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まず胸のバッジをとってから始めよ

2010.10.30

民主党議員の間から「前原批判」が湧き起こっているというニュースを聞いて、わが耳を疑った。

中国が昨日、ハノイでの日中首脳会談を拒否したことに対して、中国に対してではなく、前原外相に対して「批判の声が向けられている」というのだ。

民主党議員には、ただ“若さ”や“見栄え”だけで候補者として選ばれ、人生経験も乏しく、哲学や政治理念なども確立していない書生のような議員が多い。

「国益とは何か」ということすら勉強していない小沢チルドレンたちが国会を闊歩していることは周知の通りだ。

しかし、国際社会の無法者として世界中が懸念している中国が勝手に日本との「首脳会談を拒否した」ことに対して、あろうことか日本側、特に前原外相に非難の矛先を向けている、というのである。

いくら民主党内の権力抗争があるとはいえ、「中国側に呆れる」のではなく、拒否された側の「前原外相を批判」しているというそのニュースを聞いて、私は昨年12月のある光景を思い出した。

中国の胡錦禱国家主席に「謁見」を賜るべく143人の民主党議員が大挙して小沢氏の引率の下、北京詣でをおこない、“1人15秒”という時間制限つきで胡錦禱に握手と記念撮影をしてもらって嬉々としていたあの光景だ。

日本の選良たる立場などどこかに吹っ飛び、他国の“皇帝”に膝を屈して謁見を許されるサマを見て、多くの見識ある日本人は「言葉を失った」ものだ。

今日のニュースによれば、民主党からは、「ビデオの公開を決めたからだ。シナリオを立てずにやるからだ」「日中両国のために前原はつぶした方がいいというメッセージじゃないか。中国に言われてすぐに辞めさせるのはよくないが、前原が外相をやるのは無理だ」という声が満ちているそうな。

彼らはどこの国の議員なのか。日本の国会議員が「何を守るために」国会で議席を得ているかどうか、その根本すら知らないことに背筋が寒くなってくるのは私だけだろうか。

21世紀の国際社会が先行きを危ぶむ「覇権国家中国」の存在。彼(か)の国の利益のために働きたいなら、まず民主党議員には「胸のバッジ」をとってから始めてもらいたい。

カテゴリ: 中国

「ATP賞」授賞式で見た“テレビマンたち”の熱気

2010.10.29

今日は、取材と締切の合間を縫って、六本木ヒルズのハリウッドホールで開かれた第27回「ATP賞テレビグランプリ2010」の授賞式に顔を出してきた。

昨年8月にフジテレビの「ザ・ノンフィクション」で放映された「康子のバラ」がドキュメンタリー部門の「優秀賞」を受賞したからだ。

文藝春秋から昨年上梓した拙著『康子十九歳 戦渦の日記』をドキュメンタリー化してくれたフジTVとドキュメンタリージャパンの面々が表彰されるというので、彼らの“晴れ姿”を見に駆けつけたのだ。

会場は3Dによる実況生中継がおこなわれるなど、さすがテレビマンたちのイベントだけに華やか、かつ工夫が凝らされたものだった。

熱気がムンムンする中、表彰式は進み、やがて「康子のバラ」のスタッフが表彰された。太平洋戦争下の若者が、何を考え、どう生き、そして死んでいったか。60年以上を経た今も台湾で咲きつづける赤い可憐なバラが、「現代に語りかける意味」を問うた素晴らしいドキュメンタリー番組だった。

フジTVの味谷和哉、森憲一両プロデューサーやドキュメンタリージャパンの毛利匡、清水哲也両プロデューサーという、私にとって“戦友”とも言うべきスタッフがステージで表彰される姿は感動だった。

表彰後、私も記念撮影に入れてもらったが、テレビマンたちの圧倒的な熱気に嬉しくなってしまった。業界がより活性化し、お互いがお互いを高めるために、こうした賞がテレビ界で「27年」も続いていることが素晴らしい。

マスコミでは、出版界をはじめ、往々にしてお互いの足を引っ張り合う傾向が強い業界も少なくない。しかし、テレビ番組の制作環境が極めて悪化している中、「前を向いて」突っ走ろうというテレビマンたちの気概を私は肌で感じることができた。

私も負けてはいられない。すでに来年、出版する複数のノンフィクション作品の取材が次々と佳境に入ってきている。今日の会場でテレビマンたちから受けた刺激を胸に、私もさらに「突っ走っていく」つもりだ。

カテゴリ: テレビ

巨人指名「澤村投手」の目に光った涙

2010.10.28

注目の2010年プロ野球ドラフト会議が開かれた。単独指名で「巨人入り」が決まった瞬間、157㌔の大学球界ナンバー1右腕・中央大学の澤村拓一投手の目から溢れた涙が印象的だった。

