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穏やかな東京の大晦日

2010.12.31

2010年の大晦日が過ぎようとしている。列島各地で大雪のニュースが飛び交う中、東京は澄みわたった冷気が広がる穏やかな1日となった。

西新宿の事務所からも、遠く群馬の赤城山まで見渡せるほど空気がきれいだった。自動車の排気ガスがない年末年始の東京はこれほど過ごしやすいのか、と改めて感じさせられた。

わが家は毎年、年末年始に故郷の土佐の実家で過ごすのが常だが、今年は次男の高校受験でそれも叶わない。受験生に風邪を引かさないように気をつけながら、このお正月を“静かに”東京で過ごすことになる。

今年1年、さまざまなことがあった。私ごとでは、文庫を含めて4冊の新刊を出したが、どれも少なからず反響を呼ぶことができ、さまざまな方から多くのご意見を頂戴した。

「この命、義に捧ぐ」(集英社)が第19回山本七平賞を受賞したり、あるいは「なぜ君は絶望と闘えたのか」(新潮社)を原作とするWOWOWのドラマ(江口洋介主演)が芸術祭大賞を受賞したり、幸運にも恵まれた1年だった。

来年も、おそらく今年と同じぐらいのペースで新刊を出していくことになるだろうと思う。昨年は「新潮45」、今年は「文藝春秋」で共に連載をさせてもらったが、月刊誌の締切を抱えると、どうしても単行本の取材と執筆にシワ寄せが来るため、その分、新刊本の発行が遅れる傾向がある。

最近、毅然とした日本人の生きざまを描く私の題材への関心が増えつつあることを肌で感じている。忘れられつつある日本人のよさと本来の姿を、私はこれからもしっかり描いていこうと思う。

今年1年、ありがとうございました。そして、来年もますます頑張りましょう!

カテゴリ: 随感

見識ある「国家の領袖」の登場を

2010.12.30

今年も残り2日となった。一昨日、九州出張から帰り、ほぼ年内の取材は終了。あとは、年末年始の休みを利用して次作の執筆に邁進するつもりだ。

今年1年、信念や軸のない民主党政権の迷走で国民は「失望」の連続だった。当初から予想されていた通り、世の中の現実や道理というものを知らない“お子ちゃま政党”民主党が、右往左往し続けて、ついには内閣支持率を20%台まで落として、新しい年を迎えるのである。

だからといって、国民は、再び自民・公明連立政権という悪夢のような政権に戻って来て欲しいとは思っていないだけに、悩みは深い。

今朝の産経新聞の報道によれば、尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件に関して、参院が来年1月召集の通常国会で那覇地検幹部を招致する公算が大きくなったそうだ。

もし、実現すれば、小沢一郎氏の政倫審出席とも合わせ、通常国会は冒頭から大荒れになる。中国人船長釈放の際、官邸サイドから同地検に圧力がなかったかどうか、国民の前で「議論がなされる」のだから当然だ。

興味深いのは、民主党出身の参院議長でありながら、西岡武夫氏が現政権への批判の姿勢を強めていることだ。

西岡議長は中国人船長釈放問題について「地方の検事が判断するということはあり得ない」、あるいは、問責決議を受けても辞任しない仙谷氏を「問責決議を何と心得ているのか」と批判するなど、政治家として「スジを通そうとする姿勢」を全面的に押し出して来ている。

通常国会では、与野党の勢力が逆転している参院が、衆院を押しのけて“国会の主役”になることは確実で、菅政権は次々とボロが出て、窮地に陥っていくだろう。

八方塞がりになった菅総理は、春の統一地方選どころか、破れかぶれ解散に追い込まれていく可能性も残っている。

国民の信頼を失った政権とは惨(みじ)めなものである。来年は民主党政権の断末魔を国民は見届けなければならない年になる。

波乱の年が終わり、さらなる波乱の年が始まるのである。沈没する日本を浮揚させるような見識ある「国家の領袖」の登場は、国民すべての望みなのだが……。

カテゴリ: 政治

雪まじりの雨の中

2010.12.25

この年の瀬に、まだ取材をしている。本日、昼12時半に雪のまじった横なぐりの雨の中を福岡空港に降り立った。晴天の羽田空港を発ったのは朝10時半だったが、今日は、東京より遙かに福岡の方が寒い。

