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炎熱の「7月」を前に

2011.06.30

明日から7月である。6月最後の日となった東京は今日も暑かった。昨夕、宇部空港から帰京した私は、事務所のたまった仕事に忙殺された。

今回の出張では、和歌山、山口、宇部の3か所で講演をさせてもらったが、今の政治のあり様を嘆く人が多いのに驚いた。この怒りは、来たるべき総選挙で巨大なマグマとなって噴き出すに違いない。

菅さんは、やはり“脱原発選挙”をお考えのようだが、どんな手を講じようと、今の与党が大惨敗を喫することは確実だ。制度が違うので一概に比較できないが、完全小選挙区制の1993年のカナダ下院選挙では与党の進歩保守党がたったの「2議席」しか獲得できず、169議席を誇った改選前の勢力が一挙に“壊滅”した。

首相のキム・キャンベルすら落選するという敗北は、菅さんが総選挙を強行した場合の自身の姿を想像させる。日本でも国民の怒りがそこまで大きいことを菅さんは知るべきだろう。その声は地方へ行けばすぐ聞くことができるのだ。

もうひとつ今日、注目していたのは、消費電力の数字だ。私の事務所でも来客があったので、さすがに冷房をつけさせてもらったが、午前中の段階で、東京は電力消費量が90%を突破していた。 明日も90%を超えるのは確実だろう。

いよいよ7月入りで、当初の懸念通り、計画停電が現実味を帯びているのである。東京の都市熱の不快さは、世界でも有数だ。湿気の多さと、コンクリートの照り返しによる異常気温は、もはや人間の生きていける空間でないレベルにまで達してきている。

7月は甲子園の予選の月だ。3年近い努力の成果を高校球児がグランドに思いっきりぶつける季節である。どうせ流れる汗なら、この際、屋内ではなく、炎天下で声を枯らしながら球児を応援する汗を流すようおすすめする。

カテゴリ: 政治

次のポイントは「解散総選挙」

2011.06.27

昨日、単行本原稿を入稿し、和歌山にやってきた。こちらで講演を頼まれていたからである。明日は山口で講演があり、そちらに向かう。

夜、ホテルでテレビのスイッチを入れたら、菅直人首相の記者会見が映っていた。自民党に手を突っ込み、浜田和幸参院議員に離党届を提出させ、「総務政務官に就かせる」という仰天の手を使った末の会見である。

5年前に女性キャスターとの不倫が写真週刊誌に報じられて役職を辞任した細野豪志・首相補佐官が新設の「原発事故収束・再発防止担当相」に就任するなど、菅首相は、世間の退陣要求に敢然と立ち向かうつもりのようだ。

会見では、退陣の時期について「第2次補正予算の成立」「再生可能エネルギー法案の成立」「特例公債法案の成立」がメドになると言ってのけたが、いやはや、さすがにここまで開き直ると、野党どころか当の民主党執行部さえ言葉を失っている。

すでに報道でも出始めているが、菅首相は延長国会の会期末に「解散総選挙」を狙っているフシがある。原発廃止を争点に「最後の勝負をかける」というわけである。

国民は唖然とばかりはしていられない。このヒトの地位への執着の度合いはもはや尋常なレベルではないからだ。ことここに至っても、誰もその首に鈴をつけられないのである。これで、参院で野党が首相の問責決議案を出してくるのは確実だし、それが議決されて以降は、国会が空転状態に入っていくだろう。

空転が続けば、その段階で菅首相は「解散総選挙」に踏み切る可能性がある。要は、復興への道筋がつかないまま、さらに言えば、誰からもソッポを向かれているのに、首相のワガママに国民は延々とつき合わされるのである。

人間はなぜそこまで地位に執着できるのか。恥というものを知らない人間が、最後はどうなるのか。国民は、「人間研究」の上で極めて興味深い材料を得ている。いや、そうでも思わなければ、とてもテレビに映るこのヒトの顔を見てはいられないのではないだろうか。

