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生き残る「大学」はどこか

2011.10.30

昨夜、母校・中央大学の新学長に決まった法学部の福原紀彦教授のお祝いに親しい人間が集まった会が新宿のホテルであった。福原教授は、中央大学野球部の部長でもあり、私も長くおつきあいをさせてもらっているので駆けつけた。

会場につくと福原教授のお祝いだけでなく、私の「山本七平賞受賞」のお祝いまでやってくれる段取りになっており、びっくりした。いきなり壇上に上げられてスピーチということになってしまった。

福原教授の温かい人柄を表わすようにアットホームな会だったので、ざっくばらんに話をさせてもらった。それぞれの大学が今後、どう生き残っていくのか、私もジャーナリズムの人間として大いに興味を持っている。少子化や長引く不況によって生き残る大学とそうではない大学が、だんだん明確になってきているからだ。

今年、明治大学が受験生の数で2年連続トップをとり、早稲田大学が前年まで11年連続1位だった王座を完全に奪い去った。当然、大学入試の難易度も上昇しており、付属校の明大明治高校をはじめ、系列校も人気校となってきている。

かつての私学の「人気地図」に変化が生じているのは、間違いない。マスコミ・ジャーナリズムの分野でも、多くの人材を送り込む大学と、かつては名高いジャーナリストを生みながら、今はほとんど送り込めなくなっている大学もある。

福原新学長は中央大学法科大学院の院長も務め、司法試験合格者で常にトップを競う土台をつくった手腕の持ち主だ。私は、そのあたりの期待を込めてスピーチをさせてもらった。

会では、久しぶりに会うかつてのサークル仲間たちもおり、時間が経つのを忘れて話し込んでしまった。締切に追われている私にとって、ほっとした、そして英気を養う貴重な時間となった。

カテゴリ: 教育

最後に「勝敗」を分けるのは何か

2011.10.29

いよいよ2011年の野球の総仕上げのシーズンがやって来た。一昨日、ドラフト会議が終わったと思ったら、今日からプロ野球のクライマックス・シリーズ(CS)が開幕だ。全国各地では、来春の選抜甲子園の出場校が決まる地区大会もおこなわれている。

今日のパ・リーグのCSファーストステージ「日本ハム対西武」の第1戦の先発は、ダルビッシュ有(日ハム)と涌井秀章(西武)だった。片や5年連続防御率1点台のプロ野球記録を打ち立てたダルビッシュに、防御率2点台という涌井の両エース対決である。

来シーズンのメジャー入りが有力視されるダルビッシュの投球は圧巻だった。ほとんど150キロを超えるストレートと打者の手元で浮き上がるカットボールを武器に、西武打線を7回1点に抑えた。特に、西武の4番、本塁打王の中村剛也に対する投球には目を見張った。

中村相手には、1球もあまい球が来なかった。外角をよぎる高速スライダーと、155キロを超えるホップするダルビッシュのストレートは、とても「人間が打てる」ようなものではなかった。「いったいこの男は来年メジャーでどれほどの活躍をするだろうか」――私だけでなく、多くの野球関係者がそう思っただろう。

試合は終盤、日ハムのリリーフ陣が打たれて延長戦にもつれ込み、結局、延長11回5対2で西武が逆転勝ちした。今晩には、セ・リーグのクライマックス・シリーズも始まる。昨年、千葉ロッテがパ・リーグ3位から接戦の連続で奇跡的な「日本一」の座を獲得しているだけに、シリーズの行方には目が離せない。

高校野球もいよいよ“クライマックス”だ。秋季地区大会の結果が続々と出ている。東京では帝京と関東一、九州では神村学園と九州学院、四国では高知と鳴門、東海は愛工大名電と三重、東北は光星学院と聖光学院、北海道は北照と札幌第一、北信越は敦賀気比と地球環境……といった具合に地区大会で決勝に進み、来年の選抜甲子園への出場が確実視される学校が次々名乗りを挙げている。

