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『週刊現代』インタビューとNHK・BS

2012.01.30

徹夜での原稿執筆が始まった。『太平洋戦争 最後の証言』の完結編となる「大和沈没編」である。過去3年間にわたる大和生還者の証言を取材ノートをもとに振り返りながらの執筆となった。

3、332人の大和乗組員のうち、生還したのはわずか276人。人類史上未曽有のこの巨艦と共に東シナ海の蒼い海の底に沈んでいった若者たちの思いをノンフィクション作品として正確に書きとめたいと思う。生還者の証言を記したノートと膨大な史料に囲まれ、執筆部屋もたちまち一杯になってしまった。

ちょうど本日発売の『週刊現代』の書評ページ(116頁~117頁)に私のインタビュー記事が掲載されている。『太平洋戦争 最後の証言』の第二部「陸軍玉砕編」に関するインタビューである。

この『太平洋戦争 最後の証言』シリーズの取材と執筆に、私がどんな思いで臨んでいるかを簡潔な文章で表わしてくれた記事だった。使命感と責任感に溢れた大正生まれの若者たちの潔さと、軍上層部の愚かさに対する私の思いを適確に表現してくれていた。

インタビューされるのは慣れているが、この記事は短い中に私が言いたかったことが正確に記述されているので、嬉しかった。新たな執筆に「力をもらった」ような気がした。

一心に原稿に邁進しなければいけない中、今日はたまたまつけたテレビで「山田風太郎が見た日本 未公開日記が語る戦後60年」(NHK・BS)という番組をやっていた。山田風太郎は私の好きな作家の一人だが、彼が遺した日記をもとに戦中戦後を考えるという見応えのある内容だったので、思わず見入ってしまった。

皇国少年であった時代から見習い医師時代、さらには戦後、作家として歩む山田が、独自の視点で「日本」と「日本人」を冷静に見つめた日記を俳優の三国連太郎が朗読する番組である。何年か前に放映されたものが“アーカイブ”として再放送されたのだ。

山田風太郎の辛辣で、それでいて温かく、さらには示唆に富んだ日記の内容は、実に興味深かった。忍法小説で一世を風靡した山田風太郎は、日記の中に「上質のノンフィクション作品を残したかったのかもしれない」と、私は番組を見ながら思った。

“ノン・フィクション”――すなわち“虚構のない”世界を日記の中で山田は表現したのではないか、と私は思う。「全日本人が復讐の陰鬼になってこそこの戦争に生き残り得るのだ」と書いた戦中と、「抜きがたい地上相への不信感」を語り、「人は変わらない。おそらく人間の引き起こすことも」と戦後、記述する山田の冷静な目は、小説家というより現実を直視するジャーナリストそのものであるような気がした。

2時間もつづいたこの番組に見入ってしまったために、私は貴重な執筆時間を大幅に削られてしまった。いつもながらNHK・BSの番組は、締切に追われている身には、罪深い。

カテゴリ: 随感

冠雪の富士山を見ながら

2012.01.26

今朝の読売新聞のコラム「編集手帳」は、徳富蘆花の〈東海の景は富士によりて生き、富士は雪によりて生く〉という文章を紹介し、〈新幹線の車窓から冠雪の峰を仰ぎ、はっと息をのむのもこの季節である〉と締めくくられていた。

政府が富士山をユネスコの世界文化遺産に推薦することを機に書かれたものだ。私も、その富士山の姿にはっとさせられた一人だ。昨日、私は新幹線の車窓から真冬の冷気の中に雪をいただいた富士山を見た。

それは、「編集手帳」が書くように息をのむような美しさだった。私は昨日、その姿を見ながら愛知県新城市に行き、戦艦大和の生還者で昨年亡くなられた滝本保男さんのご霊前に線香をあげさせてもらった。

滝本さんは、戦艦大和の第三主砲のたった一人の生き残りだった。一昨年、誰の紹介もなく訪ねていった私に戦艦大和の最期のようすと人類史上未曽有の巨砲であった大和の主砲について、詳しく教えてくれた。

