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辻井喬さんの「死」に思う

2013.11.29

福島での取材がつづいている。毎日、好天の福島だが、それでも朝夕の冷え込みは厳しい。福島市の市街地から見れば、西にある吾妻連峰の山々も、冷気を伝えるように頂上は雪景色だ。

そんな福島取材の中で、作家の辻井喬=本名・堤清二=さん(86)が亡くなられたというニュースが流れた。ご存じ、西武百貨店社長を務めるなど、セゾングループの創業者でもあった方である。

西武グループの基をつくり上げた父・堤康次郎氏との確執は有名だが、独自に“生活総合産業”を掲げてセゾングループを築き、不動産事業も組み合わせた多角化戦略は、経済界で大きな注目を集めた人物だった。

私は、そういう実業家としての堤清二さんではなく、作家としての辻井喬さんしか知らない。共通の知人がいて、二年前に辻井さんとは本郷の小さな飲み屋でご一緒させてもらったことがある。

その時、歳も、キャリアも、まったく比較にならない私のような“若造”の言うことに辻井さんは、耳を傾けてくれた。それは、驚くほどの腰の低さで、話をさせてもらう私の方が恐縮してしまうような態度だった。

私は、辻井さんの死を大変残念に思っている。それは、辻井さんが数多くの名作を生んでこられた作家というだけでなく、日本文藝家協会の「言論表現問題委員会」の委員長を務めておられたからである。

私も日本文藝家協会の会員の一人で、すでにノンフィクションの書き手として、文庫も含めると24冊の著作がある。まだまだ辻井さんの足元には及ばないが、しかし、これからも自分なりのノンフィクション作品を書きつづけていくつもりだ。

そんな中で、日本の言論と表現が実に「危うい状況にある」ことを私は辻井さんに理解してもらい、これを守る活動を日本文藝家協会の言論表現問題委員会の委員長である辻井さんを中心に是非、大きな流れにして欲しいと思っていた。

そのことで、辻井さんに改めてお話したい旨の連絡を差し上げたら、辻井さんは体調を崩されているということだった。

あれは今年の初夏だっただろうか。体調が回復したらお会いしたい旨の丁寧なお便りを頂戴した。辻井さんの体調が回復されたら、私はまたいろいろなことを話せていただくつもりだった。

「秋頃には」という内容だったが、東北の山々が紅葉から雪景色に変わるようになっても連絡は来なかった。その代わりに飛び込んできたのが、昨日の辻井さんの死を告げるニュースだったのである。

私は、福島で取材をつづけている中で接したそのニュースにショックを受けた。その時、すぐ思い出したのが、今年6月に90歳で亡くなられた憲法学者の清水英夫さん(青山学院大学名誉教授)のことだった。

清水さんほど、「言論・表現の自由」を重視した憲法学者はいない。清水さんの口癖は、「言論・表現の自由とその他の権利が対立した場合は、まず言論・表現の自由を優先して考えるのが憲法の保障だ」というものだった。

それは、民主主義が「言論・表現の自由」によってこそ担保されることを知悉(ちしつ)している清水さんならではの考え方と信念によるものだった。そのことは、私のデビュー作でもある『裁判官が日本を滅ぼす』の中でも、詳しく書かせてもらった。

政界が司法への介入を露骨に始めた1990年代後半から、司法は、政治家をはじめとする公人たちの「人格権」を驚くほど重く見るようになった。それは、メディアに対する高額賠償化現象につながり、やがては、一般人の「人格権」の声高な主張につながっていく。

耳触りのいい「人格権」というものが何より重視され、司法による「言論・表現への介入」が急速に進んでいく状況を、私は本郷の小さな飲み屋でも、辻井さんに話をさせてもらった。前述のように、辻井さんは、若輩の私の話にこちらが恐縮するような腰の低さで耳を傾けてくれた。

辻井さんには、日本文藝家協会の言論表現問題委員会の委員長として、この日本の「言論・表現」を守る最前線で闘ってくれると、私は期待していた。それだけに、辻井さんの突然の死が残念でならない。

ここのところ、私のブログでも大正から昭和初期に生まれた方々の訃報への感慨が多くなっている。今週は、中国が尖閣を含む東シナ海上空に「防空識別圏」を設定したこと等、大きなニュースが相次ぎ、これらに対する私の見解も書きたかったが、残念ながら、連日、夜中まで取材に追われており、なかなかブログを書く時間がとれない。

せめて辻井喬さんの死に対しては少し書きたいと思ってパソコンに向かった。貴重な文化人の死を惜しむと同時に、言論・表現の自由を守る闘いは、辻井さんや清水さんが亡くなった今となっては、「私たちの世代の責任だ」という思いを強くしている。

カテゴリ: 司法, 随感

人間が達する「境地」とは何か

2013.10.31

昨夜最終の新幹線で東京に帰ってきた。姫路、倉敷での講演だったが、今回の講演旅行の収穫は、倉敷で大原美術館を訪ねることができたことだ。地方に行く楽しみは、そこにある名所を訪れたり、そこでしか食べられないものを口にできることだが、今回は大原美術館で、“命の洗濯”をさせてもらった。

これまで取材では何度も倉敷に行ったことがあるが、いつも時間に追われて、大原美術館に入ることができなかった。恥ずかしながら、今回、初めて私は大原美術館を参観した。

入った途端、私は圧倒されてしまった。玄関を入ったところに、この大原美術館をつくるために奔走した地元出身の画家・児島虎次郎(1881年~1929年)の絵が掲げられていた。

『酒津風景』と名づけられた縦2・4メートル、横1・9メートルという大きな絵である。倉敷紡績の創業一族である大原孫三郎に生涯にわたって援助を受けた児島虎次郎は、20世紀初頭、ヨーロッパに留学をさせてもらい、大原美術館に収蔵することになるモネ、ピサロ、ルノワール、ドガ、ゴーギャン……等々の世界の名画を集めた。

最も有名なのは、エル・グレコの『受胎告知』である。児島は、1590年代に描かれたと言われる『受胎告知』を苦労の末、手に入れ、今の大原美術館の最大の目玉となっている。

1590年代と言えば、日本では豊臣秀吉の天下統一が成った頃である。その時代の名画を見出して、日本に持ち帰った児島虎次郎の慧眼(けいがん)には恐れ入る。だが、私はそれらの名画よりも、児島自身が描いた『酒津風景』の迫力に圧倒されてしまったのだ。

大正5年に描かれたこの絵は、倉敷の酒津(さかづ)という地の風景と、農民の父親と母親の間にいる天真爛漫な幼な子の表情が生き生きと描かれている。

自然と人間の調和を柔らかく包み込んで表現した、丹念で緻密な児島の筆づかいに、私はしばらくそこから動けなくなってしまった。大原美術館に収蔵されているヨーロッパのどの名画よりも、児島の絵は素晴らしかった。

もうひとつ、圧倒された作品がある。陶芸家の河井寛次郎(1890年~1966年)の作による「三色釉扁壺」である。大原美術館には、絵画だけでなく、陶芸品や彫刻なども展示されているが、その中にあった河井寛次郎の作品に目を奪われた。

三色釉扁壺は、昭和35(1960)年と昭和38(1963)年につくられたもの2つが展示されていたが、私には、その中で昭和35年につくられた方が強烈だった。

河井は昭和41年に亡くなっているので、この異彩を放つ壺は、亡くなる6年前の70歳という晩年の作品だ。茶、赤、緑の三色を配し、独特の形をした壺を観た時、私は「境地」という言葉を思い浮かべた。

ひとつの道を歩む人間は、人生のいつか「境地」というものに達したいと願っている。宗教者もそうだし、芸術家もそうだし、スポーツ選手もそうだろう。しかし、「境地」とは、そこに達したという「答え」もなければ、そのための「基準」があるわけでもない。

私は、この三色釉扁壺は、河井のほかの作品と明らかに異なっており、これこそが河井が達した陶芸家としての「境地」ではなかったかと思う。

新幹線で帰京する途中、“打撃の神様”川上哲治が93歳で亡くなったニュースが流れていた。私たちの世代にとっては、巨人V9を成し遂げた絶対的な大監督である。ご存じ、現役時代に「ボールが停まって見えた」という打撃の「境地」に達したとされる数少ない打者でもある。

私は、戦前の日本の野球についても著作があるので、川上が熊本工業から女房役の吉原正喜捕手と共に、東京巨人軍に入った当時の野球界のことも多少、知識がある。当時の巨人のエース沢村栄治、そしてこの吉原正喜捕手も、戦争で命を落とした。

剛速球投手のスタルヒンや、のちの打撃の神様・川上は、過酷な戦中を生き抜いて戦後の野球界の発展に力を尽くしたのである。

今日、ワールドシリーズでレッドソックスの抑えの切り札・上原浩治が、見事に9回表を三者凡退に抑えて、ワールドシリーズ優勝を成し遂げた。

今日は、緊張からか、スピードとキレが今ひとつだったが、それでもウイニングショットになった最後のフォークボールは、とても打てるような球ではなかった。思わず「さすが!」と声を挙げてしまった。

ここにも「境地」を目指す人間の姿があった。それぞれの世界、それぞれの分野に、努力と精進で「上」を目指す人たちがいる。それを成就させるのは、どんな人間たちなのだろうか、と思う。

それは、私が追うノンフィクションのテーマのひとつでもある。執念、気迫、努力……どれが欠けても成し遂げることはできない。人間が達する「境地」とは何か。さまざまな道を極めた人たちの話をお聞きして、私もその答えを作品上で出してみたいと思う。

カテゴリ: 随感

団塊の世代の「功と罪」

2013.10.25

出張つづきだったが、久しぶりに東京にいる。台風の影響で、東京も朝から雨が降りつづいている。台風が相次いで来襲し、相変わらず日本は異常気象に痛めつけられているようだ。中国の環境汚染をはじめとして、地球規模のオゾン層の破壊などに対して、あらゆるところに自然の怒りと歪みが出ているように思う。

東京を留守にしていたので溜まった新聞や雑誌の記事をチェックしていたら、面白いコラムに出会った。先週の10月20日付の「産経抄」である。

中国で、今は60代となった文化大革命の時の紅衛兵たちが当時の罪を懺悔(ざんげ)する報道が相次いでいることを捉えたものだ。しかし、それらの報道は、中国共産党の改革派系の新聞ばかりで、それらは毛沢東路線への回帰の動きを見せる習近平政権を牽制する狙いがある、というのだ。

産経抄は、さらに日本に話題を転じ、こう書いている。「(紅衛兵世代が)形だけとはいえ謝罪したというのなら、日本にも謝ってほしい人たちがいる。“全共闘”のメンバーもそうである」。

紅衛兵と同じく日本の全共闘のメンバーも謝罪すべきだと、産経抄はこう主張するのだ。「昭和40年代の大学紛争で、キャンパスを封鎖して“一般学生”の勉学の自由を奪い、ゲバ棒を振り回す。“団交”の名で学長や学部長をつるし上げた」。

「彼らも同じ60代を迎えた。“被害者”たちに対しどんな思いを持っているのだろう。こちらも“若気の至り”では済まされないはずだ」。

もっともである。彼(か)の国で同じ世代である元紅衛兵たちが懺悔するなら、団交、団交を繰り返して、勉学に励もうとした多くの学生たちの“学びの場”を奪った日本の全共闘メンバーが「懺悔」してもおかしくない。産経抄らしい、ピリリと辛いコラムである。

日本の全共闘世代とは、団塊の世代と重なる。終戦後のベビーブームで生まれた人たちだ。彼らは、大学生となった時、キャンパスで暴れまわる“全共闘世代”となり、今も、酒が入るとそのことを自慢する人は少なくない。

私は、産経抄をその通りだなあ、と思いながら読んでいると、その上に、作家の曽野綾子さんの人気エッセー「小さな親切 大きなお世話」が載っていた。

その中で、曽野さんは、戦後の大新聞による「言論の弾圧」の時代に触れていた。朝日・毎日・読売などの大新聞が、こぞって「親中国・親北朝鮮」だった頃のことだ。

曽野さんによれば、それらの国に批判的な記事を書くと、個人的な署名原稿でも拒否されて紙面に載らなかったそうだ。その時代はかなり続き、曽野さんは、それを「戦後の大新聞による言論の弾圧であった」と記述している。

私は、今でも一部の新聞には、その時代が続いていることを思いながら、これを読んだ。あの全共闘全盛の時代に青春を謳歌した人々が、中国・北朝鮮シンパから離れられず、その後の中国や北朝鮮を見ても、なかなか“現実を直視できない”ジャーナリズムとして突っ走っている有り様を考えさせられた。

「強制連行」「女子挺身隊」に対する致命的な認識不足と取材不足で始まった従軍慰安婦問題などは、明らかにその延長線上にあるものだ。

私は、つくづく団塊の世代の「功と罪」を考えた。高度経済成長の中、天下泰平の時代を迎え、昭和元禄とも呼ばれる一方で、長引くベトナム戦争に対する反戦運動や、各大学の学費値上げ阻止闘争など、社会全体が混沌とした状態を呈していたあの時代に青年期を過ごした人たちの「功と罪」である。

私は、いまは60代以上となっている彼らのパワーそのものは、素晴らしいと思う。果たして、今の日本の若者にこのパワーがあるのだろうかと、ふと考えてしまうほどのバイタリティを持っていたのは、確かだと思う。そして、この世代はフォークソングをはじめ、感性豊かな文化も創りだした。

だが、罪も大きい。産経抄がはからずも指摘したように、一般学生の勉学の自由を奪い、ゲバ棒を振り回し、“団交”の名で学長や学部長をつるし上げただけでなく、ついには、連続企業爆破事件など、最も大切な人命まで蔑(ないがし)ろにする爆破テロまでおこなう者まで現われた。

私は、団塊の世代の「功と罪」とは、同時に戦後ジャーナリズムの「功と罪」を考えることだと思う。現在もつづく“反日亡国論”への系譜を理解し、日本の社会が抱えるさまざまな問題点を浮き彫りにするためには、この「時代」が、そしてこの「世代」が持っていた“独特のもの”を考察する必要があると思う。私は、産経抄を読みながら、そんなことを考えていた。

カテゴリ: 随感

高齢化社会と福島への“Iターン”

2013.10.12

東京を離れ、福島県の浜通りで取材を続けている。昨日は、毎月11日の月命日におこなわれる福島県警による津波の行方不明者の捜索があった。

大震災から2年7か月経ったが、福島の浜通りでは、現在も207人が行方不明のままになっている。浪江町や双葉町では、いまも放射能による「避難指示」が解除されておらず、この月命日の捜索が遺体発見への一縷(いちる)の望みとなっている。

昨日、私は南相馬市内の仮設住宅に、ある人物を訪ねた。私自身の大震災の取材もすでに2年以上になったことを思うと、時の流れの速さを感じる。昨日の仮設住宅でも、住んでいる方はお年寄りが多く、浜通りはもちろんだが、全国のさまざまな地域が抱える高齢化問題が凝縮されているように思えた。

今朝もTBSの「サタデー ずばッと」で、前回のブログで触れた徘徊老人の列車事故で管理責任を問われた家族に720万円という賠償請求「全額」が認められた裁判と高齢化問題が取り上げられていた。

厚生労働省の「人口動態統計」によれば、今年、65歳以上人口が25.1%で「4人に1人」が高齢者となったそうだ。50年後には39・9%、すなわち「2・5人に1人」が高齢者となり、生産人口は50・9%と人口の半分に過ぎなくなるという。

しかし、ここ浜通りに限らず、地方ではとっくに高齢者人口が「2・5人に1人」を超えているような気がする。少なくとも昨日、私が訪ねた仮設住宅では、「2人に1人」は、高齢者ではないだろうか。

私の生まれ故郷の高知は、福島よりも高齢者人口の比率が高い。65歳以上の人口が全体に占める割合のランキングは全国3位で、福島県は22位だ。笑い話のようだが、80歳以上の人口が多い高知では、「老人会に“青年部”」があり、70歳前後は、「まだまだ“若者”」と言われる。

来たるべき超高齢化社会を考えると、「高齢化」と「幸せ度」がリンクしない限り、日本の社会の活性化はないような気がする。いま、ちょうど団塊の世代が65歳以上になってきているが、この層がどう動くかが、日本の将来を占うことになるのではないだろうか。

“Iターン”という言葉がある。もともと田舎で生まれ、都会で過ごしていた人間が自分の故郷に帰ることは“Uターン”というが、Iターンとは、都会で生まれ育った人間が田舎に行って生活するようになることを指す。

また、Jターンというのもある。これは、生まれ故郷そのものへ帰ることはできないが、生活の便利さ等を考えて、その近くの町まで帰ることだ。「J」という文字は、完全に故郷へ帰る「U」という文字の途中の形をしているということから名づけられたらしい。

Iターン、Uターン、Jターンと言葉は異なるが、老人会に入れば“青年部”になるような層をいかに「都会から田舎に」移動させることができるかがこれからの日本の鍵を握っているのである。直近では、すなわち「団塊の世代」の動向がポイントということだ。

私は南相馬に来る時、いつもホテルの確保に苦労する。除染をはじめ、さまざまな仕事に来ている人で、宿はいつも満室なのだ。日本中が復興を望む福島の浜通りには、巨額の復興資金が投入されているし、65歳以上の人々の力を借りたい分野がいくらでもある。

高齢者ばかりが目立つ仮設住宅をまわりながら、福島の浜通りに団塊の世代が数多く移住して来たら、復興がどのくらい進むだろうかと、どうしても考えてしまう。仕事をリタイアした人たちには、福島の浜通りは「あなたたちを待っている」ということを是非、お伝えしたい。

カテゴリ: 随感

“春まだ遠し”の寒気の中で

2013.03.03

猛吹雪で立ち往生した車の中で、母子4人が一酸化炭素中毒で亡くなるという痛ましい事故が北海道で起きた。ほかにも吹雪の中で車が雪に埋まり、歩いて脱出しようとしたが、行く手を阻まれ、父親が9歳の娘に覆いかぶさってその「命」を守り、自分は凍死するという悲劇もあった。

北海道を覆うこの寒気は、凄まじいばかりだ。東京も3月に入ったのに、相変わらずの寒さがつづいている。“春一番”が吹き始める時期だが、実際はまだ「冬」そのものだ。

そんな中、昨夜、新宿で大学(中大)の卒業30周年を記念したクラスの同窓会があった。西新宿7丁目の『華王飯店』という中華料理屋は、ご主人が中央大学出身の台湾の方だ。

日頃親しくさせてもらっているので、この日の集まりにも利用させてもらった。出席者は20名あまりだ。さすがに卒業して30年も経つと連絡がとれないクラスメートも多く、とることができた仲間だけが集まったのである。

卒業後、初めて会う人間が何人もいて、積もった話に花が咲いた。年齢でいえば、みな50代前半。かつての“紅顔の美少年”たちも、白髪だらけだったり、禿げあがっていたり、すっかり年齢相応の姿になっていた。

クラスの担任だった中国語の佐藤富士雄教授も顔を見せてくれて、大いに盛り上がった。聞けば、2年後には退官されるとのこと。さっそく退官に合わせて記念の会を持つことも決定した。

二次会は、野球中継をやっている店に行った。もちろん、目的はWBCの初戦・ブラジル戦だ。同窓会で盛り上がりながら、同時に、中継の観戦にも力が入った。侍ジャパンは、相変わらずの貧打だったが、なんとか終盤で逆転し、勝利を挙げた。

3日前のブログにも書いたように、侍ジャパンは大きな不安を抱えたまま大会に突入してしまった。好調な打撃を維持する3番・内川を軸に是非、日本得意の機動力野球を展開して欲しいと思う。

日本の「3連覇」を阻止するために、本場アメリカも必死だ。世界一の座をめぐって意地とプライドが激突するこの闘いは、今月下旬、アメリカのサンフランシスコで決着がつく。

しばらく侍ジャパンから目が離せない日々がつづきそうだ。同窓会とWBC――春まだ遠しの東京・新宿で中年男たちのボルテージは夜遅くまで上がりっ放しだった。

カテゴリ: 随感

「二・二六事件」記念日と第12旅団

2013.02.26

今日は、昭和11年に起こった二・二六事件から77周年にあたる記念日だった。二・二六事件とは、皇道派の青年将校たちに率いられたおよそ1500名の兵士が首相官邸など帝都・東京の主要施設を襲った近代日本最大のクーデターである。

77年前とは打って変わった晴天のこの日、私は、群馬県榛東(しんとう)村の相馬原(そうまがはら)駐屯地に司令部を置く東部方面隊隷下の第12旅団にお邪魔した。

朝9時に新宿を出た私は、昼には同旅団司令部に到着し、午後、同旅団の体育館で講演をさせてもらった。私がここで講演をさせてもらったのには、理由がある。

2011年3月、東日本大震災の折、第12旅団は福島県に災害派遣され、3月12日から6月24日までの106日間、福島県内で遺体収容や避難援助、生活支援等々の活動にあたった。その間に津波等による震災の犠牲者360遺体を収容している。

瓦礫と泥、そして放射能汚染の中で、変わり果てたご遺体を3か月以上にわたって捜索しつづけた同旅団の地道な活動は知る人ぞ知る。その旅団に、旧知の富樫勝行旅団長がいることもあって、わざわざ私が講演に呼ばれたのである。

福島、災害派遣、自衛隊……これらを考えれば、最新刊の『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』、そして昨年完結した『太平洋戦争 最後の証言』シリーズ(全3巻)は、彼らに極めて「関係が深い」ものだったかもしれない。

太平洋戦争の最前線で戦った兵士たちと、原発事故の現場で原子炉建屋に突入を繰り返した人々には、「使命感」と「責任感」が共通する。震災時、福島県全体に展開し、多くの支援と捜索活動を繰り広げた第12旅団の隊員たちもそれは同じだ。