大学野球もほとんどのリーグで最終週を迎えている。東京六大学では早慶戦がおこなわれ、東都では、勝率勝敗がぴったり並んだ亜細亜大学vs青山学院の優勝決定プレーオフが11月2日におこなわれる。

私はそれぞれの試合を直接観戦する場合もあるし、テレビで観る場合もある。迸(ほとばし)る選手たちの闘志がびりびりと伝わってくる球場での観戦がやはり一番だ。こういう試合で最後に勝利の女神が微笑むチームと敗れ去るチームとの「差」がどこにあるのか、私はいつも考えさせられる。

野球では、重要な試合では、より“球際(たまぎわ)の強さ”があるチームが勝利する。これは長く野球を見てきた私が強く感じてきたことだ。しかし、その「“球際の強さ”がどうしたら生まれるのか」は、野球の指導者にとって永遠のテーマでもあり、私たちノンフィクションを書く人間にとっても重要なテーマである。

12月発売の単行本の締切が間近である。『大平洋戦争 最後の証言』第2部の「陸軍玉砕編」だ。今は野球のことを考えている時間は、本当はほとんどないのだが、どうしても熱戦が映し出されているテレビ画面に釘づけになってしまうのである。

カテゴリ: 野球

またもドラマを生んだ因縁のドラフト会議

2011.10.27

これまで数多くのドラマを生んできたプロ野球ドラフト会議は、今年も感動的だった。なんといっても大学球界ナンバーワン左腕、東洋大の藤岡貴裕の「千葉ロッテ獲得」が決まった瞬間、藤岡の大きな目から溢れ出た涙が印象的だった。

千葉ロッテに1位指名されてうれし涙を流した大物選手は、私にも記憶がない。藤岡の涙は、それほど珍しいものだった。「(千葉ロッテは)最初に1位指名を言ってくれた球団だったので、嬉しくて涙が出た」と藤岡は会見で語った。

私はその感激の表情を見ながら、今から20年以上前、1990年のドラフト会議を思い出した。それは、最強の大学リーグと言われる東都大学で、通算394奪三振を記録した小池秀郎投手(亜細亜大学)に実に「8球団」が競合した年だった。

小池は、左腕から繰り出す力のある速球と“魔球”とも称された独特のフォークが武器で、即戦力の呼び声が高く、高い評価はどの球団も同じだった。そして、8球団の中で交渉権を獲得したのは、ロッテだった。

だが、小池は、ドラフト前から「西武、ヤクルト、巨人以外ならプロ入り拒否」を表明し、その言葉通り、ドラフト後、ロッテへの入団を断わって社会人の松下電器に入った。その後、故障した小池は、2年後のドラフトでは、近鉄しか指名せず、結局、プロで通算51勝を挙げるにとどまった。

しかし、今日、藤岡は「(千葉ロッテは)最初に1位指名を言ってくれた球団」だったことを語り、そして感激の涙を流したのである。ドラフト前に「12球団どこでもOKです」と言っていた藤岡の発言も相俟って、今日のドラフト会議に“爽やかさ”を感じたのは、私だけだろうか。

多くのスカウトたちが鎬を削るプロ野球界で、これほど義理固く、しかも情に厚いスターはめったにいるものではない。藤岡の涙を見た千葉ロッテのスカウトは「スカウト冥利に尽きる」だろう。

明暗を分けたのは、相思相愛の巨人に入れなかった東海大学の菅野智之である。巨人の原監督の甥であり、巨人の単独指名が予想されたが、日本ハムが土壇場で名乗りを上げ、結局、巨人との競合の末に菅野の交渉権を獲得した。

巨人は、2006年に日本ハムに指名されながら、“浪人”させてまで入団させた長野久義と同じく、菅野に日本ハムへの入団を拒否させる作戦に出るだろう。しかし、ここで菅野がその巨人の“説得”に負けたら、プロでの大成はなくなるだろう。

小池の例を見るまでもなく、野手に比べて選手寿命の短いピッチャーは、大学生の場合、社会人を経由した段階で成功する確率が著しく低下する。アスリートとして“旬の時期”をみすみす逃すのだから、あたりまえである。

