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襟を正せ「全柔連」「相撲協会」

2013.03.28

柔道と相撲――日本を代表する2つの武道を率いる巨大組織の存在意義が問われている。26日に開かれた全日本柔道連盟(全柔連)の臨時理事会と評議員会で、上村春樹会長(62)は“予想通り”辞任しなかった。

いや、それどころか、外部有識者による第三者委員会を設置することを決定し、上村氏本人が、その第三者委の提言を具体化するための「改革・改善実行プロジェクト」のプロジェクト長に就任したそうだ。

「はあ?」と、わが耳を疑った人は少なくないだろう。日本スポーツ振興センター(JSC)からの助成金を理事が不正に受給していた問題や女子柔道の暴力・暴言問題等々、すべての責任がある上村氏が、よりによって、その「改革・改善実行プロジェクト」を実施する責任者として今後も「君臨する」というのである。

最大の責任者である上村氏が地位に恋々として「開き直る」ことができるのが、柔道の世界のようだ。私は、今後、日本の柔道がいかに「道理」を説いても、もはや世界から笑いものにされるだけだろう、と思う。

いつから日本の柔道というのはこんな世界になってしまったのだろうか。そして、上村という人物は、なぜここまで出処進退をわきまえない人物となってしまったのだろうか。

昨年のロンドン五輪の男子柔道の大敗(金メダルゼロ)を受けても、当初、篠原監督を続投させたが、世間の非難が集まるや一転、辞任させたのも上村氏だ。

その後の女子柔道の暴力・暴言問題の告発も「隠蔽」に見事に失敗した。実績や指導力の欠如した明治大学柔道部の後輩・園田隆二監督を当初、庇(かば)ったが、ことが表面化して庇いきれないとみるや、これまた一転、切って捨てたのも上村氏だ。

ついには、JSCの助成金の不正受給問題まで発覚しても、それでも全柔連会長の地位にしがみつき、地方組織だけでなく、自らの足元からも非難の狼煙(のろし)が上がった。

「地位に恋々とする」というのは、「往生際が悪い」という言葉と同義語である。これほどの不祥事に「自らを律することができない人物」が伝統の日本柔道を率いていることを国民はどう見ているだろうか。

私は、「道」を踏み外した日本の柔道は、もとの「柔術」に戻ればいいと思う。「道」を目指し、講道館柔道を創設した“柔道の父”嘉納治五郎が説いたのは「自他共栄」だった。

柔術ではなく柔道でなければならないと唱えた嘉納治五郎は、“自分”だけでなく“他人”と共に栄えることを常に心に置け、と弟子たちに語り続けたのだ。それは、我欲を捨てろ、という意味である。

だが、嘉納治五郎から数えて5代目の講道館館長の上村氏は、それと真逆のことをおこなっている。私は、モントリオール五輪の無差別級で優勝候補・ソ連のチョチョシビリと激闘を展開した時の若き日の上村春樹選手の姿を思い出す。

重量級としては小柄だった上村選手があの時、見せた気迫と執念。感動の名勝負の末に難敵を倒した上村選手は、日本人として初めて無差別級を制し、悲願の金メダルを日本にもたらした。

あの頃の上村選手の姿を知る私は、今の上村氏がどうしても信じられない。日本柔道の栄光の時代を選手として体現した人物がなぜこうも変貌したのか。“人を変えてしまう”組織の怖さを私は感じている。

そして、もうひとつは日本相撲協会である。今週の月曜日、2年間にわたって法廷闘争を展開していた元幕内・蒼国来(29)に「幕内力士としての地位」を認める判決が東京地裁で出た。

必死に八百長への潔白を訴え続ける蒼国来という若者に対して、日本相撲協会が「2年以上」も復帰を拒否する“頑なな姿勢”を崩していないことに憤りを感じる。

というのも、2011年6月8日、東京地裁でおこなわれた蒼国来の地位保全の仮処分申請の第3回審尋で、すでに問題は「決着していた」はずなのである。

すでにその時点で、八百長に絡んで「なんの証拠もないこと」が露呈され、日本相撲協会が蒼国来に対して「毎月、幕内力士としての給料全額130万9,000円を支払う」という裁判所の暫定的な和解案を受け入れ、蒼国来に給料を全額支払うことになっていた。

すでにその時点から「2年近く」が経過している。蒼国来が八百長相撲をおこなったという「証拠」も「カネ」もいっさい存在せず、そのことをすでに2年前に裁判所が和解勧告という形で相撲協会に示し、それを協会が受け入れていながら、それでも、蒼国来の復帰は実行されなかったのである。

しかし、今週月曜日、東京地裁は、蒼国来に対して「あなたの地位は幕内力士である」と明確に判決として示した。なんの証拠もないまま、杜撰な調査で相撲協会が蒼国来を八百長力士に仕立て上げていたことを東京地裁は認定したのである。

2年前、相撲協会は、春場所(3月場所)を中止とし、5月場所を「技量審査場所」として無料公開し、名古屋場所(7月場所)の開催とNHKの中継再開に必死でこぎつけようとしていた。

その中で、八百長にかかわる杜撰な調査が明らかになることを恐れ、蒼国来を復帰させることなく、そのまま“棚ざらし”にしていたのである。一方、弟子が八百長問題に関与していたことで協会の理事からも降格されていた北の湖親方は、昨年、相撲協会理事長に復帰した。

北の湖理事長は、大相撲の八百長疑惑を10週連続で報じた講談社の「週刊現代」を相手取って、協会と力士32人と共に、名誉毀損による損害賠償計約8億円を求める訴えを起こし、2008年には証人出廷して、「八百長は存在しない」という証言をおこない、講談社から約755万円の賠償金を受け取った人物だ。

講談社側が八百長問題発覚後、北の湖理事長ら5人を詐欺罪で警視庁捜査2課に刑事告訴する騒動にまで発展したことは記憶に新しい。そんな人物が理事長に復帰し、一方、無実の蒼国来は2年以上にわたって、そのままの状態に置かれているのである。

私は、以前のブログで、相撲協会はさまざまな特典を享受している現在の「財団法人」という地位を返上し、私企業として出直すのがまず改革の「第一歩」ではないだろうか、と書いた。

その気持ちは今も変わらない。少なくとも、一刻も早い蒼国来の現役復帰を許し、自ら襟(えり)を正して欲しいと思う。日本の武道を代表するふたつの組織の情けない姿に、両方の分野でノンフィクションを数多く手掛けている私は、なんとも寂しくてならない。

カテゴリ: 柔道, 相撲

侍ジャパンはなぜ敗れたのか

2013.03.19

大きな課題を残したWBCだった。結果的に大会前から懸念されていたことは、すべて露呈された形となった。それでも、選手たちの頑張りによって準決勝まで進んだのだから、ある意味、結果には満足すべきなのかもしれない。

