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激動の2011年への惜別

2011.12.31

いよいよ今年もあと「1時間」となった。2011年の大晦日も大詰めだ。私も昨日まで忘年会に追われていたが、今日は家族全員で静かに新年が明けるのを待っている。

あまりにも大きな犠牲者が出た年だった。東日本大震災は、およそ2万人という桁はずれの死者・行方不明者を生み、それと同時に政府というものの無能さが「これでもか」と国民の前に露呈された1年でもあった。

年末のニュースを見ていても、いったい民主党政権は「どこまで日本の根幹を崩すのか」と思う。国民の生命・財産、そして領土を守るという政治家の基本さえ知らない素人集団が国政を牛耳っていることの怖さをつくづく感じる。

彼ら素人政治家たちの集団が“運営”する現在の政権には、今年1年、怒りと失望の連続だった。来年は少しでも「改善」されることを望みたいが、それも無理だろう。同じような失望が年明けから続いていくに違いない。

1月14日には、日本の命運を決めるとも言える台湾総統選が投開票される。私も台湾に取材に行く予定だ。締切も年明けから相次いでいるので、また忙しい1年になると思う。

昨年、受験生だったわが家の次男も無事、入試を通過したので、今年は落ちついた正月になりそうだ。束の間の休日を楽しみたいと思う。

今年は、単行本3冊、文庫本2冊を出版した。お陰さまで12月に出した『太平洋戦争 最後の証言』第2部の「陸軍玉砕編」も好調に売り上げを伸ばしている。

来年も今年に負けず、次々と作品を発表していくつもりだ。是非、ご期待いただきたく思う。“毅然とした日本人”の姿をノンフィクション作品を通じて続々と世に問うていきたい。

今年1年、このブログを読んでいただき、ありがとうございました。そして、来年も共に前進していきましょう!


カテゴリ: 随感

“世界恐慌”の元凶になりつつある日本

2011.12.28

いよいよ年の瀬だ。東京も慌ただしさを増している。私もそんな中、連日、忘年会が続いている。日頃から徹夜が日常化しているので、忘年会といっても“その日”に終わることはほとんどない。いつも午前様になってしまう。身体に悪いと思いながら、長い間、ずっとそんな「師走」が繰り返されている。

この年末、今年1年を振り返る報道番組が毎日のように放映されている。東日本大震災に襲われた今年、そのことが番組の中心となるのは当然だろう。菅内閣のヒドさは、このブログでも書いてきたので、改めて書くまでのことはないが、それを見ながら、私は「日本は一体どこまで彼らに壊されるのだろうか」と溜息が出た。

民主党が批判政党としての能力しかないことは、以前から承知していたが、国民もこれらの番組を見ながら「ここまでひどいのか」という思いに捉われているに違いない。

先日、閣議決定された2012年度予算案の一般会計「90兆3339億円」についても、ただ溜息が出るだけである。 新規国債(いわゆる赤字国債)発行額は44兆2440億円。しかし、税収は42兆円しかなく、3年連続で「国の借金」が税収を上回る異常事態なのだそうだ。

私たちの家計で「42万円」の収入しかないのに支出が「90万円」、そして不足分を「44万円」もの借金をして生活していくとしたら、その家庭はどうなるだろうか。

5年前まで、当時の小泉首相が「30兆円以上の新たな借金(新規の国債発行)は許さない」と吼(ほ)え、この額を攻防線として激しい戦いをおこなっていたことが遠い昔のようにさえ感じる。

今では、その時の「1・5倍」もの赤字国債を発行しても恬(てん)として恥じない政権に国民は自分たちの生活を委ねているのである。

今年1年を振り返る報道番組は、さまざまなことを私たちに問いかけてくれている。イタリアの国債が暴落して大変な世界的経済不安が生じたのは、実はまったく他人事でないことを自覚しなければならない。

子どもや孫の代にツケをまわし続ける日本がついに“世界恐慌”の元凶になりつつあることをテレビに大映しの野田首相の顔を見ながら、私は考えざるを得なかった。

カテゴリ: 政治, 経済

天皇誕生日と戦艦大和

2011.12.23

今日は今上天皇の78歳の誕生日である。太平洋戦争の開戦から70周年となった今年、当時8歳だった陛下がそういうご高齢になったことに改めて時間の重さを感じる。

学習院時代の同級生たちに取材し、昭和33年の学習院大学野球部の東都大学野球の優勝と、陛下が美智子様とのご婚約に至った「2つの奇跡」について描かせてもらった『神宮の奇跡』(講談社)を上梓したのは、3年前のことだ。

