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中国国防白書と「広島サミット」の実現

2015.05.26

今日、中国政府は2年に1度の国防白書「中国の軍事戦略」を発表し、国防部の楊宇軍・報道官が記者会見をおこなった。南シナ海での領有権争いについて、白書にいったいどんな表現を盛り込むのか、注目が集まっていた。

周知のように、中国は南沙諸島(スプラトリー諸島)で7つの岩礁を遥(はる)か800㌔も離れた中国本土の土砂で埋め立て、飛行場や港湾施設らしきものを猛然と建設中だ。去る4月、米軍高官が「これは、“砂の万里の長城”だ」と厳しく非難し、南シナ海での力による中国の現状変更が、国際社会の懸念材料としてこれまで以上にクローズアップされていた。

国防白書の表現は、予想通り、「一部の域外の国が南シナ海問題に全力で介入している」とするものだった。「一部の域外の国」とは、言うまでもなくアメリカのことだ。名指しこそしないものの、アメリカを非難し、この問題で「一切、妥協しない姿勢」を中国は、世界に宣言したのである。

白書はこう続いている。「一部の域外の国は、頻(しき)りに海や空での偵察活動をおこなっている。われわれの海上主権を守る争いは、これから長い期間に及ぶだろう」。そう前置きして、白書はさらにこう強調した。「(われわれは)海上軍事闘争の準備を最優先し、領土主権を断じて守り抜く」と。

これまで中国要人が繰り返し発言してきた通り、国防白書でも、領有権争いでの「核心的利益」を守り抜く姿勢を明確にし、「アメリカとの対決」をも辞さない決意を明らかにしたのである。

また、日本に対しては、「日本は、戦後体制からの脱却を積極的に追求し、安全保障政策を大幅に変更した。日本の行方が地域の国々の高い関心を集めている」と、日本の動きを牽制した。

私は、昨年8月、日本が中国の海洋進出などを批判した2014年版「防衛白書」を発表した際、「日本は中国との対話を求めながら、一方で誤った立場を堅持し、中国の脅威を宣伝している」と、同じ国防部の楊宇軍・報道官が激しく非難したシーンを思い出した。

「もはや中国の暴走は、誰にも抑えられない」――そんな感想を誰もが抱いたのではないだろうか。“力による現状変更”は、相手国の堪忍袋の緒が切れた時、一挙に最悪の事態に突き進むのは、これまでの歴史が証明する通りだ。

フィリピンから在比米軍が撤退した1990年代半ば、中国は南沙諸島のミスチーフ礁を一挙に占領して建造物を構築し、その後も着々と“力による現状変更”をつづけ、ついには“砂の万里の長城”を築くに至っている。

昨年のロシアによるウクライナ問題(クリミア危機)と、中国による南シナ海領有権問題は、両国が国際秩序に対して真っ向から対決姿勢を示している点に特徴がある。

私は、これらの事態を前にして、自由主義圏のこれまで以上の団結が問われていると思う。その国際社会の結束と世界平和のために是非、来年、実現して欲しいものがある。

それは、「広島サミット」だ。来年、日本でのサミット(主要国首脳会議)の開催都市の決定が、いま大詰めを迎えている。早ければ、6月早々にも発表されるだろう。

私は、是非、「広島」でのサミット開催を望みたい。先週、核拡散防止条約(NPT)再検討会議で「各国指導者らに被爆地訪問を要請」する一文が、中国の反対で合意文書から削除された。その理由が、「日本は第二次世界大戦の加害者ではなく、被害者であるかのように描こうとしており、同意できない」というものである。

また、習近平国家主席は、去る5月23日夜、3000人の訪中団を組織してやって来た二階俊博・自民党総務会長に対して、「日本軍国主義の侵略の歴史を歪曲(わいきょく)し、美化しようとするいかなる言動に対しても、中国国民とアジア被害国の人々は許さないだろう」と語った。

“力による現状変更”を押し進める中国によって、戦後70年におよぶ地道な日本の平和への貢献と努力が、踏みにじられているのである。

増大する中国の脅威を前に、これほど先進自由主義諸国の結束が必要な時はないだろう。だが、戦後70周年を迎えても、日本に謝罪を求めつづけているのが、中国と韓国だ。しかし、「広島」はどうだろうか。

