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見ごたえあった優勝候補「日大三vs明徳義塾」の激闘

2011.03.25

今日の甲子園の優勝候補同士の激突「日大三vs明徳義塾」の試合は見ごたえがあった。おそらく今大会屈指の試合ということになるのではないだろうか。

共に甲子園で優勝経験を持つ高校球界の名将・小倉全由(日大三)と馬淵史郎(明徳義塾)両監督の対決でもあっただけに試合は終始、緊張感に包まれた。

結局、勝敗を分けたのは、球運と微妙な采配の差だった。147キロの吉永健太朗投手に、明徳はしぶとく食い下がった。徹底した自慢の選球眼を駆使して、吉永を追い込み、一時は4対1と3点差をつけた。

だが、昨年、春の決勝で興南に延長戦の末に勝てる試合を落としている小倉監督の優勝への執念は並々ならぬものがあった。明徳のエース・尾松義生の武器である落ちるスライダー、スクリューボールの制球が悪く、微妙に内側に入って来たところを日大三打線が見逃さなかった。

中盤以降、日大三がこれらの球を狙い撃ちに来ているのに、馬淵監督は、尾松にストレート主体のピッチングへとチェンジさせることができなかった。その微妙な采配の差が、5対6という最後の「1点差」に現われた。

明徳にとって痛かったのは、6回のピンチランナーの起用である。タイムリーを打った5番バッターになぜか代走を送ってしまったのだ。まだ中盤である。5番に代走を送ったそのツケは8回に現れた。

日大三が守備の乱れで崩れそうになった時、チャンスでめぐってきたその代走選手の「初めての打席」で、スクイズを失敗(キャッチャーフライ)して、好機を逸してしまったのである。

「甲子園初戦19連勝」というとてつもない記録を持つ馬淵監督。監督になって甲子園の初戦で「負けたことがなかった」馬淵監督にしては、首を傾げる采配だった。

初めての初戦敗北。しかし、これが因縁というものだろうか。今から24年前の1987年、明徳は馬淵監督がまだコーチだった頃、一度だけチームとして初戦敗北を喫したことがある。その時の相手が関東一高で、監督はのちの日大三の監督となる小倉全由その人だった。

明徳を破った24年前の関東一高は、そのまま下手投げの平子投手と大型捕手・三輪のバッテリーを軸に勝ち進み、準優勝を遂げている。甲子園とは、いつもながら不思議な因縁に驚かされる場所なのである。

苦戦の末の初戦勝利で、大会の興味が圧倒的優勝候補・日大三を「次に追い詰める」のはどこか、というものに移ってきた。

カテゴリ: 野球