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福島の海岸線の美しさ

2012.06.30

岩手県の一関、盛岡、福島県の郡山、いわき……と、東北地方の旅を終えて帰ってきた。福島県では、いわき市から北上し、立ち入りを制限されている福島第一原発から20キロ圏のぎりぎりまで行ってきた。

いわきから四倉(よつくら)を経て、広野に至る太平洋の海岸線は、私の故郷である四国・高知と似ていた。長閑(のどか)で美しい太平洋の海原を見ていると、昨年の悲劇をつい忘れてしまう。

だが、ところどころに根こそぎ津波に持っていかれた家の跡が残り、被害の凄まじさをいまだに垣間見せている。はっとさせられる光景だった。

放射能汚染によって、いわき市に避難してきた人は2万人を超え、人口が膨らんでいるという。駅近くの飲み屋街も大盛況だった。夜の町でも、いろいろ話を聞き、勉強になった。

いま震災の時の知られざる人間ドラマを取材している。今回も多くの方々とお会いした。これまでの震災ドキュメントとは違うものをいつか描いてみたい。

カテゴリ: 随感

憎悪むき出しの”仁義なき戦い”へ

2012.06.26

壊す時は、さすが、である。小沢一郎氏は、26日の衆院本会議で結局、57人の議員を「反対」にまわらせた。

54人以上離党すると民主党は半数を割り、今後、内閣不信任案が可決される可能性が高くなるだけに、この「微妙な数字」まで持ってきた小沢氏の“壊し屋”としての手腕はさすが、ということだ。

これで、政界は憎悪むき出しの戦いに突入した。反対票を投じたノー天気な鳩山由紀夫元首相も大変な目に遭うだろう。今後は、除名をはじめ、さまざまな動きが出てくるに違いない。

これで造反議員たちの選挙区はいきなり大混乱となった。それぞれの民主党議員は300支部の支部長を兼ねているから、“造反”支部長は解任されて新しい支部長が登場することになる。来たるべき選挙に向けて各支部はテンヤワンヤだ。

当然、民主党は出ていく造反議員の選挙区にそれぞれ対抗馬を立ててくるから、昨日までの仲間がいきなり明日からは「敵」ということになる。まさに全国各地で仁義なき戦いの嵐となる。各選挙区で悲喜こもごものドラマが展開していくのである。

早ければ9月、遅くても10月から11月には、総選挙になる可能性が高い。ここでポイントになるのが、9月に予定されている自民党の総裁選だ。果たして、自民党の総選挙の“顔”は谷垣禎一氏のままいくのだろうか。あるいは引きずりおろされて、新しい総裁が誕生して選挙に向かうのか。まったく予断を許さない。

さらには内閣不信任案が提出された場合、どうなるかも興味深い。そして、橋下徹・大阪市長や石原慎太郎・東京都知事の動きも急になるだろう。政界は片時も目が離せない緊迫した「夏」に突入したのである。

カテゴリ: 政治

起死回生の道「宗教法人への課税」

2012.06.22

やっと小沢グループの離党が濃厚になったらしい。まことに喜ばしいと思う。先週、週刊文春誌上で暴露された小沢夫人の「支援者への手紙」の中身が致命的なものだっただけに、もはや、なりふりなど構っていられないのかもしれない。

放射能が怖くて地元岩手に8か月も帰らなかったことや、東京からでさえ逃げ出そうとした事実を暴露された小沢氏にとっては、政治家どころか、「人間」として、「男」としてのありようが問われる中での離党劇である。

もともと気に入らないことがあれば、物事をぶち壊すのが得意の“壊し屋”政治家だけに、久しぶりの本領発揮とも言える。しかし、この人の場合、その時々の都合だけでこれをおこなうのが特徴だ。

私がどうしても思い出してしまうのが、今から18年前の平成6年、突如、未明におこなわれた増税記者会見だ。当時の細川護煕首相に新税をブチ上げさせ、それまでの税率3%を「7%にする」ということを発表した「国民福祉税構想」である。

寝耳に水だった連立与党は、たちまち崩壊、社会党の連立離脱を招いて、政権自体が吹っ飛んでしまった。あたかも国士気取りで、「増税こそ日本の生き残る道」とばかりに、発表する細川首相を見つめていた小沢氏の得意気な表情が忘れられない。