長年、胸にしまっていたことを私に打ち明けてくれた滝本さんは、私が訪ねていった3か月後の昨年1月13日に亡くなった。90歳だった。その一周忌を過ぎて、やっと私はお線香をあげさせてもらうことができたのである。

そして、今日は、名古屋で戦艦大和の左舷の機銃を担当した奇跡の生還者(88)にお会いすることができた。長時間の取材で、今日も私はさまざまな大和の秘密を教えてもらった。

「太平洋戦争 最後の証言」の完結編となる「大和沈没編」の締切が近づいている。それは、取材も含めて“時間との戦い”である。貴重な大和の生還者たちの年齢も限界を迎えつつあるからだ。

全国で大和の生還者たちを訪ねる作業も3年目に入った。一人でも多くの証言者とお会いし、大和にかかわった元戦士たちの言葉を通じて、あの時代の若者の苦悩と潔さを描ければ、と思う。

ご高齢の歴史の証言者たちが、私を待ってくれている。1年で一番美しい姿を見せてくれる冠雪の富士山を新幹線の車窓から見ながら、私の「太平洋戦争 最後の証言」の取材も最終盤を迎えている。

カテゴリ: 歴史, 随感

ついに結審した「光市母子殺害事件」裁判

2012.01.23

夜が来て、東京に雪が降り積もってきた。35日間の乾燥注意報が途切れた先週、ちらほらと雪は舞っていたが、さすがに積もるまではいかなかった。

しかし、今日は夜が更けるにつれて摂氏4度、3度、2度と気温が下がり、ついには雨が雪となり、さらに積もってきた。多摩では相当の積雪と、テレビが伝えている。

さて、今日は昼間、千代田区隼町の最高裁判所に行ってきた。昨日のブログでも書いたように、光市母子殺害事件の第二次上告審が最高裁第一小法廷で開かれたからだ。

昼12時半、最高裁裏門の傍聴券抽選場所に行くと、すでに報道陣が2、30人集まっていた。顔見知りの記者と一緒に並んで傍聴券をもらった。傍聴希望者が31人並んだが、幸いに抽選までには至らず、全員が入廷を許された。

光市から遺族の本村洋さん、九州から本村さんのご両親、そして亡くなった弥生さんのご両親も岡山から駆けつけていた。皆さんとは久しぶりだったので、私も法廷で短くご挨拶した。

元少年の弁護団は、法廷内の弁護人席の第一列に5人、第二列に6人、さらには、傍聴席の第一列にも10人ほどがずらりと並んだ。たった1人だけの検察側とは対象的だ。

午後1時半から始まった弁論では、元少年の弁護団がそれぞれ立ち上がって実に1時間20分にわたって熱弁をふるった。3年間を費やして新たに元少年を精神鑑定した内容を軸に、弁護団は元少年の死刑判決を破棄するよう求めたのだ。

父親の暴力、自殺した母への思いから生じた歪み、未熟な精神発達……等々、多くの事実を指摘しながら原判決の不当性を訴える弁護団と、それにじっと聞き入る本村さん。いつもながら、息を呑むような緊張感が伝わってきた。

安田好弘・主任弁護人は16日(月)に元少年と接見した際のようすや、20日(金)に届いた元少年の陳述書の中身を紹介しながら、1審で元少年が殺意などを全面的に認めた理由について述べた。

「自分は強姦より屍姦が遥かに悪いことだと思っていた。だから、強姦を認めてしまった」「少年事件なので死刑はないと思っていた。でも、検察に死刑を求刑されて恐ろしくなった。死刑を免れるために(検察の)主張を認めて謝ろうと思った」と、元少年が述べたことを明らかにしたのだ。

1、2審での供述より現在の供述こそ「真実である」ことを弁護団は主張し、陳述書として最高裁に提出した。弁護団が言う“新供述”の信憑性を滔々と訴えたのである。

午後3時半、検察側の弁論も終わり、第二次上告審は結審した。閉廷後、本村さんやご両親たちと東京駅の喫茶店に入り、いろいろな話をした。ご遺族は忙しい中、日帰りで東京まで傍聴に来られていたのである。

