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お粗末な朝日新聞「吉田調書」のキャンペーン記事

2014.05.31

「ああ、またか」。失礼ながら、それが正直な感想である。今週、私は取材先の台湾からやっと帰ってきた。私が日本を留守にしている間、朝日新聞が「吉田調書」なるものを“加工”し、「福島第一原発(1F)の現場の人間の9割が所長命令に違反して撤退した」という記事を掲げ、そのキャンペーンが今も続いている。

「ああ、またか」というのは、ほかでもない。ある「一定の目的」のために、事実を捻じ曲げて報道する、かの「従軍慰安婦報道」とまったく同じことがまたおこなわれている、という意味である。私は帰国後、当該の記事を目の当たりにして正直、溜息しか出てこないでいる。

故・吉田昌郎氏は、あの1号機から6号機までの6つの原子炉を預かる福島第一原発の所長だった。昼も夜もなく、免震重要棟の緊急時対策室の席に座り続け、東電本店とやりあい、現場への指示を出しつづけた。

東電本店のとんでもない命令を拒否して、部下を鼓舞(こぶ)して事故と闘った人物である。体力、知力、そして胆力を含め、あらゆる“人間力”を発揮して「日本を土壇場で救った一人」と言えるだろう。

昨年7月に癌で亡くなった吉田氏は、生前、政府事故調の長時間の聴取に応じていた。今回、朝日が報じたのは、28時間ほどの聴取に応じた、いわゆる「吉田調書」の中身だそうである。

私は吉田さんの生前、ジャーナリストとして直接、長時間にわたってインタビューをさせてもらっている。私がインタビューしたのは、吉田所長だけではない。

当時の菅直人首相や池田元久・原子力災害現地対策本部長(経産副大臣)をはじめとする政府サイドの人々、また研究者として事故対策にかかわった班目春樹・原子力安全委員会委員長、あるいは吉田さんの部下だった現場のプラントエンジニア、また協力企業の面々、さらには、地元記者や元町長に至るまで、100名近い人々にすべて「実名」で証言していただいた。

私がこだわったのは、吉田さんを含め、全員に「実名証言」してもらうことだった。そして、拙著『死の淵を見た男―吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』が誕生した。

私は、吉田氏に直接取材した人間として、さらには100名近い関係者から実名証言を得た人間として、朝日新聞が「所長命令に違反」して9割の人間が「撤退した」と書いているのは「誤報」である、ということを言わせていただきたい。

今回、自分の意図に反して貶(おとし)められた故・吉田昌郎さんとご遺族の思いを想像すると、本当に胸が痛む。この意図的な捻じ曲げ記事に対するご遺族の心痛、精神的な打撃は大きく、今後、なにがしかのリアクションが朝日新聞に対して起こされる可能性もあるのではないか、と想像する。

朝日の巧妙な捻じ曲げの手法は後述するが、今回、朝日の記事で「9割の人間が逃げた」とされる「2011年3月15日朝」というのは、拙著『死の淵を見た男』の中でも、メインとなる凄まじい場面である(拙著 第17章 266頁~278頁)。

震災から5日目を迎えたその2011年3月15日朝は、日本にとって“最大の危機”を迎えた時だった。その時、免震構造だけでなく、放射能の汚染をできるだけシャットアウトできる機能も備えた免震重要棟には、およそ「700名」の所員や協力企業の人たちがいた。

朝日新聞は、その700名の「9割」が「所長命令」に「違反」して、原発から「撤退した」と書いている。そう吉田氏が調書で証言しているというのである。

だが、肝心の記事を読んでも、所員が「自分の命令に違反」して「撤退した」とは、吉田氏は発言していない。それが「意図的な」「事実の捻じ曲げ」と、私が言う所以だ。

これを理解するためには、あの時、一体、なぜ700名もの人が免震重要棟にいたのか。そのことをまず理解しなければならない。

震災から5日も経ったこの日の朝、700名もの職員や協力企業の人たちが免震重要棟にいたのは、そこが福島第一原発の中で最も“安全”だったからである。

事態が刻々と悪化していく中で、とるものもとりあえず免震重要棟に避難してきた所員や協力企業の面々は、「外部への脱出」の機会を失っていく。時間が経つごとに事態が悪化し、放射線量が増加し、汚染が広がっていったからだ。

免震重要棟にいた700名には、総務、人事、広報など、事故に対応する「現場の人間」ではない“非戦闘員”も数多く、女性社員も少なくなかった。彼らをどう脱出させるか――吉田所長はそのことに頭を悩ませた。

