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人間が達する「境地」とは何か

2013.10.31

昨夜最終の新幹線で東京に帰ってきた。姫路、倉敷での講演だったが、今回の講演旅行の収穫は、倉敷で大原美術館を訪ねることができたことだ。地方に行く楽しみは、そこにある名所を訪れたり、そこでしか食べられないものを口にできることだが、今回は大原美術館で、“命の洗濯”をさせてもらった。

これまで取材では何度も倉敷に行ったことがあるが、いつも時間に追われて、大原美術館に入ることができなかった。恥ずかしながら、今回、初めて私は大原美術館を参観した。

入った途端、私は圧倒されてしまった。玄関を入ったところに、この大原美術館をつくるために奔走した地元出身の画家・児島虎次郎(1881年~1929年)の絵が掲げられていた。

『酒津風景』と名づけられた縦2・4メートル、横1・9メートルという大きな絵である。倉敷紡績の創業一族である大原孫三郎に生涯にわたって援助を受けた児島虎次郎は、20世紀初頭、ヨーロッパに留学をさせてもらい、大原美術館に収蔵することになるモネ、ピサロ、ルノワール、ドガ、ゴーギャン……等々の世界の名画を集めた。

最も有名なのは、エル・グレコの『受胎告知』である。児島は、1590年代に描かれたと言われる『受胎告知』を苦労の末、手に入れ、今の大原美術館の最大の目玉となっている。

1590年代と言えば、日本では豊臣秀吉の天下統一が成った頃である。その時代の名画を見出して、日本に持ち帰った児島虎次郎の慧眼(けいがん)には恐れ入る。だが、私はそれらの名画よりも、児島自身が描いた『酒津風景』の迫力に圧倒されてしまったのだ。

大正5年に描かれたこの絵は、倉敷の酒津(さかづ)という地の風景と、農民の父親と母親の間にいる天真爛漫な幼な子の表情が生き生きと描かれている。

自然と人間の調和を柔らかく包み込んで表現した、丹念で緻密な児島の筆づかいに、私はしばらくそこから動けなくなってしまった。大原美術館に収蔵されているヨーロッパのどの名画よりも、児島の絵は素晴らしかった。

もうひとつ、圧倒された作品がある。陶芸家の河井寛次郎(1890年~1966年)の作による「三色釉扁壺」である。大原美術館には、絵画だけでなく、陶芸品や彫刻なども展示されているが、その中にあった河井寛次郎の作品に目を奪われた。

三色釉扁壺は、昭和35(1960)年と昭和38(1963)年につくられたもの2つが展示されていたが、私には、その中で昭和35年につくられた方が強烈だった。

河井は昭和41年に亡くなっているので、この異彩を放つ壺は、亡くなる6年前の70歳という晩年の作品だ。茶、赤、緑の三色を配し、独特の形をした壺を観た時、私は「境地」という言葉を思い浮かべた。

ひとつの道を歩む人間は、人生のいつか「境地」というものに達したいと願っている。宗教者もそうだし、芸術家もそうだし、スポーツ選手もそうだろう。しかし、「境地」とは、そこに達したという「答え」もなければ、そのための「基準」があるわけでもない。

私は、この三色釉扁壺は、河井のほかの作品と明らかに異なっており、これこそが河井が達した陶芸家としての「境地」ではなかったかと思う。

新幹線で帰京する途中、“打撃の神様”川上哲治が93歳で亡くなったニュースが流れていた。私たちの世代にとっては、巨人V9を成し遂げた絶対的な大監督である。ご存じ、現役時代に「ボールが停まって見えた」という打撃の「境地」に達したとされる数少ない打者でもある。

私は、戦前の日本の野球についても著作があるので、川上が熊本工業から女房役の吉原正喜捕手と共に、東京巨人軍に入った当時の野球界のことも多少、知識がある。当時の巨人のエース沢村栄治、そしてこの吉原正喜捕手も、戦争で命を落とした。

剛速球投手のスタルヒンや、のちの打撃の神様・川上は、過酷な戦中を生き抜いて戦後の野球界の発展に力を尽くしたのである。

今日、ワールドシリーズでレッドソックスの抑えの切り札・上原浩治が、見事に9回表を三者凡退に抑えて、ワールドシリーズ優勝を成し遂げた。

今日は、緊張からか、スピードとキレが今ひとつだったが、それでもウイニングショットになった最後のフォークボールは、とても打てるような球ではなかった。思わず「さすが!」と声を挙げてしまった。