いま多くの素質ある選手が各球団に分散し、おもしろい野球が全国のフランチャイズで展開されている。すでに巨人の試合も、地上波で見えることは少なくなり、BSでも地域に密着した地方球団の放映の方が圧倒的に多く、読売巨人軍の時代はすでに終焉していることを感じる。

菅野は巨人に固執する必要などまったくない。ダルビッシュ有をはじめ多くの名投手を育ててきた日本ハムにこそ、彼の大きく伸びる要素がある。「藤岡」を見習い、そして自分の右腕1本で、菅野が自らの「未来」を切り開くことを祈りたい。

カテゴリ: 野球

ゆっくり「野球」の醍醐味を味わいたい

2011.10.23

単行本の原稿が、かなり進んできた。徹夜をつづけている成果がやっと出てきた感じだ。そんな中で、今日は午後から目白の学習院大学野球グランドに行って来た。

学習院大学野球部監督の田邉隆二氏(74)が今シーズン限りで監督を退くため、その最後のユニフォーム姿を見にいったのである。田邉氏とは、駒澤大学野球部監督だった太田誠氏に紹介され、以来、親しくさせてもらっている関係だ。

4年前に上梓した『神宮の奇跡』(講談社)は、昭和33年に田邉さんが主将だった学習院大学野球部が史上初めて東都大学野球1部リーグで奇跡の優秀を遂げた時のことを描いた作品だ。いうまでもなく、それは田邉さんとの出会いがなければ、生まれなかった作品である。

その田邉さんが今季限りでユニフォームを脱ぐとなれば、学習院グランドでの東都3部リーグ最終戦となった今日、私が駆けつけないわけにはいかなかった。

相手は、3部でライバル関係をつづけてきた大正大学。同校の厚い壁に跳ね返され、ここ数年、学習院はいつも「3部優勝」、そして「2部リーグへの進出」を阻まれてきた。この秋季リーグでは、両チームとも2位と3位となり、優勝はできなかったが、それでも、今日も激しい戦いとなった。

試合は、石川県の星稜出身である学習院の坂(さか)寛太投手(2年)が好投し、大正大学の打線を封じ込んで1対0で勝利した。田邉監督の最後を飾るにふさわしい手に汗にぎる試合だった。

試合後、「長い間、お疲れさまでした」と田邉監督に声をかけると、いつものように優しい笑顔で「門田さんこそ、わざわざご苦労さま」と逆に労(ねぎら)われてしまった。田邉さんのまわりには野球関係者が多く、私の飲み仲間でもあるので、近くお疲れ会で一杯やることになるだろう。

この試合は東都大学野球の3部リーグだが、今は来年の選抜甲子園を目指して、各地の高校野球秋季大会が真っ盛りだ。日本の野球が世界一である理由は、この野球人口の層の厚さにある。

学習院グランドのバックネット裏に集まった今日の応援の人々の熱の入れようを見ても、日本の野球の強さの秘密がよくわかる。各大学リーグもいよいよ今週が「最終週」だ。月が変われば、明治神宮大会も幕を開ける。

早く脱稿して目の前の締切をクリアし、久しぶりにゆっくり野球の醍醐味を味わいたい。

カテゴリ: 野球

哀れな独裁政権の末路

2011.10.20

本日、発売になったばかりの「わが子に語りたい日本人の物語」を特集した別冊の『正論』が送られてきた。拙稿の「“義”と“信念”に生きて台湾を救った根本博」も10ページにわたって掲載されている。

先月、台湾へ出張した時にいくつかの原稿と平行して執筆させてもらったものだが、もう別冊として発売になったことに驚いた。見事な機動性である。私の原稿以外に24編の素晴らしい生きざまを見せた「日本人」が描かれている。