カテゴリ: 政治

新聞まで指摘する「宰相不幸社会」

2011.06.24

ここまで来ると見事なものである。早期の退陣は必至と見られていた菅首相が衆院本会議で70日間の会期延長を実現し、8月一杯までの「続投」を自らつくり上げた。

さすがに読売新聞も「“最小不幸社会”を目指したはずなのに、“宰相”による不幸社会に陥ってしまっている」と呆れ、「求心力を失った首相が居座る限り、官僚機構は動こうとせず、与党でさえまとまらない」と公然と政権批判を社説に掲げている。

他人を見て嗤うのはたやすいが、「人間の出処進退」とは、それほど難しいものである。私自身も四半世紀にわたってサラリーマン生活をした経験があるため、地位に執着する“菅直人型”人間を数多く見て来た。実力がない人間に限ってその傾向が強いのは間違いない。

しかし、ことは一民間企業の中の話ではなく、国家の領袖をめぐるものである。震災に対してなんの手立てもなく、ただ会議だけを立ち上げてきた菅首相は、次の総理が自分のやったことを反故にするのを「異常に恐れている」のである。

震災復興会議などは、菅首相がその地位を下りた途端に、誰も見向きもしなくなるだろう。さらに言えば、震災の地を復興させることさえ他人まかせにしてしまう御仁が、会期を70日延長して、何かができるとは国民の誰も思ってはいない。ただ停滞の期間がつづくことに被災者たちも怒りを通り越してあきらめ顔なのである。

さて、当方も締切に追われ、ブログさえ更新できない状態がつづいているが、どうやら脱稿の目処が立った。8月刊行の単行本600枚である。菅首相の粘り強さを「参考に」、私もなんとか粘り腰を発揮した。

そんな中で、真珠湾攻撃やミッドウエー海戦などに参加した元兵士に会うために、一昨日は急遽、新幹線に飛び乗って長野まで行ってきた。昨日も、今日も、そしておそらく明日も、徹夜になるだろう。憑かれたように、ひたすら私はパソコンに向かっている。

見えて来た「仕上げ」のために、あとはラストスパートをかけるのみである。菅首相も8月一杯まで続投するつもりなら、見事なラストスパートかけてみたらいかがか。誰も期待はしていないが。

カテゴリ: 政治, 随感

不快な民主党幹部たちの言動

2011.06.18

ひたすら徹夜で原稿を書き続けている。8月刊行予定の太平洋戦争関連の本である。大正100年にあたる今年、戦争で200万人以上が命を落とした大正生まれの若者の無念と潔さ、そして使命感を後世に伝えるための作品だ。

なんとしてもいい作品に仕上げたいと思う。昨今のさまざまなニュースについて、ブログで書きたいと思うが、さすがに徹夜つづきでそれも叶わない。しかし、今の民主党首脳部の動きには、国民も呆れてモノが言えないのではないか、と思う。

本日、民主党の岡田克也幹事長ら執行部は、菅直人首相に早期退陣を迫り、その辞任時期を明らかにするよう求めることに決めたそうだ。さらに、首相が拒んだ場合、岡田氏は「刺し違えて」、自らの辞任と引き換えに首相を説得するのだそうだ。

はあ? と溜息が漏らす国民は少なくあるまい。あの内閣不信任案否決の後、早期退陣を否定し、永田町に不信と失望を湧きたたせた当事者である岡田氏が、今度は「刺し違えてでも首相を辞任させる」というのだから、これはもう呆れない方がおかしい。

それだけではない。民主党の玄葉光一郎政調会長が自民党の石破茂政調会長に「3党合意を成立させて、それでも首相が辞めないと言ったら私が辞表を出す」と言ったのだそうだ。菅首相退陣の流れが不可避であることを嗅ぎとった政治家たちが「勝ち馬」に乗ろうと、自分たちのボスを「見限った」のである。

岡田氏に至っては、「これから暇になるから、よろしくお願いします」と自民党幹部に軽口さえ叩いているという。いつもながら、彼ら底の浅い政治家たちの行動や言論は本当に不快というほかない。

大震災でも発揮された使命と責任感に忠実な日本人と、この民主党の幹部たちの行動はあまりに次元が違い過ぎる。現在の日本を築き上げる礎となって死んでいった若者の姿を書きとめる作業に没頭しているだけに、私は今、それを余計、感じてしまうのかもしれない。