拙著『なぜ君は絶望と闘えたのか』の取材では、言葉に表わせぬほどお世話になった方々である。事件からやがて13年。長い長い裁判にもうすぐ決着がつく。どんな判決が出ても、これだけの紆余曲折の末に辿り着いた結論には、誰にも否定できない重さがあることを私は信じている。

カテゴリ: 事件, 司法

いよいよ明日「光市母子殺害事件」第二次上告審

2012.01.22

明日1月23日は、光市母子殺害事件の第二次上告審、すなわちこの事件の二度目となる最高裁での弁論がおこなわれる。1999年8月11日に山口地裁で始まった裁判は13年目を迎え、ようやく最終審理へと辿り着いた。

2008年4月22日の広島高裁での差し戻し控訴審で、それまでの無期懲役判決が破棄され、死刑判決を受けた元少年(30)の最後の弁論がついにおこなわれるのである。あの広島での注目の差し戻し控訴審判決からも、すでに3年9カ月が経過したことに私も感慨が深い。

元少年への鑑定に予想以上の時間がかかったことが3年9カ月もの年月がかかった理由だが、私はその間に何度も広島拘置所で元少年に面会をし、さまざまな話をしてきた。30代を迎え、元少年も大人として、いろいろなことを私に語ってくれる。

裁判で見ていた元少年よりも、目の優しい普通の青年が、いつもそこにいる。詳細はここでは触れないが、さまざまな話を元少年とするうちに、多くの新たな“発見”があったのも事実である。いつか、その過程でどんなことを私が感じたかを書かせてもらう機会もあるかもしれない、と思う。

異例の経過を辿ったこの裁判の詳細は、拙著『なぜ君は絶望と闘えたのか』(新潮文庫)をお読みいただきたいが、私が最初にご遺族である本村洋さん(35)とお会いしてからも、13年近い長い年月が流れた。

愛する妻子を奪われ、負けても負けても闘いつづけ、ついには差し戻し控訴審で死刑判決を勝ち取った本村さんは、最後まで裁判を見届けることに執念を燃やす。一方、最高裁なので、被告の出廷はない。元少年は遠く広島でこの最高裁審理のようすを聞くことになるだろう。

ウォッチしつづけた光市母子殺害事件の審理が終焉に近づいていることを思いながら、被害者とその遺族を蔑ろにしてきた「日本の司法」の根本を変えた本村さんの闘いを見届けるために、私は明日、最高裁に傍聴に行く。

カテゴリ: 事件, 司法

「台湾総統選」の深層レポート

2012.01.19

昨夜遅くに台湾から帰国し、「台湾総統選」の深層レポートを朝方までに仕上げて入稿した。今日は、昼に成田で講演があったので、そのまま講演に出かけてすぐ取って返し、朝入稿したばかりのゲラを夜、やっと校了した。

さすがにほとんど徹夜だったので、身体にこたえた。台北でも連日、夜は飲み会も兼ねた取材の連続で、そのまま帰国して執筆というハードなスケジュールだった。

台湾の将来、ひいては日本の将来にかかわる重要な総統選だったことを、記事を書き終わって、あらためて感じた。来週月曜発売の「週刊ポスト」に〈台北発「深層レポート」門田隆将〉として掲載されるので、是非、お読みいただければ、と思う。

今日の講演では、必然的に台湾総統選のことをかなりの時間を割いて話させてもらったが、皆さんが熱心に耳を傾けてくれた。やはり、政治家などより一般の人々の方が、よほど国の将来を心配しているように思える。

今回、訪台して驚いたのは、もはや台湾が中国の経済力なくして「自立して歩んでいくことはできなくなっている」と、多くの台湾人が思っていたことだ。90年代に外貨準備高で世界一を誇ったあの台湾は、一体どこにいったのか、と思う。