ここにも「境地」を目指す人間の姿があった。それぞれの世界、それぞれの分野に、努力と精進で「上」を目指す人たちがいる。それを成就させるのは、どんな人間たちなのだろうか、と思う。

それは、私が追うノンフィクションのテーマのひとつでもある。執念、気迫、努力……どれが欠けても成し遂げることはできない。人間が達する「境地」とは何か。さまざまな道を極めた人たちの話をお聞きして、私もその答えを作品上で出してみたいと思う。

カテゴリ: 随感

「人権弾圧」こそ中国が生き残る唯一の“道”

2013.10.29

講演で倉敷にいる。倉敷格子や倉敷窓など、特徴的な「町屋建築」が軒を連ねる倉敷の美観地区には、不思議な魅力がある。かつて天領(幕府の直轄地)だった文化と商業の地・倉敷の風情は、やはり独特のものだ。

宿が、ちょうどこの美観地区と背中合わせの倉敷国際ホテルだったので、この倉敷川沿いの歴史と伝統の風情を満喫させてもらっている。

ちょうど倉敷出身の星野仙一監督率いる東北楽天が王者・読売巨人軍を相手に堂々と日本シリーズを闘っているだけに、今日、乗ったタクシーの運転手も「楽天が勝てるかどうか、気が気じゃありません」と、力が入っていた。

楽天の健闘で東北全体が盛り上がっているそうだが、遠くここ倉敷でも、日本シリーズの一投一打に熱狂している人は多い。出身地というのは、本当にありがたいものである。

さて、今日は、昨日起こった天安門での自爆テロ事件について、少し書いてみたい。中国共産党にとって、天安門に掲げられている毛沢東の肖像に向かって何者かが自動車で突っ込んで炎上させ、テロを敢行したという衝撃は、とてつもなく大きい。世界注視の場所で、自爆テロが起こったのだから、当然である。

報道によれば、新疆ウイグル自治区での弾圧への抗議という見方が一般的だ。中国共産党による少数民族弾圧は、もう54年間も亡命生活を送るチベットのダライ・ラマ14世を見てもわかるように、「徹底」かつ「酷薄」なものである。

これら少数民族弾圧がいかに苛烈かは、これまでにもアムネスティ・インターナショナルの報告で繰り返し明らかにされている。

新疆ウイグル自治区では、イスラム教を信仰する人間が投獄されたり、抗議の焼身自殺をする者がいたり、さらには、拘束中のウイグル人の死亡事件など、枚挙に暇がない。思想強化をはかるため、習近平体制がスタート後、ウイグル族への警察部隊の射殺事件も相次いでいるという。

私は、隠しても隠しても現われる中国共産党の人権弾圧について、どうしてもその行く末を考えてしまう。それは、日本人を徹底的に貶め、批判し、日本の領事館に投石し、日本料理店や日本車を焼き打ちする中国人が、実は中国共産党によって徹底的に弾圧されているという「現実」であり、同時にその彼らの将来を「考える」という意味である。

ちょうどタイミングよく今発売の月刊誌『WiLL』(12月号)に、遠藤誉氏(筑波大学名誉教授)が「“朱建栄教授拘束事件”の真相」と題して、興味深いレポートを発表していた。

これは、7月17日に故郷・上海に戻った東洋学園大学教授の朱建栄氏がもう3か月以上も国家安全部に拘束され、いまだに解放されないことの裏事情を記述したものだ。

朱氏と言えば、日本では中国と中国共産党の立場で論陣を張る中国人として知られる。だが、その朱氏にしても、当局の厳しい人権弾圧の対象となったのである。

遠藤氏は、朱氏が拘束される直前まで、朱氏から直接メールをもらっていたことを明かしている。朱氏は、「参考消息」と題して不定期に中国に関するニュースをメール送信していたそうだ。

その中に、機密情報に属するものが含まれており、それが思想強化を押し進める習近平体制の虎の尾を「踏んでしまった」のである。

遠藤氏によれば、今年5月、中国ではイデオロギー統一強化と言論規制に関する非常に大きな動きがあったそうだ。それが、5月13日に発布された「中弁9号文件」である。

ここで西側の価値観によって「中国の特色ある社会主義的価値観を国内外から汚染させるな」という指示を軸に「七不講(七つの語ってはならないこと)」が決定されたという。

その中には、「西側諸国の憲政民主を宣伝し、中国の特色ある社会主義制度を否定すること」や「改革開放に疑義を抱き、中国の特色ある社会主義の性質に疑義を持つこと」などが入っていた。要するに、共産党体制に反対するような「言論」や「思想」は認めない、ということである。