記者会見でその理由を聞かれた澤村は、「(巨人に)自分の名前を呼ばれた時から、4年間のことをいろいろ回想してしまいました。ものすごく泣けてくるものがあって……」と述べた。

そして、「ここまで来れるのには、監督さん(高橋善正監督)や両親の支えがあったので、本当に心から感謝しています」とつけ加えた。

さらに澤村は、元プロの高橋監督の指導の下、「プロ野球選手になりたい」から「プロ野球で活躍したい」という風に意識が変わっていったことも明かした。

「上へ、上へ」という意識で徹底的に身体をいじめ抜き、大学時代に爆発的に“伸びた”ピッチャーが澤村である。その凄まじい努力の月日を思い出して、澤村の目から涙が流れたのである。

高校時代にまったく無名だった澤村が大学最速のピッチャーへと成長したことは、大学の野球部というものが、実はプロ球団にさえ負けない「人材育成の力を持っている」ことを示している。

今年の甲子園で春夏を制した興南の島袋投手が、この中央大学への進学を決めたのも、なんとなく頷ける気がする。

澤村が卒業したあとに中央大学に入って来る島袋投手。大投手の“バトン”をどう生かすか、今日の澤村の涙をどう感じとるのか、島袋君の将来はそこにかかっている。

4年後、ドラフトでの記者会見で「涙が流れる」ほど努力を続けた島袋君の姿を是非、見てみたい。

カテゴリ: 野球

学生よ、マスコミの門を叩け

2010.10.27

今日は、久しぶりに明治大学の基礎マスコミ講座の授業が和泉校舎であった。夕方6時からの授業だというのに、マスコミ・ジャーナリズムを目指す熱心な学生たちが教室には集まっていた。

授業を始めようと思ったら、冒頭、いきなり学生たちが、小生の『この命、義に捧ぐ―台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(集英社)の山本七平賞受賞に対するお祝いの言葉を読み上げてくれた。そして、花束まで贈呈された。思いがけないことで感激した。

その学生のお祝いの言葉の中に「基礎マスコミ研究室も今年26年目を迎えました。私たちも根本博のような覚悟の下に、成長していければと思っています」という部分があった。

拙著の中に描かれている根本博将軍が身をもって示した“覚悟”に対して、学生たちが「何か」を感じてくれていたことがわかり、嬉しかった。

マスコミ志望の明治の学生たちにジャーナリズムとは何か、そして作文・面接の指導をやらせてもらって、すでに10年ほど経つ。

その間、多くの学生たちがマスコミへと進み、ジャーナリズムの世界で活躍している。頼もしい限りだ。

今日は、作文講座をやる前に学生たちに「ものの考え方について~思考停止とタブー~」と題して、日頃常識だと思っている概念が実はまったく「そうではない」ものであるという話をさせてもらった。

尖閣問題や核廃絶問題を例にとっての話だったが、私が展開した意外な論理展開に、学生たちも興味津々のようだった。

要は、日本の社会やマスコミが毒されている「思考停止」に対して、いかに柔軟で根本を見据えた考え方ができるかどうか――その発想や思考の仕方を見つめ直してもらったのである。

今日は他大学からも聴講に来てくれていたので、帰りに学生たちと居酒屋に寄って、いろいろ話をした。学生と話し合うのは、いつになっても面白い。こういう熱心な学生に是非、マスコミの門を「叩いて欲しい」ものだ。


カテゴリ: マスコミ, 随感

どこへ行ったのか「日本の四季」

2010.10.26

二日続けての徹夜で「文藝春秋」の短期集中連載「九十歳の兵士たち」の記事(最終回)を書き上げた。その合間を縫って大磯まで講演に行ったりしたため、今回の締め切りは、特に疲労が蓄積している。

今日は夕方、TBSの報道番組「Nスタ」にコメンテーターとして出演していたが、「秋」どころか一挙に「冬」になってしまった様子が詳しく報じられていた。映像を見ながら、今年の異常気象は尋常ではない、とつくづく思った。

山に餌(えさ)がなくなり、人里に下りて人間を襲い、射殺される熊があとを絶たない中、大自然は一挙に「秋」をすっ飛ばしてしまったのだ。

「Nスタ」のあと、赤坂で知人と一杯やってから帰ってきたが、店を出ると、もう肌寒くなっていた。10月であるとはとても信じられない。

日本の文化は、有史以来、四季の多彩さで成り立ってきた。穏やかで情緒を重んじる日本人の特性も、長い年月をかけて四季の彩りと豊かさがもたらしたものだ。今年の異常気象は、まるでそれらを木端微塵(こっぱみじん)にしようとしているかのようだ。

