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早くも失望が始まった「野田新総理」

2011.08.31

野田佳彦・新総理が民主党の要である「幹事長ポスト」に起用したのは、結局、輿石東・参院議員会長だった。昨日、ちょうど野田新総理の地元・千葉県船橋市で講演があった私は、「もし野田氏が幹事長ポストに輿石東氏を起用するなら、早くも国民の“失望”が始まる」と発言したばかりだった。

講演テーマは全く別のものだったが、敢えてそう言わせてもらったのには、理由がある。輿石氏は、盟友である小沢一郎氏と同様に、多くの疑惑を持つ人物だ。それも政権の中枢を担うには、致命的なものである。

輿石氏は、全国でも過激なことで知られる山梨県教職員組合(いわゆる“山教組”)の闘士である。7年前の自身の参院選で、支持母体である山教組の教員たちが選挙資金集めや選挙の電話勧誘など組織的な活動をしていたことが判明し、教員の政治活動を禁じた教育公務員特例法に違反していることを指摘された。

圧倒的な組織力を誇る山教祖が激震したこの事件は、山教祖の教員の中から、罰金や停職などの処分を受ける者が相次ぐ事態に発展していく。だが、輿石氏は3年前の山教組定期大会の席上、開き直ったように「教育の政治的中立はありえない」と発言し、教育現場に政治を持ち込むこと「よし」とすることを公に宣言した。

かつて日教組の教研集会全国大会には、北朝鮮の金日成主席から「君たちは“赤い戦士”となれ」というメッセージが届き、会場が割れんばかりの拍手に包まれたことがある。日教組とは、それほど政治活動に熱心な組合である。

教育の世界に政治が持ち込まれることに対して異を唱えない親たちは少ないだろう。かつての日教組のその基本姿勢をいまだに崩さない人物を、要のポストに座らせたことで、野田新総理の「見識」と、国民をどこに連れていこうとしているのかという「意思」に対して、疑問符がついたことは間違いない。

昨日のブログでも書いたように、国民にとっては民主党の“党内融和”など何も関係がない。自分たちで勝手にやっていればいいだけのものである。しかし、その党内融和を最優先する野田新総理は、小沢氏の盟友に幹事長ポストを与えることでこれを実現しようとした。

野田氏の政治信条にとても合致しているとは思えない輿石氏にへり下ることでしか党内融和が図れないとしたら、これはもう野田政権は最初から行き詰っているとしか思えない。党内融和を図るなら、輿石氏でなくてもほかにいくらでも候補者がいたはずだからだ。

幹事長として、テレビに出演して見解を表明することも拒絶する75歳の日教組の老闘士・輿石氏。その人物を政権の要に起用したことは、野田氏にとって、これで手に入れた“脆弱な党内融和”より遥かに大きな損失に違いない。

言うまでもなく幹事長ポストは、選挙の公認権に強い影響力を持っている。再び“小沢チルドレン”たちが大量発生するような悪夢だけは見たくないものである。

カテゴリ: 政治

国民には関係ない「党内融和」

2011.08.29

怨念の凄まじさを見る民主党代表選だった。親小沢か、反小沢か。相変わらず国民とは何の関係もない低次元の代表選を見せられた。

本日の民主党代表選で、第1回目の投票では、小鳩連合の支援で143票を集めた海江田万里氏がトップ。しかし、野田佳彦氏との決選投票ではわずか「34票」、率にして「23%」しか票を上積みすることができず、獲得票は177票にとどまった。

一方の野田氏は1回目が102票で、2回目は一挙に「113票」、率にすれば「110%」の票を上積みして獲得票を215票まで押し上げた。1回目投票の倍以上である。

雪崩を打つというのは、まさにこのことだろう。各陣営の票が、一挙に野田氏に流れ込んだ。「ここまで小沢一郎氏への反発は強いのか」と、国民も民主党内の怨念の深さを改めて見せつけられた格好になった。

かつて海江田氏は『僕が小沢政治を嫌いなほんとの理由』という本を書いている。しかし、その後、鳩山グループに入った海江田氏は、親分の鳩山由紀夫氏を介して小沢氏のご機嫌を伺うようになる。それにつれて、党内で誰もが羨ましがる枢要ポストを歴任するようになった。

小鳩連合の支持によって今回、海江田氏は総理有力候補となったが、党内の反発は予想以上だったのである。海江田氏は、衆院の通商産業委員会で執拗な出処進退に対する質問に対して感極まって涙を流すなど、情緒面からも一国のリーダーにふさわしい人物とはとても思えなかった。

