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「我慢」「辛抱」とは無縁な民主党の人々

2012.10.31

今日は、早朝から新潟の柏崎に向かい、取材を終えて夜、帰ってきた。冷んやりした柏崎から長岡へ、そしてここで新幹線に乗り換えて東京に帰ってきたら、巨人対日本ハムの日本シリーズ第4戦の熱戦がまだ続いていた。

0対0で迎えた9回から私は試合を観たが、昨日につづき夜10時を過ぎても両チーム相譲らず、手に汗を握る展開となった。

そもそも9回の表裏の攻防で、両チームとも満塁のチャンスを逃したのだから、これは試合が「長引く」パターンに完全に入り込んでしまった。

延長戦に入って、投高打低の日本の野球界を象徴するような投手戦がつづく中、私は「誰がこの試合のヒーローになるのか」ということばかり考えていた。

なぜなら、こういう試合では、意外なヒーローが生まれるのが「通り相場」だからだ。普段は目立たない選手が、こういう檜舞台で「ヒーローになる」のが、日本の野球の歴史とも言える。

そんなことを考えていたら、案の定、延長12回、日本ハムでサヨナラヒットを打ったのは、33歳のベテランでこれまで“守備の人”として知られた飯山裕志遊撃手だった。

飯山は、巨人の抑えの切り札・西村投手から左中間にライナーのサヨナラヒットを飛ばして、4時間15分に及んだ試合に決着をつけた。だが、それも前夜の試合で、日ハムのショートのベテラン金子誠選手が膝を痛めて退き、いわばその「穴を埋める」形で出てきた選手である。

さっそくその飯山が、今度はサヨナラ勝ちのヒーローになったのだから、野球はやっぱり面白いと思う。臥薪嘗胆で、一か所にとどまって長く歯を食いしばって頑張ってきたからこそ、飯山のような選手が最後にはヒーローになれたのである。

それに比べて、日本の政界はなんとも情けない。いよいよ動乱の時代に突入した日本の政界で、いま最も流行(はや)っているのは、「離党」と「裏切り」である。「我慢をする」などというのと対極にあるものが、今の民主党には蔓延している。

民主党の熊田篤嗣(大阪1区)と水野智彦(比例南関東)二人の衆院議員などは、臨時国会の初日、輿石東幹事長から300万円の選挙資金を渡された直後に離党を宣言するという“離れ業”を演じたのである。

「泥船からは逃げの一手」というのが彼らの政治哲学なのだろうが、この党には、そうした義理も人情もまるでない輩がいくらでもいるのである。

彼らの行動を見ていると、自分の“分”を守って、愚直に生きる人たちがどれほど立派かと、私は考えてしまう。TPP参加反対の急先鋒だった松野頼久・元官房副長官が、選挙で当選の可能性があるとみるや、自分とは正反対のTPP参加賛成の政党「日本維新の会」になりふり構わず入ったことなども、その典型だろう。

生き残るためには、政策の一致などまったく無関係な節操のない議員たちが、今後どうなっていくのか、私はフォローしていこうと思う。

昨日のブログで、我慢と辛抱の「日本力」を書いた私だが、少なくとも民主党の国会議員たちがそんなこととは「無縁」な存在であることだけはわかった。

今国会でも民主党の離党者は増える一方で、すでに過半数割れは「時間の問題」となっている。過半数割れすれば、そのまま内閣不信任案の可決を意味する。

動乱の時代に突入した日本の政界を左右するのが、その民主党の“離党者たち”というのだから、実に情けない話である。ここは是非、日ハム・飯山遊撃手の爪の垢(あか)でも煎じて飲んでもらいたい、と私は思う。

カテゴリ: 政治, 野球

「日本人力」とは何か

2012.10.30

大震災から1年8か月が経とうとしている。私は、昨日、実に興味深い話を聞いた。大震災の時にアメリカに駐在していた人物からである。お話を伺いながら、私には「日本人力(にほんじんりょく)」という言葉が思い浮かんだ。

この方は、2010年1月のハイチ地震が起こった時もアメリカに駐在していた。そして、昨年の夏前に日本に帰国した。自分が両方の地震の時にたまたまアメリカに駐在しており、アメリカ人の反応や報道をつぶさに観察することができたそうだ。

