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「オバマ広島訪問」を陰で実現した人々

2016.05.29

私は、なぜオバマ大統領の「広島訪問」がこれほどの感動を呼んだのか、その理由を考えている。そして、これを実現させた名もなき人々のことに思いを馳せている。

「核なき世界」は、人類の悲願だ。しかし、すべての形勢を一挙に逆転する力を持つ核兵器を相手が手放さないかぎり、「自分だけが放棄」することはできない。そのことは誰もがわかっている。

だが、世界一の核大国の指導者が「自分が生きている間は達成できないだろう」という国際社会の現実を示しながら、その核廃絶への“思い”を被爆地・広島で、予定を遥かに超える「17分間」にわたってスピーチしたのである。

この演説は、学生時代から「核廃絶」を主張しつづけたバラク・オバマという人間の集大成の意味を持つものだったと思う。その歴史的スピーチを終えたあと、彼は坪井直さん(91)、森重昭さん(79)という二人の被爆者に歩み寄り、言葉を交わした。

その姿を見て、多くの日本人は感動した。私もその一人だ。私は、特にオバマ大統領が、二人目の森さんをハグした時、「ああ、これは……」と心を揺さぶられた。なぜなら、森さんは、結果的にオバマ大統領を広島に呼び寄せた、“最大の立役者”とも言える人物でもあったからだ。

その森重昭さんを抱き、オバマ氏が背中を優しく撫でるシーンは、事情を知っている人にとって、本当に感慨深かったと思う。私は、昨年の5月26日に当ブログで「広島サミットの実現を」ということを書かせてもらったが、今回、かたちこそ違ったものの、アメリカ大統領の広島訪問を執念で実現した人たちに敬意を表したいと思う。

今回のオバマ広島訪問を実現するために大きな力を発揮した中に、一人の元新聞記者がいる。読売新聞のワシントン支局で特派員として活動し、のちに政治部長となり、現在は、広島テレビの社長を務める三山秀昭氏(69)である。

彼こそ森重昭さんの活動をワシントンのホワイトハウスに持ち込んだ人物である。いや、アメリカ大統領の来訪を待ち望む“広島市民の思い”を「オバマへの手紙」として、ホワイトハウスに持っていった人物だ。

平和公園には、世界中から年間1000万羽を超える折鶴が寄せられている。地元メディアである広島テレビは、その折鶴を再生した紙に、それぞれの思いを書いてもらい、それを「オバマへの手紙」と題し、集めるキャンペーンを続けていた。

三山氏によってホワイトハウスに持ち込まれた広島県知事、広島市長、被爆者、主婦、子どもたちなど幅広い層からの手紙には、「謝罪」を求める言葉や、アメリカへの「恨み」がつづられたものは一通もなかった。

そこには、今回、オバマ氏と対面した被爆者、坪井直さんの「あなたには、人類を救う力がある。来訪を切望しています」というものも含まれていた。被爆者たちの手紙は、ほとんどが「とにかく広島を見てください。そして核廃絶への一歩を共に踏み出しましょう」というものだったのである。

アメリカ大統領の広島訪問に、大きな力となったのは、森重昭さんが、サラリーマン生活のかたわら、捕虜になっていたアメリカ兵がこの原爆で12人も被爆死していることを調べつづけ、これを本(『原爆で死んだ米兵秘史』)として著わしていたことだった。

「広島では、米兵犠牲者も追悼の対象になっています。彼らを含めた全犠牲者を追悼して、核廃絶への祈りを広島から発信してください」

それこそが、広島市民の祈りなのである。71年間もアメリカ大統領の広島訪問が実現しなかったのは、周知の通り、「原爆投下は、その後の日本本土上陸作戦で失われるはずだった多くのアメリカ兵の命を救った」という論がアメリカで大勢だからである。つまり、アメリカでは、原爆投下に対する“謝罪”は許されないのだ。

今回の訪問が実現したのは、招く側の広島にその「謝罪」を要求する意図がなかったからである。その代わり、広島市民の「謝罪ではなく追悼を―」「原爆の悲惨さをその目で焼き付けて“核なき世界”へのアピールをー」という意図がホワイトハウスに伝わったからにほかならない。