今も親しくさせていただいている陛下の同級生たちも同じく78歳というご高齢になっている。どの方も年齢を感じさせない溌剌(はつらつ)さを持っていて、若い人たちを“圧倒”しているのが特徴だ。入院されていた陛下には、健康に留意され、同級生たちと同様、早く溌剌さを取り戻していただければ、と思う。

昨日は、横浜で『太平洋戦争 最後の証言』第3部の「大和沈没編」の取材を長時間にわたっておこなった。取材相手は、レイテ戦の時に第二主砲にいた生還者である。16歳になったばかりで志願して大竹海兵団に入ったその方は、3か月後に卒団して戦艦大和に乗艦。そのままレイテ戦に参加している。

栗田艦隊の一員としてレイテ湾突入を目指した大和は、46センチ砲という人類史上未曽有の主砲を100発以上発射している。謎のUターンなど、今も多くの歴史家の関心を集めるレイテ戦のようすを84歳の同氏は長時間にわたって私に教えてくれた。

「大和の乗組員の中で、私が一番年齢が下だったと思う」。まだ若々しい生還者の話を伺っていると、戦艦大和の存在が歴史の彼方(かなた)のものではなく、「すぐそこ」にあるような錯覚にとらわれた。

『太平洋戦争 最後の証言』第3部の刊行は来年4月。ぎりぎりまで戦艦大和の生還者を全国に訪ね歩きたいと思う。

カテゴリ: 歴史

奇妙な国の“権力継承”によって

2011.12.20

まことに奇妙な国の権力が28歳の若者に“継承”された。昨日、死亡が明らかにされた金正日・朝鮮労働党総書記の後継者、金正恩(28)の肥え太った身体を見て、溜息が洩れた人は少なくないだろう。

肉がついた小鼻と二重顎(あご)、そしてぷっくり膨らんだ頬……それは、餓死者が相次ぐ北朝鮮の実態とはあまりにかけ離れた姿だった。朝鮮労働党が指導する国家が、ついに「3代」にわたって世襲されたことは間違いなく世界史に特筆されるべきことだ。

1974年に父・金日成の後継者として「推戴」され、実際に権力が継承されるまでの20年間、長い長い準備期間があった金正日は、その間にラングーン爆破テロ事件(83年)、大韓航空機爆破事件(87年)、日本人拉致事件(70年代~80年代)等々という非人道的事件を次々と引き起こし、多くの犠牲者を生み続けた。そして、今回、ついにどの事件も精算することなく金正日はこの世を去ったのである。

その金正日がかわいくて仕方がなかったのが、肥え太ったこの金正恩氏である。すでに偶像化の一環として「砲術の天才」とする宣伝がおこなわれ、昨年11月には、朝鮮人民軍が韓国の延坪(ヨンピョン)島を突如砲撃し、韓国軍兵士2人と民間人2人が死亡したことは記憶に新しい。

“実績づくり”というトンでもない目的のために多くの犠牲者を生む事態は、後継者としての「期間が短かった」ため、父・金正日の時よりも小さかったのは幸いだったかもしれない。

しかし、なんの実績もない金正恩が、今後、軍へのにらみを利かせるためにどんなことを始めるかは、予想もつかない。父がいて初めて「後継者」であったこの青年が、実績もないまま軍部を抑え込める保証はどこにもないからである。

“実績”とは、人民に対する支配を「恐怖」によっておこなっているこういう特殊な国家の場合、過激であればあるほど効果がある。事件のインパクトが強ければ強いほど「恐怖」が増すからだ。

この青年の実績づくりのための犠牲者が出ないよう、隣国は今後、細心の注意を払わなければならない。2012年が東アジア大混乱の年とならないためには、国家の垣根を越えてこの無法国家と対峙する覚悟が必要なのである。

カテゴリ: 北朝鮮

東都大学野球「80周年」祝賀会に出席して

2011.12.19

昨日は、品川の新高輪プリンスホテルで「東都大学野球連盟80周年記念祝賀会」が開かれ、出席させてもらった。3年前に学習院大学の奇跡の優勝を描いた『神宮の奇跡』(講談社)を出したこともあり、私は東都大学野球と何かと縁がある。

同ホテルの国際パミール館3階の「崑崙」の間に多数の関係者を集めて開かれたパーティには、今年のドラフトの目玉だった東洋大学の藤岡貴裕や昨年の甲子園春夏連覇の中央大学・島袋洋奨、亜細亜大学のエース・東浜巨……等々の選手をはじめ、東都のスターが勢揃いした。

