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朝日誤報事件「故郷土佐」で訴えたこと

2014.10.27

一昨日、昨日(土・日)に、2日続けての講演で故郷・高知に帰ってきた。25日は、昭和19年10月25日に戦局挽回のために特攻が始まって70年目の記念日だった。その日に合わせて、「特攻、その真実」というテーマで、故郷で講演をさせてもらった。

ちょうど今月、戦争ノンフィクション『慟哭の海峡』(角川書店)を出したばかりでもあり、故郷での講演ということで、ふたつ返事で引き受けさせてもらった。

特攻第1号といえば、関行男大尉が率いた「敷島隊」が広く知られている。しかし、この定説には異論が存在する。というのも、敷島隊は10月21日の初出撃で敵艦隊を発見できず、23日、24日の出撃を合わせて、計3度も引き返している。

やっと10月25日の「4度目」の出撃によって敵艦隊と遭遇することに成功。250㌔爆弾を抱いて体当たりを敢行し、空母一隻撃沈、さらに一隻が火災停止、軽巡洋艦一隻も轟沈という大戦果を挙げたと伝えられる。だが、その時、実は時間的には、敷島隊ではなく「菊水隊」の方が先に敵に特攻を敢行していたのではないか、という説が存在する。

海軍兵学校出の関大尉を“第一号”にしたかった海軍上層部の意向があり、菊水隊は記録上、特攻“第一号”とはなっていない。しかし、どこが第一号なのかというこの“時間論争”は専門家の間では、いまだに議論がなされている。

菊水隊には、高知県幡多(はた)郡出身の宮川正・一等飛行兵曹がいた。私は、この宮川一等飛行兵曹の逸話をはじめ、特攻にまつわるさまざまなエピソードを紹介しながら、当時、最前線で戦った男たちの「信念」と「無念」を語り継ぐことの重要性を講演で話させてもらった。

そして、昨日の26日には、「ネット新時代のジャーナリズムを考える~朝日新聞は何に敗れたのか~」というホットなテーマで、講演をさせてもらった。こちらは、話題がホットなだけに、聴いてくれている人たちの熱気がより伝わってきて自然と力が入った。

高知は、土佐出身の自由民権運動家・植木枝盛が立志社の機関誌『海南新誌』創刊号巻頭に「自由は土佐の山間より出ず」と書いた言葉でわかるように、日本の「自由と民主主義」の原点となった地である。私はその土佐で、いま日本が「時代の転換点に立っている」ことを話させてもらったことに少なからず意義を感じている。

真実を追及するのではなく、自らの「イデオロギー」や「主張」に従って、自分の都合のいい事実をピックアップして「真実」とはほど遠いものを掲げて大衆を誘導していく――私が長く“朝日的手法”と呼んできた日本のジャーナリズムの悪弊をじっくり2時間にわたって話をさせてもらった。「朝日新聞の敗北」の意味を私なりの解釈で講演させてもらったのである。

一連の従軍慰安婦報道と「吉田調書」報道――朝日新聞を襲ったこの二つの事柄は決して難しく考えることはないと思う。このことで明らかになったのは、これまで当ブログでも書きつづけているように、「朝日新聞は日本を貶めるためなら真実を捻じ曲げる」という、ただそれだけのことである。

なぜ朝日は事実を曲げてでも、日本を貶めたいのか。これは、1970年代に新左翼がもてはやした「反日亡国論」を理解しないとわかりにくいかもしれない。

日本の戦後は、「戦争を反省すること」から始まったことに異論はないだろう。戦争とは“絶対悪”なので、戦争を反省することに誰も反対はない。しかし、戦争をするというのは、一方が悪いのではなく、両方に必ず非があるはずなのに、日本では「日本だけがすべて悪かった」という短絡的な戦争反省論が構築され、それに支配されてきたことに不幸の第一があった。

それは、GHQによって生み出された非常に歪(いびつ)な戦争反省論だった。それも無理はなかっただろう。もし、「戦争犯罪」を指弾するなら、“焦土化作戦”によって、日本中の都市を焼き払い、広島・長崎に住む非戦闘員の頭上に原爆を投下したアメリカは、国際法に違反しただけでなく、人道上の罪という観点からも、本来、「許されるものではない」からである。

