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なぜ『マッサン』はこれほどの反響を呼んだのか

2015.03.28

本日の放映で、話題を呼んだNHKの朝の連続ドラマ『マッサン』が終了した。毎朝、胸が熱くなるシーンが必ず登場する稀有(けう)な朝ドラだった。私は、このドラマを第1回から最終回まで、すべて観た。

もちろん、長期出張や海外取材で観えない時もあったが、予約した毎回録画で必ず、あとで観るようにした。私は、第1回を観た時、いや、テーマソングの「麦の唄」が流れてきた時に、この番組の成功を確信した。

私は、歌詞を聴きながら、番組が始まる前に、あの時代の人々が辿った苦難の道と毅然とした生きざまを思い浮かべた。戦争で多くの命が失われたこの世代は、まさに歌詞の中に出てくるように「嵐吹く大地」に立ち、「嵐吹く時代」を生きた人々だったからだ。

シンガーソングライターの中島みゆきさんは、短いこの歌詞とメロディーに見事に、そのことを込めていた。その世代の生きざまが、彼らにとっては、気の遠くなるような2014年から2015年という時代に「描かれた」のだ。私は、この「麦の唄」を聴き、第1回を観て以降、連続録画の予約で、すべてを観ることに決めたのである。

「人生はアドベンチャー」という信念で、愛する夫と共に異国で生きることを選んだエリー。毎回、支え合うことの大切さを教えてくれるドラマ展開は、竹鶴政孝とリタというニッカウヰスキー創業者夫妻の実際の物語をもとにしているだけに、圧倒的な説得力と感動があった。

それは、事実を基にしたドラマ、つまり真実の物語であり、言ってみれば、“ノンフィクション・ドラマ”だった。私は、中盤で展開された大阪での物語も、お節介で人情味あふれる関西の人々のエリーとの泣き笑い劇を、毎回、楽しませてもらった。

舞台を北海道・余市に移しても、感動と笑いはつづいた。どんなことがあっても挫けないマッサンとエリーに、視聴者は溜息を吐(つ)きつづけたのではないか。どうして、挫けないのか。なぜ、それでも前進するのか、と。

私は、戦争ノンフィクションをはじめ、明治や大正生まれの人々の姿を数多く描かせてもらっている。今年は、「戦後70周年」ということもあって、そのうち5冊が一挙に文庫化されることになっている。

私がそれらの取材を通じて知っているのは、まさに「どうして、挫けないのか。なぜ、それでも前進するのか」ということだ。当時の日本人は、明らかに今の日本人とは「違う」のである。

特高(特別高等警察)に目をつけられ、スパイ容疑までかけられるエリーと、必死にそれを守り、支えるマッサンと周囲の人々の温かさも、胸に染みる描き方だった。まさに「嵐吹く時代」であり、エリーだけでなく、日本人すべてが苦難の中で、もがきつづけた時代だった。

娘・エマが想いを寄せていた一馬(かずま)が出征し、のちに戦死。その一馬が遺したモルト(原酒)が、戦後、苦境に陥った会社を救うことになる場面もまた、感動の展開だった。

「どんなことがあってもあきらめない」――それこそが、物造りに邁進する者の誇りであり、同時に明治、大正生まれの人々の真骨頂である。その毅然とした生き方を毎朝、ドラマを通じて現代の日本人は「教えてもらった」のではないだろうか。古き、よき日本人とは何か、を。

エリー役を演じたシャーロット・ケイト・フォックスさんが日本語もわからない中で必死に演技する姿は、実在したリタ夫人が経験したさまざまな苦労と重なり、また彼女の独特の魅力もあって、日本中の視聴者の心を捉えた。

ドラマの最後は、エリーが遺したマッサンへの手紙だった。「私の夢はマッサンでした」と始まる手紙は、いかにエリーが夫を愛し、感謝し、心から支えようとしてきたかをわからせてくれるものだった。マッサンは、残された夫を気遣いながら「1日に1度思い出してください。夜、寝る時におやすみと言ってください。私はいつもそばにいます」とつづく、そのエリーの手紙を読む。その時、目からも鼻からも、“涙”が出てくるマッサン役の玉山鉄二さんの迫真の演技に、観る者は釘づけになったのではないだろうか。