私が寄稿したのは、終戦時、駐蒙軍司令官として蒙古聯合自治政府の首都・張家口(ちょうかこう)にあり、内蒙古全体に在留する4万人の邦人を救うために終戦後も押し寄せるソ連軍と戦い、「国民の生命を守る」という軍人としての本義を示した根本博・元陸軍中将である。

しかも、根本氏は、その4万の邦人を保護し、日本に帰還させてくれた蔣介石と国府軍への恩義を返すために、4年後、国共内戦で敗走する彼らを助けに26トンの小さな船で台湾に密航し、国共内戦最後の戦いとなった「金門戦争」で、国府軍に奇跡の勝利をもたらした。

毅然とした生きざまを示した日本人を取り上げたこの別冊、どの一遍も読み応えがあっておもしろい。書店で見かけたら、是非、手にとっていただきたいと思う。

ここまで書いた時、リビアのカダフィ大佐の死亡情報がマスコミを通じて流れて来た。リビア国民評議会が「死亡」を発表したそうだ。ついにジャスミン革命による独裁政権崩壊の波は、42年に及ぶリビアのカダフィ政権さえ吹き飛ばしたことになる。

昨年、チュニジアでスタートしたこの民主化運動は、後世、いったいどう評価されるのだろうか。一青年の政府・治安当局への抗議の焼身自殺から始まった“世界革命”は、ベルリンの壁が崩壊し、東西の冷戦が終結することになったあの22年前の独裁政権“ドミノ倒し”に匹敵する評価を得るかもしれない。

そして今回も、世界の人々に厳然たるある「事実」が示されたと言える。国民に犠牲を強いてきた独裁政権が辿る末路は、哀れだ、と。

カテゴリ: 国際, 歴史

藤堂高虎と「生きるための覚悟」

2011.10.18

相変わらず徹夜がつづいている。12月に刊行される『大平洋戦争 最後の証言』第2部の原稿だ。締切が日一日と近づいているのに、まだ脱稿のメドが立たない。

そんな中、今日は、以前から決まっていた三重県津市での講演に行ってきた。ここのところ太平洋戦争に関する講演を依頼していただく例が多くなっている。今日もそうだった。以前は、司法や事件関連、あるいは野球に関して話をさせてもらうことが多かったが、最近は、大平洋戦争関連が圧倒的だ。

私は原稿の関係ですっかり「昼」と「夜」が逆転しているので、昨夜遅くに津に入り、今日午後、終わって新幹線に飛び乗って帰ってきた。行き帰りの新幹線でも、ずっとパソコンのキーボードを叩きつづけた。きっとまわりの乗客は、新幹線の中でパソコンと“格闘”している私を奇異に思ったに違いない。

久しぶりの津だったので早朝、私は津城に行ってみた。築城の名人と言われた、かの藤堂高虎が築いた城だ。早朝の津城の石垣を見ていて、同じ藤堂高虎の手になる四国の今治城の石垣とあまりに似ているので驚いた。

生涯で7人もの主君に仕えた高虎は、自ら「武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ」と語った戦国大名である。最後は徳川家康に仕えたが、高虎は死が間近に迫った家康に、わざわざ枕元に呼ばれるほど信頼された。

高虎が遺した言葉の中で、私は「寝屋を出るより、其の日を死番と心得るべし。心かやうに覚悟極るゆへに、物に動ずることなし」というのが好きだ。その日その日を「死」を覚悟して精一杯生きれば、何が起きても動ずることはないと、たしかに思う。

私は、そんな生涯をおくった素晴らしい日本人をノンフィクションとして描かせてもらっている。いま原稿に向かっている戦争で命を落としていった若者たちもそうだ。彼らの熱い思いと無念をできるだけ正確に後世に伝えたいと心から思う。

カテゴリ: 歴史

小沢裁判で国民は何を思うか

2011.10.11

連日、徹夜が続いている。12月発売の『太平洋戦争 最後の証言』の第2部「陸軍玉砕編」の執筆のためである。600枚の原稿と、目下、格闘をつづけている。

先週も、小沢一郎氏の初公判に関して、ブログで書きたいことがいろいろあったが、徹夜続きでそれも叶わなかった。検察が不起訴にしたこの件を検察審査会が2度も「起訴が妥当」と議決したために始まったこの公判で、小沢氏は“検察批判”を繰り広げるとはお門違いもいいところだった。

