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甲子園は日本に残った数少ない「秘境」

2013.07.31

また熱い夏が来た。7月末の今日、8月8日から開幕する第95回全国高校野球選手権大会の出場校49代表が出そろった。

今日は最後の2つの椅子をめぐって、愛知大会では愛工大名電が愛知黎明を2対1で破って2年連続11度目の出場を決め、宮城大会では昨年の明治神宮大会の覇者で、選抜ベスト8の仙台育英が、粘る柴田高校に6対5でサヨナラ勝ちし、2年連続24度目の出場を果たした。

初回に5点を先取され、優勝候補・仙台育英も「ここで終わりか」と思われたが、さすがに、終盤に伝統の底力を見せた。全国から強豪校が次々と名乗りを挙げ、いよいよ甲子園は今年も熱くなる。

私は、ここのところ締切で徹夜がつづき、昼と夜が完全に逆転し、西東京大会を1試合観戦に行っただけで、ほかの試合を球場で観ることはかなわなかった。

しかし、甲子園へは、今年もなんとか時間をつくって行きたいと思う。今年の夏の甲子園は、例年以上に面白いと思う。なかでも、今大会は強豪揃いの関東勢を中心に動くのではないかと思っている。

春夏連覇を目指して盤石の浦和学院(埼玉)、共に「3度目の全国制覇」を目指す横浜(神奈川)と日大三(西東京)、さらには強打の修徳(東東京)、昨年につづき高いレベルで投攻守がまとまった木更津総合(千葉)など、どこも実力チームだ。

西日本では、昨年につづき、2連覇を目指す大阪桐蔭(大阪)に注目が集まる。高校球界屈指のスラッガーでありながら、ケガに泣いた森友哉、近田拓矢の3、4番が久しぶりに姿を現わすわけで、どこと戦っても破壊力ある打線が火を噴くのではないかと期待される。

選抜の準優勝校で、157キロの怪物・安楽智大投手を擁する済美(愛媛)と、昨夏ベスト4で、昨年より数段成長した岸潤一郎投手を中心に堅い守りを誇る明徳義塾(高知)の四国勢も侮れない。

いま挙げた強豪校だけでなく、故尾藤公監督の息子さんが29年ぶりに復活させた箕島(和歌山)、あるいは、強豪ひしめく愛知県大会を勝ち抜いた愛工大名電(愛知)と名将・坂口慶三監督が率いる大垣日大(岐阜)といった中京勢も楽しみだ。

私は、妥協の許されない“真剣勝負の世界”という意味で、甲子園は日本に残った数少ない「秘境」だと思っている。甲子園では、逃げも、甘えも、許されない。あるのは、勝ちか負けか、だけである。

綺麗ごとを並べ、必死に美化しようとする主催新聞社や高野連など、大人たちの思惑とは別に、ひたすら精進を積んできた若者が、ただ「勝つことだけ」に向かって全力を尽くすのである。人生のうち、たった「2年半」しか許されないこの期間限定の勝負の世界は、その真剣さゆえに、長い間、日本人の心を揺さぶってきた。

私は、ノンフィクション作品でこれまで戦前の中等学校野球や戦後の高校野球の世界も描かせてもらった。今年もあの手に汗握る勝負の世界をこの目で見えるかと思うと、今からわくわくしてくる。徹夜つづきの締切を一刻も早く終わらせて、私も、この“秘境”に分け入りたい。

カテゴリ: 野球

「壮大な裏切り」と二大政党時代の終焉

2013.07.22

参院選が終わった。結果は、予想通り、「自民圧勝、民主惨敗」だった。昨夜のテレビ局の選挙特番を見ながら、まだ始まって間もなかった自民党と民主党という“二大政党時代”が終焉したことを実感した。

