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「真の友好」をはき違えてはいけない時代

2012.09.30

昨日9月29日は、田中角栄と周恩来によって日中共同声明が出され、日中両国の国交が正常化された40周年の記念日だった。

だが、皮肉にも、記念の式典は中止され、日中関係はこれまでで最悪の事態に陥っている。いよいよ新しい日中関係を構築しなければならない時代が来たことを痛感する。

私は「真の友好をはき違えてはいけない時代が来た」ということを感じている。同時にここのところの一連の報道を見ながら、違和感を拭えないでいる。

尖閣をめぐる中国との関係悪化で、多くの中国関係の専門家がマスコミに登場し、さまざまな論評を展開しているが、私は彼らの話に納得ができないのである。

「大局的な観点」から「日中の友好を促進」し、もう一度「冷静になって」お互いを「理解しあおう」というのが、彼ら中国の専門家たちの主流となっている意見だ。そもそも日本政府がそう言っているのだから、専門家の意見がそうなっていくのも無理はない。

しかし、私は、これはまったく「逆」だと思っている。究極的に「日中友好」を目指すことに異論はまったくない。いや、そうすべきだと思う。だが、専門家たちが仰るようなことをすれば、日中関係は「良好」になるどころか、むしろ、今後も「悪化」することは確実だと私は思っている。

いま日本と日本人がおこなわなければならないことは、「それでも相手を理解しようとする」ことではない。暴徒化し、略奪や放火をおこない、莫大な被害を日本企業にもたらしたデモ隊の「刑事犯罪」と、それを許した中国政府に対して、毅然とした「怒り」を示すことだと思う。

それは、日本人が東京で駐日中国大使館に向かってデモをしろ、ということではない。ただ、国際社会が呆れ果てたあの中国の「不法行為」を、日本と日本人は「許さない」ということを明確に示すことである。

言いかえれば、あらゆる手段を講じて、中国の刑事犯罪に対して「経済的対抗手段」をとることだ。もちろん、これには多くの犠牲が伴う。企業の利益が失われ、破綻する日本企業も出てくるだろう。

それでも、私は「真の日中友好のために」これを今こそ、おこなわなければならない、と思う。なぜなら、繰り返される中国による日本と日本企業への攻撃は、日本を「甘く見ている」、言いかえれば「舐めている」から起こっていることだからである。

日中国交正常化以降の40年間、日本は中国に対してあらゆる譲歩をおこなってきた。巷間、伝えられているように、対中ODAは総額で「3兆円」という気の遠くなる額に達している。人民元で換算すれば、2000億元をはるかに超える想像を絶する金額だ。

だが、中国の人々はそのことを知らない。私は、1980年代初めから訪中を繰り返しているが、そのことを知っている中国人はほとんどいないし、そのために感謝の言葉を伝えられた経験もない。

要するに、日本国民の税金は、日中友好のためには何の効力も発揮せず、逆に中国が発展途上国に出す資金援助の“原資”となり、中国がその国から感謝され、勢力範囲を広げるための“武器”となってきたのである。

日中の真の友好をもたらすためには、「大局的な観点からお互いが理解しあおう」などということではなく、毅然とした「対抗措置」を講じることが重要だと言う理由のひとつは、そこにある。

中国の指導者層には、「日本には、“歴史認識問題”さえ持ち出させば、どうにでもなる」という揺るがない考え方がある。日本には自分たちの意見を広く日本中に流布し、中国共産党の機関紙かと見紛うばかりの新聞も存在するので、彼らがそう思うのはある意味、当然だろう。

この40年間の日中関係を見てみると、それがよくわかるはずだ。一部の政治家とマスコミの主導によって、日本はどんな理不尽な歴史問題を突きつけられようと、ひたすら従順に「資金提供」と「技術協力」をおこなってきた。

それは、「踏まれても ついてゆきます 下駄の雪」という都々逸にあるような情けない姿でもあった。では、これが日中関係に果たして「功を奏した」だろうか。

結果としてもたらされたのは、日本は舐められ、「どうにでもなる国」と判断され、暴徒化したデモさえ「止めてもらえない」対象の国になり果てたのである。

いま中国に進出している日系企業は2万社を超えている。そこで働いている中国人は、ほぼ東京都の人口に匹敵する。1000万人をはるかに超える中国人が日系企業とその関連の職場で働いているのだ。

それをもとに、日系企業は、いまや世界の市場となった中国で、実に30兆円を超える売り上げをあげている。日中の貿易総額も27兆円という膨大な額に達している。

日本にとっても中国が欠くべからざる国であるということを示すこの数字は、逆にいえば、中国にとって、日本を敵にまわしたら、取り返しのつかない事態に陥ることも同時に示している。

日本が本当に怒って、中国からインドや東南アジアに完全に経済をシフトし始めたら、果たしてどうなるだろうか。まず考えられるのは、上海の株式市場の暴落である。言うまでもなく、これによる日本の経済的な打撃は測り知れない。

日本の株式市場も暴落するだろう。しかし、どちらの打撃が大きいかと言えば、それは中国の方だ。貧富の差は開く一方で、資本主義型共産党独裁体制下にある中国は、年間18万件という暴動を抱える政情不安の国でもある。

不満を抱え、これから内陸部の発展も進めなければならない中国が、最大の経済的パートナーである日本が「距離」を置き始めたらどうなるだろうか。

中国は功利主義に支配された国だ。よく面子を重んじる国と専門家が言うが、それより強いのは功利主義である。不利だということをわかっていて、つまり自分が多大な損を被ることをわかっていながら、利益より面子を追う国ではない。

お互いがお互いを尊重しあう真の意味の「友好」を築くためには、日本はそこを見誤ってはならない。つまり、これまでおこなってきた「下駄の雪」方針をつづけるのではなく、日本はあなたたちを「許しませんよ」ということを明確に、そして毅然と示していくことが重要だ。