たしかに選手の力量は、参加国の中でも「さすが」というレベルだった。そのことは、日本中のファンにも伝わったと思う。

だが、山本監督の采配を含めた「総合力」となると、残念ながら侍ジャパンは準決勝で敗退するのが「当然」のチームだったと思う。作戦、用兵、特にピッチャーの起用法など、あまりにもレベルが低すぎた。

対プエルトリコ戦で最大のチャンスになった8回裏の1死1・2塁での「行けたら行っていいぞ」というダブルスチールのサインが結局、1塁ランナーの内川だけがスタートしてアウトになるという最悪の結果を招いたのは周知の通りだ。

だが、メジャーでも盗塁阻止率4割7分3厘を誇る屈指の強肩捕手モリーナがいるプエルトリコに、しかも主砲の4番・阿部が左打席に立っている時、とるべき作戦だったのかどうかは、もはや答えは明らかだ。要は、そのレベルの采配しかとれないベンチだったということである。

しかし、私は敗北を決定づけたのは、むしろ投手起用の方にあったと思う。審判の異常ともいえる辛いジャッジに苦戦しながら巧投した先発・前田健はさすがだった。

だが、0対1で「これから勝負」という時に、二番手として能見を持ってきたベンチに私は正直、驚いた。「ここでなぜ能見なのか」「ラテン系はこのタイプの左ピッチャーに特に強い」「これはまずい。一発を浴びる」。私だけでなく能見が出てきた時にそう思った野球ファンは多いだろう。

こういう時に、制球に不安のある左投手を持ってくるのは禁物だ。今回の日本チームで言えば、この局面で出してはいけないのは、能見、内海、大隣といった「ボールに勢いはあっても、制球に苦労するタイプ」の左の本格派だ。

それは、長い間、日本が数多くの国際試合で手痛い打撃を受けて学んできたことでもある。もし、左を出したかったら、低めにコントロールできる力がある杉内である。

だが、山本監督は「能見」を選択し、案の定、能見は、試合を決定づける「2点本塁打」を浴びた。それは、打たれるのが必然だったともいうべきホームランだった。

スタンドにホームランボールが飛び込んでいった時、私は「やはり、この采配では勝てない」と、改めて感じた。侍ジャパンの投手コーチは、NHKの野球解説をしていた与田(剛)氏である。

こういうトーナメントの国際試合で、ブルペンで投げている球の“勢い”だけを見て投手起用を考えてはいけない。それは絶対的な鉄則でもある。しかし、コーチに力量がなければ、「どの投手なら“この相手”を抑えられるか」ということがわからない。

重要なのはあくまで“この相手”である。それぞれの国に独自の野球があり、凄さと共に欠点も持っている。“この相手”に通用する球筋と、通用しない球筋がある。そこを見極める投手コーチがいるかいないか、で勝敗は決まる。

これまでもさまざまなミスを犯してきた侍ジャパンのベンチだったが、この能見起用がすべてを物語っている。つまり、与田投手コーチを含め、とてもWBCを勝ち抜けるだけのスタッフではなかったのだ。結果論ではなく、ベンチ力を含めた総合力を考えると、WBC3連覇は、やはり無理だったのである。

次の大会へ明らかになった課題も多い。戦力という点では、日本がメジャ-リーガーを決勝ラウンドだけでも、「参加させること」ができるかどうかが鍵になる。

なぜメジャーリーガーが出ることができないのか。理由は明快だ。メジャーの各球団とは無関係なWBCには、「危険」がつきまとっている。各国が激しい闘志をぶつけあう国際試合だけに、不測の事態は常に考えておかなければならない。

つまり、「所属球団と関係なく」「勝手に出場して」「ケガでシーズンを棒に振ったら」、そのメジャーリーガーが受ける打撃は測り知れない。ダウンする年棒の額も半端ではないだろう。

活躍している“アメリカ以外のメジャーリーガー”は、そういうリスクをおかして「祖国」のためにWBCに参加しているのである。

祖国に報いるためにラテン系の選手は必死だが、時差がきつい東洋まで出向いて過酷な試合をいくつもおこない、ケガでもしたら目も当てられないのである。

そのリスクを考え、日本人メジャーリーガーたちは、今回のWBC参加を回避した。無理からぬことだと思う。しかし、次回からは是非、アメリカの「決勝ラウンド」だけでいいから出て欲しいと思う。

そういう条件で、出場を促して欲しいと思う。以前のブログにも書いたが、今回の侍ジャパンは、巨人とソフトバンクに偏っていた。巨人の選手は7名、ソフトバンクが6名で、メンバーのほぼ半分が両チームの選手だ。これは、1次、2次ラウンドの会場がそれぞれ福岡(ヤフオクドーム)と東京(東京ドーム)だったため、観客対策もあって選ばれたものだ。

つまり、そのままで決勝ラウンドの世界屈指のチームと戦う必要など、どこにもないのである。好不調の波は誰にでもあり、アメリカに行っても「出してもらえない」選手は少なくない。そこをメジャーリーガーたちに“補強”してもらうのである。

ダルビッシュを例に考えれば、わかりやすい。メジャー屈指の本格派・ダルビッシュが決勝戦に登板してくれれば、まさに世界一を決める試合に相応しいものとなるだろう。

さまざまなしがらみを断ち切って、「勝つために」そういう戦略をとるべきなのである。すでにドミニカなども、決勝ラウンドには、それまで参加していなかったメジャーリーガーを招聘している。

日本でも、補強が許されている都市対抗野球に単独チームのまま出場して勝ち上がるのが難しいのと同じだ。課題の監督の選び方も、力量を見極めて万全の体制をとるべきだろう。それを日本野球機構(NPB)がやり遂げなければならない。

ファンの熱狂と、敗れた時の失望を目のあたりにした今、NPBが次のWBCで、これをきちんとやることができるかどうか。

日本で言えば、鹿児島県ぐらいの広さしかないプエルトリコは、人口もわずか370万人ほどに過ぎない。この小さな国に、日本が「国技」とも言うべき野球で敗れた意味は、決して小さくない。

今回、明らかになった問題点をどう克服し、ふたたび世界一の座につけるかどうか。NPBが真の意味で“イニシアティブ”をとり、日の丸を4年後、是非、野球の聖地アメリカのセンターポールに掲げて欲しいと思う。

カテゴリ: 野球

「日本の司法」は大丈夫なのか

2013.03.14

日本の「司法」、いや「裁判官」というのは大丈夫なのだろうか。そんな話を今日はしてみたい。本日、日本のノンフィクション界にとって、極めて興味深い判決があったからだ。