福岡空港で高速バスに乗り換えて一路、久留米へ。午後2時過ぎから、来年上梓する戦争ノンフィクションの取材で、元海軍少尉(89)=予備学生14期=だった人物に、およそ4時間にわたって貴重な証言をいただいた。

引き止められるのをご遠慮し、やっと元少尉のご自宅を辞することができた時、時計は午後6時をまわっていた。すっかり外は暗くなっていた。文字通り、時間が経つのを忘れる熱のこもった歴史証言だった。

90歳になんなんとする太平洋戦争生還者たちの証言の「価値」は重くなるばかりだ。後世に「正確に事実を書きとめて欲しい」という思いが老兵たちを突き動かしているように思う。

今日の元少尉は、福岡高等学校から東大法学部へ進み、学徒出陣によって海軍に入隊した人物だ。学問の場から戦場へ――多くの戦友が特攻で命を落としているだけに、後世の世代である私に“ありのままの事実”を必死で伝えようとしてくれているのである。

神風特攻というのは、美化された面が多分にある。だが、彼ら当事者の証言によって伝えられる苦悩と絶望に満ちた現実は、美化されたものより、遥かに哀しみと感動を湧き起こしてくれる。

明日も飯塚市で元零戦パイロットに取材する。年末年始で時間がなくなくなるのは惜しいが、できるだけ年内に貴重な証言を押さえておきたい。

カテゴリ: 歴史

文化庁芸術祭「ドラマ部門」大賞を受賞

2010.12.21

WOWOWのドラマWスペシャル「なぜ君は絶望と闘えたのか」(主演・江口洋介)が今年度の文化庁芸術祭のドラマ部門の大賞を受賞した。参加作品にはNHKの「龍馬伝」や「坂の上の雲」をはじめ、各局自慢の力作がずらりと顔を揃えた中での受賞である。

原作は、2008年7月に上梓した拙著「なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日」(新潮社)だ。言うまでもなく現在も係争中(被告側が最高裁に上告中)の「光市母子殺害事件」の9年間を描いたノンフィクション作品である。

被告側に21人もの大弁護団がついたり、マスコミ報道のあり方にBPO意見書が出されたり、あるいは死刑制度の是非をめぐって激しい議論が応酬されるなど、大きな社会現象を巻き起こした事件である。

原作には、江口洋介が演じることになる週刊誌デスクは登場しないが、石橋冠監督をはじめスタッフが、ここにデスクを登場させて江口洋介を起用するという脚本を考え、内幕モノのヒューマンストーリーとして描き出したのである。

でき上がったドラマを見た時、週刊誌デスク役の江口洋介さんと、被害者の夫を演じる眞島秀和さんの迫力ある演技に息を呑んだ。絶望の底から這い上がろうとする遺族の苦悩とそれを支える人々の温かさが画面からひしひしと伝わって来たのだ。

私は、広島拘置所にいる元少年には、今年だけで3回面会している。会うたびにさまざまなことを考えさせられている。ドラマを見ながら、多くの人を不幸にしてしまう殺人事件の惨(むご)さに改めて思いを馳せざるを得なかった。

困難なドラマ化に敢えて挑んだスタッフと、それに芸術祭の大賞という栄誉を与えた審査員たち。いやなニュースばかり続くこの年の瀬に、タブーをものともせずいい作品をつくろうとするテレビ界と、それを讃える温かい目に触れ、なんだか私の心もあたたかくなった。

カテゴリ: テレビ

大林宏検事総長「辞任」に思う

2010.12.17

今日の朝刊各紙には、大林宏検事総長(63)が年内に辞任することを決めた、という記事が一斉に掲載されていた。 

大阪地検特捜部の証拠改竄隠蔽事件の責任を取るという。後任は、笠間治雄・東京高検検事長(62)が有力なのだそうだ。

「この検事総長は何だったのか」「情けない」――感想を言わせてもらえば、申し訳ないが私にはそんなものしか出て来ない。

今の検察の迷走をそのまま現わした「当時者能力がまるで欠如した検事総長」だったということだけである。在任わずか半年。検事総長という“地位”だけに満足した「それだけの人物」に過ぎなかったということではなかっただろうか。

