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安倍首相「靖国参拝」と映画『永遠の0』

2013.12.26

一昨日、映画『永遠の0』を観た。いま人気絶頂の俳優、岡田准一が扮する零戦搭乗員「宮部久蔵」の家族と祖国への思いを描いた作品である。百田尚樹さんの原作に勝るとも劣らない力作だった。私は、邦画史上に残る最高の傑作だと思った。

残してきた妻と幼い娘のために「自分の命を惜しんでいた」宮部少尉が、最後は自ら進んで特攻に赴き、後輩に自分の妻と子を見守ることを託す“壮絶な生きざま”を描いた映画である。

映画館には、戦争も、まして特攻のことも知らない若いカップルが数多くいた。途中から館内にすすり泣きが聞こえ始め、映画が終わった時には、拍手する観客もいた。珍しいシーンだった。

生きたくても生きることができなかったかつての若者の姿に対して、現代の若者が涙を流す――私は、そのシーンに強烈な印象を持った。それと共に、拙著『太平洋戦争 最後の証言―零戦・特攻編―』で取材させてもらった元零戦搭乗員たちの姿と証言が、宮部久蔵と重ね合わさった。

そんな思いを綴っていたら、いま安倍首相の靖国神社参拝のニュースが流れてきた。「ああ、やっと参拝したのか」。私は、そう思った。そして、安倍首相のコメントがどんなものになるのか、注目した。私の耳に残ったのは、以下の二つの部分だった。

「私は、(本殿だけでなく)同時に靖国神社の境内にあります鎮霊社にもお参りをしてまいりました。鎮霊社には、靖国神社に祀られていない、すべての戦場に斃れた人々、日本人だけではなくて、諸外国の人々も含めて、すべての戦場で斃れた人々の慰霊のためのお社であります。その鎮霊社にお参りをいたしまして、戦争において命を落とされたすべての人々のために手を合わせ、ご冥福をお祈りをし、そして、二度と再び戦争の惨禍によって、人々の苦しむことのない時代をつくるとの決意を込めて、不戦の誓いをいたしました」

「母を残し、愛する妻や子を残し、戦場で散った英霊のご冥福をお祈りをし、そしてリーダーとして(その方々に)手を合わせる。このことは世界共通のリーダーの姿勢ではないでしょうか。これ以外のものでは全くないということを、これから理解していただくための努力をしていきたいと考えています」

私は「諸外国の人々も含めて、すべての戦場で斃れた人々の慰霊のため」という部分と、「母を残し、愛する妻や子を残し、戦場で散った英霊のご冥福」を祈ったという部分が耳に残った。

それは、『永遠の0』で描かれた宮部久蔵の姿を観たばかりだったからかもしれない。そして、同時に、これから巻き起こる中国と韓国の反発と、これに呼応した日本のマスコミの非難の大合唱のありさまを想像した。

日本では、戦場で若き命を散らしていった先人に対して、後世の人間が頭(こうべ)を垂れ、感謝の気持ちを捧げるという当たり前のことが中国や韓国という隣国の干渉によって、胸を張ってできない「不思議な国」である。

吉田松陰ら「安政の大獄」以来の国事殉難者およそ250万人の霊を祀った神社に行くことが憚(はばか)られ、中国・韓国の代弁者となってそれを非難するメディアが日本には、数多く存在する。いや、その方が圧倒的と言っていいだろう。

私には、どんな思いで戦友が散っていったかを語る大正生まれの男たちに会い続けた時期がある。玉砕の戦場から奇跡的に生還した元兵士たちの姿を戦争ノンフィクションとして残すためである。

子孫を残すこともできず、戦場に散っていった戦友たちの無念を語る老兵たちの姿は鬼気迫るものがあった。それだけに「二度と再び戦争の惨禍によって、人々の苦しむことのない時代をつくるとの決意を込めて、不戦の誓いをいたしました」という首相の言葉が胸に響くのである。

