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大丈夫か WBC「侍ジャパン」

2013.02.28

本日、3連覇を目指すWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)に出場する侍ジャパンの最終壮行試合(対巨人)が福岡のヤフオクドームでおこなわれた。

だが、相変わらず力不足を露呈し、貧打の克服はならなかった。とにかくチーム全体が“小粒”なのである。今日の最終戦は4番の阿部(慎)をケガで欠き、代わりに糸井が4番に座った。1番・坂本、2番・角中、3番・内川、4番・糸井、5番・長野、6番・鳥谷、7番・中田(翔)、8番・相川、9番・松田という布陣だ。

正直、これが全日本なのか、という感想を持つ人は少なくないだろう。巨人の若手投手陣を相手に、終わってみれば12安打6点を挙げたものの(6対1)、際立った長距離ヒッターがいないことを改めて思い知らされる。

かつての王、田淵、山本浩二、張本、掛布、落合……ら、球史に残る強打者に「肩を並べる選手」が一人もいない。イチローなどの名選手の衰えで、一気に「格」の面でも、「パワー」の面でも、“小さく”なってしまったのである。

この侍ジャパンの小粒の布陣は、メンバー選出が巨人「7人」、ソフトバンク「6人」と突出し、この2チームに偏ってしまっていることも原因だろう。今日の先発投手となったソフトバンクの大隣も、キレもスピードもなく、とても「世界で通用する球」には見えなかった。

球界の盟主である巨人とソフトバンクを重んじるのはわかるが、偏った選手編成では、上位の戦いで大きな足枷となるだろう。投手陣も本調子ではないだけに、ダルビッシュなき“エース不在”の台所事情では、強豪相手にどこまで通用するのか、心許ない。

今日、気を吐いたのは、1番・坂本と3番・内川だった。今回の侍ジャパンの中で、最も信頼を集める打線の中核・内川は、「どこでも打てる広角打法」が相変わらず好調で、本番での獅子奮迅の活躍が期待される。

また、坂本は、得意の“決め打ち”の強さを見せつけた。特に6回表、1死満塁で打席に立った坂本は、前の打者がデッドボールで出塁した直後、セオリー通り、「初球」を見逃さず、痛烈なタイムリーヒットを放った。

今回、侍ジャパンには、戦略コーチとして野村ID野球の申し子、橋上秀樹コーチが入っており、そのあたりの狙いに「抜け目」はなく、頼もしい。

私は、山本監督が期待している角中と糸井が全日本の2番、4番では、荷が重いと感じる。国際舞台で日の丸を背負ったプレッシャーの中で活躍するには、プラスアルファの“何か”が必要だ。短期決戦のナショナルゲームでは、なにより選手としての「格」が幅を利かすのである。

私はその意味で、今日のスターティング・メンバーには名を連ねなかったものの、今後、稲葉、松井(稼)などのベテランが「どこまで調子を上げてくるか」が鍵になる気がする。

私は、今回の重要な試合は、第一ラウンドのキューバ戦だと思っている。徹底的に日本を研究し尽くしたキューバが、この本番では怖い。新戦力を大量に投入してきただけに要警戒だ。第一ラウンドでキューバ戦を落とせば、苦手の韓国戦が危うくなる。

それでも、イギリスの大手ブックメーカーの優勝オッズ(倍率)では、日本が3・25倍で1位、2位はアメリカで4・0倍、次いでドミニカ共和国(4・5倍)、ベネズエラ(10倍)、韓国(13倍)の順だそうだ。

絶対的な抑えを決めず、ついに「勝利への型」をつくらないまま本番に突入する侍ジャパン。不安は小さくない。それでも、侍ジャパンは、野球の本場アメリカより優勝最右翼となった。

多くの野球ファン、そして何より「アメリカに追いつけ追い越せ」を合言葉に日本の野球を押し上げてきた先人たちの努力に報いるためにも、侍ジャパンの気迫のプレー、そして悲願の「3連覇」に期待したい。

カテゴリ: 野球

「二・二六事件」記念日と第12旅団

2013.02.26

今日は、昭和11年に起こった二・二六事件から77周年にあたる記念日だった。二・二六事件とは、皇道派の青年将校たちに率いられたおよそ1500名の兵士が首相官邸など帝都・東京の主要施設を襲った近代日本最大のクーデターである。

77年前とは打って変わった晴天のこの日、私は、群馬県榛東(しんとう)村の相馬原(そうまがはら)駐屯地に司令部を置く東部方面隊隷下の第12旅団にお邪魔した。

朝9時に新宿を出た私は、昼には同旅団司令部に到着し、午後、同旅団の体育館で講演をさせてもらった。私がここで講演をさせてもらったのには、理由がある。

2011年3月、東日本大震災の折、第12旅団は福島県に災害派遣され、3月12日から6月24日までの106日間、福島県内で遺体収容や避難援助、生活支援等々の活動にあたった。その間に津波等による震災の犠牲者360遺体を収容している。

