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「人権」について考える

2013.06.05

ここのところ出張と締切で、ブログの更新がままならない。書きたい話はいくらでもあるのだが、どうしても時間がなくて、日が経ってしまう。先日、私の母校の中央大学が絡んだ系列中学の不正入試問題について、卒業生の一人としてブログで感想を書かせてもらったら、驚くほどの反響があった。

ひとつのブログがきっかけで、中大関係者から数多くの情報提供をいただいた。この場を借りて、御礼を申し上げたい。その後の動きもあったので、この不正入試問題を「人権」という観点でもう一度、考えてみたいと思う。

「人権」とは、どんなことがあっても守っていかなければならない不可欠な権利であり、言うまでもなく人間にとって最も崇高な概念である。中国や北朝鮮をはじめ、今も世界の各地で人権が蹂躙(じゅうりん)され、多くの犠牲者が生まれているのは、周知の通りだ。

私は、「人権」というものについて、考えることが多い。それは、この最も崇高であるはずの「人権」が今の日本では「利用」され、「安売り」され、却って本当の「人権」が侵される事態が、私たちのまわりに非常に多くなっているからだ。

例えば、今回の不正入試事件の処理について、その典型が見てとれる。これは、先日のブログで書いた通り、昨年2月、当時の久野修慈・中大理事長(解任)が大学の有力OBの孫である受験生の「名前」と「受験番号」を系列の中央大学横浜山手中学校(現・中央大学付属横浜中学校)の校長(辞任)に伝え、校長は理事長の要請に、合格ラインを下回っていた受験生を「不正に合格させた」というものだ。

合格後、受験生側は入学手続きを済ませ、他校の受験を取りやめるなどしたが、約1か月後に「合格取り消し」を通知されたというのである。

内部告発によって、不正入試の実態を知り、合格取り消しを中学校長に働きかけたのは、中大の福原紀彦総長だ。不正合格を知った以上、総長が合格取り消しを働きかけたのは当然だった。

なぜなら、合格を取り消さなければ、公正であるはずの入学試験で「不正」がおこなわれ、それを学校側が「容認」したことになるからだ。

言うまでもないが、中央大学は国から補助金という形で、国民の巨額の税金を頂戴している教育機関である。その額は、年間およそ30億円だそうだ。

教育機関とは、入学試験において「公正さ」が求められ、また、学問の府としての「責務」を果たしていかなければならない。そのための援助を国民が貴重な税金の中からしてくれているのである。

中大では、理事長がその不正入試に「関与」しながら、総長がこれに気づいて「合格を取り消す」という教育機関としての“自浄能力”が土壇場で辛うじて発揮されたと言える。

これは、巨額の補助金を国民から戴いている中央大学にとって、まさに土壇場で“命”が救われたものと同じであったと思う。なぜなら、「理事長が不正入試に関与」し、それを知った「総長がこれを黙認」した場合、中央大学はその瞬間に、「不正入学を容認した教育機関」となるからだ。

公正であるべき入試に対して「不正を容認する教育機関」に対して、納税者の誰が自分たちの税金が支払われることを認めるだろうか。私も納税者の一人だが、少なくとも私は容認しない。

もし、この事実が発覚した場合、マスコミは「中央大学理事長が不正入試に関与。総長も不正を黙認」として大々的に報道するだろう。それは、教育機関として“致命的な結果”をもたらすものであることは言うまでもない。

だが、土壇場で福原総長は合格点に満たなかった当該生徒への合格を取り消し、教育機関としての「公正さ」を守った。しかし、昨日の新聞各紙によれば、中央大学では、この福原総長が、当該生徒の「人権を侵害した」と糾弾され、総長職の辞任に追い込まれたそうだ。

大学に設置された第三者委員会(委員長・宗像紀夫弁護士)は、(不正合格した)「児童の人権を深く傷つけた『きわめて重大な人権侵害事件』」と、福原総長の責任を指摘し、これに沿って学内で「総長辞任」を求める声に、ついに総長が抗しきれなかったのだそうだ。

象牙の塔とは、つくづく恐ろしいものである。土壇場で教育機関としての公正さを保ったことが、逆に不正合格者の「人権侵害」として、その職を追われる“もと”になったというのだから、世俗から離れた大学の中の論理というのは、理解しがたいものである。

当該の受験生に「非はない」という考え方に、私は、戦後日本が抱え込んできた「偽善」と、人権という言葉を出せば、たちまち思考停止してしまう滑稽な日本社会の有り様を見る思いがする。

大学の有力OBが、自分の孫である受験生の「名前」と「受験番号」を理事長に伝えた段階で、受験生本人がたとえ知らなくとも、受験生“サイド”に「非」は存在する。そこには、常識として、「孫をよろしく」という有力OBとしての暗黙の要求が存在するからだ。

そして当該の生徒は「合格点に足らなかった」のである。これがすべてである。この生徒が合格点さえとっていれば、大学全体、いや卒業生たちも含めて、これほど多くの人たちに不名誉な思いをさせる事件には発展していなかった。当該生徒はつらいだろうが、点数が足りていなかった以上、合格が取り消されるのは当然で、あとは、その有力OBの「家族の中での問題」である。

なぜこんなことになってしまったのか、それは家族で話し合うことであり、少なくとも「孫が人権侵害された」などというものではない。ただ、不正が発覚した以上、「教育機関として厳正な対処をおこなわざるを得なかった」というだけである。

「本人は知らなかったから非はない」「だから合格を取り消すのはおかしい」「ほかの学校を受けられなかったのは、1か月後に合格が取り消されたからだ」「これは人権侵害だ」……合格を取り消された生徒本人は、たしかに哀しかっただろう。しかし、これらの意見には、「人権」というものを取り違えた根本的な誤りがある。

もし、この合格が取り消されなかったら、人権を侵害されたのは、この不正合格者ではなく、それよりも上位の成績で不合格になった「ほかの受験生」であるはずだからだ。

その真の「人権」を言わず、当該の不正合格者の「人権」を主張する人たちは、人権の意味を取り違えている。それは、「甘え」といってもいいかもしれない。不正が発覚して、それが取り消されないほど世の中は甘くない。

私は、前述のように、不正を容認し、「不正入学には目をつぶれ」という結論を出すようなら、中央大学はまず補助金という名の国民の税金を返上すべきだと思う。

公正さを放棄し、「教育機関」としての根本を失い、堕落していく大学。私は、「人権」という本来、崇高な概念であるはずの言葉まで持ち出して、権力抗争に終始する母校の姿が、実に情けない。「人権」とは、真の意味で用いられるべきなのである。

カテゴリ: 教育

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