昨日のブログでも書いた通り、民主党の復活はもうあり得ないだろうと思う。2009年8月に、国民不在と官僚依存という宿痾(しゅくあ)から抜け出せない自民党政権への鉄槌の意味で国民が下した「民主党圧勝」という選択は、3年3か月に及ぶ民主党政権時代に嫌というほど「失敗であったこと」を見せつけられた。

今後、民主党がどんな言い訳をし、どんな綺麗ごとを並べても、もはや国民はこの党に政権を委ねることがないだろうことは、昨日のブログで触れさせてもらった通りである。

民主党政権下で国民が受けた“壮大な裏切り”への失望は、その期待が大きかっただけに、時が経っても消えることはないだろう。日本のマスコミを牛耳る進歩的ジャーナリズムの一部は、それでも民主党を持ち上げつづけたが、国民の目は欺けなかったのである。

私は、今回の選挙結果を見て、2つのことを感じている。1つは、前述の通り、二大政党政治の終焉である。もう1つは、これまで、盛んに「第三極」と言われた勢力が、今後、民主党に代わって台頭し、自民党とある時は連携し、またある時は、対決するという立場をとらなければならない時代が来るということである。

二大政党政治の終焉については、すでに私は6月23日に「日本はこのまま“大政翼賛” 時代に進むのか」と題して書かせてもらった。それは、巨大な政党がひとつだけ存在し、あとは影響力を持ちえない弱小勢力だけになることへの懸念を抱いたからである。

安倍晋三氏の祖父・安倍寛氏(昭和21年に51歳で死去)は、大政翼賛会に属さず、非推薦でこの巨大政党に立ち向かった山口県油谷町出身の元衆院議員である。

「なんぼ安倍が苦戦(九銭)でも、一銭足せば当選(十銭)となる」というキャッチフレーズを掲げて軍部全盛の戦前に、大東亜戦争に反対する姿勢を貫いて議席を得た孤高の人だ。私は、信念や政策を変えないという点では、安倍晋三氏は、この父方の祖父・安倍寛氏の血を引き継いでいるような気がする。

安倍氏は、当選者の名にバラをつけ、大政翼賛会もかくやと思われるほど「当選者だらけ」になった赤いボードの前で破顔一笑した。大政翼賛体制に反対して戦った祖父を思い浮かべて見ていた私には、それは大変興味深いものだった。

二大政党時代が終わり、一党独裁時代に突入した今、私は同時にこれで「第三極」という言葉が消えたことを考えた。二大政党があってこその「第三極」だったからである。

一党独裁体制では、もとの第三極は、その一党独裁体制下で「対抗勢力を目指す」しか存在意義はない。具体的には、「日本維新の会」と「みんなの党」だろう。

今回、両党が得た議席は、それぞれ8議席である。両党を合わせて16議席しかとれなかったのに、「対抗勢力を目指す」というのは、ちゃんちゃらおかしいと、臍(へそ)で茶を沸かす人もいるだろう。

しかし、私は両党がこの程度の議席しかとれなかったのは、選挙協力が解消され、お互いが候補者を立てあって、“潰し合った”からだと思う。

橋下徹氏の従軍慰安婦発言で即座に選挙協力を解消した渡辺喜美代表の判断と行動には、党内で今も疑問の声が飛んでいる。昨夜の選挙特番で、維新の松井一郎幹事長がみんなの党の江田憲司幹事長に対して「今も(両党の)現場ではうまく意思疎通ができているのに……」と呼びかけるシーンがあった。

それは、「松井―江田」という現在もつづく強固な関係の障害となるのが、みんなの党の渡辺代表であることがはからずも明らかになったシーンだった。みんなの党の創設者である渡辺氏が今後も今の姿勢をつづけるなら、「第三極」から「対抗勢力」への発展を阻害する存在となる。その意味で、みんなの党は、維新に近い勢力と渡辺氏に近い勢力とに「分裂する可能性」を孕んでいると見るのが自然だろう。

