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「ラグビーワールドカップ」が日本に教えてくれたもの

2019.11.03

南アフリカがイングランドを32対12で下して優勝。ラグビーワールドカップは40日あまりの激闘に幕を下ろした。さまざまなことを教えてくれた日々だった。

悲願の決勝トーナメント進出を果たしたジャパンの夢を打ち砕いた南アフリカがそのまま頂点に駆け上がった。その強さの秘密は、決勝の前半32分からイングランドが攻めに攻めた“あと30センチ”の数分間の攻防にすべて現われていた。

フォワードとバックスが一体となって猛然と襲い掛かるイングランドを何度も跳ね返し、ついにトライを許さなかった強靭な肉体と精神力。それは間違いなく「世界一」にふさわしいものだった。

私にとっては、1次リーグ初戦でいきなり「優勝候補同士の対戦」となったニュージーランド戦が印象的だった。調子がつかめないまま前半で3対17とリードされた南アフリカは後半、一時は4点差まで詰め寄った。しかし、前半の劣勢が響いて、結局、13対23で敗れた。

最悪の黒星スタートを切った南アフリカ。しかし、彼らはここから蘇った。崖っ淵に立って「俺たちにもう敗北は許されない」と、徹底して弱点を研究・克服していくのである。

力に任せるあまりFWのオフサイドが目立つチームが、オフサイドラインを守る我慢のプレーに徹し、一方でSHデクラークがオフサイドぎりぎりの“攻撃的防御”で相手を攪乱していった。

なにより「格下」相手にも“チャレンジャー”として気迫と闘志を前面に押し出した。もともと優勝候補の南アフリカ。これが挑戦者として闘いを挑んできた時、その強さは尋常なものではなくなっていた。世界中を驚かせた“ジャパン旋風”も、蘇った南アフリカには通用しなかった。

ラグビーとは、いうまでもなく戦術、技術、パワー、スタミナ、そしてモチベーションが「勝敗を分ける」スポーツだ。ものすごい勢いとスピードで突進してくる巨漢をタックルで倒す際の衝撃を想像して欲しい。

ひとつ間違えれば「首」や「肩」の骨が折れるかもしれないタックルは、恐ろしいほどの気迫と闘志がなければできるものではない。少々大袈裟にいえば「たとえ死んでも構わない」という気迫と闘志がなければ「相手の突進を止めること」などできないのである。

では、その気迫と闘志はどこから生まれるものだろうか。ヒントを与えてくれるのは、南アフリカ初の黒人主将、シヤ・コリシ選手の決勝戦後のインタビューだ。彼はこう語った。

「私たちの国には多くの問題がある。だからチームが力を一つにしたこの勝利には大きな意味があるのです」

私はその言葉を聞いた時、試合前にコリシ主将をはじめ、選手たちが叫ぶように国歌を歌った場面を思い出した。

貧困に喘ぎながら育ったこの主将は、12年前にワールドカップで南アフリカが優勝を果たした際の思い出を「私はあの優勝が国に何をもたらしたかを覚えています。あの時ほど国が一つになった瞬間を私は見たことがない」と語っている。

もし、選手たちが「自分のため」だけにプレーしていたら、あれほどの闘いはできなかっただろうと思う。彼らの気迫と闘志は、まさに「国を一つにするために」であっただろうし、「祖国の名誉のため」でもあったのだろう。だからこそ、あの数々の決死のプレーが「生まれた」のである。

その意味で、ジャパンの闘志はどこの国にも負けていなかった。ジャパンの選手たちは日本中の応援をバックにどの試合でも“魂のタックル”を続けた。ひたむきに、凄まじい闘志で、文字通り、“命をかけて”敵にぶつかっていった。

国民はその姿に感動した。われを忘れてジャパンの健闘に拍手を送ったのだ。南アフリカのコリシ主将が語った「これほど国が一つになった瞬間を私は見たことがない」という、その思いを味あわせてもらったのだ。

激しくぶつかり合いながら、ノーサイドの瞬間から相手を讃え、ねぎらうラグビー独特の文化。そして、あの大男たちが、ジャッジを下した審判に不平があっても文句も言わなければ、大袈裟なジェスチャーも決してしない。

“ラグビーは紳士のスポーツ”と呼ばれる所以がそこにある。その根源を世界最高の舞台で私たちは見させてもらったのである。心から全選手にお礼を言いたいと思う。

最後に、苦言も一つ。台風で試合そのものがなくなってしまった1次リーグの「3試合」についてだ。これで試合ができないまま「1次リーグ敗退」が決まった36歳のイタリアのセルジョ・パリッセ主将はこう語った。