玉山さんには、拙著『尾根のかなたに』が原作のWOWOWドラマ(「尾根のかなたに」※芸術祭ドラマ部門優秀賞受賞)にも、かつて出演してもらったことがある。今回の連続ドラマでは、演技派として完全に地歩を固めた玉山さんの一挙手一投足に、本当に目を吸い寄せられた。今後は、玉山さんには「日本」だけでなく、是非「世界」に活躍の場を広げていって欲しいと思う。

私は、テレビもクオリティーの時代を迎えていると思う。民放のドラマは、ここのところ低視聴率に喘いでいる。必死に視聴者に迎合しようとはしているが、それがいとも簡単に跳ね返されることの連続だ。

原因は何だろうか。私は、ドラマも「真実の時代」、そして「クオリティーの時代」を迎えているのではないか、と思う。先日、放送90周年を迎えて『紅白が生まれた日』というドラマがNHKで放映されていた。昭和20年12月31日に、紅白の第一回が放送されるまでの人間ドラマを描いたものである。

実際の話をフィクション化した作品だが、恋人や家族を戦争で失った『リンゴの唄』の並木路子の苦悩をはじめ、真実のストーリーにはやはり説得力があり、感動があった。沈黙の末に並木路子が「きっとどこかで(家族や、最愛の人が)聴いていてくれている……そう願って唄います」と呟いて歌い始める場面が圧巻だった。

また当時のGHQが、あらゆる面に、いかに「指導」という名の介入をおこなっていたかが、目の当たりにできるドラマでもあった。「戦後日本」がどういうかたちでスタートしたのかも、よくわからせてくれる内容だった。

真実とクオリティー――今後の映像が抱えるキーワードは、これなのではないだろうかと思う。そういえば、封切以来、満員をつづけているハリウッド映画『アメリカン・スナイパー』も、原作はイラク戦争に4度も従軍し、160人を狙撃したクリス・カイル兵曹長の自伝『ネイビー・シールズ最強の狙撃手』を基にしたクリント・イーストウッド監督作品である。

ラストシーンでは、実際のクリス・カイルの葬送の記録映像が流されるという「真実」をもとにしたものだ。アメリカでも、そして日本でも、記録的な興行収入になっているこの映画が観る者の心を捉えるのは、そこに「真実」があるからではないだろうか。

私は、『マッサン』の最終回を観ながら、さまざまなことを考えさせられた。真実とクオリティーの時代、そして毅然と生きた人間の姿――私も、そんな人物や出来事の「真実」をノンフィクション作品として、これからも生み出していきたいと思う。

カテゴリ: テレビ

風評被害との闘いがつづく「震災4周年」

2015.03.11

今日で、震災から4年が経った。昨日も、原発事故に関して都内で講演をさせてもらった。歳月の流れの速さを最近とみに感じる。本日は、4周年に合わせて政府主催の追悼式が千代田区の国立劇場で営まれた。

天皇・皇后両陛下、安倍総理、犠牲者の遺族代表ら約1200人が参列したこの追悼式典で心に残ったのは、遺族代表の菅原彩加さん(19)のスピーチだった。

それは、聴く者の胸を締めつけるものだった。一緒に津波に流された母親から「生きる」ために離れなければならなかった4年前のことを彼女はこう語った。

「釘が刺さり、木が刺さり、足は折れ、変わり果てた母の姿。右足が挟まって抜けず、一生懸命、瓦礫をよけようと頑張りましたが、私一人ではどうにもならないほどの重さでした。母のことを助けたいが、このままここにいたら、また流されて死んでしまう。“助けるか”“逃げるか”――私は自分の命を選びました。

いま思い出しても涙が止まらない選択です。最後、その場を離れる時、母に何度も“ありがとう”“大好きだよ”と伝えました。“行かないで”という母を置いてきたことは本当に辛かったし、もっともっと伝えたいことも沢山あったし、これ以上辛いことは、もう一生ないのではないかなと思います」