あの時、小沢氏は、「昔陸軍、今斎藤」とまで呼ばれた剛腕の大蔵官僚、斎藤次郎事務次官に見事に乗せられ、増税に向かって突き進んだ。

しかし、今回はまるで逆だ。増税反対をブチ上げて、今度は党を割る方を選ぶというのである。次の選挙で、小沢グループは、いずれにしても壊滅の道しかない。出るも地獄、残るも地獄だけに、この際、民主党を出て行った方がいい、という判断なのだろう。

私は、18年前のあの未明の記者会見以来、小沢氏というのは、政治的なセンスもなければ、信念もない政治家だと思っている。要するに、政界のドン・故田中角栄に可愛がられて権力を持った“わがまま政治家”というだけなのである。

そのわがままぶりは時を経ても変わらず、平成24年の現在が来ても、まだ世間が振りまわされているところがおかしい。

私が不思議に思うのは、今の報道で50人弱が小沢氏と行動を共にする見込みだということだ。私自身は、多くてもせいぜい30人程度と思っていただけに、「本当にそんなにいるのか?」という思いが強い。おそらくこれから、相当切り崩されてくるだろう。

小沢グループは、期待を寄せていた橋下徹・大阪市長が率いる大阪維新の会にも冷たくあしらわれ、明日なき戦いに入る。前回のブログでも書いた通り、小沢グループの壊滅は必至だけに、国民もマスコミの大騒ぎにつき合うことなく、冷静に事態の推移を見ていくべきだと思う。

それと共に、小沢グループが“生き残る道”があるとすれば、ひとつだけ存在することをここで書いておきたい。いや、ほかの政党も、これを推進できれば広範な国民の支持を得られる、というものだ。

それは「宗教法人への課税」を打ち出すことである。日本には、全国に18万を超える膨大な数の宗教法人が存在する。これら宗教法人は、多くの税の優遇措置を受けている。

宗教活動による収入はまったくの非課税で、それ以外の収益活動にも、優遇措置を受けている。これらの優遇を一切廃止した場合、税収は「4兆円」を超えるという試算がある。

宗教施設として巨大な建造物を有し、各地で不動産を買いあさり、さらにはメディアに多くの広告を打ってマスコミも黙らせる力を持つのが、日本の宗教法人だ。ここに課税して、増税には反対する、というなら、良識ある国民も耳も傾けるはずだ。

「国のため」にそれぐらいの主張をしてみせるなら、小沢グループに対して拍手を送る国民も少なくないだろう。そもそも、小沢さんに「国のため」という意識があれば、の話だが……。

カテゴリ: 政治

追いつめられた小沢グループ

2012.06.20

「なに言ってるんだ」「ふざけるな!」「了承してないぞっ」。近づく台風によって風雨が強まる中、昨夜、民主党の政策調査会合同会議が開かれ、3時間半の議論の末に前原誠司・民主党政調会長が小沢グループの反発の中、一応の「一任」を取りつけた。

これで社会保障・税一体改革法案が可決される見通しとなり、小沢グループが民主党を離脱する可能性が強まった。早くも「永田町は9月9日投開票に向けて動き始めた」と解説する向きも出始めている。

早期の解散・総選挙を条件に3党合意に応じたとされる自民・公明の圧力もあり、野田首相としては実際、政界再編必至の解散・総選挙に突き進む可能性が出てきた。

私は、小沢グループの民主党離脱は大いに結構だと思っている。国民に愛想を尽かされている民主党が、次の総選挙で壊滅状態に陥るのは確実だ。特に、小沢グループがほとんど「生き残れない」のは、多くの専門家が予測するところだ。

私は、小沢グループが壊滅するのは、日本の政界のために必要なことであり、やらなければならないことだと思う。政党をつくっては壊してきたデストロイアーの小沢一郎氏は、最初は軒(のき)を借りる形で民主党に入ってきたが、完全に母屋を乗っ取った。

それは、小沢氏が最も熱心にアプローチし、それを入手して以降は、絶対に「手渡さなかったもの」に起因する。候補者の事実上の「公認権」である。

候補者を選定し、どの選挙区から誰を出すか、という“権力”に対して民主党の中で小沢氏ほど執着した人物はいない。

親分だった故田中角栄の手法を間近で学んできた小沢氏は、自分の思い通りになる議員の数こそ“権力の源泉”であることを誰よりも知り抜いていた。

議員にしてもらった人たちは、ひよこが母鳥のあとをついて歩くように自分を議員にしてくれた人に忠誠を尽くす。それが小沢チルドレンであり、小沢ガールズである。

小沢氏は彼らを「数」でしか見ていない。当然のごとく彼らの「能力」は関係ない。票を取れる人、そして自分に無条件で忠誠を誓う人が小沢氏にとって最重要なのである。

必然的に「若ければいい」「学歴があればいい」「見栄えがよければいい」という三原則が前面に出てくる。政界ではそれを“小沢グループ三原則”と呼んでいる。

民主党の議員は、国益や国民の生命・財産、あるいは領土を守る、という国会議員にとって最も必要な認識が希薄な人が多い。党全体が“小沢三原則”によって、根幹を見失った党になっているのである。