「死ねば、神であり、仏」というのは、日本独自の文化である。「死者に鞭(むち)打つ」という言葉通り、死体を引っ張り出してきてまで「鞭を打つ」中国とは、日本は文化そのものが根本的に異なる。

私は、これまで中国人や韓国人と何度も靖国論争をしたことがある。その時、気づくのは、彼らが靖国神社について「何も知らない」ということである。

前述の通り、靖国神社は、吉田松陰ら「安政の大獄」以来の国事殉難者およそ250万人の霊を祀った神社である。当初は、「東京招魂社」と呼ばれ、この中には、維新殉難者として、私の郷土・土佐の先輩である坂本龍馬や中岡慎太郎、武市半平太なども祀られている。

しかし、彼らは靖国神社を「戦争を礼賛する施設」あるいは、「A級戦犯を讃える神社」としてしか知らない。彼らが決まって口にするのは、「では、あなたはヒトラーを讃える宗教施設にドイツの指導者が赴くことを認めますか?」というものである。

その度に、私は、東京招魂社以来の歴史と、国事殉難者250万人の説明をさせてもらう。そして、「亡くなれば神となり、仏となる」日本の独自の文化について話をさせてもらう。

驚く中国人や韓国人も中にはいるが、大抵は、「いや、靖国は軍国主義を礼賛し、戦争指導者を讃え、戦争をするための施設だ」と言い張ってきかない。

私は、「その国独自の文化」の意味と、無念の思いを呑んで死んでいった人々のことを話させてもらうが、もはや耳を傾けてはくれない。この時、最後にいつも私が言うのは、例えば、中国人に対しては「八宝山革命公墓」のことである。

北京の中心を東西に貫く長安街通りを天安門から「西単(シータン)」を通り過ぎ、延々と西に進めば、やがて「八宝山革命公墓」に辿りつく。戦争で命を落とした兵士たちが葬られている墓地である。

ここには、抗日戦線、あるいは、国共内戦などで戦死した人々が数多く眠っている。言うまでもなく、中国で国の指導者となった人物が必ずお参りにくる地である。

革命公墓の中には、日本人が虐殺された「通州事件」や「通化事件」などにかかわった兵士たちも、もちろん入っている。しかし、日本人は、そのことについて非難したりはしない。

なぜなら、それはその国、独自の文化だからである。どう先人を追悼し、感謝の気持ちを捧げるかということは、干渉してはならない高度に精神文化に属するものであることを、少なくとも日本人は知っている。

私の伯父は前述の「通化事件」で殺された犠牲者の一人だが、中国の指導者が革命公墓にお参りすることに干渉したり、非難の声をあげたりはしない。

それが、お互いの国の文化を尊重する基本的な人間の姿だと思うからだ。だが、そんな常識は、おそらく中国や韓国には通じないだろう。彼らの側に立つ日本のマスコミによって、ただ中国や韓国の反発が増幅されて日本人に伝えられるだろう。

愛する人のもとに帰ることができなかった無念の思いを呑んだ若者、すなわち、「宮部久蔵」が数多くいたことに思いを致し、彼らに尊敬と感謝を捧げ、二度と戦争の惨禍を繰り返さない思いを新たにしてくれる若者が一人でも増えることを願うばかりである。

カテゴリ: 歴史

歴代天皇3位の長寿となった今上天皇

2013.12.24

昨日、天皇陛下が、歴代天皇3位の長寿となる80歳を迎えられた。長い天皇家の歴史で、歴代3位の長寿になられたというのは、喜ばしいことだと思う。

10年前の2003(平成15)年に前立腺の摘出手術、昨年には心臓手術を受け、癌治療のために、ホルモン療法もつづけておられ、副作用の骨粗鬆(こつそしょう)症と闘っておられるという報道の中での傘寿(さんじゅ)である。

年齢が高くなるにつれ、肉体に衰えが出てくるのは自然の摂理だ。会見に臨まれた陛下のお顔は、やはり病魔と闘っていることを示す浮腫(むく)みがあるように思えた。しかし、昨日の記者会見で、陛下はゆっくりとこう述べられている。

