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「昭和の日」と日本柔道

2012.04.29

今日は、「昭和の日」である。初夏に向かう爽やかな気候も相俟って、ゴールデンウィーク真っ只中の祝日として、毎年、行楽地に一斉に多くの人が繰り出す日である。

この昭和の日に、中日新聞と東京新聞が、「この人」欄で、私を取り上げてくれた。写真付きで「太平洋戦争3部作を完結 門田隆将さん」と、私が『太平洋戦争 最後の証言』の第3部「大和沈没編」を出版し、ついにシリーズが完結したことを報じてくれたのだ。

昭和といえば、やはり太平洋戦争である。さらには、「戦艦大和」でもあろう。「昭和の日」にタイミングよく同紙が取り上げてくれたのは、ありがたい。中日新聞、もしくは東京新聞をお取りの方は、記事を見ていただければ、と思う。

さて、毎年、この日に熱戦が繰り広げられるのが、全日本柔道選手権である。今日も伝統の大会が千代田区の日本武道館で開かれた。しかし、その中身は、残念ながら“惨憺たるもの”だった。

優勝したのは、重量級の選手でもない千葉県警の加藤博剛選手で、決勝で巨漢の石井竜太(日本中央競馬会)に一本勝ちし、初優勝した。しかし、それは、日本柔道界の低迷ぶりを表わす姿でもあった。

ロンドン五輪を間近に控えたこの時期、加藤選手のような90キロ級の選手が優勝し、重量級の五輪代表を争う前回王者の鈴木桂治(国士舘大教)、上川大樹(京葉ガス)、高橋和彦(新日鉄)らが続々敗退し、柔道ファンをがっかりさせたのである。

重量級の選手以外の全日本優勝は1972年以来、40年ぶりのことだそうである。オリンピック・イヤーのこの低調さは、たしかに「40年前」を思い出させるものだった。40年前のこの大会、関根忍(中大→警視庁)が中量級にもかかわらず、日本一の栄冠を獲得した時もそうだった。

肩を入れ、背中越しに道着をつかむ“変則柔道”の関根に重量級の選手たちが苦戦し、関根が接戦を制したあの日のことは私も記憶している。その関根も肝心のミュンヘン五輪では「金メダル確実」という下馬評でガチガチになり、途中敗退。しかし、当時の敗者復活ルールに救われ、これで勝ちあがって、辛うじて金メダルを獲得した。

あの時の関根の顔面蒼白の表情は、今も脳裡に焼きついている。のちに警視庁で柔道指導者として多くの弟子を育てたそうだが、私にはあの顔面蒼白の関根の顔だけが今も思い浮かぶのである。

結局、ミュンヘン五輪の柔道では、“赤鬼”と評されたオランダの怪物・ルスカが重量級と無差別級を両方制して、金メダルを2つ獲得した。日本期待の篠原政利は、ルスカと戦う前に予選で姿を消し、日本柔道は惨敗した。

今日の大会を見るかぎり、私には、ミュンヘンの時の方がまだ日本柔道は充実していたように思う。今日の鈴木(桂)にしろ、上川、高橋らも、世界の檜舞台でナンバー・ワンを争える実力とは、とても思えなかった。

伸び悩む期待の穴井隆将を含め、ロンドン五輪では、「日本柔道、惨敗!」の見出しが新聞に踊るのではないかと、試合を見ながら思った。報道陣に取り囲まれた全日本柔道の篠原監督の憂鬱な表情だけが印象的だった。

カテゴリ: 柔道

小沢一郎氏に「政界引退」の勧め

2012.04.26

考えてみれば、これは「見事な判決」と言えるかもしれない。予想通り、無罪判決が下りた小沢一郎氏に対するものだ。資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐって、政治資金規正法違反の「虚偽記載」で強制起訴された注目の判決は、実に絶妙なものだった。

それは、無罪判決を私が「支持する」という意味ではなく、「致し方がない」ものだったという意味である。元秘書の捜査段階での供述調書の証拠採用が却下された段階で、大善文男裁判長には、小沢氏に「有罪判決」を下す根拠は失われていた。

つまり「予想された無罪判決」の中でどんな判決理由を言うのか、私は注目していた。そして、それは多くの法律家を唸らせるものだったと言える。

つまり、「虚偽記載」について、小沢氏が秘書からの「報告」を受け、「了承」していたことを認定した上での無罪判決だったことだ。

小沢氏の共謀を明確に示す証拠が法廷で出なかったことは、裁判の過程でわかっていた。しかし、それでも、判決理由は、小沢氏の政治家としての責任をはっきりと指し示すものだったのである。