その意味で、民主党にかぎらず、政界自体が生まれ変わるために、小沢グループが党を出ていくことは歓迎すべきことだろう。「50名は出ていく」「いや30名がせいぜい」――いま小沢グループがどこまで議員をまとめられるかに政界の関心が移っている。

もし、まとめられる数が少なければ、そもそも党を飛び出すこと自体がなくなるから、永田町は息をひそめてその動向を見つめているのだ。「できれば出ていって欲しい」。与党も野党も本音はそこにある。

政界浄化のためには、まず小沢グループの消滅こそ必要かもしれない。河村たかし名古屋市長などの“シンパ”が小沢氏に余計な手を差し伸べないよう祈るばかりだ。

カテゴリ: 政治

黄金期を迎えた早稲田大学

2012.06.18

注目の全日本大学野球選手権の決勝は、早稲田大学が4対0で亜細亜大学を下し、見事に10年前の雪辱を果たして優勝した。大学野球の通算完封記録を持つ亜細亜の東浜巨投手は、リズムに乗れず、初回の3失点が致命傷となり、敗れ去った。

それにしても昨夏の甲子園の覇者、ルーキーの早稲田・吉永健太朗投手の投球は圧巻だった。よくコントロールされたストレート、フォーク、シンカー、スライダーのコンビネーションは、亜細亜打線に“格の違い”を見せつけた。

一方、先月16日のブログでも書かせてもらったが、プロ注目の東浜投手の迫力のなさは、深刻だ。リーグ戦では、東都の各大学の貧打に助けられてはいるものの、相手打者をネジ伏せる力がない。

東浜は、プロでもある程度は通じるだろうが、一流投手になるにはほど遠い。相手を抑え込む力感を持つ吉永投手と比べても、明らかに「差」があった。

今日の試合を見ていて思うことは、一時期、東都大学リーグのレベルが東京六大学のそれを上まわっていたと思われていたが、それが“再逆転”したのではないか、ということである。

両リーグには、「打力」の面で差がある。今日の亜細亜打線を見ていても、まともに吉永を打てる打者は一人もいなかった。明らかに六大学の各打者が上まわっている。

吉永だけでなく、150キロ前後のストレートを駆使する抑えの切り札・2年生の有原航平を擁する早稲田は、久しぶりに黄金期を迎えた気がする。大学球界は、名門早稲田を軸にまわり始めたようだ。

カテゴリ: 野球

10年ぶりの早稲田vs亜細亜の激突へ

2012.06.17

今朝方、月刊誌に原稿を入れたあと、神宮球場に出かけてきた。全日本大学選手権の準決勝、早稲田大学(東京六大学)vs九州共立大学(福岡六大学)、亜細亜大学(東都大学)vs龍谷大学(関西六大学)の2試合がおこなわれるからである。

1日順延になり、さらに日曜日ということもあり、内野はほぼ満席だった。早稲田の先発は、1年生でいきなり六大学の最多勝(4勝)でベストナインにも選ばれた昨夏の甲子園の覇者、吉永健太朗投手(日大三)だ。

マウンドさばきや打者の力量を見極める落ちつきぶりなど、どう見ても1年生とは思えない。すでに最上級生の貫録を醸し出している。さらには、内外角に投げ分けるコントロールと重みのあるストレート、右打者へのスライダー、左打者へのシンカーなど、相手打線にほとんどつけ入るスキを与えなかった。

6回に突如コントロールが乱れてランナーをためたあとタイムリーを打たれたが、6回でヒットわずかに2本という投球だった。一方の九州共立大学は、4度あった送りバンドをすべて失敗するなど、拙攻が目立った。

いつも全国トップの投手力で大会に臨んでくる九州共立大学は、例年と同じく接戦をものにできない弱さが出て2対3の1点差で早稲田の軍門に降った。

つづく亜細亜大学と龍谷大学の試合も接戦になった。すでに2試合完投のエース東浜巨(ひがしはま・なお)を休まさせたい亜細亜大学は、今日は3投手を繰り出す総力戦を展開し、4対2で龍谷を退けた。

