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なにが「袴田巌」を死刑から救ったのか

2014.03.28

日本列島を駆け抜けたビッグニュースだった。「これ以上、拘置を続けるのは耐え難いほど正義に反する」「証拠が捏造(ねつぞう)された疑いがある」。村山浩昭裁判長の痛烈な文言と共に、48年という気の遠くなる年月を獄中で過ごした袴田巌死刑囚(78)の再審請求が認められ、史上初めて「直ちに釈放」された。

3月27日午後5時20分、東京拘置所から釈放された袴田死刑囚の姿は、自分に起こっている“現実”をきちんと理解できているのかどうか、判断しかねているように私には見えた。

拘禁症による心神耗弱と糖尿病の悪化という病状は、その姿が如実に物語っている。 1966(昭和41)年に静岡県で一家4人が殺害、放火されたいわゆる「袴田事件」は、再審の厚い壁が「ついに破られた」のである。

私は、「ああ、“裁判員制度”が袴田死刑囚を解き放ってくれた」と、その袴田死刑囚の姿を見ながら思った。すなわち「司法制度の改革」が、長い拘禁生活下にあった袴田死刑囚をついに解き放った、と思ったのである。

これには、少々の説明を要する。袴田死刑囚と「裁判員制度」とは表面上、何の関係もないからだ。今回の決定の最大の要因は、袴田死刑囚の姉・秀子さん(81)が申し立てた第二次請求審で、新たに実施した「DNA型鑑定」の評価によるものだ。

しかし、私はそれと同等、いやそれ以上に、「裁判員制度」こそが、袴田死刑囚釈放の“主役”だったと思う。

現場近くのみそ工場タンクから発見され、確定判決が「犯行着衣である」と認定した5点の衣類のDNA型鑑定結果を、弁護側は「これは、再審を開始すべき明白な新証拠に当たるものだ」と主張した。

半袖シャツに付着していた「犯人のもの」とされる血痕について、2人の鑑定人が袴田死刑囚のDNA型と「完全に一致するものではなかった」とした。しかし、検察側の鑑定人は「検出したDNAは血痕に由来するか不明」と信用性を否定したため、検察側は「鑑定試料は経年劣化している。鑑定結果は到底信用できない」と訴えた。

ここで起こったのが、600点の証拠の「初開示」という出来事だった。これは、袴田事件にとって「画期的なこと」だった。この第二次請求審で、静岡地裁の勧告を受けた検察側が、袴田死刑囚が供述した録音テープ、関係者の供述調書……等々、600点に及ぶ新たな証拠を弁護団の前に「開示」したのである。

これによって、当時の「捜査報告書」の内容が新たに判明した。そこには、袴田死刑囚と同じ社員寮にいた同僚が「(事件時の放火による)火事をサイレンで知って表に出る時、袴田がうしろから来ていた」と話していた記述があった。袴田のアリバイを補強する話である。

また、犯行着衣とされたズボンをつくった製造会社の役員の供述も開示された。これによって、ズボンについていた布きれにあった記号「B」が示していたのは、確定判決が認定していた「サイズ」ではなく、「色」だったことがわかったのである。

「このズボンは、袴田死刑囚には到底、履くことはできない。これは彼が履いていたものではない」。弁護団のその主張が、信憑性を帯びることになったのである。

なぜ、こんな証拠が次々と明らかになったのだろうか。この背景にあるのが、2009年5月にスタートした「裁判員制度」である。国民が裁判の過程に参加し、裁判の内容に国民の健全な常識を生かすために始まった裁判員制度。この国民の裁判への参加には、大きな条件があった。

審理が長期に渡れば、裁判員の負担は、はかり知れない。そこで、審理の迅速化と、そのための徹底した要点の整理が迫られた。公判が始まる前に争点を「絞り込む」システムが裁判員制度を睨んで、でき上がった。

それが、「公判前整理手続」である。裁判員制度に先立つ2005年11月に刑事訴訟法の改正によって、この制度は始まった。公判が始まる前に、裁判官、検察官、弁護人の間で徹底した要点整理をおこなうのである。これにより弁護側が要求する証拠物件は、検察側はすべて開示しなければならなくなった。

すなわち弁護側が要求すれば、捜査官が捜査の過程でメモした警察手帳の中身から、留置場で朝、昼、晩、容疑者が「何を食べていたか」という記録に至るまで、この公判前整理手続の場に出さなければならなくなったのである。

今回の再審決定の重要なポイントは、2010年5月、裁判官、検察側、弁護側の3者協議の席上、当時の原田保孝裁判長が「検察はそこまで“捏造でない”と言うのなら、反論の証拠を開示したらどうですか」と、検察側に初めて証拠開示を迫った「瞬間」と言われている。

それが、前年(2009年)にスタートした裁判員制度と、さらにそれに先立つ公判前整理手続によるものであったことは、明らかだろう。そして、その姿勢は今回、再審開始の決定をおこなった後任の村山浩昭裁判長にも引き継がれ、厚い「再審の扉」はこじ開けられたのである。

今回の袴田事件だけではない。公判前整理手続というシステムは、刑事裁判に画期的な変化をもたらしている。これまで、なぜ日本の刑事裁判における有罪率が「99%」を超えるという“異常な”数字を誇っていたか、ご存じだろうか。

それは、井上薫・元裁判官と私との対談集『激突! 裁判員制度―裁判員制度は司法を滅ぼすvs官僚裁判官が日本を滅ぼす』(WAC)にも詳述されているが、これまでの日本の刑事司法は、極めて冤罪を起こしやすい体質を持っていた。

それは、検察が法廷に出す証拠は、有罪を「勝ち取るだけのもの」であり、それに不都合なものは「隠されて」いたのである。たとえば、A、B、C、D、Eという5種類の関係者の供述調書があり、そのうち、有罪に有利なものがAとCとDだった場合、有罪を勝ち取るために不利なBとEの供述調書は、法廷に出さなくてもよかった。

たとえ弁護人から「BとEの供述調書を出してください」という要求があっても、同じ“官”同士である裁判官から「その必要はありません」と却下されれば、それで終わりだったのだ。そもそも弁護側は、「BとEの供述調書」が存在することを知らないまま、判決が下されることが多かったのである。

しかし、日本の99%の有罪率を支えたその悪しきシステムは、裁判員制度を睨んでスタートした公判前整理手続によって崩壊した。そして、定着してきたこの公判前整理手続の習慣は、袴田事件の再審をめぐる攻防にも決定的な影響を与えたのである。

私は、ここまで検察を追い込んでいった“手弁当”の弁護士たちと支援者たちの「執念」と「努力」に心から敬意を表したい。そして、日本の司法を根本から変えつつある「裁判員制度」というものに、あらためて厚い評価をしたいと思う。

カテゴリ: 事件, 司法

爆破テロ事件の「教訓」は生かされるのか

2013.11.09

今週は、福島県の小名浜、いわき、猪苗代、福島市と取材がつづいた。来年出版予定のノンフィクションの取材である。福島県は、浜通り、中通り、会津地方と、それぞれが気候も風土も「違う」ことで知られる。

最も寒い猪苗代は、紅葉の時期も過ぎ、朝夕は冷え込み、タクシーの運転手が「来週には、おそらく初雪ですよ」と言っていた。標高1800メートルの磐梯山に「三度雪が降れば、麓の町にも雪が積もるんですよ」という。いよいよ猪苗代や会津にも、本格的な冬支度の時期がやって来たようだ。

今週の大きなニュースは中国の山西省・太原市の共産党委員会庁舎前で、天安門に引き続き、またも爆破テロ事件があったことだ。だが、昨日、福島から東京へ帰ってきたら、さっそく「容疑者が身柄拘束された」という報道が流れていた。

容疑者は太原市内に住む前科のある41歳の男性とのことだが、あまりに素早い“拘束”に逆に疑問も湧いた。なぜ、それほどのスピード解決が可能だったのか。ひょっとして確実な目撃者でもいたのだろうか。報道統制された共産党政権下では「真実」が見えにくいため、何もわからない。

私は、中国で爆破テロ事件が相次いでいるこのタイミングに驚いている。つい10月末、私は、『狼の牙を折れ―史上最大の爆破テロに挑んだ警視庁公安部』というノンフィクションを小学館から上梓したばかりである。それは、かつて東京が同じように、いや、それ以上に爆破テロに襲われていたことを描いたものだからだ。

若い人には、かつて東京が「いつ」「どこで」「誰が」爆殺されてもおかしくない地だった、といったら、何を寝ぼけたことを言っているのか、と笑われるかもしれない。

しかし、それは真実である。1970年代、東京は、ある時はアメリカ大使館の施設へのピース缶爆弾が、またある時は郵便局内で小包爆弾が、さらには、警察幹部の自宅でお歳暮を装った小包爆弾が……という具合に、何者かによる爆破事件が連続し、多くの犠牲者が生まれていた。

極めつけの爆破事件は、1974(昭和49)年8月30日、東京駅の目の前で起こった「三菱重工爆破事件」である。死者8名、重軽傷者376名を出したこの史上最大の爆破テロを皮切りに、連続11件という企業爆破が繰り広げられた。そして、その謎の犯人グループは、「天皇暗殺」まで企てていたことがのちに判明する。

政治闘争の名を借りて、こんな爆破テロが東京で起きていたことを知る人がだんだん少なくなっている。これらの爆破テロに比べれば、中国での事件など、まだまだ可愛い方だろう。

罪もない一般の人々が爆殺される、こうした狂気の反権力闘争がかつて展開され、東京は、幸せな日常生活と家族の絆が、理不尽にも一瞬にして奪われるかもしれない“恐怖の地”でもあったのである。

この謎の犯人グループは、三菱重工爆破から9カ月後、警視庁公安部によって一網打尽にされた。しかし、その後に起こったクアラルンプール事件やダッカ事件という国際人質事件によって、超法規的措置として犯人の一部は出国していった。

そのまま犯人は現在も国際逃亡を続けており、事件はいまだ終結していない。私は、この事件の知られざる内幕を当時の公安捜査官の直接証言により、実名ノンフィクションとして描かせてもらったのである。

いま中国に“爆破テロの時代”が到来し、東京は来たるべき2020年のオリンピックに向けてテロ対策に動き始めている。今まで無警戒だった原発テロへの対策も進み始めた。

今年4月に起こったボストン・マラソンの爆弾テロ事件は記憶に生々しい。言うまでもないが、過去、オリンピックはテロの標的にされてきた。かつてミュンヘン五輪(72年)で起こったパレスチナ武装組織によるイスラエル選手団殺害事件や、アトランタ五輪(96年)での爆弾テロ事件も忘れられない。

五輪で国を挙げて「テロ対策」に取り組むのは、世界の常識となっている。今年9月、日本とアメリカは、「PCSC協定」なるものを結んでいる。テロへの関与が疑われる人物の入国を防ぐため、犯罪者の指紋データベース情報などをお互いが提供し合う協定だ。

だが、こういうデータベース情報に対する日本側の情報漏洩への警戒感の欠如が各国の懸念材料になっているのも事実だ。その意味で日本のテロ対策は、まだ「緒についた」ばかりなのである。

かつて世界のどの都市よりも爆破テロの恐怖に晒されていた東京。その時の捜査のノウハウは果たして、今も「生きている」のだろうか。

私は、東京が本格化させなければならないテロ対策に、かつての「経験」とそこで培われた「叡智」がどのくらい生かされるのか、疑問を持っている。人権弾圧が進む中国で今、起こっている連続爆破テロのニュースを追いながら、私はこの1週間、さまざまなことを考えさせてもらった。

カテゴリ: 事件

被害者の苦悩から何を学ぶか

2012.09.21

昨日は、故郷・高知の県民文化ホールで講演会があった。NPO法人こうち被害者支援センターが、高知県公安委員会から犯罪被害者等早期援助団体の指定を受けたことを記念したものだ。

演題は、「誰もが被害者になり得るということ―被害者の苦悩から学ぶ社会のあり方について―」というものだった。拙著『なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日』(新潮文庫)を書かせてもらったように、私はこれまで多くの事件について、記事や本を執筆してきた。

その経験を踏まえて、ほんのついこの前まで犯罪被害者が、「司法」からも、「社会」からも、無視されつづけてきた実態を講演させてもらった。

多くの犯罪被害者とその家族、たとえば山形マット死事件の児玉昭平さん、神戸・酒鬼薔薇事件の土師守(はせ・まもる)さん、そして光市母子殺害事件の本村洋さん……等、亡くなった家族の「無念」と、犯罪被害者への世の中の「理解」を訴える闘いをやってこられた方々の話をさせてもらったのである。

それにしても、2004年に犯罪被害者等基本法が成立してやっと世の中の流れが変わるまで、「人権」と言えば、加害者だけの「人権」であったマスコミ・ジャーナリズム、あるいは、犯罪被害者の家族を単なる“証拠物”としてしか扱ってこなかった司法の世界を思うと、講演しながら、あらためて真の正義というものを見失い、うわべだけの偽善社会に陥っていた戦後日本の姿に思いを致さざるを得なかった。

講演では、マスコミが陥っている“自己陶酔型シャッター症候群”についても説明をさせてもらったが、果たして理解してもらえただろうか。一人でも多くの方にマスコミや司法の人間に惑わされない毅然とした見方を持って欲しい、と心から願った故郷の一日だった。

カテゴリ: 事件, 司法

検察「ベスト・エビデンス主義」の崩壊

2012.06.08

東電OL事件の再審決定、釈放、そして国外退去へ、という流れに衝撃を受けた人は少なくないだろう。昨日まで刑務所にいたゴビンダ・マイナリ受刑者(45)は、一転、冤罪ヒーローとなった。

東京高裁の再審請求審が結論づけた「現場で何者かが被害者と性交した後、殴打して出血させ、その血液を被害者のコートに付着させたと見るのが自然」という判断は、なにより検察にとって大変な衝撃だった。

当時、事件の取材にあたっていた私には「現場に第三者がいた可能性を示すDNA型鑑定結果」というもの自体が驚きだった。科学の発達、あるいは鑑定技術の進歩といえばその通りだが、それと同時に、検察がベスト・エビデンスだけを裁判に出すことが「当たり前だった」時代が文字通り、終わったことを強く感じた。

検察は、これまで被告人を犯人と指し示すために必要な証拠しか法廷には出してこなかった。検察の「ベスト・エビデンス主義」である。自分たちに有利なこの仕組みに甘え、やがて証拠に対する執着や執念が失われてきたのが、今の検察である。

しかし、裁判員制度の導入を踏まえて2005年、刑事訴訟法が改正され、「公判前整理手続」が始まった。それは、そもそも刑事裁判の充実・迅速化を図るためのものだった。

だが、この仕組みは検察にとって厳しい事態を招くことになった。公判前整理手続では、裁判官、検事、弁護人が事前に協議し、あらゆる証拠をもとに焦点や争点を徹底的に絞り込むことになったのである。

これによって、それまでの検察の「ベスト・エビデンス主義」は通じなくなった。提出することを要求された証拠は、すべて公判前整理手続の過程で出さなくてはならず、容疑者を「有罪にするため」の証拠だけを法廷に出しておけばよかった頃とは天と地ほども違う時代を迎えたのだ。

都合の悪い証拠も出さなくてはいけなくなった検察は、やがて「村木厚子事件」で明らかになったように、検事が証拠の捏造にまで手を染めるようになってしまった。

ゴビンダ受刑者が本当に真犯人でないなら、この「獄中の15年」をどう取り戻すことができるのだろうか、と思う。どれほどお詫びしてもお詫びし切れるものではない。

それとともに、検察とは、果たして「真犯人を見つけるところなのか」、それとも犯人だと“思われる人”を見つけ、それをただ「有罪に持っていくところなのか」、という根本的な問題が突きつけられているように思う。

相次ぐ検察の敗北は、マスコミがつくりあげてきた検察神話がいかに実態の伴わないものであったかを物語っている。私は個人的に使命感と正義感に溢れた検事を何人も知っているだけに、真の意味で秋霜烈日バッジにふさわしい本来の検察が蘇(よみがえ)ることを心から望む。

カテゴリ: 事件, 司法

17年後の“爆弾娘”

2012.06.04

年月とはおそろしい。昨日逮捕されたオウムの指名手配犯、菊地直子(40)の写真を見て、そう思った人は少なくないだろう。

“オウムの爆弾娘”と呼ばれた二十歳過ぎの頃とは似ても似つかぬ中年女性の姿である。肉づきのよかった娘時代と、痩せぎすな四十の女性は、たとえ面と向かっても同一人物とは気づかないだろう。

それだけに、「誰が警察に通報したのか」という根本的な疑問が湧いてくる。そのあたりは、犯人隠避で逮捕された同棲相手がカギを握っていると思うが、いずれにしても半年前の平田信(47)の自首以来、13人の死刑確定者を出したオウム事件が名実ともに「終焉に近づいている」ことを感じる。

これで特別指名手配犯は、ついに高橋克也(54)一人だけとなった。菊地直子は2年前にも高橋克也と接触していたそうだから、高橋逮捕も時間の問題となった。「もう逃げ切れない」と、高橋克也が自首する可能性も少なくない。