700名もの人間がとる食事の量や、水も流れない中での排泄物の処理……等々、免震重要棟がどんな悲惨な状態であったかは、誰しも容易に想像がつくだろう。

事故対応ではない「非戦闘員」たち、特に女性職員たちだけでも早くここから退避させたい。トップである吉田さんはそう思いながら、広がる汚染の中で絶望的な闘いを余儀なくされていた。

震災が起こった翌12日には1号機が水素爆発し、14日にも3号機が爆発。その間も、人々を弄ぶかのように各原子炉の水位計や圧力計が異常な数値を示したり、また放射線量も上がったり、下がったりを繰り返した。

外部への脱出の機会が失われていく中、吉田所長の指示の下、現場の不眠不休の闘いが継続された。プラントエンジニアたちは汚染された原子炉建屋に突入を繰り返し、またほかの所員たちは原子炉への海水注入に挑んだ。

そして、2号機の状態が悪化し、3月15日朝、「最悪の事態を迎える」のである。5日目に入ったこの日、睡眠もとらずに頑張って来た吉田所長は体力の限界を迎えていた。いかにそれが過酷な闘いだったかは、拙著で詳述しているのでここでは触れない。

最後まで所内に留まって注水作業を継続してもらう仲間、すなわち「一緒に死んでくれる人間」を吉田さんが頭に思い浮かべて一人一人選んでいくシーン(拙著 第15章 252頁~254頁)は、吉田氏の話の中でも、最も印象に残っている。

午前6時過ぎ、ついに大きな衝撃音と共に2号機の圧力抑制室(通称・サプチャン)の圧力がゼロになった。「サプチャンに穴が空いたのか」。多くのプラントエンジニアはそう思ったという。恐れていた事態が現実になったと思った時、吉田所長は「各班は、最少人数を残して退避!」と叫んでいる。

たとえ外の大気が「汚染」されていたとしても、ついに免震重要棟からも脱出させないといけない「時」が来たのである。「最少人数を残して退避!」という吉田所長の命令を各人がどう捉え、何を思ったか、私は拙著の中で詳しく書かせてもらった。

今回、この時のことを朝日新聞は、1面トップで「所長命令に違反 原発撤退」「福島第一 所員の9割」と報じ、2面にも「葬られた命令違反」という特大の活字が躍った。要するに、700名の所員たちの9割が「吉田所長の命令に違反して、現場から福島第二(2F)に逃げた」というのだ。

吉田所長の命令に「従って」、福島第二に9割の人間が「退避した」というのなら、わかる。しかし、朝日新聞は、これを全く「逆に」報じたのである。記事の根拠は、その吉田調書なるものに、吉田氏がこう証言しているからだそうだ。

「本当は私、2Fに行けと言っていないんですよ。ここがまた伝言ゲームのあれのところで、行くとしたら2Fかという話をやっていて、退避をして、車を用意してという話をしたら、伝言した人間は、運転手に、福島第二に行けという指示をしたんです。(中略)

いま、2号機爆発があって、2号機が一番危ないわけですね。放射能というか、放射線量。免震重要棟はその近くですから、これから外れて、南側でも北側でも、線量が落ち着いているところで一回退避してくれとうつもりで言ったんですが、確かに考えてみれば、みんな全面マスクしているわけです。

それで何時間も退避していて、死んでしまうよねとなって、よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しいと思ったわけです。いずれにしても2Fに行って、面を外してあれしたんだと思うんです。マスク外して」

吉田調書の中の以上の部分が「吉田所長の命令に違反して、現場から逃げた」という根拠なのである。しかし、この発言をみればわかるように、吉田所長は「2F」、すなわち福島第二に「行ってはいけない」とは全く言っていない。むしろ、その方がよかった、と述べている。

これのどこが「吉田所長の命令に違反して、現場から退避した」ことになるのだろうか。サプチャンが破壊されたかもしれない場面で、逆に、総務、人事、広報、あるいは女性職員など、多くの“非戦闘員”たちを免震重要棟以外の福島第一の所内の別の場所に「行け」と命令したのだとしたら、その方が私は驚愕する。

サプチャンが破壊されたかもしれない事態では、すでに1Fには「安全な場所」などなくなっている。だからこそ放射能汚染の中でも吉田氏は彼らを免震重要棟から「避難させたかった」のである。

つまり、記事は「所内の別の場所に退避」を命じた吉田所長の意向に反して「逃げたんだ」と読者を誘導し、印象づけようとする目的のものなのである。

朝日の記事は、今度は地の文で解説を加え、「吉田所長は午前6時42分に命令を下した。“構内の線量の低いエリアで退避すること。その後、本部で異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう”」と、書いている。