私がそんな感想を抱くのも、「この人物を検事総長に据えるために多くの人間がどのくらい苦労したか」ということをどうしても思い出してしまうからだ。

検察官の定年は63歳である。ただし、検察のトップに君臨する検事総長の定年だけは「65歳」だ。

つまり、次期検事総長とされる人物(たいていの場合は東京高検検事長)が63歳の定年を迎える前に、検事総長はその人物に自分の地位(検事総長)を譲らなければならない。

大林氏に検事総長を譲った当時の検事総長・樋渡利秋氏が定年を迎えるのは2010年8月だった。一方、大林氏が63歳の定年が来るのは2010年6月だった。つまり8月に自身の定年を迎える樋渡検事総長が、その2か月前の6月に「大林氏に譲ることができるか」というところにポイントがあった。

私はこれに大いに注目していた。なぜなら小沢問題を抱えて、この時、検察は民主党の小沢グループの激しい揺さぶりを受けていたからだ。

小沢グループを中心に湧き起こっていたのは、「検事総長の民間登用」という主張である。脛に傷を持つ小沢サイドは、検察を牛耳るために検事総長を「自分の思い通り動かせる人物」にすげ変えることを目論み、ざまざまな工作を展開していた。

「民間登用」といっても、実質上、弁護士が就くという意味である。実際にあるヤメ検弁護士の名前が取り沙汰され、その人物は「小沢一派に自分を売り込んでいる」という噂が司法界で盛んに流れていた。

だが、鳩山由紀夫首相(当時)が普天間問題その他で国民の支持を失い、鳩山首相自身が小沢サイドのゴリ押しを受け入れることができなくなった。つまり、検事総長の民間登用の可能性が逆に後退していったのだ。

その末に誕生したのが「大林宏検事総長」だったのである。いわば大林検事総長は、政界に対して検察が「生き残ることができた」象徴だったとも言える。

しかし、大林氏本人の能力については、かねてから疑問の声があった。政界と毅然と立ち向かう姿勢があるとは思えず、実際に小沢事務所の元秘書3人を逮捕しながら、「小沢本人を引っ張ること」に消極的で、捜査の現場から激しい反発を食らっていた。

それでも、小沢氏の息のかかった弁護士が「民間登用」され、すべての疑惑が封殺されるよりは、まだ「ましだった」のである。

しかし、大阪地検特捜部の証拠改竄隠蔽事件が発覚しても、この人は何も手腕を発揮することができなかった。

今や「取り調べの可視化」が当たり前のように話し合われている。しかし、取り調べはテレビのインタビューではない。必死で隠そうとする被疑者の魂を揺さぶって“真実”を炙りだすのが取り調べである。

そんなところにビデオを持ち込んで誰が本音を語るだろうか。どうして被疑者をビデオの前で説得することができるだろうか。

権力者をターゲットにする疑獄をはじめ、取り調べが可視化されることは、イコール「捜査の形骸化」をもたらすことになるのは当然である。

そんな事態で不利益を被るのは主権者たる国民自身なのである。そのことに何の抵抗もできないまま去っていく大林検事総長。私が、「この検事総長は何だったのか」「情けない」という感想しか持てない所以は、そこにある。

カテゴリ: 司法

留まっている時間はない

2010.12.16

今日は、第7代台湾総督明石元二郎のお孫さんである明石元紹さん(76)が事務所を訪ねてきてくれた。拙著「この命、義に捧ぐ」の重要登場人物でもある。

実際の年齢より10歳以上若く見える明石さんは、今上陛下のご学友でもある。「この命、義に捧ぐ」が“第19回山本七平賞”を受賞した際、その受賞パーティ(11月)でもユーモア溢れた絶妙のスピーチをしていただいた。

明石さんにはいつもお願いごとばかりしているが、今回もいろいろ相談に乗ってもらうことにした。次作のことも含め、さまざまな問題で参考になる考えをお聞かせていただいた。