レアアース問題が、そのための絶好の参考例となるだろう。2年前、中国漁船が尖閣で海上保安庁の巡視船に体当たりしてきた事件に端を発して、世界のレアアースの90%を生産する中国が日本への輸出を見合わせて、事実上の“制裁”に入った。

この時、日本は、商社が中心になって世界中でレアアースの生産と確保に乗り出した。中央アジアや南米、北米などに突破口を見出そうと日本の商社マンが世界中を走りまわった。

これに慌てたのは、中国だった。最大のお得意先の日本がほかにシフトし始めたために、つり上げたレアアースの価格が足枷になり、販売戦略に異変が生じてしまったのだ。今や、日本はレアアースの供給先を“中国以外”に求めているため、この問題に関する日中の力関係は逆転してきている。

この例が示すのは、日本が中国に対して毅然とした姿勢を示し、あなたたちの横暴は決して許しませんよ、ということを伝えることができれば、彼らは自然と態度を変えてくるということである。

好むと好まないとにかかわらず、日本は、中国と長くパートナーとしてこれからもつき合っていかなければならない。その時、今のような関係をつづけることは、決して「両国のために」ならないのである。

中国には、国際ルールとは何か、そして、自分たちの要求が絶対に通じるなどということが、いかに「幻想」に過ぎないかを知ってもらわなければならない。そのことを教える経済力を持つ国は、日本しかない。

気に障ることがあれば、その国の企業を焼き打ちするような行為は絶対に許されないことを中国と中国人には知ってもらう必要がある。中国の覇権主義にさらされている周辺諸国は、日本にその役割を期待している。

いま日本に問われているのは、そのための「臥薪嘗胆」である。すなわち我慢比べに耐える気概だ。毅然とした姿勢を中国に示し、その先に「真の友好」があることを日本人は、知るべきだと思う。

アジアの国々が、それを日本に期待していることを、今こそ政治家もマスコミも肝に銘じるべきだろう。

カテゴリ: 中国

興味深かった自民党総裁選

2012.09.26

自民党総裁選は、安倍晋三氏(58)が決選投票の末、逆転で石破茂氏(55)を108票対89票で破り、5年ぶりに総裁に返り咲いた。私は、今回の総裁選を非常に興味深く見ていた。

序盤から失言を繰り返し、危機管理能力どころか政治家としての資質すら疑わせる石原信晃氏(55)が党員の「失望」を積もらせ、さらに安倍氏にとっては、自分が所属する派閥のトップである町村信孝氏(67)が体調を崩して事実上、総裁選から離脱した。

そんな中で、次第に「存在感を増していった」のが安倍氏だった。私は、つい8月初めまで安倍氏が総裁になるということを予想もしていなかった。小泉政権のあとを受けて、国民期待の中で船出した6年前の安倍政権があまりに国民に「失望」を残して去ったからだ。

あちこちに配慮して、自分の色を出すこともできず、最後は病気を理由に政権を下りた安倍氏がわずか「5年」で総裁に返り咲くことができるのだろうか。私はそう思っていた。

だが、その逆転のウルトラCが、「維新の会」だった。8月上旬に突如、橋下徹大阪市長率いる維新の会が安倍氏にラブコールを送ったことから、俄かに安倍氏がクローズアップされたのだ。

維新の会の市議団長が「戦後レジーム(体制)からの脱却を大阪から進める」と表明するなど、安倍氏のかつてのフレーズがそのまま出てきたのである。維新の会の主要スタッフは、そもそも安倍氏に近い人物が目白押しで、思想的に極めて近い。

自民党総裁をめぐる闘いが本格化する8月に、急に「安倍晋三」を持ち上げ始めた「維新の会」が、今日の安倍総裁誕生を支援するためにそれらをおこなったとしたら、相当な知恵者が「維新の会」にいたことになる。

石破茂氏が決選投票で敗れた理由の中に、私はやはり「人権擁護法案」に対する立場があったのではないか、と思う。

石破茂氏は「人権擁護法案」を支持する政治家として知られるが、最近、この立場を変更させ、「人権擁護の名を借りた不当な圧力を容認することは許されません」とした。

しかし、条件つき賛成には変わりなく、この稀代の悪法を容認していることが、どうしてもネックになった。野田内閣がこの法案を閣議決定したことにより、明確な反対論者でなければ、「危険だ」という声が少なからず私の耳にも届いてきた。

その意味で、結局、安倍氏に「次」を託した自民党党員や議員たちの選択は、奥が深かったかもしれない。

日本には、中国、韓国、北朝鮮から荒波が押し寄せている。今度ばかりは、毅然とした姿勢を安倍氏には貫いて欲しい、と心から願う。

カテゴリ: 政治

“政権末期”は恐ろしい

2012.09.23

政権末期ほど怖いものはない。民主党代表に再選された野田佳彦首相は、野党から迫られている“解散・総選挙”を実行すれば、日本の選挙史上、例を見ないほどの「歴史的惨敗」を喫して政権を下りることは確実だ。

1993年におこなわれたカナダの下院選挙で、与党・進歩保守党が改選前の169議席のうち167議席を失い、わずか2議席しか獲得できなかったことが思い出される。

さすがに民主党も「政権党」から一挙に「ミニ政党」へと転落することはないだろうが、カナダではこの時、現職のキム・キャンベル首相まで落選しているから、野田首相だってうかうかはしておられない。

野田首相が選出されている千葉四区も野党が結束して戦えば、「現職総理の落選」の可能性も皆無とは言えないのである。

野田首相の身になってみれば、そんな選挙を一時でも延ばそうとするのは当たり前のことであり、敵である谷垣禎一氏が自民党総裁選への立候補を断念した段階で、解散・総選挙が“来年”へと遠のいたことは間違いない。