カテゴリ: 政治

大学野球に「新時代」が来る

2011.06.12

今日の全日本大学野球選手権決勝戦は、見ごたえがあった。さまざまな面で興味深かったが、私は両ベンチの“采配”という点で特におもしろかった。

結果的には、延長10回裏、東洋大学が1番小田裕也のツーラン・ホーマーで、3対1とサヨナラ勝ちした。大学球界ナンバー・ワン左腕、東洋の藤岡貴裕が慶応から12三振を奪い、ヒットわずか5本、失点1に抑えて、大学選手権2連覇を果たしたのだ。

しかし、この試合、普通なら「東洋は慶応に負けていた」と私は思った。もちろんチームの戦力的には東洋が上まわっている。しかし、監督の采配がまるで違っていたのである。

決勝に来るまで、苦戦を続けながらも、慶応は、竹内大助、福谷浩司、山形晃平という3投手を中心に、ピッチャーの疲労度を考えて戦略を立ててきた。そして、決勝の今日のマウンドでは、一番調子のいい福谷を先発させた。

六大学のリーグ戦では、抑えにまわっていたピッチャーを決勝の大舞台に「先発させた」のである。福谷は江藤省三監督の期待に応え、キレのあるストレートとスライダーを武器に、見事に東洋打線を抑えていた。

一方の東洋はどうか。大会の初戦からエース藤岡を先発させた高橋昭雄監督は、優勝するまでの4試合すべてに藤岡を登板させた。今日の決勝を含め、そのうち「3試合が先発」である。

初回のマウンドに上がった藤岡の顔を見て、私は驚いた。投げる前から、隠しようのない疲労が出ていたのだ。口で息を吐く藤岡のようすを見て、私は「この試合が、藤岡の選手生命に影響しなければいいが」と思った。

左腕から繰り出す最速153キロの快速球と落差のあるフォーク、キレのあるスライダーを武器にする藤岡の日頃の投球は今日、まるで見られなかった。ただプロ注目のライバル慶応の4番打者、伊藤隼太にだけは、目の色を変えて厳しいボールを投げ、これを抑え込んだ。

だが、ほかの打者には、ストレートがせいぜい140キロ台前半で、中盤には130キロ台にまで落ちていた。それでも、さすがの投球術で、藤岡は慶応打線を封じた。

しかし、肉体は正直だ。中盤から汗をだらだら流し始めた藤岡は、延長10回表のマウンドでは、ついに軸足である左足が痙攣のような状態を呈したのである。

明らかに疲労によるものである。足にそこまで「来ている」というのは、肝心の肩がどうなっているのか、ファンは心配でならなかっただろう。

私は、3年前の第38回明治神宮野球大会決勝の東洋大学対早稲田大学の試合を思い出した。この大会でも、高橋監督は、当時の絶対的エース・大場翔太(現・ソフトバンク)に3日連続の先発を課し(すべて完投)、優勝を遂げた。この時も、大場は斎藤佑樹を擁する早稲田大学との決勝戦で、疲労から普段の球のキレを失っている。

それでも「優勝する」ところが東洋のエースたちの凄さといえば凄さである。だが、休むところはきちんと休ませ、うまく投手陣をまわしながら、優勝を遂げるところにこそ、監督の手腕があるはずだ。選手生命を危うくするような采配は、いくら大学野球の監督でも許されない。

その意味で、戦力は劣りながら、「あわや」というところまで東洋に食らいついた慶応の采配(私は、これを“ベンチ力”と呼ぶ)が、東洋のそれを1枚も2枚も上まわっていたことは確かだ。

この春のシーズンの東京六大学の優勝がかかった対明治大学戦でも、慶応の江藤監督は“我慢”と“頭脳”の采配で失うはずの勝利を見事、ものにしている。慶応との連戦でエース野村祐輔を酷使して、ついに疲労で調子を崩した野村を慶応は最後に見事叩いて、六大学の優勝を事実上、決めたのである。

今年の大会では、東京国際大学を準決勝まで勝ち上がらせた元広島カープの古葉竹識監督の手腕も話題になった。やはり、プロ野球の指導者はさまざまな面でアマチュアとはレベルが違うことを感じさせてくれる。

元巨人の高橋善正氏が中央大学の監督を務め、澤村拓一(巨人)をはじめ好投手を次々と育てているのは周知の通りだ。その手腕を見て、昨年の甲子園の春夏連覇、興南の島袋洋奨投手が中央大学野球部の門を叩いたのも記憶に新しい。