それに対して野田氏は、風貌通りの愚直系のキャラクターを前面に押し出した。今日、1回目の投票にあたって、あえて「初めて選挙に出た時の苦労話」を演説したのは、国家のリーダーを決める代表選では違和感があった。「いったい何を言っているんだ」と一般の人は思ったに違いない。

しかし、これは海江田氏との違いを徹底的に強調する野田氏のしたたかな戦術にほかならなかった。つまり、力のある者には迎合する海江田氏と、愚直を売り物にする自分との差を強調するための戦略である。地盤も看板もない中から這い上がってきた自分を印象づける作戦である。

“海江田総理”の誕生によって、この20年間、永田町を混迷させてきた小沢氏の専制政治の悪夢をさらに見つづけるのか、それとも、地味で愚直な“野田総理”を戴き、活路を見出すのか。選挙基盤の脆弱な民主党の各議員は、小沢氏の意のままになる人物よりも、地味で愚直な政治家の方を選んだのでことになる。

小沢氏と小沢チルドレンたちも、小沢氏に対する怨念と反発の強さをそろそろ悟るべきだろう。私自身は、野田新総理に期待する点はほとんどない。だが、少なくとも海江田氏よりは、国民にとってベターな選択だったと思う。少なくとも5人の候補者の中ではもっとも行財政改革に熱心であり、露骨な介入をしてくる小沢政治に対抗できる図太さを持っているからだ。

野田氏に逆転されて「2位」にすらなれなかった前原誠司氏には、原因がどこにあったのか、よく考えて欲しい。陣営の幹部に「仙谷由人」という人物を抱え、その影響を受けることと、偽メール事件で代表の座を追われ、さらには外国人献金問題で外相の地位も追われた前原氏の姿勢そのものに、多くの民主党議員が「?」を抱いているのは間違いない。前原氏は、愚直な政治活動によって、その議員たちの疑問符を徐々に取り除いていくしかないだろう。

あたりまえのことだが、国民には、民主党の“党内融和”など関係がない。大震災からの復興が待たれる日本に、そんなものにつきあっている余裕も時間もない。野田氏には、そのことをしっかり考えて欲しい、と思う。

カテゴリ: 政治

新総理は一刻も早い「解散総選挙」を

2011.08.27

太平洋戦争の生き残りにお会いするために関西にいる。今日は大阪、明日は奈良の吉野である。サイパンやレイテ島からの奇跡の生還者に取材をしている。仲間の死を数多く見てきた老兵たちのひと言ひと言が胸に迫る。

100人の戦士には100人分の思いと100人分の地獄の体験がある。今日、大阪でお会いした現在88歳の元戦士は、4時間以上にわたって玉砕の島・サイパンの極限の戦場のことを語り続けた。大正生まれの男たちが後世に託す言葉をひとつひとつ受け止めていきたいと思う。

さて、管直人首相が昨日、退陣会見をおこない、29日投開票の5人の候補者が揃った。これまでのブログでも書き続けているように、「国民の生命・財産を守る」という国家の領袖としての使命すら知らない市民運動家の政権がやっと「終わった」のである。

だが、5人の総理候補者を見て、誰が総理になっても果して国民は新政権を支持するのだろうか、と思う。小沢一郎元代表の支持が欲しくて仕方ない彼らは、小沢氏にすり寄り、小沢氏本人の面接によって「意のままに動くかどうか」ということを試された人物もいる。

有力候補である前原誠司・前外相もその一人だ。だが、「自分を蔑ろにしている」と小沢氏に判断され、残念ながら支持を得ることができなかった。前原グループ幹部には“唯我独尊”の仙谷由人・元官房長官がおり、たとえ前原政権が誕生しても、国民の支持という点では、前原氏も苦戦することになるだろう。

小沢頼りで立候補した海江田万里・経済産業相に至っては、かりに海江田政権が誕生すれば、「実質総理は小沢氏」という悪夢を国民は見続けることになる。民主党の「党員資格がない」人物が、陰の総理になるなど、誰が納得するだろうか。

民主党は、小泉純一郎氏の郵政選挙(2005年)で圧倒的な衆院勢力を誇った自民党が、小泉氏以後、総理を猫の目のように変えた時、「一刻も早く総選挙を」と訴え、国会でもそのことを主張し続けた。

今こそ、その時の“正論”を思い出すべきだろう。新総理の役割は、解散総選挙を一刻も早く打つことだ。そして国民の真意を知らなければならない。

民主党という政党が持つ能力や政策がここまで国民の支持を失った以上、総理の首をただすげ換えても、それは何の解決にもならない。そのことが却って日本の現在の閉塞状況を深める可能性もある。新総理の英断に期待したい。