そのことを前提に、戦争と震災、原発事故と日本人の生きざまについて、多方面の話をさせていただいた。夜は、引きつづき旅団幹部との飲み会もあり、談論風発、さまざまな分野の話に花が咲いた。

災害時には国民の生命を守り、有事の際には国土を守るために黙々と働く彼らの使命感と責任感――私にとっては、逆に教えられることの多い、そして印象深い「一日」となった。

カテゴリ: 随感

今年も“福島通い”がつづく

2013.02.15

今日は、福島と郡山で講演があった。原発事故を中心に、いろいろ話をさせてもらった。郡山は、拙著『この命、義に捧ぐ』の主人公である根本博・陸軍中将の故郷である旧岩瀬郡仁井田村に近い。

その縁で、原発事故だけでなく根本中将の話をさせてもらった。福島の人というのは、つくづく歴史の節目で重要な役割を果たすことが多いと思う。今年の大河ドラマ『八重の桜』は会津が舞台だが、筋を通し、自分の生きざまを貫くのは、福島の人に共通する。

そんなことを考えながら、2か所で講演をさせてもらった。根本中将は、敗戦後、蔣介石に受けた恩義を返すために東シナ海を渡って台湾に赴き、金門戦争に身を投じて台湾を救った。

今回の原発事故では、福島・浜通りの男たちが吉田昌郎・福島第一原発所長のもと、何度も原子炉建屋に突入し、チェルノブイリ事故の「10倍」もの規模になるはずの未曾有の事故を多くの犠牲を払いながら、ぎりぎりで止めている。

日本が岐路に立った時、なぜか歴史の要所要所に、福島の人が現れるのである。『八重の桜』も、幕末から明治へつづく激動期、日本の古き伝統や秩序、義理……さまざまなものを守るために踏ん張った会津の人たちの物語である。

私は、ふと、あの福島第一原発事故は、「福島の男たちでなければ防ぎ得なかったのではないか」という思いに捉われた。福島の人々の血の中に流れる「何か」が、あの最悪の原発事故の中で「日本を救った」のではないか。そんな思いがしたのである。

私は、次々作でも福島が舞台の物語を描きたいと思っている。今年も私の“福島通い”はつづきそうである。

カテゴリ: 随感

故郷・高知にて

2013.02.12

昨日は建国記念日だった。故郷・高知に講演で招かれ、「歴史に学ぶ“誇りある日本人”」というテーマで、話をさせてもらった。

拙著『太平洋戦争 最後の証言』第1部から第3部(完結編)でお会いした戦争の最前線で闘った元兵士は、140人を超える。その中の何人かを取り上げ、大正生まれの戦死者200万人の思いをお話させていただいた。

老兵たちの実際の証言がどんなものであったのかを具体的に話させてもらったので、途中、会場が涙に包まれた。亡くなっていった当時の若者の思いと無念は、後世の人間が忘れてはならないものだと思う。

今日は、帰りの飛行機まで時間があったので、甲子園出場が決まっている母校・土佐高校の練習を観させてもらった。アベック出場する高知高校の練習も観に行きたかったが、練習時間の関係で観ることができなかった。

低迷のつづく四国の高校球界。すっかりシニア出身の球児たちの独壇場になった感がある高校野球界で、かつての“野球どころ”の意地を見せて欲しいものである。

ここまで書いた時、北朝鮮が核実験をおこなった可能性が高いというニュースが流れ始めた。多くの専門家が、「ついにやったか」という思いでこの報に接しているだろう。

中国と北朝鮮を抱える極東の安全保障は、もし、今回の核実験が成功したとしたら、大きく変貌を遂げることになる。それは、これまで当ブログで繰り返し書いてきたように「核弾頭の小型化」と「起爆装置の開発」へと、その“段階”が進むからだ。

言うまでもなく、それらが「成功」した時は、もはや北朝鮮の暴走を誰も止められなくなる。交渉すら困難なものになるだろう。徐々に全貌を現わす北朝鮮の金正恩体制は、日本の存続を脅かす極めて「怖ろしい存在」であることを改めて突きつけている。

「北朝鮮」を交渉カードのひとつとして持ち、資本主義陣営への「牽制」と、自らの力を誇示する「材料」にしようとする中国の習近平体制は、さらに厄介な存在だ。

日本は自らの存続をめぐる渾身の闘いをいやでも展開しなければならなくなった。平和ボケした民主党政権が退場したとはいえ、安倍政権も綱渡りの判断を迫られるようになるだろう。安倍総理の手腕を、じっくり見てみたい。

カテゴリ: 随感

激動の2012年への惜別

2012.12.31

今年もあと数時間となった。家族と一緒に大晦日の今日、大掃除に追われた。年末ぎりぎりまで忘年会がつづき、肝心の新年を迎える準備がなかなかできなかったのだ。

それにしても、さまざまなことがあった1年だった。民主党政権の迷走がつづき、日本の国際的な地位はさらに低下し、震災からの復興も進まず、景気は低迷した。

12月の総選挙では、その民主党が大惨敗を喫した。自公政権の復活という“かつての枠組み”で安倍政権が生まれ、日本は新たな道を模索することになったのである。

私個人は、今年、単行本2冊と文庫本1冊を出させてもらった。思い出深いのは、『太平洋戦争 最後の証言』シリーズが完結したことだ。小学館から、第1部「零戦・特攻編」、第2部「陸軍玉砕編」、第3部「大和沈没編」を刊行し、大正生まれの90歳を前後するご高齢の元兵士たちを全国津々浦々に訪ねる長い旅が終わった。

この数年の間に、太平洋戦争の最前線で戦ったおよそ140名もの老兵たちとお会いした。一人一人の証言が、家族と祖国への愛に溢れ、感動的なものだった。ジャーナリズムの一員として、ひとつの使命を果たせたと思うと同時に、人間の素晴らしさに触れて、自分自身を大きく成長させていただいた。

文庫本では、WOWOWの「ドラマWスペシャル」で放映された『尾根のかなたに 父と息子の日航機墜落事故』(小学館文庫)を上梓した。あの日航機墜落事故を「父と息子」の観点から見直し、哀しみのどん底から這い上がっていく家族の感動と勇気の物語を描かせてもらった。WOWOWのドラマも素晴らしい内容で、多くの視聴者から反響を寄せられたと聞き、私も嬉しくなった。

今年最後の作品は、『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(PHP)だった。あの未曾有の原発事故の現場で闘い抜いた人々の姿を描かせてもらった。現在ベストセラーとなっており、多くの読者から反響をいただき、書かせてもらった甲斐があったと心から思う。

今年も本当に多くの方々に取材協力をいただいた。毅然とした日本人像を描くために、来年もさまざまな方のご好意に甘えることになるだろう。

来年もすで出版予定が続々と決まっている。できるだけ、多くの方にお会いし、埋もれている感動の実話を掘り起こしていきたい。本年もありがとうございました。来年も共にがんばりましょう!

カテゴリ: 随感

年末に届いた2つの記事

2012.12.30

激動の2012年も今日を入れて2日だけになった。さまざまなことがあった年だった。この年末に、私のもとに郵送されてきた2つの記事がある。

拙著『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(PHP)の書評記事である。掲載されたのは、『中国新聞』と『都市問題』という媒体だ。これまでもこの本は、素晴らしい書評記事をいくつか書いてもらっている。だが、送ってもらったこの2つの記事を読んだ時、どうしてもブログで書かせてもらいたくなった。

私が拙著で描かせてもらったのは、死と向き合った極限の場面で見せた無名の人たちの真実の「姿」と「心」だった。そのために多くの方々とお会いし、その時の行動と思いを聞かせてもらった。

ある人は、「死」が待っているかもしれない原子炉建屋への突入の恐怖を語り、ある人は、愛する家族に別れの言葉を伝えることができないまま突入する苦悩を口にした。

そこには、極限の場に身を置いた者だけが語ることのできる事実があった。発売後、1か月。さまざまな反響が届いている。最も多いのは、「こんな事実があったとは知らなかった」「現場で奮闘した人たちの家族と故郷への思いに感動した」というものだった。

送られてきた中国新聞の書評記事は、ノンフィクション作家の本岡典子さんが書いてくれたものだ。その中に、「原発の“真実”に震撼し、修羅の現場で闘った無名の人々の姿に感情を揺さぶられる。今日の私たちの暮らしはそこに立脚しているからだ」という部分があった。

ああ、命をかけて闘った人々のことをそう捉えてくれた方がいる、そのことを知って、私は本を書かせてもらった甲斐があったと思う。今の生活が、彼らの勇気と覚悟がなかったら成立していないことを考えてくれている人がいることを、事故現場に踏みとどまって奮闘した人たちに是非、読んで欲しいと思った。

もう一つは、公益財団法人が出している『都市問題』という雑誌だ。その中の書評ページに拙著が取り上げられていた。そこには、こう書かれていた。

「本書は原発の是非には触れていないし、吉田所長の英雄譚でもない。ここでわれわれが知るのは、あのとき遠巻きの映像の中に見ていた建屋内で、“自分が全うすべき責務”を果たし続けた普通の人々の姿である。」

「被曝の可能性も事態の深刻さも承知の上で、暗闇の原発内部に突入する彼らを突き動かしたものは、使命感であり郷土愛である。しかもそれは理屈ではない。70名以上の証言から浮かび上がってくるのは、“原発とは”“災害とは”といったことを超越したところにある、人はどう生きるのか、という人間の姿である。」

私は、この文章を何度も何度も読み返した。あの最悪の事故の中で見せてくれたのは、「普通の人々」が見せた「人はどう生きるのか」という「人間の姿」だった――私は、しみじみとしたこの文章に感じ入った。

私は、今年もさまざまな人々にお話を聞かせてもらった。ノンフィクション作品が事実に到達するまでには、さまざまな苦労がある。徹夜つづきで執筆する時も同様だ。しかし、「真実」が持つ力を私は信じている。この年末になって、私は素晴らしいプレゼントをもらった気がした。

カテゴリ: 随感

母校・中央大学での講演で「思ったこと」

2012.11.03

今日は、母校・中央大学の学園祭(白門祭)に呼ばれて講演をさせてもらった。テーマは、光市母子殺害事件である。「法の限界を乗り越える」と題されたもので、「中央大学学術連盟法学会」による企画だった。

この講演をネタに、「久しぶりに母校に行って一杯飲もう」と、大学時代の仲間が集まってくれたので、お堅い講演だけでなく、楽しい一日となった。

実は近々、出版するノンフィクション作品の校了が迫っているため、それほど羽は伸ばせないが、講演のあと昔の仲間とアルコールが入れば、やはり時間が過ぎるのを忘れてしまった。

中央大学の法科大学院(ロースクール)は、今年、久々に東京大学の法科大学院を抑えて、今年度の司法試験合格者でトップに返り咲いたそうだ。合格者が202人と、全国のロースクールで唯一、200人以上の合格者を出したという。

私は来年、司法制度改革について総括する本を出版する予定になっているので、法科大学院の動向にも関心がある。

1999年7月に、時の小渕恵三首相によってスタートした司法制度改革論議からすでに13年。さまざまな変革をもたらしたこの制度改革には、私もいろいろな意見を持っているので、その本の中で詳しく述べたいと思う。

それにしても、中央大学の法科大学院を指揮していた福原紀彦教授が中央大学の学長・総長に就任して1年も経たない内に、さっそく司法試験トップの座を奪い返したというニュースを聞いて、驚くとともに頼もしく思った。

久しぶりに母校に帰って、その母校の奮闘ぶりを聞くというのは、やはり嬉しいものである。今日の学園祭の講演でも、「法の限界を乗り越える」というテーマを出してくるあたりが、なかなか「学術連盟法学会」も、しぶい気がする。

講演では、被害者遺族が抱える苦悩の深さや、日本の司法がいかに社会の常識から遊離していったか、私の経験を交えてその「背景」と「実態」を詳しく説明させてもらった。

この時期は、各大学が学園祭をおこない、それぞれにさまざまなシンポジウムをおこなっている。私は、昨年は、一橋大学に呼ばれて講演をさせてもらった。昨年のテーマは、「太平洋戦争」だった。

歴史や司法に現役の大学生が関心を持ってくれるのは、大変ありがたい。私は、その関連の書籍を沢山書いているので、若い人たちに是非、読んでもらいたいと思う。

若い人と心おきなく闊達な議論をさせてもらうと、次の著作へのヒントにもなる。学園祭のシーズンは、そういう意味で、私にとっては貴重な“充電”の時期でもある。さて、来年はどんなテーマで、どこの大学から講演依頼があるか、今から楽しみだ。

カテゴリ: 司法, 随感

「日本人力」とは何か

2012.10.30

大震災から1年8か月が経とうとしている。私は、昨日、実に興味深い話を聞いた。大震災の時にアメリカに駐在していた人物からである。お話を伺いながら、私には「日本人力(にほんじんりょく)」という言葉が思い浮かんだ。

この方は、2010年1月のハイチ地震が起こった時もアメリカに駐在していた。そして、昨年の夏前に日本に帰国した。自分が両方の地震の時にたまたまアメリカに駐在しており、アメリカ人の反応や報道をつぶさに観察することができたそうだ。

ハイチ地震と日本の東日本大震災。2010年と2011年に起こった二つの大地震は、ハイチ地震が、およそ31万6000人の死者を出し、日本の東日本大震災は、死者・行方不明者が、およそ2万人にのぼっている。

ハイチ地震は、死者の数が東日本大震災の15倍以上という悲劇だった。だが、この元駐在員は、「アメリカ国民のハイチ地震への同情や関心は、2、3週間で冷めました」と語る。

それは、「略奪や暴行が相次ぎ、政情不安も相俟って、いくら支援しても、底が抜けたザルのようにその支援が消えていくことがアメリカ国民にわかったからです」という。

そして、報道そのものが、急速に“熱”を失っていったという。だが、日本の大震災に関する報道は違った。時間が経ってもアメリカメディアの熱は「冷めなかった」という。

アメリカのメディアは大量のレポーターを送り込み、現地からの実況レポートがテレビを通じて、アメリカ中の家庭に届けられた。

「私が驚いたのは、アメリカのレポーター、特に女性が多かったですが、彼女たちが涙を流しながら現地報道を繰り広げたことです。泣きながら被災者たちの姿をレポートしていました」

女性レポーターは、被災地からこんなレポートをしたという。
「ここでは、暴動も、略奪も、諍いもありません。それぞれの被災者たちが我慢して、じっと耐えているのです。私が取材しても、被災者の皆さんは逆に私のことを心配してくれます。これを食べなさい、これも食べなさい、と少ない食べ物の中から、私にそれを分けてくれるのです。ここにあるのは、怒りや、何かが欲しいという要求ではありません。それは、他人に対する思いやりです」

泣きながらレポートする女性の声に、この駐在員は目と耳を奪われたという。ABC、CBS、NBC、CNN……どの局でも、現地レポートには、レポーターたちの生(なま)の“感動”が入っていたという。

「略奪や暴行事件が起こらない」「整然と列に並んで支援の物資を受け取る人々」「あなたも食べなさい、と報道の人間にも食べ物を分けてくれる人たち」「自分たちで話し合って、自力で崩れた家や道を直そうとする人々」……それらが、信じられない出来事のように、レポーターたちによって、アメリカのお茶の間に伝えられた。

その結果、日本の大震災への同情や関心は、時が経っても失われなかったという。私は、その話を伺いながら、日本人がDNAとして持っている「我慢」「辛抱」「思いやり」「秩序を重んじる心」「優しさ」「道徳心」「恥の心」……など、さまざまなことを思い浮かべた。

敢えて名づけるなら、それは「日本人力」ではないだろうか。それらは、日本人として日頃意識してはいないが、私たち日本人が持つ本来の姿である。それそのものが、アメリカのレポーターたちの心を揺り動かしたのである。

日本人を貶めようとする隣国の人々や、それに同調し、支援する日本人やジャーナリズムの人間もいる。しかし、本来の「日本人力」は、そんな人々の姑息な動きにびくともしないものだと思う。

日本人力を信じて、私はそういう毅然とした日本人の姿を今後も、ノンフィクション作品として描いていきたいと思う。

カテゴリ: 地震, 随感

福島の海岸線の美しさ

2012.06.30

岩手県の一関、盛岡、福島県の郡山、いわき……と、東北地方の旅を終えて帰ってきた。福島県では、いわき市から北上し、立ち入りを制限されている福島第一原発から20キロ圏のぎりぎりまで行ってきた。

いわきから四倉(よつくら)を経て、広野に至る太平洋の海岸線は、私の故郷である四国・高知と似ていた。長閑(のどか)で美しい太平洋の海原を見ていると、昨年の悲劇をつい忘れてしまう。

だが、ところどころに根こそぎ津波に持っていかれた家の跡が残り、被害の凄まじさをいまだに垣間見せている。はっとさせられる光景だった。

放射能汚染によって、いわき市に避難してきた人は2万人を超え、人口が膨らんでいるという。駅近くの飲み屋街も大盛況だった。夜の町でも、いろいろ話を聞き、勉強になった。

いま震災の時の知られざる人間ドラマを取材している。今回も多くの方々とお会いした。これまでの震災ドキュメントとは違うものをいつか描いてみたい。

カテゴリ: 随感

樹齢1200年の諏訪大社のケヤキ

2012.06.15

昨日、今日と長野県の諏訪市と松本市で講演があり、久しぶりに信州に行ってきた。諏訪といえば、諏訪大社である。諏訪湖の南側に上社(かみしゃ)と呼ばれる「本宮」と「前宮」の2つがあり、諏訪湖の北側には下社(しもしゃ)と呼ばれる「春宮」と「秋宮」の2つがある。

「木落とし坂」から御柱(おんばしら)を落とし、それを各社殿の四隅に据える「御柱祭」は、7年に1度だけ開かれる“天下の奇祭”だ。御柱に人間が乗ったまま45度の急坂から落とすこの祭りでは、時に、死者も出る。

その豪快な御柱祭の現場と、4つの宮すべてを講演の後、私は時事通信の支局長のご案内で観させてもらった。上社の本宮に行くと、荘厳な社殿の一隅に樹齢1200年というケヤキが立っていた。

そのケヤキが醸し出す独特の雰囲気に、私は圧倒されてしまった。神話時代からの古い信仰の歴史を持つ諏訪地方の人々が、「樹」そのものに畏敬を持ちつづける理由が、そのケヤキをひと目見て、私には納得できた。

御柱祭も、樹というものに対する人々の感謝と畏敬が根本にある。水のあるところに生命は生まれる。諏訪湖は、太古の昔から、多くの人や獣を呼び寄せ、さらに山々に巨木を育んできた。その諏訪地方に、御柱祭と呼ばれる奇祭が生まれ、それが21世紀の今もつづいている。

樹、すなわち“生あるもの”に対する人間の畏れと信仰は、諏訪に来れば感覚としてわかる気がする。講演で地方に行った時に、それまでは気がつかなかった古きよき日本そのものに触れることができるのは、大きな喜びだ。

カテゴリ: 随感

尊敬と感謝の気持ちを抱く若者に

2012.05.31

昨日は、私の事務所のあるマンションのパーティールームを借り切って、あるパーティーがあった。拙著『康子十九歳 戦渦の日記』(文春文庫)の主役の一人、台湾の梁敬宣さん(87)ご一家が今週の月曜28日に来日されたので、この日、かつての仲間たちが集まったのである。

昭和19年から20年にかけて、中大予科時代に十条の陸軍造兵廠へ勤労動員された梁さんたちは、そこで東京女高師(現・お茶の水大学)の女子学生たちと共に武器弾薬をつくる作業に没頭した。

東京大空襲の日も、戦争の勝利を信じて彼らは必死で作業をつづけた。「日本人より日本人らしい人」と仲間に評された梁さんは、そこで粟屋康子さんという19歳の女高師専攻科の女学生に恋をするが、思いはかなわなかった。

康子さんは、原爆投下、敗戦という悲劇の中、広島市長だった父親を原爆で喪い、生き残った母親の看病のために東京から広島に赴いて二次被爆し、「19年」という短い生涯を閉じるのである。

国と家族を救おうとする当時の若者の強い思いと信念、そして淡い恋を描いた拙著はテレビでも取り上げられ、お陰で少なからず反響を呼ぶことができた。

その主役の一人、梁さんが来日されたので、中大予科時代の親友・高木丈太郎さん(現・三菱地所相談役)や当時の女高師の面々が集まった。

平均年齢が90歳近い皆さんは実にお元気で、午後4時から始まったパーティーは、あっという間に午後10時近くまでなっていた。本当に時間が経つのを忘れるほど楽しいパーティーだった。

大正生まれの方々が次第に少なくなっていく中、こうして日本を支えてくれた皆さんと時間を共有できた喜びは表現しようもない。

ちょうど本日、拙著『太平洋戦争 最後の証言』3部作の大増刷が決定した。世の中が真実の歴史に目を向けようとしてくれていることを肌で感じる。歴史の真実を見失わず、日本を支えてくれた先輩たちに尊敬と感謝の気持ちを抱く若者が増えることを願ってやまない。

カテゴリ: 歴史, 随感

久しぶりの故郷・安芸で

2012.05.23

いま高知県安芸市にいる。私の生まれ故郷である。安芸法人会に歴史にからんで講演を、とお願いされ、東京から飛んで来た。

私は、故郷や母校からの要請は、いかなることも万難を排してやらせてもらう主義なので、今回も仕事を横に置いてやって来た。

空港に出迎えてくれたのも、小学校の同級生だったので、今日の講演は半分、昔の思い出話などの“脱線”だらけになるに違いない。

安芸市は、すでに人口が2万人を切り、急速に進む過疎化になす術がないそうだ。そんな話をしながら、故郷・安芸に到着した。

私は過疎だからこそ、逆にこれから「価値」が高まると思っている。都会の人間に比べ、何十倍もの土地を使い、海、山、川の恵みに満たされているのである。

いわば、一人の人間をつくりあげるのに、都会とは比較にならない自然と大地が使われている。土佐らしい“スケールの大きい人間”がどんどん出て欲しい。今日は、そんな思いを込めて講演をさせてもらうつもりだ。