高橋克也は、假谷さん拉致事件の実行犯であり、同時に地下鉄サリン事件の犯人送迎役でもある。捕まれば、重刑は免れない。

先日放映されたNHKの『未解決事件2 オウム真理教』の中で、上祐史浩が90年段階の熊本・波野村時代にすでに武器開発に着手していた事実を告白した。あの番組を見ながら、私にはもはや指名手配犯たちにも逃亡を続けるモチベーションが「なくなった」ように思えた。

それでも、もし高橋克也に逃亡を続ける強い意志があるとしたら、それは「麻原への盲信」を今も持ち続けていることを意味する。

そうでないなら一刻も早い自首を高橋には望む。自らかかわった事件の被害者に対して、人間としての想いが少しでもあるなら、最後に「人としての良心」を示して欲しい。

カテゴリ: 事件

見応えがあったNHK『未解決事件2 オウム真理教』

2012.05.28

昨日のNHKスペシャル『未解決事件2 オウム真理教』は久々に見応えのある番組だった。前日に放映されたドラマは、BSでも事前放映されたものだったが、私は、息を詰めて今日のインタビュー構成のスペシャル番組に見入った。

警察庁元警備局長・菅沼清高氏と元刑事局長・垣見隆氏という当時の警察庁の大幹部まで登場し、悔恨の弁を引き出していた。あのオウムのスポークスマンだった上祐史浩が、オウムが熊本(波野村)にいた90年代初めから武器開発に着手していた事実を証言したのも驚いた。

オウム事件のあった95年、私は週刊新潮デスクとして取材と執筆の最前線にいた。刑事部・公安部の捜査官を含め、沢山の方々に協力をいただき、多くの記事を書いた。

その中で、私は、警察首脳のハラひとつで、“別件”でオウムに踏み込み、「次の事件」を未然に防ぐことができた事実を当時から痛感していた。番組で、地下鉄サリン事件が起きてから踏み込んだことを悔やむ垣見隆・元刑事局長の苦渋の表情が印象的だった。

それと共に、垣見氏よりも最高責任者であった国松孝次・警察庁長官と井上幸彦・警視総監の“不作為の罪”が、この番組であらためて明らかになった、と私は思う。

私は、彼ら警察最高首脳が、多くの“別件”を持ちながら2月28日に拉致された目黒公証人役場の假谷清志事務長の命を“見殺し”にし、そのために「地下鉄サリン事件」という未曾有の悲劇を呼び込んだと考えている。この番組はそのことがよくわかる内容だった。

いま私は、これよりも古い、戦後のある大きな事件で、いかに警察首脳と現場の捜査官が国民の生命を守ろうとして奮闘したかを次のノンフィクション作品のひとつとして取材している。自らの使命に忠実だったかつての警察官僚、捜査官の凄まじい物語をお届けできる日を楽しみにしている。

カテゴリ: テレビ, 事件

尊い犠牲に報いるために

2012.05.24

あの日から「15年」が過ぎた。土師淳君(当時11歳)が酒鬼薔薇聖斗に殺害されてからである。1997年5月24日、淳君の切断された頭部が神戸市須磨区の友が丘中学の校門で発見された。

およそ1か月後、酒鬼薔薇聖斗を名乗った14歳の少年が逮捕され、関東医療少年院に入院し、“刑事罰”ではなく、“治療”を施された。

以来、15年。酒鬼薔薇は社会に解き放たれ、少年法は不完全とはいえ一部改正され、また、当時はまったく顧りみられることがなかった被害者の人権が大切にされるようになった。さらに、一般国民が刑事裁判の審理に参加するという裁判員制度もでき上がった。

まさに「隔世の感あり」だが、これも淳君の尊い犠牲があったからである。事件の2年後、光市母子殺害事件が起こり、本村弥生さん(当時23歳)と生後11か月の夕夏ちゃんも18歳少年により犠牲になった。

2人の犠牲も司法制度改革と少年法改正へとつながっていった。この15年の流れをみると、少年犯罪に対する世間の目や、司法の世界が変わっていくためには、いかに“尊い犠牲”が必要だったのか、と思ってしまう。

うわべだけの正義を振りかざしてきたメディアも、やがて目を覚まさなければならないところまで追い込まれたのである。

ひと言で15年といっても、それは筆舌に尽くしがたい血と涙の日々だったと思う。私は、今日、淳君のお父さんである土師守さんと久しぶりに電話で話した。

土師さんは、あれほどの哀しみを経験したとは思えないほど、いつもの明るい声で接してくれた。土師さんとのおつき合いも、もうそんな長い年月になったのかと、つくづく思う。

“偽善”との戦いでもあった15年。あの悪夢のような事件が起こった日が、日本が生まれ変わる契機となった「日」となれば、淳君たちの尊い犠牲も少しは報われるような気がする。

カテゴリ: 事件, 司法

本村洋さんは何と闘ったのか

2012.02.26

連日、徹夜がつづいている。締切間近の『太平洋戦争 最後の証言』第三部の「大和沈没編」だ。ここ1週間は、光市母子殺害事件の最高裁判決があり、少し執筆から遠去かっていたため、原稿の仕上がりが遅れている。

取材に応じていただいた方々のためにも、貴重な証言をきちんと後世に残したいと思う。戦艦大和の生き残りには、結局、全国で17人お会いすることができた。そのうち昭和20年4月の沖縄への水上特攻で大和が沈没した時、東シナ海の重油の海から生還した方は「14人」にのぼる。

それぞれにさまざまな人生があり、おひとりおひとりが1冊づつの本になるほど、多くの示唆に富んだお話をいただいた。九死に一生を得て生き残った元兵士たちが90歳前後になって私に伝えてくれた事実の数々には息を呑む迫力があり、同時に元兵士たちの深い思いが籠もっていた。

いま取材ノートを整理しながら執筆していると、それぞれの表情が目の前に浮かび、声が聞こえてくるような気がする。貴重な老兵たちの歴史の証言をきちんとまとめて『太平洋戦争 最後の証言』を無事、完結させたいと思う。

さて、この1週間は、マスコミの話題を光市母子殺害事件の最高裁判決が独占した感があった。私が広島拘置所にいる犯人の元少年(30)との面会のことを書かせてもらった月刊誌『WiLL』も、本日、発売になった。

元少年が真摯に罪と向き合っているさまを私は記事の中で描写させてもらった。元少年と面会をつづけていると同時に、私は、この13年間、遺族の本村洋さんにもずっと取材をさせてもらってきた経緯がある。

『WiLL』の原稿を書きながら私が思ったのは、この13年間、「本村さんは何と闘ったのか」ということである。私は、最高裁の判決後、あるテレビ局にコメントを求められて「永山基準」に代わる「光市裁判基準」が示された、と答えた。

しかし、これは、「加害者の年齢」や「被害者の数」を念頭に置いたものではない。永山基準では、あたかも加害者の年齢や被害者の数を絶対的なものとして示したようにマスコミの報道では印象づけられている。

だが、それは事実とは違う。1983年に最高裁で「永山基準」が示されて以後、あたかも「被害者4人」でなければ、少年には死刑が言い渡せないような雰囲気が醸し出されたのは、事実だ。

だが、それは永山則夫が「4人」を殺害したのであって、この最高裁判断を参考にした日本の官僚裁判官たちが勝手に「永山基準」を「被害者4人を示したもの」と解釈してしまっただけのことである。

そこに“相場主義”が生まれ、刑事裁判の形骸化が進む原因があった。今回、もし「光市裁判基準」なるものが示されたのだとしたら、それは「18歳の少年」に「被害者2人」で「死刑判決」を下す、ということではなく、これまでの相場主義を廃し、「個別の事案を真剣に審理する」という“基準”が示されたと解釈すべきだろうと、私は思う。

すなわち「光市裁判基準」とは、少年でも残虐な犯行を起こせば厳罰で臨むというものであり、個別の事案にきちんと対応していくことを示したものと言える。その根本にあるのは、平穏に暮らす人々を犯罪から「全力で守っていく」というものである。

あの判決を考える時に、このことだけは見誤ってはいけないだろう、と思う。なぜなら、本村さんは、そのために「13年」もの間、戦いつづけたからだ。

カテゴリ: 事件, 司法

光市母子殺害事件の最高裁判断

2012.02.21

昨日、ついに光市母子殺害事件の最高裁の判決が下った。上告棄却で、元少年(30)の死刑が確定した。事件から13年の歳月をかけて辿り着いた結論だった。

拙著『なぜ君は絶望と闘えたのか』が出版されて3年半。ついに遺族の本村洋さん(35)は、死刑判決を勝ち取ったのだ。妻・弥生さん(23)=当時=と夕夏ちゃん(11か月)=同=の無念を胸に「この日」が来ることを願って闘いつづけた本村さんは、最高裁第一小法廷で万感の思いでその判決を聞いた。

法廷の最前列で、風呂敷で包んだ遺影を胸に弥生さんのお母さんの隣に座っていた本村さんは、その瞬間、「長い間、お疲れさまでした』とお母さんに声をかけた。ハンカチで目頭を抑えながら、お母さんは、「長い間……ありがとうございました……」と、答えていた。

弥生さんのお父さんや、本村さんのご両親、お姉さんの肩が震えていたのが印象的だった。その全員が、無残な弥生さんと夕夏ちゃんのご遺体を見て、この日が来るのを一日千秋の思いで待ち続けた方々である。

私は、この瞬間を傍聴席の三列目で静かに見つめていた。日頃、親しくしていただいているご家族だが、とても声をかけることはできなかった。一方で、私は広島拘置所で元少年と面会も続けている。粛然とする思いだった。

判決後、本村さんが記者会見で語ったのは、「この判決に勝者はない」という言葉だった。元少年の死刑が確定しても、それは「勝者がいない」ものだ、という本村さんの言葉は重かった。

判決の夜、私は本村さん、それにご両親と一緒に食事をした。13年間の苦悩を語る本村さんとご両親の言葉が胸に迫った。長かった裁判が本当に終わったことを実感させられた。

私はこの2日間、フジTVの『知りたがり』で事件の解説をさせてもらうなど腰の落ち着く暇がなかった。この事件の真実を伝えたかったので、私はできるだけ各テレビ局の出演要求に応えさせてもらった。しかし、そんな中でこの判決を境に各メディアが元少年の実名報道に踏み切ったことに私は驚いた。

各局は、「少年の死刑が確定することになり、社会復帰して更生する可能性が事実上なくなったことなどを考慮して、実名で報道しました」と放送した。

元少年が社会復帰して更生する可能性がなくなったことなどを「考慮」して実名報道するとは、なんと残酷な理由だろうか。更生する可能性がなくなれば実名報道していい、という無慈悲な理由を掲げるメディアのレベルに私は溜息しか出てこない。

少年法の第1条には、こう記述されている。「この法律は、少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対して性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行うとともに、少年の刑事事件について特別の措置を講ずることを目的とする」。すなわち、「少年法」の対象になるのは「非行のある少年」なのである。

家庭裁判所に送致されてきた少年の中で、“非行”ではなく凶悪な“犯罪”を犯した者は、検察に逆送致され、起訴されたあと公開の刑事裁判にかけられる。この段階で“少年法の理念”の対象外になると「解釈できる」という法律家もいる。

日本の少年法のもとになったのは、アメリカのイリノイ州で初めて少年裁判所が創設された時、基本とされた「国が親に代わって保護をする」という“国親思想”である。これを念頭にでき上がった「日本の少年法」の理念が凶悪犯罪を引き起こした少年に対しても、そのまま無条件で当てはめられるべきか否かは、議論が必要であることは間違いないだろう。

少なくとも、その問題意識を持つことによって、かつての日本の各メディアは、永山則夫や山口二矢(おとや)など凶悪犯罪を起こした少年を、実名報道してきた歴史がある。しかし、いま各メディアは、「社会復帰して更生する可能性が事実上なくなった」いう理由で、死刑判決を受けた元少年を実名報道するというのである。

なんと無残なことができるのかと呆れたのは、私だけではないだろう。私は、かつて元少年を実名で本に記述したことがある。しかし、それは少年法第1条の文言をはじめ、これらさまざまな事情を考え抜いた末に記述したものである。

この事件は、実名報道問題以外にもさまざまな問題を提起してくれる。メディアの愚かさが次々露呈されたのも、この事件の特徴といってもいいだろう。

日本の司法を大変革させた本村さんの偉業に拍手を送ると共に、この事件は、真に「改革」されなければならないのは実は「マスコミである」ことを教えてくれたような気がする。

カテゴリ: マスコミ, 事件

長い長い歳月の末に……

2012.02.18

昨夜遅く名古屋から帰京した。愛知県の一宮、そして名古屋市内で戦艦大和の生還者を訪ね、『太平洋戦争 最後の証言』第三部の「大和沈没編」の取材をほぼ終えた。

数年にわたる取材を終え、ほっとしたというのが正直な気持ちだ。大正生まれの元戦士たちを訪ねる作業が終わったかと思うと感慨深い。しかし、一挙に原稿執筆の方もスパートをかけなければならない。

今回、最後に会った大和の生き残りの方は、私が昨年出版した『蒼海に消ゆ―祖国アメリカに特攻した海軍少尉「松藤大治」の生涯』(集英社)を読んでくれていた。よほど印象に残ったに違いない。その方は、ありがたいことに拙著の「あとがき」で私が書いた文章を、自分の手帳に書き写してくれていた。

「まさか、その筆者に会えるとは夢にも思っていませんでした」と90歳間近のその方が手帳を見せてくれた時、私は感激すると共に“文字の力”というものを改めて考えさせられた。

活字離れがいかに進もうと、文字で表わしたものは長い風雪に耐え、人々になにがしかの思いや力を与えるものに違いない。ノンフィクション作品の存在意義を再認識させてもらった一瞬だった。

さて、あさって20日(月)には、いよいよ光市母子殺害事件の最高裁判決が下される。事件から12年10か月かけて辿り着いた判決がどんなものなのか、注視したいと思う。

ご遺族の本村洋さんの取材を私が始めたのは1999年8月、山口地裁の初公判の時からである。23歳だった本村さんはもう35歳となった。年月というものを感じざるを得ない。

ここのところ、これに関して各メディアの取材が私にもつづいている。来週には私自身が出演して、事件の説明をさせてもらうテレビ番組もある。

法廷で判決を見とどけ、さらには本村さんの記者会見をこの目で見て、この耳で聴かせてもらおうと思う。それが、『なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日』(新潮社)で本村さんの苦難の道を描かせてもらい、さらには、広島拘置所にいる犯人の元少年(30)とも面会してきた私自身の務めだからだ。

最高裁第一小法廷で金築誠志裁判長が判決を言い渡すのは午後3時過ぎである。それは、山口地裁での第一審判決以来、光市母子殺害事件の「5度目」の判決となる。長い長い歳月の末に辿り着いた「結論」に注目したい。

カテゴリ: 事件

「通化事件」と風化する歴史

2012.02.03

今日2月3日は、昭和21年に起こった「通化事件」の66回目の記念日である。この事件は、国共内戦が進行する中、中国共産軍(八路軍)に占領された旧満洲・通化省通化市で勃発した八路軍に対する日本人居留民の蜂起と、その後に起こった共産軍による日本人虐殺事件である。

八路軍の圧政に立ちあがった日本人から数多くの犠牲者が生まれ、その数は二千とも三千とも言われるが、今もって正確にはわからない。

私の伯父がこの通化事件の犠牲者だったので、幼い頃から私は父や伯母たちからこの事件のことを聞いていた。通化事件の犠牲者には、遺体も遺品もなく、蜂起に失敗した日本人たちは狭い穴倉に押し込まれて圧死したり、処刑や暴行によって命を落としていったのだ。

そして遺体は凍りついた渾江という大河の氷を割って流されていった。私は今から28年前(昭和59年)の2月に零下20度という厳寒の早暁、まだ未開放地区だった通化に人民服姿で潜入し、伯父の死んだ場所の「石」を持ち帰ったことがある。

通化で命を落とした伯父の墓には、遺骨もなんの遺品も入っていなかったからだ。私にその通化事件の実態や関係者の連絡先を教えてくれた女流作家の松原一枝さんも昨年1月末に95歳で亡くなった。

多くの真実が歴史の彼方に消えようとしている。ここのところ、私は4月刊行予定の『太平洋戦争 最後の証言』完結編の「大和沈没編」執筆で徹夜がつづいているが、最近、貴重な歴史の証言を後世に残す意味を考えることが多くなった。

今日、事務所には千客万来だったが、その中で2月20日に迫った光市母子殺害事件の最高裁判決についての事前取材で訪れた報道記者もいた。拙著『なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日』(新潮文庫)に関して、いくつかの質問を受けた。

多くの事件が歴史の彼方に消えていく。風化に耐えながらも、次第に闇に呑み込まれていくのが、さまざまな事象の運命に違いない。しかし、それらをできるだけ後世に活字で残すことが私たちの使命でもある。その意味を考えながら、今晩も原稿に向かっている。