ご意見を聞いて、来年に出す新作も感動的な作品になることを確信した。「歴史を風化させてはならない」ことは誰もの願いだ。

ノンフィクションにとって最大の敵は、時間の壁である。多くの証言者が闇に埋もれたまま、次々と幽明界(さかい)を異にしている。すべてがそうなってからでは、もう遅い。

後悔しないためにも、この年末も、ひたすら私は取材をつづけている。来年はいったい何冊の本が書けるだろうか。

明石さんと話をしながら、次々と作品のヒントが浮かんできた。留まっている時間はない。前進あるのみである。

カテゴリ: 歴史

“悪魔の武器”と北朝鮮

2010.12.13

今日のニュースで最も関心を抱いたのは、12日のCNNの番組にアメリカのブレア前国家情報長官が出演し、北朝鮮の度重なる挑発行為に対して「韓国の忍耐が限界に近づきつつあるとの見解を示した」というものだ。

ブレア氏は、挑発への対抗手段として「韓国が軍事力行使に踏み切る恐れがある」と懸念したのである。ブレア氏の指摘を俟(ま)つまでもなく朝鮮半島における南北激突の事態は、実際に「そこ」まで迫っている。

小沢一郎氏の政倫審への出席問題をめぐる民主党内のレベルの低い争いを見ていると、「そんなことをしている場合か」という思いがこみ上げてくる。

しかし、同じことを私は菅政権に対してだけでなく日本国民全体に対しても問いたいと思う。常にその時々の「現状」だけに右往左往するだけで、われわれ日本国民は許されるのか、という思いである。

北朝鮮が瀬戸際外交を繰り広げ、その度に資金的あるいは食糧という“人道援助”を勝ち取るサマを私たちは延々と見つづけた。

今回は後継者キム・ジョンウンの登場も相俟って、北朝鮮はこれまでの挑発行為とはレベルの違う軍事行動に出て来た。

しかし、これは「今だからまだ許されている」ということをどのくらいわれわれ日本国民は認識できているだろうか。

想像してもらいたい。核開発までにひたすら“時間稼ぎ”をおこなっている北朝鮮が、その「目的を達した時」にどうなるか、ということだ。

それは、「北朝鮮が核開発を完了し、核弾頭の小型化と起爆装置の開発を終えた時」のことである。その時、果たしてどういう事態が生まれるか、私たち日本人は想像してみたことがあるだろうか。

核弾頭がテポドンに搭載できるほどの「小型化」がはかられ、そして、着弾した時に「きちんと作動する起爆装置」が開発された事態のことである。

その“悪魔の武器”を北朝鮮が手に入れた時、日本とはどういう“力関係”になるだろうか。あの狂気の国家による数々の脅迫行為に日本は耐えられるだろうか。

つまり、北朝鮮が悪魔の武器を手に入れた瞬間、もはや東アジアの国際情勢はそれまでとはまったく「異なるものになる」ということである。

今回の北朝鮮の軍事行動を機に、どういう意識をもってこの事態に対応すべきなのか、これまでと同じ「危機感の欠如した」先送りの対処法だけは許されないのである。

しかし、小沢問題のみに右往左往する菅政権にそんな危機意識などあるはずもなく、国会関連のニュースを見ながら、私には、ただ深い溜息がこみ上げてくるだけである。

カテゴリ: 北朝鮮

生きた「刑事法廷」の時代へ

2010.12.11

注目の鹿児島での老夫婦強殺事件の裁判員裁判で検察の「死刑」の求刑に対して、昨日、「無罪判決」が出された。検察側が犯行の決め手の証拠と主張した現場の指紋や掌紋、DNA鑑定について、いずれも「犯人であることを断定するには至らない」とされたのだ。

それは、99・8%を誇った日本の刑事裁判の有罪率が崩れた瞬間でもあった。官僚裁判官と検察とのなれ合いとも言うべき「世界に類例を見ない高い有罪率」は、裁判員たちには「通じなかった」のである。

この判決を聞いて、私には「生きた刑事法廷」という言葉が浮かんだ。今回の裁判で、私が注目したのは「この証拠で果たして死刑判決が下せるのか」という点だった。検察側の自信とは裏腹に、被告の犯行とするには「合理的な疑い」が次々と浮かぶ不十分な立証について、である。

老人を執拗に殴打しつづけた“憎悪の犯行”に対して、検察は被告の恨みを何ひとつ証明できず、金銭目的とされながら、金目のものは現場に残され、しかも、被告が強盗殺人をしなければならないほど切迫した経済的困窮状態にはなかったことが法廷で明らかにされていった。

