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“オバマを呼び寄せた男”の「菊池寛賞」受賞

2016.10.14

今朝、1本の電話が私の携帯に入った。「おかげ様で菊池寛賞を受賞しました」。静かで凛(りん)とした声だった。広島在住の森重昭さん(79)からである。

森重昭さんと言っても、ピンと来る人は少ないだろう。だが、アメリカのオバマ大統領を“広島に呼び寄せた男”と言ったらどうだろうか。

私は今年5月29日にも、「“オバマ広島訪問”を陰で実現した人々」と題して、なぜオバマ大統領の「広島訪問」が実現し、これほどの感動を呼んだのか、その理由を当ブログで書かせてもらった。その「実現」に大きな役割を果たした人こそ、森重昭さんだった。

アメリカの‟三大タブー”とは、周知のようにネイティブアメリカンの虐殺と隔離政策、黒人差別、そして広島・長崎への原爆投下である。アメリカでは、大統領の被爆地訪問は、それ自体が謝罪を意味し、タブーを侵(おか)すことになるため、これまで実現したことがなかった。

しかし、そのタブーが今年、破られた。伊勢志摩サミットに出席したオバマ大統領は、タイトなスケジュールの中、広島を訪れ、犠牲者に献花したのである。「あり得ないことが起こった」。私は、そのことを思い、当ブログで舞台裏について、書かせてもらったのだ。

米大統領の広島訪問に大きな力となったのは、森さんがサラリーマン生活のかたわら、広島で日本軍の捕虜になっていたアメリカ兵が原爆で12人も被爆死していることを調べ、これを本(『原爆で死んだ米兵秘史』光人社・2008年)として著わしたことだった。

およそ40年にわたって被爆米兵のことを調べ続けた森さん自身も8歳の時に被曝し、多くの知人を喪(うしな)っている。そんな過去を持つ森さんは、訪米して12人の米兵の遺族を探し当て、一人、また一人と面会していった。

アメリカの遺族が感動したのは、即死を免れて辛うじて2週間近く生存した2人の米兵が宇品(うじな)で治療を受けた上で亡くなり、手厚く葬られ、墓標も立てられていたという事実だった。

「広島では、米兵犠牲者も追悼の対象になっています。彼らを含めた全犠牲者を悼み、核廃絶への祈りを広島から発信してください」。広島市民のその思いは、やがて、英訳された森さんの作品『原爆で死んだ米兵秘史』と共にホワイトハウスに持ち込まれ、この事実がアメリカに伝わった。「謝罪のためではなく、米兵を含む全犠牲者への追悼を!」という広島市民の声が、ついにホワイトハウスを「揺り動かした」のである。

周知のように、アメリカの退役軍人組織「アメリカ在郷軍人会」は、米政界に大きな影響力を持つアメリカ最大の圧力団体の一つだ。「原爆投下は、その後の日本本土上陸作戦で失われるはずだった多くのアメリカ兵の命を救った」という論が、いまだにアメリカでは大勢だ。つまり、アメリカでは、原爆投下に対する“謝罪”は、今も「許されていない」のだ。

米大統領の被爆地訪問が一度も実現しなかったのは、このアメリカ最大の圧力団体「在郷軍人会」の力を見せつけるものでもあった。だが、そこに森さんが調べた「12人の米兵」を含む全犠牲者への「追悼のために」という新たなキーワードが加わったことによって、オバマ大統領の広島訪問へのタブーは「取り除かれていった」のである。

あのオバマ大統領の電撃訪問と、17分間の感動のスピーチは、こうして実現した。そして、スピーチの後、招かれていた森さんに歩み寄ったオバマ大統領は、森さんを抱き寄せ、優しく背中を撫でた。全世界に映し出されたそのシーンを見て、私は、感動で心が震えた。

それは、あきらめることなく、気の遠くなるような長期にわたって、こつこつと調査を続けた森さんの努力と執念が報われた瞬間だったと思う。そのことをたまたま知っていた私は、当ブログをはじめ、いくつかの媒体で、オバマ広島訪問の裏舞台を書かせてもらった。

今朝の森さんからの電話は、そのことに対するお礼だった。お陰で、立派な賞をいただきました、と。その時、私は森さんのこの気配りと優しさこそが、広島へオバマ大統領を呼び寄せた“赦(ゆる)しの心”に繋(つな)がっているのではないか、と感じた。

「謝罪」を要求することは、たやすい。現に、憎悪を煽り、国家間の軋轢(あつれき)を助長することに邁進(まいしん)する国が、日本のすぐ近くには存在している。

しかし、広島市民は、謝罪要求を敢えて封印し、この被爆地・広島の地から「核廃絶の意味と、その祈りを発信してください」という、より重要な、いわば‟大義”に向かって突き進んだ。私はそのこと自体に心を動かされたのだと思う。

