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週刊誌の時代は終わったのか

2013.04.29

ゴールデンウィークに入る前に知人がある資料を提供してくれた。雑誌の実売部数を調査したABC公査の最新資料だ。その資料は、2000年から2012年までの12年間、すなわち干支(えと)でいえば“ひとまわり”の各誌の実売部数がそのまま出ている。

2000年からの12年間というのは、パソコンとインターネットの普及で、メディアのみならず社会そのものが大変革を遂げた時期である。

この間の雑誌の実売部数の変化は実に興味深い。ひと言でいうなら、「激減」という言葉を超え、「壊滅状態」あるいは「総崩れ」と表現した方がいいかもしれない。

例えば、かつて全盛を誇った男性週刊誌の衰亡ぶりは凄まじい。2000年下期(6月~12月)と2012年下期を比較してみると、主要週刊誌6誌(ポスト、現代、文春、新潮、朝日、毎日)だけで、実売が総計285万部から177万部まで実に「108万部」も減らしている(37・8%減)。

具体的に見てみると、週刊ポストが65万7000部から31万8000部へ、週刊現代が64万3000部から42万4000部へ、週刊文春が63万部から48万部へ、週刊新潮が50万6000部から36万5000部へ、週刊朝日が30万9000部から13万部へ、サンデー毎日が10万8000部から6万部へ、という具合だ。

ちなみに月刊誌の文藝春秋本誌も45万5000部から33万8000部に減らしている。この2000年代以降は、「雑誌からネットへ」という時代だったが、それがそのまま数字に表われているのである。

大手出版社は、日銭を稼いでいた雑誌の不調で、どこも赤字決算が目白押しだ。私の耳には、出版社の大型倒産がこれから数年で「顕在化するだろう」という悲観的な情報まで入ってくる。

各週刊誌のゴールデンウィーク合併号も出揃ったが、読みごたえのある記事は少なかった。情報の速報性でネットの後塵を拝し、さらには記事の深みやキレもかつての黄金時代とは比べるべくもない。

私自身が雑誌の現場で長く働いてきただけに、目の前の各誌の合併号を見て寂しい気がする。何が変わったのか、そして何が読者をここまで離れさせたのだろうか。私は、各誌の合併号を眺めながら、考えてみた。

私は、その第一は「見識」ではないか、と思う。「週刊誌に“見識”なんて関係があるのか」と笑う人もいるかもしれない。だが、告発記事や手記、スキャンダル報道……など、週刊誌には多くのジャンルがあるが、私は誌面から「見識」がなくなれば、読む人の興(きょう)は削がれ、媒体(メディア)そのものの存在意義もなくなるのではないか、と以前から考えていた。

最も重要なその「見識」が誌面から消え、情報の速報性や深みでも見るべきものがなくなった今、長年の読者が「週刊誌から去っていった」のも無理はない、と思う。

いうまでもなく、新聞やテレビが報じることができない告発記事や渦中の人物の手記、あるいは意外な視点や発想による独特の記事展開が週刊誌媒体の真骨頂だった。

しかし、この12年間でその肝心なものが確実に失われていった。インターネットの普及がそれに追い打ちをかけ、やがてボディブローにように効いていき、そして週刊誌の「死命を制した」のである。つまり、週刊誌業界は外部環境の変化に対応できず、さらには見識を失い、自壊している過程なのではないだろうか。

作り手の意欲や執念、そして見識が感じられる記事が、どの雑誌の誌面からも見られなくなっているというのは大袈裟だろうか。ゴールデンウィーク合併号の各誌の誌面を、私はそんな寂しい思いでじっと眺めている。

カテゴリ: マスコミ

「4・28屈辱の日」を噛みしめることの大切さ 

2013.04.28

今日は、61年前にサンフランシスコ講和条約が発効した記念日である。太平洋戦争の敗北によって日本が連合国軍の占領下に置かれた「屈辱の7年間」が終了した日だ。

主権を失うことの惨めさと辛さは、国家と国民にとって筆舌に尽くしがたいものである。この7年間に日本の「戦後」の基本的な制度や価値観が決定づけられ、それは、今もあらゆる分野で幅を利かしている。

私は、1952(昭和27)年4月28日という日は、“忘れてはならない日”だと思う。世界中が軍国主義に覆われ、非戦闘員も含めて5000万人を遥かに超える犠牲者を出した第二次世界大戦は、人類の歴史がつづくかぎり忘れることができない悲劇だった。

