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敗者にこそ現われる“真心”

2012.08.10

女子サッカーと女子レスリングが終わって、日本人にとってのロンドン五輪の熱狂も「ヤマを越えた」気がする。今日は、朝方までつづいた女子サッカーの熱戦に、睡眠不足に陥った人も多いだろう。

ここのところ締切が相次いでいたが、私も夜中から明け方にかけての中継に釘づけにされた。今朝のレスリングの吉田沙保里の闘志と、女子サッカーの爽やかで諦めない戦いぶりには、感激した。

男子柔道をはじめ、闘う“魂”が観る側のこちらにまったく伝わってこない不甲斐ない男子選手たちを見ていると、各競技の女子選手の踏ん張りが実に爽快だ。銀メダルを獲得した福原愛さんら女子卓球選手も素晴らしかった。

敗れていった選手の中にも、感動のアスリートがいた。私が心を揺さぶられたのは、女子マラソンの重友梨佐さんだ。岡山県備前市出身の重友さんは、期待にこたえられず「79位」の惨敗に終わった。

自己の本来の記録より17分も遅い2時間40分6秒という結果に終わった重友さんは、それでも「応援してくれたみんなのために」と、ボロボロの体調のなか、途中棄権をせず最後まで走り通した。

ふらふらになって走る重友さんは、スピードランナーとしての“プライド”ではなく、これまで支えてくれた人たちへの“感謝”によって、フィニッシュまで辿り着いたことになる。

私が感動したのは、ついに足を引きずりながらゴールする時、彼女がそれまでの苦しい表情ではなく“笑顔”を見せたことと、そのあとうしろを振り返り、たったいま通過したばかりのゴールに向かって深々とお辞儀をして、何かを呟いたことである。

精根尽き果てた重友さんが、そのまま報道陣の前を通り過ぎようとした時、テレビのインタビューがおこなわれた。記者が、笑顔でゴールした理由を質問すると、彼女はマイクに向かってこう言った。

「私は、どんなことがあっても笑顔でゴールしようと思っていました。せっかくもらったチャンスで、こういう舞台で走れる機会もたくさんはないと思うんですね。やっぱり最後まで絶対に何が何でもゴールしたいという気持ちで、応援してくれている人もたくさんいたので、絶対に頑張ろうと思って走りました……」

重友さんはそう言ったあと、ゴールに向かってお辞儀をした理由を聞かれ、こう答えた。「自分にはひと区切りついたので、コースや応援してくれた皆さんに対して、お辞儀をしました……」

この時、重友選手の顔は、汗と雨と涙でぐちゃぐちゃになっていた。大会前の故障もあってレースは惨敗に終わったものの、それでも、彼女は、自分を支えてくれた人や応援してくれた人のことを語ったのだ。

その表情から見える誠実な人柄と、一生懸命、質問に答えようとする姿勢が、なぜかあの“惨敗”にもかかわらず、観る側のこちらの気持ちを爽やかにさせてくれたのである。

スポーツの格言に「敗者には何もやるな」というものがある。勝負の世界の厳しさを示す言葉でもあるが、私は「敗者にこそ現われる“真心”がある」と思っている。重友選手のインタビューは、久しぶりに私にそのことを思い出させてくれた。

躍り出たマラソンランナーの“執念”と“資格”

2012.02.27

ここのところスポーツの話題をブログに書くことがなかったので、「一体どうしたんだ?」と言ってくれる友人がいる。

『甲子園への遺言』(講談社)、『ハンカチ王子と老エース』(講談社)、『神宮の奇跡』(講談社)、『あの一瞬』(新潮社)など、スポーツ・ノンフィクションを数多く刊行している私としては、この間、さまざま書きたいことがあった。

しかし、ほかに沢山書くことがあって、結果的にスルーになってきた。昨日の東京マラソンは、久々に手に汗握るものだったので少し感想を書かせて欲しいと思う。

この大会は、ロンドン五輪の代表選考を兼ねているだけに、選手たちも力が入っていた。特に“無収入ランナー”の藤原新(30)と“公務員ランナー”川内優輝(24)の一騎打ちが予想されただけに余計、ファンの注目が集まったと言えるだろう。

