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「日・台・中」を知る上で絶対に忘れてはならない事件

2017.02.26

「二二八事件」を知っていますか? そう聞いて、「はい、知っています」という人は、日本では、なかなかいない。「“二二六事件”の間違いではないですか」と問い返されるケースがほとんどだ。

しかし、「この事件を知らないと、“日本―台湾―中国”の真の関係はわかりませんよ」と、私はいつも言わせてもらう。そう、台湾がなぜこれほど「親日」なのか、あるいは、台湾の人たちが「一つの中国」をなぜ拒否しているのか。これを知らなければ、とても理解できないだろう。「現代の東アジア」を考える上でも、それは、外すことができない出来事なのである。

今日、私は、羽田発朝7時25分のチャイナ・エアラインで、台北にやって来た。昨年の総統選取材以来、ほぼ1年ぶりだ。明日(27日)は「台北」で、あさって(28日)には「台南」で、この「二二八事件」に関連して、講演をさせてもらうためだ。

講演の中身は、まさに「二二八事件」と21世紀における「日本―台湾―中国」との関係について、である。到着早々、私は、さっそく中央廣播電台(台湾国際放送)に招かれ、約1時間にわたって、「二二八事件」が現代に問いかける意味を話させてもらった。

今から70年前の1947年2月28日に勃発した民衆蜂起――日本に代わって為政者となった中国人に対するこの激しい抗議行動は、台湾人(本省人)に無惨な結果を生む。台湾全土で民衆が逆に弾圧、虐殺され、それから38年間にも及ぶ世界最長の戒厳令下における“白色テロ”の時代を台湾は迎えるのである。

なぜそんなことが起こったのか。それは、日清戦争終結による下関条約で割譲された台湾の50年間に及ぶ「日本統治」を抜きには考えられない。

日本による統治とは、厳格な「法治社会」と、識字率90%・就学率70%という当時では世界でも珍しい「高教育社会」を台湾にもたらしたことで知られる。しかし、第二次世界大戦の日本敗北によって、台湾は大変な激変を経験する。

日本人(内地人)が去り、新たな統治者となった蔣介石率いる国民党の政治に台湾人は愕然とする。食料品、農作物、工業品が「接収」という名のもとに収奪され、新たな製品を生み出す工場の機械類から日本軍が残した武器類に至るまで、台湾財産の多くが奪われ、大陸に運ばれていったのだ。

私腹を肥やすだけでなく、これらは毛沢東率いる共産軍との「国共内戦」の戦費として消えていった。汚職が蔓延する社会の到来と、食糧不足で飢餓状態に陥った中で進行する猛烈なインフレ。生活苦から自殺者が続出する中で、1947年2月27日に闇たばこ売りの寡婦が警察官に殴打された事件をきっかけに、翌28日、民衆の怒りが爆発。全土に民衆蜂起が燎原の火のごとく広がったのである。

しかし、蔣介石は精鋭の第21師団を台湾に派遣し、これを逆に好機と捉えて、全土でエリート層を狙い打ちした虐殺事件を引き起こした。これが、二二八事件だ。犠牲者の総数は2万人を超え、日本時代のエリート層は壊滅した。

中国人が持つ残虐性に台湾人は驚愕し、瞑目した。「外省人(戦後、蔣介石と共に大陸から渡ってきた中国人)」と「本省人(もともと台湾に住んでいる台湾人)」との今もつづく拭い難い亀裂は、このとき始まったのである。

私は、事件の70周年を機に、台南市で国民党軍の弾圧から台湾人を救うべく奔走し、最後は、自分自身も処刑された日本人、「坂井徳章弁護士(台湾名・湯徳章)」の生涯を描いた『汝、ふたつの故国に殉ず』を日本と台湾で同時出版した。

父は日本人警察官、母は台湾人女性という、生まれながらにして“日台の絆”を表わす坂井弁護士は、無実の罪を着せられて処刑される際、「誰かに罪があるとすれば、私一人で十分だ!」「私には“大和魂”の血が流れている!」「台湾人、万歳!」と叫んで果てた。

2014年、坂井弁護士は、実に死後67年を経て、命日である3月13日が台南市の「正義と勇気の日」に制定され、名実ともに「台湾の英雄」となった。今も、台南に行けば、涙ながらに坂井弁護士の遺徳を語ってくれる市民は少なくない。

自分の身を犠牲にしてまで多くの台南市民を救ったこの快男児は、その名を冠した台南中心部の記念公園と共に、決して台湾の人々に忘れられることはないだろう。

あさって2月28日は、台北をはじめ、台湾各地で70周年の「追悼式典」が開かれる。私は、坂井弁護士が非業の死を遂げた台南市の追悼式典に出席し、そのまま台南市の国立台湾文学館で講演をさせてもらうことになっている。

なぜ台湾の人々は、頑強に「ひとつの中国」を拒否するのか。なぜ彼らは、世界一の「親日国」なのか。それは、坂井弁護士をはじめ、台湾のために尽くし、毅然と死んでいった多くの日本人の存在を知らずして理解はできないだろう。

昨年、台湾では、蔡英文率いる民進党が総統選・立法院選の両方を制し、真の意味で初めて本省人の政権を樹立した。そして、蔡英文女史は、昨年11月、 1971年に正式の国交が断絶されて以来初めて、台湾総統としてアメリカのトップ、ドナルド・トランプ氏と電話会談し、「プレジデント・オブ・タイワン」と呼びかけられた。

国際司法裁判所の判断を無視して、南シナ海で他国の領土に軍事基地を建設する中国。力による現状変更を強引につづけるこの中国を前に、「台湾」は、そして「尖閣」はこれからどうなっていくのだろうか。多くの犠牲のもとに、やっと手に入れた「自由」「人権」「民主」という普遍的価値は、一体、どうなっていくのだろうか。

二二八事件70周年にあたって、そんなことを私たち日本人も考えたいと思う。そして、日本と台湾とアメリカの連携で、東アジアの平和を守る決意を新たにして欲しいと心から願う。

カテゴリ: 台湾

今、なぜ「台湾」なのか

2016.12.15

本日、衆議院第一議員会館の1階多目的ホールで『湾生回家』が上映された。国会議員を対象にした上映会だったが、私も案内をいただいたので、観させてもらった。

湾生とは、戦前の台湾で生まれ育った約20万人の日本人を表す言葉である。日清戦争に勝利した日本は、1895年、下関条約によって、清国が“化外(けがい)の地”と称していた台湾を割譲された。

以降、太平洋戦争に敗れる1945年までの50年間、日本は台湾を統治し、多くの日本人が台湾に渡った。台湾の人々と共に日本人は台湾の発展のために力を尽くした。その日本人の台湾で生まれた子供や孫は、いうまでもなく台湾を「故郷」とする日本人である。彼らが、「湾生」だ。

日本の敗戦で台湾を離れることを余儀なくされた齢八十を超えた湾生たちに密着し、台湾への郷愁、父や母への思いを丹念に描き出したドキュメンタリー映画が『湾生回家』である。また、芸妓をしていた母親と2歳の時に別れた日本女性が台湾人の妻となり、老齢を迎えて病に倒れたものの、その娘と孫娘が執念で、日本での墓参を叶えるシーンは涙なしでは観ることのできないものだった。

私の耳には、会場のあちこちからすすり泣きが聞こえてきた。感動のこの映画を観ながら、私は、台湾がこれほど「クローズアップされている」ことに対しても、心を動かされた。

というのも、先週、私もまた、日本と台湾の切っても切れない“絆”を表わすノンフィクションを日台同時発売で刊行したばかりだからだ。拙著『汝、ふたつの故国に殉ず』(角川書店)は、日本人の父と台湾人の母を持つ坂井徳章(台湾名・湯徳章)弁護士が、1947年の「二二八事件」で、自分の身を犠牲にして、多くの台南市民を救った姿を描いたものである。

「私の身体の中には、大和魂の血が流れている」「台湾人、万歳!」と叫んで永遠の眠りについたこの英雄の命日は、2014年、台南市で「正義と勇気の日」に制定された。私は、この映画に登場する湾生たちを観ながら、“ふたつの故国”に殉じた坂井弁護士の心情を思わずにはいられなかった。

日本と台湾の人々がお互いを尊重し、真心と真心が通じ合った「歴史」を共有し合っていることに、私は感動する。台湾で「あなたの一番好きな国はどこ?」という単一回答のアンケートをおこなうと、2位(中国)と3位(アメリカ)に、ほぼ「10倍」の差をつけて、日本がダントツの「1位」という結果が出て来る。友情と思いやりを基礎に、これほど深い信頼を築いた二国間の関係というのは、他には例を見ないだろう。

12月2日のトランプ米次期大統領と蔡英文・台湾総統との電撃的な「電話会談」から2週間。トランプ氏は、この電話会談の前に、中国が南シナ海で進めている軍事施設の建設について情報当局から3時間に及ぶ説明を受け、その際に「元に戻せないのか」と激怒していたことが報じられている。

また、FOXテレビのインタビューで、従来の“ひとつの中国”政策を維持するかどうかは、「中国の貿易、外交政策次第だ」と、踏み込んだ発言をおこなった。まさに、“ひとつの中国”、つまり「台湾併呑」と「南シナ海の完全支配」を目指す中国に、「ノー」の姿勢を打ち出したのである。

一方、中国共産党系の「環球時報」は12月12日、「トランプ氏は、ビジネスしかわかっていない。外交を虚心に学ぶ必要がある」と批判し、「中国は断固として戦わなくてはならない」と、猛反発した。

激動を予感させるそんな時代を前にして、私は、「今なぜ台湾なのか」という思いで、今日、『湾生回家』を観ていたように思う。世界が「台湾」の存在を注視し、さらに覇権国家・中国の動向に目を光らせる「時」が、ついに来たのである。

日本では、政治家もマスコミも、「中国」と聞けば、ただ「ひれ伏す」だけの時代が長くつづいた。しかし、今日、『湾生回家』を一緒に観た政治家たちには、よもやそんな人はいまい。

互いを尊重し、真心と真心が通じる台湾の人々の思いに応えてくれる政治家やマスコミが、少しでも増えていくことを心から願いたい。

カテゴリ: 台湾

「トランプ-蔡英文」衝撃会談の意味

2016.12.03

中国にとって、アメリカのトランプ次期大統領による“衝撃的”な出来事がつづいている。最大のものは、本日、トランプ氏が台湾の蔡英文総統と「電話会談をおこなった」ことだ。

台湾の総統とアメリカの大統領や次期大統領とのやりとりが「公になった」のは、1979年の米台断交後、もちろん初めてのことだ。

中国にとって、何が衝撃だったのか。それには、まずアメリカの「台湾関係法」を理解しなければならない。「ひとつの中国」を原則にして、歴史的な米中国交正常化が成った1979年、アメリカは、台湾(中華民国)を守ることを目的とした「台湾関係法」をつくった。

これは事実上の「軍事同盟」であり、それまでの米台間のすべての「条約」や「協定」は維持されることになった。つまり、アメリカは、台湾を「国家同様に扱う」ことを定め、責任を持って「守り抜く」意思を明らかにしたのだ。

アメリカは中国に対して「貴国とは、国交を樹立する。しかし、それは中華民国(台湾)との関係を完全に断つという意味ではない。わが国は、どんなことをしても中華民国を守る」と宣言したのである。

それは、たとえ第二次世界大戦終了の4年後(1949年)に成立した中華人民共和国と国交を結んだとしても、連合国軍の大切な仲間であった「中華民国を見捨てることはしない」という強烈なアメリカの意思表示であり、人道的な決意によるものだった。

これによって、中国の「台湾侵攻」は、永久的ではないにしても、封殺を余儀なくされた。中国にとっては、仮に台湾侵攻をおこなうとすれば、「中米戦争の勃発」を意味するものになったのだから無理もない。アメリカの姿勢は、日本が台湾に対しておこなった1972年の「日華断交」とは根本的に異なるものだったと言える。

しかし、逆に考えれば、中国にとっては、「アメリカに方針転換さえさせれば、台湾をどうとでもできる」ということも意味する。歴代のアメリカ大統領とは“異質な”トランプ氏の登場は、ある意味、中国には、「待ちに待ったチャンス」だったのである。

だが、世界の首脳に先がけて日本の安倍首相がトランプ氏との直接会談にこぎつけて以降、中国の旗色は悪い。11月14日に習近平国家主席は、電話で当選への祝意を伝えたとはいうものの、トランプ氏から中国への尊重や敬意の思いは未だに伝わってこない。

一方、あれだけオバマ大統領に罵声を浴びせていたフィリピンのドゥテルテ大統領が昨日、トランプ氏と電話会談をおこない、これまた良好な米比関係に向かって第一歩を踏み出した。テレビに映し出された会談中、そして会談後のドゥテルテ大統領の満面の笑みは、親密な関係を築けた証明とも言える。

そして、今日の蔡英文総統との電話会談である。ここで重要なのは、蔡総統がトランプ氏に「台湾の国際社会への参画」に対して理解を求めた点である。トランプ氏の返答がいかなるものだったのかは、詳らかになっていないが、筆者には、台湾の政府関係者から「(台湾)外交部にはトランプ氏の娘婿であるジャレッド・クシュナー氏と大学時代の親友がおり、彼を通じてトランプ氏の台湾への理解は相当深いと聞いている」という話が伝わっている。

国防長官に“狂犬”の異名をとるジェイムズ・マティス退役大将が指名されたことが明らかになった直後に、ドゥテルテ、そして蔡英文という二人の首脳との電話会談をおこなったトランプ氏。中国にとって“対米防衛ライン”とされる日本-台湾-フィリピンという「第一列島線」の首脳がいずれもトランプ氏との「関係強化」を現実のものにしつつあることをどう捉えるべきだろうか。

トランプ氏がよく比較されるロナルド・レーガン元大統領は、1980年代の任期「8年間」に強気の姿勢を一切崩さず、SDI構想(戦略防衛構想、通称スター・ウォーズ計画)によって、ついにソ連の息の根を止め、冷戦を「終結」させた歴史的なアメリカ大統領となった。

当時のソ連に代わる超大国にのし上がった中国に対して、果たしてトランプ氏はどんな政策を打ち出すのだろうか。今日の「トランプ-蔡英文」会談の報を受けた中国の王毅外相は、報道陣を前にして、「(これは)台湾のこざかしい動きに過ぎない。国際社会が築いた“ひとつの中国”という大局を変えることはありえない!」と吐き捨て、激しい動揺と苛立ちの深さを浮き彫りにしてしまった。

トランプ氏の登場は、南シナ海や東シナ海での傍若無人な中国の動きに今後、どんな影響をもたらすのだろうか。外交とは「生き物」である。大統領選の最中とは異なり、共通の価値観を持つ先進資本主義国のリーダーとして、トランプ氏に世界の“意外な”期待が寄せられつつあるのは確かだろう。

カテゴリ: 中国, 台湾

大勝でも台湾「蔡英文」新総統が歩む“茨の道”