敗戦国となった日本も主権を失い、苦難の道を歩んだ。東西の冷戦が始まり、西側陣営への参加を強いられた日本は、紆余曲折を経ながらも、豊かさと繁栄の時代を迎えた。

その意味で、この占領下の7年間は、日本にとって忘れてはならない「屈辱」と「雌伏」の時代だったと思う。

今日、政府は天皇、皇后両陛下のほか、首相、衆参両院議長、最高裁長官ら各界代表が出席して、初めて永田町の憲政記念館において「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」をおこなった。

安倍総理は、「わが国が辿った足跡に思いを致しながら、未来に向かって希望と決意を新たにする日にしたいと思います」、そしてこの7年間について、「わが国の長い歴史に訪れた初めての、そして最も深い断絶であり試練でした」とスピーチした。

条約発効によって沖縄や奄美諸島、小笠原諸島が日本から切り離され、沖縄の本土復帰が一番遅れたことに対しては、「沖縄が経てきた辛苦に、ただ深く思いを寄せる努力をなすべきだと思います」と語った。

その沖縄では、この日が「屈辱の日」と呼ばれており、仲井真弘多・沖縄県知事が憲政記念館での式典への出席を見送り、政府主催の式典が開かれたことに対する抗議集会がおこなわれた。

「屈辱の日」とは、沖縄の人々にとってだけではない。それは、日本人全体が「屈辱を噛みしめる日」なのである。私はそのことの重要性を思う。

式典自体に反対する人々には、こういう「屈辱の日」こそ忘れてはならず、歴史の重みを振り返るべきことの大切さを知って欲しいと思う。

他国に占領され、主権を失うことの「意味」と「怖さ」を私たちは思い起こすべきだろう。どれだけ平和ボケしようが、そのことだけは忘れてはならない。

領土拡大の野望を胸に、隣国と領海紛争を繰り返してアジアで顰蹙(ひんしゅく)を買い、それでも虎視眈々と「覇権確立」を目指す国をすぐ近くに持つ私たち日本人は、あらためて「屈辱の日」と「国の主権とは何か」を振り返るべきだと思う。

カテゴリ: 政治, 歴史

安倍政権と就職戦線“春の陣”

2013.04.27

今日からゴールデンウィークがスタートした。東京は見事に晴れ上がり、行楽日和そのものだった。鳥インフルなどのニュースが流れているものの、例年通りの平和そのものの黄金週間の初日である。

私のようなフリーの稼業は、もちろん休日とは縁がない。いつも取材と締切に追われている。今日も夏までに出すノンフィクションの最終的な取材に追われた。

次作は、警視庁公安部を舞台にしたものだ。私の作品はいうまでもなくノンフィクションなので、登場人物はすべて「実名」である。少なからず反響があると思う。どうかご期待をいただければ、と思う。

さて、今日は大学生の就活問題について少し書いてみたい。ゴールデンウィーク突入で、大手企業の2013年度就職戦線「春の陣」がひと段落したからだ。

もちろん中小企業の「春の陣」はこれからが本番で、それが終わると、次に夏から秋にかけて大企業が再び乗り出す“秋採用”と呼ばれる就職戦線「秋の陣」が始まる。

私は、当ブログで日本の国力をこれ以上衰退させないためにも、就職戦線のスタート時期をかつてのように「大学4年秋」に戻せ、と主張してきた。

それは、大学3年から始まる就職活動によって、大学生活自体が圧迫され、せっかく「学問」と「人間形成」という両面で大きな意味を持っているキャンパスライフそのものが“変貌”させられているからだ。

最近の大学生を見ていると、伸び伸びと人間そのものを磨くことがやりにくくなっているのではないか、と私は同情する。このままの制度では、将来的な日本の「人材枯渇」は目に見えており、それを克服することは、国家の大問題だと私は思っている。

私が就職した頃は、就職活動の解禁日は、大学4年時の「10月1日」であり、そのために、留学や長期の外国旅行など、多くの大学生が日本を飛び出して見聞を広げることが可能だった。

「就活解禁時期の問題は日本の国力そのものにかかわることで、早く“大学4年秋”に戻すべきだ」。私は講演等でも、折々にそう言わせてもらっている。

そんな中で、先週の金曜日(4月19日)、安倍総理が「成長戦略」のひとつとして大学生の「就職活動の解禁時期」を遅らせるよう、経済界に直接要請したというニュースが流れた。

経済3団体のトップを官邸に呼び、2016年3月に卒業する予定の現在の大学2年生から、就職活動の解禁時期を3年生の12月から3年生の3月に、選考活動を現在の4年生の4月から8月に、それぞれ遅らせるよう要請したのである。

