門田隆将オフィシャルサイト | kadotaryusho.com

  • 最新情報
  • プロフィール
  • 著作リスト
  • 講演のご依頼
  • ブログ
(C) KADOTA RYUSHO. ALL RIGHTS RESERVED.
BLOG | KADOTARYUSHO.COM

ブログ

2015年は生き残りをかけて新聞が“二極化”する

2014.12.31

いよいよ激動の2014年が終わる。私にとっては、新聞とは何か、新聞記者とは何か、を考えさせてくれる「1年」でもあった。来たる2015年はどんな年になるのか、今年の出来事から考えてみたい。

ふり返ると、2014年は、私は年明けから徹夜の連続だった。過酷な現実や歴史の真実と向き合い、必死でそれを切り取ろうと取材する新聞記者の姿を描くノンフィクション作品のためだ。それは、角川書店から3月に発売した『記者たちは海に向かった―津波と放射能と福島民友新聞』である。

私は、この作品で、福島県の地方紙・福島民友新聞を取り上げさせてもらった。同紙は、津波で一人の若手記者を失い、さらに停電とそれに伴うトラブルで新聞発行の危機にも陥った。凄まじい葛藤と闘いの真実は、「新聞」と「新聞記者」というものが何であるか、を私に教えてくれるものだった。

その命を落とした若い記者は、2011年3月11日、福島県南相馬市で津波の最前線で取材していた時、自分の命と引きかえに地元の人間の命を救った。大津波に呑まれて死んだその記者の行動と姿は、同僚に大きな衝撃を与えた。

それは、ほかの記者たちも津波を撮るべく海に向かい、そして、同じように命の危機に陥っていたからだ。なかには目の前で津波に呑まれる人を救うことができなかった記者もいた。

なぜ自分が生き残って、あいつが死んだんだ――。一人の記者の「死」は、生き残った同僚たちに大きな哀しみと傷痕を残した。それは、「命」というものを深く考えさせ、その意味を問い直す重い課題をそれぞれに突きつけた。私は、そのことを当事者たちに長時間かけて話してもらった。

その中で、新聞記者の役割と使命の重さを感じ、それをノンフィクションとして描かせてもらったのである。同時に「紙齢(しれい)」を途切らせてはならないという新聞人たちの強烈な思いも知った。

「紙齢」とは、創刊以来つづくその新聞の通算発行部数のことだ。これが、「途切れる」、すなわち、「紙齢を欠く」ことは新聞にとって「死」を意味する。

創刊100年を超える歴史を持つ福島民友新聞は、この時、記者を喪っただけでなく、激震とその後の電気系統のトラブルで、新聞が発行できない崖っ淵に立たされた。ぎりぎりの状況で、凄まじい新聞人たちの闘いが展開されたことに私は圧倒された。

福島民友新聞で繰り広げられた出来事によって、新聞と新聞記者の存在意義を描かせてもらった私は、5月以降、今度は、別の新聞とまったく異なる闘いを余儀なくされることになる。

朝日新聞である。同紙は、故吉田昌郎・福島第一原発元所長が政府事故調の聴取に応じた、いわゆる「吉田調書」を独占入手したとして、今年5月20日、「2011年3月15日朝、所員の9割が吉田所長の命令に違反して福島第二(2F)に撤退した」という大報道をおこなった。

総務・人事・広報など女性所員を含む700名あまりが詰めていた免震重要棟から、所長命令に「従って」2Fへ退避した所員たちが、「命令違反」と真逆に書かれていることに私は仰天した。

なぜなら、私は、吉田氏本人や90名ほどの現場の人間たちに取材し、実名であの土壇場での闘いを『死の淵を見た男―吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(PHP)に描いている。朝日が書いた場面は、拙著のメインとなる、まさにそのヤマ場である。

詳細な実名証言による拙著の記述を、朝日新聞は全面否定してきたことになる。私は、まずブログで朝日新聞の記事は「誤報である」と指摘し、以後、週刊誌、写真誌、月刊誌、新聞……と、あらゆる媒体で「なぜ誤報なのか」という指摘をさせてもらった。