2016.01.17

一夜が明け、昨夜の興奮が嘘だったかのように台北は静かな「雨の休日」を迎えている。先週から台湾総統選の取材に来ている私は、つい10時間ほど前までの“地響き”のような熱狂と興奮が「ひょっとして夢だったのではないか」という錯覚に陥ってしまった。

行政院や立法院など、台湾政府の中心組織が集中するエリアに近い北平東路の民進党本部は、投票が締め切られる午後4時前頃から、続々と詰めかけた支持者たちによって、うねりを伴った凄まじい熱気に包まれていた。

交通を完全にシャットアウトし、本部前のステージに設(しつら)えられたオーロラビジョンに開票速報が映し出されると、群衆の大歓声がその度に湧き起こった。記者会見を終えて、蔡英文新総統(59)がステージに上がったのは、午後9時を過ぎてからだっただろうか。

「この(選挙)結果は世界に台湾の自由と民主を示した」。彼女がそう語ると群衆の興奮は最高潮に達した。予想された勝利だったとはいえ、689万票という大量得票と、国民党の朱立倫候補(54)に300万票以上の差(朱氏が獲得したのは381万票)をつけるという圧勝に、現場のボルテージは上がりつづけた。

「新しい未来、新しい台湾」
「ありがとう台湾人、ありがとう台湾人!」

オーロラビジョンに映る言葉が、喜びの大きさを表わしていた。たしかに、この結果は、測り知れないものがある、と私は思った。

国民党の馬英九政権が2期8年にわたって押し進めた中国との接近政策は、昨年11月、習近平―馬英九という初の中台首脳会談となり、「ひとつの中国」をお互い認め合う事態に至っていた。

中国に併呑される危機感が台湾全土を覆った中、有権者がどんな判断を下すか、世界中の関心が選挙に集まった、と言っていいだろう。

しかし、中国との急接近策ではなく、「現状維持」を訴え、台湾人のアイデンティティを前面に打ち出した蔡女史が、「史上最大の勝利」を得たのである。

一昨年3月、馬英九総統が進めた中台間の「サービス分野の市場開放」をおこなうサービス貿易協定に反発した若者が立法院を占拠した「ひまわり運動」をきっかけに、反国民党の空気が台湾の主流となっていた。そして、その半年後の2014年11月、統一地方選で民進党は圧勝し、馬政権は事実上のレームダック状態となっていた。

それは、今回の総統選と同時におこなわれた立法院選挙でも、過半数を遥かに超える68議席(過半数は57議席)を得たことでもわかる。まさに“うねり”のような民意が示されたのである。しかし、これほどの大衆の支持を基盤とするとはいえ、民進党政権がこれから歩むのは、“茨(いばら)の道”であることは間違いない。

露骨な中国の干渉と闘わなければならない蔡英文政権は、今や貿易の40%を中国に依存するようになった台湾経済の舵(かじ)取りの手腕が問われる。中国からやって来る年間400万人もの観光客が、これから中国政府の締めつけによってどうなるのかが、まず注目される。

民進党が党の綱領に掲げる台湾の「独立」は、実行の素振りを見せたら中国が2005年に制定した「反国家分裂法」適用への格好の口実になるだろう。

今回の取材で、多くの有権者が「今回勝っても、結局、いつかは中国に併呑される」という悲観的な予想を私に語ってくれた。低迷する経済と、大きくなる一方の台湾人のアイデンティへの意識が強く私の印象に残った。また「アメリカと日本が頼りです」と悲痛な思いを伝えてくれた人も少なくなかった。

台湾併呑を目指す中国と、それに真っ向から対決する政権の誕生で、日本の“生命線”である台湾海峡の波はますます高くなる。西太平洋の支配を目指す中国にとって、台湾併呑は既定路線であることは言うまでもない。台湾と台湾海峡へのそれぞれの思惑が交錯する「日・米・中」3か国の今後の出方が注目だ。

アメリカによる「航行の自由作戦」で、米中が南沙諸島で一触即発の状態にあるのは周知だが、すでに昨年末、アメリカはフリゲート艦2隻を含む18億3000万ドル(約2240億円)相当もの台湾への武器売却を決定している。

中国への刺激を回避するために台湾への武器売却をストップさせていたアメリカが「4年ぶり」に売却を再開したことで、「台湾関係法」に基づき、アメリカは“台湾を守る意志”を明確に中国に示したとも言える。

それらの事情や、台湾人の本音、あるいは今回の選挙の裏舞台については、複数の雑誌から原稿を依頼されているので、そこで詳しく書かせてもらうつもりだ。

いずれにせよ、茨の道を歩む蔡英文女史をどこまで支えることができるか――それはアメリカと日本の「覚悟」と「決意」が問われるものでもある。

中国の動向が、さまざまな意味で世界の懸念となっている中、大海に漕ぎ出す蔡英文新政権の行方について、私たち日本人が無関心でいることは許されない。

日本は果たして台湾をどう支援していくのだろうか。一転して静かな雨の休日となった台北で、私はそんなことを考えていた。

カテゴリ: 台湾

「習―馬会談」で始まる中国の“台湾併呑作戦”

2015.11.07

「ああ、ついにやってしまった」。そんな声が猛然と台湾で広がっている。来年1月16日に総統選を控えた台湾で、国民党の馬英九総統が“ひとつの中国”を全世界にアピールするために習近平・中国国家主席との会談をシンガポールでおこなった。

この会談は、多くの台湾人に怒りと失望をもたらしている。私のもとにも、そういう声が届いている。総統選が「国民党の敗北確実」と言われている情勢で、なぜ馬英九はこの時期に会談をおこなったのか。

「馬英九は、台湾を売るのか」「これは、なりふり構わぬ国民党の生き残り戦術だ」という声が台湾で上がっている理由を考えてみたい。

本日、シンガポールのホテルでおこなわれた1949年の中台分断後、初めての首脳会談は、「両岸(中台)関係の改善こそ地域の平和発展につながる」とアピールし、“ひとつの中国”を認め合うことを確認した。このことは、これから想像以上に波紋を広げていくだろう。

来年1月の台湾総統選挙で優位に立つ台湾の最大野党・民進党の蔡英文女史とその支持者、つまり多くの本省人(もともと台湾に住んでいた人々)への痛烈なパンチを外省人(戦後、蔣介石と共に大陸から渡って来た人々)の一族である馬英九は繰り出したことになる。

この会談の意味を理解するには、“ひとつの中国”を認めることが、台湾にとってさまざまな意味で大きな問題となり、同時に、いかに中国がほくそ笑むことかを理解する必要がある。

私は、今日の「習―馬会談」のニュースを見ながら、さる7月22日に来日し、衆議院第一議員会館とキャピトル東急の2か所で、台湾の李登輝元総統(92)がおこなった講演を思い出した。

李氏は、「台湾パラダイムの変遷」と題して台湾の民主化をテーマに講演した。私もその講演をこの耳で聴いた。李氏は、衆議院第一議員会館では日本の国会議員を相手に、そしてキャピトル東急では、支持者や関係者たちに対して、共に日本語でスピーチしたのである。

ここで、注目されたのは、李氏が戦後台湾を統治した国民党政権を「外来政権」だと指摘したことだ。そして、台湾は「台湾人のもの」であることを強調したことである。

李氏の訴えは、歴史を見れば、まったく正しい。台湾はこれまで、さまざまな国に支配を受けてきた歴史がある。16世紀、ポルトガル船が台湾を発見した時、ポルトガル語で「美しい島」という意味を持つ「フォルモサ」という名がつけられ、ヨーロッパに台湾の存在が初めて紹介された。

しかし、ポルトガルは台湾を植民地経営せず、その後、17世紀前半にオランダが台湾に到達した。次にスペインが進出しようとしたが、オランダはこれを撃退し、台湾の植民地支配を確立する。

このオランダ支配に終止符が打たれるのは、台湾に進出した明の将軍・鄭成功(ていせいこう)の力による。清朝に滅ぼされた明朝の復興を目指して台湾制圧をおこなった鄭成功は、福建省生まれの父と日本人の妻との間に生まれた。俗称は「国性爺(こくせんや)」であり、江戸時代に近松門左衛門が書いた「国性爺合戦」は、彼の活躍を描いたものである。

その後、鄭氏の政権を倒して清朝が17世紀の終わりから台湾支配をおこなうが、清は1895年に日清戦争で日本に敗れ、台湾を日本に割譲する。以後、日本が50年にわたって台湾統治をおこなうのである。

日本の敗戦後、台湾は、共産党との国共内戦に敗れた蔣介石率いる国民党の支配を受け、現在に至る。李登輝氏は、これら、台湾を支配してきた日本も含むすべての政権を「外来政権」と規定したのだ。

台湾は「台湾人による独自の国家」であるというのが、李登輝氏の見解だ。しかし、その台湾の総統である馬英九が、「台湾は自国の領土」として“ひとつの中国”を主張しつづけている中華人民共和国のトップとわざわざ会談し、“ひとつの中国”を認めてしまったのである。

言うまでもないが、中華人民共和国は、1949年に成立した新しい共産主義国家であり、これまで台湾を支配した歴史的な事実はない。台湾を自国の領土と主張するなら、これまで台湾を支配したことがあるオランダも、そして日本も、同じ主張をしていいことになる。

少なくとも、中国共産党が台湾を支配する根拠は見当たらない。つまり、台湾は、李登輝氏の言うように、「台湾人による台湾人の国家」というのが、最も妥当で、根拠があるのである。

では、なぜ、馬英九総統は、いわば“台湾を中国に売る”ような行動に出たのだろうか。その目的は、国民党が敗北確実の来年1月の総統選の前に、“ひとつの中国”を既成事実化し、新たに総統となる蔡英文女史の手足を縛ることにあったことは明白だろう。

中国と台湾の指導者同士が一度、“ひとつの中国”で合意した意味は大きい。なぜなら、今後、それに反するどんなことをおこなっても、それは「中台のリーダー同士のコンセンサスを破る」ことになり、「許されない」からだ。

つまり、そんなことをおこなうリーダーは、たちまち“排除される”ことになる。これは中国にとって、はかり知れないメリットである。中台の指導者が一度、“ひとつの中国”で合意したという事実さえあれば、それでいいのである。

「馬英九は台湾を中国に売り渡したのか」と非難される所以(ゆえん)がそこにある。大陸との一体化、つまり大陸への復帰こそ、外省人を代表する馬英九が隠し続けていた“本音”だったのである。

まさに「第三次国共合作」が、馬の悲願だったことになる。「それほど大陸と一緒になりたければ、自分たちだけで大陸へ帰れ!」という抗議デモの声もまた、本省人の偽らざる本音だろう。

中国と台湾の交流窓口機関が1992年に話し合った、いわゆる「92年コンセンサス(92共識)」の長年にわたる論争が、どうしても私の頭から離れない。中国側は「これで“ひとつの中国”を認め合った」と主張し、台湾側は、「その“中国”が何を意味するかは、それぞれが述べ合うこと、としたものだ」と主張して、“ひとつの中国”の原則を確認したものではない、としてきた。

それから23年が経過した今も、李登輝氏が「そのような合意があったとは、総統だった私も報告を受けていない。当時、会談に出席した人間に聞いても、合意はなかったと言っている。これは2000年以降、国民党に都合よく利用させるためにつくり上げられたものだ」と繰り返し発言しているのは周知の通りだ。

この「92年コンセンサス」問題を見ても、“ひとつの中国”を認めるということは、台湾にとって、そして本省人にとっては、許されざることなのである。

それを支持率10%台しかなくなり、退任寸前の馬英九総統が、これを全世界に向かってアピールしたのである。すでに会談の前に、台湾では、プラカードに「馬は台湾を中国に売るのか」「恥を知れ」と書かれた抗議デモが起こっていることが報道されている。

南シナ海での問題でも、常に“既成事実化”を基本とする中国共産党の戦略に、今回の会談は大きな「根拠」を与えたことは確かだ。中国にとって、馬英九は、これ以上はない“愛(う)い奴”となったのである。

アメリカの「航行の自由作戦」によって、南シナ海全域を自分の領海と主張する中国は冷水を浴びせられた。国内的にも窮地に陥っている習近平にとって、そんな折も折、大きな“成果”を馬英九がもたらしてくれたのである。

「台湾関係法」によって、台湾を守る義務があるアメリカにとっても、習―馬会談は、ショックだっただろう。なぜなら、“ひとつの中国”を互いが認め合っていることが既成事実化されれば、台湾への軍事侵攻すら、今後は「国際社会が“国内問題”に口を出すな」と、中国に言ってのけられるからである。

蔡英文女史の民進党政権にとっても、この習―馬会談の結果に、長く縛られていくに違いない。蔡英文政権が誕生する前のこの「駆け込みコンセンサス」が、中国による台湾「併呑(へいどん)」の第一歩にならないことを心から祈りたい。

カテゴリ: 中国, 台湾

「中国」vs「日米台」の激動の時代到来へ

2015.10.11

10月6日に訪日して注目を浴びた台湾の最大野党「民進党」の総統候補、蔡英文主席(58)が台湾に帰国後も、話題をまいている。

昨日「10月10日」は、辛亥革命を祝う「双十節」だった。孫文による辛亥革命勃発の記念日である。中国・台湾双方が“建国の父”と慕う孫文を偲び、両方で大々的な祝賀がおこなわれてきた。

今年の記念行事で最大の話題は、なんといっても台湾の式典だっただろう。中国の“力による現状変更”が活発化する激動の東アジア情勢――その中で、極めて重要な意味を持つ台湾総統選を「3か月後」に控え、鍵を握る人物が勢ぞろいしたからだ。

蔡英文女史が、民進党が野党に転落した2008年以来、初めて民進党主席として式典に出席した。ほかにも、総統選の国民党候補・洪秀柱(67)=立法院副院長=、新北市市長も務める国民党主席の朱立倫(54)、あるいは、親民党主席の宋楚瑜(73)、そして立法院院長の王金平(74)が一堂に会したのである。

支持率40%以上をつづけ、独走している蔡英文女史に対して、「このままでは蔡英文に勝てない」という危機感を強める与党国民党は、ついに蔡英文が訪日中の10月7日、中央常務委員会を開催し、国民党の次期総統候補として洪秀柱を立てることを「取りやめる」ことを打ち出した。

混乱状態に突入した与党国民党だが、候補の本命は、なんといっても国民党主席の朱立倫である。これまで立候補を頑なに固辞してきたが、いよいよ決断の「時」が来たようだ。2010年11月の新北市長選で、当の蔡英文女史を破った人物だけに、その決断は大きな波紋を呼ぶだろう。

5年前の新北市長選の再現となる「朱立倫vs蔡英文」になれば、国民党は豊富な資金力を誇るだけに、どんな一発逆転策をはかるか、まだ予断を許さない。テレビCMを使った巧みなネガティブ・キャンペーン等々、国民党の大反撃が予想される。