今度は、なぜ調書の吉田証言を「直接引用」をしないのだろうか。ひょっとして、そうは吉田所長が語っていないのを、朝日新聞の記者が“想像で”吉田氏の発言を書いたのだろうか。

この一連の朝日の記事の中には、実質的な作業をおこなったのは「協力企業の人たち」という印象を植えつける部分がいくつも登場する。しかし、これも事実とは違う。放射能汚染がつづく中、協力企業の人たちは吉田所長の方針によって「退避」しており、作業はあくまで直接、福島第一(1F)の人間によっておこなわれているのである。

吉田氏は、「いかに現場の人間が凄まじい闘いを展開したか」「部下たちはいかに立派だったか」を語っているはずだ。しかし、朝日新聞にかかれば、それとはまったく「逆」、すなわち部下たちを貶める内容の記事となるのである。

私はこの報じ方は本当に恐ろしい、と思う。一定の目的をもって、事実を「逆」に報じるからである。吉田氏は、政府事故調による28時間もの聴取に応じたことを生前、懸念していた。自分の勘違いによって「事実と違うことを証言したかもしれない」と危惧し、この調書に対して上申書を提出している。そこには、こう記されている。

「自分の記憶に基づいて率直に事実関係を申し上げましたが、時間の経過に伴う記憶の薄れ、様々な事象に立て続けに対処せざるを得なかったことによる記憶の混同等によって、事実を誤認してお話している部分もあるのではないかと思います」

そして、話の内容のすべてが、「あたかも事実であったかのようにして一人歩き」しないかどうかを懸念し、第三者への「公表」を強く拒絶したのだ。昼であるか夜であるかもわからない、あの過酷な状況の中で、吉田氏は記憶違いや勘違いがあることを自覚し、そのことを憂慮していたのである。

その吉田氏本人の意向を無視し、言葉尻を捉え、まったく「逆」の結論に導く記事が登場したわけである。私は、従軍慰安婦問題でも、「強制連行」と「女子挺身隊」という歴史的な誤報を犯して、日韓関係を破壊した同紙のあり方をどうしても思い起こしてしまう。

「意図的に捻じ曲げられた」報道で、故・吉田昌郎氏が抱いていた「懸念」と「憂慮」はまさに現実のものとなった。記憶の整理ができないまま聴取に応じたため、「公表」を頑なに拒否した吉田氏の思いは、かくして完全に「踏みにじられた」のである。

私のインタビューに対して、吉田氏は事故の規模を「チェルノブイリ事故の10倍に至る可能性が高かった」と、しみじみと語ってくれた。そして、それを阻止するために、部下たちがいかに「命」をかけて踏ん張ったかを滔々と語ってくれた。しかし、朝日の記事には、そんな事実はいっさい存在しない。

最悪の事態の中で踏ん張り、そして自分の役割を終えて私たちの前から足早に去っていった吉田氏。そんな人物を「貶める」ことに血道をあげるジャーナリズムの存在が、私には不思議でならないのである。

カテゴリ: 原発

“反日教育”を受けた人民解放軍「青年将校」の怖さ

2014.05.25

台湾南部での取材を終え、今日、台北まで帰って来た。ネット環境が悪く、ブログも更新できないままだった。バシー海峡を隔てて遥かフィリピンと向かい合う鵝鑾鼻(ガランピー)と猫鼻頭(マオビトウ)という二つの岬を中心に台湾最南地域を取材してきた。

バシー海峡に向かって「南湾」と呼ばれる穏やかな湾を包み込む鵝鑾鼻岬と猫鼻頭岬――地元の言い伝えでは、「鵝鑾」は、台湾先住民のパイワン族の「帆」を意味する言葉が訛(なま)ったものであり、「猫鼻頭」は文字通り、岬の形が蹲(うずくま)った猫の姿に似ているところからつけられたものだという。

この二つの岬は、太平洋戦争末期、日本人の悲劇を見つめた場所でもある。“輸送船の墓場”と称されたバシー海峡で、多くの日本兵を満載した輸送船がアメリカの潜水艦や航空機の餌食(えじき)となった。

犠牲となった日本兵の正確な数は、今もわからない。だが、少なくとも十万人を超える兵士たちが、この“魔の海峡”で深く蒼い海の底に吸い込まれていったと言われている。

その犠牲者たちの遺体の一部が流れついたのが、二つの岬に囲まれた台湾最南部の海岸である。この地の古老たちにとっては、流れついてきた日本兵たちの遺体を運び、荼毘に付した経験は、70年という気の遠くなる年月を経ても、鮮烈な記憶としてまだ残っていた。