あれほどの悲劇を受けながら、広島では知事、市長、経済界も含め、多くの広島市民がアメリカに謝罪を要求していない。いや、アメリカを含む各国首脳を心から歓迎し、核軍縮と平和への実現に手を携えて進んでいきたいと呼びかけている。

オバマ大統領は、2009年4月、チェコ共和国の首都プラハで、「核廃絶」への具体的な目標を示した演説によって、ノーベル平和賞を受賞している。そのオバマ氏も、再来年には大統領としての任期を終える。

もし、オバマ大統領が、広島でのサミットで、核軍縮に対するメッセージを世界に発信し、さらに“力による現状変更”には、国際社会が決然と立ち向かうという姿勢を示すことができたら、どれほど有意義なサミットになるだろうか。もはや怖いもの知らずでやりたい放題となった中国にとっても、それは脅威となるに違いない。

そして、これまで日本の歴代の総理が表明してきた「反省」と「お詫び」を全くかえりみずに「日本批判」と「謝罪要求」を繰り返す韓国にとっても、広島の人たちの前向きな姿勢は、測り知れない衝撃をもたらすだろう。

それは同時に、オバマ大統領にとっても、勇退への花道として歴史的なものになる可能性がある。自ら主体的に広島を訪問するのではなく、日本政府が決めたサミット開催場所が「広島」なら、アメリカ国内の保守派の反発を受けることなく、自然なかたちで広島訪問を実現でき、さらにそこでノーベル平和賞受賞者としての歴史的演説のチャンスがめぐってくるからである。

私は、将来、核軍縮と21世紀の平和が、「広島からスタートした」と言われるようになることを望む。それと同時に小渕恵三首相(当時)が多くの反対を押し切って「沖縄サミット」を実現した時のことを思い出す。

1999年4月22日の読売新聞夕刊1面トップに、「2000年サミット、福岡で」「東京以外では初開催 小渕首相固める」という“スクープ記事”が載った。

それは、小渕首相が翌年に予定されているサミットの開催地を「福岡市とする意向を固めた」というものだった。読売新聞は、周到にこの報道の準備を進め、当時の野中広務官房長官、鈴木宗男官房副長官らから情報をとり、大々的に“スクープ”したのである。

しかし、その報道の当日、小渕首相は、野中、鈴木両氏を部屋に呼んで「君たちはどう思っているかわからんが……」と前置きして、「私は、サミットを沖縄でやりたいんだ」と語った。

「えっ?」と二人が息を呑んだのは当然である。もはや「福岡サミット」が最有力となって、野中、鈴木両氏も、そのことに疑いを持っていなかったからである。

しかし、小渕首相はその時に初めて自分の真意が「沖縄」にあることを告げ、そしてその言葉通り、信念を曲げることなく、太平洋戦争の激戦の地でのサミットを敢然と実施したのである。

その沖縄サミットの時に比べて、国際平和への懸念は、中国の台頭によって遥かに増大している。そして、“軍国日本”を強調することによって自分たちを善なる立場に置こうとする中国の戦略は、露骨なまでに剥き出しになってきている。

私は、国際平和のために、そして核軍縮への道のために、「広島サミット」を是非、安倍首相に実現して欲しいと思う。それが70年間、ひたすら平和を希求し、核軍縮を望んでやまない日本国民と、心ある世界の人々の期待に応える方法ではないか、と思う。

カテゴリ: 中国, 歴史

ふたたび「裁判官は日本を滅ぼす」

2015.05.14

本日、予想していた通り、私の上告が棄却された。例の日航機事故遺族が私の作品を「著作権侵害」で訴えていた件である。日本の裁判では、最高裁で上告が受理され、原判決が破棄される率は、わずか「1%」なので、予想通りの結果と言える。

決定文を読んでみると、やはり「事実誤認と法令違反の主張」は上告理由にあたらないということで、私の主張は全く審理されなかったことになる。すなわち、当ブログの論評も一審・二審で私が書いてきたものと重なってしまうが、あらためて記述させてもらいたい。

