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日本人はそこまで「憎まれる」べきなのか

2014.01.29

3月出版予定のノンフィクションの執筆で年明け以降、徹夜がつづいていた。やっと脱稿した。400字原稿用紙にして、およそ500枚。私の作品は、だいたい600枚以上が普通なので、今回はやや少ない。

この1か月、寝ても覚めても書きつづけ、ついに脱稿までこぎつけた。『死の淵を見た男―吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日―』に次ぐ、福島を舞台にしたノンフィクション第二弾である。

今回は、激震、津波、放射能と発展していった未曾有の「複合災害」で存続の危機に立った地方紙を舞台にした人間ドキュメントだ。ご期待いただければ、幸いである。

原稿に没頭していたため、ブログの更新もままならず、「おい、どうした?」と声をかけてくれる人もいた。ありがたいことだが、人間には能力というものがあり、その限界は超えられない。徹夜がつづくと、どうしてもブログ更新に手がまわらないのである。

さて、今日、パソコンを開いたら、興味深いニュースに出会った。『Record China』から配信されたひとつの話題である。『Record China』は“レコチャイ”と呼ばれ、中国関連のニュースや話題を日本語で配信するところだ。時々、おもしろい話題が出るので、私はよく読ませてもらっている。

本日、配信されたニュースにこんなものがあった。それは、中国人のネットユーザーが〈私が恨むべき日本はいったいどこにあるの?〉と題するコラムが、中国のインターネット上で話題となっていることを報じたものだ。

その内容は、いくつかの点で興味深かった。このブログを書いた中国人は、仙台の東北大学で勉強をした人だそうだ。その時、「日本の子どもたちと交流する機会を持った」という。中国人には、日本人に対してわだかまりがあり、日本人と言うのは「憎むべき人間」という意識を植えつけられている。それを前提に、以下の引用させてもらう原文を読んで欲しい。

〈しかし実際、彼らは清潔で礼儀正しく、とても純粋で嫌いになれるような人物ではなかった。私が憎むべき「日本」は仙台にはない。私が憎むべき「日本人」は彼らであろうはずがない。しかし、“あの”日本はいったいどこにあるのか?
 よく「日本に行ったことがある中国人は、日本への印象が変わる」といわれるが、私にとってはまさにその通りだった。彼らの礼儀正しさなどはもちろんそうだが、私が気付いた最も重要なことは、彼らも「人」であるということだ。
 おかしな話かもしれないが、私は日本を訪れる前、日本には変態侵略者のキャンプがいたる所にあると思っていた。しかし、実際は我々と同じように静かに暮らす人々がいるだけだった。彼らも私たちと同じように、両親がいるし、子どもがいる。恋愛もするし、失恋もする。喜んだり悲しんだりもする〉

以上が、まず前段である。私は、1982(昭和57)年から、もう30年以上も中国の変化を見つづけているが、このコラムは非常に興味深い。まず耳目を引くのは、「私が憎むべき日本人」という見方である。中国で江沢民時代に始まった反日教育は、普通の中国人に、そこまで憎しみを抱かせているという点だ。

私が最初に中国に行った1980年代前半、中国は文革の後遺症に喘ぎ、国全体が疲弊してはいたものの、人々はなんとか少しでも貧しさから抜け出そうと考え、日本人にも敬意を持って接してくれた。「軍国主義と今の日本人は違う」という鄧小平の教えが徹底されていたからでもある。

少なくとも、その頃は「私が憎むべき日本人」という見方はなかった。だが、その後の江沢民時代に、日本と中国との信頼関係が徹底的に破壊された。引き金を引いたのは、皮肉なことに日本のメディアである。朝日新聞が、それまで何も問題にされていなかった靖国参拝を外交問題化し、中国の『人民日報』を使ってまで、反対の大キャンペーンをおこなう論陣を張った。1985(昭和60)年8月のことである。

中国は、これをきっかけに靖国参拝を外交カードとして利用するようになり、やがて江沢民の登場で、苛烈な反日路線を展開するようになった。国全体が「反日」に染まり、徹底した反日教育によって、日本人というのは、「憎悪すべき存在」ということが植えつけられていくのである。

そして、上記のコラムの中にある〈私が気付いた最も重要なことは、彼らも『人』であるということだ〉というところまで来たのである。日本人は、もはや「人ではない」ほど憎まれているわけだ。私は、日本人に好意的だったかつての中国人を思い出しながら、このコラムを読んだ。

そして、この筆者による〈私は日本を訪れる前、日本には変態侵略者のキャンプがいたる所にあると思っていた〉という部分で、思わず笑ってしまった。そして、同時に哀しくなった。そこまで、「日本人を“人間”だと見てはいけない」という考え方が、中国では蔓延しているのである。コラムはこう続いている。