しかし、いずれにしても来年の今頃には任期満了が来るのだから、この1年以内に激動の総選挙が待っていることに違いはない。

その意味で、いま野田政権は完全に「末期」である。そして、誰もが感じているように致命的な末期症状を呈している。野田首相があれだけ足を引っ張られつづけた輿石東・幹事長を「続投」させようとしているのも、そのひとつだ。

輿石幹事長への続投要請には、ふたつの理由がある。ひとつは民主党の「分裂回避」であり、もうひとつは、「解散先送り」だ。

もともと輿石氏は小沢一郎氏の盟友であって野田首相にとって党内の敵対勢力だ。しかし、同時に解散先送り論者であり、野党の揺さぶりに対して“どこ吹く風”でこれを無視できるパワーを持つ。

すなわち、このふたつを最優先事項と考えた場合は、野田首相には輿石氏の力を借りるしか「方法はなかった」のである。

しかし、その政権末期に、どさくさにまぎれて「人権救済機関設置法案(人権救済法)」が閣議決定されたのには、私もさすがに驚いた。

しかも、内閣の中で、この法案に強硬に反対していた松原仁・国家公安委員長の外遊中に決定したというのだから、さらに仰天させられる。

「人権救済機関設置法案は、ほんの2週間前の9月7日に「人権擁護という美名のもとに真の人権が侵され、言論の自由も封じ込まれることになる」との反対が湧き起こり、閣議決定が見送られたいわくつきのものだ。

人権侵害の定義が曖昧で、人権擁護委員になるための国籍条項もなく、人権委員会は強大な権限を持ち、当事者から訴えがあれば、礼状もないまま家宅捜索や差し押さえができ、しかも、政治目的で利用されても、それをチェックできるシステムが「ない」のである。

人権救済機関設置法案は、その名称とは正反対の「人権圧迫法」、いいかえれば「現代の治安維持法」という指摘さえ法律学者の間では存在する。

疑獄取材の途中で当事者によって「人権侵害だ」と人権委員会に訴えられて取材が制限されるぐらいは序の口だろう。令状もないまま家宅捜索や資料押収が可能などという絶大な権力を持つ人権委員会が日本中で跋扈(ばっこ)しはじめたら、日本の「言論の自由」は風前の灯である。

“鬼のいぬ間”にこれを閣議決定させた野田首相――本当に政権末期というのは恐ろしい、とつくづく思う。信念なき政治家、知識と哲学の欠如した政治家が国を率いる危うさを、最近とみに感じることが多い。

いずれにせよ、日本は民主党末期政権のなりふり構わぬ暴走で、「言論統制国家への道」を歩み始めた。国会で人権救済機関設置法案が成立することだけは、なんとしても阻止しなければならない。

カテゴリ: 政治

被害者の苦悩から何を学ぶか

2012.09.21

昨日は、故郷・高知の県民文化ホールで講演会があった。NPO法人こうち被害者支援センターが、高知県公安委員会から犯罪被害者等早期援助団体の指定を受けたことを記念したものだ。

演題は、「誰もが被害者になり得るということ―被害者の苦悩から学ぶ社会のあり方について―」というものだった。拙著『なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日』(新潮文庫)を書かせてもらったように、私はこれまで多くの事件について、記事や本を執筆してきた。

その経験を踏まえて、ほんのついこの前まで犯罪被害者が、「司法」からも、「社会」からも、無視されつづけてきた実態を講演させてもらった。

多くの犯罪被害者とその家族、たとえば山形マット死事件の児玉昭平さん、神戸・酒鬼薔薇事件の土師守(はせ・まもる)さん、そして光市母子殺害事件の本村洋さん……等、亡くなった家族の「無念」と、犯罪被害者への世の中の「理解」を訴える闘いをやってこられた方々の話をさせてもらったのである。

それにしても、2004年に犯罪被害者等基本法が成立してやっと世の中の流れが変わるまで、「人権」と言えば、加害者だけの「人権」であったマスコミ・ジャーナリズム、あるいは、犯罪被害者の家族を単なる“証拠物”としてしか扱ってこなかった司法の世界を思うと、講演しながら、あらためて真の正義というものを見失い、うわべだけの偽善社会に陥っていた戦後日本の姿に思いを致さざるを得なかった。

講演では、マスコミが陥っている“自己陶酔型シャッター症候群”についても説明をさせてもらったが、果たして理解してもらえただろうか。一人でも多くの方にマスコミや司法の人間に惑わされない毅然とした見方を持って欲しい、と心から願った故郷の一日だった。

カテゴリ: 事件, 司法

センス欠如の野田政権と“暴徒の国”

2012.09.18

さすがに中国当局も危機感を感じたようだ。このままいけば、どこまで暴徒化が広がるのか、心配になったのだろう。

注目の“九一八事変”の今日、さすがに中国政府は、反日デモの暴徒化を封じ込んだ。だが、今回の一連の反日デモの凄まじさは、文革時代の「造反有理」が今もこの国でまかり通っていることを全世界に知らしめた。

気に入らないことがあれば、器物破損、住居侵入、果ては大規模な略奪まで、中国では今も「当たり前」であり、「許される」のである。これほどの犯罪をおこなっても、それを黙認する国家が、国連の常任理事国として現に君臨していることは、ある意味、恐ろしい。

中国に投資したり、中国と商取引をする者は、この国の特殊性を「よくよく考えてからにしなさい」とニュース映像は世界中に告げている。“カントリーリスク”を心の中によく銘記した上で、腹を据えてこの国とは「つきあえ」ということだ。

覇権主義の中国がこのまま際限なく力を持ちつづけたら、いったいどうなるのか。今や世界中の知識人の大きな懸念材料であることは確かだ。

私は、中国には1982年以来、数え切れないほど行き、友人も数多くいるが、それでも、最近の中国に行くことには、どうしても二の足を踏んでしまう。

ちょうど今日、東京在住の古い中国の友人から電話があった。「あれ(デモに映っている人)は、本来の中国人ではない。出稼ぎの人たちがほとんどだ。今の世にあんなことが許されることが信じられない」。彼はそう嘆いた。