反日デモが相次ぐ彼(か)の国のように、日本を本当に「木端微塵にしたい」という願望を抱く輩は少なくない。

今日も右往左往する日本の国会を見ながら、日本伝統の「四季」さえも、国家のテイを成していない今の日本に対して「怒り狂っている」のではないかと、ふと思った。

カテゴリ: 随感

「なぜ君は絶望と闘えたのか」の月間ギャラクシー賞

2010.10.22

2010年9月の月間ギャラクシー賞(ドラマ部門)をWOWOWのドラマWスペシャル「なぜ君は絶望と闘えたのか」が受賞した。

光市母子殺害事件を描いた同名の拙著のドラマ化作品である。大きな話題を呼んだので観てくれた方も少なくないだろう。江口洋介、眞島秀和、小澤征悦、ミムラ、市毛良枝……らの熱演で、迫力と感動のドラマに仕上がっていたが、さっそく“最初の受賞”となった。

大賞は、それぞれの月間ギャラクシー賞の中から選ばれるので、まず第一関門突破というところだろう。石橋冠監督ら実力派が勢揃いしてつくられたドラマだけに、それも当然かもしれない。

私は、この朗報も旅先で聞いたぐらいで、ここのところ連日、次作、次々作、またその次の作品の取材が重なり、腰の温まる暇がない。

毅然とした生きざまを示した日本人や、掘り起こすべき出来事は数多く存在するのに、それが歴史の闇の中に埋もれ、多くが風化しつつある。

書かなければならないネタは多いが、身ひとつのために、なかなか作品化ができないものもある。誇りを失い、政治も経済も混乱の波間を漂うだけになってしまった今の日本。それだからこそ、ノンフィクションの役割は貴重だ。

真実の声に耳を傾け、日本の将来の「糧(かて)」にする作業に対して、より多くの人に関わって欲しいと思う。そんな時に飛び込んできた「月間ギャラクシー賞受賞」の報に嬉しさがこみ上げてきた。

WOWOWをはじめ、スタッフの皆さん、おめでとうございます。難しい題材をドラマ化にこぎつけた皆さんのテレビ人としての「勇気」に心から敬意を表します。

カテゴリ: テレビ

大和沈没から生還した老人

2010.10.21

夜遅く、出張から帰って来た。今回は広島、明石だった。戦艦大和の生き残りに今日も詳細な話を聞くことができた。

すでに歴史上の出来事となったはずの「戦艦大和の最期」を目の前の老人が昨日のことのように話してくれることに不思議な感覚に捉われた。

沈没時、19歳の二等兵曹だったこの老人は、いま85歳。出撃の日、大和の甲板にまで舞い降りてきた桜の花びらを一枚、そっと左胸のポケットにしまった時の心情を老人は淡々と語ってくれた。

沈没の渦に巻き込まれ、いよいよ「死ぬ」というその時、老人は海中で手を合わせ、母親と故郷の光景を思い浮かべた。「ああ、人間ってこんなに穏やかに死ねるんだ」と思った瞬間、猛烈な圧力で海面へ押し上げられたという運命の不思議さ。老人によれば、大和の最期の爆発(誘爆)の水圧に「命を救われた」のである。

駆逐艦「雪風」に救出された時、両足を切断されていたにもかかわらず、生き残った戦友もいた。極限の戦場で彼らの“生”と“死”を分けたものは一体なんだったのか。

大正生まれの元戦士たちの体験談に耳を傾けてきた「文藝春秋」短期集中連載「九十歳の兵士たち」も、今回締め切りの連合艦隊編で、ひとまず終了する。取材も今日の「戦艦大和の生還者」の証言で峠を越えた感がある。

来年、順次、単行本化していく予定だが、凄まじい老兵たちの体験談は、どんな小説や戦争映画でも表現できない真実の重みと迫力があった。

歴史の証言者たちが私に託してくれた「太平洋戦争の真実」を是非、ご期待下さい。

カテゴリ: 歴史

二人の「名将」が示したのは何か

2010.10.19

千葉ロッテの西岡遊撃手はレフト前に抜けようかという難しいハーフ・ライナーをジャンプ一番、獲って優勝を決めた瞬間、うずくまったまましばらく動けなかった。

涙をこらえることができなかったのである。西岡をはじめナインの目から溢れた涙こそ、千葉ロッテのこの奇跡のパ・リーグ優勝がいかに過酷なものだったかを物語っている。

「チームの和」。彼らの力を極限まで引き出したのが、優勝インタビューで西村徳文監督が口にしたこのスローガンである。

西村監督というプロ野球人をかたち作ったのは5日前のブログでも書いた通り、“伝説の打撃コーチ”高畠導宏である。NHKの土曜ドラマ「フルスイング」で俳優の高橋克実が演じたあの高畠さんだ。