またプロ野球からも、横浜DeNAの中畑清・新監督(駒澤大学出身)やヤクルトの石川雅規(青山学院出)、ソフトバンクの小久保裕紀(青山学院出)、西武の西口文也(立正大学出)をはじめ、東都出身の多数の現役の選手、監督らが顔を揃えた。

プロOBの出席者は、中央大学の高橋善正監督(東映→巨人)、末次利光(巨人)、中塚政幸(大洋)の各氏ら、あまりに多すぎて数えきれなかった。大学球界ナンバー・ワンの実力を誇る東都大学リーグの隆盛ぶりをそのまま表わす会場だったと言える。

私も久しぶりにお会いする人たちが多く、そのまま品川で拙著『神宮の奇跡』の登場人物たちと二次会になった。師走も半ばを越え、私にとっては一連の単行本や雑誌記事の校了も終わり、久しぶりに野球談議に花を咲かせた1日となった。

私は、東都大学リーグは投手を含めたディフェンス力で圧倒的な力を誇っていると思っている。しかし、果たして攻撃力はどうだろうか。

東都1部の各チームは、リーグ戦のチーム打率が2割に満たない、あるいは越えてもわずかというチームがほとんどだ。各チームのディフェンス力が圧倒的であることが大きな理由だが、それだけではない。各チームが、打撃陣を“型”にはめ込み過ぎ、本来の奔放な打力が影をひそめている。奔放な打撃で“見せる野球”を展開している東京六大学との違いがそこにある。

東京六大学と東都大学野球。大学選手権の優勝回数を見ても、東都の実力が六大学を上回っていることに異論をはさむ専門家は少ないだろう。しかし、両方をウォッチしている私には、こと攻撃力に関しては、六大学が東都を凌駕していることを感じる。

東都は1点を凌ぎきって勝つという“凌ぐ野球”を追及するあまり、野球の醍醐味であるバッティングを退化させてはいないだろうか。隆盛を誇る東都祝賀会の会場に身を置きながら、私はそんなことを考えていた。

カテゴリ: 野球

李明博大統領「従軍慰安婦問題」要求に思う

2011.12.18

「無理が通れば道理が引っ込む」というのは、このことだろうか。韓国の李明博大統領が本日、野田首相に「従軍慰安婦問題の決着」を求めたニュースを聞きながら、私はそう思った。

従軍慰安婦問題の真の意味が曖昧にされたまま、こうして日本人やあの大戦で死んでいった大正世代がまた貶められるのか、と思うと、残念でならない。

従軍慰安婦という言葉は、当時はない。日本では、1958(昭和33)年に売春防止法が施行されるまで、公認で売春がおこなわれていた。そこで働く「薄幸な女性」が数多くいたのは歴史的事実である。

今からは想像もつかないほど貧富の差が大きかったあの時代、飢饉に苦しむ東北地方の寒村をはじめ、貧困の中、娘をその世界に心ならずも出す家が沢山あった。それは、“口減らし”であり、同時に“女衒(ぜげん)”と呼ばれる仲介業の人間から、金銭を得るためのものである。

これが、娘たちの“身売り”と呼ばれる所以である。多くの女性が、民間のそうした商売に身を売り、その中には軍を相手にした商売をする軍属もいた。大変、不幸な時代だったと思う。

のちに「従軍慰安婦」と呼ばれる人々も、そうした軍属が経営する“春”を売る商売に携わった薄幸な女性たちだ。もちろん当時の朝鮮半島にもそうした女性が数多くいた。

もし、日本という国家が、彼女たち(あるいはその親たち)の意に反して「強制連行」して従軍慰安婦にしたという事実があるなら、日本はどれほど土下座しても許されることはないだろう。

なぜなら、無理やりそんなことをしたのなら、日本は「拉致」「監禁」「強姦」国家だったことになる。日本の東北の娘たちも、もし、女衒にお金を支払われることもなく、無理やり拉致され、そうした場所に監禁されて、お客をとらされた(すなわち“強姦”ということになる)としたら、これほどむごいことがほかにあるだろうか。

だが、そうした日本の娘や親たちが、日本という国家を賠償で訴えたという話はついぞ聞かない。なぜなら、それは貧困にあえぐ中で、娘たちがあえて身を売らざるを得ない金銭的事情があったからである。

薄幸な女性が数多くいた時代を「振り返ること」と、そうした身売りした女性、あるいはその親たちに「賠償すること」は全く異なる話である。

いかに、今日の李明博大統領の要求が奇妙なものだったか。野田首相には、歴史的立場をわきまえ、きちんとした対応を望みたい。もっとも、日頃の言動から毅然とした姿勢を望むに値する力量を野田首相が持っているとは思えないので、心配でならないが……。