しかし同時に、熱狂の総統選が示したように、選挙で国のトップを選ぶという「民主主義の中にいる台湾人」を多くの中国人が羨ましく見ているのも事実だ。

人権が脅かされる共産党独裁の国で暮らす中国人が、総統選の当落で涙を流す台湾人たちの姿を羨望の目で見るのは当然だろう。台湾の人たちが、大陸を恐れるのではなく、逆に民主主義を大陸に“輸出”することができるか、今後の大きな課題になるのではないだろうか。

同時に私が感じたのは、中国の急速な台頭を必要以上に脅威と思う人たちが多いことである。日本も台湾も同じだ。特にマスコミには、その傾向が強い。たしかに、ここ10年は、ひょっとしたら中国が“わが世の春”を謳歌するかもしれない。しかし、それもせいぜい10年ほどだろう。

日本が高度経済成長以後も、長く豊かな生活水準を保ったようには、中国はいかない。長くつづく“一人っ子政策”によって、巨大国家・中国は人口構成が歪(いびつ)で、高齢者を支えるために、日本以上に若い世代の負担が大きくなっていく。

つまり、中国で社会の活力が長く続くことは極めてむつかしい。もっとはっきり言えば、中国の行き着く先は、「破綻」しかないのである。

その時、国家や社会を支えるのは、その国民が持つモラルや勤勉性など、“人間力”にほかならない。それぞれの国民にそれぞれの特性があるのは当然だが、日本人が多くの先輩たちが培ってきた人間力をその時、維持できているかどうか。

ふたたび日本がアジアをリードできる時代が来るかどうかは、そこにかかっている。今回の訪台は、私にそんなことをじっくり考えさせてくれる貴重な機会だったように思う。

カテゴリ: 台湾, 随感

台北「最後」の夜

2012.01.17

今日は、台北の最後の夜だった。日本から総統選の取材に来たのが12日(木)だ。東京で仕事が山積しているので、明日18日(水)に帰国する。

今日も民進党幹部や台湾の有力紙の政治部記者などに会い、意見交換や取材に走りまわった。さまざまな人に会うたびに台湾が今、大きな“岐路”に立っていることを感じる。

実は、本当に岐路に立っているのは、日本の方だと思うのだが、それに気づいていない日本人が多いのは情けない。

私が、台湾と台湾海峡を守った日本人、根本博陸軍中将のノンフィクション(「この命、義に捧ぐ」)を出版して間もなく2年になる。その間も台湾はどんどんと変貌を遂げている。

戒厳令下の80年代半ばに私自身が初めて来て以来、四半世紀という長い歳月が過ぎた。今も当時と同じように取材に走りまわっている自分の姿を考えると不思議な気もする。

そして、当時も今も変わらないのは、台湾という地の日本人に対する温かさである。政治や経済がいかに変貌しようと、それだけは変わって欲しくないと思う。

台湾が台湾のままでいて欲しいという日本人は多い。来週には、私の台湾総統選の特別レポートが出る。今回の総統選のウラで、どのようなことがおこなわれたのか、今後、台湾はどこに向かうのか。深層レポートにご注目ください。

カテゴリ: 台湾

“歴史の転換点”を見極めるために

2012.01.15

今日は、『台湾と日本精神』の著者で、台湾と日本をこよなく愛する“老台北(ラオタイペイ)”蔡焜燦さんに招かれ、食事会に出席させてもらった。内外の学者やジャーナリストが数多く顔を見せた圧巻の食事会だった。

ほぼ全員が民進党の蔡英文女史の敗北を残念がっていて、今更ながら蔡英文女史への期待がいかに大きなものだったかを痛感した。

食事会の主宰者である84歳の蔡焜燦さんは、蔡女史の敗北を最も悔しがったのではないかと思われるが、それでも意気軒昂で、かつ粋(いき)なスピーチをして参加者をほっとさせた。

私は、その後、総統選の裏舞台を知る人たちを取材し、夕方から夜にかけては、こちらの保守系の代表的な新聞である『聯合報』の編集局長(こちらでは「編集長」と呼ぶ)にも1時間半にわたって取材させてもらった。

