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私案「憲法九条3項」について

2018.02.09

憲法改正論議が国会で高まってきた。国論を二分する重要な問題だけに、私も関心は大きい。特に、昨年5月3日、安倍首相が憲法九条への“加憲”に言及してから、この論議は一気に具体的な話へと移ってきた感がある。

昨年来、私も講演等で憲法の話をする際に、実際の憲法九条「3項」の私案を紹介させてもらう機会が多くなっている。

私は、長い間、憲法改正には「反対」だった。それは、日本が実際の意味での「集団的自衛権」を行使できることになれば、「中国との交戦」が必然になると思うからだ。憲法を改正した上で、日本は、南シナ海で遠くない将来に勃発するであろう「紛争」に顔を突っ込み、あの“核大国”中国と本当に戦争をするのか、という意味である。

少々、説明が必要だろう。いろいろな見方はあろうが、憲法九条のおかげで、日本は集団的自衛権の発動が禁じられてきた。2015年9月、安全保障関連法が成立した時、「日本は集団的自衛権を獲得した」とマスコミは大批判を展開した。しかし、実際には、これは極めて個別的自衛権に近いものであり、一般的な集団的自衛権とは異なる。

欧州で、自由主義圏の「北大西洋条約機構(NATO)」と共産圏の「ワルシャワ条約機構(WTO)」がお互い集団的自衛権の行使を武器に、「均衡」という名の平和を長く維持してきたことは周知のとおりだ。

加盟国のうち一国でも攻撃を受けたら集団で反撃する――寄らば撃つぞ、の気概は集団的自衛権の根本であり、実際に“抑止力”の面で大きな力を発揮してきた。集団的自衛権とは、このことを言う。一方、2015年に安全保障関連法成立で定められた「武力行使新3要件」とは、以下である。

(1)我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険(筆者注・存立危機事態)があること
(2)これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと
(3)必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと。

安全保障関連法で新たに生み出された「存立危機事態」と、この武力行使の「新3要件」を見れば、NATOにおける集団的自衛権とは「根本的に異なる」ことがわかる。それは、前述のように極めて「個別的自衛権に近いもの」なのである。

では、具体的に尖閣諸島を守るために動いてくれた米艦が他国に攻撃された場合、どうなるだろうか。アメリカの若者が日本のために血を流しても、肝心の日本が知らぬ顔を決め込めば、その時に日米関係は終わる。それを回避するために、つまり、安全保障の隙間(すきま)を埋めるために上記の規定がつくられ、個別的自衛権に極めて近いかたちでの限定的な集団的自衛権が行使できるようになったのである。

しかし、問題はその「先」である。日本が憲法改正によって、つまり九条の改正によって真の意味での「集団的自衛権を獲得」すれば、どうなるだろうか。アメリカは、東アジアの安定のために日本の力を重視している。つまり、アメリカは、拡大路線で“覇権国家”への道をひた走る中国に対抗するため、NATOと同じ条約機構を西太平洋に構築したくて仕方がない。

これを仮にWPTO(西太平洋条約機構West Pacific Ocean Treaty Organization)とでも名づけよう。NATOが集団的自衛権の「抑止力」により、3度目の世界大戦勃発を長く防いできたように、仮称「WPTO」によって、中国の「膨張を防ぐ」というものだ。

中国が1992年2月、領海法を制定発布し、悪名高い“中国の赤い舌”と呼ばれる九段線を東シナ海、南シナ海に引いてから、東アジアは「悪夢の時代」へと突入した。

日本国固有の領土である尖閣諸島をはじめ、フィリピンからわずか230キロしか離れておらず、同国のEEZ(排他的経済水域)内にあるスカボロー礁や、ベトナム・マレーシア・フィリピンが領有を主張するスプラトリー諸島に至るまで、中国は勝手に「自国の領土である」と国境線を引いたのである。

そして、それらの岩礁を強引に埋め立て、基地建設を進めている。周辺国がすでに“我慢の限界”に達していることは言うまでもない。

スカボロー礁で、中国と、米軍の支援を受けたフィリピンとの紛争が生じたら、憲法九条改正後の日本は一体、どうするのか。本来は、国際秩序を守るために中国と対峙し、堂々と米軍と共にフィリピンを助けなくてはならないだろう。しかし、それは、中国との「戦争勃発」を意味する。

日本は、フィリピンや台湾、ベトナムを見捨てるのか。それは、国際的にも、そして、国内的にも大きな議論となるだろう。しかし、焦土の中から戦後日本がスタートした歴史を考えれば、国民は、憲法九条が変わるとしても、「集団的自衛権」を獲得しないかたちでの改正を選択するのではないかと私は想像する。

2月5日、自民党の石破茂元幹事長は大阪市で講演し、憲法九条改正で2項を維持して、自衛隊の根拠規定を明記する安倍晋三首相の案について「受けがいいかもしれないが、私はそれがあるべき姿とは思わない」と持論を展開している。

時事通信の報道によれば、石破氏はこのとき、「集団的自衛権が認められないから、領土・領空・領海を米国に好きに使わせるのはあるべき独立国の姿ではない」と指摘し、「わが国の独立した体制とは何であるか問うていかねばならない」と語ったという。 

私は、逆に石破氏に聞きたい。ならば、集団的自衛権を完全に獲得・行使するために「2項」を削除し、「中国と戦争をしますか」と。私は、石破氏の論に賛成する国民は「少数である」と思量する。憲法九条の「1、2項」はやはり維持すべきだと私は思う。なぜなら、これは「侵略戦争」に対する規定と解すべきものだからだ。

「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」
「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」

この憲法九条の1、2項を「侵略戦争」に対する規定と見なさなければ、日本国民は自分たちの命を守る(自衛する)ことも許されず、いずれかの国が攻めてきた場合、抵抗もできないまま殺されるしかない。そんな国家があるはずもないし、解釈も許されるはずがない。さらに言えば、これでは自衛隊も「違憲」の存在でしかないのである。

自国を守るための戦争以外は絶対に行わない。「ただし、自衛隊によって、日本は自衛権を有し、国の独立は永遠に守り抜く」――そのことを九条に書き加え、自衛隊を完全に「合憲」とする。そのための九条「3項」は以下のとおりだ。

「ただし、日本国民の生命・財産および国土を守るために、自衛力の保有は妨げられない。自衛隊によって、わが国に対するいかなる国の侵略も干渉も許さず、日本は永遠に独立を保持することを宣言する」

前記1、2項にこの3項を続けて読んでいただきたく思う。1、2項で、「侵略戦争」と「集団的自衛権」を否定し、3項で、国民の生命・財産および国土を守るために日本が「自衛権」と「自衛隊」を有していることを明記し、さらには、日本へのいかなる国の「侵略」も「干渉」も許さず、日本が永遠に独立を保持することを宣言するのである。

実質的な集団的自衛権を否定したままであることに、反対の人は多いと思う。しかし、私は、少なくとも、石破氏の言う「2項」を削除した上での改正案が、国民投票で「50パーセント以上」の支持を得られるとは、とても考えられない。

昨年来、私は講演等で、このシンプルな3項案をことあるごとに話している。国民が考える際の“たたき台”のひとつとして考えていただきたく思う。憲法の条項とは、誤解さえ生じないものであれば、シンプルなものがいい。

石破氏が唱えるような「2項削除」による改正ではなく、日本が「侵略戦争」と「集団的自衛権」を否定した上で、「自衛権」と「自衛隊」を有し、いかなる国からの「侵略」も「干渉」も許さないことを明確にすれば、それで十分だと思う。広く、ご批判、ご感想をいただきたく思う。

カテゴリ: 司法, 政治

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