カテゴリ: 随感

調子を取り戻しつつあるダルビッシュ

2012.04.25

シリーズ完結編の『太平洋戦争 最後の証言』の「大和沈没編」がお陰さまで好調だ。完結編だけでなく第1部「零戦・特攻編」、第2部「陸軍玉砕編」も、共にさまざまな売り上げランキングで上位にランクインしているとのことで、ほっとした。

少し余裕ができたので、昨日は、昼も夜も講演をさせてもらった。昼は帝国ホテルで、夜は麻布台のお店でと、講演テーマも、聴いてくれる対象も、まるで違う講演をさせてもらった1日だった。

昼は、主に企業のトップや幹部たちを対象にしての「歴史に学ぶ―日本人の生きざまとは」という歴史テーマで、夜はジャーナリストたちを対象にしての「光市母子殺害事件」にかかわる話だった。

しかし、私の中では、実は“同じテーマ”とも言える。私のノンフィクションの大きなテーマは、「毅然と生きた日本人の姿」だからだ。

前者は、太平洋戦争を最前線で戦った人、後者は光市母子殺害事件の被害者遺族で日本の司法を大変革させた本村洋さんのことである。

話をしながら、毅然とした日本人像が今、いかに希少なものとなっているかを実感した。まだまだ多くの作品を書いていかなければならないと思った。取り上げるべき作品テーマは数多いので、ひとつひとつ確実に作品化していき、読者の皆さんに是非、また手にとってもらえれば、と思う。

さて、今日のメジャーリーグは、ダルビッシュ有(レンジャース)と黒田(ヤンキース)という日本人投手の投げ合いだった。この試合でダルビッシュがヤンキースを相手に8回3分の1を無失点、10奪三振という好投を見せた。

セットポジションでの投球で、日本にいた頃のダイナミックなピッチングフォームこそ見られないものの、抑制の利いた球でヤンキース打線を翻弄した。これで、ダルビッシュは3勝0敗となった。

まだ絶好調ではないが、日本ナンバー・ワン投手が本当の意味でヴェールを脱ぐ日も近いだろう。やっと、楽しみになってきた。


カテゴリ: 野球, 随感

重圧に負けたダルビッシュ

2012.04.10

今日は、注目のダルビッシュ有のメジャー・デビューの日だった。待ちに待ったその初登板は、あまりにも内容が悪く、期待していた野球ファンには落胆と心配だけをもたらすものだった。

「こんなダルビッシュを見たことがない」。多くの日本の野球ファンはそう思ったに違いない。軸足の右足は突っ立ったままで、腰のためも全くないので“手投げ”になり、さらにはそのせいで“球持ち”も悪く、リリースポイントが一定しない――こんなダルビッシュは、実際、日本ではお目にかかったことがない。

試合前のブルペンでの投球練習でボールの滑(すべ)りが気にかかるのか、何回もボールを変えて投げていたという。ダルビッシュの凄さは、ストレートの伸びや変化球のキレだけでなく、高度な修正能力にある。その一流投手の証明ともいえる修正能力も発揮することができなかった。

かなりの重症である。すでに紅白戦やオープン戦でも十分投げていながら、それでも日本で見せたことがない「ストライクすら入らない状態」になるというのだから、野球というのはつくづく恐ろしいものだと思う。ダルビッシュにとって、メジャー・デビューという重圧はそれほど大きかったのである。

今日のダルビッシュの投球フォームを見て、「キャンプで走り込むことはできたのだろうか」と、ふと気になった。ウエートトレーニングに主を置き過ぎ、肝心の走り込みをおろそかにしたのではないか、と心配になったのだ。

しかも、メジャーのボールとマウンドの硬さにもまだ慣れていないように思えた。走り込みができないまま、これに無理に合わせようとすれば、長丁場では必ず足腰に故障を起こすだろう。

さまざまなことを心配させる今日のメジャー・デビューだった。それでもメジャーではナンバー・ワンのレンジャーズ打線が爆発し、終わってみれば、11対5。5回3分の2イニングで5失点したダルビッシュに「勝ち」がついたというのだから、これまた野球は恐ろしい。

この運の良さに感謝して、今度こそ“高度な修正能力”を発揮して欲しいものである。ダルビッシュが本来の力さえ出せば、1年目から防御率1点台、20勝以上可能だと私は思っていた。それだけダルビッシュが持っているボールは素晴らしい。デビュー戦の最悪の調子を逆に糧(かて)とできるかどうか、次の登板に注目したい。

今日は、このダルビッシュの試合を中継観戦したあと、事務所に遠来の客があった。はるばるブラジルからの客である。昨年4月に刊行した拙著『蒼海に消ゆ―祖国アメリカへ特攻した海軍少尉「松藤大治」の生涯』(集英社)の主役、故松藤大治さんの甥にあたるサンパウロ在住の石崎干城さんである。

今年70歳になられる石崎さんは、拙著によって、長い間、消息を探していた松藤大治さんとその親戚の存在を知り、何十年ぶりかで連絡を取ることができたという。

そのお礼で、久しぶりに訪日されたのを機に、わざわざ私の事務所を訪ねてくれたのだ。地球の裏側のブラジルまで拙著を取り寄せて読んでくれて、さらに東京の私にまで連絡をくれたことに感激した。石崎さんにはブラジルでの生活など、いろいろなことを教えてもらい、楽しいひと時を過ごすことができた。

そのあと、新書の司法関係の取材を夜までおこない、気がつくと日が変わる直前となった。明日も取材が目白押し。次の作品に向かって、早く“エンジン全開”といきたいものである。

カテゴリ: 野球, 随感

広島から帰って「観桜会」に

2012.04.09

昨日、呉から広島に移り、広島の比治山にある陸軍墓地のお参りを終え、『太平洋戦争 最後の証言』の取材が完結した。前日(7日)は呉の海軍墓地でお参りしたので、慰霊の行事もすべて終えたことになる。

比治山の陸軍墓地は明治5年に設置され、西南の役から太平洋戦争に至るまでの多くの兵士が眠っている。戦後、原爆や台風被害などで、墓石の整理作業が頓挫し、遺骨が散乱状態になった悲劇の歴史がある墓地でもある。

今は、それぞれの墓石が出身県別に整理され、安置されている。周辺には花見客が溢れており、その平和な風景と陸軍墓地のひっそりとした雰囲気が見事なコントラストを描いていた。しばし、手を合わせて、『太平洋戦争 最後の証言』シリーズ完結の報告とお礼をさせてもらった。

本日は、その広島から夕方に帰京後、評論家の金美齢さん主宰の観桜会に参加させていただいた。金曜日に東京を離れたので、わずか3日しか経っていないというのに、すっかり都心が温かくなっていたので驚いた。

たった3日で、東京にコートを着る人がほとんどいなくなっていた。まさに季節の変わり目の数日だったことになる。新宿御苑を見下ろすビルの8階に事務所を構える金美齢さんは、さすがに顔が広く、恒例の観桜会には、政治家や評論家、ジャーナリスト、TVプロデューサー……など、多士済々で、私も久しぶりにお会いした人が多かった。

思わぬ人と久々に旧交を温めることができた。私も、太平洋戦争シリーズの完結で、新しい仕事に明日から挑むことになる。桜の開花と共に気分一新である。

ちょうど美味しいお寿司をいただいていたら、隣に安倍晋三元首相や新藤義孝衆院議員がいて、いろいろ話をした。新藤議員は、なんと硫黄島の指揮官・栗林忠道中将のお孫さんにあたるそうだ。

すでに拙著『太平洋戦争 最後の証言』の第1部、第2部も読んでくれており、話が弾んだ。あっという間に楽しい時間が過ぎた金美齢さんの夜の観桜会だった。

カテゴリ: 歴史, 随感

ノンフィクションの醍醐味

2012.03.31

今日の東京は雲間から太陽の光が差してきたかと思うと、時折、横なぐりの雨がたたきつけたり、春の嵐を思わせる1日だった。3月31日は年度末であり、いよいよ明日から新年度が始まる。

私は、2008年3月末にそれまで勤めた新潮社から独立したので、今日でちょうど丸4年になる。独立以降、この4年間で単行本10冊、文庫本を4冊上梓した。

現在校了中で4月に発売になる『太平洋戦争 最後の証言』第三部の「大和沈没編」は、独立後15冊目の本となる。自分でも「よくこれほど……」と呆れてしまうが、書かなければならないものが数多くあるので、まだまだ休んではいられない。

先日、知り合いの医者から「たまにはゆっくり休んで、神経を“弛緩”させんといかんよ」と忠告されたが、まさにそうだと思う。しかし、きっと明日からの“新年度”も、そういう生活とは無縁に違いない。

直接証言や、日記、手記、資料……等々の発掘によって構築していくノンフィクション作品には、宿命がある。あくまで主役は、その「取材対象」であることだ。取材対象(証言者)がご高齢であったり、病弱であれば、おのずと取材に制限が出てくるし、すべては先方のご都合に合わせることになる。

そういう障壁を突破しながら、人間や、出来事そのものを描き出すところにノンフィクションの醍醐味はある。その取材をさせてもらう側であるライター(つまり私)が、「休む」ということは、基本的にできないのである。取材対象は休んでも、私自身が休むわけにはいかないのだ。

会社勤めを25年間もやった末に独立した私は、時間がもったいなくて仕方ない。“宮仕え”のために描けなかった作品が、今、目の前にそのまま残されている。自由に描かせてもらえる時期がやっとできた喜びを噛みしめなければならないのである。

明日からの“新年度”も、私にとって、ひたすら取材と執筆に追われる日々になるに違いない。一人でも多くの証言者にお会いし、これまで以上の感動のノンフィクション作品を描いていきたい、と思う。

カテゴリ: 随感

「惜別の歌」の作曲者、藤江英輔さん

2012.03.21

昨日、春分の日は、「惜別の歌」の作曲者である藤江英輔さん(86)とお会いした。昨年10月に倒れられたと聞いていたので心配していたが、お嬢さんと共に目黒区の料理屋に顔を見せてくれた。

「いやあ、倒れた時は、ああ死ぬ時はこんなものか、と思ったよ。意識がすーっと消えていってね。死というものを一度、経験したよ」。いつもの洒脱でユーモアたっぷりの藤江さんの話しぶりに、ほっとした。

中央大学の先輩でもあり、私がかつて勤務した新潮社の先輩でもある藤江さんは、私の最も尊敬するジャーナリストの一人である。戦争末期の昭和19年から20年、中大予科の学生だった藤江さんは東京・十条の第一陸軍造兵廠に勤労動員で通い、連日、武器づくりに励んでいた。

小さい時からバイオリンを習っていた藤江さんは、いよいよ戦況が厳しくなった昭和20年2月の大雪の日、仲間が召集令状を受けて去っていく中、彼らを見送る思いを「惜別の歌」に託した。

「悲しむなかれ/わが友よ/旅の衣を/ととのえよ」。姉妹の別れを詠んだ島崎藤村の「高楼(たかどの)」という詩を“友との別れ”に置き換えて、物悲しく、哀愁のある独特の旋律を藤江さんがこの詩につけたのだ。

造兵廠での別れの場で歌われ始めたこの曲は、次第に送別の歌として広まっていく。その藤江さんの思いは、拙著『康子十九歳 戦渦の日記』(文藝春秋)の中で描かせてもらった。

ちょうど『太平洋戦争 最後の証言』完結編の「大和沈没編」(小学館)を脱稿したばかりなので、そのことを含め、いろいろな話題が飛び交い、時間が過ぎるのを忘れてしまった。

お別れの時、お嬢さんに支えられて去っていく藤江さんのうしろ姿を見て、いつまでもお元気で、と祈らずにはいられなかった。

彼岸だというのに、朝夕はびっくりするほど寒い。夜は、お世話になった中央大学の「白門ちゅうおう」編集長の伊藤博さんの送別会に参加。その会のあとは、中大の箱根駅伝6連覇時代の中心メンバー、碓井哲雄さんと現在の中大陸上競技部監督の浦田春生さんたちと二次会となった。

さまざまな話で、知らないうちに夜が更けてしまった。気がつくと昼間から飲み通しである。久しぶりに母校の人たちに囲まれて、次の作品への大いなるエネルギーをもらった1日となった。

カテゴリ: 歴史, 随感

入稿を終わらせ、青森へ

2012.03.13

本日夕方、『太平洋戦争 最後の証言』第三部(完結編)の「大和沈没編」を入稿した。原稿用紙にして600枚、この1週間、いや数日は、ほとんど睡眠もとらないままの“苦闘”だった。

太平洋戦争の最前線で戦ったご高齢の老兵たちを訪ねる作業も今日を区切りに、ひとまず終わったかと思うと感慨が深い。入稿したあとどっと疲れが来たのも、肉体だけではなく、ある種の達成感があったからに違いない。

私は、夕方入稿したあと、羽田から青森に飛んだ。明日、青森と弘前で昼と夜、講演があるためである。青森空港に降り立つと、そこは一面、銀世界だった。雪が舞い、口から白い息が出る青森市内は、夜9時を過ぎるとほとんど人が歩いていなかった。

出てくる時の東京・新宿の喧騒とのあまりの落差に、一瞬、タイムスリップしたのではないかという錯覚に陥った。

とりあえず「休息を」と思ったが、用意してもらっていたホテルが室温の調整もできない部屋だったので、徹夜の影響もあってか、体調を崩してしまった。ジャーナリストは贅沢を言ってはいけないとはいえ、徹夜つづきの中年の身には少々、こたえた。

しばらくブログが更新できなかったので、ご心配をいただいたが、やっと入稿が終わったので、いつものペースに戻していこうと思う。ブログに書かなければならない話が、目白押しだからだ。

東日本大震災から1年が経ち、マスコミの力の入った特集記事や番組も、今回は締切との関係で、パソコンのキーを叩きながらのウォッチとなった。あの「人災」の色濃き震災が、総括されたとは、私にはとても思えない。

雪に埋もれた青森はまだ「春遠し」だが、震災の総括もできない日本、いや今の政権では、日本全体に「春遠し」と言わざるを得ない。

カテゴリ: 随感

ノンフィクションの中の「生」と「死」

2012.03.04

毎年、3月3日の「ひなまつり」の日に必ず紹介される有名な詩がある。昨日の読売新聞「編集手帳」に出ていた吉野弘さんの『一枚の写真』がそれだ。

『雛飾りの前で、幼い姉妹がおめかしをして座っている写真があります。〈この写真のシャッターを押したのは/多分、お父さまだが/お父さまの指に指を重ねて/同時にシャッターを押したものがいる/その名は「幸福」〉』

山形県酒田出身の詩人・吉野弘さんの詩には、この『一枚の写真』で醸し出されるようなほのぼのとした温かさがある。吉野さんの詩の中で私が好きな「祝婚歌」には、こんな一節がある。

〈正しいことを言うときは/少しひかえめにするほうがいい/正しいことを言うときは/相手を傷つけやすいものだと/気づいているほうがいい/立派でありたいとか/正しくありたいとかいう/無理な緊張には色目を使わず/ゆったりゆたかに/光を浴びているほうがいい〉

原稿や講演等を通じて、“主張”することの多い私たちジャーナリズムの人間にとっては、戒めにしなければならない詩である。しかし、それを忘れている自分にいつも苦笑いばかりしている「自分がいる」ところも面白いものだと思う。

東日本大震災1周年が近づき、新聞・テレビ・雑誌……あらゆるメディアで地震関連のものが増えている。冒頭の「編集手帳」も、その流れの中で吉野弘さんの詩を紹介したものだ。

地震関連で描かれているのは、いうまでもなく人間の「生」と「死」である。私のノンフィクション作品にも、その生と死を扱う題材が多いが、描いても描いても、また新しい意味を持つ生と死が私の前に現れてくる。

私は、先週、ある刑事事件で死刑判決を受けた人物と面会した。そして、いま締切に追われている原稿は、『太平洋戦争 最後の証言』である。いずれも重い「生」と「死」が目の前に横たわっている。

書きながら、いつも生と死とは何だろうか、と思う。それは、吉野さんの詩が描く「幸福」を考えることと同義だと思うが、それがなかなか描き切れない。それほどノンフィクションの中の「生」と「死」は、残酷であり、同時に奥が深い。

『太平洋戦争 最後の証言』完結編の脱稿まで、いよいよ1週間を切った。それを描き出すことができるか、私にとってそれが試練である。

カテゴリ: 随感

雪の舞う新宿で……

2012.02.29

雪が舞っている。徹夜で原稿を書き、昼近くになって起きて窓のカーテンを開けたら、外は一面の銀世界だった。ここのところ原稿の執筆で西新宿の事務所に籠もっているが、普段は見える池袋のサンシャイン・ビルもまったく見えない。東京での久々の“豪雪”である。

今日は、4年ぶりの「2月29日」だ。うるう年の1日“得”をしたようなこの日に、東京をリフレッシュさせるかのように雪が大地を覆ってくれた。

今日は、先日94歳で亡くなられた長嶺秀雄さんの夫人・幸子さん(88)からお電話をいただき、ちょうど私が席を外した間だったので、すぐにおかけ直しをした。

長嶺さんは、2月19日のブログでも書かせてもらったようにフィリピンのレイテ島で第1師団参謀兼歩兵第57聯隊の大隊長として、リモン峠の激戦を生き抜いた元少佐だ。

自ら率いた大隊およそ800名のうち、生き残ったのはわずか「18人」だったという激戦の元指揮官である。何発も銃弾を食らい、生涯、体内にその敵の弾を残して過ごされた長嶺さんは、戦後、防衛大学の教官として多くの教え子を育てた。

幸子夫人からの電話は、葬儀に当たってのお礼と長嶺さんの最期のようすを伝えてくれるものだった。昨年12月、長嶺さんは、私にも本について励ましのお電話をくださるほどお元気だった。12月19日には、お孫さんの結婚式に大阪まで出かけ、披露宴で「ここに幸あれ」を歌い、出席者の喝采を浴びられたそうだ。

最後までお元気だった長嶺さんだが、年が明けて、お子さんたちと熱海の温泉に出かけた後、調子を崩し、2月19日に眠るように息を引き取られた。

幸子夫人によれば、長嶺さんの体内に生涯あった米軍の銃弾は、小さな鉄の塊の“破片”となってご遺骨と共に残っていたそうだ。

長嶺さんご夫妻は昔の紀元節(2月11日の建国記念日)が結婚記念日だったことは以前からお聞きしていたが、今年は70周年の記念すべき日だった。残念ながら、この日を病院で迎えた長嶺さんは、受け取った花束に大層、喜ばれたそうだ。

幸子夫人の愛情に包まれて戦後を過ごした長嶺さんは、意識が薄れかけても幸子夫人が病院に来ると、幸子夫人の手を自分の唇に持っていかれたそうである。取材の時からご夫妻の仲睦まじさは私も感じていたが、最後の最後までそれは変わらなかった。

一面、銀世界の新宿の風景を事務所の窓から見ながら受話器の向こうの幸子夫人の声を聞いていると、毅然とした日本人が多かった“その昔”にタイムスリップしたかのような錯覚に私は陥った。

長嶺さんにもご協力いただいた『太平洋戦争 最後の証言』の締切が迫っている。いよいよ完結編である。力を振り絞って、毅然として死んでいった兵士たちの真実の姿を描きたい。

カテゴリ: 歴史, 随感

『週刊現代』インタビューとNHK・BS

2012.01.30

徹夜での原稿執筆が始まった。『太平洋戦争 最後の証言』の完結編となる「大和沈没編」である。過去3年間にわたる大和生還者の証言を取材ノートをもとに振り返りながらの執筆となった。

3、332人の大和乗組員のうち、生還したのはわずか276人。人類史上未曽有のこの巨艦と共に東シナ海の蒼い海の底に沈んでいった若者たちの思いをノンフィクション作品として正確に書きとめたいと思う。生還者の証言を記したノートと膨大な史料に囲まれ、執筆部屋もたちまち一杯になってしまった。

ちょうど本日発売の『週刊現代』の書評ページ(116頁~117頁)に私のインタビュー記事が掲載されている。『太平洋戦争 最後の証言』の第二部「陸軍玉砕編」に関するインタビューである。

この『太平洋戦争 最後の証言』シリーズの取材と執筆に、私がどんな思いで臨んでいるかを簡潔な文章で表わしてくれた記事だった。使命感と責任感に溢れた大正生まれの若者たちの潔さと、軍上層部の愚かさに対する私の思いを適確に表現してくれていた。

インタビューされるのは慣れているが、この記事は短い中に私が言いたかったことが正確に記述されているので、嬉しかった。新たな執筆に「力をもらった」ような気がした。

一心に原稿に邁進しなければいけない中、今日はたまたまつけたテレビで「山田風太郎が見た日本 未公開日記が語る戦後60年」(NHK・BS)という番組をやっていた。山田風太郎は私の好きな作家の一人だが、彼が遺した日記をもとに戦中戦後を考えるという見応えのある内容だったので、思わず見入ってしまった。

皇国少年であった時代から見習い医師時代、さらには戦後、作家として歩む山田が、独自の視点で「日本」と「日本人」を冷静に見つめた日記を俳優の三国連太郎が朗読する番組である。何年か前に放映されたものが“アーカイブ”として再放送されたのだ。

山田風太郎の辛辣で、それでいて温かく、さらには示唆に富んだ日記の内容は、実に興味深かった。忍法小説で一世を風靡した山田風太郎は、日記の中に「上質のノンフィクション作品を残したかったのかもしれない」と、私は番組を見ながら思った。