カテゴリ: 歴史

発売になった『太平洋戦争 最後の証言』第2部「陸軍玉砕編」

2011.12.16

本日、『太平洋戦争 最後の証言』の第2部「陸軍玉砕編」が全国の書店で一斉に発売になった。同時に、取材協力者に事前に送らせてもらった本が手元に届いたようで、昨日からお礼と励ましの電話を次々といただいている。

受話器の向こうから90歳を超える老兵たちの元気な声が耳に響いてくると、この作品を完成させてよかったと心から思う。無念の思いを呑み込んで死んでいった戦友に対する老兵たちの思いが、拙著を通じて少しでも若い人に届くなら、ジャーナリストとしてこれ以上、幸せなことはない。

取材をさせていただいてから、『太平洋戦争 最後の証言』シリーズが刊行になるまでに亡くなられた人も少なくない。そういう方には、ご遺族へ本を送らせてもらったが、老兵たちにとって「その時、その時」がいかに大切かを改めて感じる。

拙著は、全9章から成っている。(第1章)悲劇の序章「ガダルカナル」の死闘、(第2章)血肉をすすったニューギニア戦線、(第3章)インパール作戦「白骨街道」の屍、(第4章)玉砕の島「サイパン」の赤い花、(第5章)レイテ島「八万人」の慟哭、(第6章)二十万人戦死「ルソン島」の殺戮現場、(第7章)玉砕「硫黄島」奇跡の生還者、(第8章)癒えることなき「沖縄戦」の傷痕、(第9章)ソ連軍急襲「占守島」の激闘……

太平洋戦争(大東亜戦争)の地獄の戦場を生き抜いた元兵士が語る「真実」に耳を傾けていただければ、と思う。大正生まれの青年が200万人近くも戦死したあの大戦を描くシリーズも、あと完結編である第3部「大和沈没編」を残すのみとなった。

取材も断続的に進めているが、ご高齢の元兵士をお訪ねするのは、“時間との戦い”でもある。年末だからと言って、休んではいられない。戦艦大和についても、どんな証言が飛び出すか、ご期待いただければと思う。

カテゴリ: 歴史

無法操業「中国漁船」刺殺事件が意味するもの

2011.12.14

いま韓国で起こっている中国への抗議行動の行方は、実に興味深い。中国と韓国――日本の政治家やマスコミが、垣根を越えてヒレ伏す国同士がお互い一触即発の緊迫した状況に陥っているのだ。いつも両国に忠実な日本の政治家やマスコミは、さぞ冷や冷やしているに違いない。

韓国の排他的経済水域(EEZ)内で違法操業していた中国漁船を摘発しようとした韓国海洋警察のイ・チョンホ警長(41)が中国人船長に殺害された事件は、さまざまなことを警告しているように思う。

かつて中国人は、沿岸部の一部を除いて生の魚を食べなかった民族である。日本人が大好きな刺身や寿司の前提には、“清潔さ”がある。生のものを食べるという日本人の習慣には、その基本が厳然としてあり、さらにいえば、“マジック・ソース”とも言える絶妙の味の「日本の醤油」の存在がある。

私は1980年代前半、大学生の頃に中国で一か月半ほど暮らしたことがある。その時、「何が食べたい?」と聞かれたら、即座に「刺身が食べたい」と答えたものだ。

魚が美味しい土佐の出身である私は、特に生魚が好きだ。だが、80年代前半の北京では、火の通らないもの、すなわち生の魚を食べるという習慣はなかった。言いかえれば、それほど“清潔さ”に問題があったのである。

しかし、経済発展を遂げた現在の中国では、寿司や刺身を食べるのが、一種のステータスになっている。遅ればせながら、冷蔵・冷凍技術が発達してきた中国では、富裕層が積極的に生の魚を食べるようになり、マグロの消費量の急増なども大きな問題となりつつある。

東シナ海、南シナ海をはじめ、中国漁船は、それにつれてより無法化、凶暴化しており、韓国にかぎらずベトナムも、堪忍袋の緒が切れかかっている。私は、80年代から指摘されてきた「中国人が“総中流化”したら、地球はどうなるのか」という懸念を、今回の事件で改めて実感している。

中国やインドのように人口の多い国が「豊か」になり、多くの国民が「中流の生活」をし始めると、地球の資源や環境はどうなるのか、ということは早くから専門家によって指摘されてきた。