まるでトンチンカンな検察批判をおこなった小沢氏は、10月6日深夜に体調不良を訴え、日本医大病院に緊急搬送されたが、その病名は「左尿管結石」だったそうだ。猜疑心が強くて気の小さい小沢氏の“弱さ”を表わす姿だった。

「自殺未遂か?」と色めき立ったマスコミは肩透かしを食ったが、その虚勢ぶりは、初公判直後の記者会見でも表われていた。

「(検察のやり方は)小沢個人を政治的社会的に抹殺するのが目的」「明白な国家権力の乱用であり、生命を奪う殺人以上の残酷な暴力」「裁判は一刻も早くやめるべきである」――小沢氏の口から次々と出てくる異常な文言に、詰めかけた記者たちも息を呑んだ。

それらは、「強制起訴」の不当性を主張するのではなく、「裁判」そのものを否定するものばかりだった。三権分立もへったくれもない。権力者が自分の思うようにいかないことへの苛立ちを駄々っ子のようにぶつけているだけのように感じたのは私だけだろうか。

記者会見では、さらに焦点となっている「4億円の出所」を聞かれて、小沢氏は、「私のお金です。詳しく聞きたければ検察に聞いてください」と言ってのけた。そして、国会の証人喚問に応じるかと質問した記者には、「君はどう考えているの?」と、逆質問し、「三権分立をどう考えているの。もっと勉強してください」と、批判した。

焦りと動揺、それに不安が内面で渦巻いていることが、見る人だれにもわかるシーンだった。健康状態を考慮して危ぶまれた14日の第2回公判は、幸いに予定通り開かれることになったようだ。

しかし、展開次第では今後、「病気」をタテに公判延期を主張してくる可能性もあるだろう。この四半世紀、駄々っ子のようなこの政治家とつき合ってきた国民も、さすがにため息だけが漏れているのではないだろうか。

カテゴリ: 司法, 政治

辛亥革命100周年に思う

2011.10.10

今日、2011年10月10日は、辛亥革命の武昌蜂起から100周年という記念日である。10が二つ並ぶことから「双十節」と呼ばれるが、中華民国(台湾)にとっては、建国の記念日であり、100周年の今年は、特別の意味を持っていた。

台湾では本日、台北中心部の総統府前で、軍事パレードなどの祝賀行事が開かれたことがニュースで報じられていた。馬英九総統が中国に対して「民主国家の建設」を目指すよう呼びかける演説をしたそうだ。

前日(9日)には、中国の胡錦濤国家主席が北京での辛亥革命100周年記念大会で、台湾との「平和的な統一」を訴えていただけに、馬総統が「中国の民主化が前提」であることを強調したのは興味深い。

ちょうど先週木曜日(6日)、私は東京のホテル・オークラでおこなわれたこの中華民国の建国100年を祝うパーティに出席した。およそ2000人が集まった盛大なパーティだったが、そこで駐日代表の馮寄台氏が日本との関係を盛んに強調していたのも印象的だった。

私は本日発売の『Voice』に先月おこなわれた6人の日本人スイマーによる「日台黒潮泳断チャレンジ」のレポートを書かせてもらったが、日・中・台の3国の関係が微妙に変化していることをこのところ強く感じている。

わずか2300万人の台湾から、200億円という圧倒的な金額の義援金が寄せられたことなど、日本人も東日本大震災をきっかけに「台湾の存在」を意識することが多くなっている。先週、訪日して日本の経済人などと会見していった蔡英文・民進党主席は、日本との貿易で「関税撤廃」をすることなど、さまざまな提案をして帰国していった。