“ノン・フィクション”――すなわち“虚構のない”世界を日記の中で山田は表現したのではないか、と私は思う。「全日本人が復讐の陰鬼になってこそこの戦争に生き残り得るのだ」と書いた戦中と、「抜きがたい地上相への不信感」を語り、「人は変わらない。おそらく人間の引き起こすことも」と戦後、記述する山田の冷静な目は、小説家というより現実を直視するジャーナリストそのものであるような気がした。

2時間もつづいたこの番組に見入ってしまったために、私は貴重な執筆時間を大幅に削られてしまった。いつもながらNHK・BSの番組は、締切に追われている身には、罪深い。

カテゴリ: 随感

冠雪の富士山を見ながら

2012.01.26

今朝の読売新聞のコラム「編集手帳」は、徳富蘆花の〈東海の景は富士によりて生き、富士は雪によりて生く〉という文章を紹介し、〈新幹線の車窓から冠雪の峰を仰ぎ、はっと息をのむのもこの季節である〉と締めくくられていた。

政府が富士山をユネスコの世界文化遺産に推薦することを機に書かれたものだ。私も、その富士山の姿にはっとさせられた一人だ。昨日、私は新幹線の車窓から真冬の冷気の中に雪をいただいた富士山を見た。

それは、「編集手帳」が書くように息をのむような美しさだった。私は昨日、その姿を見ながら愛知県新城市に行き、戦艦大和の生還者で昨年亡くなられた滝本保男さんのご霊前に線香をあげさせてもらった。

滝本さんは、戦艦大和の第三主砲のたった一人の生き残りだった。一昨年、誰の紹介もなく訪ねていった私に戦艦大和の最期のようすと人類史上未曽有の巨砲であった大和の主砲について、詳しく教えてくれた。

長年、胸にしまっていたことを私に打ち明けてくれた滝本さんは、私が訪ねていった3か月後の昨年1月13日に亡くなった。90歳だった。その一周忌を過ぎて、やっと私はお線香をあげさせてもらうことができたのである。

そして、今日は、名古屋で戦艦大和の左舷の機銃を担当した奇跡の生還者(88)にお会いすることができた。長時間の取材で、今日も私はさまざまな大和の秘密を教えてもらった。

「太平洋戦争 最後の証言」の完結編となる「大和沈没編」の締切が近づいている。それは、取材も含めて“時間との戦い”である。貴重な大和の生還者たちの年齢も限界を迎えつつあるからだ。

全国で大和の生還者たちを訪ねる作業も3年目に入った。一人でも多くの証言者とお会いし、大和にかかわった元戦士たちの言葉を通じて、あの時代の若者の苦悩と潔さを描ければ、と思う。

ご高齢の歴史の証言者たちが、私を待ってくれている。1年で一番美しい姿を見せてくれる冠雪の富士山を新幹線の車窓から見ながら、私の「太平洋戦争 最後の証言」の取材も最終盤を迎えている。

カテゴリ: 歴史, 随感

「台湾総統選」の深層レポート

2012.01.19

昨夜遅くに台湾から帰国し、「台湾総統選」の深層レポートを朝方までに仕上げて入稿した。今日は、昼に成田で講演があったので、そのまま講演に出かけてすぐ取って返し、朝入稿したばかりのゲラを夜、やっと校了した。

さすがにほとんど徹夜だったので、身体にこたえた。台北でも連日、夜は飲み会も兼ねた取材の連続で、そのまま帰国して執筆というハードなスケジュールだった。

台湾の将来、ひいては日本の将来にかかわる重要な総統選だったことを、記事を書き終わって、あらためて感じた。来週月曜発売の「週刊ポスト」に〈台北発「深層レポート」門田隆将〉として掲載されるので、是非、お読みいただければ、と思う。

今日の講演では、必然的に台湾総統選のことをかなりの時間を割いて話させてもらったが、皆さんが熱心に耳を傾けてくれた。やはり、政治家などより一般の人々の方が、よほど国の将来を心配しているように思える。

今回、訪台して驚いたのは、もはや台湾が中国の経済力なくして「自立して歩んでいくことはできなくなっている」と、多くの台湾人が思っていたことだ。90年代に外貨準備高で世界一を誇ったあの台湾は、一体どこにいったのか、と思う。

しかし同時に、熱狂の総統選が示したように、選挙で国のトップを選ぶという「民主主義の中にいる台湾人」を多くの中国人が羨ましく見ているのも事実だ。

人権が脅かされる共産党独裁の国で暮らす中国人が、総統選の当落で涙を流す台湾人たちの姿を羨望の目で見るのは当然だろう。台湾の人たちが、大陸を恐れるのではなく、逆に民主主義を大陸に“輸出”することができるか、今後の大きな課題になるのではないだろうか。

同時に私が感じたのは、中国の急速な台頭を必要以上に脅威と思う人たちが多いことである。日本も台湾も同じだ。特にマスコミには、その傾向が強い。たしかに、ここ10年は、ひょっとしたら中国が“わが世の春”を謳歌するかもしれない。しかし、それもせいぜい10年ほどだろう。

日本が高度経済成長以後も、長く豊かな生活水準を保ったようには、中国はいかない。長くつづく“一人っ子政策”によって、巨大国家・中国は人口構成が歪(いびつ)で、高齢者を支えるために、日本以上に若い世代の負担が大きくなっていく。

つまり、中国で社会の活力が長く続くことは極めてむつかしい。もっとはっきり言えば、中国の行き着く先は、「破綻」しかないのである。

その時、国家や社会を支えるのは、その国民が持つモラルや勤勉性など、“人間力”にほかならない。それぞれの国民にそれぞれの特性があるのは当然だが、日本人が多くの先輩たちが培ってきた人間力をその時、維持できているかどうか。

ふたたび日本がアジアをリードできる時代が来るかどうかは、そこにかかっている。今回の訪台は、私にそんなことをじっくり考えさせてくれる貴重な機会だったように思う。

カテゴリ: 台湾, 随感

激動の2011年への惜別

2011.12.31

いよいよ今年もあと「1時間」となった。2011年の大晦日も大詰めだ。私も昨日まで忘年会に追われていたが、今日は家族全員で静かに新年が明けるのを待っている。

あまりにも大きな犠牲者が出た年だった。東日本大震災は、およそ2万人という桁はずれの死者・行方不明者を生み、それと同時に政府というものの無能さが「これでもか」と国民の前に露呈された1年でもあった。

年末のニュースを見ていても、いったい民主党政権は「どこまで日本の根幹を崩すのか」と思う。国民の生命・財産、そして領土を守るという政治家の基本さえ知らない素人集団が国政を牛耳っていることの怖さをつくづく感じる。

彼ら素人政治家たちの集団が“運営”する現在の政権には、今年1年、怒りと失望の連続だった。来年は少しでも「改善」されることを望みたいが、それも無理だろう。同じような失望が年明けから続いていくに違いない。

1月14日には、日本の命運を決めるとも言える台湾総統選が投開票される。私も台湾に取材に行く予定だ。締切も年明けから相次いでいるので、また忙しい1年になると思う。

昨年、受験生だったわが家の次男も無事、入試を通過したので、今年は落ちついた正月になりそうだ。束の間の休日を楽しみたいと思う。

今年は、単行本3冊、文庫本2冊を出版した。お陰さまで12月に出した『太平洋戦争 最後の証言』第2部の「陸軍玉砕編」も好調に売り上げを伸ばしている。

来年も今年に負けず、次々と作品を発表していくつもりだ。是非、ご期待いただきたく思う。“毅然とした日本人”の姿をノンフィクション作品を通じて続々と世に問うていきたい。

今年1年、このブログを読んでいただき、ありがとうございました。そして、来年も共に前進していきましょう!


カテゴリ: 随感

真珠湾70周年を挟んだ故郷の3日間

2011.12.10

いま高知にいる。私の生まれ故郷である。一昨日、地元紙・高知新聞の正月紙面企画で高橋善正・中央大学野球部監督(高知商業→中央大学→東映→巨人)と対談した。野球の本を何冊も出している私としては、大変刺激的な対談だった。

高橋氏は、母校・中央大学の野球部監督だけに日頃から親しくさせてもらっているが、改めて対談になると、さまざまな秘話が飛び出し、楽しかった。高橋氏は、80年近い長いプロ野球の歴史で「15人」しかいない完全試合の達成者である。

東映時代のこの大記録は、わずか86球で成し遂げたものだ。すでにケガで腰と背骨を痛めていた高橋投手は、身体に無理がないようにできるだけ楽な投法をする“軟投派”に転じていた。

「いやあ、あのとき残念だったのは、三振がひとつあったことなんだ。ピッチャーが打席に入って、そいつが三振してしまった。あれさえなければ、“三振なしの完全試合”という珍記録も同時に達成できていたんだが……」。高橋氏はそう言って、豪快に笑っていた。

夜は、魚の美味しい土佐の店に高橋氏と高知新聞の面々で繰り出した。高橋氏とは以前にも呑んだことがあるが、相変わらずの酒豪ぶりで、高橋氏より若い私や高知新聞の面々の誰よりも呑んで、食べていた。楽しいひと時だった。

また昨日は、社団法人・高知法人会の企画で高知商工会館で講演をさせてもらった。ちょうど真珠湾攻撃70周年、すなわち太平洋戦争開戦70周年の翌日だったため、さまざまな話をさせてもらった。来週には、拙著『太平洋戦争 最後の証言』の第2部「陸軍玉砕編」が刊行になるので、タイムリーな企画でありがたかった。

太平洋戦争の主力となった大正生まれの若者には、なぜあれほど使命感と潔さがあったのか。その理由と日本人の毅然とした生きざまについて、私なりの見解を述べさせてもらった。聴いてくれた方の反応も上々だったので、ほっとした。

大正100年であり、同時に真珠湾70周年という記念すべき年もあとわずかだ。今朝の高知はぐっと冷え込んだ。南国土佐もすっかり冬の佇まいである。夜には、東京へ帰り、また締切に追われるスケジュールに戻る。私にとっては、慌ただしい師走の中で、仕事と帰郷を同時に果せた貴重な3日間だった。

カテゴリ: 随感

まず“破壊者”としての手腕を

2011.12.01

今日から師走。2011年もあと「ひと月」だ。『太平洋戦争 最後の証言』の第2部「陸軍玉砕編」の三校ゲラ、そして念校ゲラの作業に追われ、ブログを更新することもできなかった。

作家・百田尚樹さんとの対談を終え、大阪から帰ってきたのが、月曜日(28日)。それから紆余曲折を経て本日、やっとすべての作業を終えて「責了」した。

つまり、徹夜の作業もやっとこれで終わったわけである。それにしても、1冊の単行本には、いろいろなものがいっぱい詰まっているという意味で、本というのはすごいものだと思う。

編集担当者や装幀、校閲の人たち、そしてなにより取材協力者の思いが、すべて1冊の単行本には凝縮されている。特に、今回の『太平洋戦争 最後の証言』というのは、登場人物が80歳代後半から90歳代というご高齢の方々ばかりである。

しかも、玉砕の戦場から奇跡の生還を遂げ、その方々が後世に残そうとする貴重な証言をもとにしたノンフィクションなのである。亡くなっていった戦友たちの思いを代弁してくれる彼ら老兵たちの真意が少しでも読者に伝われば、と思って必死で書かせてもらった。それだけに、すべての作業を終えた今、なにか全身から力が抜けたような気がする。

さて、このところブログを更新できなかったので、大阪の知事選・市長選の感想も詳しく書くことはできなかった。清武英利・元巨人軍代表の記者会見とそれに対する渡辺恒雄氏の出方というのも興味深かったが、書く機を逸してしまった。

今日は、橋下徹氏の「大阪維新の会」の圧勝について、少しだけ感想を書かせてもらおうと思う。ちょうど投開票と、その翌日に大阪に滞在していたこともあって、選挙結果について、知人にいろいろ聞いてみた。私が聞いた人たちは、ほとんど「大阪維新の会」に投票していた。

聞いてみると、投票した理由は単純明快だった。それは、「橋下氏なら何かをやってくれそうだ」というものに尽きていた。一例を挙げてくれたのが、バス運転手の給料だ。ほとんど同じ路線で、同じ業務をしているバスの運転手が、「市営バスの運転手は、民間バスの運転手より倍も給料をもらっている」というのである。

「年収は、片や“1000万”、片や“500万”ですよ。税金で給料もろうとる公務員のバス運転手の方が、民間のバスの運転手より倍も給料もろうとるというのは異常。そんなことをいつまでもつづけてもろうたら、こっちは困るんです」。

怒りを押さえながら、その人は橋下氏に投票した理由をそう説明してくれた。別の知人は、「教育改革が一番。なんじゃかんじゃで学校の先生が権利、権利を言うのはいい加減にして欲しい。権利を言う前に、子どもたちに、まともな教育をしてくれ」というのである。

「大阪維新の会」の宣伝が効いているのか、同じようなことを言う人がほかにもいた。いずれにしても、これでわかるのは、今回の選挙の勝敗を分けたものが、「住民の“怒り”だった」ということである。

これまで通り、公務員が既得権益を貪りつづけるのか、今回の選挙を境にそれがなくなるのか。その答えを大阪市民は今回、出したのかもしれない。

“大阪都構想”なるものが選挙の争点になっているとばかり思っていたら、大阪の人に聞いてみると、実は、そういう身近な不公平感こそが“最大の争点”だったようだ。

つまり、橋下氏に対して市民は“独裁者か、改革者か”という分け方ではなく、ひたすら“破壊者”としての役割を期待しているのである。橋下氏が今後、大阪にとどまらず、全国に飛躍するには、まず“破壊者”として大きな実績を挙げられるかどうかだろう。

閉塞感の中であえぐ大阪で、甘い汁を吸いつづけた巨大な既得権益集団をぶっつぶした時、橋下氏の前には、新たな政治の可能性が出てくるに違いない。

カテゴリ: 政治, 随感

パフォーマンスではなく実績を

2011.11.27

いま大阪にいる。今日は大阪在住の作家・百田尚樹さんと対談をさせていただいた。あと十日ほどで「真珠湾70周年」の日を迎えるということで、100万部のベストセラーとなった『永遠の0(ゼロ)』の著者である百田さんと、戦争をはじめ、さまざまな話をさせてもらった。

私より3つ年上の百田さんは、戦争についても多くの秘話をご存じなので、大変、おもしろい対談になった。私にとっては、今後の作品を書く上でも参考になる話が多かった。詳細は、対談を掲載する雑誌が発売になる時にお知らせさせていただきたいと思う。

さて、大阪では、橋下徹・前知事が大阪市長選に圧勝し、府知事選も橋下氏が率いる「大阪維新の会」の松井一郎幹事長が当選し、「大阪都構想」なるものが動き出した。かつて横山ノックを知事に押し上げた大阪の人々なので、「まあ、おもしろそうだから一度やってみなさい」ということなのだろう。

梅田を歩いていたら、テレビ局がさっそく道行く市民に感想を聞いている場面に出くわした。年齢の高い人よりも若い人が橋下氏の勝利を歓迎している様子だった。

久しぶりに梅田を歩いて、梅田界隈の激変ぶりを改めて感じた。駅北側には、ノースゲートビルディング、駅の南側には、サウスゲートビルディングがそそり立ち、大阪の玄関である梅田がすっかりサマ変わりしている。

大都市の変貌といえば、名古屋の駅周辺の再開発(高層ビル化)も目を見張る。両都市とも駅周辺だけが発展している点が共通している。そして、それぞれ大阪では橋下徹氏、名古屋では河村たかし氏というパフォーマンスが得意な政治家が実権を握っているところも似ている。

パフォーマンスのうまい大都市の首長がマスコミで大きく取り上げられるのも時代の流れなのだろうが、言い換えれば、それだけ国会議員に対する国民の失望が深まっている証拠でもある。

日曜日ということもあって梅田の人出は、東京でいえば新宿並みの多さだったが、この大阪の人々の熱気と期待が“失望”に変わらないように、橋下氏には、パフォーマンスではなく、大いに実績を挙げていただきたいものだ。

カテゴリ: 随感

好天に恵まれた文化の日

2011.11.03

今日の文化の日は、全国的に好天に恵まれた。スポーツの秋だけにさまざまな行事がおこなわれた。そんな中、昨日、航空自衛隊幹部学校で講演があったため単行本の原稿の仕上がりが遅れ、今日は事務所から一歩も出ずに終日、執筆に追われた。

原稿はあと少しで仕上げるつもりだが、入稿が7日の月曜日に迫っているので油断はできない。史料のチェックをおこないながらの執筆になっているので、机のまわりは完全に史料で埋まってしまった。

この時期は、大学の文化祭のシーズンでもある。あさって土曜日には、一橋大学で講演をすることになっているので、また執筆に少々、合間ができそうだ。講演内容は、今年4月に出版した一橋大学(当時は東京商科大学)出身の零戦特攻隊員、松藤大治少尉の生涯を描いた『蒼海に消ゆ』について、である。

現代の若者は、当時の特攻隊員のことをどう思うのか、楽しみだ。大学生と現代史について議論するのは私にとっても大いに刺激になる。さまざまなことをブログに書きたいが、なかなか余裕がない。いい作品を仕上げることに今は没頭したい。

カテゴリ: 随感

新聞まで指摘する「宰相不幸社会」

2011.06.24

ここまで来ると見事なものである。早期の退陣は必至と見られていた菅首相が衆院本会議で70日間の会期延長を実現し、8月一杯までの「続投」を自らつくり上げた。

さすがに読売新聞も「“最小不幸社会”を目指したはずなのに、“宰相”による不幸社会に陥ってしまっている」と呆れ、「求心力を失った首相が居座る限り、官僚機構は動こうとせず、与党でさえまとまらない」と公然と政権批判を社説に掲げている。

他人を見て嗤うのはたやすいが、「人間の出処進退」とは、それほど難しいものである。私自身も四半世紀にわたってサラリーマン生活をした経験があるため、地位に執着する“菅直人型”人間を数多く見て来た。実力がない人間に限ってその傾向が強いのは間違いない。

しかし、ことは一民間企業の中の話ではなく、国家の領袖をめぐるものである。震災に対してなんの手立てもなく、ただ会議だけを立ち上げてきた菅首相は、次の総理が自分のやったことを反故にするのを「異常に恐れている」のである。

震災復興会議などは、菅首相がその地位を下りた途端に、誰も見向きもしなくなるだろう。さらに言えば、震災の地を復興させることさえ他人まかせにしてしまう御仁が、会期を70日延長して、何かができるとは国民の誰も思ってはいない。ただ停滞の期間がつづくことに被災者たちも怒りを通り越してあきらめ顔なのである。

さて、当方も締切に追われ、ブログさえ更新できない状態がつづいているが、どうやら脱稿の目処が立った。8月刊行の単行本600枚である。菅首相の粘り強さを「参考に」、私もなんとか粘り腰を発揮した。

そんな中で、真珠湾攻撃やミッドウエー海戦などに参加した元兵士に会うために、一昨日は急遽、新幹線に飛び乗って長野まで行ってきた。昨日も、今日も、そしておそらく明日も、徹夜になるだろう。憑かれたように、ひたすら私はパソコンに向かっている。

見えて来た「仕上げ」のために、あとはラストスパートをかけるのみである。菅首相も8月一杯まで続投するつもりなら、見事なラストスパートかけてみたらいかがか。誰も期待はしていないが。

カテゴリ: 政治, 随感

寝ても覚めてもパソコンに向かう

2011.06.09

ここのところ徹夜がつづく。8月刊行の単行本用原稿である。寝ても覚めても、パソコンに向かって、書き続けている。窓の外の夜明けの淡い日差し、あるいは日没の夕陽も、パソコンに向かいながら見ている。

気がつくと、日没の位置がまったく違っている。事務所のある高層ビルの窓から見ていても、冬場の日没の位置とはまるで異なっていることがわかる。大震災から3か月が経つが、あの頃の位置ともまるで違う。

よく考えれば、2週間後は「夏至」である。1年で最も“昼が長い”日は、今年は6月22日だ。その時までには、600枚の原稿にメドを立てておかなければならない。ここ1週間が最大のヤマだ。

そんな事務所に、今日は早稲田大学の女子学生がインタビューにやって来た。ある伝統ある早稲田のサークルの面々で、自分たちの発行している雑誌に小生のインタビュー記事を掲載させて欲しいということだった。

政経学部2人と文化構想学部1人の計3人で、それぞれ外部受験で早稲田大学の難関学部に入った才媛たちだ。さすがに、こちらが話す内容への反応も素早く、感心した。外部受験で入った早稲田の女子学生たちの優秀さを実感する。

それぞれに興味の持ち方は違うようだったが、私は、物事に対する「視点」の置き方、根本の捉え方、思考停止に陥らない発想法……等々について話した。同じ物事に対しても、光をあてる角度、さらには視点を変えれば、それは、忽ちそれまでに気がつかなかった相貌を見せてくれるものである。

20歳を過ぎたばかりの女子学生たちが理解できるように話ができたか心許ないが、少なくとも1人は「こういう話、聞いたことがないです」と言っていたので、それなりにおもしろかったかもしれない。ためになったなら、幸いだ。

忙しすぎて現在開催中の全日本大学野球選手権も観に行けない状態が続いているが、東都の覇者・東洋大学と六大学の覇者・慶応大学が決勝で激突するなら原稿執筆をストップさせても観にいかなけれならない。

大学球界ナンバー・ワン左腕の藤岡貴裕(東洋)と大学球界ナンバー・ワンのスラッガ―伊藤隼太(慶応)の対決は、来年以降のプロ球界を背負って立つ選手同士の激突だけに、どうしても瞼に焼きつけておきたい。

カテゴリ: 野球, 随感

霞んだ海原の先にあった北方領土

2011.05.25

今日は、納沙布(ノサップ)岬に行ってきた。根室半島の先端にある岬で、東経145度49分、北緯は43度22分に位置する。言うまでもなく日本列島の最東端であり、北方領土を間近に望む岬である。