カテゴリ: 事件, 歴史

ついに結審した「光市母子殺害事件」裁判

2012.01.23

夜が来て、東京に雪が降り積もってきた。35日間の乾燥注意報が途切れた先週、ちらほらと雪は舞っていたが、さすがに積もるまではいかなかった。

しかし、今日は夜が更けるにつれて摂氏4度、3度、2度と気温が下がり、ついには雨が雪となり、さらに積もってきた。多摩では相当の積雪と、テレビが伝えている。

さて、今日は昼間、千代田区隼町の最高裁判所に行ってきた。昨日のブログでも書いたように、光市母子殺害事件の第二次上告審が最高裁第一小法廷で開かれたからだ。

昼12時半、最高裁裏門の傍聴券抽選場所に行くと、すでに報道陣が2、30人集まっていた。顔見知りの記者と一緒に並んで傍聴券をもらった。傍聴希望者が31人並んだが、幸いに抽選までには至らず、全員が入廷を許された。

光市から遺族の本村洋さん、九州から本村さんのご両親、そして亡くなった弥生さんのご両親も岡山から駆けつけていた。皆さんとは久しぶりだったので、私も法廷で短くご挨拶した。

元少年の弁護団は、法廷内の弁護人席の第一列に5人、第二列に6人、さらには、傍聴席の第一列にも10人ほどがずらりと並んだ。たった1人だけの検察側とは対象的だ。

午後1時半から始まった弁論では、元少年の弁護団がそれぞれ立ち上がって実に1時間20分にわたって熱弁をふるった。3年間を費やして新たに元少年を精神鑑定した内容を軸に、弁護団は元少年の死刑判決を破棄するよう求めたのだ。

父親の暴力、自殺した母への思いから生じた歪み、未熟な精神発達……等々、多くの事実を指摘しながら原判決の不当性を訴える弁護団と、それにじっと聞き入る本村さん。いつもながら、息を呑むような緊張感が伝わってきた。

安田好弘・主任弁護人は16日(月)に元少年と接見した際のようすや、20日(金)に届いた元少年の陳述書の中身を紹介しながら、1審で元少年が殺意などを全面的に認めた理由について述べた。

「自分は強姦より屍姦が遥かに悪いことだと思っていた。だから、強姦を認めてしまった」「少年事件なので死刑はないと思っていた。でも、検察に死刑を求刑されて恐ろしくなった。死刑を免れるために(検察の)主張を認めて謝ろうと思った」と、元少年が述べたことを明らかにしたのだ。

1、2審での供述より現在の供述こそ「真実である」ことを弁護団は主張し、陳述書として最高裁に提出した。弁護団が言う“新供述”の信憑性を滔々と訴えたのである。

午後3時半、検察側の弁論も終わり、第二次上告審は結審した。閉廷後、本村さんやご両親たちと東京駅の喫茶店に入り、いろいろな話をした。ご遺族は忙しい中、日帰りで東京まで傍聴に来られていたのである。

拙著『なぜ君は絶望と闘えたのか』の取材では、言葉に表わせぬほどお世話になった方々である。事件からやがて13年。長い長い裁判にもうすぐ決着がつく。どんな判決が出ても、これだけの紆余曲折の末に辿り着いた結論には、誰にも否定できない重さがあることを私は信じている。

カテゴリ: 事件, 司法

いよいよ明日「光市母子殺害事件」第二次上告審

2012.01.22

明日1月23日は、光市母子殺害事件の第二次上告審、すなわちこの事件の二度目となる最高裁での弁論がおこなわれる。1999年8月11日に山口地裁で始まった裁判は13年目を迎え、ようやく最終審理へと辿り着いた。

2008年4月22日の広島高裁での差し戻し控訴審で、それまでの無期懲役判決が破棄され、死刑判決を受けた元少年(30)の最後の弁論がついにおこなわれるのである。あの広島での注目の差し戻し控訴審判決からも、すでに3年9カ月が経過したことに私も感慨が深い。

元少年への鑑定に予想以上の時間がかかったことが3年9カ月もの年月がかかった理由だが、私はその間に何度も広島拘置所で元少年に面会をし、さまざまな話をしてきた。30代を迎え、元少年も大人として、いろいろなことを私に語ってくれる。

裁判で見ていた元少年よりも、目の優しい普通の青年が、いつもそこにいる。詳細はここでは触れないが、さまざまな話を元少年とするうちに、多くの新たな“発見”があったのも事実である。いつか、その過程でどんなことを私が感じたかを書かせてもらう機会もあるかもしれない、と思う。

異例の経過を辿ったこの裁判の詳細は、拙著『なぜ君は絶望と闘えたのか』(新潮文庫)をお読みいただきたいが、私が最初にご遺族である本村洋さん(35)とお会いしてからも、13年近い長い年月が流れた。

愛する妻子を奪われ、負けても負けても闘いつづけ、ついには差し戻し控訴審で死刑判決を勝ち取った本村さんは、最後まで裁判を見届けることに執念を燃やす。一方、最高裁なので、被告の出廷はない。元少年は遠く広島でこの最高裁審理のようすを聞くことになるだろう。

ウォッチしつづけた光市母子殺害事件の審理が終焉に近づいていることを思いながら、被害者とその遺族を蔑ろにしてきた「日本の司法」の根本を変えた本村さんの闘いを見届けるために、私は明日、最高裁に傍聴に行く。

カテゴリ: 事件, 司法

覆いがたい警察力の“劣化”

2012.01.10

警察の不祥事が相次いでいる。オウムの平田信(46)が自首して来た際、門前払いを何度も食わせ、それでも“めげずに”出頭した平田をやっと逮捕したことは国民を呆れさせたものだ。だが、台東区の2人の台湾人女性が殺害された事件で起こった失態は、その比ではない。

殺人容疑で指名手配されていた台湾人留学生・張志揚(30)を任意同行する際に、車の中で自殺されてしまったのである。今日の警視庁の記者会見では、捜査官は凶器を隠しもっていないか身体検査をしながら、張がズボンの股間に隠していた刃渡り11センチの果物ナイフを発見できなかったのだそうだ。

さらには、このナイフで自分のノドを突くまで、捜査官は「何もできなかった」というのである。しかし、よく考えて欲しい。身体検査で発見できないほどの凶器を股間から引っ張り出して「ノドを突くまで」には、かなりの“時間”と“動作”が必要である。

同乗していた捜査官は、張がナイフを引っ張り出してノドを突くまでの間、いったい何をしていたのだろうか。どう考えてみても、緊張感が欠如し、相当“弛緩”していなければ、こんな行為を許すことなどできないことがわかる。何度も出頭してきた平田を“たらい廻し”にした弛緩ぶりと「共通するもの」を感じるのは私だけではないだろう。

考えてみたら、そもそもあのオウム事件も警察の怠慢から発したものだった。坂本弁護士一家事件での摘発を逃し、假谷さん拉致事件でも、犯行に使われたレンタカーを借りた時、オウム信者の指紋が出たにもかかわらず、それでも警察は動かなかった。

東京亀戸の異臭事件や、霞ヶ関のアタッシェケース噴霧事件……等々、何度も摘発のチャンスがありながら“怠慢”をつづけた警察のツケは、地下鉄サリン事件をはじめ6000人もの被害者が「支払った」ことになる。

警察の緊張感の欠如はどこから生まれているのか。キャリアもノンキャリも垣根を越えて反省しなければ、警察への国民の信頼を取り戻すことは到底不可能だ。

カテゴリ: 事件

お屠蘇(とそ)気分を吹き飛ばした「平田信」出頭劇

2012.01.01

新年早々、ビッグニュースにマスコミが揺れた。オウムの逃亡犯・平田信(46)が12月31日深夜、警視庁丸の内署に1人で出頭してきたのである。激動の2011年を象徴するような幕切れで、年が明けたばかりの報道各社は上を下への大騒動となった。

ご承知のように平田は、目黒公証役場事務長監禁致死事件などへの関与だけでなく、国松長官狙撃事件の嫌疑をかけられていた重要容疑者である。オウムの元高弟だったホーリーネーム「カルマランジュン」へ架けた電話を最後に、一切の連絡を断って、17年間も逃亡をつづけていた。

平田が逃亡している限り、彼が関与したとされる事件の死刑確定囚の「死刑執行はない」と言われていただけに、“平田出頭”のニュースに衝撃を受けた死刑確定囚や関係者は少なくない。

「時間が経ったので一区切りをつけたい」と語る平田が、国松長官の狙撃事件に「関係した」と供述するわけもなく、起訴は、目黒公証役場事務長監禁致死事件、いわゆる假谷さん拉致事件にとどまるのではないか、と予想されている。

この事件で、二審で「逮捕監禁致死」が加えられ、一審の無期懲役から一転、死刑判決を受けた井上嘉浩被告(42)に関して、平田がどんな証言をするのかも注目される。

気の遠くなるような長い逃亡生活の末に出頭した平田は、ダウンジャケットとジーパン姿で、髪は肩まで伸び、茶色に染めていた。どこにでもいるこの中年の男は、現金数万円と下着、シャンプー、櫛(くし)などが入ったリュックサックを一つだけ持って出頭してきたそうだ。

平田には、警視庁公安部が一度だけ逮捕寸前までいったことがある。平田の逃亡幇助役である斎藤明美と共に仙台市内のある社員寮に潜伏中、警視庁公安部が踏み込み、すんでのところでここから逃れたことがあった。結局、警察は平田に自ら「手錠をかけること」ができなかったのである。

いずれにせよ正月早々、警視庁の捜査員、そして報道各社の警視庁担当記者たちが緊急招集され、特別態勢を組んだ。私自身も、かつてオウム事件では東奔西走させられた一人だ。お屠蘇気分を吹き飛ばしたこのニュースで、激動の2012年の幕が明けたのである。

カテゴリ: 事件

無法操業「中国漁船」刺殺事件が意味するもの

2011.12.14

いま韓国で起こっている中国への抗議行動の行方は、実に興味深い。中国と韓国――日本の政治家やマスコミが、垣根を越えてヒレ伏す国同士がお互い一触即発の緊迫した状況に陥っているのだ。いつも両国に忠実な日本の政治家やマスコミは、さぞ冷や冷やしているに違いない。

韓国の排他的経済水域(EEZ)内で違法操業していた中国漁船を摘発しようとした韓国海洋警察のイ・チョンホ警長(41)が中国人船長に殺害された事件は、さまざまなことを警告しているように思う。

かつて中国人は、沿岸部の一部を除いて生の魚を食べなかった民族である。日本人が大好きな刺身や寿司の前提には、“清潔さ”がある。生のものを食べるという日本人の習慣には、その基本が厳然としてあり、さらにいえば、“マジック・ソース”とも言える絶妙の味の「日本の醤油」の存在がある。

私は1980年代前半、大学生の頃に中国で一か月半ほど暮らしたことがある。その時、「何が食べたい?」と聞かれたら、即座に「刺身が食べたい」と答えたものだ。

魚が美味しい土佐の出身である私は、特に生魚が好きだ。だが、80年代前半の北京では、火の通らないもの、すなわち生の魚を食べるという習慣はなかった。言いかえれば、それほど“清潔さ”に問題があったのである。

しかし、経済発展を遂げた現在の中国では、寿司や刺身を食べるのが、一種のステータスになっている。遅ればせながら、冷蔵・冷凍技術が発達してきた中国では、富裕層が積極的に生の魚を食べるようになり、マグロの消費量の急増なども大きな問題となりつつある。

東シナ海、南シナ海をはじめ、中国漁船は、それにつれてより無法化、凶暴化しており、韓国にかぎらずベトナムも、堪忍袋の緒が切れかかっている。私は、80年代から指摘されてきた「中国人が“総中流化”したら、地球はどうなるのか」という懸念を、今回の事件で改めて実感している。

中国やインドのように人口の多い国が「豊か」になり、多くの国民が「中流の生活」をし始めると、地球の資源や環境はどうなるのか、ということは早くから専門家によって指摘されてきた。

煤煙をまき散らし、有害物質を河や海に流しつづけ、そして魚をはじめ多くの食物を食べつくし、さらには石油や天然ガスをはじめ、膨大な資源を消費していく。将来、そんな時代が来るかもしれない、と80年代から懸念されていたのである。人口最多の中国とインドが「中流化する」ということは、そういうことなのだ。

今回、「魚を獲(と)れば獲るだけ儲かる」という目の血走った中国漁民によって、取り締まる側が殺害されるという最悪の事態が引き起こされてしまった。

中国や韓国のこととなると、普段は威勢のいい日本の政治家もたちまち口をつぐんでしまうが、今回の出来事は他人事ではない。日本の海保の巡視船に中国船が突っ込んだ昨年の事件を思い起こすまでもなく、このまま中国の無法なやり方を許しておけば、中国人の行動はますますエスカレートしていくだろう。

菅首相が右往左往したあの事件の時、報復措置として日本人ビジネスマンを拘束して“人質”にとった中国のやり口は、記憶にとどめておかなければならない。中国から自国の海洋資源や領土を守るということは、そういう意味なのである。

一方、いつも日本の国旗を焼いて捨てる韓国の国民が今後どのような抗議行動を中国に対して展開するのかも注目だ。お互い自我の強い国同士の衝突は、ちょっとしたきっかけで、さらにもつれる危険性を孕(はら)んでいる。

今回の事件を念頭に、いつどんな事件が勃発しようと菅内閣のテツを踏むことのないよう野田総理には覚悟を促したい。防衛大臣をはじめ“素人”の政権だからといって、生き馬の目を抜く東アジアの情勢は待ってはくれない。

国民の生命・財産、そして領土を守るのが国家の領袖の最大使命であることを、野田総理は今回の事件で改めて噛みしめなければならない。ドジョウにも「覚悟」は必要なのである。

カテゴリ: 事件, 国際

社会は重い課題を背負わされた

2011.12.06

昨日、『日本の息吹』でジャーナリストの桜林美佐さんと対談した。桜林さんは、自衛隊関係の著作などがあり、さまざまな分野で活躍されている方である。2時間の予定だったが、話が弾み、予定を大幅にオーバーしてしまった。

ちょうど昨日は、『週刊ポスト』に作家・百田尚樹さんと私との対談「真珠湾攻撃から70年 零戦の勇士たちの最後のメッセージ」が4ページにわたって掲載されたばかりだったので、必然的に戦争の話など、さまざまな事柄を語りあい、貴重な時間となった。

そして今日は、明治大学の基礎マスコミ講座で講義があった。長引いた単行本の締切・校了作業で、スケジュールにいろいろ皺寄せが来ているので、12月だが、連日、そういうスケジュールに追われている。

風邪でも引いたらすべての予定が狂い、多くの方に迷惑をかけてしまうので、寒さが厳しくなってきた今は、神経を使わなければならない。

明治大学の基礎マスコミ講座は、もう10年ほどやらせてもらっている。毎年、熱心なマスコミ志望の学生が新聞やテレビ、出版社へと入っていくので、私としても、やり甲斐がある。今日もさまざまな話をさせてもらった。

来年はいうまでもなく“超”という字がつく就職難の年である。しばらくは、この超氷河期がつづくだけに、マスコミを目指す大学生の目の色も違う。

これからは、マスコミの中でも倒産、合併、吸収など、さまざまな現象が起きてくるだろう。それだけに、どのメディアを志向し、どういう戦略で入社試験を突破するか、またジャーナリストを志望する学生には、どういう視点が必要かなど、さまざまなことを講義させてもらった。

私の授業は、一方的に私が話すのではなく、学生たちにも参加してもらっていろいろな事柄を話し合う形式をとっている。そのため、学生たちが今、どんなことを考えているかが私にもわかり、大変参考になる。今日もその意味で、貴重な時間を過ごさせてもらった。

さて、埼玉県三郷市で起きた女子中学生殺害未遂事件、そして千葉県松戸市の8歳女児の刃物での傷害事件が、通信制高校に通う16歳少年の犯行だとわかった。

今回の事件は、1997年に神戸市須磨区で起きた神戸連続児童殺傷事件、いわゆる酒鬼薔薇聖斗事件と「何十万人に一人現われる異常犯罪者による凶行」という点で極めて似ている。

16歳少年は、学校に切断した猫の頭部を持ってきて、刃物まで持ち歩いていた。今回、怪我を負った被害者の心身の傷ははかり知れないが、まだ死者が出る前に犯人が逮捕されただけでも、幸運だったと言えるだろう。2人が殺された酒鬼薔薇事件の二の舞だけは避けられたわけである。

だが、この少年は、いったい今後どのような道を歩むのだろうか。いうまでもなく少年院とは、「少年の健全育成」を理念の中心に据え、刑罰でなく、矯正教育を施す機関である。

この少年が少年院、あるいは医療少年院から出てくるのは、過去の例を見てもそれほど遠い将来ではない。少年が社会復帰した時、「新たな被害者を出さないために」大人たちはどうすべきなのか。