バシー海峡をめぐる壮絶な体験を持った人々のノンフィクションの取材は急ピッチで進んでいるので、ご期待いただければ、と思う。

さて、私がバシー海峡、そして南シナ海に向かう台湾最南端の地で取材していた時、東シナ海では、一触即発の事態が起こっていた。昨日5月24日、東シナ海上空で、自衛隊機に中国軍機が相次いで“異常接近”したのである。

それは、日本の防空識別圏に大きく踏み込む形で中国が昨年11月に一方的に設定した空域でのことだ。中国機は、日本の海上自衛隊機と航空自衛隊機に対して、それぞれ、およそ50メートル、30メートルまで「並走するように近づいてきた」というのである。

言うまでもないが、30メートルから50メートルまで近づけば、パイロットはお互いの顔がはっきりと見える。つまり、相手の表情を見た上で、「おい、やるか? やるならやってみろ」と、事実上、“喧嘩を売ってきた”ことになる。

幸いに自衛隊機はそんな挑発には乗らなかった。日本の防空識別圏に重なる形で中国は一方的に新たな防空識別圏を設定したのだから、中国にとってそこはあくまで「自国の空域」である。要するに彼らには、「日本が中国の防空識別圏に侵入してきた」という論理になる。

勝手に「設定」して、勝手に自国の領空(領海)だと「主張」し、そして相手には「有無を言わせない」。戦後、周辺国(周辺地域)と紛争を繰り返し、国内でも粛清と弾圧ですべてを支配し、さらにはここ10年で4倍に国防予算を膨張させた中国の面目躍如というところかもしれない。「政権は銃口から生まれる」という毛沢東の言葉通りの国家方針である。

中国の実質的な国防費は日本の防衛予算のおよそ「3倍」と言われる。世界のどの国よりも軍事大国化を押し進める中国は、「地域の現状を一方的に変える」ことに、いささかの躊躇もない。21世紀の現在、そんなことは国際社会では認められないが、世界中を敵にまわしても中国はそれを押し進めるだろう。それが「中国共産党」が持つ特性だからだ。

小野寺五典防衛相は本日、報道陣に対して「ごく普通に公海上を飛んでいる自衛隊機に対して、(航空機が)近接するなどということはあり得ない。完全に常軌を逸した行動だ」「中国軍の戦闘機には、ミサイルが搭載されていた。クルーはかなり緊張感を持って対応した」と、緊迫の状況を説明した。

それは、昨年1月、中国のフリゲート艦が東シナ海で海上自衛隊の護衛艦に火器管制レーダー(射撃用レーダー)を照射した事件を彷彿させるものである。だが、予想通り中国側は、即座に、そして激しく反論した。中国の国防部が、「中国の防空識別圏に“侵入”し、中ロ合同演習を偵察、妨害したのは日本の自衛隊機である」と発表したのだ。

両国の防空識別圏が重なる部分は、当初から航空自衛隊の関係者たちによって「ここが日・中の戦端が開かれる“Xポイント”になるだろう」と懸念されていたところである。実際にそれが現実になる「時」が刻一刻と近づいていることを感じる。

勝手に「自分の領土(空域)だ」と設定して、そこを力づくで「自分の領土(空域)」として実力行使をするのは、ベトナムやフィリピン相手の西沙諸島・南沙諸島での強引な資源掘削と建造物建設の実態を見れば、よくわかる。

日米安保条約第五条の規定によって、日本に対して “何か”をおこなえば、即座に米軍が乗り出してくることは中国もわかっている。それでも中国は「挑発をやめない」のである。

私が懸念するのは、人民解放軍の若手将校たちだ。彼らは、江沢民時代以降の苛烈な反日教育を受けて育った世代である。ただ日本への憎悪を煽る教育をおこなってきた影響は、彼ら青年将校たちにどの程度あるのだろうか。

中国の若手将校の動向が話題になることは少ない。しかし、ちょうど今週、アメリカ企業にハッカー攻撃を仕掛けたとして、米司法省が、中国人民解放軍の若手将校「5人」を産業スパイの罪で起訴したことが発表された。私にはこの事件が象徴的なものに見えた。

米司法省のホルダー長官の発表によれば、「中国人民解放軍の将校5人が、5つのアメリカ企業と労働組合にサイバー攻撃を仕掛け、機密情報を盗んだ。司法省は彼らをサイバー攻撃の疑いで起訴した。このハッカー攻撃は、アメリカ企業を犠牲にして、中国の国営企業など、中国に利益をもたらすために行われたものだ」という。