東京暮らしが長くなった彼の奥さんも、同じ中国人として「恥ずかしい」と頭を抱えているそうだ。それと共に、野田首相が胡錦濤国家主席からAPECで「(尖閣の)国有化は許さない」と言われた2日後に国有化を閣議決定して国家主席の面子(めんつ)を潰したやり方にも呆れていた。

「政治には、センスが必要だ。これほど無防備な政権は考えられない。松下政経塾の人は、頭こそいいかもしれないが、政治センスはまるでない。よりによって、なんでこんな最悪のタイミングを選んで閣議決定したんだ」。反日デモのひどさに怒りながらも、この中国の友人は、今の日本の政権にも腹を据えかねているようだ。

東京都に尖閣を買い取らせ、船だまりや駐留施設も都につくらせた上で買い取ればいいものを、たしかに「何から何まで」センスのない政権というほかない。

しかし、今回のことでひとつだけ明らかになったことがある。それは、当ブログで何度も書いてきたように、尖閣を守る、つまり中国から「領土を守る」には生半可な覚悟ではとても無理だということである。

今回の出来事は、日本にとって、海保の増強と法整備が、なにより急務であることを冷徹に日本国民に伝えている。

カテゴリ: 中国

玉砕の島・サイパンを生き抜いた二人の老兵

2012.09.17

一通の嬉しい葉書が届いた。奈良県にお住まいの栗山美和さんからだ。栗山さんは、玉砕の島・サイパンから奇跡の生還を遂げた栗山寅三さん(91)のお孫さんだ。

栗山寅三さんには、拙著『太平洋戦争 最後の証言』第2部「陸軍玉砕編」の第4章「玉砕の島“サイパン”の赤い花」にご登場いただいた。

寅三さんは、高射砲第二十五聯隊の一員として米軍と戦い、地獄の戦線を生き抜いた。肩を撃ち抜かれ、瀕死の状態で、米軍の捕虜となった。自決する時は、赤い花の下で、と島を彷徨った末の奇跡の生還だった。

その栗山家を一人の老兵が訪問されたというのである。訪ねた人は、下田四郎さん(89)だ。下田さんは戦車第九聯隊の隊員として、サイパンの守備にあたった。昭和19年6月、戦車の機関銃兵として米軍と激戦を展開し、無念にも戦車隊は全滅する。

奇跡的に生き残った下田さんはその後、山中に身を隠し、戦争終結後の昭和20年9月に米軍に投降して、日本への生還を果たした。拙著の同じ第4章で貴重な証言をしてくれた方である。

「実は、先日下田様が、祖父の為に神奈川県から来て下さいました。年内に“こちらから下田様にお会いしに行こう。”と予定しておりましたが…突然の出来事でびっくりしてしまいました」

美和さんの葉書には、拙著がきっかけになって、下田さんが栗山家を訪ね、お二人が貴重な時間を過ごしたことが、そう書かれていた。葉書には、その時のお二人の笑顔と、兵士だった頃の凛々しい写真がパソコンで印刷されている。

「お二人とも、手をしっかり握り合って、再会を喜んでおりました。祖父も下田様も、サイパン戦から戦友に会うのは初めてだということをお聞きし、私も胸がいっぱいになりました」

「あの“戦争”を体験した者にしか通じ合えない、分かり合えないこともたくさんあったでしょう…あの空間は、本当に輝かしいものでした」

玉砕の島から生還したことだけでも奇跡なのに、拙著がきっかけとなって、戦後67年という気の遠くなるような年月を経て会うことができたサイパンからの生還者。お二人の笑顔の写真を見て、私までなんとも言えない嬉しさがこみ上げてきた。

サイパン島の戦いは、玉砕を繰り返した太平洋の島々の悲劇を象徴するものだった。この島を失えば、絶対国防圏を突破され、日本全土が空襲に晒されるという悲壮な戦いだっただけに、3万人を超える日本軍将兵が命を落としている。生還した人間は、わずか数百名に過ぎなかった。

そんな中を生き抜いたお二人が、玉砕の島のことを語り合うことができたという知らせに、私は亡くなった多くの方々への感謝の思いを新たにさせてもらったのである。

歴史を語り継ぐことの大切さ――最後まで戦いつづけた大正生まれの男たちの「故郷」と「家族」、そして「祖国」を守ろうとした気迫と闘志を、これからも感謝の気持ちを忘れずに後世に伝えていきたいと思う。

カテゴリ: 歴史

満洲国建国80周年「9月18日」に何が起きるか

2012.09.15

9月18日が近づいている。今年の9月18日は、のちの歴史から見ても“特別の日”になるかもしれない。

そもそも中国にとって、9月18日は特別な日だ。彼(か)の国では、“九一八”と言えば、屈辱の日、反日の日である。満洲事変が勃発した1931(昭和6)年9月18日を心に銘記するために、毎年のように日本を糾弾するイベントやデモがおこなわれ、屈辱を忘れない「日」としてきた。。

満洲国は、中国では「偽国」もしくは「偽満洲国」と呼ばれる。満洲国は、この九一八事変の翌年、1932(昭和7)年に成立し、日本の敗戦と共に消滅した。地球上に13年間だけ存在した国家だ。

その屈辱を忘れず、中国は、この日を一大イベントとして扱ってきた。江沢民以後の徹底した反日教育によって、それは加速された。反日教育で育った世代は、今や30代になり、それ以降の若き中国人は、ほぼ「日本が憎い」ということが共通の価値観になってしまった。

だが、そんな中でも今年の9月18日は特別の日になりそうだ。今、尖閣諸島を日本政府が買い取ったことをめぐって中国で日本人への“襲撃”が相次いでいる。日本人というだけで殴られたり、あるいはラーメンをぶっかけられたり、さまざまな出来事が中国各地で起こっている。