夜遅くになって、林森北路の近くにある店で在台歴が28年になる『台湾通信』の早田健文氏らと落ちあって飲み会となった。それぞれに、それぞれ独自の選挙分析があり、取材を交えて激論となった。早田氏と私は、同じ年の同じ月の生まれで、付き合いも、もう30年近くになる。

20歳代でも、30歳代でも、40歳代でも、さらには50歳代になっても、それでも議論しているのだから、よくも話題が尽きないものだと、我ながら感心してしまう。

明日もいろいろと取材がある。“歴史の転換点”を見極める作業は、まだまだつづく。

カテゴリ: 台湾

「経済緊密」から「政治対話」の時代へ

2012.01.14

予想外の「大差」だった。本日おこなわれた事実上の一騎打ち「台湾総統選挙」は、与党・国民党の現職、馬英九総統(61)が野党・民進党の党首、蔡英文女史(55)を破り、再選された。

689万票と609万票。実に両者の間には、80万票もの差がついたのである。新聞報道では「僅差」が予想され、選挙戦終盤に盛り上がりを見せた民進党陣営が、戦後、長く政権を握ってきた国民党の厚い壁にハネ返されたことになる。

「陳水扁の汚職が今も尾を引いている……」。逮捕された前総統の陳水扁がもたらした失望は、今も有権者の投票行動に大きな影響を与えていた。

今日一日、台北市内で多くの有権者に取材をさせてもらったが、予想以上に、民進党離れは大きかった。その理由が汚職で失脚した「陳水扁」なのだ。「もう(民進党の)回復は無理かもしれない」。思わず、そんな弱気な発言も民進党幹部から漏れていた。

中国に対する接近戦略が有権者に支持されたことになり、馬政権の中国への依存は、ますます大きくなることが確実だ。「これは、台湾人民の勝利にほかならない。両岸(中国と台湾)関係を強化する政策が支持されたのだ」と、馬総統は勝利宣言。満面に笑みをたたえた馬総統の表情が印象的だった。

これで中台関係は、現在の「経済緊密」から「政治対話」まで一気に進むことが予想される。台湾は、馬英九圧勝を受けて、事実上の「中台統一」に歩み始めたのである。

アジアの親日国・台湾が「大陸への接近」を選択したことで、日本は安全保障も含め、東アジア戦略の根本的な見直しが必要になった。日本にとっては、国際政治の厳しい現実が突きつけられた歴史的な1日となったのである。

カテゴリ: 台湾

台湾総統選の「最終日」

2012.01.13

今日は台湾総統選の最後の日だった。明日は、投開票だ。台湾の命運、ひいては日本、そして東アジアの命運がかかる「選挙結果」が出る。

私は今日、国民党の馬英九、民進党の蔡英文女史の両方の選挙本部を訪ねて取材し、さらには最後の夜の両候補の訴えもこの耳で聞いた。

馬英九は台北市の中心・総統府の前で、蔡英文女史は新北市の中心部・板橋でそれぞれ大規模な集会をおこなった。この最後の集会を見る限り、民進党の蔡英文さんが、国民党の馬英九氏を圧倒しているように見えた。

「ドンスワン(当選)! ドンスワン(当選)!」と台湾語で絶叫する民進党支持者たちと、馬英九氏を応援しながらもどこか冷めた感じの国民党支持者たち――両極端の台湾人たちは、夜10時という選挙時間のリミットぎりぎりまで声を上げ続けた。

10万人以上の支持者が新北市の総合競技場を埋め尽くした蔡女史の集会は熱気に包まれていた。ステージに最後に登場したのは、李登輝・元総統である。

89歳という高齢とガン手術という障壁を乗り越え、「これが私の人生最後のお願いになります。皆さん、どうか蔡さんに台湾の未来を託して下さい」と必死に訴えるさまは、鬼気迫るものがあった。

