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反骨の女流作家の「死」

2011.02.04

昨2月3日は「通化事件」の65回目の記念日だった。通化事件と聞いて、すぐ答えられる人はよほどの満洲通である。

昭和21年2月3日、八路軍(中国共産党軍)に占領されたかつての満洲国・通化省の通化市でおこなわれた日本人の蜂起と、その後に惹起(じゃっき)された八路軍による日本人居留民に対する虐殺事件である。

犠牲者の数は2千人とも3千人とも言われるが、正確な数はいまだにわからない。無条件降伏と関東軍の崩壊によって治安と秩序が崩壊した満洲で、終戦後、多くの日本人居留民たちが集結してきたのが、朝鮮との国境・鴨緑江にほど近い東辺道と呼ばれた地域の中心都市・通化市だった。

ここでおこなわれた虐殺の実態や日本人居留民たちの蜂起の有様は長く秘密にされてきたが、これを「藤田大佐の最後」(文藝春秋)、「電灯が三回点滅した」(エイジ出版)という2冊の本によって全貌を明らかにしたのが松原一枝という女流作家である。

私はジャーナリストになったばかりの二十代前半、通化事件を調べていたことがきっかけで松原さんと知り合った。私の伯父は、この通化事件で命を落とした日本人の一人でもある。だが、ほかの犠牲者たちがそうであったように、遺体も遺品も何もなかった。

いかに苛烈な事件であったかが窺えるが、そのため、地元高知の伯父の墓には、「何も入っていない」という状態が戦後長く続いていた。謎の事件として歴史の彼方に追いやられていたこの事件は、前出の松原さんの著作2冊によって、全容がほぼ解明されたが、それでも墓には「何もなかった」のである。

私は、通化事件の話を伺いに、当時、世田谷の梅ヶ丘に住んでおられた松原さん宅に何度もお邪魔した。個人的にも大変お世話になり、その後、私が結婚し、家庭を築いた後も、さまざまな面でサポートしていただいた。

旺盛な執筆意欲は衰えることなく、94歳となった昨年も新潮新書から「文士の私生活 昭和文壇交友録」を出版し、その2年前の92歳の時にも「幻の大連」を新潮新書から出版して話題になった。生涯、事実を徹底的に追及するジャーナリストでもあった女流作家だ。

松原さんは、ちょうど満95歳の誕生日となった1月31日に心不全により亡くなった。昨年暮れに病院に夫婦で見舞いに行かせてもらったのが最後になった。

亡くなった翌日、線香をあげさせてもらいに伺ったが、今にも起き出してきそうな様子で横たわっておられる姿を見て、生涯、文筆の道を貫いた「95年の人生」に思いを馳せた。

時代が移り、価値観も変貌し、それぞれの時代に迎合して右顧左眄しながら世の中を泳いでいくジャーナリストや作家は多い。そんな生き方とは無縁の女流作家の生涯だったと思う。

松原さんと知り合ったことをきっかけに、私は伯父の死の状況を事件の生き残りから探り出して「死んだ場所」を特定した。昭和59年2月、厳寒の早暁、25歳になっていた私は、当時まだ未開放地区だった通化市に人民服姿で潜入し、伯父の死んだ場所の「石」を持ち帰った。いま故郷土佐の伯父の墓に入っているのは、私がその時、日本に持ち帰ってきた通化の「石」だけである。

多くの悲劇を生んだあの戦争が遠くなりつつある。貴重な歴史の証言者が確実に喪われているのである。私が「立ち止まっている」わけにはいかない。そのことを思い起こさせてくれた反骨の女流作家の「死」だった。

カテゴリ: 歴史