大学球界に今後も、プロ出身者の指導者が生まれる可能性は極めて高い。また、その方が指導を受ける選手たちにとってもプラス面が大きいだろう。アマチュア出身の指導者の奮起を促すと共に、大学野球界に「新時代」が来ることを感じさせてくれた決勝戦だった。

カテゴリ: 野球

「蒼国来」を復帰させないと日本相撲協会は大変なことになる

2011.06.10

あまり大きく報道されなかったが、昨日6月9日、東京地方裁判所で蒼国来の地位保全の仮処分申請の第3回審尋があった。

ここで驚くべきことがあった。日本相撲協会が今後1年間、蒼国来に対して「毎月、幕内力士としての給料全額130万9,000円を支払う」という裁判所の暫定的な和解案を受け入れ、蒼国来に給料を全額支払うことになったのである。

5月31日付の当ブログで“孤高の闘いを挑む「蒼国来」の真実”を書いたように、蒼国来が、八百長相撲をおこなったという「証拠」も「カネ」もいっさい存在しない。つまり、なんの証拠もないまま、相撲協会は蒼国来を八百長力士に仕立て上げ、無実を訴える蒼国来を有無を言わせず、解雇したのである。

そして、当の相撲協会は、さっさと名古屋場所(7月場所)の開催とNHKの中継再開にこぎつけ、これを発表している。だが、そんな中で、裁判所が「蒼国来に毎月の給料を“全額”支払え」という和解案を提示し、これを相撲協会が受け入れていたのである。その意味は計り知れないほど大きい。

つまり、これまでの審尋で、裁判所は蒼国来が八百長などしていないことへの心証を固めていることを物語っている。地位保全の決定以前に「まず給料を支払え」というのは、相撲協会がおこなった解雇自体が無効だということを意味している。

この上は、相撲協会は、いち早く蒼国来の“土俵復帰”を認めるしかないだろう。それをしなければ、将来ある若者の夢と希望を断ちきった上で知らぬ顔を決め込んだ実態が、おそらく国会でも問題になってくるだろう。

監督官庁の文部科学省が国会議員から追及を受け、より大きな問題へと発展していくに違いない。そうなれば、マスコミ・ジャーナリズムは、再びあの八百長調査のいい加減さを暴き始めるだろう。

そうなる前に「蒼国来の土俵復帰」を一刻も早く認めることをお勧めする。なぜなら、それが健全なる青少年の育成をも担う公益法人たる日本相撲協会の「当然の姿」だからだ。

カテゴリ: 相撲

寝ても覚めてもパソコンに向かう

2011.06.09

ここのところ徹夜がつづく。8月刊行の単行本用原稿である。寝ても覚めても、パソコンに向かって、書き続けている。窓の外の夜明けの淡い日差し、あるいは日没の夕陽も、パソコンに向かいながら見ている。

気がつくと、日没の位置がまったく違っている。事務所のある高層ビルの窓から見ていても、冬場の日没の位置とはまるで異なっていることがわかる。大震災から3か月が経つが、あの頃の位置ともまるで違う。

よく考えれば、2週間後は「夏至」である。1年で最も“昼が長い”日は、今年は6月22日だ。その時までには、600枚の原稿にメドを立てておかなければならない。ここ1週間が最大のヤマだ。

そんな事務所に、今日は早稲田大学の女子学生がインタビューにやって来た。ある伝統ある早稲田のサークルの面々で、自分たちの発行している雑誌に小生のインタビュー記事を掲載させて欲しいということだった。

政経学部2人と文化構想学部1人の計3人で、それぞれ外部受験で早稲田大学の難関学部に入った才媛たちだ。さすがに、こちらが話す内容への反応も素早く、感心した。外部受験で入った早稲田の女子学生たちの優秀さを実感する。

それぞれに興味の持ち方は違うようだったが、私は、物事に対する「視点」の置き方、根本の捉え方、思考停止に陥らない発想法……等々について話した。同じ物事に対しても、光をあてる角度、さらには視点を変えれば、それは、忽ちそれまでに気がつかなかった相貌を見せてくれるものである。