カテゴリ: 政治, 歴史

悲劇の地・鹿児島「桜島」の悠然たる姿

2011.08.24

いま鹿児島にいる。太平洋戦争の元戦士を取材するためである。昨日は、硫黄島の激闘を生き抜いた95歳の老兵の証言を聞いた。とても90歳代には見えない若々しさで70代といってもいいほどの方だった。

あの地獄の戦場を生き抜いた体験を伺ったが、あまりに凄まじい日々の連続に聞いている私の方が唖然とした。70キロあった体重が半分以下になっても生き抜いた執念。水も、食糧もない中で、この人物を「生還」させたものは何だったのか。詳細は、12月発売の『太平洋戦争 最後の証言』の第2部「陸軍玉砕編」をお待ちいただきたい。

それにしても、鹿児島県ほど戦争の影を色濃く残しているところは少ない。県内のあちこちに沖縄を取り囲むアメリカ機動部隊に向かって特攻機が出撃していった飛行場があり、そのうちいくつかは今も当時の姿を伝えている。

また日清・日露、あるいは太平洋戦争で最前線に投入された鹿児島の歩兵は、いつも悲劇の中心にいた、昨日取材させてもらった歩兵145連隊の老兵は、その中で奇跡的な生還を遂げた人物である。

今日は、志布志で同じ歩兵145連隊の老兵にお会いし、そのあと都城へとまわる。昨日の鹿児島は桜島の灰で、車にはうっすら白いものが積もっていた。鹿児島ならではの独特の自然現象である。だが、目の前の今朝の桜島は、この地が太平洋戦争の悲劇の地であったことが信じられないほど悠然とした姿をたたえていた。

カテゴリ: 歴史

日大三高の見事な全国制覇

2011.08.20

見事な全国制覇だった。昨秋の明治神宮野球大会での圧倒的な優勝から始まり、戦力的に日大三高が全国で頭ひとつ抜けていたことは間違いない。だが、そのチームが最後の、そして最高の舞台で、実際に「栄光を掴むこと」は容易ではない。

今年、最後の最後で「頂点」に上り詰めた日大三高は、あらゆる意味で“覇者”という名にふさわしいチームだった。相手は、準決勝までわずか1失点の光星学院・秋田教良投手。剛速球とスライダー、フォークは超高校級だ。大阪・河南シニア時代に関西大会で優勝し、強豪校からスカウトが殺到したが、秋田が選んだのは青森の光星学院だった。

そして、期待通りの成長を遂げた秋田は、青森県でのライバル青森山田を一蹴し、横綱・日大三高に挑んできた。いくら秋田といえども、日大三にストレート勝負を挑んでも難しい。外角低めに配するストレートと、内角を抉る気迫の剛速球、そしてスライダーとフォークのコンビネーションで日大三打線をどう翻弄できるか。そこに今日の勝敗の鍵があった。

だが、秋田も史上最強の日大三打線の前に力尽きた。7回9失点。甘く入った球だけでなく、自信のストレートもスライダーも痛打された。私は、試合を見ながら、「ストライクゾーンとバッティングゾーンは違う」というプロ野球“伝説の打撃コーチ”故・高畠導宏さんの言葉を思い出していた。拙著『甲子園への遺言』の主役のあの高畠さんだ。

人それぞれに打法もゾーンも違う。なにもルールに決められたストライクゾーンだけを打つ必要はない。バッティングの基本は、あれこれ「考える」ことではない。来た球を「打つ」ことである。そして、それはストライクゾーンだけである必要はない。あくまで自分の“バッティングゾーン”であればいいのである。

高畠さんはそのことを選手たちに語り続けた。多くのプロ野球選手がそれを頭に刻んで、自分独特の打法をつくり上げている。日大三打線を見ていればわかるが、彼らはそれを実践しているのである。それぞれの打者が自分の“バッティングゾーン”を持ち、それをフルスイングしている。

ストライクゾーンから外れたボールでも外野に痛烈に弾き返してくるその打法に、序盤で光星学院の秋田投手が驚愕の表情を一瞬見せたのが印象的だった。日大三の小倉全由監督が育てる打線には、その“基本”が徹底的に植えつけられている。ボール球でも強烈に打って来る闘志と気迫、そしてそれを伸び伸びとやらせる小倉マジックが、今日は最高の舞台で見事に花開いたのである。