ハイチ地震と日本の東日本大震災。2010年と2011年に起こった二つの大地震は、ハイチ地震が、およそ31万6000人の死者を出し、日本の東日本大震災は、死者・行方不明者が、およそ2万人にのぼっている。

ハイチ地震は、死者の数が東日本大震災の15倍以上という悲劇だった。だが、この元駐在員は、「アメリカ国民のハイチ地震への同情や関心は、2、3週間で冷めました」と語る。

それは、「略奪や暴行が相次ぎ、政情不安も相俟って、いくら支援しても、底が抜けたザルのようにその支援が消えていくことがアメリカ国民にわかったからです」という。

そして、報道そのものが、急速に“熱”を失っていったという。だが、日本の大震災に関する報道は違った。時間が経ってもアメリカメディアの熱は「冷めなかった」という。

アメリカのメディアは大量のレポーターを送り込み、現地からの実況レポートがテレビを通じて、アメリカ中の家庭に届けられた。

「私が驚いたのは、アメリカのレポーター、特に女性が多かったですが、彼女たちが涙を流しながら現地報道を繰り広げたことです。泣きながら被災者たちの姿をレポートしていました」

女性レポーターは、被災地からこんなレポートをしたという。
「ここでは、暴動も、略奪も、諍いもありません。それぞれの被災者たちが我慢して、じっと耐えているのです。私が取材しても、被災者の皆さんは逆に私のことを心配してくれます。これを食べなさい、これも食べなさい、と少ない食べ物の中から、私にそれを分けてくれるのです。ここにあるのは、怒りや、何かが欲しいという要求ではありません。それは、他人に対する思いやりです」

泣きながらレポートする女性の声に、この駐在員は目と耳を奪われたという。ABC、CBS、NBC、CNN……どの局でも、現地レポートには、レポーターたちの生(なま)の“感動”が入っていたという。

「略奪や暴行事件が起こらない」「整然と列に並んで支援の物資を受け取る人々」「あなたも食べなさい、と報道の人間にも食べ物を分けてくれる人たち」「自分たちで話し合って、自力で崩れた家や道を直そうとする人々」……それらが、信じられない出来事のように、レポーターたちによって、アメリカのお茶の間に伝えられた。

その結果、日本の大震災への同情や関心は、時が経っても失われなかったという。私は、その話を伺いながら、日本人がDNAとして持っている「我慢」「辛抱」「思いやり」「秩序を重んじる心」「優しさ」「道徳心」「恥の心」……など、さまざまなことを思い浮かべた。

敢えて名づけるなら、それは「日本人力」ではないだろうか。それらは、日本人として日頃意識してはいないが、私たち日本人が持つ本来の姿である。それそのものが、アメリカのレポーターたちの心を揺り動かしたのである。

日本人を貶めようとする隣国の人々や、それに同調し、支援する日本人やジャーナリズムの人間もいる。しかし、本来の「日本人力」は、そんな人々の姑息な動きにびくともしないものだと思う。

日本人力を信じて、私はそういう毅然とした日本人の姿を今後も、ノンフィクション作品として描いていきたいと思う。

カテゴリ: 地震, 随感

その時、「海上警備行動」か、「防衛出動」かが問われる

2012.10.29

今日は、自衛隊関係者と飲む機会があり、夜遅くまで“談論風発”の一日となった。やはり、話題の中心は「尖閣問題」だった。

中国が、覇権主義を剥(む)き出しにして、尖閣に乗り出し、在中国の日本企業を焼き討ちして、1か月あまりが経った。最近、つくづく思うことは、日本人の「中国」に対する意識は、あれから完全に「変貌を遂げた」ということだ。

なんの罪もない日本と日本企業に対して、暴徒化した中国人民の焼き討ちがをおこなわれ、それに対して「責任はすべて日本政府にある」と言い放った中国政府。さすがの日本人にも、これ以上“日中友好”をつづける必要がどこにあるのか、という劇的な意識変革がもたらされたようだ。

日本では、小学生の子どもですら「中国は危ない」という警戒感、もしくは嫌悪感を抱くようになってしまった。いくら中国を隣人として尊重しようが、肝心の相手には「その気がない」ことがわかったのだから無理もない。

人間、裏切られた感情というのは、容易なことで拭い去ることはできない。中国が、西沙諸島や南沙諸島でおこなってきた同じことを日本に対して突きつけてきた以上、事態はすでに「次のステップ」に入ったと見るべきだろう。