これは、私自身にかかわるものだが、非常に「大きな意味」を持っているので、かいつまんで説明させていただきたい。

知的財産権(知的所有権)という概念が広がって久しい。これは、知的創造活動によって生み出されたものを、創作した人の「財産として保護する権利」である。

たとえば、私が本を書いたとしたら、その作品は「私」の財産として保護され、勝手に流用されたり、他人のものとして盗まれたりすることがあってはならない。いわゆる知的財産権の中の「著作権」として守られる。

すでに20冊を超えるノンフィクション作品を上梓している私にとっては、作品を守ってくれる「著作権」とは、実にありがたいものである。

しかし、その著作権保護が「ありがたい」どころか、いわば行き過ぎた「保護過剰主義」によって、現場にいる私のようなジャーナリストやノンフィクション界にとって、「大きな障害」になり、ひいては「言論・表現の自由」を守るべき司法が、その「最大の敵」となっているという話である。

ありがたい権利であるはずのものが、ジャーナリズムの世界に、逆に「襲ってくる」という、極めて不思議な話の経緯はこうだ。

私は日航機墜落事故から25年が経った2010年夏、『風にそよぐ墓標 父と息子の日航機墜落事故』(集英社)というノンフィクションを上梓した。これは、1985年8月に起こった日航機墜落事故の6遺族の「その後の四半世紀」を追った作品だ。

この本は、それぞれのご家族を取り上げた全6章から成っている。これまでにはなかった「父と息子」にスポットをあてたもので、あの悲劇を乗り越えた家族の感動の物語としてノンフィクションで描かせてもらったものである。

私はノンフィクション作家であり、いうまでもなく作品はすべてノンフィクションである。つまり、私の作品には、フィクション(虚構)がない。記述は「事実」に基づいており、そのため、取材が「すべて」である。

私は、本書に登場する6家族の方々に、直接、私自身が取材に伺い、絶望から這い上がってきた四半世紀に及ぶ「勇気」と「感動」の物語をお聞きし、すべてを実名で描かせてもらった。

ご本人たちの了解を得て、取材させてもらい、日記や手記があるならそれを提供してもらい、「事実」と異ならないように気をつけて原稿を書かせていただいたのである。

一家の大黒柱を失うという絶望から這い上がった6家族の物語は感動的で、発売と同時に大きな反響を呼び、これをもとにドラマ化された作品(WOWOW特別ドラマ「尾根のかなたに」)は、2012年度の「芸術祭」優秀賞を受賞している。

しかし、私は、この作品の第3章に登場するご遺族、池田知加恵(いけだ・ちかえ)さんという80歳になる女性から「著作権侵害」で訴えられた。「門田は自分の作品である『雪解けの尾根』(ほおずき書籍)の著作権を侵害した」というのである。

池田知加恵さんは、日航機墜落事故で亡くなったご主人を持つ未亡人である。私は、「父と息子」をテーマにしていたため、あらかじめこの知加恵さんのご子息に10時間近い取材をさせてもらっている。そして、その上で、母親である知加恵さんご本人にも別の日に4時間半にわたって、さらに取材をさせていただいた。

その取材の折、知加恵さんは17年前に出したという事故の時の自身の体験をまとめた当該の『雪解けの尾根』という手記本をわざわざ「門田隆将様 感謝をこめて 池田知加恵」とサインして私に提供してくれた。

この時、事故から25年も経過しており、ご高齢だったこともあり、ご本人が「私にとっては、この本を書いた時が“記憶の期限”でした」と仰られたので、私の取材は、提供されたこの本に添って「事実確認」をする形でおこなわれた。

ご高齢の方への取材というのは、こういう方法は珍しいものではない。私は戦争関連をはじめ、多くのノンフィクション作品を上梓しているが、たとえば太平洋戦争の最前線で戦った元兵士に取材する際は、自分が若い時に戦友会誌などに書いた回想録を提供され、それをもとに「記憶を喚起」してもらいながら取材させていただくことが多い。

より正確に事実を書いて欲しい、というのは誰にも共通のものであり、私は池田知加恵さんにも長時間にわたって、この本に基づいて記憶を喚起してもらいながら、取材をさせていただいたのである。

その取材時間は、ご自宅にお邪魔していた4時間半のうち実に3時間半に及んだ。途中、知加恵さんは、「このことは本に書いてなかったかしら?」「そうそう、それ書いているでしょ」と何度も仰り、そのたびに本の中の当該の箇所を探すことが度々あった。

前述の通り、虚構が許されないノンフィクション作品とは、作家が想像によって「創作」することは許されない。小説との決定的な違いがそこにある。つまり、ノンフィクションはその性格上、「本人証言」と「日記・手記の発掘」というものが極めて重要な意味を持つ。

拙著のテーマは、「父と息子」であったため、知加恵さんはサイド(脇)の登場人物である。だが、私は提供された手記本をもとに、丹念にご本人に事実関係の確認をさせてもらい、この著書が「事実を記したもので間違いない」ものであることを確認し、長時間にわたった取材を終わらせてもらった。

取材の際、知加恵さんは著書だけでなく、事故に関連してご自身が登場したニュースやワイドショーのDVDを提供してくれたり、取材後も自分の発言の訂正部分を手紙で書いて寄越してくれたり、積極的に取材にご協力をいただいた。

私は、ご自宅をお暇(いとま)する時も、「大変ありがとうございました。今日の取材と、このご本に添って、事実を間違えないようにきちんと書かせてもらいます」と約束し、その言葉通り、事実関係に間違いのないように原稿を書かせてもらった。そして、巻末には、「参考文献」として『雪解けの尾根』を明記させてもらったのである。

つまり、私は「本人に直接会って」、「手記本を提供され」、記憶が曖昧になっていた本人に「記憶を喚起してもらいながら、その手記本をもとに事実確認取材をおこない」、巻末に「参考文献と明記」して、当該の第3章を書かせてもらったことになる。

しかし、『風にそよぐ墓標』を発刊後、知加恵さんは「著作権侵害だ」と訴えてきたのである。私は、およそ30年にわたって記事や本を書く仕事をしているが、このようなことは無論、初めてであり、驚きを禁じ得なかった。

長くジャーナリズムの世界に身を置いている私は、著作権とは、「事実」ではなく「表現」を侵した場合は許されないことを知っている。そのため、細心の注意を払って「事実」だけを描写し、同一の文章はひとつとしてない。

しかし、この訴訟が不思議だったのは、訴訟が起こる4か月も前に、まだ当事者以外の誰も知らない段階で、朝日新聞によって大報道されたことだ。同紙は社会面で五段も使って、「日航機事故遺族、作家提訴の構え」という見出しを掲げ、「(両者の)記述が類似している」と大々的に報じたのである。