それでも、これまでの官僚裁判官制度のままなら、判決は「死刑」となった可能性が高いだろう。99・8%の日本の過去の驚異的な有罪率はそれを示している。

“官”同士である裁判官と検察官には、お互いがお互いを「尊重する」という奇妙な連帯心理が存在する。

裁判員制度に付随した「公判前整理手続」がスタートする以前は、検察は証拠を恣意的に法廷に出したり、出さなかったりすることが可能だった。

つまり、検察は犯行の立証に不利な証拠は法廷に提出しなくてもよかったのである。それを支えたのが官僚裁判官による“有罪を前提にした”訴訟指揮だ。

官僚裁判官が99・8%の驚異的な有罪率を維持するためには、検察サイドが提出した「検察にとって都合のいい証拠」に寄りかかればそれでよかった。それ以外の証拠の申請を弁護側がやってきても、法廷の全権を握る官僚裁判官である自分が“却下”すればそれで済んだのだ。

しかし、公判前整理手続のスタートによってそんな恣意的な法廷運営は許されなくなった。捜査当局は、要請されれば「類型証拠」と呼ばれるすべての証拠を公判前整理手続の場に悉く提出しなければならなくなったのである。

これは、捜査にあたった警察官の警察手帳からメモ類に至るまで、すべての提出を「求められる」もので、弁護側にとっては「冤罪を防ぐ」ためには実に大きな意味を持つものである。

今回の裁判での焦点は、侵入口とみられる掃き出し窓の網戸から細胞片が採取され、そのDNA型が被告のものと同一と鑑定され、現場で採取された指紋・掌紋のうち11点が被告のものと特定されたことを「どう見るか」だった。

しかし、凶器のスコップからは被告の指紋も出ず、ほかに検出された指紋・掌紋への検証もきちんとおこなわれてはいなかった。

100回を超えるスコップによる激しい殴打は、犯人の強い恨みを感じさせるが、71歳の被告の体力的な問題など、検察は弁護側が提示する疑問点に明確な答えを導き出すことができなかったのである。

この検察側の不完全な立証で、裁判員たちが最後に辿り着いたのは「疑わしきは被告の利益に」という刑事裁判の大原則にほかならなかった。

裁判員制度が始まる前に、反対論者たちは「素人の判断で冤罪が増える」と口々に唱えていたことを思い出す。だが、今回の判決で、実際には最初から「有罪」と結論を決めて、長く99・8%という驚異的な有罪率を維持してきた官僚裁判官より、よほど一般国民である裁判員たちの方が“公正中立”であったことが明らかになったと言える。

日本の刑事裁判は、これまでの官僚裁判官時代と異なり、「生きた法廷」となったのである。結論(判決)は予想もつかず、それぞれの裁判員たちが真剣に評議を展開し、虚心坦懐に目の前の事案を判断する本来の刑事法廷の時代がついに「日本にやって来た」のである。

カテゴリ: 司法

開戦記念日に思う「官僚」の驕りと怠慢

2010.12.08

今日は、太平洋戦争開戦の記念日だ。69年前の今日、日本海軍はハワイの真珠湾を奇襲し、日米の戦端が開かれた。

私は今年、文藝春秋での短期集中連載を含め、90歳を前後する老兵たちを40人以上取材させてもらった。大正生まれの兵士たちが私に伝えてくれた凄まじい気迫と闘志に、取材の途中で何度も息を呑んだものだ。

玉砕の戦場で命を落としていった彼らの姿を思うと、後世の人間として胸が痛くなる。特に、学徒出陣によって学問の世界から殺戮の地に身を投じざるを得なかった彼らの無念はいかばかりだったか、と思う。

それと共に、開戦にあたって外務省が犯した致命的失態も忘れてはならないと思う。日本がアメリカに敗れた原因のひとつとしてワシントン大使館による「対米通告遅延事件」があるからだ。

結果的にアメリカへの通告が1時間遅れたことで、真珠湾攻撃は“不意打ち”となり、その卑怯な方法がアメリカ国民の怒りを爆発させたことは周知の通りだ。

すでに明らかになっているように、それは日本のワシントン大使館員の“怠慢”という名の大失態によるものだった。

東京の外務省はこの時、覚書を14通の暗号電報に分け、最初の13通は前夜までに大使館に到着させている。しかし、「交渉打ち切り」を宣言する最後の覚書(14通目)は機密保持のため翌朝到着とした。

