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日本はこのまま「北朝鮮の核ミサイル完成」を待つのか

2017.08.29

本日早朝、北朝鮮の中距離弾道ミサイルが、警告されていた島根、広島、高知の上空ではなく、北海道上空を通過し、太平洋上に落下した。小野寺五典防衛相は、「中距離弾道ミサイル『火星12』の可能性がある」と記者団に述べた。

これまで、北朝鮮が予告の上で「人工衛星である」と称して発射した飛行体が日本列島を通過したことはあったが、ついに弾道ミサイルが「予告なし」で列島を通り越していったのである。

北海道をはじめ全国各地で、Jアラートと連動したサイレンが鳴り響き、携帯電話やスマートフォン等で「エリアメール」が鳴動した。テレビ画面も一斉に緊急画面に切り替えられた。

「私たちは、このまま北朝鮮の“核ミサイルの完成”を待ちますか?」――私は、そんなことを思いながら、一連の動きを見ていた。

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」した私たち日本人にとって、北朝鮮の弾道ミサイルは、本来「あり得ないこと」である。

憲法前文で謳うこの理想は、人類の夢である。だが、「夢」は「夢」であり、「現実」ではない。世界の諸国民が「平和を愛する人々である」という前提がいかに「おめでたい」かは、小学生にでもわかる。

だが、私は、「日本人はこのまま北朝鮮の“核ミサイルの完成”を待ち、座して“死”を待つのだろうか」と本当に思う。当欄でも、私は長くこう書いてきた。「北朝鮮が核弾頭の小型化と起爆装置の開発を果たすまでが、日本人が生存できるリミットである」と。

多くの研究者が、「もはや北朝鮮は核弾頭の小型化を実現している」という中、あとは「起爆装置の開発」ができているかどうか、である。

言うまでもなく「核弾頭の小型化と起爆装置の開発」の成功は、「核ミサイルの完成」を表わす。その瞬間から、日本人は、「いつ、理不尽に、自分の命が失われるかわからない状況下に立つ」ことになる。

日本人は忘れやすいのであらためて記すと、北朝鮮はすでに、2013年4月、朝鮮労働党の機関紙「労働新聞」に〈わが国に対する敵対政策は日本の滅亡を招く〉という記事を掲載(4月10日付)している。

その中で、〈日本は我々の報復対象から逃れることはできない〉とし、攻撃対象として〈東京、大阪、横浜、名古屋、京都〉の「5都市」を挙げている。

記事はかなり詳細で、これらの5都市が日本の人口の「3分の1」近くを占めていることを理由に、〈われわれは、日本の戦争持続力を一気に壊滅させることができる。日本列島のすべてをわれわれは戦場とするだろう〉と主張していた。

この「宣言」は核ミサイルを前提にしている。そして今、いよいよその完成が「間近」となったのである。

私は、テレビで評論家の話を聞きながら、「なぜ、ここまで危機感がないのか」と思う。まだ「起爆装置の開発ができていない」今だからこそ、日本は「生存」できている。なにも起こらないで欲しい、と思っても、もはやそんな悠長なことを言っていられる場合ではない。

もし、北朝鮮が「すべての開発」を終了させたら、日本はどうするのだろうか。そんなことをなぜ議論しないのだろうか。そして、今回のミサイルを「なぜ、撃ち落さなかったのか」、それは、ひょっとして「撃ち落せなかったのか」、それとも完全にミサイルの航跡を把握しながら「撃ち落す必要はない」と判断したのか、そして、もしそうなら、なぜそう判断したのだろうか。議論すべきことは数多くある。

なかでも日本が今、議論すべきは、アメリカに「北朝鮮の無力化」をどう果たしてもらうか、ということではないだろうか。その具体策をどうするか、それを政府に先んじてマスコミは議論していかなければならない。

加計問題で、ファクトに基づかない一方的で煽情的な報道をつづけた日本のマスコミ。「国民の生命と財産を守る」ということに対するマスコミの意識の低さと危機感の欠如に、私は、ただ溜息が出るだけである。

カテゴリ: マスコミ, 北朝鮮

新たなステージに進んだ「永田町」の暑い夏

2017.08.06

2017年夏、日本の政界は、安倍政権の内閣改造で新たな「ステージ」に入った。森友や加計問題で、“ファクト”がないままの異常なマスコミによる安倍叩きがやっとひと段落し、新しい“戦い”の輪郭が見えてきたのだ。

私は、内閣改造の当日、産経新聞から感想を問われ、実務能力や国会答弁の安定性を重視した点で「リアリズム内閣である」とコメントさせてもらった。そういう顔ぶれであることは間違いないが、それと共に、来年9月の「自民党総裁選」をにらんだ絶妙の配置であることに、あらためて注目している。

ひと言でいえば、「石破“封じ込め”内閣」である。今回の組閣で驚いたのは、石破派の入閣待望組ではなく、まだ当選わずか3回で、同派の将来の有望株「斎藤健氏」を農水相として閣内に取り込んだことだ。完全に石破派への揺さぶりである。

それだけではない。無派閥の野田聖子氏を総務相という重要ポストに取り込んだことも、「石破対策」と言える。来年9月の総裁選に、安倍首相としては、「野田氏に出馬して欲しい」というのが本音だ。

