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折も折、「李登輝・元総統」来日をどう受け止めるか

2015.07.23

昨夜は、台湾の李登輝・元総統を歓迎する会があり、永田町のキャピトル東急ホテルに行ってきた。主催は、日本李登輝友の会である。李登輝氏は日本の国会議員有志に招聘されて、国会議員会館で演説し、日本外国特派員協会で記者会見、そして東日本大震災の見舞いに現地を訪れるため来日した。

私は、まだ現役の週刊新潮デスク時代にジャーナリストの櫻井よしこさんと共に、李登輝氏が総統時代にも、また総統を下りたあとの陳水扁時代にもお会いしたことがある。1999年と2005年である。

1度目は総統公邸で、2度目は私邸で、ともに会食を挟んで数時間にわたる取材だった。いずれも奥様の曾文惠さんもご一緒で、奥様を大事にされている李登輝氏の優しさと人柄を感じた面会でもあった。そんなこともあって、この日の歓迎会では、私はご本人を前にしてスピーチもさせてもらうという栄誉に浴した。

久しぶりにお会いする李登輝氏は、さすがに92歳というお歳を感じさせた。李氏は、1923(大正12)年生まれである。私は台湾関係だけでなく、戦争ノンフィクションを数多く書いているが、その大正生まれの方々が、ここ数年、幽冥境を異にすることが多い。

戦争ノンフィクションの中でも書かせてもらっている通り、私は大正生まれの方は“他者のために”生きた世代だと思っている。たとえば、日本では、大正生まれの男子は1348万人いるが、その内およそ200万人が戦死している。実に7人に1人である。

戦争で多大な犠牲を払い、戦後はビジネス戦士となって復興と高度成長の担い手となったこの世代は、本当に“他者のために生きた世代”だと思う。日本の統治下にあった台湾でも、多くの若者が戦死している。

李登輝氏の2つ年上のお兄さんも、フィリピン・ルソン島のマニラ攻防戦で海軍の陸戦隊の一員として戦死している。李登輝氏自身も、名古屋の高射砲部隊の陸軍少尉として敗戦を迎えている。

李登輝氏はこの日、昼間に国会議員会館で講演をし、そして夜はこの歓迎会に出席されるという、若者でもハードなスケジュールをこなしていた。

堂々たる体躯の李登輝氏がキャピトル東急の1階「鳳凰の間」に疲れも感じさせずに、SPや秘書を従えて現われたのは午後7時のことだ。たちまち会場は李登輝氏を取り囲んで“握手攻め”となったが、李氏は笑顔で応えていた。一国を率いてきたリーダーだけに、見る人に疲れなどを微塵も感じさせない様子はさすがだった。

私が直接、李登輝氏の姿を見たのは、3年半ぶりのことだ。2012年1月13日、それは李登輝氏自身が憲法を改正してまでスタートさせた直接選挙による第5回目の「台湾総統選」の最終日だった。

翌日の投開票を控え、民進党の蔡英文女史の応援演説に李登輝氏が現われたのである。新北市の中心部・板橋にあった総合競技場。ここに10万人近い支持者を集めて、蔡英文陣営は、最後の訴えをしていた。

夜の帳(とばり)が下りる中、「ドンスワン! ドンスワン!」と民進党支持者たちは、必死に叫んでいた。ドンスワンとは、台湾語で「当選」という意味だ。その時、紹介のアナウンスと共にステージに最後に登場したのが李登輝氏だったのである。

総合競技場のオーロラビジョンに映し出された89歳の李登輝氏に民衆はどよめいた。つい3か月ほど前に、李氏がガンの手術をしたということを皆が知っていたからである。

長身の李氏は、そこで蔡英文女史の肩を抱き、「皆さん、どうか蔡さんに台湾の未来を託して下さい」と訴えた。一瞬にして、競技場は独特の雰囲気に包まれた。私の目は、まわりの台湾人たちの様子に吸い寄せられた。