最後は高校教師となり、6年前にすい臓がんで亡くなった高畠氏の愛弟子こそ西村監督なのである。

ただ「足が速い」ということしか特徴のなかった選手時代の西村をスイッチヒッターに変え、朝昼晩500回づつ毎日1500回のスイングを課した高畠コーチ。西村の掌(てのひら)はズル剝け状態になり、摩擦によるやけどと、塗られたヨードチンキで真っ赤に染まった。

バットからなかなか離れない西村選手の両手の指は朝起きても曲がったままで、毎朝、お湯に漬けて一本一本の指を伸ばしてから西村は「顔を洗った」という。

この地獄の猛練習をつきっきりでやらせ、しかも、「褒めて褒めて、褒めまくる」という独特のコーチングで、最後まで西村選手を挫けさせなかったのが、高畠コーチなのである。

「チームの和」を掲げ、選手の自主性を重んじ、高畠コーチの「褒めて褒めて、褒めまくる」という選手の指導法を継承した西村監督。どんな逆境でも最後までチームが挫けなかったのは、西村監督の人柄と指導法を抜きには語れない。

ペナントレースの最終盤は、あと1敗したらシーズン終了という剣が峰の連続だった。その時、昨年までの茶髪姿とはまるで異なる新主将・西岡剛遊撃手らが踏ん張り、ついに一丸となった「チームの和」によって、千葉ロッテはパ・リーグの覇者となったのである。

「指揮官の人柄」と、それによって導かれる「チームの和」がいかに大切かを改めて教えてくれた千葉ロッテの快進撃だった。

それにしても、指揮官にとって「人柄」とは何だろうか、とつくづく思う。

セ・リーグのヤクルトに「奇跡」の復活を遂げさせた小川淳司監督代行(現在は監督)もまた西村氏と同じく「人柄」と「和の力」によってチームを生き返らせた人物である。

小川監督代行は、指揮を執った今年5月27日からは両リーグのすべての監督の中で最も高い勝率を挙げた。指揮官の人柄がいかに勝負の世界で大きな要素を占めるかを、今年のプロ野球は、「西村」と「小川」という二人の監督の活躍によって証明したと言える。

楽天が、北京オリンピックであれほどの醜態を晒した星野仙一氏をまたぞろ招聘しようというニュースが流れている折も折だけに、西村・小川という二人の名将の爽やかさが余計際立つのである。

昔の名前で出ています、とばかり、パフォーマンスと知名度ばかりを重視する監督選びは、そろそろ日本のプロ野球界も「卒業」したらいかがなものだろうか。

カテゴリ: 野球

国会で暴露された驚愕発言

2010.10.18

今日(18日)の参院決算委員会で弁護士仲間だった丸山和也参院議員(自民)に暴露された仙谷由人官房長官の“言葉”は実に興味深い。

中国人船長が処分保留で釈放された直後、丸山氏が仙谷氏と電話で意見交換した際、「船長は訴追され判決を受けてから送還なりをすべきだった」と丸山氏が意見したのに対し、仙谷氏は「そんなことをしたらAPEC(アジア太平洋経済協力会議)が吹っ飛んでしまう」と述べたという。

APECは11月に横浜市で開かれるが、ここに中国首脳の出席がなければ、会議自体が吹っ飛ぶという懸念のために「船長を釈放した」ともとれる発言を仙谷氏がしたというのである。

さらに丸山氏が「釈放は国家の大きな損失。日本は中国の属国になっていくのではないか」と言うと、仙谷氏は「属国化は今に始まったことではない」と答えたという。

驚愕の証言である。国民が注視する国会審議の中で暴露された話だけに、唖然とした国民は少なくあるまい。仙谷氏ご本人は「健忘症なのか、そのような発言をした記憶がない」と必死に防戦に務めたが、この仙谷氏の奇妙な逃げ方が、丸山氏の発言の信憑性の方を高めている。

特に、私が注目するのは、「(中国への)日本の属国化は今に始まったことではない」という仙谷氏の発言である。

これまでひたすら中国や韓国への「謝罪」に突き進んできた仙谷氏は、「日本が(中国の)属国化している」ことをとうに認識し、いや「それを前提にしていた」ことになる。

この発言を考えれば、彼のこれまでの行動はすべて合点がいく。菅・仙谷という現政権の中枢自体が、元市民運動家や元全共闘活動家という、いわば“反日日本人”によって占められていることはこれまでも当ブログでも指摘してきた。