三山氏は、ホワイトハウスへ広島市民の「オバマへの手紙」を持っていった際、森さんの被爆米兵に関する英文原稿を持ち込み、「米兵犠牲者も追悼の対象になっている」ことを縷々(るる)説明している。

つまり、アメリカ国内の世論やさまざまな事情を考慮しても、米兵犠牲者の話は、広島を訪れやすい「カード」である、として持ちかけたのである。

そして、ついにオバマ大統領の広島訪問は実現した。今回、森さんは「被爆者として」ではなく、米兵犠牲者を「発掘した人として」特別招待を受けた。その連絡があったのは、訪問わずか2日前の25日であり、アメリカ大使館から「ケネディ大使の要請」という形だった。

なぜ「アメリカ大統領の広島訪問」は実現したのか。そのことを考えると、本当に感慨深い。それは、間違いなく広島の人々の“赦(ゆる)しの心”によるものだったからである。“謝罪”を求めるのではなく、終始、“赦し”の上に立った大義を求める姿勢が、「核なき世界」を夢見るオバマ氏をついに被爆地・広島に呼び寄せたのだ。

憎悪を煽り、国家間の軋轢(あつれき)を助長することで政権の求心力を維持しようとする大国がすぐ近くに存在するだけに、広島の人々が成し遂げた“とてつもない出来事”に、私はただただ頭(こうべ)を垂れるだけである。

カテゴリ: 国際, 歴史

日中外相会談「大失敗」の意味

2016.05.02

最近、どうも不思議なことがある。安倍政権の外交姿勢である。2012年12月の政権発足以来、“対中包囲網外交”を展開し、ある意味の「焦り」を中国側に生み出してきた安倍外交が、ここのところ、どうもおかしいのだ。

中国の報道を細かくフォローしている『レコードチャイナ』が4月30日におこなわれた北京での「日中外相会談」の新華社の報道を紹介している。それによれば、中国の王毅外相は岸田文雄外相にこう述べたのだそうだ。

「この数年の間に、日中関係は絶えず波乱がありました。その原因については日本側が一番よくおわかりでしょう。近年、日本はたびたび関係改善を希望しています。もしあなたが誠心誠意で来たのであれば、私たちは歓迎します」

「中国には“その言葉を聞き、その行動を見る”という言葉があります。今日はあなたがどのように日中関係を改善するか意見を伺いたい。それと同時に、日本側が本当に行動に移すかということも見なければなりません」

「日中は隣国。私たちは当然日本と健全で安定した友好関係を発展させることを希望しています。同時に、この関係は必ず、歴史を正視するという基礎、約束を守るという基礎、協力であり対抗ではないという基礎の上に築かれなければなりません。あなたの今回の訪中が、日中関係の実質的な改善に作用することを期待しています」

これらは一読すればわかるように、「外交の常識」では考えられないような非礼な言葉の連続である。一国の外相を迎える時に、これほどの礼を失した態度と言辞で会談に臨んだ例は、なかなかあるものではない。

岸田外相に対して王毅外相が発言した中身は、要するに「日本が関係改善を希望しているから、あなたに会ってやった。もし、誠心誠意、日本が態度を改めるなら歓迎してやる」「日本にどんな関係改善の意見があるのかは聞く。しかし、問題はそれを日本が本当に行動に移すかどうかだ」「日本は、歴史を正視し、約束を守れ。中国に対抗するのではなく、中国に協力的であれ」ということである。

私は、2014年11月にAPEC(アジア太平洋経済協力会議)で訪中した安倍首相に対して、習近平国家主席が、憮然とした態度で会見したことを思い出した。ほかの国の首脳との会見では、バックに両国の国旗を配して、にこやかに接遇したが、安倍首相に対してだけは、あからさまに「我々は、あなたを歓迎していない」という態度をとったのである。

今回も予想されたこととはいえ、王毅外相の態度に、多くの日本人が呆れ返ったに違いない。1970年代から80年代に持て囃(はや)された「日中友好」という概念が、もはや「とうに存在しなくなったこと」がわかる。

読売新聞によると、これに対して、岸田外相は日本の記者団から会談での発言内容を質問されても、「日本の立場をしっかり伝えた」と語るだけだったという。一方、中国側は王毅外相の発言を詳しく公表し、その中には、岸田外相が「歴史の反省」に言及したとも指摘したそうだ。つまり、王毅―岸田会談は、中国側の「一方的な攻撃」で終わったのである。