要請を受けて、経団連の米倉会長が「総理からの要請を重く受け止め、会員(企業)には周知徹底していきたい」と述べた。

私は、アベノミクスの「3本の矢」のひとつである成長戦略の中に「就職活動の解禁時期を遅らせる」という方針が入っていたことに驚いた。

できれば、わずか「数か月」遅らせるだけでなく、就職活動の「解禁時期を4年生の8月、選考活動開始を4年の10月」にしてもらいたかった。だが、それでも現行より遥かにいいことは間違いない。

少なくとも今の政権にこのことに対する問題意識があることがわかって、私は少しほっとした。国家の成長戦略とは、まさに「国力を復活させる」ためにあらゆる方策をおこなうべきものであり、その第一が「人材の養成」であることは言うまでもないからである。

その意味で、安倍政権には、若い階層に向けての「成長戦略」をこれからも打ち出していって欲しいと思う。そして、ルール破りをする企業があった場合は、その名称を公表するなど、強い姿勢で臨んで欲しいと思う。

いま靖国参拝問題や尖閣問題、あるいは北朝鮮のミサイル問題など、緊迫する東アジアにおいて日本には、難問が押し寄せている。いろいろな言論が飛び交う中、安倍政権には、「毅然とした日本」「成長していく日本」を念頭に、さまざまな戦略を期待したい。

カテゴリ: 政治, 教育

誰が日本と中国の「距離」を広げたのか

2013.04.26

昨日の産経新聞の9面の左肩に小さく載っていた同紙上海支局長の河崎真澄記者の「日本人を面罵せよ」というコラムは、興味深かった。四川省成都のホテル「ソフィテルワンダ成都」で河崎支局長と同僚が経験した出来事が短いコラムの中にそのまま描写されていた。

四川省での地震取材の中継地として使ったこのホテルの1階ラウンジで、飲み物を持ってきた若いウエートレスと河崎支局長との間にはこんなやりとりがあったという。

〈(ウエートレスが)「どこから来た?」と聞くので、「日本人だよ」と答えると、いきなり「釣魚島(尖閣諸島)は中国のものだ。知っているのか?」と言い放った。日本人客も多い国際的なホテルでこれは無礼。抗議したラウンジのマネジャーは平謝り。だが当のウエートレスは平気の平左だ。「何が悪い?」とすまし顔に書いてあった〉

気を取り直して、河崎支局長は、同ホテルの5階にあったスパの足裏マッサージに同僚と共に行ったそうだ。すると、

〈若いマッサージ師の女性がまたしても「あなた日本人?」と聞く。「そうだよ」と答えると、「日本人は全員大嫌い」ときた。「なぜ嫌いなの?」「理由はない」「理由もなく嫌うのは変じゃない?」「とにかく嫌い。釣魚島は中国のもの」「その島ってどこにあるか知ってる?」「知らない」「じゃ日本はどこにある?」「知らない」〉

押し問答が続いて、河崎支局長の気持ちはさらに沈んだそうだ。そしてコラムは、こう締めくくられている。

〈「国を愛する中国人ならば日本人を面罵せよ」。そんな屈折した空気を若い中国人に刷り込んだ張本人は、いったい誰なのか〉

私は、前回のブログ(23日付)で、京都の経済人の中国の宝山製鉄所にまつわる話を書かせてもらったばかりだ。「日本人は嫌い」。私は、嫌いなものを好きになれ、というのはおかしいので、それはそれでいいと思う。

しかし、前回のブログで書いたように、かつて中国の発展のために懸命に尽力した日本人が数多くいるのは事実である。それは、改革開放以後の中国の目覚ましい発展のもとになった。

だが、ほとんどの中国人はそのことを知らない。いや、知らされていないし、知ろうともしていない。前回のブログに登場いただいた京都の経済人は、そのおかしさを語っていた。果たして、日本と中国との関係は“友好”が前提なのだろうか、それとも“憎みあい”が前提なのか、と思う。

一方、いま日本人は台湾の人たちと心と心を通わせあっている。震災の時の温かい援助が、それを加速させた。WBC予選の2次ラウンドで日本と台湾が東京ドームで激突した時、インターネットで「今こそ台湾の人たちに感謝の気持ちを伝えよう」という呼びかけがおこなわれ、日本の観客が「謝謝、台湾!」「3・11感謝 加油台湾!」という手書きのメッセージを掲げて応援した。

試合後、惜しくも敗れた台湾チームが、一度ベンチに引き揚げたあと、わざわざマウンドに集まって円をつくり、観客に向かってお辞儀をしてお礼の気持ちを表わした光景は感動的だった。

