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「高野連」ってナニモノなのか?

2015.04.03

敦賀気比高(福井県敦賀市)が北陸勢初の甲子園制覇を果たした。昨夏は準決勝で、優勝した大阪桐蔭に乱打戦の末に敗れ去ったものの、今大会では優勝候補の筆頭と見られていた通りの「堂々の初優勝」だった。

平沼翔太投手は、2年生だった昨夏も、落ち着いた語り口で、試合後、鋭くその日のピッチングについて振り返ってくれるクレバーな投手だった。北信越勢が大躍進したその昨夏の大会で、「来年は全国制覇か」と思わせてくれるナンバー・ワン投手だったと言える。

今大会では、準決勝で「満塁弾2発」、決勝戦では「決勝2ラン」を放った松本哲幣選手の目を見張る打棒と共に、圧倒的な力を見せつけた。また、あわや「北海道勢の初優勝か」と思わせた東海大四高の大澤志意也投手の緩急をつけた絶妙のピッチングも圧巻で、間違いなく“歴史に残る決勝戦”だったと思う。

しかし、北陸勢初の優勝に湧く福井県では、敦賀市内で選手の祝賀パレードも許されないのだそうだ。地元紙の報道によれば、「日本高野連は過度な祝賀行事の自粛を要請しており、選手が帰郷した2日、河瀬一治市長らが会見で市民に理解を求めた」(福井新聞)のだそうだ。

昭和53(1978)年に福井商業(福井市)が準優勝した際にはパレードがあり、約3万5千人が福井駅から福井市体育館までを埋め尽くし、偉業をたたえたという歴史を踏まえた上で、記事は、こう指摘している。

「日本高野連は“出場校の手引”の中で、▽華やかなパレードは高校生を英雄扱いし間違った心情を植え付ける ▽ファンの熱狂が無統制を招き思わぬ事故を誘発する―と、行きすぎた祝賀行事の自粛を学校に要請。日本学生野球憲章も、学生野球を商業的に利用することを禁じている。このため同校も自粛方針を市民に伝えている」

記事は、さらにこうつづいている。「河瀬市長はこの日の定例会見で『祝賀行事をしないことに市民からおしかりもある。経済も原発停止で冷え切っている中、盛り上げたい気持ちもあるが、学生スポーツであり行事やセールの自粛は仕方ないこと』と理解を求めた」

過度な祝賀行事の自粛って、何だろう。「華やかなパレードは高校生を英雄扱いし間違った心情を植え付ける」って、それは、どういうことだ。一体、どの口が言っているのか、私は不思議でならない。

なぜなら、それは、高校野球が何で成り立っているか、という根本がわかっていないからである。高校野球がこれほどの人気を誇っているのは、「郷土愛」が大きい。

わが郷土、わが県、わが町の学校を必死で応援し、卒業生も一体となって熱をこめて応援するのは、根本に「郷土愛」があるからである。単にその「高校」だけの「栄光」に終わらないところに、戦前の中等学校優勝野球大会から始まって、これほどの「長い歴史」を有する秘密がある。

オリンピックは、その「郷土愛」が「国」のレベルに引き上げられたもので、高校野球はその基(もと)の「郷土愛」というものなのだろうと思う。

優勝パレードは、甲子園に行くことができなかった応援してくれた人々への感謝をこめた御礼の意味を持つもので、いわばお世話になった人々、応援してくれた人々への「報恩感謝」という「高校野球の根本」に当たるものとも言える。

しかし、それを「華やかなパレードは高校生を英雄扱いし間違った心情を植え付ける」という「間違った心情」を持つ高野連に、私は呆れる。

40年前の昭和50(1975)年、私は、地元の高知高校が原辰徳を擁する東海大相模を延長の末に倒して初優勝し、高知市での優勝パレードに行った。それは、「高知にこれほどの人がいたのか」というほどの人手だった。「ありがとう! ありがとう!」という感謝の言葉で、通りは埋め尽くされていた。

高校野球は、そこに本質がある。すなわち「ありがとう!」なのである。郷土の名誉のために、母校の名誉のために、そして自分自身のために、死力を尽くして闘う球児たちへの「人々の思い」が、高校野球の長い歴史を支えてきたのである。

その根本を忘れた高野連の「祝賀パレード自粛要請」に、私は溜息しか出てこない。それは、そもそも高野連の歴史そのものが、「高校生を英雄扱いし、スターをつくって人気を煽ってきた」歴史ではなかったのか、ということでもある。

高野連の職員を構成する元新聞社の社員たちが、表面上の「高校生らしさ」を謳い、それでいて、ひたすらヒーローづくりに励んできたのが、高野連の歴史だ。あなた方は、一体なにを勘違いしているのか、と問いたい。

なぜ、それほどまでに高野連は、さまざまな介入をおこなうのか。それは、霞が関の官僚社会と似ている。「介入」、すなわち「規制」は、それをする者にとって、不可欠なものだからだ。

「バスの停留所を移動させるのにも認可が必要だった」という霞が関の有名な「規制」の問題がある。世界に冠たる“官僚統制国家”である日本は、「規制」によって、官僚が自らの権力を維持し、天下り先を確保してきた歴史がある。

そういう規制に対する「許可」をスムーズに受けるためには、官僚の天下りを受け入れることが最も重要だったからだ。やっとこの“官僚統制国家”からの脱却を進める日本で、それと全く同じやり方を続けているのが高野連だ。

数年前まで、日本全国を講演して歩く高野連の理事がいた。さまざまな県が、その理事を「招聘」し、「接待」し、「講演」をしてもらって、最大限に持ち上げて機嫌よく帰ってもらうということを繰り返した。

それは、高野連に「睨まれたくないから」である。「規制」と「介入」というのは、それほど大きい。現に、地元の人が「ありがとう。よく頑張ってくれた!」という声をかけることのできる場は、「華やかなパレードは高校生を英雄扱いし間違った心情を植え付ける」という実に短絡的で単純な「高野連の論理」によって、福井県では“奪われた”のである。

私は、当ブログで「単純正義」という言葉を使って再々、述べさせてもらっているが、高野連には、新聞メディアが陥っているその「本質に目を向けない」単純正義が漂っているような気がする。言葉を換えれば「偽善」である。

今大会の開会式で、奥島孝康・高野連会長は、かつての「野球害毒論」について触れるスピーチをおこなった。私は、これまで何度もこの野球害毒論について指摘させてもらっているが、これを唱えたのは、ほかならぬ「朝日新聞」である。

明治44(1911)年、朝日新聞は、「野球という遊戯は悪くいえば巾着(きんちゃく)切りの遊戯である」「野球は賤技なり、剛勇の気なし」「対外試合のごときは勝負に熱中したり、余り長い時間を費やすなど弊害を伴う」……等々、新渡戸稲造や乃木希典まで登場させて、全22回にもわたる野球への大ネガティブ・キャンペーンを張った。

朝日新聞のこの野球攻撃は、新聞の間で激しい論争を巻き起こすが、そのわずか4年後の大正4(1915)年に、朝日新聞は一転、全国中等学校優勝野球大会(現在の「全国高等学校野球選手権大会」)を開催し、当時の村山龍平社長が第1回大会で始球式をおこない、その“変わり身の速さ”にライバル社は唖然とさせられた。

今年は、その年から100年目にあたる「高校野球100周年」である。同時に、この事実は、朝日新聞の今に至る「変節の歴史」を示す貴重な1ページとも言える。

新聞販売のために高校野球を利用し、できるだけ話題になるようにヒーローをつくってマスコミに大々的に報道させ、商業的に利用してきた高野連をはじめとする大人たち――「華やかなパレードは高校生を英雄扱いし間違った心情を植え付ける」などと、見当違いなことを言っている自分自身の胸に、一度、手を当ててみたらいかがだろうか、と思う。

カテゴリ: 野球

球史に残る「日本シリーズ」に人々はなぜ感動したのか

2013.11.03

なぜ今年の日本シリーズは、これほどの感動をもたらしたのだろうか。7戦目までもつれこんで、王者巨人を3対0で破り、球団創設9年目の初優勝を遂げた楽天の歓喜が爆発するシーンを、私は瞬きもせず、見つめていた。

長く野球を見ているが、日本シリーズでこれほど感動した優勝は、記憶にない。前日、160球を投げて敗れた田中将大が9回のマウンドに上がった時、テレビで野球解説をしていた古田敦也、工藤公康の両氏も絶句していた。

ポストシーズンも含めて、昨年からの連勝日本記録を「30」でストップされた田中。その田中がパンパンに張った肩をものともせず、マウンドに上がったのである。

田中の将来を考えれば、あり得ない采配であり、野球の本場・メジャーから見れば、“クレイジー”な登板である。だが、試合後の星野監督のインタビューでそれが田中自身の「志願」であったことが明らかになった。

「どうしたって、田中が“行く”と。彼がいたから(楽天は)日本シリーズに出れたわけですから。最後は彼に託しました」と、星野監督が“内幕”を吐露したのだ。

こうして「あり得ないシーン」が現実に目の前で繰り広げられたのである。来年はメジャーに進むだろう田中の闘志と、ファンの必死の思いが共鳴して、最終回は異様な空気となった。それが、テレビの画面からも見てとれた。

そして、うねりのような東北の応援の声が、田中の背中を押し、鬼のような気迫で、ついに巨人をねじ伏せた。球史に残るシーンだった。

私は、田中将大投手を駒大苫小牧時代に取材したことがある。それは、拙著『甲子園の奇跡』(講談社文庫)に収められているが、彼にとっては、史上2校目の夏の甲子園3連覇を早稲田実業の斎藤佑樹投手に阻止された失意の頃だった。

遠く北海道の苫小牧まで赴き、田中にインタビューした私は、寡黙ながら秘めた闘志のこの青年の将来が気になった。あの時点で“ハンカチ王子”斎藤佑樹投手に水を開けられていた田中は、「絶対に負けない」という闘志で精進をつづけ、押しも押されもしない“日本のエース”となった。

来年は、田中の「師匠」でもあるダルビッシュ有とメジャーで投げ合うだろう。二人の実力は、そのままメジャーのトップを争うものになるに違いない。

先発の美馬、中継ぎの則本、そして抑えの田中。今日、楽天の3人が投げた“魂の入ったボール”は、間違いなく日本シリーズの歴史に残るものだった。闘志、気迫、魂……どんな言葉でも言い表せない投球だったと思う。

いったい何に感動したんだろうと、私はずっと考えていた。そして、あることに気がついた。それは、田中の志願の登板が、「自分のため」ではなく、「他人のため」だったことである。

田中が「自分のこと」だけを考えていたなら、肩を壊す危険性もある連投は絶対に「避けた」だろうし、「避けなければ」ならなかった。メジャーへの挑戦という大いなる未来があるなら、なおさらだ。だが、田中は、「自分のこと」よりも、「腕が千切れても登板を」という方を選んだのである。

私は、あの阪神淡路大震災の時に、イチローを擁したオリックスが“がんばろうKOBE”をスローガンに掲げて、震災の年(95年)と、翌年(96年)にパ・リーグ連覇を成し遂げ、2年目に「日本一」となったことを思い出した。

あの時、阪神淡路大震災の被災者がどれだけ勇気づけられたか知れない。一方、若い球団である楽天は、オリックスのように震災のその年にリーグ優勝することはできなかったが、東日本大震災から3年目に「リーグ優勝」と「日本一」を成し遂げたのである。

楽天の優勝をあと押しする人智では推し量れない“何か”があったのかもしれない。しかし、それは、田中が最終戦に見せた「自分のため」ではなく、「他人のため」という姿が呼び寄せたような気がする。

それは、田中にかぎらず、3番打者の銀次をはじめ、岡島、藤田、嶋……等々、ナインに共通していたように思う。そこが、観る人をあれほど感動させたのではないだろうか。2013年プロ野球の締めくくりに相応しい感動の試合を楽しませてもらった。

カテゴリ: 野球

甲子園に棲む“魔物”とは「高野連」である

2013.08.22

第95回全国高等学校野球選手権は、前橋育英(群馬)が延岡学園(宮崎)を4対3で破り、初優勝を遂げた。恵まれた188センチの長身を生かした2年生の高橋光成投手の力のあるストレートとキレのあるスライダーは「優勝投手」に相応(ふさわ)しいものだった。

宮崎県民の悲願である「初の全国制覇」を目指した延岡学園は、惜しくも準優勝で終わったが、紙一重の敗北だった。逸した大魚は大きいが、精一杯の戦いは素晴らしかった。

だが、私は、昨日の準決勝で敗退した花巻東(岩手)の2番バッター千葉翔太選手の“無念”を思い、高野連に対して釈然としない思いを抱いて今日の決勝戦を観ていた。

身長156センチの小柄ながら得意のカット打法で好球を待ち、「ヒット」か、あるいは「四球」を得て塁に出る千葉君の存在は、相手投手にとって最大の脅威だった。しかも、準々決勝が終了するまでの15打席のうち、5四球を得ただけでなく、10打数7安打で、史上最高打率の「8割」達成も目前に迫っていた。

つまり、得意のカット打法で好球を待つか、四球で出塁するか、という千葉君の打法は、この野球というスポーツが、たとえ「体格」に恵まれていなくても、「創意と工夫」、そして「努力」によって、大きな選手にも負けない活躍ができるものであることを証明してくれたものだった。

だが、19日の準々決勝の対鳴門高校戦が終わった後、信じられないことが起こった。大会本部と審判部が、ある“通達”を花巻東におこなったのだ。

試合後、選手たちはマスコミの取材が終わった後、控室でストレッチなどのクールダウンを終えて甲子園をあとにする。しかし、この時の控室で、この試合の5打席すべてで出塁する(1安打4四球)という大活躍をした千葉君のカット打法について、事実上の“注意”が与えられたのだ。

控室に来た高野連側が、「高校野球特別規則にある“17”についてご存じですか」と花巻東の佐々木洋監督と流石裕之部長に問うと、2人は、「えっ? 知りません」と答えた。それに対して、高野連側は、「高校野球には特別規則があり、その第17項目にバントの定義が決められています」と言い始めた。

おそらく佐々木監督と流石部長は、この時点で高野連が何を言いたいのか、悟っただろう。予想通り、高野連側はこう続けた。「自分の好む投球を待つために、打者が意識的にファウルをするような、いわゆる“カット打法”は、その時の動作、つまりスイングしたか否かによって、審判がバントとジャッジする場合もある、と決められています」。

佐々木監督と流石部長が受けた衝撃は、想像に難くない。高野連は、最後に「あれをバントと見なす場合があります。わかりますね」と言ったという。 「この打法はやめなさい」という事実上の“禁止勧告”である。

私は、高野連のこの出方を見て、「ああ、またか」と思った。いかにも高野連らしい考え方だからだ。かつて敬遠策すら「高校野球に相応しくない」として、不快感を示した高野連である。カット打法など、「そんな卑怯(ひきょう)なことはやめろ」、そして「試合時間が長くなるようなプレーはするな」という“本音”がそこにはある。

しかし、高野連のこの考え方は、2つの点で明らかに間違っている。それは、千葉君のカット打法は、「卑怯な戦法でもなく、またルール違反でもない」という点である。私は、拙著『甲子園への遺言 伝説の打撃コーチ高畠導宏の生涯』の中で、このカット打法のことを取り上げたことがある。

当時、西武ライオンズにいた春日昭之介という選手に打撃コーチだった高畠氏は、「ファウルを打つ練習」を延々とさせたことがある。それは、「どうせ2割5分しか打てないなら、相手に嫌がられる2割5分のバッターになろう」と2人で話し合い、できるだけ粘って“好球”を待ってヒットを打ち、あるいは四球をもらって、出塁しようという目標を掲げたのである。

だが、この打法を身につけるのは、容易なことではない。ファウルを打つということは、やってみればわかるが、実に難しい。スピード豊かなストレートや鋭い変化球をバットに当ててファウルゾーンに転がすことは、単に努力や精進だけでできるものではない。「誰にでもできる」と思ったら大間違いだ。

私は、この西武の春日選手にも話を聞いたことがあるが、特に難しいのは内角球で、左バッターの春日選手は、自分の内角を突いてくる球でも、絶対に3塁側のファウルゾーンに転がすように練習をしたそうだ。1塁側のファウルゾーンに転がすとしたら、空振りになる可能性が高かったからである。

プロ選手でも難しいこうしたカット打法を千葉君は身につけて甲子園にやって来た。どれだけ努力をしたか、想像もつかない。156センチという小柄ながら123人もの部員の中で堂々とレギュラーの座をつかみ、そして甲子園に来ても、四球で出塁するだけでなく、前述のように「7割」という高打率をマークし、甲子園史上最高打率にあたる「打率8割」達成が目前に迫る活躍をしていたのである。

圧巻は、3回戦で大会屈指の本格派・安楽智大投手(済美)から7回表に放ったライトオーバーの大三塁打だろう。単なるカット打法ではなく、彼が野球選手として“小さな巨人”であることをまぎれもなく示したシーンだった。

好球を待つためのカットは、通常でもおこなわれ、そして、それは「野球の基本」でもあり、さらに言えば、非常に難しい技術であり、会得するには大変な努力を要するものだ。

体格に恵まれない千葉君は、これを人並み外れた精進によって身につけたのである。それは、菊池雄星投手を擁してベスト4に進んだ時の155センチの2番打者・佐藤涼平選手の再来ともいうべきものだった。それは、全国の小柄な野球少年に勇気とやる気を与える大活躍だったと言えるだろう。

千葉君の打法は打つ瞬間に右手と左手のグリップはきちんとついており、バントではなく、明らかにスイングであり、「ルール違反ではない」という点を見逃してはならない。

もし、審判がこれを「バントと判断」するなら、たとえば2ストライクをとられていたら、「スリーバント失敗」でアウトを宣告すればいい。しかし、両手のグリップをきちんとつけたスイングをバントなどとジャッジしたら、たちまち大非難が湧き上がっただろう。

堂々とグラウンドでジャッジするのではなく、試合が終わったあとの控室で、正当なプレーに対して、事実上の禁止勧告をおこなうなど、まさに高野連側が「ルール違反」をおこなっているわけである。

1回戦では、相手投手に34球、3回戦では41球も投げさせた千葉君は、チームの勝利に最も貢献した選手だったが、準決勝の延岡学園戦で、自らの打法を“封印”させられ、相手投手にわずか10球しか投げさせることができず、4打数0安打に終わり、チームも0対2で敗れ去った。

私は、産経新聞からこの問題についてコメントを求められ、こう答えた。「千葉選手の活躍は全国の身体の小さな選手に、たとえ体格に恵まれなくてもこれだけやることができると、“勇気”と“やる気”を与えた。自分の創意と工夫、そして努力でレギュラーを勝ち取り、甲子園の土を踏んだ希望の星だった。このプレースタイルは、誰もができるものではなく、一生懸命精進して初めて会得できたもの。高野連に、その努力が分からないのが残念だ。こうした希望の芽を摘(つ)もうとしている高野連こそ、ルール違反をおこなっていることを自覚して欲しい」。

準決勝の試合後、泣きじゃくった千葉君は「過呼吸」に陥り、車椅子に乗せられて甲子園を去った。私は、ルールを無視してまで選手の可能性を摘んだ高野連には、こう“宣言”して欲しいと思う。「高校野球は恵まれた体格と才能あふれる選手たちだけによる勝負の世界ですから、体格の劣った人は野球に参加するのではなく、そういう人は是非、別のスポーツをやってください」と。

カテゴリ: 野球

「努力」と「試行錯誤」は無駄にならない

2013.08.19

熱戦がつづく甲子園にいる。今日8月19日は、力のこもったベスト8の闘いが繰り広げられた。4試合すべてが「1点差」という手に汗握る連続だった。そんな中、本日、甲子園を去った選手の中に私が注目していたピッチャーがいる。

明徳義塾の岸潤一郎投手(2年)だ。昨年、明徳史上初めて1年生で「4番」に座り、背番号「9」ながらも、ピッチャーとしてもマウンドに立った選手である。昨年はまだ高校生というより、中学生に近い顔で明徳の中軸に座り、さらにマウンドでも闘志あふれる姿を見せていたので、非常に印象に残っていた。

体格も170センチそこそこで、昨年は、“引っ張り”のバッティングだけだった。私がインタビューの時に、「もう少し、バットを押し込んで右中間を狙うバッティングをしたら?」と聞いたら、「僕には、そんな器用な打撃はできません」と言ってのけた少年だった。

昨年準決勝で大阪桐蔭の藤浪晋太郎投手に0対4のシャットアウト負けを喫し、岸君たちは高知へ帰っていった。そして、1年後、岸君は再び甲子園に現われた。今度は、背番号「1」をつけての登場である。

1年経って、岸君はエース番号をつけ、身長も175センチになり、そして同じ4番バッターとして甲子園に戻ってきた。初戦(2回戦)では、大会ナンバー1の評価を受けていた防御率0.45の瀬戸内高校のエース、山岡泰輔投手との投げ合いを2対1で制し、次戦(3回戦)では、森友哉、近田拓矢という超高校級のスラッガー2人を擁する優勝候補の最右翼・大阪桐蔭と激突。森・近田を見事に封じて5対1で下し、「明徳義塾の岸」を全国の高校野球ファンに知らしめた。

しかし、ここに来るまでの1年、岸投手は苦闘の連続だった。秋季四国大会の予選で、無名の高知南に敗れて春の甲子園を棒に振り、冬場の地獄の猛練習に耐え抜いた。しかし、それでも、今春以降も、もがけばもがくほど、調子はどん底に陥っていった。

春以降、球速は120キロ台まで落ち、馬淵史郎監督は岸にサイドスローへの転向を命じた。オーバースローの岸がサイドに転向したということは、少なからず四国の高校球界に衝撃を与えた。

だが、岸君はそれでも調子を上げることができなかった。それは、のたうちまわっている、という表現がぴったりだろう。岸君は、5月から6月にかけてサイドスローで練習試合を投げつづけた。6月16日に明徳グラウンドでおこなわれた大阪桐蔭との試合でも、ガンガン打たれて9対3で完敗。「夏」への展望はまったく見えてこなかった。

しかし、6月末に突然、オーバースローに戻した岸投手は、同じ2年生のライバル済美の安楽智大投手相手に好投、練習試合とはいえ、5対1で宿敵を倒した。

進むべき「道」が見えず、暗中模索をつづけた岸投手が、オーバーからサイドへ、そして再びオーバーへ、と試行錯誤を繰り返し、ついに“立ち直り”のきっかけを掴んだのである。

そして、翌7月には、激戦の高知大会を勝ち抜き、決勝戦で春の選抜甲子園のベスト4・高知高校を2対1で押し切り、甲子園への切符を勝ち取ったのだ。

1打同点、そして逆転のピンチを凌いで甲子園出場を決めた時、岸投手は、人目をはばからず泣き続けた。その姿をテレビ中継のカメラはずっと追っていた。上級生である3年生や同僚の2年生たちに次々と肩を抱かれても、岸の涙は止まらなかった。

もがき続けたこの1年間の苦悩がその姿に現われていたのである。今日、日大山形戦を前にして、私は岸君にインタビューで話を聞いた。

私が聞きたかったのは、あのサイドスローへの転向が「今」に役立ったか否か、ということである。私の問いに、岸投手は「はい、内角を恐れることなく突けるようになりました」とはっきりと答えた。

「どういうこと?」と私。「はい、サイドスローになって、僕は内角を思いっきり突くようになりました。サイドスローはそれが持ち味ですから。オーバースローの時には、僕は内角への恐怖心があって、それを突けませんでした。でも、サイドからオーバースローに戻した時、その内角への恐怖心が消えていたんです」。

「じゃあ、サイドスローに変えたことは、無駄ではなかったの?」と聞くと、岸君は「そうです」と言った。のたうちまわり、悪戦苦闘した“あの時期”が「無駄ではなかった」と岸君は言うのである。

私はまだ17歳のこの少年が、たった1年で経験したことの大きさと共に、人生のうちにわずか2年半しか許されないこの高校野球という“勝負の世界”の凄さを一瞬、垣間見た思いがした。

今日、その岸君は、ベスト8で日大山形と対戦し、8回表に痛打されて3対4で逆転負けを喫した。試合後、「また課題ができたね」と聞くと、岸君は「はい、左右をもっともっと生かして、打者を揺さぶられる投球を身につけたいと思います」と、きっぱりと言った。その岸君の目には、甲子園を決めた時のような涙は見られなかった。

「僕には、そんな器用なバッティングはできません」と言い放った1年前と、ひとつひとつの質問に自分の分析を加えながら、的確に答えるようになったこの夏。これから1年間、また岸君は地獄のような冬場の猛練習を耐えて、大きく成長するだろう。

私は自分が高校生の時に、たった1年でこんなに成長したことがあっただろうか、と考えた。それは岸君たちのような“努力”を、自分にはとてもできなかった、という意味でもある。

努力を忘れず、試行錯誤を繰り返し、それでも高校生の時は、「頑張ること」ができる。それが若さというものである。去っていく岸君のうしろ姿を見ながら、「来年もこの甲子園に帰ってきて、これから1年の努力の凄さを見せてくれ」と私は祈らずにはいられなかった。

高校野球の魅力って何? 高校野球のノンフィクション作品も書いている私は、そんなことをよく聞かれる。私は、人生の中で「16歳から18歳まで」しか許されない限定の期間に、「いかに人間が心身ともに成長できるか」、そして「努力が決して無駄にならないこと」を教えてくれるところではないか、と思っている。

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甲子園は日本に残った数少ない「秘境」

2013.07.31

また熱い夏が来た。7月末の今日、8月8日から開幕する第95回全国高校野球選手権大会の出場校49代表が出そろった。

今日は最後の2つの椅子をめぐって、愛知大会では愛工大名電が愛知黎明を2対1で破って2年連続11度目の出場を決め、宮城大会では昨年の明治神宮大会の覇者で、選抜ベスト8の仙台育英が、粘る柴田高校に6対5でサヨナラ勝ちし、2年連続24度目の出場を果たした。

初回に5点を先取され、優勝候補・仙台育英も「ここで終わりか」と思われたが、さすがに、終盤に伝統の底力を見せた。全国から強豪校が次々と名乗りを挙げ、いよいよ甲子園は今年も熱くなる。

私は、ここのところ締切で徹夜がつづき、昼と夜が完全に逆転し、西東京大会を1試合観戦に行っただけで、ほかの試合を球場で観ることはかなわなかった。

しかし、甲子園へは、今年もなんとか時間をつくって行きたいと思う。今年の夏の甲子園は、例年以上に面白いと思う。なかでも、今大会は強豪揃いの関東勢を中心に動くのではないかと思っている。

春夏連覇を目指して盤石の浦和学院(埼玉)、共に「3度目の全国制覇」を目指す横浜(神奈川)と日大三(西東京)、さらには強打の修徳(東東京)、昨年につづき高いレベルで投攻守がまとまった木更津総合(千葉)など、どこも実力チームだ。

西日本では、昨年につづき、2連覇を目指す大阪桐蔭(大阪)に注目が集まる。高校球界屈指のスラッガーでありながら、ケガに泣いた森友哉、近田拓矢の3、4番が久しぶりに姿を現わすわけで、どこと戦っても破壊力ある打線が火を噴くのではないかと期待される。

選抜の準優勝校で、157キロの怪物・安楽智大投手を擁する済美(愛媛)と、昨夏ベスト4で、昨年より数段成長した岸潤一郎投手を中心に堅い守りを誇る明徳義塾(高知)の四国勢も侮れない。

いま挙げた強豪校だけでなく、故尾藤公監督の息子さんが29年ぶりに復活させた箕島(和歌山)、あるいは、強豪ひしめく愛知県大会を勝ち抜いた愛工大名電(愛知)と名将・坂口慶三監督が率いる大垣日大(岐阜)といった中京勢も楽しみだ。

私は、妥協の許されない“真剣勝負の世界”という意味で、甲子園は日本に残った数少ない「秘境」だと思っている。甲子園では、逃げも、甘えも、許されない。あるのは、勝ちか負けか、だけである。

綺麗ごとを並べ、必死に美化しようとする主催新聞社や高野連など、大人たちの思惑とは別に、ひたすら精進を積んできた若者が、ただ「勝つことだけ」に向かって全力を尽くすのである。人生のうち、たった「2年半」しか許されないこの期間限定の勝負の世界は、その真剣さゆえに、長い間、日本人の心を揺さぶってきた。

私は、ノンフィクション作品でこれまで戦前の中等学校野球や戦後の高校野球の世界も描かせてもらった。今年もあの手に汗握る勝負の世界をこの目で見えるかと思うと、今からわくわくしてくる。徹夜つづきの締切を一刻も早く終わらせて、私も、この“秘境”に分け入りたい。

カテゴリ: 野球

グラウンドから「我慢」と「寛容」が消えつつある

2013.07.11

今年39回目を迎えた日米大学野球の最終戦が今晩、神宮球場でおこなわれた。長年、この大会をウォッチしている私は今日、グラウンドに異様な「険悪ムード」が流れるのを初めて目撃した。

日本とアメリカが2勝2敗の五分で迎えた最終戦は、日本が7対4でアメリカを破り、17度目の優勝を飾った。しかし、4回裏に驚くべきシーンがあった。日本の7番バッター岡大海(明治)が足にデッドボールを当てられた瞬間、ヘルメットをグラウンドに叩きつけて“激昂”したのだ。

叩きつけられたヘルメットが大きく跳ね上がり、私は一瞬、何事が起こったのかと思った。野球にデッドボールはつきものだが、それに対してこれほど「激昂するシーン」は珍しい。

今大会、神宮球場で開かれたのはこの最終戦だけだから、地方の球場で開かれた第4戦までに、その“引き金”とも言うべきシーンがあったのかどうか、私は知らない。しかし、学生野球で選手があれほど激昂するシーンは記憶にない。

異常な岡の激怒ぶりにアメリカ側もエキサイトし、アメリカのベンチから監督が飛び出して審判に猛抗議し、あわや乱闘寸前になった。「おいおい、親善はどこへ行ったんだよ」と、そんな声が周辺から聞こえてきた。

「リーグ戦でもあんな怒り方するのか!」「謝れ!」という声も岡に対して飛んでいた。その後、5回裏に4番・梅野隆太郎(福岡大)と5番・中村奨吾(早稲田)の連続ホームランが飛び出して、グラウンドの雰囲気はますます険悪になった。

中村がホームランを打って、三塁をまわる時、アメリカのサード、チャップマンが何事か大声を上げて、走っている中村に近づいたのである。私は、てっきり、「お前、大した奴だなあ! ここでホームランかよ」と、敵を褒めているのかと思ったら、まったく違う。

単に、チャップマン三塁手は、中村を“威嚇”し、大声を上げたのである。さすがに、場内の雰囲気も悪くなり、「なんだよ!」「態度悪いぞ!」という声があちこちから飛んだ。

この大会は、多くの人の努力によって始まり、続いてきた大会だ。第1回大会では、ヒットで出た早稲田の東門明選手が次打者の内野ゴロで2塁に向かう際、アメリカのバニスター遊撃手の一塁への送球が頭部に当たって他界するという悲劇もあった。

しかし、そんな中でも親善が目的のこの大会は、グラウンドに険悪なムードが漂ったケースは記憶にない。法政の江川卓の速球をピンポン玉のようにスタンドまで持っていったアメリカの打者に、日米のパワーの違いをまざまざと見せつけられ、私が野球の勉強を大いにさせてもらったのも、この大会だった。

今日は幸いに日本が勝って優勝を飾ったが、アト味の悪さが残った。MVPには、明治の関谷亮太投手、最優秀投手賞には、亜細亜大学の山崎康晃という右の本格派の両投手が選ばれ、4年の関谷にとっては、秋のドラフトに弾みをつけた大会になった。

スポーツの世界にも、「我慢」という言葉が消え、なにか簡単に感情を曝け出してしまうシーンが最近たまに見られる。「我慢」と「寛容」という日本人の良さが確実に「消えつつある」のは、どこか寂しい。

カテゴリ: 野球

勝敗を分けた「一瞬」の判断

2013.06.16

今週は、甲府、青森、六ヶ所、呉、今治と、列島縦断で講演がつづいた。著書に絡んで太平洋戦争のことや、原発のことを講演させてもらっている。

今日はやっと帰京して、そのまま全日本大学野球選手権の決勝戦を観るために神宮球場に駆けつけた。私は、昭和50年代前半からこの大会をウォッチしている。今年は出張つづきで「観戦は無理か」とも思ったが、ぎりぎり決勝の亜細亜大学対上武大学の試合時間に間に合った。

予想通り、試合は手に汗握る熱戦となった。優勝候補の明治大学を準決勝で破った上武大学が初回に先制したが、すぐに亜細亜大学がその裏、逆転。さらに追加点を挙げて3対1リードで6回表を迎える。ここで、亜細亜に痛恨の采配ミスが出た。投手交代のミスである。

亜細亜の生田勉監督は、この回、四球、ヒットなどで1点差に詰め寄られ、なおも1死2、3塁の場面で、力投していた先発・山崎康晃をあきらめ、小柄な168センチの左腕・諏訪洸投手を起用した。相手打線に左が「2人」つづくので、まずは妥当な左腕起用だったかもしれない。

私は、諏訪投手を初めて見た。大会の公式ガイドブックを見ると、1年生である。決勝戦のこんなピンチの場面で起用されたところを見ると、生田監督の信頼は相当厚いようだ。

しかし、マウンドに上がった諏訪投手は、スパイクで盛んにマウンドを掘り、落ち着かない。投げるまでに、マウンドを気にして時間をかけて“掘る”タイプは、往々にして「コントロールに自信がない」か、あるいは「決め球を持たない」投手が多い。

諏訪投手は、後者だった。やっとマウンドを自分の気に入ったようにならしてピッチング練習を終えた彼は、ポン、ポンと2つ続けてストライクをとった。変化球とストレートだったように思うが、出てきていきなり2ストライクをとるところは、並の1年生ではない。「度胸はある」ように見えた。

しかし、小柄だけにスピードは今ひとつである。それだけに打者に「じっくり見極められる」と、きついタイプだ。ここで彼の致命的な欠陥が出た。「決め球」がないのである。

そのため、バッターは2ストライクをとられていても、次の“誘いのボール”に手を出さない。結局、打ち取れないままフルカウントになった。そして、そこから2球ファウルされると、8球目を打者の腰に当てて「デットボール」にしてしまったのである。

私は、「ああ、決め球のないピッチャーはつらい」と思った。1死満塁である。ここで、上武ベンチが動いた。上武の谷口英規監督は、代打に右の清水和馬(4年)を告げた。この時点で諏訪投手の続投は「ない」と私には思えた。

左打者に代えて右の清水である。決め球がないため、有利なはずの左打者ですら打ち取れなかった諏訪投手に、さらに「右の代打」を抑え込めというのは酷だ。しかも、1年生投手である。確率的に見れば、打ち取れる可能性は決して高いとは言えないだろう。

しかし、生田監督は「続投」を命じた。諏訪投手の球威では、右バッターの“内側”を突くのは難しいだろうな、と思いながら見ていたら、やはり亜細亜バッテリーは「外」勝負である。

こうなると、相手打者の“打ち急ぎ”もしくは“打ち損じ”が頼りという「他人任せ」になる。しかし、先の打者の対応を見て、「落ちついて球を見極めればいい」と、清水は思っていたに違いない。

1-1の3球目、真ん中低めのチェンジアップ気味の球を清水が狙い澄ましたようにバットを一閃した。打球は、一直線に無人のレフトスタンド中段へ。

逆転の満塁ホームランである。歓喜の1塁側・上武応援団と、沈黙と茫然の3塁側・亜細亜応援団。6対3、大逆転である。明暗を分けた一瞬だった。

なぜ決め球を持っていない1年生投手をここで起用し、左を抑えることに失敗したにもかかわらず、続投させたのか。亜細亜のファンの多くはそう思ったに違いない。

試合後、上武の谷口監督は、「あそこは、代打は清水しかないと思っていました。4年になって、この春のシーズンに初めてヒットを打った男です。しかし、日頃(の努力)を見ていたら、こいつしかいない、こいつが駄目ならあきらめがつく、と思って起用しました」と語った。

その後、亜細亜は身長186センチのプロ注目の4年生エース、九里亜蓮(くり・あれん)が登板し、以後の上武打線を完璧に抑え込んだ。それだけに、一層、投手交代のタイミングを誤ったことに、悔いが残っただろう。

決め球のない1年生に頼った亜細亜・生田監督と、日頃の努力から4年生のこいつしかいない、と考えた上武の谷口監督――二人の監督の采配の差が、完全に「明暗を分けた」のである。

上武の谷口監督は、高校時代(浦和学院)は、ピッチャーで甲子園ベスト4、肩を壊して内野手転向の後も、社会人として都市対抗優勝と首位打者獲得、さらには「橋戸賞」を受賞するなど、知る人ぞ知る名プレーヤーだった。

アマチュア球界では、選手としても監督としても、「勝負のアヤを知る」数少ない人材と言えるだろう。その監督の期待に応えて、今大会で準々決勝を除く4試合を完投した上武の左腕エース・横田哲投手は見事だったというほかない。決してスピードはないが、要所で必ず投げ込んでくるチェンジアップは、「わかっていても打てない」ものだった。

圧巻は、9回裏、亜細亜の代打の切り札、池知佑也をクイック投法で三振にとった場面だろう。チェンジアップ、カーブ、スライダーなど、さまざまな球種で幻惑を続けてきた横田投手は、最終回に代打で出てきた池知を追い込むと、ゆっくりとしたモーションで投球に入り、そこからいきなりクイック投法で内角を突き、三振に仕留めたのだ。

驚きの表情で三振に倒れた池知の表情が、なにより横田の凄さを物語っていた。そのあと横田は、一塁塁審のミスジャッジをきっかけに2点を失って「1点差」とされたものの、最後は鬼の形相で、亜細亜の主将・嶺井博希をライトフライに打ち取り、6対5で初優勝を遂げたのである。

私は歓喜を爆発させる上武大学の選手たちを見ながら、昨秋の明治神宮大会を思い出した。昨秋、桐蔭横浜大学の小野和博投手が、やはり東都大学の覇者・亜細亜、そして東京六大学の法政を両方なで斬りして初優勝を果たしている。

今回の全日本選手権では、上武の横田投手がまた両リーグの覇者を「ねじ伏せた」わけである。桐蔭横浜大学の方は今大会、準々決勝で亜細亜大学と戦い、延長10回タイブレークの末に敗れたものの、力量的には東都と“互角以上”の闘いを昨秋の明治神宮大会につづいて見せてくれた。

地方リーグから勝ち上がってきたチームが、六大学と東都の覇者を打ち破るシーンは、野球の醍醐味を改めて感じさせてくれる。力量や素質がたとえ劣っていても、野球とは、努力と工夫次第で、いくらでも戦えるスポーツであることを教えてくれるからである。

試合後のインタビューで、「いろんなことを思い出して……OBの顔も思い出して……ほんと、嬉しいですね」と、谷口監督は涙声になった。そして、万感を込めて、こうつけ加えた。「今日は、(これから)いろんなOBと思い出話をさせてください」と。

大学野球のメッカ・神宮球場から遠く離れた地方で、こつこつと努力と精進を重ねる指導者や選手たち。それは、その努力と執念の一端を窺わせる“味のある”インタビューだった。

そのほかの地方リーグにも、上武大学や桐蔭横浜大学のようなチームがこれからも次々と現われるだろう。ますます彼らの切磋琢磨に期待したいと思う。

カテゴリ: 野球

大学野球のメッカ「神宮球場」にて

2013.05.27

昨日は、神宮球場に大詰めを迎えた東京六大学を観に行ってきた。第一試合は立教大学対東京大学、第二試合は、優勝がかかった法政大学と明治大学の大一番だった。

私の高校(土佐高校)の後輩でもある浜田一志氏が監督を務める東京大学は、このシーズンで、ついに目標の「1勝」を挙げることができなかった。ネット裏で、東大野球部のOBと一緒に観戦していた私は、この日、0対16という大敗でシーズンが終わった東大野球部に、“勝負の厳しさ”を改めて思い知らされた。

試合後、私を含め、7、8人の記者が浜田監督をベンチ裏で囲んだが、勝つために「多くの課題が見つかった」と、監督はしみじみ語っていた。46連敗でシーズンに突入した東大野球部は、当初「春1勝」を目標に掲げたが、ついに10連敗でシーズンを終えたわけである。

私も何試合か観させてもらったが、投・攻・守すべてにわたって、ほかの5校とは大きな開きがあった。技術やパワーもさることながら、浜田監督が“弱気の虫”と表現していたように、最初から気迫などの精神面でも他校に圧倒されていた。

現在、元巨人の桑田真澄氏も特別コーチとして東大野球部を指導しているだけに、秋のリーグ戦では“夏の猛練習”によって生まれ変わった姿を期待したいと思う。

さて、第2試合の法政大学と明治大学の大一番は、両チームのパワーと技術、そして気迫がぶつかり合い、凄まじい試合となった。法政は勝てば優勝、明治は、優勝するには法政に2連勝しなければならない。

先発した法政の右腕・船本、明治の左腕・山崎は、ともにプロのスカウトが注目する好投手だ。140キロ台後半のキレのあるストレートとブレーキ鋭い変化球をびしびし投げ込み、両チームの鍛えられた守備力もあって、試合は緊迫した。

法政が先制し、明治が逆転し、また法政が追いつくというシーソーゲームの末に、試合は5対5の引き分けで終わった。相譲らない大学球界最高峰の闘いを炎天下のスタンドで堪能させてもらった。

私は、事務所から徒歩で30分ほどの位置にある神宮球場に、徹夜明けのウォーキングでよく行く。野球物のノンフィクションを何冊も上梓している私は、大学野球のメッカ・神宮球場は馴染み深い場所である。

長く学生野球を見つづけている私は、言うまでもなく「東京六大学」と「東都大学」の両方をウォッチしている。一時期、レベルの点で、完全に東都に水をあけられていた六大学は、ここのところ、実力で東都を完全に「抜き返している」ことを感じる。

両リーグの投手力は互角かもしれないが、打撃力は明らかに六大学が勝(まさ)っている。今日の法明戦でもそれは表われていた。六大学の打者が腰の入った豪快なスイングをするのに比べ、東都の野球は小さくまとまり、ボールに「当てにいく」スイングをする選手が目につく。

打者としての迫力が明らかに違うのである。私は、一時期逆転されていた六大学のレベルが東都を上まわってきたのは、“斎藤効果”に起因すると思っている。

6年前、甲子園のスターから早稲田大学の投手となった斎藤佑樹投手(現・日本ハム)は、低迷していた六大学野球を救う立役者となった。当時、観客動員数も最低ラインとなっていた六大学は、斎藤投手の神宮デビューによって「息を吹き返した」のである。

それと共に、六大学を目指す高校の球児たちも増えていった。六大学人気が低空飛行だった頃は、必ずしも有力選手が六大学に集まらず、全国の大学リーグの“レベルの平準化”が進んだ。

しかし、斎藤投手の神宮デビューが東京六大学の注目度を高め、それが結果的に有力球児たちの“六大学志向”に、ふたたび火をつけたのだ。躍動する選手たちの姿が、「斎藤以前」と「以後」では明らかに違ってきており、パワーも六大学の方が東都を上まわってきているように思う。

長い間、観つづけていると、そういう微妙な変化も、なんとなくわかるような気がする。野球に限らず、スポーツの分野は私のノンフィクションの対象でもあるので、これからもウォーキングで神宮球場に通いたいものである。時間の許すかぎり、できるだけ多くの試合を観戦し、躍動する選手(アスリート)たちの姿を追いたいと思う。

カテゴリ: 野球

たとえ「力」が劣っていても野球は「勝てる」のか

2013.04.13

今日、東京六大学が開幕した。開幕戦は法政大学対東京大学だ。私は、からりと晴れ上がった神宮球場の三塁側スタンドにいた。気温摂氏十六度。やっと東京も本格的な野球シーズン突入だ。

わざわざ法政―東大戦を神宮球場に観戦に行ったのには理由がある。高校(土佐高校)の後輩でもある浜田一志さんが東大野球部の監督に就任し、その初めての試合だったからだ。

桑田真澄元投手が東大野球部の指導に来たことで、一躍、東大野球部の動向に世間の注目が集まったのは今年1月のことだ。46連敗中の東大野球部がその連敗をどこで止めるか。それが、浜田監督の手腕にかかっている。

私は今日、東大野球部のOB会長、橋本正幸氏と一緒に観戦した。途中まで1対1の伯仲した熱戦だったが、5回裏にセカンドとライトが飛球を譲り合うミスをきっかけに、一挙4点を奪われ、万事休した。

終わってみれば、1対10の完敗だった。しかし、左腕エースで2年の白砂謙介投手は、浜田監督の期待に十分、応えたと言えるだろう。浜田監督は攻撃面でも、ある時は正攻法、ある時は強気の作戦、また一転、正攻法に戻すなど、変幻自在の采配を見せた。

トップバッター、灘高校出身の西木拓己中堅手は医学部の学生だ。相当な俊足である。今日、強打を発揮した阿加多優樹左翼手をはじめ、楽しみな選手が何人もいる。

試合後、浜田監督はこう語った。「あそこで(飛球を)譲り合ったのは、弱気の虫が出たということです。(自分自身への採点については)50点ですかね。まだフラフラしていますから」。

私が「今シーズンのキーワードは“弱気の虫”ですね。これを退治できるかどうか……」と問うと、浜田監督はにっこり笑って「その通りです」と応えた。

野球とは、選手の力がたとえ劣っていても、工夫と気迫を含めた“総合力”によって強豪を倒せるものだろうか。私が注目する点は、そこにある。すなわち、全国で“普通のチーム”を率いているアマチュア野球の指導者たちに、東大野球部そして浜田監督がどんな答えを出すか、である。

それは、野球というものの面白さを表わすと共に、野球に携わる人間に大いなる勇気をもたらすものでもある。その答えを見るために、私も東大野球部の動向をしばらくウォッチしていこうと思う。

カテゴリ: 野球

やはり“魔物”は棲んでいた

2013.04.03

今日の甲子園の記者席は、浦和学院対済美の決勝戦を前に、静まり返っていた。ほとんどの記者が、メジャーリーグのレンジャース対アストロズのダルビッシュ登板の中継に釘付けになっていたのだ。

それは、浦和学院と済美の試合前のインタビューを終え、それぞれが記者席に戻ってきた頃だった。「おい、ダルビッシュが完全試合をやるかもしれないぞ」。ある記者のそんな声をきっかけに、ほとんどの記者たちがテレビやインターネット中継に目と耳を奪われたのだ。

だが、完全試合達成まで9回裏二死まで漕ぎつけながら、ダルビッシュの快挙は消えた。アストロズの9番ゴンザレスに股間を抜ける痛烈なセンター前ヒットを打たれてしまったのである。この試合、27人目の打者の初ヒット。その瞬間、苦笑いとも、なんともいえないダルビッシュの表情が画面に大写しになった。

球場はアストロズの本拠地で“敵地”だったが、ダルビッシュの快記録達成をこの目で見ようとファンは総立ちになっていた。現地でも漏れただろう溜息が、遠く離れたこの甲子園の記者席でも漏れたのである。

あとたった「一人」を抑えれば、ダルビッシュはメジャーの球史に名を刻んだ。高校時代の甲子園での勇姿を知る記者たちが衛星放送を見守る中で、ダルビッシュの大記録は無念にも「夢と消えた」のである。

私はその記者席で「歴史の因縁」を感じていた。9年前の選抜甲子園で、16歳の新2年生だったダルビッシュはベスト8に進んだ。1回戦で熊本工相手にノーヒットノーランを達成し、2回戦の大阪桐蔭も3対2で下した東北高校は、準々決勝で済美と対戦したのである。