相変わらずの貧打がつづく亜細亜だが、8回裏に相手捕手のパスボールで3塁に進塁した直後のボールをスクイズで転がして4点目を挙げ、試合巧者ぶりを見せつけた。

これで決勝は、早稲田vs亜細亜の因縁の対決となった。決勝対決は、10年前の2002年(51回大会)以来だ。あの時は、早稲田の和田毅(現・オリオールズ)と亜細亜の木佐貫洋(現・オリックス)が、火の出るような闘志をぶつけあった。

私は亜細亜大学のベンチ上で観戦していたが、あの試合は今も忘れられない。早稲田は、オーダーに田中浩康(ヤクルト)、青木宣親(ブルワーズ)、鳥谷敬(阪神)、武内晋一(ヤクルト)など、錚々たるメンバーを揃えながら、木佐貫の力投の前に1点しか奪えず、2対1で9回サヨナラ負けを喫している。

横浜高校時代に松坂大輔(現・レッドソックス)と共に明治神宮大会、甲子園の春夏連覇、そして国体というすべてのタイトルを総ナメした亜細亜の小山良男主将の気合が早稲田を圧倒した。

主将でキャッチャーの小山の雄叫びが木佐貫の投球を冴えわたらせ、サヨナラ勝ちに結びつけたのだ。明日の決勝も、実力は伯仲。大学史上最多の完封記録を持つ大学球界ナンバー・ワンの東浜投手に立ち向かう早稲田打線の気迫次第である。熱戦を期待したい。

カテゴリ: 野球

樹齢1200年の諏訪大社のケヤキ

2012.06.15

昨日、今日と長野県の諏訪市と松本市で講演があり、久しぶりに信州に行ってきた。諏訪といえば、諏訪大社である。諏訪湖の南側に上社(かみしゃ)と呼ばれる「本宮」と「前宮」の2つがあり、諏訪湖の北側には下社(しもしゃ)と呼ばれる「春宮」と「秋宮」の2つがある。

「木落とし坂」から御柱(おんばしら)を落とし、それを各社殿の四隅に据える「御柱祭」は、7年に1度だけ開かれる“天下の奇祭”だ。御柱に人間が乗ったまま45度の急坂から落とすこの祭りでは、時に、死者も出る。

その豪快な御柱祭の現場と、4つの宮すべてを講演の後、私は時事通信の支局長のご案内で観させてもらった。上社の本宮に行くと、荘厳な社殿の一隅に樹齢1200年というケヤキが立っていた。

そのケヤキが醸し出す独特の雰囲気に、私は圧倒されてしまった。神話時代からの古い信仰の歴史を持つ諏訪地方の人々が、「樹」そのものに畏敬を持ちつづける理由が、そのケヤキをひと目見て、私には納得できた。

御柱祭も、樹というものに対する人々の感謝と畏敬が根本にある。水のあるところに生命は生まれる。諏訪湖は、太古の昔から、多くの人や獣を呼び寄せ、さらに山々に巨木を育んできた。その諏訪地方に、御柱祭と呼ばれる奇祭が生まれ、それが21世紀の今もつづいている。

樹、すなわち“生あるもの”に対する人間の畏れと信仰は、諏訪に来れば感覚としてわかる気がする。講演で地方に行った時に、それまでは気がつかなかった古きよき日本そのものに触れることができるのは、大きな喜びだ。

カテゴリ: 随感

「昭和」と共に歩んだ野球人の大往生

2012.06.10

今朝、ひとりの野球人が亡くなった。大正3(1914)年1月生まれで、今年98歳となっていた元学習院大学野球部監督の島津雅男さんである。

つい2か月あまり前の3月下旬、島津さんを囲む会に行った時のことをブログ(3月28日付)に書かせてもらったばかりだった。拙著『甲子園の奇跡』(講談社文庫)、そして『神宮の奇跡』(講談社)、両方の主役の一人である。

3月にお会いした時、島津さんから励ましのお言葉をいただいたが、私にとって、それが最後のメッセージになってしまった。島津さんはその後、5月下旬に軽い脳梗塞で倒れたが、意識もはっきりしており、私はお元気に復活されると思っていた。しかし、一昨日に容体が急変し、文字通りの大往生を遂げられた。

島津さんは満洲事変が起こる1か月前の昭和6(1931)年夏の甲子園に、早稲田実業のエース、4番、主将として出場して中京商業に敗れ、いまだに破られない甲子園3連覇という大記録の“最初の1勝”を献上した。