共謀を認定するハードルというのは、低くない。特定の犯罪を行おうと具体的・現実的に合意したことを証拠によって「証明」するのは難しいからだ。特に小沢氏のような小沢事務所内の絶対権力者の場合はなおさらだ。

私には、この判決によって、ますます土地購入の原資となった「4億円」の“真実”に関心が深まった。その究明は絶対に必要だろう。

今回の判決で、認定されたものは大きい。早くも輿石東・民主党幹事長が「党員資格停止」の解除に動くそうだが、とんでもない。

繰り返すが、この判決は、共謀までは認定できないが、虚偽記載という犯罪行為が小沢氏に「報告」され、それを「了承」したということを認定しているものなのである。

痛み分けとも言えるこの判決で、むしろ私には小沢氏が政界を引退すべき「根拠」が明確になったと思うが、いかがだろうか。

カテゴリ: 司法, 政治

調子を取り戻しつつあるダルビッシュ

2012.04.25

シリーズ完結編の『太平洋戦争 最後の証言』の「大和沈没編」がお陰さまで好調だ。完結編だけでなく第1部「零戦・特攻編」、第2部「陸軍玉砕編」も、共にさまざまな売り上げランキングで上位にランクインしているとのことで、ほっとした。

少し余裕ができたので、昨日は、昼も夜も講演をさせてもらった。昼は帝国ホテルで、夜は麻布台のお店でと、講演テーマも、聴いてくれる対象も、まるで違う講演をさせてもらった1日だった。

昼は、主に企業のトップや幹部たちを対象にしての「歴史に学ぶ―日本人の生きざまとは」という歴史テーマで、夜はジャーナリストたちを対象にしての「光市母子殺害事件」にかかわる話だった。

しかし、私の中では、実は“同じテーマ”とも言える。私のノンフィクションの大きなテーマは、「毅然と生きた日本人の姿」だからだ。

前者は、太平洋戦争を最前線で戦った人、後者は光市母子殺害事件の被害者遺族で日本の司法を大変革させた本村洋さんのことである。

話をしながら、毅然とした日本人像が今、いかに希少なものとなっているかを実感した。まだまだ多くの作品を書いていかなければならないと思った。取り上げるべき作品テーマは数多いので、ひとつひとつ確実に作品化していき、読者の皆さんに是非、また手にとってもらえれば、と思う。

さて、今日のメジャーリーグは、ダルビッシュ有(レンジャース)と黒田(ヤンキース)という日本人投手の投げ合いだった。この試合でダルビッシュがヤンキースを相手に8回3分の1を無失点、10奪三振という好投を見せた。

セットポジションでの投球で、日本にいた頃のダイナミックなピッチングフォームこそ見られないものの、抑制の利いた球でヤンキース打線を翻弄した。これで、ダルビッシュは3勝0敗となった。

まだ絶好調ではないが、日本ナンバー・ワン投手が本当の意味でヴェールを脱ぐ日も近いだろう。やっと、楽しみになってきた。


カテゴリ: 野球, 随感

『太平洋戦争 最後の証言』が完結「大和沈没編」発売

2012.04.22

本日、拙著『太平洋戦争 最後の証言』完結編の「大和沈没編」が発売になった。第1部「零戦・特攻編」、第2部「陸軍玉砕編」につづいて、やっとシリーズが完結した。

90歳を前後する老兵たちを全国に訪ね、気がつくとその数は100名を超えていた。これまで何度も書いてきたことだが、太平洋戦争とは「大正生まれの若者たち」の戦争である。

大正生まれの男子は1348万人。彼らは、昭和20年時点で「19歳から33歳」だった。そのうち戦死者は、およそ200万人にのぼる。同世代の7人に1人が戦死した悲劇の世代は、日本の有史以来、ほかに存在しない。

戦後、ひたすら働きつづけ、“20世紀の奇跡”と称された高度経済成長を成し遂げたのも、彼ら大正生まれの男たちである。平成24年現在、大正生まれの人たちは、86歳から100歳となった。すでに多くが鬼籍に入っておられる。