東北対済美の一戦は、球史に残る激闘となった。ダルビッシュを先発させず、控えの真壁投手を起用した東北は、“奇策”が成功し、6対2で4点差をつけたまま9回裏を迎えた。しかし、ここで済美は、2点を挙げて2点差に詰め寄る。

だが、2死ランナーなし。万事休すと思われた済美は、そこから驚異的な粘りでヒットを連ね、最後は3番キャプテンの高橋が逆転サヨナラのスリーランホームランを放ったのである。

この時、レフトの守備位置から自分の頭上を越えていく打球を見送ったのがダルビッシュだった。その時、画面に大写しになった信じられない表情のダルビッシュの顔は今も忘れられない。まさに奇跡の逆転劇だった。勢いに乗った済美は、そのまま決勝まで進み、見事、初出場・初優勝を飾ったのである。

その時のダルビッシュを上まわる152キロの快速球投手・安楽智大を擁して、済美は9年前につづく2度目の全国制覇を目指して決勝戦に進んだ。16歳の新2年生、安楽投手は、9年前のダルビッシュを超える評価を受けている。

私は、メジャー中継の興奮が醒めやらない中で始まった今日の決勝戦で、済美の安楽投手が一気に高校野球の頂点に駆け上がるのではないか、と予想していた。だが、ここでも、怪物投手に試練が訪れたのである。

1対1の同点で迎えた5回裏、浦和学院がスクイズのサイン見落としで3塁ランナーがタッチアウト。せっかくの勝ち越しの好機を逃したかに見えた時、済美のファーストに痛恨のエラーが飛び出して1死1、3塁。ここで疲労を抱える16歳エース安楽が崩れた。

次打者にデッドボールを与えて満塁になると、そこから一挙に浦和学院の中軸に5長短打を浴びたのである。それは、つるべ打ちという表現しか浮かばないほどの猛打だった。

この回、安楽が失ったのは実に7点。勝負は決した。次の6回で降板した安楽投手が甲子園で投げた球数は、5試合で772球。その熱投は、ついに実らなかったのである。

試合前、初の3連投にもかかわらず、安楽投手は下半身に少し張りを感じるだけで、「肩は軽く、体調はいい」と報道陣に答えていた。だが、知らず知らずの内に疲労で身体全体からキレが失われていたのではないかと思う。

「一点」「一打」を凌ごうとする重圧は、メジャーでも甲子園でも同じだ。ダルビッシュの快記録が潰えた直後に見た怪物・安楽投手の惨敗。済美の後続のピッチャーは、浦和学院打線にその後も捕まり、終わってみれば浦和学院が17対1という大差で初優勝を遂げた。

試合後の済美・上甲監督のインタビューは、いつも通り、味があった。6回に安楽投手を続投させたのは、7点を奪われたままで降板させるのではなく、安楽投手のプライドと将来を見据えての続投だったことを明かした。

そして、昨日の高知高校との死闘で最終回にケガを負ったセンターの上田恭裕選手が今日の試合に出場できるかどうかが今朝までわからず、迷いが生じたままの先発メンバー決定だったことも、インタビューの最後に吐露した。

勝負師として知られる上甲監督にしても、それは、悔やまれてならない試合だったのである。「一点」そして「一打」を凌ごうとする重圧は、いくら修羅場を踏もうと変わらない。そこに勝負の面白さと醍醐味がある。

ダルビッシュと安楽という「年齢」も「実績」も「舞台」も違う二人の怪物投手の姿を見ながら、今日一日、私は勝負の世界の“残酷さ”を改めて思い知らされた気がする。

やはりグラウンドには“魔物”が棲んでいる。日米の大舞台で奮闘する選手たちの姿を見て、私はそんなことを考えていた。

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次々と現れる“ヒーロー”をどう守るか

2013.04.01

今日から新年度がスタートした。私はこの「2013年度」の始まりを大阪で迎えた。大阪の街のあちこちに“初出勤”らしいフレッシュ・マン、フレッシュ・ウーマンたちの姿が朝から数多く見られた。

春の選抜甲子園も準々決勝を終え、いよいよ残り「2日」となった。今日、私は準々決勝2試合を甲子園で観戦した。昨日、春、夏、春の3季連続優勝を目指した大阪桐蔭が県岐阜商に4対5で敗れ、「史上初」の快挙は準々決勝で潰(つい)えた。

昨年の春夏連覇で大活躍した今大会ナンバー・ワン・スラッガー、森(友)主将が前日の練習中のケガで出場できず、大会前に骨折した4番の近田(きんでん)選手と共にグラウンドに立つことができなかった。

さすがの王者・大阪桐蔭も“飛車角落ち”では、県岐商の左腕・藤田投手を打ち崩せず、ベスト8で涙を呑んだ。9回裏二死から同点ランナーが本塁に突っ込み、キャッチャーと激突して落球を誘ったが、残念ながら守備妨害と判定されて「1点差」で敗れたのである。

私はその光景を見ながら、夏、春、夏の3季連続優勝を目前にしながらベスト4で敗れ去った30年前(昭和58年)の夏の池田高校の姿を思い出した。

前年夏には、剛腕・畠山を擁して猛打池田は圧倒的な力で全国制覇を果たした。春は卒業した畠山に代わって水野(のち巨人)がマウンドを守って優勝。そのまま3季連続優勝を目指して夏の甲子園でベスト4まで進んだ。

だが、池田は、ここで桑田・清原という1年生コンビのPL学園に0対7という“まさかの大敗”を喫した。PLは準々決勝で高知商業に10対9と辛勝したものの、1年生の桑田がノックアウトされ、池田との対戦は、圧倒的に池田有利という下馬評だった。

だが、フタを開けてみれば、前日KOされた1年生投手桑田が快刀乱麻のピッチングを見せて猛打の池田を完封してしまったのだ。

高校野球は何が起こるかわからない。延々と高校野球を見つづけ、本も何冊か書かせてもらっている私にとっても、甲子園の筋書きのないドラマは、いつも新たな感動を呼び起こしてくれる。

今日の第一試合、仙台育英対高知も、目が離せない死闘となった。仙台育英は、昨秋の明治神宮大会を制覇した今大会最大の優勝候補だ。4番に座る上林は、プロ注目のバッターである。

一方の高知高校は春と夏にそれぞれ優勝経験がある名門ながら、昨今はかつての強豪ぶりが影を潜め、地元高知でも明徳義塾の後塵を拝することが多くなっていた。

だが今大会、関西高校、常葉菊川という強豪相手に粘りの野球を見せた高知は、今日も優勝候補仙台育英を相手に際どい勝負に持ち込んだ。

4回表、短長打で掴んだ1死2,3塁のチャンスに相手バッテリーのワイルドピッチと、サード内野安打で2点をもぎとると、酒井―坂本という2年生から3年生への投手リレーで、再三ピンチを迎えながら、仙台育英打線についに1点も許さなかったのである。

強打の仙台育英が完封される姿を見て、猛打の池田でさえ1年生投手桑田に封じ込まれたあの30年前の衝撃を思い出した。

第2試合の済美と県岐阜商との戦いも熾烈なものとなった。大会ナンバ-・ワンの150キロ投手・安楽を擁する済美が、1点差で追い詰められた8回裏、ヒット、四球で攻め立て、押し出しなどもあって一挙4点を挙げて大逆転。6対3で県岐商を破った。

試合後のインタビューで、記者から安楽投手がアメリカ球界からも注目されていることが質問された。2試合で、実に391球を投げた驚異のスタミナを誇る安楽投手が、16歳で152キロという速球を投げていることがアメリカでも紹介されているのである。

しかし、そのアメリカの報道には、わずか16歳の少年に「これほどの球数を投げさせていいのか」という批判が含まれていたことも記者は質問した。

安楽投手は、その質問にこう答えた。「普段から、そのくらいの投げ込みはしています。エースなので、それだけ信頼されているということだと思います。9年前(の優勝の時)も福井さん(現広島カープの福井優也投手)が一人で投げたと聞いています。明日の高知高校はしぶとい打線ですが、終盤勝負になると思うので、明日も頑張ります」

それは、とても16歳とは思えない落ち着き払った受け答えだった。9回に151キロを出した身長187センチ、体重85キロの安楽投手は、今日から新2年生だ。

この投手がどこまで伸びるのか、私には想像もつかない。それだけに、なんとかケガなく大会を終えて欲しいと思う。次から次へと現れるヒーローたち――昨年の甲子園を湧かせた藤浪晋太郎(阪神)、大谷翔平(日ハム)らヒーローたちは、早くもプロの世界で活躍を始めている。

素質ある若者には、大いなる未来に向かって是非、羽ばたいて欲しいと思う。監督、指導者には、選手に決して無理をさせることなく、野球人としての「長い人生」を見据えて指揮を執って欲しいと心から願う。

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侍ジャパンはなぜ敗れたのか

2013.03.19

大きな課題を残したWBCだった。結果的に大会前から懸念されていたことは、すべて露呈された形となった。それでも、選手たちの頑張りによって準決勝まで進んだのだから、ある意味、結果には満足すべきなのかもしれない。

たしかに選手の力量は、参加国の中でも「さすが」というレベルだった。そのことは、日本中のファンにも伝わったと思う。

だが、山本監督の采配を含めた「総合力」となると、残念ながら侍ジャパンは準決勝で敗退するのが「当然」のチームだったと思う。作戦、用兵、特にピッチャーの起用法など、あまりにもレベルが低すぎた。

対プエルトリコ戦で最大のチャンスになった8回裏の1死1・2塁での「行けたら行っていいぞ」というダブルスチールのサインが結局、1塁ランナーの内川だけがスタートしてアウトになるという最悪の結果を招いたのは周知の通りだ。

だが、メジャーでも盗塁阻止率4割7分3厘を誇る屈指の強肩捕手モリーナがいるプエルトリコに、しかも主砲の4番・阿部が左打席に立っている時、とるべき作戦だったのかどうかは、もはや答えは明らかだ。要は、そのレベルの采配しかとれないベンチだったということである。

しかし、私は敗北を決定づけたのは、むしろ投手起用の方にあったと思う。審判の異常ともいえる辛いジャッジに苦戦しながら巧投した先発・前田健はさすがだった。

だが、0対1で「これから勝負」という時に、二番手として能見を持ってきたベンチに私は正直、驚いた。「ここでなぜ能見なのか」「ラテン系はこのタイプの左ピッチャーに特に強い」「これはまずい。一発を浴びる」。私だけでなく能見が出てきた時にそう思った野球ファンは多いだろう。

こういう時に、制球に不安のある左投手を持ってくるのは禁物だ。今回の日本チームで言えば、この局面で出してはいけないのは、能見、内海、大隣といった「ボールに勢いはあっても、制球に苦労するタイプ」の左の本格派だ。

それは、長い間、日本が数多くの国際試合で手痛い打撃を受けて学んできたことでもある。もし、左を出したかったら、低めにコントロールできる力がある杉内である。

だが、山本監督は「能見」を選択し、案の定、能見は、試合を決定づける「2点本塁打」を浴びた。それは、打たれるのが必然だったともいうべきホームランだった。

スタンドにホームランボールが飛び込んでいった時、私は「やはり、この采配では勝てない」と、改めて感じた。侍ジャパンの投手コーチは、NHKの野球解説をしていた与田(剛)氏である。

こういうトーナメントの国際試合で、ブルペンで投げている球の“勢い”だけを見て投手起用を考えてはいけない。それは絶対的な鉄則でもある。しかし、コーチに力量がなければ、「どの投手なら“この相手”を抑えられるか」ということがわからない。

重要なのはあくまで“この相手”である。それぞれの国に独自の野球があり、凄さと共に欠点も持っている。“この相手”に通用する球筋と、通用しない球筋がある。そこを見極める投手コーチがいるかいないか、で勝敗は決まる。

これまでもさまざまなミスを犯してきた侍ジャパンのベンチだったが、この能見起用がすべてを物語っている。つまり、与田投手コーチを含め、とてもWBCを勝ち抜けるだけのスタッフではなかったのだ。結果論ではなく、ベンチ力を含めた総合力を考えると、WBC3連覇は、やはり無理だったのである。

次の大会へ明らかになった課題も多い。戦力という点では、日本がメジャ-リーガーを決勝ラウンドだけでも、「参加させること」ができるかどうかが鍵になる。

なぜメジャーリーガーが出ることができないのか。理由は明快だ。メジャーの各球団とは無関係なWBCには、「危険」がつきまとっている。各国が激しい闘志をぶつけあう国際試合だけに、不測の事態は常に考えておかなければならない。

つまり、「所属球団と関係なく」「勝手に出場して」「ケガでシーズンを棒に振ったら」、そのメジャーリーガーが受ける打撃は測り知れない。ダウンする年棒の額も半端ではないだろう。

活躍している“アメリカ以外のメジャーリーガー”は、そういうリスクをおかして「祖国」のためにWBCに参加しているのである。

祖国に報いるためにラテン系の選手は必死だが、時差がきつい東洋まで出向いて過酷な試合をいくつもおこない、ケガでもしたら目も当てられないのである。

そのリスクを考え、日本人メジャーリーガーたちは、今回のWBC参加を回避した。無理からぬことだと思う。しかし、次回からは是非、アメリカの「決勝ラウンド」だけでいいから出て欲しいと思う。

そういう条件で、出場を促して欲しいと思う。以前のブログにも書いたが、今回の侍ジャパンは、巨人とソフトバンクに偏っていた。巨人の選手は7名、ソフトバンクが6名で、メンバーのほぼ半分が両チームの選手だ。これは、1次、2次ラウンドの会場がそれぞれ福岡(ヤフオクドーム)と東京(東京ドーム)だったため、観客対策もあって選ばれたものだ。

つまり、そのままで決勝ラウンドの世界屈指のチームと戦う必要など、どこにもないのである。好不調の波は誰にでもあり、アメリカに行っても「出してもらえない」選手は少なくない。そこをメジャーリーガーたちに“補強”してもらうのである。

ダルビッシュを例に考えれば、わかりやすい。メジャー屈指の本格派・ダルビッシュが決勝戦に登板してくれれば、まさに世界一を決める試合に相応しいものとなるだろう。

さまざまなしがらみを断ち切って、「勝つために」そういう戦略をとるべきなのである。すでにドミニカなども、決勝ラウンドには、それまで参加していなかったメジャーリーガーを招聘している。

日本でも、補強が許されている都市対抗野球に単独チームのまま出場して勝ち上がるのが難しいのと同じだ。課題の監督の選び方も、力量を見極めて万全の体制をとるべきだろう。それを日本野球機構(NPB)がやり遂げなければならない。

ファンの熱狂と、敗れた時の失望を目のあたりにした今、NPBが次のWBCで、これをきちんとやることができるかどうか。

日本で言えば、鹿児島県ぐらいの広さしかないプエルトリコは、人口もわずか370万人ほどに過ぎない。この小さな国に、日本が「国技」とも言うべき野球で敗れた意味は、決して小さくない。

今回、明らかになった問題点をどう克服し、ふたたび世界一の座につけるかどうか。NPBが真の意味で“イニシアティブ”をとり、日の丸を4年後、是非、野球の聖地アメリカのセンターポールに掲げて欲しいと思う。

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苦戦を呼び込んだ「侍ジャパン」の山本采配

2013.03.08

WBC2次ラウンドで、侍ジャパンは台湾に延長の末、4対3で辛勝した。終盤に見せた侍ジャパンの粘りは見事というほかない。

特に9回二死2対3という追い詰められた場面で執念の同点タイムリーを放った井端は見事だった。しかし、山本監督の采配には首を傾げざるを得ないシーンが度々あった。

最も大きかったのは、3回裏である。それは、ベンチの“レベル”を余すところなく教えてくれるものだった。ストライクの入らない先発・能見を「見極めることができない」という致命的なレベルである。

この回、ヒット、四球、死球で満塁とされた能見が、“まぐれ”でしかストライクが入らない最悪の状態に「陥っている」ことはテレビ画面からも伝わってきた。だが、そのことが山本監督や東尾投手総合コーチには「わからない」のである。

幸いに台湾の4番・林智勝がノー・ツーから強振してくれて一邪飛。ここで打ちに出てくれなければ、この回、日本は大量失点していただろう。

しかし、なおもストライクが入らない能見は、次の5番・周思斉に四球を与えて押し出しの1点を献上した。ナショナルゲームではなかなか見ることができない押し出しという恥ずかしい「1点」だった。

「ストライクが入らないのに、交代しない」というのは、ピッチャーのせいではない。野球では、そういう状態になることが珍しいことではないからだ。特に緊張状態が異常に高まる国際試合ではよく見られる。

だが、その状態を見極められないベンチの力不足が試合を極めて「苦しい」ものにしたのである。貧打の侍ジャパンに台湾の先発・王建民から「1点」を取るのは荷が重かったが、それにしても山本監督の采配には疑問符が残った。

しかし、台湾も8回表に致命的な采配ミスを犯した。井端、内川の渋いヒットがつづいた無死1、3塁で、台湾ベンチがメジャーでも活躍した快速球左腕の郭泓志を交代させたのである。

郭は台湾で「4人目」のメジャーリーガーだ。最速158キロの速球とスライダーを駆使してロサンジェルス・ドジャースで活躍した。侍ジャパンは4番阿部、5番糸井という左打者がつづく場面だっただけに、こちらも首を傾げる采配だった。

案の定、代わった右ピッチャーの王鏡銘から阿部がタイムリーを放ち、坂本もショートの内野安打でこの回2点を挙げ、同点となった。しかし、その裏、好投をつづけたリリーフの田中将大が台湾打線につかまり、再びリードを許す。前述の通り、そこで井端の執念のヒットが出なければ、日本は敗れ去っていたのである。

延長10回の末、4対3で台湾を破ったものの、最後の牧田から杉内への投手リレーと言い、侍ジャパンの采配レベルについては、首を傾げることの連続だった。

緊迫の国際ゲームでは、ベンチの采配は決定的な意味を持つ。1点を凌ぎ、1点を奪い取る真剣勝負を勝ち抜く“采配力”は、少なくとも侍ジャパンにはない。今後の試合でまず改めなければならないのは、山本監督の采配にほかならない。

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強豪相手に弱点を露呈した「侍ジャパン」

2013.03.06

何から何まで「?」がつく采配だった。WBC1次リーグのキューバ戦で、侍ジャパンは、懸念されていた欠点をすべて露呈した。

力の差があるブラジルに終盤でやっと逆転して5対3、さらに実力差がある中国にも5対2という“ロースコア”で勝った日本は、今日、1次リーグ最終戦で強豪キューバに3対6と完敗した。

真価が問われるキューバ戦で、日本は“すべての欠点”を曝(さら)け出したのである。しかも、完敗した相手のキューバも、いつも以上に強かったわけではない。

前回のWBCで、「ボールの行き先はボールに聞いてくれ」と言わんばかりの制球難と160キロのスピードで各国を震え上がらせた左腕・チャップマンのような怪物ピッチャーもいない。

日本のプロ野球に来ても、果たして1軍で先発ローテーションに入れるピッチャーがいるだろうかというレベルである。そのキューバに日本は「完敗した」のである。

8回まで赤子の手をひねるがごとく翻弄された日本の打撃陣は重傷だ。期待されていた松井(稼)は、年齢から来る動体視力の衰えが顕著だった。もう低めの球を「見極める」こともできず、惨めな空振りを繰り返し、試合途中で引っ込められた。

私は、6日前のブログでも書いた通り、稲葉と松井というベテランに期待していた。だが、二人にいいところで快音は聞こえなかった。

メンバーを見ても、“おかわり君”こと中村剛也(西武)や和田一浩(中日)、畠山和洋(ヤクルト)、村田修一(巨人)などの右の強打者がそもそもメンバー入りしておらず、キューバとのパワーの差は歴然としていた。

投手陣も「なぜ大隣が先発なのか」と首を傾げさせた。強豪キューバなら、沢村か杉内、あるいは前田健太かと思ったが、中国戦になぜか前田を先発させたり、沢村も投げさせるなど、今日の先発起用の選択肢を自ら「狭く」してしまったのである。

この打線で、本戦でのアメリカのメジャーのエースをどう攻略するのだろうか。今日は打線の核である内川が欠場していたため、打線につながりが一気になくなってしまった。最終回に相手投手の乱れに乗じて3点を奪うのがやっとだったのだ。

0対3となって試合を諦めたのか、山本監督は、8回に今村猛(広島)をマウンドに送った。実力、経験、球のキレ……どれをとっても、まだ日の丸を背負うレベルとは言えない若手ピッチャーだ。

案の定、たちまちキューバ打線につかまり、3点を献上した。結果論から言えば、この「3点」が今日の試合の命とりになった。すなわち山本監督の「采配」そのものが敗れたのである。

“台中の惨事”として1次リーグ敗退が決まった前回準優勝の韓国。日本も、この実力と采配では、2次リーグ敗退の可能性がかなりある。

2次リーグに進出したキューバ、台湾、オランダの4チームの中で、日本がダントツの貧打であることは間違いない。この打線では、対戦が決まった台湾のエース・王建民を攻略することは難しいだろう。

王建民は、ヤンキースで大活躍した台湾の英雄である。ケガでヤンキースを離れたが、得意の高速シンカーを駆使した老獪なピッチングはまさしく“メジャー級”だ。今日、キューバに敗れて、オランダ相手ではなく、この王建民との対決となったのなら、日本にとっては極めて痛い。

打力のポテンシャルが歴代チームの中で最も低く、采配にも「?」が数多くつく今回の侍ジャパン。ケガによる選手交代は可能だけに、メンバー交代へ勇断を振るわなければ、「日本3連覇」の夢は、2次リーグで消えるだろう。

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大丈夫か WBC「侍ジャパン」

2013.02.28

本日、3連覇を目指すWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)に出場する侍ジャパンの最終壮行試合(対巨人)が福岡のヤフオクドームでおこなわれた。

だが、相変わらず力不足を露呈し、貧打の克服はならなかった。とにかくチーム全体が“小粒”なのである。今日の最終戦は4番の阿部(慎)をケガで欠き、代わりに糸井が4番に座った。1番・坂本、2番・角中、3番・内川、4番・糸井、5番・長野、6番・鳥谷、7番・中田(翔)、8番・相川、9番・松田という布陣だ。

正直、これが全日本なのか、という感想を持つ人は少なくないだろう。巨人の若手投手陣を相手に、終わってみれば12安打6点を挙げたものの(6対1)、際立った長距離ヒッターがいないことを改めて思い知らされる。

かつての王、田淵、山本浩二、張本、掛布、落合……ら、球史に残る強打者に「肩を並べる選手」が一人もいない。イチローなどの名選手の衰えで、一気に「格」の面でも、「パワー」の面でも、“小さく”なってしまったのである。

この侍ジャパンの小粒の布陣は、メンバー選出が巨人「7人」、ソフトバンク「6人」と突出し、この2チームに偏ってしまっていることも原因だろう。今日の先発投手となったソフトバンクの大隣も、キレもスピードもなく、とても「世界で通用する球」には見えなかった。

球界の盟主である巨人とソフトバンクを重んじるのはわかるが、偏った選手編成では、上位の戦いで大きな足枷となるだろう。投手陣も本調子ではないだけに、ダルビッシュなき“エース不在”の台所事情では、強豪相手にどこまで通用するのか、心許ない。

今日、気を吐いたのは、1番・坂本と3番・内川だった。今回の侍ジャパンの中で、最も信頼を集める打線の中核・内川は、「どこでも打てる広角打法」が相変わらず好調で、本番での獅子奮迅の活躍が期待される。

また、坂本は、得意の“決め打ち”の強さを見せつけた。特に6回表、1死満塁で打席に立った坂本は、前の打者がデッドボールで出塁した直後、セオリー通り、「初球」を見逃さず、痛烈なタイムリーヒットを放った。

今回、侍ジャパンには、戦略コーチとして野村ID野球の申し子、橋上秀樹コーチが入っており、そのあたりの狙いに「抜け目」はなく、頼もしい。

私は、山本監督が期待している角中と糸井が全日本の2番、4番では、荷が重いと感じる。国際舞台で日の丸を背負ったプレッシャーの中で活躍するには、プラスアルファの“何か”が必要だ。短期決戦のナショナルゲームでは、なにより選手としての「格」が幅を利かすのである。

私はその意味で、今日のスターティング・メンバーには名を連ねなかったものの、今後、稲葉、松井(稼)などのベテランが「どこまで調子を上げてくるか」が鍵になる気がする。

私は、今回の重要な試合は、第一ラウンドのキューバ戦だと思っている。徹底的に日本を研究し尽くしたキューバが、この本番では怖い。新戦力を大量に投入してきただけに要警戒だ。第一ラウンドでキューバ戦を落とせば、苦手の韓国戦が危うくなる。

それでも、イギリスの大手ブックメーカーの優勝オッズ(倍率)では、日本が3・25倍で1位、2位はアメリカで4・0倍、次いでドミニカ共和国(4・5倍)、ベネズエラ(10倍)、韓国(13倍)の順だそうだ。

絶対的な抑えを決めず、ついに「勝利への型」をつくらないまま本番に突入する侍ジャパン。不安は小さくない。それでも、侍ジャパンは、野球の本場アメリカより優勝最右翼となった。

多くの野球ファン、そして何より「アメリカに追いつけ追い越せ」を合言葉に日本の野球を押し上げてきた先人たちの努力に報いるためにも、侍ジャパンの気迫のプレー、そして悲願の「3連覇」に期待したい。

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野球界プロ・アマ“雪解け”が示唆するもの

2013.01.19

元プロ野球の選手が学生野球の指導者になるための規定などを話し合う「学生野球資格に関する協議会」が17日開かれ、プロとアマがそれぞれ設ける研修を経て承認されれば、指揮を執ることができる案がアマ側から示された。

高校野球で教師などの「2年在職」が条件だった野球部監督へのハードルが一気に下げられるわけで、野球界への朗報となった。

私は、NHK土曜ドラマ「フルスイング」のもとになった『甲子園への遺言』(講談社文庫)で、プロ野球コーチから高校野球の監督になるべく高校教師への道を選び、「2年在職」の間に膵臓がんで世を去った高畠導宏さんの生涯を描かせてもらっただけに、感慨はひとしおだ。

高畠さんは、「教師2年在職」という条件のために、ついに高校野球の監督になるという夢を実現することができなかった。今回の改革が現実となれば、いま東大野球部のコーチにも乗り出している桑田真澄氏や、メジャーを引退したばかりの松井秀喜氏ら、かつての甲子園のスターたちにも「高校野球監督」の道が開かれることになる。

プロ・アマ交流の断絶のきっかけとなったのは、1961年に勃発した「柳川事件」だ。それまでのプロ・アマ協定をプロ側が破棄し、中日ドラゴンズが日本生命の柳川福三外野手を引き抜いたことから始まった。その断絶から実に50年余を経て、ついにこの事態を脱するわけである。

しかし、この事件を克服するために、これほどの年月を要したことに対して、改めて溜息が出てくる。指導を受けたい「選手たちのため」ではなく、大人たちの「面子(めんつ)のため」に、長くさまざまな可能性が摘まれてきたことが私には残念でならない。

なにより喜んでいるのが、高校野球の監督就任直前に世を去った“プロ野球伝説の打撃コーチ”高畠さんだろう。きっと泉下でこの朗報に破顔一笑しているに違いない。

今回の案では、まず、プロ側が研修の場を設置し、この研修を修了した者が、続いて学生野球側が設ける研修を受講し、その後、学生野球協会への申請を経て「資格が認められる」というものである。

すでに大学や社会人では元プロ野球選手の指導が緩和されつつある。しかし、異常なまでにプロ排斥意識が強かった高校野球界にとっては、大きな変革となる。

さっそくプロ側は、「今年のオフには実現できるというスピード感を持ってやりたい」と歓迎しており、あっという間に長年の野球界の障壁が“消えていく”ことになるだろう。

私は、これもWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)効果のひとつではないか、と思っている。日本の野球選手が日の丸を背負って世界と戦う中、最高の技術を持った人々の指導を日本のアマ球界が拒否していることの愚かさを、多くの関係者が感じていたことは間違いない。

さまざまなものを吸収できる最も大切な時期を迎えた高校球児が、その指導を受けられないという弊害は測り知れないものだった。野球関係者がそれを打破するために走り出したのは、やはり日本を背負って戦う選手たちの勇姿をWBCを通じて多くの人たちが目の当たりにしたからではないか、と思う。

球児のために何が最も必要で、それが野球界全体、ひいては国そのものの「力」を引き上げることに繋がることを、広い視野で見てみた結果ではなかったかと思う。

安倍政権の重要政策のひとつである「規制緩和」も、是非、掛け声倒れに終わらないようして欲しいものである。成長や発展を阻害する障壁や規制が、日本にはあまりに多すぎる。頑迷固陋の象徴ともいうべきだったアマ球界さえ、今回、「球児のため」に大きな一歩を踏み出したのである。

日本という国が純粋に新たな成長時代を迎えるために、さまざまなジャンルで意識改革が必要だと思う。検討と同時に、「すぐ実行」というぐらいの精神で、各分野のリーダーたちには、大改革をお願いしたい。

カテゴリ: 野球

不動心「松井秀喜」引退に思う

2012.12.28

松井秀喜選手(38)が引退表明した。通算20年の現役生活に本日、ピリオドを打ったのである。ニュース映像を見ながら、さまざまな思いがこみ上げた。

どんな名選手であろうと、必ず迎える「その時」を、松井はニューヨークで迎えた。巨人、ヤンキースなど、5球団で20年。怪物もついに「バットを置く」のである。

私は、今年7月26日のブログで、「松井よ、日本に帰って来い」と書いた。かつて選手生活の晩年を巨人で過ごしたメジャーの名選手レジー・スミスを例にとり、松井選手に「日本球界復帰を」と願うファンの気持ちを代弁させてもらったのだ。

しかし、ファンの声も虚しく松井は引退の道を選んだ。それもまた、松井らしい。今日の会見で私が最も心を揺さぶられたのは、自分は「命がけでプレー」をしたというくだりだった。

そう、松井は「命がけ」でプレーした野球選手だった。松井は、1992年夏の甲子園で明徳義塾の河野和洋投手に5敬遠されて悲劇のヒーローとなり、そのままスターへの道を歩んだ。

この5敬遠の物語は、拙著『あの一瞬 アスリートはなぜ奇跡を起こすのか』(新潮社)に書かせてもらった。あれから20年経った今、その松井がバットを置くのである。

彼の野球人生は、実は茨(いばら)の道だった。松井には、バッターとして致命的な「膝が硬い」という欠点があったからだ。私は、プロではそこを突かれて、松井が大成できないかもしれない、とさえ思っていた。

しかし、入団3年目に、松井はその欠点を克服していた。私は、なぜ彼が変わったのか、そのことが長い間、不思議でならなかった。彼にそのことを聞けたのは、2007年1月のことだった。

当時、週刊新潮のデスクだった私は、松井選手にそのことを問うた。彼は、これを克服した入団2年が過ぎたオフシーズンのことを語り、「それ以後、それまでの自分とは、まったく違ったものになった」と表現した。

「膝元もそうですが、身体に近いコースを徹底的に攻められました。肘(ひじ)が畳めないとか、インサイドアウトのスイングとか、そんなことだけではなく、当時の僕は、バットの軌道がワンパターンだった。これは、腕がどうというより、身体全体にかかわることです。当時、そのことを考えて寝つけなかったり、いろいろ悩みました。夜中にガバッと飛び起きて、バットスイングを繰り返し、どうすればこの欠点が克服できるのか、と考えたことを思い出します」

そして、日々の練習では、「身体に当たるようなボールを打つ練習」までおこない、「そのイメージをしたスイングをつづけた」というのである。そういう“極端な練習”を反復してやった結果、苦手だった膝元を突く球も打てるようになったというのである。

バッターは3割打てば、強打者だ。つまり7割は打ち取られる。「僕は、この7割の失敗をずっと生かそうとしてきました。失敗をどう生かすか、あるいはどう活用するかによって“次への一歩”として大きく差が出てくるものだと思います」

私がさせてもらったこの松井選手へのインタビューは、今でも彼の著書『不動心』を出版した新潮社のホームページに出ている。あの時、私には、松井が「大選手」である意味が、少しだけわかった気がした。松井は、まぎれもなく“努力”と“執念”の人だった。

一方、松井を甲子園で5敬遠した明徳義塾の河野和洋選手のことも、私は今年の5月7日付のブログに書いている。「たかが野球、されど野球 松井5敬遠から20年」というものだ。

大学で野球を教える河野君とは、今も時々、話すことがあるが、二人の人生については、折に触れて、今後も紹介する機会があるだろう。今は、「ご苦労さん、これからが本当の人生の勝負だ」という言葉を松井君にはかけてあげたい。長い間、お疲れさまでした。

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土壇場で発揮する「人間力」を見るために

2012.11.15

昨日は、明治神宮野球大会の最終日だった。高校の部の決勝戦、仙台育英(東北地区代表)対関西(中国地区代表)は、勝負の怖さを見せつける試合だった。

3塁手の1塁への送球ミスをきっかけに3回裏無死満塁となった好機に登場した仙台育英の4番・主将の上林誠知君が、ツー・ナッシングに追い込まれながら、そこから際どい球を3球、見逃した。どれも、追い込まれているなら打者としては「手が出る球」だった。

ぴくりとも動かない4番の姿を見て、私は打者として上林君の豊かな将来性を見た。そして、フルカウントから狙いすましたようにセンター右に痛烈なタイムリーヒットを放って2者を迎え入れた。

ここで試合は一気に決した。動揺した関西のエース児山祐人投手は崩れて、つるべ打ち状態となり、この回、仙台育英が一挙9点を奪った。

試合後、私が上林君に聞いてみたら、「ツーナッシングからの三つの球は、どれもボールひとつ、ふたつ、外れていました。僕は、選球眼には自信があるんです。一打席目に見逃し三振になりましたが、あれも外れていました」と、はっきりと語ってくれた。

上林君は、「僕は“変化球待ち”のストレート対応です」とも語っていた。変化球待ちのタイミングで、ストレートに対応できる打者はプロでもそういるものではない。イチローを含め、数えるほどしかいない。

上林君は、高校生の段階でそれに対応するスイング・スピードを、すでに持っているのである。前日の準決勝・北照(北海道代表)戦では、勝負を決定づける満塁本塁打を放つなど、この身長184センチ、77キロの大型スラッガーの実力はかなりのものだ。頼もしいバッターが現れたものだと思う。

大学の部の決勝戦も見応えがあった。前日、東都の雄・亜細亜大学を2対0で下した桐蔭横浜大学が、東京六大学の覇者・法政大学を1対0で下して、初優勝を飾った。

キレのあるストレートとスライダーで相手打線を封じ込む横浜DeNAの2位指名、法政・三嶋一輝投手から6回裏に167センチ64キロの小柄な2番バッター、山中雄士朗二塁手が、この試合唯一とも言える“失投”をライトスタンドに叩き込み、1対0で決着をつけたのである。

私は、勝負を決するその場面と共に、7回表に法政が二死満塁と攻め立て、カウントがノー・スリーになった場面を切り抜けた桐蔭横浜大学のエース小野和博投手の「精神力」にほとほと感心した。

追い詰められた土壇場で、小野投手は、快速球でずばり2つ続けてストライクをとった。さらに3球目も臆することなく投げ込んでライトフライに討ち取り、“絶体絶命のピンチ”を切り抜けたのである。

強心臓と言えば、その通りだが、スリー・ボールから3つ続けて素晴らしいボールを投げ込む“球際の強さ”に、野球の神髄とは「勝負強さ」と「精神力」にあることを改めて教えられた。

土壇場で発揮する精神力――それは、果たして生まれ持ったものなのか、それとも繰り返される厳しい練習で培われるものなのか。選ばれた若者たちが発揮する「人間力」を見るために、私は、また来年も野球場に「足を運ぶ」だろう。

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野球シーズンの終わりを告げる「明治神宮野球大会」

2012.11.12

今年の野球シーズンも、いよいよ終わりを迎えている。この時期、私が楽しみにしているのが明治神宮大会である。

高校では来年の選抜甲子園に出場が確実な各地区の優勝チーム10校が勢ぞろいした“プレ甲子園”であり、一方、大学では、東京六大学や東都大学リーグ、あるいは全国の大学リーグで優勝した上、地方予選を勝ち抜いた11チームが日本一を争う大会だ。

昨日の大会二日目は、ネット裏で中央大学の秋田秀幸監督や、高知高校の島田達二監督らと一緒に観戦した。今日の大会三日目も、今年のドラフト会議で指名されたピッチャーたちが続々登場するので、早々と神宮球場に行ってウォッチしてきた。

今日の圧巻は、なんといっても法政大学の三嶋一輝投手だった。横浜DeNAにドラフト2位で指名された三嶋は、三重中京大を相手に4安打、16奪三振を奪う快投を見せ、1対0で完封勝利を果たした。

初回から140キロ台後半の力強いストレートをコーナーにびしびしと決めた三嶋は、相手打線に全くつけ入るスキを与えなかった。ストレートは、なんとかバットに当てることができた三重中京大だったが、要所で投げ込んでくる三嶋のスライダー、特に縦のスライダーには、ミートすらできず、ただバットは空(くう)を切りつづけた。

さすが六大学の最多勝(4勝)、最優秀防御率(0・89)、ベストナインの3冠に輝いた好投手である。内外角によくコントロールされた150キロ近い威力あるストレートと、この切れ味抜群のスライダーは文句なくプロでも即戦力である。

横浜DeNAは、中継ぎ、抑え、どちらでも使える有望なルーキーを獲得したものである。おそらく三嶋は来季の中畑DeNAで早々に頭角を現わすに違いない。

今日は、楽天がドラフト2位で指名した三重中京大の則本昂大投手も七回途中から5番手として登板した。こちらも、150キロ台のストレートを連発し、法政打線を手玉にとった。

試合後、則本投手は、「今日は身体も軽く、調子がよかった」と言っていただけに、途中登板ではなく、先発をさせて三嶋との迫力ある投手戦を観たかったと思う。則本を温存して7回まで登板させなかった三重中京大ベンチの疑問符がつく投手起用だった。

ナイターとなった今日の最後の試合では、亜細亜大学が登場し、ソフトバンクにドラフト1位指名された東浜巨投手が、これまた福岡大学を相手に、7連続を含む14奪三振、2安打、1四球の完封勝利(1対0)を挙げた。

終わってみると、東浜は、わずか108球の省エネ投球だった。通算22試合という大学球界の完封記録を持つ東浜らしい勝利だったが、私は、東浜の迫力のなさに少々、プロでの不安を感じた。

相手打線との力の差は歴然としていたが、東浜の球には、前の試合での法政の三嶋や三重中京大の則本のような迫力がなかった。危なげない完封劇とはいえ、「プロでどこまで通用するのか」という点においては、未知数に思えた。

東浜が必死の形相で相手打者と見(まみ)える姿を観てみたいものである。本人は、試合後、「まだ自分の狙ったボールが投げられていない」と告白していたが、私は、4年間、東浜の投球を見てきたので、上のレベルに行って、さらに新しい姿を見せてくれることに期待したい。

韓国でおこなわれていたアジアシリーズでは、巨人が台湾のラミゴに6対3で勝って優勝を飾り、今年の野球シーズンもいよいよ終わりを告げようとしている。神宮のスタンドも第4試合の終わり頃は、寒い風が随分身体に堪(こた)えるようになっていた。

師走まであと3週間もない。国会にも“解散風”が吹いている。さて、2012年の残りは、どんな波瀾の季節となるのか。さまざまな分野から目が離せない。

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「我慢」「辛抱」とは無縁な民主党の人々

2012.10.31

今日は、早朝から新潟の柏崎に向かい、取材を終えて夜、帰ってきた。冷んやりした柏崎から長岡へ、そしてここで新幹線に乗り換えて東京に帰ってきたら、巨人対日本ハムの日本シリーズ第4戦の熱戦がまだ続いていた。

0対0で迎えた9回から私は試合を観たが、昨日につづき夜10時を過ぎても両チーム相譲らず、手に汗を握る展開となった。

そもそも9回の表裏の攻防で、両チームとも満塁のチャンスを逃したのだから、これは試合が「長引く」パターンに完全に入り込んでしまった。

延長戦に入って、投高打低の日本の野球界を象徴するような投手戦がつづく中、私は「誰がこの試合のヒーローになるのか」ということばかり考えていた。

なぜなら、こういう試合では、意外なヒーローが生まれるのが「通り相場」だからだ。普段は目立たない選手が、こういう檜舞台で「ヒーローになる」のが、日本の野球の歴史とも言える。

そんなことを考えていたら、案の定、延長12回、日本ハムでサヨナラヒットを打ったのは、33歳のベテランでこれまで“守備の人”として知られた飯山裕志遊撃手だった。

飯山は、巨人の抑えの切り札・西村投手から左中間にライナーのサヨナラヒットを飛ばして、4時間15分に及んだ試合に決着をつけた。だが、それも前夜の試合で、日ハムのショートのベテラン金子誠選手が膝を痛めて退き、いわばその「穴を埋める」形で出てきた選手である。

さっそくその飯山が、今度はサヨナラ勝ちのヒーローになったのだから、野球はやっぱり面白いと思う。臥薪嘗胆で、一か所にとどまって長く歯を食いしばって頑張ってきたからこそ、飯山のような選手が最後にはヒーローになれたのである。

それに比べて、日本の政界はなんとも情けない。いよいよ動乱の時代に突入した日本の政界で、いま最も流行(はや)っているのは、「離党」と「裏切り」である。「我慢をする」などというのと対極にあるものが、今の民主党には蔓延している。

民主党の熊田篤嗣(大阪1区)と水野智彦(比例南関東)二人の衆院議員などは、臨時国会の初日、輿石東幹事長から300万円の選挙資金を渡された直後に離党を宣言するという“離れ業”を演じたのである。

「泥船からは逃げの一手」というのが彼らの政治哲学なのだろうが、この党には、そうした義理も人情もまるでない輩がいくらでもいるのである。

彼らの行動を見ていると、自分の“分”を守って、愚直に生きる人たちがどれほど立派かと、私は考えてしまう。TPP参加反対の急先鋒だった松野頼久・元官房副長官が、選挙で当選の可能性があるとみるや、自分とは正反対のTPP参加賛成の政党「日本維新の会」になりふり構わず入ったことなども、その典型だろう。

生き残るためには、政策の一致などまったく無関係な節操のない議員たちが、今後どうなっていくのか、私はフォローしていこうと思う。

昨日のブログで、我慢と辛抱の「日本力」を書いた私だが、少なくとも民主党の国会議員たちがそんなこととは「無縁」な存在であることだけはわかった。

今国会でも民主党の離党者は増える一方で、すでに過半数割れは「時間の問題」となっている。過半数割れすれば、そのまま内閣不信任案の可決を意味する。

動乱の時代に突入した日本の政界を左右するのが、その民主党の“離党者たち”というのだから、実に情けない話である。ここは是非、日ハム・飯山遊撃手の爪の垢(あか)でも煎じて飲んでもらいたい、と私は思う。

カテゴリ: 政治, 野球

野球少年に「夢」を与えるピッチャー

2012.10.28

日本シリーズの第2戦、巨人・沢村と日本ハム・武田勝の投げ合いは見ごたえがあった。巨人の1対0で迎えた8回表、三者連続三振でこの回を抑えた沢村は、“ウオー”と2度、雄叫びを上げた。

中大野球部の先輩である阿部慎之助のミット目がけて初回から飛ばした沢村は、ストレートを中心に気合いで日ハム打線を封じていった。クライマックス・シリーズで中日に3連敗を喫した巨人の窮地を救ったのも、沢村だった。

あの時も、近づくのが怖いぐらいの気迫をマウンドで出していた沢村だったが、今日も野球の第一は「気迫」であることを教えてくれた。

だが、負け投手になってしまったが、私は、今日は武田勝投手のことを書いてみたい。長野に一発を浴びたものの、武田勝の今日の投球に私は唸りつづけた。

投げる球のスピードは、ほとんど110キロ台から120キロ台。スピードだけなら中学野球並みである。だが、その投球に、巨人打線のバットは面白いほど空(くう)を切った。

変則スリー・クォーター左腕で最速でも130キロ台のストレートしかない武田だが、おそらくバッターには、このストレートが150キロ台の豪速球に見えるに違いない。

武田の最大の武器は、右打者の外角低めにコントロールされたチェンジアップ、シュート、そしてスクリューボールである。これを軸に内外角のコーナーを縦横無尽に使う投球は、圧巻だった。

これは、“魔球”だと私は思った。あの球に手が届く右打者はいないし、おそらく来ることがわかっていても、バットの芯に当てることはできないだろう。

沢村が恵まれた体格と努力によってあの豪速球を獲得したピッチャーなら、武田勝は、たとえ肉体的にズバ抜けたものはなくても、「プロのエースになれる」ことを教えてくれている。

剛球を持っていなくても、たとえ肉体的に恵まれていなくても、努力次第でいくらでも大選手になれるということだ。その意味で、これほど野球少年に“夢”を与えるピッチャーはいない。

今日、日本ハムは、中田翔が初回に左手甲に死球を受け、今後の出場が懸念される。開幕2連敗は確かに痛い。だが、私は、昔から根っからのパ・リーグファンである。日本ハムの雑草軍団に「がんばれ!」とエールを送りたい。

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大詰めを迎えた2012年の野球界

2012.10.26

注目の2012年ドラフト会議は、これまでにない順当な結果となった。いつも大きな波乱があるものだが、注目のビッグ・スリー、亜細亜大学の東浜巨はソフトバンク、大阪桐蔭の藤浪晋太郎が阪神、昨年の巨人の指名を外れた菅野智之は無事に巨人へと、それぞれ意中の球団に指名された。

昨年、「巨人以外は拒否」と表明していた菅野を強行指名した日本ハムが、メジャー志望を表明している花巻東の大谷翔平を今年も強行指名した。仮に、大谷の入団を果たせなければ、日本ハムの担当者の責任は免れないだろう。

本人の意思を無視する形で信念を発揮するのはいいが、それが2年連続失敗すれば、事前の勝算をどう見ていたのか、ビジネスマンとしての資質に問われる。

私が最も期待するのは、阪神が指名した藤浪晋太郎投手だ。甲子園でも何度もインタビューさせてもらったが、私はこれほどの実力を持ったピッチャーは甲子園でもほとんど記憶にない。

甲子園で「格」が違う実力を見せつけたのが藤浪だ。ストレートの速さはもちろんだが、フォークの落差やスライダーのキレは、すでにしてプロのエース級の力を持っている。あとは、プロの打者の“読み”をどう外し、どう駆け引きをおこなうか、という投球術だけである。

早い時期に私は、藤浪が一軍のマウンドを踏んでくると予想する。江夏豊が大阪学院高校から入ったルーキーの年にリーグトップの225奪三振という獅子奮迅の働きをしたことを彷彿させるような活躍も夢ではないだろう。

少しだけ心配なのは、地元大阪の人気球団に入ったことのデメリットぐらいである。藤浪ほどの注目の選手になれば、お座敷がかかるのは当然だろう。女性ファンの“肉迫”も相当なものに違いない。そんな環境の激変で、素質を発揮できないまま、平凡な選手になってしまった例は、挙げればキリがない。

その轍を踏まないよう藤浪投手には、くれぐれも気を引き締めて欲しいと思う。ありがたい熱狂的な阪神ファンの存在が、逆に藤浪の成長を阻害する要因にならないよう祈るだけだ。

ソフトバンクに入った東浜も同様だ。東浜には、「球が軽い」という致命的な欠陥がある。プロの打者にバットに合わされれば、そのままスタンドまで運ばれる東浜のボールが、どう通用していくのか、私は注目したい。