「喜ばしいこと、心の痛むこと、さまざまなことのあった1年でした。東日本大震災の復興がいまだその途上にある中で、今年は大きな台風が大島を襲い、また、少なからぬ地方が風水害の被害に苦しみました。このような中で、東日本の被災地には、厳しい冬が訪れようとしています。私どもは、これからも被災者のことを思いつつ、国民皆の幸せを願って、過ごしていくつもりです」

私はこの中で、「東日本大震災の復興がいまだその途上にある中で」と「東日本の被災地には、厳しい冬が訪れようとしています」という言葉に、陛下の日頃のお気持ちが表われているような気がした。

私には、陛下の子供時代からご結婚、そして天皇の地位について以降のことを書かせていただいた『神宮の奇跡』という本がある。

その中で、8年前(2005年)のサイパン訪問の際のことを書かせてもらっている。米軍に追い詰められて多くの民間人が身を投げたバンザイ・クリフを訪れ、陛下は皇后の右腕を支えながら、岸壁に近づき、お二人で姿勢を正して頭を下げ、じっと黙祷をされた。それは、15秒ほどの時間だっただろうか。

若き日のお二人を軽井沢で結びつけるキューピット役となった陛下の学習院時代の後輩が、このシーンを私にこう語ってくれたのが印象的だった。「そのうしろ姿に私は感銘を受けました。お二人が、長い間、なさろうとしていたことは、まさにこれだったんだとあの時、初めて気づきました」。

拙著にそのことを書かせてもらったが、私はそれ以降、東日本大震災をはじめ、国民に苦難がふりかかる度に、老いが目立つ両陛下が被災地を訪問され、必死に被災者を励まされる姿が目に焼きつくようになった。

今月、陛下の幼稚園時代からの幼な馴染であり、学習院の馬術部でも共に過ごした親友である明石元紹さん(79)が、『今上天皇 つくらざる尊厳』(講談社)を出版された。

明石さんは、拙著『この命、義に捧ぐ―台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡―』の主役の一人でもあり、日頃、親しくさせてもらっている。この明石さんの本の中に、印象深い一節がある。それは、終戦後、疎開していた日光から、11歳の明仁殿下(今上陛下)が帰ってきた時のことである。

「殿下も罹災者だった。青山の東宮仮御所が焼けたのである。殿下は、たった三日だったが、皇居に泊まった。朝から晩まで、ご両親と一緒の三日間であった。このときのご両親との水入らずのわずかな時間が、のちの殿下の心に大きな決意を齎(もたら)したのではないかと想像する」(一部略)

幼な馴染でなければわからない“変化”が、それ以降の明仁殿下に生まれていたのだろう。明石さんならではの記述である。先の「バンザイ・クリフ」での行動、あるいは、「東日本の被災地には、厳しい冬が訪れようとしています」というお言葉も、明石さんが書く「殿下の心に大きな決意を齎した」というものの延長線上にあるような気がする。

私は、陛下の傘寿の会見を見ながら、世界で唯一、これほど長きにわたって「最長・最古」の皇室を守り、「天皇(Emperor)」という地位そのものを守ってきた“日本人”というものに改めて思いを致さざるを得なかった。

どの国でも歴史を見れば、時の権力者は、君主家を滅ぼし、権威に「とって代わろうとする」ものである。しかし、日本人は、気の遠くなるような長い時間、皇室を守ってきた。

それは、日本人が、なにより「秩序と道徳」、そして「伝統」を重んじる人々であることを示している。その意味で、天皇とは、日本人の誇りを象徴するものであるのかもしれない。傘寿の記者会見を見ながら、私はそんなことを考えていた。

カテゴリ: 歴史

北朝鮮「張成沢処刑」が意味するもの

2013.12.13

ついに北朝鮮ナンバー2の張成沢氏が処刑された。12月8日、朝鮮労働党中央委員会の政治局拡大会議で、張氏が「党内で派閥を形成するために悪辣に動いた」という理由によって、すべての職務を解任され、党から除名されることが決定していた。