瓦礫と泥、そして放射能汚染の中で、変わり果てたご遺体を3か月以上にわたって捜索しつづけた同旅団の地道な活動は知る人ぞ知る。その旅団に、旧知の富樫勝行旅団長がいることもあって、わざわざ私が講演に呼ばれたのである。

福島、災害派遣、自衛隊……これらを考えれば、最新刊の『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』、そして昨年完結した『太平洋戦争 最後の証言』シリーズ(全3巻)は、彼らに極めて「関係が深い」ものだったかもしれない。

太平洋戦争の最前線で戦った兵士たちと、原発事故の現場で原子炉建屋に突入を繰り返した人々には、「使命感」と「責任感」が共通する。震災時、福島県全体に展開し、多くの支援と捜索活動を繰り広げた第12旅団の隊員たちもそれは同じだ。

そのことを前提に、戦争と震災、原発事故と日本人の生きざまについて、多方面の話をさせていただいた。夜は、引きつづき旅団幹部との飲み会もあり、談論風発、さまざまな分野の話に花が咲いた。

災害時には国民の生命を守り、有事の際には国土を守るために黙々と働く彼らの使命感と責任感――私にとっては、逆に教えられることの多い、そして印象深い「一日」となった。

カテゴリ: 随感

日中“新時代”突入を示した安倍演説

2013.02.24

2013年2月23日は、日本と中国との関係を見る場合に大きな節目となる日となった。将来、日中関係を振り返る時、そのことに気づく人は少なくないだろう。

3年3か月に及ぶ民主党政権下で、日米関係が戦後最悪の状態になっていたのは周知の通りだ。そんな中での今回の安倍首相の訪米は、さまざまな面で大きな意味を持つものだったと思う。

今回、安倍首相はTPP参加問題で、オバマ大統領との間で「聖域なき関税撤廃が前提ではない」という譲歩を引き出し、TPP交渉への参加へと歩を進めた。

ぎりぎりの交渉で、共同声明まで持っていったことは、日米関係上、大きな意味があったと言える。しかし、それより大きかったのは、増大する中国の脅威に対して、日米の首脳が共通の危機感を共有できたことではなかったか。

そのことが表われたのが、安倍首相が23日、ワシントンの「戦略国際問題研究所(Center for Strategic and International Studies)」でおこなった演説である。これは、リチャード・アーミテージ元国務副長官らアメリカの知日派の招きによって実現したものだ。

ここで、安倍首相は実に思い切った発言をした。それは、尖閣諸島をめぐる中国に対するものである。曰く、「(中国の)挑戦を私たちは容認することはできない。わが国の決意に関し、どの国も判断ミスをすべきではない」。

挑戦を容認しない、そしてどの国も判断ミスをするな――日本のリーダーがこれほど中国に対して痛烈な発言をしたことは、記憶にない。それは、中国への遠慮や恐れを持ちつづけたこれまでの日本の首相のそれとは、まったくレベルの異なるものだった。

そして、安倍首相の大胆な発言はさらにつづいた。「日本は二級国家にならない」「日本とアメリカの堅牢(けんろう)ぶりに、誰も疑いを抱くべきではない」「(尖閣は)日本の領土であることは法的にも明らかだ」「私たち自身の力でしっかりと日本の領土を守っていく」……

これらは、当然すぎる演説である。しかし、それが新鮮に聞こえるほど、日本の代々の首相は、中国という国を恐れてきた。それは、はからずも民主党政権にとってかわった安倍政権が一体どんな対中姿勢をとるか、明確に内外に指し示したものとなった。

すでに、尖閣周辺では、防空識別圏への中国戦闘機の侵入や、中国艦船による射撃レーダー照射事件など、露骨な挑発行為が中国によって繰り返されている。

東シナ海の現実を見れば、南シナ海でのベトナムやフィリピンとの緊張状態と同様、局地的な日中の武力衝突はまさに“一触即発”の状態を迎えていることを示している。

日中国交回復以後の40年間で、3兆円をはるかに超える気の遠くなるような額の「対中ODA」を続けてきた日本は、その援助に対して、反日デモという“報い”を受けている。

家宅侵入、器物破損、国旗への侮辱と焼き捨てなどの破壊行為を目の当たりにした時、日本はこのまま「中国への譲歩」をつづけることが、果たして「真の友好のために」いいのかどうか、判断を迫られたのである。

それらすべての思いが今回の安倍演説に表われたと言える。演説の中で安倍首相が「日本は二級国家にならない」という言葉を用いたのは、中国に対する強烈な対抗心を表わしている。