論評をおこなう私に対して、朝日新聞は、「謝罪と訂正記事の掲載」を要求し、それをしない場合は、「法的措置を検討する」という脅しの抗議書を送ってきた。

しかし、8月に入って、産経新聞、読売新聞、共同通信が相次いで「吉田調書」を入手し、朝日新聞の報道を全面否定した。そして、9月11日に前代未聞の記事の撤回・謝罪、編集幹部の更迭、社長の辞任が発表された。

朝日新聞社内に置かれている「報道と人権委員会(PRC)」は11月に見解を出した。それは、全編、驚きの連続だった。特に、「吉田調書」そのものを担当の記者以外、上司は誰も読んでおらず、編集幹部がこれを読んだのが、政府が吉田調書の公開を決定した「8月21日」だったことに絶句した。

朝日新聞は、肝心の吉田調書すら読まずに、言論弾圧の抗議書を私に送りつけていたのである。それだけではない。朝日新聞は、取材対象者が700人以上もいたにもかかわらず、「たった一人」の現場の人間も取材もしていなかった。

私は、同じジャーナリズムの世界にいる人間として、唖然とした。福島民友新聞の記者たちが命をかけて「真実」を切り取ろうとしたことを描いたノンフィクション作品を上梓した私にとって、それは驚き以外のなにものでもなかった。あまりにお粗末なその実態と経緯は、ブログや拙著『吉田調書を読み解く―朝日誤報事件と現場の真実』(PHP)で書かせてもらったので、詳細はそちらでお読みいただきたい。

私は、暮れが近くなって(12月22日)発表された朝日新聞の第三者委員会の「従軍慰安婦問題」に関する報告書の中で、ある部分に目が吸い寄せられた。

それは、外交評論家でもある岡本行夫・第三者委員会委員の見解が記された箇所である。そこには、こんなことが書かれていた。

〈新しい方向へレールが敷かれた時の朝日の実行力と効率には並々ならぬものがある。しかしレールが敷かれていない時には、いかなる指摘を受けても自己正当化を続ける。その保守性にも並々ならぬものがある。

 当委員会のヒアリングを含め、何人もの朝日社員から「角度をつける」という言葉を聞いた。「事実を伝えるだけでは報道にならない、朝日新聞としての方向性をつけて、初めて見出しがつく」と。事実だけでは記事にならないという認識に驚いた。

 だから、出来事には朝日新聞の方向性に沿うように「角度」がつけられて報道される。慰安婦問題だけではない。原発、防衛・日米安保、集団的自衛権、秘密保護、増税、等々。
 方向性に合わせるためにはつまみ食いも行われる。(例えば、福島第一原発吉田調書の報道のように)。なんの問題もない事案でも、あたかも大問題であるように書かれたりもする。

 新聞社に不偏不党になれと説くつもりはない。しかし、根拠薄弱な記事や、「火のないところに煙を立てる」行為は許されまい。朝日新聞社への入社は難関だ。エリートである社員は独善的とならないか。「物事の価値と意味は自分が決める」という思いが強すぎないか。

 ここでは控えるが、ほかにも「角度」をつけ過ぎて事実を正確に伝えない多くの記事がある。再出発のために深く考え直してもらいたい。新聞社は運動体ではない〉(一部略)。

岡本氏の見解に私は同意する。新聞社は運動体ではない――当たり前のことであり、読者も同じ思いだろう。日本は思想、信条も、すべてが許され、そして表現の自由も保証された社会である。反原発活動でも、反日運動でも、好きなだけやればいい。

大いに自分の信じる活動に邁進すればいいのである。ただし、それは新聞記者を「やめてから」の話であろうと思う。

新聞記者が客観情報をねじ曲げてまで「自分の主義や主張を押し通すこと」は許されない。それは、驕り以外のなにものでもない。

私は今回の朝日誤報事件が、“新聞離れ”を進めるのではないか、と危惧している。たしかに「運動体」と化し、「角度をつける」ような新聞に国民が愛想を尽かすのは無理もないだろう。