北朝鮮の各メディアが、名前を呼び捨てにした上で、議場から連行される張氏の写真を報じ、さらに、朝鮮中央テレビが「張成沢は、権力を乱用して、不正・腐敗行為をし、複数の女性と不適切な関係を持って、高級食堂の裏部屋で、飲み食いをしてきた」と激しく弾劾したことで、処刑は「時間の問題」と見られていた。

それでも、叔父である張成沢氏を「本当に処刑できるのか」という観測が内外のメディアにはあった。しかし、有無を言わせず、金正恩は自分の「叔父の命を奪った」のである。

血のつながった叔母である張成沢夫人の金慶喜も、甥(おい)の暴走を止められなかった。いや、彼女自身の動向もわからず、生命自体が危うい状態に置かれていることが予想されている。

私は、この処刑が意味するものは「2つ」あると思う。経済やモラル、秩序……あらゆるものが崩壊している現在の北朝鮮で、絶対的な権力を維持する方法は1つしかない。それは、「恐怖」である。恐怖による支配以外、軍や人民を統率することは不可能だ。

その意味で、今回の張成沢の粛清は「権力基盤の確立」のために大きな力を発揮したと言える。「この男は何をするかわからない。ただ“服従”するしかない」。若造を舐めていた軍の長老や実力者たちも、自分たちの“命の危うさ”を思い知ったに違いない。

なんの実績もなかったこの若き領袖は、うしろ盾である叔父の命を奪ったことで、今後、絶対的な“恐怖の支配者”として、北朝鮮に君臨するだろう。あとは、本人が暗殺の恐怖と闘うだけである。

もう1つは、今回の出来事は、日本にとって意味するものが極めて大きいという点だ。これほどの残虐性を持つ指導者が、「核ミサイルを手に入れた時」にどうなるか、ということである。

繰り返される核実験と、テポドンの発射実験によって、この独裁者が「絶大な力を発揮する核ミサイル」を実際に手に入れる時期が「刻々と近づいている」のである。

これまで何度も当ブログで書いてきたように、核ミサイルの開発には、「核弾頭の小型化」と「起爆装置の開発」が不可欠だ。巨大な核爆弾をミサイルの弾頭にして、何万キロも飛ばすことはできない。

また、小型化がたとえ成功しても、ミサイルが着弾した時に核爆発を起こさなければ核ミサイルの意味はない。その二つの開発が揃って、初めて「核ミサイル」となるのである。

専門家の分析では、繰り返された核実験によって「核弾頭の小型化は成功しているのではないか」と見る向きが多い。

となれば、残りは、「起爆装置の開発」である。高度な技術を結集しなければ核ミサイルの起爆装置開発は不可能だ。これだけは、まだ北朝鮮も「開発に成功していない」と見られている。

だが、それも「時間の問題」だろう。これほどの無慈悲なことをやってのける独裁国家の領袖が、東京をはじめ日本の主要都市に照準を定めた核ミサイルを手に入れた「時」、いったいどうなるだろうか。

私は、今年4月10日に朝鮮労働党の機関紙・労働新聞が「わが国に対する敵視政策が日本にもたらすのは破滅だけだ」と題する論評を発表したことを思い出す。「東京、大阪、横浜、名古屋、京都には、日本の全人口のおよそ3分の1が暮らしている。これは、日本の戦争維持能力が一撃で消滅する可能性を示している。日本が戦争に火をつければ、日本列島全体が戦場に変わるだろう」と、労働新聞は強く主張したのである。

「ソウルを火の海にする」というのは、北朝鮮の常套句だが、この論評を目にした時、「東京、大阪、横浜、名古屋、京都」という日本の主要5都市の名前を北朝鮮が実際に挙げたことで、私は金正恩の本気度を見た思いがした。

言うまでもなく、起爆装置が開発されれば、この5都市に照準を定めた核ミサイルが「準備」されるのだろう。うしろ盾だった叔父ですら、議場から引きずり出して処刑にした独裁者。そんな国と、日本はそのあと、どんな「対話」ができるというのだろうか。