つまり、訴訟は朝日新聞が「先行する形」で起こされた。同紙は、今回のように本人から直接、手記本を提供され、それをもとに本人に事実確認の取材をおこない、巻末に参考文献と明記しても、それでも「著作権侵害だ」と言いたいようだ。

当事者に取材し、記憶が薄れているその方が書かれた手記本をもとに「記憶を喚起」してもらいながら事実確認取材をしたのだから、「事実がひとつ」である以上、記述が似ていなければ、それは「事実ではない」ということになる。

私は、これが著作権侵害にあたるなら、日本のノンフィクションは、もはや「事実そのものを描けなくなる」と思っている。つまり日本でノンフィクションは「成り立たなくなる」のである。

ノンフィクションは、前述のように作家の想像による創作は許されず、さらに言えば、もし書いてある中身に「事実誤認」があれば、名誉毀損で訴えられるという宿命がある。つまり、あたりまえのことだが、ノンフィクションは「事実」にどこまでも「忠実」でなければならないのである。

そのためにジャーナリストは、足を運んで当事者に会って話を伺い、日記や手記があればそれを提供してもらい、関係者にも取材し、できるだけ「真実」に近づこうとする。

事実が「ひとつ」である以上、ノンフィクション作品は取材が深まれば深まるほど、その「たったひとつしかない真実」に近づくことができる。そこにノンフィクションの価値があると私は思っている。

私はこのことをわかってもらうために取材時のICレコーダーの録音やご本人から提供された品々をすべて証拠として法廷に提出した。

しかし、今日の判決は、池田知加恵さんの「著作権侵害」の訴えを認め、私に著作権侵害額として「2万8560円」、慰謝料を「50万円」、弁護士費用「5万2856円」という計「58万1416円」の支払いと書籍の「廃棄」を命じたのである。

つまり、日本の知財裁判所では、当事者に会い、ご本人から本を提供され、それをもとに事実確認をする形で取材が進んだものでも、本人があとになって「利用を許諾していない」と言い出せば、それが「認められる」のである。

わずか「2万8560円」の著作権侵害額しか認めなかった裁判所が、それでも、「50万円」の慰謝料を持ってきて、さらに書籍の「廃棄」を命じるあたり、裁判所の私に対する姿勢が窺えて実に興味深い。

この判決が正しいなら、私は取材の時に「利用してはいけないもの」をご本人から提供され、それをもとに必死でご本人から「事実確認の取材をおこなった」ことになる。

逆に言えば、池田知加恵さんは私に「利用してはいけないもの」を「サイン入りで提供」し、そこに書かれている事実は「書いてはいけないもの」であり、私が事実を忠実に描写すると、「これは私の本に書かれていることですから、著作権侵害です」と、私を訴えることができ、そして、知財の裁判官は、「その主張が正しい」というお墨付きを与えたのである。

少々不謹慎ではあるが、私は、この「不思議な判決」の第一報を受けて、驚きを通り越して、笑いがこみ上げてきてしまった。

それは、今から10年も前に私は新潮社から『裁判官が日本を滅ぼす』というノンフィクションを出しているからでもある。私は、当時から日本の官僚裁判官の“常識の欠如”について、厳しい指摘をおこなってきたジャーナリストなのだ。

判決を下した東京地裁民事47部の高野輝久裁判長は、長野高校から東大法学部に進んで裁判官となった司法エリートである。しかし、この人は、おそらく官僚裁判官として“優秀”ではあるが、ジャーナリズムの役割やノンフィクションとは何か、ということを考察する能力が「欠如」した方なのではないか、と思う。

私は、今回の高野判決を受けて「国民の健全な社会常識」という言葉を思い出した。ほかならぬ「裁判員制度導入」を決定づけた司法制度改革審議会の最終意見書の中にある文言である。

2001年6月、同審議会の最終意見書は多くの提言をおこなったが、その中で現在の裁判員制度のもとになる「一般の国民が、裁判の過程に参加し、裁判内容に国民の健全な社会常識を反映する」という一文があった。

「裁判の内容」に「国民の健全な社会常識」を「反映」するということは、逆に言えば、日本の裁判には、それまでいかに「健全な社会常識」がなかったかを示している。

幸いに、これによって重大な刑事裁判には、国民に多大な負担をかけながらも「裁判員制度」が導入されて、それまでの常識が欠如した判決が次第に是正されつつある。

しかし、裁判員制度が導入されたのは、その一部の刑事裁判だけだ。膨大な数の民事裁判には、裁判員として国民は参加できないのである。つまり、民事裁判において、裁判官の常識は「問われないまま」現在に至っている。

私は、以前から民事裁判にも裁判員制度を導入すべきだと思っていた。だが、膨大な数の民事裁判にいちいち国民を参加させるわけにはいかない。現実的には不可能だ。

しかし、今回の高野判決を見たら、私は「それでも民事裁判に裁判員制度導入を」と思ってしまう。少なくとも「知財裁判所」には、なんとしても「国民の健全な常識」を生かす裁判員制度を導入して欲しいと思う。

戦後、日本人がやっと獲得した言論・表現の自由には、長い苦難の歴史がある。多大な犠牲の上に獲得した「言論・表現の自由」という民主主義の根幹が官僚裁判官たちによる締めつけで、“風前の灯”となっている。

「知的財産権ブーム」の中で、ジャーナリズムの役割や意義を忖度(そんたく)しないまま、言論・表現の範囲がどんどん狭められているのである。少なくとも今日の高野判決は、事実上、ノンフィクションが「日本では成立しなくなる」という意味で「歴史に残るもの」であると思う。

今後、どうやってジャーナリズムは「事実」というものを描写すればいいのだろうか。『裁判官が日本を滅ぼす』の著者でもある私が、予想通り、「ノンフィクションを滅ぼす判決」を出してくれた高野裁判長に「この判決を通じて」出会えたのは、むしろ喜ばしいことかもしれない。

“暴走”する知財裁判官と今後、徹底的に闘っていくことが、私の新たなライフワークとなったのである。

カテゴリ: 司法, 池田家との訴訟

暴発の「大義名分」を待つ金正恩

2013.03.12

北朝鮮によれば、「最期の決戦の時」が来たそうだ。昨日から米韓合同軍事演習「キー・リゾルブ」が始まり、事実、北朝鮮は全土で臨戦体制に入っている。

韓国軍1万人、米軍3000人が参加した軍事演習は21日まで続き、「朝鮮戦争休戦協定の完全白紙化」を宣言した北朝鮮との睨み合いがつづく。

果たして、韓国の国防省高官が語るように「吠える犬は咬(か)みつかない」のか、それとも北朝鮮が言うように「侵略者たち」に照準を合わせた「大砲と戦略ロケット」が火を噴くのか、世界の注目が東アジアに集まっている。

