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「政権末期」というのは怖い

2011.07.29

政権末期というのは怖い。自らの政権の延命のためには、国家としての利益や将来を見据えての価値判断もなく、ただやみくもに“話題”になるものに飛びつく傾向がある。

電撃訪問によって、北朝鮮拉致問題を動かした当時の小泉首相の行動にならおうと、盛んに訪朝への道筋をつけようと動いてみるなど、とにかく今の菅政権は危なすぎる。

そんな中で、今日の産経新聞の正論欄にタイミングよく日大の百地章教授が注目すべき論文を発表していた。題して「震災のかげで“悪法”を通すのか」。

かつて自民党の野中広務氏や古賀誠氏らのほか、部落解放同盟などの要請によって、「人権侵害救済法」という、名前だけは実に耳に心地よい法案が姿を現した。

しかし、それは、「差別的言動」をなくすという美名のもとに、時の権力者にとって目の上のたんこぶともいうべき「言論」を取り締まろうとする意図を持つ法律だった。

人権救済機関は強い権限を持つ「三条委員会」とし、内閣府ではなく法務省の外局とするなど、いま熱心に成立を目指す民主党案の骨子はこれまで何度も葬られてきた人権侵害救済法とほとんど変わらない。百地教授の指摘は明快だ。

「人権侵害を“不当な差別、虐待その他の人権を侵害する行為”としているだけで、一体、何が人権侵害に当たるのかは定かでない。その定義が極めて曖昧な上、一度、人権委員会によって差別発言に当たると認定されてしまえば、裁判所の令状なしに自由に家宅捜索や文書等の押収が行われ、出頭命令にも従わなければならなくなる。明らかに表現の自由や令状主義を保障した憲法に違反する」と。

権力者にとって都合のいい「監視社会」を到来させる懸念を百地教授は訴えている。実は、拙著『裁判官が日本を滅ぼす』(新潮文庫)の中でも、この法律が持つ問題点は、詳しく記述させてもらった。

だが現在、この法律を政権末期の土壇場に駆け込み成立させるという悪い噂が永田町には流れている。百地論文によれば、民主党案では、「中央人権委員会」に加えて全国各都道府県に「地方人権委員会」が設置され、国民の言動をくまなく監視することが可能となるそうである。

日本の言論の自由は、民主党政権によってそこまで危機に晒されている。政権末期というのは、まことに怖い、と思う。政権延命のためには、恥も外聞もなく、さらに言えば、もともと哲学も、確固たる信念も持ちえない国家の領袖の場合、国民は最後に「どこへ」連れて行かれるかわからないのである。

溜息をついている場合ではない。日本が迎えているこの大きな危機に対して、国民一人一人が監視していくしかないだろう。

いよいよ8月も間近だ。こうした駆け込み法案の成立だけは阻止しなければ、大変なことになる。そのためには、一刻も早い菅首相の退陣が望まれる。だが、民主党政権が続く限り、その懸念が払拭されないのが、なんとも苛立たしい。

カテゴリ: マスコミ, 政治

球場には必ず感動と驚きがある

2011.07.24

金曜日(22日)に8月発刊の単行本のゲラを責了し、やっと時間の余裕が生まれたので、今日はさっそく神宮球場で高校野球西東京大会のベスト16(4回戦)を観戦してきた。野球場というのは不思議なところだ。足を運べば、そこには必ず感動と驚きがある。

今日の神宮球場もそうだった。都立高があと一歩のところまで強豪校を追い詰めるなど、観る人を驚かせ、感動に包みこんでいた。

第1試合の早稲田実業vs都立昭和高校は、因縁の試合だ。あの斎藤佑樹を擁して全国制覇した時の早稲田実業は西東京大会の初戦で昭和と当たって大苦戦(3対2で辛勝)し、全国制覇したあとですら早実ナインが「昭和との試合が一番ヤバかった」と口を揃えたほどのしぶといチームである。

その都立高が今日も伝統のしぶとさを武器に早実に食い下がった。シニアリーグ出身のエリート球児たちを集めた早稲田実業に臆することなく戦いを挑み、1対2で惜敗するものの、試合終了の瞬間、神宮のスタンドは拍手と感動に包まれた。練習条件が決して恵まれているとはいえない都立高校の中で、毎年のように粘りのチームをつくりあげてくる熱意と実績には頭が下がる。

第2試合の日大三高vs都立日野の戦いも素晴らしかった。昨秋の明治神宮大会を制し、今年の選抜甲子園でも優勝候補の筆頭だった日大三を相手に、日野は終盤7回裏には、日大三の絶対的エース・吉永健太朗投手を攻め、6対7と1点差にまで詰め寄り、さらに二死満塁とあわや逆転のシーンまで追い込んだ。