そこで、意味を持ってくるのが、蔡英文女史の今年5月の「訪米」であり、今回の「訪日」である。

前回の総統選(2012年)で馬英九に完敗した蔡英文陣営は、その原因を徹底分析した。それは、2つの「原因」に集約された。ひとつは、民進党の陳水扁・前総統による不正蓄財の後遺症であり、もうひとつは、多くの国民が抱いていた民進党に対する「不安感」である。

台湾人のアイデンティティに重きを置き、独立志向の強い民進党に「中国がどう出るか」という不安感が広がり、国民党の馬英九が支持を集めたのである。

しかし、前回総統選以後、蔡英文陣営は「現状維持」政策を前面に押し立て、「台湾独立」を含む一切の懸念を払拭し、台湾人の安心感を勝ち取ろうとした。「現状維持」とは、言葉通り、中国との関係で「現状を維持する」ということだ。

そして、さらに台湾人の安心感を勝ち取るために選んだ作戦が、今年5月の「訪米」であり、今月6日からの「訪日」だったのである。

野党・民進党の候補者であるにもかかわらず、蔡英文に対するアメリカの待遇は、驚くべきものだった。マケイン上院軍事委員会委員長をはじめ、メディロス国家安全保障会議アジア上級部長、ブリンケン国務省副長官ら、錚々たるメンバーと会見し、多国間軍事演習への台湾の参加を促す意向まで示された。蔡英文女史の顔が米『タイム』誌の表紙を飾るほどの反響を呼んだことは記憶に新しい。

そして、日本でも、安倍首相の実弟・岸信夫衆院議員の案内で、地元・山口を訪問し、帰京後、自民党幹部と会談し、さらに安倍首相本人とも「密会」するなど、日本からも破格の厚遇を受けた。

蔡英文女史は、アメリカと日本のお墨付きをもらうことに成功したと言えるだろう。これは、李登輝・元総統と、許世楷・元駐日代表という二人の大物の戦略が大いに関係している。「民進党への“不安感”さえ減らせば、勝利は疑いない」という確固たる戦略によるものである。そして、それは見事に成功した。

中国の強引な“力による現状変更”に対抗するには、アメリカ、日本、台湾が力を合わせるしかない。言いかえれば、東アジアの安定のためには、「アメリカ―日本―台湾」の強固な結びつきが必須なのだ。

しかし、中国も手を拱(こまね)いているわけではない。逆に、中国は今、沖縄へのアプローチを盛んにおこなっている。前回のブログでも指摘したように、沖縄にある米軍基地をグアムまで“後退”させることができれば、東シナ海、南シナ海での中国の軍事的優位が圧倒的なものになるからだ。

沖縄県の翁長雄志知事が先月、スイス・ジュネーブでの国連人権理事会と並行して行われたNGO主催のシンポジウムで講演し、普天間基地の辺野古移設に対して、「沖縄県民の人権、民主主義が無視されている」と世界にアピールしたことを、どう捉え、どう分析すればいいだろうか。

翁長知事は、講演で、沖縄が独自の言語、文化を持つ「独立国だった」という歴史も訴えている。独立志向の沖縄から米軍基地がなくなれば、中国がどう出るかは、想像に難くない。まさに、それは中国の“意向”通りの内容だったと言える。

中国による南沙諸島(スプラトリー諸島)への進出も、実は、1992年に米軍がフィリピンからグアムに撤退した直後に起こったことを忘れてはならない。そのことを考えれば、一方の翁長知事が今年4月、訪中した際、李克強首相が会うという“破格の厚遇”を与えたことが何を意味するかは、自明だろう。

誰に、どんな厚遇を与えるか。それが、いかに大きな意味を持っているかを考えると、実に興味深い。沖縄に手をぐっと突っ込んできた中国と、一方、台湾の最大野党・民進党の蔡英文女史に“お墨付き”を与えたアメリカと日本――。

最後にこの“お墨付き”が台湾総統選にどんな影響を与えるか。「中国」vs「日米台」の激動の時代到来へ、東アジアの今後の動向に決定的な意味を持つ選挙だけに、目が離せない。

カテゴリ: 中国, 台湾

激動「東アジア」の鍵を握る台湾「蔡英文女史」の来日

2015.09.30

今日で9月も終わる。11月に上梓する長編ノンフィクションの執筆で徹夜の連続である。そのため、ブログも更新できないままだった。

さまざまなことがあった9月だったが、なんといっても、安保法制が成立したことが、日本にとっては大きな出来事だったと言える。対中国法案ともいうべき安保法制が通ったことは、中国に対する「牽制」になったことは否定できない。

中国と韓国以外のアジア諸国が法案の成立を歓迎したのは、象徴的だった。いまや東アジアにとどまらず、世界中の懸念となっている中国の膨張主義。日米同盟の強化によって、尖閣と東シナ海への中国の侵攻を躊躇(ためらわ)せることができたなら、安保法制も一定の役割を果たすことになる。

それでも、私は、いよいよ東アジアで「激動が始まる」と思っている。来年1月に台湾総統選があり、そこで民進党の蔡英文女史(59)が、総統になる可能性が極めて高いからだ。

台湾人の誇りと自立を基礎とする民進党政権に対して、いったい中国はどう出るのか。仮に“何か”があったなら、アメリカは「台湾関係法」に基づき、台湾を守るのだろうか。その時、日本はどうするのか。来年以降、両岸関係(中台関係)からは、いっそう目が離せないのである。

来週、その“話題の人”蔡英文女史が来日する。日本に住む台湾人、そして応援してくれる日本人への挨拶とお披露目が目的だが、いうまでもなく安倍政権との「意思疎通」が大きな眼目だ。

10月6日に東京入りし、7日には安倍首相の地元・山口に飛び、村岡嗣政知事と山口県庁で会談する。しかも、すべて同行して道案内するのは、安倍首相の実弟、岸信夫・衆院議員である。

事実上、「安倍家」が全面的に受け入れた形での来日なのだ。そもそも、安倍首相が「師」とも仰ぐ李登輝元総統の外交ブレーンを務めたこともあるのが蔡英文女史である。その蔡女史が「師」と仰ぐのが許世楷・元台湾駐日代表である。安倍首相と許氏との親密な関係は、知る人ぞ知る。

今回、山口から帰京して、いったい蔡英文女史は誰と会うのか、中国側が神経を尖らせているのも無理はない。いざ総統になると、中国のさまざまな妨害で「来日」は難しい。それだけに彼女の東京での一挙手一投足が注目されるのである。

憲法改正によって実現した1996年の第1回台湾総統選の折、中国は軍事演習を強行し、基隆沖海域にミサイルを撃ち込んだ。李登輝氏の「総統選」勝利を阻止するためである。しかし、結果は、逆に台湾人の反発を買って、李登輝氏の大勝利につながったことが思い出される。

台湾の友人からは、「総統選までの4か月間が心配だ」という声も私のもとに寄せられている。何をするかわからない中国だけに、身辺の安全も含めて徹底した警戒が求められる。そして、仮に総統選に勝利しても、政権移譲がなされる来年5月までに、国民党の馬英九総統が何を繰り出してくるかもわからない。

総統に就任後、蔡女史には、“茨(いばら)の道”が待っているが、それでも日本とアメリカがバックにいることは大きい。また、日本にとっても、東シナ海の安定のためには、「アメリカ―日本―台湾」の強固な結びつきは必須なのだ。

いま中国は、沖縄へのアプローチを活発化させている。沖縄にある米軍基地をグアムまで“後退”させることができれば、東シナ海、南シナ海の中国の軍事的優位性は圧倒的なものになるからだ。

9月21日、沖縄県の翁長雄志知事は、スイス・ジュネーブでの国連人権理事会と並行して行われたNGO主催のシンポジウムで講演し、普天間基地の辺野古移設に対して、「沖縄県民の人権、民主主義が無視されている」と世界にアピールした。

翁長知事が、それに加えて、沖縄が独自の言語、文化を持つ「独立国だった」という歴史を訴えたことに、中国は、ほくそ笑んだに違いない。独立志向の沖縄から米軍基地がなくなれば、中国がどう出るかは、想像に難くない。

いま話題の中国による南沙諸島(スプラトリー諸島)への進出も、実は、1992年に米軍がフィリピンからグアムに撤退した直後に起こったことを思い起こす。そのことを考えれば、今年4月、訪中した翁長知事に、李克強首相が会うという“破格の厚遇”を与えたことが何を意味するかは、自明だろう。

沖縄に手をぐっと突っ込んできた中国と、一方、国民党の馬英九政権で冷えていた台湾との関係を緊密にし、日・米・台の総合的な安全保障を視野に入れる安倍政権。まさに、「東シナ海、波高し」である。

さまざまな意味で、蔡英文女史の来日の意味は大きい。安保法制が成立した折も折、来日する「東アジア」のキーを握る蔡英文女史の動向に注目したい。

カテゴリ: 中国, 台湾

折も折、「李登輝・元総統」来日をどう受け止めるか

2015.07.23

昨夜は、台湾の李登輝・元総統を歓迎する会があり、永田町のキャピトル東急ホテルに行ってきた。主催は、日本李登輝友の会である。李登輝氏は日本の国会議員有志に招聘されて、国会議員会館で演説し、日本外国特派員協会で記者会見、そして東日本大震災の見舞いに現地を訪れるため来日した。

私は、まだ現役の週刊新潮デスク時代にジャーナリストの櫻井よしこさんと共に、李登輝氏が総統時代にも、また総統を下りたあとの陳水扁時代にもお会いしたことがある。1999年と2005年である。

1度目は総統公邸で、2度目は私邸で、ともに会食を挟んで数時間にわたる取材だった。いずれも奥様の曾文惠さんもご一緒で、奥様を大事にされている李登輝氏の優しさと人柄を感じた面会でもあった。そんなこともあって、この日の歓迎会では、私はご本人を前にしてスピーチもさせてもらうという栄誉に浴した。

久しぶりにお会いする李登輝氏は、さすがに92歳というお歳を感じさせた。李氏は、1923(大正12)年生まれである。私は台湾関係だけでなく、戦争ノンフィクションを数多く書いているが、その大正生まれの方々が、ここ数年、幽冥境を異にすることが多い。

戦争ノンフィクションの中でも書かせてもらっている通り、私は大正生まれの方は“他者のために”生きた世代だと思っている。たとえば、日本では、大正生まれの男子は1348万人いるが、その内およそ200万人が戦死している。実に7人に1人である。

戦争で多大な犠牲を払い、戦後はビジネス戦士となって復興と高度成長の担い手となったこの世代は、本当に“他者のために生きた世代”だと思う。日本の統治下にあった台湾でも、多くの若者が戦死している。

李登輝氏の2つ年上のお兄さんも、フィリピン・ルソン島のマニラ攻防戦で海軍の陸戦隊の一員として戦死している。李登輝氏自身も、名古屋の高射砲部隊の陸軍少尉として敗戦を迎えている。

李登輝氏はこの日、昼間に国会議員会館で講演をし、そして夜はこの歓迎会に出席されるという、若者でもハードなスケジュールをこなしていた。

堂々たる体躯の李登輝氏がキャピトル東急の1階「鳳凰の間」に疲れも感じさせずに、SPや秘書を従えて現われたのは午後7時のことだ。たちまち会場は李登輝氏を取り囲んで“握手攻め”となったが、李氏は笑顔で応えていた。一国を率いてきたリーダーだけに、見る人に疲れなどを微塵も感じさせない様子はさすがだった。

私が直接、李登輝氏の姿を見たのは、3年半ぶりのことだ。2012年1月13日、それは李登輝氏自身が憲法を改正してまでスタートさせた直接選挙による第5回目の「台湾総統選」の最終日だった。

翌日の投開票を控え、民進党の蔡英文女史の応援演説に李登輝氏が現われたのである。新北市の中心部・板橋にあった総合競技場。ここに10万人近い支持者を集めて、蔡英文陣営は、最後の訴えをしていた。

夜の帳(とばり)が下りる中、「ドンスワン! ドンスワン!」と民進党支持者たちは、必死に叫んでいた。ドンスワンとは、台湾語で「当選」という意味だ。その時、紹介のアナウンスと共にステージに最後に登場したのが李登輝氏だったのである。

総合競技場のオーロラビジョンに映し出された89歳の李登輝氏に民衆はどよめいた。つい3か月ほど前に、李氏がガンの手術をしたということを皆が知っていたからである。

長身の李氏は、そこで蔡英文女史の肩を抱き、「皆さん、どうか蔡さんに台湾の未来を託して下さい」と訴えた。一瞬にして、競技場は独特の雰囲気に包まれた。私の目は、まわりの台湾人たちの様子に吸い寄せられた。

彼らは涙ぐんでいた。手で目をこする若者がいた。ハンカチで目頭を押さえる女性もいた。物も言わず、ただステージを、そしてオーロラビジョンを凝視する人もいた。

それをもし「求心力」と表現するのなら、凄まじい「求心力」というしかないだろう。あるいは、それは、政治家としての「オーラ」と表現すべきかもしれない。その時、私が思ったのは、大衆にこれほどのインパクトを与える政治家は果たして日本にいるだろうか、ということだった。

台湾の行く末を国民党に託してはいけない――国民党の元主席でもある李登輝氏自身のその姿勢は、どれだけ台湾の本省人に影響を与えただろうか。残念ながら、陳水扁時代の“負の遺産”を清算しきれなかった民進党は、選挙に敗れた。

しかし、その蔡英文女史が、ふたたび国民党に挑む台湾総統選が半年後に迫っている(総統選の投開票は、2016年1月16日)。李登輝氏が、あの新北市の総合競技場で訴えた「皆さん、どうか蔡さんに台湾の未来を託して下さい」という言葉の意味が、あらためて問われる選挙を迎えるのである。

私は、自分がいるパーティー会場にその李登輝氏が目の前にいることが少し、不思議な感じがした。朝の新聞(産経新聞)に台北から日本に向かう時に記者たちに「日本の国会の中(議員会館)で演説することに対して、中国が反発する可能性はありますか」と聞かれ、「私は客人であって、私を招いたのは日本の国会議員です。中国が反対するなら、それは皆に笑われるだけのことだ」と言ってのけたことが報道されていたのを思い出した。

日本の政治家が、与党も野党も、そしてマスメディアも、中国のご機嫌ばかり窺ってきた中で、李登輝氏は長くアジアで異色の政治家だったと言えるだろう。1988年に総統就任以来、本省人出身の初の総統として李登輝氏は孤軍奮闘してきた。

郝柏村や李煥といった国民党内の外省人の大立者をひとりひとり排除し、次第に本省人として「民主国家」を実現していく“静かなる革命”は、前例のないものだった。台湾と言えば蔣介石の白色テロ時代のイメージを持つ私たちジャーナリズムの人間には、それは大きな驚きだった。

そして、李登輝氏は92歳となっても、いまだに大変な“発信力”を持っているのである。パーティーに来る前におこなわれた国会議員たち約300人を前にした議員会館での「台湾パラダイムの変遷」と題した日本語による講演内容も、すでにパーティー会場に伝わっていた。