彼らは涙ぐんでいた。手で目をこする若者がいた。ハンカチで目頭を押さえる女性もいた。物も言わず、ただステージを、そしてオーロラビジョンを凝視する人もいた。

それをもし「求心力」と表現するのなら、凄まじい「求心力」というしかないだろう。あるいは、それは、政治家としての「オーラ」と表現すべきかもしれない。その時、私が思ったのは、大衆にこれほどのインパクトを与える政治家は果たして日本にいるだろうか、ということだった。

台湾の行く末を国民党に託してはいけない――国民党の元主席でもある李登輝氏自身のその姿勢は、どれだけ台湾の本省人に影響を与えただろうか。残念ながら、陳水扁時代の“負の遺産”を清算しきれなかった民進党は、選挙に敗れた。

しかし、その蔡英文女史が、ふたたび国民党に挑む台湾総統選が半年後に迫っている(総統選の投開票は、2016年1月16日)。李登輝氏が、あの新北市の総合競技場で訴えた「皆さん、どうか蔡さんに台湾の未来を託して下さい」という言葉の意味が、あらためて問われる選挙を迎えるのである。

私は、自分がいるパーティー会場にその李登輝氏が目の前にいることが少し、不思議な感じがした。朝の新聞(産経新聞)に台北から日本に向かう時に記者たちに「日本の国会の中(議員会館)で演説することに対して、中国が反発する可能性はありますか」と聞かれ、「私は客人であって、私を招いたのは日本の国会議員です。中国が反対するなら、それは皆に笑われるだけのことだ」と言ってのけたことが報道されていたのを思い出した。

日本の政治家が、与党も野党も、そしてマスメディアも、中国のご機嫌ばかり窺ってきた中で、李登輝氏は長くアジアで異色の政治家だったと言えるだろう。1988年に総統就任以来、本省人出身の初の総統として李登輝氏は孤軍奮闘してきた。

郝柏村や李煥といった国民党内の外省人の大立者をひとりひとり排除し、次第に本省人として「民主国家」を実現していく“静かなる革命”は、前例のないものだった。台湾と言えば蔣介石の白色テロ時代のイメージを持つ私たちジャーナリズムの人間には、それは大きな驚きだった。

そして、李登輝氏は92歳となっても、いまだに大変な“発信力”を持っているのである。パーティーに来る前におこなわれた国会議員たち約300人を前にした議員会館での「台湾パラダイムの変遷」と題した日本語による講演内容も、すでにパーティー会場に伝わっていた。

李氏は「戦後台湾を統治した中国・国民党政権は“外来政権”である」と指摘し、さらに「中国が自由化、民主化されるような日は、半永久的に来ないと思っていた」と明言したというのである。

講演を聴いた足でそのままパーティー会場に来た人も少なくなかった。私が注目したのは、講演で李氏が「“ひとつの中国”という原則について、われわれは決して同意できない」と語ったことだった。

李氏は、「あくまで台湾は、中国の一部ではない」ということを日本の国会のひとつの施設の中で明言したのである。講演後の質疑でも、「私は、(日本の)安全保障関連法案を高く評価する。日本が主体的に安全保障に対して意識を持つことが、アジア全体の平和につながっていく」とも、述べたという。

それは、長く中国の脅威と対峙してきた政治家ならではの感想だった。パーティーのスピーチでは、李登輝氏は、「我是不是我的我」という言葉の意味を語った。この言葉は、直訳すれば、「私は、私でない私である」ということである。

難解で、かつ、さまざまに解釈できる言葉だが、素直に受け取れば、自分は個人である自分ではなく、さまざまなものに尽くすために存在する、という意味だろう。

これは、李登輝氏が傾倒する日本の武士道が説く「無私の精神」と関連がある。李登輝氏はある雑誌で、後年にキリスト教に入信することで、「私とは何か」という問題に「一つの答えを見出せた」と語ったことがある。

それは、自分の命は、いつなくなっても構わない、台湾のために死力を尽くして働き、いかなる栄誉も求めない、これまでも、そして、これからもそうしていく――それが、「我是不是我的我」という言葉だと李登輝氏は言うのである。