夏には多くの観光客が訪れる納沙布岬も、今日、私がいる間には一人の見物客もいなかった。かろうじて店を開けていた土産物屋のご主人に聞くと、「ここのところ、ほとんど客が来ないですね」と、あきらめ顔だった。

昨日は、史上初めて韓国の国会議員3人が国後島を訪問したばかりである。中国、韓国、ロシアの3国は、領土問題で共闘する方針を鮮明にしており、昨秋の中国人船長による尖閣侵犯&釈放問題に端を発して、一気に日本政府の領土に対する“弱気”を突いてきている。

領土をめぐる主張の中では、わずかの譲歩も許されないはずなのに、その国際社会の常識を知らない管政権は、歴史に確実に汚点を残している感を強くする。

今日の納沙布岬は、少し霧が出ていた。歯舞群島に含まれる貝殻島(かいがらじま)の灯台ははっきり見えたものの、その先の水晶島(ロシア名・タンフィーリエフ島)は、おぼろげに「何かがある」という程度にしかわからなかった。

はるか霞んだ先にある国後島に至っては、私の肉眼では捉えることができなかった。日本国民の悲願である北方領土返還への道のりが「いかに遠いか」を物語る風景だった。

納沙布岬のすぐ近くに降りることのできる浜辺があった。私は、この小さな浜辺で日本列島最東端の海の水に触ってみた。想像以上に冷たい。身体全体が浸かれば、命は30分と持たないだろう。「真冬には流氷がやってくる」ということがよくわかる。

海から吹いてくる風に、なぎ倒される寸前でやっと立っているかのような防風林はどれも背が低く、納沙布の自然の過酷さを表わしていた。辛うじて根室で咲いていた桜も、納沙布では、まだ咲き始めてもいなかった。

納沙布をあとにした私は、根室に戻り、中標津(なかしべつ)空港にバスで向かった。ところどころに「エゾシカ横断注意」という標識が立つ道路を2時間近く走ったが、バスの乗客はたった3人だった。究極の過疎化を感じる。

中標津発羽田行きのANA便の座席も、4分の1ぐらいしか埋まっていなかった。航空業界の生き残りもまた、納沙布の自然に負けないほど過酷かもしれない。

明日、私は、沖縄に向かう。歴史の重要証言を集める取材の旅は、まだまだ終わらない。

カテゴリ: 国際, 随感

北方領土「最前線の街」

2011.05.24

夜、根室までやって来た。釧路に住む大正12年生まれの沖縄戦の生き残り兵士に夕方まで取材をさせてもらって、「別保(べっぽ)」という無人駅から列車に飛び乗り、午後9時前に根室駅に着いた。

根室行きの列車はワンマンだった。それもそのはず、根室駅にも「駅員はいない」のである。聞けば、根室駅は、夕方以降は駅員不在なのだそうだ。

真っ暗な駅前で一軒だけ開いていた駅前のすし屋で夕食をとった後、ホテルに入った。それにしても寒い。今日の最低気温は摂氏3度だったそうだ。桜がやっと咲き始めたところに急に“寒波”が戻って来た、と根室の人は嘆いていた。夜はやっと摂氏5度となった。

私は、あさってから沖縄だが、その寒暖の差は、日本列島の長さを実感させることになるだろう。明日は、納沙布岬に行き、間近に迫る北方四島を見てくるつもりだ。

残念ながら根室名物の花咲ガニの季節には少し間があって、これを食べることはできなかった。日本で一番、桜の開花が遅い地域は、同時に北方領土の最前線の街でもある。

現場でなければ感じられない“何か”をできるだけ感じてこようと思う。

カテゴリ: 随感

帯広から釧路へ

2011.05.23

今日は帯広から釧路までやって来た。明日は、沖縄戦の生還者の取材をさせてもらうつもりだ。車窓からの風景が、農地が中心だった帯広とはまるで違い、大平原と原野の連続だった。

駅まで出迎えてくれた釧路の支局長と共に、夜、鯨料理に舌鼓を打った。鯨の刺身、揚げ物、さえずり、巻き寿司……と、鯨づくしだ。どれも絶品の味だった。大満足で店の外に出ると気温は5度。頬を撫でる夜風の冷たさにぞくっとした。

聞けば、今日は日中も最高気温が摂氏7度だったという。まるで東京の冬の気温だ。前方に太平洋の大海原、後方には釧路湿原を抱える同地の真冬の過酷さが想像できた。

今年の夏は、東京は電力不足によって辛い季節となる。夏には、ここ釧路に一時移住する東京人が増えるかもしれない。海の幸に恵まれ、夏も冷房いらずの釧路は、この夏、大いなる注目を浴びる予感がする。

明日の取材を終えると、釧路から根室に向かい、そのあと一旦、東京に帰って、木曜日からは取材で沖縄に飛ぶ予定だ。日本列島の端から端の移動である。

気温の変化も激しいので、体調管理に気をつけたい。

カテゴリ: 随感

神保町の小さなバーに集まった中年たち

2011.05.20

東京電力の清水正孝社長が引責辞任し、後任に西沢俊夫常務が起用されることが発表された。また、同社の決算発表で連結純損失が過去最悪の1兆2473億円に上ったことも明らかにされた。

もちろん、この額は史上最大の赤字で、ひとつの企業でもはや賄えるようなレベルでないことは明らかだ。東電株を大量保有していた企業は、巨額の含み損を抱え、いよいよ財務体質の悪化が懸念されている。

それだけではない。東電関係の多くの下請け企業が、仕事そのものがなくなり、悲鳴を上げている。また人口減少と広告激減を理由に福島の地元マスコミの経営悪化は、すでに不可避の状況だ。

さまざまな関係者が、企業や事業の存続が危ぶまれる状況に陥り、リストラの強化、新卒者の就職率悪化も必至の事態を迎えている。これまで当ブログで書いて来た通り、本来やらなければならないことを怠り、現在の事態を惹起した東電歴代役員の刑事責任追及と私財拠出による補償金への協力はもはや不可欠と言える。

さて、本日は締切と打ち合わせの合間を縫って、そんなニュースを横目に夜、大学のサークルの集まりに顔を出した。タイのバンコクから一時帰国した先輩を囲んで一杯やるためである。

すでに定年間近の先輩から、ようやく50台に乗った同輩、あるいは40代半ばのバリバリの中堅サラリーマンまで、およそ20数名がかつてのサークルの溜まり場・神保町の「ラドリオ」というバー(昼間は喫茶店)に集まった。狭い店は、たちまちワイワイガヤガヤと満席となった。

皆それぞれに年がいったものだが、自分自身も年を食ったので、他人のさま変わりぶりは、いっさい気にならない。一瞬にして大学時代の“顔”に戻ることができるのが、こういうサークルの仲間のいいところだ。

以前のブログにも書いたが、私たちのサークルの顧問である小谷哲也氏(今年80歳)は、「(なんでも)集まることが大事」と説き続けた。今日も先輩の一人が外国から一時帰国しただけで、これだけの人数が急遽集まるのは、さすが、というほかない。

大震災&原発事故で日本そのものの先行きが不透明な中で、神保町の小さな店に集まった中年のパワーだけがなぜか“全開”だった。ここには不況も不安もないのではないかという錯覚に捉われた数時間だった。

カテゴリ: 地震, 随感

冷たい雨が降りつづく東京

2011.03.01

東京は1日、冷たい雨が降りつづいた。全国的に天気が悪かったようだ。先週末の温かさから一転、冬に逆戻りで、昨年につづく異常気象を予感させる気候だった。

今日は、「東京スカイツリー」が中国の「広州タワー」を抜いて自立式電波塔として世界一の高さになるというので、はるか新宿の事務所から東京スカイツリーを見ていたが、雨にけぶって先端の方はとても見えなかった。

夕方から、TBSのNスタに出演の日だったが、やはりこの話題が最初だった。それから、インターネットの投稿サイトへの入試問題漏洩事件がつづいた。

それにしても「時代は変わったものだ」と思う。昔は、不正入試といえば「替え玉受験」と相場は決まっていたが、今は、入試会場から直接、受験生が電波を飛ばして、回答を得るという“画期的(?)”な方法に変わったというのである。

私が高校時代に、ある有名女子大の入試で、娘に代わって高校で英語を教えている父親が替え玉として受験し、それがバレたことがあった。頭と顔をかつらで隠し、喉仏はタートルネックのセーターで隠したが、答案を書く時に「手」だけはさすがに隠せなかった。そのため、ごつごつして骨ばった手を隣の席で受験していた女子高生に気づかれ、発覚した事件である。

これは、私が高校時代の事件だったので鮮烈な印象を持っている。今日、その話でコメントしたら、堀尾キャスターをはじめ、みなさんが驚いたようすだった。

時代が変わるにつれ、不正入試の方法は変わってきたが、それにしても「不正」をしてでも大学へ入ろうという輩はいつまでも消えてなくならない。やはりこれが「人間の性(さが)」というものなのだろう。

今日から3月。入試のシーズンもいよいよ終わり、卒業式という“別れのシーズン”に入る。それが終われば、出会いの季節である4月だ。

夜まで冷たい雨が降りつづいている東京だが、なんとなくこの雨が上がったら、一気に温かくなりそうな気がする。いよいよ春近し、である。

カテゴリ: 随感

真の「正義」への理解

2011.02.26

今日は取材と講演が重なり、1日中、バタバタした。昼間は、南青山での昭和18年学徒出陣組の海軍14期生たちの会合に参加させてもらって取材をし、それが終わってから千葉県流山市に講演に行った。

最近、講演テーマが多岐にわたっているので、時々、困ることがある。スポーツ物の講演を希望される時もあれば、司法関係のもの、あるいは歴史関係のものもある。今日は、プロ野球界の伝説の打撃コーチ・高畠導宏さんの話と、元北支那方面軍司令官の根本博中将などの話をさせてもらった。

さまざまなテーマでお話をさせてもらうと、聴いてくれている人たちの反応がそれぞれ違うので興味深い。いろいろなことを知りたいという知的好奇心のある人が日本中どこにもいることを感じる機会が増えている。

今日の話で言いたかったのは、世の中の表面的な「正義」に惑わされず、真の意味の「正義」を理解して欲しいということだ。そのために、さまざまな事例を出して話をさせてもらった。

本日、『WiLL』4月号が発売になった。作家の大下英治さんと麻生幾さんと私の3人の座談会が掲載されている。テーマは、「週刊誌に未来はあるか」。3人とも週刊文春や週刊新潮にいた元記者である。

お二人と話し合いながら、「建て前を知るなら新聞、本音を知りたいなら週刊誌」と言われた雑誌全盛の時代を思い浮かべた。かつては、告発型ジャーナリズムの最高峰にいた私の古巣(週刊新潮)も今では見る影もない。

そのことを指摘されて座談会では私も言葉が詰まった。寂しさが募る今日この頃だ。

カテゴリ: 随感

「原稿600枚」無事脱稿

2011.02.25

本日、原稿600枚を脱稿した。苦戦がつづき、予定より5日ほど遅れての仕上がりだ。まだ発行日は正式決定していないが、おそらく4月になるだろう。

アメリカのカリフォルニア州やミシシッピ州……、あるいは国内でも関東、関西、四国、九州など、広範囲な取材を展開した末の脱稿なので、感慨深いものがある。

今回は、日系二世としてアメリカのサクラメントに生まれ、最後は250キロ爆弾を抱いた零戦でアメリカ艦船に特攻していった青年の物語だ。

ノンフィクションは、ただ“事実”のみに向かって掘り進めるものである。小説が「創る」作業なら、ノンフィクションは「掘る」作業にほかならない。

アメリカ南部、あるいは西海岸など、さまざまな場所で「真実」を求めて掘りつづけた私の挑戦も、今日の脱稿でひとまず終わった。

どの時代の人であろうと、毅然と、そして潔く生きた人々の姿には心が揺り動かされる。時間や空間を超えた感動がそこにはあるからだ。これからもそういう対象を一人でも多く、掘りあてたいと思う。

カテゴリ: 随感

第26回正論大賞パーティー

2011.02.16

今日は櫻井よしこさんの第26回正論大賞の受賞パーティーが赤坂プリンスホテルであり、出かけてきた。さすが櫻井さんの受賞パーティーだけに、日本の言論人が勢揃いした感があった。

あでやかな着物姿で現われた櫻井さんのまわりには人の輪ができて、なかなかご本人に近づくことができなかった。待ちに待って、やっとほんの数秒間、ひと言だけお祝いを言わせてもらった。

小生の3年前の独立パーティーの時も、また先日の「山本七平賞」受賞のパーティーの時も、心のこもったスピーチをしていただいた櫻井さんである。多くの人が櫻井さんの「言論」だけでなく、「人柄」に惹きつけられてこの場に集まったことが会場の雰囲気からもよくわかった。

佐瀬昌盛さんをはじめ、久しぶりにお会いする方も多く、屋山太郎さんにはご夫妻にお会いすることができた。フジテレビの豊田皓社長、太田英昭専務とも随分久しぶりだった。さすが日本を代表するパーティーである。

私の週刊新潮時代の部下も何人も来ていた。本来なら二次会、三次会と流れるところだが、連日徹夜状態で、今晩も徹夜が控えている私は一次会で失礼させてもらった。

いよいよ4月刊行の単行本執筆も大詰めが来ている。軸のぶれない櫻井さんが旺盛な執筆活動をつづけている中、後輩の私が遅れをとるわけにはいかない。櫻井さんに一歩でも近づけるように、埋もれた歴史の発掘と日本人の生きざまを、独自の視点でこれからもしっかり描いていきたい。

カテゴリ: 随感

降り積もる雪を見ながら

2011.02.14

東京は、しんしんと雪が降っている。午後9時過ぎから積もり始めた雪は、時間が経つにつれ、厚みを増している。いま私は事務所の窓から一面、銀世界になった新宿の街を見つめている。

4月刊行予定の単行本原稿もやっと終わりに近づいている。分量的には、7割から8割といったところか。運命に抗(あらが)うことなく、淡々と生き、淡々と死んでいった一橋大学出身の海軍学徒兵の物語である。

今日もこのまま徹夜で原稿を書くことになるだろう。アメリカに生まれた日系二世でありながら、零戦で沖縄を取り囲むアメリカの機動部隊に敢然と特攻して行ったこの若者が「最後に見た光景」は何だったのだろうか。

私は、23歳で死んだこの若者の戦友たちを訪ね歩きながら、人間の運命の不思議さを改めて感じている。私が今回描くのは海軍少尉(死後、2階級特進で海軍大尉)だが、当時の若者の「死」と向き合った日常はやはり飽食の時代の現代からは想像もできない。

先週公開された映画「太平洋の奇跡―フォックスと呼ばれた男」は、玉砕の島・サイパンで生き抜いた陸軍大尉を描いた作品だ。聞けば、興行成績も順調だそうだ。これは、今の若者が極限状態にいた当時の若者の生き方に関心を持ち始めている証左でもある。

私たちは、いま存在している空間と、歴史という時間軸のちょうどクロスした場所で生きている。空間も、時間軸も、いずれも大切なことに変わりない。現在の日本をつくる礎となった人々を忘れてしまっては、未来というものが決して豊かなものにならないことは言うまでもない。

降り積もる雪を見ながら、多くの貴重な人材を失っていった太平洋戦争という人類の悲劇の意味を私は考えている。

カテゴリ: 歴史, 随感

徹夜の執筆つづく

2011.02.08

4月出版予定の単行本執筆が佳境に入っている。連日徹夜が続いているが、まだまだ仕上げまでは遠い。おそらく今晩も徹夜になるだろう。

そんな中で、昨日は某雑誌が企画した座談会に出席。座談会のメンバーは、作家の大下英治さん、麻生幾さん、そして私の3人だ。内容は雑誌が発売になるまで伏せさせていただくが、大下さんも、麻生さんも大変闊達、かつ雄弁にお話をされていた。

二人は週刊文春出身で、私は週刊新潮の出身である。その三人が集まったら、大体どういう座談会になったかは想像がつくかもしれない。

今日は、執筆の合間に松戸で講演会があり、そちらにも出かけてきた。テーマは「裁判員制度はなぜ必要なのか」というもので、いかに官僚裁判官によって日本の法廷が“セレモニー化”され、とんでもないものになってきたかを述べさせてもらった。

いつの世でも「正義を貫く」ことは簡単ではない。しかし、正義も、それを守る気概も、すべてを失った日本の官僚裁判官たちが、裁判員制度の導入がなければ「目が覚めなかった」ことは確かだろう。

これまでの著作で、私はそのことを書き続けているので、関心がある方は、是非、私の司法関係の著作をお読みいただきたいと思う。

わかりやすい例も最近あった。週刊現代の大相撲八百長告発記事は昨年10月、大相撲協会に対する名誉棄損が認定され、最高裁が「損害賠償3960万円」という史上最高額の賠償を確定させたばかりだ。

つまり、司法はつい3か月前に「大相撲に八百長はない」ことを高らかに宣言し、メディアを断罪し、真実を完全に「見誤った」のである。4000万円近い賠償をメディアに科し、言論の自由という民主主義の根幹を揺るがせつづける日本の官僚裁判官たちの姿がそこにはある。その判決にかかわった官僚裁判官たちに、今回発覚した大相撲の八百長問題をどう思うのか、是非聞いてみたいものだ。

通常国会での質疑のことなど、ブログに書きたいことは沢山あるが、とにかくしばらくは徹夜での原稿執筆が続くので、機会を改めさせていただきたく思う。

カテゴリ: 司法, 随感

「一つの時代」の終焉

2011.02.05

今日は、いつも飲み会に参加させてもらっている「甲子園会」というコアな野球人たちの集まりで、私の「山本七平賞」受賞のお祝いをしていただけるというので銀座まで出かけてきた。

会場は、高知県アンテナショップ「まるごと高知」の2Fにある「おきゃく」だった。土佐高の私の後輩である濱田知佐さんがマネージャーをしているお店である。

40人ほどの飲み会で、およそ3時間にわたって楽しい交流の場となった。受賞のお祝いに「たこ焼き鉄板セット」まで頂戴したので、明日の徹夜からさっそく“夜食”に利用させてもらおうと思う。ありがとうございました。

それにしても、参加者にこれまでの私の作品を読んでくれていた人が驚くほど多く、感激した。私は、さまざまなジャンルでノンフィクション作品を発表しているが、個人的に話をさせてもらった人たちがそれぞれ異なる分野の私の本の感想を伝えてくれたので、大変な“励み”になった。

飲み会から帰ってきたら、連合赤軍事件の永田洋子が亡くなったという知らせが飛び込んできた。連合赤軍事件の主犯で、死刑確定囚である。ここ数年、脳腫瘍のために寝たきりの状態が続いていた。そのため、物理的に「死刑執行ができない」という状況だったのである。

長く栄養も呼吸も「機械によってなされていた」ので、おそらく衰弱死と思われる。死刑執行を待つ死刑囚を、日本政府が「機械をつけて延命処置を続けた」というのはなんとも皮肉というほかない。明日の朝刊は、きっと永田の訃報記事で埋められるだろう。

私は、連合赤軍事件と言うと、高木彬光著『神曲地獄篇』(光文社)の描写がいまだに忘れられない。推理小説家の高木氏が、突如、捜査資料をもとにしたノンフィクションのような作品を発表して世間を驚かせたものである。

そこで描かれた永田洋子の姿は、当時、中学生だった私にこの上ない衝撃を与えた。人間がここまで残酷になれるのかという部分と、女性の持つ狂気と弱さなどが詳しく描かれていた。それは、いま思えば、高木氏の筆力があって初めて可能なものだっただろう。

「一つの時代が終わった」。私に連絡をくれた永田洋子の弁護士はそう呟いた。たしかにそう思う。“全共闘政権”と揶揄されている現在の民主党政権は、近い将来、確実に“崩壊”する。これは、歴史的には「戦後長く続いた“イデオロギーの時代”が終焉する」ことを意味している。

そんな時に、学生運動が過激化の一途を辿ったあの狂気の時代を代表する一人がこの世を去ったのである。「一つの時代」は、たしかに終わったのである。

カテゴリ: 事件, 随感

“時間の流れ”の速さ

2011.01.31

早くも今日で「1月」が終わる。2011年が明けたかと思うと、あっという間に駆け足で日数が重ねられている感じがする。

私個人で言えば、4月刊行予定の単行本「600枚」の原稿がまだまだメドが立たず、苦戦が続いている。そんな中、札幌で証券マンとして活躍する早稲田大学野球部OBが今日、事務所を訪ねてきてくれた。

昨年、新潮社から上梓した「あの一瞬―アスリートはなぜ奇跡を起こすのか」の冒頭部分に登場する若者である。社会人1年生だけに、厳しい試練に遭っているとは思うが、そんな苦労をおクビにも出さないところが、さすがスポーツマンである。札幌での生活や証券界の現状について、いろいろ話してくれた。

やっと今日から1週間の休みをとれたので、千歳から羽田へ、そして故郷の信州に帰る途中で新宿で降りて事務所を訪ねてきてくれた。ありがたい限りである。爽やかな好青年だけに、これからじわりと組織の中でも力を発揮していくだろう。

一方、間もなく春節(旧正月)が始まる台湾からは、親しい友人からメールが来た。春節とは、中国も台湾も、すべての機能がストップになるほどの“1年最大”のビッグイベントである。

台湾の友人からのメールによれば、今日、台北の交通機関に乗ると、スーツケースを引っ張って歩く人の姿がやたら目についたという。台北駅から故郷に帰省する人たちや、台湾桃園空港から海外旅行に行く人たち、もう1つは、市内の松山空港から中国か日本へと遊びに行く人たちだそうだ。

旧正月を祝う方が伝統的とはいえ、ここのところ、台湾では「新正月」を正月とする風潮が次第に強くなっているそうだ。そのため、「年明け」から「旧正月」までの約1か月は、新年が明けたようで、明けていない落ち着かない気分が続くのだという。そんな中途半端な気持ちも、間もなく始まる旧正月で一掃されるのである。