次のステップとは、言うまでもなく「尖閣有事」である。焼き討ち事件以来、中国では、反省どころか、中国の公船による領海侵犯が度々、起こっており、もはや両国の局地紛争はいつ起こっても不思議ではない状態となっている。

海上保安庁では対処できない中国の監視船、あるいは軍艦、さらには膨大な数の中国漁船……等々が、どういう形で尖閣に姿を現すのか。

実は、その時、日本は海上自衛隊が「海上警備行動」をとるのか、それとも、「防衛出動」となるのか、それすら決まっていない。

海上警備行動とは、防衛大臣が海上における人命や財産の保護をはかるために特別の「必要」があると判断した場合に命ぜられるものである。

これはあくまで海上保安庁の対応能力を超えていると判断された時に防衛大臣によって発令されるものであり、適用されるのは、「自衛隊法」ではなく、「海上保安庁法」、もしくは「警察官職務執行法」である。

つまり、海上保安庁、もしくは警察の代わりに、自衛隊が、その「職務の執行をおこなう」わけだ。だが、これをめぐって今、防衛省では、議論百出となっているのをご存じだろうか。

議論の中心は、海上警備行動で出ていった場合、極端な話、「大砲ひとつ撃てない」ということである。そもそも海上保安庁では対応できない時に自衛隊が出動するものでありながら、あくまで「治安維持」が前提である以上、自衛隊の艦船が大砲をぶっ放すことは「許されない」のだ。

すべて相手の出方次第という「手足を縛られた状態」で出ていくのが「海上警備行動」である。私は、命をかけて現場に出動する自衛官たちの心情を思うと、たまらない。言いかえれば、交戦権のない状態で紛争地帯に現れる自衛官たちほど哀れなものはない、ということだ。

では、「防衛出動」は、どうか。これは、総理大臣にしか発動できる権限はなく、防衛大臣の一存では、どうにもできないものだ。日本に対して、外部からの武力攻撃が発生した事態が認められた場合、そして「日本」を防衛するため必要があると認める場合にのみ、「防衛出動」が可能だ。

しかし、それでも「自衛権」を行使することはできても、「交戦権」は認められていない。そんな中で、自衛官たちはどう行動するのだろうか。そして、がんじがらめの中で、自衛隊の艦船はどう出動し、どう対応するのだろうか。

私は法律の不備を痛感すると同時に、性善説にのみ基づいた日本の戦後の「社会」や「法」のあり方に、やはり思いを致さざるを得ない。

来たるべき尖閣有事で問われるのは、戦後日本が歩んできた「偽善の歴史」に対する総括なのではないだろうか。私は今日、自衛官たちとの議論を通じて、そんなことを感じていた。


カテゴリ: 中国, 国際

野球少年に「夢」を与えるピッチャー

2012.10.28

日本シリーズの第2戦、巨人・沢村と日本ハム・武田勝の投げ合いは見ごたえがあった。巨人の1対0で迎えた8回表、三者連続三振でこの回を抑えた沢村は、“ウオー”と2度、雄叫びを上げた。

中大野球部の先輩である阿部慎之助のミット目がけて初回から飛ばした沢村は、ストレートを中心に気合いで日ハム打線を封じていった。クライマックス・シリーズで中日に3連敗を喫した巨人の窮地を救ったのも、沢村だった。

あの時も、近づくのが怖いぐらいの気迫をマウンドで出していた沢村だったが、今日も野球の第一は「気迫」であることを教えてくれた。

だが、負け投手になってしまったが、私は、今日は武田勝投手のことを書いてみたい。長野に一発を浴びたものの、武田勝の今日の投球に私は唸りつづけた。

投げる球のスピードは、ほとんど110キロ台から120キロ台。スピードだけなら中学野球並みである。だが、その投球に、巨人打線のバットは面白いほど空(くう)を切った。

変則スリー・クォーター左腕で最速でも130キロ台のストレートしかない武田だが、おそらくバッターには、このストレートが150キロ台の豪速球に見えるに違いない。

武田の最大の武器は、右打者の外角低めにコントロールされたチェンジアップ、シュート、そしてスクリューボールである。これを軸に内外角のコーナーを縦横無尽に使う投球は、圧巻だった。