李氏は「戦後台湾を統治した中国・国民党政権は“外来政権”である」と指摘し、さらに「中国が自由化、民主化されるような日は、半永久的に来ないと思っていた」と明言したというのである。

講演を聴いた足でそのままパーティー会場に来た人も少なくなかった。私が注目したのは、講演で李氏が「“ひとつの中国”という原則について、われわれは決して同意できない」と語ったことだった。

李氏は、「あくまで台湾は、中国の一部ではない」ということを日本の国会のひとつの施設の中で明言したのである。講演後の質疑でも、「私は、(日本の)安全保障関連法案を高く評価する。日本が主体的に安全保障に対して意識を持つことが、アジア全体の平和につながっていく」とも、述べたという。

それは、長く中国の脅威と対峙してきた政治家ならではの感想だった。パーティーのスピーチでは、李登輝氏は、「我是不是我的我」という言葉の意味を語った。この言葉は、直訳すれば、「私は、私でない私である」ということである。

難解で、かつ、さまざまに解釈できる言葉だが、素直に受け取れば、自分は個人である自分ではなく、さまざまなものに尽くすために存在する、という意味だろう。

これは、李登輝氏が傾倒する日本の武士道が説く「無私の精神」と関連がある。李登輝氏はある雑誌で、後年にキリスト教に入信することで、「私とは何か」という問題に「一つの答えを見出せた」と語ったことがある。

それは、自分の命は、いつなくなっても構わない、台湾のために死力を尽くして働き、いかなる栄誉も求めない、これまでも、そして、これからもそうしていく――それが、「我是不是我的我」という言葉だと李登輝氏は言うのである。

人間が持つ「使命感」や「責任感」への思いが、いかに李登輝氏の内面に強いか、ということを感じさせる言葉だ。パーティーのスピーチでも、李氏はその言葉を語った。私は、3年半前の新北市の競技場に現われた李登輝氏の姿を思い出しながら、そのスピーチを聴いた。

私は、パーティーの最後に、これらを踏まえて、「他者のために生きた」大正生まれの男たち、そして李登輝氏について、個人的な考えをスピーチさせてもらった。そして、南シナ海をはじめ、さまざまな場所で現実の脅威となっている中国という存在についても、話をさせてもらった。

歴史的経緯も含めて、「尖閣は日本の固有の領土だ」と言いつづけた92歳の李登輝氏が、折も折、来日したことをどう受け止めるか。

そして、台湾で昨年起こった「太陽花学運(ヒマワリ学生運動)」によって、馬英九政権の中国への傾斜をストップさせた台湾の人々をどう思うか。彼らは、日本人以上に、大きな関心を持って、日本の安保法制論議を見守っている。

私は、さまざまな意味で、参議院では、現実に立脚した有意義な安保法制論議を国民の一人として期待したく思う。

カテゴリ: 中国, 台湾

日本は「台湾」を支えることができるのか

2015.02.05

台湾の霧社(南投県仁愛郷)で「桜の植樹祭」を終えたあと、私は台南と高雄で「二二八事件」の取材をおこない、昨夜遅く台北から日本に帰ってきた。

後藤健二さんがISによって殺害されたという痛ましいニュースに接したのは、霧社でのことだった。台湾でもニュースが流れ、衝撃を受けた。同じジャーナリストの一人として、後藤さんに心より哀悼を表したい。

さらに、昨日は、台北の松山空港で、金門島行きの復興(トランスアジア)航空の飛行機が墜落した。ちょうどその時間、私は基隆河にかかる大直橋をタクシーで通っていた。墜落現場は、そこから数キロ東の基隆河であり、おまけに「タクシーが巻き添えになった」と聞き、ひやりとした。

金門島行きの航空便は、拙著『この命、義に捧ぐ―台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(角川文庫)の金門島取材の時にいつも利用していたものだ。乗り慣れた国内便だけに、ニュースを聞きながら、他人事ではない気がした。

さて、霧社の桜の植樹祭は、2月1日に滞りなく終わった。私自身も、桜を1本、植樹した。前夜には、霧社の近くの廬山温泉に集まった参列者たちを前に、短い講演もさせてもらった。「歴史とは“無念”の思いの積み重ねである」という話である。

霧社には、蜂起したセデック族に惨殺された女性や子供を含む約140人の日本人の無念が、今もこもっている。日本軍と警察による合同の鎮圧部隊によって800人を超えるセデック族など原住民が討伐され、彼らの無念も、霧社には漂っている気がした。

1930(昭和5)年の事件以来、すでに85年が経過した。霧社ほど、その歳月の経過を感じさせてくれる地も珍しいだろう。その間に、山岳地帯にあるこの霧社が、大きな「変化」を遂げたからだ。

日本の敗戦で入ってきた国民党によって、事件の首謀者モーナ・ルダオは、一転、「抗日英雄」となった。霧社の中心部には、抗日英雄紀念公園があり、そこには、モーナ・ルダオを讃える「紀念碑」と「像」と「墓」があった。

一方、日本人犠牲者の殉難碑は、長い年月の間に完全に“消されて”いた。かつて日本人殉難碑の下には、日本人犠牲者の遺骨が眠っていた。殉難碑そのものが「墓地」でもあったのだ。

その日本人殉難碑は、やがて壊され、その上に今は白い建物が建っている。案内してくれた地元の人によれば、「殉難碑が壊された後、掘り返したら大量の骨が出てきた。それを埋め直して、上に建物をつくったのだ」と説明してくれた。

無惨というほかない。セデック族の蜂起によって、小学校の運動会の場で、集まった日本人は女子供の区別なく首を狩られた。そして、その遺体は一か所に集められ、葬られたのである。

しかし、1945(昭和20)年、戦争に負けた日本は台湾を去った。すると、前述のようにセデック族の頭目モーナ・ルダオが「抗日英雄」とされ、逆に日本人犠牲者の墓が「消された」のだ。私たちが植えた桜が満開の花を咲かせる時、無残に消された日本人犠牲者の遺骨は、それをどう眺めるのだろうか。

私は、そんな思いを抱きながら、霧社から下りた。そのまま私は、台南に向かった。台南で、1947年(昭和22)年に起こった「二二八事件」のある犠牲者のことを取材するためである。

そこには、日本人として死んだ、たった一人の「二二八事件」の犠牲者がいる。私は、その一家の5代にわたる日本への思いと絆を描きたいと思っている。

国民党独裁政権の下で、戦後の台湾人は、「価値観」も、「アイデンティティ」も、また「言語」さえも、完全に“分断”された。そして「留日」と呼ばれた日本で学んだ台湾人エリートたちは、徹底した弾圧を受けた。

今も拭えない「外省人」と「本省人」の深い溝は、そこに起因する。それでも、必死で生きようとする台湾人は、代を越えて、やっと自分たちの「価値観」と「アイデンティティ」を確立しようとしている。

しかし、それは同時に「中国との距離」が開くことを表わしている。外省人を支持基盤にする国民党が急速に中国共産党と接近をはかり、それを台湾人が阻止しようとする図式は、今後も続くだろう。

その意味で、来年の総統選は、今まで以上の激戦となり、さらに言えば、「台湾の運命」を決するものになるに違いない。

いま台湾は、観光地という観光地が中国人によって占められている。その光景が示すように、経済的に台湾は中国への依存度を年を追うことに強めている。もし、民進党候補者が総統になれば、たちまち中国は露骨な干渉に出てくるだろう。

台湾への観光客をストップさせるのか、あるいは台湾からの商品について関税をいじるのか。中国が台湾に嫌がらせをする手段はいくらでもある。中国が仕掛けてくる、そんな経済戦争に、いったい台湾はどう立ち向かうのだろうか。

その時、ポイントになるのは、「日本」である。すなわち日本が台湾にどう手を差し伸べ、どう根底から支えるのか。

安全保障上も、お互いが最も重要な地位にあることを、口にこそ出さないものの、お互いがよくわかっている。覚悟と友情を持って、日本は台湾を支えるべきだと、私は思う。

日本と台湾との“絆”を表わす、ある一家の「5代」にわたる日本への思い――「二二八事件」で無惨な最期を遂げた人物を軸に、ある「一家」の物語を、いつかノンフィクション作品として完成させたい。そんな思いが離れることがなかった台湾の旅だった。

カテゴリ: 台湾, 歴史

「日本」と「台湾」の切っても切れない縁

2015.01.31

いま台北にいる。明日(日付が変わったので本日)は、台中を経由して霧社(現在の南投県仁愛郷)に行く。1930(昭和5)年に「霧社事件」が起こった地である。事件から85年という気の遠くなるような歳月が経過したが、この地で2月1日に桜の植樹祭がおこなわれるため、私は、それに出席するためにはるばるやって来た。

霧社事件といえば、映画『セデック・バレ』でご存じの方もいるだろう。原住民のセデック族の頭目モーナ・ルダオが日本の支配に反発して蜂起し、激しい戦いの末に敗れ去った。

蜂起は、霧社の小学校の運動会の時におこなわれ、およそ140人もの日本人が殺害された。日本人が首を狩られる壮絶なシーンは、映画『セデック・バレ』を観た方には、強烈な印象が残っているに違いない。それだけに、私は恩讐を越えて、この植樹祭にこぎつけた方々に心からの敬意を表したい。

日清戦争で1895(明治28)年に日本が清朝から割譲を受けた台湾は、その後、激動の現代史を生きてきた。50年間にわたる日本の統治と、日本の敗戦による、その後の外省人による国民党統治の時代である。

戦後の台湾は、戒厳令下で自由に物を言うこともできなかった国民党時代と、1987年の「戒厳令」解除以後の李登輝時代、そして、その後の国民党と民進党との激しい闘いの時期に分けられる。

昨年の“ひまわり運動”で国民党政府を譲歩させた学生たちの立法院占拠事件は、7か月後の統一地方選の民進党圧勝の土台となった。来年に迫った総統選も、おそらく民進党が勝利するのではないか、と予想されている。

なぜ、香港の学生運動が敗れ、台湾では勝利したのか。そこには、中国と台湾の人権意識と言論の自由をめぐる、はかり知れない「差」が存在する。台湾の本省人たちが日本に好意を寄せる一方で、中国を毛嫌いする理由も、「人権」と「自由」に起因していることは疑いない。

今晩は、台北に在住する日本の新聞やテレビの支局長、ジャーナリスト、ビジネスマン、女性教師……等々といった多彩な方々が歓迎会を催してくれた。また、故司馬遼太郎に“老台北(ラオタイペイ)”と呼ばれた蔡焜燦先生も病を押して、わざわざ顔を見せてくれた。

ベストセラー『台湾人と日本精神』の著者である蔡先生は、この1月、満88歳になられた。台湾のなかでも、真の意味での「親日派(ご本人の言によれば“愛日派”)」といえるだろう。「最近、台湾には日本を懐かしんでやまない“懐日派”も出て来ていますよ」と、蔡先生の日本への変わらぬ厚情を聞かせてもらった。

中国が台湾の動向に神経を尖らせるのも、いつまで経っても、台湾のなかで親日派が圧倒的な数を誇っているからである。来年の総統選で民進党政権が発足すれば、親日勢力がさらに力を増し、ここのところ進んでいた「中台接近」へのブレーキもかかるだろう。

それを阻止するためには、中国は総統選で、なんとしても国民党に勝利してもらわなければならないのである。今、経済力で台湾をがんじがらめにしている中国は、国民党を支援するために、今後1年、露骨な経済攻勢をかけてくるに違いない。

台湾は、日本列島から沖縄、台湾、フィリピン、インドネシア……という中国が定めた「第一列島線」のど真ん中に位置する。逆にいえば、私たち日本人にとって、台湾は安全保障上も、極めて重要な位置にあり、いわば日本の生命線ともいえる“国家”なのである。

折しも、日本では、映画『KANO』が封切られている。台湾の嘉義農林が霧社事件翌年の1931(昭和6)年に夏の甲子園で準優勝を遂げる実話を描いた映画だ。

台湾人、原住民、そして日本人の「3者」で構成された同校野球部が、憧れの甲子園で準優勝を遂げるまで勝ち続けたのは、奇跡というほかない。そして、それが霧社事件の翌年であったことに、「歴史」と「運命」の不思議さを感じざるを得ない。

台湾の人々の日本への熱い思いに感謝し、日本人も台湾の「現状」と「今後」に、いま以上に関心を持たなければならないと思う。そして、彼らが必死で守ろうとしている「自由」と「民主主義」のために、できるだけの協力をしていきたいと思う。

だからこそ、2月1日に開かれる霧社での日本と台湾の原住民との恩讐を越えたイベントの意義は大きい。私も、日本と台湾の“永遠の友好”に思いを馳せながら、心してこのイベントに参加したい。

カテゴリ: 台湾

“反日教育”を受けた人民解放軍「青年将校」の怖さ

2014.05.25

台湾南部での取材を終え、今日、台北まで帰って来た。ネット環境が悪く、ブログも更新できないままだった。バシー海峡を隔てて遥かフィリピンと向かい合う鵝鑾鼻(ガランピー)と猫鼻頭(マオビトウ)という二つの岬を中心に台湾最南地域を取材してきた。

バシー海峡に向かって「南湾」と呼ばれる穏やかな湾を包み込む鵝鑾鼻岬と猫鼻頭岬――地元の言い伝えでは、「鵝鑾」は、台湾先住民のパイワン族の「帆」を意味する言葉が訛(なま)ったものであり、「猫鼻頭」は文字通り、岬の形が蹲(うずくま)った猫の姿に似ているところからつけられたものだという。

この二つの岬は、太平洋戦争末期、日本人の悲劇を見つめた場所でもある。“輸送船の墓場”と称されたバシー海峡で、多くの日本兵を満載した輸送船がアメリカの潜水艦や航空機の餌食(えじき)となった。

犠牲となった日本兵の正確な数は、今もわからない。だが、少なくとも十万人を超える兵士たちが、この“魔の海峡”で深く蒼い海の底に吸い込まれていったと言われている。

その犠牲者たちの遺体の一部が流れついたのが、二つの岬に囲まれた台湾最南部の海岸である。この地の古老たちにとっては、流れついてきた日本兵たちの遺体を運び、荼毘に付した経験は、70年という気の遠くなる年月を経ても、鮮烈な記憶としてまだ残っていた。

バシー海峡をめぐる壮絶な体験を持った人々のノンフィクションの取材は急ピッチで進んでいるので、ご期待いただければ、と思う。

さて、私がバシー海峡、そして南シナ海に向かう台湾最南端の地で取材していた時、東シナ海では、一触即発の事態が起こっていた。昨日5月24日、東シナ海上空で、自衛隊機に中国軍機が相次いで“異常接近”したのである。

それは、日本の防空識別圏に大きく踏み込む形で中国が昨年11月に一方的に設定した空域でのことだ。中国機は、日本の海上自衛隊機と航空自衛隊機に対して、それぞれ、およそ50メートル、30メートルまで「並走するように近づいてきた」というのである。