彩加さんが、静かに、そして淡々とスピーチしただけに、余計、聴くものに哀しみが込み上げてきた。彼女の今後の人生に幸多かれ、と祈らずにはいられなかった。

私はこの4年で、震災関連のノンフィクションを4冊も出させてもらったが、それでも、まだまだ書かなければならないことがあることを痛感した。

今、4年が経って、私の頭を離れないのは、果たして“復興の障害”になっているのは何だろうか、ということだ。

昨年9月、すでに浜通りを走る「国道6号線」も、全線開通となった。福島県の富岡町-双葉町間の通行止め区間およそ14キロの通行規制が解除されたのだ。すなわち、福島第一原発の横を一般車も走行できるようになった。JR常磐線の開通も、やっと視野に入ってきた感がある。

復興自体は、着々と進んでいるのだ。だが、福島には、今ひとつ元気がない。私は先週、福島を訪れたが、その際、福島民友新聞のインタビューを受けた。

その記事が一昨日(3月9日朝刊)に掲載された。私はこの時、福島民友新聞を見て、驚いたことがある。それは毎朝の同紙に、福島各地の定点で測った放射線量が掲載されていたことだ。

さらに毎週日曜日には、世界の主要都市の放射線量も掲載されている。たとえば3月1日(日)に掲載された福島市内の放射線量は0・1~0・2マイクロシーベルト(毎時)で、上海の0・59マイクロシーベルト(同)より圧倒的に少ない数値だ。

さすがに福島第一原発の「立地自治体」であり、「帰還困難区域」でもある大熊町、双葉町などの数値は高いが、福島県内各地の放射線量は、とっくに他の都道府県と同じレベルになっているのである。

私は、福島民友新聞に掲載されている客観的なこれらの数値を見ながら、それでも「復興の障害になっているのは一体、何だろうか」と考えた。

それは、「風評被害」ではないだろうか。つまり、必要以上に放射線の影響が喧伝(けんでん)されている、ということである。

私はそれを踏まえて福島民友新聞のインタビューに「福島の風評被害の払拭(ふっしょく)には、客観的なデータを積み上げることが最も大事だ」と指摘させてもらった。

マスコミは、他県とも変わらない普通の日常をおくっている福島の本当の姿をもっと報じるべきではないだろうか。そして、風評被害に苦しむ福島に「真実」という名のエールを送るべきではないだろうか、と思う。

私は、拙著『死の淵を見た男―吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』で、福島に生まれ育った男たちによる凄まじい原発事故との闘いを描かせてもらった。生と死をかけて、原子炉建屋に突入を繰り返したプラントエンジニアたちの姿には、心を動かされた。

吉田所長が語った「あのままいけば、チェルブイリ事故の10倍になっていた」という絶望的な状況で、彼らは何をおこなったのか。彼らこそ、4年前、日本の崩壊を止めた人たちである。

つまり、福島が「日本を救った」のだ。私は、そのことを多くの人に知って欲しいと思う。「日本を救った福島」として、誇りと自覚を持つことが大切だと思う。私は、そのことを誰よりも子どもたちに知って欲しい。そして、あなたたちの先輩は、こういうふうにして日本を救ったんですよ、というメッセージを送りたい。

風評被害を脱するためには、それをまき散らす運動家たちの言動に惑わされないことが、まず大切だ。もはや各地点の放射線量も、そして農作物も、とっくに福島は安全基準をクリアしている。

そのことを客観的なデータとして、マスコミには是非、報じて欲しいと思う。昨年12月、私が浜通りの高校生に向けて講演した時、生徒たちから「地元の人たちがこれほどのことをしたということに、心が動かされた」という感想が寄せられた。

なにより大切なのは、「真実を知ること」である。福島には、風評被害と真っ正面から向きあってその“根源”を断ち、一刻も早い真の意味の復興を望みたい。

カテゴリ: 原発, 地震

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