これは、“魔球”だと私は思った。あの球に手が届く右打者はいないし、おそらく来ることがわかっていても、バットの芯に当てることはできないだろう。

沢村が恵まれた体格と努力によってあの豪速球を獲得したピッチャーなら、武田勝は、たとえ肉体的にズバ抜けたものはなくても、「プロのエースになれる」ことを教えてくれている。

剛球を持っていなくても、たとえ肉体的に恵まれていなくても、努力次第でいくらでも大選手になれるということだ。その意味で、これほど野球少年に“夢”を与えるピッチャーはいない。

今日、日本ハムは、中田翔が初回に左手甲に死球を受け、今後の出場が懸念される。開幕2連敗は確かに痛い。だが、私は、昔から根っからのパ・リーグファンである。日本ハムの雑草軍団に「がんばれ!」とエールを送りたい。

カテゴリ: 野球

就職戦線スタートを「大学4年秋」に戻せ

2012.10.27

今週は、東京から鳥取、そして米子、福島県のいわき、と飛行機や汽車を乗り継いで、腰を落ち着ける暇がなかった。原稿の締切に追われているため、パソコンやゲラを持ち歩いての日本縦断になった。

今日は、昼にやっと東京の事務所に戻ってきたが、さっそく午後にアメリカから来客があった。拙著『蒼海に消ゆ──祖国アメリカへ特攻した海軍少尉「松藤大治」の生涯』が縁で知り合うことができた女性だ。

同著の主役である零戦でアメリカの艦船に特攻した日系二世、松藤大治少尉の弟さんが住んでおられたアメリカのミシシッピ州オックスフォードから、このほど帰国された。

日系人が数少ないオックスフォードに住んでいて、拙著がきっかけになって松藤ファミリーと親しくなり、それが縁でいろいろと当地の情報をメールを通じて伝えてくれていた方だ。

メールでずっと連絡をいただいていたが、実際にお会いするのは初めてで、さまざまな話で盛り上がった。オックスフォードにあるミシシッピ大学で教壇にも立っておられた方なので、日本の留学生の話が特に興味深かった。

私は、人材面において日本の国際競争力が低下している原因のひとつに日本の大学生の「就職活動」時期の問題があると思っている。大学3年から始まる日本の就職戦線こそ、今の日本の“致命傷”となっている、と考えているのだ。

大学3年から就職戦線が始まれば、留学などで自分の視野を広げ、「人間」を磨く余裕や時間はない。つまり、日本では大学に入学した早々から「就職」を考えなければならず、そのための「大学生活」を送らなければならないのだ。

やはりミシシッピ大学でも、日本の留学生は極めて少なくなっているという。せっかくやって来た大学生も1、2年生ばかりで、しかも、「1セメスター」という“短期”の留学しかしないそうだ。

「セメスター制度」というのは、1年を2つの学期に分けて、各学期で授業を完結させて単位を取得させるものだ。日本人留学生は、1年、すなわち「2セメスター」で留学してくる人間は少なく、語学習得においても、すべて中途半端なまま帰国していく例がほとんどなのだそうだ。

中国や韓国をはじめ、どの国の留学生であれ、「1セメスター」で帰っていく留学生はいないという。日本からの留学生は、「早く帰って就職活動をしないと……」と、そればかり気にしているため、腰を落ち着けた留学などは到底望めないのである。

文部科学省が推し進め、2020年までに実現しようとしている「留学生受入れ30万人計画」なども、本末転倒な制度ではないか、という。

日本に「30万人の留学生」を受け入れるという理想は結構だが、彼らが日本で就職の道を模索すれば、それは、そのまま留学経験のある肝心の日本の大学生の門戸を狭めることになる。すなわち外国に留学して、ばりばりやって行こうとする日本の大学生がますます少なくなるのではないか、というのである。

語学力や国際的なセンスを持とうとする日本の大学生は、今後ますます少なくなっていくのではないか、と彼女は懸念していた。中国や韓国に比べて留学生の数があまりに少なくなっている日本は、将来的に人材が「枯渇」していくだろうことは、確かに容易に想像できる。

大きな原因のひとつに、「就職活動時期」の問題があることは間違いないだろう。私が就職した頃は、就職活動の解禁日は、4年時の「10月1日」だった。そのために、大学3年の時に留学や長期の外国旅行などに勇躍、多くの学生が日本を飛び出していったものである。