最大の理由は、総裁選での「石破氏との一騎打ち」を避けたいからだ。安倍首相は、2012年の総裁選で、第一回投票で石破氏に敗れている。石破氏は、地方票と国会議員票の第一回投票で199票を獲得しながら過半数には至らず、国会議員票のみの投票となった第二回投票で安倍氏に逆転された。

安倍首相にとって重要なのは、「複数の総裁候補が出馬すること」である。一騎打ちの場合、地方票では、またしても大きく石破氏が上まわる可能性がある。そうなれば、「敗北」である。

そのためには、安倍首相は、野田聖子氏にも、河野太郎氏にも、来年の総裁選に出馬してもらいたい。閣外で舌鋒鋭く政権を非難されるのは困るが、閣内に取り込んで、よしみを通じた上で、総裁選に「出馬してもらう」ことは、安倍首相にとって不可欠な戦略と言える。

それを見越して、野田、河野両氏を「閣内に取り込んだ」と見るのが自然だろう。両氏が、来年の総裁選への自身の出馬に早くも言及しているのは、そういう背景がある。

しかも、今回の野田氏の起用は、“元祖”女性宰相候補である野田氏本人にとっても、実に大きい意味を持つ。1998年にすでに郵政大臣を経験し、明晰な頭脳と情に厚いことで当時の郵政官僚たちを虜(とりこ)にした野田氏が、今後は、安倍首相の後ろ盾を「得る」ことになるのである。

その後、現われては消えていった女性宰相候補の中で、彼女が「復活」の糸口をつかんだことは、実に大きい。たとえ安倍批判をおこなっても、もともと安倍―野田ラインは、93年同期当選組として強固なものがあっただけに、今回の起用ほど意味深なものはなかなかあるものではない。

安倍、石破、野田、河野という4者が総裁選に出れば、確実に票は割れる。もし、野田、河野両氏を重要閣僚で遇しておかなければ、出馬しても“泡沫”で終わる。いや、推薦議員「20人」のノルマを達成できずに、またしても総裁選に「出馬できない」可能性もある。

両氏の抜擢は、石破氏の第一回投票での過半数獲得を「阻止するもの」なのである。石破派への揺さぶりのための「斎藤健氏の閣内取り込み」と共に、野田・河野両氏の重要閣僚への抜擢は、この改造内閣の性格を明確に特徴づけていると言っていいだろう。

この6月に、私は当ブログで「やがて日本は“二大現実政党”の時代を迎える」というタイトルで、民進党の「崩壊」と、自民党に代わる新たな現実政党の「出現」について、書かせてもらった。

これまでくり返し書いてきたように、私は、現在を「左」と「右」との戦いではなく、「ドリーマー(夢見る人)」と「リアリスト(現実主義者)」の戦い(つまり「DR戦争」)だと分析している。安全保障分野で言うなら、「空想的平和主義者」vs「現実的平和主義者」の戦いである。

旧態依然とした現実無視のマスコミ報道は、今国会のテロ等準備罪法案、森友、加計問題……等々でも、いかんなく発揮された。迫りくる北朝鮮や中国の危機に対して、国民の生命、財産、そして領土を具体的にどう守ろうかという議論が必要な時に、ただ“揚げ足取り”や、煙もないところに“火をつけて歩く”ことが大手を振っておこなわれた。

こんなレベルのマスコミと野党は、決して国民には受け入れられない。今後、国民の支持を集める政党が出てくるなら、それは「現実政党」であることが必須条件となる。

抽象論や観念論をふりかざして、国会近くにいるデモ隊の中に飛び込み、叫んだり、煽ったり、アジったりする。そんな“空想空間”に生きる政党や政治家は国民に愛想をつかされて、やがて「消え去る」だろう。

その意味で、私は、国内外の厳しい現実に対処できる「リアリズム」政党こそが、これから「日本の政治」を担っていくと思う。

最近、小池百合子都知事が率いる「都民ファースト」への“合流&加入”を目指す政治家の動きが顕著だ。しかし、私は、「決められない都知事」小池氏は、これまで書いてきたリアリズムの“対極”にいる政治家であろうと思う。

「築地は守る、豊洲は活かす」という論理的に“破綻”したキャッチフレーズで都民に巨額の税負担をもたらす小池都知事は、ある意味、舛添前都知事より「タチが悪い」かもしれない。

「6000億円」という気の遠くなるような総事業費をブチ込んだ豊洲新市場は、企業債(借金)の利息ですら「370億円」にのぼる。「築地売却」による“借金の圧縮”こそ都民のために急務であることは明らかなのに、どっちにもいい顔をするために「築地は守る、豊洲は活かす」とは言いも言ったりである。まさに「決められない都知事」の面目躍如と言える。

残念ながら、こんなリーダーに率いられた政党は、自民党政権の受け皿とはなり得ないと私は思う。耳ざわりのいい言葉を発することと、「現実政党」とは、多くの場合、イコールではないからだ。

しかし、国民は「二大現実政党」時代を志向し、実際に政局がそういう方向に向かっているのも事実である。

用意周到な計算の末に改造され、“リアリズム内閣”となった安倍政権が、対「石破茂」戦争という明確な方針を示し、かつ、憲法改正問題や、都民ファーストとの戦いを念頭に動き出すことで、永田町はこの夏、「新たなステージ」に進んだのである。

カテゴリ: 政治

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