担当相が、さいたま市の会合でブチ上げた「子ども手当批判」などは、その典型だ。母国に子どもを残したり、海外に養子がいる在日外国人に「子ども手当が支給される」という点に関して「率直に言って対応を間違った。大変申し訳ない」と、閣僚としては異例の陳謝をおこなったのである。

先月、兵庫県内で韓国人男性が、妻の母国のタイで養子縁組したという554人分の子ども手当を申請して「受けつけられなかった」ことが明らかになったが、これなどは国会論議の中で野党から早々と指摘されていた。しかし、民主党が押し切った形で、「法案が成立した」経緯がある。

日本と直接かかわりなく、日本国籍でもなく、さらに外国に住んでいる人間への支給に対して、本日、枝野氏は「これでは国民の理解が得られない」と、ここへ来て全面非難を展開したわけだ。

永田町では、支持率が“危険水域”に入れば、もはや「何でもあり」なのである。おもしろいことに、民主党内では、7月の参院選を「鳩山総理のもとで戦う」ことなど誰も思っていない。頭をすげ変えて、新たな民主党となって参院選を戦うという意識にすでに変わっている。

党内の駆け引きと、閣僚たちの思惑――政権末期の混沌が、国際社会でのさらなる日本の信用失墜に結びつかないことを祈るのみである。

カテゴリ: 政治

大学野球の醍醐味

2010.05.07

昨日は、東都大学野球1部リーグの天王山・中央大学対東洋大学の首位決戦を神宮球場に観に行った。中央の澤村拓一は、一昨日の対東洋戦の一回戦で大学史上最速の157㌔をマークし、ネット裏に集まった日米14球団のスカウトたちの度肝を抜いた本格派だ。

相手の東洋は、同じく今年のドラフトで1位指名が確実と言われる乾真大、鹿沼圭佑の4年生投手に加え、来年のドラフトの目玉・藤岡貴裕投手(3年)まで擁する現在の大学球界ナンバー・ワンの投手力を誇る強豪だ。

初回に東洋の先頭バッター坂井貴文がいきなり澤村の真ん中高めのストレートを流し打ってレフトに先制ホームラン。波乱含みの展開を思わせた。

しかし、中央が逆転し、突き放す展開の中で目立ったのが、澤村の粘りのピッチングだった。2日前、157㌔を出した時の身体のキレがなく、この日は、明らかに身体が開き気味で、疲労の蓄積を感じさせた。

だが、こういう調子の悪い日を凌ぐ術(すべ)を澤村はいつの間にか身につけていた。力を抜いて140㌔台後半のストレートと、落差のあるカーブ、切れ味鋭いスライダーで打者を翻弄するピッチングを続けた。我慢に我慢を重ねる投球は、去年までの澤村とはまったく別人である。

昨年11月、プロ野球選抜の「アンダー26」チームとの間でおこなわれた試合で、澤村は、巨人の坂本勇人を外角低めの快速球で三振に切ってとった。「この一球で澤村は大きく成長する」。ネット裏で観戦していた私はその瞬間、そう思った。

キレのある速球があれば、プロの一流選手でも抑えることができる。澤村は、そのことを実感したのではないか。それは、力みのないフォームから繰り出すキレのある、伸びのあるストレートである。

早稲田の斎藤佑樹が、そこそこのスピードを出しながら、この「キレのある、伸びのあるストレート」をまだ掴み切れず、苦しんでいる。澤村が、現時点で実力の上で「斎藤を大きく上まわっている」ことは間違いない。斎藤の巻き返しもまた、注目される。

試合は、中盤から終盤にかけて中央打線が爆発し、結果的に12対4の大差で中央が圧勝した。澤村、乾、鹿沼、藤岡という4人のドラフト候補がそろい踏みするというマウンドを観ることができた贅沢な大学野球の一日だった。

「入れ替え戦」という存在によって支えられた東都大学野球1部リーグの強さに、久しぶりにアマチュア野球の醍醐味を見た。

カテゴリ: 野球

国家の領袖には何が必要か

2010.05.05

鳩山首相の沖縄訪問が終わった。鳩山首相は、仲井真知事との会談で「すべてを県外にということは難しい」と県内移設の考えを表明した。

しかし、驚くべきは、記者会見で鳩山さんが記者団に語った次のひと言である。「昨年の衆院選当時は、海兵隊が抑止力として沖縄に存在しなければならないとは思っていなかった。学べば学ぶほど(海兵隊の各部隊が)連携し抑止力を維持していることが分かった」。

聞いていた記者も、いや国民全員が唖然としたに違いない。そんなことも知らずに、オバマ大統領に「プリーズ・トラスト・ミー(私を信用して下さい)」と語り、「最低でも県外移設」と言っていたのか、という感想を持った人が大半だろう。

昨日、私はTBSの夕方の報道番組「Nスタ」にコメンテーターとして出演していたので、スタジオで鳩山さんの沖縄訪問の映像を見ていた。しかし、その時は、この記者会見の言葉はまだ飛び出してはいなかった。