高校時代、巨人のラブコールを蹴って亜細亜大学入りした東浜が、プロでその真価を発揮できるかどうかは、大学球界の存在意義を問うものでもある。アマチュア球界が特に固唾を呑んで「東浜がプロのエースに駆け上がれるかどうか」を注目している。

明日から日本シリーズが始まり、今年の野球シーズンもいよいよ大詰めを迎えることになる。今年も多くのドラマを見せてくれた野球界。締切で忙しく、なかなか日本シリーズに熱中できないのは残念だが、「日本一」をかけた熾烈な攻防を楽しんでみたい。

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「終着駅は“始発駅”」という戦いの系譜

2012.08.23

凄まじいピッチャーだった。夏の甲子園の決勝戦、大阪桐蔭対光星学院は、3対0で大阪桐蔭が快勝した。ピンチらしいピンチもないまま、史上7校目となる春夏連覇を成し遂げた。

両校は、春の選抜でも決勝で戦っており、春夏とも同一カードの決勝戦というのは長い甲子園の歴史でも初めてのことだった。

しかし、大阪桐蔭の197センチの剛腕、藤浪晋太郎投手は、春の決勝戦で光星学院に12安打を許したものの、この日は、まったくつけ入るスキを与えず、最速153キロのストレートを中心に、「2安打14奪三振」でシャットアウトしてしまった。

これで昨日の準決勝・対明徳義塾戦につづき2試合連続の「2安打」完封劇である。明徳、光星という強豪に対して、計「4本」しかヒットを許さない圧倒的なピッチングに、球場は、満員の観衆によるどよめきと溜息に支配された。

「光星は3番(田村)、4番(北條)の2人が中心なので、ここをきっちり抑えようと思って投げました」。試合後、藤浪君はこともなげにそう言ってのけた。

たしかに2人への150キロ台連発の快速球と落差のあるスライダー、フォークは、とても高校生が打てるような球ではなかった。

昨日の明徳戦でも感じたが、藤浪君の「1度打たれた相手」への気迫は強烈だ。藤浪君は6月、招待野球で明徳と対戦して1対4で敗れた際、明徳の3番・伊與田君と4番・岸君にストレートを痛打されている。

準決勝で藤浪君は、この2人を完全に封じ込み、今日は、光星の田村・北條という高校球界屈指の3、4番を抑え込んだ(※2人合わせて、9回表の田村君のセンター前ヒットを1本のみ)。

「こいつにだけは絶対打たせない」という執念と負けず嫌いの性格は、勝負の世界に不可欠のものだ。それを甲子園の準決勝と決勝戦で藤浪君は見せつけたのである。

ここまで藤浪君に成長を遂げさせたものは何だったのだろうか。試合後、私は藤浪君に「今までで何が一番苦しかったですか」と、聞いてみた。

「入学してから、なかなか甲子園に出られなかった時が、苦しかったです。(その時の)厳しい冬の練習がつらかったですね。でも、そのお蔭で今があります。今日は100点に近い最高のピッチングでした。特に最後の2回(※8,9回)は満足しています。日本で一番長い夏を過ごさせてもらいました。今は、両親に感謝したいです」

涼しい目元をした長身の藤浪君は、勝負の世界に生きる若者とはとても思えない穏やかな表情でそう語ってくれた。

昨日、明徳の3番・伊與田君はこう言っていた。「前に対戦した時は、スライダーがボールになっていたので、ストレートを狙っていけました。でも、今日は、どの球もどんどんストライクゾーンに来ました。前回、戦った時と比べて(藤浪君は)格段に成長していました」。

そして、今日、大会4本塁打の光星の4番・北條君もこう言った。「(藤浪君が)一番得意の真っすぐを打つと決めていました。でも、ストレートも変化球も(想像以上に)キレがよかった。前に戦った時とは、全然違いました」

北條君もまた、前回戦った時に比べて藤浪君の“進化”に舌を巻いていた。そして最後に150キロ台を連発した藤浪君のスタミナに対して、こうもつけ加えた。「(藤浪君は)最後まで速かったです。昨日も投げているのに、疲れがまるで感じられませんでした」

あの藤浪君の150キロの速球と強烈なスライダーを今後、どう攻略すればいいんだろう、と聞いてみると、北條君はこう言った。「また練習します。そして、(藤浪君との対戦の)打席に立てたら、向こうも高校の時とは実力は違っていると思いますが、その時は、自分も成長していると思います。必ず打ちたいです」

悔しさを滲ませながら、北條君はそう答えてくれた。敗れたことによって、戦いは「これから」もつづいていく。進化をやめない藤浪君と、それを「追っていく」ことを心に決めた高校球界随一のスラッガー北條君。

昨日、準決勝で大阪桐蔭に敗れた明徳義塾の馬淵監督は、「終着駅は“始発駅”ですよ」という言葉を残して甲子園を去っていった。今日、敗れた北條君たち光星学院ナインにとっても、今日の敗北が「始発駅」となることは間違いない。

戦いの連鎖は、こうして果てしなくつづく。94回となった夏の甲子園は、やがて100回を迎えるだろう。弱さばかりが強調される昨今の日本の若者だが、甲子園には、そんな弱さとは無縁の若者が今年もたくさん集(つど)っていた。

草食系どころか、肉食系の若者ばかりである。熱戦の連続に、手に汗を握りながら観戦した私は、「甲子園」のおかげで少しだけ日本の将来に安堵した。

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甲子園に残る3つの「不滅の大記録」

2012.08.21

桐光学園の松井裕樹投手(2年)の“偉大なる挑戦”が終わった。夏、春、夏の三季連続決勝進出を狙う青森の光星学院に0対3で敗れ、ベスト8で無念の涙を呑んだ。

通算奪三振68、わずか4試合36イニングで徳島商業の板東英二が持つ奪三振記録「83」にあと15個まで迫る “ミスターK”の凄まじい三振ショーが終わったのだ。

私は、甲子園での不滅の大記録は「3つ」あると思っている。1つは、この板東投手の通算奪三振記録である。多くの名だたる投手が挑戦したが、「80台」の数字には遥かに及ばず、誰も肉薄することさえ叶わなかった。

2つめの不滅の記録は、昭和6年から昭和8年までの中京商業の夏の選手権「3連覇」である。吉田正男投手を中心に中京商ナインが成し遂げたこの大記録には、実に75年を経て駒大苫小牧が王手をかけたが、田中将大君が決勝戦で早稲田実業の斎藤佑樹投手に敗れ、“夢”と消えた。

昭和6年夏、中京商業に3連覇の偉業がスタートする「最初の1勝」を献上したのが、早稲田実業の島津雅男投手(今年6月に98歳で逝去)であり、それから75年を経てこれに王手をかけた駒大苫小牧の「最後の1勝」を阻止したのが、同じ早稲田実業の斎藤佑樹君だった。

私はこの不思議な、そして運命的ともいえる因縁を軸に『甲子園の奇跡』(講談社文庫)というノンフィクションを書かせてもらった。「甲子園3連覇」という偉業は、それほど凄味のある記録だった。

3つめは、甲子園5試合全完封と準決・決勝の2試合連続ノーヒットノーランという快記録である。甲子園で1点も与えず、すべて完封するというピッチャーは、稀に登場する。だが、それに加えて準決・決勝を連続ノーヒットノーランで締めくくるという恐ろしいまでの記録は、ほかに存在しない。

それは昭和14年夏、和歌山の海草中学(現・向陽高校)の左腕・嶋清一投手によって成し遂げられた。「天魔鬼神」とまで称された嶋の剛球とドロップは、決勝まで外野に相手打者の打球が2回しか飛ばなかったほどの威力だった。嶋投手は学徒出陣して海軍に入り、昭和20年3月、海防艦に乗艦中、南シナ海で戦死した。

私は、この3つが甲子園における不滅の大記録だと思っている。そのうちの1つに、平成24年夏、桐光学園の2年生、松井裕樹君が敢然と挑戦したのである。

松井君の左腕から繰り出される快速球と落差抜群のキレのあるスライダーには、強豪校の強打者たちのバットがおもしろいように空を切った。

1試合平均の奪三振は17。凄まじいペースの松井君の“奪三振ショー”は、次の準決勝戦で、早くも「新記録樹立か」と期待させた。

しかし、光星学院の総合力は、さすがだった。0対0で迎えた8回表、今大会でも屈指のスラッガー、3番田村、4番北條が松井君を連続痛打。決定的な3点を挙げ、守っては、エース金沢君が強打の桐光学園を3安打完封で切ってとったのだ。

「不滅の大記録」は、やはり不滅だった。しかし、松井君の残した記録も素晴らしい。1試合での奪三振記録「22」を樹立し、2位タイの「19奪三振」も記録した。

4試合でとった108個のアウトのうち68個が三振。実に三振奪取率は、62・9パーセントにのぼる。決勝戦まで進出すれば、板東の「83」を塗り変えるばかりか、90台も夢ではなく、100に限りなく近づいたかもしれない。

すべては「夢」で終わったものの、松井君の力投は、間違いなく甲子園の「伝説」のひとつとなった。それだけに、クールな松井君が敗北の瞬間、泣き崩れた姿は印象的だった。

この悔しさがあれば、さらに大投手への道が待っている。奮(ふる)え、松井君。多くの野球ファンが君の剛球を見るべく、「次」の登場を待っている。

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人間の思いが「激突」「共鳴」する甲子園のドラマ

2012.08.18

今日は、ベスト8を目指す光星学院(青森)、大阪桐蔭(大阪)、明徳義塾(高知)という強豪が甲子園に続々、登場した。朝早くから私もこれらの試合を甲子園で堪能した。

第1試合では、東日本勢で史上初になる夏、春、夏の3季連続決勝進出を目指す光星学院、第2試合では、春夏連覇を目指す大阪桐蔭がいずれも「3本」の豪快なホームランを放ち、それぞれ神村学園(鹿児島)、濟々黌(熊本)に圧勝。ベスト8に名乗りを挙げた。

私には、雷雨によって2時間18分もの中断を挟んで激闘を展開した第3試合の明徳義塾と新潟明訓(新潟)の試合が興味深かった。私はこの試合で“1人の選手”に注目していたのだ。

明徳義塾の3番バッター、伊與田一起(いよた・かずき)君である。明徳義塾には、いつも小柄な選手が多いが、伊與田君は、165センチ68キロで、大柄のスラッガーがずらりと並ぶ甲子園の強豪校の中では、やはり珍しい存在だ。

高知県宿毛(すくも)市出身の伊與田君は、全国からシニアリーグの優秀な選手が集まる明徳義塾よりも高知県内のほかの有力校に進むよう周囲から勧められたが、それを振り切って明徳に進学した生粋の“明徳ファン”だ。

きっかけは、田辺-筧(かけい)のバッテリーで10年前の夏の甲子園を制覇した明徳義塾の試合を甲子園で観戦したことだそうだ。小学2年の時に明徳義塾の試合を観た伊與田君は、「僕は大きくなったら明徳で野球をやる」と心に誓い、それを実践したのである。

小柄ながら2年の時にレギュラーを掴むや、明徳のトップバッターかクリーンアップという重責を担いつづけた。「身体の大きい選手に負けてたまるか」という伊與田君の気迫は凄まじいものだった。

誰よりもバットを振り込み、誰よりも「打つための準備」を怠らない伊與田君は、明徳打線の中で最も信頼されるスラッガーとなって最後の甲子園を迎えた。

闘志と気迫、そして冷静沈着さを併せ持つ伊與田君の真価が問われる場面は、5回裏に来た。0対0で迎えたこの回、明徳は2死満塁という初めてのチャンスを掴んだ。

ここで、キャプテン2番の合田悟君が、右中間に2者を返すタイムリーヒット。均衡を破ったその直後に3番・伊與田君が登場したのである。

2死1、3塁。ここで一打が出れば決定的な追加点が入る。新潟明訓の竹石智弥投手は、伊與田君のタイミングを外すカーブで1球目ストライク、2球目、3球目はストレートが外角に外れた。

そして、さらに4球目の外角ストレート。「必ず外角に来る」。これを伊與田君は見逃さなかった。鋭く振りぬいた伊與田君の打球は、左中間をライナーで切り裂くツーベースとなった。決定的な「2点」を追加したのである。

5回裏の一挙4点。勝負は決した。その後、甲子園には、俄かに雷鳴がとどろき、2時間を超える中断となった。再開された試合は、カクテル光線のナイターの中で、そのまま4対0で明徳が新潟明訓を押し切った。

試合後のインタビュールームで、私は伊與田君に聞いてみた。「あの場面、伊與田君はどんな思いでバッターボックスに入ったの?」。私が聞くと、伊與田君はこう答えた。「ネクストバッターズサークルで“絶対に打つ!”“絶対に打てる!”と、それを心の中で念じていました」。

「ということは、相手ピッチャーの前の打者への投球を見てなかったの?」と私。「はい、見てません。ただ、心の中でずっとそれを自分自身に言い聞かせていました」。丸くて、いかにも人の良さそうな童顔の伊與田君は、そう答えてくれた。

相手投手の配球を見るのではなく、伊與田君は、一心に「打つための精神統一」をネクストバッターズサークルでおこなっていたのである。初球から叩く、という気迫を剥き出しにした伊與田君は、それでも冷静に「4球目」まで好球を待ち、そしてバットを「振り抜いた」のである。

その伊與田君のバットは、高知県大会の決勝で延長戦(※延長12回2対1で明徳のサヨナラ勝ち)の死闘となった高知高校の5番ファースト芝翼(しば・つばさ)君が、決勝戦の試合後、渡してくれたものである。

今日、その芝君は甲子園に明徳義塾の応援に来ていた。そのことに伊與田君は試合前に気がついていたそうだ。「試合前に、スタンドから、“伊與田、頑張れ!”って、声をかけてくれたんです。座っていたのは4、5列目だったと思いますが、その時はわざわざ最前列に出て来てくれて声をかけてくれたんで、気がつきました。僕も手を挙げて応えました」

伊與田君はそう言った。甲子園のグランドでこれから戦いに挑む伊與田君に声をかけた夢破れたライバル校の主軸・芝一塁手。その芝君が自身の愛用のバットを伊與田君に贈り、伊與田君はその後、そのバットを振り続けていたのだ。

普段使っている伊與田君のバットより、それは長めのバットだそうだ。しかし、「違和感はありません。打ちやすいです。これからもこれを使わせてもらいます」。きっぱりとした口調で、そう伊與田君は答えた。

そして、こうつけ加えた。「僕が活躍することが“恩返し”になるんで、頑張ります」。伊與田君の口から出たのは、高校生には珍しい「恩返し」という言葉だった。

芝君からのバットは、芝君に限らず、予選で敗れ去った選手たちすべての思いが凝縮されたものなのかもしれない。少なくとも伊與田君は、そのバットが持つ「意味」を知っている。

一人のバッター、ひとつの打席、一球一打……それぞれに、さまざまなドラマがある。そこにこめられた人間の思いが、“激突”したり、“共鳴”したりしながら、多くのエピソードが生まれていくのである。

試合後、明徳義塾の馬淵監督が言っていた。「四千何百校の中で、たった8校しか残れないところにやってきたんです。できるだけ上を目指して……あとは“やる”だけです」。頂点を目指す甲子園の戦いは、終盤を迎え、いよいよ苛烈になってきた。

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2つの「渦」が巻き始めた夏の甲子園

2012.08.17

昨日、甲子園で桐光学園対常総学院の試合を観戦した。桐光学園の2年生左腕・松井裕樹君のピッチングをこの目で見たかったからである。

松井君は、初戦の今治西戦で、22奪三振を記録し、夏の甲子園の一試合の奪三振記録(それまでの記録は19)を塗り換えた。

迫力のあるストレートと、キレのあるスライダー、縦に落ちるカーブを武器に今治打線を手玉にとった松井君のマウンド上の姿は圧巻だった。

私は、その試合を観ながら、昭和48年春の選抜甲子園を思い出していた。当時、小柄ながら絶妙のピッチングで敵打線を翻弄する矢野という好投手を擁して、四国ナンバー・ワンの力を誇っていたのが、同じ今治西である。

その今治西から実に20もの三振を奪って、これをネジ伏せた“怪物”がいた。作新学院の江川卓である。当時、野球王国だった四国一のチーム今治西から剛球で三振をとりつづけた江川の姿は、中学生だった私の脳裡に今も焼きついている。

それから39年もの年月を経た平成24年の夏、今度は同じ今治西から22もの三振を奪ってマウンドに仁王立ちする松井君の姿に、50歳を過ぎた私は、目を吸い寄せられたのである。

「これは、実際にこの目で松井君の球を見ておかなければ……」と思った私は、前日、大阪護国神社で終戦記念日の講演をさせてもらったまま関西にとどまり、甲子園の記者席でじっくりと松井君を見せてもらった。

松井君の荒削りなピッチングは、実に興味深かった。決して剛球ではない。また必ずしも低めにコントロールされているわけでもない。それでも、「ボールの行き先はボールに聞いてくれ」と言わんばかりの豪快なフォームは、それだけで威圧感があった。

常総学院が粘りを見せ、松井君は辛うじて7対5で逃げ切ったものの、終盤、薄氷を踏むピッチングの連続となった。しかし、終わってみれば、松井君はそれでも常総学院から19もの三振を奪っていたのである。

たった2試合で、41奪三振。驚異的な数字であり、まさに怪物左腕である。昭和33年夏に徳島商業の板東英二が、今も破られていない不滅の奪三振記録「83」を成し遂げて以来、この記録に本当の意味で「挑戦」できるピッチャーはこれまで現れなかった。

しかし、そのピッチャーがついに現れたのである。試合後、インタビュールームで私は松井君に聞いてみた。「松井君、“83”という数字は知っていますか?」。記者たちの質問に必死で答えていた松井君は、唐突な私の問いに、「えっ、知りません。それは何ですか?」と、逆に聞いてきた。

甲子園の大会での通算奪三振記録だ、と言っても松井君はピンと来ていなかった。長い甲子園の歴史の中で、燦然と輝くこの不滅の大記録に自分が挑戦していること自体を、松井君は「知らなかった」のである。

そこで私はさらに聞いてみた。「松井君、まだ2試合が終わったばかりだけど、君にとって甲子園はどんなところですか」。すると松井君は、こう言った。「甲子園は素晴らしいところです。投げやすいし、お客さんもたくさんいるし、すごいところだと思います」

「甲子園は投げやすい」。それは、甲子園に来てから、松井君がどんどん成長していることを実感させる言葉だった。私はさらに聞いてみた。「甲子園は、(神奈川県予選で死闘を繰り広げた)横浜スタジアムよりすごいところですか?」と。

「横浜スタジアムもお客さんが一杯で、応援してくれる人が沢山いたので、よかったです。でも、甲子園には別のすごさがあって……」

にっこり笑いながら、松井君はそう答えてくれた。身長174センチの松井君は決して投手として大柄ではない。長身の記者たちに取り囲まれたら、愛嬌のある高校生らしい表情も相俟って、まったく目立たない。

しかし、私は、まだ「少年」と言ってもいいこの若者が、甲子園の歴史に不滅の大記録を樹立する資質と精神力を併せ持っていることが、彼の「受け応え」だけでよくわかった。

その大記録の樹立には、「5試合以上」が必要だ。すなわち「決勝戦」への進出である。たった2試合で、すでに記録のほぼ「半分」に達している松井君には、強豪との対戦が予想される今後のトーナメントを勝ち抜くことがその“絶対条件”となる。

甲子園の大記録と決勝戦への道――夏の甲子園の話題を独占しそうなこの若者と、春夏連覇を目指す藤浪晋太郎君を擁する大阪桐蔭。ふたつの大きな“渦”が今年の甲子園に大きく巻き始めている。

カテゴリ: 野球

松井よ、日本に帰って来い

2012.07.26

レイズの松井秀喜が戦力外通告を受けた。膝(ひざ)にプロ野球の選手としては致命的な古傷を持つ松井が、いよいよ大リーグでの選手生命が危うくなった。大選手といえども、年齢と共に誰もが通る「道」である。

私は、「松井よ、早く日本に帰って来い」と願う一人である。松井はメジャーを去ることを恥だと思う必要はない。むしろ故郷に錦を飾る意識で“凱旋”すべきなのだ。指名打者制のあるパ・リーグで、私は松井の勇姿を是非、観てみたいと思う。

私が思い出すのは、ドジャースをはじめ各球団で活躍した大スター、レジ―・スミスが日本にやって来た時(1983年)である。今の松井と同じ38歳だったレジー・スミスが、巨人の4番になった時、「こんな大スターまで日本に来るのか」と、仰天したものである。

メジャーで300本以上のホームランを打っていたレジー・スミスは、紳士的でまじめな姿勢もあって、ファンから愛され、日本でも存在感を示した。

今の松井は、あの時のレジー・スミスと似ている。もちろん二人とも全盛時の力はない。だが、野球に対する真摯な姿勢と、メジャーで名声を獲得した実績において明らかに立場が似ている。

名門・ヤンキースの4番としてファンを魅了した松井は、日本に多くの財産を持ち帰ってくれるはずだ。日本のファンは、松井の日本復帰を心待ちにしているのである。

メジャーへの未練を断ち切って、日本球界への復帰を果たして欲しい。自らの著書のタイトルでもある「不動心」によって、松井の決断を期待したい。

さて、日本列島は猛暑に見舞われているが、いよいよロンドン五輪も始まった。昨夜(今朝)のなでしこジャパンの試合は、昨年のワールド・カップ(W杯)を彷彿させる素晴らしい戦いぶりだった。

私は、カナダを2対1で破った昨夜の試合を観て、なでしこの戦力は、W杯の時より明らかにアップしているように感じた。最大のものは、大儀見優季(旧姓・永里)の成長だ。結婚して大儀見姓となった彼女は、ピッチでの自信と技術が明らかに昨年とは異なっている。

W杯では全試合に出場したものの得点が1点しかとれず、テクニックの面で疑問符がついたが、ドイツのプロリーグでの経験が積み重なり、急速に自信とテクニック、そして存在感を増したように見えた。

この大儀見の成長が加わり、なでしこジャパンは、明らかに世界のトップ・フォーの一角を占めるようになったと思う。昨夜の戦いぶりに、メダルの期待がいやが上にも高まっている。

今回のオリンピックには、ほかにも期待される種目が目白押しだ。私にとっては、しばらく締切に追われながら夜中のスポーツ中継に時間をとられる日々が続きそうだ。

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終盤迎えた甲子園予選と「イチロー」

2012.07.24

全国で熱戦が繰り広げられている高校野球の甲子園予選。西東京では、日野高校の佐々木千隼投手や、片倉高校の金井貴之投手など、“都立のエース”の踏ん張りが目立っている。

佐々木君は、甲子園2連覇を目指す日大三高を初回の3点だけに抑えながら、奮投むなしく準々決勝で力尽きた。一方、片倉の金井投手は準々決勝も突破し、甲子園まで「あと2つ」に迫っている。いずれも140キロを超す剛球を持つ都立のエースだ。

予選も終盤に近づくと、球場やベンチには独特の空気が漂う。負けた瞬間に3年生は、高校野球の世界から去らなければならない。入学以来、必死に白球を追う生活を過ごしてきた球児たちにとって、何かが「ぽっかりと空く」のである。

その「時」を少しでも先にするために、選手たちは必死で頑張っている。だが、力及ばずそれが現実になった時、思わず涙がこぼれ落ちるのは当然だろう。

今日の東東京の準々決勝、帝京と駒大高校との激突も見応えがあった。好投をつづける駒大の竹内投手が7回表にバックスクリーン右に逆転のツーランをぶち込まれて2対1と逆転されるまで、あわや優勝候補ナンバー・ワンの帝京が姿を消すぎりぎりまで追いつめられていた。

負ければ即、終わり、というトーナメント戦が持つ独特の悲愴感が高校野球人気の根底にある。野球部であろうとなかろうと、誰もが通過する「高校時代」の思い出に必ず顔を出してくるのが、高校野球のような気がする。

今日は、マリナーズのイチローがヤンキースに電撃移籍し、そのままシアトルでヤンキースの一員として試合に出場するという驚きのニュースが伝えられた。ヤンキースの選手として初めて打席に立つ時、万感の思いで“昨日までの”ホーム球場の観衆に帽子をとって挨拶をするイチローの姿は感動的だった。

どれほど叱咤し、頑張ろうが、ついに優勝戦線に加わることができなかった弱小球団のマリナーズ。世界一の栄光を掴みたい、というイチローが選手生活の晩年を迎えて、その悲願のためにヤンキース移籍を決意したことに、私は拍手を送りたい。

イチローが日米の野球界で会得した「すべて」を最も注目されるヤンキースという名門チームで、アメリカの野球ファンに披露して欲しいと思う。WBCでもあれほど「世界一」にこだわった名選手だけに、必ずやワールドシリーズ制覇という栄光を勝ち取るに違いない。

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カネだけのためなのか? 失望の日本プロ野球選手会

2012.07.20

おいおい、ホントか? と多くの野球ファンが耳を疑ったに違いない。本日、記者会見で来年のWBCへの不参加を表明した「日本プロ野球選手会」に対してである。

「今の不公平な条件のままでは、日本プロ野球の発展のために次回WBCは出られないということで一致した」。選手会の会長である阪神の新井貴浩がそう表明したと聞いて、私は失望を禁じ得なかった。

理由が、第1回大会からいまだに燻(くすぶ)りつづけるWBCの収益金の分配比率の問題だと聞いて、その思いはますます強くなった。

いつから、君たちはそれほどカネの亡者になったんだ? あれだけの年棒を得ていながら、君たちは、まだそれほどカネが欲しいのか? 多くの野球ファンは、そう思っているだろう。

私は、たとえ、一銭の収入にならなくても、君たちには日の丸を背負って、永久不滅の3連覇に挑戦する軍団であって欲しかったと思う。

そもそも、ベースボールはアメリカ発祥のスポーツだ。しかし、明治時代に日本に上陸したこのスポーツは、日本で独自の発展を遂げた。その間、「アメリカに追いつけ追い越せ」というのが日本の野球人の悲願だった。

多くの先人たちの苦労の末、日本の野球は本場アメリカも驚くほどのレベルに達した。そして、メジャー中心の理不尽なシステムの中、それでも日本は実力でWBC2連覇を成し遂げたのだ。

カネばかりで動くメジャーに対して、それは実に痛快極まりない出来事だった。その意味で、今度目指すべきWBC3連覇には、多くの先人や、野球ファンたちの思いがかかっている。それを今日、君たちは自ら“放棄”してしまったのである。

そもそも、人気・実力とも世界一を自認するメジャーにとっては、WBCは「やらずともいい大会」である。言って見れば、メジャーにとっては、“勝って当たり前、負ければ非難轟々”というのがWBCなのだ。

しかし、思いっきり彼らが儲かるシステムをつくって、“同じ土俵”に彼らを引っ張り出し、そしてガチンコ勝負を挑んだのが日本だったはずである。

その立場を2連覇したからといって、もう忘れ、メジャーと同じように、カネの問題を持ち出して、不参加を表明したのである。それは、早くも“挑戦者”の立場を忘れた君たちの驕り以外のなにものでもない。

会長たる新井君。君は、駒澤大学の出身だ。ひたむきに学生野球に全精力を傾け、東都501勝という金字塔を打ち立てた元駒澤大学監督の太田誠氏の弟子である。そんな君が、たかだか「おカネ」ぐらいのことで、その栄光の3連覇に背を向けるのか。

ヤンキース時代の松井秀喜がWBC不参加を表明して人気が一気に凋落し、その直後に大けがによってシーズンを棒に振ったことは今も記憶に新しい。一方、イチローは、日の丸を背負ったプレッシャーで胃に穴をあけながらも最後まで踏ん張り、日本にWBCの連覇をもたらす決定打を放った。

そこには、日の丸を背負うことに対する「誇り」と「夢」と「名誉」があったのではないかと思う。その価値を見いだせない君たちに、私はどうしても失望する。

まだ遅くはない。野球ファンを裏切るこの決定を早々に覆し、「私たちは一銭の収入にならなくても、日本の名誉のためにWBC3連覇に挑戦します」と表明し直すことだ。

その時、得られるものは、おカネなどというレベルのものではない、もっともっと大きな「何か」であるはずだ。目を覚ませ、プロ野球選手会。そして、不滅のWBC3連覇を勝ち取って、今日の隆盛を築いた先人たちの思いに報いて欲しい。

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佳境を迎えた熱暑の甲子園予選

2012.07.17

それにしても暑い。日本列島は今日、高気圧に覆われて気温が上がりつづけ、午後2時過ぎには、群馬県の館林市で39.2度を観測したそうだ。もはや「40度突破」も目前だ。

これでは、熱中症で運ばれる人があとを断たないのも無理もない。そんな熱暑の中、今日も晴れの舞台・甲子園を目指して球児たちの激戦がつづいている。

昨日、早くも沖縄から浦添商が甲子園一番乗りを果たしたが、各地区では、これからが予選の佳境に入る。今大会の注目は、なんといっても春の覇者・大阪桐蔭の春夏連覇を「どこが阻止するか」にある。

そもそも激戦の大阪予選を大阪桐蔭が突破できる保証もない。私は先月におこなわれた大阪桐蔭と明徳義塾の招待野球を観たが、この試合で大阪桐蔭は1対4で明徳に敗れている。

それでも、高校時代の実力では“ダルビッシュ以上”という評価の高い大阪桐蔭の藤浪晋太郎投手は、初回の第1球から150キロという豪速球を投げ込んでいた。

身長197センチ体重87キロという巨体から投げおろすストレートとカットボール、縦に落ちるスライダーは、春選抜の優勝時にまったく引けをとらないものだった。

この大阪桐蔭を軸に、昨夏の覇者で甲子園二連覇を目指す猛打の日大三高(西東京)をはじめ、全国の強豪が虎視眈々と頂点を目指して鎬(しのぎ)を削っている。

私が最近の高校野球を見て思うことは、公立高校の一般の野球部にも、多くの「逸材がいる」ということである。

“春は投手力”とは、よく言われる言葉だが、夏の大会は投手力だけでは勝ち抜けない。もっと言えば、剛球ピッチャーが、それだけで、予選を勝ち抜くことは難しいということだ。

この大会でも、期待していた大型左腕投手が、早々と予選の序盤で姿を消した例がある。単に剛球を投げ込んでも、打者のタイミングを外せなければ、金属バットで合わせられればそれで終わりだ。

つまり、ピッチャーは、球速ではなく、緩急をつけたコンビネーションの“妙”こそが問われるのである。そのことを徹底するチームの中に、栄冠を掴むチームが出て来るだろう、と私は思う。

過酷な炎暑の闘いは、実は、熾烈な頭脳戦の末に決着がつく。そのドラマが、今年も目の前で繰り広げられている。締切の都合をつけて、その熱気を肌で受けとめるために、酷暑のスタンドにできるだけ足を運びたい。

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黄金期を迎えた早稲田大学

2012.06.18

注目の全日本大学野球選手権の決勝は、早稲田大学が4対0で亜細亜大学を下し、見事に10年前の雪辱を果たして優勝した。大学野球の通算完封記録を持つ亜細亜の東浜巨投手は、リズムに乗れず、初回の3失点が致命傷となり、敗れ去った。

それにしても昨夏の甲子園の覇者、ルーキーの早稲田・吉永健太朗投手の投球は圧巻だった。よくコントロールされたストレート、フォーク、シンカー、スライダーのコンビネーションは、亜細亜打線に“格の違い”を見せつけた。

一方、先月16日のブログでも書かせてもらったが、プロ注目の東浜投手の迫力のなさは、深刻だ。リーグ戦では、東都の各大学の貧打に助けられてはいるものの、相手打者をネジ伏せる力がない。

東浜は、プロでもある程度は通じるだろうが、一流投手になるにはほど遠い。相手を抑え込む力感を持つ吉永投手と比べても、明らかに「差」があった。

今日の試合を見ていて思うことは、一時期、東都大学リーグのレベルが東京六大学のそれを上まわっていたと思われていたが、それが“再逆転”したのではないか、ということである。

両リーグには、「打力」の面で差がある。今日の亜細亜打線を見ていても、まともに吉永を打てる打者は一人もいなかった。明らかに六大学の各打者が上まわっている。

吉永だけでなく、150キロ前後のストレートを駆使する抑えの切り札・2年生の有原航平を擁する早稲田は、久しぶりに黄金期を迎えた気がする。大学球界は、名門早稲田を軸にまわり始めたようだ。

カテゴリ: 野球

10年ぶりの早稲田vs亜細亜の激突へ

2012.06.17

今朝方、月刊誌に原稿を入れたあと、神宮球場に出かけてきた。全日本大学選手権の準決勝、早稲田大学(東京六大学)vs九州共立大学(福岡六大学)、亜細亜大学(東都大学)vs龍谷大学(関西六大学)の2試合がおこなわれるからである。

1日順延になり、さらに日曜日ということもあり、内野はほぼ満席だった。早稲田の先発は、1年生でいきなり六大学の最多勝(4勝)でベストナインにも選ばれた昨夏の甲子園の覇者、吉永健太朗投手(日大三)だ。

マウンドさばきや打者の力量を見極める落ちつきぶりなど、どう見ても1年生とは思えない。すでに最上級生の貫録を醸し出している。さらには、内外角に投げ分けるコントロールと重みのあるストレート、右打者へのスライダー、左打者へのシンカーなど、相手打線にほとんどつけ入るスキを与えなかった。

6回に突如コントロールが乱れてランナーをためたあとタイムリーを打たれたが、6回でヒットわずかに2本という投球だった。一方の九州共立大学は、4度あった送りバンドをすべて失敗するなど、拙攻が目立った。

いつも全国トップの投手力で大会に臨んでくる九州共立大学は、例年と同じく接戦をものにできない弱さが出て2対3の1点差で早稲田の軍門に降った。

つづく亜細亜大学と龍谷大学の試合も接戦になった。すでに2試合完投のエース東浜巨(ひがしはま・なお)を休まさせたい亜細亜大学は、今日は3投手を繰り出す総力戦を展開し、4対2で龍谷を退けた。

相変わらずの貧打がつづく亜細亜だが、8回裏に相手捕手のパスボールで3塁に進塁した直後のボールをスクイズで転がして4点目を挙げ、試合巧者ぶりを見せつけた。

これで決勝は、早稲田vs亜細亜の因縁の対決となった。決勝対決は、10年前の2002年(51回大会)以来だ。あの時は、早稲田の和田毅(現・オリオールズ)と亜細亜の木佐貫洋(現・オリックス)が、火の出るような闘志をぶつけあった。

私は亜細亜大学のベンチ上で観戦していたが、あの試合は今も忘れられない。早稲田は、オーダーに田中浩康(ヤクルト)、青木宣親(ブルワーズ)、鳥谷敬(阪神)、武内晋一(ヤクルト)など、錚々たるメンバーを揃えながら、木佐貫の力投の前に1点しか奪えず、2対1で9回サヨナラ負けを喫している。

横浜高校時代に松坂大輔(現・レッドソックス)と共に明治神宮大会、甲子園の春夏連覇、そして国体というすべてのタイトルを総ナメした亜細亜の小山良男主将の気合が早稲田を圧倒した。

主将でキャッチャーの小山の雄叫びが木佐貫の投球を冴えわたらせ、サヨナラ勝ちに結びつけたのだ。明日の決勝も、実力は伯仲。大学史上最多の完封記録を持つ大学球界ナンバー・ワンの東浜投手に立ち向かう早稲田打線の気迫次第である。熱戦を期待したい。

カテゴリ: 野球

「昭和」と共に歩んだ野球人の大往生

2012.06.10

今朝、ひとりの野球人が亡くなった。大正3(1914)年1月生まれで、今年98歳となっていた元学習院大学野球部監督の島津雅男さんである。

つい2か月あまり前の3月下旬、島津さんを囲む会に行った時のことをブログ(3月28日付)に書かせてもらったばかりだった。拙著『甲子園の奇跡』(講談社文庫)、そして『神宮の奇跡』(講談社)、両方の主役の一人である。

3月にお会いした時、島津さんから励ましのお言葉をいただいたが、私にとって、それが最後のメッセージになってしまった。島津さんはその後、5月下旬に軽い脳梗塞で倒れたが、意識もはっきりしており、私はお元気に復活されると思っていた。しかし、一昨日に容体が急変し、文字通りの大往生を遂げられた。

島津さんは満洲事変が起こる1か月前の昭和6(1931)年夏の甲子園に、早稲田実業のエース、4番、主将として出場して中京商業に敗れ、いまだに破られない甲子園3連覇という大記録の“最初の1勝”を献上した。

その後、島津さんは早稲田大学に進んで早慶戦で活躍し、社会人野球の東京鉄道局野球部でも勇名を馳せた。東京鉄道局野球部時代には、発足して間もない巨人軍との試合で、あの沢村栄治とも対戦し、痛烈なヒットを放っている。昭和33年には、学習院大学野球部を監督として率いて、東都大学1部リーグでの“奇跡の優勝”を果たした。

温厚な人柄で慕われ、多くの弟子を育てた島津さんは、いわば日本野球の歴史の証言者だった。いや、野球にかぎらず、昭和11年に陸軍に入隊して二・二六事件に遭遇し、南京攻略戦にも参加した島津・陸軍大尉の人生は“激動の昭和史”そのものだったと言えるだろう。

東京鉄道局野球部時代のチームメイトである前川八郎さん(投手・巨人軍)も一昨年、98歳を目前に死去された。二人はお互いを懐かしみ、「是非、会いたい」と仰っていたが、ご高齢で足が弱っていたこともあり、お二人に頼まれていた私は、ついに二人の面会を実現できないままに終わってしまった。

草創期の巨人軍のことを詳しく教えていただいた前川さんと、学生野球、そして社会人野球で活躍して戦前の野球のことを語り尽くしてくれた島津さんのお二人を、私は両方失ってしまった。

貴重な歴史の証人を失ったことは、言うまでもなく野球界にとって大きな損失である。日本を根底から支えた大正生まれの男たちがいよいよ少なくなってきたことを感じる。多くの業績を遺された島津さんのご冥福を心からお祈りしたい。

カテゴリ: 野球

迫力に欠けた東浜投手

2012.05.16

今日は、午後の取材まで時間があったので、午前中、神宮球場で大学球界の最多完封記録の更新がかかる亜細亜大学の東浜巨(ひがしはま・なお)投手のピッチングを見てきた。

結果は、1対0で中央大学を3安打完封。見事に自身の大学記録を更新する21度目の完封と東都大学1部リーグの優勝を成し遂げた。

カットボール、スライダー、フォーク、チェンジアップ……多彩なピッチングで、東浜は今日も中大打線につけ入るスキを与えなかった。

沖縄尚学で春の甲子園の優勝投手となり、プロ球団からの誘いを蹴って鳴り物入りで亜細亜大学のエースとなった東浜は、最高学年の4年となった今年も期待通りの成績を挙げつづけている。

今日の神宮のネット裏には、プロのスカウトもずらりと顔を揃え、マスコミのカメラも放列を敷いていた。これで通算31勝。現ソフトバンクの大場翔太投手(東洋大学)の33勝に並ぶのも間近だ(東都最多勝利記録は芝池博明投手=専修大学=の41勝)。

ネット裏のスカウトたちの熱い視線を見るまでもなく、東浜は今年のドラフト会議の最大の目玉である。だが、私は今日のピッチングに少々不満を感じた。

ひとことで言えば、「迫力がない」のである。威圧感といった方がわかりやすいだろうか。プロで活躍した多くのピッチャーが持っていた独特の迫力が東浜にはないのだ。巨人のエースへの道を歩みつつある2年前の沢村拓一投手(中央大学)とも明らかに違う。

東浜は、大学1、2年の時のほうが、まだダイナミックなピッチングをしていたように思う。本来持っている力、すなわち“野球のレベル”がもともと違うので、東浜なら小手先で完封劇を演じることができるかもしれない。しかし、果たして「これでプロで通用するのだろうか」と、私は今日のピッチングを見ながら思った。

ランナーを背負った時ぐらいしか東浜は必死には投げてこない。今日も2度ほどスコアリングポジションにランナーを背負ったが、その時は、やや、力感のあるピッチングをしていた。

しかし、それでも出たスピードは、142キロほどだ。とても、プロで通用するキレのあるストレートではなかった。それでも完封するところは確かにすごいが、これには、一方で東都大学野球の打撃力のレベル低下が要素としてある。

いまや大学球界ナンバー・ワンの実力を誇る東都だが、打撃力の乏しさは年々、深刻度を増している。昨今では、打力において明らかに東都は東京六大学に劣っている。

そんな中での東浜の完封記録の更新である。今日のネット裏に集結した野球通たちは、東浜のしなるような独特の細身の身体から投げ込まれる150キロ超のキレのあるストレートを見たいに違いない。その姿を見るために、来月開かれる全日本大学野球選手権にも取材に行かなければならない、と思う。

東京六大学では、昨夏の甲子園を制覇した早稲田大学1年の吉永健太朗投手(日大三)が虎視眈々と全日本選手権進出を狙っている。大学球界の新旧のエース対決を是非、見てみたいものである。

カテゴリ: 野球

「たかが野球、されど野球」松井5敬遠から20年

2012.05.07

ゴールデンウィーク明けの今日、一人の野球指導者(まだ現役の選手でもある)から電話をもらった。明徳義塾から専修大学へ進み、卓越したバッティングセンスとパワーで活躍が期待された河野和洋君(37)である。

久しぶりの電話は、「昨年9月に日本橋学館大学に就職し、野球部のコーチとして頑張っています」という報告だった。千葉大学リーグ3部の同大学は、河野君をコーチに迎えてメキメキと力を伸ばし、現在、全勝(8勝0敗)で優勝争いのトップを走っている。

あの甲子園で星稜の松井秀喜選手を5打席連続敬遠して“時の人”となった河野君は、もともと外野手である。あの時、エースの岡村憲二(現・明治安田生命)がヒジを故障したためマウンドに上がり、松井を敬遠したが、5番以下を徹底的に研究して凡打に打ち取り、3対2で勝ち投手となった。

その後、東都大学リーグの名門・専修大学に進み、投の黒田(博樹・現ヤンキース)と打の河野で大活躍。黒田&河野が大学4年の時に、私は東都大学選抜チームと東都出身のプロ野球選手のチームの対抗試合を神宮球場に観にいったことがある。

あの時、学生チームの先発投手が黒田で、3番打者は河野だった。この試合で、河野は2塁打を2本も放ち、プロで通用する力を示したが、黒田はドラフトで指名されたものの、残念ながら河野は指名から外れた。その後、メジャーを夢見て渡米し、マイナーで修行するなど、河野君のプロへの執念は凄まじいものだった。

結局、プロ入りこそ実現できなかったが、河野君はその後も夢を追いつづけ、森田健作・千葉県知事が名誉監督をつとめる「千葉熱血メイキング」の監督兼主力打者として活躍し、千葉県社会人野球クラブリーグで昨年優勝を果たした。

そんな河野君が元気な声で「いま日本橋学館大学でお世話になっています。当初は、グラウンドで選手が煙草を吸うようなチームで、まったく優勝を狙えるとは思えませんでしたが、メキメキと力をつけて、いま3部で優勝目前になっています!」と受話器の向こうで叫んでいた。

私は、拙著『あの一瞬―アスリートはなぜ奇跡を起こすのか』(新潮社)の中で、松井5敬遠のドラマを描かせてもらったが、取材時と変わらない河野君の明るい声にホッとすると同時に、なんだか嬉しくなった。

河野君の野球の原点は、明徳義塾の馬淵史郎監督の「勝つ野球」である。「僕は、勝ちにこだわりますよ。馬淵監督の弟子ですから。絶対に負けない野球を目指します」と河野君は言う。

松井5敬遠から20年。河野君がこだわる「勝つ野球」を観るために、近く千葉大学リーグのグラウンドにも足を運ばなければならない、と思う。野球は楽し。「たかが野球、されど野球」――。

カテゴリ: 野球

調子を取り戻しつつあるダルビッシュ

2012.04.25

シリーズ完結編の『太平洋戦争 最後の証言』の「大和沈没編」がお陰さまで好調だ。完結編だけでなく第1部「零戦・特攻編」、第2部「陸軍玉砕編」も、共にさまざまな売り上げランキングで上位にランクインしているとのことで、ほっとした。

少し余裕ができたので、昨日は、昼も夜も講演をさせてもらった。昼は帝国ホテルで、夜は麻布台のお店でと、講演テーマも、聴いてくれる対象も、まるで違う講演をさせてもらった1日だった。

昼は、主に企業のトップや幹部たちを対象にしての「歴史に学ぶ―日本人の生きざまとは」という歴史テーマで、夜はジャーナリストたちを対象にしての「光市母子殺害事件」にかかわる話だった。

しかし、私の中では、実は“同じテーマ”とも言える。私のノンフィクションの大きなテーマは、「毅然と生きた日本人の姿」だからだ。

前者は、太平洋戦争を最前線で戦った人、後者は光市母子殺害事件の被害者遺族で日本の司法を大変革させた本村洋さんのことである。

話をしながら、毅然とした日本人像が今、いかに希少なものとなっているかを実感した。まだまだ多くの作品を書いていかなければならないと思った。取り上げるべき作品テーマは数多いので、ひとつひとつ確実に作品化していき、読者の皆さんに是非、また手にとってもらえれば、と思う。

さて、今日のメジャーリーグは、ダルビッシュ有(レンジャース)と黒田(ヤンキース)という日本人投手の投げ合いだった。この試合でダルビッシュがヤンキースを相手に8回3分の1を無失点、10奪三振という好投を見せた。

セットポジションでの投球で、日本にいた頃のダイナミックなピッチングフォームこそ見られないものの、抑制の利いた球でヤンキース打線を翻弄した。これで、ダルビッシュは3勝0敗となった。

まだ絶好調ではないが、日本ナンバー・ワン投手が本当の意味でヴェールを脱ぐ日も近いだろう。やっと、楽しみになってきた。


カテゴリ: 野球, 随感

重圧に負けたダルビッシュ

2012.04.10

今日は、注目のダルビッシュ有のメジャー・デビューの日だった。待ちに待ったその初登板は、あまりにも内容が悪く、期待していた野球ファンには落胆と心配だけをもたらすものだった。

「こんなダルビッシュを見たことがない」。多くの日本の野球ファンはそう思ったに違いない。軸足の右足は突っ立ったままで、腰のためも全くないので“手投げ”になり、さらにはそのせいで“球持ち”も悪く、リリースポイントが一定しない――こんなダルビッシュは、実際、日本ではお目にかかったことがない。

試合前のブルペンでの投球練習でボールの滑(すべ)りが気にかかるのか、何回もボールを変えて投げていたという。ダルビッシュの凄さは、ストレートの伸びや変化球のキレだけでなく、高度な修正能力にある。その一流投手の証明ともいえる修正能力も発揮することができなかった。

かなりの重症である。すでに紅白戦やオープン戦でも十分投げていながら、それでも日本で見せたことがない「ストライクすら入らない状態」になるというのだから、野球というのはつくづく恐ろしいものだと思う。ダルビッシュにとって、メジャー・デビューという重圧はそれほど大きかったのである。

今日のダルビッシュの投球フォームを見て、「キャンプで走り込むことはできたのだろうか」と、ふと気になった。ウエートトレーニングに主を置き過ぎ、肝心の走り込みをおろそかにしたのではないか、と心配になったのだ。

しかも、メジャーのボールとマウンドの硬さにもまだ慣れていないように思えた。走り込みができないまま、これに無理に合わせようとすれば、長丁場では必ず足腰に故障を起こすだろう。