人間が持つ「使命感」や「責任感」への思いが、いかに李登輝氏の内面に強いか、ということを感じさせる言葉だ。パーティーのスピーチでも、李氏はその言葉を語った。私は、3年半前の新北市の競技場に現われた李登輝氏の姿を思い出しながら、そのスピーチを聴いた。

私は、パーティーの最後に、これらを踏まえて、「他者のために生きた」大正生まれの男たち、そして李登輝氏について、個人的な考えをスピーチさせてもらった。そして、南シナ海をはじめ、さまざまな場所で現実の脅威となっている中国という存在についても、話をさせてもらった。

歴史的経緯も含めて、「尖閣は日本の固有の領土だ」と言いつづけた92歳の李登輝氏が、折も折、来日したことをどう受け止めるか。

そして、台湾で昨年起こった「太陽花学運(ヒマワリ学生運動)」によって、馬英九政権の中国への傾斜をストップさせた台湾の人々をどう思うか。彼らは、日本人以上に、大きな関心を持って、日本の安保法制論議を見守っている。

私は、さまざまな意味で、参議院では、現実に立脚した有意義な安保法制論議を国民の一人として期待したく思う。

カテゴリ: 中国, 台湾

いつまで続くのか「空想」と「現実」の戦い

2015.07.17

安保法制が衆議院を通過し、参議院に送られた。いつものように国会では、中身の乏しいエモーショナルな質問が繰り返された末の衆院通過だった。

私は、今国会での議論に期待を寄せていた一人だ。中国の膨張主義による領土拡大路線と、北朝鮮の核ミサイル開発という“二つの大きな脅威”に対して、日本人がどう自分たちの「生命と財産」、そして自国の「領土」を守るのか、という極めて重要な「安全保障問題」が議論されるはずのものだったからである。

しかし、「これは、戦争法案だ」「子供たちを戦場に送るな」という情緒的な主張のもと、重箱の隅をつつくような枝葉末節の議論に終始した印象が拭えない。与党推薦の参考人の学者が「安保法制は違憲である」と国会で述べたことから、その傾向はさらに強まった。

歴史的な自民党のこの“大失策”は、これほど大事な国会審議の参考人選考を「官僚に丸投げする」という信じられない感覚から生じたものだ。しかし、同時に、それは、官僚まで反乱を起こすほどの大きな安全保障問題だったことを示している。

安倍首相が言う「ホルムズ海峡の機雷除去」というのは、目の前の中国と北朝鮮の脅威に比べて、あまりに説得力の薄いものだった。それが、「国民にエモーショナルに訴えて、戦争への危機感を盛り上げ、反対の声を大きくしていこう」という野党の戦略をますます加速させる原因にもなったと思う。

憲法論議は極めて重要なので、「違憲だ」「合憲だ」とただ主張するのではなく、本質に入っていって欲しかった。国会での三人の学者による「違憲論」と、百地章・日大教授や西修・駒大教授の「合憲論」も踏まえて、本格的な論議をして欲しかった国民は多かっただろう。

私が憲法論議で興味があったのは、「形式論」ではない。それは、憲法そのものの意味も含めた論議である。平和憲法を持つ日本は、その憲法が規定している「戦力の不保持」の中で生きている。

しかし、現実には、日本は自衛隊という立派な「戦力」を持つ国である。自衛隊が持つ戦車や戦闘機、護衛艦……等々を見て、「いや、これは戦力ではありません」と言ったら、世界から腹を抱えて大笑いされるだろう。実際に、日本の憲法学者には、「自衛隊は違憲」と述べる人が多い。

では、そんな「存在」がなぜ認められているのか。そのポイントは、当の憲法が定めている国民の「幸福追求権」にある。国民の幸福は、言うまでもないが、他国からの「攻撃」や「支配」を受けないことを大前提とする。自分たちの生命や財産、あるいは領土を失って「幸福を追求」することができないことは当然だからだ。