しかし、そのことから逃れ、日本だけを糾弾するためには、日本の指導者を徹底的に非難し、「日本だけが悪かった」という理論を構築する必要があった。昨日までの日本の指導者たちが断罪されることに多くの日本人は戦争に敗れたことの悲哀を感じ、瞑目(めいもく)した。

だが、そのGHQにもろ手を挙げて同調し、日本を弾劾する方向に突っ走っていった新聞があった。それが、戦前・戦中を通じて最も軍国主義を煽った朝日新聞である。GHQの顔色を窺いながら、ひたすらGHQにとって“愛(う)いやつ”になったメディアの代表が朝日新聞である。

朝日は、ひたすら「日本だけが悪かった」という論陣を張りつづけ、それに反する意見や文化人を全面否定する路線をひた走った。自分の意見に反対する者に“右翼”のレッテルを貼り、「日本だけが悪かった」論を拡散させつづけるのである。

それが全盛時代を迎えたのが、1970年代である。ベトナム反戦の風潮に乗って今度は「反米」を掲げた朝日は、全共闘世代、いわゆる団塊の世代に全面的に受け入れられた。それでも朝日新聞は「日本だけが悪かった」という主張を引っ込めることはなかった。

「日本だけが悪かった」という理論は、やがて新左翼の間に「反日亡国論」を生んだ。アジアの人民に災厄だけをもたらした日本人には“生存する権利”などなく、文字通り滅びればいい、という極端な理論である。強固な「反日」の思想は、当時の若者に幅広く受け入れられ、特にジャーナリズムの世界に「根を張る」ことになる。

そして、朝日新聞をはじめ、日本のメディアは大衆を誘導するためには、「事実」を自分の主張に合うべく都合よく“加工”し、それで大衆を誘導していくことの手法を多用していくようになる。“真実”より“イデオロギー”という時代の到来である。朝日新聞はいつの間にかそのことに慣れ、次第にそれが“当たり前”のようになっていった。

私は、2014年9月11日、朝日新聞が「吉田調書」報道で自らの誤報を認め、謝罪の上に自らの記事を撤回した時、「ああ、時代の転換点が遂にやって来た」と思った。それは、事実を捻じ曲げてまで自分の国を貶めるジャーナリズムの正体がやっと国民の前に「明らかになった」という意味である。

朝日新聞とは、平和を愛し、先人を敬い、家族や郷土、そして国を愛するという大多数の日本人の「実は敵だった」ことがやっと「明らかになった」のである。

日本人は「決して誇りを持ってはいけない」「国を愛するのは右翼だ」「日の丸は許されない」という彼(か)の国の代弁者ともいうべき存在でありつづけた朝日新聞の正体、ひいては“進歩的”ジャーナリズムの問題点が私たちの前に明らかになった意義は大きいと思う。

朝日新聞の木村伊量社長が、社内の動揺を鎮めるために8月28日に社内メールで出した内容は興味深い。週刊文春によってスッパ抜かれたその中身には、こういうくだりがあった。

「私の決意はみじんもゆらぎません。絶対ぶれません。偏狭なナショナリズムを鼓舞して韓国や中国への敵意をあおる彼らと、歴史の負の部分を直視したうえで互いを尊重し、アジアの近隣諸国との信頼関係を築こうとする私たちと、どちらが国益にかなうアプローチなのか。改めて問うまでもないことです」

平和を愛し、先人を敬い、家族や郷土、そして国を愛するという大多数の日本人の心が、木村社長には「偏狭なナショナリズム」としか捉えられないのだろうと思う。そして、「歴史の負の部分を直視したうえで互いを尊重し、アジアの近隣諸国との信頼関係を築こうとする」のが朝日新聞なのだそうだ。

私は、申し訳ないが、こう言わせていただきたい。「歴史の真実をねじ曲げて誤った情報を世界に広げ、アジアの近隣諸国との信頼関係を決定的に破壊してきた」のが朝日新聞なのだ、と。