それでも、私は「国家の領袖としての資格」が鳩山さんにあるのかどうかを短いコメントの中で表現させてもらった。

国家の領袖には、絶対的な使命がある。国民の「生命」と「財産」を守り、「領土」を守ることだ。それ以上に重い国家の領袖の任務は、ほかにない。

しかし、鳩山さんは、同盟国であるアメリカが自国内(沖縄)に置いている「海兵隊の抑止力」について、今回、学ぶまで「知らなかった」というのである。

そんな国家の領袖を担ぐ日本国民の不幸は、改めて言うまでもない。しかし、国民が自分たちで選んだ領袖であることを忘れてはならない。

能力が決定的に不足したこの人物を、国家のリーダーに押し上げた国民の責任は免れないだろう。

情けない自公政権の失点ぶりに国民が愛想を尽かしたということもあるが、それでも70%の内閣支持率がわずか8か月で3分の1に急落するような政権が出来ることを「許した」責任は考えなければならないと思う。

それにつけても痛感するのは「小沢一郎」という人物の罪である。昨年5月の民主党代表選で、この能力が欠如した人物を代表の座につけたのは、小沢一郎その人である。

124票対95票。鳩山さんは、岡田克也・現外相に「29票の差」をつけて代表選に勝利した。この29票は、小沢氏の力によって生じた“決定的な差”だった。

小沢氏がなぜ鳩山さんを支持して代表の座に押し上げたのか。それは、自分の言いなりになる“扱いやすい”人物だったからにほかならない。

アメリカが自国内(沖縄)に置いている「海兵隊の抑止力」さえ知らない人物なら、たしかに小沢氏にとっては扱いやすいに違いない。

検察審査会の「起訴相当」という結論が出た今も「幹事長」の職に居座るこの人物に、日本という国は、どこまで愚弄され続けるのだろうか。

沖縄訪問の鳩山首相の姿を見て、そんなことを感じた国民は少なくないだろう。

カテゴリ: 政治, 随感

台湾よ、どこにいく

2010.05.03

連休真っ只中、東京も初夏らしい季節を迎えている。約1週間の関西取材を終えて帰京した私を迎えたのは、1日中ラッシュアワー並みにごった返している交通機関の大混雑だ。

昨日は、上海万博に関して、台湾の知人から電話をもらった。台湾が中国に呑み込まれつつあることに対する危機感を訴えるものだった。

“中国の一部”としての出展としか思えない「台湾館」の存在を嘆くものだが、それよりも深刻なのは、来年の「中華民国100年記念」に関する話だった。

1911年の辛亥革命による建国からちょうど100年。その記念の年に台湾は、「民国建国百年」という言葉で祝うべきところを、中国に遠慮して「建国」という言葉を使わずに祝うのだそうだ。

代わりに使われるのが、「民国猜彩百年」という言葉である。「猜彩」とは意味がわかりにくい言葉だが、要するに百年を“称賛する”という意味なのだろう。

「建国」百年を謳えないほど、台湾は今、中国に遠慮しているのである。事例はほかにもある。4月上旬に麻生前総理が訪台した折も、同時期に訪れていた上海市長のそれとはまるで違う質素な歓迎ぶりだった。さらに麻生さん一行には「馬総統のことを“総統”とは言わず、“先生”という言い方で呼んでください」と、注文がつけられたという。

つまり、「国」であることを自ら否定するようなことを台湾政府はおこなっていると、この知人は嘆くのだ。氏によれば、「今の国民党は三つに分かれている」という。

中国共産党との第三次国共合作に突き進もうとする勢力と、これに真っ向から反対する共産軍と実際に戦った世代、もうひとつは台湾で独自の道を進もうとする現実路線の人たちだ。

氏の話を聞くと、台湾が果たしてどこまで「自立自存」を維持できるのか、心もとなくなってくる。私の新刊「この命、義に捧ぐ―台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡」(集英社)は、60年前に共産軍と戦い抜き、台湾と台湾海峡を守った根本陸軍中将のドキュメントである。

その根本中将らの思いも、やがて無に帰することになるのだろうか。世界にパワーを誇示する中国と、それを象徴的に表わす上海万博。私は、ゴールデンウィークの日本をどんより覆い始めた中国の黄砂を例年以上に重く感じている。

カテゴリ: 中国, 随感

中国“総中流化”の恐怖

2010.05.01

いよいよ上海万博が始まった。人気ナンバー・ワンは当然ながら中国館だが、日本館も待ち時間が3~4時間になるほど人気が高いという。

テレビに映る中国人たちのバイタリティと秩序のなさには圧倒される。今から28年前、初めて中国へ行った時、バスに乗る時の人民の押し合いへしあいに唖然としたことを思い出す。

順番を無視して割り込んでくる姿は今も昔も変わらない。私はニュース映像を観ながら、この中国人が“総中流化”した時の恐怖を思い浮かべた。

「中国人が総中流化したら、地球の資源は食い尽くされますよ」。親しくしている企業人が確信を持って私にそう言ったことがある。

人口13億の中国が、日本人のような中流階層が多数を占めるようになったら、いったいどのくらいのエネルギーを消費するだろうか。CO2やフロンガスの排出など、忽ち世界の半分以上を占めるようになるだろう。

人口12億のインドも猛然たる勢いで経済発展を遂げている。彼らまで今の日本人のような生活水準に達したら、地球は悲鳴を上げるだろう。

私はそんな底知れない恐怖に捉われながら、今日、上海万博開幕のニュースを観ていた。

カテゴリ: 中国, 経済

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