私は、今も健在の大正生まれの老兵たちと全国各地で対話をつづけた。本当に多くのことを教えていただいた。戦艦大和の生き残りの方々もそうだ。戦後生まれの私に、静かに戦いの最前線の真実を教えてくれた。

それは、戦後、日本が何を築き上げ、何を失ったか、を考えさせてくれるものでもあった。完結した『太平洋戦争 最後の証言』には、そのことを私なりに書き込ませてもらった。是非、多くの方に読んでいただければ、と思う。

カテゴリ: 歴史

「テポドン2号」発射に思う

2012.04.13

いま長距離弾道ミサイル「テポドン2号」の発射実験が失敗に終わったというニュースが流れている。北朝鮮の新独裁者・金正恩(29)の権威を高めるために発射されたテポドンは、無残にも上空120キロ付近で爆発したそうだ。

黄海に落下し、日本ほか周辺国への影響はなし、という結果となった。しかし、今回の一連の騒動を見ながら、私は改めて背筋が寒くなる思いがしている。

それは、ニュースを聞いて、「ああ、終わった」「失敗でよかったね」という空気が早くも流れていることだ。特にマスコミの間にその雰囲気が蔓延している。怖いのは、この長距離弾道ミサイル発射の意味がわかっていない人が多いということである。

多くの北朝鮮問題の専門家が予想する通り、遠からず金正恩は、核実験の実施に踏み切るだろう。失敗を重ねながらも、核兵器の開発成功に一歩一歩近づいているのである。

私には、「(発射が)失敗に終わってよかった」という平和ボケした見方で、またコトの本質がうやむやになることが一番、怖い。

想像して欲しい。仮に長距離弾道ミサイルの発射実験が成功し、核実験が終わり、核弾頭の小型化が実現し、起爆装置の開発も成功したとしたら、私たちの住む「東アジア」はどうなるか、ということである。

あの国が核兵器を持ち、いつでも弾道ミサイル「テポドン」に小型化した核弾頭を乗せられる状況が生まれた時、「日本はどうなるか」ということだ。

その時、あの国とは“交渉”さえできなくなるということを考えたことがあるだろうか。たしかにアメリカやロシアも核兵器を持っている。しかし、同じ核保有といっても、北朝鮮が持つのとは意味が違う。

少なくともアメリカやロシアが核兵器の力をちらつかせて国際社会で交渉をおこなうことはない。だが、彼(か)の国はどうだろうか。

食糧支援にしろ、領土問題にしろ、拉致問題にしろ、賠償金問題にしろ、すべてのジャンルが「核兵器を背景にした議論」をやってくることは確実だ。そのために食糧さえない困窮の中で、巨額の費用を投じて弾道ミサイル実験や核実験をおこなっているのである。

さらに言えば、実際に北朝鮮が核と弾道ミサイルを「保有」しさえすれば、それが使用される可能性は少なくない。しかも、最も使う対象として可能性が高いのは、彼らにとって「憎っくき日本」である。

すなわち、北朝鮮問題というのは、彼らが核兵器を保有し、長距離弾道ミサイルの開発に成功するまでが「すべて」なのである。その時までに、北朝鮮の独裁体制を崩壊させ、民主国家に生まれ変わらせることができるのかどうか。そこに日本の命運はかかっているのである。

私は、今回のニュースを見ながら、3月22日に韓国の「朝鮮日報」が報じた一件を思い出した。北朝鮮で年明けに公開処刑された人民武力部のナンバー2(副部長)は、迫撃砲の着弾地点に立たされるという残虐な方法で処刑が行われたと報じられていた。

その際、金正恩は、「髪の毛1本も残すな」と指示したという。国際社会の反発をものともせずに、今回の発射実験を強行した金正恩。その狂気が、とてつもない武器を実際に手にした時、どうなるのか、想像するだけで背筋が寒くなる。

それにしても、本日午前7時40分頃、実際に弾道ミサイルが発射された時、アメリカからの通報を受けながら、「いま未確認の飛翔体が発射されたとの情報がありました」ということすら公表しなかった民主党政権のお粗末ぶりには呆れ果てる。

国民の生命・財産を守るべき役割すらわかっていない人たちのレベルが、またしても露呈された。いつまで、こんな政権を私たち国民は戴いていなければならないのだろうか。テポドン失敗のニュースを見ながら、そんな溜息が出てきてしまった。