いよいよ「何が起こってもおかしくない」状態となったのは事実である。それは、北朝鮮情勢にこれまでとは異なる最大の不確定要素が「存在する」からだ。

今から19年前の1994年3月、板門店で北朝鮮代表が、「戦争が起きればソウルは火の海となる」と宣言して、世界を驚かせたことがある。過剰な脅迫的文言を駆使するのは、北朝鮮の常套手段なので、今回も真に受けるべきことではないのかもしれない。

だが今度は、何の実績もない、わずか30歳の新指導者・金正恩がこの事態を指導していることが「これまでとは異なる」最大の懸念材料だ。

2月12日に3度目の核実験を強行した北朝鮮に対して、国連安全保障理事会が今月8日、追加制裁決議を全会一致で採択し、北朝鮮は「もはや第2の朝鮮戦争を避けるのは難しい」「侵略者たちの本拠地に対して、われわれは核の先制攻撃の権利を行使する」という声明を発する常軌を逸した行動に出た。

北朝鮮の労働新聞は、採択の直前に「われわれは、精密な核攻撃によってソウルだけでなくワシントンまで火の海にするだろう」と威嚇していた。すべては、国連安保理での制裁決議を阻止するための“脅し”だったが、それも無駄に終わった。

核攻撃を示唆して「ソウル」だけでなく、「ワシントン」まで「火の海にする」と言及したにもかかわらず、鼻であしらわれたのである。金正恩は激怒し、軍の兵力を江原道へ移動させて臨戦態勢を敷き、さらには、日本海と黄海に船舶と航空機の「航行禁止区域」を設定したのである。

ここで重要なのは金正恩が持つ「常識」というものである。普通に考えれば、自ら「引き金」を引けば自国の壊滅が見えているだけに「そこまではやらないだろう」と考えるのが大人だ。

だが、1年4か月前の2010年11月、突如、黄海の南北境界水域に近い韓国の延坪島(ヨンビョンド)を砲撃した事件を思い出して欲しい。発射された砲弾170発によって、韓国の海兵隊員2名と民間人2名の計4名が死亡した事件である。

実は、この時も韓国軍による実弾軍事訓練のさなかのことだった。警告にもかかわらず、演習をつづけた韓国軍への報復として「砲弾を発射した」というのが、北朝鮮の言い分だった。

まだ父親である金正日が死去する1年近く前の出来事だったが、この時、労働新聞は「金正恩領導者の非凡な知略と戦術で敵の挑発は挫折した」「延坪島は火の海と化した」と報じ、これが「金正恩の意向」による作戦であったことを示唆した。

何をやるかわからない若者――その時、国際社会が認識した金正恩像は、まさにそれだったのである。金正恩は、実績のない、いわば“お坊ちゃん”指導者だ。「何か」をやらなければ、軍に舐(な)められる立場にある。弱気は自らの立場を「危うくする」のである。

後継者として地歩を固めるために延坪島に「砲弾170発」をぶち込む人物が、実際に全権力を手中にしたあと「何をするか」ということは全く予想がつかない。その行動を「常識で予測・判断することは不可能」ということである。

実際に米韓合同軍事演習が終了する今月21日までに「何が起こるか」わからない。いや、仮に21日が過ぎても、不穏な状態はつづく。

キーワードは「臨検」である。金正恩はあれほどの国際社会の反発の中で、3回目の核実験を強行した。しかし、同時に、安保理による「核実験に対する追加制裁」を異常に恐れていた。嫌なら「核実験」そのものをやめればいいじゃないか、と考えるのが普通だが、彼にはそんな常識は通じなかった。

北朝鮮が恐れたのは、「金融制裁」の強化であり、「臨検」の強化である。安保理は、核とミサイル開発につながる可能性がある場合、加盟国に対し、「一切の金融取引」を禁止し、「現金の持ち運び」も許さず、北朝鮮の銀行の「支店開設」も禁止するという具体的な手段を入れた決定をおこなった。

さらに注目されるのは、禁輸物資の疑いがある貨物に対する検査の義務化を各国に課した点だ。税関での監視と、臨検の強化である。

これは、北朝鮮の“金と物”の出入りがすべて国際的な「監視下」に入ったことを意味しており、水面下でさまざまな手段を通じて外貨や物資を獲得してきた北朝鮮にとって、言うまでもなく死活問題なのである。

これは国家として極めて大きな打撃であり、言いかえれば、このままでは「座して死を待つ」ことになるということだ。

「忍従」や「我慢」というものを知らない若きリーダーが「どうせ崩壊するなら先に」と考えるのは不思議でも何でもない。今回の危機を過ぎても、仮に船舶の貨物検査によって、すなわち「臨検」でトラブルが生じた場合、一体どうなるのか。

私は今、金正恩という若きリーダーが“暴発”の機会、言いかえれば「大義名分」を窺っているような気がしてならない。大人になりきれない子どもが、実際の武器を玩具(おもちゃ)のように扱う事態が、すぐ「そこ」まで来ているのである。

カテゴリ: 北朝鮮

「震災から2年」に思う

2013.03.11

今日であの大震災から「2年」となった。亡くなられた方々の三回忌である。あれから長い長い月日が経ったような気もするし、一方で、あっという間だった気もする。

昨年11月、私も原発事故に命をかけて立ち向かった人々の姿を描いた『死の淵を見た男―吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(PHP)を上梓することができ、ジャーナリストとしてあの未曾有の悲劇に遭遇した人々の毅然とした生きざまを少しはお伝えできたかもしれないと思っている。

それにしても、2周年に向けて、ここのところテレビ・新聞等で震災の検証が数多くおこなわれたので、時間の許すかぎり、それらを読み、そして観させてもらった。

フジテレビ放映の土曜プレミアム『突入!福島原発に挑んだ男たち』(9日放送)では、拙著『死の淵を見た男』に登場する人々が多数取り上げられ、震災時の苦難の大きさをあらためて思い起こすことができた。

今日は、現在公開されている同じフジテレビが製作した映画『遺体―明日への十日間』について少し書かせていただこうと思う。

この映画は、廃校になっていた岩手県釜石市の中学校の体育館に運び込まれるご遺体をめぐるドラマを描いたものだ。

原作は、ノンフィクション作家、石井光太氏の『遺体―震災、津波の果てに』(新潮社)である。震災発生直後に現地に入った石井氏のこの力作をもとに、『踊る大捜査線』『誰も守ってくれない』などの作品で知られる君塚良一氏の脚本・監督によって映画化された。

私は、この映画には以前から大いに注目していた。石井氏の原作が素晴らしいものだったことはもちろんだが、撮影を担当した栢野直樹さんが私の大学時代のゼミの先輩であったからだ。