「中国が領有権を主張しはじめたのは1971年のことであり、(それまで)日本の尖閣の主権に対する挑戦は誰からもなかった」。そう断言した上で、「私の側のドアは、中国指導者のため常に開いている」と言及したのも、興味深かった。

中国の新指導者、習近平総書記に対して、「すべてはあなたの態度いかんだ」という、いわば刃(やいば)を突きつけたことになる。

これは、新しく構築された日米首脳間の信頼関係なくしては、できない発言だ。「友好」から「対抗」へ、あるいは「譲歩」から「是々非々」へ――その厳しい姿勢が、逆に日中の歩み寄りを呼ぶことを私は望みたい。

日中国交回復後の40年間、ひたすら譲歩をつづけた日本が生んだ「現状」を打開できるか否か。その際限のない「日本の譲歩」の時代が終わったことを世界に示したという意味で、安倍首相の演説は、間違いなく日中関係の歴史に残るものだった。

カテゴリ: 中国

先達から託された歴史の「重さ」

2013.02.21

昨日、大阪、徳島の出張から東京に帰ってきた。一昨日(19日)に大阪から徳島に行く時、高速バスを利用し、淡路島と四国を結ぶ「大鳴門橋」を通った。

途中、淡路島の山中だけが雪が積もっていた。点在する民家の間にうっすらと雪が積もったさまは実に美しかった。徳島市内に入ると、今度は眉山(びざん)の頂上に近い樹々だけが白い雪を被っていた。

高知出身の私は、父の転勤で、昭和30年代から40年代初めにかけて8年間ほど徳島で暮らした。私にとって、徳島は第二の故郷である。

当時、徳島市内のあちこちに「明石・鳴門を結ぶ橋」「夢のかけ橋」というスローガンが掲げられていたことを思いだす。子どもながらに、そんな橋ができるとしたら「それは夢だなあ」などと漠然と考えていた。その「夢のかけ橋」を通って、私は徳島入りしたのである。

徳島では、第30回徳島県市町村トップセミナーで講演をさせていただいたが、講演の前後に徳島市内を歩きに歩いた。かつて住んでいた場所をはじめ、通っていた小学校など、思い出の地に行ってみたのだ。

さすがに40年あまりの歳月は、思い出の地をすっかり変貌させていた。あまりのさま変わりに、馬齢を重ねるばかりの自分自身の人生を考えさせられてしまった。

50を過ぎても腰の暖まる暇がなく、ゆっくり過去を振り返る機会も余裕もない生活をつづけている。いつも締切に追われているそんな生活を、ふと考えてしまったのである。

先週は高知、福島、郡山に出張し、今週は大阪と徳島で、ここのところ東京をほとんど不在にしていた。そんな状態で昨夜久しぶりに帰ってきたら、知人から「訃報」を伝えられた。

零戦の勇士・角田和男さんと東條英機元首相のお孫さんである東條由布子さんのお二人が亡くなられたというのである。

衝撃だった。角田さんは94歳、東條さんはまだ73歳だった。角田さんは拙著『太平洋戦争 最後の証言』第一部「零戦・特攻編」に直接、貴重な証言を寄せていただいた。東條さんは、『太平洋戦争 最後の証言』第二部「陸軍玉砕編」の取材にあたって、大きなお力をいただいた。

お二人とも歴史の真実を後世に伝えようとする思いの深い方だった。ご高齢にもかかわらず、私のような若輩にまで協力を惜しまない姿勢に感銘を受けた。

角田さんが語ってくれた特攻に行く若者の心情と真実の姿は、私にとって驚きであり、ジャーナリストとして大きな財産となった。

また、東條さんのご紹介によって終戦直後、ソ連軍と占守島(しゅむしゅとう)で死闘を展開し、ソ連の“北海道侵攻”を食い止めた戦車隊の生き残り、神谷幾郎さんとお会いすることができた。その神谷さんも昨年亡くなられている。

いま思えば、昨年完結した『太平洋戦争 最後の証言』シリーズは、戦後の長い“時間との闘い”をくぐり抜けた奇跡のような作品だったと思う。

多くの先達から託された「歴史」の重さというものを私なりに受け止め、これからも日本の「未来」に着実に繋いでいきたいと思う。お二人のご冥福を心からお祈り致します。

カテゴリ: 歴史

亀岡暴走事故判決はなぜ「求刑」を下回ったのか

2013.02.20

ああ、またしてもこんな判決が下ったか――。亀岡暴走事故判決のニュースを見ながら、私はそう思った。日本の裁判官には、大きな問題があり、それは拙著『裁判官が日本を滅ぼす』(新潮文庫)の中で多くの具体的事例を紹介させてもらっている。