その後、島津さんは早稲田大学に進んで早慶戦で活躍し、社会人野球の東京鉄道局野球部でも勇名を馳せた。東京鉄道局野球部時代には、発足して間もない巨人軍との試合で、あの沢村栄治とも対戦し、痛烈なヒットを放っている。昭和33年には、学習院大学野球部を監督として率いて、東都大学1部リーグでの“奇跡の優勝”を果たした。

温厚な人柄で慕われ、多くの弟子を育てた島津さんは、いわば日本野球の歴史の証言者だった。いや、野球にかぎらず、昭和11年に陸軍に入隊して二・二六事件に遭遇し、南京攻略戦にも参加した島津・陸軍大尉の人生は“激動の昭和史”そのものだったと言えるだろう。

東京鉄道局野球部時代のチームメイトである前川八郎さん(投手・巨人軍)も一昨年、98歳を目前に死去された。二人はお互いを懐かしみ、「是非、会いたい」と仰っていたが、ご高齢で足が弱っていたこともあり、お二人に頼まれていた私は、ついに二人の面会を実現できないままに終わってしまった。

草創期の巨人軍のことを詳しく教えていただいた前川さんと、学生野球、そして社会人野球で活躍して戦前の野球のことを語り尽くしてくれた島津さんのお二人を、私は両方失ってしまった。

貴重な歴史の証人を失ったことは、言うまでもなく野球界にとって大きな損失である。日本を根底から支えた大正生まれの男たちがいよいよ少なくなってきたことを感じる。多くの業績を遺された島津さんのご冥福を心からお祈りしたい。

カテゴリ: 野球

検察「ベスト・エビデンス主義」の崩壊

2012.06.08

東電OL事件の再審決定、釈放、そして国外退去へ、という流れに衝撃を受けた人は少なくないだろう。昨日まで刑務所にいたゴビンダ・マイナリ受刑者(45)は、一転、冤罪ヒーローとなった。

東京高裁の再審請求審が結論づけた「現場で何者かが被害者と性交した後、殴打して出血させ、その血液を被害者のコートに付着させたと見るのが自然」という判断は、なにより検察にとって大変な衝撃だった。

当時、事件の取材にあたっていた私には「現場に第三者がいた可能性を示すDNA型鑑定結果」というもの自体が驚きだった。科学の発達、あるいは鑑定技術の進歩といえばその通りだが、それと同時に、検察がベスト・エビデンスだけを裁判に出すことが「当たり前だった」時代が文字通り、終わったことを強く感じた。

検察は、これまで被告人を犯人と指し示すために必要な証拠しか法廷には出してこなかった。検察の「ベスト・エビデンス主義」である。自分たちに有利なこの仕組みに甘え、やがて証拠に対する執着や執念が失われてきたのが、今の検察である。

しかし、裁判員制度の導入を踏まえて2005年、刑事訴訟法が改正され、「公判前整理手続」が始まった。それは、そもそも刑事裁判の充実・迅速化を図るためのものだった。

だが、この仕組みは検察にとって厳しい事態を招くことになった。公判前整理手続では、裁判官、検事、弁護人が事前に協議し、あらゆる証拠をもとに焦点や争点を徹底的に絞り込むことになったのである。

これによって、それまでの検察の「ベスト・エビデンス主義」は通じなくなった。提出することを要求された証拠は、すべて公判前整理手続の過程で出さなくてはならず、容疑者を「有罪にするため」の証拠だけを法廷に出しておけばよかった頃とは天と地ほども違う時代を迎えたのだ。

都合の悪い証拠も出さなくてはいけなくなった検察は、やがて「村木厚子事件」で明らかになったように、検事が証拠の捏造にまで手を染めるようになってしまった。

ゴビンダ受刑者が本当に真犯人でないなら、この「獄中の15年」をどう取り戻すことができるのだろうか、と思う。どれほどお詫びしてもお詫びし切れるものではない。

それとともに、検察とは、果たして「真犯人を見つけるところなのか」、それとも犯人だと“思われる人”を見つけ、それをただ「有罪に持っていくところなのか」、という根本的な問題が突きつけられているように思う。

相次ぐ検察の敗北は、マスコミがつくりあげてきた検察神話がいかに実態の伴わないものであったかを物語っている。私は個人的に使命感と正義感に溢れた検事を何人も知っているだけに、真の意味で秋霜烈日バッジにふさわしい本来の検察が蘇(よみがえ)ることを心から望む。