いよいよ大船団を組んで尖閣に中国の漁船が監視船の「護衛付き」でやって来る日が刻々と迫っているのである。その候補日のひとつが、9月18日だ。

考えてみれば、今ほどの機会はめったにあるものではない。中国はこの10月に、第18回共産党大会を控えている。共産党の指導者9人のうち、胡錦濤総書記をはじめ7人が引退し、習近平副主席が共産党総書記の座に就くという実に10年ぶりのダイナミックな政権交代の時期だ。

胡錦濤総書記が最後に「何か」をやろうと思えば、まさに絶好の機会なのである。李明博・韓国大統領が急に竹島に上陸をしたり、天皇に対して非礼な言動をおこなったり、あるいは、日本政府からの親書を受け取りもせず、突き返すような外交上考えられない行動をとることができたのも、すべて政権を降りる直前だからだ。

さらに、「尖閣は日米安保の適用範囲内」と明言したアメリカが、今、日本のことにかまっておられるような状態ではない。中東で勃発した大使館・領事館への暴徒の襲撃・テロ事件の対応に追われ、オバマ大統領もアメリカ国民も、目は中東にしか向いていない。

一方で日本は、民主党が代表選、自民党は総裁選という“政治空白期”だ。そんな時が時だけに、自衛隊の緊迫度は、最大に高まっている。海上保安庁の巡視船だけで中国の監視船つきの大船団を阻止できるはずもなく、自衛隊に「海上警備行動」の要請がなされる可能性がある。

しかし、自衛隊が出ていけば、当然、中国も黙っていない。中国海軍が「前面に出てくる」ことになる。その時、お互いの国家の威信をかけた最前線は、いったいどうなるのだろうか。

石原信晃・自民党幹事長が「尖閣には誰も住んでいないから、中国が攻めてくることはないですよ」などとテレビで公言したのは、わずか4日前だが、事態はそんな甘いものではない。

いま日本人は「覚悟」を問われている。平和ボケした戦後の歴史そのものが問われていると言ってもいいだろう。いうまでもなく、中国への旅行やイベントを予定していた人はすべて取りやめ、また中国に進出している企業は厳戒が必要だ。

中東で起こっている相次ぐ襲撃事件こそ、わが身に起こることを覚悟して9月18日を迎えなければならない。彼の国が、野田首相が言うように「大局的観点」に立って、共に良好な関係を育てていこうとするつもりが毛頭ないことはすでに明らかになっている。

求められているのは、私たち日本国民の覚悟であり、それに対する準備であり、毅然たる姿勢にほかならない。それが示されてこそ、その先に両国がお互いを認め合う謙虚な姿勢が生まれていくことを私は信じている。

カテゴリ: 中国, 政治

溜息ばかりが出てくる“リーダー候補”たちの資質

2012.09.13

橋下徹・大阪市長が率いる「日本維新の会」が発足したり、民主党代表選、自民党総裁選もスタートするなど、次期日本のリーダーの座ををめぐって、しばらく落ち着かない日々がつづきそうだ。

橋下徹氏への過剰な期待と、そのもとに集まる議員の姿を見ると、出てくるのは溜息だけである。政治家を目指す人は「恥を知らない人」が多いのは常識だが、みんなの党の「比例」で当選したはずの参議院議員が馳せ参じたり、ついこの間まで反TPPだった議員が、TPP推進の維新の会に駆けつける姿を見ると、政治家としての「矜持(きょうじ)」とは何なのか、と問いたくなるのではないだろうか。

やんちゃ坊主で万能感に満ちた橋下徹氏の“独裁”にどこまで耐えられるのか知らないが、日本維新の会が、政党としてまともな運営がつづくと思っている政界関係者は少ない。これもまた分裂、分裂を繰り返しながら、国民の失望を積み重ねていく政党になるだろう。

ある意味では、民主党よりさらに“お子ちゃま”であるこの政党が今後の日本の将来の鍵を握ることに心配だけが募ってくる。しかし、今日は、自民党の長老たちに推されて“その気”になった自民党の石原信晃幹事長のことを書いてみたい。

私はこんな人が本当に国のリーダーになるのだろうか、本気でこんな人を推す人がいるのだろうか、と思って石原氏の擁立劇を見てきた。森喜朗、古賀誠、青木幹雄といった自民党の長老たちが「こぞって推している」そうだが、その理由はわかりやすい。

長老にとって、これほど「どうにでもなる」人物は、さすがに少ないからだ。石原氏はもともとテレビの記者で、これまで自らの信念や哲学というものを感じさせたことがない。

以前のブログにも書いたが、世間のあと押しを受けながら、国交相時代に藤井治芳・日本道路公団総裁に開き直られた時の狼狽した姿は忘れられない。

失言の多さで群を抜くのも石原氏の特徴だ。自民党史上“最も軽い幹事長”とマスコミが名づけたほど、この人には中身がない。今日も、原発事故による汚染土の処理について、「もう運ぶところは、福島原発の“第1サティアン”のところしかないと思う」と失言し、物議を醸している。

終末医療で直接胃にチューブをつないで栄養を入れる「胃ろう」のことを「(まるで)寄生したエイリアンが人間を食べて生きているみたい」と表現したそうだが、この人の発言は、頭が悪いのに、ヘンにユーモアを狙って「聞く人を不快にさせる」というパターンが多い。

私は、この人は、単に気のいい、ふつうのおじさんなのだと思う。つまり、失言かどうかの意味もわからない程度の人なのである。そんな政治家に今後の日本の命運を託さなければならないほど、自民党はリーダーというものに欠如しているのだろうか、と思う。

一昨日の報道ステーションに出演した石原氏が、古舘キャスターに「(尖閣に中国が)攻め込んでくるのでは?」と問われ、「攻めてこない。誰も住んでいないんだから」と発言したことには、さすがに目を剥いた人が多かったに違いない。