今年のお正月にまとまった休みもとれず、今になって休みをもらって故郷信州に向かう途中で顔を見せてくれた早稲田野球部OBのフレッシュマンの背中を見送りながら、私は、2011年の“時間の流れ”の速さを改めて感じていた。


カテゴリ: 随感

惜しまれる「あすの会・岡村勲代表幹事」の勇退

2011.01.23

本日、千代田区北の丸公園の科学技術館サイエンスホールで開かれた「あすの会(全国犯罪被害者の会)」の第11回大会で、同会が発足以来“代表幹事”を務めた岡村勲弁護士(81)がその地位を退いた。

岡村氏がこの11年間で果たした社会的功績の大きさを思うと、どんな賞賛と感謝の言葉も色褪せてしまうのではないだろうか。

1997年10月、山一証券の顧問をしていた岡村弁護士は“逆恨み”した山一の債権者によって妻が殺害され、犯罪被害者となった。絶望と無力感に苛まれた岡村氏は生きる気力を失った。

その岡村弁護士に、何の権利もない日本の犯罪被害者の実態を訴え、活動を勧めたのが大阪の林良平氏である。彼もまた看護婦だった妻が何者かに刺されて重い後遺症を負った犯罪被害者の一人だった。

林氏の熱心な呼びかけに応じて、光市母子殺害事件の被害者・本村洋氏(当時23歳)もはるばる山口から上京し、東京・丸の内の岡村弁護士の事務所に数人の犯罪被害者が集まった。それが、「あすの会」発足のもとになる会合だった。1999年10月のことだ。

以来、11年余。それまで法廷で何の権利もなく、被害者の遺影さえ持ち込むことも許されなかった“虫ケラ同然”の犯罪被害者たちの声が、やがて政府や世論を突き動かしていくのである。

本村氏の活動をはじめ、世論を揺り動かしていく「あすの会」のようすは拙著「なぜ君は絶望と闘えたのか」(新潮社)で詳しく記述させてもらった。旧知の岡村弁護士にはこの時にもひと方ならぬお世話になり、今も時々、取材や執筆の際に参考意見をいただいている。

あすの会は、2004年12月には、早くも「犯罪被害者等基本法」を成立させ、その3年後には「被害者参加制度」を盛り込んだ刑事訴訟法改正を現実のものとした。また2009年には、殺人事件等の「公訴時効」廃止の要望書を政府に提出して、これまた実現させた。

それらは、人権と言えば「犯罪者の権利」としか捉えていなかった大手マスコミの記者たちの目を開かせ、世の中の流れを完全に変える出来事だったと言える。その意味で、私は、「あすの会」の活動とは、“うわべの正義”を真の正義だと誤解して来た戦後ジャーナリズムへの痛烈なアンチ・テーゼであったと思う。

私は、岡村弁護士ら「あすの会」と、北朝鮮拉致を訴え続けた「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)」の2つの会が戦後ジャーナリズムに与えた衝撃と影響ははかり知れないと思っている。その歴史的意義については、また稿を改めて書かせてもらう機会もあるだろうと思う。

本日、退任の挨拶に立った岡村氏は、今朝、亡き妻の遺影に「仇は討ったよ」と報告したことを明かした。私は、その瞬間、岡村氏の目に熱いものがこみ上げたのを見逃さなかった。

岡村弁護士、本当に長い間、お疲れ様でした。代表幹事をたとえ退いても、顧問の立場で、これからもどんどんと後輩を引っ張ってやってください。

それが、うわべだけの正義に毒された日本のマスコミ人たちの目をも「開かせ続ける」ことを、私は信じて疑わない。

カテゴリ: 事件, 随感

ご遺族から受けた励ましの言葉

2011.01.20

ここのところ取材と執筆が立て込んでいる。昨日は、締切と取材を両方こなし、夜は新年会に参加させてもらった。また今日は、母校・中大の出身者でつくる「出版白門会」の新年会に講演で呼ばれ、夜はまた執筆に戻って、徹夜状態になりつつある。

年末年始は何かと会合に呼ばれることが多い。作家やジャーナリストも一種の“客商売”なので、招待されればできるだけ顔を出すようにしている。

だが、サラリーマンではないだけに、執筆の時間から遠去かると、今度は本業が疎(おろそ)かになるので、その兼ね合いが難しい。来週も地方講演が入っているが、本業への影響をできるだけ少なくしたい。

本日、昨年の取材でお世話になった戦艦大和の元乗組員(90)が亡くなったという知らせをご家族からいただいた。

昨年10月にお聞きした証言が、文字通り“最後の証言”となった。息子さんよりも年下である私に戦艦大和の最期のようすを生き生きと再現してくれたありし日の姿が思い出される。

さまざまな貴重な証言が時間の壁の向こうに埋もれつつあることを実感する。時間は待ってはくれない。ご家族にお悔やみを言わせてもらった私は、逆に、ご家族から励ましの言葉を受けた。これからも(歴史の)真実をきちんと残していって欲しい、と。

その思いに、ジャーナリストとしてなんとしても応えたい。

カテゴリ: 歴史, 随感

幕が開いた激動の2011年

2011.01.01

激動の2011年(平成23年)が明けた。国際的にも、あるいは国内の財政事情を見ても、重大な「岐路」に立つ日本が再浮上のチャンスを掴むのか、それともこのまま沈没していくのか――この1年は後世から見れば、極めて重要な年だったことがわかるに違いない。

そんな1年の冒頭を飾る記事とはどんなものなのか。私は長くこの業界にいる人間の習性として、元旦の各紙のトップ記事をわくわくしながら見ることにしている。

しかし、かつては各紙が元旦スクープを狙って鎬(しのぎ)を削ったものだが、ここのところ記憶に残るような1面トップを掲げる新聞は、とんと見当たらない。

今日の各紙も“企画もの”を1面トップに持ってくる程度で、唯一、読売新聞だけが警視庁公安部の国際テロ関連の内部資料がインターネット上に流出した事件で、「流出2日前」にこのサイトの接続先を示すメールが捜査員らに送られていたことを報じた。

内部犯行であることを伝える記事で、それなりに取材した記者の苦労を窺わせる記事だったが、“元旦スクープ”と呼ぶにはパワー不足は否めない。

読売と言えば、今から16年前の1995年元旦、1面トップ記事として上九一色村のオウム真理教のサティアン周辺からサリン生成の際に出る成分の残留物が「検出された」という大スクープを放ったことを思い出す。

それは、前年に起きた松本サリン事件とオウム真理教を結びつける特ダネで、その年の話題を独占したオウム真理教事件に対する狼煙(のろし)を上げるものだった。

それは、まさに他紙を「アッと言わせた」ものだが、最近の新聞にそんな度肝を抜くスクープを期待するのは無理だろう。

例の尖閣ビデオ流出問題の際も、国家公務員法の「守秘義務」を理由に、映像を流出させた「海保職員の逮捕は当然」という論陣を張ったマスコミがいかに多かったことか。

公務員の守秘義務の壁を乗り越えて「国民の知る権利」に応える仕事(=ジャーナリズム)に就いていながら、その使命を自ら放棄したかのような論陣を張るマスコミに、そもそも情報源が信頼を置いてくれるはずもなく、そのため“スクープ”というもの自体が極めて少なくなっているのである。

マスコミに限らず日本人の“劣化”を最近、さまざまな場面で感じることがある。日本のジャーナリズムが本来の役割を果たせなくなった今、羅針盤を失った船のように日本は今年も大海を彷徨(さまよ)うことになるのだろうか。

特定の国や勢力に媚びへつらい、日本という国から道理と誇りを失わせることだけはやめて欲しいと思う。マスコミにとっては、この「1年」が自己規制と思考停止を乗り越える画期的な年であって欲しいと心から願いたい。

カテゴリ: 随感

穏やかな東京の大晦日

2010.12.31

2010年の大晦日が過ぎようとしている。列島各地で大雪のニュースが飛び交う中、東京は澄みわたった冷気が広がる穏やかな1日となった。

西新宿の事務所からも、遠く群馬の赤城山まで見渡せるほど空気がきれいだった。自動車の排気ガスがない年末年始の東京はこれほど過ごしやすいのか、と改めて感じさせられた。

わが家は毎年、年末年始に故郷の土佐の実家で過ごすのが常だが、今年は次男の高校受験でそれも叶わない。受験生に風邪を引かさないように気をつけながら、このお正月を“静かに”東京で過ごすことになる。

今年1年、さまざまなことがあった。私ごとでは、文庫を含めて4冊の新刊を出したが、どれも少なからず反響を呼ぶことができ、さまざまな方から多くのご意見を頂戴した。

「この命、義に捧ぐ」(集英社)が第19回山本七平賞を受賞したり、あるいは「なぜ君は絶望と闘えたのか」(新潮社)を原作とするWOWOWのドラマ(江口洋介主演)が芸術祭大賞を受賞したり、幸運にも恵まれた1年だった。

来年も、おそらく今年と同じぐらいのペースで新刊を出していくことになるだろうと思う。昨年は「新潮45」、今年は「文藝春秋」で共に連載をさせてもらったが、月刊誌の締切を抱えると、どうしても単行本の取材と執筆にシワ寄せが来るため、その分、新刊本の発行が遅れる傾向がある。

最近、毅然とした日本人の生きざまを描く私の題材への関心が増えつつあることを肌で感じている。忘れられつつある日本人のよさと本来の姿を、私はこれからもしっかり描いていこうと思う。

今年1年、ありがとうございました。そして、来年もますます頑張りましょう!

カテゴリ: 随感

シカゴ、そしてメンフィスへ

2010.12.01

成田から、はるばる15時間もかけてアメリカ南部の町・メンフィスにやって来た。かのマーチン・ルーサー・キング牧師が暗殺された地でもある。

シカゴで国内便に乗り換えたが、雨まじりのシカゴは、気温わずかに1度。東京とは比較にならない寒さだった。

シカゴからさらに2時間弱飛行機に揺られて着いたメンフィスは南部の町なので、勝手に「暖かい」と想像していたが、予想は見事に裏切られた。

シカゴほどではなかったものの、それでも気温3度で、東京より随分寒い。明日は、メンフィスから車でミシシッピ州のオックスフォードに向かう。およそ1時間半ほどの道のりだ。

目指す取材相手は、86歳の“歴史の証言者”である。ノンフィクションの宿命ともいえる“時間の壁との闘い”は待ったなしである。是非、有意義な取材になって欲しい。

カテゴリ: 随感

明日から海外取材へ

2010.11.29

明日(30日)から訪米する。次作のノンフィクション作品の“詰め”の取材だ。行き先は、ミシシッピ州とカリフォルニア州である。

ある日系2世が今回のノンフィクション作品の主役だ。昭和20年4月に亡くなった零戦パイロットである。その人物の親族が今もアメリカに生きている。親族の口からどんな秘話が飛び出すか、今から楽しみだ。

いつも取材で感じることだが、毅然と生きた人物の足跡を辿るのは楽しい。きっと取材させてもらう側の私自身が「勇気が湧いてくる」からに違いない。

その私自身の感動が読者への感動につながっていくのだと思う。今回も是非、取材を成功させてきたいと思う。

黄海での米韓合同軍事演習で、東アジアは緊迫の度を加えている。こんな時期に日本を離れていいのか、という思いもある。

しばらくアメリカから東アジアの様子を注視することにする。

カテゴリ: 随感

学生よ、マスコミの門を叩け

2010.10.27

今日は、久しぶりに明治大学の基礎マスコミ講座の授業が和泉校舎であった。夕方6時からの授業だというのに、マスコミ・ジャーナリズムを目指す熱心な学生たちが教室には集まっていた。

授業を始めようと思ったら、冒頭、いきなり学生たちが、小生の『この命、義に捧ぐ―台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(集英社)の山本七平賞受賞に対するお祝いの言葉を読み上げてくれた。そして、花束まで贈呈された。思いがけないことで感激した。

その学生のお祝いの言葉の中に「基礎マスコミ研究室も今年26年目を迎えました。私たちも根本博のような覚悟の下に、成長していければと思っています」という部分があった。

拙著の中に描かれている根本博将軍が身をもって示した“覚悟”に対して、学生たちが「何か」を感じてくれていたことがわかり、嬉しかった。

マスコミ志望の明治の学生たちにジャーナリズムとは何か、そして作文・面接の指導をやらせてもらって、すでに10年ほど経つ。

その間、多くの学生たちがマスコミへと進み、ジャーナリズムの世界で活躍している。頼もしい限りだ。

今日は、作文講座をやる前に学生たちに「ものの考え方について~思考停止とタブー~」と題して、日頃常識だと思っている概念が実はまったく「そうではない」ものであるという話をさせてもらった。

尖閣問題や核廃絶問題を例にとっての話だったが、私が展開した意外な論理展開に、学生たちも興味津々のようだった。

要は、日本の社会やマスコミが毒されている「思考停止」に対して、いかに柔軟で根本を見据えた考え方ができるかどうか――その発想や思考の仕方を見つめ直してもらったのである。

今日は他大学からも聴講に来てくれていたので、帰りに学生たちと居酒屋に寄って、いろいろ話をした。学生と話し合うのは、いつになっても面白い。こういう熱心な学生に是非、マスコミの門を「叩いて欲しい」ものだ。


カテゴリ: マスコミ, 随感

どこへ行ったのか「日本の四季」

2010.10.26

二日続けての徹夜で「文藝春秋」の短期集中連載「九十歳の兵士たち」の記事(最終回)を書き上げた。その合間を縫って大磯まで講演に行ったりしたため、今回の締め切りは、特に疲労が蓄積している。

今日は夕方、TBSの報道番組「Nスタ」にコメンテーターとして出演していたが、「秋」どころか一挙に「冬」になってしまった様子が詳しく報じられていた。映像を見ながら、今年の異常気象は尋常ではない、とつくづく思った。

山に餌(えさ)がなくなり、人里に下りて人間を襲い、射殺される熊があとを絶たない中、大自然は一挙に「秋」をすっ飛ばしてしまったのだ。

「Nスタ」のあと、赤坂で知人と一杯やってから帰ってきたが、店を出ると、もう肌寒くなっていた。10月であるとはとても信じられない。

日本の文化は、有史以来、四季の多彩さで成り立ってきた。穏やかで情緒を重んじる日本人の特性も、長い年月をかけて四季の彩りと豊かさがもたらしたものだ。今年の異常気象は、まるでそれらを木端微塵(こっぱみじん)にしようとしているかのようだ。

反日デモが相次ぐ彼(か)の国のように、日本を本当に「木端微塵にしたい」という願望を抱く輩は少なくない。

今日も右往左往する日本の国会を見ながら、日本伝統の「四季」さえも、国家のテイを成していない今の日本に対して「怒り狂っている」のではないかと、ふと思った。

カテゴリ: 随感

人にとって「母校」とは

2010.10.06

今日は、母校・中央大学に創立125周年事業の一環としての講演に招かれ、はるばる八王子キャンパスに行ってきた。といっても、私は“前座講演”である。

主役は今年85歳を迎えた藤江英輔さんだ。藤江さんは、中央大学の第二校歌とまで呼ばれる名曲「惜別の歌」の作曲者である。

私は昨年、文藝春秋から「康子十九歳 戦渦の日記」を上梓したが、この中で藤江さんがつくられた「惜別の歌」のことを書かせてもらった。

本の主人公は東京女高師専攻科の粟屋康子さんという女性だが、当時の若者の心情を表わす意味で、どうしてもこの「惜別の歌」誕生秘話に触れたかったのだ。

藤江さんは85歳を迎えても衰えを知らず、「惜別の歌」について淡々と講演をされた。私は、その藤江さんの紹介と、自分なりの当時の若者への思いを語らせてもらった。

講演後、中央大学グリークラブによる「校歌」と「惜別の歌」の合唱があり、藤江さんが彼ら学生たちに対してステージの下から「指揮を執る」という感動の場面があった。

そのあと、私自身も講演を聴いてくれた沢山のOBから励ましの言葉をいただいた。前夜、BSイレブンに出演して1時間にわたって私が話した内容について、「共感した」と大いに励まされた。

どんな時でも応援してくれて、勇気を与えてもらえる場所。それが母校である。私にとって、久しぶりに故郷に戻ったような、ほっとできる1日を過ごさせてもらった。

カテゴリ: 随感

集まることによって“何か”が生まれる

2010.09.19

今日は3連休の中日だ。締切の合間を縫って、大学時代のサークルの集まりに顔を出した。

中央大学の「グループH」というサークルのOB会である。中央大学の職員だった小谷哲也さんがマスコミ・ジャーナリズムを目指す学生のために50年前に設立したサークルである。

70代の後半を迎えた小谷さんを囲んでテレビ局や出版社の現役幹部たち……等々が集まり、およそ4時間にわたってワイワイガヤガヤとやらせてもらった。

今日の集まりは、「ゲゲゲの女房」のヒット作を生みだしたこのサークル出身の編集者の「50万部突破」記念と、拙著「この命、義に捧ぐ」の第19回山本七平賞受賞の2つが“酒の肴”だった。しかし、会の目的は、あくまで「小谷さんを囲んで話をする」というものである。

小谷さんのまわりに集まった弟子たちの頭がすっかり白くなっているのは、このサークルの伝統の重さを表わしている。

小谷さんが中央大学を辞めて以来、現役の学生との接触がなくなってしまったが、マスコミ・ジャーナリズムの間で、これだけ強い勢力と結束を誇っている大学のサークルというのは類を見ない。

私自身も、ノンフィクション作品を取材執筆するにあたって、どれだけサークルの先輩たちに協力を仰いでいるか知れない。私が学生時代から、小谷さんの口癖は「とにかく集まることだ。集まることによってそこから“何か”が生まれる」というものだった。

今日の集まりが、また次の作品を生みだすヒントになり、さらには私自身が諸先輩や仲間、後輩たちの役に立てることがあれば、と思う。

80近い歳となってしまった小谷さんと、それを囲む弟子たちの姿を見ながら、「集まることによって“何か”が生まれる」という言葉を、しみじみ噛みしめた1日だった。

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明日発売の「Voice」と「文藝春秋」

2010.09.09

明日10日発売の「Voice」(10月号・PHP研究所)が6ページにわたって私のインタビュー記事を掲載してくれている。「この命、義に捧ぐ」の取材秘話と、“冬の時代”と言われるノンフィクションの現状に対する見解を聞かれて、さまざまな見地から話をさせてもらったものだ。

私の取りとめのない話を、見事な構成力で的確にまとめてくれている。ちょうど「この命、義に捧ぐ」が第19回山本七平賞を受賞したので、このインタビュー記事自体が絶好のタイミングとなった。

今のノンフィクション界は、作者の思い入ればかりが前面に出た「俺が……」「俺が……」という作品や、あるいは自分自身の特殊な個人体験を書いた作品ばかりが幅を利かし、いわゆる“一人称ノンフィクション”こそが「正しい」と誤解されている。

しかし、言うまでもなく、そんな作者の「思い入れ」ばかりが詰まった作品に読者はついて来ない。なぜならノンフィクション作品の主役というのは、取り上げられた「人物」であり「出来事」だからだ。読者はそこにこそ興味を抱き、そして「本を手にとってくれている」ことを、私たち書き手は忘れるべきではないのである。

なぜノンフィクションが読者からソッポを向かれてしまったのか。長くこの世界にいる私なりの分析をさせてもらった。

有望な若い書き手も出始めているだけに、早く業界全体が“一人称ノンフィクション”のくびきから逃れ、広範な読者を再び獲得できる“三人称ノンフィクション”への道を模索して欲しいものだと思う。もちろん、そのためには、徹底した取材力が要求されるが、そこにこそ、「やり甲斐が生まれる」のではないだろうか。

明日は「文藝春秋」10月号も発売になる。太平洋戦争“生還者”の証言の「短期集中連載」も同号から始まる。第1回は、零戦の元パイロットや特攻で生き残った稀有な証言者たちが次々と登場する。長期間にわたって私自身が全国を飛び歩き、集めてきた貴重な証言の数々である。

九死に一生を得るどころか、「奇跡」としか言いようのない状況の中で生還してきた老兵たちは、私たち後輩たちにどんな証言を残してくれるのか。ご注目ください。

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お笑い民主党代表選

2010.09.06

各種の報道を見ていると、「菅vs小沢」の民主党代表選は、どちらが勝つか予断を許さず、拮抗しているそうだ。元秘書が3人も刑事責任を問われ、検察審査会に「起訴相当」とされ、さらに政治資金をもとにしたと思われる「個人名義」の資産がごろごろ出て来たカネまみれの政治家に、「日本の将来を託そう」という人が、少なくとも民主党支持者の半分はいるそうな。

お笑いである。ジャーナリストの櫻井よしこさんは、この二人の対決を「資質のない人(菅)」と「資格のない人(小沢)」の戦いと喝破したが、言い得て妙である。民主党という、「現実」がまるでわかっていない書生のような政党に政権を任せている以上、今回のような事態が惹起(じゃっき)されることは、ある程度予想はついていた。

しかし、本来なら刑事責任を問われるべき人を、すき好んで一国の総理に押し上げようと人がこれほどいることに、多くの見識ある日本人は唖然としている違いない。

昨日もテレビに映っていた代表選の街頭演説に苦笑いした人は少なくないだろう。「小沢!小沢!」の大コールで、菅の演説には拍手も起こらない。サクラを大動員するにしても、ここまでやれば逆効果である。

しかし、小沢政治というのは、ここにこそ本質がある。「加減というものを知らない」のである。「中国にヒレ伏す」と言えば、中国に大訪問団を組織して乗り込み、あたかも臣下であるかのごとく拝謁外交を展開し、胡錦涛国家主席に1人10秒で記念写真を撮ってもらうまで「へり下る」のが小沢一郎という政治家である。

