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「戦争」に思いを馳せる季節

2014.04.06

私にとって4月の桜の季節は、1年のうちで8月と共に「歴史」に思いを馳せる時期でもある。今から69年前、1945(昭和20)年4月は、日本にとって危急存亡の時だった。そして、多くの青年が若き命を散らした。

硫黄島が陥落し、いよいよ沖縄に米軍が上陸を開始したのは、昭和20年4月1日である。この時期、沖縄を取り囲む米機動部隊に対して、日本の航空特攻が熾烈さを増していた。「沖縄を助けなければ」と多くの若者が東シナ海で、あるいはその上空で命を散らしたのである。

この時期の日米両軍の攻防は、やはり日本の歴史がつづくかぎり、忘れてはならないものだろう。将来に対して多くの希望を持っていた若者が、家族と故郷を守るために、自らの命を捧げなければならなかったからだ。

子孫を残すこともできず、この世を去っていく「無念」と、諦(あきら)めなければならなかった将来への希望の「重さ」は、後世の私たちがいかに頭の中で想像しても、し尽くすことができるものではない。

文庫も含めると8冊の戦争ノンフィクションを上梓している私は、昨日の4月5日、戦艦大和に座乗して沖縄への水上特攻を敢行した故伊藤整一・第二艦隊司令長官の「墓前祭」に先立つ記念講演で、福岡の柳川に招かれた。

伊藤中将(死後、大将に昇進)生誕の地は、柳川市に隣接する旧三池郡高田町である。私は、長い間、伊藤長官のお墓参りをしたいと念願していた。

伊藤長官率いる第二艦隊は、この時、およそ4000名の兵たちが東シナ海の蒼い海に没した。戦艦大和の水上特攻への是非をめぐる議論は、いまだに多くの歴史研究家の間で戦わされている。しかし、一丸となってこれだけ多くの若者が沖縄を助けようと心をひとつにした事実は、日本の歴史がつづくかぎり消えない。

私は、その指揮官であった伊藤長官のお墓に手を合わせたいという思いを持っていたのである。講演に先立って、私はその念願をついに果たすことができた。たまたま地元にいた古くからの知人にお願いして、墓所に案内してもらったのだ。

伊藤長官の墓所への案内板もない中を、知人は、私を案内してくれた。小雨の中、やっと辿り着いた墓所には、昭和33年に建てられた記念碑と共に、伊藤長官の立派な墓石があった。

「ああ、やっと来ることができた」と私は思った。広島県呉市にある海軍墓地(長迫公園)には、戦艦大和の慰霊碑が建っている。何度もそこに行って手を合わせている私は、ついに伊藤長官の墓参の願いを叶えたのである。

映画『連合艦隊』では俳優の鶴田浩二が、『男たちの大和』では渡哲也が伊藤長官を演じている。妻と娘を愛した伊藤長官は、軍人としてだけでなく、家庭人としての優しさと、さらに部下への分け隔てのない接し方や、高潔な人柄が今も語り継がれている。家族に宛てた遺書の中で「大きくなったら、お母さんのような婦人になりなさい」と娘たちに語りかけた文面は、あまりに有名だ。

墓所の20坪近い広さといい、そこにあった慰霊碑といい、それは立派なものだった。だが、せっかくのこの墓所も、案内板も何もないため、地元の人でさえ、辿り着くのは極めて難しいだろうと思った。

案内してくれた知人は、「この墓所は、旧高田町(現・みやま市)の行政区ではなく、ぎりぎりで大牟田市の方に入っているんです。大牟田市の方はあまり伊藤中将への関心がないので、案内板も掲げられておらず、こんな有様です」と教えてくれた。案内板さえ出ていない理由はそういうことだったのか、と思った。

この時、沖縄を守った陸軍の牛島満・第32軍司令官も、同じように温厚で高潔な家庭人であり、さらには後進を数多く育てた教育者として知られる。

私は、先人の事績や思いが消えつつある現状を憂う一人である。それを残すために、今も新しい戦争ノンフィクションに挑んでいるが、時間の厚い壁に跳ね返されている。拙著『太平洋戦争 最後の証言』シリーズを取材していた数年前までとは、まったく状況が変わっていることを感じざるを得ない。

ここ数年、私は先の大戦の最前線で戦った大正生まれの元兵士を数多く見送った。大変お世話になった方で、いま現在、病床に伏している方も少なくない。

貴重な証言が消えつつある今、柳川での伊藤中将の墓前祭の講演を私はそんな思いでさせてもらった。断たれていった希望、消えていく命、若者の無念――当時の若者が置かれた状況と彼らが辿った運命を忘れないでいたい。そして、あの時代の毅然と生きた日本人の真実の姿を後世に伝えたいものである。

明日4月7日は、戦艦大和以下の第二艦隊が東シナ海に没し、伊藤整一中将ら約4000名の69回目の命日である。いよいよ来年は大和沈没「70周年」を迎える。

東京に帰ってきたら、雨で桜はかなり散ってしまっていた。桜の季節が終われば、東京は「夏」に向かって真っしぐらだ。環境破壊で、「春」と「秋」が消えつつある日本。たとえ気候は変わっても、先人が持っていた毅然とした気質だけは失いたくない。東京の夜桜を見ながら、私はそう思わずにはいられなかった。

カテゴリ: 歴史

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