大会屈指の日大三・吉永健太朗投手は、6試合すべてに登板し、しかも、ベスト8からは被安打5(対習志野)、被安打6(対関西)、被安打5(対光星学院)という尻あがりの投球を見せた。あのキレのある140キロ半ばのストレートと、縦のスライダーやシンカー、フォークを駆使されては、高校生ではなかなか打てるものではない。

投手力、打力、戦略、戦術、練習量……あらゆる意味で、他のチームを圧倒した日大三高。今後は、同校の強さの秘密を盗もうと、さらにライバル校のマークが厳しくなるだろう。名将・小倉監督がそれをどうハネ返していくのか、今後も興味が尽きない。

カテゴリ: 野球

歴史の証言者たちと「甲子園」

2011.08.19

一昨日は、ニューギニア戦線の生還者(89歳)、今日はインパール作戦の生き残り(91歳)にお会いし、地獄の戦場のようすを伺ってきた。『太平洋戦争 最後の証言』第2部の「陸軍玉砕編」の取材である。

発売間もない第1部の「零戦・特攻編」も、幸いに売れ行きは好調のようだ。多くの方に、大正世代の若者の生きざまと無念の思いに目を向けていただければ、と思う。

ところで明日は、甲子園の決勝戦である。優勝候補の呼び声が高かった日大三高がついに決勝に進出した。西東京大会の日大三高戦に足を運び、実際に吉永投手や畔上、横尾、高山、清水などの強力打線を目の当たりにしていただけに感慨深い。毎年のように、これほど全国屈指の強力打線をつくり上げてくる日大三高には頭が下がる。

私は、かつて町田市にある日大三高の合宿所に小倉全由監督の取材に行ったことがある。グランドの隣に合宿所があり、ここに住み込んでいた小倉監督は、野球だけでなく、日頃の生活ぶりから選手たちを指導していた。

生活そのものと一体化した豊富な練習量によって、その圧倒的な打撃力が支えられていることは言うまでもない。毎年、投手力よりも打力が有名な日大三高だが、今年は、高校球界屈指の吉永健太朗投手を擁している。小倉監督はきっと「この戦力で勝てなければ、どこが全国制覇できるのか」という思いを持っているに違いない。明日は、思いっきり選手たちを爆発させる小倉マジックの伸び伸び野球が展開されるだろう。

青森代表の光星学院の決勝進出も感慨深い。今から42年前、青森代表の三沢高校が出て以来の快挙である。私は、手に汗握って観たその三沢高校と松山商業との昭和44年夏の決勝戦を思い出す。

いまだに「ストライクだったか、ボールだったか」という議論が続く0対0で迎えた三沢高校の延長15回裏、一死満塁ワンスリーのあとの5球目。松山商業の井上明投手が投じたあの低い球が「ボール」と判定されていれば、“押し出しサヨナラ”によって東北地方にはその時点で深紅の大優勝旗が渡っていたことになる。

大震災の今年、その東北の悲願が、光星学院によって実現されるかもしれない。剛腕の秋田教良投手には、あの時の太田幸司投手を上回る迫力を感じる。大優勝旗を持ち帰る資格は十分にある。だが、外のスライダーを日大三高が強振してくれない場合、秋田投手の投球幅は狭くなるだろう。どこまで秋田投手が我慢できるか。

参考になるのは、西東京大会決勝で早稲田実業の内田聖人投手が日大三高相手に繰り広げたピッチングだ。外角に制球よくストレートとスライダーを配し、さらに要所で内角をずばりと突くピッチングで内田は日大三高打線を5安打2点に抑えている。言うまでもなく、日大三高打線を5安打2点に封じたピッチャーは、内田だけである。光星学院の勝利への鍵は、この内田のピッチング法が握っていると言えるだろう。

一方、疲労が極限まで来ている日大三高の吉永投手も不安を抱えている。「相手に不足はない」という強豪同士の激突。甲子園には、決勝戦だけに現われる魔物がいる。神は、どちらに微笑むのか。久しぶりに伯仲の決勝戦を観られそうだ。

カテゴリ: 歴史

日米開戦70周年の年の「終戦記念日」

2011.08.15

今日は、日米開戦70周年の「終戦記念日」だった。私も靖国神社に足を運んで、230万人の戦死者の鎮魂の参拝をさせてもらった。年々多くなる靖国への参拝者の数に、私は驚きを覚えている。

今年、私は零戦特攻で死んだ日系二世の松藤大治少尉の生涯を描いた『蒼海に消ゆ』(集英社)と、『太平洋戦争 最後の証言』(小学館)の2冊を上梓した。いずれも、無念の思いを呑みこんで若くして死んでいった男たちの姿を描いたノンフィクション作品である。