しかし、本来の新聞は、そんなものでもないし、日本にあるのは朝日新聞のような新聞社だけではない。私は、新聞の役割は、「気づき」にあると思っている。毎朝毎朝、さまざまな客観情報を提供し、各界の知識人が、独自の論評を掲載し、“へぇー”と心底、唸らせてくれる新聞もある。

「こういう見方もあるのか」「そういう事実があったのか」と、それまで気づかなかったことを教えてくれる貴重な存在が「新聞」なのだ。

決して、新聞は「同じ」ではない。それぞれに“生きている記事”を掲載しているところは多い。新聞を取るのを「やめる」のではなく、「代えて」みて欲しい。そして“気づき”の役割を果たしている本当の新聞に、もう一度、チャンスを与えてあげて欲しいと思う。

2015年。それは、将来、生き残る新聞と消えていく新聞が“二極化”していく年になるのではないだろうか。2014年の最後の日に、私はそんなことを考えさせてもらった。

カテゴリ: マスコミ

衆院選は「DR戦争」に突入した

2014.12.02

いよいよ衆院選が公示され、12月14日の投開票に向かって、各党の激しい闘いが始まった。今回の選挙の争点は、「アベノミクス」の是非だそうである。私は、この2年間の安倍政権の経済政策だけでなく、集団的自衛権や特定秘密保護法案等々の是非も大いに議論して欲しいと思う。

しかし、私は今回の選挙を名づけるとしたら、それは「DR戦争」だと思う。Dとは、“dreamer”、すなわち「夢想家」「空想家」の意味だ。Rとは、“realist”、すなわち現実主義者。つまり、今回の選挙は、「夢想家」と「現実主義者」との対決ということだ。

今年、注目すべきニュースとして、朝日新聞の誤報事件があった。慰安婦報道や「吉田調書」報道で追い詰められた朝日新聞は、木村伊量社長が9月11日に記者会見をおこない、「吉田調書」報道の記事を撤回・謝罪した。

他者に対して謝ることを知らない朝日新聞にとって、前代未聞の出来事である。私はこれを「歴史の転換点」だと思って見ていた。以前のブログにも書いたが、それは戦後日本が、やっと辿り着いた「歴史の転換点」なのだと思う。

いったい、何が歴史の転換点なのか。それは、文字通りの“55年体制の終焉”である。周知のように、日本では、1955(昭和30)年に左右の政党がそれぞれ合同し、「自由民主党」と「日本社会党」が誕生した。以後、長く「左右のイデオロギー対立」の時代がつづいた。

その「55年体制」は、90年代半ばに日本社会党が消滅し、自民党も単独での政権維持が不可能になって“終焉”し、今では過去のものとなっている。国際的にも1989年の「ベルリンの壁」崩壊で、世界史的な左右の闘いの決着もついている。

しかし、その考え方を基礎とした対立が、いまだに支配的な業界が「1つ」だけある。それが、マスコミ・ジャーナリズムの世界だ。古色蒼然としたこの左右の対立に縛られているのが、マスコミなのだ。いつまで経っても、ここから抜け出せないことを、私は“マスコミ55年症候群”と呼んできた。

マスコミは、さまざまな業界の中で、最も「傲慢」で、最も「遅れて」おり、最も「旧態依然」としている世界だ。なぜか? それは、マスコミに入ってくる人間の資質に負うところが大きい。マスコミを志向するのは、いろいろな面で問題意識の高い学生たちである。だからこそ、ジャーナリストになりたいのだ。

しかし、そういう学生は、得てして「理想論」に走り、現実を見ない傾向がある。ほかの業界では、社会に放り出されれば「現実」を突きつけられ、あちこちで壁に当たりながら「常識」や、理想だけでは語れない「物の見方」を獲得していく。