驚くべきは、当のワシントン大使館員たちの緊張感のなさである。後に出世して事務次官に上り詰める奥村勝蔵首席一等書記官は、タイプによる清書をせずに大使館を出て、そのまま寺崎英成一等書記官の南米転勤の送別会に出席している。

事務総括だった井口貞夫参事官(彼ものちの事務次官)も同様だ。わざわざ解読作業をおこなっている若手の外交官たちを誘って寺崎氏の送別会へ出かけている。

翌7日(アメリカ現地時間)は日曜日だ。朝、14通目の「最後通牒」を受けても大使館員は教会に礼拝に出かけるなど、慌てる様子もなかったという。

奥村書記官が先に到着した13通のタイプをスタートさせたのは、午前9時頃からだったと言われる。そして、すべてのタイプが完了したのは午後1時50分頃。野村吉三郎、来栖三郎両大使がハル国務長官に対して、交渉打ち切り通告文を手渡したのは、その30分後の午後2時20分のことだった。

だが、その約1時間前の午後1時25分に、すでに日本海軍は真珠湾攻撃を開始しており、対米通告は「間に合わなかった」のである。ちなみに、命令で指定されていたアメリカへの「通告時間」は、午後1時だった。

一連の経緯の中で際立っているのは、大使館員たちのノー天気ぶりである。ハル・ノートによって日米開戦は不可避とまで言われていたまさにその時、当のワシントンの大使館員たちに“使命感”も“危機感”もまるで感じられない。ただ駐在外交官として「目の前の生活を楽しむ」ことしか考えていないかのようなのだ。

しかも、この大失態に対する徹底検証はおこなわれず、責任問題を不問に伏したまま奥村・井口両氏は、経歴に傷がつくこともなく、のちに外務省で最高の出世を遂げている。

いつの時代も、官僚には“驕り”と“怠慢”という言葉がついてまわる。省益や局益のみに奔走し、国民の奉仕者であることを忘れた官僚たちの真の姿を、日米開戦のこの記念日にもう一度、思い起こしておく必要があるかもしれない。

カテゴリ: 歴史

裁判員制度の本来の意味とは何か

2010.12.06

アメリカから無事、夜遅く帰国した。サクラメント空港が濃霧で飛行機の離発着ができなくなり、急遽、ユナイテッド航空がサンフランシスコまで私たち乗客を「バス」で運び、ぎりぎり成田行きの国際便に間に合った。

霧で視界が100メートルもないハイウエイを、バスが “命がけ”の高速で突っ走るという貴重な経験だった。明日(6日)はTBSのNスタにコメンテーターとして出演することになっているので、内心ヒヤヒヤした。

それにしても有意義なアメリカ取材だった。90歳前後の日系人、中には100歳を越えて矍鑠(かくしゃく)としている老人にも取材させてもらい、彼(か)の地での日系人たちの苦難の歴史の一端に触れさせてもらった。次の作品も、感動のノンフィクションになりそうだ。

成田に着いたら、今日の産経新聞朝刊の3面に顔写真付きで私の原稿が掲載されていた。先週に寄稿したものだが、予想以上の大きな記事になっていた。

「“相場”排し 目覚めた法廷」というタイトルで、裁判員裁判の本来の意義をこれまでの官僚裁判官制度と比較して私なりに論じたものだ。

形骸化され、儀式(セレモニー)化された日本の刑事法廷が確実に変わりつつあることを私は原稿の中で詳しく書かせてもらった。

光市母子殺害事件の被害者の夫である本村洋さんら、多くの人々が流した血と涙によって、今の裁判員制度が導入されたことをわれわれ国民は忘れてはならない。

明日以降も、裁判員裁判では難しい判断が迫られる案件が目白押しだ。しかし、それぞれの法廷でどんな判決が導き出されるか、まったく予想がつかない。

官僚裁判官が長い間、培ってきた“相場主義”という司法の悪弊が「打破されつつある」ことを私は実感している。


カテゴリ: 司法

悲劇と感動の日系人物語

2010.12.05

サクラメントでの取材が続いている。昨日は、当地の本願寺別院に集まった日系人およそ100名を前に、私の取材している内容について話をさせてもらい、情報を求めた。

何人かが貴重な証言をしてくれた。さらに午後からは当地の「SAKURA GAKUEN(桜学園)」に通っていた老婦人たち3名を取材した。

差別と偏見と戦いながらも、楽しかった戦前の日々を語る2世の老人たち。日系社会が第2次世界大戦前にアメリカの地で、しっかりと根をおろしていたことがわかる。

取材の途中で寄った市の中心部を流れるサクラメントリバーには、客船が停泊していた。こんな内陸まで川を客船がさかのぼってくるなど、日本ではとても考えれられない。聞けば、貨物船はさらに上流までのぼっていくという。