先の大戦での230万人の戦死者のうち、およそ200万人が大正生まれの青年たちだと言われる。つまり、太平洋戦争は、大正生まれの若者たちの戦争だった。彼ら大正青年は、実に同世代の「7人に1人」が戦死した悲劇の世代なのである。

高齢化が進む中、すでに大正10年生まれの兵士たちが満90歳を迎えている。それと共に、死んでいった仲間の思いを代弁しようとするご高齢の元戦士の方が多くなっている。私の前述の作品はいずれもそうした方々の思いと記憶によって描かれた作品である。

子孫も残さず亡くなっていった若者に後世の私たちが感謝と尊敬の気持ちを抱くのは当然だと思われるが、この国では「それはいけないこと」だと長い間、教えられてきた。しかし、私は今日の人、人、人……で溢れた靖国神社のようすを見て、その愚かな教育が打破されつつあることがわかった。

今日の靖国の参拝者には、お歳を召した方々のほかに若い人も非常に多かった。家族連れも沢山いた。若い人の割合は、ここ数年、どんどん増えている気がする。

日本には、さまざまなイデオロギーを持つ人がいる。だが、子孫も残さず、若くして地獄の戦場で命を落としていった戦死者たちを弔い、慰霊と感謝の気持ちを後世の人間が表すことは、イデオロギーなどというものを超えた“人間として”当たり前のことであると思う。

過去を見つめ、それを将来の教訓とすると共に、潔く、使命感と誇りを持って死んでいった若者がかつていたことを私たちは忘れてはならない。今日の靖国神社に集まったのは、人間として「当然のこと」をするために集まった人々であり、さらに言えば歴史を深く考えようとする人々であったと、私は思う。

カテゴリ: 歴史

太平洋戦争の「重要場面」に遭遇した老兵たち

2011.08.14

明日の終戦の日を前に、産経新聞の本日朝刊の第3社会面(25面)に、私が司会をさせてもらった座談会記事が掲載された。「日米開戦70年目の検証 兵士の証言」と題された特別座談会である。

まるまる一面を使った特別記事で、私自身も朝、産経新聞を開いてあまりの記事の大きさに驚かされた。それだけ特別座談会に参加していただけた元兵士の経験が凄まじかったということだろう。

座談会に参加していただいたのは3人だ。真珠湾でアメリカ太平洋艦隊の旗艦ウエストバージニアに魚雷を打ち込んだ空母『加賀』の雷撃機の隊員・前田武さん(90歳)、昭和12年12月の南京攻略戦で南京の光華門を爆撃し、真珠湾・ミッドウエー・ガダルカナル等々でも激闘を演じ、何度も九死に一生を得て生き残った零戦パイロットの原田要さん(95歳)、海兵67期で、フィリピンのマバラカット基地にて特攻第1号の「敷島隊」のメンバー大黒繁男上飛兵を指名した201空311飛行隊の飛行隊長・横山岳夫さん(94歳)の3人である。

今回の座談会をお願いしたら、3人とも快く応じてくれた。都内に住む前田さんを除いて、わざわざ横山さんは福岡から、原田さんは長野から上京してくれた。90歳を遥かに超えたお二人が、地方から出て来てくれたこと自体に私は感激した。

座談会のメインタイトルには「散った青年たちの潔さ 教訓に」と銘打たれている。私は、毅然とした日本人像をなんとかノンフィクション作品として残したいと活動をつづけている。その思いに、太平洋戦争という悲劇の中で、毅然と生きた当事者たちがご高齢にもかかわらず応えてくれたことに、この上ない感謝の念を抱いた。

すでにインターネットでも閲覧できるようだが、詳細は今朝の産経新聞で是非ご覧いただければ、と思う。「大正100年」そして「開戦70周年」の記念の年に、無念の思いを呑みこんで亡くなっていった200万人もの大正生まれの若者たちの真実の姿をさまざまな形で発表させてもらえるのは、ジャーナリストとしてこの上ない喜びだと、つくづく思う。

カテゴリ: 歴史

日航機事故から26回目の夏

2011.08.12

今日は日航機墜落事故から26年目の「8月12日」である。昨年のこの日、『風にそよぐ墓標―父と息子の日航機墜落事故』を上梓した私は、御巣鷹山にいた。これまで語られることのなかった日航機事故での「父と息子」の真実の物語を描いたノンフィクション作品である。