しかし、中国の外交部は例によって「中国は、アメリカによるサイバー攻撃の被害者である。これは捏造だ。中国は、アメリカに関連事実を説明し、行動を停止するよう求める」と反発した。何を指摘されようと、絶対に非は認めず、反対に「相手に罪をなすりつける」のが中国の常套手段だ。

彼ら若手将校は、肥大化する人民解放軍の中でもエリート集団であり、同時に「怖いもの知らず」だ。文革や貧困時代の中国を知らず、大国となって傍若無人の振る舞いをする中国しか知らない。

どの国でも青年将校は怖い。かつての日本がそうであったように、血気盛んな若手のエリート将校は、時として歯止めがきかなくなる場合がある。理想論を闘わせ、やがてそこに向かって突き進もうとする者が出てくるからだ。

今、中国は「日本が(世界の)戦後秩序を破壊しようとしている」と、世界中でキャンペーンを張っている。日本による「戦後秩序への挑戦」が、彼らのキャッチフレーズなのだ。彼らには、日本が本当に“悪”にしか見えず、それは“憎悪の対象”でしかない。視野の狭い若手将校がどんな考えを持っているかは、容易に想像がつく。

もともと中国国内のツイッターでは「敗戦国が何を言うか」「いっそ原爆を日本に落とせ」と、盛んにやり取りされている経緯がある。日中国交回復以後、3兆円ものODAを中国につぎ込み、さらには民間レベルでの「技術協力」によって、ひたすら中国のインフラ整備に力を注いだ日本。しかし、そのことを全く知らない青年将校たちの「時代」が中国に訪れていることを忘れてはならないだろう。

私はそのことに言い知れぬ恐怖を覚える。苛烈な反日教育には、史実にそぐわない一方的な“日本悪者論”に基づくものが数多い。それを真に受けた世代が、いま前面に出ているのである。

かつて日本の青年将校は、「アジアを解放する。有色人種をアングロサクソンの差別と支配からなんとしても解き放つ」という理想に燃え、そしてその過程で「自分たちには何でもできる」と思い込んでいった。

そんな理想の中で、いつの間にか、「自分たちがその欧米諸国と同じようなことをアジアに対しておこなっていた。ある時、私はそのことに気づきました」と、元山航空隊の元特攻隊員で、零戦搭乗員でもあった大之木英雄・海軍少尉が私にしみじみ語ってくれたことを思い出す。

自分たちの論理で、より過激な道を歩もうとする若手将校たちほど怖いものはない。「“小日本”に核ミサイルをぶち込め」という意見がネットで氾濫する中国で、徹底した反日教育を受けた人民解放軍の青年将校たちは、今後、軍をどう導いていくのか。

操縦桿を握っているのは、彼らエリート意識に溢れた青年将校たちである。何百回、何千回とつづいていく「スクランブル(緊急発進)」の中で、「いつ」「いかなる」不測の事態が勃発するのだろうか。

私には、そのことを考えると深い溜息が出てくる。多くの日本の若者の命を呑みこんだバシー海峡を見てきた直後だっただけに余計、そう感じるのかもしれない。平和ボケしたわれわれ日本人も、不測の事態への「覚悟」だけは持っておくべき時代が来たことだけは間違いない。

カテゴリ: 中国, 台湾

日台の“絆”と映画「KANO」

2014.05.20

台湾に来ている。次作のノンフィクションの取材のためである。明日(21日)からは南部の高雄、明後日からは、恒春より猫鼻頭(マオビトウ)に至る台湾最南端各地での取材となる。

太平洋戦争下、台湾とフィリピンの間に横たわる「バシー海峡」で亡くなった兵士たちにまつわるノンフィクションだ。しかし、今回も“時間の壁”にぶち当たって取材が苦戦を余儀なくされている。なんとか局面を打開したいものである。

昨夜は2年3か月ぶりに訪台した私を、メディアの台北支局長や在台ジャーナリスト、領事館員、あるいは自治体の駐在員たちが集まって歓迎の宴会を開いてくれた。

そこでは、次作のノンフィクションの話はもちろん、3月18日から4月10日まで続いた台湾学生による立法院占拠の話題に至るまで、さまざまな問題が俎上に上がった。

今年3月、日本の国会にあたる立法院を占拠した学生運動は、今後の政局に影響を及ぼす大きなものとなった。台北市・新北市・台中市・台南市・高雄市の市長と議会議員を改選する統一地方選が今年11月におこなわれるだけに、台北駐在の日本人たちもあの学生運動の選挙への影響がどの程度のものとなるのか、関心が非常に高いようだ。