「もしニュージーランドが我々との試合で勝ち点4か5を取らなければならない状況だったら、中止にはならなかっただろう。こんな決定はおかしい。日本に台風が来るのは珍しくないのだから、(中止ではなく)プランBを用意していないのはおかしいではないか」

たしかに9月から10月にかけては、日本は台風のシーズンだ。それなのに、日本ともあろうものが、なぜプランBを用意して「私たちに戦いの場をつくってくれなかったのだ?」 というパリッセ主将の言葉は重い。

イタリアでは“伝説のナンバー8”として、パリッセ選手は英雄だ。そのヒーローが口にした言葉に、イタリア国民は「そのとおり!」と叫んだのである。

大会が始まった以上は、不測の事態が生じて試合が中止になった場合は、両チームにポイント2を与えるルールを守らなければならない。

だが、そう決める前に日本ラグビーフットボール協会(JRFU)は、やるべきことがあったのではないだろうか。アイルランドのダブリンに本拠を構えるワールドラグビー (WR)は、もちろん日本の台風のことなど知らない。

しかし、台風銀座の日本で大会をおこなう以上、JRFUはWRに日本のこの特殊な事情は伝えなければならない。それは、雨や雪が降っても試合をするラグビーでも台風の時は「できない」ということと、同時に「台風一過」という言葉があるように、台風でプレー不能になるのはほぼ「1日」だけであり、それが過ぎれば台風がすべての前線を引き連れて通過していくため、翌日は「からりと晴れあがる」ということだ。

すなわち中止は「1日」か「2日」だけで、翌日か翌々日には試合が可能であり、1次リーグでも決勝リーグと同じく「2日」の延期は認めさせておくべきだった、ということである。

日本のファンの中には、「今大会のルールに各国がハンコを捺して参加しているのだから文句は言うな」という反応が多かった。だが、“おもてなしの国・日本”だからこそ、アスリートファーストを貫き、1次リーグで「2日以内の延期」という“プランB”をつくっておき、WRを事前に「説得しておくべきではなかったか」と思う。次回、日本でおこなわれる国際大会への大きな教訓にしていただきたい。

かくして感動のラグビーワールドカップは終了した。世界が日本の観客たちのマナーに感動し、最高の評価をしてくれた。ジャパンに対しても、外国メディアは「日本は勇敢で機知に富み、創造性に溢れたプレーでこのスポーツに光を灯した」とまで絶賛してくれた

気迫、闘志、研鑽、工夫、切磋琢磨……日本人が忘れかけていたものを思い出させてくれたジャパンの面々と共に、ラグビーというスポーツ自体に、心からの感謝を捧げたい。

カテゴリ: ラグビー

見ごたえのある決勝戦

2011.01.09

見ごたえのある決勝戦だった。本日、国立競技場でおこなわれたラグビー大学選手権決勝戦・早稲田大学vs帝京大学は、衰えを知らない両チームの闘志が最後まで迸った好試合だった。

最終スコア17対12。帝京は7割近いボール支配率で試合展開では圧倒した。しかし、早稲田は同校史上最高と言ってもいいほどのバックス陣を擁し、特にフルバック井口剛史などの “決定力”は、帝京のそれを遥かに上まわっていた。

では、勝敗を分けたのは何か。

試合後、帝京ラグビー部監督の岩出雅之氏が勝利監督インタビューで「選手に何と声をかけますか?」と促されて出た言葉が、すべてを物語っている。

「みんな、素晴らしいタックル、ありがとう!」。王者・早稲田に向かって試合中、繰り返された凄まじいタックルを真っ先に挙げて岩出監督はそう選手たちを讃えたのである。

史上最高の早稲田バックス陣を封じ込んだ帝京の猛タックルは、ラグビーの“原点”というものを改めて見せてくれたような気がする。

早稲田は、これで「野球・駅伝・ラグビー」という大学人気スポーツの「三冠日本一」は成らなかったが、来年もこれら大学スポーツが早稲田を中心に展開されることは間違いない。

いつもながら、次(来年)はどうなるか、を期待させる爽やかな決勝戦だった。アスリートたちよ、栄光目指して、これからも「前進」あるのみ。がんばれ!