大臣として初めて慰霊登山に来た前原誠司・国土交通相と私は御巣鷹の尾根ですれ違った。部下やマスコミを多数引き連れての行列だった。その途中、本書で取り上げさせてもらったある犠牲者のお孫さんに声をかけられ、感激したことを覚えている。

この作品は、日本航空自体が経営破綻し、事故が風化しつつあることに対して、実際に事故当時から取材にあたった私が四半世紀をかけてやっとその責任を果たしたものだった。全国にご遺族を訪ね歩き、さまざまな秘話をお聞かせいただいた。

ジャーナリストとして、ささやかだが、長期間にわたって思い続けた自分なりの使命を実現した作品だった。御巣鷹山では、取り上げさせてもらった6家族の父親の墓標に手を合わせた。

この作品が、取材先のある人物から、朝日新聞紙上を通じて「著作権侵害だ」「盗作だ」として、攻撃されているのは、このブログで何度も記述した通りである。長時間にわたって取材に応じてもらい、手記本の提供も受け、それをもとに事実関係を描写した作品が「盗作」なのだそうだ。

私はそのこともあって、今日、御巣鷹山の慰霊登山を控えさせてもらった。大変、立派な企業人であり、家庭人だったこの方の亡き夫の墓標に、どう手を合わせていいか、心の整理ができなかったからである。

誰も刑事責任が問われることがなかった日航機墜落事故。私は、それに今も異を唱えるジャーナリストの一人である。そのことを必死で訴えた『風にそよぐ墓標―父と息子の日航機墜落事故』を書店で目にした時は、是非、一度、手にとっていただければ、と思う。

なぜなら、この本には絶望から這い上がってくる遺族たちの凄まじい戦いが、そのまま描写されているからである。悲劇を風化させてはならない。さまざまなことに悩んでいる方に、きっとこの本は勇気と不屈の闘志を思い出させてくれると信じている。

カテゴリ: 事件

記録映画「二重被爆 語り部・山口彊の遺言」

2011.08.08

よさこい今夜、渋谷の「アップリンク」でおこなわれたドキュメンタリー映画「二重被爆~語り部・山口彊の遺言」の上映会にゲストとして招かれ、上映後のトークセッションに参加してきた。

この映画の製作者である稲塚秀孝監督と私との対談である。稲塚さんとは、伝説の大投手、ヴィクトル・スタルヒンの生涯を追ったNHKのドキュメンタリー番組で私がナビゲーター役を務めて以降、何かとお世話になっている関係だ。

山口彊(つとむ)さんは、広島と長崎で2度も被爆した稀有な生き残りだ。昨年1月、93歳で生涯を閉じたが、晩年は核廃絶の重要性を訴えつづけ、『タイタニック』や『アバター』などで知られる巨匠ジェームス・キャメロン監督と会い、「あなたにバトンを託した」と伝えて、その10日ほどのちに息を引き取っている。

稲塚監督は、山口さんの晩年をドキュメンタリーとして撮りつづけ、このほど上映会にこぎつけた。生の映像として山口さんが核廃絶を訴える姿はやはり迫力がある。思わず引き込まれてしまう秀作だ。

大震災と東京電力の不始末で原発の安全神話が崩壊した折も折だけで、観客の関心はよけい強いように感じた。拙著『太平洋戦争 最後の証言』が今日から書店に並び始めたのも、なにかの縁だろう。

私は自著の話も交えながら、トークの中で、「世の中には天から使命を与えられたとしか思えない人がいる。山口さんはまさにその人だ」と訴えさせてもらった。熱心な方が多く、質問も活発で、私もいろいろと勉強になった。

私はトークの最後の方で、「皆さんは、核廃絶は実現しないと思っているかもしれませんが、核というのは、“拡散”が進めば進むほど“廃絶”に近づくものです。一部の超大国が核を独占していた時代は核廃絶など夢の夢でしたが、今ほど核拡散が進んでくると、逆に廃絶が近づいているという見方ができる。だからこそ、こういう記録映画が持つ意味は重要なのです」と話をさせてもらった。

核廃絶――それは、唯一の被爆国である日本の悲願だが、それが将来、「現実になるかもしれない」という話である。そのためには、国民も発想の転換が必要だと思うが、そのことはまた機会を改めて書かせてもらおうと思う。

暑い中、上映会とトークセッションに集まってくれた観客の真剣な表情を見て、私は少しホッとした。こういう真面目で地動なイベントに、わざわざ足を運ぶ人がいることを知っただけでも嬉しかった。