カテゴリ: 北朝鮮

重圧に負けたダルビッシュ

2012.04.10

今日は、注目のダルビッシュ有のメジャー・デビューの日だった。待ちに待ったその初登板は、あまりにも内容が悪く、期待していた野球ファンには落胆と心配だけをもたらすものだった。

「こんなダルビッシュを見たことがない」。多くの日本の野球ファンはそう思ったに違いない。軸足の右足は突っ立ったままで、腰のためも全くないので“手投げ”になり、さらにはそのせいで“球持ち”も悪く、リリースポイントが一定しない――こんなダルビッシュは、実際、日本ではお目にかかったことがない。

試合前のブルペンでの投球練習でボールの滑(すべ)りが気にかかるのか、何回もボールを変えて投げていたという。ダルビッシュの凄さは、ストレートの伸びや変化球のキレだけでなく、高度な修正能力にある。その一流投手の証明ともいえる修正能力も発揮することができなかった。

かなりの重症である。すでに紅白戦やオープン戦でも十分投げていながら、それでも日本で見せたことがない「ストライクすら入らない状態」になるというのだから、野球というのはつくづく恐ろしいものだと思う。ダルビッシュにとって、メジャー・デビューという重圧はそれほど大きかったのである。

今日のダルビッシュの投球フォームを見て、「キャンプで走り込むことはできたのだろうか」と、ふと気になった。ウエートトレーニングに主を置き過ぎ、肝心の走り込みをおろそかにしたのではないか、と心配になったのだ。

しかも、メジャーのボールとマウンドの硬さにもまだ慣れていないように思えた。走り込みができないまま、これに無理に合わせようとすれば、長丁場では必ず足腰に故障を起こすだろう。

さまざまなことを心配させる今日のメジャー・デビューだった。それでもメジャーではナンバー・ワンのレンジャーズ打線が爆発し、終わってみれば、11対5。5回3分の2イニングで5失点したダルビッシュに「勝ち」がついたというのだから、これまた野球は恐ろしい。

この運の良さに感謝して、今度こそ“高度な修正能力”を発揮して欲しいものである。ダルビッシュが本来の力さえ出せば、1年目から防御率1点台、20勝以上可能だと私は思っていた。それだけダルビッシュが持っているボールは素晴らしい。デビュー戦の最悪の調子を逆に糧(かて)とできるかどうか、次の登板に注目したい。

今日は、このダルビッシュの試合を中継観戦したあと、事務所に遠来の客があった。はるばるブラジルからの客である。昨年4月に刊行した拙著『蒼海に消ゆ―祖国アメリカへ特攻した海軍少尉「松藤大治」の生涯』(集英社)の主役、故松藤大治さんの甥にあたるサンパウロ在住の石崎干城さんである。

今年70歳になられる石崎さんは、拙著によって、長い間、消息を探していた松藤大治さんとその親戚の存在を知り、何十年ぶりかで連絡を取ることができたという。

そのお礼で、久しぶりに訪日されたのを機に、わざわざ私の事務所を訪ねてくれたのだ。地球の裏側のブラジルまで拙著を取り寄せて読んでくれて、さらに東京の私にまで連絡をくれたことに感激した。石崎さんにはブラジルでの生活など、いろいろなことを教えてもらい、楽しいひと時を過ごすことができた。

そのあと、新書の司法関係の取材を夜までおこない、気がつくと日が変わる直前となった。明日も取材が目白押し。次の作品に向かって、早く“エンジン全開”といきたいものである。

カテゴリ: 野球, 随感

広島から帰って「観桜会」に

2012.04.09

昨日、呉から広島に移り、広島の比治山にある陸軍墓地のお参りを終え、『太平洋戦争 最後の証言』の取材が完結した。前日(7日)は呉の海軍墓地でお参りしたので、慰霊の行事もすべて終えたことになる。

比治山の陸軍墓地は明治5年に設置され、西南の役から太平洋戦争に至るまでの多くの兵士が眠っている。戦後、原爆や台風被害などで、墓石の整理作業が頓挫し、遺骨が散乱状態になった悲劇の歴史がある墓地でもある。

今は、それぞれの墓石が出身県別に整理され、安置されている。周辺には花見客が溢れており、その平和な風景と陸軍墓地のひっそりとした雰囲気が見事なコントラストを描いていた。しばし、手を合わせて、『太平洋戦争 最後の証言』シリーズ完結の報告とお礼をさせてもらった。

