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解散「あすの会」が闘い続けた“真の敵”

2018.06.04

私は、昨日6月3日午後1時過ぎから始まった会の一角に座りながら、さまざまな感慨に捉われていた。「あすの会」の解散式(第16回全国犯罪被害者の会=あすの会=最終大会)である。

東京千代田区九段北にあるアルカディア市ヶ谷3階「富士の間」には、上川陽子法相をはじめ、被害者の会のメンバーや一般支援者、そして報道関係者など、数百人が詰めかけていた。

会の冒頭、挨拶に立った上川法相は、自ら「犯罪被害者等基本法」の成立に東奔西走した政治家である。上川法相は、ひとことも言葉を発することができない犯罪被害者のためにいかに「あすの会」が凄まじい闘いを展開したか、そして夫人を犯罪で喪った「あすの会」顧問・岡村勲弁護士の功績がいかに大きかったかを語った。

その岡村勲顧問も挨拶に立ち、この18年間の活動に対する万感胸に迫る思いと共に「あすの会が解散しても被害者問題は終わったわけではない。では、今後は誰が担うのか。それは国であり、国民である」と会場全体に語りかけた。

母親を惨殺されて遺体をバラバラにされ、今も身体の一部しか見つかっていない被害者遺族の女性が「私たち娘は、人間不信に陥り、引きこもりになりました。しかし、(あすの会が創設に努力した)被害者参加制度で救われました」と感謝を述べるなど、登壇した犯罪被害者ご遺族は、あすの会と岡村弁護士への感謝を述べていった。

スピーチを聴きながら、私は今から18年前、この会が発足した時のことを思い出していた。当時、私は、現役の週刊新潮デスクだった。この会ができた時、世の中は「加害者の人権」が“すべて”であり、被害者の権利など“皆無”で、法廷においても遺族の被害感情をわかってもらうだけの単なる「証拠物」としてしか扱われていなかった。

すなわち被害者や遺族は“石ころ同然”だったのである。しかし、この会が発足してから、世の中は猛然と変わっていった。司法の世界だけではない。「世の中」自体が変わっていったのだ。

専門的な司法の分野で言えば、前述の「犯罪被害者等基本法」の成立をはじめとして、犯罪被害者のさまざまな権利や公訴時効の撤廃など、多くの制度を勝ち取っていった。だが、この会が存在した「意義」はそれだけにはとどまらなかった。

マスコミに巣食うエセ・ヒューマニズム、すなわち「偽善」と真っ正面から闘い、そして、それに「勝った」ことである。朝日新聞をはじめとする偽善メディアにとってもまた、当時、人権といえば「加害者の権利」にほかならなかったからだ。

朝日新聞紙面に連載され、書籍化もされた神戸・酒鬼薔薇事件の『暗い森』が代表的だった。彼らにとっては、人権とは加害者である「酒鬼薔薇聖斗」のものであり、殺された土師淳くん(当時11歳)や、その家族のためのものではなかった。

週刊新潮は、淳くんのお父さんである土師守さんの告白手記を掲載し、加害者の権利を過剰に擁護することを「人権」と勘違いしている本末転倒した幼稚なジャーナリズムと闘った。

光市母子殺害事件が起こってからは、遺族の本村洋さんが犯人の少年を「実名告発」した手記も掲載し、「真の人権とは何か」を世に問うた。

全国犯罪被害者の会(のちの「あすの会」)が発足したのは、そんなさなかのことだった。飯田橋の駅に隣接して建つビルの一室でおこなわれた発足の時のシーンは、今も忘れられない。

「犯罪被害者は訴える」と題されたこの発足式でスピーチに立ったのは、まだ23歳に過ぎない光市母子殺害事件の遺族・本村洋さんだった。本村さんは殺された妻・弥生さんと娘・夕夏ちゃん(生後11か月)の遺影を法廷に持って入ろうとして拒絶され騒動になるなど、真の正義を見失った司法に絶望していた。

本村さんは、妻子が遭った事件の悲惨さ、裁判で遺影の持ち込みを拒否された時の屈辱、亡き妻と子への思い……等を滔々と語った。会場は、静まり返り、涙する参加者が相次いだ。

そして、本村さんはスピーチをこう締めくくった。「裁判は加害者に刑罰を与えるだけの場ではありません。被害者が立ち直るためのきっかけとなる場でもあります。われわれの存在を忘れないでほしい。われわれを裁判から遠ざけないでください」と。

毅然とした本村さんの態度に出席者だけでなく、報道陣も心から感動した。私自身もそうである。本村さんや「あすの会」のその後の凄まじい闘いは、あらためて述べるまでもあるまい。

こうして犯罪者だけが「人権」を享受していた時代が次第に崩れていった。私は、2003年には『裁判官が日本を滅ぼす』を、そして、2008年には本村洋さんの苦闘と彼を支えつづけた人々の姿を『なぜ君は絶望と闘えたのか 本村洋の3300日』という本にまとめさせてもらった。

それは、単に「被害者の数」だけで量刑を決める形骸化した刑事裁判、すなわち官僚裁判官との闘いであり、加害者の利益を過剰に擁護することを「人権」だと勘違いした偽善ジャーナリズムとの闘いでもあったのである。

いま真の正義を見失ったジャーナリズムが叩き落とされつつある最大の要因は、もちろん「インターネット」にある。しかし、2000年1月に発足したこの「あすの会」の闘いと、そして、もうひとつ、北朝鮮による拉致被害者を奪還する闘いを展開した「家族会」が果たした役割はとてつもなく大きかったと思う。

あすの会が、そのひとつの役割を終えて、解散した。司会は、光市母子殺害事件遺族のその本村洋さんであり、会の議長を務めたのは假谷さん拉致事件の遺族・假谷実さんだった。

先に書いたように私と出会った時の本村さんは、23歳の青年だった。18年後、本村さんは奇しくも、本村さんと出会った時の私の年齢と同じになった。「ああ、時が経ったなあ……」と思いながら、私は本村さんの司会を見守った。

会が終わって私は、二次会・三次会と、あすの会のメンバーたちと遅くまでこの18年間の闘いについて話し合った。本村さんと土師さんにも「本当にお疲れさまでした」という言葉をかけさせてもらった。

私は、時を一にして「北朝鮮拉致問題」が今、ラストチャンスを迎えていることにより感慨を深くしている。そして、正義はいつかは勝つのだ、と思う。

司法だけでなく、日本のマスコミの「偽善ジャーナリズム」を敵にまわして闘い、正義を実現した人々に深く頭(こうべ)を垂れながら、私自身もその闘いを「今後も引き継がなければ」と誓わずにはいられなかった。

カテゴリ: 事件, 司法

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