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安倍首相「真珠湾訪問」の本当の意味

2016.12.29

多くの意味を持つ安倍首相の真珠湾訪問だった。「和解の力」と「お互いのために」――両首脳の言葉を借りれば、そんな簡潔なものに集約されるかもしれないが、この訪問の意味は、それ以上に、はかり知れないものだったと思う。

日本が置かれている状況を冷静に分析すれば、今回のオバマ-安倍の「最後の日米両首脳」は、いよいよ牙を剥(む)き出しにしてきた覇権国家・中国から日本を守るための切実なものだったことは確かだ。

折も折、この訪問に合わせるかのように、中国人民の“愛国の象徴”である空母『遼寧』が空母群を構成し、初めて第一列島線を突破して西太平洋に入り、デモンストレーションをおこなったのが象徴的だ。

南シナ海で、圧倒的な軍事力を背景に他国が領有権を主張する島嶼(とうしょ)に軍事基地を建設し、さらに虎視眈々と次なるターゲットへと領土拡張への動きを見せる中国。今回のオバマ―安倍会談で、真っ先に中国の空母群の西太平洋進出のことが取り上げられ、「注視すべき動向だ」と語り合ったことは頷ける。

中国の軍備拡張は、今や宇宙空間を制する、いわゆる「制天権」獲得にまで進んでいる。キラー衛星を駆使して、宇宙戦争でもアメリカを凌駕しようという並々ならぬ決意は「見事」というほかない。

アメリカの空母群を殲滅(せんめつ)する能力を持つと言われる対艦弾道ミサイルの急速な進歩と整備も脅威だ。しかし、そんなハード面よりさらに怖いのは、中国のしたたかな内部離間工作である。

沖縄から米軍基地を撤退させるための工作は、東シナ海制覇のためには必要欠くべからざるものだ。天然資源の宝庫と言われる東シナ海は、中国がどうしても手に入れなければならないものである。人民の中流化・富裕化とは、そのまま中国にとって「絶対資源の不足」を意味するものだからだ。

そのためには、沖縄に米軍基地が存在してもらっては困るのである。案の定、今回の安倍首相の真珠湾訪問に対する、予想どおりの非難が中国や韓国から巻き起こっている。そして、これまた“予想どおり”、そういう中国と韓国による日本への反発をつくり出してきた日本の“進歩的メディア”や人々から「罵り」が聞こえていた。

70年代に跋扈(ばっこ)した、いわゆる“反日亡国論”を唱えた人々、あるいは、その系脈に連なる人々である。私は、その有り様を見ながら、日本が、ここまで中国や韓国と離間しなければならなかった理由を改めて考えさせられた。

あれだけ「謝罪」しつづけ、「援助」しつづけ、「頭(こうべ)を垂れ」つづけた結果、中国と韓国との関係がどうなったかを日本人は知っている。それが、実は、日本の一部のメディアがつくりあげた虚偽や離間工作によって“成し遂げられた”ものであることも、今では明らかになっている。

それだけに腹立たしいし、今後もつづくだろう中・韓への日本のメディアによる“煽り”ともいうべき報道が、これからの日本人にどれだけ多くの「災厄をもたらすか」を考えると、暗澹たる思いになるのは私だけではないだろう。

2017年以降、東アジアの行方は、まったく混沌としている。当初、信頼関係をなかなか築けなかったオバマ大統領と安倍首相が、最後にはここまで「友情」と「信頼」の関係を構築したことは、トランプ次期大統領との関係にも「期待」を抱かせてくれる。

だが、トランプ氏を自分の陣営に引き寄せようと、日本と中国が熾烈な戦いを繰り広げる本番は、「これから」だ。世界の首脳に先がけてトランプ氏との会談を実現し、まず信頼構築の第一歩を踏み出した安倍首相。幸いに“対中強硬派”を次々、登用するトランプ氏の方針が明らかになり、第1ラウンドを日本側が制したのは、間違いない。

しかし、それで安心はできない。トランプ氏には、中国とのビジネス上のチャンネルは数多くあり、もともとの人脈から言えば、日本など比較にならない。さらに言えば、トランプ氏の直情径行とも言える簡潔な思考方法も気になる。

私は、沖縄からの“電撃的米軍撤退”は、あり得ると思っている。つまり、トランプ氏が「沖縄の人々がそこまで米軍の存在が嫌なら、沖縄を放棄してグアムまで撤退しようじゃないか」と、いつ言い出すか予測がつかない、ということだ。

日本のメディアは、「地元民」として登場する反対運動の活動家たちの正体を一向に報道しない。つまり、基地反対運動を展開しているプロの活動家が「本当に沖縄県民の意見を代表しているのか」ということである。

尖閣諸島がある石垣市の市長が、沖縄本島の有り様に苛立ちを強めている理由もそこにある。中国の脅威に最前線で晒されている石垣島の漁民にとって、沖縄で地元民のふりをして活動をつづける“プロ市民”の存在は、本当に腹立たしいだろう。

すでに、中国による沖縄からの米軍撤退工作は、佳境に入っている。今年5月、中国は、沖縄の地元紙や大学教授、ジャーナリスト、文化人等を北京に集め、「琉球・沖縄最先端問題国際学術会議」なるものを開催している。

これは、沖縄の独立や米軍基地問題(つまり、撤退問題)などをめぐって意見を交わすシンポジウムで、主宰研究会の理事には、国防相まで務めた人民解放軍の元上将などが名前を連ねている。

参加した沖縄の大学教授の一人は、この研究会のホームページで、「われわれの目的は琉球独立だけでなく、軍事基地を琉球から全部撤去させることだ」という宣言までおこなっている。

こんなものが公然と中国政府の肝煎りで北京で開かれるほど、沖縄からの「米軍撤退工作」と、内地と沖縄との「離間工作」は本格化しているのである。

あらゆる階層で、あらゆるチャンネルを通して、中国は「日本の分断」をはかっている。それを横目に、オバマ―安倍の最後の日米首脳会談は終わった。

今回の訪問のもうひとつの意味を最後に書いておきたい。それは、安倍首相が、真珠湾攻撃で戦死した飯田房太海軍大尉(死後、2階級特進で中佐)の碑(いしぶみ)を訪れたことである。

安倍首相が、郷土・山口の大先輩である飯田大尉の碑を訪ねたことは、大きな意味を持つと私は思う。「耳を澄ますと、寄せては返す、波の音が聞こえてきます」という言葉から始まったスピーチの中でも、安倍首相はこの飯田大尉のことに触れている。

「昨日私は、カネオへの海兵隊基地に、一人の日本帝国海軍士官の碑を訪れました。その人物とは、真珠湾攻撃中に被弾し、母艦に帰るのをあきらめ、引き返し、戦死した戦闘機パイロット、飯田房太中佐です。

彼の墜落地点に碑を建てたのは、日本人ではありません。攻撃を受けた側にいた米軍の人々です。死者の勇気を称え、石碑を建ててくれた。碑には、祖国のために命を捧げた軍人への敬意を込めて、“日本帝国海軍大尉”と当時の階級を刻んであります。

The brave respect the brave.
“勇者は、勇者を敬う”

アンブローズ・ビアスの詩(うた)は言います。戦い合った敵であっても敬意を表する。憎しみ合った敵であっても、理解しようとする。そこにあるのは、アメリカ国民の寛容の心です」

私は、このスピーチに聞き入ってしまった。飯田大尉は、日中戦争で成都攻撃もおこなった指揮官の一人であり、その時のことは、3年前に亡くなった角田和男・元中尉(94歳没)から私は直接、伺っている。

高潔な人柄と、先を見通す卓越した感性は、同期の海軍兵学校(62期)の仲間の中でも抜きん出ていたと思う。真珠湾攻撃で被弾し、空母『蒼龍』への帰投をあきらめた飯田大尉は、米軍基地の格納庫に突入して、壮烈な戦死を遂げた。

敵とはいえ、その勇敢さに驚嘆した米軍兵士たちは、四散した飯田大尉の遺体を拾い集め、丁重に葬った。そして、1971(昭和46)年には記念碑が建てられ、安倍首相は今回、そこを訪れ、献花したのである。

被弾によって帰還をあきらめた飯田大尉の悲壮な決断は、のちに米軍を苦しめる神風特別攻撃(特攻)へと連なるものである。若者を死地に追いやったあの「特攻」ほど、戦争の無惨さ、虚しさを後世に伝えるものはないだろう。

だが、あの攻撃によって米軍が恐怖に陥り、“カミカゼ”というだけで、米軍兵士がある種の畏敬の念を表するようになったのも事実である。それが、飯田大尉の記念碑建立へとつながっていったことを私は聞いている。

今年は、私にとっても、さまざまなことがあった年だった。拙著『太平洋戦争 最後の証言(零戦・特攻編)』、あるいは『蒼海に消ゆ』といった特攻を扱ったノンフィクション作品の中で、貴重な証言をいただいた元士官たちが、次々と亡くなった1年だったのだ。

1月には、福岡・久留米在住の伊東一義・元少尉(93歳没)、5月には、広島・呉の大之木英雄・元大尉(94歳没)、同じく5月には、長野市の原田要・元中尉(99歳没)が大往生を遂げた。原田さんもまた、角田元中尉と同じく飯田大尉の部下だった。

特攻で死んでいった仲間たちの無念と彼らの思いを淡々と話してくれた老兵たちが、相次いで亡くなった2017年の最後に、まさか飯田房太大尉のニュースが飛び込んでくるとは予想もしていなかった。

それだけに、あの太平洋戦争で還らぬ人となった日本とアメリカの若者たちに、深く頭を下げ、「本当にご苦労さまでした。なんとしても、皆さんのためにも平和を守りたいと思います」と心の中で誓わせてもらった。