共産党が対抗勢力になり得ないのは当然だ。なぜなら、共産党は「非現実政党」だからである。非現実な政策を訴える政党が日本で政権をとることはあり得ない。それこそが、かつての革新票を衰退させている原因だが、対抗勢力には現実的な政策を掲げ、かつ、労組依存ではなく、無党派層を取り込む可能性のある党しかない。

維新とみんなが注目を浴びるのはそれが理由だが、肝心の党代表が両党の選挙協力ほか、「勝つための戦略」をとる上で障害となっているのは事実である。

私は今回の選挙で勝利を得たのは、アベノミクスのみならず、“自由と繁栄の弧”に基づく中国包囲網外交を展開する安倍氏の基本路線が国民の支持を得た結果だろうと思う。

各党の獲得議席は、自民党65(+31)、民主党17(-27)、公明党11(+1)、みんなの党8(+5)、共産党8(+5)、日本維新の会8(+6)、社民党1(-1)、生活の党0(-6)、みどりの風0(-4)、諸派・無所属3である。民主党への失望と安倍政権への期待は、国民の間にこれまでにない大きなエネルギーを生み出したことがわかる。

二大政党政治が終わり、文字通り、新時代に歩み出した日本。中国と韓国のマスコミがさっそく安倍政権への懸念を表明したことが、逆にこの選挙結果の意義を指し示しているのかもしれない。日本が歩むべき道とは何か。選挙結果が出たあとだからこそ、じっくり考えてみたい。

カテゴリ: 政治

民主党は今日以降“どんな道”を辿るのだろうか

2013.07.21

いよいよ参院選の投開票が始まった。マスコミの世論調査は、いずれも自民党の圧勝を予想している。3年3か月に及ぶ民主党政権が終焉を迎えて7か月余り。“アベノミクス”を掲げた安倍政権が「もっと景気を回復させるのではないか」という期待感が支持の拡大を呼んでいるようだ。

6月26日の国会最終日、民主党ら野党が参院本会議で電力会社の発電と送電部門を分社化する「発送電の分離」などを盛り込んだ電気事業法や生活保護法の改正案を含め、重要法案を軒並み廃案にして安倍首相の問責決議を可決した段階で、この選挙は「ねじれ国会の解消」が最大の争点になった。

「ねじれ国会の解消」が争点になったということは、「解消」にイエスかノーか、ということである。野党にとっては、実に愚かな選択だった。電気事業法は、民主党が今国会で成立させることで合意し、衆院から参院に送られてきた法案であり、ほかにも日本版NSC(国家安全保障会議)を創設するための法案なども、相次いで潰れてしまった。

私は、以前のブログにも書いたが、今の選挙は「レッテル選挙」だと思っている。より簡潔に、よりわかりやすく、よりアピール度の強い「争点」を打ち出せた側が選挙に勝つのである。

2005年の総選挙では、「郵政民営化」にイエスかノーか、また2009年の総選挙では、「政権交代」にイエスかノーかが問われ、それぞれ片方が一方的に勝利したことを考えればわかりやすい。

争点はほかにもあったのだが、「郵政民営化」、あるいは「政権交代」というレッテルを貼ることに成功した側が圧倒的勝利を得たのである。

私は今回の参院選を見て、憲法改正問題がどのくらい争点になるかを注目していた。なぜなら、世論調査を見ても、憲法改正には、たとえば朝日新聞が「賛成38%反対54%」(5月時点)、読売新聞は「賛成51%反対31%」(3月時点)など、国民が迷いを持っていることを示す拮抗(きっこう)した数字が現われていたからだ。

しかし、国会最終日の安倍首相への問責決議可決、そして重要法案の廃案という野党の戦略がこれを吹き飛ばし、「ねじれ国会の解消」こそが最大の争点であることに、自らしてしまったのである。「原発」「TPP」も争点にはなっているものの、「ねじれ国会の解消」という大争点には、まったくかなわない。