これに反した朱氏は、故郷・上海に戻った後、身柄を拘束され、徹底的な思想改造を受けているというのである。遠藤氏は、ネットユーザーが「5・9億人」もいるネット空間を「静かに」させるために、「お前たちも“七つの語ってはならないこと(七不講)”に抵触するようなことをすれば拘束されるぞ」と脅すためのものだった、と指摘している。

このレポートをちょうど読んだ当日に、天安門での自動車突入・炎上事件が発生した。言論の自由も、思想の自由も、さらに言えば、人として当然の幸福追求の自由すらない「異様な国家」の有り様がそこから見えてくる。

自分の国である日本を叩き、ひたすら中国共産党の代弁者でありつづける日本の一部の新聞は、果たしてこの言論・思想の自由すら存在しない国をどう擁護していくのだろうか。8500万人の共産党員が13億人民を監視していく中国。逆に見れば、「弾圧」がなければ、すなわち思想や言論の自由が認められれば、そもそも「中国は崩壊」してしまうのである。

つまり、「人権弾圧」こそ中国共産党が生き残る唯一の“道”であることがよくわかる。天安門自動車炎上事件と朱建栄拘束事件の陰に潜むものを、我々は冷静に見ていかなければならない。

ソ連のゴルバチョフのように、自ら共産党独裁に終止符を打つような人物が中国に生まれるはずもなく、「弾圧」と「改革開放」という壮大なジレンマの中、中国は矛盾を抱えて歩んでいくしかないのである。国内の不満を外に逸(そ)らせるために、そんな国によって「日本」や「尖閣」が利用されるのでは、たまったものではない。

カテゴリ: 中国

団塊の世代の「功と罪」

2013.10.25

出張つづきだったが、久しぶりに東京にいる。台風の影響で、東京も朝から雨が降りつづいている。台風が相次いで来襲し、相変わらず日本は異常気象に痛めつけられているようだ。中国の環境汚染をはじめとして、地球規模のオゾン層の破壊などに対して、あらゆるところに自然の怒りと歪みが出ているように思う。

東京を留守にしていたので溜まった新聞や雑誌の記事をチェックしていたら、面白いコラムに出会った。先週の10月20日付の「産経抄」である。

中国で、今は60代となった文化大革命の時の紅衛兵たちが当時の罪を懺悔(ざんげ)する報道が相次いでいることを捉えたものだ。しかし、それらの報道は、中国共産党の改革派系の新聞ばかりで、それらは毛沢東路線への回帰の動きを見せる習近平政権を牽制する狙いがある、というのだ。

産経抄は、さらに日本に話題を転じ、こう書いている。「(紅衛兵世代が)形だけとはいえ謝罪したというのなら、日本にも謝ってほしい人たちがいる。“全共闘”のメンバーもそうである」。

紅衛兵と同じく日本の全共闘のメンバーも謝罪すべきだと、産経抄はこう主張するのだ。「昭和40年代の大学紛争で、キャンパスを封鎖して“一般学生”の勉学の自由を奪い、ゲバ棒を振り回す。“団交”の名で学長や学部長をつるし上げた」。

「彼らも同じ60代を迎えた。“被害者”たちに対しどんな思いを持っているのだろう。こちらも“若気の至り”では済まされないはずだ」。

もっともである。彼(か)の国で同じ世代である元紅衛兵たちが懺悔するなら、団交、団交を繰り返して、勉学に励もうとした多くの学生たちの“学びの場”を奪った日本の全共闘メンバーが「懺悔」してもおかしくない。産経抄らしい、ピリリと辛いコラムである。

日本の全共闘世代とは、団塊の世代と重なる。終戦後のベビーブームで生まれた人たちだ。彼らは、大学生となった時、キャンパスで暴れまわる“全共闘世代”となり、今も、酒が入るとそのことを自慢する人は少なくない。

私は、産経抄をその通りだなあ、と思いながら読んでいると、その上に、作家の曽野綾子さんの人気エッセー「小さな親切 大きなお世話」が載っていた。

その中で、曽野さんは、戦後の大新聞による「言論の弾圧」の時代に触れていた。朝日・毎日・読売などの大新聞が、こぞって「親中国・親北朝鮮」だった頃のことだ。

曽野さんによれば、それらの国に批判的な記事を書くと、個人的な署名原稿でも拒否されて紙面に載らなかったそうだ。その時代はかなり続き、曽野さんは、それを「戦後の大新聞による言論の弾圧であった」と記述している。