産経新聞は、王毅外相の発言を中国側が以下の「4項目」の対日要求を岸田外相に出した、という視点で報じている。

(1)誠実に歴史を反省し、「一つの中国」政策を守る。
(2)「中国脅威論」や「中国経済衰退論」をまき散らさない。
(3)経済面で中国を対等に扱い、互恵を基礎に各領域の協力を推進する。
(4)国際・地域協力で中国への対抗心を捨てる。

いやはや凄まじい要求である。まるで宗主国が属国を指導し、窘(たしな)めるかのような文言というほかない。これらの報道を読んで、根本的な疑問を持たない人がいるだろうか。

「一体、日本は何を期待して、中国を訪問しているのだろうか」ということである。今回の訪中は、中国とのパイプの太さを強調する自民党の二階俊博総務会長と外務省における‟チャイナスクール”の積極的な動きによって実現したものとされる。

チャイナスクールとは、中国で「中国語の研修」を受けた日本の外交官たちのことだ。彼らは、語学研修時代から中国政府と深い関係を結んでいる。彼らの特徴は、中国の意向に従順で、中国を利用して自らの立身出世をはかることにある。言うなれば、「どっぷりと中国に浸った外交官たち」である。

この3月には、外務省の「チャイナスクール」を代表する横井裕氏(前トルコ大使)が駐中国大使に就任し、安倍政権下で‟干されて”いたチャイナスクール組は復活を遂げていた。

中国側の思惑通りの今回の展開は、中国がそのチャイナスクールを利用して日本側を見事に「手玉にとった」ということにほかならない。そして、今月20日に、台湾で民進党の「蔡英文政権」が発足する前に、「日台接近」に対する警鐘を鳴らすことにも成功したことになる。

着々と成果を挙げていた政権発足以来の「対中包囲網外交」を安倍首相はなぜ「転換」したのだろうか。しかし、いずれにせよ、きっかけが、前述の2014年11月に北京で開かれたAPECにあったことは確かだろう。

この時、日本は、尖閣諸島(中国名・釣魚島)問題に関して「(日中双方が)異なる見解を有している」ことで一致したことを「認める」という大失態を犯している。

日本政府がそれまでの「尖閣は日本固有の領土であり、領土問題は存在しない」という立場から「日中両国が『異なる見解』の存在を‟認識”した」というものに転じたのである。私はそのニュースを聞いて、耳を疑った。

中国は、これからはこの合意をタテに「尖閣(釣魚島)の領有を中国は一貫して主張してきた」という基本姿勢を強く打ち出し、「日本もそれを‟認識”していたではないか」と強調してくるだろう。

「必要ならば、武力で自国の領土(※釣魚島のこと)を守る準備はできている」と事あるごとに言い続けている中国にとって、それは計り知れないほど望ましい「日本側の譲歩」だったのである。この時も、それを押し進めたのは、チャイナスクールの面々だった。

会うたびに、日本が譲歩を迫られる中国との「会談」。岸田外相は、今回の訪中で中国の李克強首相とも会談し、同氏の今秋の「訪日」を要請したという。これだけコケにされても、それでもまだ中国の首脳に日本に「来てもらいたい」らしい。

私は、せっかく成果を挙げていた安倍首相の対中外交が「変質している」ことを深く懸念する。中国との「真の友好」を目指すなら、今は中国と「接近する」ことではなく「距離を置く」ことの方が重要だからだ。

日本が中国に対して、毅然と距離を置き、中国側から日本への「接近」のシグナルとメッセージを引き出さなければならなかったはずである。経済的にも、また南シナ海での領土問題や、あるいはPM2・5などの環境問題でも、困っているのは「中国の側」だからだ。

今回の岸田訪中は、日本国民だけでなく、他のアジア諸国にも大いなる失望を生んだ。周辺諸国と摩擦を繰り返し、国際的に孤立化する習近平政権に、なぜ日本はこうも擦(す)り寄らなければならなかったのか。

絶対に譲歩してはならない国に対して、誤ったメッセージを伝えてしまった岸田外相。チャイナスクールの復活と、対中包囲網外交の変質は、これから安倍政権に重いボディブローとなって効いてくるだろう。

カテゴリ: 中国, 政治

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