煤煙をまき散らし、有害物質を河や海に流しつづけ、そして魚をはじめ多くの食物を食べつくし、さらには石油や天然ガスをはじめ、膨大な資源を消費していく。将来、そんな時代が来るかもしれない、と80年代から懸念されていたのである。人口最多の中国とインドが「中流化する」ということは、そういうことなのだ。

今回、「魚を獲(と)れば獲るだけ儲かる」という目の血走った中国漁民によって、取り締まる側が殺害されるという最悪の事態が引き起こされてしまった。

中国や韓国のこととなると、普段は威勢のいい日本の政治家もたちまち口をつぐんでしまうが、今回の出来事は他人事ではない。日本の海保の巡視船に中国船が突っ込んだ昨年の事件を思い起こすまでもなく、このまま中国の無法なやり方を許しておけば、中国人の行動はますますエスカレートしていくだろう。

菅首相が右往左往したあの事件の時、報復措置として日本人ビジネスマンを拘束して“人質”にとった中国のやり口は、記憶にとどめておかなければならない。中国から自国の海洋資源や領土を守るということは、そういう意味なのである。

一方、いつも日本の国旗を焼いて捨てる韓国の国民が今後どのような抗議行動を中国に対して展開するのかも注目だ。お互い自我の強い国同士の衝突は、ちょっとしたきっかけで、さらにもつれる危険性を孕(はら)んでいる。

今回の事件を念頭に、いつどんな事件が勃発しようと菅内閣のテツを踏むことのないよう野田総理には覚悟を促したい。防衛大臣をはじめ“素人”の政権だからといって、生き馬の目を抜く東アジアの情勢は待ってはくれない。

国民の生命・財産、そして領土を守るのが国家の領袖の最大使命であることを、野田総理は今回の事件で改めて噛みしめなければならない。ドジョウにも「覚悟」は必要なのである。

カテゴリ: 事件, 国際

知的刺激を求めるのに「年齢は関係なし」

2011.12.13

今日は、夕方から東京・八王子で講演があった。出かける寸前、今週末に発売になる拙著『太平洋戦争 最後の証言』第2部の「陸軍玉砕編」が事務所に届いた。苦労してでき上がった作品だけに、手にした瞬間、ずっしりと重く感じた。

講演会場に向かう途中で、思わず読みふけってしまった。ちょうど講演テーマも真珠湾攻撃70周年にまつわる「歴史の話」だっただけに、届いたばかりのこの本のことを冒頭に話させてもらった。

今日は、講演を聴いてくれた方の中に、大正10年生まれの90歳になる陸軍の元兵士がいらしゃった。講演後、その方にいろいろな話を伺った。聞けば、満州の黒河省孫呉にいた関東軍の第一師団・輜重(しちょう)第一連隊(満州第四四八部隊)の生き残りだった。

第一師団は、レイテ島で戦史に残る「リモン峠の戦い」を展開した師団であり、1万3500人の将兵のうち、わずか700名しか生き残らなかったという悲劇の師団である。

しかし、今日お会いしたこの元兵士は、ぎりぎりのところでフィリピンではなく東京での任務を命じられて、部隊と別れたために戦友がほとんど全滅する中、彼だけが生き残ったのである。

「小学校でも、戦争で死なずに“戦後”を迎えられたのは、クラスにわずか6人しかいませんでしたよ」と、その方は仰っていた。「大正世代は7人に1人が戦死している」という私の話に「いや、もっと多い」ということなのだ。

大正生まれでも、大正8、9、10年頃に生まれた方に、特に戦死者が多いのは事実だ。彼らは終戦時、24歳、25歳、26歳だったのだから、日本軍の主力中の主力だった人たちである。戦死者が7人に1人より多かったという実感は、よく理解できる。

矍鑠(かくしゃく)として、とても90歳とは思えないこの方は、今も講演を聴きに来られるほどの元気さがある。年齢には関係なく、いつも「知的刺激」を受け続けたいという強い思いを感じた。この方の確かな記憶に基づく話しぶりにも舌を巻いた。やはり「大正生まれの人たちは違う」と感じざるを得ない。

今年もあと2週間あまりである。もうすぐ新しい年を迎える。90歳を超えた方々にとっては、一日一日が大切だ。私のような年下の人間の話をわざわざ聴きに来てくれる幸せを噛みしめながら、八王子をあとにした。

カテゴリ: 歴史

真珠湾70周年を挟んだ故郷の3日間

2011.12.10

いま高知にいる。私の生まれ故郷である。一昨日、地元紙・高知新聞の正月紙面企画で高橋善正・中央大学野球部監督(高知商業→中央大学→東映→巨人)と対談した。野球の本を何冊も出している私としては、大変刺激的な対談だった。