プロ注目の吉永投手がここを必死の形相で切り抜け、次の8回表に自慢の重量打線が火を噴いて一挙8点を挙げた。試合は結局、15対6で日大三の8回コールド勝ちとなったが、それにしても、この優勝候補の筆頭をあわやというところまで追い詰めた都立日野の気迫は素晴らしかった。

私が注目したのは8回に大量点となる前、無死2塁で日大三の小倉全由監督が手堅く送りバントを決めさせたことだ。ここで1死3塁としたあと犠牲フライで着実に日大三は1点をもぎとり、「2点差」とした。重量打線に火がつき、長打が連なったのは、その直後のことである。

あれは、1点の怖さを知る名将ならではの送りバントだったと言えるだろう。勝負というものが持つ微妙なあやをどうベンチが感じ取るか、その貴重さを教えてくれる興味深い送りバントだった。

この試合、私の観戦している前の席に、ちょうど日野高校で出場している球児のご両親が座っておられた。試合終了の瞬間、涙をこらえようとしたがこらえきれず、肩を震わせていたその後ろ姿が印象的だった。

よく“父子鷹”と表現されるように、高校野球で活躍する球児の中には父と息子が二人三脚で歩んできた例は多い。その息子の高校野球が終わった時、ご両親に万感の思いがこみ上げるのは当然だろう。地方大会でこそ観られるスタンドの風景に高校野球がいつまでも人気が衰えない秘密を垣間見た気がした。

第3試合の早大学院vs工学院大附属も見応えがあった。昨夏はベスト4、昨秋はベスト8と、確実に強豪校のひとつに数えられるようになった早大学院は、今年のチームもなかなかしぶとい。

右の本格派・小野央也(3年)と左の本格派・田中健吾(2年)という180センチを越す左右の2枚エースを擁した早大学院は、昨年旋風を巻き起こした左腕の千葉亮介(現・早稲田大学1年)に続き、“投手王国”の伝統を築きつつある。

調布シニア時代から鳴らした百戦錬磨の木田茂監督の好采配と相俟って、今後の戦いぶりが注目される。最終回に粘りに粘って4点を挙げ、2点差まで追い詰め(7対9)、その早大学院を慌てさせた工学院大附属の戦いぶりも見事だった。

熱戦もいよいよ終盤。甲子園の予選も全国各地で大詰めを迎えつつある。かくいう私もできるだけ時間を見つけて球場に通い、生の迫力と感動を今年も感じてみたい。

カテゴリ: 野球

報われない努力があるとすれば……

2011.07.18

「報われない努力があるとしたら、それはまだ努力とは言えない」。その時、私はこの言葉を思い出した。世界のホームラン王・王貞治氏の言葉である。

女子サッカーW杯決勝、日本-アメリカ戦。1対2でいよいよ延長後半も終了するという直前、宮間あやのコーナーキックから沢穂希が右足で同点ゴールを決めた時である。ゴール前の集団の中から、沢がするするっと相手守備の前へ割り込むように走り、ジャンプしながら宮間の絶妙のキックに右足をあわせ、アメリカのゴールをこじあけたのだ。

長身選手が並ぶアメリカに対して、いくら高いボールを上げても、ヘディングの競り合いで日本が勝つことはできない。

平均身長163センチに過ぎない日本が180センチ以上の選手たちと高さで競っても無理なことはわかっている。だが、前に出ていけばボールには触れられる。タイミングとボールコントロール次第で、得点が挙げられる可能性が出てくる。

「いったいどのくらいこのプレーの練習をしたんだろう」。私は、沢がゴールを決めた瞬間、そう思った。そして冒頭の王貞治氏の言葉を思い出したのである。それは、追い詰められた日本の奇跡のプレーだった。

だが、実際に決められるかどうかは、それを裏付ける猛烈な練習と努力があって、初めて可能となる。私はこの時、久しぶりにスポーツというものが持つ感動に浸っていた。PK戦で日本が実際に優勝を勝ち取った時、それが「当然」であるかのような錯覚に捉われていたほどである。

実は、私は試合が始まって間もなく、「この試合は5、6点の差がつくのではないか」と思った。もちろん、アメリカの勝利である。

序盤からアメリカの猛攻がつづき、まるで「大学生と中学生が試合をしているようなものだ」と私は感じた。それほど両チームの間には差があった。体格、スピード、パワー、いずれもアメリカが数段上で、怒涛のごとく押し寄せるヤンキー娘たちの分厚く、迫力ある攻撃に日本の勝利など「あり得ない」と思ったのは、私だけではあるまい。