日本人は今、朝日新聞の長年の報道によって、朝鮮人女性の「強制連行」というありもしない事実をつくり上げられ、「慰安婦=性奴隷(sex slaves)」を弄んだ日本人として世界中から非難されている。

そこまで歴史の真実をねじ曲げて、朝日新聞が「日本と日本人を貶めるのはなぜですか?」と、私は本当に朝日新聞に聞いてみたい。多くの日本人は、「偏狭なナショナリズム」など持っていない。あなたが勝手にそんな“敵”をつくり上げて、自分の立ち位置を「正しいもの」と強弁しているだけではないですか、と問うてみたいのである。

私は、そんな話を故郷・土佐でさせてもらった。「自由は土佐の山間より出ず」という自由発祥の地で、戦後ジャーナリズムのくびきから脱することの「意義」について、最初に話をさせてもらったことに、私は深い感慨を覚えた。

カテゴリ: マスコミ, 歴史

永田町で教訓を「生かす者」「殺す者」

2014.10.20

「なんのための改造だったの?」。永田町では、そんな声が飛び交っている。改造前には、辞任が取り沙汰されるような閣僚スキャンダルは出なかったのに、満を持したはずの内閣改造をおこなった直後、次々とスキャンダルが噴き出した。

目玉だった女性閣僚のうち、小渕優子経済産業相と松島みどり法相の二人が「一緒に辞任する」というのだから、大変な事態である。

先週から今週にかけて、辞任劇に至る永田町の動きは興味深かった。選挙区内の祭りで配られた「うちわ」をめぐって松島みどり法相が窮地に追い込まれていくのに対して、最初に追及した民主党の蓮舫議員も、「うちわ」のようなものを「配っていた」と反撃を食らうなど、低レベルな議論が飛び交う様相を呈していたからだ。

さらに週刊新潮の報道から発した小渕優子経済産業相の案件の方は、「呆れてものも言えない」というのが多くの国民の本音ではないだろうか。

いまどき、これほど「露骨」で、しかも「わかりやすい」不明朗な資金処理をやっていたこと自体に国民は驚いたに違いない。今まで問題にならなかったことの方が不思議なぐらいのお粗末な資金処理である。

女性総理候補のトップといってもよかった小渕氏は、大きな打撃を受けた。私は、これまで繰り返されてきた政治資金問題、いわゆる“政治とカネ”の問題で、過去の事件による教訓が「まったく生かされていないこと」に最も驚いた。

記者会見で小渕氏は、「私自身がわからないことが多過ぎる」「信頼するスタッフのもとでおカネの管理をしていただいたが、その監督責任が十分ではなかった」「すべて私が甘かった」と思わず吐露した。

後援会の誰かに“食いもの”にされたのか、あるいは、自分が全く知らないところで“何かが起こっていたのか”――いずれにせよ、小渕氏の政治家としての資質の問題だろう。

過去の教訓を「生かす」か「殺す」か。それで運命が大きく変わってくるのは永田町に限らず、一般社会の常識である。私はその意味で、小渕氏の失態に同情の余地はなく、さらに言えば、この脇の甘さで“国家の領袖”を目指すのは、とても無理だと感じざるを得なかった。

私は、大臣就任時、各メディアのインタビューに対して能面のような表情で答える小渕氏のようすを見て、「あれ?」と思った。小渕氏の人間的な魅力がまったく出ていないように思えたのである。

だんだん自民党内で地歩を固めるにつれ、逆に「表情」を失い、「能面」のようになってしまったのだろうか。失言を恐れて機械的なやりとりになっていったのかもしれないが、もしそうなら、政治家としての限界だろう。ご本人の「実力」と政治的な「地位」、それに周囲の「期待の大きさ」との間に、だんだんと「乖離(かいり)が生じていたのではないか」と推察する。

「二人を任命したのは私であり、責任は私にあります。こうした事態になったことに国民に深くお詫び申し上げます。しかし、政治の遅滞は許されません」と語った安倍首相も悔しさが隠せなかった。まさに「なぜ?」という思いだろう。