しかし、これに対峙する日本の現状はお寒いかぎりだ。閉幕した国会で法案こそ成立したものの、国家安全保障会議(日本版NSC)はまだ創設されていない。特定秘密保護法案に対して「戦前への回帰だ」と叫ぶ日本の一部勢力を横目に、極東を中心とする世界情勢の現実は、とっくに“危険水域”に入っている。

北朝鮮のうしろ盾が「中国」であるところに、この問題の複雑さと怖さがある。中国の巨大投稿サイトでは、「小日本に核ミサイルをぶち込んで、思い知らせてやれ」という内容の投稿がよく出てくる。しかし、それは、「自分の手を汚さなくても」、この北朝鮮の若き独裁者にやらせれば、「簡単なこと」なのである。

どうしようもない飢餓状態で、この冬が越せるかどうかという状態に陥っている北朝鮮。この冬を乗り切ったとしても、来年、再来年の冬は果たして乗り切れるだろうか。その時、座して「死」を待つぐらいなら……と、金正恩がどんな手段をとるのか、誰にも予測はつかない。

いつまでも韓国の国家情報院の発表を待っているだけのお粗末な日本の北朝鮮情報の収集体制では、せっかく国家安全保障会議をスタートさせても、有益な策は打ち出せないだろう。しっかりした危機感をもとに、国民の生命・財産を守るための情報収集体制の「一刻も早い構築」を望むばかりだ。

カテゴリ: 北朝鮮

原発の「観光地化」という“逆転の発想”

2013.12.10

「門田さん、福島第一原発を“観光地化”すると言ったら、どう思いますか」。私は突然、そんなことを聞かれて仰天してしまった。しかし、言っている本人は、いたく真面目だ。そして、1冊の本を差し出された。

福島県内で次作の取材をつづけている私は、昨夜、いわき市で地元の人と飲み会をやった。その席でのことである。その人は、福島県双葉郡の富岡町出身で、弁当や給食サービスの会社を運営している藤田大さん(44)である。差し出された本は、『福島第一原発 観光地化計画』というものだ。

分厚い写真つきの本で、巻かれている黄色い帯には、「原発観光地化 あり? なし?」と大きな字で書かれている。筆者・編集人は、作家の東浩紀氏である。

「どういうこと?」と私が聞くと、「あれほどの事態をもたらした福島第一原発を逆に観光地化して、人を呼ぼうという考えです。人にどんどん来てもらえれば、地元は活性化していきます。日本だけでなく、世界中から人に来てもらえば、双葉郡も復興していくと思うんですよ」

真剣な表情でそう訴える藤田さんの顔を見ながら、私は、「ユニークな“逆転の発想”だなあ」と、感心してしまった。たしかにおもしろい考えである。

「あとづけ」を見ると、この本は「11月20日」に発売されたばかりだ。藤田さんは、この本の趣旨に賛同しており、「福島第一原発を“観光地化”」して、「世界中から人を呼び」、地元を活性化させる「夢を持っている」と、私に言うのである。

「人が離れていく」被災地の中心である原発に、逆に「人を呼ぶ」――奇想天外な考えである。私は、今日、この藤田さんと、フタバ・ライフサポートの遠藤義之専務(41)の二人に案内されて、許可者以外は立ち入りができない双葉郡富岡町の「夜ノ森地区」のぎりぎりの境界まで行ってきた。

同じ富岡町でも、その境から先は「帰還困難区域」であり、そこで検問がおこなわれていた。藤田さんと遠藤さんの二人は、自宅がこの帰還困難区域内にあり、許可なしでは二人とも自宅に行くことはできない。

しかし、それ以外の富岡町は行き来できるので、私はあちこちを案内してもらった、私の次作のノンフィクション作品は、この富岡町の“ある場所”からスタートするからだ。私はその地を見にきたのである。