しかし、サッカーはおもしろい。次々と襲ってきたアメリカのシュートがポールに嫌われ、GK海堀あゆみの好セーブもあって、得点を許さない。こうなると、実力が上回る側には焦りが生じる。

後半についにアメリカに先制点を許しても、ジャパンには、気負いも焦りも見えなかった。同点に追いつき、延長戦に入った時、「ひょっとしたら」という思いがやっと私に出てきた。

スポーツには、何かがついているとしか思えないような奇跡が時にして起こることがある。これまで数々の番狂わせがスポーツの世界では演じられてきた。大震災で世界中から同情の声を寄せられている日本に「何か」がついていたとしても不思議はない。

それを現実のものにしたのが、あの宮間-沢の名コンビが演じた必殺のプレーだった。奇跡、番狂わせ、執念……さまざまな言葉でこの勝利は語られていくだろうが、私には、「報われない努力があるとしたら、それはまだ努力とは言えない」という言葉が浮かんだのである。

15歳で初めて代表に選ばれて18年目。人生の半分以上を代表チームで過ごしてきた沢の極限の努力は、やはり土壇場で「報われた」のである。

カテゴリ: サッカー

絶望から這い上がる「25年間」の真実の物語

2011.07.16

ここのところ8月刊行の単行本のゲラ作業のために徹夜が続いていた。皆さんから日航遺族の池田知加恵さん(78)が私を提訴するという報道の件で多数のご心配の電話やメールをいただいていながら、なかなか時間をとってお応えすることもできなかった。

昨夜、ゲラを出版社に戻したので、少し時間的に余裕ができたら、さっそく今日は土曜日というのに次々と事務所に人が来てくれた。それぞれが、「大丈夫か? みんな心配してるぞ」と開口一番言ってくれるので、ありがたい。

ご心配をおかけしている件については、法廷闘争となるだろうから、これから10年戦争の気持ちで対処していこうと思う。私は、これまでも書いて来たように、池田知加恵さんがご高齢の方なので、できるだけ何年にもわたる法廷闘争にはならなければいいが、と思っていた。

しかし、「事実」を正確に記述するためにご提供いただいた手記本をもとに長時間の確認取材をした上、事実を客観描写した作品が著作権侵害となれば、もはやノンフィクションで「事実」そのものを描けなくなるので、敢えて戦わなければならないと思う。

池田知加恵さんの主張は「事実関係を整理する参考にと本を渡したが、表現を使っていいとは一切認めていない」とのことである。もちろん実際の取材の場面でそんな法律家のようなことを知加恵さんが私に言ったことは一切ないし、もしそれを言ってくれれば、私は池田家のことを取り上げさせてもらうことはなかっただろう。なぜなら「事実」を描くことに制約があるならば、いくら取材をしてもノンフィクションとしては無駄になるからだ。

拙著『風にそよぐ墓標』は、日航遺族が辿った25年間の絶望から這い上がる真実の物語を描いたものだ。日航機事故で父親を失った息子たちを全国に訪ね歩き、6家族の不屈の四半世紀を描かせてもらったのがこの本である。

登場する人物には私自身がすべて一人一人お会いし、長時間の取材に答えていただいた。その一つ(第3章)が、池田知加恵さんにも長時間の取材協力をいただいた池田家の物語である。

事故で亡くなった池田隆美さん(享年53)=池田知加恵さんの亡き夫=は大変立派な方だった。昭和ひと桁の生まれらしい毅然とした生き方をされた方で、猛烈な会社人間として生涯を歩み、多くの部下に慕われ、上司にも信頼された。

私は、この方の企業戦士として、あるいは家庭人としての生きざまと生きた証(あかし)を後世に残させてもらいたいと思い、池田家をはじめ多くの方の取材協力を得て、本書の第3章において感動のドキュメントを書かせていただいた。特に、隆美さんが荼毘に付される時に上司が発した言葉や、亡き父のことを語る息子さんの姿には私自身が大変感動し、これらを客観描写させてもらった。

その中で夫人である池田知加恵さんにも、長時間の取材協力をいただき、手記本だけでなく、自身が取り上げられたニュースやワイドショーの映像、あるいは日航で講演した際のビデオに至るまで積極的に提供してくれ、事実描写のために多大なご協力をいただいた。その意味では、今も知加恵さんへの感謝の気持ちは大きい。