高橋氏は、母校・中央大学の野球部監督だけに日頃から親しくさせてもらっているが、改めて対談になると、さまざまな秘話が飛び出し、楽しかった。高橋氏は、80年近い長いプロ野球の歴史で「15人」しかいない完全試合の達成者である。

東映時代のこの大記録は、わずか86球で成し遂げたものだ。すでにケガで腰と背骨を痛めていた高橋投手は、身体に無理がないようにできるだけ楽な投法をする“軟投派”に転じていた。

「いやあ、あのとき残念だったのは、三振がひとつあったことなんだ。ピッチャーが打席に入って、そいつが三振してしまった。あれさえなければ、“三振なしの完全試合”という珍記録も同時に達成できていたんだが……」。高橋氏はそう言って、豪快に笑っていた。

夜は、魚の美味しい土佐の店に高橋氏と高知新聞の面々で繰り出した。高橋氏とは以前にも呑んだことがあるが、相変わらずの酒豪ぶりで、高橋氏より若い私や高知新聞の面々の誰よりも呑んで、食べていた。楽しいひと時だった。

また昨日は、社団法人・高知法人会の企画で高知商工会館で講演をさせてもらった。ちょうど真珠湾攻撃70周年、すなわち太平洋戦争開戦70周年の翌日だったため、さまざまな話をさせてもらった。来週には、拙著『太平洋戦争 最後の証言』の第2部「陸軍玉砕編」が刊行になるので、タイムリーな企画でありがたかった。

太平洋戦争の主力となった大正生まれの若者には、なぜあれほど使命感と潔さがあったのか。その理由と日本人の毅然とした生きざまについて、私なりの見解を述べさせてもらった。聴いてくれた方の反応も上々だったので、ほっとした。

大正100年であり、同時に真珠湾70周年という記念すべき年もあとわずかだ。今朝の高知はぐっと冷え込んだ。南国土佐もすっかり冬の佇まいである。夜には、東京へ帰り、また締切に追われるスケジュールに戻る。私にとっては、慌ただしい師走の中で、仕事と帰郷を同時に果せた貴重な3日間だった。

カテゴリ: 随感

社会は重い課題を背負わされた

2011.12.06

昨日、『日本の息吹』でジャーナリストの桜林美佐さんと対談した。桜林さんは、自衛隊関係の著作などがあり、さまざまな分野で活躍されている方である。2時間の予定だったが、話が弾み、予定を大幅にオーバーしてしまった。

ちょうど昨日は、『週刊ポスト』に作家・百田尚樹さんと私との対談「真珠湾攻撃から70年 零戦の勇士たちの最後のメッセージ」が4ページにわたって掲載されたばかりだったので、必然的に戦争の話など、さまざまな事柄を語りあい、貴重な時間となった。

そして今日は、明治大学の基礎マスコミ講座で講義があった。長引いた単行本の締切・校了作業で、スケジュールにいろいろ皺寄せが来ているので、12月だが、連日、そういうスケジュールに追われている。

風邪でも引いたらすべての予定が狂い、多くの方に迷惑をかけてしまうので、寒さが厳しくなってきた今は、神経を使わなければならない。

明治大学の基礎マスコミ講座は、もう10年ほどやらせてもらっている。毎年、熱心なマスコミ志望の学生が新聞やテレビ、出版社へと入っていくので、私としても、やり甲斐がある。今日もさまざまな話をさせてもらった。

来年はいうまでもなく“超”という字がつく就職難の年である。しばらくは、この超氷河期がつづくだけに、マスコミを目指す大学生の目の色も違う。

これからは、マスコミの中でも倒産、合併、吸収など、さまざまな現象が起きてくるだろう。それだけに、どのメディアを志向し、どういう戦略で入社試験を突破するか、またジャーナリストを志望する学生には、どういう視点が必要かなど、さまざまなことを講義させてもらった。

私の授業は、一方的に私が話すのではなく、学生たちにも参加してもらっていろいろな事柄を話し合う形式をとっている。そのため、学生たちが今、どんなことを考えているかが私にもわかり、大変参考になる。今日もその意味で、貴重な時間を過ごさせてもらった。

さて、埼玉県三郷市で起きた女子中学生殺害未遂事件、そして千葉県松戸市の8歳女児の刃物での傷害事件が、通信制高校に通う16歳少年の犯行だとわかった。

今回の事件は、1997年に神戸市須磨区で起きた神戸連続児童殺傷事件、いわゆる酒鬼薔薇聖斗事件と「何十万人に一人現われる異常犯罪者による凶行」という点で極めて似ている。