波乱の予感がする2017年が平穏な日々であって欲しいと願うと共に、日本が、偏った報道から脱皮し、他国の離間工作に翻弄されることなく、世界の現実を直視して、きちんと物事を判断できる国になっていくことを期待したい。

カテゴリ: 中国, 地震

風評被害との闘いがつづく「震災4周年」

2015.03.11

今日で、震災から4年が経った。昨日も、原発事故に関して都内で講演をさせてもらった。歳月の流れの速さを最近とみに感じる。本日は、4周年に合わせて政府主催の追悼式が千代田区の国立劇場で営まれた。

天皇・皇后両陛下、安倍総理、犠牲者の遺族代表ら約1200人が参列したこの追悼式典で心に残ったのは、遺族代表の菅原彩加さん(19)のスピーチだった。

それは、聴く者の胸を締めつけるものだった。一緒に津波に流された母親から「生きる」ために離れなければならなかった4年前のことを彼女はこう語った。

「釘が刺さり、木が刺さり、足は折れ、変わり果てた母の姿。右足が挟まって抜けず、一生懸命、瓦礫をよけようと頑張りましたが、私一人ではどうにもならないほどの重さでした。母のことを助けたいが、このままここにいたら、また流されて死んでしまう。“助けるか”“逃げるか”――私は自分の命を選びました。

いま思い出しても涙が止まらない選択です。最後、その場を離れる時、母に何度も“ありがとう”“大好きだよ”と伝えました。“行かないで”という母を置いてきたことは本当に辛かったし、もっともっと伝えたいことも沢山あったし、これ以上辛いことは、もう一生ないのではないかなと思います」

彩加さんが、静かに、そして淡々とスピーチしただけに、余計、聴くものに哀しみが込み上げてきた。彼女の今後の人生に幸多かれ、と祈らずにはいられなかった。

私はこの4年で、震災関連のノンフィクションを4冊も出させてもらったが、それでも、まだまだ書かなければならないことがあることを痛感した。

今、4年が経って、私の頭を離れないのは、果たして“復興の障害”になっているのは何だろうか、ということだ。

昨年9月、すでに浜通りを走る「国道6号線」も、全線開通となった。福島県の富岡町-双葉町間の通行止め区間およそ14キロの通行規制が解除されたのだ。すなわち、福島第一原発の横を一般車も走行できるようになった。JR常磐線の開通も、やっと視野に入ってきた感がある。

復興自体は、着々と進んでいるのだ。だが、福島には、今ひとつ元気がない。私は先週、福島を訪れたが、その際、福島民友新聞のインタビューを受けた。

その記事が一昨日(3月9日朝刊)に掲載された。私はこの時、福島民友新聞を見て、驚いたことがある。それは毎朝の同紙に、福島各地の定点で測った放射線量が掲載されていたことだ。

さらに毎週日曜日には、世界の主要都市の放射線量も掲載されている。たとえば3月1日(日)に掲載された福島市内の放射線量は0・1~0・2マイクロシーベルト(毎時)で、上海の0・59マイクロシーベルト(同)より圧倒的に少ない数値だ。

さすがに福島第一原発の「立地自治体」であり、「帰還困難区域」でもある大熊町、双葉町などの数値は高いが、福島県内各地の放射線量は、とっくに他の都道府県と同じレベルになっているのである。

私は、福島民友新聞に掲載されている客観的なこれらの数値を見ながら、それでも「復興の障害になっているのは一体、何だろうか」と考えた。

それは、「風評被害」ではないだろうか。つまり、必要以上に放射線の影響が喧伝(けんでん)されている、ということである。

私はそれを踏まえて福島民友新聞のインタビューに「福島の風評被害の払拭(ふっしょく)には、客観的なデータを積み上げることが最も大事だ」と指摘させてもらった。

マスコミは、他県とも変わらない普通の日常をおくっている福島の本当の姿をもっと報じるべきではないだろうか。そして、風評被害に苦しむ福島に「真実」という名のエールを送るべきではないだろうか、と思う。

私は、拙著『死の淵を見た男―吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』で、福島に生まれ育った男たちによる凄まじい原発事故との闘いを描かせてもらった。生と死をかけて、原子炉建屋に突入を繰り返したプラントエンジニアたちの姿には、心を動かされた。

吉田所長が語った「あのままいけば、チェルブイリ事故の10倍になっていた」という絶望的な状況で、彼らは何をおこなったのか。彼らこそ、4年前、日本の崩壊を止めた人たちである。

つまり、福島が「日本を救った」のだ。私は、そのことを多くの人に知って欲しいと思う。「日本を救った福島」として、誇りと自覚を持つことが大切だと思う。私は、そのことを誰よりも子どもたちに知って欲しい。そして、あなたたちの先輩は、こういうふうにして日本を救ったんですよ、というメッセージを送りたい。

風評被害を脱するためには、それをまき散らす運動家たちの言動に惑わされないことが、まず大切だ。もはや各地点の放射線量も、そして農作物も、とっくに福島は安全基準をクリアしている。

そのことを客観的なデータとして、マスコミには是非、報じて欲しいと思う。昨年12月、私が浜通りの高校生に向けて講演した時、生徒たちから「地元の人たちがこれほどのことをしたということに、心が動かされた」という感想が寄せられた。

なにより大切なのは、「真実を知ること」である。福島には、風評被害と真っ正面から向きあってその“根源”を断ち、一刻も早い真の意味の復興を望みたい。

カテゴリ: 原発, 地震

「震災3周年」ぎりぎりの闘いはどこまで

2014.03.09

昨日、東北新幹線に乗って、この3年間、通い詰めていた「福島」を通り越して青森の弘前まで講演にやってきた。「人づくりフォーラム in弘前」というイベントの講演である。日本人の生きざまと教訓について話をさせてもらった。

弘前といえば、日本の新聞の父と呼ばれる「陸羯南(くが・かつなん)」や、孫文が最も信頼を寄せ、辛亥革命に大きな力を果たした「山田良政・純三郎兄弟」、さらには、満洲国皇帝・溥儀が“忠臣”と称えて尊重した「工藤忠」ら、多くの“傑物”を生んだ土地である。

私自身も若い頃、山田良政・純三郎兄弟の甥にあたる故・佐藤慎一郎翁に中国問題について、いろいろと教えてもらった時期があり、佐藤先生の「故郷・弘前」には、少なからぬ因縁がある。

今回は、2時間にわたって弘前の人を前に講演をさせてもらったので、佐藤先生にいくばくかは恩返しができたかもしれない。

さて、ここのところ、「震災3周年」に向けての記事や番組が洪水のごとく溢れ出している。かくいう私も、本日、『記者たちは海に向かった―津波と放射能と福島民友新聞―』(角川書店)を出版した。

津波で命を落とした若き記者と、そのことで大きな心理的打撃を負う同僚・先輩たち、さらには、新聞発行の危機に立ち向かった新聞人たちの感動的で、かつ凄まじい闘いを描かせてもらった。

なんとか3周年に間に合わせたいと思い、執筆、そして校了作業に没頭し、ブログの更新もできなかった。やっと今日、出版にこぎつけ、さっそく産経新聞に著者インタビューも出してもらった。

震災からの3年。やはり感慨深いものがある。この間、いったいどれほど福島に通っただろうか。もちろん宮城も岩手も行かせてもらったが、私にとっては、圧倒的に「福島」である。

前著の『死の淵を見た男―吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日―』につづき、激震と津波、そして放射能汚染という“複合汚染”に見舞われた「福島」は、私にとって、時が経とうと、避けて通ることができない地なのである。

前著では、福島第一原発の壁の“内側”を描き、今回は壁の“外側”を地元紙の福島民友新聞に焦点を当てて、書かせてもらった。あの放射能とのぎりぎりの闘いで、瓦礫の下で助けを呼びながら息絶えた犠牲者は、1か月以上も捜索の手が入らず、DNA鑑定でしか家族のもとに帰ることができなかったという惨(むご)い運命を辿っている。

その悲劇を記述するたびに、人々の心の奥に残した傷痕の深さを思う。しかし、同時に私はマスコミの報道に疑問も感じている。大名行列のごとく“節目”にだけやって来て、地元の人間への形式的な同情論を口にするテレビ番組に接すると、反発を覚えてしまうのも確かだ。

被災者への多額の補償が今もつづく中、単なる同情論だけではすまない矛盾や問題点があちこちに現われている。今後は、それも地道に報じていかなければならないだろう。3周年は、私にとっても単なる“通過点”に過ぎないのだと、今更ながら肝に銘じている。

カテゴリ: 原発, 地震

「命を守る東京」へ舛添都知事への注文

2014.02.15

舛添要一氏が都知事選で圧倒的な勝利を収めてから、1週間が経った。都民の一人として、舛添都知事には、都民の生活に直結した都政を是非、お願いしたい。

東京は人口過密化による居住環境の悪化が切実で、住人の高齢化による高齢者ホームの問題や待機児童問題など、それこそ難題が山積している。「少子化」をいくら嘆いても、子供を育て、老人が幸せに過ごすことができない環境でそれが「解決」されるはずもなく、これらの大問題に対して、新都知事がひとつひとつをどう解決していくか、注目したいと思う。

その意味で、都知事選の争点が「原発ゼロか、否か」といった“国政問題”になりかかった時、私は都民の一人として「もっと都民にとって切実な問題」を議論して欲しい、と思ったものである。

私は、「命を守る東京」というキャッチフレーズを新知事には掲げて欲しいと思っている。都知事の最大の使命と責任が、「都民の生命・財産」をいかに守るか、というものであることは論を俟(ま)たないだろう。その観点から、是非、都知事に注文したいことがある。

それは、やがて来るであろう「東京直下型地震」への対策だ。数多く注文はあるが、今回は、「瓦礫の下の都民の救出」という観点で注文してみたい。私は、これまで阪神淡路大震災や東日本大震災など、地震取材をやってきた経験がある。