カテゴリ: ラグビー

深秋の神宮外苑

2009.11.29

今日は、「新潮45」のスポーツドキュメント「あの一瞬」の取材で、柔道の山下泰裕さんとお会いした。実は、3日前にも取材をさせてもらっているが、その時の時間が短かったため、山下さんがもう一度、わざわざ時間を取ってくれたものである。

今日午後2時から秩父宮ラグビー場で、ラグビーの関東大学リーグ戦の優勝を決める東海大学と法政大学の一戦があり、東海大学の体育学部長となっている山下さんが、それを観戦する前に、私と近くでお会いしましょう、ということになった。

昼食を取りながらの話だったが、3日前にも感じたように、山下さんの柔道に対する明晰な考え方と研究熱心さに改めて驚かされた。現役時代、「誰よりも、自分が一番(ビデオ等を見て)相手を研究したと思う」と、山下さんは語った。

山下さんが語る宿敵・遠藤純男さんとの戦いや、そこに至るまでの駆け引きは、さすがに緊迫感と臨場感があった。ほんの一端ではあるが、柔道の奥深さと幅広さに触れさせてもらった気がした。

遠藤さんへの5時間に及ぶロングインタビューと、山下さんへの2度にわたるインタビューをもとにしたスポーツ・ノンフィクションは、来たる12月18日発売の「新潮45」(1月号)に掲載予定ですので、是非ご覧いただければ、と思います。

さて、インタビューのあと、山下さんと共に秩父宮ラグビー場に赴いた私は、そのまま東海大学と法政大学の試合を観戦した。結果は、22対17で東海大学が法政大学を突き放し、リーグ戦の優勝を決めた。

しかし、残念ながら、得点が拮抗しているわりには、試合はそれほどの緊迫感がなかった。ラフ・プレーが目立ち、細かなミスが多い試合だった。ここ20年、大東文化大学に始まり、法政大学、関東学院大学など、関東大学リーグ戦のレベルが向上し、早稲田や明治、慶応などの対抗戦グループに匹敵する実力を備えるようになってきたのは事実である。

だが、ここ1、2年、リーグ戦グループのレベルは明らかに落ちている。関東学院大学ラグビー部の不祥事で一気にレベルが低下したとは思いたくないが、今日の両校のスクラム戦、バックスの展開力……等々は、ほんの数年前、大学日本一の座に君臨した関東学院大学のレベルとは比べるべくもなかった。

大学ラグビーが“停滞”すれば、それはラグビー界全体の「後退と停滞」を生む。2019年に日本でラグビーワールドカップが開催されるので、今こそ底上げを図らなければならないはずである。関係者の奮起を大いに期待したい。

秩父宮ラグビー場は、もはや秋を通り越して冬の寒さを感じさせた。すぐ隣の神宮外苑では、「外苑いちょう祭り」に多数の親子連れが集まっていた。外苑前広場から青山通りに向かう道の両側は、いちょうが鮮やかに色づいていた。見事な黄金色である。

深秋の神宮外苑を歩きながら、いよいよ師走がそこまで迫っていることを感じた。政権交代も含めいろいろあった2009年。歴史に残る激動の1年も、残りは、あとわずかひと月となった。

カテゴリ: ラグビー, 柔道

「時間の流れ」の違い

2009.10.06

今日は、花巻からJR釜石線に乗って、はるばる釜石までやって来た。釜石線の愛称は、銀河ドリームライン。前身である岩手軽便鉄道が、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』のモデルと言われていることに由来する。

釜石は、かつて、新日鉄の“城下町”として栄え、人口が十万人を超えたこともある東北有数の都市だった。新日鉄の関連で働く人は最盛期には数万人にも達したらしいが、今では十分の一にも満たない。製鉄所の高炉の火が消えると同時に釜石という町の灯も消えてしまったのである。

花巻から2時間も列車に揺られた私は、この最果ての町に降り立った。「鉄のふるさと釜石へようこそ」の駅の垂れ幕に迎えられた私は、かつての新日鉄釜石ラグビー部が汗を流した松倉グランドへと赴いた。

兵(つわもの)どもの夢の跡は、ひっそりとしていた。地獄の猛練習を繰り返して、叩き上げの東北の高校ラガーマンたちを“日本一のラガーマン”へと成長させていったこのラグビーの聖地は、北上山系の山々に見下ろされ、再び栄光の時代が訪れることを静かに待っているかのようだった。

ロックの瀬川、スクラムハーフの坂下など、V7戦士で今も釜石に残る選手は少ない。ラガーマンの取材もここで打ち止めだ。今も寡黙でニヒルなスクラムハーフ・坂下功正さんの話を伺いながら、はてV7の栄光はついこの間の出来事ではなかったか、という錯覚に襲われた。