そんな中で、話題が映画『KANO』に及んだ。今年の2月から台湾で上映されている人気映画である。昭和六年の夏の甲子園で見事準優勝を遂げた嘉義農林野球部の実話を映画化したものだ。

日本人、台湾人、原住民の三つの民族で構成される嘉義農林は、常勝ならぬ“常敗”のチームだったが、松山商業、そして早稲田大学という野球の名門で活躍した近藤兵太郎氏を監督に迎えて、めきめき腕を上げていく。

さまざまな出来事を乗り越えて甲子園の決勝まで駒を進めた嘉義農林は、決勝でこの年から3連覇を果たすことになる強豪・中京商業と激突。連投で指を痛めた嘉義農林の呉投手が血染めのボールを投げ続けるシーンはこの映画のハイライトと言える。

映画には、烏山頭ダムを建設し、嘉南一帯を有数の穀倉地帯に生まれ変わらせた技師・八田與一も登場する。その豊かな水がそれぞれの水路に流れ込む場面と全島制覇を成し遂げた嘉義農林を同時に描いた部分が斬新であり、感動的だった。

私は、ここまで日本の統治時代を前向きに捉えた作品は見たことがない。戦前の日本と日本人の凄さが、そのまま描かれた作品だったと思う。

私は、拙著『この命、義に捧ぐ―台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡―』(角川文庫)を取材していた5、6年前、「門田さんは嘉義農林のことを書くつもりはりませんか?」と台湾で持ちかけられたことがある。私が拙著『ハンカチ王子と老エース』(のちに『甲子園の奇跡』と改題。講談社文庫)で昭和六年の甲子園大会のことをノンフィクション作品として発表していたからである。

その時、すでに嘉義農林の当時の選手たちが若くして戦死したり、あるいは老齢で病死しており、ノンフィクション作品として描くことが難しいことを理由にお断りさせてもらった経緯がある。それだけに、映画『KANO』が、どのように当時を描いたのか、そこに関心があった。

折しも、中国が南シナ海一帯で周辺国との摩擦を繰り返している。そんな複雑な国際情勢の中で、制作者の魏徳聖氏はこの作品で何を訴えたかっただろうか、と思う。魏徳聖氏は、『海角七号』や『セデック・バレ』という話題作を次々発表している台湾ナンバーワンの映画監督である。

少なくとも、「日本なくして台湾なし、台湾なくして日本なし」ということに改めて気づかせてくれる貴重な映画であったことは間違いない。私は今日、取材の合間に映画『KANO』を観にいき、そのことを強く感じた。映画の後半では、映画館が観客のすすり泣きで覆われたのが印象的だった。

覇権主義と領土的野心を隠すことさえしなくなった中国に対抗する唯一の方法は、日本と台湾が強固に結びつくことである。そのために、この映画は多大な影響をもたらすに違いない。

私は、これを日本でも上映して欲しいと思った。多くの日本人が、ひたむきな日本と台湾の戦前の人々の姿に心を打たれるだろう。日本と台湾の“絆”が深まれば、中国も簡単には手が出せない。その意味でも、日本での一刻も早い上映を待ちたい。そんなことを考えながら、私は今日の午後、台北の映画館にいた。

カテゴリ: 台湾, 歴史

日本はそれでも「中国の掌(てのひら)」で踊るのか

2014.05.07

2014年のゴールデンウィーク(GW)も終わった。昨夜は、大学時代のサークルの飲み会があり、夜中まで深酒した。帰路、酔い冷ましに午前2時を過ぎた都心をしばらく歩いたが、GWというのに3月から4月上旬の気温らしく、実に肌寒かった。当方のGWは、相変わらず世の中の休みとは無縁の仕事三昧の日々だった。今朝は、疲労困憊で職場に向かう連休明けのサラリーマンで電車が一杯になっていた。

GWというのは、国民の大型連休であると同時に、国会議員を筆頭に、議員センセイたちにとっては、貴重な“外遊”の時期でもある。地方議員には、「視察」と称されるこの海外旅行は最も大きな楽しみとなっている。一時期、税金の無駄遣いと批判が出たが、それでも今もつづく“年中行事”のひとつである。

今年、話題を集めたのは、自民党副総裁の高村正彦氏が会長を務める日中友好議員連盟の訪中だろう。私は当ブログで「真の“日中友好”をはかるためには、今は中国との距離を置くべき」と何度も書かせてもらっている。そのため、この訪中団の動向が気になっていた。

