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「だから距離を置きなさい」それが韓国ですから

2017.01.27

「えっ、そんな馬鹿な」と絶句しても、詮(せん)無いことである。なぜなら、それが韓国という国だからだ。理屈も、常識も、道理も、正義も、さらに言えば、法理も通じない国――それが彼(か)の国である。

長崎県対馬市の観音寺から盗まれた仏像「観世音菩薩坐像」に対して、韓国・大田地裁は、韓国の「浮石寺」に仏像を引き渡すよう命じた。さすがにこの判決には、日本人どころか、世界中の人々が目を丸くしただろう。

所有者である盗まれた側の対馬市「観音寺」は、寺の宝を返却してもらうべく、さまざまな方策を講じた。しかし、その願いは一蹴された。「理屈が通らない国というのはわかっていた。韓国とは、永遠にわかり合えないでしょうね」と判決を知った観音寺ご住職が吐き捨てたのも、よくわかる。

2013年2月、そもそも韓国・大田地裁は、仏像返還の「差し止めの仮処分」を出していたことから、今回の異常判決も、ある程度は予想されていた。しかし、盗まれた仏像を返さないために、「どんな理由を持ってくるのか」、そこに注目が集まっていた。

判決の理由はこうだ。これまでの研究で、観音寺の仏像は1330年頃、浮石寺の本尊として造られたことが明らかになっている。浮石寺側は「14世紀に倭寇によって略奪された」と主張し、それを全面的、かつ、一方的に認めたものだった。

だが、歴史的には、以下のような「常識」が存在する。500年も続いた李氏朝鮮では、儒教を保護して国を治めたため、仏教は目の仇にされ、弾圧によって多くの寺が焼かれ、貴重な仏像が破壊されていった。その破壊行為から逃れるために、仏像が対馬や九州に渡った事例は数多い。

長年の研究によって、そのことは、いわば「学会の常識」ともなっている。そして、その学説通り、対馬では、李氏朝鮮による仏教弾圧を逃れるため、仏像は、島に持ち込まれたものだ、と伝わっている。

しかし、大田地裁のムン・ボギョン裁判長は、「略奪や盗難で対馬に渡ったとみるのが妥当であり、浮石寺の所有と十分に推定できる」として、「返還は認めない」と判決を下したのである。

では、その結論を導いた証拠はどんなものがあったのか。答えは、「なし」である。ムン裁判長は、「略奪や盗難で対馬に渡った」と言いながら、その根拠は示さず、さらに法廷で立証を命じてもいなかった。つまり、ムン裁判長は、証拠に基づかず、仏像は、「対馬」による「略奪と盗難」によって渡った、としたのである。

実は、「証拠」に基づかず、「感情」で判決を導くのは、韓国司法界の極めて顕著な特徴だ。日韓請求権協定で、請求権が消滅しているにもかかわらず、日本企業に対する異常判決は枚挙に暇(いとま)がない。

日本や日本企業に対する訴訟なら、「時効の壁」も、「請求権消滅」の壁も、そして、たとえ「証拠や証人」がなくても、本人の「法廷証言」だけで「勝訴する」のは、それこそ韓国司法界の常識だ。要するに「反日」であれば、なんでも認められるのが、韓国という国なのである。

私は、そんな韓国と1年5か月にわたって法廷闘争を繰り広げた加藤達也・産経新聞元ソウル支局長と雑誌で対談した際、「“情治国家”である韓国には国際常識も、法理論も、一切、通じない。対策は、ひたすらこの国と“距離を置くこと”だけだ」という結論で一致した。

私たちのできることは、それでも韓国との「利権」にしがみつく日本の政治家たちをどうウォッチしていくか、にある。そして、韓国との通貨交換(スワップ)協定の交渉再開を目論む財務官僚、さらには、早期の駐韓大使の帰任を策す外務官僚たちを、どう監視していくかにある。

私たちは、呆れるような「反日無罪」の国に翻弄されることなく、毅然と距離を保ち、自らの異常性を彼らに知ってもらうほか、解決策は存在しないことを認識すべきなのである。問われているのは、韓国の側ではなく、私たち「日本人の側」であることを忘れてはならない、と思う。

カテゴリ: 国際

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