国と国との間で、憎悪を導き出そうとするのは簡単だ。国内に充満する不満を外国に持っていき、ナショナリズムを喚起する方法は、独裁国家では普通に見られることだ。

今回の河崎支局長のコラムは、中国人による日本人への憎悪が、もはや拭い難いところまで来ていることを示している。中国へ観光に行く日本人は、こういう中国人の本音をよく知った上で赴く方がいいだろう。

徹底した反日教育がおこなわれた1990年代の江沢民時代、それ以後の胡錦濤時代の中国が私は残念でならない。そして、こういう事態を招く一番大きなきっかけをつくった「朝日新聞」のことも、同時に私は残念でならない。

1985年、 “戦後政治の総決算”を掲げていた当時の中曽根政権を打倒するために、朝日新聞が靖国参拝を国際問題化し、それまで一度も靖国参拝を言及したこともなかった中国の共産党機関紙「人民日報」と連動してキャンペーンを張り、これを大きな問題にしたことを思い出す。

韓国の政治家が伊藤博文を暗殺した安重根の記念館に献花しようが、中国の指導者が抗日戦線の過程で多数の日本人居留民を殺害した兵士たちが眠る八宝山革命公墓に参ろうが、日本人はその国独自の文化や死者への悼み方に干渉したりはしない。

しかし、子孫を残すこともできず、若くして無念の死を遂げた多くの日本の兵士の霊を鎮めている神社に日本の政治家が参ることは、「許されない」のだそうだ。

河崎支局長のコラムを読みながら、私は、日本と日本人が置かれている状況と、それの手助けをしてきた日本のジャーナリズムのあり方など、さまざまなことを考えざるを得なかった。

私は1982年に1か月半も中国に滞在したことがある。さまざまな“悪意”によって動かされる以前の「中国人の素朴さ」が私には忘れられない。

それまで友好な関係を築いていた日本と中国との間を分かち、距離を広げ、さらにそれを加速させたメディアの存在は、哀しいかぎりだ。

カテゴリ: 中国, 歴史

中国人と「恩義」

2013.04.23

昨日は、京都で講演があり、久しぶりに古都の雰囲気を味わった。夕方からの講演で、私は、新刊の『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(PHP)に関して、原発事故の現場で命をかけて闘った福島の男たちの話をさせてもらった。

やはり京都の人にとっては大震災、あるいは福島での原発事故というのは、遠い地の出来事である。だが、「チェルノブイリ事故の10倍」、あるいは「日本が“三分割”されるぎりぎりの危機だった」という福島原発事故の知られざる事実に熱心に耳を傾けてくれた。

家族を背負い、故郷を背負い、そして国家まで背負って「死の淵に立った」男たちが見た光景とはどういうものだったのか。すでに拙著に記述させてもらったものではあるが、講演を聴いてくれる人も同じように愛する家族を持っているわけで、自分の身に置き換えて受け止めてくれたように思う。

講演後、そのまま講演を聴いてくれた地元の経済人に連れられて、祇園(花見小路)のお茶屋をハシゴした。大変博識の経済人で、参考になる話をたくさん聞かせていただいた。

話題は、私が出している戦争関連のノンフィクションから、アベノミクスと米シカゴ学派のマクロ経済学者ミルトン・フリードマンとの関係、あるいは、中国の宝山製鉄所(宝山鋼鉄股份有限公司)にかかわることまで、多岐にわたった。

この方は宝山製鉄所に関係したこともあり、興味深い話になった。彼はこう語った。「私は、中国から重要なお客さんが来るたびに言うんですよ。“まずあなた方は、日本人に感謝の言葉を述べてください”と」。

中国人に対して必要以上に卑屈になる経済人が多い中で、この方はまったく逆だった。理由を聞くと、まさに「宝山製鉄所」のことだった。

八幡製鉄から新日鉄社長、会長、そして経団連会長まで歴任した「鉄鋼界の天皇」故稲山嘉寛氏が、なんとか中国に良質の鉄をつくる「力」をつけさせようと、宝山製鉄所の稼働に尽力したことは知る人ぞ知る。

粗悪な鉄をつくることしかできなかった中国が、稲山氏らの努力によって、良質な鉄を生み出すことに成功し、今や粗鋼生産量が、日本の「7倍」に達しているのは、ご承知の通りである。日本の技術者が日中国交正常化以前、そして正常化以後もいかに奮闘したか――この方は淡々と語った。

「鉄は国家なり」の言葉通り、ほとんどの製品のもとは「良質の鉄」にある。中国が世界に冠たる経済大国にのし上がることができたのは、「稲山氏をはじめ中国に良質な鉄を産み出させた日本の経済人や技術者がいたからこそです」と、この京都の経済人は語ってくれたのだ。「だからこそ、中国人が来ると、私は“あなた方は、まず日本人に感謝の言葉を述べるべきだ”と言うんです」と。