その立役者であった森さんが、菊池寛賞を受賞した。私は、思惑や商魂が左右する昨今の賞の中で、偉業を達成した‟市井(しせい)の人”森さんにスポットライトをあててくれた菊池寛賞とその選考委員に感謝したい。埋もれた事実を発掘し、世の中を動かした人が受賞するに相応(ふさわ)しい賞だったと、私は思う。

カテゴリ: 歴史

国会「二重国籍」論議が示したものは何か

2016.10.06

これは、逆に、蓮舫氏に感謝すべきことかもしれない。私は、昨日(5日)、今日(6日)と2日にわたって続いた自民党の有村治子議員の「二重国籍」に関する国会質問を見ながら、そう思った。

民進党の蓮舫氏が「二重国籍」を隠したまま、三度も参議院議員に当選し、行政刷新担当大臣という閣僚にも就いていた事実は、国会に大きな波紋を広げた。なぜなら、その二重国籍騒動の中で、蓮舫氏の過去の発言が次々と明らかになり、結果的に、民進党代表選のさなかでの発言が虚偽であったことが白日の下に晒されたからだ。

朝日新聞紙上で発言していた「(日本の)赤いパスポートになるのがいやで、寂しかった」(1992年6月25日付夕刊)、「在日の中国国籍の者としてアジアからの視点にこだわりたい」(1997年3月16日付夕刊)、週刊現代誌上での「そうです。父は台湾で、私は二重国籍なんです」(1993年2月6日号)、あるいは、文藝春秋「CREA」誌上での「だから自分の国籍は台湾なんですが、父のいた大陸というものを一度この目で見てみたい、言葉を覚えたいと考えていました」(1997年2月号)…等々、かつて蓮舫氏は、二重国籍を隠すことなく、堂々とこれを表明していた。

日本より、むしろ「父の生まれた国」への熱い思いを滔々と語っていた蓮舫氏が、民進党代表選の過程で、元通産官僚の八幡和郎氏(現・徳島文理大大学院教授)の指摘でこの問題が浮上するや、発言が二転三転し、ついには、代表選の途中で「台湾籍離脱の手続き」をせざるを得ないところまで追い込まれたのは周知の通りだ。

代表選の対抗馬だった前原誠司氏にも「ウソは言うのはよくない」と窘(たしな)められたほどの蓮舫氏が、それでも代表に当選するあたりが、民進党という政党の限界を表わしているだろう。

しかし、ここで重要なのは、国益が衝突する外交や国防の最前線で、果たして蓮舫氏のように、「父の母国」に強い思いを持つ二重国籍者に、日本の自衛隊の最高指揮官であり、外交の責任者たる「総理」になる資格が果たしてあるのだろうか、という根本問題である。

外交や防衛の最前線では、言うまでもなく、ぎりぎりの判断が求められる。日本の国益を代表してその任に当たる人物が、「(日本の)赤いパスポートになるのがいやで、寂しかった」「在日の中国国籍の者としてアジアからの視点にこだわりたい」という人物があたることに疑問を持たない人はいるのだろうか。

日本では、国籍選択は国籍法第14条によって規定されており、「二重国籍」は認められていない。また、外務公務員法には「外務公務員の欠格事由」という項目があり、二重国籍は厳しく戒められている。それにもかかわらず、前述のように日本の自衛隊の最高指揮官であり、外交の責任者たる「総理」に二重国籍者が「就く資格」が果たしてあるのか、ということである。

本日の参議院予算委員会で有村治子氏は、外交官以外にも、総理補佐官や外務大臣、自衛隊員、要人警護のSPなど、国家機密に近い、あるいは、これを知る立場に就く人が二重国籍者であってもいいのか、という問題意識をもとに質問をおこなった。

現行法制度のもとで二重国籍状態にある人物が閣僚など「政府の要職」に就く可能性が排除されないことに関して、安倍首相は、「国家機密や外交交渉にかかわる人々であり、適切な人物を選ぶよう運営してきた」と説明し、「問題点として存在する。われわれもしっかり研究したい」と答弁するにとどめた。

外務公務員法にのみ、明確な「二重国籍」の禁止条項があるという歪(いびつ)な法体系を炙り出すことになった今回の二重国籍騒動。民進党には、コスモポリタニズムを信奉し、世界市民(地球市民)を志向する人が多いのかもしれない。

しかし、民進党が、国益がぶつかり合う国際社会の舵(かじ)取りを任せられる政党ではないことが、有村氏の国会質疑で浮かび上がったことは間違いないだろう。

カテゴリ: 政治

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