そこに、憲法が「戦力の不保持」を謳(うた)っていながら、「自衛力」が認められ、自衛隊という「戦力」が容認されている根拠がある。その中で、国際社会の現実を踏まえて、その日本の「自衛権の行使」の線引きをどこにするかという、極めて重大な論議が今国会には期待されていたのである。

私は、国民は、切実な、本当の意味の“存立危機事態”の議論を聞きたかっただろうと思う。少なくとも私はそうだった。しかし、116時間に及ぶ衆院での国会質疑の中で、国民が関心を寄せた議論の本質には、ついに至らなかった。

最大の原因には、全質問の「9割」が、野党によって占められていたことにあるだろう。枝葉末節にこだわる野党には、「政権に打撃を与える」ことのみに汲々として、大局として国民の生命・財産を守るにはどうしたらいいのか、という最も重要な議論をおこなう意識が見られなかった。

それは、アメリカが「世界の警察」の座を降り、現実化する中国と北朝鮮の脅威の中の「日本が置かれている状況」への危機感が、野党側にはほとんど感じられなかったという意味でもある。

私は、2013年9月10日、オバマ大統領がアメリカ国民に対してテレビを通じて、「私は、退役軍人や連邦議員から“アメリカは、世界の警察官でなければいけないのか”という書簡を受け取っています」「アメリカは世界の警察官ではありません」と宣言して以降、世界は「新たな国際情勢に突入した」と思っている。

それは、長くつづいた冷戦下の国際情勢が“過去のもの”となり、その後のアメリカ“一強時代”も終焉した、ということである。

アメリカの衰退を見てとった中国が、南シナ海で他国の領土に軍事基地を建設するという挙に出たのは、周知の通りだ。そして、日本の領土であるはずの東シナ海の尖閣諸島(中国名・釣魚島)を自国の「核心的利益(つまり自国の領土)」と表現し、「必要ならば、武力で領土を守る準備はできている」とまで広言するに至った。

13億人の中流化を目指して驀進(ばくしん)する中国には、圧倒的な食糧や資源の不足という事態が刻々と迫っている。それは、同時に周辺諸国への“しわ寄せ”と“脅威”となって現実化しているのである。

われわれ日本人は、この先、自分たちの子や孫の時代の平和をどう守るか、つまり相手にどう手を出させないか、言いかえれば「相手に戦争を起こさせないためにはどうすればいいか」、ということを真剣に議論しなければいけなかったはずである。

そのことが論議されるはずの国権の最高機関たる国会で、情緒的で、かつ現実を踏まえない「質問」が延々と続いたことを、国民はどう捉えればいいのだろうか。大いなる関心を持って国会質疑に見入っていた国民には、溜息しか出てこなかったのではないだろうか。

私は、これは、「左派勢力」と「右派勢力」の戦いではないと思う。いや、このいまだに「左右の対立」でしか、こういう重要な問題を捉えられない単一の思考こそ、すべての元凶ではないかと思っている。

この単一の思考法が最も蔓延しているのは、マスコミ・ジャーナリズムの世界だ。私はこれを「マスコミ55年症候群」と呼んでいる。1955(昭和30)年に、保守合同によって誕生した自由民主党と、左右の再統一によってできた日本社会党との「保革対立」が始まった、あの55年体制である。

イデオロギーによる考え方が“絶対”だったあの時代の思考をいまだにつづけている日本のマスコミや国会の状況には、本当の意味で溜息が出るだけである。

私は、いま激突しているのは左と右の勢力ではなく、空想家、夢想家である“ドリーマー(dreamer)”と現実を見据える現実主義者“リアリスト(realist)”であろうと思う。つまり、DR戦争だ。

「一国平和主義」、言いかえれば冷戦下の「空想的平和主義」の中で生きてきた人々が、果たして「現実」を見て本当の意味の議論ができるのかどうか。私は、参議院でこそ、国民の生命・財産、そして領土を守るために「何が必要なのか」という本当の意味の安全保障論議を闘わせて欲しいと、心から願う。

カテゴリ: 国際, 政治

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