昨夜、私は話題の秋葉原の安倍首相の“最後の訴え”を聴きに行ってきた。聴衆の熱気がどのくらいのものか、この目で見てみたかったからである。しかし、盛り上がってはいたものの、昨年の総選挙の時に比べれば熱気は低かった。

それは、勝敗が「あまりに明らか」だからだろう。選挙に行こうが行くまいが、もはや自民党の圧勝はわかっている。民主党に政権担当能力がなかったことは、国民の多くが知っており、国会最終日に民主党が見せた愚かな「選択」でもわかるように、国民は2度とこの党を政権につかせはしないだろう。

国民の生命と財産、そして領土を守るという国家の最大使命すらわかっていない政党であったことを、国民は3年3か月の民主党政権時代に嫌というほど「学んだ」からである。国会最終日に民主党がとった愚かな戦略は、日本が災害も含めて“有事”になった時、ここにだけは自分たちの身を委ねてはいけないことを改めて教えてくれたのである。

私は、今日の選挙でさらに大きな打撃を受けるだろうこの政党が、今後、どんな道を歩むのか、その方が興味深い。2009年の総選挙の比例で民主党が獲得した票は、「2984万票」である。昨年12月の総選挙では「962万票」となり、たった3年で実に「3分の2」が泡のごとく消えた。

選挙とは残酷なものだと思う。昨夜、党首の奮戦ぶりを捉えた番組をNHKでやっていたが、海江田万里・民主党代表がいくらアベノミクスの批判をおこなおうが、ほとんど共感を呼んでいないように映った。

自らこの参院選の最大争点を「ねじれ国会の解消」という非常にわかりやすいものにしてしまい、憲法改正問題という国民が「迷っている」問題へのアピールを消してしまった戦略には、なんとも言うべき言葉を持たない。

民主党には、中国に利する尖閣発言をおこなう元代表もいれば、選挙戦の最中に安倍首相を名誉毀損で提訴する元代表もいる。政治家が国会の論戦での決着を目指すのではなく、司法の世界に「問題を持ち込む」という考えられないパフォーマンスに国民は二の句が告げないのではないか。

果たして民主党は、今後、どんな末路を辿るのだろうか。私は6月26日のブログに「民主党は参院選後“存在”できるのか」と書かせてもらった。国民を失望させ、求心力も消えた政党がどんな四分五裂を見せるのか、それが気にかかったからだ。

衆議院と参議院の差はあるとはいえ、4年前に史上最多の「2984万票」を集めた政党は、どこまで坂道を転がり落ちるのだろうか。これから民主党が辿る道は、有権者の怖さと怒りを見せつけるという意味で、日本の政界でこれまで見たことがないような「残酷なもの」になるような気がする。

カテゴリ: 政治

故・吉田昌郎さんは何と闘ったのか

2013.07.14

今朝、テレビ朝日の『報道ステーション SUNDAY』を観ていたら、独立総合研究所の青山繁晴代表が2011年に吉田昌郎所長に呼ばれて福島第一原発に行った時のことを証言していた。

私も同じ番組でインタビュー撮りされて登場していたが、お互いインタビューだったので、当然、私は青山さんとお会いしていない。しかし、番組で流された青山さんの証言を聞いて、「ああ、やっぱりそうだったのか」と思うことがあった。

青山さんの証言によれば、福島第一原発に青山さんを呼んだのは、吉田さんの独断だったそうだ。つまり、「東電本店には無断でやった」のである。当時、激しい東電バッシングの中で、福島第一の内情はまったくヴェールに包まれていた。

吉田さんは、わざわざ来てくれた青山さんに瓦礫と化した建屋などの惨状を「全部撮ってください」と言い、本店との間にトラブルが起きないか心配する青山さんに対して、「いや、大丈夫じゃないです。問題はいろいろ起きますよ。でも、青山さんだったら公開するでしょ。だから来てもらったんだ」と言ったそうだ。

私が、「ああ、やっぱり」と思ったのは、この「東電本店に無断」で青山さんを福島第一の現場に呼び、さらに、「大丈夫じゃない。問題はいろいろ起きますよ」と言い、すべてを覚悟の上で吉田さんがやっていたという点である。