もともと日本が嫌いで嫌いで堪らない人たちなのだから、日本の国家としての「主権」を主張したりすること自体に、拭いがたい嫌悪感をお持ちなのだろう。

民主党は外国人参政権問題にも積極姿勢を見せている政党だ。彼らにいつまでも政権を担わせ、これが実現でもしようものなら、中国人の意見に左右される地方議会が遠からず現れることになる。

日本の中国への属国化は仙谷氏が“望む”通り、今も着々と進んでいるのである。

カテゴリ: 中国, 政治

小沢「証人喚問」の勧め

2010.10.16

小沢一郎氏を「起訴すべし」とした検察審査会の議決について小沢氏側が昨日、「議決は無効だ」と取り消しを求める行政訴訟を起こした。さすがに、これには素人はもちろん、司法の専門家の間からも疑問の声が上がっている。

「起訴すべし」という検察審査会の判断は、あくまで刑事裁判に関わるものである。これに「議決無効」で対抗するということは、今後、起訴された容疑者(刑事被告人)は、そのこと自体に「異を唱えることができる」ことになる。驚天動地の発想である。

小沢氏が自分の事務所の隅々まで目を光らせ、独断で秘書たちが政治資金規正法の“虚偽記載”ができるような状況にないことは、これまでのさまざまな小沢陣営の内部告発で多くの国民が知っている。

言うまでもなく、“虚偽記載”という行為を小沢氏本人が「承知していた」という証言や供述も存在する。しかし、刑事裁判で堂々と自らの主張を展開するのかと思ったら、小沢氏は「違う」のである。

検察審査会の結論に「無効」を訴えて行政訴訟を起こすとは、通常の社会常識を持った人間には、もはや呆れてモノも言えない類いの話と言える。まして小沢氏は国民の負託を受けた政治家である。

昨年の検察審査会法の改正による「強制起訴」の制度は、2001年6月に司法制度審査会の最終意見書に端を発する。

「裁判の内容に国民の健全なる社会常識を生かす」という画期的な文言が入れられ、のちの裁判員制度や、この検察審査会法の改正につながっていった。だが、検察は、有罪率99・8%という数字にこだわり、起訴して無罪になれば「出世の道が断たれる」とまで言われる世界だ。

しかし、国民は、検事の出世などなんの関心もない。あるのは、真相の解明である。刑事訴訟法の総則第一条に「事案の真相解明」が真っ先に謳われているように、刑事事件においては何より真相解明が優先されなければならない。

「これは裁判で負ける可能性がある」と思って起訴を取りやめ、99・8%の有罪率にこだわりつづけるなら、それは検察が起訴独占主義に甘え、国民の「期待」に背を向けていることを意味する。

だからこそ「国民の健全なる社会常識」に照らして、小沢氏は強制起訴となった。小沢氏は、刑事裁判の法廷で事案の真相解明を果たせば、いいのである。それは、同時に小沢氏も政治家としての役割を果たすことを意味するのである。

しかし、小沢氏は、そうした広い意味の政治家としての使命や役割がまるでわかっていない。こんな政治家が権力を握る政党が日本を支配しているのかと思うと、言葉もない。

私が注目するのは、小沢事務所にかつて勤めていた元秘書の存在だ。マスコミの取材に答えて、小沢事務所の実情を伝えてきたこの元秘書の告発内容は極めて価値が高い。

国会にこの元秘書を招致することから私は「第一歩が始まる」と考えている。民主党もくだらない反対など続けていないで、この元秘書と小沢氏の証人喚問を実現させればいいのである。

どちらが虚偽を述べているか、国民の前にすぐに明らかになるに違いない。司法制度改革の意義も、国民の健全なる社会常識を生かすための検察審査会法改正の意味も、小沢氏はもっと真摯に勉強するべきだろう。

少なくとも国会招致ぐらいは、自ら「俺はどこへでも出て行く」と言うくらいの見識があってしかるべきなのである。

カテゴリ: 司法, 政治

いかにして“強大な敵”を倒すか

2010.10.14

パ・リーグのクライマックス・シリーズの千葉ロッテの戦いぶりを見ていると、スポーツにおいて「闘志」と「気迫」、そして「分析力」がいかに勝敗を分ける重要な要素となるかが、よくわかる。

エース清水もいなければ(横浜)、久保もいない(阪神へ)、おまけに頼りの大嶺、唐川という若手エースが故障欠場という最悪の投手陣の中で、成瀬一人といってもいいぐらいのピッチャーを西岡、今江、福浦、サブロー、里崎といったV戦士のベテラン野手たちが支えて勝利をもぎとっているのである。