訪中前から「日中首脳会談の実現に向けた環境整備を図りたい」と、その目的が明らかにされていたからだ。「このメッセージが中国に利用されなければいいが……」と、私は思っていたのである。

いま日本側が「日中首脳会談」を開かなければならない理由は全くない。歴史問題を振りかざして世界中で“日本悪玉論”を展開している習近平・国家主席に対して「すり寄る」ような印象を世界に見せてしまっては、対中包囲網外交を展開している安倍外交そのものを「否定」してしまいかねない。さらに、当の中国に対しても誤ったメッセージを与えてしまうことになるからだ。

残念ながら、その懸念は的中した。報道によれば、高村会長は5月5日午後、中国共産党で序列3位の張徳江・全人代委員長と北京で会談し、「なんとか本来の戦略的互恵関係に戻したい。そのためには、日中首脳会談の実現を……」と伝えたという。予想通り、中国当局は、この“飛んで火に入る夏の虫”を逃さなかった。

張氏は「習国家主席に伝える」と述べるにとどまり、さらに高村氏が全人代と日本の国会の間で議会交流を行いたいとの意向を伝えると、「議会交流の再開が望ましい」と前向きな発言をした上で、「しかし、日本側が問題を取り除くよう態度で示して欲しい」と発言したのである。

会談から数時間後、中国外交部の女性報道官、華春瑩・副報道局長は内外の記者たちに、「日本の指導者は、歴史を直視して深刻に反省し、実際の行動で両国関係が正常な関係に戻れるよう真面目に努力すべきである」と、表明した。すなわち首脳会談をしたければ、「まず自ら態度を改めよ」というわけだ。勝ち誇ったような華報道官の表情が印象的だった。

私は、さまざまな思いが頭をよぎった。自民党副総裁の立場にある高村氏の発言は当然、安倍首相の意向によるものだろう。実際、張氏との会談の中で「これは安倍首相の気持ちです」と、首脳会談実現に対して注釈までつけたという。

連休前の4月24日に訪中した舛添要一東京都知事も、思惑を持った中国の掌で踊らされた。中国側の招きに応じて訪中した舛添氏は「北京市が数ある友好都市の中から一番最初に私をお呼びいただいたことは、中国国民、北京市民が本当に日中関係をよくしたいんだという思いが胸に響いています」と、都知事就任後初の訪中の感慨を披歴(ひれき)した。

しかし、中国側は日本との関係改善への意欲を示しながらも、「(日中間の)最大の問題は靖国神社参拝である」と釘を刺すことを忘れず、舛添氏は、「帰国して安倍総理とお会いする機会があれば正確にお伝えする」と、返答せざるを得なかった。

中国のやり方は、昔も今も変わらない。中国に招いて相手をおだて上げて有頂天にさせ、その上で、自分たちの主張をわからせ、さらにその要求を実現させるための“尖兵”に仕立て上げるのである。

中国に完全に取り込まれた小沢一郎氏が2009年12月、民主党議員143名を引き連れて訪中した例を見ればわかりやすい。訪中団の一人一人が「1人何秒」と注文をつけられた上で、胡錦濤国家主席(当時)と嬉々としてツーショットの記念写真に収まっていくさまが象徴的だった。

恥も外聞もない訪中団として歴史に刻まれたこの事例は別としても、相手が中国の場合、政治家は招待を受けた段階で、すでに「相手に取り込まれる」ことを認識しなければならない。

なぜなら、訪中して序列の高い人間と会えなければ、自分たちの価値は落とされる。政治家なら、それを避けたいのが人情であり、習性だ。そこが中国側の狙いどころなのである。日本の政治家が、まず地位の高い人間と会わなけれならないことが“第一”であることを中国側は熟知しているのだ。

そして、訪中の間に、地位の高い人間との会見が「可能になった」ということを告げ、その会見の実現自体に「感謝させる」のである。そして、会見の席上、中国側の言い分をありがたく“拝聴”させる。

知らず知らずの内に中国に対して膝を屈していく「土下座外交」の仕組みがそこにある。連休前に訪中した舛添氏も、そして今回の高村訪中団も、したたかな中国と中国人のやり方に乗せられたと言っていい。高村氏の場合、靖国問題で相当突っ込んだ議論をおこなったというのが唯一の“救い”かもしれない。

いま中国の内情はガタガタだ。ウィグル族による弾圧への抗議のテロが相次ぎ、大都市では、排気ガスや噴煙等による有害なPM2.5がまき散らされ、ばい煙による地球規模の環境破壊も一向に改善される兆しがない。