私が、『風にそよぐ墓標 父と息子の日航機墜落事故』という当該のノンフィクション作品を上梓したのは、日航機墜落事故から25年が経った2010年夏のことだ。これは、1985年8月に起こった日航機墜落事故の6遺族の「その後の四半世紀」を追った作品である。

それぞれのご家族を「1章完結」で取り上げたため、作品は「全6章」で成り立っている。サブタイトルでもわかるように、これは初めて「父と息子」にスポットをあてた日航機墜落事故のノンフィクションだった。

私は、登場していただいた「6家族」の方々に、直接、私自身が取材に伺い、絶望から這い上がってきた四半世紀に及ぶ「勇気」と「感動」の物語をお聞きし、すべてを実名で描かせてもらった。

そして、あの悲劇を乗り越えた家族の感動の物語として発表させてもらったのである。この訴訟以後、『尾根のかなたに』と改題されて小学館から文庫化された作品は、WOWOWの特別ドラマとして放映され、2012年度の文化庁芸術祭ドラマ部門の優秀賞を受賞した。

私は、ノンフィクション作家であり、取材当事者であるご本人たちの了解を得て取材をさせてもらい、日記や手記があるならそれを提供していただいている。そして、「事実」と異ならないように気をつけて原稿を書くのを基本としている。一切の「創作」と「虚構」を排除するのが、私の作品だ。

しかし、『風にそよぐ墓標』を発表後、この作品の第3章に登場するご遺族の一人、今年82歳になる池田知加恵さんが「著作権侵害」で私を訴えてきた。

彼女は、日航機墜落事故で亡くなったご主人を持つ未亡人だ。作品は、「父と息子」をテーマにしていたため、あらかじめこの知加恵さんのご子息に10時間近い取材をさせてもらい、その上で、母親である知加恵さんにも別の日に3時間半にわたって取材をさせてもらった。

取材当時77歳だった知加恵さんは、その時、17年前に出したという事故の時の自身の体験をまとめた『雪解けの尾根』という手記本を私に提供してくれた。「ほおずき書籍」というところから出した自費出版の本である。その時、知加恵さんは、わざわざ「門田隆将様 感謝をこめて 池田知加恵」とサインしてくれた。

彼女はこの時、事故から25年も経過しており、ご高齢だったこともあり、「私にとっては、この本を書いた時が“記憶の期限”でした」と仰られた。

私の取材は、極めて詳細に当時の状況を聞き取らせてもらう形をとる。記憶が曖昧になっていた彼女のその申し出をお聞きし、必然的に私の取材は、提供されたこの手記本に添ってご本人に「記憶を喚起」してもらいながら、「事実確認」をする形でおこなわれることになった。

ご高齢の方への取材というのは、こういう方法は珍しくない。戦争関連のノンフィクションを数多く書いている私は、最前線で戦った実際の元兵士に取材させてもらう際には、ご自身が若い時に戦友会誌などに書いた回想録なども提供してもらうことがある。

それをもとに「記憶を喚起」してもらいながら取材をさせていただくのだ。できるだけ正確に「事実」を書くことが、読者に対する私の義務であり、責任でもあると考えているからだ。

また、「より正確に事実を書いて欲しい」というのは、取材を受ける側の願いでもあると思う。私は知加恵さんに長時間にわたって、こうしてご自身の手記本に基づいて記憶を喚起してもらいながら、取材をさせていただいたのだ。

記憶が戻ってきた知加恵さんは、「このことは本に書いてなかったかしら?」「そうそう、それ書いてあるでしょ」と途中で何度も仰り、そのたびに本の中の該当の箇所を探し直すことが度々あった。

ノンフィクションには、言うまでもないが「フィクション(虚構)」があってはならない。記述は「事実」に基づかねばならず、そのため、取材が「すべて」である。

作家が想像によって「創作」することが許されないノンフィクション作品の世界では、「本人証言」と「日記・手記の発掘」が何より重要なのである。そこが、小説との決定的な違いだ。

取材の際、知加恵さんは著書だけでなく、事故に関連してご自身が登場したニュースやワイドショーを録画したDVDを提供してくれたり、取材後も自分の発言の訂正部分を手紙で書いて送ってくれたり、積極的に取材にご協力をいただいた。