釜石からの帰路、車窓の外の田園風景に目を奪われる。すでに稲刈りが終わった田と、絨毯を敷きつめたように黄金色の稲が溢れる田……それは、まるで時間の流れが止まったかのような風景だった。

東京とは明らかに時間の流れ方が違う――窓の外を見ながら、私にはこの地の「時間」が妙に羨ましく感じられた。


カテゴリ: ラグビー, 随感

菊池雄星君の「プロ入り宣言」と花巻の夜

2009.10.05

東北出張にて「花巻」にいる。昨日は、東京から北上へ、そして仙台へ。今日は仙台から二戸、そして花巻へ。東北を行ったり来たり、である。

新潮45の連載「スポーツドキュメント“あの一瞬”」の取材で、新日鉄釜石のV7戦士を訪ね歩いているのだ。

あのV7から四半世紀近い年月が経過し、V7戦士たちは今、散り散りになっている。松尾、谷藤、石山、千田……明日は、釜石に行って、さらに取材を重ねる。本日、二戸では当時の主治医に凄まじいV7戦士の戦いぶりを取材した。

出張途中で中川昭一氏の急死の報やら、検察が鳩山総理の政治資金問題の捜査に乗り出すというニュースが入って来たり、すこし東京から離れると、いろいろなことが起こるものである。

中川氏の急死については、父・中川一郎の怪死を思いだして背筋が寒くなった。因縁とは恐ろしい。酩酊会見で大臣の座を棒に振り、選挙では落選、その上、謎の死である。中川氏は、独自の国家観を構築していた数少ない政治家であり、何度か取材もしたことがある。北朝鮮の拉致被害者たちも中川氏に最も期待を寄せていた。それだけにイデオロギーなどを超えて、彼の死が残念でならない。

ここ花巻では、タクシーの運転手が「菊池君の取材ですか?」と聞いてきた。地元の英雄・菊池雄星君(花巻東)がプロ入り宣言をして、今日の岩手の話題を独占していたのだ。スポーツ番組も一斉に菊池報道に転じている。

今年の甲子園で菊池君が投げている時、花巻の町からは人通りが完全に消えたそうだ。タクシー運転手の話しぶりは、彼の存在がいかに地元の誇りかを肌で感じさせてくれた。

期待という名の応援は、力になってくれる時と足枷になってしまう時、両方がある。菊池君がそれらを自分の糧にしながら、今後どんな野球人生を歩んでいくのか興味深い。

取材させてもらった釜石のV戦士たちは、現役が終わってもしっかりと地に足をつけて、「企業」で、そして「地域」で、それぞれの役割を果たしていた。菊池君が目指すべきは、地に足をつけた彼らの人生の歩み方だろう。岩手の英雄としては“先輩”であるV7戦士たちに是非さまざまなことを学んで欲しいと思う。


カテゴリ: ラグビー, 野球

「日本一」に賭けた熱きラガーマンたち

2009.08.25

昨日、手に汗握る甲子園の決勝戦を見た私は、今日午前中に神戸で大八木淳史さん、午後には平尾誠二さんにお会いした。「新潮45」のスポーツドキュメント「あの一瞬」の取材である。

往年のラグビーファンならこの二人の名前を忘れることはあるまい。大学史上最強チームと言われた同志社大学のスタープレーヤーにして、のちの神戸製鋼7連覇の立役者だ。

40代後半を迎えた二人は今も若々しく、とても実年齢どおりには見えない。二人が昭和58年から60年にかけて、新日鉄釜石に挑んだ「3年間」を詳しく取材させてもらった。

人生とは不思議なものだ。新日鉄釜石にもし勝っていたら、自分たちの人生は変わっていた、と二人は同じことを口にした。二人は、日本一を実現していたら、「日本」にはいなかったかもしれないという。その心理は、トッププレーヤーとして「最強王者・新日鉄釜石」に挑みつづけたあの熾烈な戦いを知らなければ、到底理解できないだろう。

森、松尾、洞口、瀬川、千田、谷藤、金野……鉄の軍団を支えた懐かしいラガーマンたちの名前が取材の間、飛び交った。日本一に賭けた熱き男たちの戦いのウラにあった秘話。「新潮45」のスポーツドキュメント「あの一瞬」でご期待ください。

カテゴリ: ラグビー

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