しかし、およそ1年後、自ら提供した手記本は「事実関係を整理する参考にと渡したもので、表現を使っていいとは一切認めていない」と主張されている。ご主人と息子さんの感動のドキュメントを描こうとした私に共感してくれ、あれほど積極的にさまざまなものを提供してくれたものが、「使ってはいけない」ものだったというのである。

私は、ふと亡き池田隆美さんはどう思っているのだろうか、と思った。私は、昨年6月、8月、そしてお彼岸を過ぎた9月と計3回、御巣鷹山に慰霊登山し、取り上げさせてもらった6家族のお父さん方の墓標に手を合わさせてもらった。

池田隆美さんの墓標は、御巣鷹の尾根の最上部に近い場所にある。9月に行った時、隆美さんの墓標には、さまざまなことを報告させてもらった。池田知加恵さんに頼まれていた知加恵さん自身の父親である元陸軍中将の本が実際に実現する可能性が出てきたからである。

しかし、当の池田知加恵さんはその1年後、私を訴えるという。この25年間、池田家がいかに素晴らしい生きざまを見せてくれたかを一生懸命描かせてもらった私が、逆にその池田家から訴えられるというのだから、これは不徳というほかないだろう。

いずれにしても、長い長い法廷闘争の幕は切って落とされる。日本のノンフィクションの事実描写とはどうなるのか。私自身が関心と熱意をもってこの問題に取り組んでいこうと思う。

カテゴリ: 池田家との訴訟

ノンフィクションは「事実」をどう描くのか

2011.07.11

先週木曜日夕刊に朝日新聞が掲載した「日航機事故遺族、作家提訴の構え “手記と表現酷似”」というニュースが、今頃になって朝日新聞がネットに流し、ヤフーニュースのトピックスに出ている。非常に悪意を感じるやり方である。

改めて、この問題について、私自身の見解を表明させていただこうと思う。なぜなら、このご遺族(池田知加恵さん)の主張が通れば、日本のノンフィクションは成り立たなくなるからである。まず私の見解(コメント)は以下の通りだ。

「ご本人から直接提供を受けたサイン入りの手記本をもとに長時間、ご本人に事実関係を確認しながら取材し、承諾の上、参考文献と明記して事実描写の参考にさせてもらいましたが、あとになって著作権侵害とは、ただ驚きです。これが許されないなら、ノンフィクション作品そのものが成り立たなくなります」

以下、経緯について(1)~(9)で説明させていただく。

(1)池田知加恵さん(78)には、昨年5月24日に大阪府茨木市の自宅マンションにておよそ4時間にわたって取材に答えてもらい、その際、知加恵さんの手記本『雪解けの尾根』をわざわざご本人から「門田隆将様 感謝をこめて 池田知加恵」とサイン入りで提供を受けた上、事故当時の知加恵さんの行動を細かく取材させてもらった。

(2)事故から25年が経ち、当時の記憶が薄れていた知加恵さんは、「この『雪解けの尾根』を書いた時が記憶の限界だった」と門田に伝え、わざわざ事故当時の自分の行動を細かく記載しているこの手記本を提供してくれたのである。そして、取材はそこに書かれている「事実」を確認する形で進んだ。

(3)取材の過程で、知加恵さんは、「それは、本にはなんて書いてあったかしら?」「そのことは書いてなかったかしら?」と何度も繰り返していた。長時間にわたった取材時のICレコーダーには、その知加恵さんの発言がすべて録音されている。門田は取材の最後に、「今日の知加恵さんの証言と、この手記本に書かれている事実を正確に記述させてもらうのでご安心ください」と、知加恵さんの事故当時の行動を間違って書くことのないよう誓い、知加恵さんの承諾を得た。

(4)門田の細かな質問に対して、彼女は手記本以外にも、当時のニュースやワイドショーに自分が取り上げられた際の映像、あるいは、のちに日航で知加恵さん本人が講演した際の映像をDVDとして提供してくれた。それらをもとに、門田は「事実」を忠実に描写した。取材1週間後には、知加恵さんから自分のしゃべり過ぎた部分について「3点」の訂正(要望)を記述した手紙が門田のもとに届き、門田はその要望も踏まえて本を執筆した。

(5)本が刊行されるまで、知加恵さんとは電話でのやりとりも続き、親しくさせてもらった。知加恵さんの父親は、元陸軍中将でもあり、その父親のことを「本にして欲しい」という要望まで彼女は門田にしていた。実際に父親が残した手記をわざわざ門田のもとに送ってきたほどである。