日本人は、「恩義に厚い」と言われる。私は台湾が危機に陥った時に、終戦時に受けた恩義を返すため台湾に渡り、金門島で敵を食い止めた根本博・陸軍中将の姿を描いた『この命、義に捧ぐ』をかつて書いた。

この方の話を聞きながら、私は、中国にも「恩義」を重んじる人々ができるだけいることを心から願った。しかし、今日、私の目に飛び込んできたニュースは、「尖閣の領海に過去最多の中国海洋監視船8隻が侵入」というものだった。

宝山製鉄所をはじめ、日中国交正常化以前から中国の発展に寄与してきたあまたの日本人が、こういうニュースをどう受け止めているのかと、ふと思った。

中国人に「恩義」や「過去を振り返る心」を期待すること自体が無駄なことなのだろうか。かつて中国の発展のために尽力しながら、完全に忘れ去られた日本人たち。アジアの盟主を自負する現在の中国に、私はそれでも良心を期待したい。

カテゴリ: 中国, 原発

たとえ「力」が劣っていても野球は「勝てる」のか

2013.04.13

今日、東京六大学が開幕した。開幕戦は法政大学対東京大学だ。私は、からりと晴れ上がった神宮球場の三塁側スタンドにいた。気温摂氏十六度。やっと東京も本格的な野球シーズン突入だ。

わざわざ法政―東大戦を神宮球場に観戦に行ったのには理由がある。高校(土佐高校)の後輩でもある浜田一志さんが東大野球部の監督に就任し、その初めての試合だったからだ。

桑田真澄元投手が東大野球部の指導に来たことで、一躍、東大野球部の動向に世間の注目が集まったのは今年1月のことだ。46連敗中の東大野球部がその連敗をどこで止めるか。それが、浜田監督の手腕にかかっている。

私は今日、東大野球部のOB会長、橋本正幸氏と一緒に観戦した。途中まで1対1の伯仲した熱戦だったが、5回裏にセカンドとライトが飛球を譲り合うミスをきっかけに、一挙4点を奪われ、万事休した。

終わってみれば、1対10の完敗だった。しかし、左腕エースで2年の白砂謙介投手は、浜田監督の期待に十分、応えたと言えるだろう。浜田監督は攻撃面でも、ある時は正攻法、ある時は強気の作戦、また一転、正攻法に戻すなど、変幻自在の采配を見せた。

トップバッター、灘高校出身の西木拓己中堅手は医学部の学生だ。相当な俊足である。今日、強打を発揮した阿加多優樹左翼手をはじめ、楽しみな選手が何人もいる。

試合後、浜田監督はこう語った。「あそこで(飛球を)譲り合ったのは、弱気の虫が出たということです。(自分自身への採点については)50点ですかね。まだフラフラしていますから」。

私が「今シーズンのキーワードは“弱気の虫”ですね。これを退治できるかどうか……」と問うと、浜田監督はにっこり笑って「その通りです」と応えた。

野球とは、選手の力がたとえ劣っていても、工夫と気迫を含めた“総合力”によって強豪を倒せるものだろうか。私が注目する点は、そこにある。すなわち、全国で“普通のチーム”を率いているアマチュア野球の指導者たちに、東大野球部そして浜田監督がどんな答えを出すか、である。

それは、野球というものの面白さを表わすと共に、野球に携わる人間に大いなる勇気をもたらすものでもある。その答えを見るために、私も東大野球部の動向をしばらくウォッチしていこうと思う。

カテゴリ: 野球

金美齢さんの「花見の会」にて

2013.04.12

昨夜、恒例の金美齢さんの花見の会に出かけてきた。今年は桜の開花が早すぎて、すでに桜が散ってからの花見の会になってしまったが、今日はどんな人に会えるだろうかと思いながら、新宿御苑を一望できる金美齢さんのマンションに向かった。

いつも通り、溌剌とした金美齢さんに迎えられて部屋に入っていくと、WILL編集長の花田紀凱さんがおられて、私が今月号のWILLに書かせてもらった「仰天判決で日本からノンフィクションが消える」という記事の反響を伺った。

リップサービスもあるだろうが、反響は上々だそうだ。花田さんの話を聞きながら、私が知財裁判所で受けた判決のひどさを読者が理解してくれていることを感じた。

すると、政治家や新聞記者、編集者などのお客さんの中に、「本屋大賞」を受賞したばかりの作家・百田尚樹さんがおられることに気づいた。金美齢さんがさっそく私を百田さんのところに連れていってくれたのだ。