私は、青山さんの証言を聞きながら、吉田さんのある言葉を思い出した。拙著『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(PHP)は、吉田さんにインタビューに応じてもらい、ぎりぎりの綱渡りでできた本だった。これまで何度も書いてきているように、私は吉田さんと会うまでに1年3か月もの時間がかかった。

私のようなフリーの人間は、軍団で攻めていく大メディアのようなことはできない。そこで独自のルートを模索せざるを得なかった。自分自身のことを思い浮かべれば誰でもわかることだが、人間には、自分自身に影響力を持つ人間が一人や二人は必ずいる。

幼な馴染や親友、恩師、先輩、上司……等々、その人に影響力を持つ人間が多かれ少なかれ必ずいるものである。私は、吉田さんがどこで生まれ、どこの学校に通い、どういう人生を歩んで来たのか、徹底的に調べた。拙著の中には、そういう方の証言も出ている。それらは、「取材先」であると同時に吉田さんを説得する重要な「役割」を負ってくれる人たちでもあった。

そして、さまざまなルートを辿ってアプローチし、私は1年4か月目にやっと吉田さんに会うことができた。食道癌の手術のあとの病床で吉田さんは私の手紙と本を読んでくれて、その上で、会うことを決断してくれたのである。

しかし、吉田さんは都合2回、4時間半にわたって私の取材に詳しく答えてくれたが、昨年7月26日、3回目の取材の前に脳内出血で倒れ、それ以降の取材はかなわなくなった。

だが、脳内出血で倒れて4か月後に出た拙著を吉田さんは大層喜んでくれた。そして、不自由になった口で「この本は、本店の連中に読んで欲しいんだ」と語られた。

番組での青山さんの証言を聞いて、私はさまざまな人たちと闘った吉田さんは、実は最大の敵というのは、「東電本店ではなかったか」と思った。私も、拙著の取材の過程で介入してきた東電本店(正確に言えば広報部)の存在に、最後の最後まで悩まされた。その対応に神経を擦り減らしながら、拙著はやっと完成した。

いま、吉田さんが「津波対策に消極的だった人物」という説が流布されている。一部の新聞による報道をもとに、事情を知らない人物が、それがあたかも本当のようにあれこれ流しているのである。

私は、吉田さんは津波対策をきちんととるための「根拠」を求めていた人物であると思っている。新聞や政府事故調が記述しているように、「最大15.7メートル」の波高の津波について、東電は独自に試算していた。これは、2002年7月に地震調査研究推進本部が出した「三陸沖から房総沖の海溝沿いのどこでもM8クラスの地震が発生する可能性がある」という見解に対応したものだ。

そもそも、これはなぜ「試算」されたのだろうか。これは2008年の1月から4月にかけて、吉田さんが本店の原子力設備管理部長だった時におこなわれたものだ。

それは実に大胆な計算法だった。どこにでも起こるというのなら、明治三陸沖地震で大津波を起こした三陸沖の「波源」が、仮に「福島沖にあったとしたら?」として試算したものである。

もちろんそんな「波源」は福島沖には存在しないので、「架空」の試算ということになる。だが、それで最大波高が「15.7メートル」という数字が出たことによって、今度は、吉田さんは、これをもとに2009年6月、土木学会の津波評価部会に対して波源の策定についての審議を正式に依頼している。

つまり「架空の試算」をもとに自治体と相談したり、あるいは巨額のお金を動かすことはできないので、オーソライズされた「根拠」を吉田さんは求めていたのである。この話は、私は3回目の取材で吉田さんに伺うことにしていたが、その直前に、吉田さんは倒れ、永遠にできなくなった。