第1ステージの西武戦では奇跡の逆転劇で延長戦を2戦ともモノにし、今日はソフトバンクのエース杉内を攻略して1勝を挙げた。

西村監督の手腕、恐るべしである。存在する戦力を最大限に生かして戦うやり方は、西村監督の師匠である伝説の打撃コーチ“高畠導宏”そのものといえる。

最後は高校教師となった高畠さんの生涯を描いた拙著『甲子園への遺言』がNHKの土曜ドラマ「フルスイング」として映像化され、反響を呼んだのは2年前のことだ。

私は、高畠さんが亡くなった平成16年に、当時、千葉ロッテのコーチを務めていた西村氏にいろいろ話を伺ったことがある。

高畠さんは、プロ野球界で“伝説の打撃コーチ”と言われる手腕と共に、相手投手のクセ読みや投球パターンの分析に人後に落ちない手腕を発揮した人物であり、西村氏はその愛弟子だった。

自らが首位打者となるまでの高畠コーチとの猛特訓と彼への恩義を語る西村氏には、うっすらと涙が滲んでいた。勝利への激しい闘志と冷静なデータ分析、そして選手への深い思いやりを高畠氏からそのまま「継承した指導者」が、西村監督その人なのである。

短期決戦で投手力が決定的に劣る千葉ロッテは、戦力的には誰が見ても劣勢だ。しかし、短期決戦だからこそ、「闘志」と「気迫」、さらには「分析力」によって、それを克服することが可能だ。

力の劣ったものが、いかにして強大な敵を倒すか。今の千葉ロッテを見ていると、創意と工夫と気力によって、戦後の奇跡の高度成長を成し遂げたかつての日本を彷彿させる。

千葉ロッテがソフトバンクを一蹴した今日の試合は、そんなさまざまなことを教えてくれる貴重な試合だった。

カテゴリ: 野球

日本サッカー“変貌”への予感

2010.10.13

ザッケローニ監督率いるジャパンの試合を2試合見せてもらった。対アルゼンチン戦(1-0)、対韓国戦(0-0)である。

サッカーファンからソッポを向かれ、国立競技場でもジャパンの試合に2万人の観客しか集まらず、サッカー雑誌は売れず、テレビの視聴率もガタ落ちになった岡田ジャパン時代は、サッカー界にとって“悪夢の時代”だった。

チームもバラバラで、岡田監督自身がW杯直前に「監督」の座を投げ出す寸前までいったのは、ほんの今年5月のことだ。幸いに選手たちが自分たちで結束し、土壇場で信じられないような力強さを見せて決勝トーナメントに進出(ベスト16)した。

だが、今回のザックジャパンは、岡田時代とはチームの雰囲気がまるで違う。明るいのである。勝つことに対してただひたすら突き進む――そういうわかりやすいチームに変貌していた。あのW杯の最後に見せた選手たちの結束力が、ザッケローニ監督によって、見事に再構築されていたのだ。

韓国戦では、ペナルティ・エリアでハンドの反則をとらないという誤審のために勝利こそ逃したものの、このチームはこれからとてつもない力を発揮する可能性を見せてくれた。本田圭祐、松井大輔、長友佑都、長谷部誠……等々、過去のジャパンのスターたちの実力を遥かに凌ぐ逸材が揃っている。

これで次第にサッカー熱は復活するだろう。どのスポーツもそうだが、ファンの熱とアト押しこそがそのスポーツの「レベルをアップさせる」最大の要素となる。

悪夢の岡田時代が終わったことを実感したザックジャパンの鮮烈デビューだった。

カテゴリ: サッカー

歴史の闇に埋もれる“戦場の真実”

2010.10.10

いま愛知県の豊橋にいる。昨日は三重県内で戦艦大和の生き残りに、今日は豊橋でサイパンの“玉砕の戦場”から生還した元兵士にお会いした。明日も、戦艦大和の生き残りに愛知県内でお会いする。

連日、高齢の元兵士たちに取材させてもらっていると、自分が同時代に生きていたかのような錯覚を感じることがある。妥協なき殺戮の戦場から生還した老兵たちは、人生の終焉が近づいていることを誰もが自覚している。

それだけにひと言ひと言が重く、しかも多くの示唆に富んでいる。私はひと言も聞き漏らすまいと、必死にノートにペンを走らせるだけだ。

今日お会いした老兵は、「人間というのは生きようと思っても生きられず、死のうと思っても死ねない。運命とは不思議なものです」と、しみじみ語った。サイパン島で米軍の銃弾を身体中に7発も受けながら生き残った奇跡の人だ。

何度も玉砕の戦場から生還する話は、「運命」とか「奇跡」という言葉でもまだ軽すぎる気がする。戦後、摘出手術でこの老兵の体内から出てきた米軍の銃弾も見せてもらったが、目の前の人物が「なぜ生きてこれたのか」奇妙な思いに捉われた。