多くの被災者に話を伺っており、実際に瓦礫を前にした経験から、私には思っていることがある。激震によって家屋が倒壊した時、その瓦礫の中から生存者を救出することは極めて難しい。なぜなら、取り除かなければならない家屋の「重さ」は凄まじいものだからだ。

私は、これまでの震災で、自宅の前で「茫然と立ち尽くす」被災者の姿を数多く見た。それは、文字通り、「何もすることができず」、ただ「立っている」のである。崩れた家屋の重さは人間の力でどうこうできるものではない。

たとえ自衛隊員が“素手で”やって来ても、圧倒的な瓦礫の前では、同じように立ち尽くすしかない。この時、主役になるのは、あくまで「重機」である。いわゆる瓦礫や土砂の除去に威力を発揮する“タイヤショベル”だ。

私は東京直下型地震で首都が壊滅的な被害を受けた時、「救出」は自分たち自身でやらなければ、瓦礫の下になった人々の命を助けることはできないと思っている。

それは、東京の人口があまりに多く、エリアも広大すぎるからだ。東京都民は、1329万人もいる。おそらく全国から、あるいは国際的にも数多くの“救出の手”が差し伸べられるだろうが、それでもほとんど自分たちのところにやって来てくれると思わない方がいい。

1329万人という数字は、それほど膨大だ。激震で倒壊家屋の下になった人々を救出するのは、その地区の住民自身であり、そして、それには、「重機が不可欠」なのだ。災害における人命救助の目安とされる「72時間」以内に、残念ながら外部から運ばれてきた重機が自分たちのところにやって来てくれる可能性は「極めて小さい」と言わざるを得ない。

では、どうしたらいいだろうか。それは、日頃から「近くに重機を置いておく」しかないのではないか、と思う。そして、それを動かせる人を住民の中から「登録」しておき、その人たちに防災の日に必ず試運転してもらい、「もしもの時」に備えるのである。

都の建設局の2013年4月の調査によれば、東京には、1万か所を越える数の公園がある。国営公園や都立公園、区市町村立公園が7688か所、区市町村が設置する児童遊園などの都市公園以外の公園も3529か所ある。合わせれば、実に計1万1217か所もの公園が東京には存在するのである。

これらの公園に、タイヤショベルなど重機を置いておくことはできないだろうか。その防災倉庫の中には、もちろんツルハシやスコップもできるだけ置いて欲しいと思う。重機が、1台100万円するなら1万台で100億円、1台200万円なら、1万台で200億円ということになる。

大変な出費には違いないが、「もしもの時」に備えるためなら、きっと都民も賛成するだろう。そして1万台もの重機が“備蓄”されるなら、日本中どこで大きな地震が起ころうと、これらを運べば、沢山の人たちの救出に役立つだろう。オリンピックの施設を建設するだけでなく、こういう災害対策にも、是非、新都知事には頑張って欲しい。

私は、都内の住宅密集地を歩くたびに、「ここが激震に見舞われたらどうなるだろうか」と考えてしまう。そして、これまで取材してきた被災地の悲惨なようすが思い浮かぶ。舛添知事には、是非、「命を守る東京」というキャッチフレーズのもとに、都民の「生命」を第一に考え、そのために手腕を発揮して欲しいと思う。

カテゴリ: 地震

激動の国際情勢と国会攻防

2013.12.05

昨日の12月4日は、東日本大震災から「1000日」という節目の1日だった。東北各地で犠牲者に対する黙祷(もくとう)がおこなわれた。

私も、この日に特別の感慨を持った一人だ。あの日から「1000日」が経過したのか、としみじみ思う。長かったようにも思うし、短かった気もする。

死者・行方不明者1万8534人(2013年11月8日現在)を出した東日本大震災は、筆舌に尽くしがたい傷跡を人々の心に残した。無念の最期を遂げた人のあまりの多さに、人々は「言葉」というものを失った。

私は、1000日が経過した昨日も福島で取材をおこなっていた。震災直後にはたくさんのジャーナリストが東北各地で取材をしていたが、ひとり減り、ふたり減り、1000日目の昨日は、随分少なくなったような気がする。

そんな中で、今日も福島で私は取材をつづけた。「あの日」のドキュメントを私は今も追っているのである。ジャーナリストである私には、この悲劇の中で挫けず闘いつづけた人々のことを「後世の日本人」に残すことしかできないからである。

震災から1年4か月が経った昨年7月、私は、吉田昌郎・福島第一原発元所長にお会いした。吉田さんが、不治の病を押して、わざわざ西新宿の私の事務所を訪ねて来てくれた「あの日」のことも、忘れられない。

その吉田さんも今はない。58歳という若さで吉田さんは今年7月に帰らぬ人となった。2013年も残り少なくなって、今年亡くなった方々の特集をするメディアがあり、私にもコメントを求めてきている。“日本を救った”亡き吉田さんのことをできるだけ私は正確に、そして詳しく、話をさせてもらっている。

明日は四国で講演があるため、夕方、福島から帰京した。帰りの新幹線でまどろんでいると、ある自民党の参議院議員から携帯に電話があった。

特定秘密保護法案の採決で、「本会議は、明日の朝まで徹夜の攻防になるだろう」とのことだった。その後、今日の本会議は休会に入ったそうだから、改めて明日、闘いが再開されるのだろう。

言うまでもなく特定秘密保護法案とは、日本版NSC(国家安全保障会議)のために不可欠なものである。各国が持つテロ情報をはじめとする「機密情報」がスパイ天国の日本には提供されない事態が長くつづいた。

法案は、そういう事態にピリオドを打つためのものでもあるが、野党が反対するようにこれが情報を独占的に持つ官僚たちを“委縮”させ、国民の知る権利が不当に害されることがあってもならない。

かつて1980年代にスパイ防止法の攻防を取材していた私にとっては、国家の安全を脅かす「機密情報」と国民の「知る権利」との線引きの難しさを久しぶりに感じさせてくれる問題である。この攻防は30年前にも見たものだと、思い出される。

だが、国際情勢は明らかに80年代とは変わっている。今や紛争の火種として世界から注目されているのは、中国の覇権主義である。東シナ海でも南シナ海でも、領土的野心を剥き出しにする中国とどう対峙するかは、周辺国にとって最大の問題となっている。

そして、その中国は、前回のブログでも書いたように中国共産党系の新聞が社説で「闘いのターゲットは日本に絞るべきだ」と広言して憚らないのである。

私は、かつて当時の竹下登首相の秀和TBRビルの個人事務所に中国の人民解放軍総参謀部第二部の人間が正体を隠して「私設秘書として入り込んでいた」ことを思い出す。それが生き馬の目を抜く国際社会の最前線の現実なのだ。

特定秘密を国益のために「守る」ことの重要性も軽んじるわけにもいかないのである。それだけに、ここのところの国会の攻防を与野党どちらに与(くみ)するわけでもなく、私は興味深く見させてもらっている。

さて、綺麗事では済まないテロを含む国際情勢に対峙するこの法案はどんな運命を辿るのだろうか。じっくりウォッチさせてもらおうと思う。

カテゴリ: 地震, 政治

「震災から2年半」それでも取り残された町

2013.09.11

大震災から2年半が経過した今日、福島県の南相馬にいる。あの大震災の時に津波と放射能汚染の両方の苦しみを受けた町である。1万8000人を超える死者と行方不明者を出した大震災で、南相馬市は1000人以上の死者・行方不明者を出している。

来るはずがない市街地の近くまで津波が押し寄せ、老人介護施設では、36人もの津波による死者が出るなど、市内のあちこちで多くの悲劇が起こった。今も数多くの避難者がおり、同時に双葉町や浪江町、大熊町などからの避難者が市内の仮設住宅で暮らしている。

私は、18メートルの巨大津波が軽々と乗り越えた堤防と、それになぎ倒された巨大送電線を見た。津波によって粉砕された遮蔽壁や堤防を目の当たりにすると、コンクリートなど、大津波の圧力には「ひとたまりもなかった」ことを改めて感じた。

「ここの集落も消えました」「ここもなくなりました」。タクシーの運転手が、「ここには、同僚の家があったのですが、同僚も家族も死にました」と哀しげに教えてくれた。

一面、草ぼうぼうの平原と化した地は、なんの解説も不要なほどの圧倒的な力を持っている。津波のあと襲って来た放射能汚染によって、緊急物資も届かず、市長がYouTubeを通じて世界に窮状を訴えた話はあまりにも有名だ。

大震災に遭った東北三県で今も避難生活を続けているのは、およそ29万人に達するのだそうだ。本日、南相馬市内で訪れた仮設住宅は、昼間というのに、外に出てくる人もほとんどなく、「時」が止まったかのように、ひっそりと静まり返っていた。

「除染をしても、何か月か経つと、元と同じ数値に戻ってしまうんですよ」「若い人は新しく家を建てるならローンも組めますが、年寄りには無理。いまの生活から抜け出すことは、とてもできません」

そんな話を今日、町のあちこちで聞いた。南相馬は、いまだに仙台からの常磐線も途中で不通になっており、バスの代行運転で凌いでいる。また、いわきとの間も放射能汚染によって、「原ノ町駅」から「広野駅」までが開通していない。

主な交通路線は、福島からの1日わずか「4便」のバスである。それでも、福島から1時間40分はかかるという“陸の孤島”である。

しかし、そんな中でも、さまざまな業界で闘いがつづいている。私は、歴史上、類例のない大地震によって、予期せぬ闘いを余儀なくされた福島の人々の姿を描くために、昨日は福島市、今日は南相馬市で時間の許すかぎり取材をさせてもらった。