栢野さんと私は、中央大学法学部の多田実ゼミの先輩と後輩だ。栢野さんが私の1年先輩にあたる。学生時代からすでにプロのカメラマンとして活動をおこなっていた栢野さんは、私たち1年後輩から見ると実に眩しい存在だった。

写真のことなどまるで知らない私に、最初にカメラのイロハを教えてくれたのは、栢野さんだった。ずっとプロの道を歩んだ栢野さんは、その後、『Shall we ダンス?』で日本アカデミー賞撮影賞を受賞し、その後も『シコふんじゃった』『それでもボクはやってない』『誰も守ってくれない』などの多くの話題作で撮影を担当した。

その栢野さんから「是非、『遺体』を観て欲しい」という連絡をもらっていたのである。石井氏による素晴らしい原作があり、メガフォンをとるのが君塚監督で、さらには、撮影が栢野さんとあっては、観ないわけにはいかない。

封切りがこれほど待ち遠しかった映画はない。このスタッフなら、絶対にあの悲劇を余すところなく後世に伝えてくれる作品にしてくれただろう、と思ったのである。

そして、やはり映画は予想通りのものだった。いや、私の予想を遥かに超えていた。津波で亡くなられた人々の人生と、それに打ちのめされ、茫然とする人々、そして、その人たちをいたわり、涙する人々の姿が淡々と描写されていた。

津波による圧倒的な“泥”と“水”、そしてご遺体の惨状を、それでもきちんと映像で表現し、さらに尊厳をもってご遺体に接し、悼む人々の姿は、涙なしでは観ることができなかった。淡々とした中で、主役の西田敏行さんの熱のこもった演技が、余計涙を誘った。

あれほどの嗚咽(おえつ)に包まれた映画館を私は経験したことがない。なぜ、これほど人々は感動したのだろうか。

愛する人への思いと、人間にとって「生」と「死」が持つ重さ――私はそれを必死に伝えようとする製作者たちの思いが観る者の魂を揺さぶったのではないか、と思う。

遺体に語りかけて失われた命の尊厳を守ろうとする心、愛する者を亡くした人の哀しみを思いやる温かさ、日本人が持つ死生観……これらすべてが画面から直接、観る者の心の中に飛び込んできたのではないか、と思う。

1万9000人余の犠牲者を出した未曾有の惨事。1万9000人余の犠牲者には、その数だけの喜びと哀しみ、そして人生の物語があった。それを凝縮させて描かれた映画に人々は魂を揺さぶられたのである。

ジャーナリズムの人間、映像の人間、それぞれがそれぞれの立場で後世にあの悲劇の真実を伝えようとしている。映画を観ながら、私も自分の作品を是非、先輩である栢野さんに撮って欲しいと思った。それは、いつか実現して欲しい、後輩としての私の「夢」である。

カテゴリ: 地震, 映画

隣国との「真の友好」とは

2013.03.09

WBC2次リーグの初戦、日本-台湾戦は、試合時間が実に4時間47分に及び、日付が変わる直前までつづいたまさに“死闘”となった。

昨日のブログでも書いたように、延長10回、日本が中田翔(日本ハム)の犠牲フライで4対3と台湾を破ったが、試合のあと、両チームがお互いを讃え合う光景に象徴される“清々しさ”が東京ドームだけでなく日本列島を駆け抜けたように思う。

前回のWBC予選で、日本に勝利した韓国チームが、マウンドに韓国の国旗・太極旗を立て、精一杯戦った相手に対する敬意を感じさせない、なんとも言えない“不快感”が漂った時とは大違いだった。

日本と台湾は、アンケートをすれば、お互いの国を「好きだ」と答える人が両国とも75%を超えるという近しい関係だけに、スポーツの対戦にも爽やかさが感じられるのだろう。

激戦から一夜明けた今朝の産経新聞朝刊に、吉村剛史・台北支局長が、ほのぼのとする記事を「台北発」として寄せていたので紹介したい。

来年2月から、台湾の中学3年生用の「公民」の教科書に日本が台湾の人たちに向けて出した「感謝広告」が取り上げられることになった、というニュースである。これは、日本の交流協会(大使館に相当)の台北事務所が昨年3月、台湾の人々が震災の時に手を差しのべてくれた数々の支援に対して出したものだ。

実は、震災後、民主党政権は、各国の主要新聞に支援への感謝広告を掲載したが、最も多額の義援金を送ってくれた台湾を「対象外」にしていた。

中国に対する“いつも通り”の過剰な自己規制による遠慮だったのだろうが、そのことを申し訳なく思った日本人女性が「謝謝台湾計画」なるものを立ち上げて民間で資金を募り、2011年5月に台湾の主要2紙に感謝の広告を出した。

そして、その4か月後の2011年9月には、日本人の感謝の気持ちを直接届けようと6人の日本のスイマーが与那国島から台湾の蘇墺(そおう)までリレーで泳ぎ切り、「ありがとう台湾」という言葉を伝えて大きな話題となった。

今回、教科書に取り上げられることになったのは、さらにその半年後の昨年3月、交流協会が台湾への感謝を表わす広告やCMを台湾メディアに出した時のものだ。

今日の産経新聞の記事には、教科書に掲載されるその「感謝広告」の写真がそのまま載っている。宮城県石巻市の中学生らが、古タイヤを利用した手製の太鼓を打っている写真だ。

太鼓(古タイヤ)をたたくバチを持って右手を高く掲げた石巻市の中学3年生・伊藤祐汰君の凛々しい姿と、その横に「現在我很元気 台湾、謝謝你(僕は元気です。ありがとう台湾)」と大書された文字が目に飛び込んでくる。

一瞬で、はっとさせられる広告だ。被災地の感謝と頑張りがよく伝わるものである。世界のどの国よりも早く、かつ多額の義援金を送ってくれた台湾では、震災の時、小学生たちが自分のお小遣いの中から「日本の人たちを助けてあげてください」と寄付するほどの社会現象が生じたことは知る人ぞ知る。

背景には戦前の日本と台湾との関係や、1999年9月に死者2400人、負傷者1万人余を出した台湾中部大地震の際、日本の国際消防救助隊が地震発生の夜に、どの国よりも早く現地に救助に「駆けつけたこと」がある。

台湾の人たちは、そのことを今も忘れていないのである。「あの時、一番早く、そして大量の日本の救助隊の人たちが駆けつけてくれたことは忘れられません」と、私自身が台湾の人たちから何度も聞いたものである。

その台湾では、日本の大震災の時、馬英九総統自らがテレビ番組に出演して日本への援助を呼びかけ、たちまち莫大な義援金が集まった。日本の地震と津波のニュースを涙を流しながら見る台湾の人たちもあとを絶たなかった。