今回は昨日判決が下ったこの亀岡暴走事故裁判を考えてみたい。私は、無免許運転の少年が昨年4月、京都府亀岡市で集団登校中の児童や妊婦らを車ではね、「死者3人重軽傷者7人」を出したこの事故と裁判に注目していた。

事故の悲惨さ、命を絶たれた人たちの無念、ご遺族の哀しみの大きさ……子を持つ親の一人としてその経緯に関心を持たざるを得なかった。

ご遺族たちが中心になって、危険運転致死傷罪の適用を求める運動が盛り上がり、短期間に25万人もの署名が集められたことに、私は複雑な思いを抱いた。

危険運転致死傷罪の条文には「欠陥」があり、いくら署名を集めてもこれが認められない可能性が大きいと思っていたからだ。同罪で定められている量刑は、致傷が「15年以下」の懲役であり、致死は「1年以上」、すなわち最高刑は「20年」ということになる。

検察は、おそらく苦渋の判断だったと思うが、予想通り、「危険運転致死傷罪」による起訴ではなく、「自動車運転過失致死傷罪」での起訴を選択した。

この時点で、すでに遺族の失望は大きかった。しかし、その条文を見れば、これは致し方ないとも言える。刑法で危険運転致死傷罪が規定されているのは、「第208条の2」である。そこには、こう書かれている。

「アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態で自動車を走行させ、よって、人を負傷させた者は15年以下の懲役に処し、人を死亡させた者は1年以上の有期懲役に処する。その進行を制御することが困難な高速度で、又はその進行を制御する技能を有しないで自動車を走行させ、よって人を死傷させた者も、同様とする」

この法律に「欠陥がある」と言われるのは、後段の「その進行を制御する技能を有しないで自動車を走行させ、よって人を死傷させた者も、同様とする」という部分だ。

わざわざ前段に「アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態」と規定して、「飲酒運転」を明確にターゲットにしているにもかかわらず、“交通三悪”のひとつ、「無免許運転」には、「進行を制御する技能を有しない」という曖昧な表現でしか「対象にしていない」のである。

すなわち、今回の亀岡暴走事故の少年のように、以前から無免許運転を繰り返し、「“運転技能”を有する」ようになった悪質なドライバーをわざわざ「除外」しているのである。

「無免許運転」というのは、明らかに「故意」による犯罪である。無免許のまま公道上を走るということは、その時点で悪質な故意犯罪となる。その上、今回の事例のように、睡眠不足による居眠り運転が加われば、悪質さは、より大きくなる。

だが、その上の事故でも、「進行を制御する技能を有しない」という記述によって、この少年のように「(運転)技能を有する」状態になった人間への適用をわざわざ難しくしてしまっているのである。私は、この条文は、すでに不備が明らかになっている以上、法律の早急な改正が必要だと思う。

検察は、危険運転致死傷罪の適用を断念する代わりに、できるかぎりの最高の刑を求める方針で裁判に臨んだ。そもそも少年法では、少年に「3年以上」の有期刑を宣告する場合には「何年以上何年以下」という形の不定期刑とし、最長は「10年まで」という規定がある。

すなわち、危険運転致死傷罪の法定刑の上限は「懲役20年」だが、少年法によって不定期刑の上限は「10年」なのだから、最高刑が「10年」を超えることはない。

検察が目をつけたのは、少年が当該の事件の前にも無免許運転をしていることだった。検察側は自動車運転過失致死傷罪での「併合罪」を適用し、「懲役5年以上10年以下」の最高刑を求めることに決めたのである。

検察の思いは、この「最高刑を求めた」ことに凝縮されていたと言える。裁判では、遺族側は被害者参加制度を使って意見陳述し、「法定刑最大の刑罰」を求めた。これに対して弁護側は、「矯正教育こそ更生につながる」として少年院送致の保護処分を求めるなど、真っ向からぶつかった。

そして、昨日、京都地裁の市川太志裁判長は「懲役5年以上8年以下」の不定期刑を言い渡したのである。私は、判決のニュースを聞き、しばらく考え込んでしまった。

条文の不備や、さまざまなことを勘案しながら、犯した罪にはとても相当しないものの、それでもできる限りの刑罰を科そうとした「求刑」の末の判決だったからだ。

長く日本の官僚裁判官を支配してきた“鉄則”がある。判決は「求刑の8掛け」にするというものだ。今回の判決がそれを踏襲したものだと解釈すれば、裁判官にとっては、「懲役5年以上8年以下」の不定期刑というのは、むしろ「当然だった」かもしれない。