前著『死の淵を見た男―吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』では、もっぱら福島県のいわき市を基点にして取材をおこなったが、今度は福島市、あるいは、県の北東部にある、ここ南相馬市を中心とする取材になりそうだ。

前回の原発ノンフィクションでは、浜通りの地元の工業高校を出たプラント・エンジニアたちが故・吉田昌郎所長のもとで何度も原子炉建屋の中に突入する姿……等々を描かせてもらった。今度は、浜通りで未曾有の放射能汚染の中で戦った、まったく異なる“業界”の人々が主役になる。

2020年の東京五輪開催が決定し、喜びの声が日本中に溢れている。しかし、ここ南相馬では、そんな世の中とはまったく無縁の空気が支配している。ある人は今日、「自分たちが置き去りにされるのではないか、と心配です」と正直な気持ちを私に吐露してくれた。

あの大震災から今もつづく闘いに、のたうちまわりながら、それでも前進をやめない人々の勇気ある姿を私は描きたいと思っている。あの日から2年半が経過したが、私自身が大震災と距離がとれる日は、まだまだ先であることを感じた1日だった。

カテゴリ: 地震

「防災の日」に思う

2013.09.01

9月に入ったのに炎暑が一向に陰りを見せない。今日は関東大震災から90年の記念日でもある。これに合わせた昨夜のNHK「巨大地震」は見応えがあった。CGと迫力ある音楽、再現ドラマなどを駆使した番組構成で、首都を襲う巨大地震の怖さがよく出ていた。

あの番組を観れば、いかに自分たちが危ない場所で生活しているかを痛感する。家族と自分の命を果たして守ることができるのか、番組を観ながら、いま一度、自分に問い直した人は少なくないだろう。

私は、地震への恐怖だけでなく、これで世界経済はどうなるのだろうか、という点にも関心を抱かざるを得なかった。

東京が壊滅すれば、世界経済への打撃は、はかり知れない。東京市場が破壊されれば、世界の金融システムが大きな打撃を受ける。「21世紀の世界恐慌」のきっかけになる可能性も否定できない。そして、壊滅した東京に代わって上海が世界の金融マーケットとして浮上するようになるのだろうか、ということも思った。

そんなことを考えながら番組を観ていたら、ふと、私は2011年3月も同じような思いをしていたことを思い出した。

東日本大震災の津波被害によって福島第一原発事故が起こり、放射能汚染で東京はおろか東日本全体が再生不能に陥るかもしれないという時、私は漠然と「首都は大阪になるのだろうか」と考えていたことを思い出したのだ。

限界まで来た東京への「一極集中」に対して、いつか天から鉄槌が下されるのではないか、という思いを私は持っている。人口1300万人の東京だけでなく、千葉・埼玉・神奈川を加えたいわゆる“東京圏”の人口は、およそ3500万人だ。日本の人口の30パーセント近くがここに集まっていることになる。

私の事務所は西新宿にあるので、いつも新宿駅を利用するが、ここの1日の人口集中度は異常だ。新宿には、JRや私鉄、営団地下鉄、都営地下鉄など、さまざまな路線の「新宿」駅がある。

これらの「新宿」駅の乗降客は、1日「400万人」なのだそうだ。「新宿」という駅で乗り降りしている人が1日400万人に及ぶと聞くと、私はあまりの数に気が遠くなる。それは、私が生まれ育った四国の人口とほぼ同じだからだ。

四国の全人口が1日に「新宿」駅で乗り降りしているという事実は、私にとっては信じがたいことである。世界一の利用客を誇る新宿駅ならではの話だ。

ここを首都直下型地震が襲ったら……それは、想像もできない惨事をもたらすかもしれない。それと同時に、番組でNHKは、盛んに関東大震災の時の“火災旋風”などの恐怖を報じていたが、果たしてそこまで「惨事は広がるのだろうか」という思いがあるのも事実だ。

地震のたびに耐震基準を見直し、「これでもか」「これでもか」と世界にも稀な揺れに強い建物をつくり続けたのは、日本の建築技術者たちである。言うまでもなく、90年間で培った技術者たちの英知は、あの関東大震災の木造家屋時代とは比べるべくもなく、私は彼らへの信頼感も持っている。

東日本大震災のあと、仙台に行った時、私は仙台の高層マンションが何事もなかったかのように屹立していたことに驚いた。厳しい耐震基準によって建てられたビルは、激しい揺れにもびくともしなかったのである。

高層ビルなどの「揺れ」を吸収する制震装置(※震動を吸収する装置)に代表されるように、世界のどこにも負けない耐震技術を持つのが、日本の建築の世界である。NHKの番組は、危機感と恐怖感を引き出す方に主眼が置かれており、そこだけは残念だった。

だが、首都・東京を襲う地震への備えを個々人がしっかりしなければならないことを改めて感じたのは確かだ。私は番組を観ながら、同時に、いま現在、福島第一原発で起こっている「地下水問題」にも思いを馳せた。

関東大震災の以前も、以後も、警鐘を鳴らし続けた今村明恒・東大教授のことが番組では取り上げられていたが、今こそ今村教授のような人物が必要ではないだろうか。

福島第一原発では、高濃度の放射線で汚染されたおよそ300トンの水が貯蔵タンクから漏れたことで、原子力規制委員会は、福島第一原発の現況を「レベル3(重大な異常事象)」としたそうだ。「レベル7」に達したメルトダウンの2011年3月以来のことである。

私は、福島第一原発で費用1000億円かかるという「地下水遮蔽壁」の建設が実施されなかったことを含め、放射能の海水流出を食い止める有効な手段が講じられなかったことに対して、「もし、吉田昌郎さんがいたら、どうなっていただろうか」と思わずにはいられなかった。

土木学会の津波評価部会や日本の防災機関のトップである中央防災会議が、福島県の浜通りへの津波の危険性を除外した中で、2007年4月に本店原子力設備管理部長に就任した吉田さんは、津波対策をとるためにオーソライズされた根拠を求めて、さまざまなことをおこなった。それは、私自身がこれまでさまざまなところで書いてきたので、ここでは繰り返さないい。

あの震災時の対応といい、それ以前の対応といい、原子力の技術者として多くのことをおこなった吉田さんなら、この「地下水問題」にどう対応したか、私はどうしても知りたくなる。

官邸や本店の意向に真っ向から逆らい、技術者として矜持(きょうじ)を保つことで結果的に日本を救った吉田元所長。彼がいたら、どんな地下水問題の対応をおこなったのか、知りたいものである。

「(福島第一の)収束にはまだまだ程遠いですよ。やらなければならないことは沢山あるのです」とインタビューで語っていた吉田さんの表情を私は思い出す。今は亡き吉田さんの姿と言動に、私は日本の技術者の使命感とレベルの高さを教えられた気がする。

その意味で、地震対策に邁進(まいしん)してきた技術者たちのことも、やはり私は信頼したい。そんなことをいろいろと考えさせてくれた「防災の日」であり、NHKの番組だった。

カテゴリ: 地震

「震災から2年」に思う

2013.03.11

今日であの大震災から「2年」となった。亡くなられた方々の三回忌である。あれから長い長い月日が経ったような気もするし、一方で、あっという間だった気もする。

昨年11月、私も原発事故に命をかけて立ち向かった人々の姿を描いた『死の淵を見た男―吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(PHP)を上梓することができ、ジャーナリストとしてあの未曾有の悲劇に遭遇した人々の毅然とした生きざまを少しはお伝えできたかもしれないと思っている。

それにしても、2周年に向けて、ここのところテレビ・新聞等で震災の検証が数多くおこなわれたので、時間の許すかぎり、それらを読み、そして観させてもらった。

フジテレビ放映の土曜プレミアム『突入!福島原発に挑んだ男たち』(9日放送)では、拙著『死の淵を見た男』に登場する人々が多数取り上げられ、震災時の苦難の大きさをあらためて思い起こすことができた。

今日は、現在公開されている同じフジテレビが製作した映画『遺体―明日への十日間』について少し書かせていただこうと思う。

この映画は、廃校になっていた岩手県釜石市の中学校の体育館に運び込まれるご遺体をめぐるドラマを描いたものだ。

原作は、ノンフィクション作家、石井光太氏の『遺体―震災、津波の果てに』(新潮社)である。震災発生直後に現地に入った石井氏のこの力作をもとに、『踊る大捜査線』『誰も守ってくれない』などの作品で知られる君塚良一氏の脚本・監督によって映画化された。

私は、この映画には以前から大いに注目していた。石井氏の原作が素晴らしいものだったことはもちろんだが、撮影を担当した栢野直樹さんが私の大学時代のゼミの先輩であったからだ。

栢野さんと私は、中央大学法学部の多田実ゼミの先輩と後輩だ。栢野さんが私の1年先輩にあたる。学生時代からすでにプロのカメラマンとして活動をおこなっていた栢野さんは、私たち1年後輩から見ると実に眩しい存在だった。

写真のことなどまるで知らない私に、最初にカメラのイロハを教えてくれたのは、栢野さんだった。ずっとプロの道を歩んだ栢野さんは、その後、『Shall we ダンス?』で日本アカデミー賞撮影賞を受賞し、その後も『シコふんじゃった』『それでもボクはやってない』『誰も守ってくれない』などの多くの話題作で撮影を担当した。

その栢野さんから「是非、『遺体』を観て欲しい」という連絡をもらっていたのである。石井氏による素晴らしい原作があり、メガフォンをとるのが君塚監督で、さらには、撮影が栢野さんとあっては、観ないわけにはいかない。

封切りがこれほど待ち遠しかった映画はない。このスタッフなら、絶対にあの悲劇を余すところなく後世に伝えてくれる作品にしてくれただろう、と思ったのである。

そして、やはり映画は予想通りのものだった。いや、私の予想を遥かに超えていた。津波で亡くなられた人々の人生と、それに打ちのめされ、茫然とする人々、そして、その人たちをいたわり、涙する人々の姿が淡々と描写されていた。