私と百田さんは、一昨年、太平洋戦争の「開戦70周年」を記念して週刊ポスト誌上で対談をさせてもらった関係だ。以来、1年4か月ぶりの再会である。

あの時は、『永遠のゼロ』の作者である百田さんと、戦争関連のノンフィクションを書いている私との対談だったので、大いに盛り上がった。今回、本屋大賞をとった『海賊と呼ばれた男』も、出光興産の創業者・出光佐三をモデルにした百田さんらしい人生観と歴史観がしっかりした素晴らしい作品だった。

久しぶりにお会いしたので百田さんと話し込んでいると、突然、そこに安倍総理が登場した。金美齢さんと安倍総理は以前から非常に親しい。昨年の花見の会でもお会いしたが、今回も北朝鮮のミサイル発射の危機がつづく中、忙しい中を縫って、顔を見せに来られたようだ。

連日の激務へのねぎらいの拍手が巻き起こる中で、安倍総理は、前日に台湾と結んだばかりの漁業協定について語った。台湾出身の金美齢さんのパーティーということもあるだろうが、北朝鮮のミサイルよりも台湾との漁業協定のことをスピーチするところが、いかにも周りに気を遣う安倍総理らしい。

私も、今回の漁業協定の意味は大きいと思っている。北緯27度以南から先島諸島北側までを日台の共同水域とした今回の協定は、事実上、尖閣諸島をめぐる中台の連携を「分断する」ものだからだ。

中国と台湾の両方が尖閣を「自分の領土だ」と主張するのではなく、一方がその主張を棚上げして漁業協定によって日本と「手を結んだ」のである。

すでに台湾の馬英九総統は昨年夏、尖閣問題で中国とは連携しないことを前提に「東シナ海平和イニシアティブ」を提唱しており、今回の日台の漁業協定締結は、中国にとって痛い。

さっそく中国外交部は会見で不快感を示したが、私は、李登輝・元総統が「われわれは漁業権さえあればいい。尖閣は歴史的に見れば、明らかに日本の領土だ」と発言していたことを思い出した。

民主党政権下では、その台湾側の本音も見通せず、日台関係さえも危機に陥っていた。安倍総理はスピーチで、自身も李登輝・元総統から「尖閣は日本の領土だ」という話を聞いていたことを明かした。

そのスピーチを聞きながら、安倍外交の基本である「自由と繁栄の弧 (the arc of freedom and prosperity)」が着々と進んでいることを感じた。これは言いかえれば“中国包囲網の構築”でもある。金美齢さんら多くの評論家、言論人を前に、安倍総理は、今回の日台漁業協定に対して「歴史的意義がある」とスピーチした。

日本が平和と民主主義を掲げて、アジアでリーダーシップを取ることができるかどうか。アジア各国の期待は大きい。民主党政権という書生のような政権に代わって、少なくとも、その価値を知る政治家が国家のリーダーとなっている意味は大きいだろう。

カテゴリ: 中国, 台湾

やはり“魔物”は棲んでいた

2013.04.03

今日の甲子園の記者席は、浦和学院対済美の決勝戦を前に、静まり返っていた。ほとんどの記者が、メジャーリーグのレンジャース対アストロズのダルビッシュ登板の中継に釘付けになっていたのだ。

それは、浦和学院と済美の試合前のインタビューを終え、それぞれが記者席に戻ってきた頃だった。「おい、ダルビッシュが完全試合をやるかもしれないぞ」。ある記者のそんな声をきっかけに、ほとんどの記者たちがテレビやインターネット中継に目と耳を奪われたのだ。

だが、完全試合達成まで9回裏二死まで漕ぎつけながら、ダルビッシュの快挙は消えた。アストロズの9番ゴンザレスに股間を抜ける痛烈なセンター前ヒットを打たれてしまったのである。この試合、27人目の打者の初ヒット。その瞬間、苦笑いとも、なんともいえないダルビッシュの表情が画面に大写しになった。

球場はアストロズの本拠地で“敵地”だったが、ダルビッシュの快記録達成をこの目で見ようとファンは総立ちになっていた。現地でも漏れただろう溜息が、遠く離れたこの甲子園の記者席でも漏れたのである。

あとたった「一人」を抑えれば、ダルビッシュはメジャーの球史に名を刻んだ。高校時代の甲子園での勇姿を知る記者たちが衛星放送を見守る中で、ダルビッシュの大記録は無念にも「夢と消えた」のである。