だが、マスコミは違う。たとえ学生の時の「書生論」を振りかざしていても、唯一、許される業界といっていいだろう。書生が、そのまま“年寄り”になることができるのが、マスコミ・ジャーナリズムの世界なのだ。

その代表的なメディアが、朝日新聞だ。ただ、理想論をぶち、現実に目を向けず、うわべだけの正義を振りかざしていればよかったメディアである。上から下まで書生ばかりで、“白髪の書生記者”の集合体だと言える。つまり、夢想家、空想家の集団だ。

彼らは、ひたすら現実ではなく、理想や、うわべだけの正義に走ってきた。つまり「偽善」に支配されたメディアである。平和を志向するのは、日本人すべてなのに、自分たちだけが平和主義者だと誤信し、日本に愛着を持ち、誇りを持とうとする人を「右翼」と規定し、「右傾化反対」という現実離れした論陣を張るのである。

その朝日新聞が、信奉してやまないのが中国だ。ひたすら中国の言い分と利益のために紙面を使ってきた朝日は、今、自分たちが書いてきたことが、実は「中国人民のため」ではなく、「中国共産党独裁政権のため」だったことに気づき始めた記者もいるだろう。世界が懸念する「中国の膨張主義」の尖兵となっていたのが、実は「自分たち朝日新聞ではなかったのか」と。

中国が南シナ海のほぼすべてを自分の“領海”であると主張し、フィリピン、あるいはベトナムとの間で、小競り合いをつづけながら、強引に他国の島に滑走路を建設したのも周知の通りだ。

私は、この11月24日に中国が南沙諸島の「永暑礁」周辺を埋め立て、滑走路の造成をしているニュースが流れた時、2008年3月、米太平洋軍の司令官が、「中国海軍が太平洋を二分し、米国がハワイ以東、中国がハワイ以西を管理する分割支配を提案してきた」と暴露したことを思い出した。

すでに中国共産党の雑誌では、尖閣どころか沖縄も中国のものだと主張されている。今回のAPECでも習近平・国家主席はオバマ大統領との首脳会談で「太平洋は米中2つの大国を受け入れる十分な広さがある」と伝え、オバマの「同意」を得ている。

11月20日に発表された民主・共和両党で構成する「米中経済安全保障調査委員会」の年次報告書は、「習近平国家主席は、高いレベルの緊張を引き起こす意思を明確に持っている」と指摘している。

朝日新聞などは、「いたずらに中国脅威論をぶち上げる勢力がある」と批判しているが、“脅威”ではなく、もはや中国の侵略の恐怖は“現実”であることは明らかだ。浮世離れした日本の「空想的平和主義」が通用する時代では、すでになくなっているのである。

もし、日米安全保障条約「第5条」にのっとって、尖閣を守ろうとした米軍が攻撃されたり、また、邦人を輸送中の米艦船が攻撃されたとしよう。その時、「アメリカの若者だけが血を流していればいいんだ」と、日本が知らんぷりをした瞬間に日米関係は「終わる」だろう。

集団的自衛権とは、いわば日本人の「エゴ」と「覚悟」の闘いであろうと思う。それは同時に現実に目を向けずに理想ばかり語っている「dreamer(夢想家・空想家)」と「realist(現実主義者)」との対立でもある。

左右対立の時代はとっくに終わっている。お互いを「右翼だ」「左翼め」と罵っている時代ではない。今は、現実を見つめるか、空想に浸っているか、の時代である。つまり、左右対立ではなく、日本はやっと「DR戦争の時代」を迎えたのである。「歴史の転換点」という所以(ゆえん)だ。

それは、インターネットで闘わされている議論を見ても明らかだ。古色蒼然とした「左翼」と「右翼」の対立ではなく、ニューメディアの登場・発展によって、時代は、とっくに「DR戦争」に突入していたのだ。12月14日に有権者がどんな判断を下すか、私は大いに注目したい。

カテゴリ: 中国, 政治

最新のエントリー

カテゴリー

アーカイブ