すべての大人が叡智を集めて、この少年の「次の犯罪」を阻止しなければならない。第二の酒鬼薔薇聖斗の誕生で、社会はまたひとつ重い課題を背負わされたのである。

カテゴリ: マスコミ, 事件

日航機事故から26回目の夏

2011.08.12

今日は日航機墜落事故から26年目の「8月12日」である。昨年のこの日、『風にそよぐ墓標―父と息子の日航機墜落事故』を上梓した私は、御巣鷹山にいた。これまで語られることのなかった日航機事故での「父と息子」の真実の物語を描いたノンフィクション作品である。

大臣として初めて慰霊登山に来た前原誠司・国土交通相と私は御巣鷹の尾根ですれ違った。部下やマスコミを多数引き連れての行列だった。その途中、本書で取り上げさせてもらったある犠牲者のお孫さんに声をかけられ、感激したことを覚えている。

この作品は、日本航空自体が経営破綻し、事故が風化しつつあることに対して、実際に事故当時から取材にあたった私が四半世紀をかけてやっとその責任を果たしたものだった。全国にご遺族を訪ね歩き、さまざまな秘話をお聞かせいただいた。

ジャーナリストとして、ささやかだが、長期間にわたって思い続けた自分なりの使命を実現した作品だった。御巣鷹山では、取り上げさせてもらった6家族の父親の墓標に手を合わせた。

この作品が、取材先のある人物から、朝日新聞紙上を通じて「著作権侵害だ」「盗作だ」として、攻撃されているのは、このブログで何度も記述した通りである。長時間にわたって取材に応じてもらい、手記本の提供も受け、それをもとに事実関係を描写した作品が「盗作」なのだそうだ。

私はそのこともあって、今日、御巣鷹山の慰霊登山を控えさせてもらった。大変、立派な企業人であり、家庭人だったこの方の亡き夫の墓標に、どう手を合わせていいか、心の整理ができなかったからである。

誰も刑事責任が問われることがなかった日航機墜落事故。私は、それに今も異を唱えるジャーナリストの一人である。そのことを必死で訴えた『風にそよぐ墓標―父と息子の日航機墜落事故』を書店で目にした時は、是非、一度、手にとっていただければ、と思う。

なぜなら、この本には絶望から這い上がってくる遺族たちの凄まじい戦いが、そのまま描写されているからである。悲劇を風化させてはならない。さまざまなことに悩んでいる方に、きっとこの本は勇気と不屈の闘志を思い出させてくれると信じている。

カテゴリ: 事件

秋葉原事件の「判決」を見て

2011.03.24

注目の秋葉原無差別殺傷事件で本日、元派遣社員の加藤智大(ともひろ)被告(28)に予想通り、死刑判決が下った。

2008年6月8日午後0時半ごろ、秋葉原の歩行者天国の交差点にトラックで“突入”して3人を死亡させ、さらにはナイフで12人を次々と刺し、そのうちの4人、計7人を死亡させたのである。

まったく罪もない人たちがこの事件で多数殺され、さらに深刻な後遺症を負ったのだ。絶望の底に叩き落とされ、今も立ち直れない家族は少なくない。

東京地裁の村山浩昭裁判長は「人間性の感じられない残虐な犯行で日本全体を震撼させた。被告の危険な性格や行動は根深く、更生は著しく困難」と断じた。

もともと私は、この事件は加藤の“道連れ自殺”だと思っている。世の中に嫌気がさし、自殺する人間は「年間3万人」を超えるが、その中には自分が一人で死ぬのではなく「他人も巻き込んで死にたい」という輩が稀にいる。

事件の一報を聞いた時、私はそう直感した。彼らの決まり文句は、「(殺す相手は)誰でもよかった」というものである。彼らは善良な罪もない人々を巻き添えにして「死ぬ」、つまり「死刑になる」のが目的だから始末が悪い。

世の中から逃げてばかりいる若者の中には、この手の人間は多い。だから他人事とは思えず、加藤は彼らから「神」と崇められ、ネット上のヒーローとなったのである。

今回の裁判の争点は責任能力の有無に尽きていた。しかし、弁護側が「被告には事件の記憶がほとんどなく、何らかの精神疾患があった可能性がある」と主張したものの説得力はまるでなく、これはほとんど顧みられなかった。

加藤の責任能力が完全に認められたのは当然だろう。事件直前に職場で作業着がなくなり、「職を失う」と動揺したことが事件の契機であり、村山裁判長は「家族、友人、仕事を失い、強い孤独感を感じたことが背景にある」と認定したのである。

極めて身勝手で残忍な犯行だが、加藤の“巻き添え自殺”願望はこの判決で一歩「進む」ことになる。加藤には大いに自身の心の内面を語ってもらい、コトここに及んでじたばたするのではなく、堂々と「罪を償って欲しい」と思う。被害者の無念、遺族の哀しみを癒すことは、それ以外では「なかなかできない」のだから。

カテゴリ: 事件

一度の挫折ごときで悲観するな

2011.03.04

3日前のブログで“春近し”と書いたのに、春どころか真冬に逆戻りしたような気温がつづいている。こちらは、単行本の締切600枚を終わらせたが、同じ4月発売になる文庫の締切や、新聞原稿の締切に追われ、相変わらずの徹夜状態だ。

今夜、人と会うために久しぶりに新宿に出かけたが、街を歩く人たちは厚いコートとマフラーで寒さを完全シャットアウトしており、とても春などと言える風景ではなかった。

春を自ら「捨てた」といえば、京都大など4大学の入試問題がインターネット質問掲示板「ヤフー知恵袋」に投稿された事件で捕まった東北の浪人生は、まったくワリに合わないことをやったものである。

インターネットへの投稿は、誰がやったのか特定が可能だ。相当なリスクを犯しながら「勝負を賭けた」この受験生は、結局、その勝負に負けた。

不正をおこなってまで「栄冠」を勝ち取ろうとしたその精神が「敗北」をもたらしたのである。たしかに、公平であるはずの入試が不正入試やコネ入試で一部、侵されているのは常識だが、それだからといって「不正をやっていい」という理由にはならない。

今後、この浪人生がどんな人生を歩んでいくのかわからない。だが、「運が悪かった」とか「バレたのが残念」などと思っているとしたら、この青年の人生はずっと色褪せたままで終わってしまうだろう。

しかし、私は、この浪人生は、反省して出直すことさえできれば、今回のことを教訓にして、立派な人生を歩むことが可能ではないかと思う。

彼は“必死で”今回の行為をおこなった。ルールにのっとらなかったことは許されないが、その“懸命さ”において、いかに執念と熱意がある青年かということがわかる。

彼が自分のこの“必死さ”と“懸命さ”を、こつこつと努力する日本人特有の勤勉さに向けることができれば、たちまち頭角を現わしていくに違いない。青年というのは、向かうベクトルを少しだけ修正できれば、大きな能力を発揮できる可能性を秘めた存在だからだ。

今は将来のことなど考えられないかもしれない。しかし、「こつこつと努力する」方向にその能力を振り向け、将来、必ず大きな成果を勝ち取って欲しいと思う。

一度の挫折ごときで悲観することはない。反省するところは反省して、雄々しく「出直すこと」を切に願う。

カテゴリ: 事件

「一つの時代」の終焉

2011.02.05

今日は、いつも飲み会に参加させてもらっている「甲子園会」というコアな野球人たちの集まりで、私の「山本七平賞」受賞のお祝いをしていただけるというので銀座まで出かけてきた。

会場は、高知県アンテナショップ「まるごと高知」の2Fにある「おきゃく」だった。土佐高の私の後輩である濱田知佐さんがマネージャーをしているお店である。

40人ほどの飲み会で、およそ3時間にわたって楽しい交流の場となった。受賞のお祝いに「たこ焼き鉄板セット」まで頂戴したので、明日の徹夜からさっそく“夜食”に利用させてもらおうと思う。ありがとうございました。

それにしても、参加者にこれまでの私の作品を読んでくれていた人が驚くほど多く、感激した。私は、さまざまなジャンルでノンフィクション作品を発表しているが、個人的に話をさせてもらった人たちがそれぞれ異なる分野の私の本の感想を伝えてくれたので、大変な“励み”になった。

飲み会から帰ってきたら、連合赤軍事件の永田洋子が亡くなったという知らせが飛び込んできた。連合赤軍事件の主犯で、死刑確定囚である。ここ数年、脳腫瘍のために寝たきりの状態が続いていた。そのため、物理的に「死刑執行ができない」という状況だったのである。

長く栄養も呼吸も「機械によってなされていた」ので、おそらく衰弱死と思われる。死刑執行を待つ死刑囚を、日本政府が「機械をつけて延命処置を続けた」というのはなんとも皮肉というほかない。明日の朝刊は、きっと永田の訃報記事で埋められるだろう。

私は、連合赤軍事件と言うと、高木彬光著『神曲地獄篇』(光文社)の描写がいまだに忘れられない。推理小説家の高木氏が、突如、捜査資料をもとにしたノンフィクションのような作品を発表して世間を驚かせたものである。

そこで描かれた永田洋子の姿は、当時、中学生だった私にこの上ない衝撃を与えた。人間がここまで残酷になれるのかという部分と、女性の持つ狂気と弱さなどが詳しく描かれていた。それは、いま思えば、高木氏の筆力があって初めて可能なものだっただろう。

「一つの時代が終わった」。私に連絡をくれた永田洋子の弁護士はそう呟いた。たしかにそう思う。“全共闘政権”と揶揄されている現在の民主党政権は、近い将来、確実に“崩壊”する。これは、歴史的には「戦後長く続いた“イデオロギーの時代”が終焉する」ことを意味している。

そんな時に、学生運動が過激化の一途を辿ったあの狂気の時代を代表する一人がこの世を去ったのである。「一つの時代」は、たしかに終わったのである。

カテゴリ: 事件, 随感

社会全体で“兆候”を見逃すな

2011.01.25

今日はTBSのNスタに出演した後、夜のANA便で北海道へやって来た。明日・明後日と、北海道で講演がある。降り立った新千歳空港はさすがにひんやりしていたが、これでもまだ今日は温かい方だそうだ。

ホテルに入ってテレビをつけたら、サッカーの日韓戦が始まった。注目の一戦である。旧チームに比べてディフェンス力はやや劣っているものの、日本の攻撃力は明らかに凄みを増している。ザッケローニ・ジャパンの「これから」が楽しみだ。

今日、TBSのスタジオ入りした時、山口県宇部市の小2女児(8)が顔や首などを16か所も切られて重傷を負った昨日の事件で「容疑者が事情聴取されている」との情報が走り、バタバタしていた。

私の出演中の夕方5時台には、まだ容疑者は逮捕されていなかったが、北海道に着いた午後8時台には、すでに逮捕のニュースが流れていた。

23歳の容疑者は「人を刺したり切りつけたりしていません」と犯行を否認しているそうだが、恐怖のどん底にあった地元の人は、まずはホッと胸を撫で下ろしているだろう。

スタジオでもコメントさせてもらったが、こういう犯罪には“予兆”がある場合が多い。それを「地域社会が見逃さないこと」がこの手の犯罪を防ぐための大きなポイントだ。それが、神戸の酒鬼薔薇事件をはじめ、これまでの「大事件」が残してきた教訓だ。

「事前に犯罪の兆候をキャッチする」などと言うと、よく「監視社会になってしまう」あるいは「人権侵害につながる」などと、日本では、自称“人権派”の人々が本末転倒のことを言い始めるのが常である。

しかし、社会全体で守らなければならないのは、平穏に暮らす人々の「犯罪被害者にならない権利」である。そして、同時に犯罪予備軍にも「犯罪者にならない権利」がある。

双方が不幸になるそういう事態を「社会全体で防ぐこと」がなにより大切であることを忘れてはならない。


カテゴリ: 事件

惜しまれる「あすの会・岡村勲代表幹事」の勇退

2011.01.23

本日、千代田区北の丸公園の科学技術館サイエンスホールで開かれた「あすの会(全国犯罪被害者の会)」の第11回大会で、同会が発足以来“代表幹事”を務めた岡村勲弁護士(81)がその地位を退いた。

岡村氏がこの11年間で果たした社会的功績の大きさを思うと、どんな賞賛と感謝の言葉も色褪せてしまうのではないだろうか。

1997年10月、山一証券の顧問をしていた岡村弁護士は“逆恨み”した山一の債権者によって妻が殺害され、犯罪被害者となった。絶望と無力感に苛まれた岡村氏は生きる気力を失った。

その岡村弁護士に、何の権利もない日本の犯罪被害者の実態を訴え、活動を勧めたのが大阪の林良平氏である。彼もまた看護婦だった妻が何者かに刺されて重い後遺症を負った犯罪被害者の一人だった。

林氏の熱心な呼びかけに応じて、光市母子殺害事件の被害者・本村洋氏(当時23歳)もはるばる山口から上京し、東京・丸の内の岡村弁護士の事務所に数人の犯罪被害者が集まった。それが、「あすの会」発足のもとになる会合だった。1999年10月のことだ。

以来、11年余。それまで法廷で何の権利もなく、被害者の遺影さえ持ち込むことも許されなかった“虫ケラ同然”の犯罪被害者たちの声が、やがて政府や世論を突き動かしていくのである。

本村氏の活動をはじめ、世論を揺り動かしていく「あすの会」のようすは拙著「なぜ君は絶望と闘えたのか」(新潮社)で詳しく記述させてもらった。旧知の岡村弁護士にはこの時にもひと方ならぬお世話になり、今も時々、取材や執筆の際に参考意見をいただいている。

あすの会は、2004年12月には、早くも「犯罪被害者等基本法」を成立させ、その3年後には「被害者参加制度」を盛り込んだ刑事訴訟法改正を現実のものとした。また2009年には、殺人事件等の「公訴時効」廃止の要望書を政府に提出して、これまた実現させた。

それらは、人権と言えば「犯罪者の権利」としか捉えていなかった大手マスコミの記者たちの目を開かせ、世の中の流れを完全に変える出来事だったと言える。その意味で、私は、「あすの会」の活動とは、“うわべの正義”を真の正義だと誤解して来た戦後ジャーナリズムへの痛烈なアンチ・テーゼであったと思う。

私は、岡村弁護士ら「あすの会」と、北朝鮮拉致を訴え続けた「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)」の2つの会が戦後ジャーナリズムに与えた衝撃と影響ははかり知れないと思っている。その歴史的意義については、また稿を改めて書かせてもらう機会もあるだろうと思う。

本日、退任の挨拶に立った岡村氏は、今朝、亡き妻の遺影に「仇は討ったよ」と報告したことを明かした。私は、その瞬間、岡村氏の目に熱いものがこみ上げたのを見逃さなかった。

岡村弁護士、本当に長い間、お疲れ様でした。代表幹事をたとえ退いても、顧問の立場で、これからもどんどんと後輩を引っ張ってやってください。

それが、うわべだけの正義に毒された日本のマスコミ人たちの目をも「開かせ続ける」ことを、私は信じて疑わない。

カテゴリ: 事件, 随感

尖閣ビデオ問題とNHK「龍馬伝」

2010.11.15

今、尖閣ビデオ問題の海保職員(43)が「逮捕されない」ことが決まったというニュースが流れている。

土壇場で「木の葉が沈んで石が浮く」本末転倒の事態は回避されたのである。当ブログでも散々書いて来たので繰り返さないが、本来の「法」というものが持つ「意味」や「軽重」をまったく考慮しないマスコミ報道が溢れる中、海保職員の逮捕という“最悪の事態”だけは免れたことになる。

この海保職員の逮捕を防いだのは、ほかならぬ「国民」である。

各種の世論調査で、ビデオは「公開されるべきだった」と答えた人が8割を超え、政府と捜査当局を驚愕させた。つまり、主権者たる国民が当該の海保職員の逮捕を「回避させた」のだ。

今回の事柄は、マスコミに存在する“いつも通り”の問題点を浮き彫りにした。法律家の意見ばかりをもとに、各メディアは、国家公務員の守秘義務違反に「該当するか」「該当しないか」を連日報じつづけた。

そこには、「法」の持つ意味と軽重をまったく考慮に入れない素人集団としてのマスコミが陥りやすいワナがある。

カネの見返りに敵国に機密情報を漏洩させる国家公務員の事件と、今回のようなビデオ流出騒動との根本的な「差」が、マスコミには「比較・検討」ができないのである。

犯罪性が高く、悪意があるスパイ行為のような機密漏洩の犯罪は、守秘義務違反で摘発され、当事者の身柄は拘束される。そして、国民がその“犯罪”に対して怒ることはあっても、逮捕という捜査当局の“判断”に怒りが巻き起こった例を、私は寡聞にして知らない。

そこに、本来の国家公務員法の守秘義務規定が持つ意味がある。この法は、国家公務員の行動をがんじがらめにして、国民の「知る権利」を阻害するのが目的の法律ではなく、本来、秘匿しなければならない「国家機密を守る」ための法律なのである。

しかし、各メディアはこぞって法律家の見解をもとに、国家公務員の守秘義務規定にどう違反するのかを報じ、この海保職員の逮捕が当然という報道を繰り返した。法の持つ意味と軽重を考慮にまったく入れないのである。