言うまでもないが、30メートルから50メートルまで近づけば、パイロットはお互いの顔がはっきりと見える。つまり、相手の表情を見た上で、「おい、やるか? やるならやってみろ」と、事実上、“喧嘩を売ってきた”ことになる。

幸いに自衛隊機はそんな挑発には乗らなかった。日本の防空識別圏に重なる形で中国は一方的に新たな防空識別圏を設定したのだから、中国にとってそこはあくまで「自国の空域」である。要するに彼らには、「日本が中国の防空識別圏に侵入してきた」という論理になる。

勝手に「設定」して、勝手に自国の領空(領海)だと「主張」し、そして相手には「有無を言わせない」。戦後、周辺国(周辺地域)と紛争を繰り返し、国内でも粛清と弾圧ですべてを支配し、さらにはここ10年で4倍に国防予算を膨張させた中国の面目躍如というところかもしれない。「政権は銃口から生まれる」という毛沢東の言葉通りの国家方針である。

中国の実質的な国防費は日本の防衛予算のおよそ「3倍」と言われる。世界のどの国よりも軍事大国化を押し進める中国は、「地域の現状を一方的に変える」ことに、いささかの躊躇もない。21世紀の現在、そんなことは国際社会では認められないが、世界中を敵にまわしても中国はそれを押し進めるだろう。それが「中国共産党」が持つ特性だからだ。

小野寺五典防衛相は本日、報道陣に対して「ごく普通に公海上を飛んでいる自衛隊機に対して、(航空機が)近接するなどということはあり得ない。完全に常軌を逸した行動だ」「中国軍の戦闘機には、ミサイルが搭載されていた。クルーはかなり緊張感を持って対応した」と、緊迫の状況を説明した。

それは、昨年1月、中国のフリゲート艦が東シナ海で海上自衛隊の護衛艦に火器管制レーダー(射撃用レーダー)を照射した事件を彷彿させるものである。だが、予想通り中国側は、即座に、そして激しく反論した。中国の国防部が、「中国の防空識別圏に“侵入”し、中ロ合同演習を偵察、妨害したのは日本の自衛隊機である」と発表したのだ。

両国の防空識別圏が重なる部分は、当初から航空自衛隊の関係者たちによって「ここが日・中の戦端が開かれる“Xポイント”になるだろう」と懸念されていたところである。実際にそれが現実になる「時」が刻一刻と近づいていることを感じる。

勝手に「自分の領土(空域)だ」と設定して、そこを力づくで「自分の領土(空域)」として実力行使をするのは、ベトナムやフィリピン相手の西沙諸島・南沙諸島での強引な資源掘削と建造物建設の実態を見れば、よくわかる。

日米安保条約第五条の規定によって、日本に対して “何か”をおこなえば、即座に米軍が乗り出してくることは中国もわかっている。それでも中国は「挑発をやめない」のである。

私が懸念するのは、人民解放軍の若手将校たちだ。彼らは、江沢民時代以降の苛烈な反日教育を受けて育った世代である。ただ日本への憎悪を煽る教育をおこなってきた影響は、彼ら青年将校たちにどの程度あるのだろうか。

中国の若手将校の動向が話題になることは少ない。しかし、ちょうど今週、アメリカ企業にハッカー攻撃を仕掛けたとして、米司法省が、中国人民解放軍の若手将校「5人」を産業スパイの罪で起訴したことが発表された。私にはこの事件が象徴的なものに見えた。

米司法省のホルダー長官の発表によれば、「中国人民解放軍の将校5人が、5つのアメリカ企業と労働組合にサイバー攻撃を仕掛け、機密情報を盗んだ。司法省は彼らをサイバー攻撃の疑いで起訴した。このハッカー攻撃は、アメリカ企業を犠牲にして、中国の国営企業など、中国に利益をもたらすために行われたものだ」という。

しかし、中国の外交部は例によって「中国は、アメリカによるサイバー攻撃の被害者である。これは捏造だ。中国は、アメリカに関連事実を説明し、行動を停止するよう求める」と反発した。何を指摘されようと、絶対に非は認めず、反対に「相手に罪をなすりつける」のが中国の常套手段だ。

彼ら若手将校は、肥大化する人民解放軍の中でもエリート集団であり、同時に「怖いもの知らず」だ。文革や貧困時代の中国を知らず、大国となって傍若無人の振る舞いをする中国しか知らない。

どの国でも青年将校は怖い。かつての日本がそうであったように、血気盛んな若手のエリート将校は、時として歯止めがきかなくなる場合がある。理想論を闘わせ、やがてそこに向かって突き進もうとする者が出てくるからだ。

今、中国は「日本が(世界の)戦後秩序を破壊しようとしている」と、世界中でキャンペーンを張っている。日本による「戦後秩序への挑戦」が、彼らのキャッチフレーズなのだ。彼らには、日本が本当に“悪”にしか見えず、それは“憎悪の対象”でしかない。視野の狭い若手将校がどんな考えを持っているかは、容易に想像がつく。

もともと中国国内のツイッターでは「敗戦国が何を言うか」「いっそ原爆を日本に落とせ」と、盛んにやり取りされている経緯がある。日中国交回復以後、3兆円ものODAを中国につぎ込み、さらには民間レベルでの「技術協力」によって、ひたすら中国のインフラ整備に力を注いだ日本。しかし、そのことを全く知らない青年将校たちの「時代」が中国に訪れていることを忘れてはならないだろう。

私はそのことに言い知れぬ恐怖を覚える。苛烈な反日教育には、史実にそぐわない一方的な“日本悪者論”に基づくものが数多い。それを真に受けた世代が、いま前面に出ているのである。

かつて日本の青年将校は、「アジアを解放する。有色人種をアングロサクソンの差別と支配からなんとしても解き放つ」という理想に燃え、そしてその過程で「自分たちには何でもできる」と思い込んでいった。

そんな理想の中で、いつの間にか、「自分たちがその欧米諸国と同じようなことをアジアに対しておこなっていた。ある時、私はそのことに気づきました」と、元山航空隊の元特攻隊員で、零戦搭乗員でもあった大之木英雄・海軍少尉が私にしみじみ語ってくれたことを思い出す。

自分たちの論理で、より過激な道を歩もうとする若手将校たちほど怖いものはない。「“小日本”に核ミサイルをぶち込め」という意見がネットで氾濫する中国で、徹底した反日教育を受けた人民解放軍の青年将校たちは、今後、軍をどう導いていくのか。

操縦桿を握っているのは、彼らエリート意識に溢れた青年将校たちである。何百回、何千回とつづいていく「スクランブル(緊急発進)」の中で、「いつ」「いかなる」不測の事態が勃発するのだろうか。

私には、そのことを考えると深い溜息が出てくる。多くの日本の若者の命を呑みこんだバシー海峡を見てきた直後だっただけに余計、そう感じるのかもしれない。平和ボケしたわれわれ日本人も、不測の事態への「覚悟」だけは持っておくべき時代が来たことだけは間違いない。

カテゴリ: 中国, 台湾

日台の“絆”と映画「KANO」

2014.05.20

台湾に来ている。次作のノンフィクションの取材のためである。明日(21日)からは南部の高雄、明後日からは、恒春より猫鼻頭(マオビトウ)に至る台湾最南端各地での取材となる。

太平洋戦争下、台湾とフィリピンの間に横たわる「バシー海峡」で亡くなった兵士たちにまつわるノンフィクションだ。しかし、今回も“時間の壁”にぶち当たって取材が苦戦を余儀なくされている。なんとか局面を打開したいものである。

昨夜は2年3か月ぶりに訪台した私を、メディアの台北支局長や在台ジャーナリスト、領事館員、あるいは自治体の駐在員たちが集まって歓迎の宴会を開いてくれた。

そこでは、次作のノンフィクションの話はもちろん、3月18日から4月10日まで続いた台湾学生による立法院占拠の話題に至るまで、さまざまな問題が俎上に上がった。

今年3月、日本の国会にあたる立法院を占拠した学生運動は、今後の政局に影響を及ぼす大きなものとなった。台北市・新北市・台中市・台南市・高雄市の市長と議会議員を改選する統一地方選が今年11月におこなわれるだけに、台北駐在の日本人たちもあの学生運動の選挙への影響がどの程度のものとなるのか、関心が非常に高いようだ。

そんな中で、話題が映画『KANO』に及んだ。今年の2月から台湾で上映されている人気映画である。昭和六年の夏の甲子園で見事準優勝を遂げた嘉義農林野球部の実話を映画化したものだ。

日本人、台湾人、原住民の三つの民族で構成される嘉義農林は、常勝ならぬ“常敗”のチームだったが、松山商業、そして早稲田大学という野球の名門で活躍した近藤兵太郎氏を監督に迎えて、めきめき腕を上げていく。

さまざまな出来事を乗り越えて甲子園の決勝まで駒を進めた嘉義農林は、決勝でこの年から3連覇を果たすことになる強豪・中京商業と激突。連投で指を痛めた嘉義農林の呉投手が血染めのボールを投げ続けるシーンはこの映画のハイライトと言える。

映画には、烏山頭ダムを建設し、嘉南一帯を有数の穀倉地帯に生まれ変わらせた技師・八田與一も登場する。その豊かな水がそれぞれの水路に流れ込む場面と全島制覇を成し遂げた嘉義農林を同時に描いた部分が斬新であり、感動的だった。

私は、ここまで日本の統治時代を前向きに捉えた作品は見たことがない。戦前の日本と日本人の凄さが、そのまま描かれた作品だったと思う。

私は、拙著『この命、義に捧ぐ―台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡―』(角川文庫)を取材していた5、6年前、「門田さんは嘉義農林のことを書くつもりはりませんか?」と台湾で持ちかけられたことがある。私が拙著『ハンカチ王子と老エース』(のちに『甲子園の奇跡』と改題。講談社文庫)で昭和六年の甲子園大会のことをノンフィクション作品として発表していたからである。

その時、すでに嘉義農林の当時の選手たちが若くして戦死したり、あるいは老齢で病死しており、ノンフィクション作品として描くことが難しいことを理由にお断りさせてもらった経緯がある。それだけに、映画『KANO』が、どのように当時を描いたのか、そこに関心があった。

折しも、中国が南シナ海一帯で周辺国との摩擦を繰り返している。そんな複雑な国際情勢の中で、制作者の魏徳聖氏はこの作品で何を訴えたかっただろうか、と思う。魏徳聖氏は、『海角七号』や『セデック・バレ』という話題作を次々発表している台湾ナンバーワンの映画監督である。

少なくとも、「日本なくして台湾なし、台湾なくして日本なし」ということに改めて気づかせてくれる貴重な映画であったことは間違いない。私は今日、取材の合間に映画『KANO』を観にいき、そのことを強く感じた。映画の後半では、映画館が観客のすすり泣きで覆われたのが印象的だった。

覇権主義と領土的野心を隠すことさえしなくなった中国に対抗する唯一の方法は、日本と台湾が強固に結びつくことである。そのために、この映画は多大な影響をもたらすに違いない。

私は、これを日本でも上映して欲しいと思った。多くの日本人が、ひたむきな日本と台湾の戦前の人々の姿に心を打たれるだろう。日本と台湾の“絆”が深まれば、中国も簡単には手が出せない。その意味でも、日本での一刻も早い上映を待ちたい。そんなことを考えながら、私は今日の午後、台北の映画館にいた。

カテゴリ: 台湾, 歴史

愛すべき隣人「台湾」の未来と「日本」

2014.03.25

昨日は、夜、姫路で講演があったので、途中、甲子園で明徳義塾(高知)と智弁和歌山(和歌山)の試合を観戦してから姫路に行き、講演のあと、地元の人たちと夜遅くまで飲んだ。結局、ホテルに入ったのは、もう午前1時近かった。

甲子園で観た明徳義塾と智弁和歌山の試合は、激戦だった。2002年夏の甲子園決勝の再現で、しかも甲子園初の監督「100勝対決」である。

甲子園での勝ち星が史上最多の和智弁・高嶋仁監督(63勝)と史上5位の明徳・馬淵史郎監督(42勝)という、合わせて105勝の名将対決は、試合前、両監督がはからずも「3点勝負」と言っていた通りの展開になった。

1対1で延長にもつれ込んだ試合は、和智弁が延長12回表にホームランで突き放すと、その裏、明徳がスクイズで同点に追いついた。そして、この回に決着がつかなければ再試合となる延長15回、和智弁が二死満塁と攻め立てたが、明徳はセカンドゴロでピンチを凌ぎ、その裏、今度は明徳が一死満塁からワイルドピッチでサヨナラ勝ちするという幕切れとなった。

延長戦での満塁の重圧は、言葉では表現しがたい「何か」がなければ凌げない。「精神力」や「球際(たまぎわ)の強さ」という言葉をもってしても、それを表わすことはできないだろう。最後に両チームの明暗を分けたのは、その「何か」だったように思うが、それはスポーツ・ノンフィクションも手掛ける私にとっては、永遠のテーマでもある。

私は、延長10回を終わったところで姫路に向かったため、あとはワンセグでの観戦となったが、画面から少しも目を離すことができなかった。久しぶりに“死闘”という言葉がふさわしい試合を堪能させてもらった。両チームの選手たちの日頃の精進に感謝したい。

昨日、私には、ずっと気になっていたニュースがあった。甲子園とはまったく関係がない海の向こうの台湾のニュースだ。中国と調印した「サービス貿易協定」の承認に反対する学生たちが台北の立法院(日本の「国会」にあたる)の議場を占拠して6日目となった3月23日夜、今度は通りを隔てて北側にある行政院(内閣)の庁舎に突入し、学生ら32人が逮捕されたのである。

非暴力での「立法院」占拠が、一部の学生によって「行政院」への突入に発展したのは、残念だった。政府に「強制排除」への口実を与えるからだ。しかし、大半は今も非暴力のまま、立法院とその周辺での座り込みをつづけている。

ことの発端は、中国と台湾が相互に市場開放促進に向けて調印した「サービス貿易協定」である。この協定によって中国と台湾が相互の市場開放を取り決めたのである。

しかし、台湾の人々に中身を開示しないまま秘密裏に結ばれた協定に反発が起こり、さらに議会で多数を占める国民党がこれを「強行採決」しようとしたことが、学生や民衆たちによる「立法院占拠」につながった。

その非暴力の座り込みをつづける中にいる台湾の若い女性がyoutubeにアップした映像が話題になっている。国会を取り巻く群衆をバックにした学生と思われる若い女性は、日本語でこう語りかけている。

「私は台湾人です。私は若いです。そして、この国の民主は、さらに若いです。台湾の民主は、私たちの親の世代の努力と犠牲で、ヨチヨチしながら成長してきました。この国の民主の歩みは、私たちの今までの人生でもあります」

そう語る二十歳前後と思われるこの女性は、民主的なプロセスを無視した協定が自分たちの未来の労働条件を悪化させ、就職機会を圧殺することを訴えている。映像はこうつづく。