さまざまなことを心配させる今日のメジャー・デビューだった。それでもメジャーではナンバー・ワンのレンジャーズ打線が爆発し、終わってみれば、11対5。5回3分の2イニングで5失点したダルビッシュに「勝ち」がついたというのだから、これまた野球は恐ろしい。

この運の良さに感謝して、今度こそ“高度な修正能力”を発揮して欲しいものである。ダルビッシュが本来の力さえ出せば、1年目から防御率1点台、20勝以上可能だと私は思っていた。それだけダルビッシュが持っているボールは素晴らしい。デビュー戦の最悪の調子を逆に糧(かて)とできるかどうか、次の登板に注目したい。

今日は、このダルビッシュの試合を中継観戦したあと、事務所に遠来の客があった。はるばるブラジルからの客である。昨年4月に刊行した拙著『蒼海に消ゆ―祖国アメリカへ特攻した海軍少尉「松藤大治」の生涯』(集英社)の主役、故松藤大治さんの甥にあたるサンパウロ在住の石崎干城さんである。

今年70歳になられる石崎さんは、拙著によって、長い間、消息を探していた松藤大治さんとその親戚の存在を知り、何十年ぶりかで連絡を取ることができたという。

そのお礼で、久しぶりに訪日されたのを機に、わざわざ私の事務所を訪ねてくれたのだ。地球の裏側のブラジルまで拙著を取り寄せて読んでくれて、さらに東京の私にまで連絡をくれたことに感激した。石崎さんにはブラジルでの生活など、いろいろなことを教えてもらい、楽しいひと時を過ごすことができた。

そのあと、新書の司法関係の取材を夜までおこない、気がつくと日が変わる直前となった。明日も取材が目白押し。次の作品に向かって、早く“エンジン全開”といきたいものである。

カテゴリ: 野球, 随感

よくもこれほど“逸材”が……

2012.04.04

次から次へと、よくこれほどの逸材が生まれるものだ。私は、第84回選抜高校野球大会が終わって、嬉しい溜息をついた。いうまでもなく優勝の瞬間、雄叫びを上げた大阪桐蔭のエース藤浪晋太郎(3年)のことだ。

今日の決勝で7対4で青森の光星学院を破り、選抜初優勝を果たしたが、このピッチャーは、ひと言でいうなら「怪物」である。大会前から“浪速のダルビッシュ”と注目を浴びていたので、私もどんな投手か、初戦から注意深く見守っていた。

5試合40イニングで659球を投げて、紫紺の優勝旗を獲得したことで、その期待に藤浪君は応えたが、実は、私は大会前から秘かにこのピッチャーを心配していた。それは、球の威力ではなく、彼のハートについてだ。

身長196センチで甘いマスクの藤浪君は、これまで肝心の場面で弱気になり、野球関係者の間で、チキン・ハートとして精神面の弱さを懸念されてきた投手だった。揺さぶられたり、あるいは味方のエラーでリズムを崩した時、長身投手にありがちな「バランスを崩す」という致命的な欠陥を抱えた投手だった。

しかし、私は優勝を占う最大の試練の場となった準々決勝の浦和学院戦で、思わず唸ってしまった。自身が「最も苦しかったのは浦学戦」と振り返った通り、藤浪君はこの時、そのハートを試される時が来た。

1対1で迎えた7回裏、途中登板の藤浪君は3連打で無死満塁の場面を迎えた。強豪相手に絶体絶命の大ピンチである。こういう時は、守備もリズムを崩すし、往々にして一挙に勝負を決められるものである。

私は、藤浪君のハート、つまり“度胸”を見るために身を乗り出した。そして絶句した。その時、藤浪君が目を剥いて投げ込んだ球は、153キロのストレートと、プロでも打てないようなキレと落差のあるカットボールだったのだ。

「絶対にボールを前には飛ばさせない」。その気迫が全身に漂い、真っ向から投げ込んできた藤浪君の前に浦学打線は三者三振で切ってとられた。無死満塁で無得点。この瞬間、勝負はついた。

ハートが弱いどころか、藤浪君はプロでも通用するボールと共に、誰にも負けない“度胸”を見せつけたのである。“浪速のダルビッシュ”どころか、高校生の時点では、ダルビッシュを遥かに上まわる力量を証明したのである。

日本の野球界は、よくもまあ、これだけの逸材があとからあとから出てくるものだ。私は、野球を愛する一人の人間として、なんだか嬉しくなってしまった。

ストレート、フォーク、スライダー、カットボール……いずれも超一流の球を持つ藤浪君は、あとは時折投げる甘い球をどれだけ少なくしていくか、が今後の課題だろう。

いずれにしても、将来性という点でも間違いなく「怪物」である。これで押しも押されもせぬ今秋のドラフトの目玉となったが、私は、藤浪君には、世界ナンバー・ワンのピッチャーを目指して欲しいと思う。

“先輩”ダルビッシュは、近いうちに世界一の称号が与えられる活躍をメジャーで見せるだろう。それにつづくのは、藤浪君だ。私も野球ウォッチャーの一人として、成長していくのを見るのが楽しい超一流のピッチャーに今回、出会うことができた。

光星学院の素晴らしい頑張りと共に、久しぶりになんだか浮き浮きするような気分を味あわせてくれた決勝戦だった。世界を目指して頑張れ、藤浪君。

カテゴリ: 野球

ひとりの“野球人”を囲む会

2012.03.28

今日は、ひとりの野球人を囲む会に行って来た。大正3年1月生まれで、98歳を迎えた島津雅男さんを囲む会である。

昭和6年の夏の甲子園に早稲田実業のエース、4番、主将として出場した島津さんは早稲田大学に進んで早慶戦で活躍し、その後、社会人野球の東京鉄道局野球部時代には発足したばかりの巨人軍との試合で、あの沢村栄治とも対戦した。

日本野球の歴史の証言者でもある島津さんは、昭和11年に陸軍に入隊して二・二六事件に遭遇し、南京攻略戦にも参加した。そして、戦後は学習院大学野球部の監督として東都大学野球の奇跡の優勝を成し遂げた。

島津さんの人生は、拙著『甲子園の奇跡』(講談社文庫)で取り上げさせてもらったが、今日の会は、その島津監督のもと昭和33年に東都優勝を成し遂げた時の学習院大学野球部の4年生たちがつくる「士会(さむらいかい)」の集まりだった。

恩師・島津さんを慕う「士会」の面々も75歳を超えた。主将の田邉隆二さんやエース根立光夫さんをはじめ、当時の4年生10人が集まり、島津さんと私を含め、12人で中華料理に舌鼓を打った。

島津さんは、足が弱っていることを嘆きながらも、98歳とは思えない口調でいろいろ話をしてくれた。ちょうど私が『太平洋戦争 最後の証言』シリーズ「完結編」の校了を迎えているので、陸軍時代の話もまた聞かせていただいた。

中支戦線で戦った島津さんの聯隊は、島津さんが5年で除隊して内地に帰還した後、南方や沖縄へと転用され、玉砕している。太平洋戦争の主力となった大正生まれの若者は、およそ200万人が戦死しているが、島津さんがいかに奇跡的にあの時代を生き抜いたかがわかる。

太平洋戦争の証言者としても、島津さんは数々の秘話を私に提供してくれた。来年は、いよいよ島津さんも白寿を迎える。いつまでもお元気でいて欲しい、と思わずにはいられない。数少なくなってきた歴史の当事者たちの貴重な証言に、これからもできるだけ耳を傾けていきたい。

カテゴリ: 歴史, 野球

四国野球の「原点」とは

2012.03.26

ここのところ、ゲラの校了作業に追われている。4月19日に発売が決まった『太平洋戦争 最後の証言』第三部の「大和沈没編」のゲラである。320ページの本なので、持つとずっしりと来るゲラだ。

すでにインターネットではアマゾンで発売(予約)が開始されているので、期日には校了しなければならない。そのため朝から晩までゲラとにらめっこである。

シリーズの完結編でもあるので、私としても感慨深い。一人一人の証言が貴重なので、ゲラに入れる赤にも身が引き締まる思いがする。

今日は、そんな合間に選抜甲子園で、生まれ故郷・高知の代表校、高知高校と神奈川の横浜高校との対決があったので、思わずゲラ作業の手を休めて、見入ってしまった。

この試合に注目したのは、私の郷土の代表校の出場という理由からだけではない。過疎県の代表校が、多くの人口を有する富裕な県の代表とどのような試合をするか、そういう意味でも関心があったのである。

先頃、発表された1人あたりの県民所得ランキングで、高知県はついに沖縄県と入れかわって全国最下位となった。それに対して、神奈川県は全国2位(1位は東京)である。

そもそも人口だけを見ても、905万人の県民を抱える神奈川県に対して、高知県はその12分の1の75万人の県民しかいない。さらに横浜市の人口だけで370万人に達している現在、四国4県全体の人口が394万人だから四国はそのうち横浜市の人口に抜かれる時がくる。

昨日、午後9時からのNHKスペシャルで、高知の仁淀川(によどがわ)の美しさをハイビジョンカメラで捉えたドキュメンタリー番組を放映していた。人口は少なくても、海、山、川……いずれも四国、特に高知の美しい自然は日本屈指のものと言える。

その山河で育った球児が、都会の球児とどう戦うのか、私には興味があった。豊かな自然の中で育った球児が持つ“特別な力”を見てみたかったのである。

実際、高知県は長く甲子園での通算勝率が全国トップを誇った野球王国だった。高知商業、高知高校、土佐高校、明徳義塾、中村高校、伊野商業など、全国大会に行っても1回戦で簡単に負けることは、ほとんどない強豪県だった。

甲子園で、仮に1回戦で負ければ、「“イチコロ”で帰ってきた」と言われ、即、監督の進退問題につながったものだ。野球王国を誇った時代の高知県は、神奈川県のチームと戦って負けたことはなかった。

平成が始まるまで、高知県と神奈川県は甲子園で6度の直接対決があり、高知県の6勝無敗だった。しかし、平成以後、対戦成績は逆に1勝5敗となり、神奈川県が高知県を圧倒している。今では、勝率も全国トップの座を高知県は神奈川県に明け渡している。

その傾向は今後もつづくのか、果たして両県の対決はどんな試合になるのか。結果は、凋落をつづける高知県の野球を象徴するかのように、今日の試合も0対4で高知が完敗した。3塁を踏むこともできない惨敗である。

神奈川県と高知県では、人口密度は35対1である。しかし、人口密度が35対1ということは、逆に考えれば、高知県民は1人あたり神奈川県民の35倍もの土地を使っていることになる。

さらに高知にはNHKが取り上げた“水質日本一”の仁淀川をはじめ、誇るべき美しい山河がある。それでも野球王国・高知の凋落はとどまらない。自然が育んできた人間力の低下が痛々しい。

高知をはじめ四国野球の原点は、粘りとしたたかさである。それは、四国の風土が生んだ独特の身体的能力と野球センスに支えられていた。だが、今では科学トレーニングを積んだ都会の球児に圧倒されている。

四国の球児は、今こそ「原点」を思い出し、そこに戻るべきだろう。四国野球の粘りとしたたかさを思い出し、先人の鍛え方を学び直した時、もう一度、高知のみならず四国野球が全国をリードする「時代」が必ず来る。

カテゴリ: 野球

口角泡を飛ばした「高橋善正・中大前監督」のお疲れ会

2012.03.16

久しぶりに東京へ戻ってきた。さすがに青森や弘前のように雪がないだけ動きやすい。弘前でお世話になった方々に感謝しつつ、さっそく東京では次作、次々作の取材が始まった。

午前中は、ともにその作品の単緒になるべき人物へのアプローチをおこない、午後は雑誌原稿の締切に追われた。夜は、プロ野球で完全試合を達成したこともある東映、巨人で活躍した元ピッチャーの高橋善正・中央大学前監督のお疲れ会に参加というハードスケジュールだった。

1月で中央大学の監督を降りた高橋前監督を慰労する会は、千葉県松戸市であった。久しぶりに美味しい寿司をつまみながら、じっくり高橋前監督と話し合った。

同じ高知県出身であることから、以前から高橋氏には親しくさせてもらっている。今年の正月の高知新聞では、「いかに野球王国高知を復活させるか」というテーマで対談した仲でもある。私のスポーツノンフィクションにも協力してもらって、いい作品を書かせてもらった思い出もある。

高橋前監督との口角泡を飛ばす“野球談議”で、すっかり世が更けてしまった。間もなく選抜甲子園が開幕する。いよいよ野球シーズン到来だ。

中央大学には、あの春夏連覇の島袋投手(興南)もいる。プロ野球だけでなく、高校野球、大学野球にも注目選手が目白押しだ。今年はどんなドラマを見させてもらえるのか、いまから胸が躍る。

カテゴリ: 野球

東都大学野球「80周年」祝賀会に出席して

2011.12.19

昨日は、品川の新高輪プリンスホテルで「東都大学野球連盟80周年記念祝賀会」が開かれ、出席させてもらった。3年前に学習院大学の奇跡の優勝を描いた『神宮の奇跡』(講談社)を出したこともあり、私は東都大学野球と何かと縁がある。

同ホテルの国際パミール館3階の「崑崙」の間に多数の関係者を集めて開かれたパーティには、今年のドラフトの目玉だった東洋大学の藤岡貴裕や昨年の甲子園春夏連覇の中央大学・島袋洋奨、亜細亜大学のエース・東浜巨……等々の選手をはじめ、東都のスターが勢揃いした。

またプロ野球からも、横浜DeNAの中畑清・新監督(駒澤大学出身)やヤクルトの石川雅規(青山学院出)、ソフトバンクの小久保裕紀(青山学院出)、西武の西口文也(立正大学出)をはじめ、東都出身の多数の現役の選手、監督らが顔を揃えた。

プロOBの出席者は、中央大学の高橋善正監督(東映→巨人)、末次利光(巨人)、中塚政幸(大洋)の各氏ら、あまりに多すぎて数えきれなかった。大学球界ナンバー・ワンの実力を誇る東都大学リーグの隆盛ぶりをそのまま表わす会場だったと言える。

私も久しぶりにお会いする人たちが多く、そのまま品川で拙著『神宮の奇跡』の登場人物たちと二次会になった。師走も半ばを越え、私にとっては一連の単行本や雑誌記事の校了も終わり、久しぶりに野球談議に花を咲かせた1日となった。

私は、東都大学リーグは投手を含めたディフェンス力で圧倒的な力を誇っていると思っている。しかし、果たして攻撃力はどうだろうか。

東都1部の各チームは、リーグ戦のチーム打率が2割に満たない、あるいは越えてもわずかというチームがほとんどだ。各チームのディフェンス力が圧倒的であることが大きな理由だが、それだけではない。各チームが、打撃陣を“型”にはめ込み過ぎ、本来の奔放な打力が影をひそめている。奔放な打撃で“見せる野球”を展開している東京六大学との違いがそこにある。

東京六大学と東都大学野球。大学選手権の優勝回数を見ても、東都の実力が六大学を上回っていることに異論をはさむ専門家は少ないだろう。しかし、両方をウォッチしている私には、こと攻撃力に関しては、六大学が東都を凌駕していることを感じる。

東都は1点を凌ぎきって勝つという“凌ぐ野球”を追及するあまり、野球の醍醐味であるバッティングを退化させてはいないだろうか。隆盛を誇る東都祝賀会の会場に身を置きながら、私はそんなことを考えていた。

カテゴリ: 野球

“投高打低”を抜け出せ

2011.11.20

日本シリーズは、第7戦をソフトバンクが3対0で中日を制し、日本一となった。戦力的な点から言えば、ソフトバンクは日本一になって当然のチームだったが、これでやっと8年ぶりに“悲願”が達成された。

今頃は、きっと中洲あたりが大変な熱気に包まれているだろう。私自身も、取材その他で福岡にはよく行くので、天神や中洲で今晩ばかりは一緒に飲んでみたくなった。

それにしても、今年も日本シリーズは見応えがあった。両チームとも圧倒的な投手力を誇るチームだけに、シリーズ前から投手陣同士の我慢比べになると思っていたが、予想以上にピッチャーが目立ったシリーズだったと言える。

これはプロ野球に限らず、大学野球などにも言えるが、日本の野球は、ここ10年、完全に“投高打低” になっている。キレのあるスライダーやカットボールを駆使する好投手が140キロ台後半の伸びのあるストレートまで投げ込んでくるので、バッターが対応できないのである。

今日も1点を争うゲームになるとは思ったが、秋山監督の采配にこの試合も首を傾げるシーンがあったのは事実だ。1対0で迎えた3回裏、無死満塁で1番川崎が四球を選び、押し出しで2対0とソフトバンクが中日を突き放した時、左対左で中日・小林(正)投手とソフトバンク2番の本多が対戦した。

ここは一気に勝負をかける意味で野球の専門家は、「右の代打」と思ったはずだ。本多の腰を引く打法では、左対左で外角に逃げていくスライダー系の球には、とても対応できないからだ。

最低でも犠牲フライは欲しいこの場面では、当然、カブレラをはじめ右の代打陣が並ぶソフトバンクなら、ピンチヒッターを出してくると多くのファンが思ったのではないか。しかし、秋山監督は、そのまま本多に打たせ、本多はバットにはかろうじて当てたものの、キャッチャーフライに終わった。

結局、次の3番内川、4番小久保ともに浅い外野フライを打ち上げて得点にはならなかった。1番川崎の押し出し四球のあとの無死満塁で、追加点が「1点」もとれなかったのだ。この1点のために、あとで逆転を許し、「日本一」を逃したら、ソフトバンク・ファンは辛いだろうな、と私はそのシーンを見て考えていた。

幸いにソフトバンク投手陣は、中日につけ入るスキを与えず完封したので、その心配は杞憂に終わったが、秋山監督には、大きな課題が残ったのではないだろうか。

しかし、それにしても、悲願の優勝を遂げた秋山監督やナインの涙は感動的だった。内川をはじめ、涙、涙、涙の選手ばかりで、秋山監督も涙をこらえながらの優勝インタビューとなった。いかに彼らがこの勝負にかけていたかを物語るシーンであり、この場面を見た他球団の選手たちは、「よし来年は俺たちが……」と決意を新たにしたのではないだろうか。

試合後、ソフトバンクの孫正義オーナーがグラウンドまで降りてきて喜んでいたが、野球を知らない老人がすべてを牛耳っている彼(か)の球団の重苦しさとは違い、チーム全体に爽やかな空気を感じたのは、私だけではなかっただろうと思う。

即戦力の呼び声が高い東洋大学の藤岡貴裕投手がパ・リーグ(千葉ロッテ)に参入する来季は、パ・リーグはますます熱くなるだろう。来年のパを制するのはどこか。今から楽しみである。それと共に、キレのあるスライダーやカットボールに対応できる一流のバッターがどんどん生まれていって欲しいと野球ファンの一人として思う。

カテゴリ: 野球

“虎”を野に放った巨人軍

2011.11.19

渡辺恒雄氏は、まんまと清武英利球団代表の戦略に嵌(は)まった――。清武氏の昨夜の解任報道を受けて、私はそう思った。とても正当な解任理由とはいえないものを掲げて「清武解任」に踏み切った巨人軍は、これから大きな代償を支払わなければならないに違いない。

実は、11月11日の突然の清武氏の告発会見は、用意周到なものだった。それは「自分を解任させるためのもの」と言ってもよかっただろう。

詳細は省くが、渡辺氏のやり方を許せなかった清武氏はあの時、抗議の退任をすることで記者会見を決意した。しかし、それでは自分が退任しても「何事もなかった」かのように事態が収束してしまうことを清武氏は懸念したのである。

渡辺氏のやり方を告発するには、ただ自分が退任会見をするだけでなく、問題の所在を詳細に説明し、さらには、相手に自分を解任させ、裁判闘争やジャーナリズムを通じて戦いをおこなう必要があった。

それは、読売新聞社会部で敏腕記者として鳴らした清武氏らしい発想だったと言えるだろう。これから「野に放たれた虎」となった清武氏が告発していく内容に興味は尽きない。

清武手記がどこから出版されるのか。そこで明らかにされる驚愕の内容はどんなものなのか。私は、その中身に大いに注目している。

今晩は、日本シリーズ第6戦が福岡ドームでおこなわれる。日本一を決める試合に勝るとも劣らず、清武氏の咆哮(ほうこう)の方が気にかかる向きは多いに違いない。

カテゴリ: 野球

死力を尽くした采配を

2011.11.16

昨夜、出張先の山口県から帰京した。山口県の周南市(徳山)では、光市母子殺害事件の被害者遺族、本村洋さんと久しぶりに会って、夜おそくまで飲んだ。事件が起こった1999年以来、おつき合いをさせてもらっているので、本村さんとはもう「12年」になる。

事件当時、23歳だった本村さんも35歳。日本の「司法」を変えた本村さんの闘いについては、拙著『なぜ君は絶望と闘えたのか』で詳述させてもらっているので、是非、こちらを読んでいただければ、と思う。

来年2012年は、光市母子殺害事件の最高裁での審理や、裁判員制度の見直しがある年だ。裁判員制度開始から3年目にあたる2012年5月21日から裁判員制度の見直し作業が開始されるのだ。

多くの被害者やご遺族の無念の思いが積み重なって、日本の刑事裁判における官僚裁判官制度が「裁判員制度」に移行した経緯がある。言うまでもなく、本村さんも私も、せっかくできた裁判員制度を守っていかなければならないと思っている。夜おそくまで、そんな話をしながら、徳山の美味しい酒と肴に舌鼓を打った。

私は、山口県(岩国と周南)に出張に行く前にテレビ局の取材を受けていた。例の読売巨人軍の清武英利代表の告発に関するインタビューである。14日(月)朝の「モーニングバード」と15日(火)夕方の「スーパーJチャンネル」という番組だった。いずれもテレビ朝日である。

東京に帰ってきてから、録画していたその番組を見たが、いずれも清武氏に好意的な番組構成になっていた。その流れの上で私のインタビューが使われていたので、ほっとした。覚悟の告発をした清武氏の勇気と野球を愛する気持ちを考えると、私は彼を古くから知っているだけに、少しでも応援をしてあげたいと思う。

野球の番外編はともかく、今日の日本シリーズ第4戦もなかなか見応えがあった。今日もソフトバンクが2対1で勝ち、2勝2敗のタイに持ち込んだ。しかし、ソフトバンクが勝ったからといって、秋山監督の采配には、私は合点がいかない部分があった。

ソフトバンクが2対1で迎えた8回表の1死1塁の場面である。左の三瀬投手からしぶとく1番・川崎がワンアウトからレフト前ヒットを放ってチャンスをつくった時、私は左対左となる2番本多に送りバンドをさせて3番内川のタイムリーを期待するものとばかり思っていた。

しかし、本多はバンドのそぶりもなく、そのままセンターフライに倒れ、川崎を2塁に進塁させることもできなかった。次の内川は代わった浅尾投手から期待通り、レフト前ヒットを放ったが、2塁にランナーを進めていなかったために、ソフトバンクが得点を挙げることはできなかった。

「2対1」と「3対1」とは、相手に与えるプレッシャーは天と地ほども違う。しかし、秋山采配では、その「1点」に対する執着が感じられないのである。その点で、中日の落合監督の采配の方が緻密であり、さまざまな場面で相手に嫌がる作戦を取り得ている。

野球とは、いかに「相手が嫌がる作戦」を取り得るかが勝敗を分けるスポーツだ。秋山采配には、残念ながら日本シリーズのこの4試合でそのことを感じることができなかった。過去、短期決戦で負けつづけたソフトバンクの理由がそこにあるように思う。

明日の試合で勝った方が、日本シリーズ優勝に王手をかける。残りの試合では、「1点」を大切にする両監督の死力を尽くした采配を是非、見てみたいものだ。

カテゴリ: 司法, 野球

プロ野球“2つの戦い”の行方

2011.11.13

プロ野球日本シリーズは、昨夜に引き続き、中日が延長戦を制して連勝、2勝0敗とした。ソフトバンクは、完全に継投に失敗し、秋山采配に「疑問符」がついた形で連敗を喫してしまった。

今日の勝敗のポイントは、8回、9回の2イニングをぴしゃりと中日打線を封じたファルケンボーグに代えて、秋山監督が延長10回に「馬原を投入したこと」にあった。

身長2メートル、体重100キロを超えるファルケンボーグの150キロ前後のストレートとカットボール、そしてキレのあるカーブに中日打線は完全に沈黙していた。ファルケンボーグの攻略は容易なことではない、と思って観ていたら、秋山監督は10回表にそのファルケンボーグを自ら引っ込め、前日にも救援に失敗している馬原を登板させたのである。

馬原は、2アウトをとりながら内野安打で1番荒木を出塁させると、どうしても打ち取らなければならない2番の井端を四球で出し、わざわざ最も怖い3番森野とスコアリングポジションにランナーを置いて対決することになる。

ここで森野がレフト前に痛烈なタイムリーヒットを放って、延長戦に決着をつけた。相手が嫌がる采配をするのが野球では勝利への近道だが、残念ながら秋山監督は、この1、2戦でそれができなかったことになる。2連敗で敵地・名古屋に乗りこむソフトバンクは、非常に厳しいシリーズとなった。

さて、その日本シリーズよりエキサイティングな状態になっているのが、例の清武英利球団代表の告発会見から始まった巨人軍の内紛である。

予想通り、読売グループのドン・渡辺恒雄氏の反撃が始まり、前日の清武氏の声明を「悪質なデマゴギーである」「今後の(清武氏への)対応は、本人の反省次第であり、現時点ではただちに処分を求めるつもりはありません」とする談話を発表した。

渡辺氏は、グループ内の人事権を握っている絶対的な人物だけに、告発をおこなった清武氏の旗色は悪い。しかし、世間では、敢えて“負け”を覚悟しながら告発をおこなった清武氏に対する応援の声が圧倒的だ。

8年前に原辰徳氏が巨人の監督から無念の辞任をさせられた時、「読売グループ内の人事異動だ」と言ってのけ、多くのファンの巨人離れを生んだ渡辺氏が、またしてもファン離れを加速させる原因となっているのは、まことに残念というほかない。

読売新聞社会部で敏腕ぶりを発揮した清武氏は、社会部記者独特の強い正義感を持つ人物だ。今回は、渡辺氏のワンマン体質に我慢を重ねてきた清武氏の堪忍袋の緒がついに切れた形の告発だったが、いずれにしても野球というものをほとんど知らない一人の老人に、現場がここまで翻弄されるサマは、見ていて気持ちのいいものではない。

清武氏は、社会人野球の廃部や休部が相次ぐ中で、「野球の裾野を狭めてはいけない」という強い信念で「育成選手制度」を創設し、その理念通り、山口鉄也投手や松本哲也外野手などを生んだ功績を持つ。

さらには、巨人の選手たちに、ファンサービスの必要性を説き、これを怠ったら罰走や2軍落ちさえ示唆し、「ファンあっての巨人軍」という意識を徹底させたのも清武氏である。

視聴率が落ち、地上波で巨人戦の中継が極めて少なくなっている現状で、アイディアマンでもある清武氏には、野球の人気向上と球界の浄化に対して、これからも力を尽くして欲しいものである。サラリーマン社会では、なかなか上司に直言することは難しいが、それを敢えておこなった清武氏の踏ん張りに期待を込めて、今後の推移を見守りたい。

カテゴリ: 野球

泣くな清武、“背広の番長”の本領発揮に期待

2011.11.11

「いかにも清武氏らしい」。いま流れている巨人軍の清武英利球団代表の午後2時からの会見のニュースを見て私はそう思った。同じジャーナリスト仲間として、清武氏が読売新聞社会部で国税担当記者だった頃から私は彼のことをよく知っている。

清武氏は今日、涙ながらの会見をおこない、読売グループのドン・渡辺恒雄会長のことを名指しして、「ツルの一声で(人事を)決めてしまうなど、球団を私物化するようなことがあっていいものか」と痛烈な批判を展開した。

いうまでもなく、絶対的な読売グループのドンであるナベツネこと渡辺氏に対して、内部から批判をおこなうことなど、タブー中のタブーである。それを敢えておこなったところが清武氏らしい。

昨年4月、あの木村拓也コーチの急逝で号泣した清武氏は、情が厚く、涙もろいことで知られている。今日の会見中、感情が高ぶって涙を拭ったあたりも、いかにも清武氏らしかった。

今回の“告発”は、直接的には、コーチ人事にかかわることだが、積もり積もった清武氏による覚悟の告発であることは間違いない。

会見で明らかにされたのは、巨人軍が岡崎郁ヘッドコーチの留任を決め、渡辺会長に報告し、了承を得ていたが、2日前の11月9日に急に渡辺氏が「ヘッドコーチには江川卓氏(元巨人、野球評論家)を起用する」という人事を独断で決定してしまったのだという。

これに対して「球団の私物化」という激しい言葉を用いて、清武代表が批判したのである。会見で「プロ野球界におけるオーナーやGM制度をないがしろにしている」とまで言ってのけただけに、これはもうグループのドン・渡辺氏との全面戦争である。

清武氏は、中部読売新聞の社会部長から東京本社に戻ってきて、本人にとっては不本意だったと思うが、2004年6月、運動部長となった。その直後に起こったのが、明治大学のエース・一場靖弘投手(現・ヤクルト)の裏金供与事件である。

この事件の責任をとって渡辺氏はオーナーを退き、巨人軍の上層部は人事が一新された。その時に“抜擢”され、球団代表に就いたのが、運動部長になったばかりの清武氏だった。

巨人軍代表となった清武氏は、“背広の番長”と称されるほど、やり手ぶりを発揮し、巨人を5位から4位、そして優勝へと引き上げ、さらには3連覇を成し遂げるという手腕を見せた。2009年には、宿願の日本一にも輝いている。

社会部記者時代のやり手ぶりと同じく、低迷していた巨人軍を一気に復活させた立役者の一人だ。一方、つい先日のドラフト会議では、相思相愛だった東海大学の菅野智之投手のハズレくじを引くなど、ご愛嬌ぶりを発揮するところも「清武氏ならでは」だった。

だが、今回の波紋の大きさは、これまで清武氏がやってきたこととスケールが違う。渡辺氏の“老害”ぶりには、多くの関係者が頭を悩ませてきたが、誰もその告発をおこなえた人はいなかった。

渡辺氏は、政界でも4年前、かの福田康夫首相(当時)と小沢一郎・民主党代表(当時)を動かして「大連立」を実現させようとして政界を大激震させたこともある。

まさにキングメーカー気どりで、森嘉朗元総理に「あんたは派内の調整だけやればいい」と連絡して福田政権をつくり、さらには民主党の小沢代表にも因果を含めて自民党と民主党の「大連立」を実現しようとしたのである。

これに“乗った”小沢氏は、党内の反発を受けて代表辞任を表明したが、2日後には記者会見を開き、一転、代表の続投を表明している。この時、小沢氏は、記者会見で涙を流した。今日の清武氏の涙の会見を見て、私は、あの時の小沢氏の会見を思いだした。

85歳になっても権力に固執する人間のために、どれだけ第一線の現場が翻弄されるかが、よくわかるシーンだった。今日の清武氏の会見は、その意味で古くて新しい“人間の引き際”というものを考えさせてくれるものだった。泣くな清武、“背広の番長”の本領を発揮せよ、と是非、応援したい。

カテゴリ: 野球

最後に「勝敗」を分けるのは何か

2011.10.29

いよいよ2011年の野球の総仕上げのシーズンがやって来た。一昨日、ドラフト会議が終わったと思ったら、今日からプロ野球のクライマックス・シリーズ(CS)が開幕だ。全国各地では、来春の選抜甲子園の出場校が決まる地区大会もおこなわれている。

今日のパ・リーグのCSファーストステージ「日本ハム対西武」の第1戦の先発は、ダルビッシュ有(日ハム)と涌井秀章(西武)だった。片や5年連続防御率1点台のプロ野球記録を打ち立てたダルビッシュに、防御率2点台という涌井の両エース対決である。

来シーズンのメジャー入りが有力視されるダルビッシュの投球は圧巻だった。ほとんど150キロを超えるストレートと打者の手元で浮き上がるカットボールを武器に、西武打線を7回1点に抑えた。特に、西武の4番、本塁打王の中村剛也に対する投球には目を見張った。

中村相手には、1球もあまい球が来なかった。外角をよぎる高速スライダーと、155キロを超えるホップするダルビッシュのストレートは、とても「人間が打てる」ようなものではなかった。「いったいこの男は来年メジャーでどれほどの活躍をするだろうか」――私だけでなく、多くの野球関係者がそう思っただろう。

試合は終盤、日ハムのリリーフ陣が打たれて延長戦にもつれ込み、結局、延長11回5対2で西武が逆転勝ちした。今晩には、セ・リーグのクライマックス・シリーズも始まる。昨年、千葉ロッテがパ・リーグ3位から接戦の連続で奇跡的な「日本一」の座を獲得しているだけに、シリーズの行方には目が離せない。

高校野球もいよいよ“クライマックス”だ。秋季地区大会の結果が続々と出ている。東京では帝京と関東一、九州では神村学園と九州学院、四国では高知と鳴門、東海は愛工大名電と三重、東北は光星学院と聖光学院、北海道は北照と札幌第一、北信越は敦賀気比と地球環境……といった具合に地区大会で決勝に進み、来年の選抜甲子園への出場が確実視される学校が次々名乗りを挙げている。

大学野球もほとんどのリーグで最終週を迎えている。東京六大学では早慶戦がおこなわれ、東都では、勝率勝敗がぴったり並んだ亜細亜大学vs青山学院の優勝決定プレーオフが11月2日におこなわれる。

私はそれぞれの試合を直接観戦する場合もあるし、テレビで観る場合もある。迸(ほとばし)る選手たちの闘志がびりびりと伝わってくる球場での観戦がやはり一番だ。こういう試合で最後に勝利の女神が微笑むチームと敗れ去るチームとの「差」がどこにあるのか、私はいつも考えさせられる。

野球では、重要な試合では、より“球際(たまぎわ)の強さ”があるチームが勝利する。これは長く野球を見てきた私が強く感じてきたことだ。しかし、その「“球際の強さ”がどうしたら生まれるのか」は、野球の指導者にとって永遠のテーマでもあり、私たちノンフィクションを書く人間にとっても重要なテーマである。

12月発売の単行本の締切が間近である。『大平洋戦争 最後の証言』第2部の「陸軍玉砕編」だ。今は野球のことを考えている時間は、本当はほとんどないのだが、どうしても熱戦が映し出されているテレビ画面に釘づけになってしまうのである。

カテゴリ: 野球

またもドラマを生んだ因縁のドラフト会議

2011.10.27

これまで数多くのドラマを生んできたプロ野球ドラフト会議は、今年も感動的だった。なんといっても大学球界ナンバーワン左腕、東洋大の藤岡貴裕の「千葉ロッテ獲得」が決まった瞬間、藤岡の大きな目から溢れ出た涙が印象的だった。

千葉ロッテに1位指名されてうれし涙を流した大物選手は、私にも記憶がない。藤岡の涙は、それほど珍しいものだった。「(千葉ロッテは)最初に1位指名を言ってくれた球団だったので、嬉しくて涙が出た」と藤岡は会見で語った。

私はその感激の表情を見ながら、今から20年以上前、1990年のドラフト会議を思い出した。それは、最強の大学リーグと言われる東都大学で、通算394奪三振を記録した小池秀郎投手(亜細亜大学)に実に「8球団」が競合した年だった。

小池は、左腕から繰り出す力のある速球と“魔球”とも称された独特のフォークが武器で、即戦力の呼び声が高く、高い評価はどの球団も同じだった。そして、8球団の中で交渉権を獲得したのは、ロッテだった。

だが、小池は、ドラフト前から「西武、ヤクルト、巨人以外ならプロ入り拒否」を表明し、その言葉通り、ドラフト後、ロッテへの入団を断わって社会人の松下電器に入った。その後、故障した小池は、2年後のドラフトでは、近鉄しか指名せず、結局、プロで通算51勝を挙げるにとどまった。

しかし、今日、藤岡は「(千葉ロッテは)最初に1位指名を言ってくれた球団」だったことを語り、そして感激の涙を流したのである。ドラフト前に「12球団どこでもOKです」と言っていた藤岡の発言も相俟って、今日のドラフト会議に“爽やかさ”を感じたのは、私だけだろうか。

多くのスカウトたちが鎬を削るプロ野球界で、これほど義理固く、しかも情に厚いスターはめったにいるものではない。藤岡の涙を見た千葉ロッテのスカウトは「スカウト冥利に尽きる」だろう。

明暗を分けたのは、相思相愛の巨人に入れなかった東海大学の菅野智之である。巨人の原監督の甥であり、巨人の単独指名が予想されたが、日本ハムが土壇場で名乗りを上げ、結局、巨人との競合の末に菅野の交渉権を獲得した。

巨人は、2006年に日本ハムに指名されながら、“浪人”させてまで入団させた長野久義と同じく、菅野に日本ハムへの入団を拒否させる作戦に出るだろう。しかし、ここで菅野がその巨人の“説得”に負けたら、プロでの大成はなくなるだろう。

小池の例を見るまでもなく、野手に比べて選手寿命の短いピッチャーは、大学生の場合、社会人を経由した段階で成功する確率が著しく低下する。アスリートとして“旬の時期”をみすみす逃すのだから、あたりまえである。

いま多くの素質ある選手が各球団に分散し、おもしろい野球が全国のフランチャイズで展開されている。すでに巨人の試合も、地上波で見えることは少なくなり、BSでも地域に密着した地方球団の放映の方が圧倒的に多く、読売巨人軍の時代はすでに終焉していることを感じる。

菅野は巨人に固執する必要などまったくない。ダルビッシュ有をはじめ多くの名投手を育ててきた日本ハムにこそ、彼の大きく伸びる要素がある。「藤岡」を見習い、そして自分の右腕1本で、菅野が自らの「未来」を切り開くことを祈りたい。

カテゴリ: 野球

ゆっくり「野球」の醍醐味を味わいたい

2011.10.23

単行本の原稿が、かなり進んできた。徹夜をつづけている成果がやっと出てきた感じだ。そんな中で、今日は午後から目白の学習院大学野球グランドに行って来た。

学習院大学野球部監督の田邉隆二氏(74)が今シーズン限りで監督を退くため、その最後のユニフォーム姿を見にいったのである。田邉氏とは、駒澤大学野球部監督だった太田誠氏に紹介され、以来、親しくさせてもらっている関係だ。

4年前に上梓した『神宮の奇跡』(講談社)は、昭和33年に田邉さんが主将だった学習院大学野球部が史上初めて東都大学野球1部リーグで奇跡の優秀を遂げた時のことを描いた作品だ。いうまでもなく、それは田邉さんとの出会いがなければ、生まれなかった作品である。

その田邉さんが今季限りでユニフォームを脱ぐとなれば、学習院グランドでの東都3部リーグ最終戦となった今日、私が駆けつけないわけにはいかなかった。

相手は、3部でライバル関係をつづけてきた大正大学。同校の厚い壁に跳ね返され、ここ数年、学習院はいつも「3部優勝」、そして「2部リーグへの進出」を阻まれてきた。この秋季リーグでは、両チームとも2位と3位となり、優勝はできなかったが、それでも、今日も激しい戦いとなった。

試合は、石川県の星稜出身である学習院の坂(さか)寛太投手(2年)が好投し、大正大学の打線を封じ込んで1対0で勝利した。田邉監督の最後を飾るにふさわしい手に汗にぎる試合だった。

試合後、「長い間、お疲れさまでした」と田邉監督に声をかけると、いつものように優しい笑顔で「門田さんこそ、わざわざご苦労さま」と逆に労(ねぎら)われてしまった。田邉さんのまわりには野球関係者が多く、私の飲み仲間でもあるので、近くお疲れ会で一杯やることになるだろう。

この試合は東都大学野球の3部リーグだが、今は来年の選抜甲子園を目指して、各地の高校野球秋季大会が真っ盛りだ。日本の野球が世界一である理由は、この野球人口の層の厚さにある。

学習院グランドのバックネット裏に集まった今日の応援の人々の熱の入れようを見ても、日本の野球の強さの秘密がよくわかる。各大学リーグもいよいよ今週が「最終週」だ。月が変われば、明治神宮大会も幕を開ける。

早く脱稿して目の前の締切をクリアし、久しぶりにゆっくり野球の醍醐味を味わいたい。

カテゴリ: 野球

イチローよ、残り打席をできるだけ楽しめ

2011.09.14

マリナーズのイチローが、今日の対ヤンキース戦で5打数1安打に終わった。今季170安打で、シーズン200安打までは、残り14試合で30本となった。11年連続のシーズン200安打達成には、残り試合を「1試合2安打」以上打たなければならず、今季のペースから言って、実現は極めて難しくなった。

メジャーで前人未到の「10年連続シーズン200安打」を達成しているイチローが、近代ベースボール史上、“最高”のバッターであることは、確かだろう。“最強”のバッターなら、ベーブ・ルースやルー・ゲーリック、あるいはジミー・フォックス、ウィリー・メイズ、ハンク・アーロン、バリー・ボンズなど、多くの名前が上がってくるが、“最高”のバッターと言えば、やはり広角打法とスイングの速さ、選球眼、あるいは、凡ゴロでも安打にしてしまう類い稀な俊足……等々、イチローの右に出る者はいないだろう。

それだけに、ここで記録が途絶えるのは残念だ。だが、イチローがどれだけ苦しみながら「200安打」に挑戦して来たかを日本の野球ファンは知っている。

あの2年前の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で全日本のトップバッターとして不振を極めたイチローは、それでも決勝の韓国戦で、延長戦の末、決勝打を放ち、日本中を歓喜させた。

しかし、私たちが大会後知ったのは、その不振に悩んだイチローが胃に穴があくほど「苦しんでいた」という事実だった。大会後、入院したイチローの姿を見て、野球ファンは全日本チームを牽引(けんいん)したイチローの使命感と責任感、そして気迫の凄まじさを垣間見た。

誰にも負けないプロ意識で数々の記録を打ち立ててきたイチローは、シーズン最多安打「257本」の大リーグ記録を持つジョージ・シスラーを凌駕した2004年以降、もはや「違う次元」の選手となってメジャーのファンを魅了しつづけた。

それを支えたのは、WBCで自身の胃に穴をあけたほどのイチローの使命感と責任感だったに違いない。だからこそ、今、多くのファンがイチローをこのプレッシャーから解放してあげたいと思っている。

イチローには、残りシーズンの1打席1打席を楽しみながら、リラックスしてプレーして欲しいと心から思う。イチローが苦しみ抜きながら達成した「10年連続200本安打」の大記録は、たとえ今年で途切れようと決して色褪(あ)せることはない。

おそらく、メジャーで今後この記録を破る選手は現れないだろう。それほどイチローの記録は驚異的なものなのである。すでにイチローも、かの長嶋茂雄が引退した時とほとんど同じ年齢(37歳~38歳)にさしかかっている。残りのシーズンを、そして来季以降も、1打席1打席を楽しみながら、その姿をできるだけ長くファンの前で見せて欲しいと思う。

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日大三高の見事な全国制覇

2011.08.20

見事な全国制覇だった。昨秋の明治神宮野球大会での圧倒的な優勝から始まり、戦力的に日大三高が全国で頭ひとつ抜けていたことは間違いない。だが、そのチームが最後の、そして最高の舞台で、実際に「栄光を掴むこと」は容易ではない。

今年、最後の最後で「頂点」に上り詰めた日大三高は、あらゆる意味で“覇者”という名にふさわしいチームだった。相手は、準決勝までわずか1失点の光星学院・秋田教良投手。剛速球とスライダー、フォークは超高校級だ。大阪・河南シニア時代に関西大会で優勝し、強豪校からスカウトが殺到したが、秋田が選んだのは青森の光星学院だった。

そして、期待通りの成長を遂げた秋田は、青森県でのライバル青森山田を一蹴し、横綱・日大三高に挑んできた。いくら秋田といえども、日大三にストレート勝負を挑んでも難しい。外角低めに配するストレートと、内角を抉る気迫の剛速球、そしてスライダーとフォークのコンビネーションで日大三打線をどう翻弄できるか。そこに今日の勝敗の鍵があった。

だが、秋田も史上最強の日大三打線の前に力尽きた。7回9失点。甘く入った球だけでなく、自信のストレートもスライダーも痛打された。私は、試合を見ながら、「ストライクゾーンとバッティングゾーンは違う」というプロ野球“伝説の打撃コーチ”故・高畠導宏さんの言葉を思い出していた。拙著『甲子園への遺言』の主役のあの高畠さんだ。

人それぞれに打法もゾーンも違う。なにもルールに決められたストライクゾーンだけを打つ必要はない。バッティングの基本は、あれこれ「考える」ことではない。来た球を「打つ」ことである。そして、それはストライクゾーンだけである必要はない。あくまで自分の“バッティングゾーン”であればいいのである。

高畠さんはそのことを選手たちに語り続けた。多くのプロ野球選手がそれを頭に刻んで、自分独特の打法をつくり上げている。日大三打線を見ていればわかるが、彼らはそれを実践しているのである。それぞれの打者が自分の“バッティングゾーン”を持ち、それをフルスイングしている。

ストライクゾーンから外れたボールでも外野に痛烈に弾き返してくるその打法に、序盤で光星学院の秋田投手が驚愕の表情を一瞬見せたのが印象的だった。日大三の小倉全由監督が育てる打線には、その“基本”が徹底的に植えつけられている。ボール球でも強烈に打って来る闘志と気迫、そしてそれを伸び伸びとやらせる小倉マジックが、今日は最高の舞台で見事に花開いたのである。

大会屈指の日大三・吉永健太朗投手は、6試合すべてに登板し、しかも、ベスト8からは被安打5(対習志野)、被安打6(対関西)、被安打5(対光星学院)という尻あがりの投球を見せた。あのキレのある140キロ半ばのストレートと、縦のスライダーやシンカー、フォークを駆使されては、高校生ではなかなか打てるものではない。

投手力、打力、戦略、戦術、練習量……あらゆる意味で、他のチームを圧倒した日大三高。今後は、同校の強さの秘密を盗もうと、さらにライバル校のマークが厳しくなるだろう。名将・小倉監督がそれをどうハネ返していくのか、今後も興味が尽きない。

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2年前の快進撃を思い出させてくれた「花巻東」

2011.08.07

凄まじい試合を見た。夏の甲子園大会2日目の第3試合、帝京対花巻東戦である。優勝候補・帝京に挑んだ花巻東は、やはり今年も素晴らしいチームだった。

帝京は、1年生の時から注目を集めている本格派・伊藤拓郎投手だ。だが、この剛腕投手に花巻東は闘志を剥き出しにして襲いかかった。たしかに帝京の伊藤投手は、最上級生になって、下級生の頃のキレのある球を失っている。スライダーを見極めて好球必打に徹すれば攻略できないピッチャーではない。

しかし、花巻東の食い下がり方は、試合前の予想をはるかに超えるものだった。どの打者もボールには手を出さず、しぶとく食い下がっていく。このチームの特徴は、いつも1番には1番、2番には2番、クリーンアップにはクリーンアップ……といった具合に、それぞれの持ち場に“職人”が揃っているところである。

菊池雄星投手が大活躍した2年前の花巻東も同じだった。特に今日注目したのは、2番バッターの大沢永貴二塁手だ。身長は160センチ台半ばと小柄だが、徹底してボールをカットし、好球だけをひたすら待ち、甘い球が来ればバットで強く叩いてセンターを中心に弾き返す。

いつも大沢君が打席に立つと、ファウルばかり打たれるので、相手エースにとっては一番嫌な選手だ。今日も、実際に伊藤はこの大沢に苦戦して、調子を崩していった。

大沢2塁手を見ながら、私は2年前の花巻東の2番バッター・佐藤涼平君を思い出した。身長155センチに過ぎない佐藤君は、肩なども華奢で、童顔の顔も相俟ってとても高校球児には見えなかった。