世の中、お盆間近で今週末あたりは、東京も閑散となるだろう。いよいよ “日本の夏”の本番到来である。そんな中で、問題意識を持った多くの人たちの熱気に、勇気をもらえた夜だった。

カテゴリ: 歴史

2年前の快進撃を思い出させてくれた「花巻東」

2011.08.07

凄まじい試合を見た。夏の甲子園大会2日目の第3試合、帝京対花巻東戦である。優勝候補・帝京に挑んだ花巻東は、やはり今年も素晴らしいチームだった。

帝京は、1年生の時から注目を集めている本格派・伊藤拓郎投手だ。だが、この剛腕投手に花巻東は闘志を剥き出しにして襲いかかった。たしかに帝京の伊藤投手は、最上級生になって、下級生の頃のキレのある球を失っている。スライダーを見極めて好球必打に徹すれば攻略できないピッチャーではない。

しかし、花巻東の食い下がり方は、試合前の予想をはるかに超えるものだった。どの打者もボールには手を出さず、しぶとく食い下がっていく。このチームの特徴は、いつも1番には1番、2番には2番、クリーンアップにはクリーンアップ……といった具合に、それぞれの持ち場に“職人”が揃っているところである。

菊池雄星投手が大活躍した2年前の花巻東も同じだった。特に今日注目したのは、2番バッターの大沢永貴二塁手だ。身長は160センチ台半ばと小柄だが、徹底してボールをカットし、好球だけをひたすら待ち、甘い球が来ればバットで強く叩いてセンターを中心に弾き返す。

いつも大沢君が打席に立つと、ファウルばかり打たれるので、相手エースにとっては一番嫌な選手だ。今日も、実際に伊藤はこの大沢に苦戦して、調子を崩していった。

大沢2塁手を見ながら、私は2年前の花巻東の2番バッター・佐藤涼平君を思い出した。身長155センチに過ぎない佐藤君は、肩なども華奢で、童顔の顔も相俟ってとても高校球児には見えなかった。

私は甲子園での取材で佐藤君に「佐藤君は、徹底したファウル打ちを日頃から練習しているの?」と質問したことがある。すると佐藤君は「はい。2番には2番の役目がありますから」と明確に答えてくれた。

その佐藤君を彷彿させるのが、今年の2番・大沢永貴君だ。たとえヒットが打てなくてもデッドボールか四球で絶対に塁に出る、という執念が感じさせてくれる選手だ。こういう選手がいれば、相手投手は波に乗れず、崩れていく。

それが、今日の追いつ追われつのシーソーゲームに現われていた。試合は、帝京が8対7という1点差で花巻東を振り切ったが、実に見応えがあった。全体の力量がたとえ劣っていても、高校野球はしぶとく食らいつく選手を育てれば、きちんとした野球でき、甲子園でも十分戦えることを、今年も花巻東が証明してくれたように思う。今日の試合で7回に大沢君が熱中症でベンチに退いた時、花巻東は「力尽きた」ように思えたのは私だけだろうか。

1か月前、日体大野球部に入っていて1年生の春から活躍していた佐藤涼平君が自殺したという衝撃的なニュースが流れた。だが、彼が花巻東に残した野球は、しっかり後輩の大沢君に引き継がれていたことが今日わかった。

高校野球とは、「指導者」や「練習法」によって、いろいろなハンディを克服できるものであることを教えてくれたように思う。花巻東の佐々木洋監督の変わらぬ手腕に感心させられた試合だった。

昨日開幕した甲子園には、強豪校が続々と登場している。新聞が優勝候補として挙げた聖光学院、習志野、明徳義塾、帝京などが、この2日間で出て来たが、いずれも絶対的な力はなく、今大会は大混戦になることが早くもわかった。今年の甲子園、ますます注目だ。

カテゴリ: 野球

発売になった『太平洋戦争 最後の証言』

2011.08.05

今日、新著『太平洋戦争 最後の証言(第1部 零戦・特攻編)』が小学館から発売になった。戦死者が実に230万人に達した日本の有史以来、未曾有の悲劇・太平洋戦争。その最前線で戦った元兵士たちを全国に訪ね歩き、これを再現した戦争ノンフィクションである。

戦後生まれの私が描きたかったのは、戦場で非業の死を遂げた兵士たち、あるいは九死に一生を得て生還した兵士たちは、あの戦争をどう受け止め、自分たちの運命をどう捉えていたのか、ということである。それは、太平洋戦争(大東亜戦争)とは何だったのか、という本質を教えてくれるものだからだ。