戦後の日本人は、彼ら老兵たちが語る「真実」と沈黙の中に抱き続けてきた「思い」をどこまで生かしたきたのだろうか。歴史の闇に埋もれる“戦場の真実”を聞きとる私の作業は、明日もつづく。

カテゴリ: 歴史

“タブー”への脆弱さ

2010.10.08

中国で服役中の民主活動家、劉暁波氏(54)に今年度のノーベル平和賞受賞が決まったこの日、中国政府のとった態度は世界を驚かせるに十分だった。

露骨な不快感の表明と、ノルウェー政府への中国外交官の圧力の事実。以前から当ブログでも指摘している通り、中国の“異様さ”が、平和と民主主義を希求する国際社会の理想からいかにかけ離れているかを示している。

中国にとっては、ダライ・ラマの受賞(1989年)と共に、国家の“非民主性”が世界に向かって改めて宣言された事態だった。21世紀の国際社会における最大の懸念材料・中国の「真実」があちこちで明らかになっているのである。

それにつけても、私は、尖閣問題でこの中国政府に譲歩した菅政権の脆弱さを思う。媚びた笑いを浮かべて600人の大訪中団を組織して胡錦涛国家主席に“謁見”した小沢一郎氏の例を俟つまでもなく、民主党には毅然とした中国観を持つ人が決定的に少ない。

一国の政権を担いながら、中国の本質もまるで知らず、尖閣の“体当たり船長”を釈放すれば「コトが決着する」と考えていたのである。

民主活動家を平気で「国家政権転覆扇動罪」で懲役11年で監獄にブチ込む国が、領土問題で日本に牙を剥く時、国家の領袖たる菅直人氏はどう対処するのだろうか。

もはや怖いものを知らない中国が、いつ何をやってきても不思議はない。そんな中で、さまざまな事態に菅政権はどうするのか。そのためのシミュレーションと覚悟は、できているのだろうか。

強いものには尻っ尾を振り、きれいごとに終始し、うわべの正義だけを求めてきた戦後ニッポン。政府もマスコミも、強大な“タブー”に対しては、ただヘラヘラと媚びた笑いを浮かべてきたが、しかし、それだけでは国民の生命と財産、そして領土を守ることができなくなっていることを認識しなければならない。

カテゴリ: 中国

真っ赤な火柱と黒煙

2010.10.07

今日は朝、東京を出て名古屋で駆逐艦「雪風」に乗り組んでいた元水兵(83)にお会いした。

昭和20年4月7日、沖縄への水上特攻で「戦艦大和」が沈没する場面の目撃証言は、息を呑むものだった。真っ赤な火柱が上がり、黒煙がはるか上空まで噴き上がる光景を、老兵は昨日のことのように再現してくれた。

レイテ海戦での激闘も想像以上に凄まじいものだった。雪風は“奇跡の駆逐艦”と称された艦である。何度も激戦をくぐり抜け、ついに終戦まで生き残った。その秘密を老兵は縷々説明してくれた。

老兵たちの生の証言は、文献で読むものとは比較にならない迫真性と衝撃性を持っている。私自身が65年も前に身を置いているかのような錯覚をおぼえた。

明日は和歌山県下で、「戦艦大和」の生還者にお会いする。また新たな迫力ある証言を聞けることだろう。私の“歴史行脚”は時間との戦いでもある。明日、あさって、またその次の日も延々と老兵たちとのアポが入っている。しばらく東京に帰れそうもない。

文藝春秋本誌に連載中の短期集中連載「九十歳の兵士たち」第2回では、「ガダルカナル」「ニューギニア」「インパール」「ルソン」「レイテ」「硫黄島」での陸軍の激闘を描かせてもらった。

来週10日の発売だ。“玉砕の戦場”の真実を語る老兵たちの血を吐くような証言を是非、お読みください。

カテゴリ: 歴史

人にとって「母校」とは

2010.10.06

今日は、母校・中央大学に創立125周年事業の一環としての講演に招かれ、はるばる八王子キャンパスに行ってきた。といっても、私は“前座講演”である。

主役は今年85歳を迎えた藤江英輔さんだ。藤江さんは、中央大学の第二校歌とまで呼ばれる名曲「惜別の歌」の作曲者である。

私は昨年、文藝春秋から「康子十九歳 戦渦の日記」を上梓したが、この中で藤江さんがつくられた「惜別の歌」のことを書かせてもらった。

本の主人公は東京女高師専攻科の粟屋康子さんという女性だが、当時の若者の心情を表わす意味で、どうしてもこの「惜別の歌」誕生秘話に触れたかったのだ。

藤江さんは85歳を迎えても衰えを知らず、「惜別の歌」について淡々と講演をされた。私は、その藤江さんの紹介と、自分なりの当時の若者への思いを語らせてもらった。

講演後、中央大学グリークラブによる「校歌」と「惜別の歌」の合唱があり、藤江さんが彼ら学生たちに対してステージの下から「指揮を執る」という感動の場面があった。

そのあと、私自身も講演を聴いてくれた沢山のOBから励ましの言葉をいただいた。前夜、BSイレブンに出演して1時間にわたって私が話した内容について、「共感した」と大いに励まされた。