〈(自分の見る日本人は)小さい子どもが泣きながら母親に甘えていたり、女学生が手をつないで歩いていたり、サラリーマンが険しい顔でたばこを吸っていたりする姿を見ていると、「自分たちと何ら違いがない」という実感に包まれる。彼らの祖先が中国に悪いことをしたからといって、彼らがその罪をかぶらなければならないのか? 彼らの幸せは奪われるべきなのか? そんな道理はあるはずもない。
 中国では日本について、まるで奇怪な場所であり、宇宙人が住む街であるかのように紹介されている。彼らは日本に行ったことがないと思われる。彼らにとっての日本は地図の上の1ピース、ニュースの中のたった2文字に過ぎない。
 たとえ誰かから批判されても、これだけは言いたい。私が出会った日本人はみな素晴らしかった。日本社会には文明と秩序が根付いている。私はそこで温かい援助を受け、心からの笑顔を見た。私は日本でばかにされたと感じたことはなかった。自分の生活がしっかりしていれば、他人を恨む必要はないのだ。自分が他人を尊重すれば、他人も自分を尊重してくれる。日本に対する“妄想”は日本に行ってなくなった〉

この中で、〈中国では日本について、まるで奇怪な場所であり、宇宙人が住む街であるかのように紹介されている。彼らは日本に行ったことがないと思われる〉〈(自分は)日本に対する“妄想”は日本に行ってなくなった〉というものに、溜息をつく日本人は多いのではないだろうか。

匿名の、さらにネット上のコラムに一喜一憂する必要もないかもしれない。しかし、これが中国のネット上で話題になっているなら、それも興味深い。30年以上前から中国に行っている私は、ここまで「反日教育」を人民に繰り返した共産党政権に対して、本当に溜息が出る。

素朴な人が多く、底抜けに親切にしてくれた80年代初めの中国人は、どこに行ってしまったのだろうか、と思う。中国人は、一方に走り出したら、もう歯止めはきかない。あの狂気の文化大革命を見れば、わかる。年配者であろうと、功労者であろうと、徹底的に貶め、辱め、葬り去った狂気をあの国と人民は持っている。

その国が、これほどの憎悪を日本に抱き、さらにそれを増幅しつづけていくことに、日本に本当に友好的で素朴だった「あの頃」を知っている私には、哀しさと寂しさしか、こみ上げてこないのである。

そして、このコラムが書くように〈彼らの祖先が中国に悪いことをしたからといって、彼らがその罪をかぶらなければならないのか? 彼らの幸せは奪われるべきなのか?〉という部分に改めて恐怖する日本人は少なくないだろう。彼らが日本に向けた核ミサイルを多数、保有する国であることを忘れてはならない。

カテゴリ: 中国

「靖国参拝」から見る“マスコミ55年症候群”

2014.01.07

今日は、時事通信と内外情勢調査会の恒例の「新年互礼会」が午後5時から帝国ホテルであった。私は、講師として内外情勢調査会で講演をさせていただいているので、今年も顔を出させてもらった。

会場に入っていったら、すでに安倍首相のスピーチが始まっていた。今日は元赤坂の迎賓館で来日中のトルコのエルドアン首相との首脳会談があるはずだ。その直前にわざわざ帝国ホテルまで恒例の首相スピーチをしに来たようだ。首相は、立錐の余地もない富士の間の聴衆に、「経済」を強調するスピーチをおこなった。

「経済最優先で、日本の経済を力強く、さらに成長させていきたい」「やっと掴んだデフレからの脱却のチャンスを絶対に手放すわけにはいかない」「賃金の上昇が更なる消費の拡大につながる。これで企業の収益がアップし、更に設備投資にもまわっていく。すなわち経済の好循環を実現できる。今度の通常国会は、好循環を実現するための国会としていきたい」

話題の「靖国参拝」には触れず、ひたすら経済をさらに回復させていくことを安倍首相は強調した。時にユーモアを交えて会場から笑いをとり、10分近く首相はスピーチした。

私は、昨年とは随分違うなあ、と思った。政権発足直後だった昨年の新年互礼会では、「大型の補正予算の一日も早い成立と執行が最大の景気対策。野党には是非、協力してもらいたい」と大いに意気込んでいた。気負いがそのまま聴く側に伝わってきたものである。

しかし、安倍政権は、2013年の株価を1年間で56・7%も上昇させることに成功した。デフレからの脱却を、公約通り、実現させつつある。今日の挨拶には、そのことへの自信が溢れていたように思う。

昨年のスピーチを「気負い」という言葉で表わすなら、今年は「余裕」だろう。私は、会場でスピーチを聴きながら、そんなことを考えていた。

そして、私は、この自信が年末(12月26日)の靖国参拝につながったことを想像した。「この首相の自信が、中国と韓国をいかに恐れさせているだろうか」。思わず、私はそこまで考えてしまった。