本日は、その広島から夕方に帰京後、評論家の金美齢さん主宰の観桜会に参加させていただいた。金曜日に東京を離れたので、わずか3日しか経っていないというのに、すっかり都心が温かくなっていたので驚いた。

たった3日で、東京にコートを着る人がほとんどいなくなっていた。まさに季節の変わり目の数日だったことになる。新宿御苑を見下ろすビルの8階に事務所を構える金美齢さんは、さすがに顔が広く、恒例の観桜会には、政治家や評論家、ジャーナリスト、TVプロデューサー……など、多士済々で、私も久しぶりにお会いした人が多かった。

思わぬ人と久々に旧交を温めることができた。私も、太平洋戦争シリーズの完結で、新しい仕事に明日から挑むことになる。桜の開花と共に気分一新である。

ちょうど美味しいお寿司をいただいていたら、隣に安倍晋三元首相や新藤義孝衆院議員がいて、いろいろ話をした。新藤議員は、なんと硫黄島の指揮官・栗林忠道中将のお孫さんにあたるそうだ。

すでに拙著『太平洋戦争 最後の証言』の第1部、第2部も読んでくれており、話が弾んだ。あっという間に楽しい時間が過ぎた金美齢さんの夜の観桜会だった。

カテゴリ: 歴史, 随感

海軍墓地にあった満開の1本の桜

2012.04.07

朝10時、広島県呉市の海軍墓地にて、戦艦大和の慰霊祭に参加した。昭和20年4月7日、東シナ海に大和が沈んで以来、67年という年月が過ぎ去った。

海軍墓地のほかの桜はまだ六分咲きなのに、なぜか大きな「戦艦大和戦死者の碑」の隣に立つ桜だけが1本だけ満開だった。

碑の前に進み出て、花束を置いて手を合わせた。不思議なことにその直後、急に雨が降り始めた。天気はよかったのに、急な雨である。驚いた。

この夏に大和の関連番組を放映するというNHKのスタッフが撮影する中、元大和の乗組員2人、そして兄を大和で亡くしたという弟さん、いずれも80歳代の元老兵を含め、20人ほどが慰霊祭に参加していた。

花冷えの中、「今から黙祷をおこないます」という声で、参加者が亡き大和の乗組員に黙祷を捧げた。昭和54年、この地で初めて慰霊祭がおこなわれた時には、大和の生存者を含む約500人が集まったことを思うと隔世の感がある。

19歳だった兄を大和で失った弟さん(82)がわざわざ山口県の柳井から参列されていた。「毎年、この慰霊祭に参加するのを楽しみにしています。次第に参加者が減っていくのが寂しいですね」と私にしみじみ語った。

元乗組員の一人(88)が大和で山本五十六・聯合艦隊司令長官と言葉を交わした時の感激を私に教えてくれた。昭和17年のミッドウエー海戦の前のことである。老兵の話を聞いていると、それが70年も前の話だということが信じられなくなる。

まだ探せば、多くの大和の生還者がいる。歴史の彼方のことと考えていたことが、実はそうではないことを改めて教えてもらった。

「さっき雨が降ったでしょ。あれは自分たちを忘れないでいてくれたことへの彼らのお礼ですよ」。参列者の一人が私にそう言った。いつの間にか、呉の空は晴れ上がっていた。

カテゴリ: 歴史

戦艦大和68回目の「沈没の日」を前に

2012.04.06

本日、『太平洋戦争 最後の証言』完結編の「大和沈没編」を無事、校了した。そして夕方、新幹線に飛び乗って、そのまま広島県の呉にやってきた。

明日は、戦艦大和と3332名の乗組員の命日だからだ。昭和20年4月7日、大和と共に水上特攻に加わった第二艦隊の将兵すべての死者を含むと4000名を超える。

私は、明日、呉の海軍墓地に行き、先人たちのご冥福を祈り、後世の人間として感謝の気持ちを捧げたいと思う。そのために校了を終えて、はるばる東京からやって来た。

『太平洋戦争 最後の証言』シリーズがこの完結編をもって終了するのは寂しいが、私なりにできるだけのことはやらせてもらったと思う。

今回、拙著では、大和の設計に携わった方から特攻作戦に関与した參謀、あるいは、実際に沈没した大和から奇跡の生還を遂げた人々など、30名近い元兵士たちを取材し、直接証言によって地獄の戦場を描きだすことができた。