津波による圧倒的な“泥”と“水”、そしてご遺体の惨状を、それでもきちんと映像で表現し、さらに尊厳をもってご遺体に接し、悼む人々の姿は、涙なしでは観ることができなかった。淡々とした中で、主役の西田敏行さんの熱のこもった演技が、余計涙を誘った。

あれほどの嗚咽(おえつ)に包まれた映画館を私は経験したことがない。なぜ、これほど人々は感動したのだろうか。

愛する人への思いと、人間にとって「生」と「死」が持つ重さ――私はそれを必死に伝えようとする製作者たちの思いが観る者の魂を揺さぶったのではないか、と思う。

遺体に語りかけて失われた命の尊厳を守ろうとする心、愛する者を亡くした人の哀しみを思いやる温かさ、日本人が持つ死生観……これらすべてが画面から直接、観る者の心の中に飛び込んできたのではないか、と思う。

1万9000人余の犠牲者を出した未曾有の惨事。1万9000人余の犠牲者には、その数だけの喜びと哀しみ、そして人生の物語があった。それを凝縮させて描かれた映画に人々は魂を揺さぶられたのである。

ジャーナリズムの人間、映像の人間、それぞれがそれぞれの立場で後世にあの悲劇の真実を伝えようとしている。映画を観ながら、私も自分の作品を是非、先輩である栢野さんに撮って欲しいと思った。それは、いつか実現して欲しい、後輩としての私の「夢」である。

カテゴリ: 地震, 映画

「日本人力」とは何か

2012.10.30

大震災から1年8か月が経とうとしている。私は、昨日、実に興味深い話を聞いた。大震災の時にアメリカに駐在していた人物からである。お話を伺いながら、私には「日本人力(にほんじんりょく)」という言葉が思い浮かんだ。

この方は、2010年1月のハイチ地震が起こった時もアメリカに駐在していた。そして、昨年の夏前に日本に帰国した。自分が両方の地震の時にたまたまアメリカに駐在しており、アメリカ人の反応や報道をつぶさに観察することができたそうだ。

ハイチ地震と日本の東日本大震災。2010年と2011年に起こった二つの大地震は、ハイチ地震が、およそ31万6000人の死者を出し、日本の東日本大震災は、死者・行方不明者が、およそ2万人にのぼっている。

ハイチ地震は、死者の数が東日本大震災の15倍以上という悲劇だった。だが、この元駐在員は、「アメリカ国民のハイチ地震への同情や関心は、2、3週間で冷めました」と語る。

それは、「略奪や暴行が相次ぎ、政情不安も相俟って、いくら支援しても、底が抜けたザルのようにその支援が消えていくことがアメリカ国民にわかったからです」という。

そして、報道そのものが、急速に“熱”を失っていったという。だが、日本の大震災に関する報道は違った。時間が経ってもアメリカメディアの熱は「冷めなかった」という。

アメリカのメディアは大量のレポーターを送り込み、現地からの実況レポートがテレビを通じて、アメリカ中の家庭に届けられた。

「私が驚いたのは、アメリカのレポーター、特に女性が多かったですが、彼女たちが涙を流しながら現地報道を繰り広げたことです。泣きながら被災者たちの姿をレポートしていました」

女性レポーターは、被災地からこんなレポートをしたという。
「ここでは、暴動も、略奪も、諍いもありません。それぞれの被災者たちが我慢して、じっと耐えているのです。私が取材しても、被災者の皆さんは逆に私のことを心配してくれます。これを食べなさい、これも食べなさい、と少ない食べ物の中から、私にそれを分けてくれるのです。ここにあるのは、怒りや、何かが欲しいという要求ではありません。それは、他人に対する思いやりです」

泣きながらレポートする女性の声に、この駐在員は目と耳を奪われたという。ABC、CBS、NBC、CNN……どの局でも、現地レポートには、レポーターたちの生(なま)の“感動”が入っていたという。

「略奪や暴行事件が起こらない」「整然と列に並んで支援の物資を受け取る人々」「あなたも食べなさい、と報道の人間にも食べ物を分けてくれる人たち」「自分たちで話し合って、自力で崩れた家や道を直そうとする人々」……それらが、信じられない出来事のように、レポーターたちによって、アメリカのお茶の間に伝えられた。

その結果、日本の大震災への同情や関心は、時が経っても失われなかったという。私は、その話を伺いながら、日本人がDNAとして持っている「我慢」「辛抱」「思いやり」「秩序を重んじる心」「優しさ」「道徳心」「恥の心」……など、さまざまなことを思い浮かべた。

敢えて名づけるなら、それは「日本人力」ではないだろうか。それらは、日本人として日頃意識してはいないが、私たち日本人が持つ本来の姿である。それそのものが、アメリカのレポーターたちの心を揺り動かしたのである。

日本人を貶めようとする隣国の人々や、それに同調し、支援する日本人やジャーナリズムの人間もいる。しかし、本来の「日本人力」は、そんな人々の姑息な動きにびくともしないものだと思う。

日本人力を信じて、私はそういう毅然とした日本人の姿を今後も、ノンフィクション作品として描いていきたいと思う。

カテゴリ: 地震, 随感

七夕の夜、思わず見入った番組

2012.07.07

七夕の今日、東京はあいにくの雨となった。いつもなら、七夕の夜の空を見上げて物思いに耽る人もいるだろうが、今日は天の川どころか、星ひとつ見えない夜となった。

1年に1度だけ会うことが許される織姫と彦星もさぞ寂しかったに違いない。しかし、おかげで今日の東京の最高気温は摂氏25度。久しぶりに暑さから解放された1日となった。

今週もさまざまなニュースがあった。ブログに書きたいことも沢山あったが、取材と執筆に追われて、なかなかできなかった。

今夜のNHKスペシャルでは、瓦礫処理に悩む東北三県のようすを丹念に追った番組が放映されていた。“自分のためだけに生きる”日本人が多くなった今、「同情はするが、力は貸さない」という全国のほかの自治体に住む自分勝手な市民の姿が映像には映し出されていた。

「健康被害が出たら、その補償はどうしてくれるんだ!」。そう叫ぶ住民の姿が画面に登場していたのだ。こんな映像を見たら、被災地の人々はどれほど物哀しくなるだろうか、と思いながら、私は番組を観ていた。

今週は、ちょうど国会事故調の報告書が出されたばかりだったので、東北の復興にかかわる同番組はグッドタイミングだったと言える。それにしても、さまざまな事故調査委員会の報告書が出揃った今、つくづく思うことがある。

どの報告書にも指摘された最高指揮官・菅直人氏の常軌を逸した行動の数々だ。過剰な介入で事態収拾に走る現場を混乱させ、パニック状態を自ら醸成していったこの国家の領袖の姿を、私たちは忘れてはならないと思う。

今夜の番組では、はるか太平洋の彼方にあるアメリカ大陸の西海岸にうちあげられた瓦礫のことまで取り上げていた。私は、パニック状態に陥った菅総理の姿を思い描きながら、その映像を観ていた。

それは、大津波に家屋と共に押し流され、どれほど多くの人が「救出を待ちながら死んでいったか」ということである。どんなに苦しく寂しい思いをしながら、彼らが死んだかと思うと、私は今も胸が苦しくなる。

あの時、原発のことで頭が一杯で、周囲を怒鳴り散らして我を失った菅総理には、瓦礫と共に押し流されていった人、あるいは瓦礫の下で救出を待つ人たちを「ひとりでも多く助けなければならない」という思いなど、おそらくなかったに違いない。

頭の中があれだけ原発のことでパニックになってしまっては、そんなことは望むべくもない。国民の生命と財産を守るという国家の領袖としての最大の使命を見失う人間を「総理」に戴いていた日本国民の不幸がそこにはある。七夕の夜、私はそんな思いで原稿の手を休めてNHKスペシャルに見入っていた。


カテゴリ: 地震

神保町の小さなバーに集まった中年たち

2011.05.20

東京電力の清水正孝社長が引責辞任し、後任に西沢俊夫常務が起用されることが発表された。また、同社の決算発表で連結純損失が過去最悪の1兆2473億円に上ったことも明らかにされた。

もちろん、この額は史上最大の赤字で、ひとつの企業でもはや賄えるようなレベルでないことは明らかだ。東電株を大量保有していた企業は、巨額の含み損を抱え、いよいよ財務体質の悪化が懸念されている。

それだけではない。東電関係の多くの下請け企業が、仕事そのものがなくなり、悲鳴を上げている。また人口減少と広告激減を理由に福島の地元マスコミの経営悪化は、すでに不可避の状況だ。

さまざまな関係者が、企業や事業の存続が危ぶまれる状況に陥り、リストラの強化、新卒者の就職率悪化も必至の事態を迎えている。これまで当ブログで書いて来た通り、本来やらなければならないことを怠り、現在の事態を惹起した東電歴代役員の刑事責任追及と私財拠出による補償金への協力はもはや不可欠と言える。

さて、本日は締切と打ち合わせの合間を縫って、そんなニュースを横目に夜、大学のサークルの集まりに顔を出した。タイのバンコクから一時帰国した先輩を囲んで一杯やるためである。

すでに定年間近の先輩から、ようやく50台に乗った同輩、あるいは40代半ばのバリバリの中堅サラリーマンまで、およそ20数名がかつてのサークルの溜まり場・神保町の「ラドリオ」というバー(昼間は喫茶店)に集まった。狭い店は、たちまちワイワイガヤガヤと満席となった。

皆それぞれに年がいったものだが、自分自身も年を食ったので、他人のさま変わりぶりは、いっさい気にならない。一瞬にして大学時代の“顔”に戻ることができるのが、こういうサークルの仲間のいいところだ。