そこまで徹底してやれる政治家はたしかに日本にも少ない。「加減を知らない」とは、すなわち「恥を知らない」ということである。異常なスピードの小沢氏の「個人資産の構築」にも、そのことは十二分に現われている。

そんな御仁が日本国の総理に就く事態が、現に「あり得る」というのである。私は、代表選のニュース映像を見ながら、この際、小沢総理誕生でもいいではないか、と思い始めた。

陶酔感に満ちた書生の集まりに過ぎない民主党という政党の実態を広く国民に知らしめるために、「小沢政権を誕生」させ、そして民主党が崩壊する方が、長い目で見た場合、日本国民にとっていいのではないか、とも思うのである。

この際、皮肉を込めてエールを送ろう。小沢、ガンバレ、と。

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熾烈なる沖縄戦

2010.09.04

今日は、はるばる山形県最上郡戸沢村という場所に旧日本陸軍第24師団歩兵第32連隊で沖縄戦を戦った92歳の生き残り兵士に取材に来た。

昭和20年4月から始まった日米両軍の沖縄での激突は、多くの若き命を奪っていった。当時26歳だったこの元兵士も艦砲射撃で瀕死の重傷を負った。すぐ隣にいた部下二人は即死、自身も左顔面、左手、左臀部、大腿部などに大火傷を負いながら、なんとか命だけは繋いだ。

野戦病院での治療、そして米軍を避けての逃避行は、「乞食同然の姿で歩きとおした」ものだった。昭和20年6月23日、牛島満司令官の自決により、組織的抵抗が終わっても、沖縄守備隊によるゲリラ戦は散発的につづき、斬り込み隊による攻撃は、終戦まで延々と続いている。

洞窟で生き抜いたこの元兵士が故郷山形に帰りついたのは、昭和22年のことだ。今も当時のやけどや傷の跡が生々しいが、「この大けがのお蔭で自分は生き永らえた。私が野戦病院に収容された1週間後、部隊は数名を除いて全滅しました」という。

沖縄返還後、すぐに沖縄の戦場の慰霊の旅を始めた元兵士。今も死んでいく兵士たちの声が耳から離れないという。

明日は、同じ山形県の上山温泉で、ニューギニア戦線の生き残り兵士たちにお会いすることになっている。取材は時間との戦いだ。ここ山形でも貴重な歴史の証言をできるだけ多く集めて帰京したいと思う。

カテゴリ: 歴史, 随感

第19回「山本七平賞」の受賞

2010.09.02

本日、都下・府中市で講演を頼まれて、府中市内の企業経営者の皆さんを相手に講演をさせてもらった。テーマは、「マニュアルなき事態に指揮官はどう対処するか」である。副題には、「陸軍中将根本博の場合」と書いてあった。

発売以来、あっという間に7万部を超えた拙著『この命、義に捧ぐ―陸軍中将根本博の奇跡』(集英社)についての講演である。今年の終戦記念日には、フジテレビがドキュメンタリー番組「ザ・ノンフィクション」で大々的に拙著を取り上げてくれたので記憶に新しい人も少なくないと思う。

講演が終わって、切っていた携帯の電源を入れたら、留守電やメールに「『この命、義に捧ぐ』が第19回山本七平賞を受賞しました」という知らせが何本も入っていた。

ちょうど根本将軍の生きざまについて、そして彼のとった行動の歴史的意義について講演させてもらっている最中に、受賞が決まったことになる。

PHP研究所の主催するこの賞は、養老孟司東大名誉教授、中西輝政京大教授、渡部昇一上智大名誉教授ら、その世界の第一人者が選考委員に名前を連ねる権威ある賞として業界で知られている。

その賞をいただけたことは大変ありがたく、感慨深い。泉下の根本将軍もさぞ喜ばれているに違いない。これをきっかけに、さらに一人でも多くの日本人に、かつての毅然とした男たちの生きざまを知って欲しいと思う。


カテゴリ: 歴史, 随感

なぜ人は「志」に心を揺さぶられるのか

2010.08.30

昨日のNHK「龍馬伝」は、この1年間の大河ドラマの最大のヤマ場「薩長同盟」が結ばれる場面が描かれていた。

息を呑む迫力が画面から伝わってきた。幕府の第二次長州征伐を前に滅亡の危機に瀕した長州の桂小五郎は、京都の薩摩藩邸でなかなか到着しない龍馬を待ちわびる。西郷隆盛に向かって、桂は「坂本さんが来なければ、交渉はできない」と、言い放つ。

やっと到着した龍馬が間に立ち、交渉は始まった。もともとはお互いを憎悪の対象としか見ていない犬猿の仲の薩長両藩である。しかし、西郷は、危機に陥った長州を徹頭徹尾、支援する五つの条文を提示する。

桂は、「長州を救うために恥を忍んで僕はここへ来た」と心中を吐露しながらも、「これでは、長州が薩摩の助けを受けるだけのものです。これは対等な盟約ではない」と複雑な胸の内を明かす。「これでは僕は長州に帰れない」と。

その時、龍馬が突然、「ほんなら、こうしませんろうか?」と口を開く。龍馬は薩摩が提案した五つの条文に、もう一つ条文を加えることを提案するのである。そこで龍馬が語り出したのは、「志」だった。

「ここへ来るまでに数えきれん命が失われたがです。薩摩の人らあも、長州の人らあも、もちろん、わしの友にも、死んでいった人間が大勢おるがです。立場は違えど、みんなあ、天下国家のために、“志”を貫き通して、消えていった命ですき」

何を言うのだろうかと龍馬の表情を息を呑んで見守る西郷と桂。龍馬は、二人を見つめて、「ほじゃき、そのもんらあの“志”も、この薩長の盟約に入れてもらえませんろうか?」と、語りかけるのだ。

龍馬の顔を見て、桂が「その一文とは?」と聞く。龍馬は深呼吸をすると、万感の思いを込めて、こう答えた。

「薩長両藩は誠の心をもって合体し、日本のために……傾きかけちゅうこの国を立てなおすために、双方とも、粉骨細身、尽力する」。

顔を見合わせる西郷と桂。龍馬は、「これなら、薩摩と長州は、対等ですろう?」と二人を見据える。

言葉を発せられない西郷と桂。一瞬の間をおいて、西郷が、「なるほど。おいに異論はありもはん」と答え、桂も「僕もじゃ」と、応じる。

「ほんなら、これをもって薩摩と長州の盟約は成ったということで、ええですね」と、龍馬は二人に語りかける。頷く西郷と桂。歴史上、日本の封建時代が幕を下ろし、日本が近代国家に生まれ変わることが事実上、決した瞬間である。

この感動の場面の中でも、特に心を動かされるのは、「みんなあ、“志”を貫き通して、消えて行った命ですき。そのもんらあの “志”も、この薩長の盟約に入れてもらえませんろうか?」と龍馬が語るところだ。

ひとつの出来事に至るまでには、さまざまな打算もあれば、それぞれに思惑もある。しかし、それを超えて存在するのが、「志である」ことを龍馬は二人に土壇場で語りかけたのである。

つまり、龍馬の「志」のひと言に、薩摩と長州が「まとまった」ことをこのドラマは描いている。盟約が成って屋敷から出て来た龍馬は、自分を警護するためについてきた槍の名手で長州藩士の三吉慎蔵に「長州と薩摩はしっかり手を結びましたき」と報告する。

「ついに、ですか! ご念の入りましたあ。坂本さあん!」と泣き崩れる三吉。「坂本さんがいなかったら、わが長州はどうなっていたか」と咽(むせ)び泣く三吉に、「あなたも長州を救った一人ですき」と語る龍馬。男泣きに泣く三吉を龍馬が抱きかかえるシーンは、この大河ドラマを通じての渾身の場面だった。

寺田屋事件では襲撃された龍馬を救うため奮戦する三吉は、幕末・明治を生き抜き、20世紀の夜明けを見て亡くなった長州藩の元重鎮として知られる。龍馬のことを詳しく書き残した三吉の日記は、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」をはじめ、数々の名作のもとになっていることはあまりに有名だ。

日本人の“志”をテーマの一つとする私にとっても、実に興味深い昨夜のドラマだった。それにつけても、“志”のかけらも見受けられない「菅vs小沢」の民主党代表選――奇しくも民主党の衆院選大勝からちょうど1年が経った今日、代表選のニュースを見るたびに溜息しか出て来ないのは、私だけだろうか。

カテゴリ: 歴史, 随感

“怨念政争”のあとに何が残るか

2010.08.29

民主党代表選(9月1日告示、14日投開票)の土壇場の攻防がおもしろい。

“素人”同然のチルドレンたちを締めつけて国会議員の数だけは優位に立つ小沢一郎前幹事長だが、毎日新聞の世論調査によれば、「どちらが首相にふさわしいか」は、菅氏が78%で、小沢氏が17%だったそうだ。

一般の目から見ればこの小沢氏に対する国民の厳しい数字は不思議でもなんでもないが、ゴリ押しを続ける小沢グループにとっては「衝撃」というほかないだろう。

そのため、30日にも予定されている菅・小沢会談で「挙党一致」を条件に急遽、小沢氏が出馬取りやめを決定する可能性もまだ残されている。

しかし、ここまで怨念が拡大されれば、両派とも引っ込みがつかなくなっているのも事実だ。小沢氏が恐れるのは、自分が民主党の代表を務めていた時期に、組織対策費として側近の山岡賢次議員らに16億円もの巨額の資金を出していたことなど、党資金の使い方に疑惑があり、それが暴かれることである。

これらは、すでに共産党の機関紙「赤旗」が熱心に報道してきたことだが、小沢氏には党のカネを自分を支持する特定の議員に渡したり、あるいは政党を解党した時に、党のカネがどこかに消えているという疑惑が、いつもついてまわっている。

これらを徹底追及されれば、また新たな政治とカネ問題が噴き出す可能性もある。「挙党体制」だけでなく、これらを「不問に伏す」ことを条件に、小沢氏の代表選出馬取りやめが土壇場で決定される可能性が残っているのはそういう意味である。

世論を無視してごり押しする小沢グループを、それでも鳩山由紀夫前首相は推すのだそうだが、自分が小沢幹事長を辞めさせたのは、つい3か月前のことであることを思い出した方がいいだろう。

両派が歩み寄りに失敗すれば、民主党は確実に分裂する。そして政界再編の大激震につながる。しかし、小沢氏と一緒に「党を出て行く」議員の数は、予想以上に少ないだろう。政界の壊し屋の異名をとる小沢氏も、引き際を見誤ったら「崩壊する」のは自分たちのグループだけという剣が峰に立っているのである。

経済も無策、行財政改革についても無策、という無能総理であるにもかかわらず、“反小沢”という1点のみにおいて国民の支持を集めている菅総理。なんとも情けない“コップの中の争い”である。

カテゴリ: 政治, 随感

自らの使命に忠実であれ

2010.08.28

もう8月も終わりだというのに、東京は、相変わらず喘ぐような“都市熱”に覆われている。いつになったらこの不快な酷暑が過ぎ去るのか、溜息ばかりが口をつく。

間もなく始まる月刊誌の短期集中連載の最終ゲラを本日やっと校了。そのあと、明治大学のマスコミゼミの教え子である某大手紙記者が束の間の夏休みを利用して西新宿の事務所を訪ねてくれた。

夜には、記者の彼女も“合流”して談論風発となった。近く放映されるWOWOWの特別ドラマ「なぜ君は絶望と闘えたのか」の予告編も一緒に観た。その迫力に全員が圧倒された。

映像の迫力に負けてばかりはいられない。われわれ活字の人間は何を表現すべきなのか。新聞記者はいったい何を書くべきなのか。地方支局にいる彼は、2年目となり、やっと所轄担当から県警担当に上がったばかりだ。サツネタ、街ネタ、歴史、行政……地方には地方の報ずべきネタが、そこここに存在する。

私が近く月刊誌に発表する記事は、「太平洋戦争“生還者”の証言」である。地方には地方の生き残り兵士がいる。今、私たちジャーナリストが何を取材し、何を活字として後世に残すべきなのかが問われている。

そんな話を、現役バリバリの大手紙記者の教え子とできるとは嬉しく、頼もしい限りだ。しかし、こっちも“若さ”と“気迫”ではまだまだ負けないつもりだ。

日本全国、私を「待ってくれている」貴重な歴史の証言者がいる。この秋も東奔西走の毎日となりそうだ。自らの使命に忠実でありたい、と心から願う。

カテゴリ: マスコミ, 随感

歴史の“風化”に抗う老兵たち

2010.08.27

今日は横浜で硫黄島の生き残り兵士にお会いすることができた。今年90歳になる。昭和19年6月末に硫黄島に上陸し、本格的な米軍との戦闘が続いた昭和20年2月から3月にかけて、凄まじい殺戮戦の中を生き抜いた奇跡の人である。

4時間を超えても途切れることのないお話を伺いながら、私は人間の「運命」というものを考え続けた。損耗率96%という玉砕の島・硫黄島で生き残った老人の体験は、多くの示唆に富むものだった。

組織的戦闘が終わっても数か月にわたってゲリラ戦で抵抗した日本守備隊。太平洋戦争で唯一、死傷者の数が日本軍を上まわった米軍。容赦のない両軍の戦いは、65年の年月を経ても凄まじい迫力をもって私にせまって来た。

これまでお会いしてきたインパール、ガタルカナル、ルソン、レイテ、硫黄島……等々、さまざまな玉砕戦の生き残り兵士たちは、90歳を超えて、遥か年下の私に何を託そうとしてくれているのだろうか。

証言を一語一語噛みしめながら、託された側の私自身の使命というものをどうしても考えてしまう。その期待と思いに応えることができなければ、私と、私の仕事の存在意義はない。

戦後20回以上も遺骨収集のために硫黄島に通いつづけるこの老人を突き動かすのは、あの殺戮戦で斃れた戦友たちへの思いだけである。

戦後65回目の夏を迎えた2010年。歴史の風化に抗(あらが)う老兵たちの闘いは、今も着実に続いていることを思う。

カテゴリ: 歴史, 随感

なぜそこまで小沢氏は焦るのか

2010.08.26

民主党の代表選は、菅VS小沢の一騎打ちになるそうだ。参院選に惨敗した総理と、惨敗のもとになった「政治とカネ」問題の張本人の対決である。この酷暑の時期に、なんとも背中がうすら寒くなるような最高権力者の座をめぐる闘いである。

しかし、人望も見識もない小沢一郎氏がどうしてここまで党内で“支持”を得られるのか、不思議に思っている人も少なくないだろう。

なんのことはない。自民党の最大派閥・田中派で雑巾がけを若い頃、ひたすらやらされた小沢氏は、政界が「数の論理」のみで動くことを身に染みて知っている。

それは、閥務を経て身につけた唯一の財産と言っていいだろう。小沢氏が民主党の代表と幹事長を歴任する中で、候補者の公認権だけは手放さなかった理由がそこにある。常に「誰を公認するか」を自分の判断で決め、候補者に恩を売り、何でも自分の言うことをきくイエスマン(ウーマン)の新人議員を増やしていったのである。

普通の政党なら今の小沢一派がやっているような締めつけはやらないものだが、小沢一郎という政治家が持つ排他性と独裁性が一年生議員たちを震え上がらせ、反菅勢力の結集にイヤイヤながら「つながっている」のである。

私は今回、あくまで小沢氏はキングメーカーに徹し、たとえば田中真紀子をはじめ、自分が動かせるコマの中から代表選候補を絞ってくると思っていた。

しかし、自ら代表選に名乗りを上げなければならないほど焦っているのは、彼にとってそこまで忍び寄る司直の手が怖いからである。なりふり構わぬ形で最高権力者の座を奪取しようというのは、このままでは自ら「塀の中に落ちる」可能性をかなり「高い」と見ているからだろう。

言うまでもなく、今回の代表選は怨念選挙である。当然、政界再編へとつながる分裂含みの選挙となる。一年生議員も、小沢氏の強権手法にいつまでもついていくと、自分が上がってきた梯子(はしご)はいつの間にか外されていたことに気づくだろう。

確実に言えることは国民世論が「呆れ果てている」ということだ。しかし、その国民の怒りを肌で知った時は、もう「遅い」というほかない。

カテゴリ: 政治, 随感

日本人にとって「恥」とは何か

2010.08.25

戦前のアメリカの女性文化人類学者ルース・ベネディクトは、西洋の文化を「罪の文化」と称し、日本の文化を「恥の文化」と称した。そのユニークな分類の仕方の是非はともかく、日本文化を「恥」を基軸にして分析した手法は興味深い。

しかし、その「恥の文化」も現在では雲散霧消しているのかもしれない。年金欲しさに亡くなった親の遺体をそのまま葬りもせず、隠したまま年金を詐取する子供たち。無責任と恥のなさ。それが現代の日本人の特徴となってしまったのだろうか。

本日の小沢一郎氏の政治塾での講演を聞いて、その「恥」という言葉を思い浮かべたのは私だけだろうか。

元秘書3人が政治資金規正法の虚偽記載で逮捕され、検察審査会は小沢氏を「起訴相当」と判断した。政治資金が小沢名義の資産構築に費やされた疑惑や、政党助成金、すなわち国民の税金すらその資産構築にまわったという疑惑も小沢氏には存在する。

鳩山首相と小沢幹事長の政治とカネの問題は国民を呆れさせ、「参院選惨敗」の大きな要因となったのは周知の通りだ。

幹事長を辞任して、一線から去ったはずのこの夏、小沢氏は山岡賢次や松木謙公という側近を使って「出馬要請」させ、民主党の代表選に名乗りを上げるのだそうである。

国民から総スカンを食らうことが確実のこの総理候補の姿を見て、私は日本人に「恥」という概念はなくなってしまったのか、と怒りを通り越して寂しくなってしまった。ここまで日本人は劣化してしまったのか、と。

「恥を知ること」から、政治家は始めなければならない。そんなあたりまえのことすら知らない与党民主党の議員たちには、さっさと退場願いたいものだ。

恥を知れ、小沢一郎よ。

カテゴリ: 政治, 随感

最初は「冗談」かと……

2010.08.23

民主党代表選への小沢一郎氏の出馬を聞いて、最初は多くの国民が「冗談」と思ったに違いない。わずか3か月前に幹事長を辞任したばかりの、あの疑惑だらけの小沢氏が、まさか代表選に出て来ることなど想像もできなかったに違いない。

参院選での敗北の一因は、まさにこの人にあった、と言っても過言ではない。現職の国会議員を含む元秘書3人が逮捕され、その呆れ果てた資産構築の実態に、国民の間から強い非難の声が上がっていた。

その御仁を検察が「不起訴にした」ことへの不満はいまだに燻り、強制起訴がなされるかどうかの瀬戸際を迎えている。

そんな疑惑の人を「次の総理」にしようと大真面目に動いている人がいるのだから、「あんた、冗談はやめてよ」と言いたくなるのも無理はない。小沢氏の腰巾着として有名な山岡賢次・民主党副代表の一連の動きは、そこまで国民を唖然とさせている。

この期に及んでも「まだ小沢」という一連のニュースに、民主党が政党のテイを成していない、単なる烏合の衆に過ぎないことが露呈されたと言える。

人材の払底と強権政治への温床。これが、この政党の持つ宿命である。国民の期待を担えるようなレベルに、この政党はない。

小沢氏の退場だけではない。一刻も早い「民主党の退場」を願いたい。国民不在の一連の小沢出馬騒動にそう感じるのは、私だけだろうか。

カテゴリ: 政治, 随感

興南の「春夏連覇」に思う

2010.08.21

実力的には一歩上まわると見られていた興南(沖縄)が東海大相模(神奈川)を完膚なきまで打ち砕いた。島袋投手の春夏連覇は、見事というしかないものだった。

東海大相模の一二三投手の立ち上がりは素晴らしかった。ストレートはもちろん外角へのスライダーも制球がよく、内角へのシンカーも切れており、今大会で一番の出来と言えた。

しかし、逆にその調子の良さが、あるいは真っ向勝負という過信を生んだのかもしれない。4回裏に見せた興南の怒濤の攻めは一二三を一気に呑みこんだ。3番の強打・我如古は抑えにくいとしても、一二三は調子が上がっていない4番・真榮平をどう抑えられるかを私は「今日の試合のポイント」と見ていた。

一二三は、最初の打席こそ真榮平を抑えたものの、ベルト付近の球を基本に忠実にフルスイングで叩く真榮平の打棒がやがて一二三を捉えていく。我如古と真榮平の打撃がそろい踏みで火を噴いたら、もう興南打線は手がつけられない。

4回の一挙7点を皮切りに、終わってみれば13対1という大差で、興南の春夏連覇は達成された。数日前のブログでも書いた通り、興南が初めて夏の甲子園で初勝利を上げ、そのまま準決勝まで突っ走ったのは昭和43年夏の甲子園である。

しかし、ベスト4で下手投げの沈着な丸山投手を擁する大阪の興国が、準決勝で興南を14対0で圧倒し、興南の悔しい夏が終わった。その時の主将こそ、現在の興南の我喜屋監督である。

あの大会では、静岡商業の2年生投手、新浦(のちに巨人)と、沖縄の夢と期待を一身に浴びた興南の活躍が大会の華だった。

以来42年の時を経て、ついに沖縄県は悲願を達成したのである。沖縄チームの日頃のひたむきな練習とプレーぶりには定評がある。豊見城と沖縄水産で指揮をとり、沖縄を全国レベルに引き上げた故・栽弘義監督のスパルタ練習が沖縄野球の基本だ。

ここ数年を見るだけでも、大嶺、東浜、島袋……と、全国屈指の本格派投手を沖縄は生み続けている。沖縄水産が裁監督のもと、2年連続して夏の甲子園決勝に進出しながら、それでも届かなかった悲願。沖縄の野球関係者の努力と執念に改めて頭が下がる。