カテゴリ: 事件, 司法

不思議な国の歴史観

2012.06.06

今日は、東京ロータリークラブに招かれ、帝国ホテルで講演をさせてもらった。演題は、「大正生まれの若者は現代日本に何を残したのか」というものだった。

言うまでもなく、4月に発売になった『太平洋戦争 最後の証言』の第3部(完結編)の「大和沈没編」を受けたものだ。お陰さまで、『太平洋戦争 最後の証言』シリーズは、各巻とも3刷となり、累計7万部に迫っている。

そのせいか最近、今日と同じように、太平洋戦争関連の講演依頼が多い。しかし、いつも話しながら「日本というのは不思議な国だ」とつくづく思う。

昭和20年時点で19歳から33歳だった大正生まれの若者は、太平洋戦争の主力となり、200万人が戦死した。実に同世代の「7人に1人」が戦死したという悲劇の世代だ。

生き残った大正生まれの男たちは戦後、ひたすら働きつづけ、復興どころか、世界から“20世紀の奇跡”と呼ばれた高度経済成長を成し遂げた。「エコノミック・アニマル」と攻撃されても怯むことなく、ひたすら前進を続けたのである。

だが、戦後ジャーナリズムは、その人たちを、ただ侵略戦争の担い手たち、すなわち“犯罪者”としてしか扱ってこなかった。

正義とは複層的なものである。ある一面から見れば、悪としか見えないものが、別の面から見れば善となる。それが物事というものである。

しかし、日本では、自国の歴史を振り返る時に、常に極端な「悪玉論」が支配してきた。一方で、それに反発する大東亜戦争“聖戦論”も台頭している。そして、お互いがお互いを罵りあうという忌むべき事態がつづいてきた。

私はそのどちらにも与(くみ)しない。しかし、少なくとも予断やイデオロギーではなく、客観的に歴史を見たいという気持ちは持ち続けてきた。

200万人の戦死者を出した大正世代の犠牲をもとに、有色人種が白人によって支配されるという“それまでの世界の常識”が覆されたことだけは、世界史上の厳然たる事実である。

終戦後10年を経た1955年にインドネシアのバンドンで開かれたアジア・アフリカ会議で、議長となったインドネシアのスカルノ大統領が、「これは、世界史上初めての有色人種による国際会議である」と宣言したことがそのことを物語っている。

そして、この会議をきっかけに米ソどちらにも属さない「第三世界」が生まれた。戦後、独立していったアジア・アフリカの国々がどれほどの数に達したか、われわれはもう一度振り返るべきかもしれない。時間こそ短かったが、私は今日、そんな話をさせてもらった。

カテゴリ: 歴史

17年後の“爆弾娘”

2012.06.04

年月とはおそろしい。昨日逮捕されたオウムの指名手配犯、菊地直子(40)の写真を見て、そう思った人は少なくないだろう。

“オウムの爆弾娘”と呼ばれた二十歳過ぎの頃とは似ても似つかぬ中年女性の姿である。肉づきのよかった娘時代と、痩せぎすな四十の女性は、たとえ面と向かっても同一人物とは気づかないだろう。

それだけに、「誰が警察に通報したのか」という根本的な疑問が湧いてくる。そのあたりは、犯人隠避で逮捕された同棲相手がカギを握っていると思うが、いずれにしても半年前の平田信(47)の自首以来、13人の死刑確定者を出したオウム事件が名実ともに「終焉に近づいている」ことを感じる。

これで特別指名手配犯は、ついに高橋克也(54)一人だけとなった。菊地直子は2年前にも高橋克也と接触していたそうだから、高橋逮捕も時間の問題となった。「もう逃げ切れない」と、高橋克也が自首する可能性も少なくない。

高橋克也は、假谷さん拉致事件の実行犯であり、同時に地下鉄サリン事件の犯人送迎役でもある。捕まれば、重刑は免れない。

先日放映されたNHKの『未解決事件2 オウム真理教』の中で、上祐史浩が90年段階の熊本・波野村時代にすでに武器開発に着手していた事実を告白した。あの番組を見ながら、私にはもはや指名手配犯たちにも逃亡を続けるモチベーションが「なくなった」ように思えた。

それでも、もし高橋克也に逃亡を続ける強い意志があるとしたら、それは「麻原への盲信」を今も持ち続けていることを意味する。

そうでないなら一刻も早い自首を高橋には望む。自らかかわった事件の被害者に対して、人間としての想いが少しでもあるなら、最後に「人としての良心」を示して欲しい。

カテゴリ: 事件

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