南沙・西沙諸島で、ベトナムやフィリピンが中国にどんな目に遭っているのかを石原氏はご存じないのである。少なくとも尖閣に中国の艦船がいつ来てもおかしくないという「危機感」がこの方にはないらしい。

これから多くの国難が予想されるこの時代に、国民の生命・財産、そして領土を守るということに対して、まるで勉強もせず、そして哲学や信念も持たないこの政治家を自民党が次期リーダーに選ぶのだろうか。

それにしても、石原氏を通すために長老たちによって総裁の座から引きずり降ろされ、立候補すらできなかった谷垣禎一氏は哀れだった。もし、石原氏が自民党のリーダーになったら、その時こそ、自民党は国民から完璧に愛想を尽かされるだろう、と思う。

そんなことを考えながら永田町をウォッチしていると、橋下氏に国民の期待が集まるのも「無理はない」と余計、溜息ばかりが出てくるのである。

カテゴリ: 政治

一刻も早く“下駄の雪”総理大臣の退陣を

2012.09.09

この首相には、一刻も早く“国のリーダー”の地位から去って欲しいと心から思う。昨日、アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議が始まる直前、韓国の李明博大統領と「笑顔で握手をした」野田首相である。

先月、竹島に上陸し、天皇に対して外交上、考えられない非礼な言葉を口にし、さらには、日本政府からの抗議の文書を突き返した人物が、李明博大統領その人だ。その当人と、野田首相は笑顔で握手を交わしたのである。

驚いた。あそこまで日本を馬鹿にし、非礼な態度をとった人物と、笑顔で握手ができる人物というのは、どういう人なのだろうか。

私は、一国の総理である野田氏が日本という国家と日本国民を代表して、「日本は、あなたを許しませんよ」というメッセージを伝えるために、毅然とした態度で接するものと思っていた。だが、実際は、笑顔で自分から李明博大統領に握手を求めたのである。

政治家は、一瞬の態度や言葉で評価が決まる。特に、外交上の態度や言葉は、その一瞬一瞬が勝負であり、気迫や哲学、知識……さまざまなものが求められ、それが凝縮されて「その場」に出て来るものである。

しかし、おそらく、この人物に期待していた国民の方が愚かだったのだろう。ただ「政治家」、あるいは「首相」になることが目的の政治集団・松下政経塾で学んだ野田氏に、もともと毅然とした国家観などあるはずがなかったのだ。

そして、今日、野田氏は、昨日につづいて大恥を晒した。昨日、中国外務省の報道官に「この時点で(胡錦濤国家主席との)首脳会談が実現していないのは、日本側に責任がある」と記者会見で批判されていたにもかかわらず、今日、自分から胡氏に歩み寄って“立ち話”をおこなったのだ。

わざわざ歩み寄ったのだから、毅然とした日本の姿勢を胡氏に伝えるのかと思ったら、さにあらず。野田首相が伝えたのは、「中国の発展は、日本や、この地域にとってもチャンスだ。今年は日中国交正常化から40年にあたることもあり、戦略的互恵関係を深化させたい。現在の情勢には、大局的な観点から対応したい」というものだったそうだ。

新華社の報道によれば、これに対して胡氏は「日本側がいかなる方法で島(注=尖閣のこと)を購入しようが、それは違法であり、無効だ。中国は強く反対する」と語ったという。

えっ? それって逆だろう、と日本国民が思って当然だ。胡氏に歩み寄った野田首相は、逆に胡氏に“断乎とした姿勢”を示されたのである。

なぜ、日本のリーダーは、ここまで情けないのだろうか。何に遠慮して、ここまで舐められなければならないのだろうか。日本の主張、日本国民の思いを率直に伝えることが、それほど“怖いこと”なのだろうか。怖いとしたら、いったい何を恐れているのだろうか。

私は、ニュース映像に流れる野田氏の情けない姿を見て、一刻も早くこの人が「リーダーの地位を去って欲しい」と願った。

毅然とした姿勢を日本が示せなければ、日韓、日中の関係は、今後も悪化の一途を辿るだろう。日本が堂々と自国の主張をし、援助も含めてすべての関係を改めて再検証し、相手の出方によっては、さらに強く対抗策を打ち出していく「時代」はとっくに来ている。

たとえそれで一時的に両国関係が冷え込んだとしても、長い目で見れば、国と国の関係はその方が良好なものになるだろう。譲歩からは何も生まれないのが国際関係の常識であり、お互いが相手を尊重できる対等の立場こそ、両国の関係を発展させる基本だからだ。

どれだけバカにされ、どれだけ踏みつけられても、ついていくという姿勢は、戦略的にももう「やってはならない」のである。

「踏まれても ついてゆきます 下駄の雪」。野田総理が、李明博大統領と胡錦濤国家主席に示した態度は、この夏、露わになった日本の国難に対して、この人物がなんの解決の手段も哲学も持ち得ていないことを満天下に示したといえる。心から思う。早く来たれ、総選挙――と。

カテゴリ: 国際, 政治

羅針盤なき「政界」の暗澹たる未来

2012.09.08

どうしてここまで人材がいないのか。国民の多くがそう思っているに違いない。竹島・尖閣問題を筆頭に内外に難問が山積する中、次の「日本のリーダー」が出てこないのである。

民主党の細野豪志氏が昨日、土壇場で民主党代表選出馬を断念した。女性タレントとの路上キスを写真誌に掲載されたあの“危機管理”とは全く無縁な政治家が、ただ見栄えのよさから民主党若手議員から出馬を要請され、迷走をつづけた末の撤退劇だった。

一方の自民党も呆れる。幹事長の石原伸晃氏が、有力な「総裁候補」というのである。谷垣禎一総裁と激しい攻防を演じているそうだが、この人もまた優柔不断を絵に描いたような人物だ。