私は一方で、永田町の動きの中で過去の教訓を“プラス”にする側のことも印象に残った。ほかならぬ北朝鮮による「拉致被害者家族会」のことだ。

またしても「家族会」によって政府は「交渉とは何か」の基本を教えてもらっているような気がする。先週の10月16日夜、家族会が「安否に関する報告が聞ける段階まで派遣は待つべきだ」とする申入書を政府に提出した。

この申入書は、東京で開かれた集会の中で山谷えり子・拉致問題担当大臣に家族会から直接、手渡された。私も、このニュースに接してハッとした。そして、「さすがだなあ」と唸ってしまった。

「(拉致問題は)完全に決着している」。家族会が重視したのは、今月、ニューヨークで北朝鮮外務省の高官が、この発言をおこなったことだった。このひと言で、「北朝鮮の拉致問題に対する態度が変わりつつある」ことに家族会は気づいたのである。

叔父の張成沢を無惨にも粛清したことにより、頼るべき中国からソッポを向かれた金正恩・朝鮮労働党第一書記は、経済破綻の立て直しを日本からの「巨額の援助」に頼ろうと方針転換した。そこで出てきたのが、拉致被害者の「全面的な再調査」だった。

両国の間で合意されたこの「再調査」は、いかに北朝鮮が追い詰められているか、を表わすものでもあった。しかし、今月のニューヨークでの北朝鮮高官の発言は、家族会にとって「その方針は果たして堅持されているのか」という疑念を生じさせるものだったわけである。

さっそく、「いまピョンヤンにのこのこ出かけていったら、相手のペースに乗せられる」と懸念を持った家族会には、「さすが」というほかない。長年、北朝鮮と対峙している家族会にとっては、北朝鮮の考えることは「手に取るようにわかる」に違いない。

私は「無法国家との交渉とは何か」を家族会が教えてくれているような気がする。いや、「外交とは何か」という根本を教えてくれているのかもしれない。なぜなら、家族会は「調査結果の提出期限」を決め、それが守られない場合は「協議を白紙に戻すことも検討すべきだ」と主張しているからだ。

一刻も早く拉致されている肉親を取り戻したい家族会が、相手のやり方を熟知しているがゆえに、逆に「相手のペースに乗ってはならない」と必死で堪(こら)えているさまが浮かび上がる。

断腸の思いで今回の申入書が出されたことを想像すると胸が痛む。そして、集会で家族会代表の飯塚繁雄さんが語った以下の言葉も印象深かった。

「今、ピョンヤンに行くのは拙速だ。単に“来い”というだけで、日本側が乗り込んでいくのはリスクがある。それでも総理の判断で行くのであれば、担当者1人か2人で行き、情報を“持ち帰るだけ”にしていただきたい」

外交における交渉とは、「力と力」、「駆引きと駆引き」の勝負である。相手の要求通り、北朝鮮に、ただ行けば、相手のペースに乗り、家族会が指摘するように、相手のつくった土俵に上がることになってしまう。

秋から冬に向かえば、北朝鮮は今年も“飢餓の季節”を迎える。「引き伸ばしによる援助の先取り」で人道的支援を勝ち取ろうとする北朝鮮の目論見は、家族会の苦渋の申し入れによって風前の灯になったと言えるだろう。

本日、政府は、日本人拉致被害者の再調査について、伊原純一・外務省アジア大洋州局長ら交渉当事者を訪朝させることを正式決定する方針を固めたが、家族会の申入書によって、伊原局長への安倍首相の指示は、事前とは「決定的に違うもの」になるだろう。

「(拉致問題は)完全に決着している」という北朝鮮の揺さぶりが勝つのか、家族会が言うように「調査結果の提出期限を決め、それが守られない場合は協議を白紙に戻すべき」との主張が勝つのか。

秋が深まり、寒さが増していく中で始まった「北朝鮮」と「家族会」との我慢比べ――正義が勝つことを私は、信じたい。

カテゴリ: 北朝鮮, 政治

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