3か月後の来年1月、台湾では総統選がある。事実上、国民党の馬英九総統と民進党の蔡英文女史との一騎打ちである。この両者の戦いは、日本にとっても大きな意味を持つ。中国との関係強化か、それとも日本との関係強化か、二人が台湾をどこへ連れていこうとしているのか、日本人にとっても無関心ではいられない。

尖閣問題をはじめ、日本への圧力を次第に強めている中国が、大震災をきっかけに日台の関係が強固になっていることを不快に思っているのは確かだろう。1日に台湾海峡を航行する日本の船舶は、約300隻にのぼる。その台湾海峡が中国の“内海(うちうみ)”になるかならないかは、日本にとって安全保障上も極めて大きい問題だ。

私の事務所のすぐ近くには、辛亥革命を目指した孫文を支え、今のレートで1兆円もの経済的援助をおこなった梅屋庄吉の屋敷跡がある。この梅屋邸の2階で、孫文とのちに“国母”とも呼ばれる宋慶齢は、結婚式を挙げている。

辛亥革命は、この梅屋庄吉や宮崎滔天、山田良政・純三郎兄弟など、多くの日本人によって支えられて成功している。以来100年、日・台・中が歩んだ激動の日々を思うと、日本人がもっともっと中国と台湾、そして台湾海峡の行く末に関心を向けるべきでないか、とつくづく感じる。

カテゴリ: 台湾, 歴史

“淘汰の時代”を迎えたテレビ業界

2011.10.03

すっかり涼しくなった。涼しいというより肌寒いと表現した方がいいかもしれない。旭川では早くも初雪が降ったそうだ。今日の東京は、秋らしく空気も澄んで新宿の事務所から秩父山系や群馬の山々まではっきり見えた。

気候だけでなく、10月に入ってさまざまなものが変化を見せている。もちろん衣替えの季節だけに、町を歩くサラリーマンや学生の姿が、白から黒っぽい色に変わった。

そんな中でも、これから“激変”が予想されるのが、テレビ業界ではないだろうか。10月は、改編の時期にあたるため、いつものようにさまざまな番組が衣替えしているが、今ほどテレビが「変革」を自覚させられた時はないような気がする。

7月にアナログ放送が終わってデジタル放送へと完全移行したこともあり、視聴者の意識にも大きな変化が起こっている。視聴者が自分たちで好みのチャンネルを「より積極的に」選択するようになったのである。

そんな時期に合わせて、10月1日からWOWOWが衛星チャンネルで3つの放送を始めた。ドラマなどのチャンネル、映画専門チャンネル、スポーツやライブの中継チャンネルという3つである。

新たな“開局”キャンペーンで福山雅治を起用して話題になっただけにご存知の向きは多いだろうが、私のまわりにもWOWOWなどの衛星チャンネルに期待する人が驚くほどいる。

私は、拙著『なぜ君は絶望と闘えたのか』がWOWOWでドラマ化され、2010年度の芸術祭大賞を受賞したのをきっかけにWOWOWと契約して、このチャンネルを観るようになった。

WOWOWには、CMがない。契約者の視聴料だけで成り立っているため、さまざまなタブーに挑戦していくことができる。拙著のドラマ化もそのひとつだったが、テレビドラマ史上に残る名作『空飛ぶタイヤ』も大企業のCMに頼らない同局だからこそ制作できたものだろう。

そのかわり番組の質が落ちれば、視聴者にソッポを向かれる危機もはらんでいる。切磋琢磨こそ同局の生きる道なのである。WOWOWで制作されるドラマがいずれも映画並み、いやそれ以上の迫力を持っている理由がそこにある。

既存の地上波の番組は今、お笑い芸人やタレントを起用した安上がりの“字幕つきトークバラエティ番組”に席捲されている。私は、こうした危機感のない民放各局の安易な番組づくりは、やがて視聴者に背を向かれるだろう、と思う。

新聞、出版など活字業界の前途が危ぶまれるようになって久しい。しかし、テレビ業界も“淘汰の時代”を迎えていることを感じる。さまざまなことを考えさせてくれる今年のテレビ改編期である。

カテゴリ: テレビ