だが、これは、裁判官の常識と国民の常識が乖離(かいり)している証左ではないか、と私は思う。「友人らと夜通し遊ぶなど目先の楽しみを優先し、交通ルールを無視した」「無免許についても罪悪感など微塵(みじん)もなく、経緯や動機に酌量の余地は全くない」などと厳しく少年を断罪し、さらに、被害者遺族の峻烈な処罰感情を認めながら、それでも市川裁判長は求刑の「8掛け」の判決を下したのである。

4年前から、裁判員制度の実施によって日本の司法は大きな変革を遂げつつある。これまで官僚裁判官が独占してきた裁判に、一般の国民が参加してきたのである。

これは、2001年に「一般の国民が裁判の過程に参加し、裁判内容に国民の健全な社会常識を反映する」という司法制度改革審議会が提出した最終意見書に基づくものだ。すなわち「国民の健全な社会常識」を裁判に生かすとは、言いかえれば、官僚裁判官には「健全な社会常識」が欠けていることを国が認め、裁判員制度とは、それを克服するための「手段」であったとも言える。

しかし、今回の判決でもわかったように、いまも裁判員制度の適用外の裁判では、官僚裁判官の特殊な思考とこれまでの経験則が“絶対的な威力”を発揮しつづけているのが現実だ。

裁判員制度は、国民に多大な負担を強いている。しかし、一方で官僚裁判官によって、このような「8掛け」判決が大手を振っている現状を見ていると、官僚裁判官制度が果たしてこのままでいいのか、という思いもこみ上げてくる。

危険運転致死傷罪の条文の不備や、官僚裁判官の問題点など、多くの問題が議論されるべきだろうと思う。今回の亀山暴走事故判決は、国民にさまざまなことを問いかけているのである。

カテゴリ: 司法

読み応えがあった産経コラム「“悪鬼”が歴史を動かす」

2013.02.19

本日付の産経新聞に掲載された「“悪鬼”が歴史を動かす」というコラムは読み応えがあった。筆者は同社の湯浅博・論説委員である。湯浅氏は、産経新聞で「東京特派員」という肩書も持ち、『歴史に消えた参謀 吉田茂の軍事顧問辰巳栄一』などの著書も持つジャーナリストである。

その湯浅氏が、二・二六事件の秘話を堤尭・元文藝春秋編集長が季刊『マグナカルタ』に寄せた「二・二六事件 いま明かす衝撃の新証言」を紹介しながら、コラムで独特の論考を展開している。

ここに紹介されているのは、堤氏が文藝春秋の編集者時代、二・二六事件の生き残りの一人から「固い口止め」のうえに打ち明けられたという秘話である。

あの二・二六事件の際、青年将校たちが率いるおよそ1500人の決起軍によって、首相官邸をはじめ、多くの政府要人の公邸、私邸等が襲撃された。この時、その対象は、「宮城」も例外ではなかった。

だが、宮城を占拠しようとした部隊は、途中で“偽装”がばれ、占拠に失敗する。その中で単身、宮中奥深くに乗り込んだのが、中橋基明という中尉だった。決起の趣旨を直接、陛下に上奏するためである。

しかし、この時、陸士の同期、大高政楽少尉が中橋の前に立ちはだかった。中橋は大高に拳銃を突きつけるが、“同期の桜”である大高をついに撃つことができなかった。湯浅氏は、「これが叛乱軍の決定的な敗北につながっていく」と書いている。

衝撃的なのは、その時の裏話である。彼らは、「もし、陛下が決起の趣旨を受け入れなければ、その時は、陛下を弑(しい)し奉り、自決する手筈(てはず)だった」というのである。

もし、そのようなことになれば、秩父宮が摂政となり、当時まだ3歳だった今上陛下に代わって、事実上、親政をおこなわれただろう、という。ちなみに秩父宮は決起した青年将校に対して極めて同情的なお立場だったいう。

つまり、中橋中尉が、“同期の桜”大高少尉を撃つことができなかったことが「歴史を大きく変えた」ことになる。陛下が、この青年将校たちの決起に対して、「朕が股肱(ここう)の臣を殺傷するのは朕が首を真綿で絞めるごときもの」と激怒し、断固として鎮圧を命じたのはあまりに有名だ。

歴史に「もし」はない。だが、そんなことが起こっていたなら、「対米戦」ではなく「対ソ戦」に突き進んでいたかもしれない、という見方まで聞くと、驚きと共に、からだ全体が熱くなってくる気がする。

私は、堤氏も湯浅氏も存じ上げているが、お二人が展開された「二・二六事件の秘話」が実に興味深かった。できれば、このことを堤氏に告白した「生き残りの一人」の名も知りたいが、当人(故人)との関係で明かせないのだろう。