20歳を過ぎたばかりの女子学生たちが理解できるように話ができたか心許ないが、少なくとも1人は「こういう話、聞いたことがないです」と言っていたので、それなりにおもしろかったかもしれない。ためになったなら、幸いだ。

忙しすぎて現在開催中の全日本大学野球選手権も観に行けない状態が続いているが、東都の覇者・東洋大学と六大学の覇者・慶応大学が決勝で激突するなら原稿執筆をストップさせても観にいかなけれならない。

大学球界ナンバー・ワン左腕の藤岡貴裕(東洋)と大学球界ナンバー・ワンのスラッガ―伊藤隼太(慶応)の対決は、来年以降のプロ球界を背負って立つ選手同士の激突だけに、どうしても瞼に焼きつけておきたい。

カテゴリ: 野球, 随感

寂しさと虚しさがこみ上げてくる「政争」

2011.06.05

世紀の居座り劇を企んだ菅首相も、さすがに与党内部から澎湃(ほうはい)と湧き起こった「退陣論」に抗しきれず、夏までの退陣を決意したらしい。

優柔不断な御仁だけに、実際に退陣するまでどうなるかわからないが、震災復興の最大の障壁だった「菅首相の存在」が遠からず消えることは間違いなさそうだ。これで株式市場の復興への懸念も取り払われるので、国際社会の日本への投資が再開することを待ちたい。

しかし、民主党という政党、いや政治家という存在そのもが持つ特徴とも言えるだろうが、本日、菅首相続投の急先鋒・岡田克也幹事長が、NHKの討論番組で「多くの人の思いとかけ離れれば、お辞めくださいと言うつもりだ」と述べたのには驚いた。

ここへ来て岡田氏は、菅首相が退陣引き延ばしを図った場合は、「退陣を進言する」考えを明らかにしたのである。自ら退陣引き延ばしを図った張本人でありながら、情勢を見て一転、態度を豹変させるあたりは、さすがのクセモノである。

それにしても、きょろきょろと情勢ばかりを見て、“勝ち馬”に乗ろうとするばかりの政治家の姿は浅ましい。

私は、4月末に『蒼海に消ゆ―祖国アメリカへ特攻した海軍少尉「松藤大治」の生涯』(集英社)を出版した。アメリカで生まれ育ち、日本国籍を選択する必要もなかったのに、「日本は戦争に負ける。でも、俺は日本の後輩のために死ぬんだ」と言い残して、敢えて日本国籍を選び、戦場に向かった若者の物語である。

彼は、物量で明らかに劣る日本の負けを確信しながら、それでも日本国籍を選んで出征していった。そして零戦に乗って祖国アメリカの艦船に特攻したのである。勝ち馬に乗ろうと目先の利益ばかり考える昨今の日本人とは全く異なる選択をしたのが、松藤少尉だ。

そこには、信念と潔さがあった。それこそが日本人の特徴であり、美徳だったはずである。運命に抗うことなく、日本の後輩のために淡々と死んでいった松藤少尉の生涯を追ったノンフィクションを上梓した直後だけに、永田町の呆れ果てた政治家の姿を見ていると、寂しさと虚しさがこみ上げてくる。

カテゴリ: 政治

菅と瓦礫は取り除けない「日本」の不幸

2011.06.03

「これで震災復興はダメになった」。そんな声があちこちから聞こえてくる。間もなく震災発生3か月を迎えるというのに、強力なリーダーシップを何ひとつ示すことなく、ただ権力の妄執に捉われた男――国民の前に明らかになった菅直人の正体は、間違いなく歴史に汚名を残すものだった。

3か月かかって何もできなかった御仁に「期待できるもの」が今後あるはずもなく、日本の復興を願って資本市場への投資を再開しようとしていた外国投資家をはじめ、株式市場からの経済復興を願っていた日本国内の投資家の面々も失望一色に染まっている。

景気の「気」は、人々の気持ちを表している。失望の中からは、決して景気は浮上しない。復興への最大の障壁だった菅首相がリーダーの地位に居座った以上、日本国民はひたすらこれからも忍従の日々を強いられるのである。