16歳少年は、学校に切断した猫の頭部を持ってきて、刃物まで持ち歩いていた。今回、怪我を負った被害者の心身の傷ははかり知れないが、まだ死者が出る前に犯人が逮捕されただけでも、幸運だったと言えるだろう。2人が殺された酒鬼薔薇事件の二の舞だけは避けられたわけである。

だが、この少年は、いったい今後どのような道を歩むのだろうか。いうまでもなく少年院とは、「少年の健全育成」を理念の中心に据え、刑罰でなく、矯正教育を施す機関である。

この少年が少年院、あるいは医療少年院から出てくるのは、過去の例を見てもそれほど遠い将来ではない。少年が社会復帰した時、「新たな被害者を出さないために」大人たちはどうすべきなのか。

すべての大人が叡智を集めて、この少年の「次の犯罪」を阻止しなければならない。第二の酒鬼薔薇聖斗の誕生で、社会はまたひとつ重い課題を背負わされたのである。

カテゴリ: マスコミ, 事件

またしても貶められた大正世代

2011.12.03

NHKのBSで放映された「シリーズ辛亥革命100年」の素晴らしい内容をほんの9日前にブログで賞賛させてもらったが、今日は、逆にNHKに苦言を呈したいと思う。本日夜9時から1時間15分にわたって放映されたNHKスペシャル『真珠湾から70年 証言ドキュメンタリー 日本人の戦争』である。

今日の番組は、NHKが過去何年にもわたって放映して来た「兵士の証言シリーズ」を再編集してまとめたものだ。過去、何度か番組に登場してきた老兵たちの証言が再編集され、新たな番組としてでき上がっていた。

「過去の歴史をここまで貶めることができるものなのか」。私は番組を見て、そう思った。番組というのは、取材フィルムの「どこを切りとるか」で内容はまったく変わるものである。それにしても、自分たちや戦死者のことがこれほど貶められる内容に、果たして証言した老兵たち当人は「納得しているのだろうか」と、私は考えつづけた。

NHKには申し訳ないが、番組のスタッフは、ごく一面的な“単純正義”を疑いなく信じ、それを実現できたこの番組におそらく“自己陶酔”しているレベルなのではないか、と思う。

ご高齢の元兵士たちに4時間も5時間も取材させてもらえば、さまざまなことが浮かび上がってくる。その人が一番証言したかったことではなく、一部分を引っ張り出し、さらにそこを強調して全体の印象づけを狙う――今回の番組は、そういう手法ででき上がったものではないだろうか。

戦争とは、悲惨なものだ。多くの日本の若者が太平洋戦争で命を落とし、その数は230万人にものぼった。番組では、その方々がいかに悲惨な体験をし、同時にアジアの人々にいかにひどいことをしたかということのみを描き切った。

そこには、当時の若者の使命感や責任感、潔さ、そして死んでいった兵士たちの無念さ、さらに言えば、当時日本が置かれた国際情勢や、列強のアジア侵略の背景も何も描かれていない。そこが描けなければ、彼ら兵士たちは単に加害者となり、歴史の犯罪者にされてしまうだけなのである。

私は、中国や韓国がこの内容をどれほど喜んでいるだろうか、と思いながら番組を見た。同時に国会でさえ大問題となったあの2年前のNHKスペシャル『プロジェクトJAPAN』の事件を思い出した。

日本の台湾統治を貶め、台湾人の証言を意図的に真意と違うように編集したこの番組は、糾弾の街頭デモが起こるほどの大問題に発展し、台湾でも大きく取り上げられる事態となった。

今日の番組を見て、太平洋戦争のことをなにも知らない視聴者は、「日本てなんてひどいことをしたのか」「こんな悪事を日本は働いたのか」という思いだけが植えつけられたに違いない。中国や韓国の若者に歴史問題で責められ、ひと言も返す言葉がない日本の若者が「こういう番組でつくられていく」ことを感じざるを得なかった。

地獄の戦場で突撃を繰り返し、同じ世代の「7人に1人が戦死」したという未曾有の悲劇の世代が、大正生まれの人々である。彼らは、凄まじい気迫で圧倒的な火力を誇る米軍をたじろがせ、多くが子孫も残さないまま死んでいった。

だが、生き残った戦友たちは、死んでいった仲間の無念を胸に働きつづけ、高度経済成長という“20世紀の奇跡”を成し遂げた。その人々を、今日の番組では、アジアへの加害者、さらに言えば、犯罪者としての視点でしか描いていなかったのである。