私は、今でも一部の新聞には、その時代が続いていることを思いながら、これを読んだ。あの全共闘全盛の時代に青春を謳歌した人々が、中国・北朝鮮シンパから離れられず、その後の中国や北朝鮮を見ても、なかなか“現実を直視できない”ジャーナリズムとして突っ走っている有り様を考えさせられた。

「強制連行」「女子挺身隊」に対する致命的な認識不足と取材不足で始まった従軍慰安婦問題などは、明らかにその延長線上にあるものだ。

私は、つくづく団塊の世代の「功と罪」を考えた。高度経済成長の中、天下泰平の時代を迎え、昭和元禄とも呼ばれる一方で、長引くベトナム戦争に対する反戦運動や、各大学の学費値上げ阻止闘争など、社会全体が混沌とした状態を呈していたあの時代に青年期を過ごした人たちの「功と罪」である。

私は、いまは60代以上となっている彼らのパワーそのものは、素晴らしいと思う。果たして、今の日本の若者にこのパワーがあるのだろうかと、ふと考えてしまうほどのバイタリティを持っていたのは、確かだと思う。そして、この世代はフォークソングをはじめ、感性豊かな文化も創りだした。

だが、罪も大きい。産経抄がはからずも指摘したように、一般学生の勉学の自由を奪い、ゲバ棒を振り回し、“団交”の名で学長や学部長をつるし上げただけでなく、ついには、連続企業爆破事件など、最も大切な人命まで蔑(ないがし)ろにする爆破テロまでおこなう者まで現われた。

私は、団塊の世代の「功と罪」とは、同時に戦後ジャーナリズムの「功と罪」を考えることだと思う。現在もつづく“反日亡国論”への系譜を理解し、日本の社会が抱えるさまざまな問題点を浮き彫りにするためには、この「時代」が、そしてこの「世代」が持っていた“独特のもの”を考察する必要があると思う。私は、産経抄を読みながら、そんなことを考えていた。

カテゴリ: 随感

「学徒出陣70周年」に思う

2013.10.21

今日は、学徒出陣70周年の記念日である。私は、この記念日に福井市で学徒出陣に関して講演をさせてもらった。戦争の主力となった大正生まれの男子1348万人のうち、実に「7人に1人」にあたる200万人が戦死した「あの大戦」から長い歳月が過ぎ去ったことを感じる。

若くして戦争で亡くなっていった先人のことを思うと、私自身も含めて今の日本人が彼らの犠牲に見合うものであるかどうかを、どうしても自問自答してしまう。今日の講演でも、当時の学徒、若者の思いを中心に話をさせてもらったが、聴いてくれた人もそのことを一緒に考えてくれたように思う。

途中から、涙を流しながら聴いてくれる方もいて、話に力が入った。昭和18年10月21日、すなわち70年前の今日、雨の中、神宮外苑競技場を行進した出陣学徒たちに、私はこれまでどのくらい話をお聞きしただろうか。

文科系学生の徴兵猶予がなくなったこの「学徒動員」は、日本にとって大きな節目であったことは間違いない。高等教育を受けていた学徒まで戦場に送り出さなければならない意味は、言うまでもなく、いかに国家が危急存亡の事態に追い込まれていたかを表わしている。

当時、20歳が来れば、男子は徴兵検査を受け、現役兵となって鍛えに鍛えられ、軍務につかなければならなかった。しかし、学徒にはそれが「猶予」されていた。しかし、昭和18年の「今日」から、それが許されなくなった(徴兵猶予の撤廃)のである。

国がそこまで追い詰められれば、大学生をはじめ、多くの学徒が戦場に向かわざるを得なかったのも頷ける。彼らが学問を諦め、どんな思いで戦場に向かったかは、あまりにエピソードが多過ぎて、簡単には書くことはできない。

当時22歳で神宮外苑競技場を行進した人は、今は92歳である。私にさまざまなことを教えてくれた方々も、ここ数年、鬼籍に入られた方が多い。

私は、戦争ノンフィクションをこれまで6冊書かせてもらっているが、今度、7冊目を書くつもりでいる。その取材で、つい先月、お会いして2日間にわたって貴重な証言を伺った方が、ちょうど学徒出陣70周年の本日、亡くなられた。