(6)だが、『風にそよぐ墓標』の刊行後、およそ1年を経て、知加恵さんは門田を提訴するという。「自分は著作の利用に同意などしていない」というのである。あれほど納得してもらった上で、当時の彼女の行動を正確に記述するために提供を受けた「参考文献」が、「利用されるとは思わなかった」というのである。

(7)あとになってそんなことを言われたら、事実だけを記述するノンフィクション作品は成り立たない。彼女には、拙著の中で気に入らない部分があったのだろうが、それにしても作家に対して「盗用作家」の汚名を着せようという行為は許すことができない。

(8)そもそも事実を描写するために本人を取材し、その本人から手記まで提供されて事実確認しながら取材し、執筆していけば、その描写は自ずと限られる。なぜなら、事実は「ひとつしかない」からだ。これがダメなら、もうノンフィクション自体が「事実」を書けなくなる。

(9)当該作品は、日航遺族が辿った25年間の絶望から這い上がる真実の物語である。門田が、日航機事故で父親を失った息子たちを全国に訪ね歩き、絶望から這い上がった6家族の不屈の四半世紀を描かせてもらった。その過程で、池田知加恵さんにも長時間の取材協力をいただいた。人生に悩み、挫けそうになった人々に勇気と希望を与える感動のノンフィクションなので、知加恵さんの今回の主張には驚くばかりである。

以上が経緯の説明である。私は今、ノンフィクションにとって「事実の描写」とは何だろうか、と思っている。「ノンフィクション作品」とは、読んで字のごとく「虚構のないもの」である。つまりノンフィクション作品には、ライターの「創作」は許されない。一方、小説(ノベル)とは、作家が創作するものなので、成り立ちがまったく逆だ。

小説は、作家がストーリーを“創っていく”ものであり、ノンフィクションは、真実に向かってひたすら“掘っていく”ものである。では、「創作が許されない」ノンフィクション作品をライター、ジャーナリストは、どう描いているのか。

それには、取材による当事者の証言、当事者の日記や手記の発掘、あるいは関係者の証言、資料収集……等々によっておこなわれる。つまり、これらの取材と基礎的資料の発掘が作品形成の上で最も大きな意味を持つ。

そのため、ノンフィクションを書き上げるまでには制約が多いが、そこには「真実を描き出す」という醍醐味がある。それまで誰も炙り出せなかった事実に辿り着いた時の喜びは、なにものにも代えがたい。

これまでの私の作品でも、ご遺族に当事者の手記や日記を提供してもらうのに何年もかかった事例がある。説得とは、それほど難しい。そして、事実を描くというのは、それだけ手間がかかるものである。

そうして入手したものをもとに検討と分析を重ね、ノンフィクション作品では「事実」を客観描写していく。

では、ご本人から直接提供をいただいた手記をもとに「事実関係」を確認しながら本人に取材をおこない、参考文献にすることを同意してもらったにもかかわらず、あとになって態度を翻され、「著作の利用には同意していなかった」として、ライターが「盗用作家」のレッテルを貼られるとしたら、どうだろうか。

私は今、そういう事態に見舞われている。当事者に取材し、手記の提供を受ける。事実を描写するために提供されたその手記に基づいて当事者に確認取材をおこない、事実を客観的に執筆する。これは、通常のノンフィクション作品におけるアプローチである。

それを1年も経ってから「著作権侵害だ」「盗用だ」と提訴されるとしたら、ノンフィクションは「事実」をどう描写すればいいのだろうか。ノンフィクションを書くライターは、たった一つの事実に向かって掘り下げていき、取材を深めて、その「事実」を客観描写する。しかし、現にそれが「駄目だ」と主張する人がいるのである。

この方の主張が通るなら、ノンフィクションとは今後、どう「事実」を描写すべきだろうか。そもそもノンフィクション作品が、今後、日本で成立していくものなのだろうか。それは、足を運んで取材に歩き、当事者に会い、事実を丹念に描写していく「ジャーナリズムの否定」につながらないだろうか。

そのことについて、司法の判断が求められることになる。私自身も、ジャーナリストとして極めて注目している。

カテゴリ: 池田家との訴訟

産経新聞「著者に聞きたい」

2011.07.10

本日の産経新聞「著者に聞きたい」(13面)に私のインタビュー記事が掲載された。『蒼海に消ゆ―祖国アメリカへ特攻した海軍少尉「松藤大治」の生涯』についてのインタビューである。