「これは、(海保職員が)逮捕されるほどの“犯罪”なのでしょうか?」。国民の疑問を素直に表現するとそうなるだろう。国民は、今回の事件をあたかも殺人事件や詐欺事件といった重大犯罪同様に扱うメディアに呆れ、そして世論調査で「ビデオは公開すべきだった」「海保職員に寛大な処置を」という声が圧倒的多数を占めたのである。

私は海保職員が今回やった行為を奨励するつもりはないが、「この行為で逮捕するのはおかしい」という国民の素朴な感情には同調する。少なくとも「法」というものを“要件事実”のみでしか捉えられない法律家の考えに支配されたメディアより、よほど国民の方がコトの本質をわかっていたと思う。

折しも昨日、佳境を迎えたNHKの大河ドラマ「龍馬伝」が大政奉還の建白書をめぐる山内容堂と坂本龍馬、後藤象二郎の姿を描いていた。

建白書を書くように直訴し、「幕府も藩もなくなる世、つまり武士という身分さえもなくなる世の中」が来ることを語る龍馬に、容堂は「武士も大名もなくなった世に、いったい何が残るがじゃ?」と問いただす。

その時、龍馬から出た言葉は、「日本人です」というものだった。「異国と堂々と渡り合える“日本人”が残るがです」と。涙を流しながらそう語る龍馬に、容堂は圧倒され、「建白書」を書くことを決断する。

翌朝、「(わしが)武士の世を終わらせるかえ?」と後藤象二郎に向かって語りかける容堂の目には万感が籠もっていた。大河ドラマ渾身の場面である。

私は、「異国と堂々と渡り合える“日本人”が残るがです」と語る龍馬の言葉を聞きながら、堂々と渡り合うどころか、ひたすら彼(か)の国に阿(おもね)るどこかの政府首脳の誇りなき姿を思い浮かべた。

カテゴリ: テレビ, 事件

海保職員の“心の葛藤”と政治家の“不当行為”

2010.11.12

任意の捜査が始まって丸二日が経つというのに、映像を流出させたと名乗り出た海保職員(43)が逮捕されない。判断は週明けになるのだそうだ。

それは「任意」という言葉が持つ常識の聴取時間を超えた長さになっている。だが、海保職員は「捜査に協力する」という信念のもと、捜査当局の聴取に応じている。

私は、本来、「犯罪者」にされてはいけない人物が毅然として同じ国家公務員の仕事(聴取)に協力する姿にある種の感慨を覚える。

この海保職員が大きな心の葛藤を乗り越えて覚悟の投稿をおこなったことは、本人を取材したテレビ局の記者に残された自筆メモや、聴取で本人が語ったこととして報道されている内容からも窺える。

そこには、事件情報とは「公共情報」であり、特に国民の生命・財産や領土・領海などの、主権者国民に直接かかわる高度な「公共情報」は、正当な理由がない限り、「隠蔽は許されない」という根本の理念がある。

国家公務員が「時の権力者」に対してではなく、本来の「国民」に対しての奉仕者であろうとすればするほど、多くの海保職員たちは菅政権の隠蔽方針に対して悩みに悩んだことだろう。

しかし、守秘義務規定に違反する恐れがある行為に踏み出す勇気は、なかなか出ない。家族が路頭に迷うかもしれないとなれば、なおさらだ。海保職員が今回の行為を実行するまでに相当な覚悟を要したことは想像にかたくない。

一方、正当な理由なく「知る権利」を有する国民から今回のビデオのような公共情報を隠蔽することは、権力者の「不当行為」に当たることを忘れてはならない。

これは、菅政権によって映像隠蔽がおこなわれて以降、「何が起こったのか」を考えればわかりやすい。

釈放された中国人船長は中国で「英雄」となり、中国全土で反日デモが巻き起こり、逆に日本人の中国ツアーは続々と中止に追い込まれ、日本人が中国国内の町を歩くことさえ「危険性を伴う」ようになった。

事実、開幕したアジア大会でも、中国vs日本のサッカー対決は、異常な厳戒態勢の中でおこなわれ、日本人サポーターが身辺の危険を感じる様相を呈した。

つまり、政府の「本来は公開されるべき公共情報の隠蔽」により、日本国民の生命と安全が危機に瀕することになったのである。

日本の領土領海の最前線で命を張ってきた海保職員たちが、「早く国民に真実を知ってもらわなければ……」と焦りを覚えたとしても不思議ではない。

要するに、当該の海保職員は、菅政権の「ビデオ隠蔽」という不正・不当性を内部告発した“公益通報者”にほかならないのである。

これまでも当ブログで書いて来た通り、4年前に施行された「公益通報者保護法」は、自分が所属する組織の犯罪、あるいは不当行為、もしくは不正を告発する者を保護する法律である。

専門家が、「今回の海保職員は組織や上司の“犯罪”を公益通報して告発したわけではないから同法の適用を受けられない」と解説する向きが少なくない。

しかし、公益通報の対象を「犯罪」だけに限定することは法の趣旨に反し、「不正」「不当行為」に対して公益情報を通報することを同法は包括しており、なにより、今回のことは、憲法に謳われた国民の知る権利に応えた“極めて高度な”公共情報の「通報」だったことを忘れてはならない。

法にはその優先度に応じて順位がある。憲法と法律が矛盾する場合は、言うまでもなく憲法が優先される。

国家公務員法の守秘義務規定を“絶対視”するマスコミ報道が繰り返される中、国の最高法規がないがしろにされ、民主主義の根幹である「国民の知る権利」を軽んじる風潮が醸成されている現状に、私は危機感を覚えずにはいられない。

逆に、海保職員ならば大多数が見ることのできた映像を菅政権は「国家機密」と称し、国会で議員相手に公開したあとでも「機密である」と言いつづけている。

中国人船長が起訴され、仮に刑事裁判となっていた場合は、「訴訟証拠として使う」という隠蔽「理由」も存在したかもしれない。しかし、肝心の船長の釈放によりそれも雲散霧消し、あるいは中国との“外交カード”にするつもりだったという隠蔽「理由」も、国会での議員相手の公開や、「ビデオはまだ見ていない」という菅総理自身の国会答弁によって崩れ去った。

もし「外交カードにする意思」があれば、菅総理が「ビデオを見ていない」などということはあり得ず、その国会答弁は外交カードになど、菅総理はハナからするつもりのなかったことを物語っている。彼らがやっていることは、日本の外交カードどころか、隠蔽によって中国への“利敵行為”をおこなっていると非難されても仕方がないことなのである。

仮に当該の海保職員が逮捕に至るなら、それは日本の国内法を犯した中国人が無罪放免された一方、「本来、犯罪者となるはずのなかった日本国民」が刑事責任を追及されることになる。ここで重要なのは、菅政権の主権者国民に対する“不正・不当行為”によって「犯罪者が生み出された」ことにある。

国民の知る権利を軽んじ、民主主義の根幹を揺るがせるような判断は、厳に避けなくてはならない。

カテゴリ: 事件, 政治

守秘義務規定“厳格運用”の危うさ

2010.11.10

いまこの国では、“木の葉が沈んで石が浮く”事態が国民注視の中で進んでいる。

周知のように、中国船が海保の巡視艇に体当たりで突っ込んで来る迫力ある映像が動画投稿サイトのYou Tubeに投稿され、国民は初めて「日本の領土・領海」の最前線で「何」が起こっているのか目のあたりにすることができた。

事件発生から実に59日目、一部の国会議員にすでに編集されたビデオが公表され、さらに5日が経ってからの出来事だった。

中国という国の本質を知らず、落とし所を見誤り、右往左往し続けた菅政権がやっとビデオの一部を国会議員に公開したのは、11月1日のことだったのである。

しかし、それでも主権者たる国民は“真実”を見ることができなかった。国会にまで提出され、議員たちがその目で見て、それぞれの表現で“説明”されたビデオは、すでにその「機密性を失っている」にもかかわらず、である。

その異常な状態にピリオドを打ったのが、投稿された当該の映像だった。しかし、本末転倒の驚愕の事態が惹起(じゃっき)されたのは、国家公務員法の守秘義務を盾に、「情報漏洩の厳罰化」の方針が仙谷由人官房長官によって明らかにされてからである。

検察・警察合同の捜査が始まり、ついに本日(11月10日)、第5管区の海保職員が「私がやりました」と名乗り出て捜査当局の聴取を受けたのである。

日本の領土内で不法行為をおこなった中国人船長が「お咎めなし」で釈放され、そこで起こった「事実関係」を国民の知る権利に基づいて公開した告発者に「刑事責任が問われようとしている」のだ。まさに本末転倒の事態である。

しかし、私はマスコミと野党を含む政治家たちの反応に、これまた驚いた。野党自民党は、海保職員の行為を許した監督責任を菅政権に問うべく問責決議案提出まで散らつかせて攻撃を始め、マスコミも国家公務員法の守秘義務違反を問題視し、追及の度を強めている。

私は報道を見ながら、「この国の政治家とマスコミはどうなってしまったのか」と思わざるを得なかった。中には、問題の本質をすりかえ、“ネット社会の危うさ”さえ持ち出してこの海保職員を非難する報道もあった。

私は、「国民の知る権利」がどうしてここまで軽く扱われているのか、と思う。憲法には、主権者たる国民の「知る権利」が謳われている。言うまでもなく、憲法とは、すべての法律の上位に立つ国の根本法規である。

「知る権利」は、民主主義の根本原理に基づくものであり、国民は公的機関が保有する情報に対しても無制限ではないものの、「知る権利」を有する。これが失われれば、時の権力者によって都合よく情報が操作され、国家はたちまち「独裁性」を強め、民主主義そのものが失われていくからだ。

その民主主義の根幹を成す「国民の知る権利」と、「公務員の守秘義務」との狭間に立って仕事をしているのが、マスコミ・ジャーナリズムである。

記者たちは、「国民の知る権利」に応えるべく、「公務員の守秘義務」という壁を乗り越えて彼らにアプローチし、真実に迫り、時に権力者に対する監視役ともなり、報道をおこなっている。

つまり、国家公務員の守秘義務が「無制限」かつ「絶対的」なものであるなら、そもそもマスコミ・ジャーナリズムの活動は成り立たないのである。

日々、“朝駆け夜討ち”と呼ばれる記者たちの取材活動は、国家公務員の守秘義務規定が厳格に運用された瞬間、「取材活動」ではなく国家公務員法違反という犯罪を「教唆する活動」に変わってしまうからだ。

しかし、今日の報道を見ていると、なぜか「公務員の守秘義務」を厳格に解釈し、自らの首を絞めるかのような報道が圧倒的だった。報道側が「国民の知る権利」に対する自分たちの役割と使命を見失っているのではないか、と懸念を感じたのは私だけではあるまい。

昨日のブログでも書いたように、ここで忘れてはならないのは、「事件情報とは“公共情報”である」という原則である。事件が起こった時に、被害者や加害者などのプライバシー情報(個人名その他の情報)を含め、報道が許されているのは、事件情報がそもそも「公共情報」であるからにほかならない。

今回の尖閣での事件情報(ビデオ映像)は、主権者たる国民にとって、その「領土・領海」に関する事件情報であり、高度に公共性が強い情報だ。すでに国会で議員に対して公開され、「機密性」を失っているものの、知る権利を有する主権者国民にとっては、「見ておかなければならない」映像だったことは間違いない。

稚拙な対応を繰り返し、コトここに至っても、主権者に対して映像を公開しなかった菅政権に対して、命を張って領土を守る仕事をおこなっている“現場”から痛烈な抗議の意思表示があったのだと私は解釈している。

そして、そういう行為が許される「度量がある」ことが、日本が自由と民主主義に根ざした国である証明でもある、と私は思っていた。しかし、今回、その私の淡い期待は見事に打ち砕かれた。

4年前に「公益通報者保護法」が日本でも施行されたように、こういう“公益情報”を通報した日本国民は「保護される」権利を有している。つまり、「法律」とは相反する規定や概念が別の法律に「存在する」という多様性を持っており、一部の法律の解釈だけですべてを判断してはならないものなのだ。

本日の報道では法律家のコメントが数多く紹介されていた。しかし、法律家は、事柄を法の“要件事実”だけで解釈する癖(へき)があり、全体を見通して高い見地から本質を述べることができない場合が多い。そこを念頭に入れて、距離を置きながら彼らのコメントを聞くことをお勧めする。

繰り返すが、この海保職員を単に国家公務員の守秘義務違反を犯した“犯罪者”であると切って捨てることは「民主主義を守る」上で大きな障害となることをマスコミも肝に銘じるべきだろう。

法律には「軽重」というものがある。国家公務員の守秘義務が「厳格」かつ「絶対性」をもって運用されるようになった時、国民の知る権利と日本の民主主義が大きく後退することを、マスコミも政治家ももっと自覚しなければならない。

カテゴリ: マスコミ, 事件

村木元局長「無罪判決」に思う

2010.09.10

村木判決の衝撃が今日は司法の世界を終日、揺るがせた。障害者団体割引制度を悪用した郵便不正事件で、偽証明書の作成を部下に指示したとして虚偽有印公文書作成・同行使罪に問われた村木厚子・厚生労働省元局長(54)=起訴休職中=。

本日、大阪地裁で横田信之裁判長は「村木被告が作成を指示したとは認められない」として、無罪(求刑・懲役1年6月)を言い渡した。「局長が関与した厚労省の組織的犯罪」とした検察側の構図は完全に否定されたのである。

「調書は検察のでっちあげ」――次々と公判で捜査段階の調書が否定され、異例の展開を辿った裁判は、ついに「無罪」という一審判決に辿り着いたのである。

今日、テレビを見ていると、こういう事態を二度と招かないために「取り調べの可視化」の必要性を唱える弁護士が何人も意見を披歴していた。

だが、待って欲しい。大阪地検特捜部の「杜撰な捜査」と、取り調べの「可視化」を同列に論ずる弁護士たちの意見に騙されてはいけない。

取り調べとは、テレビのインタビューではない。「あなたは人を殺しましたか?」と聞かれて、それを犯人が認めるほど取り調べとは「簡単なもの」ではない。

捜査官は自らの全人格をぶつけて犯人の心を揺さぶり、魂に訴えかけて自供を引き出していく。これまで多くの“落とし”の刑事がいたのと同じく、検事の中にも多くの人情派が存在し、数々の殺人事件や疑獄を炙り出してきた歴史がある。

今回の杜撰な検察の捜査は、徹底的な内部調査が必要だ。なぜ、誰が、これほどの無理な構図を描いたのか。

私は検察の特捜捜査をかねて“パーツ捜査”と呼んでいる。検察官にとって憧れの職場である東京と大阪の地検特捜部。多くの検事がここで「一度はやらせて欲しい」と考えている。

しかし、与えられるのは、大きな疑惑の中の“パーツ”(部分)の捜査に過ぎない。全体像を把握することなく、パーツを与えられ、そこに検察幹部が思い描く構図通りの供述を引き出した者のみが優秀とされ、捜査検事としての出世が約束されていく。

司法試験に合格し、エリート意識が極めて強い検察官は、“パーツ捜査”にもかかわらず、上層部の評価を得ようと必死で“上”が望む供述を得ようとするのである。つまり、被疑者をなだめ、すかし、さらには脅しによって“パーツ捜査”を完成させようとするのである。

今回の捜査の問題点は、まさにそれが典型的に出たことにある。徹底的な調査と再発防止が必要であることは言うまでもない。一方で、東京地検特捜部は小沢一郎の元秘書3人を政治資金規正法の虚偽記載容疑で逮捕しながら、肝心の小沢逮捕に踏み切れず、検察審査会に「起訴相当」の刃を突き付けられているのは周知の通りだ。

大権力には尻っ尾を巻き、中央省庁の局長クラスが相手なら、崩れることを承知でも「無理な構図」を描き出したのである。

この検察の大失態を理由に、またぞろ「取り調べの可視化」を主張する人たちの勢いが増すかと思うと、私は暗澹(あんたん)たる思いになる。

取り調べがビデオの監視のもとに行われ、取り調べが形骸化して真犯人が取り逃がされ、大変な損害を被るのは、平穏に暮らす我々国民であることを忘れてはならない。

村木局長の冤罪を示す判決が出たことにホッとしながらも、今後の犯罪捜査や取り調べに“可視化の流れ”が定着することに、私は大きな不安を感じている。

カテゴリ: 事件, 司法

御巣鷹の尾根にて

2010.08.12

「あのう、門田さんじゃないでしょうか?」。降りしきる雨の中、御巣鷹の尾根へあと少しという急坂の途中で合羽を着たままベンチに座り込んでいた私に、一人の若者が声をかけてくれた。

「はい、そうです。門田です」と言うと、「やっぱりそうですか。僕の顔、わかりますか? 河原です」と、その若者はにっこり微笑んだ。

「えっ、河原先生のお孫さん?」と、思わず私は叫んでいた。若者は、事故25年を機に私が出版した「風にそよぐ墓標―父と息子の日航機墜落事故」(集英社)の第6章で取り上げさせてもらった事故の犠牲者・河原道夫さんのお孫さんだったのだ。