早くその頃に戻さなければ、日本の国際人不足はますます深刻化するだろう。場合によっては、国が企業に対して厳しい指導をおこなってでも、就職活動時期を「もとに戻す」べきなのである。こういう時にこそ、国が全面的に前へ出てくるべきなのではないだろうか。

国力復活のために、政治がダイナミックな動きをしなければならないはずである。そのためのリーダーは誰がいいのか。次期リーダーを選ぶ要素に、そういう視点も忘れないようにしたいものである。

カテゴリ: 国際, 教育

大詰めを迎えた2012年の野球界

2012.10.26

注目の2012年ドラフト会議は、これまでにない順当な結果となった。いつも大きな波乱があるものだが、注目のビッグ・スリー、亜細亜大学の東浜巨はソフトバンク、大阪桐蔭の藤浪晋太郎が阪神、昨年の巨人の指名を外れた菅野智之は無事に巨人へと、それぞれ意中の球団に指名された。

昨年、「巨人以外は拒否」と表明していた菅野を強行指名した日本ハムが、メジャー志望を表明している花巻東の大谷翔平を今年も強行指名した。仮に、大谷の入団を果たせなければ、日本ハムの担当者の責任は免れないだろう。

本人の意思を無視する形で信念を発揮するのはいいが、それが2年連続失敗すれば、事前の勝算をどう見ていたのか、ビジネスマンとしての資質に問われる。

私が最も期待するのは、阪神が指名した藤浪晋太郎投手だ。甲子園でも何度もインタビューさせてもらったが、私はこれほどの実力を持ったピッチャーは甲子園でもほとんど記憶にない。

甲子園で「格」が違う実力を見せつけたのが藤浪だ。ストレートの速さはもちろんだが、フォークの落差やスライダーのキレは、すでにしてプロのエース級の力を持っている。あとは、プロの打者の“読み”をどう外し、どう駆け引きをおこなうか、という投球術だけである。

早い時期に私は、藤浪が一軍のマウンドを踏んでくると予想する。江夏豊が大阪学院高校から入ったルーキーの年にリーグトップの225奪三振という獅子奮迅の働きをしたことを彷彿させるような活躍も夢ではないだろう。

少しだけ心配なのは、地元大阪の人気球団に入ったことのデメリットぐらいである。藤浪ほどの注目の選手になれば、お座敷がかかるのは当然だろう。女性ファンの“肉迫”も相当なものに違いない。そんな環境の激変で、素質を発揮できないまま、平凡な選手になってしまった例は、挙げればキリがない。

その轍を踏まないよう藤浪投手には、くれぐれも気を引き締めて欲しいと思う。ありがたい熱狂的な阪神ファンの存在が、逆に藤浪の成長を阻害する要因にならないよう祈るだけだ。

ソフトバンクに入った東浜も同様だ。東浜には、「球が軽い」という致命的な欠陥がある。プロの打者にバットに合わされれば、そのままスタンドまで運ばれる東浜のボールが、どう通用していくのか、私は注目したい。

高校時代、巨人のラブコールを蹴って亜細亜大学入りした東浜が、プロでその真価を発揮できるかどうかは、大学球界の存在意義を問うものでもある。アマチュア球界が特に固唾を呑んで「東浜がプロのエースに駆け上がれるかどうか」を注目している。

明日から日本シリーズが始まり、今年の野球シーズンもいよいよ大詰めを迎えることになる。今年も多くのドラマを見せてくれた野球界。締切で忙しく、なかなか日本シリーズに熱中できないのは残念だが、「日本一」をかけた熾烈な攻防を楽しんでみたい。

カテゴリ: 野球

動乱日本の「旗手」は誰になるのか

2012.10.25

本日、石原慎太郎・東京都知事が「辞職」、そして新党を結成し党首として次期衆院選の比例代表に「出馬」を表明したことで、私は日本が「乱世」に突入したことを再認識した。

自民党は安倍晋三、維新の会を率いる橋下徹、そして、今回の石原慎太郎……風雲急を告げる尖閣問題、あるいは、竹島問題など、日本国民の怒りをすくい上げようとする側の人間が続々、政界の中心に躍り出て来たのである。