産経新聞の大野敏明編集委員が、零戦特攻によってわずか23年で生涯を閉じたこの日系2世の生きざまに注目、わざわざ私にインタビューをしてくれたものである。

記事は、簡潔な中に要点をまとめてくれており、嬉しい限りだった(すでにネットでも流れている)。昨日のブログでもお伝えした某月刊誌の座談会でも話題になったように、本来の毅然とした日本人像を描くことの重要性を最近、強く感じる。

それは、大震災からの復興という大命題が国民一人一人に突きつけられている今だからこそ、余計に感じられるのかもしれない。すぐに勝ち馬に乗ろうとしたり、ただ「権利」「権利」と主張する日本人が増えている。

慎み深さを忘れた日本人が多くなってきている中、毅然とした生きざまを示した人々の姿をノンフィクションとして描いていきたい。拙著に注目してくれた産経新聞に感謝である。

カテゴリ: マスコミ

談論風発の「座談会」3時間

2011.07.09

今日は、ある月刊誌の座談会に出席した。メンバーは、慶大法学部准教授の片山杜秀さん、ルポライターの早坂隆さん、そして私の3人である。1時間半の予定が、3時間近くにわたる“熱弁”の座談会となった。

話は、大正生まれの人たちに対する世代論から戦後の歴史観の歪み、さらには先の太平洋戦争をどう見るか……等々、多岐にわたった。当の月刊誌が発売になるまで詳しく述べられないので残念だが、非常に楽しい3時間だった。

私たち戦争を知らない世代が、いま数少なくなってきた太平洋戦争の生還者に話を伺う作業がつづいている。今日、私が最も言いたかったのは、「恥というものを知る世代」を思い起こすことの重要性である。

太平洋戦争での過酷な戦いで200万人が亡くなった大正生まれの若者は、実に同世代の男子のうち7人に1人が戦死したという悲劇の世代である。戦争を生き残った大正生まれの若者は、戦後も遮二無二働き、彼らが社会の第一線から退いた時、日本は復興どころか、世界第二位の経済大国にのし上がっていた。

彼ら大正世代の男たちは、高度経済成長期、世界から“エコノミック・アニマル”と揶揄され、その凄まじい経済活動を批判されたが、それでも怯(ひる)むことはなかった。つまり、彼らは戦争時だけでなく、戦後もひたすら“突撃”を繰り返したのである。

大震災からの復興には何が必要か。それは、本来の日本人の姿を思い起こすことが最も肝心ではないかと思う。そんなことを改めて考えさせてくれた座談会だった。

カテゴリ: 歴史

朝日新聞の記事への興味深い反応

2011.07.08

昨日の日航遺族・池田知加恵さん(78)の朝日新聞夕刊の記事に、実に興味深い反応が次々と寄せられた。知り合いの編集者からは、「本人からサイン入りで手記本の提供をされ、それをもとに本人に長時間、事実関係を確かめる形で取材していったのに、それでも著作権侵害で訴えられるの? もうどうしようもないね」と呆れ顔だった。

ある新聞記者からは、こんな反応が来た。「事実を描写するために本人を取材し、その本人から手記まで提供されて事実確認しながら書いていけば、事実がひとつである以上、記述が似るのは当然。これでダメなら、もう事実そのものが書けなくなるね」

相手はご高齢の方なので、こちらの話に耳を傾けてくれない以上、非常に残念ではあるが、法廷できちんと立証させてもらうしかない、と思う。幸いに彼女が私の4時間にわたる取材でどんなお話をされたか、あるいは、どういうお手紙を私のもとに送ってきたか、さらには、どういうものを取材で提供してくれたか、すべて保管してあるので、法廷では、きちんと吟味していただこうと思う。

ところで、私が驚いたのは、この朝日新聞の記事への家族の反応だった。大学生と高校生の二人の息子が、「お父さんが池田家のためにどれだけ一生懸命取材し、感動の物語を書いたかは、僕たちが知っている。あの章は、一番涙が出た。僕たちがお父さんを支えるから、正々堂々と戦っていこう」というのである。

普段は私の仕事にあまり口を出したことがない息子たちがそんなことを言ったのには驚いた。文筆業というのは、文字通り、文筆だけで生計を立てている。こういう根幹にかかわる批判を受けると、直接、私のジャーナリズム活動に影響が出る。つまり家族の生活権が危機に晒されるのである。

息子たちは、「きちんと本人に取材し、あれだけの作品を書いても、それでもダメなら仕方ないじゃないか。とにかく正々堂々と戦おう」と言う。たしかに、こういうことはジャーナリストの宿命でもある。