支持者の中には、李登輝元総統の姿を見て、涙ぐむ人たちも少なくなかった。激闘の選挙戦は、こうして終わった。あとは、明日の選挙結果を待つばかりである。国のトップを国民が直接選ぶという台湾総統選の興奮ぶりは、いつ来ても圧倒されるばかりだ。

台湾国民がいったいどちらに自分たちの運命を託すのか。いつもながら日本の選挙とは比べものにならない熱気と情熱の中で、熾烈な選挙はついに終わった。

カテゴリ: 台湾

総統選レポートを台湾にて

2012.01.12

いま台北にいる。朝9時半発の羽田発の全日空便に乗り、台北市内の松山空港に昼過ぎに着いた。言うまでもなく、熾烈なデッドヒートを演じている台湾総統選の取材である。

国民党の馬英九氏と民進党の蔡英文女史との事実上の一騎打ちとなった今回の総統選は、どっちが勝つかメディアによって“まちまち”という大混戦の状態を呈している。

前回(2008年)の馬英九(国民党)vs謝長廷(民進党)という大差がついた総統選とは全く異なる僅差の選挙戦が、今もつづいているのだ。

矢も楯もたまらず、という表現が正しいかどうかはわからないが、とにかく自分の目で総統選を確かめるために私はやってきた。

到着後、午後4時半から、まず台北の日本人がつくる工商会で私の著書『この命、義に捧ぐ―台湾を救った陸軍中将根本博の生涯』にからんで講演会が企画されており、それをやらせてもらった。

台湾を救った根本中将のことについて、皆さんが実に熱心に聴いてくれた。やり甲斐のある講演だった。

その後、黄文雄さんや宮崎正弘さんといった台湾通の評論家たち、あるいは在台ジャーナリストの片倉佳史氏ともお会いし、選挙の裏話を夜遅くまで取材させてもらった。明日は、選挙の関係者や台湾メディアの記者たちにも会う予定だ。

「南部の民進党」と「北部の国民党」という図式は今回も同じで、両陣営とも一歩も引かない集票作戦を展開しているが、国のトップを国民の「直接投票」で決める台湾の活気を羨ましく感じた第1日だった。

カテゴリ: 台湾

覆いがたい警察力の“劣化”

2012.01.10

警察の不祥事が相次いでいる。オウムの平田信(46)が自首して来た際、門前払いを何度も食わせ、それでも“めげずに”出頭した平田をやっと逮捕したことは国民を呆れさせたものだ。だが、台東区の2人の台湾人女性が殺害された事件で起こった失態は、その比ではない。

殺人容疑で指名手配されていた台湾人留学生・張志揚(30)を任意同行する際に、車の中で自殺されてしまったのである。今日の警視庁の記者会見では、捜査官は凶器を隠しもっていないか身体検査をしながら、張がズボンの股間に隠していた刃渡り11センチの果物ナイフを発見できなかったのだそうだ。

さらには、このナイフで自分のノドを突くまで、捜査官は「何もできなかった」というのである。しかし、よく考えて欲しい。身体検査で発見できないほどの凶器を股間から引っ張り出して「ノドを突くまで」には、かなりの“時間”と“動作”が必要である。

同乗していた捜査官は、張がナイフを引っ張り出してノドを突くまでの間、いったい何をしていたのだろうか。どう考えてみても、緊張感が欠如し、相当“弛緩”していなければ、こんな行為を許すことなどできないことがわかる。何度も出頭してきた平田を“たらい廻し”にした弛緩ぶりと「共通するもの」を感じるのは私だけではないだろう。

考えてみたら、そもそもあのオウム事件も警察の怠慢から発したものだった。坂本弁護士一家事件での摘発を逃し、假谷さん拉致事件でも、犯行に使われたレンタカーを借りた時、オウム信者の指紋が出たにもかかわらず、それでも警察は動かなかった。

東京亀戸の異臭事件や、霞ヶ関のアタッシェケース噴霧事件……等々、何度も摘発のチャンスがありながら“怠慢”をつづけた警察のツケは、地下鉄サリン事件をはじめ6000人もの被害者が「支払った」ことになる。