以前のブログにも書いたが、私たちのサークルの顧問である小谷哲也氏(今年80歳)は、「(なんでも)集まることが大事」と説き続けた。今日も先輩の一人が外国から一時帰国しただけで、これだけの人数が急遽集まるのは、さすが、というほかない。

大震災&原発事故で日本そのものの先行きが不透明な中で、神保町の小さな店に集まった中年のパワーだけがなぜか“全開”だった。ここには不況も不安もないのではないかという錯覚に捉われた数時間だった。

カテゴリ: 地震, 随感

不作為の罪「東電役員」の刑事責任と私財拠出

2011.05.14

福島第1原発の1号機で“メルトダウン”が起こっていたことが明らかになったり、浜岡原発の原子炉が停止されたり、原発事故の影響はおさまるどころか、むしろ拡大の途を辿っている。

今日は、機材の搬送をしていた東電の協力企業の60歳代の男性作業員が意識不明となり、死亡した。高濃度汚染水が移送されている集中廃棄物処理施設での作業中のことだった。多くの人々が命をかけて正常化を目指して踏ん張っていることに多くの日本人が感動している。亡くなられた60歳の男性に、心からの敬意と哀悼を表したい。

しかし、東電という会社全体から見たら、この会社について、国民はどう思っているのだろうか。立派な現場の人々と同時に、日本という国に、これほどの致命的な打撃を与えた「東電」役員たちの責任は、いったいどうなるのだろうか、と思う。

大震災直後から、東電は津波の高さが「想定外だった」と強調している。それには理由がある。「想定外」ということにしなければ、自分たちによる「人災」であることが国民の前に明らかになってしまうからだ。

東京電力が想定した津波の高さは「5・6メートル」である。これは、1960年のチリ津波を前提にしたものだ。しかし、太平洋のはるか彼方で起こったチリ津波しか想定していない「危機管理」の意識というのは、恐ろしい。

これを前提に、福島第1原発は、原子炉を冷やす設備や海水を汲み上げるポンプを津波に“水没”してしまう高さに「設置した」というのである。しかも、これらを津波から守るものは存在せず、いわば剥き出しのまま、つくり上げられたのである。

今回の大地震では、ここに高さ14メートルの津波が襲った。仮に10メートルの津波を想定していて14メートルの津波が襲ったのなら、「想定外」と言っても国民はある意味、納得するかもしれない。しかし、太平洋の向こうで起こったチリ地震による津波にしか「対応できないもの」が、目の前で起こる巨大地震に対応できるはずがないことは子どもが考えてもわかることである。

東北電力の女川原発は福島原発よりも震源地に近かったが、想定の津波の高さを「9・1メートル」としていた。それでも危険だと思った東北電力は、主要施設を海面から「14・8メートル」の高さに、しかも極めて固い岩盤の上につくった。

その結果、女川原発は、今回の震災で崩壊するどころかしっかりとこの自然災害を跳ね返し、逆に被災者たちの「避難所として使われた」のである。

かたや東京電力の福島原発が、日本経済と日本の国際的信用を奈落の底に突き落とす一方で、電力会社が違うだけで、同じ原発が被災者への避難所として使われた事実は、今回の出来事が「人災」にほかならないことを雄弁に物語っている。

では、その東電による「人災」の刑事責任を追及することは可能なのだろうか。先日、東京電力は全役員の年間報酬を50%程度カットする方針を固めたことが報じられた。しかし、その額を聞いて国民の多くは驚いたに違いない。

なんと取締役の平均報酬は1人あたり3700万円で、たとえ50%のカットをしてもまだ1850万円の報酬が残るというのである。本来、やらなければいけないことをやらず、「不作為」によって莫大な損失を国家と国民に対して生みだした役員たちが「50%の年間報酬カット」で許されるのだろうか。

当然、今回の被害者たちへの補償を自らの私財を処分しておこなうべきだし、刑事責任も視野に置くべきだろう。瓦礫の下に放置されたまま息絶えていった福島県・浜通りの被害者や遺族たちが納得することをおこなわなければならない。

東電歴代役員の(補償への)「私財提供」と「刑事責任追及」の2つの問題は、国会での大きな焦点にしていかなければならない。

カテゴリ: 地震

東北「3県」知事の大失敗

2011.04.23

「あーあ」。思わず溜息が出てしまった。本日、東日本大震災の復興計画を策定するための首相の私的諮問機関「東日本大震災復興構想会議」に東北3県の知事が出席し、意見を述べたニュースが流れていた。しかし、3県の知事の主張はてんでバラバラだった。

それぞれの県が事情が異なるのは百も承知で言うのだが、こういう時こそ足並みを揃え、被災地3県でスクラムを組んで、復興への主張をしていくべきではなかっただろうか。

宮城県の村井嘉浩知事は、津波で被害を受けた沿岸地域を対象に「東日本復興特区」をつくること、そして、復興財源として国民が幅広く負担する「災害対策税」の創設を提言した。だが、岩手県の達増拓也知事は、復興財源に充てるための増税は、日本経済に悪影響を与えるとして「反対」の考えを示し、福島県の佐藤雄平知事は、原子力災害の危機が進行中であり、復興よりも原子力事故を収束させることが先決だと主張した。

期間限定で「災害対策税」を創設するなら、国民の中で反対する人は少ないだろう。しかし、小沢チルドレンの一人だった岩手県・達増知事は、親分の小沢一郎氏の主張通り、増税反対論を展開し、宮城県の村井知事の主張を“つぶした”のである。

たった「3県」の知事が自分たちの意見をまとめることさえできず、「これほど主張がバラバラなら、復興対策がまとまらないのも仕方がない」という印象を国民に与えてしまったのである。

国民の力も借りて、期間限定で復興への資金をつくり、地域を活性化させるのは有効な手段である。しかし、外交官出身の“小沢学校優等生”達増岩手県知事は、宮城県の村井構想を正面切ってつぶしにかかったのだ。

驚きである。3県が同床異夢なら、国民も一丸となって復興へ協力する意欲を削がれるだろう。残念なニュースに接して、私は思わず溜息がもれてしまった。

カテゴリ: 地震

“レベル7”が示すものは何か

2011.04.12

ついに「レベル7」だそうである。たった今(12日午前)流れてきたニュースによれば、福島第1原子力発電所の事故で、政府は国際的な基準に基づく事故の評価を最悪の「レベル7」に引き上げることを決めたそうだ。理由は、「広い範囲で人の健康や環境に影響を及ぼす大量の放射性物質が放出されている」。

言うまでもなく、「レベル7」は、旧ソ連で1986年に起きたチェルノブイリ原発事故と同じ「最悪」の評価であり、それと同等の大量の放射性物質が放出されているというのである。報道によれば、原子力安全委員会が「最大で1時間当たり1万テラベクレル(1テラベクレル=1兆ベクレル)の放射性物質が、数時間にわたり放出された」と試算したという。

これを聞いて、国民はどう思うだろうか。この1か月間、目を凝らして福島原発事故の動向を注視してきた国民は、「最大で1時間当たり1万テラベクレル(1テラベクレル=1兆ベクレル)の放射性物質が数時間にわたり放出された」ことなど、1度も聞いたことがない。

この1か月、繰り返されたのは、「人体に影響はない」と、国民に安心を求める官房長官や原子力安全・保安院などの会見だけである。だが、実際には、外部への放射性物質の放出量が数万テラベクレル以上というチェルノブイリ原発事故と「同等のこと」が起こっていたのである。

私は、このニュースを見て、「あとどれほどのことが隠されているのだろうか」と思う。事故直後から、東京在住の外国人や外国関連企業に勤める人は、血相を変えて東京から脱出していった。

知り合いは、「最低、2週間は東京を脱出する」と言って家族を連れて関西へ旅立った。彼らは、日本政府や東電の発表を最初から信用していなかった。「コトを矮小化し、真実を覆い隠す」のが得意な日本の政治家や官僚、ホワイトカラーたちの日頃の姿を知っているからである。

つくづく思うのは、この1か月間、現場に命をかけて突入していったブルーカラーの男たちに比べ、ただ右往左往するだけで何もできなかった“ホワイトカラー”たちの情けなさについて、である。

この事故で明らかになったのは、自分たちの仕事と使命に忠実な命をかけたブルーカラーの男たちの毅然とした姿と、逆に東電幹部らホワイトカラーたちの信念も責任感もない愚かで情けない姿だったように思う。

私たち国民は、政府や東電が言う「想定外」という言葉に騙されてはいけない。これほどの海岸線に原子力発電所を建てながら、実は、チリ津波にしか対応できないような数字をもとに「堤防がつくられていた」という事実である。

チリ地震は、遥か太平洋の彼方(かなた)で起こる地震だ。自分の目の前でそれが起こった場合に「備える」こともできない原子力施設が何十年も存続していた事実に、私は背筋が寒くなる。

東北電力の女川原発は今回の地震で被害を受けながらも、逆に地元住民の避難所として利用されている。福島原発と女川原発という地震被害地域にあったこの「2つの原発」の現在の姿は、今回の事故が実は「天災ではなく人災であった」ことを全世界に示している。

カテゴリ: 地震

間もなく震災発生から4週間

2011.04.04

間もなく震災発生から4週間を迎える。連日の報道を見て、国民はどんな感想を抱いているのだろうか。いまだに水も食糧も医薬品も行きわたらない被災地の現状を報じるニュースのことである。

このブログで震災発生当初から指摘し続けているように、「国民の生命を守る」という国家としての根本を知らない政権によって、悲劇はいま現在も果てしなく「広がり続けている」のである。

これが、同じ日本列島の「本州」の中で起こった震災なのか、と私はどうしても考えてしまう。今日のニュースでも、避難所で十分な薬もないまま、命を落としていく老人の姿が映し出されていた。世界に冠たる経済大国が、まもなく4週間が経とうというのに、避難所の被災民を“助けられない”のである。