さらに中国は世界から孤立しつつある。ベトナムの排他的経済水域で海底資源の掘削を強引におこなっている中国に対して、アメリカは5月6日の記者会見で、国務省のサキ報道官が「中国の行為は挑発的であり、地域の平和と安定に役立たない」と、痛烈に非難した。

サキ報道官の言を俟(ま)つまでもなく、領土的野心を隠さなくなった中国と周辺諸国との摩擦はエスカレートしつづけている。尖閣や南沙諸島の奪取を目論んで、盛んに東シナ海、南シナ海を遊弋(ゆうよく)する中国艦船は、世界的な紛争が勃発する原因が「ここにある」ことを示している。

サキ報道官の会見があった翌7日、さっそく石油掘削作業をめぐって、作業を阻止しようとしたベトナム艦船と中国船が海上で衝突し、事態がエスカレートする懸念が高まっている。周辺諸国に対して挑発行為をつづける中国は、さまざまな場所で“一触即発”の状態にあることをはからずも世界に知らしめたのである。

アメリカは、この「仮想敵国・中国」に対して着々と手を打っている。オバマ大統領が連休前の4月28日、フィリピン訪問で、フィリピンへの米軍派遣拡大を図る新軍事協定に署名し、1992年にフィリピンから撤退していた米軍が20数年ぶりに「フィリピンに戻ってくる」ことが決められたのも、そのひとつだ。

オバマ大統領は、「アメリカのフィリピン防衛への関与は鉄板のように堅い。われわれは同盟国が孤立しないように関与を続ける。(領土にかかわる)論争は、平和的に、そして脅迫や威圧なしに解決されなければならない」と、国名の名指しこそ避けたものの、中国への痛烈な非難を含むスピーチをフィリピンでおこなったのである。

孤立を深める中国は、ウクライナ問題で同じように国際社会から孤立するロシアとの接近をはかるしかなくなっている。そんな中国に「首脳会談に応じてください」と日本側から懇願する必要はまったくない。

1970年代に、のたうちまわるような苦労の末に各種の公害を克服した日本からの援助を中国は喉から手が出るほど欲しい。そのために、世界中で対中包囲網外交を繰り広げる安倍政権にさまざまなルートを通じて「揺さぶり」をかけているのである。

今は、自治体の首長や政治家たちが訪中する時期ではない。行くこと自体が孤立感を深めつつある彼らを「勇気づかせてしまう」からだ。これまで何度も当ブログで書いてきたように今は我慢に我慢を重ね、臥薪嘗胆で中国との「距離」を置かなけれならない。

そうすれば、放っておいても、中国側から日本にすり寄ってくる。これまで「舐められていた」日本が着々と進める対中包囲網外交によって、日本への「対応の変化」を説く動きがやっと中国に出始めたのである。

ここまで中国にバカにされながら、日本は返済義務のない無償資金協力(ODA)を現在も年間およそ300億円もおこなっている(外務省・平成24年版ODA白書)。いまやるべきは、訪中してご機嫌を伺うことではなく、「貴国は、すでにわが国を上まわる経済大国となりましたので、謹んで無償資金協力を終了させていただきます」と、告げることである。

1972年の日中国交回復の際、周恩来首相は田中角栄首相に「言必信 行必果」(言必ず信、行必ず果)という孔子の言葉を書いた色紙を贈ったのは、あまりに有名だ。これは、いまだにその意味をめぐって論争が絶えない言葉である。

この言葉だけを見れば、「言うことは必ず偽りがなく、やるべきことは必ず結果を出す」という意味だ。だが、実際の孔子の言葉には後段があって、「硜硜然 小人哉」(こうこうぜんとして しょうじんなるかな)とつづく。

これは、「それだけしかできないとしたら、それは小さな人間だ」という意味である。つまり、「言ったことには必ず偽りがなく、やるべきことは必ず結果を出す。だが、それだけしかできない人間は、小物である」という意味になる。

国交回復の当事者として訪中した日本の総理に対してすら、そんな言葉を色紙に書いて贈るのが中国の指導者である。それから42年という長い年月が経過し、日本はその間に「3兆円」を超える円借款をおこない、ひたすら中国の近代化のためのインフラ整備に力を注いだ。それがどれだけ「日中友好」に寄与したのかと思うと、深い溜息が出るのは私だけではあるまい。

もう、中国の掌で踊るのはやめ、「中国と距離を置く」必要性を噛みしめ、アジアの民主国家として毅然として中国と対峙すべきではないのか。その方が真の意味の日中友好への「近道」であることを政治家たちには理解してもらいたいものである。

カテゴリ: 中国

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