警察の緊張感の欠如はどこから生まれているのか。キャリアもノンキャリも垣根を越えて反省しなければ、警察への国民の信頼を取り戻すことは到底不可能だ。

カテゴリ: 事件

意味深な笑みを浮かべた与野党党首

2012.01.06

今日は、夕方、時事通信の内外情勢調査会の「新年互礼会」に出席した。私は、内外情勢調査会の講師として全国各地で講演をさせてもらっているので、新年のこの会は、久しぶりにお会いする方も多く、楽しみにしていた。

帝国ホテルの「富士の間」に1000人以上の出席者を集めて開かれたこのパーティーには、野田佳彦首相、そして野党の谷垣禎一・自民党総裁も登場して、スピーチをした。

野田首相は、壇上から谷垣氏に「社会保障と税の一体改革に関する与野党協議への参加をお願いしたい」と、呼びかけた。「来週、国会で正式にお願いするつもりだが、今日はその予行演習でお願いしました」と語りかけ、場内の笑いをとったのだ。

だが、続いてスピーチに立った谷垣氏は、「“素案”の段階で呼びかけるということは、“連立の組み替えをやろうぜ”といっているようなもの。もし、本気でそれをやろうというなら、もう一回、国民との契約をし直すことが必要なのではないか」と応じた。谷垣氏は野田氏に対して、“協力”どころか早期の「衆院解散・総選挙」を逆に求めたのである。

与野党の党首クラスが勢揃いするこのパーティーは、例年、首相や有力政治家がスピーチして、それがニュースになっている。今日は、ちょうど遠く離れた北海道・札幌で「新党大地・真民主」なる新政党が旗揚げしただけに、特に首相のスピーチは注目された。

「新党大地・真民主」は、鈴木宗男・元衆院議員が来たるべき政界再編を見据えて、小沢一郎氏の側近・松木謙公氏と共に石川知裕、浅野貴博両衆院議員、平山誠、横峯良郎両参院議員の参加によって、国会議員5人で発足したものだ。

代表が鈴木氏、代表代行兼幹事長には民主党を除籍になった松木謙公氏が就任したので、広範な国民の支持を得るのはとても無理だろう。だが、新党は、消費増税やTPP(環太平洋連携協定)交渉参加には反対する考えを明確に示した。

鈴木宗男氏は新党発足の記者会見で、「国会議員の特権や公務員の優遇など、無駄をなくすことがまず先決だ」と発言したそうだ。これは、政権奪取した時の民主党の主張をそのまま語ったものである。その意味で、その本来の主張から遠ざかるばかりの野田首相に対して今後、続々と叛乱の旗が揚がるのは必至だろう。

気の早いマスコミの中には、小沢新党が70人規模で発足し、野田内閣の不信任案が可決されて「衆院が解散になる」と書く夕刊紙まで出てきている。政界激震の年である「2012年」は、野田首相がユーモアまじりの気の抜けたスピーチをやっている段階ではないほど、緊迫しているのだ。

消費増税関連法案への賛否は、一挙に“新党乱立”という状態を生むかもしれない。少なくとも政界再編が動きだす可能性は高い。そんな予測や思惑をよそに、民主・自民という与野党の代表同士は、帝国ホテルの会場で、なにやらお互いが意味深な笑みを浮かべていた。

カテゴリ: 政治

凄まじい人気の「箱根駅伝」

2012.01.03

昨日は、箱根で久しぶりの休養をとらせてもらった。家族で一泊旅行だ。わが家はスポーツが大好きなので、箱根駅伝の応援も兼ねて行った。

小田原まで行ったら、箱根湯本行きの箱根登山鉄道が1時間待ちという大混雑。仕方なく小田原市内で、タスキを受け取ったばかりの東洋大学の柏原竜二選手をはじめ、各大学の往路5区の選手に声援を送った。

私と二人の息子は大学が違うので、当然、贔屓(ひいき)チームは違うが、女房は昔から私の母校(中大)を応援しているので、一緒に声を枯らした。しかし、最多優勝(14回)を誇り、かつて前人未到の6年連続優勝を果たしたこともある母校も、最近は見るかげもない。