そして、ついにその台湾で日本の「感謝広告」のことが中学の教科書に取り上げられることになったのである。吉村支局長の記事によれば、「公民」の中の国際社会への関心の重要性を紹介する項目にこれが取り上げられるのだそうだ。

私はこの記事を読みながら、同じ“隣人”でも、子どもの時から、徹底的に日本と日本人を憎むような「反日教育」を施す中国と韓国のことを思い浮かべた。

子どもの頃から植えつけられた知識や感情から逃れることは、誰にとっても難しい。つまり、両国では「反日」はいわば国是であり、いくら草の根の交流を進めようと、最後にはこれが障壁となって「真の友好」を築けないのである。

教育によって、将来を担う子どもたちに「対立」と「憎悪」を植えつけ、煽り立てる国と、一方、子どもたちに「心の交流」と「助け合いの大切さ」を教える国――本当に「大切な隣人」を尊重し、そして「真の友好」とは何か、を私たち自身も忘れないようにしたいものである。

WBC2次リーグで両国の代表が激しい気迫でぶつかり合い、死闘を繰り広げた翌朝だけに、台北発の吉村支局長の記事が余計、心に染(し)み入るのかもしれない。

カテゴリ: 台湾

苦戦を呼び込んだ「侍ジャパン」の山本采配

2013.03.08

WBC2次ラウンドで、侍ジャパンは台湾に延長の末、4対3で辛勝した。終盤に見せた侍ジャパンの粘りは見事というほかない。

特に9回二死2対3という追い詰められた場面で執念の同点タイムリーを放った井端は見事だった。しかし、山本監督の采配には首を傾げざるを得ないシーンが度々あった。

最も大きかったのは、3回裏である。それは、ベンチの“レベル”を余すところなく教えてくれるものだった。ストライクの入らない先発・能見を「見極めることができない」という致命的なレベルである。

この回、ヒット、四球、死球で満塁とされた能見が、“まぐれ”でしかストライクが入らない最悪の状態に「陥っている」ことはテレビ画面からも伝わってきた。だが、そのことが山本監督や東尾投手総合コーチには「わからない」のである。

幸いに台湾の4番・林智勝がノー・ツーから強振してくれて一邪飛。ここで打ちに出てくれなければ、この回、日本は大量失点していただろう。

しかし、なおもストライクが入らない能見は、次の5番・周思斉に四球を与えて押し出しの1点を献上した。ナショナルゲームではなかなか見ることができない押し出しという恥ずかしい「1点」だった。

「ストライクが入らないのに、交代しない」というのは、ピッチャーのせいではない。野球では、そういう状態になることが珍しいことではないからだ。特に緊張状態が異常に高まる国際試合ではよく見られる。

だが、その状態を見極められないベンチの力不足が試合を極めて「苦しい」ものにしたのである。貧打の侍ジャパンに台湾の先発・王建民から「1点」を取るのは荷が重かったが、それにしても山本監督の采配には疑問符が残った。

しかし、台湾も8回表に致命的な采配ミスを犯した。井端、内川の渋いヒットがつづいた無死1、3塁で、台湾ベンチがメジャーでも活躍した快速球左腕の郭泓志を交代させたのである。

郭は台湾で「4人目」のメジャーリーガーだ。最速158キロの速球とスライダーを駆使してロサンジェルス・ドジャースで活躍した。侍ジャパンは4番阿部、5番糸井という左打者がつづく場面だっただけに、こちらも首を傾げる采配だった。

案の定、代わった右ピッチャーの王鏡銘から阿部がタイムリーを放ち、坂本もショートの内野安打でこの回2点を挙げ、同点となった。しかし、その裏、好投をつづけたリリーフの田中将大が台湾打線につかまり、再びリードを許す。前述の通り、そこで井端の執念のヒットが出なければ、日本は敗れ去っていたのである。

延長10回の末、4対3で台湾を破ったものの、最後の牧田から杉内への投手リレーと言い、侍ジャパンの采配レベルについては、首を傾げることの連続だった。

緊迫の国際ゲームでは、ベンチの采配は決定的な意味を持つ。1点を凌ぎ、1点を奪い取る真剣勝負を勝ち抜く“采配力”は、少なくとも侍ジャパンにはない。今後の試合でまず改めなければならないのは、山本監督の采配にほかならない。

カテゴリ: 野球

歴史の町・西尾と岡崎にて

2013.03.07

今日は愛知県の西尾市と岡崎市の2か所で講演があった。西尾市には、あの忠臣蔵の仇役・吉良上野介義央(よしなか)の故郷・旧吉良町がある。

悪役としてすっかり定着している吉良上野介だが、地元では、善政を敷いていたことで知られている。たびたび氾濫する矢作川(やはぎがわ)の洪水に苦しむ領民のために、吉良は一昼夜で付近の領民総出で堤を築いた。

黄金堤(こがねづつみ)、別名「一夜堤」と呼ばれる堤は、300年余り経った現在でも残っている。そのほかにも、塩田をつくったり、赤馬に乗って領地をまわり、気さくに民に語りかけたエピソードなどが地元には語り継がれている。

吉良の素顔は、忠臣蔵で描かれる“悪役”とはあまりにかけ離れたものだ。私は講演のあと、西尾市の榊原康正市長に案内していただき、黄金堤だけでなく、吉良の墓所である華蔵寺も見学することができた。

華蔵寺には、領民に慕われた吉良上野介の素顔を唯一、現代に伝える木像もある。穏やかな細い目で、見る者に微笑みかけてくるような吉良像をご住職に見せてもらい、毎年、命日の12月14日には、「毎歳忌法要」がおこなわれ、多くの参拝客が墓所に詰めかけていることを伺った。

榊原市長と華蔵寺のご住職に別れを告げ、私はそのあと岡崎市に向かった。ご存じ、岡崎は徳川家康の生まれ故郷であり、天下を取った三河武士の根拠地でもある。

初めて訪れた岡崎城には、家康が生まれた時に使われた産湯(うぶゆ)の井戸があった。そして、天守閣に上がる手前には「東照公遺訓碑」があった。大きな亀の甲羅の上に建つ碑である。

近づいてみると、「人の一生は 重荷を負いて 遠き道をゆくがごとし いそぐべからず 不自由を常とおもえば不足なし こころに望おこらば 困窮したる時を 思いだすべし」という有名な家康の遺訓が書かれていた。

私が好きな家康の歌は、「人はただ 身のほどを知れ 草の葉の 露も重きは 落つるものかな」というものだ。幼少期から人質生活を送り、辛酸を舐(な)めつくした家康だけに、残された言葉や和歌には、現代人をも唸らせる「何か」がある。

三河武士と忍従の主君・徳川家康――穏やかな三河の地は今日、春そのものの気候だった。つい4日前には、北海道を襲った猛吹雪を伴う寒波で何人も親子が命を落としたことを思うと、信じられないような温かさだ。