私はその記者席で「歴史の因縁」を感じていた。9年前の選抜甲子園で、16歳の新2年生だったダルビッシュはベスト8に進んだ。1回戦で熊本工相手にノーヒットノーランを達成し、2回戦の大阪桐蔭も3対2で下した東北高校は、準々決勝で済美と対戦したのである。

東北対済美の一戦は、球史に残る激闘となった。ダルビッシュを先発させず、控えの真壁投手を起用した東北は、“奇策”が成功し、6対2で4点差をつけたまま9回裏を迎えた。しかし、ここで済美は、2点を挙げて2点差に詰め寄る。

だが、2死ランナーなし。万事休すと思われた済美は、そこから驚異的な粘りでヒットを連ね、最後は3番キャプテンの高橋が逆転サヨナラのスリーランホームランを放ったのである。

この時、レフトの守備位置から自分の頭上を越えていく打球を見送ったのがダルビッシュだった。その時、画面に大写しになった信じられない表情のダルビッシュの顔は今も忘れられない。まさに奇跡の逆転劇だった。勢いに乗った済美は、そのまま決勝まで進み、見事、初出場・初優勝を飾ったのである。

その時のダルビッシュを上まわる152キロの快速球投手・安楽智大を擁して、済美は9年前につづく2度目の全国制覇を目指して決勝戦に進んだ。16歳の新2年生、安楽投手は、9年前のダルビッシュを超える評価を受けている。

私は、メジャー中継の興奮が醒めやらない中で始まった今日の決勝戦で、済美の安楽投手が一気に高校野球の頂点に駆け上がるのではないか、と予想していた。だが、ここでも、怪物投手に試練が訪れたのである。

1対1の同点で迎えた5回裏、浦和学院がスクイズのサイン見落としで3塁ランナーがタッチアウト。せっかくの勝ち越しの好機を逃したかに見えた時、済美のファーストに痛恨のエラーが飛び出して1死1、3塁。ここで疲労を抱える16歳エース安楽が崩れた。

次打者にデッドボールを与えて満塁になると、そこから一挙に浦和学院の中軸に5長短打を浴びたのである。それは、つるべ打ちという表現しか浮かばないほどの猛打だった。

この回、安楽が失ったのは実に7点。勝負は決した。次の6回で降板した安楽投手が甲子園で投げた球数は、5試合で772球。その熱投は、ついに実らなかったのである。

試合前、初の3連投にもかかわらず、安楽投手は下半身に少し張りを感じるだけで、「肩は軽く、体調はいい」と報道陣に答えていた。だが、知らず知らずの内に疲労で身体全体からキレが失われていたのではないかと思う。

「一点」「一打」を凌ごうとする重圧は、メジャーでも甲子園でも同じだ。ダルビッシュの快記録が潰えた直後に見た怪物・安楽投手の惨敗。済美の後続のピッチャーは、浦和学院打線にその後も捕まり、終わってみれば浦和学院が17対1という大差で初優勝を遂げた。

試合後の済美・上甲監督のインタビューは、いつも通り、味があった。6回に安楽投手を続投させたのは、7点を奪われたままで降板させるのではなく、安楽投手のプライドと将来を見据えての続投だったことを明かした。

そして、昨日の高知高校との死闘で最終回にケガを負ったセンターの上田恭裕選手が今日の試合に出場できるかどうかが今朝までわからず、迷いが生じたままの先発メンバー決定だったことも、インタビューの最後に吐露した。

勝負師として知られる上甲監督にしても、それは、悔やまれてならない試合だったのである。「一点」そして「一打」を凌ごうとする重圧は、いくら修羅場を踏もうと変わらない。そこに勝負の面白さと醍醐味がある。

ダルビッシュと安楽という「年齢」も「実績」も「舞台」も違う二人の怪物投手の姿を見ながら、今日一日、私は勝負の世界の“残酷さ”を改めて思い知らされた気がする。

やはりグラウンドには“魔物”が棲んでいる。日米の大舞台で奮闘する選手たちの姿を見て、私はそんなことを考えていた。

カテゴリ: 野球

次々と現れる“ヒーロー”をどう守るか

2013.04.01

今日から新年度がスタートした。私はこの「2013年度」の始まりを大阪で迎えた。大阪の街のあちこちに“初出勤”らしいフレッシュ・マン、フレッシュ・ウーマンたちの姿が朝から数多く見られた。

春の選抜甲子園も準々決勝を終え、いよいよ残り「2日」となった。今日、私は準々決勝2試合を甲子園で観戦した。昨日、春、夏、春の3季連続優勝を目指した大阪桐蔭が県岐阜商に4対5で敗れ、「史上初」の快挙は準々決勝で潰(つい)えた。