実業団に所属しないこの2人のランナーがロンドン五輪の候補者であるだけで、「時代は変わった」と思う専門家は少なくないだろう。オリンピックを目指す選手は、資金、環境などの面で多くの援助がなければ、世界の檜舞台に立つことは不可能、というのがこれまでのスポーツ界の常識だったからだ。

「賞金に目がくらんで必死だった」とレース後に冗談を交えて話した藤原新は、妻子を富山県に残しての挑戦だった。“単身赴任”の上、“無収入”だった藤原は、貯蓄を取り崩して五輪に挑戦してきたのである。

私は、レースのあいだ中、最終盤で藤原は“執念”を発揮できるだろうか、とそればかり考えていた。マラソンのヤマ場は、38キロから先である。残り5キロを切ってから、勝敗が分かれる場面が必ず現れるスポーツだ。

藤原はその一番苦しい38キロ過ぎから、それまでよりも一層、“胸”を張った。藤原がスピードを増して胸を張りながらピッチ走法に入った瞬間、私は、この選手はロンドンで「何か」を見せてくれる選手だと確信した。

昨秋、藤原は、無収入になった時、「足の故障」に襲われている。生まれて間もない赤ちゃんを抱えて、藤原はこの時、何を思っただろうか。

彼にとって、妻子を食べさせるのは、自分がレースに勝ち、五輪で結果を出すことしかなかった。“退路”はすでに断たれていたのである。そこで藤原が見たものは、恵まれた環境で駅伝やマラソンの練習に励んでいた実業団時代とはまるで違う光景だったに違いない。

その不安と、どん底の環境こそが、実はマラソンで最も重要な「38キロ過ぎ」に現われるものなのである。この執念がある選手は、マラソンで栄光をつかむ可能性がある。

“皇帝” ハイレ・ゲブレシラシエ(エチオピア)を日本人として初めて破った藤原。38キロを越えてから力を発揮できる執念を持つ日本人選手に私は久々に出会うことができた。

胸を張ったそのピッチ走法と気迫で、ロンドンでは表彰台に是非上がって欲しいと思う。君には、その「執念」と「資格」がある。

カテゴリ: マラソン

復活に賭けたアスリートの執念

2010.02.28

朝、ヘリコプターの音で目が覚めた。「今日は東京マラソン」とすぐにピンと来た。

毎年、知人が多数出場しているレースだ。カーテンを開けると冷たい雨。最悪のコンディションである。

招待選手による激闘も最悪のコンディションの中、過酷なレースが展開された。トップでゴールを切ったのは、藤原正和だった。

この名前は懐かしい。かつて箱根駅伝の山登り(5区)で圧倒的な力を発揮した中央大学のエースである。2000年、2001年に“天下の険”と呼ばれる箱根の山で見せた藤原の爆発的な走りは今も脳裏に焼きついている。

東洋大学の“山登りの神様”柏原竜二の姿を箱根駅伝で見るたびに思い出すのは、この藤原の勇姿である。

藤原は、初マラソン日本最高記録の2時間8分12秒というとてつもない記録を持っている。これは数々の名選手たちが誰も成しえなかった大記録だ。

初マラソンは、35㌔を過ぎて「地獄を見る」という。未知の距離に下半身がついていけず、あの瀬古利彦ですら完走がやっとという状態に陥った。だが、藤原はいきなり初マラソンで「世界で戦える記録」を出して、洋々たる前途を予感させた。

しかし、藤原を待っていたのは、膝の故障というマラソン選手の“宿命”ともいうべきものだった。右腸脛靭帯炎という聞きなれない名前の故障が日本のホープ・藤原を立ち往生させた。

「藤原はどうした?」という声もやがて聞こえなくなり、藤原は長距離界でも次第に忘れられた存在となっていった。

だが、長い長い低迷のあと、間もなく29歳になる藤原が、今日の東京マラソンでアフリカ勢を振り切って見事、優勝を遂げたのである。

朝、冷え込んでいた東京も次第に晴れ間が覗くようになり、午後には、市民ランナーも次々と有明ビックサイトのゴールに飛び込んでいった。

「走りたくても走れなかった」藤原が20代の終わりにやっと掴んだビック大会の優勝。練習と努力は嘘をつかない――そのことが証明されたことが私にはなにより嬉しい。

復活に賭けた藤原の執念は、陸上を目指す青少年たちに、そして故障に悩む全アスリートたちに、大きな自信と勇気を与えたのである。

カテゴリ: マラソン