いま「死人に口なし」とばかり、吉田さんがあたかも「津波対策に消極的であった」という説が流布されているのは残念だ。しかし、正式に聞くのは3回目の取材の予定だったが、私はそれまでに大まかなことは吉田さんに直接、聞いている。彼が消極的どころか、むしろ積極的であったことを、私は近くある月刊誌の誌上で詳しくレポートさせてもらう予定だ。

しかし、吉田さんが亡くなったことで、事実をそっちのけにして吉田さんを貶めようとしている人たちが現実にいる。吉田さんが本店に無断で青山さんを現場に呼んで真実の“実情レポート”を託し、また、一介のフリーランスのジャーナリストである私の取材に応じたのはなぜだったのか。

拙著を「この本は本店の連中に読んで欲しいんだ」と言った吉田さん。“現場派”の代表としての姿勢を最後まで失わなかった吉田さんの真実に今日の『報道ステーション SUNDAY』の青山さんの証言で触れることができ、私はあらためて惜しい方が亡くなった、という思いを強くしている。

カテゴリ: 原発

グラウンドから「我慢」と「寛容」が消えつつある

2013.07.11

今年39回目を迎えた日米大学野球の最終戦が今晩、神宮球場でおこなわれた。長年、この大会をウォッチしている私は今日、グラウンドに異様な「険悪ムード」が流れるのを初めて目撃した。

日本とアメリカが2勝2敗の五分で迎えた最終戦は、日本が7対4でアメリカを破り、17度目の優勝を飾った。しかし、4回裏に驚くべきシーンがあった。日本の7番バッター岡大海(明治)が足にデッドボールを当てられた瞬間、ヘルメットをグラウンドに叩きつけて“激昂”したのだ。

叩きつけられたヘルメットが大きく跳ね上がり、私は一瞬、何事が起こったのかと思った。野球にデッドボールはつきものだが、それに対してこれほど「激昂するシーン」は珍しい。

今大会、神宮球場で開かれたのはこの最終戦だけだから、地方の球場で開かれた第4戦までに、その“引き金”とも言うべきシーンがあったのかどうか、私は知らない。しかし、学生野球で選手があれほど激昂するシーンは記憶にない。

異常な岡の激怒ぶりにアメリカ側もエキサイトし、アメリカのベンチから監督が飛び出して審判に猛抗議し、あわや乱闘寸前になった。「おいおい、親善はどこへ行ったんだよ」と、そんな声が周辺から聞こえてきた。

「リーグ戦でもあんな怒り方するのか!」「謝れ!」という声も岡に対して飛んでいた。その後、5回裏に4番・梅野隆太郎(福岡大)と5番・中村奨吾(早稲田)の連続ホームランが飛び出して、グラウンドの雰囲気はますます険悪になった。

中村がホームランを打って、三塁をまわる時、アメリカのサード、チャップマンが何事か大声を上げて、走っている中村に近づいたのである。私は、てっきり、「お前、大した奴だなあ! ここでホームランかよ」と、敵を褒めているのかと思ったら、まったく違う。

単に、チャップマン三塁手は、中村を“威嚇”し、大声を上げたのである。さすがに、場内の雰囲気も悪くなり、「なんだよ!」「態度悪いぞ!」という声があちこちから飛んだ。

この大会は、多くの人の努力によって始まり、続いてきた大会だ。第1回大会では、ヒットで出た早稲田の東門明選手が次打者の内野ゴロで2塁に向かう際、アメリカのバニスター遊撃手の一塁への送球が頭部に当たって他界するという悲劇もあった。

しかし、そんな中でも親善が目的のこの大会は、グラウンドに険悪なムードが漂ったケースは記憶にない。法政の江川卓の速球をピンポン玉のようにスタンドまで持っていったアメリカの打者に、日米のパワーの違いをまざまざと見せつけられ、私が野球の勉強を大いにさせてもらったのも、この大会だった。

今日は幸いに日本が勝って優勝を飾ったが、アト味の悪さが残った。MVPには、明治の関谷亮太投手、最優秀投手賞には、亜細亜大学の山崎康晃という右の本格派の両投手が選ばれ、4年の関谷にとっては、秋のドラフトに弾みをつけた大会になった。