昨年の春夏連覇で大活躍した今大会ナンバー・ワン・スラッガー、森(友)主将が前日の練習中のケガで出場できず、大会前に骨折した4番の近田(きんでん)選手と共にグラウンドに立つことができなかった。

さすがの王者・大阪桐蔭も“飛車角落ち”では、県岐商の左腕・藤田投手を打ち崩せず、ベスト8で涙を呑んだ。9回裏二死から同点ランナーが本塁に突っ込み、キャッチャーと激突して落球を誘ったが、残念ながら守備妨害と判定されて「1点差」で敗れたのである。

私はその光景を見ながら、夏、春、夏の3季連続優勝を目前にしながらベスト4で敗れ去った30年前(昭和58年)の夏の池田高校の姿を思い出した。

前年夏には、剛腕・畠山を擁して猛打池田は圧倒的な力で全国制覇を果たした。春は卒業した畠山に代わって水野(のち巨人)がマウンドを守って優勝。そのまま3季連続優勝を目指して夏の甲子園でベスト4まで進んだ。

だが、池田は、ここで桑田・清原という1年生コンビのPL学園に0対7という“まさかの大敗”を喫した。PLは準々決勝で高知商業に10対9と辛勝したものの、1年生の桑田がノックアウトされ、池田との対戦は、圧倒的に池田有利という下馬評だった。

だが、フタを開けてみれば、前日KOされた1年生投手桑田が快刀乱麻のピッチングを見せて猛打の池田を完封してしまったのだ。

高校野球は何が起こるかわからない。延々と高校野球を見つづけ、本も何冊か書かせてもらっている私にとっても、甲子園の筋書きのないドラマは、いつも新たな感動を呼び起こしてくれる。

今日の第一試合、仙台育英対高知も、目が離せない死闘となった。仙台育英は、昨秋の明治神宮大会を制覇した今大会最大の優勝候補だ。4番に座る上林は、プロ注目のバッターである。

一方の高知高校は春と夏にそれぞれ優勝経験がある名門ながら、昨今はかつての強豪ぶりが影を潜め、地元高知でも明徳義塾の後塵を拝することが多くなっていた。

だが今大会、関西高校、常葉菊川という強豪相手に粘りの野球を見せた高知は、今日も優勝候補仙台育英を相手に際どい勝負に持ち込んだ。

4回表、短長打で掴んだ1死2,3塁のチャンスに相手バッテリーのワイルドピッチと、サード内野安打で2点をもぎとると、酒井―坂本という2年生から3年生への投手リレーで、再三ピンチを迎えながら、仙台育英打線についに1点も許さなかったのである。

強打の仙台育英が完封される姿を見て、猛打の池田でさえ1年生投手桑田に封じ込まれたあの30年前の衝撃を思い出した。

第2試合の済美と県岐阜商との戦いも熾烈なものとなった。大会ナンバ-・ワンの150キロ投手・安楽を擁する済美が、1点差で追い詰められた8回裏、ヒット、四球で攻め立て、押し出しなどもあって一挙4点を挙げて大逆転。6対3で県岐商を破った。

試合後のインタビューで、記者から安楽投手がアメリカ球界からも注目されていることが質問された。2試合で、実に391球を投げた驚異のスタミナを誇る安楽投手が、16歳で152キロという速球を投げていることがアメリカでも紹介されているのである。

しかし、そのアメリカの報道には、わずか16歳の少年に「これほどの球数を投げさせていいのか」という批判が含まれていたことも記者は質問した。

安楽投手は、その質問にこう答えた。「普段から、そのくらいの投げ込みはしています。エースなので、それだけ信頼されているということだと思います。9年前(の優勝の時)も福井さん(現広島カープの福井優也投手)が一人で投げたと聞いています。明日の高知高校はしぶとい打線ですが、終盤勝負になると思うので、明日も頑張ります」

それは、とても16歳とは思えない落ち着き払った受け答えだった。9回に151キロを出した身長187センチ、体重85キロの安楽投手は、今日から新2年生だ。

この投手がどこまで伸びるのか、私には想像もつかない。それだけに、なんとかケガなく大会を終えて欲しいと思う。次から次へと現れるヒーローたち――昨年の甲子園を湧かせた藤浪晋太郎(阪神)、大谷翔平(日ハム)らヒーローたちは、早くもプロの世界で活躍を始めている。

素質ある若者には、大いなる未来に向かって是非、羽ばたいて欲しいと思う。監督、指導者には、選手に決して無理をさせることなく、野球人としての「長い人生」を見据えて指揮を執って欲しいと心から願う。

カテゴリ: 野球

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