若者のご両親、すなわち河原道夫さんの息子さんご夫妻には、取材で大変お世話になり、感動のお話を本の中で紹介させてもらった。しかし、まさかまだ会ったことのなかったその息子さん(道夫さんから見るとお孫さん)に声をかけてもらえるなど、予想もしてなかった。

雨の中、私は頭から合羽をかぶっていたので顔はよく見えなかったはずである。それなのに「ひょっとして……」と、声をかけてくれたことに、「日本の若い人もまだまだ捨てたものじゃない」と、私はなんだか嬉しくなってしまった。

犠牲者の河原道夫さんは歯科医で、兵庫県歯科医師会の幹部だった。事故機に乗り合わせ、道夫さんの二人の息子さんも歯科医であったため、二人は遺族でありながら遺体の検視に協力するという壮烈な体験を持っている。

道夫さんのご遺体はなかなか見つからなかったが、多くの人の努力で最後にわずかに残っていた身体の一部分が発見される。凄まじいドラマは、拙著の第6章をお読みいただければ、と思う。

道夫さんの息子さん二人は、その後、この体験を生かし、兵庫県に警察歯科医会を立ち上げることに奔走し、阪神淡路大震災やJR福知山線事故の犠牲者の遺体検視にもあたった。25年経った今も、あの事故で得た教訓と体験を忘れずに、貢献をつづけているのである。

御巣鷹の尾根から降りて、私は上野村の「慰霊の園」から、ニッポン放送に電話出演した。さっきまで降っていた雨が嘘のように晴れ上がっていた。犠牲者の河原道夫さんのお孫さんから声をかけてもらったことを、ラジオで話をさせてもらった。パーソナリティの上柳昌彦さんもびっくりしていた。

夜、若者のご両親からメールをいただいた。そこには、「25年間、父からの使命のようにボランティアで警察医の仕事に従事してきたことが門田さんのこの本により苦労が報われました」とあった。

この本を書かせてもらってよかった、と思った。黙々と社会のために貢献する人の活動と思いを紹介させてもらえただけでもよかった、と。ジャーナリスト冥利に尽きる、としみじみ感じた一日だった。

カテゴリ: 事件, 随感

明日、御巣鷹山へ

2010.08.11

明日、いよいよ御巣鷹山事故25年を迎える。今日も上野村を流れる神流川(かんながわ)では、遺族たちによる灯籠流しがおこなわれた。

四半世紀にわたるご遺族の苦しみと闘いは筆舌に尽くしがたいものだったが、それぞれが自分たちの思いを込めて愛する人の灯篭を黙々と川に流した。

本日(11日付)の朝日新聞朝刊の第二社会面のコラム「五線譜」に「父と息子と御巣鷹の尾根」と題して、私のことが取り上げられた。

25年前、雑誌記者として入社3年目の私が、「炎暑の中、忌中の札が張られた家々を回っていた。来る日も来る日も」と、そのコラムは始まっていた。

私が、なぜ「父と息子」の観点で「風にそよぐ墓標」(集英社)を書こうとしたかもこの短いコラムで触れられていた。その上、本に登場する“息子たち”が、どんな苦労をしたのかもしっかり書かれていた。名人芸とも言えるコラムである。

あの事故の時、20代だった私が50代になってしまったのだから、四半世紀という歳月はやはり長い。父を失った息子たちの25年がいかに壮絶なものだったかは、本を是非読んでいただきたいと思う。

生きたくても生きられなかった犠牲者たちと、残された家族たちの不屈の物語――生きる勇気と気力を思い出されてくれる男たちの告白に一人でも多くの方に耳を傾けて欲しいと願う。

明日25年目の当日、私も御巣鷹山に慰霊登山をさせてもらうつもりだ。今年3度目の慰霊登山である。台風が心配だが、なんとか登山ができる天候であって欲しいと思う。

あの御巣鷹の尾根は、事故から四半世紀の日にどんな表情を私に見せてくれるのだろうか。

カテゴリ: 事件, 随感

試練に満ちた「人生」に挑む不屈の闘志

2010.08.04

拙著「風にそよぐ墓標―父と息子の日航機墜落事故」(集英社)が本日から都内の書店に並び始めた。どの書店でもいいところに置いてくれている。4月に出した「この命、義に捧ぐ」と共に、話題の書のコーナーで目立っていた。

するとさっそく午後、出版社から「1万部増刷」の報が入った。まだ書店に並び始めた段階で、もう重版とは嬉しいかぎりだ。初版が1万5000部だったので、早くも2万5000部となった。

「この命、義に捧ぐ」は現在、累計7万部を突破しているが、そのペースを上まわっている。読者の反響の大きさが窺える。

夕方頃から、本を読んだ知り合いから早くも感想が入り始めた。「これほど泣いた本は初めて」「一気に読んだ」と最高のお褒めの言葉をいただいた。

私の作品は、取材を「徹底する」ことで初めて成り立っている。シーン(場面)を客観描写できるまで取材するのである。そのために自分が納得するまで資料をあたったり、人に話を聞いたりする。その上で「風景」を描写するのである。

それは心象風景であったり、実際の風景であったりする。緻密な取材ができなければ、描写は不可能だ。今回の「風にそよぐ墓標―父と息子の日航機墜落事故」は、哀しみにこらえて四半世紀前の子どもたち、すなわち今は“父親”となったかつての子どもたちが私の取材に長時間つき合ってくれた。

25年前に極限の哀しみを経験した男たちは、人間的にも素晴らしい人たちばかりだった。この作品は、たしかに読むと涙が止まらなくなるかもしれない。しかし同時に、私は、これほど「生きる勇気」を感じてもらえる作品は少ないと思っている。

生きたくても生きられなかった犠牲者と、その息子たちの姿を描きながら、人生に対峙する勇気を私自身が取材の過程で感じさせてもらった。男たちが事故から25年経って語ってくれたのは、試練に満ちた「人生」というものに挑む不屈の闘志の大切さにほかならなかった。

カテゴリ: 事件, 随感

「風にそよぐ墓標」父と息子の日航機墜落事故

2010.07.30

今日は、ニッポン放送の「上柳昌彦のごごばん!」に午後2時から2時40分まで出演させてもらった。来週出版される拙著「風にそよぐ墓標―父と息子の日航機墜落事故」(集英社)に関するゲスト出演だった。

いつも軽快なパーソナリティ上柳昌彦さんと、今日は初めてタレントの山瀬まみさんとご一緒した。上柳さんと、年齢を感じさせない(失礼!)可愛いらしさを持った山瀬さん相手に新刊の話をさせてもらった。

今年の8月12日は御巣鷹山事故25周年の日である。拙著は、四半世紀となったこの事故を「父と息子」の観点から問い直したものである。

25年前の群馬県藤岡市。愛する者が、腐敗していく体育館で、遺族たちは茫然とし、うろたえ、絶望した。しかし、腐乱臭の中、息子たちは、それでも目を背けるような肉塊と向き合った。

父親の遺体を探し求める彼らを支えたのは何だったのか。絶望の中を彷徨う息子たちは、25年という年月を経て、彼ら自身が“父親”となった。その時、彼らは自分の子どもたちに何を伝えるのだろうか。

これまで、夫や子どもたちの「死」の哀しみを語る妻や母、すなわち女性たちによってのみ語られてきた御巣鷹山の悲劇。しかし、私は、父の遺体の確認に向かった当時の“子どもたち”の25年後を追った。

訪ねてきた私に、何人かは取材を拒否し、何人かは応じてくれた。胸の内を吐露してくれた男たちの凄まじいドラマに、私は取材の過程で何度もペンを止め、さまざまな思いに耽った。

取材を終えて感じたのは、「人間とは素晴らしい」ということである。家族の愛情の壮烈さにも圧倒された。時間の壁の向こうに封じ込まれつつあった人間ドラマを、本書を通じて是非知って欲しいと願う。

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信じられない「2つの事件」

2010.06.19

信じられない事件(あえて「事故」とは言わない)があるものである。昨日、浜名湖で起こったボート転覆事件で、女子中学生が亡くなったのは、「あり得ない出来事」と言える。

湖面に白波が立ち、強い雨風が吹いていた悪天候の中で、教諭と生徒だけを乗せて、湖面に漕ぎだし、転覆し、死者が出たのである。

私は1984年4月に山梨県の山中湖で、新人歓迎合宿に来ていた東大生6人の乗るボートが転覆し、5人が死亡した事故を取材したことがある。しかし、あの時は、漕ぎだしていった本人たちにも責任があった。

しかし、今回の死亡事件は、被害者となった中学生には何の責任も落ち度もない。大人たちの常識の欠如と危機管理のなさが引き起こした事件である。

悪天候の中で、まったく素人の教諭と生徒だけが湖面に漕ぎだすとは、自殺行為に等しい。静岡県教育員会によると、転覆したボートには、専門家である青年の家の職員も乗っておらず、大人は教諭2人のみで、無線で指導を受けながら訓練していた、という。

これだけの大人がいて、雨と強風の中、生徒たちは“決死の訓練”に出て行かされたのである。無線で、「ひどい船酔いでこれ以上漕げない」と連絡があり、モーターボートで曳航されている途中に転覆し、亡くなった女子中学生はひっくり返ったボートの中に閉じ込められた形になり、溺れ死んだと思われる。

何から何まで信じられない事件である。報道によれば、この女子中学生を救出するのに「約2時間半もかかった」という。ボートの下に潜り込んでしまった人を助けるのにこれほどの時間がかかるわけがない。

これは転覆事故という事態に遭遇しながら、乗船していた生徒の人数を把握できなかったことを意味している。悪天候の中を漕ぎだし、指導員もおらず、さらには転覆後も生徒の人数さえ把握できなかったこと……数々の大失態が積み重なって、将来ある中学生の命が失われたのである。

静岡県警はきちんとした捜査をおこない、責任の所在を明らかにし、 検察は起訴すべき人間をきちんと起訴して、裁判の中でこの事件がなぜ引き起こされたかを明確にしていく必要がある。そうでなければ、理不尽な死を余儀なくされた女子中学生の魂が浮かばれない。

一方、果てしない広がりを見せている大相撲の野球賭博汚染には、言うべき言葉が見つからない。日本人力士が外国人力士に相撲で圧倒されている中、その日本人力士を代表するべき立場にある大関・琴光喜らが、野球賭博にうつつを抜かしていたのである。

しごきによる“殺人”がおこなわれた時津風部屋をはじめ、この広がりがどこまでいくのか想像もつかない。ただ言えるのは、外国人力士がほとんど関与しておらず、汚染が「日本人力士が中心になっている」ということである。

相撲で圧倒される日本人力士が、それを悔しがってひたすら「精進する」方向に向かうのではなく、暴力団が胴元となった野球賭博で小遣いを稼ごうということに向かっていたのである。巨額のお金が取り引きされていたことに驚くのではなく、そこまで力士たちの精神が腐っていることを、私たちは認識すべきなのべきである。

「国技」と言われる日本の相撲は、一度、解体して出直すしか道はない。もはや理事長以下、協会幹部を力士出身者が占めること自体が許されないだろう。

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「なぜ君は絶望と闘えたのか」

2010.04.18

昨日、北九州で講演があった。テーマは、「なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日」である。光市母子殺害事件を描いた私のノンフィクション作品の題名そのままの講演だった。

旧知の佐木隆三先生が「北九州文学館」の館長をされており、そこの主催だ。講演のあとには、佐木先生と私の対談もあった。

犯罪被害者の絶望。想像はできても、その重さや深さは誰にもわからない。この難問に対する考えと、司法を変えた男としての本村さんについて、話をさせてもらった。

夜、本村さん本人が光市から駆けつけてくれた。会うのは2年ぶりである。遅くまで飲みながらさまざまなことを話し合った。本村さんと私が最初に会ったのは、ここ北九州である。

1999年8月11日、山口地裁での初公判を終えて故郷・北九州へ帰ってきた本村さんに、私は初めてインタビューをさせてもらった。以来、11年。よくもこれほど長い付き合いをしてくれたものだと思う

11年前には学生のようだった本村さんが、今は会社でも重要なポジションにいるだろうことは、あの頃とはまるで違う落ち着きぶりや雰囲気でわかる。時の流れを感じる。

一夜明けて、今日は、弥生さんと夕夏ちゃんのお墓参りもさせてもらった。久しぶりに本村さんのご両親ともお会いできた。

「なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日」が発売になって2年。現在、20刷で、ドラマ化の話もある。

真実の重みと絶望から這い上がる人間の強さを、多くの方に知って欲しい、と心から思う。

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警視庁史上最大の汚点

2010.03.30

前代未聞である。

本日時効が成立した15年前の国松孝次・警察庁長官銃撃事件で、警視庁は「捜査結果概要」を公表し、「容疑グループ」をオウム真理教とした。

オウムの元幹部や警視庁の元巡査長ら8人が事件に関与したことを明確に裏付ける証拠や証言はないにもかかわらず、わざわざ青木五郎公安部長が記者会見し、「オウム真理教の信者グループが、組織的、計画的に敢行したテロであったと認めました」と語ったのである。

唖然とした人は少なくあるまい。

立件できなかったから時効が成立し、実行犯さえ割り出せなかった。それなのに「これはオウムの仕業だ」と発表する――その理由を問われた青木公安部長は、「国民の生命を守るため必要と判断した」「テロの悲劇を二度と繰り返さないことが大事」「個人の生命、公共の安全と秩序を守る警察の責務」と語ったのである。

刑事部と公安部が対立しつづけたこの捜査は、こうして最後の最後まで“迷走”したのである。

オウムに固執した公安部と、現在79歳の元過激派のテロリストにこだわった刑事部。両者の面子だけが独り歩きし、ついに今日、前代未聞の記者発表に至ったわけである。

実は、昨年12月から今年1月にかけて、警視庁公安部は、今回のオウムのメンバーを「共犯」として“実行犯不詳”のまま秘かに検察に「立件可能かどうか」事前相談をおこなっている。

結果は、検察に一笑に伏され、「突き返されている」のである。当然だろう。実行犯が特定できず、その共犯だけを被告人として、公判をどう維持するつもりだったのだろうか。

かつて狙撃を“自供”した元巡査長は、当時、徹底捜査され、「妄想によるもの」と結論づけられている。事件直後に本富士署内で元巡査長本人が目撃されているという“アリバイ”があったのである。また自転車で逃走した犯人とぶつかりそうになった婦警の目撃談も、いつの間にかかき消されてしまった。

2004年に別件で逮捕されたオウムの信者たちも、結局、長官狙撃で立件することができず、釈放されている。要するに、警視庁公安部が仮想する「ホシ」たちは、一度も犯人であると「証明されたことはない」のである。

それにもかかわらず、警視庁は当事者たちをイニシャルにして勝手に「ホシ」にしてしまったのだ。おいおい大丈夫か、と多少でも事情を知る者なら、誰でも声を上げたくなるだろう。

この事件は、結局、警視庁史上最大の汚点となってしまった。

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「金嬉老」死去

2010.03.26

いま「金嬉老死去」のニュースが入って来た。昭和43年、暴力団幹部ら2人を射殺し、寸又峡の温泉旅館に立てこもった「金嬉老事件」の当事者だ。

30年を超える獄中生活を経て、平成11年に仮釈放された金嬉老氏は、韓国の釜山に住み、ここで余生を送った。前立腺がんの治療を受け、最近、体調を崩していたというが、まさかそこまで容態が悪かったとは知らなかった。

私は、雑誌の編集部に勤務していた頃、金嬉老氏の手記を担当し、釜山の自宅に何度もお邪魔したことがある。

氏の強烈な個性は、歳をとってからも変わらず、民族差別への強い思いを何度も聞かされた。手記は、「われ生きたり」(新潮社)という本となった。

その後、時折、思い出したように私の携帯に氏から国際電話がかかってくることがあった。意気軒昂で、衰えを知らない闘志に感心させられることが多かった。

釜山でも、相談を受けていた女性の境遇に同情し、その旦那がいる家に乱入して逮捕されたこともあった。日本と韓国、両方で獄中生活を経験するという破天荒な人生を送った人である。

凶悪な犯罪を起こす激しい性格と、それとは逆の人間的な優しさ。両方が一個の肉体に共存し、不思議な雰囲気を醸し出す老人―それが「金嬉老」だった。

享年81。ご冥福を祈りたい。

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悲しみと情念は風化しない

2010.03.20

今日、地下鉄サリン事件から「15年」が経った。いまテレビでは、この事件を扱ったテレビドラマが放映されている。

リアルな映像に当時の状況を思い出す。あの日、雑誌の編集部で徹夜で原稿を書いていた私に、旧知の警視庁公安部の警部から電話が入った。朝9時前だったと思う。

「地下鉄でオウムがサリンをまいたぞ!」。警部は電話口でそう叫んでいた。それがすべての始まりだった。

その時点では、もちろん地下鉄で「オウム」が「サリン」を「まいた」などとは、何もわかっていない。つまり、そのベテラン警部は“何段階も先”の事実を私に伝えてくれたのだ。