真珠湾攻撃という「開戦」から70年が経ち、最前線で戦った元兵士たちも90歳を越え、戦争そのものが“歴史”となりつつある。そんな中、過去を軽んじる風潮にジャーナリストの一人として、ささやかな抵抗を試みたものでもある。

本書に登場いただいた方々の体験は凄まじい。真珠湾攻撃でアメリカ太平洋艦隊の旗艦・ウエストバージニアに魚雷をブチ込んだ空母『加賀』の雷撃機の現在90歳の元隊員や、昭和12年の南京攻略戦で南京の光華門を爆撃し、真珠湾・ミッドウエー・ガダルカナルでも激闘を演じ、何度も九死に一生を得て生き残った95歳の元零戦パイロット、フィリピンのマバラカット基地で特攻第1号の「敷島隊」のメンバーを指名した94歳の元飛行隊長など、枚挙に暇ない。

また、実際にアメリカ艦船に特攻して命が助かった84歳の奇跡の生還者や、人間爆弾・桜花に搭乗した90歳の元「桜花」隊員、あるいは陸軍が開発した前方3キロをすべて破壊し尽くす「桜弾」と呼ばれる重爆撃機の85歳の元搭乗員……等々、私は、彼ら元戦士たちに話を伺いながら、「これが本当に現実なのか」と、何度も驚きと感動に包まれたものだ。

私が、太平洋戦争の元兵士たちの証言にこだわるには、理由がある。彼らは、戦争で同世代の男子が「7人に1人」戦死しながら、それでも戦後、仲間の無念を胸にがむしゃらに働き、彼らが社会の第一線から退いた時、日本は復興どころか「世界第2位の経済大国」となっていたからである。生涯、前進することをやめず、今の日本をつくり上げた彼ら戦争世代の男たちの思いをどうしても私は後世に伝えたかったのだ。

昨日は、ある新聞社がこの本に注目してくれ、老兵たちの座談会を企画してくれた。座談会が終わったあと、そのまま飲み会となり、最後は新宿に流れて、終わった時は、夜10時近かった。90歳を超える大正世代のパワーと精神力には改めて驚かされた。

彼らに共通するのは、今の日本人からは想像もできない強烈な「使命感」と「責任感」である。自分たちがなぜ戦場に向かい、いったい何を守ろうとしたのか。そのことを必死に後世に伝えようとする大正世代の証言に、多くの国民が耳を傾けることを心から願う。

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いよいよ日本列島の8月

2011.08.01

山口、広島の出張を終えて、夜遅く、東京へ帰ってきた。おかげでどうしても観なければならなかった西東京、東東京の高校野球決勝戦を見逃してしまった。ビデオに録っているので、これからじっくり観させてもらおうと思う。

西東京は日大三と早実、東東京は帝京と関東一の激突という注目の一戦となった。いずれも甲子園に出れば、優勝候補となる強豪校同士の対決だった。

結局、吉永健太朗を擁する日大三と、伊藤拓郎を擁する帝京が東京を制した。2人ともプロのスカウトが二重マルをつける本格派投手だ。両チームとも投打のバランスが抜群にいいだけに、甲子園では深紅の大優勝旗に絡む活躍を見せるだろう。

今日、全国最後の代表校となったのは、大阪の東大阪大柏原である。強豪の大阪桐蔭を終盤の粘りでひっくり返し、9回サヨナラ勝ち。先行する大阪桐蔭を、7、8、9回で5点を挙げて7対6と逆転した底力は脅威だ。春夏を通じて初めての甲子園だが、激戦の大阪を制した実力だけに、これまた甲子園で台風の目となるだろう。

本日、私は広島の呉で戦艦大和の設計を担当した91歳の元設計者を取材させてもらった。さまざまな秘話を伺い、改めて大和建造の意味を知った。

その直前には、大和ミュージアムにも寄り、前著『蒼海に消ゆ』でお世話になった元零戦パイロットの大之木英雄氏、あるいは大和ミュージアム艦長の戸髙一成氏とお会いし、さまざまな話を聞かせていただいた。

呉海軍工廠は、数々の戦艦を生み出した伝統の海軍工廠だ。私は呉を訪れるたびに、目の前で70年以上前の歴史が息づき、新たに何かを語りかけられているような気がする。これらの取材の成果は、また単行本として世に問わせていただきたく思う。

今日から8月。うだるような暑さは、日本列島どこも変わらない。ただし、戻ってきた東京の不快な“都市熱”だけは、どこにもないものだ。明後日締切の週刊誌原稿を抱えているので、喘ぐようなこの暑さの中で、もうひと踏ん張りである。

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