国民の大多数は、すでにわかっているように、中国と韓国は、日本が何をやっても、日本への非難はやめない。それでしか、それぞれの国内での反発を抑えられないからだ。小泉首相の最後の靖国参拝以来、日本の折々の首相は、7年間も参拝を回避したが、それで中国や韓国との関係は少しでも改善されただろうか。

そんなことは全くない。どんなことをしても、日本への憎悪を政権の糧(かて)とする中国・韓国の非難は収まることはないのである。

いまマスコミに衝撃を与えているのは、靖国参拝の国民からの支持が6割から7割に達している、ということだ。調査結果の中には、実に「8割」を超えているものもある。今日の会場では、その話に花を咲かせている人もいた。

マスコミ各社は、あれだけ力を入れて首相の「靖国参拝」を叩いたのに、なぜこれほどの支持を受けているのか、おそらく理解できないのではないか、と思う。

それは、私は、“マスコミ55年症候群”のせいだと思っている。マスコミ55年症候群とは、私の造語だが、要は、保守合同と社会党の左右再統一でできたいわゆる「55年体制」というのが、恐ろしいことにマスコミには、まだ「続いている」のである。

マスコミ以外の人には理解できないかもしれないが、日本社会党が消滅した1996年以降も、また自民党が単独では政権が維持できなくなり、公明党との連立をしなければいけなくなって以降も、マスコミの中は、いまだに「55年体制」がつづいている。これは、その思考法において、という意味である。

つまり、マスコミでは、いまだに55年体制における左右の「イデオロギー」が、判断基準なのだ。もっと簡単に言えば、「右か」「左か」、つまり「右翼か」「左翼か」ということだ。

そんな判断基準は、国民の間ではとっくに終わっている。靖国参拝を支持している国民は、別に右翼ではない。普通の国民である。普通の国民は、ペリー来航以来、吉田松陰や坂本龍馬を含む国事殉難者およそ250万人の魂を祀った神社に、後世の人間や国家のリーダー(今は安倍首相)が参拝に行くことは、何もおかしいものだとは思っていない。

なぜなら、国のために子孫も残さないまま若くして無念の思いを呑んで逝った先人たちのお蔭で、「今の平和と繁栄がある」という感謝の気持ちの大切さを知っているからである。例えば、太平洋戦争の主力となった大正生まれの若者は、実に同世代の7分の1にあたる200万人が戦死している。

その人たちの魂に対して、後世の人間が感謝の気持ちを捧げ、頭(こうべ)を垂れることは、当たり前のことであり、他国にとやかく言われるものではない。それは、「右翼」「左翼」などと、左右の判断基準であれこれ言えるものでは「ない」のである。

つまり、国民は、55年体制の基準などからは、とっくに脱却している。先人を敬い、家族と故郷を愛し、日本と日本人を愛するのは、どう考えても日本人にとって“普通のこと”である。しかし、それが、“マスコミ55年症候群”にかかればたちまち「右翼」とされてしまうのである。

この症候群の特徴は、左右のイデオロギーという唯一の判断基準しか持たないため、靖国参拝をする人やそれを支持する人は、「戦争をしたい人」であり、「国家主義者」であり、「右翼」とされてしまう。彼らがレッテル張りばかりするのは、判断基準がひとつしか存在しない、その症候群のせいである。

ベストセラー『永遠の0』の作者、百田尚樹さんは、よく「右翼だ」と批判されている。私は雑誌で百田さんと対談もしたことがあるが、彼はもちろん右翼などではない。先人を敬い、家族と故郷を愛し、日本と日本人を愛する普通の人である。

それを右翼という表現しかできない“55年症候群”の人が、マスコミ以外にも少なくない。そして、その人たちは盛んに自分と考え方の異なる人にレッテル張りをおこなっている。彼らにとっては、靖国参拝支持者の多さは、日本国の「右傾化」としか捉えられないのである。

今回の世論調査でわかったことは、そんな左右の判断基準を国民はとうに「超えている」ということである。マスコミも、左右のイデオロギーを唯一の判断基準にする“55年症候群”から、早く解き放たれたらいかがだろうか、と思う。そして私も、先人を敬い、家族と故郷を愛し、日本と日本人を愛する人間でありつづけたいと、心から思う。

カテゴリ: 政治, 歴史

激動の2014年で問われる「意識」

2014.01.04

2014年が明けた。このお正月も締切が迫る単行本執筆に明け暮れた。そんな中で、ほっと一息、つかせてもらったのは、いつもの箱根駅伝である。

今年も、年明けに相応しいアスリートたちの激走を見せてもらった。王者・東洋大学が「その1秒を削り出せ」というスローガンの下に、一人一人が「1秒」を縮めていったさまが圧巻だった。