一夜が過ぎて、延命に最大の役割を果たした鳩山由紀夫前首相は、菅氏が早期退陣を否定していることについて、「約束したことは守るのはあたり前だ。それができなかったらペテン師。直前には辞めると言い、(不信任案が)否決されたら辞めない、と言う。こんなペテン師まがいのことを首相がやってはいけない」と語った。

さらには、「(こんなことなら)不信任案に賛成すべきだった」とまで語っているという。子供の使いではあるまいし、辞任の時期も明確な意思表示も曖昧なまま菅政権を助けた鳩山氏に同情する向きはいまい。首相在任中、さまざまな失態を犯し、アメリカで“ルーピー”(知能が低い、気が狂っている、という意味)とまで称された政治家の面目躍如と言える。

この鳩山氏の土壇場の行動で、不信任案が否決され、日本が国家としての再出発のチャンスを失ったことは間違いない。被災地からも「そこまで権力にしがみつきたければ、これからも会議だけやってろ!」と怒りの声が上がるのも無理はない。

国民の生命財産を守るという国家の領袖の使命と責任を知らない愚かな首相と、それを信任した素人政治家集団に、日本はどこまで潰されていくのだろうか。

カテゴリ: 政治

内閣不信任案否決劇でわかったこと

2011.06.02

永田町で繰り広げられた今日1日の政治劇を、国民はどう見ただろうか。朝の段階では、「内閣不信任案は可決される」という見方が有力になっていた。しかし、最後まで「勝ち馬に乗ろう」と、ころころと立場が変わる民主党の代議士たちは、昼の民主党代議士会で態度を豹変させた。

菅首相が東日本大震災への対応に一定のメドがついた段階で「若い人に引き継ぐ」意向を示唆した途端、50名~70名という造反予定議員たちは「一挙に崩れた」のである。

陰では、小沢一郎氏からの“撤退命令”が出ていたそうで、結局、残ったのは、すでに離党表明をしている横粂勝仁氏を除けば、菅政権批判の急先鋒・松木謙公氏だけだった。

人に言われるがままの小沢チルドレンたちには当然の行動と言えたが、それにしても、その後の茶番劇には、さすがに国民も呆れ果てたに違いない。直前に党分裂を回避した菅―鳩山会談。復興へ一定のメドがついた段階で「辞任する」はずが、夜の会見で菅首相は「原子炉の冷温停止まで」と、辞任の時期を来年1月に大幅に先延ばししたのである。

一度辞任を表明した総理が「求心力を失う」のは政治の世界の常識だ。今後、野党は参院で菅首相の問責決議案を通すなど、さまざまな方策で国民の信任を得ていない政権への揺さぶりを強めていくだろう。

震災発生72時間以内に瓦礫の中から国民を救い出せず、震災後2か月が経っても、まだ仮設住宅すら提供できない政権が、復興構想会議をはじめ役に立たない会議ばかりを今もおこなっている。それでも、菅首相はこれからも政権に「しがみつく」のだそうだ。

しかし、国民が今回の内閣不信任案提出を冷やかな目で見ていた理由は、その主役となった自民党と公明党の“底の浅さ”を知っているからである。あの辟易した自公政権に戻って欲しくない、という気持ちが国民の頭の中にはある。そこに今回の不信任案が大きなうねりとなり得なかった最大の理由がある。

私が情けないと思うのは、みんなの党の渡辺喜美代表だ。与党・民主党と野党の自民党&公明党に、どちらも「勘弁して欲しい」と思う多くの国民は、新たな“第三極”の出現を今や遅しと待ちかねている。

それを糾合できる可能性があるのが、官僚や財界とのしがらみを持たないみんなの党である。今回、民主党の議員たちは、“第三極”の受け皿さえできれば、雪崩をうってそこに走った可能性がある。多くの民主党議員が「民主党では次の選挙は絶対に勝てない」と認識しているからだ。

だが、みんなの党の渡辺喜美代表は、その“第三極”を構築する役割を、まったくと言っていいほど果たせなかった。政治センスの欠如と日頃の人脈構築の不足が、この大事な場面で露呈したのである。

震災直後から識者たちが叫んでいた「菅と瓦礫を早く取り除け」という望みはついに実現しなかった。その責任の一端を“第三極”の核となるべき渡辺喜美代表には感じて欲しいものである。

カテゴリ: 政治

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