「いま台湾はかつてない危機に直面しています。でも、この時代に生まれて、ここにいられる私たちは幸せです。われわれが抵抗をつづければ、この国の未来は変わり、新しい世界は開かれると信じているからです」

「現在、私は国会にいます。死にそうになっている台湾の民主のために、力を尽くそうと思います。世界中の人々にいま台湾で何が起こっているのかを知って欲しいと思います。もし、あなたも、民主が守られるべき価値があるものだと信じていたら、私たちと一緒にその価値を守りましょう」

淡々とそう語る女性の映像を見て、私は、初めて台湾を訪れた戒厳令下の27年前の台湾を思い出した。1987年2月、初めて訪台した私は、戒厳令下で民主化を求めるうねりのような若者たちの姿を見た。5か月後、実に40年近くつづいた戒厳令が、蒋経国総統によって解除になった。

戒厳令下では、いつ、どこで、誰が連行されても、わからない。実際に数多くの台湾人が虐殺された「二・二八事件」以降、夥しい数の台湾人が警備総司令部に連行され、家族のもとに二度と帰ることはなかった。中国共産党との国共内戦に敗れた蒋介石率いる国民党は、50年も日本の統治下にあった台湾を「思想監視」によってしか、治めることができなかったのである。

まだ戒厳令下だった1987年前半、共産党のスパイを通報した者には、700万元の報償が与えられることを告示した「共匪通報700万元」の貼り紙が地方の空港に貼られていたことを思い出す。

その戒厳令が、若者の民主への叫びによってついに「解除に追い込まれた」のが1987年7月のことだった。私は、「ああ、この女性は、あの時の若者たちの子供の世代なんだ」と思い至った。

たしかに戒厳令解除から始まった「台湾の民主」は、それから30年近くを経た現在、新しい局面を迎えている。それは、あの頃は想像もできなかった中国の経済大国化であり、まさにその中国に呑み込まれようとする台湾の現状である。

立法院を占拠した若者は、この協定をきっかけに馬総統の「年内訪中」「初の中台首脳会談」というシナリオへの恐れを抱いているのではないだろうか、と思う。実際にこの協定が抵抗もなく通っていたら、その可能性は極めて高かっただろう。

そして、その先にあるのは、「台湾の香港化」である。すなわち台湾の中国への隷属化にほかならない。つまり、今回の「サービス貿易協定」反対は、イコール「台湾の中国への隷属化」への反対であろう、と私は思う。

そのことを考えると、私は深い溜息が出る。中国と韓国が手を携えて日本に攻勢を強めている中で、台湾は、日本に尊敬と好意を寄せてくれている貴重な隣人だ。日本のことが大好きな「哈日族(ハーリーズ)」と呼ばれる台湾人をはじめ、これほど日本の「存在」と「立場」を理解してくれる“国”は珍しい。

あの東日本大震災の時に、わがことのように涙を流し、あっという間に当時のレートで200億円を超える義援金を集めて、日本に送ってくれたことも記憶に新しい。

その台湾で、いま「中国への隷属化」に対する学生と民衆の抵抗が始まっているのである。地図を見てみればわかるように「尖閣諸島」の情勢は、中国が台湾を呑み込んだ時に、大きな変化を見せるに違いない。

中国と台湾が、ともに尖閣の領有を主張し、アメリカが中国のロビー活動によって、尖閣を日米安保条約「第5条」の「適用区域ではない」と譲歩した時、尖閣は中国の手に落ち、さらに沖縄にも、激変が生じるだろう。

そんな歴史の狭間で、台湾の学生たちが、必死の抵抗を試みている。それでも、馬英九総統は、立法院とその周辺に集まる群衆を強制排除することには極めて重大な決断が必要となるだろう。

なぜなら、「民主国家」である現在の台湾では、非暴力の座り込みを強制排除すれば、さらに大きな民衆の反発が湧き起こることは必至だからだ。これが中国では、そうはいかない。言論と思想の自由がない共産党独裁政権の中国では、たちまち民衆は排除され、厳しい弾圧を受けるだろう。

考えてみれば、この「座り込み」こそ、中国と台湾の「差」なのである。将来、今回の座り込みが、その「差」を守るため、すなわち「民主」を守ろうとする歴史的な学生と民衆による行動だったとされる日が来るのだろうか。

「この時代に生まれて、ここにいられる私たちは幸せです。われわれが抵抗をつづければ、この国の未来は変わり、新しい世界は開かれると信じているからです」。果たして、このyoutubeを通じての台湾の若き女性の訴えは、どれだけの人々の共感を呼ぶだろうか。

戒厳令の解除へと導いた彼らの親の世代の奮闘をこの目で見たことがある私は、台湾という愛すべき隣人の動向を、心して見守っていきたいと思う。

カテゴリ: 中国, 台湾

金美齢さんの「花見の会」にて

2013.04.12

昨夜、恒例の金美齢さんの花見の会に出かけてきた。今年は桜の開花が早すぎて、すでに桜が散ってからの花見の会になってしまったが、今日はどんな人に会えるだろうかと思いながら、新宿御苑を一望できる金美齢さんのマンションに向かった。

いつも通り、溌剌とした金美齢さんに迎えられて部屋に入っていくと、WILL編集長の花田紀凱さんがおられて、私が今月号のWILLに書かせてもらった「仰天判決で日本からノンフィクションが消える」という記事の反響を伺った。

リップサービスもあるだろうが、反響は上々だそうだ。花田さんの話を聞きながら、私が知財裁判所で受けた判決のひどさを読者が理解してくれていることを感じた。

すると、政治家や新聞記者、編集者などのお客さんの中に、「本屋大賞」を受賞したばかりの作家・百田尚樹さんがおられることに気づいた。金美齢さんがさっそく私を百田さんのところに連れていってくれたのだ。

私と百田さんは、一昨年、太平洋戦争の「開戦70周年」を記念して週刊ポスト誌上で対談をさせてもらった関係だ。以来、1年4か月ぶりの再会である。

あの時は、『永遠のゼロ』の作者である百田さんと、戦争関連のノンフィクションを書いている私との対談だったので、大いに盛り上がった。今回、本屋大賞をとった『海賊と呼ばれた男』も、出光興産の創業者・出光佐三をモデルにした百田さんらしい人生観と歴史観がしっかりした素晴らしい作品だった。

久しぶりにお会いしたので百田さんと話し込んでいると、突然、そこに安倍総理が登場した。金美齢さんと安倍総理は以前から非常に親しい。昨年の花見の会でもお会いしたが、今回も北朝鮮のミサイル発射の危機がつづく中、忙しい中を縫って、顔を見せに来られたようだ。

連日の激務へのねぎらいの拍手が巻き起こる中で、安倍総理は、前日に台湾と結んだばかりの漁業協定について語った。台湾出身の金美齢さんのパーティーということもあるだろうが、北朝鮮のミサイルよりも台湾との漁業協定のことをスピーチするところが、いかにも周りに気を遣う安倍総理らしい。

私も、今回の漁業協定の意味は大きいと思っている。北緯27度以南から先島諸島北側までを日台の共同水域とした今回の協定は、事実上、尖閣諸島をめぐる中台の連携を「分断する」ものだからだ。

中国と台湾の両方が尖閣を「自分の領土だ」と主張するのではなく、一方がその主張を棚上げして漁業協定によって日本と「手を結んだ」のである。

すでに台湾の馬英九総統は昨年夏、尖閣問題で中国とは連携しないことを前提に「東シナ海平和イニシアティブ」を提唱しており、今回の日台の漁業協定締結は、中国にとって痛い。

さっそく中国外交部は会見で不快感を示したが、私は、李登輝・元総統が「われわれは漁業権さえあればいい。尖閣は歴史的に見れば、明らかに日本の領土だ」と発言していたことを思い出した。

民主党政権下では、その台湾側の本音も見通せず、日台関係さえも危機に陥っていた。安倍総理はスピーチで、自身も李登輝・元総統から「尖閣は日本の領土だ」という話を聞いていたことを明かした。

そのスピーチを聞きながら、安倍外交の基本である「自由と繁栄の弧 (the arc of freedom and prosperity)」が着々と進んでいることを感じた。これは言いかえれば“中国包囲網の構築”でもある。金美齢さんら多くの評論家、言論人を前に、安倍総理は、今回の日台漁業協定に対して「歴史的意義がある」とスピーチした。

日本が平和と民主主義を掲げて、アジアでリーダーシップを取ることができるかどうか。アジア各国の期待は大きい。民主党政権という書生のような政権に代わって、少なくとも、その価値を知る政治家が国家のリーダーとなっている意味は大きいだろう。

カテゴリ: 中国, 台湾

隣国との「真の友好」とは

2013.03.09

WBC2次リーグの初戦、日本-台湾戦は、試合時間が実に4時間47分に及び、日付が変わる直前までつづいたまさに“死闘”となった。

昨日のブログでも書いたように、延長10回、日本が中田翔(日本ハム)の犠牲フライで4対3と台湾を破ったが、試合のあと、両チームがお互いを讃え合う光景に象徴される“清々しさ”が東京ドームだけでなく日本列島を駆け抜けたように思う。

前回のWBC予選で、日本に勝利した韓国チームが、マウンドに韓国の国旗・太極旗を立て、精一杯戦った相手に対する敬意を感じさせない、なんとも言えない“不快感”が漂った時とは大違いだった。

日本と台湾は、アンケートをすれば、お互いの国を「好きだ」と答える人が両国とも75%を超えるという近しい関係だけに、スポーツの対戦にも爽やかさが感じられるのだろう。

激戦から一夜明けた今朝の産経新聞朝刊に、吉村剛史・台北支局長が、ほのぼのとする記事を「台北発」として寄せていたので紹介したい。

来年2月から、台湾の中学3年生用の「公民」の教科書に日本が台湾の人たちに向けて出した「感謝広告」が取り上げられることになった、というニュースである。これは、日本の交流協会(大使館に相当)の台北事務所が昨年3月、台湾の人々が震災の時に手を差しのべてくれた数々の支援に対して出したものだ。

実は、震災後、民主党政権は、各国の主要新聞に支援への感謝広告を掲載したが、最も多額の義援金を送ってくれた台湾を「対象外」にしていた。

中国に対する“いつも通り”の過剰な自己規制による遠慮だったのだろうが、そのことを申し訳なく思った日本人女性が「謝謝台湾計画」なるものを立ち上げて民間で資金を募り、2011年5月に台湾の主要2紙に感謝の広告を出した。

そして、その4か月後の2011年9月には、日本人の感謝の気持ちを直接届けようと6人の日本のスイマーが与那国島から台湾の蘇墺(そおう)までリレーで泳ぎ切り、「ありがとう台湾」という言葉を伝えて大きな話題となった。

今回、教科書に取り上げられることになったのは、さらにその半年後の昨年3月、交流協会が台湾への感謝を表わす広告やCMを台湾メディアに出した時のものだ。

今日の産経新聞の記事には、教科書に掲載されるその「感謝広告」の写真がそのまま載っている。宮城県石巻市の中学生らが、古タイヤを利用した手製の太鼓を打っている写真だ。

太鼓(古タイヤ)をたたくバチを持って右手を高く掲げた石巻市の中学3年生・伊藤祐汰君の凛々しい姿と、その横に「現在我很元気 台湾、謝謝你(僕は元気です。ありがとう台湾)」と大書された文字が目に飛び込んでくる。

一瞬で、はっとさせられる広告だ。被災地の感謝と頑張りがよく伝わるものである。世界のどの国よりも早く、かつ多額の義援金を送ってくれた台湾では、震災の時、小学生たちが自分のお小遣いの中から「日本の人たちを助けてあげてください」と寄付するほどの社会現象が生じたことは知る人ぞ知る。

背景には戦前の日本と台湾との関係や、1999年9月に死者2400人、負傷者1万人余を出した台湾中部大地震の際、日本の国際消防救助隊が地震発生の夜に、どの国よりも早く現地に救助に「駆けつけたこと」がある。

台湾の人たちは、そのことを今も忘れていないのである。「あの時、一番早く、そして大量の日本の救助隊の人たちが駆けつけてくれたことは忘れられません」と、私自身が台湾の人たちから何度も聞いたものである。

その台湾では、日本の大震災の時、馬英九総統自らがテレビ番組に出演して日本への援助を呼びかけ、たちまち莫大な義援金が集まった。日本の地震と津波のニュースを涙を流しながら見る台湾の人たちもあとを絶たなかった。

そして、ついにその台湾で日本の「感謝広告」のことが中学の教科書に取り上げられることになったのである。吉村支局長の記事によれば、「公民」の中の国際社会への関心の重要性を紹介する項目にこれが取り上げられるのだそうだ。

私はこの記事を読みながら、同じ“隣人”でも、子どもの時から、徹底的に日本と日本人を憎むような「反日教育」を施す中国と韓国のことを思い浮かべた。

子どもの頃から植えつけられた知識や感情から逃れることは、誰にとっても難しい。つまり、両国では「反日」はいわば国是であり、いくら草の根の交流を進めようと、最後にはこれが障壁となって「真の友好」を築けないのである。

教育によって、将来を担う子どもたちに「対立」と「憎悪」を植えつけ、煽り立てる国と、一方、子どもたちに「心の交流」と「助け合いの大切さ」を教える国――本当に「大切な隣人」を尊重し、そして「真の友好」とは何か、を私たち自身も忘れないようにしたいものである。

WBC2次リーグで両国の代表が激しい気迫でぶつかり合い、死闘を繰り広げた翌朝だけに、台北発の吉村支局長の記事が余計、心に染(し)み入るのかもしれない。

カテゴリ: 台湾

中国と台湾「2つのデモ」が示すもの

2013.01.14

中国広東省の地元紙、『南方週末』の記事が当局に改竄された事件で、中国、台湾双方でさまざまな現象が生じている。異常さを浮き彫りにしたのは、言うまでもなく中国だ。

当局への抗議デモが抑え込まれたり、このニュースを伝えるNHK海外放送のニュース番組が中断させられて画面が真っ黒になったり、あるいは、『南方週末』支持を表明した台湾の女優が北京で予定していた出版記念サイン会が中止にされたり……と、異常事態がつづいている。

一方、昨日のNHKニュースが、台湾でも約7万人(警察発表)が参加したデモが台北の中心部であったことを報じていた。こちらは、大陸とは違って、報道の自由がまだ存在しているだけに、興味深いデモとなった。

それは、最近、進んでいる中国関係企業による台湾のメディア買収に対する抗議デモだったそうだ。台湾の最大野党・民進党が呼びかけ、中国での言論の自由封殺への危機感から、予想以上に盛り上がったものだったという。

デモ参加者の声として、「経済も言論も、中国の顔色を窺うようになっており、恐ろしく思っている」、あるいは「中国にメディアコントロールされている香港のようになってしまわないか心配だ」というものが紹介されていた。