日本とは「国の規模が違う」ことをこのカリフォルニア州の州都は、日本からの訪問者に語りかけてくれる。

初めて同地を訪れた明治生まれの日系1世たちは、見るもの聞くものすべてに度肝を抜かれたに違いない。

まじめにこつこつ働くことだけで信用を勝ち取っていた日本人たちが過ごした当時の日本人街も、今ではビルが建ち並んでかつての面影はない。

ここから戦前に日本に戻り、そして戦争に巻き込まれていった日系の若者たち。その悲劇と感動の物語を私は後世に残さなければならない。

カテゴリ: 歴史

雨のサクラメントに

2010.12.03

雨のサクラメントにやって来た。カリフォルニア州の州都なのに、意外なほどこじんまりした歴史都市である。

明治の昔から多くの日系移民がこの地に降り立ち、新生活をスタートさせた。今回、私が描くのは、この地で大正10年に生まれた日系2世である。

夕方には、日系移民の歴史に詳しい大学の教授を取材し、明日はいよいよ関係者めぐりとなる。取材も佳境を迎えている。

それにしても凄まじい人種差別の中、日系移民が辿った悲劇の歴史には溜息が出る。特に、時代に翻弄され、戦争の渦に巻き込まれていく日系の若者の姿は哀れというほかない。

この地の戦前の出来事を詳しく語ってくれる大学教授の話を聞きながら、有色人種がこの“自由の国”で被った多くの悲劇に思いを馳せざるを得なかった。

カテゴリ: 歴史

日系人が歩んだ苦難の歴史

2010.12.02

メンフィスからオックスフォード、そしてメンフィス……通訳をお願いしている田中さんの借りてくれたRV車で、往復200キロ近い道のりをすっ飛ばして取材に行ってきた。

86歳のご老人は、奥さんとお嬢さんと共に、私を自宅で待ってくれていた。3時間余にわたる取材だった。昭和20年4月に亡くなった零戦パイロットであるお兄さんのことを生き生きと語ってくれた。

ご高齢ゆえに記憶の曖昧なところも多少はあった。しかし、戦前、戦中、戦後の日系人が歩んだ苦難の歴史を誇張をまじえることなく氏は淡々と話してくれた。

子孫を残すこともなく、わずか23歳で“非業の死”を遂げた兄の短かかった生涯。どうにもできない時代の流れの中で、自らの運命を淡々と受け入れた当時の若者たち。彼らの胸中を知るために、貴重な証言だった。

取材後、メンフィスに戻った私たちは、エルヴィス・プレスリーの故郷でもあるこの地で、彼の名を冠したレストランで食事した。

今回の訪米の大きなヤマをひとつ越えた。貴重なノンフィクション作品となりそうだ。明日は、デンバー経由でカリフォルニア州のサクラメントに飛ぶ。

カテゴリ: 歴史

シカゴ、そしてメンフィスへ

2010.12.01

成田から、はるばる15時間もかけてアメリカ南部の町・メンフィスにやって来た。かのマーチン・ルーサー・キング牧師が暗殺された地でもある。

シカゴで国内便に乗り換えたが、雨まじりのシカゴは、気温わずかに1度。東京とは比較にならない寒さだった。

シカゴからさらに2時間弱飛行機に揺られて着いたメンフィスは南部の町なので、勝手に「暖かい」と想像していたが、予想は見事に裏切られた。

シカゴほどではなかったものの、それでも気温3度で、東京より随分寒い。明日は、メンフィスから車でミシシッピ州のオックスフォードに向かう。およそ1時間半ほどの道のりだ。

目指す取材相手は、86歳の“歴史の証言者”である。ノンフィクションの宿命ともいえる“時間の壁との闘い”は待ったなしである。是非、有意義な取材になって欲しい。

カテゴリ: 随感