背景にあるのは、日本国民の“怒り”であろうと、私は思う。そして同時に、私はどうしても、この3年間の民主党政権が「もたらしたもの」を考えてしまう。

日米同盟をここまで悪化させ、日中関係も、さらに言えば、日韓関係も相手の言いなりで、何ひとつ反論もできないような政権。日本というのは、ここまで情けない国だったのだろうか――と、多くの国民は思っているに違いない。

この動乱日本のありさまは、その国民の怒りと失望が、どうしようもないレベルにまで来たことを物語っているのではないか、と思う。

昨日のブログでも書いたように、私は、今度の総選挙ほど日本国民の見識が問われるものはないと思っている。前々回の郵政選挙では自民党に、そして前回の総選挙では民主党に、それぞれ絶対安定多数の300を超える議席を与えた国民は、今回こそ「見識」を見せることができるのだろうか。

石原氏の出馬は、80歳という年齢を考えた場合、文字通り、自身の命をかけた挑戦であることは間違いない。尖閣を都が買収する計画を野田首相に阻止され、このまま尖閣に船だまりさえつくれないなら、中国の触手がさらに露骨になり、遠からず大きな激突は避けられなくなるだろう。

そんなことを、手を拱(こまね)いて見ていられるか、というのが石原氏の本音だろう。決定的な日中激突を避けるには、尖閣問題をはじめ、「譲歩」という言葉しか知らないこれまでの政権とは全く異なる手法で、対中・対韓政策をおこなう必要がある。

国民のそんな本音を感じ取ったがゆえの行動ではないかと想像される。「安倍―石原―橋下」という思想の軸が共通する政治家たちが、来るべき総選挙をどう戦い、どれほどの勢力を獲得し、そしてどう次期政権をつくり上げていくのか。

乱世は、ひとつ間違えば、「成功」ではなく、逆に致命的な「失敗」をもたらす。壊滅必至の民主党と、その失われる議席を「安倍―石原―橋下」がどう獲得し、新秩序を創り出していくのか。動乱の時代の旗手は、果たして誰なのか。

今日の電撃的な石原都知事の「辞職」「出馬表明」は、国際社会から日本が取り残されないための最後の選択を国民に課すものかもしれない。

確かなのは、そこで問われるのは、私たち国民の「見識」であるということだ。私は毅然と歩む「日本」を来たるべきリーダーに託したいと思う。

カテゴリ: 政治

“断末魔”野田内閣の迷走で問われているのは何か

2012.10.24

野田首相が田中慶秋法相を事実上、更迭したことには、もはや国民も溜息しか出てこないだろう。政権末期の惨めさと言えばその通りだが、これは野田佳彦という人物自身が首相としての資質に「決定的に」欠けているからこそ生まれている現象である。

さらに言えば、そもそもこの民主党という政党が国政を担うべきレベルにあったのか、という根本的な問題にどうしても立ち戻ってしまう。鳩山、菅という両内閣ももちろんだが、野田内閣も、昨年スタートした時から、首相自身が「眼力」という点で資質欠如の人間であることを露呈している。

防衛大臣に「私は安全保障の素人」と言ってのける一川保夫氏を起用し、法務大臣には、かつてリンチ殺人事件の被害者の母親に対して「(殺人者にも)犯罪を犯す事情があったんですよ」と発言して猛反発を食らった平岡秀夫氏を敢えて起用した。

また、経済産業大臣には、東日本大震災の現地視察のあと、着ていた服の袖を取材記者にこすりつける格好をしながら、「ほら、放射能」とはしゃいで在任わずか「9日」で辞任することになる鉢呂吉雄氏を充てた。

また、その後も、新たな防衛大臣に国会答弁すらまともにできない田中直紀氏を起用して国会審議を混乱させ、今回の田中慶秋法相の辞任劇も、これまで横田早紀江さんら「家族会」に最も信頼が厚かった松原仁氏の「拉致問題担当」をわざわざ外した上での起用だった。

松原氏を外したのは、野田首相が成立に熱心な「人権擁護法案」に対して、松原氏が最大の障壁になっていたからである。しかし、よりによって「田中慶秋氏」を代わりに起用した段階で、ジャーナリズムの世界では、「野田さんも度胸があるもんだ」「こりゃ一発(で終わり)だな」という声が飛んでいた。