私は現在発売中の月刊「WiLL」に、天災に端を発した菅政権の“人災”ぶりについて書かせてもらったが、こういう政権に国を任せている現実と、さらに言えば、そういう政権に任さざるを得ないほど国民にソッポを向かれた自公政権のひどさの両方に、つい思いを馳せてしまう。

それにしても、あまりに当事者能力を欠いた日本政府の実態を見て、2万人もの兵士を投入して、全面支援に乗り出してくれた米軍の“トモダチ作戦”には頭が下がる。

福島原発の事故にも、アメリカ政府は「事態収拾に全面協力する」と何度も伝えてくれたが、日本政府は、これを無視したと言われている。沖縄の普天間基地問題などで、日米関係を「戦後最悪」とまで言われる状態まで貶めた民主党政権だが、それでも、いざとなったら、米軍は2万人もの兵をフル稼働させてくれたのである。

一方、永田町では、またぞろ民・自大連立などという妖怪話が徘徊している。私はこの話を聞いて呆れてしまった。なぜなら、大連立などしなくても、被災地の復興と被災者の命を守る方法はいくらでもある。いや、それは、国家として「あたりまえのこと」をやればいいだけなのである。船頭をこれ以上多くして、いったい何をするつもりなのか。多くの国民が溜息をついている。

話は変わるが、昨日、選抜高校野球が終わった。強豪校相手に5試合45イニングを一人で投げ抜いて来た九州国際大付属の三好匠投手が最後に息切れしたのは残念だった。

蓄積した疲労で、三好本来のスライダーのコントロールも、ストレートのキレもなく、準決勝戦の日大三高戦で見せた威力あるボールがついに試合の間中、見られなかった。甲子園では「複数投手でなければ勝てない」という現実を改めて思い知らされた気がする。

それにしても、その三好を痛打し、ついには大会通算74安打113塁打という新記録を打ち立てた東海大相模打線のパワーには驚いた。往年の相模打線が完全復活したことを感じる。

今から36年前、巨人の現監督、原辰徳を3番に据え、佐藤功、森、津末、佐藤勉ら、ノンプロの打線かと見紛う力を引っさげて甲子園に現われた時を思い出した。

東海大相模の伝統の強打は健在だったのである。来た球を「強く叩く」という大原則を徹底的に貫いた相模打線の日頃の精進ぶりが思い浮かぶ。昨夏の決勝で、興南の島袋投手の軍門に降った悔しさを見事に晴らした“痛快な優勝”だった。

カテゴリ: 地震, 野球

日本人にとって「恥」とは

2011.03.19

19日夜、福島原発の放水作業で命をかけて作業をおこなった東京消防庁の会見がおこなわれ、幹部の一人は、涙で言葉を詰まらせた。家族と悲壮な覚悟で別れてこの作業へ向かった隊員たちそれぞれの姿を思い浮かべたのである。

自衛隊や警察など、職務と使命に忠実であろうとする日本人の姿が感動を呼んでいる。自らリーダーシップが発揮できず、ついには自民党の谷垣禎一総裁にまで入閣を持ちかけるという一種の“錯乱状態”を呈している菅首相に比べ、この9日間で見せた彼らの献身的な姿は世界中の驚嘆のマトだ。

同時に被災者の耐え抜く姿もまた、多くの国で感動を呼んでいる。大災害とは、イコール「略奪」を意味することは世界の常識だ。だが、かの阪神淡路大震災の時も、新潟地震でも、そして今回の東北関東大震災でも、日本でどんな大災害が起ころうと、略奪など無秩序な行為は一切生まれない。

秩序と規律、そしてなにより正義を愛する国民性がこういう時こそ発揮されるのである。それは日本人の道徳観、つまり長い時間をかけて日本人が築き上げてきたモラルにほかならない。

アメリカの文化人類学者、ルース・ベネディクトは、著書『菊と刀』の中で日本人の行動規範には「恥」があると書いた。

恥こそ日本人の行動を規定するものである、と。取り乱したり、秩序を崩したり、盗みをおこなったり、人から指弾を受けることをするのは、日本人にとって「恥」なのである。

耐えることを遺伝子に刷り込まれたがごとく、日本人はこれからも我慢しつづけ、そしてこの大災害を克服していくだろう。つくづく素晴らしい人たちだと思う。

カテゴリ: 地震

ついに機能不全を露呈した首相官邸

2011.03.17

迷走を続ける菅直人首相は、本日、官房副長官に仙谷由人民主党代表代行を起用し、大震災の被災者支援に関する態勢を“強化”するのだそうだ。

「自衛隊は暴力装置」と発言し、全共闘時代から自衛隊の存在そのものを忌み嫌ってきたあの人物が官邸に戻ってくるのである。そもそも参院での問責決議を受け、この1月に仙谷氏は官邸を去ったばかりである。

皇居で夜おこなわれた認証式の後、仙谷氏は記者団に対して「まずは燃料、食料の物流を改善したい」と語ったそうだ。そんなあたりまえのことを、震災後7日目に、しかも問責決議を受けて辞めた人物を引っ張り出さなければこの政権は「できない」のである。

たとえ「暴力装置」と呼ばれようと、黙々と活動を続け、福島原発でも決死の作業を続ける自衛隊員たちには頭が下がる。警察も消防も、いずれも決死の覚悟で活動を続けている。また福島原発の現場の作業員たちの復旧活動への執念も凄まじいものだ。

しかし、官邸はどうか。政府与党の亀井静香・国民新党代表でさえ、船頭だけが多く、会議、会議の連続の馬鹿らしさを「やりたけりゃ(会議を)やればいいが、むしろ弊害だ。船頭多くして船、山に登るだな」と嘆いたほどだ。この亀井氏の発言ほど、機能不全に陥った首相官邸の様子を端的に表すものはない。

雪が降り積もった被災地では、ついに助け出されることがないまま絶命した犠牲者と、せっかく避難しながら低体温症で生命の危機に瀕している被災者があとを絶たない。

天災から転じて完全に「人災」と化したこの大震災に、果たして終息への希望が見える日は来るのだろうか。

カテゴリ: 地震

菅首相の“驚愕”の発言

2011.03.16

「最悪の事態になった時は、東日本がつぶれることも想定しなければならない」。菅直人首相が16日夜、首相官邸で会った笹森清内閣特別顧問にこう語ったという。

産経新聞の報道によれば、菅首相は「僕はものすごく原子力に詳しいんだ」と専門家を自任しているそうで、笹森氏は「この問題に詳しいので、余計に危機感を持って対応してほしいということで東電に乗り込んだ」と続けたという。

東京電力福島第1原発の事故をめぐって首相の焦りが頂点に達していることを示すエピソードだが、それにしても、発言のあまりにレベルの低さに言葉もない。

一国の総理が、「東日本がつぶれる」などという言葉を発し、それが国民の前に明らかにされること事態がそもそも驚きだ。この言葉が、外資の“日本売り”を加速させる発言であることをおそらく総理は想定もしていなのだろう。

さらに菅首相は、東電の対応について「そういうこと(最悪の事態)に対する危機感が非常に薄い」と批判したという。

「最悪の事態に対する危機感が薄い」というその言葉、国民はそのまま菅首相に返したいに違いない。震災が起こって遂に「6日目」を迎えたというのに、まだ水・食料・医薬品・燃料という基本物資が被災地に届かず、被災者の中から“低体温症”という名の凍死者が出始めている。

そんな事態に立ち至っても、菅総理は、一向に「自分がやるべきこと」がおわかりではないらしい。延命すべきでなかった政権によって、ますます国民の生命が喪われていくことが、悔しくてならない。

カテゴリ: 地震

「天災」に端を発した未曾有の「人災」

2011.03.15

東電のお粗末な福島原発事故で不思議に思うことがある。原子炉を事故から守るためのバックアップ設備(冷却用の設備等)が「津波によって水没した」という点である。

たしかに巨大な津波に原発のバックアップ設備が水没しては、次から次に深刻な事態が惹起されている理由が頷ける。しかし、福島原発は、太平洋に面し、もともと地震と津波に対して最も警戒して造られた施設である。

そのバックアップ施設が「津波によって水没した」というのはどういうことだろうか。地震前の写真を見ても、巨大な津波に対応できるような高い堤防も見当たらず、通常の津波しか想定していないような造りである。

日本は今、チェルノブイリ事故に次ぐ深刻な事態の瀬戸際に立っている。国際原子力事象評価尺度(INES)では、原発事故はレベル0から7までの8段階で表されることになっている。

「レベル7」とは、いうまでもなく1986年の旧ソ連チェルノブイリで起こった原発事故である「深刻な事故」を指し、79年のアメリカ・スリーマイル島の原発事故はそれより2段階下の「レベル5」で、今回の福島原発事故は、それを上まわる「レベル6」なのだそうだ。

そんな日本の国そのものを破壊しかねない原発事故が、言葉は悪いがこの程度の「想定外」の事態によって引き起こされたのである。

バックアップ設備の水没や燃料切れによって、注水活動がストップするという事態には呆れ果てるが、「計画停電」という名の「無計画停電」によって世間の非難を浴びている東京電力という会社の実情を見ると、果たしてそもそも国民の生活と安全を任せられるだけの能力が存在したのか、という根本的な問題にもいき当たる。

地震そのものには「大暴落」に至らなかった世界の株式市場も、さすがにこの福島原発事故には大きく反応し、世界経済は同時株安の様相を見せ始めている。東電という会社のお粗末さが、平成の世界恐慌の引き金を引いたのかもしれない。

いまだに空輸による被災者への物資供給もできない日本政府のお粗末さと共に、これは長く歴史に刻まれる汚点となるに違いない。現地の報道陣からは、今晩あたりから「避難した人々の中から凍死者が出るのではないか」という懸念の声も上がっている。