スポーツの世界にも、「我慢」という言葉が消え、なにか簡単に感情を曝け出してしまうシーンが最近たまに見られる。「我慢」と「寛容」という日本人の良さが確実に「消えつつある」のは、どこか寂しい。

カテゴリ: 野球

「本義に生きた」吉田昌郎さんの死

2013.07.09

福島第一原発所長だった吉田昌郎氏が、本日午前11時32分、食道癌で亡くなった。2011年3月11日、大地震による大津波で水没した福島第一原発で、絶望的な闘いを展開し、日本を救った人物が、その役割を終えて「去った」ことに私は言葉を失った。「あまりに神は残酷ではないか」と。

本日お昼過ぎに連絡をもらった私は、しばらく瞑目した。拙著『死の淵を見た男』で、吉田さんとその部下たちによって福島第一原発の現場でどんなことがおこなわれたのか、詳細に描かせてもらった。吉田さんのインタビューを実現するまでに、1年3か月を要した。

2012年7月、吉田さんは私の前にすっかり面(おも)変わりした姿で現われた。食道癌の手術で頬はこけ、抗癌剤の影響で一度、頭髪は抜け、それがまた生え始めた時期で、頭は坊主に近い状態だった。

絶望的な状況で「国家」として、そして「個人」として“死と淵”で闘った吉田さんは、私の質問に淡々と答えてくれた。繰り返される「絶望的な状況」を知る度に、私は慄然とした。

あそこで事故の拡大を押しとどめることができなかったら、「チェルノブイリ事故の10倍」の規模になっていただろう、と吉田さんは語った。それは、「東日本の潰滅」を意味し、無事な北海道と西日本、そして汚染された東日本という「日本が3分割される」危機だった。

全電源喪失、冷却不能、線量増加……という最悪の事態の中で、吉田さんと福島第一原発の現場の人々はどう闘ったのか。放射能事故が引き起こす“悪魔の連鎖”の怖さを思い、私は過酷な事故に立ち向かった現場の男たちに思いを馳せた。

繰り返された彼らの命をかけた原子炉建屋への“突入”によって、福島に多大な放射能被害をもたらしながら、かろうじて「格納容器爆発」という最悪の事態は回避された。「反原発」、あるいは「原発推進」といった立場やイデオロギーとは別に、彼らの凄まじい闘いに、私は息を呑んだ。

取材する中で、私は、現場の人々に「もし、吉田さんが所長でなかったら、どうなっていただろうか」と聞いている。ほとんどの部下たちは、「吉田さん以外が所長だったら、おそらくダメだったでしょう」と答えた。「ダメだった」とは、「日本が終わり」ということである。

海水注入を中止しろ、という官邸と東電本店の両方からの命令を無視し、敢然と海水注入をつづけ、原子炉の冷却を維持するという「本義」を忘れなかった吉田さんの存在に、私は今も東京に住み続けている一人として、心から感謝している。

死の淵に立った日本を救うという大きな役割を終えて去っていった吉田さん。お疲れさまでした。そして、ありがとうございました。心からご冥福を祈ります。合掌。

カテゴリ: 原発

アメリカ外国大使館「盗聴」問題が示すもの

2013.07.02

生き馬の目を抜く国際社会の現実を教えてくれるニュースである。米中央情報局(CIA)元職員エドワード・スノーデン氏の情報収集問題は、ついに米国家安全保障局(NSA)による在米の外国大使館や代表部への「盗聴」の暴露へと発展した。

NSAは、日本をはじめ、アメリカにある38の大使館や代表部を監視対象として、盗聴などの手段で、情報収集をおこなっていたのだそうである。「やっぱりそうか」と思う人もいれば、「へえ」と驚く人もいるだろう。