田中慶秋氏起用が、それほど脇の甘いことだったと、首相自身が気づいていないところが恐ろしい。一国の総理でありながら、いかにその手の「情報網を持っていないか」ということを物語っているからだ。

いや、そもそも人事における呆れるほどの首相の危機管理のなさは、“政権の要”ともいえる民主党幹事長に輿石東氏を起用していることからも、よくわかる。

小沢一郎氏の盟友であり、民主党分裂の主犯の一人でもある輿石氏は、過激で鳴る山教組(山梨県教職員組合)の元闘士である。長らく日本の教育現場を混乱させてきた日教組の闘士に国政を牛耳られるほど、日本という国は人材に枯渇していることになる。

国会が開会されれば、朝鮮学校への高校無償化適用について前向きな田中真紀子・文部科学大臣もたちまち“火だるま”になるだろう。日本国民の税金で反日教育をおこなう教育機関への援助をおこなうことの意味が、国会で問われていくことになるのは必至だからだ。

来たるべき総選挙で、民主党の惨敗がどの程度になるのか、私には想像もつかない。おそらくこれまで日本の政界で経験したことがないほどの”雪崩をうった”現職議員の落選劇となるだろう。

民主党は“解党的出直し”どころか、おそらく“解党”しか道はないと思う。しかし、そんな政党にわずか3年前に「308議席」という圧倒的な議席を与えたのは、われわれ有権者の側である。比例において、「民主党」と書いた有権者は、日本の選挙史上最多の「2984万人」にのぼったという事実を忘れてはならない。

領土問題をはじめ、日本を取り巻く環境がかつてないほど危機的な状況の中で、否応なくやって来る「有事」を託すことのできる政権を私たち日本人がつくることができるのかどうか。私は、それを心配している。同じ轍を踏んではならないのは、われわれ国民の側であることを肝に銘じたい。

カテゴリ: 政治

「真実」だけが持つ感動とは

2012.10.17

締切に追われ、ブログをなかなか更新できなかった。連日の徹夜で昼か夜かもわからない生活がつづいている。WOWOWが、拙著『尾根のかなたに』(小学館文庫)を2週連続(前・後編)でドラマ化してくれたことへの感想も書けないままだった。

主演・伊勢谷友介をはじめ、玉山鉄二、松坂桃李、緒方直人、萩原聖人、石田ゆり子、広末涼子、貫地谷しほり……等々、オールスターキャストで挑んでくれたWOWOWのスペシャル・ドラマは、やはり圧巻だった。

この作品は、俳優・女優陣の充実ぶりだけでなく、監督には若松節朗氏、脚本には岡田惠和氏が起用されるという本当の意味での豪華キャストだったと思う。これだけのスタッフを揃えてくれたWOWOWの敏腕プロデューサー岡野真紀子さんに感謝すると共に、この作品で描かれたのが、日航機事故の“真実の物語”であることが私には嬉しかった。

ドラマでは上杉家となっていたが、これは実際には「谷口家」であり、峰岸家は「河原家」、小倉家は「前田家」である。ノンフィクション作品である拙著には、実名でそれぞれが登場する。そして、ドラマで描かれたエピソードやシーンは、ほぼ原作に沿ってくれている。

私がこの作品で描きたかったのは、日航遺族が絶望から這い上がる25年間の息子たちの物語である。父を亡くした息子たちが、四半世紀を経て自らも父親となった時、果たして、彼らは子どもたちに何を伝えるのだろうか。

哀しみの極致にいた息子たちの不屈の物語によって、私は人生に悩み、挫けそうになった人々が、少しでも勇気と希望を持ってくれるのではないかと思った。その思いで、事故で父親を失った息子たちを全国に訪ね歩いて本書を執筆した。

私がノンフィクション作品にこだわるのは、真実こそ人の心を揺り動かすと考えているからである。私は最近、ノンフィクション作品とドラマのコラボレーションを考えることがよくある。

隠された真実を活字で掘り起こし、そして映像で描く。これが実現すれば、より多くの方々に勇気と感動を抱いてもらえるようになる。そのことの貴重さをこのドラマは私に教えてくれた。心からスタッフの皆さんにお礼を言わせて欲しいと思う。