一昨日、北朝鮮が朝鮮戦争の休戦協定「白紙化」を宣言し、東アジア情勢はまさに一触即発の状態を迎えている。北朝鮮とそれを取り巻く各国が、家康が唱えつづけた「忍従」を見失ったら、たちまち惨禍が東アジア全体を覆うことになる。

そんな風雲急を告げる中で、歴史の町・西尾と岡崎は、春の麗らかな日ざしにすっかり優しく包み込まれていた。

カテゴリ: 歴史

強豪相手に弱点を露呈した「侍ジャパン」

2013.03.06

何から何まで「?」がつく采配だった。WBC1次リーグのキューバ戦で、侍ジャパンは、懸念されていた欠点をすべて露呈した。

力の差があるブラジルに終盤でやっと逆転して5対3、さらに実力差がある中国にも5対2という“ロースコア”で勝った日本は、今日、1次リーグ最終戦で強豪キューバに3対6と完敗した。

真価が問われるキューバ戦で、日本は“すべての欠点”を曝(さら)け出したのである。しかも、完敗した相手のキューバも、いつも以上に強かったわけではない。

前回のWBCで、「ボールの行き先はボールに聞いてくれ」と言わんばかりの制球難と160キロのスピードで各国を震え上がらせた左腕・チャップマンのような怪物ピッチャーもいない。

日本のプロ野球に来ても、果たして1軍で先発ローテーションに入れるピッチャーがいるだろうかというレベルである。そのキューバに日本は「完敗した」のである。

8回まで赤子の手をひねるがごとく翻弄された日本の打撃陣は重傷だ。期待されていた松井(稼)は、年齢から来る動体視力の衰えが顕著だった。もう低めの球を「見極める」こともできず、惨めな空振りを繰り返し、試合途中で引っ込められた。

私は、6日前のブログでも書いた通り、稲葉と松井というベテランに期待していた。だが、二人にいいところで快音は聞こえなかった。

メンバーを見ても、“おかわり君”こと中村剛也(西武)や和田一浩(中日)、畠山和洋(ヤクルト)、村田修一(巨人)などの右の強打者がそもそもメンバー入りしておらず、キューバとのパワーの差は歴然としていた。

投手陣も「なぜ大隣が先発なのか」と首を傾げさせた。強豪キューバなら、沢村か杉内、あるいは前田健太かと思ったが、中国戦になぜか前田を先発させたり、沢村も投げさせるなど、今日の先発起用の選択肢を自ら「狭く」してしまったのである。

この打線で、本戦でのアメリカのメジャーのエースをどう攻略するのだろうか。今日は打線の核である内川が欠場していたため、打線につながりが一気になくなってしまった。最終回に相手投手の乱れに乗じて3点を奪うのがやっとだったのだ。

0対3となって試合を諦めたのか、山本監督は、8回に今村猛(広島)をマウンドに送った。実力、経験、球のキレ……どれをとっても、まだ日の丸を背負うレベルとは言えない若手ピッチャーだ。

案の定、たちまちキューバ打線につかまり、3点を献上した。結果論から言えば、この「3点」が今日の試合の命とりになった。すなわち山本監督の「采配」そのものが敗れたのである。

“台中の惨事”として1次リーグ敗退が決まった前回準優勝の韓国。日本も、この実力と采配では、2次リーグ敗退の可能性がかなりある。

2次リーグに進出したキューバ、台湾、オランダの4チームの中で、日本がダントツの貧打であることは間違いない。この打線では、対戦が決まった台湾のエース・王建民を攻略することは難しいだろう。

王建民は、ヤンキースで大活躍した台湾の英雄である。ケガでヤンキースを離れたが、得意の高速シンカーを駆使した老獪なピッチングはまさしく“メジャー級”だ。今日、キューバに敗れて、オランダ相手ではなく、この王建民との対決となったのなら、日本にとっては極めて痛い。

打力のポテンシャルが歴代チームの中で最も低く、采配にも「?」が数多くつく今回の侍ジャパン。ケガによる選手交代は可能だけに、メンバー交代へ勇断を振るわなければ、「日本3連覇」の夢は、2次リーグで消えるだろう。

カテゴリ: 野球

“春まだ遠し”の寒気の中で

2013.03.03

猛吹雪で立ち往生した車の中で、母子4人が一酸化炭素中毒で亡くなるという痛ましい事故が北海道で起きた。ほかにも吹雪の中で車が雪に埋まり、歩いて脱出しようとしたが、行く手を阻まれ、父親が9歳の娘に覆いかぶさってその「命」を守り、自分は凍死するという悲劇もあった。

北海道を覆うこの寒気は、凄まじいばかりだ。東京も3月に入ったのに、相変わらずの寒さがつづいている。“春一番”が吹き始める時期だが、実際はまだ「冬」そのものだ。

そんな中、昨夜、新宿で大学(中大)の卒業30周年を記念したクラスの同窓会があった。西新宿7丁目の『華王飯店』という中華料理屋は、ご主人が中央大学出身の台湾の方だ。

日頃親しくさせてもらっているので、この日の集まりにも利用させてもらった。出席者は20名あまりだ。さすがに卒業して30年も経つと連絡がとれないクラスメートも多く、とることができた仲間だけが集まったのである。

卒業後、初めて会う人間が何人もいて、積もった話に花が咲いた。年齢でいえば、みな50代前半。かつての“紅顔の美少年”たちも、白髪だらけだったり、禿げあがっていたり、すっかり年齢相応の姿になっていた。

クラスの担任だった中国語の佐藤富士雄教授も顔を見せてくれて、大いに盛り上がった。聞けば、2年後には退官されるとのこと。さっそく退官に合わせて記念の会を持つことも決定した。

二次会は、野球中継をやっている店に行った。もちろん、目的はWBCの初戦・ブラジル戦だ。同窓会で盛り上がりながら、同時に、中継の観戦にも力が入った。侍ジャパンは、相変わらずの貧打だったが、なんとか終盤で逆転し、勝利を挙げた。

3日前のブログにも書いたように、侍ジャパンは大きな不安を抱えたまま大会に突入してしまった。好調な打撃を維持する3番・内川を軸に是非、日本得意の機動力野球を展開して欲しいと思う。

日本の「3連覇」を阻止するために、本場アメリカも必死だ。世界一の座をめぐって意地とプライドが激突するこの闘いは、今月下旬、アメリカのサンフランシスコで決着がつく。

しばらく侍ジャパンから目が離せない日々がつづきそうだ。同窓会とWBC――春まだ遠しの東京・新宿で中年男たちのボルテージは夜遅くまで上がりっ放しだった。

カテゴリ: 随感

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