FBIの初代長官、ジョン・エドガー・フーバーの生涯を描いて話題を呼んだディカプリオ主演の映画『J・エドガー』を観れば、在外公館への盗聴などは「当然すぎること」だろう。私は、たとえ同盟国であろうと、違法な手段をもってしても諜報活動をおこなうアメリカという国の姿を示しただけでも、今回のものは貴重な証言だと思う。では、同盟国であるアメリカでもそうなら、対立している国なら、どうだろうか。

尖閣問題で、日本と「いつ」「何が」起きてもおかしくない中国。領海侵犯を繰り返すこの国とは、すでに“一触即発”の状態にあると言っていい。外交官の間では、その中国にある外国の大使館や領事館がすべて「盗聴対象」になっているのは常識だ。

日本にとっては、それは国交が回復した「その時」から始まっている。もちろん日本のメディアの中国支局への盗聴も同じだ。いや、それどころか、中国では外国メディアの支局に派遣されている通訳は、すべて北京市公安局からの「派遣」である。つまり、日本のメディアは、中国当局の「監視下にある」のである。

スノーデン氏によるアメリカの一連の情報収集問題で、「日本への工作が明らかになったのは初めてで、日米関係に影響を与える可能性がある」と日本のメディアはいささか興奮気味だが、それが国際社会の現実なのだから、仰天する必要はない。「同盟国のアメリカですら、そうなのか」と、改めてその厳しい国際社会の現実に思いを馳せればいいのである。

『あなたのすぐ隣にいる中国のスパイ』(鳴霞著・千代田情報研究会)は、日本国内での中国のスパイの実態を現わした好著だが、私も、これまでのブログで中国の謀略工作については、何度も取り上げてきた。

社会党や共産党といった野党にしかパイプを持たなかった中国が、自民党中枢への接触・工作をおこなうために、今から半世紀以上前、自民党の当時の有力者・松村謙三氏を“落とす”ことに狙いを定め、松村氏を徹底的に調べ上げて、松村氏が「蘭の花」に目がないことに注目し、中国の珍しい蘭を松村氏にプレゼントすることから「接触」をスタートさせたことを私は書かせてもらった。

わざわざ中国に蘭の協会を立ち上げて訪日団を組織し、松村氏への交友を深め、自民党への突破口を開いていった歴史は、これまでも指摘してきた通りだ。

それを思えば、今回、明らかになったアメリカによる外国公館への「盗聴」などは、まだ可愛い方かもしれない。中国へのODA援助で絶大なる力を持っていた故・竹下登元首相のTBRビルの事務所には、中国の人民解放軍総参謀部第二部に原籍を持つ中国人が“私設秘書”として入り込み、竹下氏のみならず、竹下派の面々に工作の手を伸ばしていた実態も、知る人ぞ知る。

私は、日本の公安当局者からその話を聞いた時、「そこまで自民党への工作は進んでいるのか」と改めて驚かされたものである。人民解放軍の総参謀部第二部とは、諜報活動や要人獲得をおこなう組織であり、世界中で活動を展開している。スパイ天国の日本では、「最も盛んに活動をおこなっている」と言っていいだろう。

今回の鳩山由紀夫・元首相の中国での信じがたい「尖閣発言」も、そういう工作の末の「成果」であると考えれば、わかりやすい。先の松村氏の例を見るまでもなく、“工作対象”を徹底的に調べ上げるところから、彼らの諜報作戦はスタートする。それは、本人のみならず、家族にも及ぶ。

言うまでもなく鳩山夫人や今の安倍首相の夫人も、かなり前から“工作対象”になっていた。京劇の役者をはじめ、贔屓(ひいき)にしたい対象がある場合は、必ずそこを「突かれる」ことを要人の家族には、自覚して欲しいと思う。

亡命先をはじめ、今や世界中の話題を独占している感があるエドワード・スノーデン事件。アメリカでの外国公館への盗聴問題で、私は今、そんなことに思いを馳せている。

カテゴリ: 中国, 国際

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