中国共産党のメディア支配、すなわち言論弾圧が海を越えて台湾に波及する懸念を台湾の人たちが持っていることがわかる貴重なニュースだった。

今回の一連の騒動は、スタートしたばかりの習近平体制、そして共産党独裁の実態を全世界に知らしめる絶好のニュースとなったのは間違いない。世界第二位の経済力を誇るまでに急成長した中国が、先進国とは全く異なる価値観の中に「ありつづけており」、そしてこれからも「ありつづける」ということを日本のメディアも、きちんと認識するべきだろうと思う。

日本のメディアは、中国を過度に恐れ、自己規制をおこなうところが多い。テレビ局は特にそうだ。それは、取材の申請など、当局に便宜をはかってもらう時に許可が出なくなるなどの報復を受けるからだ。

そのため、メディアは中国報道には自然と気を遣うようになる。それが次第に中国寄りの報道、すなわち中国のご機嫌を窺うようなものになっていく。

日本のメディアの人たちには、顕著な特徴がある。その「中国寄りの報道」が、「中国人」にではなく、「中国共産党」に好意的なものになっていることに気づいていないことだ。

中国人の大半は、人権を圧迫し、言論や表現の自由もない監視社会をつくり上げている中国共産党「独裁」体制を支持してはいない。早く民主国家に生まれ変わることを望んでいる人が圧倒的に多い。

しかし、日本のメディアには、日中の国交が回復したあの当時の幻想をいまだに抱き、「中国人」ではなく、それを圧迫する「中国共産党」に利する報道をつづけている。

だが、今回のように、中国が民主国家とはかけ離れた国であることを気づかせてくれる騒動が、時々、現われることがある。人権圧迫の実態や今回のような言論・表現の自由が抑圧されるような「わかりやすい」事態が勃発した時だ。

こういう時にこそ、日本のメディアには、「中国共産党」ではなく、「中国の一般の人々」をあと押しする報道とは何か、に気づいて欲しいと思う。

日本の代表的なメディアであるNHKは、中国にかかわるNHKスペシャルなどの力作を放映してくれる貴重なテレビ局だが、これは前述の中国側による露骨な嫌がらせを受ける危険性を持っている。

そのため、今回のようなニュースに対しては、極めて“緊張”しながらの報道を余儀なくされる。NHKの報道を見ていると、今回の問題では「論評」を避け、できるだけ「事実」報道に徹しているように思う。

中東に端に発した2010年から11年にかけての「ジャスミン革命」も、中国ではまったく大きな波とならなかったように、今回の問題も、すぐに終息するだろう。

以前のブログにも書いたが、中国共産党の党員8000万人が、12億の人民を「監視」する体制が完璧にでき上がっている中国にあって、共産党独裁の支配体制を崩すのは、ほぼ「不可能」といっていい。

ジャーナリストが影響力のある「抗議集会」や「住民運動」をやろうものなら、それが体制に影響を及ぼすようなものである時は、すぐに弾圧されて、拘束と拷問が待っている。

ジャーナリスト個人に意見を求めても、「私には何も言えない」「関係がない」という答えしか、公(おおやけ)には言えないのである。監視社会の“網”にかかれば、たちまち、自分と家族の生活、すなわち人生そのものを棒に振ることになるのだから、当たり前である。

住民を監視する共産党の末端組織「居民委員会」をはじめ、どの組織、どの集合住宅(マンション)にも、共産党員が目を光らせている。危ない芽は、“出た途端に”摘まれるのである。

中国と台湾で起こった言論の自由を守るための、ふたつのデモを見ながら、つくづく民主主義を守る根幹が、「言論・表現の自由」にあることを感じる。日本にできることは何か、ということを考えた報道を是非、メディアには期待したい。

カテゴリ: 中国, 台湾

台湾問題の談論風発

2012.02.05

昨日は、在台ジャーナリストの片倉佳史氏が早稲田大学で台湾問題の講演をするというので、聴きに行ってきた。片倉さんには今回の台湾総統選取材で大変お世話になったので、総統選後の分析・総括を是非、直接聴きたかったのである。

在台歴が15年になるという片倉さんの分析は、やはり非常に興味深かった。片倉さんは台湾の旅行ガイドなども手掛けているだけに、台湾の隅々まで行き尽くしている。台湾のあらゆる地に足跡を残している片倉さんならではの視点が面白かった。

人口2300万人に過ぎない台湾は、実は「多民族国家」でもある。台湾の支持基盤が北部の国民党、南部の民進党というのは広く知られているが、そこに客家(はっか)をはじめ民族ごとの投票行動を分析した片倉さんが、それによって勝敗が影響されたようすを詳しく説明していた。

中国に経済的に呑み込まれていく実態も具体的なエピソードで語ってくれたので説得力のある講演だった。馬英九総統は、当選後、台北の圓山飯店(グランドホテル)に中国投資を進めている台湾の経済人(「台商」と呼ぶ)を集めてスピーチし、その中で「日本企業と組みなさい」と盛んに勧めたそうだ。

大陸で事業展開している時、なにか問題が生じた際に日本企業と組んでいたら中国の “国内問題”ではなく日本を巻き込んだ“国際問題”になるから、「リスクを回避できるかもしれない」ということだろう。

いよいよ馬政権も“危機感”を感じながらも、いっそう明確な「経済の一体化を進める」ということなのだろう。焦点の中国と台湾の「政治的対話」がどういう形で始まるのか興味は尽きない。先週号の週刊ポストに〈台湾総統選 深層レポート〉を書いた私としては、時間が経つのも忘れる貴重な話だった。

実は、春節の期間中に私の事務所を訪ねてきたある中国人は、台湾に関して「おそらくびっくりするような特別扱いの方針を中国が打ち出して台湾の歓心を買い、馬英九を引っ張り込むだろう」と予想していた。

どんな特別扱いをするのだろうか、と聞いたら、その中国人は「たとえば、南京に台湾の特区をつくって昔の総統府もそのまま使わせるなどの破格の扱いを見せるのでは……」と語っていた。

国民党のプライドをくすぐり、台湾人も喜ばせながら、「統一」に向かっていろいろ進めていくという予測だ。とても一笑に伏すことができない話だけに恐ろしい。そうして結局は、台湾は何年後かに「中国」になっている、というわけである。

今日は、台湾に帰る前に片倉さんが私の事務所に寄ってくれたので、そういう情報も出し合って一杯やりながら談論風発となった。楽しく、有意義な時間だった。2012年は、いずれにしても内外ともに激動の年となることは間違いない。

私も、明日から東京を離れ、『太平洋戦争 最後の証言』の取材をおこないながらの地方での執筆となる。豪雪やインフルエンザなどに負けず、頑張りたい。

カテゴリ: 台湾

「台湾総統選」の深層レポート

2012.01.19

昨夜遅くに台湾から帰国し、「台湾総統選」の深層レポートを朝方までに仕上げて入稿した。今日は、昼に成田で講演があったので、そのまま講演に出かけてすぐ取って返し、朝入稿したばかりのゲラを夜、やっと校了した。

さすがにほとんど徹夜だったので、身体にこたえた。台北でも連日、夜は飲み会も兼ねた取材の連続で、そのまま帰国して執筆というハードなスケジュールだった。

台湾の将来、ひいては日本の将来にかかわる重要な総統選だったことを、記事を書き終わって、あらためて感じた。来週月曜発売の「週刊ポスト」に〈台北発「深層レポート」門田隆将〉として掲載されるので、是非、お読みいただければ、と思う。

今日の講演では、必然的に台湾総統選のことをかなりの時間を割いて話させてもらったが、皆さんが熱心に耳を傾けてくれた。やはり、政治家などより一般の人々の方が、よほど国の将来を心配しているように思える。

今回、訪台して驚いたのは、もはや台湾が中国の経済力なくして「自立して歩んでいくことはできなくなっている」と、多くの台湾人が思っていたことだ。90年代に外貨準備高で世界一を誇ったあの台湾は、一体どこにいったのか、と思う。

しかし同時に、熱狂の総統選が示したように、選挙で国のトップを選ぶという「民主主義の中にいる台湾人」を多くの中国人が羨ましく見ているのも事実だ。

人権が脅かされる共産党独裁の国で暮らす中国人が、総統選の当落で涙を流す台湾人たちの姿を羨望の目で見るのは当然だろう。台湾の人たちが、大陸を恐れるのではなく、逆に民主主義を大陸に“輸出”することができるか、今後の大きな課題になるのではないだろうか。

同時に私が感じたのは、中国の急速な台頭を必要以上に脅威と思う人たちが多いことである。日本も台湾も同じだ。特にマスコミには、その傾向が強い。たしかに、ここ10年は、ひょっとしたら中国が“わが世の春”を謳歌するかもしれない。しかし、それもせいぜい10年ほどだろう。

日本が高度経済成長以後も、長く豊かな生活水準を保ったようには、中国はいかない。長くつづく“一人っ子政策”によって、巨大国家・中国は人口構成が歪(いびつ)で、高齢者を支えるために、日本以上に若い世代の負担が大きくなっていく。

つまり、中国で社会の活力が長く続くことは極めてむつかしい。もっとはっきり言えば、中国の行き着く先は、「破綻」しかないのである。

その時、国家や社会を支えるのは、その国民が持つモラルや勤勉性など、“人間力”にほかならない。それぞれの国民にそれぞれの特性があるのは当然だが、日本人が多くの先輩たちが培ってきた人間力をその時、維持できているかどうか。

ふたたび日本がアジアをリードできる時代が来るかどうかは、そこにかかっている。今回の訪台は、私にそんなことをじっくり考えさせてくれる貴重な機会だったように思う。

カテゴリ: 台湾, 随感

台北「最後」の夜

2012.01.17

今日は、台北の最後の夜だった。日本から総統選の取材に来たのが12日(木)だ。東京で仕事が山積しているので、明日18日(水)に帰国する。

今日も民進党幹部や台湾の有力紙の政治部記者などに会い、意見交換や取材に走りまわった。さまざまな人に会うたびに台湾が今、大きな“岐路”に立っていることを感じる。

実は、本当に岐路に立っているのは、日本の方だと思うのだが、それに気づいていない日本人が多いのは情けない。

私が、台湾と台湾海峡を守った日本人、根本博陸軍中将のノンフィクション(「この命、義に捧ぐ」)を出版して間もなく2年になる。その間も台湾はどんどんと変貌を遂げている。

戒厳令下の80年代半ばに私自身が初めて来て以来、四半世紀という長い歳月が過ぎた。今も当時と同じように取材に走りまわっている自分の姿を考えると不思議な気もする。

そして、当時も今も変わらないのは、台湾という地の日本人に対する温かさである。政治や経済がいかに変貌しようと、それだけは変わって欲しくないと思う。

台湾が台湾のままでいて欲しいという日本人は多い。来週には、私の台湾総統選の特別レポートが出る。今回の総統選のウラで、どのようなことがおこなわれたのか、今後、台湾はどこに向かうのか。深層レポートにご注目ください。

カテゴリ: 台湾

“歴史の転換点”を見極めるために

2012.01.15

今日は、『台湾と日本精神』の著者で、台湾と日本をこよなく愛する“老台北(ラオタイペイ)”蔡焜燦さんに招かれ、食事会に出席させてもらった。内外の学者やジャーナリストが数多く顔を見せた圧巻の食事会だった。

ほぼ全員が民進党の蔡英文女史の敗北を残念がっていて、今更ながら蔡英文女史への期待がいかに大きなものだったかを痛感した。

食事会の主宰者である84歳の蔡焜燦さんは、蔡女史の敗北を最も悔しがったのではないかと思われるが、それでも意気軒昂で、かつ粋(いき)なスピーチをして参加者をほっとさせた。

私は、その後、総統選の裏舞台を知る人たちを取材し、夕方から夜にかけては、こちらの保守系の代表的な新聞である『聯合報』の編集局長(こちらでは「編集長」と呼ぶ)にも1時間半にわたって取材させてもらった。

夜遅くになって、林森北路の近くにある店で在台歴が28年になる『台湾通信』の早田健文氏らと落ちあって飲み会となった。それぞれに、それぞれ独自の選挙分析があり、取材を交えて激論となった。早田氏と私は、同じ年の同じ月の生まれで、付き合いも、もう30年近くになる。

20歳代でも、30歳代でも、40歳代でも、さらには50歳代になっても、それでも議論しているのだから、よくも話題が尽きないものだと、我ながら感心してしまう。

明日もいろいろと取材がある。“歴史の転換点”を見極める作業は、まだまだつづく。

カテゴリ: 台湾

「経済緊密」から「政治対話」の時代へ

2012.01.14

予想外の「大差」だった。本日おこなわれた事実上の一騎打ち「台湾総統選挙」は、与党・国民党の現職、馬英九総統(61)が野党・民進党の党首、蔡英文女史(55)を破り、再選された。

689万票と609万票。実に両者の間には、80万票もの差がついたのである。新聞報道では「僅差」が予想され、選挙戦終盤に盛り上がりを見せた民進党陣営が、戦後、長く政権を握ってきた国民党の厚い壁にハネ返されたことになる。

「陳水扁の汚職が今も尾を引いている……」。逮捕された前総統の陳水扁がもたらした失望は、今も有権者の投票行動に大きな影響を与えていた。

今日一日、台北市内で多くの有権者に取材をさせてもらったが、予想以上に、民進党離れは大きかった。その理由が汚職で失脚した「陳水扁」なのだ。「もう(民進党の)回復は無理かもしれない」。思わず、そんな弱気な発言も民進党幹部から漏れていた。

中国に対する接近戦略が有権者に支持されたことになり、馬政権の中国への依存は、ますます大きくなることが確実だ。「これは、台湾人民の勝利にほかならない。両岸(中国と台湾)関係を強化する政策が支持されたのだ」と、馬総統は勝利宣言。満面に笑みをたたえた馬総統の表情が印象的だった。

これで中台関係は、現在の「経済緊密」から「政治対話」まで一気に進むことが予想される。台湾は、馬英九圧勝を受けて、事実上の「中台統一」に歩み始めたのである。

アジアの親日国・台湾が「大陸への接近」を選択したことで、日本は安全保障も含め、東アジア戦略の根本的な見直しが必要になった。日本にとっては、国際政治の厳しい現実が突きつけられた歴史的な1日となったのである。

カテゴリ: 台湾

台湾総統選の「最終日」

2012.01.13

今日は台湾総統選の最後の日だった。明日は、投開票だ。台湾の命運、ひいては日本、そして東アジアの命運がかかる「選挙結果」が出る。

私は今日、国民党の馬英九、民進党の蔡英文女史の両方の選挙本部を訪ねて取材し、さらには最後の夜の両候補の訴えもこの耳で聞いた。

馬英九は台北市の中心・総統府の前で、蔡英文女史は新北市の中心部・板橋でそれぞれ大規模な集会をおこなった。この最後の集会を見る限り、民進党の蔡英文さんが、国民党の馬英九氏を圧倒しているように見えた。

「ドンスワン(当選)! ドンスワン(当選)!」と台湾語で絶叫する民進党支持者たちと、馬英九氏を応援しながらもどこか冷めた感じの国民党支持者たち――両極端の台湾人たちは、夜10時という選挙時間のリミットぎりぎりまで声を上げ続けた。