3日前にその方から「門田さんにまだまだ話したいことがある」という震えるような字でお手紙を頂戴したばかりだった。この方は、昭和19年8月、輸送船がバシー海峡で魚雷攻撃により沈没し、12日間も漂流した末、奇跡的な生還を遂げた方だった。2日間の取材でも、「まだ伝えきれなかったこと」とは、何だったのだろうか。

私は、今日の福井での講演でも、当時の青年たちは、現代の若者と「なんら変わらないこと」を話をさせてもらった。彼らには恋人もいたし、髪も伸ばし、学徒出陣で行進する前日まで、「俺は青春を謳歌していた」という人は少なくなかった。

では、今の若者と彼らはどこが違うのだろうか。私は、彼らがほんの少しだけ、現代の若者より「家族」を守り、「故郷」を守り、「祖国」を守る、という意識と使命感が強かったと思う。

そして、日本人の特性でもある「恥を知る」という意識も今の人より強かったと思う。アメリカの女性人類学者、ルース・ベネディクトが著書『菊と刀』で指摘した「恥の文化」を持つ人が、大正生まれの若者には、私たちの世代より多かったのではないか、と思う。

そんな出陣学徒たちのことを「70周年」を記念して、話をさせてもらった。毅然と生きた先人たちの姿を私たちは忘れてはならないし、軽んじてはならないと思う。大正生まれの人たちの生きざまを振り返ることこそ、まず私たちが最初におこなわなければならないことではないだろうか。講演をしながら、私はつくづくそう思った。

カテゴリ: 歴史

中国共産党の“壮大なる滑稽譚”

2013.10.14

昨日のNHK「激動中国」はおもしろかった。拝金主義に喘ぐ現代中国で、道徳を見直そうという動きがブームとなり、無神論で通してきた中国共産党がキリスト教をはじめ宗教を容認する方針に転換している有り様をレポートしたものだ。

道徳と言えば、儒教の孔子である。今、中国では空前の孔子ブームが起こっているのだそうだ。あの文化大革命の時代に「非林非孔運動」で徹底的に弾圧されたものでありながら、それが“完全復活”を遂げつつあるという。

毛沢東にとっては、人としての生き方も含め、すべては自分の思い通りであり、歴史上の思想家や偉人に、あれこれ左右される覚えはない。すべてを決める“赤い皇帝”毛沢東が、政敵・林彪(りんぴょう)と共に2500年前に生きた孔子を槍玉に挙げたのは、必然だったのかもしれない。

しかし、資本主義国以上に貧富の差が開く現在の中国で、儒教が「見直されている」というのだから、あれだけ孔子を徹底的に破壊した中国共産党の方針とは、もはや“ユーモラス”というほかあるまい。

かつての大地主と小作人以上に広がった貧富の差は、本来なら中国共産党の存在意義を問うものだろう。なぜなら、貧困に喘ぐ農民たちの支持を背景に激烈な階級闘争をおこなって政権を奪取した中国共産党が、それまで以上に貧富の差を広げ、人民の怒りが爆発寸前とみるや、今度は、「目上の者を敬いなさい」「秩序を重んじなさい」と、儒教を容認し、指導の材料にしはじめたのだ。

社会の「歪み」が、いくら新たな階級闘争が必要なほど大きくなっても、秩序と伝統、そして目上の者を敬うという孔子の教えが再び脚光を浴びれば、たとえ中国共産党の失策があっても、人民に「辛抱してもらえる」という考えに違いない。

番組に登場した宗教指導者がNHKのカメラに向かってこう言うシーンがあった。「中国から消えてしまったもの――それは“倫理観”であり、“親孝行”であり、“目上のものへの尊敬”である。今のままの中国では、どんな悪いことが起きても不思議ではない。完全なる“私利私欲社会”。これが現在の中国の姿です」

まさにその通りである。また、別の宗教リーダーが「中国人はお金を“信仰”するようになってしまった」と嘆くシーンも番組には出てくる。私は、これこそ壮大な滑稽譚だ、と思った。

資本家階級を打倒し、農民や労働者中心の共産革命を成し遂げた中国が、本来の資本主義国も真っ青になるくらいの“赤い資本主義”を押し進め、ついには、わずか「5%の人間が全体の90%の富を独占する」という究極の格差社会を生み出したのだ。