「決起の趣旨を受け入れられない場合は、陛下を弑(しい)し奉るつもりだった」というあまりに衝撃的な話に、私はコラムを読みながら、しばし、物思いに耽ってしまった。

私自身、昨年、シリーズが完結した『太平洋戦争 最後の証言』(小学館)で、太平洋戦争の最前線で戦った多くの元兵士にお会いした。その取材は、これまで言われていた歴史上の“常識”がまるで違うことに気づかされることの連続だったと言える。

「墓場まで持っていくべきこと」を明かした「二・二六事件生き残りの一人」と堤氏、それをまとめ上げて短いコラムの中で衝撃を読者に伝えた湯浅氏――歴史のダイナミズム、言いかえれば歴史の波動を後世に伝えようとする先輩がたに、心から敬意を表したい。

カテゴリ: 歴史

もはや「戦後」ではなく「戦前」なのか

2013.02.18

今日は大阪にいる。明日は徳島だ。講演と取材が重なっているが、ここのところ、話す人、話す人が北朝鮮と中国のことを話題にするのが興味深い。

北朝鮮の3度目の核実験と、中国艦船による日本の海上自衛隊の艦船への射撃管制用レーダー照射事件は、さすがに長い間“平和ボケ”と揶揄(やゆ)されてきた日本人にとっても、大きな衝撃だったのである。

核弾頭搭載の「核ミサイル開発」に着々と歩を進めている北朝鮮と、領土意識を剥き出しに東シナ海と南シナ海で支配権を確立しようとする中国――ついに中国海軍が海上自衛隊の艦船に射撃管制用レーダーを照射してきた事件は、日中の最前線の海域で「何が起こっているか」を国民の前に明らかにした。

3年前、海上保安庁の船に突っ込んできた中国漁船の有り様を録画したビデオを公開しなかった民主党政権とは違い、レーダー照射の事実をいち早く公表した安倍政権。国民のこの関心の高さは、打って変わったその情報公開の姿勢が国民に「受け入れられた」ことを物語っている。

国民が情報を共有し、事態の深刻さを認知するのは、民主主義国家では当たり前のことだが、これまでは、それさえまともに行われてこなかったのである。

領土・領海の最前線で何が行われているかを国民が知ることは、最も公共性の高い情報を主権者である国民が「認知する」ことであり、それをないがしろにしてはならないと思う。

相次ぐ反日デモと、家宅侵入や器物破損、そして各種の凄まじい破壊行為を目の当たりにして、日本人の中国への感情は、著しく変化した。中国との間で、うわべだけの“友好の時代”が終わったことを国民の多くが知るようになった。

それは、譲歩しさえすれば、「友好が保たれる」時代がとうに終わったことを「国民が知った」ということである。これから、安倍政権は国民のその認知度を背景に「是は是、非は非」と、毅然と言ってのける日中関係を構築していくべきだと思う。

それは同時に、尖閣の防空識別圏への戦闘機の侵入や、射撃レーダー照射事件など、露骨な挑発行為を繰り返す中国に対して、武力衝突をどう回避し、あるいは逆にぎりぎりの決断をどうおこなうか、という意味でもある。

今週の週刊誌の見出しには、「宣戦布告」「開戦」「いよいよ激突」……といった派手な見出しが躍っている。何かあれば、「煽り立てる」のも問題だが、逆にこの状態を「当たり前だ」と思ってしまうのも恐ろしい。雰囲気に惑わされてはいけないのである。

もはや「戦後」ではなく、「戦前」に入った、という見方がある。東シナ海で日中衝突の事態を回避できる方法が果たしてあるのか。戦後、周辺諸国との連携が、これほど必要な時代はなかっただろう。

国民一人一人が「覚悟」をもって、そして領土・領海を守るために最前線に立つ人たちを「尊敬」をもって見守っていきたい。

カテゴリ: 中国, 北朝鮮

今年も“福島通い”がつづく

2013.02.15

今日は、福島と郡山で講演があった。原発事故を中心に、いろいろ話をさせてもらった。郡山は、拙著『この命、義に捧ぐ』の主人公である根本博・陸軍中将の故郷である旧岩瀬郡仁井田村に近い。

その縁で、原発事故だけでなく根本中将の話をさせてもらった。福島の人というのは、つくづく歴史の節目で重要な役割を果たすことが多いと思う。今年の大河ドラマ『八重の桜』は会津が舞台だが、筋を通し、自分の生きざまを貫くのは、福島の人に共通する。

そんなことを考えながら、2か所で講演をさせてもらった。根本中将は、敗戦後、蔣介石に受けた恩義を返すために東シナ海を渡って台湾に赴き、金門戦争に身を投じて台湾を救った。

今回の原発事故では、福島・浜通りの男たちが吉田昌郎・福島第一原発所長のもと、何度も原子炉建屋に突入し、チェルノブイリ事故の「10倍」もの規模になるはずの未曾有の事故を多くの犠牲を払いながら、ぎりぎりで止めている。