昨年、拙著『死の淵を見た男―吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』の取材の時は、楢葉町のJヴィレッジまでが通行可能な区域だったが、富岡町まで行くことは、とても無理だった。

この1年の間に、そこから行き来ができる区域が15キロも広がり、富岡町まで来ることができるようになったことを思うと、感慨深い。

私が“初めて”見る富岡町の姿は、目を覆うばかりだった。海に近い富岡駅は駅舎ごとなくなり、鉄の改札だけが今もポツンと残っている。駅前の店舗、ホテル、飲食店は見事に地震と津波に破壊され、至るところで、津波に流された自動車が引っくり返り、あるいは土中に突き刺さっていた。

海岸に近い住宅地帯は、見事に何もなくなっていた。生い茂った草むらの中に、よく見ると建物の土台だけが残っている。かつて家族団欒(だんらん)を過ごしたマイホームが土台を残してすべてなくなっているのである。

富岡川の河口にかかる橋も、橋桁が落ちて段差が生じ、通行はいまだに不能だった。町の大半が帰還困難区域ではなくなったものの、まだ「居住制限区域」であることに変わりなく、富岡町には震災から1000日以上を経た現在も、誰も住むことができない。

今日、案内してくれたお二人は、富岡町内の元の自宅に帰ることもできず、今はいわきで暮らしている。そんな二人にとって、“地元復興”が悲願であることは言うまでもない。

共に双葉高校出身という二人から飛び出した「原発観光地化」という言葉は刺激的であり、興味深いものだった。たしかに「人が離れる」なら「人を呼べ」である。

原発事故の悲劇を二度と繰り返さないためにも、また、この東日本大震災の教訓を忘れないためにも、「現場の観光地化」という“逆転の発想”は興味深い。原爆ドームが広島原爆の悲劇を現在に伝え、ついには世界遺産に登録されたことを思えば、二人の発想は一笑に付すような類いのものではないだろう。

藤田さんが富岡町のある場所で、「ここはホットスポットですから、数値を見てみましょう」と言って、線量計を取りだした。たちまち数値は上昇し、なんと「76マイクロシーベルト」を記録した。

「ああ、70台の数値が出ましたね。私もさすがに初めてです。こんな数値が見られるなんて、門田さんも運がいいですね」と、藤田さんは言う。

「ああ、今日は猪豚(イノブタ)が出ました」と、富岡駅のすぐ近くで二人が同時に声を挙げたのは、それから1時間近くあとである。見ると、閉まったままの測量会社の駐車スペースから“つがい”と思われる二頭の猪豚が出て来て、車に乗っている私たちに近づいてくる。完全に野生化したものだ。

「同じように町なかにいても、猪(イノシシ)より猪豚の方がおとなしいですよ。猪は人間を見ると突っかかってきますから」という。放射能汚染で人がいなかった2年間のうちに、ここ富岡町では、人間に代わって野生化された動物の方が主役だったようだ。

「原発観光地化」を各方面に持ちかけ、そのプロジェクトを進め、「この地を世界中から人が集まってくる場所にしたいんです」と、二人は言う。富岡で生まれ育った二人の真剣な目と、わがもの顔で道を闊歩(かっぽ)する野生動物の姿は、あまりに対象的なものだった。

たしかにそれほどのユニークな発想でなければ、この地の復活は難しいだろう。奇抜な発想こそが、あらゆるものを活性化させる可能性がある。「人が離れるなら、人を呼べ」。どんな人でも「福島の浜通りに来てください」。そして、「その目で震災の惨状を目に焼きつけてください」。

あまりの惨状と傷跡に塞(ふさ)ぎこんだ時期を経て、今、逆転の発想で彼らのように「大反攻」を考える人がいる。私は、どんな試練にぶつかっても、決してへこたれない浜通りの男の姿を見て、心から二人を応援したくなった。