日本テレビの記者時代も頼りなさと軽さは有名だったが、親の威光もあってか、若くして政治家となり、さらには、国交相にも就任した。

しかし、その国交相時代に、道路公団問題が起こって、実に情けない姿を露呈した。世間のアト押しを受けて、藤井治芳・道路公団総裁(当時)に辞表を出させようとしたが、逆に開き直られて、立ち往生。その時、「これが大臣か」と思うような泣きそうな顔でオロオロしていた姿を思い出す。

話題と期待を集めている大阪維新の会の橋下徹・大阪市長も同様だ。今日、流れているニュースでは、維新の会は、公明党と「選挙協力」で合意したのだそうだ。

宗教政党・公明党と歩を一にするということは、4兆円の巨大税収が見込まれる宗教法人への課税をはじめ、望まれるべき多くの政策が「ストップされる」ということを意味している。

公明党を味方につけ、大阪府議会や大阪市議会を円滑に運営する方が、この人の頭の中ではより重要なのだろう。どの政党も、どの人物も、実に頼りない政治家ばかりで、これで本当に日本のリーダーになるつもりなのだろうか、と思う。

そんな中で、国会会期末に現代の治安維持法と呼ばれる「人権侵害救済法案」が動き出す危機が忍び寄っていた。野田内閣は、この法案の骨子である“「人権委員会」の設置”を閣議決定するところだったのである。

幸いに、これは最終段階で見送りになったものの、危うく「人権救済」という名の「言論弾圧法案」が動き出すところだった。いったい民主党政権下で日本の根幹はどこまで危うくされるのだろうか、と思う。

日本は危機に立っている。国民の誰もがそれを認識している。しかし、政界の人材不足は覆いようもない。毅然と立つ次代のリーダーがどこにも見当たらないのは、現代日本の最大の不幸というほかない。

カテゴリ: 政治

毅然と進む政治家を支持したい

2012.09.05

いよいよ近づく「総選挙の季節」を前に、永田町はテンヤワンヤだ。前哨戦の民主党の代表選、自民党の総裁選を目前にして、早くも完全な“混乱状態”となっている。

9月1日、2日に実施したフジテレビと産経新聞の世論調査で、次期衆院選の比例代表の投票先に橋下徹大阪市長が率いる「大阪維新の会」を選んだ人が23・8%に上り、自民党の21・7%、民主党の17・4%を上まわったことが、永田町を余計、浮き足立たせている。

しかし、「大阪維新の会」への国民の期待度の高さはどういうことだろうか。それだけ既成政党に魅力を感じない層が多いということだろうが、いささか常軌を逸している。いや、私は、正直、呆れている。

「維新の会」の目玉は、東国原英夫・前宮崎県知事や中田宏・前横浜市長なのだそうだ。これを聞いただけでも、私は今から「大丈夫なのだろうか」と心配してしまう。

郵政改革選挙と称された前々回の衆院選では小泉自民党を圧勝させ、前回の衆院選では民主党を圧勝させ、今度は、新しい「維新の会」に過剰というほかない期待が集まっているのだ。

「何か」に流されていく日本人の悪しき風潮が今回も明確に示されているような気がする。そもそも「維新の会」は、党首が橋下徹・大阪市長だそうだ。あれほど職員に「政治活動」を禁じている橋下氏が「大阪市長」でありながら、政党のトップとして極めつけの「政治活動をおこなう」ことに大阪の有権者は怒らないのだろうかと思う。

それと共に、「維新の会」に尻っ尾を振る政党や政治家があまりに多いので、これにも呆れ果てる国民は少なくないだろう。

なんといっても驚くのは、「みんなの党」だ。あれだけ地道に支持を広げてきたみんなの党が、今年1月に渡辺喜美代表が大阪維新の会に対して、「われわれとアジェンダ(政策課題)が同じだ。一緒に行動するのは当たり前だ」と述べ、次期衆院選に向けて連携を図る考えを強調した。

しかし、この党の“迷走”はそこから始まった。政界では、党の代表が特定の党と「一緒に行動するのは当たり前だ」などと言ったら、その政党は終わりだ。その時、正直私は「ああ、みんなの党も終わったな」と思った。

せっかくこつこつと国民の支持を得てきた政党だったので、みんなの党の動向には、私も注目していた。しかし、たかだか「維新の会」の一時のブームに巻き込まれて合流を示唆し、逆に“吸収”されてしまうのか、と思ったものである。

さすがに、その“愚”に気づいて、修正をはかった時は、すでに遅し。みんなの党の参院議員3人が9月上旬にも離党し、維新の会の新党に参加するのだそうだ。

結党わずか3年で、政界の“第三極”の中心として台風の目でありつづけたみんなの党が、「分裂」する状態に追い込まれたわけである。

しかし、ここが渡辺喜美代表の政治的限界だったのかもしれない。「新しい政治勢力は大歓迎。切磋琢磨して、よりよい日本をつくるために頑張っていこう」と言えばいいものを、それより一歩踏み込んで「合流」「連携」を示唆したがために、せっかく苦労の末に獲得した支持者を「失ってしまった」のである。

昨日のテレビ番組で、渡辺氏は維新の会との合流について「お互い譲れないものがある。良きライバルであり、良き友であれたらいい」と否定したものの、もはや何をかいわんや、である。すでに維新の会の勢いにみんなの党は、「呑み込まれて」しまったのである。

政治家は、咄嗟の判断で「生」と「死」が決まる。いま維新の会に靡(なび)くものは、政治家としての節操が問われる。私は、毅然と進む政治家を来たるべき総選挙では支持したいと思う。