私は甲子園での取材で佐藤君に「佐藤君は、徹底したファウル打ちを日頃から練習しているの?」と質問したことがある。すると佐藤君は「はい。2番には2番の役目がありますから」と明確に答えてくれた。

その佐藤君を彷彿させるのが、今年の2番・大沢永貴君だ。たとえヒットが打てなくてもデッドボールか四球で絶対に塁に出る、という執念が感じさせてくれる選手だ。こういう選手がいれば、相手投手は波に乗れず、崩れていく。

それが、今日の追いつ追われつのシーソーゲームに現われていた。試合は、帝京が8対7という1点差で花巻東を振り切ったが、実に見応えがあった。全体の力量がたとえ劣っていても、高校野球はしぶとく食らいつく選手を育てれば、きちんとした野球でき、甲子園でも十分戦えることを、今年も花巻東が証明してくれたように思う。今日の試合で7回に大沢君が熱中症でベンチに退いた時、花巻東は「力尽きた」ように思えたのは私だけだろうか。

1か月前、日体大野球部に入っていて1年生の春から活躍していた佐藤涼平君が自殺したという衝撃的なニュースが流れた。だが、彼が花巻東に残した野球は、しっかり後輩の大沢君に引き継がれていたことが今日わかった。

高校野球とは、「指導者」や「練習法」によって、いろいろなハンディを克服できるものであることを教えてくれたように思う。花巻東の佐々木洋監督の変わらぬ手腕に感心させられた試合だった。

昨日開幕した甲子園には、強豪校が続々と登場している。新聞が優勝候補として挙げた聖光学院、習志野、明徳義塾、帝京などが、この2日間で出て来たが、いずれも絶対的な力はなく、今大会は大混戦になることが早くもわかった。今年の甲子園、ますます注目だ。

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球場には必ず感動と驚きがある

2011.07.24

金曜日(22日)に8月発刊の単行本のゲラを責了し、やっと時間の余裕が生まれたので、今日はさっそく神宮球場で高校野球西東京大会のベスト16(4回戦)を観戦してきた。野球場というのは不思議なところだ。足を運べば、そこには必ず感動と驚きがある。

今日の神宮球場もそうだった。都立高があと一歩のところまで強豪校を追い詰めるなど、観る人を驚かせ、感動に包みこんでいた。

第1試合の早稲田実業vs都立昭和高校は、因縁の試合だ。あの斎藤佑樹を擁して全国制覇した時の早稲田実業は西東京大会の初戦で昭和と当たって大苦戦(3対2で辛勝)し、全国制覇したあとですら早実ナインが「昭和との試合が一番ヤバかった」と口を揃えたほどのしぶといチームである。

その都立高が今日も伝統のしぶとさを武器に早実に食い下がった。シニアリーグ出身のエリート球児たちを集めた早稲田実業に臆することなく戦いを挑み、1対2で惜敗するものの、試合終了の瞬間、神宮のスタンドは拍手と感動に包まれた。練習条件が決して恵まれているとはいえない都立高校の中で、毎年のように粘りのチームをつくりあげてくる熱意と実績には頭が下がる。

第2試合の日大三高vs都立日野の戦いも素晴らしかった。昨秋の明治神宮大会を制し、今年の選抜甲子園でも優勝候補の筆頭だった日大三を相手に、日野は終盤7回裏には、日大三の絶対的エース・吉永健太朗投手を攻め、6対7と1点差にまで詰め寄り、さらに二死満塁とあわや逆転のシーンまで追い込んだ。

プロ注目の吉永投手がここを必死の形相で切り抜け、次の8回表に自慢の重量打線が火を噴いて一挙8点を挙げた。試合は結局、15対6で日大三の8回コールド勝ちとなったが、それにしても、この優勝候補の筆頭をあわやというところまで追い詰めた都立日野の気迫は素晴らしかった。

私が注目したのは8回に大量点となる前、無死2塁で日大三の小倉全由監督が手堅く送りバントを決めさせたことだ。ここで1死3塁としたあと犠牲フライで着実に日大三は1点をもぎとり、「2点差」とした。重量打線に火がつき、長打が連なったのは、その直後のことである。

あれは、1点の怖さを知る名将ならではの送りバントだったと言えるだろう。勝負というものが持つ微妙なあやをどうベンチが感じ取るか、その貴重さを教えてくれる興味深い送りバントだった。

この試合、私の観戦している前の席に、ちょうど日野高校で出場している球児のご両親が座っておられた。試合終了の瞬間、涙をこらえようとしたがこらえきれず、肩を震わせていたその後ろ姿が印象的だった。

よく“父子鷹”と表現されるように、高校野球で活躍する球児の中には父と息子が二人三脚で歩んできた例は多い。その息子の高校野球が終わった時、ご両親に万感の思いがこみ上げるのは当然だろう。地方大会でこそ観られるスタンドの風景に高校野球がいつまでも人気が衰えない秘密を垣間見た気がした。

第3試合の早大学院vs工学院大附属も見応えがあった。昨夏はベスト4、昨秋はベスト8と、確実に強豪校のひとつに数えられるようになった早大学院は、今年のチームもなかなかしぶとい。

右の本格派・小野央也(3年)と左の本格派・田中健吾(2年)という180センチを越す左右の2枚エースを擁した早大学院は、昨年旋風を巻き起こした左腕の千葉亮介(現・早稲田大学1年)に続き、“投手王国”の伝統を築きつつある。

調布シニア時代から鳴らした百戦錬磨の木田茂監督の好采配と相俟って、今後の戦いぶりが注目される。最終回に粘りに粘って4点を挙げ、2点差まで追い詰め(7対9)、その早大学院を慌てさせた工学院大附属の戦いぶりも見事だった。

熱戦もいよいよ終盤。甲子園の予選も全国各地で大詰めを迎えつつある。かくいう私もできるだけ時間を見つけて球場に通い、生の迫力と感動を今年も感じてみたい。

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大学野球に「新時代」が来る

2011.06.12

今日の全日本大学野球選手権決勝戦は、見ごたえがあった。さまざまな面で興味深かったが、私は両ベンチの“采配”という点で特におもしろかった。

結果的には、延長10回裏、東洋大学が1番小田裕也のツーラン・ホーマーで、3対1とサヨナラ勝ちした。大学球界ナンバー・ワン左腕、東洋の藤岡貴裕が慶応から12三振を奪い、ヒットわずか5本、失点1に抑えて、大学選手権2連覇を果たしたのだ。

しかし、この試合、普通なら「東洋は慶応に負けていた」と私は思った。もちろんチームの戦力的には東洋が上まわっている。しかし、監督の采配がまるで違っていたのである。

決勝に来るまで、苦戦を続けながらも、慶応は、竹内大助、福谷浩司、山形晃平という3投手を中心に、ピッチャーの疲労度を考えて戦略を立ててきた。そして、決勝の今日のマウンドでは、一番調子のいい福谷を先発させた。

六大学のリーグ戦では、抑えにまわっていたピッチャーを決勝の大舞台に「先発させた」のである。福谷は江藤省三監督の期待に応え、キレのあるストレートとスライダーを武器に、見事に東洋打線を抑えていた。

一方の東洋はどうか。大会の初戦からエース藤岡を先発させた高橋昭雄監督は、優勝するまでの4試合すべてに藤岡を登板させた。今日の決勝を含め、そのうち「3試合が先発」である。

初回のマウンドに上がった藤岡の顔を見て、私は驚いた。投げる前から、隠しようのない疲労が出ていたのだ。口で息を吐く藤岡のようすを見て、私は「この試合が、藤岡の選手生命に影響しなければいいが」と思った。

左腕から繰り出す最速153キロの快速球と落差のあるフォーク、キレのあるスライダーを武器にする藤岡の日頃の投球は今日、まるで見られなかった。ただプロ注目のライバル慶応の4番打者、伊藤隼太にだけは、目の色を変えて厳しいボールを投げ、これを抑え込んだ。

だが、ほかの打者には、ストレートがせいぜい140キロ台前半で、中盤には130キロ台にまで落ちていた。それでも、さすがの投球術で、藤岡は慶応打線を封じた。

しかし、肉体は正直だ。中盤から汗をだらだら流し始めた藤岡は、延長10回表のマウンドでは、ついに軸足である左足が痙攣のような状態を呈したのである。

明らかに疲労によるものである。足にそこまで「来ている」というのは、肝心の肩がどうなっているのか、ファンは心配でならなかっただろう。

私は、3年前の第38回明治神宮野球大会決勝の東洋大学対早稲田大学の試合を思い出した。この大会でも、高橋監督は、当時の絶対的エース・大場翔太(現・ソフトバンク)に3日連続の先発を課し(すべて完投)、優勝を遂げた。この時も、大場は斎藤佑樹を擁する早稲田大学との決勝戦で、疲労から普段の球のキレを失っている。

それでも「優勝する」ところが東洋のエースたちの凄さといえば凄さである。だが、休むところはきちんと休ませ、うまく投手陣をまわしながら、優勝を遂げるところにこそ、監督の手腕があるはずだ。選手生命を危うくするような采配は、いくら大学野球の監督でも許されない。

その意味で、戦力は劣りながら、「あわや」というところまで東洋に食らいついた慶応の采配(私は、これを“ベンチ力”と呼ぶ)が、東洋のそれを1枚も2枚も上まわっていたことは確かだ。

この春のシーズンの東京六大学の優勝がかかった対明治大学戦でも、慶応の江藤監督は“我慢”と“頭脳”の采配で失うはずの勝利を見事、ものにしている。慶応との連戦でエース野村祐輔を酷使して、ついに疲労で調子を崩した野村を慶応は最後に見事叩いて、六大学の優勝を事実上、決めたのである。

今年の大会では、東京国際大学を準決勝まで勝ち上がらせた元広島カープの古葉竹識監督の手腕も話題になった。やはり、プロ野球の指導者はさまざまな面でアマチュアとはレベルが違うことを感じさせてくれる。

元巨人の高橋善正氏が中央大学の監督を務め、澤村拓一(巨人)をはじめ好投手を次々と育てているのは周知の通りだ。その手腕を見て、昨年の甲子園の春夏連覇、興南の島袋洋奨投手が中央大学野球部の門を叩いたのも記憶に新しい。

大学球界に今後も、プロ出身者の指導者が生まれる可能性は極めて高い。また、その方が指導を受ける選手たちにとってもプラス面が大きいだろう。アマチュア出身の指導者の奮起を促すと共に、大学野球界に「新時代」が来ることを感じさせてくれた決勝戦だった。

カテゴリ: 野球

寝ても覚めてもパソコンに向かう

2011.06.09

ここのところ徹夜がつづく。8月刊行の単行本用原稿である。寝ても覚めても、パソコンに向かって、書き続けている。窓の外の夜明けの淡い日差し、あるいは日没の夕陽も、パソコンに向かいながら見ている。

気がつくと、日没の位置がまったく違っている。事務所のある高層ビルの窓から見ていても、冬場の日没の位置とはまるで異なっていることがわかる。大震災から3か月が経つが、あの頃の位置ともまるで違う。

よく考えれば、2週間後は「夏至」である。1年で最も“昼が長い”日は、今年は6月22日だ。その時までには、600枚の原稿にメドを立てておかなければならない。ここ1週間が最大のヤマだ。

そんな事務所に、今日は早稲田大学の女子学生がインタビューにやって来た。ある伝統ある早稲田のサークルの面々で、自分たちの発行している雑誌に小生のインタビュー記事を掲載させて欲しいということだった。

政経学部2人と文化構想学部1人の計3人で、それぞれ外部受験で早稲田大学の難関学部に入った才媛たちだ。さすがに、こちらが話す内容への反応も素早く、感心した。外部受験で入った早稲田の女子学生たちの優秀さを実感する。

それぞれに興味の持ち方は違うようだったが、私は、物事に対する「視点」の置き方、根本の捉え方、思考停止に陥らない発想法……等々について話した。同じ物事に対しても、光をあてる角度、さらには視点を変えれば、それは、忽ちそれまでに気がつかなかった相貌を見せてくれるものである。

20歳を過ぎたばかりの女子学生たちが理解できるように話ができたか心許ないが、少なくとも1人は「こういう話、聞いたことがないです」と言っていたので、それなりにおもしろかったかもしれない。ためになったなら、幸いだ。

忙しすぎて現在開催中の全日本大学野球選手権も観に行けない状態が続いているが、東都の覇者・東洋大学と六大学の覇者・慶応大学が決勝で激突するなら原稿執筆をストップさせても観にいかなけれならない。

大学球界ナンバー・ワン左腕の藤岡貴裕(東洋)と大学球界ナンバー・ワンのスラッガ―伊藤隼太(慶応)の対決は、来年以降のプロ球界を背負って立つ選手同士の激突だけに、どうしても瞼に焼きつけておきたい。

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久しぶりに神宮球場へ

2011.05.04

今日は、久しぶりに神宮球場に出かけた。今年のドラフトの目玉で東洋大学のエース・藤岡貴裕が神宮のマウンドに上がるからである。

群馬の桐生第一出身で、2年生の時に彗星のごとく現れたこの左腕は、すでにプロ野球のエース級の力を備えている。左腕から繰り出す150㌔前後の快速球と、コーナーに見事にコントロールされたフォークやスライダーはアマチュアではとても打てるレベルの球ではない。

昨春は、東都1部リーグで39イニング連続無失点という離れ業を演じた絶対的なエースである。今秋のドラフトでは、各球団の圧倒的な注目を浴びるのは間違いない。

だが、今日は、マウンドで身体がやや重そうだった。球に普段ほどのキレは見えなかったが、それでも中央大学打線をヒット5本2失点に抑え、危なげなく完投した。調子が悪い時も悪いなりにまとめるところがさすがである。

対戦した中央大学は先発の左腕・入江慶亮に東洋大打線のタイミングが合い始めた4回から5回にかけて、エース鍵谷陽平への継投時期を誤ったのが痛かった。この時点では、まだ1対1の同点だっただけに百戦錬磨の中央・高橋善正監督(元巨人)には珍しい継投ミスだった。

高校野球も各地区で春季大会が開かれ、大学野球と共にいよいよ佳境に入ってきた感がある。あっちこっちに観に行かなければならない試合や選手がいるが、別件の取材を抱え、それもままならない。

4月末に発売になったばかりの新刊『蒼海に消ゆ』の販売促進の意味もあって、あっちこっちの会合に顔を出さなければならないため、なかなか腰を落ち着かせて野球を観る余裕がない。6月の全日本大学野球選手権までには、なんとか取材と締切にひと区切りをつけたい。

カテゴリ: 野球

強運の斎藤、プロ初勝利

2011.04.17

注目の斎藤佑樹のデビュー戦が札幌ドームであった。千葉ロッテとの戦いである。斎藤の持つ強運が遺憾なく発揮された試合だった。

以前から当ブログでも書いてきた通り、斎藤がプロで通用できるかどうかは、ストライクからボールになる“落ちる球”をバッターに振ってもらえるかどうかにある。この落ちる球をじっくり見極めたら、斎藤は投球の“幅”がなくなり、プロでは痛打される。

そのためには、ストレートにこれまでとは一段上のキレがなければならなかった。結論から言えば、斎藤にはプロで通用するストレートのキレがまだ備わっていない。しかし、それでも打線の援護で、5回終了降板で、4失点ながら勝ち投手となった。まさに強運の持ち主である。

私は、斎藤が千葉ロッテの井口、福浦、サブローといった、いぶし銀のバッターたちをどう牛耳るか注目していた。千葉ロッテは西岡剛がメジャーに抜けたあとが大きく、トップを岡田幸文が打つという迫力にかける打線となっている。

その岡田が初回、斎藤の落ちるボール球を振って三振し、斎藤は波に乗るかと思われた。しかし、セカンドのエラーでランナーが出た一死一塁で、井口に右中間にホームランを打たれ、斎藤は早くもプロの洗礼を浴びた。

この打席、斎藤は井口に対してホームランされた球以外は素晴らしい球を投げた。1球目の外角のスライダー、2球目の落ちるスライダー、3球目の外角スライダーともキレがあり、井口も手が出なかった。しかし、4球目のやや甘くなった外角ストレートを右中間に運ばれた。

プロの一流の打者には、甘い球が「1球も許されない」現実を斎藤は思い知ったに違いない。しかし、それ以後は、斎藤が持ち味の粘りの投球を展開し、千葉ロッテの打線を幻惑した。5回2死から内野のエラーをきっかけに2点を失うが、千葉ロッテの先発・大嶺とはまるで違う「打たれても、それでも粘る」という斎藤の特徴が発揮され、プロ初勝利を挙げたのである。

斎藤は、まだまだプロで通用するキレのあるストレートを身につけていないので、今後、苦戦が続くだろう。しかし、斎藤の女房役(キャッチャー)に、東洋大学出身の大野奨太がいることが大きい。

学生時代から全日本でバッテリーを組んだ二人。抜群のインサイドワークを誇る大野の存在は、斎藤にとって最大の武器と言える。今後も大野が斎藤得意の粘りの投球を引き出して、相手打者を幻惑させるに違いない。

早稲田大学の同僚だった広島カープの福井優也も本日、巨人相手に7回2失点で初勝利。大物新人たちが、“貫録”のデビューを果たしている。プロ野球が、いよいよおもしろくなってきた。

カテゴリ: 野球

大物新人デビューと『甲子園の奇跡』発売

2011.04.15

大物新人がついにデビューした。巨人軍のドラフト1位、沢村拓一(中大出)である。キレのある球をコーナーにびしびしと決め、プロのバッターが振り遅れるようなスピードとキレが、公式戦で初めて実証された。

6回まで広島を零封していた沢村は、7回に内野の守備の乱れからつけこまれ、2失点。力みから高めにボールがやや浮いたところを見逃さない広島の上位打線はさすがだった。

沢村は、ここで降板したが、内野が足を引っぱらなければ、あのまま完投していたに違いない。勝敗はつかなかったものの、圧巻の大物デビューと言える。

沢村は、大学時代も味方の貧打と守備の乱れに泣かされ続けた悲運のピッチャーだ。しかし、7回が来ても150㌔台のストレートを投げる驚異のスタミナは他球団の恐怖と警戒感をさらに呼びそうだ。

今日のピッチングで、沢村が先発ローテーション3本柱の一角を占めるのは間違いない。すでに楽天の田中将大と同じスピードとキレを持つこのピッチャーが、どこまでプロで勝ち星を挙げていくか、興味深い。

日本ハム斎藤佑樹の先発デビューも間もなくだが、ここへ来て大物ルーキーたちも明暗が分かれつつある。西武のルーキー大石達也投手が右肩の違和感を訴え、1軍の出場登録が抹消されることになったのである。

開幕1軍入りしながら、まだ抑えどころか、中継ぎにも登板しておらず、「大石はどうした?」という声がファンの間から上がっていた折も折だった。

右肩の痛みは、速球派の大石にとって持病だ。登板が過多になれば大石にはこの持病が出てくる。おそらく緊張感でキャンプから力みが入り、知らず知らずに肩の違和感が増幅されていたに違いない。

ここで無理をさせずに出場登録を即座に抹消するあたりが、西武らしい。天の恵みともいうべきこの“休暇”を大石は大いに利用して再びデビューの日に望んで欲しい。

大震災への対応という点で、ほかの競技スポーツからは遅れた感があるプロ野球だが、人気や関心度では、現時点でも誰もが認める国民的スポーツNO.1である。

斎藤のデビューでプロ野球への注目度はさらに高まる。斎藤が最初からプロの洗礼を受けるのか、それとも持って生まれた強運を発揮して、いきなり初勝利を挙げるのか。大震災一辺倒だった報道が変わっていくきっかけになるかもしれない。

折しも本日、講談社文庫から拙著『甲子園の奇跡―斎藤佑樹と早実百年物語』が発売となった。4年前に『ハンカチ王子と老エース』として産声を上げた単行本が改題・加筆のうえ生まれ変わったのである。

野球にかけた男たちの熱い思いを是非、お読みください。

カテゴリ: 野球

間もなく震災発生から4週間

2011.04.04

間もなく震災発生から4週間を迎える。連日の報道を見て、国民はどんな感想を抱いているのだろうか。いまだに水も食糧も医薬品も行きわたらない被災地の現状を報じるニュースのことである。

このブログで震災発生当初から指摘し続けているように、「国民の生命を守る」という国家としての根本を知らない政権によって、悲劇はいま現在も果てしなく「広がり続けている」のである。

これが、同じ日本列島の「本州」の中で起こった震災なのか、と私はどうしても考えてしまう。今日のニュースでも、避難所で十分な薬もないまま、命を落としていく老人の姿が映し出されていた。世界に冠たる経済大国が、まもなく4週間が経とうというのに、避難所の被災民を“助けられない”のである。

私は現在発売中の月刊「WiLL」に、天災に端を発した菅政権の“人災”ぶりについて書かせてもらったが、こういう政権に国を任せている現実と、さらに言えば、そういう政権に任さざるを得ないほど国民にソッポを向かれた自公政権のひどさの両方に、つい思いを馳せてしまう。

それにしても、あまりに当事者能力を欠いた日本政府の実態を見て、2万人もの兵士を投入して、全面支援に乗り出してくれた米軍の“トモダチ作戦”には頭が下がる。

福島原発の事故にも、アメリカ政府は「事態収拾に全面協力する」と何度も伝えてくれたが、日本政府は、これを無視したと言われている。沖縄の普天間基地問題などで、日米関係を「戦後最悪」とまで言われる状態まで貶めた民主党政権だが、それでも、いざとなったら、米軍は2万人もの兵をフル稼働させてくれたのである。

一方、永田町では、またぞろ民・自大連立などという妖怪話が徘徊している。私はこの話を聞いて呆れてしまった。なぜなら、大連立などしなくても、被災地の復興と被災者の命を守る方法はいくらでもある。いや、それは、国家として「あたりまえのこと」をやればいいだけなのである。船頭をこれ以上多くして、いったい何をするつもりなのか。多くの国民が溜息をついている。

話は変わるが、昨日、選抜高校野球が終わった。強豪校相手に5試合45イニングを一人で投げ抜いて来た九州国際大付属の三好匠投手が最後に息切れしたのは残念だった。

蓄積した疲労で、三好本来のスライダーのコントロールも、ストレートのキレもなく、準決勝戦の日大三高戦で見せた威力あるボールがついに試合の間中、見られなかった。甲子園では「複数投手でなければ勝てない」という現実を改めて思い知らされた気がする。

それにしても、その三好を痛打し、ついには大会通算74安打113塁打という新記録を打ち立てた東海大相模打線のパワーには驚いた。往年の相模打線が完全復活したことを感じる。

今から36年前、巨人の現監督、原辰徳を3番に据え、佐藤功、森、津末、佐藤勉ら、ノンプロの打線かと見紛う力を引っさげて甲子園に現われた時を思い出した。

東海大相模の伝統の強打は健在だったのである。来た球を「強く叩く」という大原則を徹底的に貫いた相模打線の日頃の精進ぶりが思い浮かぶ。昨夏の決勝で、興南の島袋投手の軍門に降った悔しさを見事に晴らした“痛快な優勝”だった。

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見ごたえあった優勝候補「日大三vs明徳義塾」の激闘

2011.03.25

今日の甲子園の優勝候補同士の激突「日大三vs明徳義塾」の試合は見ごたえがあった。おそらく今大会屈指の試合ということになるのではないだろうか。

共に甲子園で優勝経験を持つ高校球界の名将・小倉全由(日大三)と馬淵史郎(明徳義塾)両監督の対決でもあっただけに試合は終始、緊張感に包まれた。

結局、勝敗を分けたのは、球運と微妙な采配の差だった。147キロの吉永健太朗投手に、明徳はしぶとく食い下がった。徹底した自慢の選球眼を駆使して、吉永を追い込み、一時は4対1と3点差をつけた。

だが、昨年、春の決勝で興南に延長戦の末に勝てる試合を落としている小倉監督の優勝への執念は並々ならぬものがあった。明徳のエース・尾松義生の武器である落ちるスライダー、スクリューボールの制球が悪く、微妙に内側に入って来たところを日大三打線が見逃さなかった。

中盤以降、日大三がこれらの球を狙い撃ちに来ているのに、馬淵監督は、尾松にストレート主体のピッチングへとチェンジさせることができなかった。その微妙な采配の差が、5対6という最後の「1点差」に現われた。

明徳にとって痛かったのは、6回のピンチランナーの起用である。タイムリーを打った5番バッターになぜか代走を送ってしまったのだ。まだ中盤である。5番に代走を送ったそのツケは8回に現れた。

日大三が守備の乱れで崩れそうになった時、チャンスでめぐってきたその代走選手の「初めての打席」で、スクイズを失敗(キャッチャーフライ)して、好機を逸してしまったのである。

「甲子園初戦19連勝」というとてつもない記録を持つ馬淵監督。監督になって甲子園の初戦で「負けたことがなかった」馬淵監督にしては、首を傾げる采配だった。

初めての初戦敗北。しかし、これが因縁というものだろうか。今から24年前の1987年、明徳は馬淵監督がまだコーチだった頃、一度だけチームとして初戦敗北を喫したことがある。その時の相手が関東一高で、監督はのちの日大三の監督となる小倉全由その人だった。

明徳を破った24年前の関東一高は、そのまま下手投げの平子投手と大型捕手・三輪のバッテリーを軸に勝ち進み、準優勝を遂げている。甲子園とは、いつもながら不思議な因縁に驚かされる場所なのである。

苦戦の末の初戦勝利で、大会の興味が圧倒的優勝候補・日大三を「次に追い詰める」のはどこか、というものに移ってきた。

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波乱含み「明日開幕」の選抜甲子園

2011.03.22

大震災をものともせず、明日(23日)、第83回選抜高校野球大会が開幕する。16年前、阪神淡路大震災からわずか2か月余で開催されたことを思い出す。

あの時は、大会直前に地下鉄サリン事件まで勃発し、オウム事件に世間の耳目が集中した中での開幕だった。震災も甲子園のある関西地区を直撃したものだっただけに今回以上に開催が危ぶまれたが、「球児のために」という関係者の熱意が大会開催の原動力となった。

あの大会は、復興工事の邪魔にならないよう応援バスの乗り入れや、応援時の楽器演奏も自粛して大会が運営されたことを思い出す。

こういう天変地異があった時は、大会もまた“波乱”に見舞われるものだ。強豪校が目白押しの中、優勝したのは、大会前には誰の下馬評にも上がらなかった香川の初出場校・観音寺中央高校だった。

今回も番狂わせが続出しそうな雰囲気がある。圧倒的優勝候補と言われた昨年の明治神宮大会の覇者・日大三高が、初戦から明徳義塾と激突するなど、勝ち抜ける保証はどこにもない。大会ナンバーワンでプロ垂涎の147キロ投手・日大三高の吉永健太朗投手が、これまたプロ注目の4番北川倫太郎を中心としたしぶとい明徳義塾打線にどう対するのか見ものだ。

しかし、今年の選抜甲子園ほど全国の強豪校が勢揃いしたことは記憶にない。ざっと挙げただけでも日大三、浦和学院、横浜、東海大相模、大垣日大、天理、履正社、智弁和歌山、報徳学園、関西、明徳義塾、九州国際大付、鹿児島実……など、パワーのあるチームがこれでもか、と出場している。

“春は投手力”というのが定説だが、今年は強力打線を売り物にする強豪校・伝統校が多いだけに派手な打ち合いが大会を圧倒するに違いない。

強豪対決をはじめ、好カードは目白押し。大震災の沈滞を一気に吹き飛ばす球児の頑張りを期待したい。

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これほどの死闘を見たのはいつ以来か

2010.11.08

日本シリーズで、これほどの死闘を見たのはいつ以来だっただろうか。私は、そんな思いで、今回の千葉ロッテvs中日の日本シリーズを見つめていた。

7球団で30年にわたって打撃コーチを務めた“高さん”こと、高畠導宏さんが膵臓癌で亡くなって6年。高さんの生涯を描いた拙著『甲子園への遺言―伝説の打撃コーチ高畠導宏の生涯』(講談社)が世に出てからすでに丸5年が経つ。

今回の日本シリーズには、この本の取材で協力いただいた人たちが多数出場していた。千葉ロッテの指揮官・西村徳文監督はもちろん、いぶし銀の活躍を見せたサブロー、代打の切り札福浦……等々、高さんの弟子たちが大活躍した。

相手の中日も同様だ。指揮官の落合博満監督や、高さんの岡山南高校の後輩で、高さんの“導き”で駒澤大学と社会人野球を経て中日入りした野本圭外野手も活躍した。

高さん本人が死去後6年も経つというのに、その遺産が弟子たちによってこれほど継承されていることに感動を覚えながら私は試合を観た。

私が中でも印象に残ったのは、サブロー選手が見せたスイング“軌道”である。どんなにカウントが悪かろうが、落ち着きを失わずにボールをミートするサブローの能力には多くの専門家を唸らさせる力がある。

私は、それ以上に、サブローの“センター前ヒット”に対するスイング軌道というものに舌を巻いた。これは、もはや名人芸などという言葉で表現できるレベルのものではなかったのだ。このスイングの軌道を身につけるまで、サブローはどれほどの努力をしたのだろうか。

第6戦、両チームは延長15回2対2で引き分けた。この試合で、千葉ロッテの2点は、共にサブローのセンター前ヒットによる得点だった。

私が唸ったのは、初回二死三塁、中日チェン投手から放ったセンター前ヒットである。左腕から快速球を投げ込んでくるチェンに第2戦の時と同様、ロッテは苦戦を予想された。

何球目だったか、サブローは真ん中高めのチェンのこの快速球を空振りしている。その空振りの軌道を見た瞬間、私は「あっ、(打球は)センター前に行く」と思った。

空振りで「センター前に行く」というのも変な話だが、そのスイングは、完全にボールを「センター前」に運ぶ軌道だったのである。

たまたまその球は、チェンの球威が上まわり、サブローのバットは空(くう)を切った。しかし、スイング自体は間違いなくセンター前ヒットの「軌道だった」のである。

果たせるかな、その次の球か、次の次の球だったか、サブローは、チェンの真ん中高めの球をまさしく狙い澄ましたように“センター前”に運び、1点をもぎとった。

私はそのシーンを見て、高さんがサブローに課した“バット投げ”の練習を思い出した。サブローは高さんの指導のもと、オリックス時代の田口壮選手から送ってもらった“グリップを切り落とした”バット投げ用のバットを「センターに向かって」ひたすら投げ続ける練習をしている。

バットをセンター前に向かって投げる――この奇妙な練習は、高さんの真骨頂とも言えるトレーニングである。センター返しのスイング軌道を身につけるこの鍛錬を、高畠-サブロー師弟は延々と繰り返していたのだ。

この練習は、伝説の打撃コーチ・高畠がサブローに限らず、多くの弟子たちにおこなわせたものだが、ここまで完全にそのスイング軌道を会得した選手はそうはいないだろう。私はサブローのスイングを見て、並の精進ではとてもここまで来れなかっただろう、と思った。

選手たちの凄まじい努力の積み重ねで、これほどの見ごたえのあるシリーズになったのは素晴らしい。シリーズの最後の最後に育成選手から這い上がってきた苦労人・岡田幸文選手がヒーローになるあたりも、いかにも千葉ロッテらしかった。

私は稀に見る死闘となったこのシリーズを観て、今から35年前の昭和50年の日本シリーズを思い出した。セ・リーグで初優勝した広島カープが全盛時代の阪急ブレーブスに挑んだシリーズだ。

あの時、阪急は新人・山口高志の剛球を武器に、ついに広島に1勝もさせなかった。しかし、シリーズは第6戦までもつれ込んだ。広島は「勝つこと」こそできなかったものの、「2試合」も引き分けたのである。

広島はマウンドに仁王立ちする剛腕・山口のストレートに封じ込まれ、勝つことができなかった。私は「あと1点」が遠く、延長戦でもどうしても勝たせてもらえない広島に勝負の過酷さ、非情さというものを感じたものだ。

日本シリーズでの「1勝」というのがいかに重いものか、あの阪急のV戦士たちに私は教えてもらった。今回の日本シリーズは、「1勝の重み」を示す意味で、35年前のあの日本シリーズにも匹敵するものだったと思う。

久しぶりに手に汗握る「死闘」だった。たかが野球、されど野球――やはり野球は素晴らしい。

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2人の名将が犯したミス

2010.11.03

今日は、名将でも足をとられてしまう“陥穽”について考えさせられた1日だった。ここで言う「名将」とは野球の監督のことで、その試合とは、昼間の「早慶戦」と夜の日本シリーズ「千葉ロッテvs中日」である。

名将とは、共にこの日、敗れた慶應大学の江藤省一監督と千葉ロッテの西村徳文監督である。江藤監督は、選手個々の力では完全に劣っていながら、“監督力”の差を見せつけて早稲田に2連勝し、ついに優勝決定戦にまで持ち込んでいた。

江藤監督は、早稲田の応武篤良監督とは、選手起用のうまさ、野球に対する深い洞察力、選手を乗せる手腕、戦術……等々、まるでケタ違いの力を持っていたと言える。つまり、早慶両校は、監督の力量については、まったく大人と子供ほどの差があったと言っていい。

春の早慶戦でも“監督力”の違いを見せつけて、選手の力量では劣るはずの慶應が早稲田に圧勝。秋も2連勝で慶應が早稲田を圧倒した。しかし、優勝決定戦という“番外編”の今日、その江藤監督の側にミスが出たのだ。

そこには、さまざまな要因が入り込んでいた。江藤監督のコンピューターを最大に狂わせたのは、「4年生を(試合に)出してあげたい」という親心にほかならない。

早稲田のリードで試合が進む中、江藤監督は小刻みな投手リレーをおこなった。それは、投手に代打を出していくから必然的にそうならざるを得ないものだった。一人でも多くの4年生を彼らにとっての“最後の早慶戦”で出してあげたかったのである。

しかし、そのことが慶應の致命傷につながった。福谷や山形というまだまだ投げさせた方がいいピッチャーに代打を出して早々と降板させたため、最後になんと“投手のコマ”がなくなってしまったのだ。

そのため、斎藤をノックアウトした8回、1年生ピッチャーの金子に代打を出せずに、スクイズを失敗してしまう場面につながったのだ。あのスクイズ失敗の場面で、「それなら福谷や山形をなぜあんな短いイニングで変えてしまったのか」と首を傾げた慶應ファンは少なくあるまい。

最後の早慶戦で「4年生を(代打ででも)出してあげたい」という江藤監督の“優しさ”が勝利の女神に見放されてしまう原因となったのはなんとも皮肉だった。野球の非情さを見せつけた試合だったと言える。

夜の日本シリーズでも“名将”西村徳文監督の限界を見る場面があった。それは、3番井口に「バンドをさせない」という“特別扱い”を許した戦術である。

短期決戦の日本シリーズで、特定の選手を特別扱いしていては、勝負には到底勝てない。2度にわたるノーアウト1塁の場面で、井口に送りバンドをさせなかった西村監督は、勝負の厳しさの「意味」を突き詰めて考えるべきだろう。

本日、ほとんど手中に収めていた勝利を延長戦の末に手放した千葉ロッテは、今日の敗北で、「シリーズ全体の流れを失った」ような気さえする。

2人の名将が犯したミスは、極めて人間的なものであり、同時に名将こそが落ち込みやすい陥穽だったと言える。勝負の世界とは誠に厳しいものなのである。

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巨人指名「澤村投手」の目に光った涙

2010.10.28

注目の2010年プロ野球ドラフト会議が開かれた。単独指名で「巨人入り」が決まった瞬間、157㌔の大学球界ナンバー1右腕・中央大学の澤村拓一投手の目から溢れた涙が印象的だった。

記者会見でその理由を聞かれた澤村は、「(巨人に)自分の名前を呼ばれた時から、4年間のことをいろいろ回想してしまいました。ものすごく泣けてくるものがあって……」と述べた。

そして、「ここまで来れるのには、監督さん(高橋善正監督)や両親の支えがあったので、本当に心から感謝しています」とつけ加えた。

さらに澤村は、元プロの高橋監督の指導の下、「プロ野球選手になりたい」から「プロ野球で活躍したい」という風に意識が変わっていったことも明かした。

「上へ、上へ」という意識で徹底的に身体をいじめ抜き、大学時代に爆発的に“伸びた”ピッチャーが澤村である。その凄まじい努力の月日を思い出して、澤村の目から涙が流れたのである。

高校時代にまったく無名だった澤村が大学最速のピッチャーへと成長したことは、大学の野球部というものが、実はプロ球団にさえ負けない「人材育成の力を持っている」ことを示している。

今年の甲子園で春夏を制した興南の島袋投手が、この中央大学への進学を決めたのも、なんとなく頷ける気がする。

澤村が卒業したあとに中央大学に入って来る島袋投手。大投手の“バトン”をどう生かすか、今日の澤村の涙をどう感じとるのか、島袋君の将来はそこにかかっている。

4年後、ドラフトでの記者会見で「涙が流れる」ほど努力を続けた島袋君の姿を是非、見てみたい。

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二人の「名将」が示したのは何か

2010.10.19

千葉ロッテの西岡遊撃手はレフト前に抜けようかという難しいハーフ・ライナーをジャンプ一番、獲って優勝を決めた瞬間、うずくまったまましばらく動けなかった。

涙をこらえることができなかったのである。西岡をはじめナインの目から溢れた涙こそ、千葉ロッテのこの奇跡のパ・リーグ優勝がいかに過酷なものだったかを物語っている。

「チームの和」。彼らの力を極限まで引き出したのが、優勝インタビューで西村徳文監督が口にしたこのスローガンである。

西村監督というプロ野球人をかたち作ったのは5日前のブログでも書いた通り、“伝説の打撃コーチ”高畠導宏である。NHKの土曜ドラマ「フルスイング」で俳優の高橋克実が演じたあの高畠さんだ。

最後は高校教師となり、6年前にすい臓がんで亡くなった高畠氏の愛弟子こそ西村監督なのである。

ただ「足が速い」ということしか特徴のなかった選手時代の西村をスイッチヒッターに変え、朝昼晩500回づつ毎日1500回のスイングを課した高畠コーチ。西村の掌(てのひら)はズル剝け状態になり、摩擦によるやけどと、塗られたヨードチンキで真っ赤に染まった。

バットからなかなか離れない西村選手の両手の指は朝起きても曲がったままで、毎朝、お湯に漬けて一本一本の指を伸ばしてから西村は「顔を洗った」という。

この地獄の猛練習をつきっきりでやらせ、しかも、「褒めて褒めて、褒めまくる」という独特のコーチングで、最後まで西村選手を挫けさせなかったのが、高畠コーチなのである。

「チームの和」を掲げ、選手の自主性を重んじ、高畠コーチの「褒めて褒めて、褒めまくる」という選手の指導法を継承した西村監督。どんな逆境でも最後までチームが挫けなかったのは、西村監督の人柄と指導法を抜きには語れない。

ペナントレースの最終盤は、あと1敗したらシーズン終了という剣が峰の連続だった。その時、昨年までの茶髪姿とはまるで異なる新主将・西岡剛遊撃手らが踏ん張り、ついに一丸となった「チームの和」によって、千葉ロッテはパ・リーグの覇者となったのである。

「指揮官の人柄」と、それによって導かれる「チームの和」がいかに大切かを改めて教えてくれた千葉ロッテの快進撃だった。

それにしても、指揮官にとって「人柄」とは何だろうか、とつくづく思う。

セ・リーグのヤクルトに「奇跡」の復活を遂げさせた小川淳司監督代行(現在は監督)もまた西村氏と同じく「人柄」と「和の力」によってチームを生き返らせた人物である。

小川監督代行は、指揮を執った今年5月27日からは両リーグのすべての監督の中で最も高い勝率を挙げた。指揮官の人柄がいかに勝負の世界で大きな要素を占めるかを、今年のプロ野球は、「西村」と「小川」という二人の監督の活躍によって証明したと言える。

楽天が、北京オリンピックであれほどの醜態を晒した星野仙一氏をまたぞろ招聘しようというニュースが流れている折も折だけに、西村・小川という二人の名将の爽やかさが余計際立つのである。

昔の名前で出ています、とばかり、パフォーマンスと知名度ばかりを重視する監督選びは、そろそろ日本のプロ野球界も「卒業」したらいかがなものだろうか。

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いかにして“強大な敵”を倒すか

2010.10.14

パ・リーグのクライマックス・シリーズの千葉ロッテの戦いぶりを見ていると、スポーツにおいて「闘志」と「気迫」、そして「分析力」がいかに勝敗を分ける重要な要素となるかが、よくわかる。

エース清水もいなければ(横浜)、久保もいない(阪神へ)、おまけに頼りの大嶺、唐川という若手エースが故障欠場という最悪の投手陣の中で、成瀬一人といってもいいぐらいのピッチャーを西岡、今江、福浦、サブロー、里崎といったV戦士のベテラン野手たちが支えて勝利をもぎとっているのである。

第1ステージの西武戦では奇跡の逆転劇で延長戦を2戦ともモノにし、今日はソフトバンクのエース杉内を攻略して1勝を挙げた。

西村監督の手腕、恐るべしである。存在する戦力を最大限に生かして戦うやり方は、西村監督の師匠である伝説の打撃コーチ“高畠導宏”そのものといえる。

最後は高校教師となった高畠さんの生涯を描いた拙著『甲子園への遺言』がNHKの土曜ドラマ「フルスイング」として映像化され、反響を呼んだのは2年前のことだ。

私は、高畠さんが亡くなった平成16年に、当時、千葉ロッテのコーチを務めていた西村氏にいろいろ話を伺ったことがある。

高畠さんは、プロ野球界で“伝説の打撃コーチ”と言われる手腕と共に、相手投手のクセ読みや投球パターンの分析に人後に落ちない手腕を発揮した人物であり、西村氏はその愛弟子だった。

自らが首位打者となるまでの高畠コーチとの猛特訓と彼への恩義を語る西村氏には、うっすらと涙が滲んでいた。勝利への激しい闘志と冷静なデータ分析、そして選手への深い思いやりを高畠氏からそのまま「継承した指導者」が、西村監督その人なのである。

短期決戦で投手力が決定的に劣る千葉ロッテは、戦力的には誰が見ても劣勢だ。しかし、短期決戦だからこそ、「闘志」と「気迫」、さらには「分析力」によって、それを克服することが可能だ。

力の劣ったものが、いかにして強大な敵を倒すか。今の千葉ロッテを見ていると、創意と工夫と気力によって、戦後の奇跡の高度成長を成し遂げたかつての日本を彷彿させる。

千葉ロッテがソフトバンクを一蹴した今日の試合は、そんなさまざまなことを教えてくれる貴重な試合だった。

カテゴリ: 野球

イチロー「大記録」への道

2010.09.15

夜遅く、福岡から帰京した。5日間にわたる滞在で、福岡在住の知人・友人たちにも連絡できないほど取材に明け暮れた。

帰ってくると、東京はぐっと涼しくなっていた。雨まじりで、すっかり秋の気配を漂わせていた。一向に気温が下がらない福岡の暑さと対照的だった。

マスコミの関心は菅内閣の改造問題に移っている。しかし、そんなことより、私はイチローの動向が気になって仕方がない。ご存じ、イチローは今、10年連続の200本安打に「あと11本」まで迫っている。

“前人未到”などと言うはやさしいが、近代ベースボールがスタートして以来、これほどの安打製造機が日米で存在しなかったことは間違いない。

ピッチャーに球種がストレートとカーブしかなかった20世紀初頭は、グランドもぼこぼこだった。イレギュラー・ヒットが数多く出たその時代にジョージ・シスラーがつくった257本のシーズン通算最多安打をイチローは2004年に破った。

イチローが、「史上最高の打者」であることにクレームをつける人はいないだろう。バットコントロール、足の速さ、スイングスピードなど、あらゆる点で傑出しているイチロー。「10年連続」の200本安打というのは、メジャーリーグが続くかぎり「破られないだろう」という大記録である。

なんとか達成して欲しいと思う。日本人がメジャーに燦然と輝く大記録を持つことが感動的だ。私は、かねてイチローが持つ262本のメジャー最多安打を破る可能性があるのはヤクルトの青木宣親選手だけだと思っている。

しかし、その青木がメジャーに行ったとしてもさすがに「10年連続200本安打」を達成することは無理だろう。

それほどこの記録は難しい。いつケガが襲うかもしれない中で、イチローは節制を忘れず、ひたすら記録に向かって突き進んできた。「あと11本」――なんとかこの大記録を達成して欲しいと願う。

日本人がベースボールの歴史の上で「頂点に立つ」ことを多くのファンが見守っている。

カテゴリ: 野球

大学野球と民主党代表選

2010.08.31

今日は時間をつくって、昼から神宮球場へ出かけてきた。中央大学創立125周年記念硬式野球交流戦の「中央大学vs早稲田大学」の試合を観戦するためである。

両チームには、学生最速を誇るエース澤村拓一(中央)や、斎藤佑樹、大石達也、福井優也(いずれも早稲田)という「ドラフト1位候補」が何人もいる。いわば学生野球のトップに立つ両チームの激突だった。

7月に左わき腹を痛め、この日が復活戦の澤村、早稲田も福井、大石などが登板し、それぞれがプロ注目の球を披露した。試合は、1対0で迎えた最終回に早稲田が中央の渡邊洋平投手の制球の乱れにつけこんで3点を挙げ、4対0でそのまま中大を下した。

しかし、ドラフト候補の澤村、福井、大石は共に相手に得点を許さず、貫禄を見せつけた。試合後、それぞれにインタビューをしたが、なかでも目立ったのは、澤村の強気ぶりである。

この日もマウンドに上がるや、いきなり154㌔の球を連発したが、記者から「150㌔のボールを連発したが……」という質問が飛ぶと「150というのは、(僕にとって)特別な数字じゃないです」と平然と答え、左わき腹のケガについて質問が出ると、「(もう)投げられるので、ケガのことはこれ以上、聞かないでください」と、言い放った。澤村は、そんな負けず嫌いな勝負師としての表情を記者たちに垣間見せた。

その後、私は旧知の高橋善正・中大監督に澤村のことを聞いた。高橋監督は、「(澤村は)どこまでも貧欲な奴だ。ここまで自己管理ができるのは、プロでもなかなかいない。スピードにこだわり、ついにはセレクションの時には141㌔に過ぎなかった男がここまで来た」と、満足気に語った。

高橋監督は、斎藤佑樹との比較でも「伸びしろが全く違う」と、愛弟子の澤村が数段上であることを示唆した。大学の4年間で何を得て、何を失うか。それぞれの投手が選んだチームによって、「伸びるか否か」が決まる。澤村の伸びは、この高橋監督の存在なくしては語れないだろう。東映時代に完全試合を達成し、巨人に移籍後も、V9に貢献したこの投手出身の監督に出会えたことは、澤村にとってはかり知れない財産になったに違いない。

春夏の甲子園の覇者・興南の島袋投手も「中大を志望している」という報道が出ているが、澤村の大学入学後の底知れない“伸び”を考えると、それも頷ける気がする。

いよいよ大学野球は、秋季リーグ戦がスタートする。どのリーグからも目が離せない。

神宮から帰ってくると、政界では、「菅vs小沢」の対決が回避できず、いよいよガチンコ勝負になることが報道されていた。2日前のブログでも指摘した通り、挙党一致体制の構築と組織対策費の流用問題を不問に伏すという2つの条件を菅総理に呑ませて、「土壇場で小沢が下りる」という可能性はこれで消え去ったのだ。

いよいよ代表選は、仁義なき怨念戦争に突入した。党分裂は、もはや必至の情勢だ。代表選後、小沢一派が、ひたすら権力に近づきたい公明党に、どうアプローチしていくのか、要注目である。