カテゴリ: 原発

激動の国際情勢と国会攻防

2013.12.05

昨日の12月4日は、東日本大震災から「1000日」という節目の1日だった。東北各地で犠牲者に対する黙祷(もくとう)がおこなわれた。

私も、この日に特別の感慨を持った一人だ。あの日から「1000日」が経過したのか、としみじみ思う。長かったようにも思うし、短かった気もする。

死者・行方不明者1万8534人(2013年11月8日現在)を出した東日本大震災は、筆舌に尽くしがたい傷跡を人々の心に残した。無念の最期を遂げた人のあまりの多さに、人々は「言葉」というものを失った。

私は、1000日が経過した昨日も福島で取材をおこなっていた。震災直後にはたくさんのジャーナリストが東北各地で取材をしていたが、ひとり減り、ふたり減り、1000日目の昨日は、随分少なくなったような気がする。

そんな中で、今日も福島で私は取材をつづけた。「あの日」のドキュメントを私は今も追っているのである。ジャーナリストである私には、この悲劇の中で挫けず闘いつづけた人々のことを「後世の日本人」に残すことしかできないからである。

震災から1年4か月が経った昨年7月、私は、吉田昌郎・福島第一原発元所長にお会いした。吉田さんが、不治の病を押して、わざわざ西新宿の私の事務所を訪ねて来てくれた「あの日」のことも、忘れられない。

その吉田さんも今はない。58歳という若さで吉田さんは今年7月に帰らぬ人となった。2013年も残り少なくなって、今年亡くなった方々の特集をするメディアがあり、私にもコメントを求めてきている。“日本を救った”亡き吉田さんのことをできるだけ私は正確に、そして詳しく、話をさせてもらっている。

明日は四国で講演があるため、夕方、福島から帰京した。帰りの新幹線でまどろんでいると、ある自民党の参議院議員から携帯に電話があった。

特定秘密保護法案の採決で、「本会議は、明日の朝まで徹夜の攻防になるだろう」とのことだった。その後、今日の本会議は休会に入ったそうだから、改めて明日、闘いが再開されるのだろう。

言うまでもなく特定秘密保護法案とは、日本版NSC(国家安全保障会議)のために不可欠なものである。各国が持つテロ情報をはじめとする「機密情報」がスパイ天国の日本には提供されない事態が長くつづいた。

法案は、そういう事態にピリオドを打つためのものでもあるが、野党が反対するようにこれが情報を独占的に持つ官僚たちを“委縮”させ、国民の知る権利が不当に害されることがあってもならない。

かつて1980年代にスパイ防止法の攻防を取材していた私にとっては、国家の安全を脅かす「機密情報」と国民の「知る権利」との線引きの難しさを久しぶりに感じさせてくれる問題である。この攻防は30年前にも見たものだと、思い出される。

だが、国際情勢は明らかに80年代とは変わっている。今や紛争の火種として世界から注目されているのは、中国の覇権主義である。東シナ海でも南シナ海でも、領土的野心を剥き出しにする中国とどう対峙するかは、周辺国にとって最大の問題となっている。

そして、その中国は、前回のブログでも書いたように中国共産党系の新聞が社説で「闘いのターゲットは日本に絞るべきだ」と広言して憚らないのである。

私は、かつて当時の竹下登首相の秀和TBRビルの個人事務所に中国の人民解放軍総参謀部第二部の人間が正体を隠して「私設秘書として入り込んでいた」ことを思い出す。それが生き馬の目を抜く国際社会の最前線の現実なのだ。

特定秘密を国益のために「守る」ことの重要性も軽んじるわけにもいかないのである。それだけに、ここのところの国会の攻防を与野党どちらに与(くみ)するわけでもなく、私は興味深く見させてもらっている。

さて、綺麗事では済まないテロを含む国際情勢に対峙するこの法案はどんな運命を辿るのだろうか。じっくりウォッチさせてもらおうと思う。

カテゴリ: 地震, 政治

次は「尖閣上陸」と建造物「建設」でどうする日本

2013.12.03

久しぶりに週明けを東京で過ごしている。12月最初の月曜日、いくつかの用事をこなすために東京にいたが、私は午後、ある台湾政府の官僚とお会いした。

久しぶりの再会だったが、話題は中国が設定した防空識別圏の問題に終始した。領土拡張への野心に添って、中国が、尖閣を含む東シナ海の広範囲な空域に「防空識別圏」を設定したことは、やはり台湾にも大きな衝撃を生んだという。