物言わぬ大正世代は、この番組で、またしても貶められ、傷つけられてしまった。ここ数年、老兵たちに取材をつづけている私には、彼らの本音がわかるだけに今日の番組が残念でならない。

先日、「真珠湾70周年」を記念して対談した作家・百田尚樹さんは、彼ら大正世代のことを「他人のために生きた世代」と語っていた。

いつまで、大正世代は不当に貶められつづけるのだろうか。私は番組が終わった時、思わず深い溜息が出てしまった。

カテゴリ: マスコミ, 歴史

まず“破壊者”としての手腕を

2011.12.01

今日から師走。2011年もあと「ひと月」だ。『太平洋戦争 最後の証言』の第2部「陸軍玉砕編」の三校ゲラ、そして念校ゲラの作業に追われ、ブログを更新することもできなかった。

作家・百田尚樹さんとの対談を終え、大阪から帰ってきたのが、月曜日(28日)。それから紆余曲折を経て本日、やっとすべての作業を終えて「責了」した。

つまり、徹夜の作業もやっとこれで終わったわけである。それにしても、1冊の単行本には、いろいろなものがいっぱい詰まっているという意味で、本というのはすごいものだと思う。

編集担当者や装幀、校閲の人たち、そしてなにより取材協力者の思いが、すべて1冊の単行本には凝縮されている。特に、今回の『太平洋戦争 最後の証言』というのは、登場人物が80歳代後半から90歳代というご高齢の方々ばかりである。

しかも、玉砕の戦場から奇跡の生還を遂げ、その方々が後世に残そうとする貴重な証言をもとにしたノンフィクションなのである。亡くなっていった戦友たちの思いを代弁してくれる彼ら老兵たちの真意が少しでも読者に伝われば、と思って必死で書かせてもらった。それだけに、すべての作業を終えた今、なにか全身から力が抜けたような気がする。

さて、このところブログを更新できなかったので、大阪の知事選・市長選の感想も詳しく書くことはできなかった。清武英利・元巨人軍代表の記者会見とそれに対する渡辺恒雄氏の出方というのも興味深かったが、書く機を逸してしまった。

今日は、橋下徹氏の「大阪維新の会」の圧勝について、少しだけ感想を書かせてもらおうと思う。ちょうど投開票と、その翌日に大阪に滞在していたこともあって、選挙結果について、知人にいろいろ聞いてみた。私が聞いた人たちは、ほとんど「大阪維新の会」に投票していた。

聞いてみると、投票した理由は単純明快だった。それは、「橋下氏なら何かをやってくれそうだ」というものに尽きていた。一例を挙げてくれたのが、バス運転手の給料だ。ほとんど同じ路線で、同じ業務をしているバスの運転手が、「市営バスの運転手は、民間バスの運転手より倍も給料をもらっている」というのである。

「年収は、片や“1000万”、片や“500万”ですよ。税金で給料もろうとる公務員のバス運転手の方が、民間のバスの運転手より倍も給料もろうとるというのは異常。そんなことをいつまでもつづけてもろうたら、こっちは困るんです」。

怒りを押さえながら、その人は橋下氏に投票した理由をそう説明してくれた。別の知人は、「教育改革が一番。なんじゃかんじゃで学校の先生が権利、権利を言うのはいい加減にして欲しい。権利を言う前に、子どもたちに、まともな教育をしてくれ」というのである。

「大阪維新の会」の宣伝が効いているのか、同じようなことを言う人がほかにもいた。いずれにしても、これでわかるのは、今回の選挙の勝敗を分けたものが、「住民の“怒り”だった」ということである。

これまで通り、公務員が既得権益を貪りつづけるのか、今回の選挙を境にそれがなくなるのか。その答えを大阪市民は今回、出したのかもしれない。

“大阪都構想”なるものが選挙の争点になっているとばかり思っていたら、大阪の人に聞いてみると、実は、そういう身近な不公平感こそが“最大の争点”だったようだ。

つまり、橋下氏に対して市民は“独裁者か、改革者か”という分け方ではなく、ひたすら“破壊者”としての役割を期待しているのである。橋下氏が今後、大阪にとどまらず、全国に飛躍するには、まず“破壊者”として大きな実績を挙げられるかどうかだろう。

閉塞感の中であえぐ大阪で、甘い汁を吸いつづけた巨大な既得権益集団をぶっつぶした時、橋下氏の前には、新たな政治の可能性が出てくるに違いない。

カテゴリ: 政治, 随感