カテゴリ: テレビ

「いじめ自殺」根絶のために

2012.10.03

よくやった、と思う。滋賀県彦根市の中学3年の男子生徒2人(14歳)を滋賀県警少年課と彦根署が「暴行」と「強要」の容疑で逮捕した件である。

この男子生徒2人は、昼休み時間に同級生の男子を空き教室に連れ込み、カッターシャツを無理やり脱がせ、ズボンや下着を自分で脱ぐよう要求し、さらに、引っ張り脱がせて全裸にした。

報道によれば、2人のうち1人がそのようすを携帯電話で数枚撮影し、仲間で共有する携帯電話のアプリで見られるようにしたという。

翌日、被害生徒の元気のないようすに気づいた担任教師が本人から聞き取って、この事実が判明したそうだ。学校はただちに彦根署に相談し、被害生徒が「被害届」を出して逮捕に至ったのである。

私は、遅きに失したとはいえ、この一件を「いじめ問題」のターニングポイントにして欲しいと思っている。なぜなら、この学校側の対処と警察の出方は、「いじめ対策」の根本に据えるべき画期的なものだからである。

今まで長い間、日本の教育現場で「いじめ」への抜本対策が取られてこなかった最大の原因は、大人たちの“事なかれ主義”にある。

教師たちは、自分の指導力不足を指摘されないようにできるだけ「いじめ」を否定し、時には「気がつかないふり」をし、学校側は、常にできるだけ表沙汰にならないよう水面下でコトの決着をはかろうとしてきた。

その過程で、いじめ被害を受けた生徒が「自殺」という方法をとり、一方、それでも学校側は「いじめが自殺の原因かどうかはわからない」という判で押したような弁明に終始してきたのである。

警察も、たとえ相談を受けても、滋賀・大津のいじめ事件のように「それは教育現場でのこと」と門前払いするケースがほとんどだった。すべては、大人たちの“事なかれ主義”に起因するのは言うまでもない。

しかし、今回の彦根市の中学は、いち早く警察に通報し、警察もすぐに捜査を開始し、14歳少年を「逮捕」するという行動に出ている。

ひと昔前なら、「学校が生徒への教育を放棄した」として、非行少年側のうわべだけの「人権」を守りつづける一部新聞が中心になって、大非難を展開しただろう。

しかし、私はこれを「学校が教育を放棄した」とは、まったく思わない。いや、むしろ、自分たち「学校」だけでなく、「社会」そのものが一丸となって非行生徒たちを教育していくという強い意思を世の中に示したものだと思う。

中学生になり、善悪の分別がつく年齢になって、同級生を全裸にし、それを撮影して仲間で見えるように画像をアップすることが「犯罪」であるとわからないはずはない。

それは、明らかに「暴行」と「強要」という刑事犯罪である。これを学校が抱え込んで、内部で処理しようとしたら、非行少年はつけ上がり、そして被害少年がまた自殺するなど、大きな問題に発展した可能性は十分にある。

これまで悪いことをやっても見逃され、甘やかされてきた非行少年たちに、学校だけでなく警察を含めた大人たちが「そんな甘えは許さない」と、本気で乗り出してきたのである。

これまで、なぜ教師たちが非行少年の悪業を見逃してきたかと言えば、教師の査定が「減点主義」に基づいていたからにほかならない。

自分のクラスでいじめが発覚し、それで指導力不足を指摘され、査定で減点されるなら、できるだけ隠蔽したくなるのは、人間の情として当然だ。

では、これから、現場の教師に今回のようにいち早くいじめを発見し、それを学校に報告し、刑事犯罪である場合には、警察に相談することができたことを査定で「プラス評価」するようにしたら、どうなるだろうか。

これまで、「マイナス評価」にされていたものを、逆にプラスと評価するのである。つまり、今回の彦根市の中学がとった行動を「是」とし、それを教育現場での「基本」とする。

それをプラスとして評価する姿勢を学校や教育委員会が持つことができれば、少なくとも陰湿ないじめによる被害生徒が減っていくことは間違いない。そして、それは同時に生徒の「命」を守る砦と成り得るのではないだろうか。

滋賀県警が大津いじめ事件に対する世間の大非難から“復活”して下した「14歳逮捕」という英断を、各都道府県が「いじめ自殺」根絶の第一歩とできるか、私は注目したい。

カテゴリ: 教育

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