設楽兄弟という大学陸上界を代表する二枚看板を擁しながら、今シーズンは出雲、全日本とも駒澤大学の後塵を拝し、2位。大会前、優勝候補の筆頭は、言うまでもなく駒澤で、東洋はチャレンジャーの立場にあった。

しかし、総合力で引けを取らない東洋がどう巻き返すか、注目を集めていた。その東洋のスローガンが「1秒を削り出せ」だった。

勝つための努力は、どのチームもしている。しかし、土壇場で発揮される底力は、単なるアスリートとしての能力だけでは、はかれない。野球でいえば、“球際(たまぎわ)の強さ”という言葉で形容される勝負強さがそれである。

59秒差で復路に挑んだ駒澤は、9区にエース窪田忍を配していただけに、「逆転」に少なからず自信を持っていただろう。しかし、それを打ち砕いたのが、窪田が登場するまでに差を3分40秒に広げた東洋の6、7、8区の快走だった。

6区・日下佳祐が区間4位の走りで1分17秒まで駒澤との差を広げると、7区・服部弾馬、8区・高久龍の連続区間賞で、どんどん差を広げていったのである。

これで勝負は決した。それぞれが「1秒を削り出す」走りとは、こういうものか、と思わせてくれた。意欲ある強豪校が力を伸ばし、一方で伝統校が闘争心を失い、転落していくのが勝負の世界というものだが、東洋には昇竜の勢いがあった。雪辱を期す駒澤との来年の激突が今から楽しみだ。

私は、勝負の世界の厳しさを毎年、お正月に見せてもらって気持ちを新たにする。2014年は、間違いなく激動の年になるだろう。

前回のブログで書かせてもらった安倍首相の「靖国参拝」は大いに反響があった。この年末年始、あちこちで、私のブログへのご意見をいただいた。

私は、「安政の大獄」以来の国事殉難者およそ250万人を祀った神社に、先人の労苦と努力に思いを馳せ、後世の人間が感謝の気持ちを捧げるのは、当然のことだと思っている。アメリカではアーリントン墓地へ、中国では八宝山革命公墓へ、また韓国では毎年6月6日が「顕忠日」であり、戦没者・殉国者に敬意を払う日となっているのはご承知の通りだ。

無念の思いを呑んで、子孫も残さずに多くの先人が亡くなっていったのは、どの国にもある「歴史的事実」である。日本では、大正生まれの男子は、同世代の7分の1にあたる実に「200万人」が戦死している。それは、どの家族にも辿れば戦没者が「必ずいる」と言われるほどの数だ。しかし、日本では、こうして亡くなっていった先人たちに頭(こうべ)を垂れることすら干渉され、非難されている。

なぜ、どの国でもおこなわれていることが、日本だけ許されないのだろうか。これは、1985(昭和60)年に当時の中曽根康弘首相が掲げた「戦後政治の総決算」を打ち砕くために、同年7月から8月にかけて朝日新聞が靖国参拝反対の大キャンペーンを張り、“禁じ手”である『人民日報』を動かして非難の社説を書かせたことを嚆矢(こうし)とする。

靖国参拝は、朝日新聞のこの“禁じ手”によって国際問題化されたのである。それまで参拝やA級戦犯の合祀について、ひと言もモノ申したことがなかった中国が、85年以降、これを外交カードに使えることを学習し、それに韓国が追随を始めたのが、いわゆる「靖国参拝問題」なのである。

「強制連行」という朝日新聞の誤報から始まった従軍慰安婦問題といい、私は、日本のひとつのメディアによって、ここまで「日本と日本人が貶められていること」に疑問を感じる一人である。このために、日本の若者が現在も、そして将来も、国際舞台で、どのくらい不利益を被(こうむ)るかを考えると、どうしても深い溜息が出てくるのである。

朝日新聞をはじめ中国・韓国と主張を一(いつ)にする日本のメディアは、年末におこなわれた各種の世論調査で、安倍首相の靖国参拝に賛成する人が6割から7割を占めたことに衝撃を受けただろう。

先人を敬い、家族と故郷を愛し、日本と日本人を愛することは自然の感情である。そのことを「いけない」と主張するマスコミや言論人が靖国参拝問題では圧倒的だったが、一般の人々は、まったくその影響を受けなかったことになる。

私は、言論の「根拠」を見極める時代が来た、と思っている。インターネットの普及によって、これまで「情報」と「意見」を独占してきたメディアの欺瞞(ぎまん)が暴かれつつある。その意味で、2014年は間違いなく激動の年である。それぞれが自分自身で独自の見解を「根拠をもって」構築することが、今ほど大切な時はない、と思う。

カテゴリ: スポーツ, 政治

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