この台湾政府の官僚は、「日本は挑発に乗ってはいけませんよ」と、何度も繰り返した。なぜか、と聞くと「相手に最初の一発を撃たせることが彼らの狙いだからです」という。

「中国の挑発」というものに、日本以上に敏感なのは台湾だろう。氏によると、「中国軍機は台湾海峡の中間線を通り越して、挑発を繰り返しています。ここ数年、その回数が着実に増えている。当然、台湾からスクランブル(緊急発進)がかけられますが、彼らはどこ吹く風です。悠々と中国軍機は去っていくのです」。

台湾海峡は、大陸と台湾の間の海峡で、狭いところで100キロ、離れたところではおよそ180キロある。その中間線を中国軍機は、平気で通り越してくるというのである。

「これは、台湾軍機が撃ってくるのを待っているのです。もし、撃ってくれば、台湾軍機に不当に攻撃されたというのを口実に一気に反撃に出るつもりなのでしょう。彼らは自信満々ですから、撃つなら撃ってみろ、という態度なのです」。氏は、そう語る。

経済的な関係を強化し、今では、「台湾を事実上、経済的に傘下に収めた」中国が、あえて国際的な非難を浴びるような台湾への軍事侵攻をする可能性は少ない。それは、あくまで挑発だけなのだろう。

だが、日本も、すでに主に「海上で」中国による日常的な挑発を受けつづけている。今後は、台湾が受けているような空での挑発行為が延々と繰り返されるに違いない。日本は、これらにどう対処すればいいのだろうか。

「これから、東シナ海では長く緊張状態がつづくでしょう。中国は、台湾に対してと同じように日本側に“最初の一発”を撃たせるために、いろいろなことをやってくると予想されます。日本が警告射撃をすれば、中国側も同じように警告射撃をする。そんなことが繰り返された先に、どんなことが待っているのか、心配です」

私は、氏の話を聞きながら、中国側の「次の一手」に注目せざるを得なかった。今回の防空識別圏の設定に対して、アメリカの反発の大きさは、中国を驚かせただろう。尖閣が日米安保条約第5条の対象地域であり、この問題が、米中間の重要案件に持ち上がったことは間違いない。

報道によれば、中国共産党の機関紙『人民日報』の系列にある環球時報は、防空識別圏設定をめぐって、「戦闘のターゲットは、日本に絞るべきである」という社説を掲載したそうだ。

そして、その社説をめぐって、中国版ツイッターでは、「小日本に、中国にたてつくとどうなるかをわからせてやれ」「日本をターゲットに定めることに賛成だ。日本をやっつければ、韓国は自動的に“中国の犬”になる」という意見が出ているのだという。中国版ツイッターには、中国政府や中国人の本音が映し出されるので、実に興味深い。

私は、「次の事態」とは、中国による「尖閣上陸」と建造物「建設」だと見ている。竹島問題への日本側の弱腰の姿勢を中国は冷静に見ている。「建造物さえつくれば……」というのが本音だろう。中国にとって、怖いのはアメリカであって、日本ではない。

これから、中国はアメリカの出方をウォッチする時期がつづく。アメリカでの中国ロビーの活動がより活発化するだろう。以前のブログにも書いたように、「中国系アメリカ人」のアメリカ政府内の活動が注目される。

その中で、「いつ」「どのタイミング」で“尖閣上陸”と建造物“建設”がおこなわれるのか。そして、それは「闇夜に乗じて」なのか、それとも「堂々と力づく」なのか。

日本とアメリカは覚悟をもってこれに対処できるのだろうか。日本がその時、どんな行動に出るのか。それは、「戦後日本」そのものが“試される時”でもある。

カテゴリ: 中国

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