その瞬間、私は自宅に電話して「雨戸を閉め切って、今日は外には出るな」と家族に伝え、会社の警備の人間には、「会社のシャッターを閉め切ってください!」と言った。咄嗟に、オウムがサリンを空中散布するかもしれない、と思ったからである。

あとで、その判断が正しかったことがわかった。オウムは実際に空中からの都内サリン散布を計画していた。

以来、15年。今も逃亡中の犯人がいる。一方で、すでに10人もの死刑判決確定者がいる。私は多くのオウム裁判を傍聴し、アーナンダこと諜報省大臣の井上嘉浩死刑囚とは、東京拘置所で何度も面会した。

今年1月、最後の面会をした時、井上死刑囚は私に「すべての罪は、わが身にあります」と語った。誤った師を正すことができなかった罪を、彼はそういう表現で私に伝えたのだ。

一部始終は、いま発売されている月刊「Voice」4月号に「オウム凶悪犯罪15年の修羅」と題して書かせてもらった。目黒公証人役場事務長拉致事件の被害者・假谷清志さんの長男・実さんへのインタビューも交じえてのレポートだ。

時の流れに、人間の悲しみと情念は決して風化しない。私は、15年を経ての取材でそう感じた。いつかオウム事件における人間ドラマを本として残さなければならない、と思う。

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人間にとって「生」と「死」とは

2010.03.09

東京に横なぐりの雪が降っている。3月のこの時期、いったいどうなったのか。プロ野球のオープン戦も真っ盛りで、昨日も西武のルーキー、菊池雄星のプロ初登板が報じられたばかりだ。

私はと言えば、2日続けての月刊誌の締切で、またも「昼」と「夜」が逆転してしまった。今日は単行本のゲラを通読する日に充てようと思っていたが、事務所の窓から見える雪を見ているうちに“労働意欲”を失ってしまった。

音楽を聴きながら窓から雪の東京の風景を見ていたら、あっという間に時間が過ぎてしまったのだ。時の流れ――この速さに最近、驚かされることが多い。

あのオウム事件から今月、ついに丸15年が経過するのもその一つだ。いよいよ残っていた事件も「時効」となるのである。私は、この節目の時期に、月刊「宝島」(4月号)と月刊「Voice」(4月号)にオウムの記事を掲載させてもらった。

「宝島」は作家・麻生幾氏との8ページの対談記事であり、「Voice」は、「オウム凶悪犯罪“15年”の修羅」と題した12ページに及ぶ長編の特別レポートである。

昨年から今年にかけて、私はオウムの井上嘉浩死刑囚と4度にわたって面会した。14年前、井上死刑囚は自ら罪を被るのを厭わず、初めて法廷で“リムジン謀議”を暴露した。あの衝撃の法廷の時、井上はまだ26歳だった。私は20代の井上を法廷で何度も見た。

一審・無期懲役、二審・死刑。一審と二審で判断が分かれた唯一の法廷となった井上裁判は昨年12月、最高裁が井上側の上告を棄却したことにより、「死刑が確定」した。

井上は40歳となった。東京拘置所の狭い面会室で、私は井上死刑囚とさまざまな話をした。詳細は、「Voice」をお読みいただきたいが、そこには、「死」と向かい合った人間にしか語れない言葉があった。

先週、私は広島拘置所で光市母子殺害事件のF被告とも面会している。久しぶりの面会となったFは、私が訪ねたことを喜んでくれた。私は、Fが会うたびに優しい目となっていくことを感じている。

「生」と「死」とは何か。死刑囚は、そのことを知る貴重な証言者でもある。いつか、人間にとって永遠の、そして最大のテーマであるこのこの問題を書かなければならない、と思う。

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御巣鷹山から25年

2010.02.27

今日は、御巣鷹山の日航機墜落の時に活躍した習志野空挺団の元自衛隊員が、わざわざ事務所を訪ねて来てくれた。

決死の覚悟で事故現場に降り、そして生存者を救出した元自衛隊員である。今年であの事故から25年、ついに「四半世紀」が経つことになる。

昭和60年のあの出来事は、私にとっても思い出深い。来る日も来る日も「忌中」の札をくぐって遺族まわりをした日々を思い出す。

生と死のドラマと言えば、あれほどの強烈な出来事は、私の記者生活でほかにはない。今日訪ねて来てくれた元自衛隊員の話を伺いながら、あの「奇跡の救出劇」からもうそれほどの年月が経ったのか、と「時の流れ」に思いを馳せざるを得なかった。

元自衛隊隊員からは、今日、5時間近くにわたって貴重な話を聞くことができた。次にまた事務所を訪ねて来る約束をしてくれたので、これからも興味深い話が聞けるだろう。今後が楽しみだ。

新たなノンフィクションの構想を練りながら、今日は充実した土曜日の午後をおくらせてもらった。やはり事実は、小説より遥かにおもしろい。

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オウム事件の「総括」は終わっていない

2010.02.21

今日は、15年前のオウム拉致事件の被害者となった目黒公証人役場事務長、仮谷清志さんのご子息、実さんとお会いした。地下鉄サリン、国松長官狙撃など、一気に暴発したオウム事件の端緒となった拉致事件である。

目撃者もあり、オウムによる犯行であることはわかっていても、警察は家族の訴えに耳を貸さず、緊急配備もかけないまま上九一色村のサティアンに仮谷清志さんは連行され、殺害された。

しかも、この事件は最後まで「監禁・致死」としかされず、その死が「殺人」として立件されることはなかった。善良な市民「一人」の命を救うために警察が存在するなどと、夢にも思ってはいけないことをこの事件は示している。

相手が宗教法人である限り、坂本弁護士一家失踪事件でも、假谷さん拉致事件でも、警察はこれを積極的に摘発することはしない。言い換えれば“野放し”である。

警察上層部の保身と事なかれ主義の前では、国民の命など吹けば飛ぶようなものなのだ。「信教の自由」などと一言でも言われたら思考停止するレベルのキャリア官僚の情けない実体を国民の前に見事に晒した事件だった。なんのために自分が警察官僚となったのかを、彼らはあの事件で果たして教訓にしたのだろうか。

今日、假谷さんへの取材は、気がつくと4時間を超えていた。拉致した側の井上嘉浩死刑囚とも私は東京拘置所で何度も面会をしている。私なりのオウム事件15周年のレポートを近く月刊誌で発表させてもらうつもりだ。

事件を風化させてはならない。警察を含め、多くの総括がまだまだ済んではいないのである。

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過ぎし事件から何を学ぶか

2010.02.18

先日、阪神・淡路大震災の15周年ということで、テレビも新聞も大特集を組んでいたが、この3月は、かの「オウム事件から15年」ということで、ジャーナリズムもそこへ向けて動き出している。

民放では特別ドラマも放映され、また出版界ではオウム事件に関する単行本も出版されるそうだ。未解決のまま残っていた事件が15年を迎えて「時効」になるわけで、たしかにけじめの時期ではある。

19世紀から20世紀にかけて生きた科学者ニコラ・テスラの地震兵器を研究するためにオウムはあの時、ヨーロッパに幹部を何人も派遣した。

ある幹部は、持ち出し不可のそのテスラの“高周波理論”の資料を持ち出すためにテスラの文献を収めた「史料室」から、該当ページを破って持ち出そうとしたが、職員に発見されて騒動になっている。

また羽田空港横のガスタンクに航空機を自爆テロで突っ込ませる計画も立てるなど、オサマ・ビン・ラディンも真っ青のテロ計画をオウムは持っていた。

サリンだけでなく、炭疽菌やボツリヌス菌のバラ撒き計画など、首都を大混乱に陥れる内乱計画が実際に進行していたのが、わずか15年前だったというのは、なにか不思議な気がする。

15年後、そのオウム幹部たちはすでに10人もの死刑確定者を出している。私は今週から来週にかけて、事件の関係者たちに面会することになっている。

過ぎし事件からどんな教訓を学ぶか。大量報道が終われば「あとは知らない」では、ジャーナリズムの存在意義を問われる。

この15周年を機に、もう一度、ゆっくりあの出来事を振り返ってみたい。

カテゴリ: 事件, 随感

オウム事件から15年

2010.02.11

今年は、オウム事件から15年という節目の年だ。そのせいか私のもとにもオウムに関するコメント依頼など、いろいろ来ている。

そんなこともあって、今日は退官している警視庁のかつてのエース取調官と久しぶりに昼食を共にして、いろいろ話し合った。

お互い記憶が曖昧になっている部分もあるが、さすがに史上最悪の事件だけあって、未解決の案件や立件されることなく闇に消えたものも多く、興味深い話のオンパレードだった。あの時の緊迫の場面がいろいろ思い出されて、時間が経つのを忘れてしまった。

亀戸道場の屋上からバラ撒かれようとした炭疽菌事件も、ひとつ間違えば、万単位の死者が出てもおかしくなかった事件である。ほかにも、ハルマゲドンのためにオウムが計画していた事柄が本当に実行に移されていたら、被害者が「どのくらい出たか」背筋が寒くなるような話がいくつもある。

明日は、某誌でオウム事件に関して「対談」がある。当時の記憶を思い起こしながら、あの歴史に残る恐怖の事件を静かに振り返ってみたい。

カテゴリ: 事件, 随感

検事総長「人事」の攻防

2010.02.09

単行本原稿が終わったので、さっそく新たな取材に入った。今日は、某雑誌から「小沢問題」へのコメントを求められたので、いろいろと意見を述べさせてもらった。

検察と小沢氏との戦いは、ひとまず小沢氏の方に軍配が上がっている。しかし、攻防は今も続いている。いや、水面下の戦いは、むしろ激しくなったと言っていいだろう。

小沢氏にとって、金丸事件の教訓をどう生かすか、それがポイントであることは以前のブログにも書いた。政治資金規正法違反でスッタモンダした半年後に師匠の金丸が脱税で挙げられたあの事件は、小沢氏にとって最大の“忌まわしい記憶”といえる。

今回、政治資金規正法違反では「公判維持ができない」との判断で、検察は苦渋の決断で小沢氏を不起訴にしたが、肝心の不動産購入の4億円の「原資」については、いまだに決着がついていない。

捜査の本丸ともいうべきこの問題を当ブログでは、これまで再三指摘してきた。自由党解党の際の政党交付金の行方と、胆沢ダム受注の見返りとしてのゼネコンからの資金。このカネの塊をめぐって “脱税”問題に「発展させることができるか否か」が焦点なのだ。

そのためには、樋渡利秋検事総長が、6月に定年を迎える大林宏東京高検検事長にその地位を譲ることができるかどうか。小沢氏は民間からの検事総長登用を実現し、なんとか検察をひざまずかせようとしている。それが成った瞬間、検察の敗北が決定するからだ。

人事を巡る鬩(せめ)ぎ合いはまさに佳境である。検事総長の「民間登用」で検察全体が総崩れとなるか、それとも検察がトップの地位を守れるか。瀬戸際の戦いが展開されている。

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やがてこの世から「疑獄が消える」

2010.01.20

今朝、ある弁護士から携帯に電話をもらって飛び起きた。名前を聞いたら誰でも知っている著名な弁護士である。

開口一番、彼は「日本は大丈夫なのか」と問いかけてきた。言うまでもなく小沢問題に対する政界やマスコミの動きについての感想である。

「千葉法相がまさか“指揮権”を発動するとは思えないが……。そういう圧力があった場合は、即座に辞任してそのことを世間に問うて欲しい」と、この老弁護士は言った。

彼が懸念するのは、政権与党である民主党のレベルだ。「彼らは、検事総長を民間から登用すると言っているが、これは本気。小沢というのは何でもやる男だから、実際にそこへ向かって突き進むだろう」と言う。

検事総長は、検察のナンバー・ツーである東京高検の検事長が就くのが慣例だ。しかし、今の高検検事長の定年は6月で、ここで現・樋渡利秋検事総長より先に退任させたら、樋渡検事総長のあとに「民主党は民間人を登用してくる腹積もり」と老弁護士は推測する。

「戦後、思想検事への反省から民間より検事総長に登用された人が3人いる。しかし、今回の民間人登用問題はまったく違う。これは、取り調べの完全可視化の問題とも絡んでいる」と、老弁護士は言う。

逮捕された石川議員も全く真実を話していない。「取り調べの可視化」が進めば、今後、疑獄事件が完全にこの世から「葬られる」。なぜなら疑獄とは「権力者がターゲット」だから、可視化した取り調べの中で「真実を供述させること」など到底不可能なのである。

なぜ民主党が「可視化」と「民間人の検事総長登用」に熱心なのか。今回の出来事がその意味を教えている。

「検察の監視」という表現を平気でしてしまう人たち。民主主義の本来の意味がまったくわかっていない上に、「言論・表現の自由」「国民の知る権利」まで否定する政権党の人たちに、背筋が寒くなるのは私だけだろうか。

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マスコミは大丈夫か

2010.01.17

咆哮か、断末魔か。小沢一郎氏の幹事長続投宣言と検察への宣戦布告で、民主党はいよいよ小沢氏と運命共同体の「道」を選んでしまった。

それにしても本日、民主党贔屓のマスコミが、盛んに小沢擁護論をブチ上げるのには驚いた。まるで小沢氏が冤罪ヒーローとでもいいたげな識者がなんと多いことか。

視聴者はこの際、いま小沢氏擁護論を叫ぶ人たちの「今後の発言」について、よく注意し、記憶していったらいいと思う。

今回の捜査を識者が言うように「国策捜査」と位置づけるのなら、鈴木宗男氏が8年前に「やまりん事件」で逮捕された時の方がよほど「国策捜査」だったと言える。

なにしろその「3年前」に検察が動いて「立件を断念したもの」を、3年後に改めて引っ張り出して鈴木氏に「勝負をかけた」のである。

あの時は国民の間に「ムネオ憎し」の空気が満ちていて、マスコミでは誰もこれを「国策捜査」と批判した人はいなかった。

だが、今回はどうだ。マスコミが必死で支援している民主党の幹事長をなんとしても生き延びさせるために、識者たちは「小沢擁護」に必死だ。しかも、今回の元秘書ら3人の逮捕劇の意味をほとんどの識者がわかっていないのではないか、とも思う。

当ブログでは、今回の事件のキーワードは「資産構築」「政治献金」「政党解党の折の党資金の行方」「脱税」というものであることを繰り返し書いてきた。

もっと詳しく言わせてもらえば、見逃すことが許されないほどの小沢氏個人の資産構築の「悪辣さ」である。

すでに報道され始めているが、今回の事件と同時期に、小沢氏の関連政治団体「改革フォーラム21」に15億円もの入金が簿外でなされ、その原資が旧自由党の政党交付金ではなかったかという疑惑が浮上している。

言うまでもなく「政党交付金」とは国民の税金である。入金されたのはどこからのカネで、それがどんな意味を持つのか、私たちは冷静に考えなければならない。

たとえ検察の捜査の“入り”が政治資金規正法であろうと、狙いは別にあることを忘れてはならない。それを深く考えないまま小沢氏を冤罪ヒーローのごとく扱うマスコミや識者はいかがなものだろうか。

党大会での検察への宣戦布告が果たして小沢氏の「咆哮」なのか、それとも「断末魔」なのか。その結果はほかでもない、「東京地検特捜部」によって明らかにされるだろう。

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「政界再編」で待ち望まれるのは何か

2010.01.15

小沢一郎氏の元秘書で衆議院議員・石川知裕の逮捕は、政界に衝撃をもたらしている。なにより「政治資金規正法で国会議員が逮捕されたこと」に議員たちが仰天したのだ。

面子を重んじる東京地検特捜部は、国会議員を逮捕する時は、「収賄」「脱税」「詐欺」……など、それに見合う「罪」」と相場が決まっている。

しかし、今回、特捜部は逆に“面子をかけて”政治資金規正法での石川逮捕に踏み切った。週明け18日に始まる通常国会で小沢一郎氏に「不逮捕特権」を行使させないため、たとえ最初の手段が政治資金規正法であろうと、「勝負をかけてきた」のである。

本丸(小沢氏)攻略のためには「何でもやる」というわけだ。この土・日は、その意味でここ20年にわたって政界のキーマンとなりつづけた男の狼狽と断末魔を、国民がその目で見、耳で聞くことになるか、まさに「土壇場」なのである。

当ブログでは、小沢問題を延々書いてきているので、ここでは違う視点で触れてみたいと思う。それは「政界再編」という問題である。

小沢事件の衝撃は、民主党にとって想像以上の大きさがある。小沢氏が民主党のすべてを牛耳ってきた男であることは、国民が知っている。

その小沢氏に言いようにあしらわれ、かつ母親からの巨額の「資金譲渡」を申告もせず、“脱税”していたのが鳩山首相だ。

以前のブログでも書いたように、鳩山首相にとって今国会はまさに“火だるま国会”である。政治理念も哲学も欠如した政治家に、到底乗り切れるようなものではない。

ならば、政界は一体どうなるのだろうか。鳩山政権が瓦解した時、後継として菅直人が出てくるのか、それとも岡田克也が立つのか、それとも前原誠一が名乗りを上げるのか。

いや、そもそもそんな「顔のすげかえ」だけで、国民が納得するのだろうか。

その時、クローズアップされるのが「政界再編」という古くて新しい問題なのだ。鳩山首相がたとえ退陣しても、再び「自公政権」に戻って欲しいと願っている国民は少数だと思われる。政党支持率の推移を見るかぎり、そうだ。たしかに、一宗教団体の“教祖様”にコントロールされている宗教政党がくっついた政権を望む日本人が「どのくらいいるのか」甚だ疑問である。