私には書かなければならないノンフィクションが沢山あるので、池田知加恵さんの訴訟への対応と共に、取材執筆に明日からも邁進しなければならない、と思う。

カテゴリ: 池田家との訴訟

これでは「ノンフィクション」が成り立たない

2011.07.07

本日、朝日新聞夕刊に私が日航御巣鷹山事故の遺族である池田知加恵さん(78)に「著作権を侵害された」として訴えを起こされることが掲載された。昨年8月に私が出版した『風にそよぐ墓標―父と息子の日航機墜落事故』の第3章で取り上げさせてもらった池田家の池田知加恵さんである。

知加恵さんには、昨年5月24日におよそ4時間にわたって取材に答えていただき、その際、知加恵さんの手記本『雪解けの尾根』をわざわざご本人から「門田隆将様 感謝をこめて 池田知加恵」とサイン入りで提供を受けた上、事故当時の知加恵さんの行動を細かく取材させてもらった。

事故から25年が経ち、当時の記憶が薄れていた知加恵さんは、「この『雪解けの尾根』を書いた時が記憶の限界だった」と私に伝え、わざわざ事故当時の自分の行動を細かく記載しているこの手記本を提供してくれたのである。そして、取材はそこに書かれている「事実」を確認する形で進んだ。

取材の過程で、知加恵さんは、「それは本にはなんて書いてあったかしら?」「そのことは書いてなかったかしら?」と何度も繰り返していた。私は取材の最後に、「今日の知加恵さんの証言と、この手記本に書かれている事実を正確に記述させてもらうのでご安心ください」と、知加恵さんの事故当時の行動を間違って書くことのないよう誓い、知加恵さんの承諾を得た。

私の細かな質問に対して、彼女は手記本以外にも、当時のニュースやワイドショーに自分が取り上げられた際の映像をDVDとして提供してくれた。さらに、のちに日航で遺族として初めて講演した時のDVDも提供してくれた。それらをもとに、私は「事実」を忠実に描写させてもらった。取材1週間後には、知加恵さんから自分のしゃべり過ぎた部分について「3点」の訂正(要望)を記述した手紙が私のもとに届き、私はその要望も踏まえて本を執筆した。

本が刊行されるまで、知加恵さんとは電話でのやりとりも続き、親しくさせていただいた。知加恵さんの父親は、元陸軍中将でもあり、その父親のことを「本にして欲しい」という要望まで彼女は私にしていた。実際に父親が残した手記をわざわざ私のもとに送ってきたほどである。

だが、『風にそよぐ墓標』の刊行後、およそ1年を経て、知加恵さんは私を提訴するという。「自分は著作の利用に同意などしていない」というのである。あれほど納得してもらった上で、当時の彼女の行動を正確に記述するために提供を受けた「参考文献」が、「利用されるとは思わなかった」と言うのである。

私は、絶句した。あとになってそんなことを言われたら、事実だけを記述するノンフィクション作品は成り立たない。おそらく、彼女には、拙著の中で気に入らない部分があったのだろうと思う。知加恵さんが私の作品の中のどの部分が気に入らなかったかは大体、想像がつく。

これは提訴されたのちの裁判の過程で詳しく明らかにしていくので、敢えてここでは触れない。だが、拙著は「父と息子の日航機墜落事故」という副題がついているように、あくまで主役は亡くなった父親と、その亡き父の年齢に近づいて来た息子たちである。

知加恵さんの期待されていた取り上げ方とは違っていたかもしれないが、それにしても訴訟を起こして来るとは、言葉もない。向こうの主張が仮にまかり通れば、ノンフィクション作品そのものが成り立たなくなるので、おそらく最高裁まで徹底して戦うことになるだろう。

動きがあるごとに当ブログその他でも、この池田知加恵さんとの件について、ご報告していこうと思う。来年には、私は司法関係の本も刊行する予定なので、自分が見舞われたこの問題についても、ジャーナリストとしてきちんと記述していこうと思う。ちなみにこの件についての、私のコメントは以下の通りである。

「ご本人に長時間取材し、直接提供を受けたサイン入りの手記本を、承諾の上、参考文献と明記して事実関係の参考にさせてもらいましたが、あとになって著作権侵害とは、ただ驚きです。これが許されないなら、ノンフィクション作品そのものが成り立たなくなります」

カテゴリ: 池田家との訴訟

裁判員裁判が果たす役割とは

2011.07.04

イギリス人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人、強姦致死、死体遺棄の罪に問われた市橋達也(32)の裁判員裁判が本日、千葉地裁で始まった。