カテゴリ: 政治, 野球

興南の「春夏連覇」に思う

2010.08.21

実力的には一歩上まわると見られていた興南(沖縄)が東海大相模(神奈川)を完膚なきまで打ち砕いた。島袋投手の春夏連覇は、見事というしかないものだった。

東海大相模の一二三投手の立ち上がりは素晴らしかった。ストレートはもちろん外角へのスライダーも制球がよく、内角へのシンカーも切れており、今大会で一番の出来と言えた。

しかし、逆にその調子の良さが、あるいは真っ向勝負という過信を生んだのかもしれない。4回裏に見せた興南の怒濤の攻めは一二三を一気に呑みこんだ。3番の強打・我如古は抑えにくいとしても、一二三は調子が上がっていない4番・真榮平をどう抑えられるかを私は「今日の試合のポイント」と見ていた。

一二三は、最初の打席こそ真榮平を抑えたものの、ベルト付近の球を基本に忠実にフルスイングで叩く真榮平の打棒がやがて一二三を捉えていく。我如古と真榮平の打撃がそろい踏みで火を噴いたら、もう興南打線は手がつけられない。

4回の一挙7点を皮切りに、終わってみれば13対1という大差で、興南の春夏連覇は達成された。数日前のブログでも書いた通り、興南が初めて夏の甲子園で初勝利を上げ、そのまま準決勝まで突っ走ったのは昭和43年夏の甲子園である。

しかし、ベスト4で下手投げの沈着な丸山投手を擁する大阪の興国が、準決勝で興南を14対0で圧倒し、興南の悔しい夏が終わった。その時の主将こそ、現在の興南の我喜屋監督である。

あの大会では、静岡商業の2年生投手、新浦(のちに巨人)と、沖縄の夢と期待を一身に浴びた興南の活躍が大会の華だった。

以来42年の時を経て、ついに沖縄県は悲願を達成したのである。沖縄チームの日頃のひたむきな練習とプレーぶりには定評がある。豊見城と沖縄水産で指揮をとり、沖縄を全国レベルに引き上げた故・栽弘義監督のスパルタ練習が沖縄野球の基本だ。

ここ数年を見るだけでも、大嶺、東浜、島袋……と、全国屈指の本格派投手を沖縄は生み続けている。沖縄水産が裁監督のもと、2年連続して夏の甲子園決勝に進出しながら、それでも届かなかった悲願。沖縄の野球関係者の努力と執念に改めて頭が下がる。

21世紀になって以降、かつての野球県の凋落が著しい。以前の名声に胡坐をかいて努力と工夫を怠った県は、いま新興の野球県に完全に追い落とされている。

妥協の許されない勝負の世界に“甘え”は許されない。沖縄のような切磋琢磨の環境をつくり上げることがそれぞれの県のレベルアップにつながる。沖縄の野球人が成し遂げた奇跡を今、全国の野球関係者が学ぶ時が来たのである。

カテゴリ: 野球, 随感

島袋の「気迫」が球をホップさせた

2010.08.20

145㌔、144㌔、145㌔、144㌔、144㌔。9回裏、報徳学園の最後の打者に向かった興南・島袋の気迫の投球に、甲子園はもちろん、テレビを見つめる全国のファンが息を呑んだ。

最後のストレートは、乗り移った島袋投手の気迫が球をホップさせ、その分だけ、バットは空を切った。6対5、二死三塁、一打同点の絶体絶命のピンチを島袋は三振で締めくくったのだ。

序盤で0対5という大差をつけられた興南の勝利への執念は凄まじかったが、島袋投手のそれは、もはや“鬼”と表現するしかない。2回裏に満塁から走者一掃の三塁打を打たれた島袋は、この時も146㌔のストレートを連投している。

ピンチに立った島袋は、得意のスライダー、あるいはチェンジアップを投げない。あくまでストレート勝負にこだわっている。「変化球でかわそうとして打たれ、悔いを残したくない」――島袋はそう考えているに違いない。

昨年の春と夏、甲子園の初戦で共にサヨナラ負けをした島袋は、「悔いの残る勝負だけはするまい」と心に誓っているのだろう。あの悔しい敗戦を経験した島袋君は、必ずそう思っているはずだ。

明日も凄まじい試合になるだろう。クジ運に恵まれたとはいえ、東海大相模の実力もやはり侮りがたい。総合力では興南が上まわるが、東海大相模の強打は島袋にとっても大きな脅威だ。

明日は、全国制覇に対する執念と気迫が上まわった方が勝つ。久しぶりに実力伯仲の強豪同士の決勝戦である。島袋(興南)、一二三(東海大相模)という「最後の舞台」に賭ける大投手の意地を見てみたい。

カテゴリ: 野球, 随感

興南・島袋洋奨は“伝説の大投手”になるか

2010.08.18

夏の甲子園で全国制覇を成し遂げるには、必ず絶体絶命に陥る試合がひとつはある。それを克服して初めて深紅の優勝旗を獲得できる。

これまで歴代の優勝校はそうしたドラマを経験している。春夏連覇を目指す興南にとって、私は今日こそ「その日」ではないか、と秘かに思っていた。

今日の対聖光学院戦は、2回表に島袋が痛打されて3点を先行された時点で、私のその予想はあたるかに見えた。しかし、強力な興南打線は、そんな私の予想を簡単に打ち砕いた。決して体格に恵まれているチームではないのに、興南打線の破壊力は凄まじかった。

一人一人が腰を据え、あるいはバットをしぶとくおっつけて、聖光学院が繰り出す投手陣に食らいついていった。追いつき、逆転し、突き放しても、興南打線は自分たちのスタイルを変えない。それぞれが自分のバッティングを貫き通したのだ。終わってみれば10対3という大差でベスト4進出を決めた。

私は、この打撃を見ながら、悔しい思いをした40年以上前の試合を思い出した。興南旋風が吹き荒れた昭和43年夏の甲子園だ。それは沖縄返還の4年も前のことだった。本土の強豪校とはレベルも練習試合の経験も圧倒的に劣っていた興南高校は、この年、強打と粘りのある守備力で旋風を巻き起こしながら、勝ち進んでいった。

ついにベスト4まで勝ち上がった時、日本中が判官贔屓で熱狂した。しかし、ベスト4の相手は、大阪の強豪・興国高校。丸山投手を中心とした投打にスキのなかった興国は、疲労の見える興南に「これでもか」と襲いかかり、興南は0-14という大差で敗れ去った。

まだ子供だった私は、この“大敗”が悔しくてならなかった。1点でも、2点でも興国から点をとらせてあげたかった。しかし、勝負の世界の非情さは、甲子園の判官贔屓をあざ笑うかのようだった。興国は容赦なく興南を攻めつづけたのだ。

以来42年の星霜が流れ、興南は今日、それ以来のベスト4進出を決めた。あの悔しい大敗の時の主将こそ、いま興南の指揮を執っている我喜屋優監督である。

あの時の悔しさを知るオールド高校野球ファンも少なくなっている。沖縄返還前のアメリカ統治下時代に甲子園で旋風を巻き起こした我喜屋さんが、ついにあの折の「悔しさを晴らす時」が来たのである。

エース島袋は、これまでのどの沖縄チームのエースにも負けない実力とハートを持ち合わせている。果たして、沖縄初の夏の全国制覇と、そして史上7校目の春夏連覇を果たせるか否か。伝説の大投手への道まで「あと二つ」だ。


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甲子園と御巣鷹山

2010.08.09

ここまで成長できるのか。大会3日目、今日の早稲田実業の鈴木健介投手には、そんな思いにさせられた。身長は173センチで投手として決して大きくはない。そして特別に球が速いわけではない。

しかし、西東京大会決勝戦の日大鶴ケ丘戦、今日の倉敷商業戦と連続完封の鈴木投手の成長には目を見張るばかりだ。

今日は日大鶴ケ丘戦ほど得意のチェンジアップが狙ったところにいってなかったが、それでも倉敷商業に狙い球をまるで絞らせなかった。

私は、鈴木君が日大鶴ケ丘戦で見せた左バッターの外角にゆらゆら揺れながら外へ向かって落ちていくチェンジアップは“魔球”だと思う。そう呼ばせてもらうに足る威力を持っている。それほど鈴木君のチェンジアップは絶妙なのだ。

130㌔台の速球は、決して出場チームのエースの中で目立ったものではない。昨年春、背番号9をつけ、同期のエース小野田俊介君の後塵を拝していた鈴木君とはひと味もふた味も違った成長の姿だった。

次の対戦相手は、昨夏の覇者・中京大中京である。あの絶妙のチェンジアップが思ったところに落ちなければ、勝利は難しいだろう。古豪同士の勝負の行方は今から待ち遠しい。

ところで、新刊の拙著「風にそよぐ墓標―父と息子の日航機墜落事故」(集英社)が全国の書店の店頭に並んだ。私のもとにぞくぞくと感想が寄せられている。「涙なくしては読めない」「一気に読ませてもらった」という感想がほとんどだ。

私は、遺族の苦悩が忘れ去られた時、あの事故の教訓は消え去る、と思っている。あの悲劇を風化させてはならないと心から思う。これまで表には出て来なかった「父と息子」の物語に、是非、思いを馳せて欲しいと願う。

25年前の夏、甲子園に出場した東農大ニ高の選手の父があの事故で亡くなっている。あの夏の風景は、異常な暑さと共に私の脳裏に今も鮮明に残っている。

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いよいよ始まる甲子園

2010.08.05

いよいよ夏の甲子園が始まる。待ちに待った開幕である。選抜の優勝校・興南を筆頭に、2年連続優勝を目指す中京大中京、クジ運に恵まれた東海大相模、激戦区・大阪を制した履正社、斎藤佑樹以来の全国制覇を目指す早稲田実、四国の強豪・明徳義塾、好投手・中川を擁する成田……など、注目校が目白押しだ。

昨年の中京大中京と日大文理との決勝戦はネット裏で見たが、9回裏の異様な甲子園の雰囲気が忘れられない。すり鉢状のあの甲子園が、ワッショイワッショイとひとつになった時、その雰囲気に抗(あらが)うことはとても無理だ。

なにより審判が雰囲気に呑まれてしまう。異様な熱気に審判のジャッジが加わり、もはやドラマの主役は観客がアト押しする側になってしまうのである。

たった一つのアウトをとるまでに、中京が大量失点を重ねた昨年の9回裏は、今後も長く甲子園に語り継がれるだろう。

今年は、まず春の覇者、興南の島袋投手が、四国勢の挑戦を受ける。島袋がどんな快投乱麻のピッチングを見せ、それに相手がどう食らいついていくか。今から楽しみだ。

カテゴリ: 野球, 随感

スラッガーを発掘せよ

2010.07.26

3日前のブログで書いた二人の孤高のエースは、甲子園への厚い壁を破ることができなかった。そして、その両投手を破った強豪が昨日今日と、相次いで甲子園へ名乗りを上げた。

高知の明徳義塾と西東京の早稲田実業である。両チームは、ピッチャーのタイプや打線のつなぎ方が極めて似ている。都会的なスマートさ(早実)と、田舎の泥臭さ(明徳)の差こそあるが、両チームは今大会のダークホース的存在になりそうだ。

さて、今日は、世界大学野球選手権に出場する大学日本代表チームとプロ野球の若手選抜が激突した。今や大学球界ナンバー・ワンの左腕にのし上がった東洋大学の藤岡貴裕がプロ選抜の打線を5回無得点に封じ込めた。プロの打者といえども藤岡の速球とスライダーは打てない。また注目の東海大学の菅野智之が153㌔のスピードボールを連発するなど、観衆を湧かせた。

試合は、プロ選抜が4対0で勝ったが、大学球界の好投手がマウンドに上がれば、プロの打者でもそうは打てないことが証明された。

しかし、ここ10年以上つづく大学球界のスラッガー不足はいよいよ深刻だ。中央大学の体重100㌔の巨漢・井上晴哉が打線の4番に座り、振り幅の大きい豪快なスイングで注目を浴びたが、ほかは小粒で、プロのピッチャーからライナーを飛ばすことなど、とても望めないレベルだった。

アメリカやキューバといったキレとスピードで勝負してくる本格派投手を大勢抱えるチームとどうやって戦うのか、極めて心もとない。

投手力では世界屈指となりながら、スラッガー発掘に苦戦をつづける日本球界。なんとか救世主が現れて欲しいものだ。

野球の魅力は、なんといっても鋭いライナーが外野を抜けていくスピード感にある。基本はやはりスラッガーのパワーである。才能ある打者たちには、地道な努力でパワーアップを果たしてもらいたいものである。

さて、夏が来ると、ブログも自然と野球関係が増えてくる。迷走する菅政権についての論評もあす以降させてもらうが、国民の目が政治から別に向いていることで辛うじて菅さんも権力の座に踏みとどまっている感じがする。

支持率が下がれば終焉を迎える菅さんにとって、暑い夏こそ正念場だ。

カテゴリ: 野球, 随感

孤高のエースは甲子園へ行けるのか

2010.07.23

夏の甲子園大会の予選が各地で佳境を迎えている。高校生活3年間の総決算である夏の選手権大会は、特に予選がおもしろい。筋書きのないドラマが展開され、いつになっても手に汗を握らされる。

特に孤高のエースがマウンドを守るチームは、つい応援にも力が入る。夏は過酷な炎天下の中で連投となるため、複数エースを擁する伝統校が、やはり最後に笑うことが多い。

たった一人でマウンドを守り、最後は連戦の中、伝統校に力尽きて敗れていくエースの姿を私はこれまで数多く見てきた。力及ばず、壮烈な最後を遂げて高校野球を卒業していくエースたちの姿はいつ見ても感動的だ。

高校野球は人生の中で3年間だけしか許されない“限定された闘い”である。それだけに、勝つ側も負ける側も、試合にぶつける思いは強烈で、そこから死力を振り絞った筋書きのないドラマが生まれるのである。

私は明日(土)、伝統校に立ち向かう二人のエースに注目している。西東京の早稲田学院、千葉投手と高知・岡豊高校の田内投手である。

二人は共に171センチと、昨今のピッチャーの中では小柄な部類に属する。早稲田学院の左腕・千葉がスクリューボールやスライダーを駆使して打者を翻弄し、最後はずばりと内角を突く思いっきりのいいピッチングを身上とするのに対して、岡豊の田内は、強靭な足腰のバネを武器に、140㌔台のストレートとキレのあるあるスライダーを武器に真っ向から打者を切ってとる右の本格派だ。

この小柄な左右の両エースは、強豪をなぎ倒して準決勝まで進出、それぞれベスト4で伝統校と激突する。早稲田学院は、姉妹校の早稲田実業と、岡豊高校は強豪・明徳義塾との闘いである。共に全国制覇の経験のある伝統校に対して、連投のエースが挑むのである。

千葉は5回戦、準々決勝と連続完封を成し遂げ、特に東亜学園との我慢比べになったベスト8では、スクイズで挙げた1点を、ピンチに耐えて守り切った。一方の岡豊・田内は、昨秋、今春の四国大会で快速球を披露して上位へ進出し、春の選抜への出場要件を満たしながら選抜されなかった悲運のエースである。

共に炎天下の中、強豪校に挑む二人。彼らのような孤高のエースが、すでに全国で次々と姿を消している。沖縄から春夏連覇に向かって名乗りを挙げている興南のエース島袋に檜舞台の甲子園で闘いを挑む孤高のエースは誰か。その雄姿を早く見てみたい。

カテゴリ: 野球, 随感

菅首相が枕を高くして眠るには……

2010.06.13

仕事の合間を縫ってなんとか全日本大学野球選手権の決勝戦を観に行って来た。最初にこの大会を見たのは1979年だったから、すでに30年以上も観つづけていることになる。

今年の決勝戦、東洋大学(東都大学連盟)対東海大学(首都大学連盟)の激突は、例年にも増して好投手の対決となった。

昨日のブログでも書いたように東洋の本格派左腕・藤岡と東海の150㌔右腕・菅野という来秋のドラフトの目玉“3年生エース”の対決となった。

しかし、昨日の慶応大学戦で17奪三振の菅野は連投となり、一方、藤岡は中1日の休養を得ている。「その差が出る」と予想したが、案の定、菅野は日頃の剛腕が影をひそめ、一方、藤岡は快速球とスライダーを自在に操り、強打の東海大打線を翻弄した。

試合展開を追いながら、絶対にミスを見せない東都のチームの強さを改めて感じた。東海大学は首都大学リーグで無敵の10戦全勝。しかし、東洋は中央の澤村投手に2敗を喫するなど、このシーズンで「3敗」しての逆転優勝だった。

つまり、東洋は苦戦の中から這い上がってきており、一方、東海は強豪チームとの競り合いが少なかった。野球というのは、そういう凌ぎ合いの経験の有無が勝敗を分けるスポーツである。東洋の喫した「3敗」こそ、両者の“力の差”となるわけである。

終わってみたら強豪に揉まれた末に全日本選手権に出場してきた東洋に、やはり1日の長があった。結果は5対0。その差は、東都と首都という2つのリーグ戦の切磋琢磨のレベルの差であったと思う。これで23回目の最多の優勝を記録した東都。秋の明治神宮大会、そして来年の全日本に向けて、ほかのリーグの奮起を望みたい。

さて、話題は変わるが、政界では、菅内閣の“反小沢”の姿勢がますます鮮明になっている。当ブログでもずっと指摘しつづけてきた検事総長の民間登用が実現せず、大林宏・東京高検検事長の検事総長昇格が決まった。

民間登用と称して、自らの息のかかった弁護士を検事総長に就けようとした小沢氏の望みはついに叶えられなかった。検察は、これによって対小沢戦争で“息を吹き返した”のである。

菅首相が枕を高くして眠るには、小沢氏の政治権力が完全に「失われること」にある。検察はそのことをよく知っている。つまり、再び小沢vs検察の仁義なき戦いが始まるのである。興味は尽きない。

カテゴリ: 司法, 野球

「W杯開幕」にもかかわらず……

2010.06.12

ワールドカップが開幕したにもかかわらず、日本はどうにも盛り上がっていない。岡田武史監督のやって来たことへの不満がサッカーファンに重く、深く沈澱し、4年に1回のお祭りであるにもかかわらず、心から日本を応援できないのである。

コトここに至って、本田圭佑を急造のワン・トップにして直前の練習試合に臨んだ岡田監督。これに絶句したファンは少なくないだろう。

今から12年前のフランスW杯で、岡田監督はチームの精神的支柱でもあったFW三浦カズを最終段階で落選させてプライドをズタズタにした。その上で、城彰二のワントップに固執して「惨敗した」ことが昨日のことのように思い出される。

あの時、カズがいなくなった時点で、呂比須ワグナーをFWの柱に据えるのかと思ったら、岡田監督は城のワントップに固執し、惨めな敗北を喫するのである。

問題なのは、本田の急造FWが成功するかしないか、ではない。コトここに至って、FWという最も「点を取る」役割を背負わされた選手がいまだに確定せず、絶対的な得点パターンのフォーメーションがつくり上げられていないことにある。

こんな状態でW杯に臨まなければならない日本チームの“不幸”の責任は、すべて、早稲田の後輩であり、古河電工の後輩である岡田監督を代表監督に押し上げた川淵三郎・元日本サッカー協会会長にある。今回のW杯で、日本代表に“失望”以外の何がもたらされるだろうか。

一方、以下は野球の話である。全日本大学野球選手権がいよいよ大詰めの準決勝を迎え、本日、東海大学の菅野智之投手が格の違いを見せつけ、慶応大学を一蹴した。

この東海大学(首都大学)と慶応大学(東京六大学)の激突は注目された。しかし、菅野は慶応打線につけ入るスキを与えず、17奪三振、4安打完封で慶応を切って取った。

戦前の予想通りの結果と言える。食らいつくバッティングを身上とする慶応の粘りの打撃もまったく150キロを超す菅野のキレのあるストレートには通じなかった。

東海大学は明日、東都の覇者・東洋大学との決勝戦に臨む。しかし、さすがに相手が東洋となると“キツい”のではないか。菅野の連投は厳しい上、東洋には1日休んだ本格左腕・藤岡貴裕が控えている。共に来年のドラフト1位が確実視される絶対的な3年生エースである。

東都の強さが、鎬を削る入れ替え戦にあるのは野球界で広く知られている。昨秋の明治神宮野球大会で日本一になった東都の立正大学は今週、入れ替え戦で青山学院大学に敗れ、2部に転落した。

立正大学は「日本一」の立役者で絶対的なエースである南昌輝投手を擁しているが、それでも日本一から、いきなり「2部落ち」なのである。これが東都大学というリーグの怖いところだ。

明日の決勝戦、順当なら東都の覇者・東洋大学が一枚上だと見る。さて、どうなるか。

カテゴリ: サッカー, 野球

政界の激動を横目に

2010.06.03

今日は、政界の激動を横目に、新宿でコアな野球人たちの集まり「甲子園会」の飲み会が久しぶりにあった。

昭和50年夏の甲子園で大活躍した上尾高校の4番で元巨人の中村昭氏(現・ジャイアンツアカデミーコーチ)や、スポーツジャーナリストの佐野正幸さん、瀬川ふみ子さん、そして現役の明治大学野球部の面々まで、異色の野球人たちが揃った。

「龍馬伝」人気にあやかったのか、近く「長宗我部」という新刊を出す元共同通信の長宗我部友親さんまで飛び入り参加し、ソムリエ日本一の濱田知佐さんらも加わり、わいわいガヤガヤと3時間にわたって楽しく飲んだ。

話題は、「野球」から「歴史」まで広範囲にわたったが、かくいう私も、1か月前に「この命、義に捧ぐ―台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡」(集英社)を出したばかり。幸いにすでに3刷となり、順調に部数を伸ばしている。

来月(7月)には、「新潮45」に1年間連載したスポーツドキュメント「あの一瞬」を大幅に加筆したスポーツノンフィクションも出るので、大いに宣伝をさせてもらった。

政界の激動は、菅直人・新首相の誕生で収まりそうだが、“鳩山後継”を強調する菅直人氏が、民主党の子供じみた“幻想的政策”をどこまで現実へと修正できるのか、注目だ。

幸いに社民党の連立離脱で、足枷(あしかせ)が一つ取れたことは事実。しかし、市民運動家出身の菅氏が、先祖がえりをするなら、この国の悲劇は「鳩山後」も続くことになる。

安全保障問題をはじめ、市民運動家の理解を超える事態がアジアでは進行している。新首相には、毅然とした道を歩んで欲しい。

カテゴリ: 野球, 随感

大学野球の醍醐味

2010.05.07

昨日は、東都大学野球1部リーグの天王山・中央大学対東洋大学の首位決戦を神宮球場に観に行った。中央の澤村拓一は、一昨日の対東洋戦の一回戦で大学史上最速の157㌔をマークし、ネット裏に集まった日米14球団のスカウトたちの度肝を抜いた本格派だ。

相手の東洋は、同じく今年のドラフトで1位指名が確実と言われる乾真大、鹿沼圭佑の4年生投手に加え、来年のドラフトの目玉・藤岡貴裕投手(3年)まで擁する現在の大学球界ナンバー・ワンの投手力を誇る強豪だ。

初回に東洋の先頭バッター坂井貴文がいきなり澤村の真ん中高めのストレートを流し打ってレフトに先制ホームラン。波乱含みの展開を思わせた。

しかし、中央が逆転し、突き放す展開の中で目立ったのが、澤村の粘りのピッチングだった。2日前、157㌔を出した時の身体のキレがなく、この日は、明らかに身体が開き気味で、疲労の蓄積を感じさせた。

だが、こういう調子の悪い日を凌ぐ術(すべ)を澤村はいつの間にか身につけていた。力を抜いて140㌔台後半のストレートと、落差のあるカーブ、切れ味鋭いスライダーで打者を翻弄するピッチングを続けた。我慢に我慢を重ねる投球は、去年までの澤村とはまったく別人である。

昨年11月、プロ野球選抜の「アンダー26」チームとの間でおこなわれた試合で、澤村は、巨人の坂本勇人を外角低めの快速球で三振に切ってとった。「この一球で澤村は大きく成長する」。ネット裏で観戦していた私はその瞬間、そう思った。

キレのある速球があれば、プロの一流選手でも抑えることができる。澤村は、そのことを実感したのではないか。それは、力みのないフォームから繰り出すキレのある、伸びのあるストレートである。

早稲田の斎藤佑樹が、そこそこのスピードを出しながら、この「キレのある、伸びのあるストレート」をまだ掴み切れず、苦しんでいる。澤村が、現時点で実力の上で「斎藤を大きく上まわっている」ことは間違いない。斎藤の巻き返しもまた、注目される。

試合は、中盤から終盤にかけて中央打線が爆発し、結果的に12対4の大差で中央が圧勝した。澤村、乾、鹿沼、藤岡という4人のドラフト候補がそろい踏みするというマウンドを観ることができた贅沢な大学野球の一日だった。

「入れ替え戦」という存在によって支えられた東都大学野球1部リーグの強さに、久しぶりにアマチュア野球の醍醐味を見た。

カテゴリ: 野球

好投手激突の大学野球

2010.04.24

今日は、東京六大学の前半のヤマ場、明治対早稲田の一戦があった。明治は野村、早稲田は斎藤の両エースが先発したが、野村のストレートの切れと落差のある変化球が、斎藤の出来を遥かに上回っていた。

まだ勝ち星のない斎藤は、今日も球に伸びがなかった。ストレートは、そこそこの球速が出てはいるものの、打者の手元に来てからの伸びがないため、得意の落ちるボールで打者を幻惑できないのである。

プロに進めば、あの落ちる球は悉く見極められるだろうから、斎藤は苦しい。試練である。それに比べ、野村が真っ向から投げ込むストレートやスライダーは凄みがあった。

そのままプロ級だ。伸びを持つ投手と持たない投手の決定的な差が、今日は出たようだ。

今週は、もう一人、プロの注目を集めるピッチャーが神宮に登場した。東都大学の中大・澤村である。常時150キロを超えるストレートを投げ込む大学球界ナンバー・ワンの本格派だが、その澤村にしても伸びを欠くと、立正大におもしろいように痛打された。

初戦では、イチ、ニ、サンという具合に、ストレートにうまくタイミングを合わされ、澤村は、わずか3回で降板。だが、翌々日に今度は、きちんと“修正”し、立正を被安打4に封じ込んだ。

昨秋の明治神宮大会で日本一になった立正大学相手だけに、今年のドラフトの目玉・澤村の実力がタダものではないことが、この一戦を見るだけでわかった。

斎藤の投球にキレが出ないままシーズンが進むのか、プロのスカウトも注目している。斎藤は、初戦の立教戦で、あまり右ひざを曲げない新しいフォームを試していたが、途中ですぐにもとのフォームに戻している。

試行錯誤を繰り返しているようだが、今は斎藤君にとって、4年の春季リーグだ。集大成ともいえるシーズンを迎えているだけに、少し寂しい。

全日本大学選手権にどのピッチャーが駒を進めるのか、今から楽しみである。今年ほど大学球界に好投手が集(つど)う年は珍しい。斎藤君の奮起を期待したい。

カテゴリ: 野球

東京六大学の開幕

2010.04.10

今日、東京六大学が開幕した。花冷えの日が続いていた東京は、気温が20・2度まで上昇し、汗ばむほどの陽気となった。朝夕は、コートさえ必要だった昨日までが嘘のような五月初旬の気候である。

私は今日、神宮球場の一塁側スタンドにいた。早稲田を今年卒業した面々と早稲田対立教の一戦を観るためである。今日のスタンドには、NHKに入った高屋敷仁君や電通に入社した武石周人君、野村証券に入社した小松優介君など、卒業したばかりの野球部OBがずらりと顔を揃えていた。

「開幕のせいなのか、動きが硬いですね」とは、隣に座っている小松君の言だ。試合前の早稲田側のフィールディングが妙にぎこちなく、“先輩”の厳しい目は、フィールド内の後輩たちの細かな動作に心配気に注がれていた。

初回から140㌔台後半の速球をびしびし決めた斎藤投手も、5回にコントロールミスの一球を立教の4番・岡崎君にレフト中段に放り込まれた。

まだ、試合勘が戻らず、甘さを感じさせる投球だった。だが、試合は、3対2で早稲田のサヨナラ勝ち。ストッパーとして出てきた大石投手の150キロ台連発のストレートと共に球場は大いに湧いた。

スタンドには、この3月末まで早稲田実業で野球部のコーチをしていた旧知の江口昇さんもいた。見れば、隣に早稲田実業の和泉実監督もいる。

久しぶりだったので、試合を観戦しながらお二人といろいろ話をさせてもらった。「教え子の活躍を見に来た」と仰る二人が羨ましい。やはり球場に来た“野球人”はそれだけで生き生きしているように見えた。

江口さんは今年72歳だが、とてもそんな歳には見えない。白髪の老人たちが数多くいるネット裏の方角を見ながら、江口さんは「私なんか神宮へ来たら、まだまだ“小僧”ですよ」と笑いながら言っていた。

70歳を超えてもまだ“小僧”とは、さすが早稲田野球部、伝統校である。脈々と受け継がれてきた「伝統」の重みを感じさせてもらった。

ひと振りに賭け、一投に思いを託してきた選手たちのドラマ。今年も楽しませてくれそうだ。

カテゴリ: 野球, 随感

高校野球と永田町

2010.04.03

ついに興南の島袋投手が全国の頂点に立った。昨年春と夏に共にサヨナラ負けを喫して「1勝が遠い」と涙した島袋君が、今度は決勝のマウンドで歓喜を全身で表わした。

終わってみれば、延長12回で10対5の5点差。しかし、紫紺の優勝旗は日大三に渡っていてもおかしくなかった。いや、私は途中から日大三の方が「優勝するだろう」と思っていた。

理由は、6回裏の日大三の同点の場面にある。逆転されていた日大三は、8番大塚が島袋の外角高めのストレートを右中間スタンドに放り込み、1点差に。そのあと9番の鈴木がライト前にポテンヒットを放ち、それがライト線に転がる間に一挙に三塁まで進んだ。

浮足だった興南ナインの虚を突いて、日大三の小倉監督は1番小林に初球スクイズを命じた。ピッチャーとサードの間に転がったボールを島袋は一塁に投げることもできず、同点となった。

エラーが続出し、大味なゲームになりかけた中で、優勝への執念を見せた智将・小倉監督らしい同点劇だった。

直後の7回表、興南は無死二塁のチャンスに、三番の安打製造機・我如古が、一、二塁側に転がすこともできず、レフトフライ。ランナーを進められなかったために結局、興南は無得点に終わる。

当たっている我如古でも、興南は敢えて三塁へ進ませるための送りバントか、最低でも一、二塁間に転がす指示をしなければならなかった。しかし、我如古は身体が開いたレフト方向へのスイングを繰り返して、レフトフライに終わってしまうのだ。

この攻防と両ベンチの采配を見る限り、「1点」にこだわる意識は、興南の我喜屋監督より日大三の小倉監督の方が明らかに勝(まさ)っていた。

この時までにすでに5失策を記録していた興南に「勝利は薄い」という気が私はした。興南のサード我如古は、いわゆるイップス状態を呈し、一塁への送球に支障を来たしていた。それも日大三の優勝と思った理由の一つだった。

しかし、勝負とはおもしろいものである。いや“恐ろしい”と表現をした方がいいかもしれない。延長12回表、その日大三に2つの失策が飛び出して一挙5点が興南に入り、勝負は決まった。

結局、味方の反撃を我慢に我慢を重ねてひたすら待ちつづけた島袋の粘りと執念に、勝利の女神が最後に微笑んだのである。苦しかった昨年の春・夏のマウンドを思うと、島袋には万感の思いがこみ上げたに違いない。

今年の選抜甲子園は、終盤、強豪同士の激突が繰り返され、久しぶりに手に汗を握った大会だった。夏の甲子園が、今から楽しみだ。

一方、甲子園から遠く離れた「永田町」では今日も激震がつづいている。

報道が先んじていた形だった与謝野馨・元財務相が本日、自民党に離党届を出し、「与謝野・平沼新党」発足に向かって正式に走り始めた。

混迷する政界にあって、「自民でも民主でもない」有権者を取り込むために“第三極”の存在が待たれていたが、果たしてこの新党はそれを吸収できるだろうか。

私見を言わせてもらえば、その可能性は極めて小さいだろう、と思う。与党民主党が失点を繰り返す中、与謝野氏が分裂の引き金を引く大義名分がないのだ。ただ「総理になりたくて」離党を強行したようにしか国民には見えないのではないだろうか。

おそらく与謝野離党に促されて、ほかの“第三極”予備軍も一挙に動き出すに違いない。“第三極”が乱立すればするだけ与党民主党にはありがたい。それらが参院選用の“泡沫政党”という存在にとどまる可能性が高くなるからだ。

そうなるのか、ならないのか。小泉郵政選挙の折、自民党で“信念”を貫いた平沼赳夫が新党には参加する。策士でもある平沼氏の戦略が、大いに注目される。

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伯仲した決勝戦を

2010.04.02

今日はプライベートでは息子の大学の入学式があり、夜は、高校の先輩であり、ノンフィクションの世界の先輩でもある塩田潮さんのパーティーがあるなど、腰を落ち着ける暇がなかった。

塩田さんのパーティーには出版界や新聞の世界などの旧知の人が多く、会場でいろいろと話し込んだ。中には20年ぶりぐらいに会った人もいた。

私がサラリーマンの世界に終止符を打って、独立したのは2年前。この2年間で文庫も含めると5冊出版させてもらった。しかし、今日の塩田さんのパーティーは、なんと「50冊」の出版記念というものだった。

今月下旬に出るものでやっと「10冊目」になる私にとって、塩田さんの精力的な執筆活動は驚異である。しかも、政治と歴史に特化し、今も取材対象者に直接取材をつづける塩田さんの姿勢には頭が下がる。いつかは追いつきたいものである。

さて、明日はいよいよ甲子園の決勝。興南と日大三の強豪対決となった。あれだけ「1勝」が遠かった興南の島袋投手が、初の「1勝」を挙げると、一挙に頂点が見えるところまで駆け上がってきたのだ。

173センチとは思えないほど大きく見える島袋君は、左腕から繰り出す剛速球とスライダー、そしてトルネード投法が特徴だ。文句なく大会ナンバーワン左腕だ。

これに、常にフルスイングを続ける日大三の“けれん味にない積極バッティング”がどこまで通用するか。驚異の打線を持つ日大三は、小倉全由監督の指示で、早いカウントから積極的に打ってくるだろう。

フルスイングとおっつける打法が共存する日大三打線。興南・島袋が序盤を無失点で切り抜ければ、俄然有利になる。1回から3回までの両監督の采配が興味深い。

久しぶりに強豪対決の伯仲した決勝戦を見られそうだ。

カテゴリ: 野球, 随感

いよいよ目が離せない「甲子園」

2010.03.31

昨日は、TBSの夕方の報道番組「Nスタ」にコメンテーターとして出演させてもらったが、スタジオの広さといい、工夫を凝らした小道具といい、実に素晴らしかった。堀尾・長峰両キャスターの息のあった掛け合いや、スタッフの明るさも印象に残った。おもしろい番組になりそうだ。

さて、今日の甲子園はベスト8の激突だけあってどれも見ごたえがあった。中でも、昨日のブログでも書いた通り、興南―帝京戦は、やはり面白かった。

帝京は、1、2回戦を投げた大会屈指の本格派右腕、2年生の伊藤投手を先発させず、背番号1の鈴木と10番の山崎という両3年生投手を登板させた。

しかし、2人の140㌔台の速球とキレのあるスライダーも興南打線には通じなかった。ヒジをたたんでおっつけてくる興南のバッティングに、帝京は点差を広げられた。

帝京の唯一の弱点ともいうべき捕手のスローイングを突き、要所で興南が決めた盗塁が“優勝候補筆頭”の帝京の息の根を止めた。

大会ナンバー1左腕の島袋と右のナンバー1、帝京・伊藤との投げ合いが見られなかったのは残念だが、それでも今年の高校球界を代表する両校の熾烈な攻防は見ごたえがあった。

強豪激突は、やはりベンチワークを含む総合戦がおもしろい。前田監督(帝京)は消えたが、阪口監督(大垣日大)や小倉監督(日大三)など、高校球界の辣腕監督が揃ってベスト4に残った。

選抜甲子園も残り2日。いよいよ目が離せない。

カテゴリ: 野球, 随感

“生みの苦しみ”と人の成長

2010.03.29

今日の興南vs智弁和歌山の強豪対決は興味深かった。

西川遥、山本ら強打者が揃い、甲子園最多勝利監督ともなった智弁和歌山の高嶋仁監督が、どう興南の快速左腕・島袋を攻略するか、その攻防に注目していた。

昨年、島袋投手の悲運ぶりは多くの高校野球ファンの目に焼き付いている。春の選抜では、富山商業から19奪三振を奪いながら延長戦の末、サヨナラ負け。夏の選手権では、大会初日に3点先制しながら大分の明豊に4対3でこれまたサヨナラ負け。

「1勝が遠いです」と涙した島袋君がひと冬越えて、ひとまわりもふたまわりも逞しくなって帰ってきたのだ。その島袋君が今日、智弁和歌山から11三振を奪って7対2で下し、ベスト8進出を決めた。

私は昨夏の甲子園でのブログで、“島袋投手は、「1勝」さえすれば一気に頂点に駆け上がる力を持っている。彼のこれからの「精進の日々」が注目される。今日サヨナラヒットになったボールがなぜ「バットに合わされた」のか。そこを島袋君には考え抜いて欲しい”と書いた。

その課題の「1勝」を挙げた島袋君は、強豪・智弁和歌山相手に「力に頼らず打たせてとるピッチング」を披露した。そして今日の「いざという時にとる三振」を観ていて、怪腕・島袋は去年の島袋とはまるで違う存在となったことを実感した。


“生みの苦しみ”とは、それが大きければ大きいほど「人を成長させる」ものだ。力みの中にあった昨年のピッチングと、力を抜く術を知った今年のピッチング。同じピッチャーでありながら、それはまるで別人である。

だが、島袋君の前には、強豪・帝京が手ぐすねを引いて待っている。明日、帝京が三重を破れば、島袋(興南)―伊藤(帝京)という大会を代表する左右の本格派投手同士の対決になる。

上級生にならなければ会得できない「何か」を掴んだ島袋と、その「何か」をまだ掴めていない新2年生の伊藤。将来の日本の野球界を背負って立つ可能性を秘めた「二人」の激突を是非見てみたい。

カテゴリ: 野球, 随感

球春、真っ盛り

2010.03.21

昨日、プロ野球のパ・リーグが開幕し、今日は高校野球の選抜甲子園が開幕した。いよいよ球春真っ盛りだ。昨日の西武・涌井と千葉ロッテ・成瀬の投げ合いは見応えがあった。

甲子園の開幕戦では、強豪・天理が早くも4対7で敦賀気比の軍門に降り、一方、第三試合で日大三高が前半の苦戦を後半、挽回して14対4で山形中央を粉砕した。相手左腕ピッチャーのクセを見抜いてから一気に打線が爆発するあたり、ベテラン小倉全由監督の面目躍如と言える。

第二試合では、前評判が高く、旋風が期待された沖縄の嘉手納が花咲徳栄に4対0で完封負けを喫した。主催社の毎日新聞は痛かったに違いない。

勢いに乗ってその大会を代表するチームになるのはどこか、それを見極めるのが高校野球観戦の醍醐味だ。嘉手納が注目を浴びていたのは、その有力候補だったからだが、1点もとれずに敗退したのは、やはり勝負の厳しさを感じさせるものだった。

私はといえば、ゲラチェックの締切で一日事務所に缶詰め。甲子園に行くこともできず、少々フラストレーションがたまっている。東京は強風が吹き荒れ、事務所に閉じこもっている私の耳から一日中、風の音が離れることはなかった。

台風並みの“春一番”は勘弁してほしい。同じ風でも、甲子園でのさわやか旋風を期待したい。明日から、どんなドラマが展開されるのか、楽しみだ。

カテゴリ: 野球, 随感

球春はそこまで来ている

2010.01.30

連日の徹夜で昼か夜か、わからないような生活をつづけている。来週金曜日(2月5日)脱稿予定の単行本原稿の最後の追い込みである。

目標の600枚まであと少しだ。単行本が、「体力」「気力」「根気」の勝負であることがよくわかる。私にとって、文庫も含めると、ちょうど10冊目となる作品だけに思い入れも深い。なんとか、多くの人に読んで欲しいものだ。

さて、昨日は、第82回選抜高校野球大会の出場チーム32校が決まった。大会は3月21日から12日間、甲子園球場で開かれる。

21世紀枠に、和歌山の向陽高校が選ばれたのには驚いた。あの伝説の左腕・嶋清一を生んだ旧海草中学のことである。嶋は、5試合全完封、しかも準決、決勝の2試合を連続ノーヒットノーランで優勝し、“天魔鬼神”と謳われた怪物投手だ。

嶋投手は残念ながら戦死したが、もし生きていれば野球界にとてつもない記録を残していたに違いない。その学校が、久しぶりに登場するというのだから、和歌山は久しぶりに盛り上がるだろう。

しかし、好投手・田内君を要する高知の岡豊(おこう)高校が選抜から漏れたのは、なんとも残念だった。桑田・清原のPL学園を破って、伊野商業を全国制覇に導いた名将・山中直人監督が率いる学校だっただけに、選んで欲しかった。

夏春連覇を目指す中京大中京や、初出場ながら実力派の沖縄の嘉手納高校など、今大会の見どころは少なくない。

冬場の走りこみは、まだこれからだ。しっかり基礎体力をつけて、檜舞台でケレン味のない豪球豪打を是非見せて欲しい。球春はそこまで来ている。

カテゴリ: 野球, 随感

さまざまな若者の姿

2010.01.08

昨夜は、事務所に早稲田大学野球部の4年生が5人も来て、大宴会となった。いずれも一流企業に内定を出した面々だ。それぞれの思いで4年間、早稲田の野球部を支えた努力家ばかりである。

3か月後には社会人になる彼らは、現時点ですでに社会人2、3年生、いやそれ以上の貫録がある。やはり、ひとつのことに打ち込み、やり遂げた若者は独特の雰囲気を持っている。

多くの企業が体育会の学生を競って採用したがるのも、なんとなくわかる気がする。締切に追われて連日四苦八苦している私も、こういう飲み会は新たなやる気が湧いてくるので、嬉しいものだ。

一夜明けて、今日は、小菅の東京拘置所にオウムの井上嘉浩に面会に行ってきた。井上被告は、最高裁で死刑判決(上告棄却)を受けてやがて1か月になる。間もなく面会制限に入るので、今日が最後の面会だった。

暮れに40歳となった井上被告は、最後の面会ということもあって、私にさまざまな話をした。なぜ自分は誤ったのか、どうして多くの被害者を出すようなことになってしまったのか……等々、自分の弱さについて彼は淡々と語った。

オウムで“修行の天才”とまで言われ、過酷な難行を次々とこなしていった井上被告。しかし、その行き着いた先は、あまりに無残なものだった。いつか、私も「人間・井上嘉浩」を書く時がくるだろう、と思う。

ヨガやチベット密教に興味を持ち、オウムと出会ってしまった井上被告もまた、“ひとつのことに打ち込んだ若者”だった。しかし、その打ち込んだ宗教が、多くの被害者を出してしまうカルトだったのである。

カルトが持つ狂気と、その怖さ。オウム事件の被害者の無念を思うと共に、狭い独居房でひたすら贖罪の日々を送る井上被告も、また痛ましく思う。

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イチローの「1年」を支えたもの

2009.12.24

夜中、NHKのBSでドキュメンタリー「大記録への道 イチロー知られざる闘い」を観た。近年のスポーツドキュメンタリー番組の中で出色の出来だった。

9年連続200本安打という大リーグ史上初の大記録を打ち立てたイチロー選手の1年を追ったものだ。民放のスポーツドキュメントはすぐにスタジオにタレントを招いてバラエティ性を打ち出そうとするが、この番組は、俳優の玉木宏がナレーションを務めるだけで、あとはイチローを含め、当事者のインタビューだけで構成されたものだった。

イチローはこの大記録を、「この1年の結果が、僕の野球人生が充実したものになるか、残念なものになるかを決めるものとなると思っていました」と語った。あのWBCで侍ジャパンを引っ張り、胃潰瘍になってまでチームのリーダー役を務めたイチローが、そこまでの思いを持って挑んだのがこの「大記録」だったのだ。

昨年、「チームから浮いている」「嫌われている」とまで地元紙に報じられたイチローが今年はナインと一体となり、尊敬されながら充実したシーズンを送った原因が、10年ぶりにマリナーズに帰ってきたケン・グリフィーJrの存在があったことを番組は伝えていた。

イチローが胃潰瘍で欠場している時に、ベンチにイチローのユニフォームをかけたのもグリフィーなら、足の故障で2度目の欠場を余儀なくされたシーズン終盤、はやるイチローの気持ちを抑えてケガを“大事”に至らせなかったのもグリフィーである。

固く結ばれたイチローとケン・グリフィーJrとの友情が、いかに今シーズンの成績に繋がっていったかを、番組は当事者の証言と映像で見事に描き出していた。

あれほどのスタープレーヤーとなっても、大記録を打ちたてることができるかどうかが、チームメイトの存在やチームワークというものに拠っていたことに、新鮮な驚きを感じた人も少なくないだろう。

勝負の世界に生きる男たちの過酷な鍛錬や微妙な心の揺れ――民放とはひと味もふた味も違う手法でそれを表現した番組だった。こういう良質のドキュメンタリーをNHKには、これからも期待したい。

カテゴリ: 野球

談論風発の「甲子園会」

2009.12.13

昨夜は、昭和50年の第57回甲子園大会に出場した人たちを中心にした集まりである「第4回 57甲子園会」が横浜ランドマークタワー内の横浜ロイヤルパークホテルで開かれ、そこに参加した。

私は昨年に続いての参加だったが、優勝チームからは習志野のエース・小川淳司さん(現ヤクルトヘッドコーチ)、9回裏サヨナラヒットを打って深紅の優勝旗をもぎとった下山田清さんが参加。準優勝の新居浜商からは、エース村上博昭さんや片岡大蔵さん(現ヤクルトスコアラー)、ショートの近藤正人さんらが参加していた。

東海大相模の安打製造機・森正敏さん、旋風を巻き起こした日南からはトップバッターの外山衛さんやエースの松田昇さん、土佐高校からはサイクルヒット男の玉川寿さん……等々、錚々たるメンバーが勢ぞろいしていた。

また広島商業の迫田穆成さん(現・如水館監督)と浜松商業の磯部修三さんという二人の全国制覇監督も参加し、光栄にも私はこの名将と共にパネルディスカッションのパネラーを務めさせてもらった。

迫田さんは佃投手(昭和48年夏)、磯部さんは樽井投手(昭和53年春)という左腕ピッチャーを擁して共に甲子園で優勝を果たしている。しかし、両投手とも、快速球も、キレ味鋭い変化球も、持っていた投手ではなかった。失礼ながら「どこにでもいるピッチャー」である。しかし、そのピッチャーで全国制覇を成し遂げたところにお二人の名将の名将たる所以がある。 その秘密はどこにあったのか。

また、“球際の強さ”をいかに選手に身につけさせるか、それは野球指導者にとって永遠のテーマである。パネルディスカッションといっても僅か20分しか時間がなかったので、十分にこれらの“秘密”を聞くことはできなかったが、両名将に一端は披露していただけたと思う。

その後、懇親会に移り、ランドマークタワーの70階で夜景を見ながら参加者たちとさまざまな話をした。最後は新居浜商業の村上さんたちとおでん屋で二次会。同じ四国出身者同士、談論風発で時が経つのを忘れてしまった。自宅に帰りついた時は、午前1時をまわっていた。