どんな時でも応援してくれて、勇気を与えてもらえる場所。それが母校である。私にとって、久しぶりに故郷に戻ったような、ほっとできる1日を過ごさせてもらった。

カテゴリ: 随感

「康子のバラ」がATP賞を受賞

2010.10.04

本日、一本の朗報が入った。映像制作プロダクション128社が加盟する「全日本テレビ番組製作社連盟(ATP)」が選ぶ今年度のATP賞・ドキュメンタリー部門の優秀賞に、昨年夏フジテレビ「ザ・ノンフィクション」で放映された『康子のバラ』が選ばれたのだ。

拙著『康子十九歳 戦渦の日記』(文藝春秋)をドキュメンタリー化した作品である。同賞は、番組制作者たち当事者の選考で決まり、業界でも「権威」と「価値」が高い賞として知られている。

わざわざスタッフが台湾に飛び、今も連綿と咲きつづけている真っ赤なバラを映像に撮り、昭和20年11月にわずか十九歳でこの世を去った粟屋康子さんと彼女を取り巻く戦時下の青春群像を描きだしたものだ。

折しも、私は一昨日に宮城県の村田町、昨日は千葉の八千代台、今日は神奈川県三浦海岸の油壺で太平洋戦争“生還者”の証言を聞きつづけている。

時代の大きな流れの中で、どうにも逃れられない自らの「運命」に従った若者の姿に、私は時を越えて深い感慨を覚えている。過去の出来事や人々の生き方に、現代の人々が心を動かされることは素晴らしいことだと思う。

毅然と生きた日本人が年々少なくなっている今、こういう作品に権威ある賞が与えられることが嬉しい。制作にかかわったフジテレビとドキュメンタリー・ジャパンのスタッフの皆様、心よりお祝い申し上げます。

ちなみに明日(火)午後10時から、私はBSの「BSイレブン」の「インサイドアウト」にゲスト出演し、1時間にわたって「ノンフィクションと特捜検察」というテーマで話をさせてもらうことになっている。

お時間のある方は是非ご覧ください。

カテゴリ: テレビ

日本の穀倉地帯にて

2010.10.01

今日から10月。つい先日までの記録的な熱暑がうそのような爽やかな日本晴れの一日となった。私は、太平洋戦争生還者の証言の取材で、朝一番で東京駅から東北新幹線に飛び乗り、宮城県と岩手県の県境に近い宮城県登米市というところまでやってきた。

新幹線の「くりこま高原駅」で降りて、タクシーを飛ばしながら、稲が黄金色の穂をたれた田園風景に見入っていると、運転手が「どちらからですか?」と聞く。「東京から来ました」と言うと随分、驚かれた。

今年の稲はまあまあの出来だそうで、最近は“ササニシキ”よりも“ひとめぼれ”の方が人気があるらしい。ここ日本の穀倉地帯の代表ともいえる地でも、ササニシキは完全に押されているそうだ。

ここのところ雨にたたられていたそうだが、あと1週間ほどで稲刈りはすべて終わるだろうと、運転手は言う。一面黄金色の“壮観”ともいうべき光景を見ていると、日本が稲作によって成り立ってきた国であることを改めて教えられている気がする。

今日お会いした方は、フィリピンや、ガダルカナル島、あるいはビルマ戦線といった“地獄の戦場”から生き残ってきた89歳の元兵士で、明日は、宮城県南部のさる町で、巡洋艦「愛宕」や戦艦「大和」に通信兵として乗り組み、生還した88歳の老兵にお会いする予定だ。

いずれも90歳に手が届こうとする老兵たちであり、ひと言ひと言が貴重で重みのあるものばかりであることは言うまでもない。

ここのところ朝夕が急に寒くなっており、高齢の方々にお会いするのは、私はなるべく「冷え込まない時期まで」にしようと思っている。

太平洋戦争生還者の証言の取材で、この一年(正確には数年だが)、全国各地を旅して来た。後世に自分の体験した「戦争の現実」を伝えようという老兵たちの執念を感じる取材でもあった。

まだまだ証言を残そうという老兵たちは全国に数多くいる。一人でも多くの「歴史の証言」に私は耳を傾けたい。

カテゴリ: 歴史

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