10万人以上の支持者が新北市の総合競技場を埋め尽くした蔡女史の集会は熱気に包まれていた。ステージに最後に登場したのは、李登輝・元総統である。

89歳という高齢とガン手術という障壁を乗り越え、「これが私の人生最後のお願いになります。皆さん、どうか蔡さんに台湾の未来を託して下さい」と必死に訴えるさまは、鬼気迫るものがあった。

支持者の中には、李登輝元総統の姿を見て、涙ぐむ人たちも少なくなかった。激闘の選挙戦は、こうして終わった。あとは、明日の選挙結果を待つばかりである。国のトップを国民が直接選ぶという台湾総統選の興奮ぶりは、いつ来ても圧倒されるばかりだ。

台湾国民がいったいどちらに自分たちの運命を託すのか。いつもながら日本の選挙とは比べものにならない熱気と情熱の中で、熾烈な選挙はついに終わった。

カテゴリ: 台湾

総統選レポートを台湾にて

2012.01.12

いま台北にいる。朝9時半発の羽田発の全日空便に乗り、台北市内の松山空港に昼過ぎに着いた。言うまでもなく、熾烈なデッドヒートを演じている台湾総統選の取材である。

国民党の馬英九氏と民進党の蔡英文女史との事実上の一騎打ちとなった今回の総統選は、どっちが勝つかメディアによって“まちまち”という大混戦の状態を呈している。

前回(2008年)の馬英九(国民党)vs謝長廷(民進党)という大差がついた総統選とは全く異なる僅差の選挙戦が、今もつづいているのだ。

矢も楯もたまらず、という表現が正しいかどうかはわからないが、とにかく自分の目で総統選を確かめるために私はやってきた。

到着後、午後4時半から、まず台北の日本人がつくる工商会で私の著書『この命、義に捧ぐ―台湾を救った陸軍中将根本博の生涯』にからんで講演会が企画されており、それをやらせてもらった。

台湾を救った根本中将のことについて、皆さんが実に熱心に聴いてくれた。やり甲斐のある講演だった。

その後、黄文雄さんや宮崎正弘さんといった台湾通の評論家たち、あるいは在台ジャーナリストの片倉佳史氏ともお会いし、選挙の裏話を夜遅くまで取材させてもらった。明日は、選挙の関係者や台湾メディアの記者たちにも会う予定だ。

「南部の民進党」と「北部の国民党」という図式は今回も同じで、両陣営とも一歩も引かない集票作戦を展開しているが、国のトップを国民の「直接投票」で決める台湾の活気を羨ましく感じた第1日だった。

カテゴリ: 台湾

辛亥革命100周年に思う

2011.10.10

今日、2011年10月10日は、辛亥革命の武昌蜂起から100周年という記念日である。10が二つ並ぶことから「双十節」と呼ばれるが、中華民国(台湾)にとっては、建国の記念日であり、100周年の今年は、特別の意味を持っていた。

台湾では本日、台北中心部の総統府前で、軍事パレードなどの祝賀行事が開かれたことがニュースで報じられていた。馬英九総統が中国に対して「民主国家の建設」を目指すよう呼びかける演説をしたそうだ。

前日(9日)には、中国の胡錦濤国家主席が北京での辛亥革命100周年記念大会で、台湾との「平和的な統一」を訴えていただけに、馬総統が「中国の民主化が前提」であることを強調したのは興味深い。

ちょうど先週木曜日(6日)、私は東京のホテル・オークラでおこなわれたこの中華民国の建国100年を祝うパーティに出席した。およそ2000人が集まった盛大なパーティだったが、そこで駐日代表の馮寄台氏が日本との関係を盛んに強調していたのも印象的だった。

私は本日発売の『Voice』に先月おこなわれた6人の日本人スイマーによる「日台黒潮泳断チャレンジ」のレポートを書かせてもらったが、日・中・台の3国の関係が微妙に変化していることをこのところ強く感じている。

わずか2300万人の台湾から、200億円という圧倒的な金額の義援金が寄せられたことなど、日本人も東日本大震災をきっかけに「台湾の存在」を意識することが多くなっている。先週、訪日して日本の経済人などと会見していった蔡英文・民進党主席は、日本との貿易で「関税撤廃」をすることなど、さまざまな提案をして帰国していった。

3か月後の来年1月、台湾では総統選がある。事実上、国民党の馬英九総統と民進党の蔡英文女史との一騎打ちである。この両者の戦いは、日本にとっても大きな意味を持つ。中国との関係強化か、それとも日本との関係強化か、二人が台湾をどこへ連れていこうとしているのか、日本人にとっても無関心ではいられない。

尖閣問題をはじめ、日本への圧力を次第に強めている中国が、大震災をきっかけに日台の関係が強固になっていることを不快に思っているのは確かだろう。1日に台湾海峡を航行する日本の船舶は、約300隻にのぼる。その台湾海峡が中国の“内海(うちうみ)”になるかならないかは、日本にとって安全保障上も極めて大きい問題だ。

私の事務所のすぐ近くには、辛亥革命を目指した孫文を支え、今のレートで1兆円もの経済的援助をおこなった梅屋庄吉の屋敷跡がある。この梅屋邸の2階で、孫文とのちに“国母”とも呼ばれる宋慶齢は、結婚式を挙げている。

辛亥革命は、この梅屋庄吉や宮崎滔天、山田良政・純三郎兄弟など、多くの日本人によって支えられて成功している。以来100年、日・台・中が歩んだ激動の日々を思うと、日本人がもっともっと中国と台湾、そして台湾海峡の行く末に関心を向けるべきでないか、とつくづく感じる。

カテゴリ: 台湾, 歴史

地道な活動をつづける台湾在住の研究者たち

2011.09.23

昨夜、台北から帰ってきた。台風15号の影響で成田便が欠航し、1日滞在が伸びた。思わぬ滞在延長により、忠孝東路の居酒屋で台北の青年実業家、大手紙の台北支局長、そして在台ジャーナリストの3人と飲む機会を得た。

さすが台湾の事情に通じた方ばかりだったので、いろいろ参考になる話を聞かせてもらった。話題になった中に、台北の南京東路と林森北路の交差点近くにある十四号公園(通称・林森公園)に明石元二郎・第七代台湾総督の墓にあった「鳥居」がもとの場所に戻されたという話があった。

長く総統府前の二二八公園(日本統治時代は「台北新公園」と呼ばれていた)に置かれていた明石元総督の墓前にあった鳥居が昨年十月、もともとの場所に帰ってきたというのである。それと共に、乃木希典・第三代台湾総督のご母堂の墓前にあったものとされてきた小さい方の鳥居も、戻されていた。

しかし、この日、私を宴席に招待してくれた台湾の青年実業家の説明によって、それは乃木将軍のご母堂のものではなく、明石総督に仕えた鎌田正威(まさたけ)秘書長のものと確定したことを教えられた。

私は驚いた。鎌田正威と言えば、台湾総督府で「この人あり」と言われながら、50歳という若さで悪性貧血により病死した人物だ。明石総督の信頼も厚く、その後の総督も鎌田を重用し、謀略活動も含め、さまざまな活動を展開した。

台湾総督府だけでなく、台湾軍(注・日本陸軍が台湾に置いた軍)にも、鎌田は強い影響力を持っていた。だが、志なかばで若くして病死したため、鎌田のことはほとんど本に書かれたことがない。

しかし、昨年上梓した拙著「この命、義に捧ぐ―台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡」に、私は鎌田正威のことを書いている(245頁~255頁)。香川県の坂出に生まれ、東大法学部政治学科を卒業して台湾総督府に入った鎌田は、その短い生涯を台湾のために捧げた。日本人と台湾人の区別なく、多くの関係者が彼の死を悼み、その能力と識見が失われたことを嘆いた事実を、私は取材の過程で知った。

根本博・元陸軍中将が台湾に密航し、金門戦争で勝利をもたらす陰で、私は、台湾総督府人脈が動いたことを「この命、義に捧ぐ」の中で詳述した。その中に登場する一人が鎌田に関係する人物であり、その人物が直接“根本密航”の支援に加わっていたことも書かせてもらった。

詳しくは拙著をお読みいただきたいが、その人物の墓前に建てられた鳥居が、70年以上を経て明らかになるとは驚きというほかない。歴史が日々、新しい発見によって変わっていくことを目の当たりにした思いがする。

1日台湾滞在が延びたお陰で、貴重な事実を教えてもらった。酒を傾けながら、私は地道な活動をつづける台湾在住の研究者たちの熱心さと探究心に頭が下がる思いがした。

カテゴリ: 台湾

台湾人の心を揺さぶった6人の若者たち

2011.09.19

感動のゴールだった。太平洋の大海原を望む台湾・宜蘭(ぎらん)県の蘇澳(すおう)。その地の豆腐岬と呼ばれるビーチに、「日台黒潮泳断チャレンジ2011」に挑戦した6人の日本人スイマーたちの姿が見えた。

東日本大震災に対して200億円を超えるダントツの義援金を寄せてくれた台湾に、泳いで感謝の気持ちを伝えたいという6人の若者が沖縄県の与那国島を2日前に出発、数々の困難を乗り越えてここまでやっと辿り着いた。

彼らを迎えに行くべく、数十人の台湾のスイマーたちが6人に向かって泳ぎ始めた。ビーチまで、あと200メートルほどの海面で、日台のスイマーたちが握手し、抱き合った。6人を守るように台湾のスイマーが一緒にゴールを目指す。

9月19日朝9時40分、ついに6人は海岸へ辿りついた。ビーチに歓迎のアナウンスと音楽が響き渡る中、蘇澳の小学生や中学生がドラムのような太鼓を叩き、大きな幟(のぼり)を振って、詰めかけた台湾の大人たちと共に、彼らの勇気を讃えた。

海岸は感動に包まれた。子供たちが「謝謝! 謝謝!」を連発する中、6人が松本彧彦(あやひこ)・チャレンジ実行委員長とがっちり握手し、歓迎の台湾の人々にもみくちゃにされた。6人のスイマー(鈴木一也、鈴木敦士、石井健太、山本晴基、清水雅也、山田浩平の各氏)が自らの肉体を通じて、日本人の感謝の気持ちを伝えた瞬間だった。

東北3県の知事の感謝のメッセージを携え、日本から台湾へ約110キロを泳いで渡ってきた彼らの行動に、逆に、台湾の人たちから「ありがとう! ありがとう!」という言葉がかけられた。

国連への加盟も許されない複雑な立場にある台湾。しかし、6人の若者は、そういう苦労の中にある台湾の人々へ、日本人の感謝の気持ちを確かに伝えたのである。

イベント終了後、私は台北に向かうバスに同乗させてもらうなど、1時間半にわかって彼らに取材をさせてもらった。そこには想像を絶する困難と障害があった。この壮挙の詳細は、近くレポートとして発表させてもらおうと思う。

カテゴリ: 台湾

黒潮に挑む若者の勇気と気迫

2011.09.18

東日本大震災への台湾からの「世界一の義援金」に対して、日本のスイマーたち6人が与那国島から台湾の蘇澳まで泳ぎ、その感謝の気持ちを伝えようとしている。彼らには東北3県の知事のメッセージも託されている。

参加した6人の中には、福島県相馬市出身のスイマーもいる。流れの激しい黒潮を横断する勇気と体力、150キロもの距離、サメの恐怖、さらには、台風による高波……。

さまざまな障害と闘わなければならない無謀なまでのチャレンジは、「日台黒潮遠泳チャレンジ2011」と名づけられた。大手マスコミの報道によって、広く両国の国民に知らされたこのイベントが、明日朝10時に台湾の蘇澳で決着する。

私はそれを見届けるために台湾に来ている。ほかにも、今年12月発売予定の「太平洋戦争 最後の証言」の 第2部「陸軍玉砕編」の取材が台湾の竹南という地であり、急遽、飛んで来たのだ。

無謀であろうと何であろうと、感謝の気持ちを伝えようとする若者の気持ちが素晴らしい。明日、このチャレンジをおこなった若者たちに取材し、あさっては、昭和20年のマニラ市街戦に投入され、九死に一生を得て生き残った台湾生まれの元兵士に取材する予定だ。

「太平洋戦争 最後の証言」の取材も、いよいよ佳境に入っている。若者たちの勇気と気迫に負けてはいられない。

カテゴリ: スポーツ, 台湾, 歴史

久しぶりに爽やかなニュース

2011.05.09

連休明けの今日、台湾の友人から、ある連絡を受け、爽やかな気持ちになった。大震災直後から、日本のことを最も心配してくれた台湾の人々に関するニュースである。

人口2300万人に過ぎない台湾で、世界中で圧倒的な額の日本への義援金が集まっている(現時点で160億円を超えている)ことは報道もされているので、多くの日本人が知っている。台湾の友人によれば、小学生までが自分のお小遣いの中から「これを日本のために使ってください」と出してくれているという。

しかし、菅政権は、アメリカや中国、韓国などの大手7紙に震災支援感謝の広告を出したが、台湾の新聞には出さなかった。お得意の「中国への配慮」というものである。圧倒的な160億円を超える義援金が集まった台湾を、感謝広告の対象から外したというのだから、さすが“軸”のない菅政権らしい行動である。

しかし、それを知った川崎市の女性がツイッターで「台湾にもお礼したい」とつぶやいたところ、全国から一挙に6000人を超える人々から2000万円近い賛同金が寄せられたという。そして、その賛同金によって、先週(5月3日付)の台湾大手紙「聯合報」と「自由時報」に日本人による感謝の広告が掲載されたのだ。

それは、日本語で「ありがとう、台湾」、中国語で「皆様の愛情に感謝します。私たちは永遠の友だちです」というメッセージが書かれた感動の広告だったという。 そのことに対する嬉しさと感動が、伝えてくれる台湾の友人の言葉からひしひしと伝わってきた。

メンツや建前だけの日本政府と違って、日本人の多くは、台湾人という温かい隣人に感謝をしている。こういう国難の時にこそ、本当の友人が「誰であるか」がわかるものだ。

それにしても、一人の女性のつぶやきによって、日本政府が伝えられなかった国民の本当の気持ちが「新聞広告」という形で示されたことは、素晴らしいと思う。「愛情に感謝します。私たちは永遠の友だちです」という言葉は、多くの日本国民の本当の気持ちだからだ。

私は昨年、受けた恩義に報いるために密航してまで台湾を救いに行った根本博・陸軍中将のノンフィクション『この命、義に捧ぐ』を上梓したばかりだ。同著は、ちょうど大震災の時に『為義捐命』という題名で、台湾で翻訳本が発売になっている。

根本中将が決死の覚悟で示したように、日本人は義を重んじる民族である。その日本人の本来の姿と気持ちが、時を経て、一人の女性のつぶやきから台湾の人々に示されたことは感慨深い。久々に爽やかな気持ちになる台湾からのニュースだった。

カテゴリ: 台湾

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