日本が岐路に立った時、なぜか歴史の要所要所に、福島の人が現れるのである。『八重の桜』も、幕末から明治へつづく激動期、日本の古き伝統や秩序、義理……さまざまなものを守るために踏ん張った会津の人たちの物語である。

私は、ふと、あの福島第一原発事故は、「福島の男たちでなければ防ぎ得なかったのではないか」という思いに捉われた。福島の人々の血の中に流れる「何か」が、あの最悪の原発事故の中で「日本を救った」のではないか。そんな思いがしたのである。

私は、次々作でも福島が舞台の物語を描きたいと思っている。今年も私の“福島通い”はつづきそうである。

カテゴリ: 随感

故郷・高知にて

2013.02.12

昨日は建国記念日だった。故郷・高知に講演で招かれ、「歴史に学ぶ“誇りある日本人”」というテーマで、話をさせてもらった。

拙著『太平洋戦争 最後の証言』第1部から第3部(完結編)でお会いした戦争の最前線で闘った元兵士は、140人を超える。その中の何人かを取り上げ、大正生まれの戦死者200万人の思いをお話させていただいた。

老兵たちの実際の証言がどんなものであったのかを具体的に話させてもらったので、途中、会場が涙に包まれた。亡くなっていった当時の若者の思いと無念は、後世の人間が忘れてはならないものだと思う。

今日は、帰りの飛行機まで時間があったので、甲子園出場が決まっている母校・土佐高校の練習を観させてもらった。アベック出場する高知高校の練習も観に行きたかったが、練習時間の関係で観ることができなかった。

低迷のつづく四国の高校球界。すっかりシニア出身の球児たちの独壇場になった感がある高校野球界で、かつての“野球どころ”の意地を見せて欲しいものである。

ここまで書いた時、北朝鮮が核実験をおこなった可能性が高いというニュースが流れ始めた。多くの専門家が、「ついにやったか」という思いでこの報に接しているだろう。

中国と北朝鮮を抱える極東の安全保障は、もし、今回の核実験が成功したとしたら、大きく変貌を遂げることになる。それは、これまで当ブログで繰り返し書いてきたように「核弾頭の小型化」と「起爆装置の開発」へと、その“段階”が進むからだ。

言うまでもなく、それらが「成功」した時は、もはや北朝鮮の暴走を誰も止められなくなる。交渉すら困難なものになるだろう。徐々に全貌を現わす北朝鮮の金正恩体制は、日本の存続を脅かす極めて「怖ろしい存在」であることを改めて突きつけている。

「北朝鮮」を交渉カードのひとつとして持ち、資本主義陣営への「牽制」と、自らの力を誇示する「材料」にしようとする中国の習近平体制は、さらに厄介な存在だ。

日本は自らの存続をめぐる渾身の闘いをいやでも展開しなければならなくなった。平和ボケした民主党政権が退場したとはいえ、安倍政権も綱渡りの判断を迫られるようになるだろう。安倍総理の手腕を、じっくり見てみたい。

カテゴリ: 随感

安倍首相が見せた「対中」外交姿勢の意味

2013.02.09

中国も安倍政権の予想以上の強硬姿勢に面食らったに違いない。中国軍艦船による日本の護衛艦への火器管制レーダー照射事件を「事前相談なし」に発表し、さらに中国側が反発するや、今度は小野寺五典防衛相が「証拠の一部を公開する」という意向を示したのである。

8日の定例記者会見で、中国外務省の女性報道官が、「日本の発言は完全なる捏造だ」と非難した上、「日本はわが国のイメージに泥を塗り、中国脅威論をアピールしている。そして、自ら緊張をつくり上げながら国際世論を間違った方向に導こうとしている」と痛烈な批判をおこなったばかりである。

これまでなら、親中派がしゃしゃり出て、「友好」を前面に押し立て、早々と日本側が矛(ほこ)を収めさせられるのがパターンだった。だが、安倍首相は、中国が強い態度をとれば、より“強硬な姿勢”をとったのである。

民主党政権とは全く異なる出方に、中国側も改めて日本は“厄介な”政権になったと認識しただろう。私は今回、安倍首相の注目すべき発言は、中国の行為を「国際ルール違反」と明言した点と、「謝罪」を要求した点にあったと思う。

予想以上の反応に、中国は「照射否定」をせざるを得なかったのである。それと共に会見での中国側の凄まじい反発は、日本と中国との間に尖閣をめぐって「友好」というものが成り立つ余地がないことを示している。

今回の事件で明らかになったのは、来たるべき軍事衝突に先立ち、中国軍が日本側の防衛能力について「試している」という事実と、もはや両軍の間で「いつ何が起こってもおかしくない」ということだろう。