昨年の早稲田の優勝で、今年も優勝候補の早稲田が連覇すれば、ついに「最多優勝」に並ばれるところだった。東洋大学のぶっちぎりの優勝でそれはなかったものの、母校の凋落ぶりには少々寂しくなった。

今日の母校の復路は、6区・代田(しろた)修平君と最終10区・塩谷潤一君の踏ん張りで、なんとかシード権だけは獲得した。浦田春生監督の熱心な指導にもかかわらず「結果」が出てこないのは、やはり優秀な選手を集めることができず、選手層がどうしても薄いからである。

3位に食い込んだ明治大学の躍進を見ても、大学の勢いが違ってきていることを感じる。伝統に安住していては、努力と意欲のあるところに追い落とされていくのは必然だ。

GDPでついに中国に追い越された日本が、経済回復の道筋もつかず、逆に国債暴落の危機に瀕しているのも、似たようなものかもしれない。

それにしても、箱根駅伝の人気は凄まじかった。どこに行っても、必死で選手に声援をおくる人で一杯だった。今朝も、箱根湯本や塔の沢は、応援の人々で溢れ返っていた。

かつては、大学ラグビーの人気もすごかったが、今はその勢いはない。栄枯盛衰は世の習いとはいえ、さまざまなものが“明暗”を分ける時代が来ている。

すでに少子化時代に突入している日本。箱根駅伝を走った大学の中で、生き残れる大学がどのくらいあるのだろうかと、ふとそんなことを箱根路で考えた。

カテゴリ: スポーツ

お屠蘇(とそ)気分を吹き飛ばした「平田信」出頭劇

2012.01.01

新年早々、ビッグニュースにマスコミが揺れた。オウムの逃亡犯・平田信(46)が12月31日深夜、警視庁丸の内署に1人で出頭してきたのである。激動の2011年を象徴するような幕切れで、年が明けたばかりの報道各社は上を下への大騒動となった。

ご承知のように平田は、目黒公証役場事務長監禁致死事件などへの関与だけでなく、国松長官狙撃事件の嫌疑をかけられていた重要容疑者である。オウムの元高弟だったホーリーネーム「カルマランジュン」へ架けた電話を最後に、一切の連絡を断って、17年間も逃亡をつづけていた。

平田が逃亡している限り、彼が関与したとされる事件の死刑確定囚の「死刑執行はない」と言われていただけに、“平田出頭”のニュースに衝撃を受けた死刑確定囚や関係者は少なくない。

「時間が経ったので一区切りをつけたい」と語る平田が、国松長官の狙撃事件に「関係した」と供述するわけもなく、起訴は、目黒公証役場事務長監禁致死事件、いわゆる假谷さん拉致事件にとどまるのではないか、と予想されている。

この事件で、二審で「逮捕監禁致死」が加えられ、一審の無期懲役から一転、死刑判決を受けた井上嘉浩被告(42)に関して、平田がどんな証言をするのかも注目される。

気の遠くなるような長い逃亡生活の末に出頭した平田は、ダウンジャケットとジーパン姿で、髪は肩まで伸び、茶色に染めていた。どこにでもいるこの中年の男は、現金数万円と下着、シャンプー、櫛(くし)などが入ったリュックサックを一つだけ持って出頭してきたそうだ。

平田には、警視庁公安部が一度だけ逮捕寸前までいったことがある。平田の逃亡幇助役である斎藤明美と共に仙台市内のある社員寮に潜伏中、警視庁公安部が踏み込み、すんでのところでここから逃れたことがあった。結局、警察は平田に自ら「手錠をかけること」ができなかったのである。

いずれにせよ正月早々、警視庁の捜査員、そして報道各社の警視庁担当記者たちが緊急招集され、特別態勢を組んだ。私自身も、かつてオウム事件では東奔西走させられた一人だ。お屠蘇気分を吹き飛ばしたこのニュースで、激動の2012年の幕が明けたのである。

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