リンゼイさんの両親もはるばるイギリスから駆けつけ、緊張のなか市橋の交際女性の供述調書が女性検事によって読み上げられるなど、公判は冒頭から興味深い展開を見せた。

法廷のモニターには証拠品が次々と映し出され、わかりやすく説得力のある主張が双方からおこなわれた。裁判員制度がスタートして丸2年が経ち、日本の刑事裁判が“生きた法廷”となってきたことを実感する。

先週の木曜日(6月30日)にあった千葉大女子学生殺害事件の裁判員裁判では、強盗殺人など7つの罪に問われた被告に「死刑」が言い渡されている。犯行が「冷酷非情」で、短期間に重大事件を繰り返し「更生の可能性に乏しい」というのがその理由だ。

これまで“相場主義”に陥っていた日本の刑事裁判では、被害者が1人の事件で死刑判決が下されることはほとんど皆無だった。だが、裁判員裁判では、そんな司法の悪弊は通じない。たとえ被害者が1人であろうと、相場主義に陥ることなく、個別の事情を徹底的に吟味し、その事案に相応しい判決が下されるのである。

他の事件の刑期を終えてわずか3か月の間に、千葉大の女子学生を殺害し、現金を奪い、さらには放火するなど、犯行の残忍性は目を覆うばかりだった。弁護側は、死刑選択の際の判断基準とされる「永山基準」を引き合いに出し、「被害者1人」を理由に死刑回避を主張したが、裁判員たちには通じなかったのである。

個別の事情に踏み込むことなく、相場によって判決を下してきた官僚裁判官時代の悪弊は、裁判員たちによって“打破”されつつあることは間違いない。2001年6月に司法制度改革審議会の最終意見書で示された「裁判の内容に国民の健全なる社会常識を生かす」という文言が、今まさに実現していることを感じる。

千葉大女子学生殺害事件の判決に関して、ある裁判員は、永山基準に対して、「項目の一つ一つに事件内容をあてはめて判断する必要はないのではないか」と会見で述べている。

国民の常識や量刑感覚を裁判に反映させることなどを目的に導入された裁判員裁判が、さて、市橋被告にはどんな判決を下すのか。予想もつかないだけに、国民の注目はますます集まるだろう。

国民は、裁判員たちの大きな負担によって、「生きた刑事法廷」というものを確実に手に入れつつある。それは、正義というものを国民が官僚裁判官から取り戻したことを物語っている。

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『蒼海に消ゆ』の講演

2011.07.01

今日は、一橋の如水会館で講演があった。拙著『蒼海に消ゆ―祖国アメリカに特攻した海軍少尉「松藤大治」の生涯』の主役・松藤少尉は、当時の東京商大、現在の一橋大学出身である。

その縁で、一橋OBらでつくる「如水会館」において、一時間半の講演をさせてもらった。会場にはお歳を召したOBも多く、実際に戦争を体験した方もかなりおられた。

そんな中で、なぜ日系二世の松藤青年が、敢えて日本国籍を選択して学徒出陣していったか。そして、なぜ祖国アメリカへ特攻していったのかをじっくり聞いていただいた。

太平洋戦争とは、大正生まれの青年たちの戦争である。終戦の昭和20年、大正生まれの青年たちは19歳から34歳だった。つまり太平洋戦争の“主力”として戦った人々である。彼ら大正世代は、太平洋戦争で実に200万人が戦死している。

太平洋戦争に対する見方はさまざまだ。私には私なりの捉え方がある。その一端を講演では話させてもらった。講演後の反応は、ありがたかった。「感激した」「初めて聞く歴史観だった」と、いろいろな感想をいただくことができた。

毅然と生きた人々の姿を描く私のノンフィクションでは、作品に私自身の「私情」は交えない。ただ、証言、日記、手記、史料、関係者の告白……等々を集め、「事実」だけを書くことに徹する。事実にこそ感動が存在するからである。あとは、読者に判断を委ねるのが私の基本姿勢だ。

そのため、作品そのものの話をさせてもらう機会は、書く人間にとってありがたい。作品には書いていない私自身の思いも遠慮なく語ることができるからだ。

玉砕の戦場で突撃を繰り返し、子孫を残すこともなく死んでいった大正生まれの若者。そして、物言わず逝った彼ら戦友の無念を胸に、戦後、がむしゃらに働きつづけた大正の青年たちが第一線から退いた時、日本は“20世紀の奇跡”とまで言われる経済成長を成し遂げていた。

“大正100年”を迎えた今年、私は日本の復興とは、あの大正世代の生きざまを思い起こすことから始まると思っている。

カテゴリ: 歴史