昨年9月に尖閣諸島の国有化がおこなわれて以降、中国軍と自衛隊との間でお互いを牽制しあう「緊張」が常態化していた。だが、先月(19日)、ヒラリー・クリントン米国務長官が尖閣について「日本の施政権を侵害するあらゆる行動に反対する」と発言したことで、中国軍の不快感は、一層強まっていたのである。

その苛立ちが、今回の軍独断の照射事件につながったという見方は根強い。昨日、ちょうど在台ジャーナリストの片倉佳史氏が台北から帰国し、はるばる新宿の事務所を訪ねてくれた。片倉氏も、中国の覇権主義が引き起こす東シナ海と南シナ海の一触即発とも言える緊張状態を憂いていた。

片倉氏によれば、南沙諸島と西沙諸島でも、中国はフィリピンやベトナムとの間で極めて危険な状態に陥っているという。

一方、東シナ海では、すでに昨年12月、中国が「中国沿岸から沖縄トラフまで」を自分たちの「大陸棚である」と主張する大陸棚拡張案を国連に申請している。わかりやすく言えば、すでに事実上、地形や地質からみて、沖縄まで「中国大陸の自然な延長だ」と主張しているのである。

際限のない中国の権益拡大をストップさせるには、周辺国の団結と、不法行為は許さないという断乎たる姿勢が必要だ。安倍首相は、自ら唱える「自由と繁栄の弧」による外交成果を一刻も早く出さなければならないのである。

今回のレーダー照射事件は、そのことを改めて教えてくれる貴重な出来事だった。安倍首相には、毅然たる姿勢と、危機感に基づくスピード感のある外交を是非、お願いしたい。

カテゴリ: 中国

激戦地「血染めの丘」に還った元兵士の遺骨

2013.02.07

「お父さん、よかったね。お父さん、よかったね……」。そう言いながら、故・阿部彰晤さんの末娘は、ガダルカナル島の「血染めの丘」で号泣したそうだ。

70年前の今日、すなわち昭和18年2月7日は、ガダルカナル撤退の「ケ号作戦」が実施された日である。昭和17年9月、仲間がバタバタと倒れていく中、エドソンの丘(別名:血染めの丘)を突破して、ガダルカナル戦の攻防の中心・ルンガ飛行場の一部を占拠したのが、仙台・青葉大隊である。

死闘を繰り広げた青葉大隊の石橋中隊に所属していた阿部彰晤さんの証言を中心に、私は一昨年『太平洋戦争 最後の証言』第2部の第1章「悲劇の序章 ガダルカナルの死闘」を書かせてもらった。しかし、証言者である阿部彰晤さんは、本が発売になった直後、89歳の生涯を閉じた。

「自分が死んだら、遺骨を血染めの丘で死んだ仲間のところに埋めてくれ」。生前、そう語っていた阿部さんの願いを胸に、ご家族(夫人と娘3人とそれぞれのご主人)は、この1月末、ガダルカナルに飛んだ。そして、ご遺族は阿部彰晤さんの遺言通り、血染めの丘に遺骨を埋めたのである。

遺骨収集に行くご遺族はいても、戦友が死んだ地に遺骨を「埋めに行く」という話は聞いたことがない。ガダルカナルから帰国して宮城県に戻った夫人は、昨日、私にその時のようすを語ってくれた。

「主人の遺骨は、小さな八つの袋に、うちでとれたコメと一緒に入れました。ここで亡くなった戦友たちも、晩年の主人の顔はわからないでしょうから、八つの袋には、それぞれ主人が陸軍を志願した19歳の頃の写真を縫いつけました」

血染めの丘は、今もジャングルだ。米海兵隊の公刊戦史に「人類史上、これほどの猛攻を受けた部隊はいない」と書かれている米海兵隊と青葉大隊との激戦。血染めの丘を守ったエドソン大佐の凄まじい体験は、アメリカの戦史研究家の間では、今も語り草だ。

小さな八つの袋に入れられた阿部さんの遺骨は、血染めの丘のジャングルの中に、それぞれ埋められていった。途中、娘さんはこらえ切れずに、「お父さん、よかったね、お父さん、よかったね……」と、泣き始めたのである。

激戦を生き抜いたことによって“生”を得た阿部さんの子どもたちにとって、「父は還るべきところに還った」と思ったに違いない。

70年前、骨と皮だけになった生き残りの兵の中にいた若き日の阿部さん。投入された3万6000人の将兵のうち、戦死・餓死者が2万2000人に達した悲劇の島・ガダルカナル。

戦後、日本に戻って復興と高度経済成長に邁進した大正世代の一人が、「還るべきところに還った」というご報告をご遺族から受けて、私にも万感の思いがこみ上げた。

カテゴリ: 歴史

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