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忘れられない一人のアスリート

2012.07.28

開会式が終わり、ロンドン五輪は、正式にスタートした。さまざまなドラマを刻んできた世界最大のスポーツ・イベントがいよいよ始まる。

私には、かつてオリンピックに君臨した忘れられない一人のアスリートがいる。それは「君臨」という名に最もふさわしい選手だった。このオリンピックを前に、つい先月(6月)、その選手はこの世を去った。今日は、その選手のことを少し書いてみたい。

男の名は、テオフィロ・ステブンセン。キューバのヘビー級ボクサーである。私は、オリンピックのボクシング史上、これほど圧倒的な強さを発揮した選手を知らない。

世界最強の男を決めるヘビー級には、伝説的な強さを発揮した男が数々、いる。もちろんプロの世界でのことである。

“褐色の爆撃機”と呼ばれたジョー・ルイスをはじめ、ジャック・デンプシーやロッキー・マルシアノ、モハメド・アリ、ジョー・フレージャー、ジョージ・フォアマン、マイク・タイソン……歴代の最強王者たちの名を挙げればきりがない。

実は、オリンピックとプロのヘビー級王者との関係は深い。ヘビー級の場合、オリンピックの金メダリストは、そのままプロ入りして、一気にチャンピオンに駆け上がる例が少なくないのだ。

ローマ五輪のカシアス・クレイ(モハメド・アリ)、東京五輪のジョー・フレージャー、メキシコ五輪のジョージ・フォアマンは、いずれも、金メダリストとして鳴り物入りでプロに転向し、そのまま全勝でヘビー級の世界王者になっている。

これは、言いかえれば「ボクシングの世界で、いかに五輪の金メダリストになるのが難しいか」ということを物語っている。ローマ、東京、メキシコの金メダリストがそのまま世界ヘビー級王者になったため、当時、ボクシング界では、「次」の五輪ヘビー級王者に世界中の注目が集まっていた。

そして、その後のミュンヘン、モントリオール、モスクワという3つのオリンピックでヘビー級の金メダリストとなったのが、キューバのテオフィロ・ステブンセンだったのである。

当時、五輪のヘビー級は、アメリカの独壇場だった。金メダリストがそのまま世界チャンピオンに駆け上がるのだから無理もない。

だが、彗星のごとく現れたこのキューバの黒人は、アメリカをはじめ欧米のボクサーを次々と粉砕していった。身長197センチ、体重が100キロを越えるこの巨人は、大袈裟に言えば、ほかの国の出場選手をあたかも“子供扱い”した。

大人が子供とボクシングしているのか、と錯覚するほど、その強さは別格だった。巨体を生かしてロングレンジから、破壊力抜群のストレートを繰り出すボクシングスタイルは、無敵を思わせた。

70年代のプロボクシングのミドル級を圧倒的な強さで支配したカルロス・モンソンというアルゼンチンの強打者がいる。“ライフル”と形容された左右のストレートを持ち、14度連続防衛を果たして、そのまま引退した比類なき強さを誇ったチャンピオンだ。

私は、ステブンセンは、このモンソンを大きくし、さらに破壊力を増したボクサーではないか、と思っていた。あれは、モントリオール五輪の決勝戦だったと思うが、たまたまステブンセンの試合がテレビで中継されたことがあった。

私は、身を乗り出してステブンセンの試合を見た。やはり、カルロス・モンソンを大きくして、さらにパンチ力を増したかのような“大男”がそこにいた。ルーマニアの選手がステブンセンの強打を恐れ、腰を引いてアウトボクシングに徹していた時、いきなりそのステブンセンの右が飛んできた。

私には、その右がルーマニアの選手のテンプルを“こすった”ように見えた。しかし、相手は、それだけでもんどりうって倒れたのである。勝負は決した。五輪2連覇の頃のステブンセンは、まさに全盛時代である。私は、息を呑んでそのKOシーンを見つめていた。

ステブンセンは、次のモスクワ五輪でもヘビー級を制し、オリンピック3連覇を果たした。アリ、フレージャー、フォアマンと続いた五輪王者の「次」は、圧倒的な強さを持つステブンセンが君臨し、五輪ヘビー級3連覇という信じられない偉業を達成したのである。

ステブンセンの強さは、世界のスポーツジャーナリズムの注目を集めつづけた。しかし、社会主義国のキューバでプロになるには、「亡命」しか方法はない。だが、ステブンセンは、「私が愛するキューバを去ることはあり得ない」と、それを一蹴し、事実その言葉通り、故郷を去ることはなかった。

世界ヘビー級王者のモハメド・アリとの試合が実現しないか、亡命以外のさまざまな方法が考えられた。キューバの独裁者、フィデル・カストロがアリとの試合を「容認した」という情報が乱れ飛んだこともある。しかし、ついに夢の試合は実現しなかった。

ステブンセンの訃報は、今年6月に流れた。「心臓病により死去」という簡単な訃報だった。まだ60歳という若さだった。五輪史上に残る最強のボクサーは、五輪以外では世界の注目を集めることもなく、こうしてひっそりと世を去ったのである。

間もなく86歳になる独裁者カストロは、パーキンソン病に苦しみながら、まだ生きている。ステブンセンとの対戦を世界から待ち望まれていたモハメド・アリも、70歳となった今、パーキンソン病に苦しみ抜いている。

時の流れは残酷だ。オリンピックという世界の檜舞台で栄光を勝ちとった人間にも、幸福の女神が微笑むとは限らない。私は今日の未明、そんなことを考えながら、開会式で「ヘイ・ジュード」を歌う老いたポール・マッカートニーの姿を見ていた。

元東洋フライ級チャンピオンの矢尾板貞雄

2009.05.23

昨日、プロボクシング元東洋フライ級チャンピオンの矢尾板貞雄氏(73)に3時間もお話を伺った。三軒茶屋の喫茶店で、熱く60年代のボクシングを語ってくれた矢尾板さんの説得力ある話しぶりはかつての「名解説者」のままだった。

テレビの名解説者といえば、相撲では神風正一、高校野球では池西増夫、ボクシングでは矢尾板貞雄がすぐ思い浮かぶ。専門的な知識を素人にもわかりやすくかみ砕いて披露してくれる手法と冷静な分析力が3人に共通していた。

ノンフィクションの手法もこれに通じていて、私は、一人よがりの文章にならないようにできるだけ「自分」を殺して、「事実」を淡々と記述することを心がけている。ボクシング界の秘話を縦横無尽に語ってくれた矢尾板氏の話も近く披露させていただくつもりだ。

カテゴリ: ボクシング

ファイティング原田と60年代

2009.05.13

今日は、横浜までファイティング原田さんに会いに行ってきました。かつて“黄金のバンタム”と言われた史上最強のエデル・ジョフレを2度も破った「日本が生んだ最高のボクサー」です。

1960年代を駆け抜けた原田さんのラッシングパワーは、高度経済成長をヒタ走る日本の姿と二重映しになります。

個人スポーツの試合で、視聴率が60パーセントを超えたものは、原田さんの数々のタイトルマッチ以外、いまだに例がありません。その凄まじい人気は、現在のボクシングと比較すると溜息が出てしまうほどです。

現役時代と変わらぬ優しい目で取材に応じてくれた原田さんのお話は、近く原稿にまとめるつもりです。お楽しみに。

カテゴリ: ボクシング