「天災」に端を発した未曾有の「人災」が進行しているのである。

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震災4日目の信じられないニュース

2011.03.14

本日(3月14日)、震災4日目を迎えた。避難所や個別の家々で不自由な避難生活をしている人々の報道機関によるインタビューを聞いて、驚くばかりだ。

「水と食料と医薬品」。人々が要求するものがまだそういう生命を維持するための基本的なものばかりなのである。4日目を迎えても、政府は、まだ「そのことができていないこと」をどう考えているのだろうか。

現場は、離島でも僻地でもない。本州の「東北地方」である。震災から4日経っても、これを供給できない「政府」というのはいったい何なのだろうか。われわれ国民は、この政府に、なんのために納税義務を果たしてきたのだろうか。

昨日のブログでも書いた通り、すでに救命に必須である「72時間以内」の救出を“戦力の逐次投入”によって失った菅政権は、次に避難した人々への物資の供給さえ、ろくにできていないのである。

震災の場合、陸路が遮断されるため、空路での輸送しかこの緊急事態に対応できる手段はない。しかし、物資を運んで現地に“投下”するヘリの姿は一向に映し出されない。供給されるべき水と食料と医薬品が決定的に不足していることがよくわかる。

「史上最大の大震災」などという言葉に騙されてはならない。その後、進行している事態は、現政権の不作為、あるいは無能による「人災」と言える。

なぜならば、リーダーシップが発揮できていないことがその最大の原因だからだ。食糧の在庫を持つ企業、医薬品の在庫を持つ企業、毛布や紙おむつなどの在庫を持つ企業……緊急事態には、そういう在庫を持つ企業の協力が不可欠であり、それらを「いち早く拠出させることができる力」を持つのは、国家の領袖をおいてほかにない。

真っ先に「非常事態の宣言」によって、「1人」でも多くの国民の命を救うことに国民と企業に徹底させることが必須なのである。そこにこそ国のトップの「国民の生命財産を守る」という絶対使命の意味がある。しかし、当ブログで繰り返し書いてきたように菅政権には、やはりとても無理だったのだ。

信じられないニュースといえば、福島原発でのお粗末な事態もそうだ。「史上最大の大震災」のせいにしているが、福島原発があった場所は、震度6だった。震度が7だったのは宮城県栗原市のことだ。

震度6で、しかも津波対策も二重三重にとっていながら、今回のようなメルトダウンの事態を招いたことを東電はどう考えているのだろうか。

すでに海外メディアは、阪神淡路大震災の時と同様に、被災者の整然とした行動と、我慢・忍耐の立派さに驚嘆の声を上げている。

黙々と救出活動をつづける自衛隊員や警察、消防、自治体の人々の立派さに頭が下がるだけに、政府の情けなさが余計、際立つのである。

カテゴリ: 地震

リーダーシップ欠如の悲劇

2011.03.13

やはり当初から懸念していた通りの事態が進行している。国家の領袖のリーダーシップの欠如による被害拡大である。

大震災が生じた時は、やらなければならないことは決まっている。(1)まず瓦礫の下に埋まっている国民を1人でも多く救出する。(2)避難した人々への水と食料の供給。(3)けが人や人工透析患者等への医療行為の確保。以上の3点が緊急処置の必須事項である。

陸路が寸断されている場合は、これらを空輸でおこなって対処するしかない。いずれにしても、主力は自衛隊や警察組織、消防組織などによるものである。

それは、国家の領袖による「瓦礫の下にいる国民を一刻も早く、一人でも多く、救出しろ。そのために国家の全機能を集中する!」という力強い宣言によって初めて総力を挙げた救出劇が可能になる。

今日で地震後3日目を迎え、その第1段階の時期が過ぎた。救命率が一気に下がる72時間以内という「救出時間が過ぎた」のである。しかし、この3日間で、国民はそんな菅首相の力強いメッセージと指示を耳にしただろうか。

相変わらずの他人任せで、国民の前に国家の領袖としてのリーダーシップはついに見えて来なかった。極寒の夜を「2日」も経て、瓦礫の下で虫の息で救出を待っていた多くの人命はすでに失われただろう。

瓦礫の下で救出を待つ人に何ができるか、国民の生命財産を守るために自分が何をすべきか……そういうことを日頃考えたこともないリーダーに、もともと「何かを期待する」方が無理だったかもしれない。

呆れたのは、今日(13日)午前中の防衛省災害対策本部での北沢俊美防衛相の発言だ。それによれば、「総理から(自衛隊の)災害派遣態勢を10万人を目標に強化してくれとの指示があった」そうだ。

初日が2万人、2日目に5万人、3日目の今日は10万人の“災害派遣態勢”を指示したのだそうだ。私はそのニュースを聞いて、呆れてモノも言えなかった。これは、戦略上もっとも忌むべきものとされる“戦力の逐次投入”にほかならない。

10万人の“災害派遣態勢”を菅首相が指示したのは、すでに被災者の救命率が急速に下がる「72時間」が迫ってからだったわけである。危機意識が決定的に欠如した首相をトップに戴く日本国民の不幸がそこにはある。

いま(午後6時)流れてきたニュースでは、辻元清美衆院議員を災害ボランティア担当の首相補佐官に起用し、蓮舫行政刷新相に節電啓発担当を兼務させることが決まったのだそうだ。菅首相が思いつくのは、せいぜい「その程度のこと」なのである。

ボロボロになりながら、必死の救出活動を続ける現地の自衛隊員たちに感謝の気持ちが湧き起こると共に、村山富一・菅直人という「国のリーダーとは何をするために存在するのか」という根本を知らない国家の領袖の時に限ってこういう大災害が生じることに“運命的なもの”を感じるのは私だけだろうか。

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総力を挙げて瓦礫の下にいる人を……

2011.03.12

福島原発1号機のメルトダウンは、危機一髪のところで最悪の事態を避けられそうになっている(夜11時段階)。しかし、原発の怖さを国民の前に曝け出したことは間違いない。

テロと地震は、原発にとって2大懸念材料だ。いくら「大丈夫」と説明されても、テロと巨大地震にはひとたまりもないのではないか、と心配されていた通りの危機的状況だった。

日本で現在稼動中の約40基の原発は、「ミサイルで攻撃された場合」どうなるのかというのが国家危機管理の上で大きな課題だった。

原発という便利なものと引き換えに、われわれ日本人は大きな「リスクを背負っていること」を認識しなければならない。今回の地震の教訓として、原発の安全性に対する国民的議論をもう一度やり直す必要があることを痛感させられた。

それにしても、今回の被災者への救援体制は阪神淡路大震災の時と比べ、かなり見劣りしている。大都市圏(大阪)のすぐ間近で起こった16年前の震災と簡単には比較できないものの、2日目の夜を迎えたというのに、瓦礫の下にいると思われる人々の救出や、救援所で助けを待つ人々への物資の補給は決定的に不足している。

「自衛隊の災害派遣を5万人体制で」と今日になって発表していた菅首相のピント外れのコメントには呆れた。もし言うなら「自衛隊20万の総力を挙げて瓦礫の下にいる国民を1人でも多く救出する」というものだろう。

9・11テロの時も、ロス地震の時も、現地にいち早く乗り込み、救援活動者たちと肩を組んで彼らと共に闘う姿勢を示した彼(か)の国の大統領とはあまりに違いすぎる。

昨日から今日にかけては、空挺部隊にしろ何にしろ、被災地へ一人でも多くの自衛隊員を送り込む時期だったが「5万人体制で」と数を限定したコメントをするあたりが菅首相らしい。

地震が南下しつつある。東京が最悪の事態を迎えたら、世界経済そのものを直撃するだろう。その悪夢だけは避けたい。

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大地震で何が問われるか

2011.03.11

観測史上最大という「M8・8」の大地震の衝撃が凄まじい。西新宿の高層ビルの27階にある当事務所も大きく揺れた。固定しているはずの本棚まで倒れたので、相当な揺れだった。

次々と被害の拡大が明らかになっている。あの16年前の阪神淡路大震災の時は、村山富一内閣だった。国民の生命・財産を守るという基本さえ知らなかったこの内閣のために初動が遅れ、多くの犠牲者が生まれたことを思い出す。

私自身も週刊新潮のデスクとして記者と共に神戸に入り、その被害の大きさを目の当たりにした。震度が6あるいは7になると、もはや一般の民家が無事でいることができないことをあの時、痛感した。自転車を西宮北口駅で組み立てて神戸入りしたが、交通機関がまるで役に立たないことも知った。

それにしても今日、JR東日本が早々と交通機関の責任を放棄したのには驚いた。輸送の大動脈である同線が、ほかの私鉄や地下鉄が復旧していく中、「本日中の復旧はない」と、どこよりも早く発表し、多くの帰宅難民発生の原因となった。

いかに危機管理と社会的使命に対する意識が欠如しているかがわかる。かの太平洋戦争の折、焼け野原となった日本列島で、省線(のちのJR)の列車が鉄道マンの意地と使命感によっていち早く動かされ、多くの戦争罹災者の生きる希望となったのとは大きな違いだ。

鉄道マンとは何か、プロとは何か、ということを高給取りのJRマンたちには噛みしめて欲しいものである。

それにしても、いまテレビに映し出されている気仙沼の状況は痛まし過ぎる。街全体が火災に包まれ、暗闇の上空からの映像でも、どこにいても命が助からない状況であることがわかる。なんとか被害者が一人でも少ないことを祈りたい。

外国の救援隊もどんどん要請すべきだ。一人でも多くの人間を助けるためには、できるだけ救援隊を受け入れるべきだろう。当事者能力のない菅内閣だが、村山内閣の二の舞だけは避けて欲しい。

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