カテゴリ: 政治

横田早紀江さんのメッセージをどう受け止めるか

2012.09.03

昨日、日比谷公会堂で開かれたで北朝鮮に拉致された日本人の救出を求める「国民大集会」での横田早紀江さん(76)の訴えは、痛烈であり、本質をつくものだった。

「私はいつ倒れてもいいんです。めぐみちゃんと再会し、ひとこと話してから死にたいと思っています」。そう前置きして早紀江さんは、こう語った。

「(北朝鮮に)こんなにバカにされながら、なぜ怒らないのでしょうか。もっと怒ってください。“日本人の心”として怒って、この国をもっと“強い国”、“温かい心を持った国”にしてください」

もっと“強い国”、そして“温かい心を持った国”――娘を拉致された母親の、率直で、あまりに当然過ぎるこの訴えは、戦後日本を闊歩してきた“うわべだけの正義”を振りかざす政治家やメディアに対する悲痛な叫びだったと思う。

私は、早紀江さんの訴えを聴きながら、北朝鮮によって1978年に引き起こされた「レバノン女性拉致事件」を思い出した。

自国の女性4人を北朝鮮に拉致されたレバノンが北朝鮮に対して「国交断絶」を宣言し、「もし帰さなければ、武力行使を辞さない」という強硬姿勢によって、事件発覚後1年以内に全員を取り戻した一件だ。

私が、この一件を思いだしたのは、早紀江さんが、「もっと強い国」そして「温かい心を持った国」にして欲しいという、子を持つ母親としてだけでなく、一国民としての率直な思いが滲み出ていたからだ。

レバノンは、拉致された女性のために「戦争も辞さず」という毅然とした姿勢を示し、被害者を取り戻した。では、日本はどうか。

いくら拉致事件が明らかになっても、日本が国家として毅然とした姿勢を示したことは、一度もなかった。それは、早紀江さんが言うように、日本が真の意味で「温かい心」を持たない国だったからである。

早紀江さんの言葉を裏返せば、日本という国は、「弱い国」であり、「心の冷たい国」だということになる。まさに、その通りである。戦後日本は、一人の国民の苦悩や哀しみを感じ取ることができない、「冷たい国」となり果てたのである。

私は、日本は「偽善国家」であると思っている。一部の政治家やメディアに操られ、国民の生命・財産を守れないばかりか、国家として当たり前のことを主張できない情けない国に成り果てている。

私は、事態がここに至るまでの多くの政治家や政党の言動を思い出す。北朝鮮の拉致問題で“奪還”を訴えつづける肉親の思いをよそに、日頃、「人権尊重」を訴えてやまなかった土井たか子・社会党委員長は、テレビで「拉致問題、拉致問題と言いますが、先方が拉致なんかないって言っているんだからないんです」と発言したことがある。

現に社会党は、「(北朝鮮による拉致は)何一つ根拠がなく、元工作員の矛盾だらけのまた聞き証言やその他の意味づけがされて生まれた」「(これは)日本政府が食糧支援をさせないために最近になって創作された事件である」ということを公式見解としていた。

一方の自民党も似たようなものだ。拉致被害者の家族会が北朝鮮へのコメ支援を「やめてくれ」といくら懇願しても、加藤紘一・自民党幹事長(当時)はこれを猛然と推進し、ついに北朝鮮への50万トンという気の遠くなるような量のコメ支援を実現させた。

それを推進したのは、加藤氏が私設秘書として使っていた「吉田猛」なる人物だ。この人物が北朝鮮の工作員であることを知らない加藤氏は、まんまとその計略に嵌まっていたのである。

自国の国民を取り戻すという当たり前の責務を放棄し、コメの供与を「人道支援」と称しておこない、結果的に金正日政権を存続させた日本の政治家たち。主権侵害を糺(ただ)し、国民を取り戻すという気概が全くない政治家と、それを支援するメディアの存在によって、日本は早紀江さんの言うように「怒らない国」となり、「冷たい国」になってしまったのである。

現在、北朝鮮の食糧事情は“極限”を超えている。今回の日本への接触は、北朝鮮の日本に対する食糧支援要請の悲鳴のようなものである。だが、日本は、ここで毅然たる姿勢を貫かなければならない。この状況だからこそ、今、拉致被害者を「取り戻さなければならない」のである。

その方法とは何か。実は、北朝鮮をギブアップさせることができる「カード」を日本は持っている。いわば“伝家の宝刀”だ。それは、在日朝鮮人の北朝鮮への渡航に対して「再入国」を許可しないことである。

いま日本は、一部の朝鮮総連幹部に限って、日本への「再入国」を禁止しているが、一般の在日朝鮮人は、その対象となっていない。そのため、日本からの北朝鮮へのカネの流れをせき止めることができないまま現在に至っている。

これを完全に実施することができれば、近い将来、必ず北朝鮮は「破綻」する。言うまでもなく北朝鮮にとって、それだけはどうしても避けなければならない。そのために、あらゆる方策を使って、それを阻止にかかるだろう。

その時、日本は「まず拉致被害者を帰すことが先決だ」と、毅然たる姿勢を貫けばいい。だが、その時、必ず“親北朝鮮”のメディアや政治家によって「それは人道的に許せない」という非難が巻き起こるに違いない。

今まで繰り返されてきたのと同様、“うわべだけの正義”を振りかざすメディアや政治家が、そう声高に叫ぶだろう。しかし、国民は冷静に見ておけばいい。どの政治家が、またどのメディアが「人道」という名のもとに、実は「本当の人権」をいかに蔑ろにしているかということを。

早紀江さんが悲痛な思いで絞り出した「この国をもっと“強い国”に、“温かい心を持った国”にしてください」という意味を、今こそ国民は噛みしめ、その障害となっている政治家やメディアの「正体」を見ておけばいいのである。

偽善を廃し、真の人道国家に日本が生まれ変わることができるかどうか。それは、昨日の横田早紀江さんの痛烈で、奥の深い“メッセージ”をわれわれ国民がどう受け止めるか、にかかっているのではないだろうか。

カテゴリ: 北朝鮮

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