ご登場いただいたのは、現在、いずれも90歳前後となった老兵たちである。あの時代のあの戦いを現代人がどう読んでくれるのか、今から楽しみだ。拙著は、2週間後には店頭に並ぶ。是非、ご期待いただきたい。

広島で新幹線を降り、呉に向かうため在来線に乗り換えた。夜、10時を過ぎても広島から呉への列車は満員だった。11時前、私はやっと呉に辿りついた。

戦艦大和の故郷であり、かつて日本が誇った世界屈指の造船基地・呉。もうここへ来るのは、何度目になるのだろうか。

駅を出ると、雨まじりの冷んやりした空気が私を迎えてくれた。明日の海軍墓地は、爽やかな春空のもと、桜満開であって欲しい。

カテゴリ: 歴史

よくもこれほど“逸材”が……

2012.04.04

次から次へと、よくこれほどの逸材が生まれるものだ。私は、第84回選抜高校野球大会が終わって、嬉しい溜息をついた。いうまでもなく優勝の瞬間、雄叫びを上げた大阪桐蔭のエース藤浪晋太郎(3年)のことだ。

今日の決勝で7対4で青森の光星学院を破り、選抜初優勝を果たしたが、このピッチャーは、ひと言でいうなら「怪物」である。大会前から“浪速のダルビッシュ”と注目を浴びていたので、私もどんな投手か、初戦から注意深く見守っていた。

5試合40イニングで659球を投げて、紫紺の優勝旗を獲得したことで、その期待に藤浪君は応えたが、実は、私は大会前から秘かにこのピッチャーを心配していた。それは、球の威力ではなく、彼のハートについてだ。

身長196センチで甘いマスクの藤浪君は、これまで肝心の場面で弱気になり、野球関係者の間で、チキン・ハートとして精神面の弱さを懸念されてきた投手だった。揺さぶられたり、あるいは味方のエラーでリズムを崩した時、長身投手にありがちな「バランスを崩す」という致命的な欠陥を抱えた投手だった。

しかし、私は優勝を占う最大の試練の場となった準々決勝の浦和学院戦で、思わず唸ってしまった。自身が「最も苦しかったのは浦学戦」と振り返った通り、藤浪君はこの時、そのハートを試される時が来た。

1対1で迎えた7回裏、途中登板の藤浪君は3連打で無死満塁の場面を迎えた。強豪相手に絶体絶命の大ピンチである。こういう時は、守備もリズムを崩すし、往々にして一挙に勝負を決められるものである。

私は、藤浪君のハート、つまり“度胸”を見るために身を乗り出した。そして絶句した。その時、藤浪君が目を剥いて投げ込んだ球は、153キロのストレートと、プロでも打てないようなキレと落差のあるカットボールだったのだ。

「絶対にボールを前には飛ばさせない」。その気迫が全身に漂い、真っ向から投げ込んできた藤浪君の前に浦学打線は三者三振で切ってとられた。無死満塁で無得点。この瞬間、勝負はついた。

ハートが弱いどころか、藤浪君はプロでも通用するボールと共に、誰にも負けない“度胸”を見せつけたのである。“浪速のダルビッシュ”どころか、高校生の時点では、ダルビッシュを遥かに上まわる力量を証明したのである。

日本の野球界は、よくもまあ、これだけの逸材があとからあとから出てくるものだ。私は、野球を愛する一人の人間として、なんだか嬉しくなってしまった。

ストレート、フォーク、スライダー、カットボール……いずれも超一流の球を持つ藤浪君は、あとは時折投げる甘い球をどれだけ少なくしていくか、が今後の課題だろう。

いずれにしても、将来性という点でも間違いなく「怪物」である。これで押しも押されもせぬ今秋のドラフトの目玉となったが、私は、藤浪君には、世界ナンバー・ワンのピッチャーを目指して欲しいと思う。

“先輩”ダルビッシュは、近いうちに世界一の称号が与えられる活躍をメジャーで見せるだろう。それにつづくのは、藤浪君だ。私も野球ウォッチャーの一人として、成長していくのを見るのが楽しい超一流のピッチャーに今回、出会うことができた。

光星学院の素晴らしい頑張りと共に、久しぶりになんだか浮き浮きするような気分を味あわせてくれた決勝戦だった。世界を目指して頑張れ、藤浪君。

カテゴリ: 野球

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