それは、私が恐縮するほどの取材協力だった。私は、ご自宅をお暇(いとま)する時も、「大変ありがとうございました。今日の取材と、このご本に添って、事実を間違えないようにきちんと書かせてもらいます」と約束した。

そして、その言葉通り、事実関係に間違いのないように細心の注意を払って原稿を書いた。そして、巻末には、「参考文献」として『雪解けの尾根』を明記したのである。

私が書かせてもらったのは、彼女がどう行動し、どう思ったのか、という「事実」だけである。つまり、私は「本人に直接会って」、「手記本を提供され」、記憶が曖昧になっていたご本人に「記憶を喚起してもらいながら、その手記本をもとに事実確認取材をおこない」、これを記述したのである。

もちろん、手記本と同一の文章はひとつもない。忠実にただ「事実」だけを淡々と描写させてもらったのだ。事実がひとつしかない以上、突き詰めて取材すれば、「事実」が当事者の手記と似ているのは当然である。いや、似ていなければ、それはノンフィクションではなく、小説である。

しかし、『風にそよぐ墓標』を発刊後、知加恵さんは「著作権侵害だ」と私を訴えてきた。そして、私は裁判で、この経過を証言し、事情を説明し、その立証もおこなった。だが、裁判官には、それらに一切耳を傾けてもらうことはできなかった。

30年以上にわたって記事や本を書く仕事をしている私にとって、それは、あらためて日本の官僚裁判官について、考える機会を与えてくれた。それは、私のデビュー作でもある『裁判官が日本を滅ぼす』を思い起こすことでもあった。

驚くべきは、裁判では、知加恵さんが「正確に事実を書いてもらうよう」私にお願いしたことを認めた上で、「被控訴人が上記のとおり控訴人門田に対し事実の正確な著述を求めたからといって、これによって直ちに、被控訴人が被控訴人書籍について複製又は翻案することを許諾したと認めることができない」としたことだ。

私は、『雪解けの尾根』について、「複製」も「翻案」もしていないし、その「許諾」を求めたこともない。複製とは「コピー」のことであり、翻案とは「つくりかえる」ことである。私は、あくまで取材に基づいてノンフィクション作品を書いただけであり、「複製」も「翻案」もしておらず、このような論理破綻の判決文が現に“通用”していることに仰天する。

専門的なことを言えば、日本の官僚裁判官の限界は、「要件事実教育」に起因する。日本の裁判官が、裁判で重視するのは「要件事実」だけで、「事情」には決して踏み込まない。なぜなら、いちいち「事情」に踏み込んでいったら、一人の裁判官が200~300件、あるいはそれ以上抱えている案件が「処理できない」からである。

そこで、判決に組み込んでいかなければならない「要件事実」だけが判断のポイントになり、これだけを“抽出”する教育を裁判官は延々と受けている。そこに日本の裁判官が繰り返しているトンデモ判決の「理由」がある。

「事情」に踏み込まない日本の裁判官には、「小説とノンフィクションとの違い」や、「取材時のやりとり」、あるいは、本人が「手記本を提供した時のようす」……等々、そんな「事情」は関係がないのである。つまり、著作権侵害で訴える人がいて、ふたつの書籍の記述の一部が「類似」しているという「要件事実」があれば、それだけでいいのである。

日本の司法の判断に従えば、私は取材の時に「利用してはいけないもの」をご本人から提供され、それをもとにご本人に対して「書いてはいけない事実」を3時間半にわたって、延々と「確認取材」しつづけていたことになる。

これが、今の日本の「司法の限界」であることをつくづく思う。言うまでもないが、ノンフィクションに対する私の姿勢や手法はこれからも変わらない。どこまでも「真実に忠実な作品」をこれまで同様、書いていきたいと思う。

世にも滑稽な結果となったこの裁判が意味するものは何か。こんな裁判がつづくかぎり、日本は、官僚裁判官によって、やがて滅ぼされるに違いない。国民の裁判参加という負担のもとに刑事裁判では裁判員制度によって官僚裁判官の暴走に少しだけ歯止めがかかっている。

しかし、民事裁判の官僚裁判官は、なんの洗礼も受けておらず、旧態依然のままだ。真の意味の「司法改革」を是非、国民の一人として考えていきたく思う。

カテゴリ: 池田家との訴訟

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