つまり、国民は「自公連立政権」の再登場など、ほとんどが望んではいないのではないだろうか。ならば、民主党の中から、あるいは自民党やほかの政党から、どのようなドラスティックな動きが生じるかが焦点になる。

舛添要一や前原誠一、平沼赳夫、城内実らが、政党や派閥を越えてどんな動きを始めるか。動き方次第では一挙に政権奪取さえ可能になるほど「政界は流動化」するだろう。

小沢事件のインパクトは、それほど大きい。選挙も国会運営も、すべて小沢氏に一手に任せてきた“小沢依存体質”のツケが一挙に噴出するのである。今年は参院選の年。政治も経済も「なんでもあり」の激動と波乱の年なのだ。

国民は、冷静に「日本のために」なにが肝心か、じっくり考えたい。そして、国民がなにより望んでいるのが、信頼に足る健全な“第三極”の登場である。石川逮捕のニュースを見ながら、私はそんなことを考えていた。

カテゴリ: 事件, 政治

「日本の根幹」と検察捜査

2010.01.14

今日の朝刊は、小沢一郎民主党幹事長の家宅捜索のニュースで埋められた。押収資料の分析が今後どのように進むか、興味深い。

天皇と習近平・中国国家副主席との会見をゴリ押しし、羽毛田信吾宮内庁長官を罵った傲慢さが小沢氏から消えた。急に殊勝になったのは、ことの重大さを何より小沢氏本人が最も肌で感じているからにほかならない。

千葉景子法相もさすがに指揮権発動して捜査をストップさせるわけにはいかないだろう。特捜部には、水谷建設からの資金提供や政党解党の際の政党交付金がどう小沢氏の“個人のもの”となったのかを是非解明していただきたい。その時、ひたすら利権獲得にひた走ったこの政治家の真実の姿を国民は知ることになるだろう。

いま発売中の文藝春秋2月号に興味深い記事が出ている。「中国共産党“小沢抱き込み工作”」という内幕レポートである。筆者は、時事通信外信部の城山英巳記者。小沢氏が引き連れていった142人の民主党議員と胡錦濤・中国国家主席との「握手と記念撮影」というバカげたイベントのために、天皇と習近平との会見が土壇場で“バーター”されたという驚くべき事実が冷静な筆致で描写されている。

折しも、外国人参政権問題が今国会の大きな焦点として浮上している。日本国内に14万人もいる永住権取得済みの中国人たち。年に1万人以上の割合で永住権を取得する中国人は増え続けている。法案が成立すれば、今後、彼らの発言力は増大し、やがては無視できないほど強大なものになっていくことは自明だろう。

日本は「やがて中国の24番目の省になる」というのは、1990年代初めから囁かれていた。そこに登場してきたのが、「日本列島は日本人だけのものではない」という言葉を発する政治家・鳩山由紀夫氏である。

こういう持論の政治家を“国家の領袖”として仰ぐ私たち日本国民は、「日本列島は日本人だけのものではない」という鳩山氏の言葉の意味を知らなければならない。

脱税が明らかになった政治家が「首相」の地位に居座れるという不思議の国・ニッポン。その政権によって「日本の根幹」はどこまで突き崩されていくのだろうか。憂いは深まるばかりだ。

だからこそ東京地検特捜部の捜査には、より国民の期待がかかっている。

カテゴリ: 事件, 政治

時事通信スクープの行方

2010.01.11

各地で成人式も終わり、いよいよ新年気分も一掃されつつある。東京は気温が前日から4度も低下し、凍えるような寒さだ。明日から連休明けでサラリーマンもコートの襟を立てながら休暇による仕事の停滞をより一層、挽回しなければならない。

そんな中、政界に時事通信のスクープ記事が激震をもたらしている。時事は、暮れの31日に小沢一郎・民主党幹事長の元秘書が「(小沢氏の)自宅に現金4億円を運び込んだと証言している」、さらには「東京地検がその原資解明に動き出した」という特ダネを放ったばかりだ。

今度は、小沢氏が過去に党首などを務めた「新生党」と「自由党」が解党した際、両党に残っていた政治資金計約23億円を、同氏の二つの政治団体へ「移動させていたことが判明した」という内容である。

これまで当ブログでも指摘して来た通り、検察と小沢氏との戦いのキーワードは、「資産構築」であり、「政治献金」であり、「政党解党の折の党資金の行方」であり、「脱税」である。

政治改革を叫び、政党が「国民の税金」から「政党交付金」を受け取る現制度をつくりあげた最大の立役者は、小沢氏本人である。その小沢氏が仮に「法の抜け道を利用」して、それを自らの政治団体にブチ込み、それを原資に「高額の不動産を購入」していたとしたら、どうだろうか。

闇将軍として天皇さえ政治利用するまで権力を恣にする小沢氏。彼は、果たして検察との戦いの勝算をいかに弾き出しているのか。

小沢氏が「師」と仰ぐ田中角栄と金丸信を二人とも逮捕した実績を持つ東京地検特捜部。日本最強の捜査機関が、この最大権力者とどう対峙するのか、いよいよ面白くなってきた。

カテゴリ: 事件, 政治

さまざまな若者の姿

2010.01.08

昨夜は、事務所に早稲田大学野球部の4年生が5人も来て、大宴会となった。いずれも一流企業に内定を出した面々だ。それぞれの思いで4年間、早稲田の野球部を支えた努力家ばかりである。

3か月後には社会人になる彼らは、現時点ですでに社会人2、3年生、いやそれ以上の貫録がある。やはり、ひとつのことに打ち込み、やり遂げた若者は独特の雰囲気を持っている。

多くの企業が体育会の学生を競って採用したがるのも、なんとなくわかる気がする。締切に追われて連日四苦八苦している私も、こういう飲み会は新たなやる気が湧いてくるので、嬉しいものだ。

一夜明けて、今日は、小菅の東京拘置所にオウムの井上嘉浩に面会に行ってきた。井上被告は、最高裁で死刑判決(上告棄却)を受けてやがて1か月になる。間もなく面会制限に入るので、今日が最後の面会だった。

暮れに40歳となった井上被告は、最後の面会ということもあって、私にさまざまな話をした。なぜ自分は誤ったのか、どうして多くの被害者を出すようなことになってしまったのか……等々、自分の弱さについて彼は淡々と語った。

オウムで“修行の天才”とまで言われ、過酷な難行を次々とこなしていった井上被告。しかし、その行き着いた先は、あまりに無残なものだった。いつか、私も「人間・井上嘉浩」を書く時がくるだろう、と思う。

ヨガやチベット密教に興味を持ち、オウムと出会ってしまった井上被告もまた、“ひとつのことに打ち込んだ若者”だった。しかし、その打ち込んだ宗教が、多くの被害者を出してしまうカルトだったのである。

カルトが持つ狂気と、その怖さ。オウム事件の被害者の無念を思うと共に、狭い独居房でひたすら贖罪の日々を送る井上被告も、また痛ましく思う。

カテゴリ: 事件, 野球, 随感

政界から目を離せない1年

2010.01.01

明けましておめでとうございます。千里を駆ける「寅年」が始まりました。いろいろなことが起きそうな年です。今年も何かが起こるたびに、気が向くままにその時の感想や情報を書いていきたいと思います。よろしくお願いします。

さて、元旦各紙の一面が出そろいました。昔は恒例だった元旦スクープが、年々、各紙とも心細くなる一方でしたが、今年はどうだったでしょうか。

ずばり、大晦日の夜、時事通信が各紙の元旦スクープに先がけて<小沢氏の事情聴取検討 元秘書「自宅に現金4億円」東京地検「貸付金」原資解明へ>という記事を配信したことにより、元旦の各紙記事は激震しました。

小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる問題で、同会事務担当だった小沢氏の元私設秘書が東京地検特捜部の事情聴取に、「2007年春ごろ、4億円の現金を小沢氏の自宅に運んだ」と供述していることを報じたものです。

不透明な小沢氏の資金管理団体のカネの流れに東京地検特捜部が注目し、その解明に向けて捜査が進んでいることがいよいよ明らかになったわけです。4億円と言えば、“レンガ”と呼ばれる1千万円の塊が実に40個。普通のカバンなら2つや3つでは足りません。

昨年3月、すでに小沢氏の資金管理団体である陸山会の会計責任者兼公設第一秘書が西松建設の政治資金規正法違反事件で逮捕されています。それ以降も特捜部の捜査は続いているのです。

この捜査のキーワードは、ずばり小沢氏の「資産構築」であり、「政治献金」であり、「政党解党の折の党資金の行方」であり、「脱税」です。

果して、政界最大の実力政治家を特捜部が追い詰めることができるかどうか。小沢氏は権力の座から転げ落ちることは「逮捕を意味する」とばかり、ますます権力への異常なまでの執着を見せています。つまり、両者の駆け引きは、すでに佳境に入っているのです。

2010年の政界は、捜査当局の腹のくくり方次第で、大激震が予想されます。今年の日本は「千里を駆ける」のか、それとも「沈没する」のか、一時も目を離せない年になりそうです。

カテゴリ: 事件, 政治

検察とマインドコントロール

2009.12.19

昨日、東京拘置所に井上嘉浩被告に面会に行って来た。12月10日の最高裁判決で死刑判決が下されたばかりである。

さまざまな話をしたが、彼から私にひとつの要望があった。死刑判決を厳粛に受け止めている、と語った井上被告は、同時に「オウム裁判は法律的な吟味として、これでいいのか、という思いがあります。門田さんは司法の著作をいろいろ書いておられるので、門田さんの眼でオウム裁判をもう一度、見直していただければ、と思います」と語った。

獄中で贖罪の日々を送る井上被告は、「二度とこういう悲劇を繰り返してはならない」と何度も語った。だが、被害者遺族の胸に井上被告の償いと自戒の言葉が響くところまでいっていないのも事実だ。なぜなら、何の罪もないのに理不尽に命を断たれた人々の無念の思いは「消える」ことはなく、遺族の悲しみも「癒える」ことはないからだ。

一方で、地下鉄サリン事件の散布役(実行犯)で、1人の死者も出なかった丸の内線の横山真人の死刑が確定し、2人の死者を出した千代田線の林郁夫に無期懲役が下されるなど、オウム裁判には矛盾が目立つ。

いや林郁夫には、そもそも検察が無期懲役しか求刑していないのである。共同正犯には、「一部行為の全部責任」の原則が適用されるはずなのに、この慶應大学医学部卒業の秀才医師に検察は「死刑を求刑していない」のだ。

あるマスコミ幹部が、私に「検察は林郁夫にマインドコントロールされたんだよ」と語ったことがある。司法エリートである検察官が、優秀な慶應医学部卒のエリート医師に「死」ではなく、「生」を与えたのである。エリートはエリートを助く、ということなのだろうか。

自らが罪を被ることを厭わず、地下鉄サリン事件におけるリムジン謀議を法廷で初めて暴露し、麻原彰晃の共謀共同正犯立証の中核となった井上嘉浩。オウム法廷の検察側の立証は、大部分が井上証言に拠ったと言っても過言ではない。しかし、林郁夫と井上嘉浩への検察の対応は、天と地ほども違ったのである。

取調官をも“マインドコントロール”する力を林郁夫は持っていたのだろうか。それは被告がエリートゆえだったのだろうか。このままオウム裁判が終結していくことに私は、大いなる疑問を抱いている。

カテゴリ: 事件, 司法

誰も救えない裁判

2009.12.11

昨日は、オウムの井上嘉浩被告の判決があった。その判決を最高裁第一小法廷で聞いた。一審が無期、二審が死刑。オウム裁判の中で、一、二審の判断が分かれた唯一の注目裁判は、井上被告の上告棄却、すなわち「死刑判決」となった。

傍聴席の第一列目の左端には、井上被告のご両親がいた。私も、第一列に席をとった。隣には、作家の佐木隆三さんがいた。わざわざ小倉から傍聴に来ていた。当初、オウム裁判を多くのジャーナリストや評論家がウォッチしていたが、事件から14年が経った今も変わらず傍聴をつづけているのは、佐木さんだけである。

「上告を棄却する」。午後3時過ぎ、それは3分にも満たない判決文の朗読だった。「いずれの犯行も非人道的。被害者や遺族の処罰感情も峻烈である」と金築誠志裁判長は判決文を読み上げた。

なぜ井上被告だけが一審と二審で判断が異なったのか。検察が井上証言をオウム事件の犯罪立証の軸に据えながら、地下鉄サリン事件の実行犯・林郁夫には「無期懲役」の求刑をおこない、井上被告には「死刑」を求刑した。なぜそれほどの「差」が生じたのか。検察から明確な説明はない。

リムジン謀議を自ら進んで暴露し、事件の全容解明に寄与して麻原彰晃の犯罪解明に尽くした井上被告。それは、さまざまな疑問点に「何も答えない」判決だった。

佐木隆三さんは、「あまりに機械的な判決だね。結果の重大性のみで判断している。これで果たしていいんだろうか」と語っていた。旧知の佐木さんと会ったのは久しぶりだったので、そのまま赤坂で痛飲した。

誰も救えないオウム裁判。井上被告のご両親が、ただ無言で立ち尽くしていたのが印象的だった。

カテゴリ: 事件

「償い」と「使命」の狭間

2009.12.05

昨日は、東京拘置所である未決囚と面会した。オウム真理教の元幹部、井上嘉浩被告である。来週10日に最高裁で判決が下される。長い長い14年間にわたった裁判がいよいよ決着する。

26歳で逮捕された井上被告は、まもなく40歳を迎える。東京拘置所という閉ざされた空間でひたすら謝罪と悔恨の日々をおくる井上被告は、オウム裁判のなかで、一審無期懲役、二審死刑という異なる判断をされた唯一の元幹部である。

獄中手記をはじめ、多くの思いを井上被告は書き記している。そのことについて、私は昨日、彼と突っ込んだ話をしてきた。さすがに20代の頃とは落ち着きが違う。

面会は二度目だが、私はこれまで法廷で井上被告の姿を長く見てきた経緯がある。年齢から言えばすでに中年となった井上被告。自分と同じ失敗を若い人たちに絶対に繰り返して欲しくない、と井上被告は語った。そのためには、どんなことでもやりたい、と。

多くの悲惨な被害者を出したオウム事件の当事者である井上被告には、まだまだ「やらなければならないこと」が数多くある。

亡くなった人は2度と帰ってこない。「償い」と「使命」の狭間で、井上被告は今、静かに最高裁の判決を待っている。

カテゴリ: 事件

公務員の「職務放棄」と「思考停止」

2009.04.24

またしても痛ましい事件が起きた。行方不明になっていた大阪の小学4年生、松本聖香ちゃん(9)の遺体が奈良市の山中で見つかった。

防ぐことができた事件が、「人が死ななければ動かない」行政機関によって、またしても「防げなかった」のである。一体こんな行政の怠慢がいつまでつづけば気がすむのか。本当にやりきれない。

いつものごとく義務を放棄した学校側の気の抜けた会見がテレビに流れていたが、どれだけSOSを発しようと、日本の公務員たちの“事なかれ主義”の前ではすべてが無意味である。

「殺すぞ」という男の怒鳴り声、「ぎゃあ」という女の子の悲鳴、住民が夜間にベランダに閉め出されている女児の姿をたびたび目撃し、学校にも本人がアザをつけて出てくる。聖香ちゃんは「新しいお父さんはお酒を飲んだら豹変する。本当のお父さんのところに帰りたい」と、友だちにも助けを求めていたという。

母親が「聖香の体調が悪い」として連日、電話で欠席を伝えてきても、面談を申し込んだら内縁の夫に「面倒がみられないので和歌山の親類に預けている」「共働きなので忙しい」と言われ、学校はそのままにしている。

聖香ちゃんに「生きるチャンス」は何度かあった。しかし、学校の先生をふくめ、周囲の大人は誰一人彼女に手を差しのべなかった。このままでは危ない、と一人でもいいから彼女のSOSを受け取っていれば、彼女は死なずにすんだのである。

学校の役割とは何か。勉強や躾けも大切だが、何よりまさるのは、子供たちの「命」を守ることである。聖香ちゃんは、その「根本」を知らない公務員のおかげで「地獄」の中で死を迎えた。

親に「人権侵害だ」あるいは「プライバシーに踏み込むな」などと抵抗されたら、たちどころに思考停止して手を拱くだけの日本の公務員たち。自分たちが「一番守らなければならないもの」を見失った大人たちによって、これからも聖香ちゃんのような無惨な犠牲者は出つづけるだろう。

カテゴリ: 事件

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