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「凌ぐ野球」の原点

2009.11.20

明治神宮野球大会は今日、立正大学が2対0で上武大学を下して初優勝した。気温こそ低いものの抜けるような青空が広がった神宮球場。試合開始には間に合わなかったが、私は序盤戦の終わった4回表から、試合を観戦した。

上武大は立正大の左腕・小石博孝と右の本格派・菅井聡の前に散発4安打に封じられ、三塁を踏むことすらできなかった。

これで明治神宮野球大会は東都大学代表チームの4連覇となった。試合後、立正大の伊藤由紀夫監督は、「東都が3連覇してきてたんで、言葉には出しませんでしたが、プレッシャーがありました」と胸の内を吐露した。

春のリーグ戦で最下位に終わり、入れ替え戦で専修大学と死闘を繰り広げ、辛うじて一部残留を果たしたチームである。そこから夏の苦しい練習を経て、一気に「日本一」に駆け上がったことになる。優勝インタビューで殊勲の小石投手が「入れ替え戦を経験していたので、(それに比べて)今日の優勝戦はワクワク感で一杯でした」と語っていたが、この「入れ替え戦」こそ東都の最大の強みとなっている。

東都の2部には青学、専修、駒沢、日大という名門校がずらりと並んでいる。もし今大会に出場していれば、そのまま優勝候補となり得る戦力を備えながら、こうした強豪校が2部に「甘んじている」のが東都である。

六大学が「見せる野球」なら東都は「凌ぐ野球」と言える。「1点」を与えない野球を徹底しなければ、東都の一部では戦っていけないのだろう、と思う。今回、東都で初優勝し、初出場でありながら日本一となった立正大学の野球は、まさに「1点を与えない」野球だった。準決勝で敗退した明治大学との差がそこにあった。

決勝の先発を任された小石投手は、投げる瞬間まで左腕がバッターに見えない変則投法だった。ぎりぎりまで肘をたたんで背後に隠すため、バッターはタイミングがとれないのである。上武大の各打者は、球の出どころがどこかを意識し過ぎて、最後まで攻略法を掴むことができなかった。

結局、立正大が今大会で相手に与えた点は3試合でわずか1点。特別に剛球投手がいるわけではない。しかし、投手力を含む総合のディフェンス力では、やはり出場チームの中で群を抜いていた。

野球は守りが基本。そのことを今年度のアマチュア野球の最後を飾る大会で立正大が証明したように思う。

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第40回を迎えた明治神宮野球大会

2009.11.18

今日は、朝から神宮球場で明治神宮野球大会を観戦した。第40回の記念大会である。この大会で「大学野球」だけでなく「高校野球」部門が始まったのが、昭和48年のことだ。その大会では若狭高校の本格派右腕・内藤投手が大活躍。平安の山根投手を下して初優勝した。

両校は翌年の甲子園でも注目校として活躍する。特に平安の山根投手のテンポの速い小気味いいピッチングが思い出される。あれから36年もの歳月が流れたとは驚きだ。

今日の第一試合もまた、あの時と同じ本格派右腕同士の対決だった。東海大相模vs帝京。今の高校野球界のトップに君臨する強豪の激突といっていいだろう。レベルの高い関東を代表する両校の戦いは、来春の選抜甲子園の優勝を占う上で必見だった。

東海大相模のエース兼主将の一二三(ひふみ)慎太投手が、右手人差し指の爪を半分失うというアクシデントを乗り越えて、帝京の148㌔怪物一年生・伊藤拓郎投手との“本格派対決”を4対0で制し、決勝へコマを進めた。

両投手が、来年の甲子園で注目され、ファンを湧かせることは間違いない。今日のピッチングで伊藤君は何が足らなかったのか、何が一二三投手との差となって現れたかを「自分で答えを出す」ことができれば、この冬の成長が大いに期待できる。それが将来、「日本を代表するピッチャー」となるための第一の壁というべきだろう。

大学部門・準決勝の明治大学対上武大学も見応えがあった。東京六大学の覇者に一歩も引かない上武大学ナインの闘志で、試合は手に汗に握るものになった。

前半の投手戦から一転、後半は打撃戦、総力戦となった。勝敗のカギを握ったのは、上武大学の8番バッター、冨澤二塁手である。5回裏、走者2、3塁のチャンスをつかんだ上武大学は、冨澤がフルカウントから三球ファウルで粘った上に4球目を叩いて見事に三遊間を抜き、逆転。さらに8回裏にめぐって来たチャンスでもしぶとくライト前に運んで再逆転を果たした。

きわどい球を見極める力といい、ボールに食らいつく闘志といい、両チームの中で際立った8番バッターだった。結局、明治は5対8で敗れ、決勝進出はならなかった。全国の各リーグのレベルの均等化を改めて感じさせられた一戦だった。一方、東都代表の立正大学は危なげなくプロ注目の大型左腕、佛教大学の大野雄大投手を攻略して決勝進出を決めた。

野球シーズンの終わりを告げる明治神宮大会。毎年、私はこの大会を通じて翌年のアマチュア球界を占うことにしている。

冷え込む神宮のスタンドに、同じような思いのアマチュア野球ファンが今年も多数詰めかけていた。記者席とスタンドを行ったり来たりしながら、早くも今年の野球シーズンが終わってしまうことに私は一抹の寂しさを感じていた。


カテゴリ: 野球

日本シリーズの勝敗を分けた“決定的瞬間”

2009.11.07

日本シリーズが今、終わった。巨人が、7年ぶり21度目の優勝を飾った。昨年、西武に惜敗した悔しさを見事に晴らした優勝だ。

原監督は「素晴らしいチームと日本シリーズを戦え、(その上で)日本一になれたことは感無量です」と、相手を讃えながら優勝の喜びを語った。

しかし、その原監督のインタビュー内容とは裏腹に、このシリーズは、日本ハム・梨田監督の采配ミスが目立った。細かなミスがあまりに多かったので割愛させていただくが、最大のものは何といっても第5戦のピッチャー交代劇だろう。

この投手交代は、シリーズの勝敗を分けた最大にして決定的な判断ミスだった。2勝2敗の五分で迎えたこの一戦、日本ハムは先発に元ヤクルトの左腕・藤井秀悟を立てた。ヤクルト時代から、巨人キラーとして知られる好投手だ。

予想通り、藤井はマウンドで肉体を躍動させた。両サイドと高低をうまく使って巨人打線を翻弄した。スライダーやチェンジアップがこれほど決まれば、巨人打線といえどもなす術はなかった。スクリューボールも打者の目を幻惑し、おそらく藤井のストレートは、打者にとって実際よりも「10キロ以上」、早く見えたのではないか。

しかし、1-0でリードしていた日本ハムは、8回表に藤井の打席がまわってきた時、代打を出して降板させてしまった。

「えっ、なぜ?」と思ったのは、私だけではあるまい。緩急のあるボールを懐に出し入れされていた巨人の左打線は腕が完全に縮み上がっていた。しかし、藤井がマウンドからいなくなれば一気に蘇ってしまう。巨人にとって、これほどありがたい交代劇はなかっただろう。

案の定、それまで4安打に封じられていた巨人打線は、藤井降板で息を吹き返した。8回、9回で都合3点をあげてサヨナラ勝ち。勝負を決めたのは、当然のごとく亀井・阿部という巨人の「左打線」だった。かくして今年のプロ野球は決着した。

野球とは“流れ”のスポーツである。采配ミスさえしなければ、たとえ少々力が劣っていても流れをうまく掴んだ側が勝利を手にすることができる。そこに野球の醍醐味がある。

今回のシリーズは、北海道のファンには欲求不満が溜まったかもしれない。しかし、2004年に日本ハムが北海道移転を果たして丸5年、すっかり北海道に定着したことを今回のシリーズは教えてくれた。

パ・リーグの野球が特に好きな私としては、今回の日ハム敗戦は残念だった。しかし、セ・リーグよりパの野球の方が緻密で面白いという考えは変わらない。今回の敗戦を教訓に、梨田監督には、是非、捲土重来を期して欲しい。

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“松井MVP”に思う

2009.11.05

松井秀喜(ヤンキース)が、ワールドシリーズのMVPを獲得した。もちろん日本人として初めてである。「とうとうここまで来たか」という深い感慨を抱いた日本の野球関係者は少なくないだろう。

昭和9年に来日したベーブ・ルースやルー・ゲーリック、ジミー・フォックスら、球史に残るメジャーのスター軍団に、澤村栄治やヴィクトル・スタルヒンが豪速球を投げ込んだ時から始まった日米の野球の因縁。

太平洋戦争という悲劇を挟み、澤村をはじめ、多くの名選手が戦火の中に消えていった。戦後、敗戦の悔しさを胸に、「メジャーに追いつけ、追い越せ」を悲願として頑張った日本の野球関係者を私は数多く知っている。

2004年、近代ベースボール史上最高の打者であるイチローが、「絶対に破られない」と言われていたジョージ・シスラーの257本というシーズン最多安打記録を打ち破った。今年3月には、サムライジャパンが、WBC(ワールド・ベースボール・クラッシック)で2連覇を飾った。そして今度は、ワールド・シリーズでメジャー最多の優勝を誇るヤンキースのクリーンアップに座った松井が打ちまくり、見事、MVPを獲得したのだ。

ベーブ・ルースたちの来日から75年もの歳月が流れ、今、後輩たちが次々と多くの先達の悲願を成し遂げている事実に驚きと感動を覚える。

一昨年1月、私は松井選手に単独インタビューをさせてもらったことがある。私は、松井選手が巨人入団3年目の秋、突如、“隙のないバッター”に変貌したと思っている。その時期から、松井選手は急にそれまでの膝元の弱さを克服したのだ。

そのことをインタビューで聞いた私に、松井選手は、その入団3年目の秋に「何があったか」を飾り気のない言葉で積極的に話してくれた。その時、私は松井選手に「あなたがメジャーでホームラン王を取った時が、日本の野球が初めてメジャーを凌駕する時かもしれませんね」と聞いた。

すると松井選手は、あの人なつこい笑顔で「ファンの期待を僕はコントロールすることができません。そう期待していただけるのは嬉しいですが、僕は自分にできること、つまり自分でコントロールできることを頑張ってやっていきたいと思っています」と語ってくれた。

体格やパワーなど、さまざまな点で「メジャーで本塁打王を取る」ことの難しさを松井選手は痛感しているようだった。そして私には、松井選手の「自分でコントロールできることを頑張ってやっていきたい」というフレーズが頭に残った。

今日、MVPのインタビューを受ける松井選手の姿を見て、気負うこともなく淡々と「自分でコントロールできることやってきた」男の凄みを感じさせてもらった。

ヤンキースの契約期間を終えた松井選手が、これからどの球団でプレーするか、私にはわからない。しかし、松井選手がどこへ行こうが、これからも気負うことなく、淡々と選手生命を全うしていくことは間違いないと思う。彼は「自分でコントロールできること」に対して、謙虚に、そして誠実に向かい合う人間だからだ。

そして将来、松井が静かにバットを置く時、彼の名は「歴史に名を刻んだ男」として日米双方の球史に残るだろうと思う。

野球がつづく限り、ワールドシリーズMVPを日本人として初めて獲得した男は、日本の野球少年の“憧れ”になりつづける。テレビに流れる松井のインタビューを見ながら、私はそんなことを考えていた。

カテゴリ: 野球

人生における“ひとつの時代”が終わる時

2009.11.01

今日は午前中、松山坊ちゃんスタジアムで、高校野球秋季四国大会決勝の今治西対高知戦を観戦。途中から降り出した雨が“土砂降り”になる中、延長11回今治西の逆転サヨナラ勝ち(6対5)となった。

最悪のコンディションの中で選手たちには気の毒な結末だった。ここのところ地盤沈下する四国野球。かつて全国をリードした四国野球も最近ではすっかり他の地区の後塵を拝している。

甲子園の勝率ナンバー・ワン県(高知)とナンバー・ツー県(愛媛)の激突のわりには、投攻守すべてにおいて物足りなさを感じたのは私だけではあるまい。四国野球「復活」には、まだまだ道遠し、の感を強くした。

雨の中、宿泊先のホテルに帰ってくると、NHKで早慶戦がテレビ放映されていた。だが、早稲田大学は昨日につづいて慶応大学に敗れ、東京六大学の優勝は明治大学に決まった。2連敗で優勝を逃したことは、早稲田にとって痛恨事だった。

しかし、1対7と大差をつけられた早稲田が最終回に見せた粘りはすばらしかった。代打で出てきた4年生が粘りに粘って安打を連ねて3点を奪った。テレビは、4年生やベンチの選手が涙を流している様子を映し出していた。

子供の時から一生懸命野球をやってきた彼らの“野球人生”がこれで終わる。プロや社会人で野球を続ける4年生もいるが、大半は野球と離れることになる。来年からは、野球部の「最上級生」から、内定をもらっている企業で「社会人1年生」となるのである。

大学の4年間だけでなく、ひたすら努力と鍛錬を続けてきた彼らが、その野球人生が終わる時、万感の思いがこみ上げてくるのは当然だろう。それだけの努力を彼らはしてきたのだと思う。

気がつくと試合後、3年生の齋藤佑樹投手が涙の4年生たちの中で、これまた目を赤く泣き腫らしていた。世話になった1年上の先輩が泣く姿に斎藤君も感極まったのだ。クールな斎藤君には、珍しいシーンである。

夜、かねて知り合いの早稲田野球部のその4年生の一人から携帯に電話が入った。「長い間、お疲れさま。よく頑張ったね」と私が言うと、彼は「ありがとうございました」と答えたまま、言葉に詰まった。そして、震えるような泣き声が受話器の向こうから響いてきた。

試合に出ようが出まいが、ひたすら努力を続けて自己を磨き、彼が悔いなく野球を続けたことを私は知っている。それは、ひとつの物事をやり抜いた男にだけ流すことが許される涙だったと思う。

人は、人生において“ひとつの時代”が終わる時、ある種の感傷に捉われる。それは誰もが持っている感傷ではないだろうか。私も大学時代にそういう経験がある。

ひとつの物事に打ち込むことの大切さ。そして、それを貫いた若者たちが流した涙。今日は、爽やかなものに触れさせてもらって、なんだか嬉しくなった。日本の若者も、まだまだ捨てたものではない。


カテゴリ: 野球, 随感

野球の“故郷”にて

2009.10.31

朝一番の飛行機で松山へ来た。松山坊ちゃんスタジアムで開かれている高校野球の秋季四国大会を観るためである。乗っていたANA機が機体の不良で、乗客が座席についた後、機体交換をする不手際があり、「出発&到着」がまる1時間以上遅れた。

球場入り口で、野球雑誌「ホームラン」の大西鉄弥編集長が私の到着を今や遅しと待ってくれていた。四国大会準決勝の第一試合は、高知県同士の高知高校と岡豊(おこう)高校の激突である。岡豊の山中直人監督は、昭和60年春の甲子園で全国優勝した時の伊野商業の監督だ。

桑田・清原を擁した最強チームPL学園を力でねじ伏せた伊野商業の渡辺智男(西武→ダイエー)の豪腕が思い出される。あの時、清原を3三振に切ってとった渡辺には及ばないが、岡豊のエース田内(たのうち)投手は171センチとピッチャーとしては小柄なものの、140キロ近い速球とキレのあるスライダーを持ち、今大会最大の注目選手だ。

試合は、高知県大会準決勝で田内投手に15三振を奪われていた高知高校打線が爆発。インフルエンザの影響で、この1週間、満足に全体練習もできなかった岡豊を6対1で退けた。

記者席では「一番の話題校が消えた。残念」という声を飛んだ。たしかに四国ナンバー・ワンのピッチャーに全国優勝の経験がある監督が率いる公立高校が、「甲子園にあと一歩」まで迫りながら決勝進出を阻まれたことは、話題性の面で残念というほかない。

記者たちの間からは「岡豊は21世紀枠での甲子園出場が期待できる」という声も出ていたが、果たしてどうなるだろうか。

各地で来春の甲子園出場校を決める秋季地区大会が大詰めを迎え、プロ野球は巨人と日本ハムとの日本シリーズも開幕。大学野球も早慶戦が開かれるなど、この週末、日本列島は野球一色だ。

ここ松山は、いうまでもなく「野球」という言葉の名付け親・正岡子規の故郷である。34歳で逝ったこの天才歌人・正岡子規は、結核に苦しみながら、「野球(のぼーる)」という雅号を用い、終生野球を愛したことで知られる。子規が残した「四球」「打者」「走者」「直球」「飛球」などの野球用語は彼の死後100年以上を経た現在も残っている。

松山は、いわば野球の故郷である。日差しも柔らかく、一年でもっとも野球観戦にふさわしいこの時期、私は野球の聖地に自分がいることの幸せを感じた。

カテゴリ: 野球

菊池雄星、西武入り

2009.10.29

単行本取材のために台北にいる私に、「菊池雄星、西武入り」のニュースが飛び込んできた。若手を育てあげるのに定評がある西武に決まったあたり、菊池君の球運はなかなかのものだ。

東洋大学の逸材・大場翔太を育てられないソフトバンクや才能あふれる選手をベンチや二軍に置く巨人に比べ、実力が未知数のピッチャーを次々と一流投手に育て上げている西武や楽天に「菊池君を指名して欲しい」と、以前から私は願っていた。

東北球団である楽天が最も菊池君を受け入れるためにふさわしいと思っていたが、残念ながら野村監督更迭劇で見せたオーナーの三木谷浩史氏ら楽天首脳の無能ぶりを見るかぎり、菊池君が「楽天入り」しなかった方が喜ばしいかもしれない。

さらに言えば、パ・リーグの野球により注目している私にとって、菊池君がセ・リーグではなく、パ・リーグに来てくれたことを嬉しく思う。

法政の二神一人投手が阪神に、横浜高校の主砲・筒香嘉智君が横浜に1位指名されたのも興味深い。また報徳学園の選抜甲子園優勝投手・大谷智久が早稲田、トヨタ自動車を経てロッテに、また富山商業から中央大学を経てトヨタ自動車に入っていた中澤雅人投手がヤクルトに指名されたことも「行くチームによって明暗は分かれる」ことを改めて感じた。二人ともトヨタ自動車野球部の門を叩いて、初めてひと皮むけたのである。

中澤は中央大学時代から剛球を売りものにする左腕ピッチャーだったが、“一人相撲”が多く、どうしても一本立ちすることができなかった。社会人で揉まれ、きっと突如乱れる制球力が克服できたのだろう。在京球団であるヤクルトの指名は、本人もなにより嬉しかったに違いない。


また、清峰高校のエース今村猛君も広島にしっかり1位指名されていた。あの外角に配される絶妙のストレートとスライダーはプロの打者も苦戦するだろう。即戦力という点では、今村君の方が菊池君よりはるかに上だと私は思っている。今村君にはルーキーとして是非来シーズンに登場して欲しいと思う。

そして高校3年の最後の夏、甲子園入りしてから高野連によって甲子園出場を阻止された明徳義塾のエース松下建太(早稲田)、中田亮二(亜細亜)の両君が共に指名された(松下は西武、中田は中日)のもよかったと思う。

あの最後の夏の無念を、当時のチームメイトになり代わってプロで是非晴らして欲しいと思う。そして、いつかスター選手になった時、高野連があの夏「やったこと」に対して、堂々と自分の意見を述べて欲しい。

うわべだけの美談ではなく、つまり奇麗事に終始する高野連に「迎合する」のではなく、高校球児にとって何が一番必要なのか、高野連はそのためにどうあるべきかを、当の高野連や主催新聞社に教えてあげて欲しいと思う。

各球団に指名された選手たちを見ながら、将来性豊かな選手が多数指名されたことにわくわくしてくる私のようなファンが少なくないことを実感する。日本の野球を牽引していく君たちに大いに拍手を送りたい。

そして、入った数だけ「去っていく人間」がいるプロの世界の厳しさをできるだけ早く知って、「日の丸を背負って活躍できる」ような選手に一刻も早くなって欲しいと心から思う。

ここ台湾では、またしても八百長事件がすっぱ抜かれ、事実上、プロ野球が壊滅状態となっている。ナショナル・チームとしては、世界のトップレベルにいる韓国と、野球賭博で自壊していく台湾。明暗分かれた台湾と韓国の「これから」への注目が、私の中でより大きくなったような気がする。

実力だけの世界は、それだけで美しい。頑張れ!ルーキー。

カテゴリ: 野球

いよいよ取材大詰め

2009.10.28

金門から台北に帰ってきて2日目。いよいよ取材も大詰めを迎えつつある。今日お会いした79歳の老人は、19歳で蒋介石の国民軍に身を投じ、共産軍との“最後の戦い”に挑んだ人物だ。

“金門の熊”と称されたM5A1という4人乗り戦車を操り、金門島に上陸した共産軍を撃滅した。戦車は、「古寧頭戦役」で古寧頭村の三つの集落の内、二つを地上から消し去ったほどの威力を発揮し、共産軍も殲滅された。

以来、60年。老人は、この戦争に参加した日本人のことを明確に記憶していた。具体的で、そのシーンが思わず目に浮かぶような貴重な証言だった。

夜は、今回の「古寧頭戦役60周年記念集会」にはるばる金門島にまで足を運んでくれた台湾総督の孫であり、天皇のご学友でもある明石元紹さん(75)と打ち上げの会をおこなった。

私たちより一足先に、明日午後の便で帰国する明石さん。父親の明石元長氏が命をかけておこなった台湾救援のための“最後の偉業”を知った明石さんは、「台湾を救ったという点では、父は総督だった祖父より功績が大きかったと思う」と感慨深げに語った。

明石さんのほかに集英社の高田功氏、通訳の劉女史を交えた打ち上げ会は、台北ナンバー・ワンの小龍包の店で、心地よい老酒の酔いと共に、夜遅くまで続いた。

カテゴリ: 野球

100歳での始球式を

2009.10.20

昨日は、今年97歳になった巨人軍OBの前川八郎さんに埼玉県下でお会いした。7月に巨人軍創立75周年記念イベントの一環として、東京ドームでのマウンドに立ち、かつての復刻ユニホームを着用して始球式をした、あの前川さんだ。

前川さんは巨人時代、ピッチャーとしてマウンドに立たない時は、打撃を買われて内野手、外野手としても活躍したオールラウンドプレーヤーだった。エース番号で知られる背番号18を巨人軍で初めて公式戦でつけた人であり、栄光の巨人軍の第5代四番打者でもある。

國學院大學の国文科を卒業した前川さんは、風雲急を告げる戦前の職業野球に3年間だけ在籍し、その後、故郷の兵庫に帰り、滝川中学の国語の先生となり、同時に野球部の監督も兼任し、同校で別所毅彦や青田昇を育てた人物である。

戦後、人材が枯渇したプロ野球界に1年だけ復帰(阪急軍)し、そこで3勝を挙げている。戦前に18勝、戦後も3勝を挙げたというユニークな経歴を持つ前川さんは、いま巨人軍OBとして最高齢になった。

戦前、前川さんが巨人に在籍したのは、昭和11年から13年の職業野球黎明期である。盧溝橋事件が勃発し、日中戦争が泥沼化して日本が破滅への道を転がり落ちていくちょうどその時期だ。

私は、今年4月から5月にかけて4回にわたって放映されたNHK「知る楽 こだわり人物伝」の「ヴィクトル・スタルヒン 野球がパスポートだった」の取材で、3月に前川さんにお会いしている。この時、前川さんにはスタルヒンのことや戦前の職業野球について詳しくお話をしていただいた。

8か月ぶりにお会いした前川さんは、耳こそ遠いものの、お元気そのもので過去の出来事を前回と同様、生き生きと“描写”してくれた。私のようなノンフィクションの世界で生きる者にとって、いささかの記憶の衰えも感じさせない前川さんのような存在は、本当にありがたい。

いつ聞いても前川さんのお話には、高齢の方にありがちなあやふやさや誇張がない。厳格な国語の教師をしていた戦前の前川さんの姿が思い浮かぶ。

貴重な証言は、また活字にして広く読んでいただきたいと思う。ご子息に駅まで車で送ってもらう途中、私は「今度は100歳での始球式を実現したいですね」と提案した。「そうなればいいですね」とご子息は笑っていたが、2012年4月に満100歳を迎える前川さん。歴史の重みを現代の野球少年たちに伝える意味でも、是非、実現して欲しいと思う。

カテゴリ: 歴史, 野球

お粗末な「楽天」

2009.10.11

昨日のブログで、クライマックスシリーズ(CS)での楽天の野村采配が楽しみだ、と書いたばかりだが、先ほど流れてきたニュースによれば、楽天は野村氏と来季の契約を結ばない旨、「本日、野村氏に通告した」という。

あまりのタイミングの悪さに、ファンも絶句だろう。初のCS出場でチームが一丸となるべきこの時期に、当の球団がそのムードを「ブチ壊した」のである。

野村氏自身も記者に「一番大事なクライマックスシリーズが始まろうという時に、タイミングが悪すぎる」と語ったそうだが、こんなことを平気でやってのけるところが、いかにも楽天らしい。

楽天という親会社の素人ぶりは、これまでも折に触れて出ていたが、それにしてもここまでお粗末とは信じ難い。新聞報道によると、後任の監督として、広島を今季限りで退団するマーティー・ブラウン監督らが挙がっているという。

物事にはTPOが大切であることは言うまでもない。「時」と「場所」と「場合」を考えなければ、せっかくのそれまでの苦労が水泡に帰す。来季の監督が誰になろうと、この時期に動いたり、後任監督の候補を洩らしたりするのはタブーのはずだ。この新興企業には、残念ながらそれがわかる人材さえいない。

東北地方で絶大な人気を持つ楽天。今年のドラフトでは、「花巻東の菊池雄星投手を1位指名して欲しい」というのが、東北人の願いだそうだ。

しかし、肝心の親会社のレベルがこれでは、菊池君にソッポを向かれても仕方がない。

カテゴリ: 野球

スポーツの秋、真っ盛り

2009.10.10

スポーツの秋が真っ盛りだ。

クライマックスシリーズ(CS)を控えて、プロ野球ファンも妙にそわそわしている。今回は、なんといっても初めてのCS出場となる楽天がどこまでやるか注目だ。この新鋭が短期決戦で何をやってくるか、実に興味深い。

思い起こされるのは、初めてパ・リーグが前・後期制を敷いた昭和48年、南海を率いた野村監督がやってのけた大番狂わせである。

プレーイングマネージャーとして、マスク越しに南海(現ソフトバンク)を率いていた野村監督は、このプレ-オフでさまざまな戦術を繰り出した。1、3、5戦という奇数試合に主戦投手を投入し、2、4戦は負け試合と計算した。

そもそもこの年のシーズンも、開幕ダッシュで前期優勝を果たした後、後期は惨敗が多く、“死んだふり”の連続だった。通算では、全盛時代を迎えていた阪急に大きく勝ち星で水をあけられていた。

野村は、阪急に勝つには、トップの福本の足を抑え込むことが必須だと考え、このシリーズの重要な場面で、佐藤道郎投手に初めて“すり足クイック”を使わせた。

今では最後まで足をほとんど上げない“すり足クイック”は知られているが、当時は誰も知らなかった。この佐藤とエース江本が獅子奮迅の活躍をして、南海は3勝2敗で大番狂わせを演じた。

南海は、この時、シンキングベースボールを実践している最中だった。単なるデータ分析にとどまらず、サインを双眼鏡で見て盗んだり、相手ベンチに盗聴器を仕掛けたり、さまざまな“秘策”を繰り出した。「尾張メモ」で名高い日本初のスコアラー尾張久次が南海のデータ分析の中心にいたのもこの時代である。

戦力の劣ったチームが強いチームを倒す――戦い方次第でそれが現実になることをこのプレーオフは教え、野球のもう一つの醍醐味を見せてくれたと言えるだろう。

あれから36年が経過し、74歳となった野村監督。岩隈、田中将大、永井……と、ピッチャーも駒が揃ってきた楽天を率いて野村監督がどんな奇策を見せてくれるか、じっくり見てみたい。

カテゴリ: 野球

菊池雄星君の「プロ入り宣言」と花巻の夜

2009.10.05

東北出張にて「花巻」にいる。昨日は、東京から北上へ、そして仙台へ。今日は仙台から二戸、そして花巻へ。東北を行ったり来たり、である。

新潮45の連載「スポーツドキュメント“あの一瞬”」の取材で、新日鉄釜石のV7戦士を訪ね歩いているのだ。

あのV7から四半世紀近い年月が経過し、V7戦士たちは今、散り散りになっている。松尾、谷藤、石山、千田……明日は、釜石に行って、さらに取材を重ねる。本日、二戸では当時の主治医に凄まじいV7戦士の戦いぶりを取材した。

出張途中で中川昭一氏の急死の報やら、検察が鳩山総理の政治資金問題の捜査に乗り出すというニュースが入って来たり、すこし東京から離れると、いろいろなことが起こるものである。

中川氏の急死については、父・中川一郎の怪死を思いだして背筋が寒くなった。因縁とは恐ろしい。酩酊会見で大臣の座を棒に振り、選挙では落選、その上、謎の死である。中川氏は、独自の国家観を構築していた数少ない政治家であり、何度か取材もしたことがある。北朝鮮の拉致被害者たちも中川氏に最も期待を寄せていた。それだけにイデオロギーなどを超えて、彼の死が残念でならない。

ここ花巻では、タクシーの運転手が「菊池君の取材ですか?」と聞いてきた。地元の英雄・菊池雄星君(花巻東)がプロ入り宣言をして、今日の岩手の話題を独占していたのだ。スポーツ番組も一斉に菊池報道に転じている。

今年の甲子園で菊池君が投げている時、花巻の町からは人通りが完全に消えたそうだ。タクシー運転手の話しぶりは、彼の存在がいかに地元の誇りかを肌で感じさせてくれた。

期待という名の応援は、力になってくれる時と足枷になってしまう時、両方がある。菊池君がそれらを自分の糧にしながら、今後どんな野球人生を歩んでいくのか興味深い。

取材させてもらった釜石のV戦士たちは、現役が終わってもしっかりと地に足をつけて、「企業」で、そして「地域」で、それぞれの役割を果たしていた。菊池君が目指すべきは、地に足をつけた彼らの人生の歩み方だろう。岩手の英雄としては“先輩”であるV7戦士たちに是非さまざまなことを学んで欲しいと思う。


カテゴリ: ラグビー, 野球

球際(たまぎわ)の強さ

2009.09.29

昨夜は、行きつけの銀座のバー「マダム夕雨子」の30周年パーティーがあり、顔を出した。遅れて会場に着くと、元ペルー大使の青木盛久氏や作家の渡辺淳一氏など錚々たる人たちがスピーチに立っていた。

私が勤めていた新潮社の面々の顔もあり、久しぶりに言葉を交わした。私が「マダム夕雨子」に連れて行って以来、すっかり店の“常連”となっている学習院大学野球部監督の田邉隆二氏を会場で発見。久しぶりだったので、パーティーのあと新宿にまで流れ、流れて話し込んだ。

田邉氏は、私が昨年、講談社から出版した「神宮の奇跡」の主役の一人である。今から半世紀も前、東都大学1部リーグにたった1度だけ刻まれた学習院大学「奇跡の優勝」の時のキャプテンだ。

72歳の田邉さんは今、母校・学習院大学野球部の再建を託され、監督として辣腕をふるっている。強豪ひしめく東都大学リーグの3部で優勝争いをいつもおこなっているが、どうしても2部への壁が厚く、これを突破できないでいる。

2部には、駒沢大学や日本大学、専修大学といって大学球界の強豪・伝統校がずらりと顔を揃えており、壁が厚いのも当然だ。だが、それでも野球推薦さえない学習院大学をなんとかこの2部に引き上げるべく田邉監督の奮闘は続いている。

私は、いま学習院の4年生となった古河朋也投手が入学した時から注目していた。左腕から繰り出すキレのあるストレートとスライダー、カーブは2部でも十分通用すると思っている。学年が上がるにつれて緩急のつけ方もうまくなり、古河投手がいる内に「なんとしても2部へ」と思っていたが、結局かなわず、彼の最後のシーズンを迎えてしまった。チームに何が足りないか、技術面よりも、がむしゃらに勝利に向かって突き進む気迫のなさを田邉氏は嘆いていた。

勝負強いチームや選手には、必ず“球際(たまぎわ)の強さ”がある。この一球、この一打で必ず答えを出す選手の精神力と気迫。どれだけ科学が発達しようが説明のできないその“不思議な力”が野球をたまらなく面白いものにするのである。そしてそれは、「野球」に限らず「人生」のいたるところで顔を出してくるものだ。

田邉氏の話を聞きながら、私は学習院野球部にそんな力を身につけて欲しいと願わずにはいられなかった。

カテゴリ: 野球

肩を並べてきた「ベースボール」と「野球」

2009.09.08

イチローが大リーグ2000本安打を達成したニュースが台湾でも流れていた。わずか9年足らずの2000本。まさに安打製造機である。

元祖・安打製造機の張本勲もバットコントロールこそ負けない自信があるだろうが、イチローの「内野ゴロをヒットにする足の速さ」にはとても叶わない。大リーグで前人未到の9年連続200本安打も達成間近。近代ベースボール史上「最高のバッター」であることをイチローは証明しつつある。

近代ベースボール史上「最強のバッター」が誰かについては議論が分かれるだろう。ベーブ・ルース、ルー・ゲーリック、ジミー・フォックス、ハンク・アーロン、王貞治、バリー・ボンズ……数えだしたらきりがない。

そんな中でイチローが大リーグ史上に名前を残すことは日本野球にとって計り知れない意味を持つ。WBC2連覇などで、今や日本の野球をバカにする声はアメリカでほとんど聞かれなくなった。「ベースボール」と「野球」が肩を並べつつある証拠だ。「アメリカに追いつけ、追い越せ」と多くの野球人が長年精進してきた結果だと思うと感慨深い。果たしてイチローの「9年連続200本安打」をアメリカがどう報道するか楽しみだ。

さて、私は本日も台北で精力的に取材をおこなった。台湾に来て今日で10日。随分と長くなってきた気がする。探している人物はまだ見つからないが、確実に「歴史の真実」は積み上がってきている。気を緩めず、取材に邁進したい。

カテゴリ: 野球

一球の重み

2009.08.24

異常な興奮が甲子園全体を包み込んでいた。九回二死から始まった日本文理の反撃は、新潟の球児たちの気迫と観客の雄叫びが共鳴しあい、巨大な竜巻がグラウンドで舞っているような錯覚さえ感じさせた。

6点を追う九回二死無走者。四球と2本の長打で2点を返し、さらに攻撃の手を緩めない日本文理。これが本当に新潟のチームか。そんな思いが頭をよぎった。ベンチ前で投球練習をしていた日本文理のエース伊藤君は「何だか不思議な光景を見ているようでした」と語った。

10対9。かろうじて7度目の全国制覇を果たした中京大中京は、満州事変よりも前の昭和6年8月に、吉田―桜井のバッテリーで「初出場初優勝」を成し遂げた中京商業のことである。吉田投手以降も怪腕・野口二郎をはじめ、多くの名選手を生んできた高校球界最高の伝統校だ。

この伝統校のマウンドを任された堂林投手も、日本文理の怒涛の攻撃の前にはなす術がなかった。最後は痛烈なサードライナーでゲームセットになったものの、球場は万雷の拍手に包まれ、この試合の主役が負けた日本文理の側であったことを示していた。

惜しむらくは、日本文理・伊藤投手が6回裏二死満塁のピンチで中京の4番・堂林に投じた2球目のスライダーである。ここで得意のチェンジアップを投げるべきところを、伊藤はスライダーを投じ、走者一掃の二塁打をレフト線に打たれてしまったのだ。それまで伊藤君はいざという時、必ずチェンジアップを投じ、おもしろいようにピンチで三振を奪っていた。

試合後、私は伊藤投手にこう聞いた。「君のあのチェンジアップは、まるで“魔球”だ。あの球を、あそこで堂林君に使うつもりはなかったのか」、と。伊藤君は、「使うつもりはあった」と答えた。しかし、伊藤君はこれを“追い込んでから”使いたかったのである。

たしかに追い込んでから使いたいだろう。あの魔球が追い込まれてから来れば、バッターは十中八、九、「三振」に違いない。しかし、その前に、伊藤君は打たれてしまった。「強打者を追い込むまでが君の課題だね」と問うと、伊藤君は「はい。その通りです」ときっぱり言った。

「追い込んでからの決め球と、追い込むまでのボール」。この両方を会得した時、伊藤君はさらに“とてつもない”ピッチャーになるだろう。

紙一重。まさに紙一重の差だった。勝負の神様は、興奮の坩堝と化した甲子園で、両チームに平等に微笑みかけた。しかし、“一球の差”が天と地ほどの違いがある両チームの「運命」を分かったのである。

カテゴリ: 野球

甲子園に響いた「菊池雄星」のすすり泣き

2009.08.23

甲子園のインタビュー通路に花巻東の菊池雄星投手のすすり泣きだけが響いていた。止めようとしてもどうしても止まらない涙が頬を伝っていた。

それでも矢継ぎ早に飛ぶ質問に誠実に応えようとする菊池君。さまざまな思いがこみ上げ、言葉にならない様子が痛々しく、彼の素朴で誠実な人柄をさらに際立たせていた。幾重にも取り囲んだ報道陣が、この今大会最大のスターの涙を凝視していた。

「もう一生野球ができなくなってもいいと思いました。仲間に申し訳なくて……」。そう言うと、菊池君の目からまた涙が溢れ出た。将来が嘱望されるこの154㌔左腕は、やがて日本の野球界を背負って立つ可能性を秘めている。しかし、その本人が「「一生野球ができなくなってもいい」とまで思い詰めていたのである。

疲労困憊の上にケガで背中と腰を痛め、とてもピッチングができる状態ではない。しかし、昨夜は「どうか僕に投げさせてください」と祈りながら、ボールを握りしめて寝たという。その責任感と闘志は、一体どこから生まれたものだろうか。

傍らで佐々木洋監督が、「うちのモットーは“全力疾走”と“カバーリング”です。よく最後までみんながこれを貫いてくれました」と、これまた大きな目に涙を浮かべながら語った。

全力疾走とカバーリング。この指導法にこそ、菊池君をはじめ花巻東ナインの責任感と闘志の秘密がある。彼らの野球が高校野球ファンの心を捉えたのも、まさにここにポイントがあるのではないか。アウトとかセーフといったの“結果”ではない。花巻東の選手たちは、どんな場面でもこれを実践していた。たとえば「一塁を駆け抜ける」というあたりまえの行為が花巻東の選手たちは明らかにほかのチームと違っていた。

彼らは、1塁ベースを「まっすぐ駆け抜ける」のである。そう、ライトへつづくライン上を花巻東の選手たちは、全力疾走でまっすぐ駆け抜けていった。ふつうのチームは、一塁ベースを過ぎて右に曲がっていく。しかし、彼らはとにかく“まっすぐ”駆け抜ける。そうでない時はヘッドスライディングだ。

どんな場面でも全力疾走で、かつ、まっすぐ駆け抜けていけば、その気迫がやがて相手を圧するようになる。それが野球というスポーツが持つ特性でもある。がむしゃらに、ただひたむきに「勝利」を目指して執念を燃やすチーム。それが花巻東だった。

菊池君一人に頼るのではない。花巻東はもう一つの柱である“カバーリング”も実践していた。仲間の失敗やエラーを全員でカバーする。それが花巻東のモットーだった。

しかし、最後の最後に身体がいうことをきかず、エースとして仲間の期待に応えることができなかった菊池君は「仲間に申し訳ない」をインタビューの間、何度も繰り返した。私が佐々木監督に、「これほどのチームを今後またつくり上げるのは佐々木さんの人生の中でも“至難の技”になりますね」と聞くと、「でも、また岩手の子どもたちと一緒に(今回成し遂げられなかった)日本一をいつの日か実現したいと思います」ときっぱりと語ってくれた。指導者として、あらゆる力を発揮した佐々木監督らしい言葉だった。

涼風残して花巻東去る――。岩手の野球少年たちは、今日、間違いなく甲子園の貴重な「歴史」となった。


カテゴリ: 野球

満身創痍の「花巻東」快進撃

2009.08.21

明豊との死闘を制した花巻東が準決勝へコマを進めた。したたかさと粘り、勝負強さを併せ持った両チームの激闘は、久しぶりに高校野球の原点を思い出させてくれる好試合だった。

昨日、東北高校との“みちのく決戦”を制した花巻東の佐々木洋監督に私は試合後、甲子園のインタビュー通路である質問をした。「一番なら一番、二番なら二番、九番なら九番、と花巻東の選手は、それぞれの打順やポジションによって、それぞれ自分がやるべき役割を個人個人がしっかり把握し、その通りの“仕事”を果たしている。これは、普段から、そういう認識をさせた上で練習させているのか」と。

佐々木監督は、「もちろんです」とほほ笑み、155センチの小柄な二番バッター佐藤涼平君の例を出してこう語った。「“君には大振りは必要ない。ピッチャーに球を一球でも多く投げさせ、粘って、出塁をすること。それが君の役割だ”と普段から話して、それを理解させた上で野球をやらせています」。野球を知り尽くした指導者ならではの発言だった。

その「野球を知り尽くした監督」らしい策を今日、佐々木監督に土壇場で見せてもらった。菊池雄星君の負傷退場で、サードの猿川君が途中からマウンドに上がり、しぶとい明豊に逆転された花巻東は、2点差の最終回、執念の反撃に出た。

連続ヒットで無死1、3塁のチャンスを掴んだ花巻東は、点差が「2点」だけに1塁ランナーをどうしても2塁に進めたい。ここで花巻東は1球目におもしろい策を見せた。

5番横倉は初球のスライダーをスクイズに出た。いや、その構えをして「空振り」したのだ。一塁ランナーは当然スタートしており、二塁を陥れる。しかし、三塁ランナーは動かない。キャッチャーは「スクイズの失敗」と見てとって、すぐ三塁ランナーを見たが、そもそもこれは「1塁ランナーを2塁に進める」ための花巻東のトリックプレーだったのだ。

悠々、無死2、3塁にした花巻東は、その横倉がセンターに鮮やかなライナーのヒットを放って、2者を迎え入れ、一挙に同点とした。

したたかな攻め、と言えばまさにそうだが、野球を知り尽くしていなければとてもできないプレーだった。

延長10回、花巻東は1死1塁から小柄な2番佐藤涼平君が送りバント。佐藤君はファーストで明豊2塁手と交錯、転倒し、担架で運ばれた。2塁ベース上には、佐藤君が身体を賭して送ったランナーが残った。

次の3番ショート川村君は、担架で運ばれる佐藤君を見ながら、「初球から行く」ことを忘れていなかった。145キロのストレートをセンター前に運び、見事決勝点をあげたのだ。死闘の末の決勝点だった。

勝つことへの執念を忘れない岩手の野球少年たちが優れた指導者の下、甲子園で暴れまくっている。ケガ人続出でまさに満身創痍。頼りの菊池君も疲労とケガで最悪のコンディションだ。

だが、このチームは「何か」を持っている。大詰めを迎えつつある甲子園で、いよいよ花巻東から目を離せなくなってきた。


カテゴリ: 野球

監督に「魔」が差す時

2009.08.12

熱戦がつづく甲子園。“一発勝負”ならではのドラマが次々と生まれている。今日の長崎日大(長崎)vs花巻東(岩手)、昨日の高知(高知)vs如水館(広島)は、ともに「監督の采配」という点で、実に興味深い一戦だった。

監督に“魔が差す時”があることを二つの試合は物語っている。昨日は、2日つづけて雨で途中中止となった高知(高知)vs如水館(広島)の決着が「3日目」でやっとついた。

9対3と最後は大差がついたが、実力は伯仲。如水館の名将・迫田監督が“魔が差した”場面は、高知が3対2、1点差で迎えた7回表だ。

1死1、3塁のチャンスに高知の打者は5番ピッチャー・左バッターの公文。ここで迫田監督は、ここまでなんとか踏ん張っていた二番手の西見投手に「敬遠」を命じた。1塁が空いているわけではない。1死1、3塁である。この段階での敬遠は極めて珍しい。

1死満塁としたところで、迫田監督はピッチャーを交代させた。左の2年生投手、池内君がマウンドに上がったのだ。

「なぜ?」と思った人は少なくあるまい。どうせ交代させるなら、なぜバッター公文の場面で登板させなかったのか。終盤7回、緊迫の1点差の満塁の場面での登板より、同じ敬遠策をとるにしろ、ずっとリスクは少ない。そう思って観ていたら、池内君はやはりフォアボールを与えてしまい、押し出しになってしまう。池内君は次のバッターにもボールが先行して途中で交代。急遽、登板を命じられた1年生左腕の浜田君もそのまま押し出し四球を与え、致命的とも言える2点を献上してしまった。

さらに浜田君は、高知打線の積極打法で痛打を浴び、さらに3点を追加されてしまった。勝負あり。「まさか」の投手交代が如水館の決定的な敗因になってしまった。

今日の注目の一戦、長崎日大vs花巻東でも監督の投手交代に疑問符がつく場面があった。4対2長崎日大リードで迎えた7回裏、花巻東の150㌔左腕・菊池雄星君がノーアウト1塁からセーフティバントを敢行。執念で無死1、2塁のチャンスを掴み取った。

ここまで渾身の力を込めて花巻東打線を抑え込んでいた長崎日大の大瀬良投手は、春の選抜優勝投手の青峰の今村君に風貌や球の威力が極めて似ている有望投手だ。ここで花巻東は送りバントで1死2、3塁の絶好のチャンスを掴む。

しかし、長崎日大の金城監督は、力投の大瀬良君を突然引っ込めた。花巻東打線が、大瀬良君のスライダーと速球にバットが合わず、攻略に苦戦しているまさに「その時」に、である。

花巻東打線は、控え投手の変わりバナの初球スライダーを叩き、1点を挙げ、3対4の1点差に迫った。ここで、花巻東は1、3塁の場面で1塁ランナーを走らせ、キャッチャーが2塁に送球するや否や、3塁ランナー菊池君が一挙にホームを陥れた。ダブルスチールである。

好投の大瀬良君を引っ込めた時、これまた「あっ、まずい!」と思ったファンは少なくないだろう。やってはならない「投手交代」であることは試合の流れから明らかだった。大瀬良君への花巻東打線の苦手意識はかなり重症だっただけに惜しまれる。

いくら“名将”であっても、甲子園の檜舞台では、監督に「魔が差す時」もやってくる。それを選手たちが個々の力で克服できるか否か。甲子園で勝ち抜くためには、実力だけでなく「運」も必要なのである。

カテゴリ: 野球

甲子園の開幕

2009.08.08

いよいよ第91回全国高等学校野球選手権大会が開幕した。

開幕ゲームは、常総学院(茨城)対九州国際大付(福岡)だ。強力打線を誇る両校は、常総が“木内マジック”の木内幸男、九州国際大付がダルビッシュを育て東北高校を全国準優勝に導いた若生正廣という共に甲子園常連監督が率いる強豪だ。

結果は4点を先制された九州国際大付が3回と4回に打線を爆発させ、投手力に懸念のあった常総を8対4で下した。

第2試合も明豊(大分)が興南(沖縄)に3点の先行を許しながら、終わってみれば4対3で9回サヨナラ勝ち。春選抜で富山商業から19三振を奪いながら延長戦の末、サヨナラ負けした左の本格派・興南の島袋洋奨投手がまたしてもサヨナラで苦杯を舐めた。

「1勝が遠いです」と島袋君は試合後、語っていたが、彼はまだ2年生。この春と夏の敗北の経験を来年に生かして欲しいものである。「1勝」さえすれば一気に頂点に駆け上がる力を持つ投手だけに、彼のこれからの“精進の日々”が注目される。今日のサヨナラヒットになったボールがなぜ「バットに合わされた」のか。そこを島袋君には考え抜いて欲しい。