その上で、手のひらを返したように「モラルを重視しよう」「親や目上の者を敬おう」と、盛んに喧伝(けんでん)し、かつて破壊した「孔子=儒教」まで持ち上げ始めたのである。

モラルと秩序を重んじる儒教や、博愛を説く宗教などが、今の中国共産党にとって、「最もありがたい」というのは、これほどの歴史の皮肉があるだろうか。

階級もなく、貧富の差もない究極の平等社会の実現を目指すはずの中国共産党が、その理想に向かって遮二無二走るのではなく、儒教や宗教に対して「助けを求めている」とは、まさに「壮大な滑稽譚」と言う以外、どんな表現があるだろうか。NHKスペシャル「激動中国」を観ながら、私は昨夜、そんなことを考えていた。

カテゴリ: 中国

高齢化社会と福島への“Iターン”

2013.10.12

東京を離れ、福島県の浜通りで取材を続けている。昨日は、毎月11日の月命日におこなわれる福島県警による津波の行方不明者の捜索があった。

大震災から2年7か月経ったが、福島の浜通りでは、現在も207人が行方不明のままになっている。浪江町や双葉町では、いまも放射能による「避難指示」が解除されておらず、この月命日の捜索が遺体発見への一縷(いちる)の望みとなっている。

昨日、私は南相馬市内の仮設住宅に、ある人物を訪ねた。私自身の大震災の取材もすでに2年以上になったことを思うと、時の流れの速さを感じる。昨日の仮設住宅でも、住んでいる方はお年寄りが多く、浜通りはもちろんだが、全国のさまざまな地域が抱える高齢化問題が凝縮されているように思えた。

今朝もTBSの「サタデー ずばッと」で、前回のブログで触れた徘徊老人の列車事故で管理責任を問われた家族に720万円という賠償請求「全額」が認められた裁判と高齢化問題が取り上げられていた。

厚生労働省の「人口動態統計」によれば、今年、65歳以上人口が25.1%で「4人に1人」が高齢者となったそうだ。50年後には39・9%、すなわち「2・5人に1人」が高齢者となり、生産人口は50・9%と人口の半分に過ぎなくなるという。

しかし、ここ浜通りに限らず、地方ではとっくに高齢者人口が「2・5人に1人」を超えているような気がする。少なくとも昨日、私が訪ねた仮設住宅では、「2人に1人」は、高齢者ではないだろうか。

私の生まれ故郷の高知は、福島よりも高齢者人口の比率が高い。65歳以上の人口が全体に占める割合のランキングは全国3位で、福島県は22位だ。笑い話のようだが、80歳以上の人口が多い高知では、「老人会に“青年部”」があり、70歳前後は、「まだまだ“若者”」と言われる。

来たるべき超高齢化社会を考えると、「高齢化」と「幸せ度」がリンクしない限り、日本の社会の活性化はないような気がする。いま、ちょうど団塊の世代が65歳以上になってきているが、この層がどう動くかが、日本の将来を占うことになるのではないだろうか。

“Iターン”という言葉がある。もともと田舎で生まれ、都会で過ごしていた人間が自分の故郷に帰ることは“Uターン”というが、Iターンとは、都会で生まれ育った人間が田舎に行って生活するようになることを指す。

また、Jターンというのもある。これは、生まれ故郷そのものへ帰ることはできないが、生活の便利さ等を考えて、その近くの町まで帰ることだ。「J」という文字は、完全に故郷へ帰る「U」という文字の途中の形をしているということから名づけられたらしい。

Iターン、Uターン、Jターンと言葉は異なるが、老人会に入れば“青年部”になるような層をいかに「都会から田舎に」移動させることができるかがこれからの日本の鍵を握っているのである。直近では、すなわち「団塊の世代」の動向がポイントということだ。

私は南相馬に来る時、いつもホテルの確保に苦労する。除染をはじめ、さまざまな仕事に来ている人で、宿はいつも満室なのだ。日本中が復興を望む福島の浜通りには、巨額の復興資金が投入されているし、65歳以上の人々の力を借りたい分野がいくらでもある。

高齢者ばかりが目立つ仮設住宅をまわりながら、福島の浜通りに団塊の世代が数多く移住して来たら、復興がどのくらい進むだろうかと、どうしても考えてしまう。仕事をリタイアした人たちには、福島の浜通りは「あなたたちを待っている」ということを是非、お伝えしたい。

カテゴリ: 随感

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