大学野球やプロ野球など、“上”の世界で活躍できる投手は、「ここで三振を取らなければならない」という場面で三振に持って行く配球力と勝負球を必ず持っている。島袋君に欠けているのは、そこだ。それを考えて自分の肉体をいじめ抜き、来年、ひと回りもふた回りも大きくなって甲子園に帰ってきて欲しいと思う。

第3試合は、予選を逆転逆転の連続で勝ち抜き、“ミラクル八千代”と呼ばれた八千代東(千葉)が優勝候補の一角・西条(愛媛)に挑んだ。しかし、さすがの八千代東も、プロ注目の西条・秋山投手を捉えきれず、惜しくも2対3と敗れ去った。

大会初日から、これほど興味深い試合が連続するのは珍しく、3試合とも期待通りの熱戦だった。明日も第1試合から名将・迫田監督が率いる如水館(広島)に、明徳義塾を破って勢いに乗る高知(高知)が激突するなど、熱戦が予想される。

炎天下で繰り広げられる妥協なき勝負の世界。改装された甲子園で生まれる数々のドラマの予感に胸が高鳴る。

カテゴリ: 野球

兜町風雲録と甲子園

2009.08.06

昨日、ある人物のお見舞いに行ってきた。昭和14年に野村證券に入り、のちに系列の証券会社に移り、戦前・戦中・戦後の70年間、兜町一筋で生きた88歳の老証券マンのお見舞いだ。6月上旬に脳内出血で倒れ、間もなく2か月になる。

やっと面会ができるようになったので、彼の後輩の証券マン(といっても70歳を超えている)と一緒に大田区池上の総合病院に伺った。

私は、この人が見てきた「兜町70年」を近い将来、書かせてもらうつもりでいる。笑いあり、涙あり、悲劇あり……兜町の戦前戦後史は、日本経済の発展と混迷をそのまま表わしている。残念ながら、言葉を発するところまでは回復していなかったが、こちらの言うことはすべてわかっていて、表情もあった。是非とも回復を願いたい。

すでに取材はかなり進んでいる。一証券マンの目を通した兜町風雲録。ご期待いただきたい。

一緒に見舞いに行ったベテラン証券マン二人と五反田で一杯飲ったあと、夜7時半からは新宿で「甲子園会」というコアな野球人の宴に参加。幹事の宮本さん(羽田空港勤務)の人柄で繋がっている集まりだ。

すでにアルコールがかなり入っていたのに、また気分良く飲んでしまった。甲子園の組み合わせが決まった直後だけに、大いに盛り上がった。野球人と野球ファンの集まりは、いつ参加しても楽しい。

さて、今年の甲子園――帝京、花巻東、PL学園という3強に、興南 日大三、中京大中京、西条、智弁和歌山……といった強豪が絡んでくるだろう。一戦一戦、目が離せない。暑い暑い夏がスタートだ。

カテゴリ: 経済, 野球

いよいよ予選は大詰め

2009.07.30

出場していれば優勝候補の一角になることは確実だった明徳義塾が敗れた。高知高校に2対3。まさかの敗北である。

月刊誌「新潮45」のスポーツドキュメント「あの一瞬」8月号と本日発売の「ナンバー」で明徳義塾の「松井5敬遠」の試合を取り上げ、関係者に取材をさせてもらった関係で今年の明徳の戦力の充実ぶりに注目していた。

春の四国大会で剛腕・秋山投手を擁する西条を延長13回の末に破って優勝。今年は馬淵監督も例年以上の手応えを感じていたようだ。それだけに選手たちも無念でならないだろう。1点差の8回、1死2、3塁で4番井上がファーストフライに倒れた段階で、万事休した。ここで4番が外野にボールを持っていくこともできなかったのは痛かった。高知の左腕・公文投手の勝利への執念が明徳を上回っていた。

一方、西東京では日大三高が、日大二高との兄弟対決を19対2で下して甲子園に名乗りを上げた。斎藤佑樹の早稲田実業の前に、延長の末に決勝戦で力尽きた3年前、小倉監督は「これほど悔しい敗北はない。自分のミスです」と絶句していた。

それ以来、甲子園から遠去かっていただけに、優勝インタビューに答える小倉監督の表情は万感がこもっていた。これで東京から帝京と日大三という屈指の強豪が甲子園に乗り込むことになった。強豪校との死闘が今から楽しみだ。

注目の大阪では、大阪桐蔭とPL学園が準々決勝で激突。今年は、ここのところ劣勢だったPLが10対5で大阪桐蔭を押し切り、名門復活を印象づけた。エース中野が故障で投げられず、打ち合いの末の勝利だった。大阪の代表校がどこになるか、常に全国トップの激戦区だけに興味深い。

7月25日のブログにも書いたように、今年の甲子園は「サバイバル甲子園」だ。

予選もいよいよ大詰めである。

カテゴリ: 野球

“官製ジャーナリズム”しか生き抜けないのか

2009.07.29

今日は、事務所を訪ねてきた某大手出版社の編集者からノンフィクション界の実情についていろいろと聞いた。

それによると、この業界の常識は「ここでは飯が食えない」ということに尽きるらしい。雑誌の原稿料は安く、本となっても、印税はわずか10%で、費用対効果はすこぶる悪い。みんなあっちこっちのアルバイト原稿で糊口を凌いでいる有り様だという。

“官製ジャーナリズム”しか生き抜けない日本の言論界のお粗末な実態を垣間見る話だった。たしかに原稿料や印税の安さは、マス目を埋めることによって生計を立てている人間にとっては、「生きていける」ぎりぎりだと言っていいだろう。

おもしろく、かつ意義のある作品を生み出したい意欲のあるジャーナリストは結構いるのに、結局、それが作品に結びつかない日本の現状には溜息が出るばかりだった。

暗い話はここまでとする。

今日も甲子園へ強豪校が次々と名乗りを上げた。激戦の神奈川で最後に笑ったのは、横浜隼人だった。横浜に10対9、桐光学園に5対1、桐蔭学園に6対5と、甲子園なら「ベスト8」クラスのレベルの高い試合を凌ぎきった実力は侮れない。

東東京は、踏ん張ってきた都立雪谷高校が横綱・帝京の前に力尽きた。そのほか、埼玉は聖望学園、和歌山は智弁和歌山、奈良は天理……等々、優勝戦線に絡んできそうな学校が続々、名乗りを上げている。明日はさらに強豪校が名乗りを上げてくるだろう。

明日の注目は西東京の日大三高、愛知の中京大中京、高知の明徳義塾、愛媛の西条あたりか。高校球界の名将もかなり揃ってきた。

今年の甲子園は興味深い。

カテゴリ: マスコミ, 野球

球際(たまぎわ)の強さとは

2009.07.25

衆院の解散、日蝕騒動、豪雨被害、高校野球「有力校」の敗退……等々、今週は目まぐるしい1週間だった。

昨夜は、東大野球部OBの面々と飲む機会があり、さまざまな話題で時間が過ぎるのを忘れてしまった。帰りは結局、夜中だった。

昨日、早稲田実業(西東京)も、私の母校・土佐高校(高知県)も、早々と予選で姿を消してしまった。毎年、シニアの全日本の有力選手を入部させている早稲田実業は、選手が伸びず、結局「素材に頼った」野球の枠を出なくなっているようだ。毎年のように、入部したばかりの有力な1年生の力に頼り、なかなか勝ち抜けなくなっている。

土佐高も同じだ。さすがに早実のように有力選手はいないが、練習で「選手が伸びない」点は共通している。さらに、両校が似ているのは、自主性を重んじる練習をやっている点だ。

かつては、両校とも高校球界を代表する厳しく過酷な練習で有名だった。練習があまりに厳しいため、試合の時はむしろ「楽」で、選手たちがいざという時に「実力以上のもの」を出すチームだった。

しかし、時が移り、厳しい練習は陰をひそめ、選手の自主性が重んじられ、いざという時の踏ん張りがきかないチームになってしまっているようだ。

春選抜の優勝チーム・清峰高校が敗退し、一方、準優勝の花巻東は、甲子園に名乗りを上げた。春のヒーローの明暗がくっきり分かれたが、今年は大会前に評判の高かった有力校が全国で続々敗退している。

私は今年の甲子園を「サバイバル甲子園」と位置づけている。有力校の中でも、有力選手の「素材」だけに頼った学校は、姿を消し、最後に残るのは“球際に強い選手”をより多く育てたチームではないか、と思っている。

高校野球は、1度負けたら終わりだ。しかも、人生でたった3年間だけしか許されない期間限定の戦いである。そこに、一切の妥協が許されない厳しい勝負と感動が生まれる秘密がある。

“球際に強い”、つまり相手よりも勝利への執念で決して負けないチーム。それがどの高校なのか、予選と甲子園を通じて、しっかりと見極めたい。

カテゴリ: 野球

筑紫台高校、敗退

2009.07.22

拙著「甲子園への遺言」の舞台となった福岡の筑紫台高校が、福岡県予選5回戦で敗退した。プロ野球界伝説の打撃コーチ・高畠導宏さんが、最後の命の灯を捧げて教壇に立った学校である。

高畠さんは、高橋克実が演じたNHK土曜ドラマ「フルスイング」の“高林先生”のモデルとなった先生である。高さんが膵臓がんで亡くなって5年。高さんが連れてきた鈴木康彦監督も「今年こそ」という思いがあったに違いない。

筑紫台の隈本豊校長によれば、「雨で前の試合が中断し、グランドコンディションもよくなかったが、いい当たりが正面を突くなど、運もなかった。しかし、エースをはじめ、レギュラー9人のうち6人が残りますので、また期待していてください」とのことだった。

負けても、負けても、また「次」に挑戦する。高校野球は人生と同じだ。後輩に悲願を託し、挑戦は絶えることなく続くのだ。いつかは、その大願が成就する時もある。

高さんは、「その時」を天国から見ている。ガンバレ、筑紫台ナイン! 次がある。

カテゴリ: 野球

「特選 天国に誓う白球」放映

2009.07.18

いよいよ夏の甲子園の予選も佳境に入ってきた。全国で甲子園を目指して死闘が繰り広げられている。汗と涙の季節がいよいよ本番だ。

そんな中、明日(19日・日曜日)午後1時45分からのフジテレビ「ザ・ノンフィクション」で1時間にわたって「特選 天国に誓う白球」が放映される。

4年前、私がプロ野球界伝説の打撃コーチ・高畠導宏さんの生涯を描いた「甲子園への遺言」(講談社)を出版した時、フジテレビがドキュメンタリー「天国に誓う白球」を制作・放映してくれた。感動のドキュメンタリーで、多くの視聴者から絶賛の声が寄せられ、やがてそれがNHK土曜ドラマの「フルスイング」につながっていった経緯がある。

その「天国に誓う白球」から4年を経て、関係者の“その後”も追い、「特選 天国に誓う白球」を今回、放映してくれるのである。フジテレビの味谷和哉チーフ・プロデューサーや制作プロダクションの大島新プロデューサーと田村慎平ディレクターという“手ダレ”が揃ってつくってくれたドキュメンタリーだけに、観る側に感動と希望を与えてくれる内容になっている。

がむしゃらに前進していくことが「人間にとって」いかに大切なことか。そのことを思い出していただければ、と思う。是非、チャンネルを合わせてもらいたいものだ。

カテゴリ: 野球, 随感

「時代」が変われば……

2009.07.16

3時間55分の熱戦だった。

2勝2敗で迎えた日米大学野球選手権の最終日は、7対7の延長11回裏、日本が相手ショートのタイムリーエラーでサヨナラ勝ちし、2大会連続16回目の優勝を果たした。

試合後、榎本保監督は「どんな形でも勝ててホッとしている。勝ちたい気持ちが強い方が勝った」と語ったが、まさに薄氷を踏む勝利だった。

今年の全日本はキャッチャーが非力で、盗塁阻止率やリード面でも首を捻るケースが少なくなかった。日本の機動力を完全に封じたアメリカの強肩キャッチャーに比べ、なんとも心もとなかった。

私は、大会の5試合を通じて「キャッチャーの差が致命傷にならなければいいが……」と思っていたが、なんのことはない、11回裏、相手ピッチャーに15球も投げさせた上にフォアボールを選び、結局サヨナラのホームを踏むことになる殊勲の小池翔太(青学)は、“途中出場”のキャッチャーだった。

先発の斎藤佑樹(早稲田)がサードのタイムリーエラーで2点を失って降板し、最後もアメリカのショートが普通のゴロを“お手玉”してサヨナラゲームになるなど、今大会は、日米のトップレベルの大学生の戦いのわりにはお粗末なプレーが散見されたのは残念だった。

私が初めて日米大学野球を“生”で観たのは、1978年のことだ。今から31年も前になる。松沼雅之(東洋)という全米を手玉にとるピッチャーが獅子奮迅の大活躍をして、キャッチャーには堀場秀孝(慶応)と中尾孝義(専修)という強肩強打の選手がいた。いま考えると、全日本の戦力もかなり充実していた。

2勝3敗で王手をかけられていた全日本(注・当時は7回戦制)が、この松沼の力投と、堀場のバックスクリーンへ放り込む豪快なホームランでアメリカを破り、つづく第7戦でも松沼が今度は救援投手として登場して全米の反撃をピタリと抑え、逆転優勝を飾った。

あの時、全日本の監督はかの島岡吉郎監督(明治)。自チームから限度枠いっぱいの「9人」を選び、そのため駒沢の石毛宏典や東海大の原辰徳ら有力選手が選ばれず、非難囂々になったものだった。

松沼のおかげで辛うじて優勝を飾った全日本。日の丸を背負って試合をすることは、いずれにしても大きなプレッシャーだった時代のことである。

今日、斎藤人気もあって、私の座席のまわりには佑ちゃんの“追っかけおばさん”がかなりいた。時代が変われば、観戦風景も変わるものである。

カテゴリ: 野球

大山康晴名人の「格言」

2009.07.13

今日は、東京ドームに日米大学野球の第2戦を観に行ってきた。全日本の先発は早稲田の斎藤佑樹。だが、今日の斎藤は球の伸びと変化球のキレ、いずれも今ひとつだった。

一方、アメリカは大型左腕・ポメランツを先発させた。重い豪速球に全日本のバッターはいずれも振り遅れて、ボールが前に飛ばない。初回に斎藤が連続タイムリーで2点を奪われ、早々に暗雲が垂れこめたが、3回に全日本の巧みなセーフティバントや、審判の微妙なジャッジなどが重なり、ポメランツが制球を乱した。

まだ全日本の各打者が対応できていなかったので、交代は時期尚早と思われたが、米軍ベンチの早めの動きが全日本に有利に働いた。この回、投手交代の間隙を突いて打者一巡の猛攻で一挙6点。全日本にとっては、たぶんに“幸運”に助けられた試合展開だった。

終盤、追い上げられた時にストッパーとして登場した東海大の菅野智之(2年)は圧巻だった。150㌔を超すストレートとキレのあるスライダーで全米打線を封じ込んだ。巨人の原監督の甥っ子として知られる逸材だが、今日の投球で一挙に再来年の“巨人のドライチ候補”にのし上がった。

打撃陣は、やはり“投高打低”の予想通り、低調だった。その中では、亜細亜大学の中原恵司外野手、東洋大学の佐藤貴穂捕手、九州国際大の加藤政義内野手の球に逆らわないシュアなバッティングが光った。

しかし、4番に座った亜細亜大学の主砲・中田亮二一塁手は、苦手の外角低めに全く対応できず、5打席ノーヒット2三振という散々な結果に終わった。ネット裏には各球団のスカウト陣が勢ぞろいしていただけに、今日の結果はドラフトに大きな影響を与えるだろう。

永田町では、いよいよ7月21日の週に解散して「8月30日投票」が固まった。麻生政権にとって惨敗必至の“やぶれかぶれ解散”である。だが、今回の決断に私は将棋の大山康晴名人が残した格言を思い出した。「終盤は二度ある」と「相手は必ず間違える」という言葉だ。

大山名人は、「負けることに慣れることから始めよ」と説いた棋士だが、この稀代の棋士は、その“負け”にしても、どうせ負けるなら「一手でも多く逃げろ」と弟子たちに常々語っていた。逃げて逃げて逃げまくれば、相手も人間。悪手をうって、いつ形勢が逆転するかわからないというわけだ。

麻生首相は、公明党の強い要望に応じて「8月30日投票」を吞まざるを得なかった。が、実は、これは、「終盤は二度ある」と「相手は必ず間違える」という大山名人のまさに格言通りの一手だったかもしれない。

風雲急を告げる北朝鮮情勢、中国の正体がまたしても世界に露呈されたウィグル暴動鎮圧、民主党のばらまき政策の財源問題、鳩山代表の政治資金規正法違反問題……等々、8月末までには、予測不能のさまざまな出来事が日本を襲ってくるだろう。

その時、民主党は今の人気を維持できているのだろうか。「終盤は二度ある」「相手は必ず間違える」――大山名人の格言は果たして麻生に微笑むのか否か。「8月30日投票」に向かっていよいよ勝負の夏が始まった。

カテゴリ: 政治, 野球

「本格派投手」ずらり勢揃い

2009.06.23

日米大学野球(7月12日~)のメンバーが発表になった。

メンバーを一見、すぐに思ったのは、「投高打低」ということである。いまのアマチュア球界を象徴する現象が、この全日本チームにも起きていることを感じる。

アマチュアに限らず、日本の野球レベルは、完全に投高打低だ。先のWBCでもわかったように、日本のピッチャーのコントロールとキレのある投球は、どの国の投手陣をも凌駕していた。美しい理想的なフォームで平然と威力ある球を投げ込み、しかもスタミナも抜群。あれほど完成された投手陣は、世界の驚異だった。

今回の日米大学野球の全日本メンバーも同じだ。いや、これほど有力な「右の本格派」が一同に揃ったことは、今年37回目を数える大会でも珍しい。法政の江川卓と駒澤の森繁和、日大の佐藤義則らが顔を揃えた昭和51年の日米大学野球が思い出されるが、今回の二神一人(法政・4年)、斎藤佑樹(早稲田・3年)、大石達也(早稲田・3年)、澤村拓一(中央・3年)、野村祐輔(明治・2年)、東浜巨(亜細亜・1年)も、江川・森に比べれば小粒だが、それぞれの球の威力はなかなかどうして素晴らしい。

選ばれたメンバーは、いずれも140キロ台後半(中には150キロ台も)のスピードボールとキレのあるスライダーを武器にしている。彼ら右の投手陣に加えて、左では、乾真大(東洋・3年)と中後悠平(近畿・2年)も選ばれている。乾は先発か抑え、中後はワンポイントか抑え要員として選ばれたと思われる。

私は、将来日本を背負って立つピッチャーにとって、この日米大学野球に出場することがいかに大きいことかを感じている。

先に挙げた江川、森、佐藤といった本格派投手は、この日米大学野球で全米打線の厳しい洗礼を浴びている。アメリカの選手は、スピードボールに絶対的な自信を持ち、しかも手が長く、思いっきり踏み込んでくるので、少々外角に外した球も平気で長打を放ってくる。

むしろ弱点は、内角高めだ。ここを勇気をもって突いていけばかなり抑えられるが、周知のようにこれは少し甘くなればホームランボールになるという危険性がある。江川、森といった剛球投手ですら、簡単にホームランを打たれたシーンを思い出す。

いかにこういった強打者たちのタイミングを外すか。バレーボールで言う“一人時間差”、すなわちタイミングの外し方を会得したピッチャーだけが、上(プロ)でも「一流として通用する」ようになるのである。そのための大切な登竜門がこの日米大学野球なのだ。

さて、それを会得するのは、この本格派ピッチャーたちの中で誰だろうか、と思う。日米大学野球を観る上で別の意味の楽しみがそこにある。

カテゴリ: 野球

法政大学の復活

2009.06.14

全日本大学野球選手権は、法政大学が優勝した。

低迷をつづけてきた法政が6季ぶりに東京六大学の春のリーグ戦で優勝したと思ったら、その勢いを駆って全日本大学野球選手権を実に14年ぶりに制したのだ。史上最多「8度目」の優勝である。

低迷に対する非難と、選手たちの離反という厳しい環境のなかで「更迭論」さえ囁かれていた金光興二監督にとって、これほど嬉しいことはないだろう。

広島商業時代は1番ショートで主将として全国制覇を果たし、法政大学でも江川、植松、島本ら錚々たる“花の48年組”を主将としてリードし、法政4連覇の黄金期をつくりあげた。

その栄光の球歴に「傷がついた」とさえ言われた低迷ぶりだったが、今回の優勝で雑音は振り払われるだろう。本来の力ではナンバー・ワンの早稲田、エース野村を擁して黄金時代の実力を取り戻しつつある明治、そして日本一をもぎとった法政。ここのところ東都に差をつけられていた六大学に、活気が戻ってきたようで頼もしい。

ところで、優勝候補ナンバー・ワンの東洋大学の敗戦は意外だった。対創価大戦のエース乾の思いもよらぬ序盤の乱調。4点のアヘッドが最後まで響いてしまった。07年秋からつづく東洋の全国大会連覇の記録はこれで「4」でストップした。一発勝負のトーナメント戦は、やはり怖い。

法政のエース、二神一人投手は最高殊勲選手賞と最優秀投手賞を独占した。これで秋のドラフトでは契約金1億円を確保したのは間違いない。高知高校時代は明徳義塾の厚い壁に阻まれ、3年時に出場を辞退した明徳義塾に代わって甲子園に代理出場したものの、初戦で日大三高に敗れ、脚光を浴びることはなかった。

この時の明徳義塾のエースが松下健太(早稲田)であり、4番が中田亮二(亜細亜)である。3人とも今秋のドラフトでプロに指名されるか否か、興味深い。

高校、大学、プロと、ライバル関係がつづいていく例は少なくない。スポーツ観戦の欠かせない見どころである。

カテゴリ: 野球

政治の季節到来

2009.06.09

「新潮45」の連載締切と、7月に出版するノンフィクションの再校ゲラの返しが重なり、徹夜がつづいた。と、思っていたら、いよいよ全日本大学野球選手権が今日から始まった。

優勝候補の筆頭である東都5連覇の東洋大学に、東京六大学の覇者・法政大学、あるいは東海大学、近畿大学、東北福祉大学らが挑戦する興味深い大会だ。

プロ注目の乾、鹿沼という左右の二枚看板を要する東洋大学の優位は動かないだろう。しかし、久しぶりの出場となった法政大学も六大学の防御率1位・エース二神を擁して勢いに乗っている。どこまで優勝に絡んでくるか興味深い。

今日は、九州南部から東海にかけて早くも梅雨入りが発表された。鬱陶しい季節の到来だが、一方で永田町は完全に選挙態勢に入っている。千葉市長選が今週日曜(6月14日)に迫り、7月5日には静岡知事選、その翌週の7月12日には東京都議選が控えている。

地方選が終われば、待ったなしの「総選挙」だ。麻生首相は、鳩山民主党のアキレス腱とも言える安全保障問題で「攻め」の姿勢を見せ始めた。“偉大なる指導者同志”による核実験とテポドンの発射実験で、日本の安全はいまや風前の灯。さらにはソマリア沖の海賊対策問題もある。平和ボケした民主党で、「国民の生命と財産が守れるか」というわけだ。

国会での低レベルの党首討論より、やはり本音で有権者に訴える街頭演説の方がよほどおもしろい。マスコミも、党首たちのそうした本音の演説をできるだけ詳細に報じて欲しいものである。実は地方での党首演説こそ、政治の息づかいが伝わる最も貴重なものなのだ。

ジャーナリズムは、そのことを国民(有権者)に伝える使命をしっかり果たして欲しい。

カテゴリ: 政治, 野球

東洋大学vs亜細亜大学「両雄の激突」

2009.05.28

昨日の東都大学野球の東洋大学vs亜細亜大学戦は、両校の勝負への執念が迸った素晴らしい試合だったようだ。どうしても欠かせない取材が入ったために、気になりながらも行くことができなかった。

すると神宮球場のネット裏から50年前に学習院大学を“奇跡の優勝”に導いた時の主将・田邉隆二さん(現学習院大学野球部監督)とエース・井元俊秀さん(元PL学園監督。現青森山田教育顧問)から「何をやっているんだ。いま2人で一緒に観ている。早く来い」との電話をもらった。

2人は、私が昨年講談社から上梓した「神宮の奇跡」の主役である。70歳を超えても大好きな野球に情熱を傾ける2人に、私はいつも勇気をもらっている。

東洋と亜細亜は、今年の大学球界の実力ナンバーワンを争う両雄だ。破壊力と、凌ぎの強さを併せ持つ両校が共に全日本大学野球選手権に出場すれば、おそらく決勝で激突するに違いない。それほど野球の厳しさを知る両チームである。

入学早々、亜細亜のエースにのし上がった沖縄尚学出身の東浜巨投手も、さすがに東洋には通じなかった。乾真大(東洋大姫路)と鹿沼圭祐(桐生第一)という3年生の左右の強力投手を擁する東洋に一日の長があった。これで東洋は戦国東都で5連覇。戦前に記録された専修大学の不滅の6連覇に王手をかけた。

個人的には、通算100安打超えを目指す亜細亜の主将・中田亮二(明徳義塾)に首位打者をとって欲しかったが、この東洋戦の2試合で1安打に終わり、4安打を固め打ちした東洋のトップバッター小島脩平(桐生第一)に逆転を許して、1位から5位に転落してしまった。ユニークな体型(170センチ、115キロ)ながら、長打力、確実性、それに俊足を誇る中田選手は、今年のドラフトの目玉の一人だ。

群雄割拠の「戦国東都」から目が離せない。

カテゴリ: 野球

コアな野球人たちの集まり

2009.05.22

昨夜の飲み会は面白かった。

羽田空港勤務で、野球オタクの宮本さんが束ねる「甲子園会」という“コアな野球人たち”の会合である。

スポーツジャーナリスト(というよりパ・リーグフリーク)で友人の佐野正幸さん、「ママ記者ブログ」で有名な野球ライター瀬川ふみ子さん、高知県出身者で初めて真打となった落語家の瀧川鯉朝師匠、土佐高野球部&東大野球部OBで現役東大野球部スカウト部長の浜田一志さん、同じく土佐高野球部OBで元早大野球部マネージャーの武智さん、松江北高で甲子園出場して東大野球部で1勝した楠井さん、ロッテ球団職員の田沢さん、「GO!GO!DREAMS」のCDを出している野球アイドルの立花夢果さん、現役東大応援団長の小田くん、日刊スポーツの文化芸能部記者で南極取材の経験を持つ小林さん、そして明徳義塾出身の元甲子園球児で、現在、高校教師&高校野球監督を目指して就職活動中の小坂くん、である。

瀬川さんが連れて来てくれたナイスガイの小坂くんには「さすが馬渕門下生」という思いを持った。こういう人物にこそ、高校野球の指導者になって欲しいと心から思った。若いのに人間の奥深さを感じさせる小坂くん、君なら絶対に大丈夫。頑張ろう!

昨日は、早朝からテレビ出演などいろいろあって疲労が蓄積していたが、最後にナイスガイ(&ナイスガール?)たちのこの集まりですっかり疲れが吹っ飛んだ。

宮本さん、次もまた頼みます!

カテゴリ: 野球

早稲田の優勝が消えた

2009.05.17

早稲田の優勝が消えた。今日の東京六大学、早稲田対明治戦で、昨日につづいて連投となった斎藤佑樹君が明治打線に掴まり、後続も打たれて3対5で敗れた。これで残りを全勝しても法政には届かず、優勝の可能性がなくなった。

斎藤君もさすがに昨日の快投(8回を零封、9奪三振)の疲労があったに違いない。第1試合で法政が慶応に連勝して勝ち点4となった段階で、早稲田は明治に「2連勝」するしか優勝の目はなくなり、應武監督も斎藤君の「連投」を敢えて選択したのだと思われる。

それにしても質量ともに大学球界ナンバー・ワンを誇る早稲田投手陣の不調は目を覆うばかりだ。済美出身の福井優也君も伸びきれず、斎藤君をカバーするところまではいかない。この4年間で明徳義塾出身の松下建太君を一本立ちさせて使うべきところでも、いつも中途半端な使い方しかされないため、ついに松下君も早稲田のエースとはならなかった。

やはり、應武監督の斎藤依存の体質がそのまま戦力低下を生んでしまっているようだ。これはいくら陣容が大学ナンバー・ワンでも、勝負の世界が「甘くない」ことを示している。

それにしても、ここのところ大学球界の好投手の充実ぶりには目を見張らされる。昨日、入学以来初黒星を喫したとはいえ、明治2年の野村祐輔投手(広陵)をはじめ、将来性豊かなピッチャーが目白押しだ。

東都では亜細亜の東浜巨君(沖縄尚学)が快速球を武器に入学早々、エースにのし上がった。中央の澤村拓一投手(3年)との剛球対決(4月21日)などは、プロでもなかなか見られないハイレベルなものだった。

150キロ前後の速球を持ち、かつスライダーのコントロールとキレがなければ、とても東都1部ではエースにはなれない。将来の日本の野球界を背負って立つ人材が大学球界に相次いで誕生していることは頼もしい限りだ。

六大学は法政か明治、東都は亜細亜か東洋。好投手を抱える強豪が優勝戦線に残っている。全国から強豪が集う6月の全日本大学野球選手権が今から楽しみだ。

カテゴリ: 野球

「ノンフィクション」への期待

2009.04.21

今日は、学習院大学の同窓会、神奈川桜友会の講演会に招かれた。場所は、横浜のニューグランドホテル。拙著『神宮の奇跡』(講談社)の関係でお世話になった同大学野球部の関係者が多数来てくれていた。

昭和33年に起こった「奇跡」を描いたこの作品は、さまざまなところで反響をいただいている。今上陛下の即位20周年とご成婚50周年という節目の年ということもあるだろう。

東都大学野球で起こった学習院大学優勝というたった一度の奇跡。そして、それと同時並行で進行していた今上陛下(皇太子)の逆転の婚約劇。半世紀前の「二つの奇跡」を振り返るにつけ、あの頃の日本人の凄まじい気迫と毅然とした姿に頭が下がる。

頭髪こそ白いものの、今日集まっていただいた学習院OBの熱気とパワーには恐れ入った。小生のような若輩が講演させてもらうなど、名誉に感じると共に、恥じ入るばかりだったが、講演後に多くの学習院OBに励ましの言葉をいただき、次の作品に対して新たな意欲が湧いてきたのも事実である。

事実を掘り下げる「ノンフィクション」への期待は、想像以上に大きい。私も含め、ジャーナリスト、ノンフィクションライターたちの奮起が望まれる。

カテゴリ: 歴史, 野球

勝敗を分けたものは何か

2009.04.02

今日の選抜甲子園の決勝戦は、久しぶりに見応えのある好試合でした。花巻東(岩手)の菊池雄星君と清峰(長崎)の今村猛君は、今大会の左右のナンバー・ワン投手。両者ともこれからの「日本の野球界を支えていく」可能性のある素質豊かなピッチャーです。特に菊池君は、4年後のWBCでは日の丸を背負って「マウンドに立っている」のではないか、と思わせるほどの快速球とキレのあるスライダーを持っているピッチャーです。

好投手同士の試合は、言うまでもなく先取点を挙げた側が決定的に有利になります。その意味で、どちらがどう最初の点を取るのか注目して観ていました。こういう場合に、ベンチとしては、オーダーの中でどの選手が相手ピッチャーに「合っているか」、つまり誰が「攻略のキーパーソン」になるかを素早く見極めることが勝利への鍵になります。

清峰ではトップバッターの屋久貴博君、花巻東は小柄な2番バッターの佐藤涼平君が相手ピッチャーにタイミングが合っていました。キーパーソンはこの「2人」。屋久君は食らいつくバッティングで菊池君を苦しめ、佐藤君は155センチという小柄ということもあって今村君が非常に投げにくそうにしていました。

試合は意外な決着をみました。0対0で迎えた7回表、簡単に2死をとった菊池君が清峰の8番バッターをストレートで歩かせました。野球に詳しい人なら「これは危ない」と思ったに違いありません。簡単に2死をとって、次の打者をストレートで歩かせるというのは典型的な「失点パターン」だからです。そして仮に、つづく9番バッターの橋本洋俊君を出塁させたら、“キーパーソン”であるトップバッターの屋久君に打順がまわってしまいます。

菊池君も「危ない」と感じたのでしょうか。当然のごとく9番バッターの橋本君との勝負にこだわりました。そこに微妙な“力”が入ったような気がします。やや力み、キレを欠いた3球目のストレートを橋本君は見逃しませんでした。橋本君がバットを一閃すると、打球は左中間を抜く二塁打となり、一塁ランナーが長駆ホームを駆け抜けました。

タイミングの合っている屋久君が「次に控えている」ことで、菊池君に微かな力みが生じ、投げ急いだように私には見えました。

一方、花巻東の2番・佐藤涼平君も今村投手に食い下がりました。8回裏、試合の行方を左右する1死1、2塁という花巻東絶好のチャンスで佐藤君が登場。そこまで、佐藤君は四死球とヒットで3度とも出塁していました。

0対1、1点差で迎えたこの試合最大のヤマ場です。しかし、ここでなぜか2塁ランナーがいきなり3塁へ盗塁を敢行してアウト。「?」「?」「?」――観客は誰もが首を傾げたと思います。今日一番タイミングが合い、ピッチャーが最も投げにくかった佐藤君が打席に入っているのに、このスチールは一体何だったのか……佐藤君はこのあとセーフティバントを成功させましたが、肝心の2塁ランナーがいないのではどうしようもありませんでした。

花巻東には5回裏、打者がキャッチャー前に上がったフライを勝手にファウルと判断して走らず、ピッチャーとキャッチャーがお見合いをしてボールが転がったにもかかわらずアウトになるという“怠慢プレー”もありました。一発勝負の高校野球では、ちょっとした差が勝敗を分けます。緊迫の試合展開の中で垣間見えた花巻東のわずかな「隙」。その差が勝敗に出たように思えました。

3年前の選抜決勝戦で横浜高校に0対21という決勝史上最多得失点差という不名誉な記録で準優勝に終わった清峰。その屈辱を晴らそうという清峰の「優勝への執念」が、少しだけ花巻東の「勝利への気迫」を上回ったような気がします。

春夏を通じて「東北勢初の優勝」を逃した花巻東。「東北人の悲願」は、残念ながらまたも先に繰り延べとなってしまいました。

カテゴリ: 野球

「死に急いだ」大投手

2009.04.01

今日は、午前中に麻布台の外交史料館や御茶ノ水のニコライ堂などで、NHK「こだわり人物伝“野球は僕のパスポート(スタルヒン)”」の最終ロケをおこないました。

夕方には、スタルヒンが40歳の若さで事故死する世田谷区内の旧玉川電車「三宿駅」跡にも行ってきました。ここでスタルヒンの運転する外車が停車中の玉川電車の後部に激突。スタルヒンは即死しました。昭和32年1月12日、夜10時半頃のことです。

渋谷から三軒茶屋に向かう国道246号線(玉川通り)は今日も激しい交通量で、車の騒音にスタッフとの会話もままならない感じでした。しかし、現場で50年以上前のこの事故に遭遇した人にも話を聞くことができました。

ちょうど追突された玉川電車に乗り合わせ、事故の目撃者ともなったHさんは当時、卒業を間近に控えた早稲田大学理工学部の4年生。事故の直後、顔に傷ひとつなく、大破した車の中で眠るように座っていたスタルヒンの姿を今も記憶していました。

しかし、驚くべきはそのHさんが、スタルヒンを生んだ「旭川」の出身だったことです。郷土の英雄の「死」にたまたま遭遇するという恐ろしいほどの偶然。数奇な運命を辿った「スタルヒンの最期」の目撃者と�しては、ふさわしかったのかもしれません。

撮影終了から間もなく降り始めた雨は、やがて雷まで伴うような激しいものとなりました。断続的にほぼ1か月に及んだロケもこれで終了。容赦なく傘のないサラリーマンたちを打ちつける雨の中で、私は、戦中戦後を苦労だけして「死に急いだ」この大投手の無念を考えていました。

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「みんなが俺を守ってくれた」イチローの感動と苦悩

2009.03.30

今日の報道ステーションの「イチロー・インタビュー」は、興味深いものでした。WBC2連覇という「栄冠」を勝ち取るまでの苦悩が見事に表現されていました。

打てないイチローを励まそうと、みんなが膝までストッキングを出す“イチロー・スタイル”をやった秘話や、そのことでイチローが受けた感動。さらには、イチローが13打席ぶりのヒットを放った時にチームメイトたちが示した心の底からの喜び、そして、そのことによってイチロー自身がいかに励まされたか……また、優勝を決めた韓国戦10回表の決勝打を放った時、「ダグアウトを見たら感情的になる(注=泣いてしまう)ので見れなかった」とも。まさに、イチロー自身が吐露した「知られざるエピソード」の連続でした。

圧巻は、イチローが明かした川崎宗則からのメールです。川崎は大会が終わったあと、イチローにこんなメールを送ったという。

「今までよりもイチローさんがもっと好きになった。打てない時のイチローさんがすごくよかった。最後のヒットは一生忘れられません」

川崎は「不振に喘ぐ」、つまり「苦悩の中でもがく」イチローの姿に感動したと伝えていたのです。イチローはこのメールを見た時、「半泣きになった」と明かしています。

これほどの名選手にして「国を背負うこと」とは、そこまで重いのです。日本の野球人の誇りと執念——侍ジャパンが単に技術だけでなく、あらゆる面で「世界一」であったことを改めて知らされました。

カテゴリ: 野球

「京都日帰り」出張とPL学園

2009.03.28

今日は、朝8時過ぎの「のぞみ」に乗って、京都に日帰り出張をしてきました。行き先は、西京極球場。NHK「こだわり人物伝」で取り上げるスタルヒン投手ゆかりの地として行ってきました。昭和30年9月4日、スタルヒンが日本のプロ野球史上初の「300勝」を達成した場所です。所属していた「トンボユニオンズ」のチームメイトだった滝良彦さん(79)にもわざわざ名古屋から来ていただいての収録でした。

この球場は昭和9年、旭川から連れてこられた18歳のスタルヒン少年がベーブ・ルースら全米チームと戦う「全日本軍」に初めて合流した地でもあります。水原、三原、苅田、浜崎ら職業野球の黎明期を支えることになる錚々たるメンバーに迎えられたスタルヒン少年は、小脇に木彫りの熊を抱えて不安そうに先輩たちに挨拶したといいます。こつこつ精進をかさねたスタルヒン投手は、それから21年という歳月をかけ、ついに「300勝」という前人未踏の大記録を打ち立てたのです。外野席は今も芝生。歴史を感じさせる西京極球場では、今日も社会人野球の大会が開かれ、乾いた硬球の音が響いていました。

夜、東京で用事があったため、撮影が終わるとそのまま「のぞみ」に飛び乗りましたが、気になるのは甲子園。2週間ほど前に訪問したPL学園が2回戦に登場するからです。1回戦で怪物・秋山拓巳投手を擁する西条を1対0で下し、今日の南陽工業との2回戦に臨んだPLの大黒柱は何と言ってもエース中野隆之君です。私が訪問した時、左腕投手の中野君はちょうど右打者の膝元にクロスファイヤー気味に食い込むストレートを集中的に投げ込んでいました。指からボールが離れる時にピシッと音がするようなキレのあるストレートがキャッチャーのミットに連続して吸い込まれていました。

昨夏の中野君は左ひじが下がって、お世辞にも「本格派投手」とは言えませんでした。しかし、ひと冬を越えて中野君は逞しく成長していた。この日も、ストレートとスライダー、カーブ、チェンジアップを駆使し、南陽工業打線につけ入るスキを与えず、なんと9回を終わって「ノーヒットノーラン」の快投を見せました。

しかし、味方の援護がなく、PLも0点。0対0のまま延長に突入して10回表に致命的な2点を奪われ、結局、PLは1対2で敗れてしまいました。優勝候補の西条を完封し、2回戦も9回までノーヒットノーラン・ピッチングを見せた中野君。将来性抜群のピッチャーと言えます。私は2週間前、中野君に「気持ち(気迫)で負けなければ、君は勝てる」と短いアドバイスをさせてもらいました。かつてのPLからは想像もできない“貧打”で苦しんだ今年のチームでしたが、今後、課題の打力さえ整備すれば、夏が楽しみなチームです。PL学園に「名門復活」の日は近い——?

カテゴリ: 野球, 随感

WBC2連覇の意味

2009.03.24

ついにやりました。宿敵韓国を倒して、侍ジャパンは世界の頂点に立ちました。第1回につづいての連覇。日本の「野球」が、世界のトップにあることを改めて証明しました。それにしても、韓国の強さはやはり本物でした。北米、ラテン、アジア、それぞれの野球が覇を競いましたが、やはり基本に忠実で緻密なアジアの野球に、北米・ラテンの荒々しい野球が、歯が立たないことが証明されました。これからは、韓国を倒さなければ世界の「頂点」に立てないことを誰もが認識したと思います。

今日は、スタルヒンの娘さんのナターシャ・スタルヒンさんに午前中インタビューした後、スタルヒンが卒業した旭川市立日章小学校を訪問しました。3月下旬だというのに、旭川は吹雪。私も、撮影スタッフも、日韓戦が気になって仕方ありません。撮影の合間にインタビューをつづけました。いや、日韓戦を観戦する合間に撮影をした、という方が正確かもしれません。

勝ったあ! 撮影が終わった瞬間、NHKのスタッフによって朗報がもたらされました。80年前にスタルヒンが通っていた日章小学校の校長室でこのニュースを知るという光栄に一同感激しました。

今日の試合、いくつもミスがあり、「なぜ」「どうして?」と首を傾げる場面もありました。しかし、それらを凌駕したのは、選手たちの「気迫」でした。日本の野球人の執念が世界一であることが証明されたのです。ありがとう、侍ジャパン。

夜8時前からスタッフ一同で祝杯。旭川は祝杯の間中、真冬のような雪がしんしんと降りつづいていました。

カテゴリ: 野球

悲願達成の日、「スタルヒン球場」にいた

2009.03.23

9対4。WBC準決勝で日本は堂々とアメリカを破りました。昨日のブログでも書いたように、これは「75年」に及ぶ日本野球界の悲願でもありました。日本の黎明期の職業野球を支えた野球人の中に、ベースボールの母国・アメリカと対等に闘える日が現実にやって来ると思っていた人が果たしてどれだけいたでしょうか。

私はこの歴史的な日に、北海道・旭川市の「スタルヒン球場」にいました。NHKの「こだわり人物伝“野球は僕のパスポート(スタルヒン)”」の撮影で、スタルヒン投手の娘さんであるナターシャ・スタルヒンさんと共に、同スタジアムで横なぐりの雪の中、一緒にいたのです。雪で真っ白になったグランドをスタンドから眺めながら、私は、この日に旭川スタルヒン球場にナターシャさんと「一緒にいた」ことの幸せを感じました。

75年前、日本の職業野球チームが発足する1か月前に、旭川中学(当時)3年で18歳のスタルヒン少年は、この旭川から、自分の意志に反して東京へ連れていかれました。亡命白系ロシア人であった一家を支えるために、スタルヒンはベーブ・ルースら全米チームに「連敗」を続ける全日本軍の“助っ人ピッチャー”として、東京へ呼び寄せられたのです。

スタルヒン少年は、大宮球場でマウンドに立ち、いきなりルー・ゲーリックに立ち向かいました。その第一球目はバックネットに直接ぶつかる大暴投。しかし、その瞬間から日米の「因縁の闘い」は始まったのです。

「75年」という気の遠くなるような歳月が過ぎ去った末に今日、ついに日本の「野球」はアメリカの「ベースボール」を凌駕したのです。

明日は韓国との決勝戦。「2連覇」という悲願の重さは、さまざまな人が知っています。ジャパンの選手たち、君たちの一挙手一投足を多くの先人が見つめています。どうか堂々と闘って明日、悔いのない試合をしてください。でも、君たちが「アメリカを倒した」という偉業こそは、泉下の沢村やスタルヒンが忘れることは絶対にないでしょう。

今日2009年3月23日は、「日本の野球」が「アメリカのベースボール」と肩を並べた記念すべき日なのです。われわれは、決してこの日を「忘れる」ことはありません。ナターシャさんと旭川のジンギスカン料理屋で黒ビールのジョッキを傾けながら、私はそんなことを考えていました。

カテゴリ: 野球

東京マラソンとWBC

2009.03.22

今日から「門田隆将オフィシャルサイト」がスタートしました。ちょうど『激突!裁判員制度 井上薫vs門田隆将』(WAC)が出版されたばかりですので、いいタイミングとなりました。昨年、25年間のサラリーマン生活にピリオドを打って独立してから、ほぼ1年が経ちました。昨年7月には『なぜ君は絶望と闘えたのか—本村洋の3300日』(新潮社)、11月には『神宮の奇跡』(講談社)を出版しましたので、ほぼ4か月ごとに新作を発表していることになります(ほかにも、12月には『甲子園への遺言』をリニューアルして講談社文庫から出版しました)。来月からは、ある月刊誌で連載をスタートさせますし、7月には、某社から新作の書き下ろし単行本を出す予定です。次々と作品を発表していきますので、皆さまのご支援をよろしくお願い致します。
 
さて本日、東京は「東京マラソン」で盛り上がっていました。雨もまじった冷え込みの中、多くの市民ランナーが“自分自身”に挑戦していました。小生の知人も出ていました。47歳、新聞記者。タイムは、6時間24分21秒。見事に完走しました。普段は、そんな頑張りとは無縁の男なのに、いきなりド根性を見せつけられました。「やればできる」を行動で示してくれました。小生も負けてはいられませんね。

さて、明日から北海道の旭川にテレビ関係のロケと取材に行きます。WBC準決勝の日米決戦をゆっくり観たいところですが、いろいろやりながらの観戦となりそうです。「原ジャパン」については、書きたいことも沢山ありますので、また稿を改めます。

とにかく、ここまで来ると理屈ではありません。勝負は「気迫」で決まります。言うまでもありませんが、アメリカを倒すことは多くの野球人の夢であり、悲願でした。昭和9年に、ルー・ゲッリック、ベーブ・ルース、ジミー・フォックスら、大リーグ史上に残る大スター軍団が来日し、これに沢村栄治やビクトル・スタルヒンらが立ち向かいました。それから「75年」という気の遠くなるような歳月が流れました。その年、スタートした日本の職業野球(現在のプロ野球)が、やっと本当の意味でアメリカと「雌雄を決する」ことができるところまで来たのです。

東京ドームの丸の内線「後楽園駅」側の一角に、戦没野球選手を追悼する『鎮魂の碑』があります。石碑は2つあって、右側には沢村投手ら、山野に散った69名の職業野球人の名前が記され、左側には特攻隊員として戦死した石丸進一(名古屋軍・現中日)の遺族の一文が刻まれています。

<二十年五月十一日正午出撃命令を受けた進一は、白球とグラブを手に戦友と投球。
よしストライク十本
そこで、ボールとグラブと“敢闘”と書いた鉢巻きを友の手に託して機上の人となった。愛機はそのまま南に敵艦を求めて飛び去った。
「野球がやれたことは幸福であった
忠と孝を貫いた一生であった
二十四歳で死んでも悔いはない」
ボールと共に届けられた遺書にはそうあった。
真白いボールでキャッチボールをしているとき、進一の胸には生もなく死もなかった>

多くの先人が「この一戦」を観ている。平和であるからこそ、こういう「檜舞台」が許された。

勝て!ニッポン。

カテゴリ: 野球, 随感

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