21世紀になって以降、かつての野球県の凋落が著しい。以前の名声に胡坐をかいて努力と工夫を怠った県は、いま新興の野球県に完全に追い落とされている。

妥協の許されない勝負の世界に“甘え”は許されない。沖縄のような切磋琢磨の環境をつくり上げることがそれぞれの県のレベルアップにつながる。沖縄の野球人が成し遂げた奇跡を今、全国の野球関係者が学ぶ時が来たのである。

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島袋の「気迫」が球をホップさせた

2010.08.20

145㌔、144㌔、145㌔、144㌔、144㌔。9回裏、報徳学園の最後の打者に向かった興南・島袋の気迫の投球に、甲子園はもちろん、テレビを見つめる全国のファンが息を呑んだ。

最後のストレートは、乗り移った島袋投手の気迫が球をホップさせ、その分だけ、バットは空を切った。6対5、二死三塁、一打同点の絶体絶命のピンチを島袋は三振で締めくくったのだ。

序盤で0対5という大差をつけられた興南の勝利への執念は凄まじかったが、島袋投手のそれは、もはや“鬼”と表現するしかない。2回裏に満塁から走者一掃の三塁打を打たれた島袋は、この時も146㌔のストレートを連投している。

ピンチに立った島袋は、得意のスライダー、あるいはチェンジアップを投げない。あくまでストレート勝負にこだわっている。「変化球でかわそうとして打たれ、悔いを残したくない」――島袋はそう考えているに違いない。

昨年の春と夏、甲子園の初戦で共にサヨナラ負けをした島袋は、「悔いの残る勝負だけはするまい」と心に誓っているのだろう。あの悔しい敗戦を経験した島袋君は、必ずそう思っているはずだ。

明日も凄まじい試合になるだろう。クジ運に恵まれたとはいえ、東海大相模の実力もやはり侮りがたい。総合力では興南が上まわるが、東海大相模の強打は島袋にとっても大きな脅威だ。

明日は、全国制覇に対する執念と気迫が上まわった方が勝つ。久しぶりに実力伯仲の強豪同士の決勝戦である。島袋(興南)、一二三(東海大相模)という「最後の舞台」に賭ける大投手の意地を見てみたい。

カテゴリ: 野球, 随感

興南・島袋洋奨は“伝説の大投手”になるか

2010.08.18

夏の甲子園で全国制覇を成し遂げるには、必ず絶体絶命に陥る試合がひとつはある。それを克服して初めて深紅の優勝旗を獲得できる。

これまで歴代の優勝校はそうしたドラマを経験している。春夏連覇を目指す興南にとって、私は今日こそ「その日」ではないか、と秘かに思っていた。

今日の対聖光学院戦は、2回表に島袋が痛打されて3点を先行された時点で、私のその予想はあたるかに見えた。しかし、強力な興南打線は、そんな私の予想を簡単に打ち砕いた。決して体格に恵まれているチームではないのに、興南打線の破壊力は凄まじかった。

一人一人が腰を据え、あるいはバットをしぶとくおっつけて、聖光学院が繰り出す投手陣に食らいついていった。追いつき、逆転し、突き放しても、興南打線は自分たちのスタイルを変えない。それぞれが自分のバッティングを貫き通したのだ。終わってみれば10対3という大差でベスト4進出を決めた。

私は、この打撃を見ながら、悔しい思いをした40年以上前の試合を思い出した。興南旋風が吹き荒れた昭和43年夏の甲子園だ。それは沖縄返還の4年も前のことだった。本土の強豪校とはレベルも練習試合の経験も圧倒的に劣っていた興南高校は、この年、強打と粘りのある守備力で旋風を巻き起こしながら、勝ち進んでいった。

ついにベスト4まで勝ち上がった時、日本中が判官贔屓で熱狂した。しかし、ベスト4の相手は、大阪の強豪・興国高校。丸山投手を中心とした投打にスキのなかった興国は、疲労の見える興南に「これでもか」と襲いかかり、興南は0-14という大差で敗れ去った。

まだ子供だった私は、この“大敗”が悔しくてならなかった。1点でも、2点でも興国から点をとらせてあげたかった。しかし、勝負の世界の非情さは、甲子園の判官贔屓をあざ笑うかのようだった。興国は容赦なく興南を攻めつづけたのだ。

以来42年の星霜が流れ、興南は今日、それ以来のベスト4進出を決めた。あの悔しい大敗の時の主将こそ、いま興南の指揮を執っている我喜屋優監督である。

あの時の悔しさを知るオールド高校野球ファンも少なくなっている。沖縄返還前のアメリカ統治下時代に甲子園で旋風を巻き起こした我喜屋さんが、ついにあの折の「悔しさを晴らす時」が来たのである。

エース島袋は、これまでのどの沖縄チームのエースにも負けない実力とハートを持ち合わせている。果たして、沖縄初の夏の全国制覇と、そして史上7校目の春夏連覇を果たせるか否か。伝説の大投手への道まで「あと二つ」だ。


カテゴリ: 野球, 随感

毅然と生きたかつての日本人

2010.08.15

「台湾」と「台湾海峡」は誰によって守られ、なぜ今も存在しているのか。本日、終戦記念日特集としてフジテレビで放映された「ザ・ノンフィクション」の「父は、なぜ海を渡ったのか」は、その歴史の謎に挑んだドキュメンタリー番組だった。

今から61年前の昭和24(1949)年6月、九州・延岡の海岸から小さな漁船が夜陰にまぎれて静かに離れていった。船が目指すのは、真っ黒な海原のはるか彼方にある台湾。その船には、日本陸軍の元・北支那方面軍司令官、根本博中将が乗っていた。

傍らには、「俺の骨を拾え」と言われて随行を命じられた通訳・吉村是二がいた。蒋介石率いる中国国民党と毛沢東率いる中国共産党との「国共内戦」が、まさに決着を迎えようとしていたこの時、二人は蒋介石を助けるべく密航を敢行したのである。暴風雨や座礁という数々の困難に遭遇しながら出航から2週間後、二人は台湾へ辿り着く。

根本には、終戦時、蒋介石に言葉では表せぬほどの恩義があった。昭和20年8月15日、終戦の詔勅が下された時、根本は駐蒙軍司令官として、内蒙古の張家口にいた。

天皇の終戦の詔勅、すなわち武装解除命令は、アジア各地で戦う全軍に指令され、ただちに実行に移された。満州全土を守っていた関東軍も山田乙三司令官がこの武装解除命令に応じ、そのため全満州で関東軍の庇護を失った邦人が、虐殺、レイプ、掠奪……等々、あらゆる苦難に直面することになる。

しかし、満州に隣接する内蒙古では、根本司令官による「武装解除命令には従わない。責任は私一人にある。全軍は命に代えても邦人を守り抜け」という絶対命令によって、激戦の末、4万人もの邦人が、ソ連軍の蛮行から守られ、北京、そして内地まで奇跡的な脱出・帰還に成功した。

その「4万人の脱出」が成功した時、これを戦勝国側で守ってくれたのが、蒋介石率いる国民政府軍にほかならなかった。4年後、国共内戦に敗れ、大陸から撤退し、いよいよ金門島まで追い込まれた蒋介石を助けるために根本はその時の「恩義」を返すために、「密航」を敢行したのである。

自分を助けにやってきた根本の命を捨てた行動に感激した蒋介石は、根本に「林保源」という中国名を与え、根本らは金門島に赴く。そして、林保源将軍こと根本博は次々に作戦を立案し、押し寄せる共産軍に立ち向かった――。

番組の中では、私自身が金門島でおこなった取材の一端も紹介されていた。実際の金門戦争に参加した80歳を超えた老兵たちに600枚のビラを配って情報提供を呼びかけるさまもテレビで映し出された。

映像を見ながら、炎暑の中、ひたすら取材をつづけた日々を思い出した。拙著「この命、義に捧ぐ―台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡」(集英社)はすでに7万部を突破している。いまこれほど、かつての決然と行動した日本人の姿が話題になるのはなぜなのか。

「義」とは何か。人間にとって「生と死」とは何か。飽食の時代である「現代」だからこそ、一人でも多くの方に毅然と生きたかつての日本人の姿を知っていただきたいと心から願う。

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明日「終戦記念日」のフジTV「ザ・ノンフィクション」

2010.08.14

明日8月15日は、戦後65回目の終戦記念日である。ちょうど日曜日のこの日、フジTV「ザ・ノンフィクション」で午後2時から「父は、なぜ海を渡ったのか」が放映される。

拙著「この命、義に捧ぐ―台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡」(集英社)をもとにした1時間のドキュメンタリー番組である。

終戦後、武装解除命令を敢然と拒否して、押し寄せるソ連軍と激戦を展開し、内蒙古の在留邦人4万人の命を救った根本博中将。この時、邦人救出と日本への帰還を手助けしてくれた蒋介石に対する恩義を返すため、4年後、根本中将は26㌧の漁船で台湾に密航し、国共内戦に身を投じた。

殺到する中国共産軍を金門島で殲滅するまでの紆余曲折は拙著をお読みいただきたいが、台湾と台湾海峡を守ったこの根本将軍の関係者が今回、テレビカメラの前で証言し、これまで歴史に埋もれていた事実に光を充てる。

注目は、昨年10月25日、金門島・古寧頭戦役60周年の記念式典の場面だ。台湾の馬英九総統が、根本将軍と共に渡台した関係者のご子息にわざわざ声をかけにくるシーンである。

60年前、命を捨てることを厭わず、「義」に殉じようとした日本人。果たしてテレビ・ジャーナリズムがこれをどう描くのか。楽しみだ。

カテゴリ: 歴史, 随感

御巣鷹の尾根にて

2010.08.12

「あのう、門田さんじゃないでしょうか?」。降りしきる雨の中、御巣鷹の尾根へあと少しという急坂の途中で合羽を着たままベンチに座り込んでいた私に、一人の若者が声をかけてくれた。

「はい、そうです。門田です」と言うと、「やっぱりそうですか。僕の顔、わかりますか? 河原です」と、その若者はにっこり微笑んだ。

「えっ、河原先生のお孫さん?」と、思わず私は叫んでいた。若者は、事故25年を機に私が出版した「風にそよぐ墓標―父と息子の日航機墜落事故」(集英社)の第6章で取り上げさせてもらった事故の犠牲者・河原道夫さんのお孫さんだったのだ。

若者のご両親、すなわち河原道夫さんの息子さんご夫妻には、取材で大変お世話になり、感動のお話を本の中で紹介させてもらった。しかし、まさかまだ会ったことのなかったその息子さん(道夫さんから見るとお孫さん)に声をかけてもらえるなど、予想もしてなかった。

雨の中、私は頭から合羽をかぶっていたので顔はよく見えなかったはずである。それなのに「ひょっとして……」と、声をかけてくれたことに、「日本の若い人もまだまだ捨てたものじゃない」と、私はなんだか嬉しくなってしまった。

犠牲者の河原道夫さんは歯科医で、兵庫県歯科医師会の幹部だった。事故機に乗り合わせ、道夫さんの二人の息子さんも歯科医であったため、二人は遺族でありながら遺体の検視に協力するという壮烈な体験を持っている。

道夫さんのご遺体はなかなか見つからなかったが、多くの人の努力で最後にわずかに残っていた身体の一部分が発見される。凄まじいドラマは、拙著の第6章をお読みいただければ、と思う。

道夫さんの息子さん二人は、その後、この体験を生かし、兵庫県に警察歯科医会を立ち上げることに奔走し、阪神淡路大震災やJR福知山線事故の犠牲者の遺体検視にもあたった。25年経った今も、あの事故で得た教訓と体験を忘れずに、貢献をつづけているのである。

御巣鷹の尾根から降りて、私は上野村の「慰霊の園」から、ニッポン放送に電話出演した。さっきまで降っていた雨が嘘のように晴れ上がっていた。犠牲者の河原道夫さんのお孫さんから声をかけてもらったことを、ラジオで話をさせてもらった。パーソナリティの上柳昌彦さんもびっくりしていた。

夜、若者のご両親からメールをいただいた。そこには、「25年間、父からの使命のようにボランティアで警察医の仕事に従事してきたことが門田さんのこの本により苦労が報われました」とあった。

この本を書かせてもらってよかった、と思った。黙々と社会のために貢献する人の活動と思いを紹介させてもらえただけでもよかった、と。ジャーナリスト冥利に尽きる、としみじみ感じた一日だった。

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明日、御巣鷹山へ

2010.08.11

明日、いよいよ御巣鷹山事故25年を迎える。今日も上野村を流れる神流川(かんながわ)では、遺族たちによる灯籠流しがおこなわれた。

四半世紀にわたるご遺族の苦しみと闘いは筆舌に尽くしがたいものだったが、それぞれが自分たちの思いを込めて愛する人の灯篭を黙々と川に流した。

本日(11日付)の朝日新聞朝刊の第二社会面のコラム「五線譜」に「父と息子と御巣鷹の尾根」と題して、私のことが取り上げられた。

25年前、雑誌記者として入社3年目の私が、「炎暑の中、忌中の札が張られた家々を回っていた。来る日も来る日も」と、そのコラムは始まっていた。

私が、なぜ「父と息子」の観点で「風にそよぐ墓標」(集英社)を書こうとしたかもこの短いコラムで触れられていた。その上、本に登場する“息子たち”が、どんな苦労をしたのかもしっかり書かれていた。名人芸とも言えるコラムである。

あの事故の時、20代だった私が50代になってしまったのだから、四半世紀という歳月はやはり長い。父を失った息子たちの25年がいかに壮絶なものだったかは、本を是非読んでいただきたいと思う。

生きたくても生きられなかった犠牲者たちと、残された家族たちの不屈の物語――生きる勇気と気力を思い出されてくれる男たちの告白に一人でも多くの方に耳を傾けて欲しいと願う。

明日25年目の当日、私も御巣鷹山に慰霊登山をさせてもらうつもりだ。今年3度目の慰霊登山である。台風が心配だが、なんとか登山ができる天候であって欲しいと思う。

あの御巣鷹の尾根は、事故から四半世紀の日にどんな表情を私に見せてくれるのだろうか。

カテゴリ: 事件, 随感

甲子園と御巣鷹山

2010.08.09

ここまで成長できるのか。大会3日目、今日の早稲田実業の鈴木健介投手には、そんな思いにさせられた。身長は173センチで投手として決して大きくはない。そして特別に球が速いわけではない。

しかし、西東京大会決勝戦の日大鶴ケ丘戦、今日の倉敷商業戦と連続完封の鈴木投手の成長には目を見張るばかりだ。

今日は日大鶴ケ丘戦ほど得意のチェンジアップが狙ったところにいってなかったが、それでも倉敷商業に狙い球をまるで絞らせなかった。

私は、鈴木君が日大鶴ケ丘戦で見せた左バッターの外角にゆらゆら揺れながら外へ向かって落ちていくチェンジアップは“魔球”だと思う。そう呼ばせてもらうに足る威力を持っている。それほど鈴木君のチェンジアップは絶妙なのだ。

130㌔台の速球は、決して出場チームのエースの中で目立ったものではない。昨年春、背番号9をつけ、同期のエース小野田俊介君の後塵を拝していた鈴木君とはひと味もふた味も違った成長の姿だった。

次の対戦相手は、昨夏の覇者・中京大中京である。あの絶妙のチェンジアップが思ったところに落ちなければ、勝利は難しいだろう。古豪同士の勝負の行方は今から待ち遠しい。

ところで、新刊の拙著「風にそよぐ墓標―父と息子の日航機墜落事故」(集英社)が全国の書店の店頭に並んだ。私のもとにぞくぞくと感想が寄せられている。「涙なくしては読めない」「一気に読ませてもらった」という感想がほとんどだ。

私は、遺族の苦悩が忘れ去られた時、あの事故の教訓は消え去る、と思っている。あの悲劇を風化させてはならないと心から思う。これまで表には出て来なかった「父と息子」の物語に、是非、思いを馳せて欲しいと願う。

25年前の夏、甲子園に出場した東農大ニ高の選手の父があの事故で亡くなっている。あの夏の風景は、異常な暑さと共に私の脳裏に今も鮮明に残っている。

カテゴリ: 野球, 随感

いよいよ始まる甲子園

2010.08.05

いよいよ夏の甲子園が始まる。待ちに待った開幕である。選抜の優勝校・興南を筆頭に、2年連続優勝を目指す中京大中京、クジ運に恵まれた東海大相模、激戦区・大阪を制した履正社、斎藤佑樹以来の全国制覇を目指す早稲田実、四国の強豪・明徳義塾、好投手・中川を擁する成田……など、注目校が目白押しだ。

昨年の中京大中京と日大文理との決勝戦はネット裏で見たが、9回裏の異様な甲子園の雰囲気が忘れられない。すり鉢状のあの甲子園が、ワッショイワッショイとひとつになった時、その雰囲気に抗(あらが)うことはとても無理だ。

なにより審判が雰囲気に呑まれてしまう。異様な熱気に審判のジャッジが加わり、もはやドラマの主役は観客がアト押しする側になってしまうのである。

たった一つのアウトをとるまでに、中京が大量失点を重ねた昨年の9回裏は、今後も長く甲子園に語り継がれるだろう。

今年は、まず春の覇者、興南の島袋投手が、四国勢の挑戦を受ける。島袋がどんな快投乱麻のピッチングを見せ、それに相手がどう食らいついていくか。今から楽しみだ。

カテゴリ: 野球, 随感

試練に満ちた「人生」に挑む不屈の闘志

2010.08.04

拙著「風にそよぐ墓標―父と息子の日航機墜落事故」(集英社)が本日から都内の書店に並び始めた。どの書店でもいいところに置いてくれている。4月に出した「この命、義に捧ぐ」と共に、話題の書のコーナーで目立っていた。

するとさっそく午後、出版社から「1万部増刷」の報が入った。まだ書店に並び始めた段階で、もう重版とは嬉しいかぎりだ。初版が1万5000部だったので、早くも2万5000部となった。

「この命、義に捧ぐ」は現在、累計7万部を突破しているが、そのペースを上まわっている。読者の反響の大きさが窺える。

夕方頃から、本を読んだ知り合いから早くも感想が入り始めた。「これほど泣いた本は初めて」「一気に読んだ」と最高のお褒めの言葉をいただいた。

私の作品は、取材を「徹底する」ことで初めて成り立っている。シーン(場面)を客観描写できるまで取材するのである。そのために自分が納得するまで資料をあたったり、人に話を聞いたりする。その上で「風景」を描写するのである。

それは心象風景であったり、実際の風景であったりする。緻密な取材ができなければ、描写は不可能だ。今回の「風にそよぐ墓標―父と息子の日航機墜落事故」は、哀しみにこらえて四半世紀前の子どもたち、すなわち今は“父親”となったかつての子どもたちが私の取材に長時間つき合ってくれた。

25年前に極限の哀しみを経験した男たちは、人間的にも素晴らしい人たちばかりだった。この作品は、たしかに読むと涙が止まらなくなるかもしれない。しかし同時に、私は、これほど「生きる勇気」を感じてもらえる作品は少ないと思っている。

生きたくても生きられなかった犠牲者と、その息子たちの姿を描きながら、人生に対峙する勇気を私自身が取材の過程で感じさせてもらった。男たちが事故から25年経って語ってくれたのは、試練に満ちた「人生」というものに挑む不屈の闘志の大切さにほかならなかった。

カテゴリ: 事件, 随感

太平洋戦争“生還者”の証言

2010.08.03

北海道へ出張に行き、昨夜帰ってきた。札幌に行く機会があれば、是非、お会いしたいと思っていた人とも会うことができた。

今年92歳になるガタルカナル島の生き残りである。昭和17年8月から翌年2月にかけて、ソロモン諸島のガタルカナル島で繰り広げられた死闘は凄まじい。ガ島ならぬ“餓島”、あるいは“日本陸軍の墓場”とまで呼ばれることになった地獄の島での戦いである。

札幌でお会いすることができたのは、ほぼ全滅に近い状態となった一木支隊(歩兵第28連隊)の生き残りだ。旭川の第七師団を昭和17年5月に出発して、翌年7月に帰還するまでの1年2か月の経験を4時間近く伺うことができた。

飢餓とマラリア、そして米軍との戦闘で戦友が次々と斃れていく中、この人はなぜ助かったのか。多くの戦友の中でたった一人、生還したこの人物の証言は重く、示唆深いものだった。

高齢となった多くの元兵士たち。太平洋戦争“生還者”の貴重な証言の数々は、近くお届けできると思う。

それにしても北海道はやはり涼しい。都市熱で、夏はとても人間の住む場所ではなくなった東京にいると、北海道が羨ましい。喘ぐような暑さの東京に戻ってきて、また原稿用紙に向かう日々がつづく。夏の東京は、根気と体力との勝負である。

カテゴリ: 歴史, 随感

「風にそよぐ墓標」父と息子の日航機墜落事故

2010.07.30

今日は、ニッポン放送の「上柳昌彦のごごばん!」に午後2時から2時40分まで出演させてもらった。来週出版される拙著「風にそよぐ墓標―父と息子の日航機墜落事故」(集英社)に関するゲスト出演だった。

いつも軽快なパーソナリティ上柳昌彦さんと、今日は初めてタレントの山瀬まみさんとご一緒した。上柳さんと、年齢を感じさせない(失礼!)可愛いらしさを持った山瀬さん相手に新刊の話をさせてもらった。

今年の8月12日は御巣鷹山事故25周年の日である。拙著は、四半世紀となったこの事故を「父と息子」の観点から問い直したものである。

25年前の群馬県藤岡市。愛する者が、腐敗していく体育館で、遺族たちは茫然とし、うろたえ、絶望した。しかし、腐乱臭の中、息子たちは、それでも目を背けるような肉塊と向き合った。

父親の遺体を探し求める彼らを支えたのは何だったのか。絶望の中を彷徨う息子たちは、25年という年月を経て、彼ら自身が“父親”となった。その時、彼らは自分の子どもたちに何を伝えるのだろうか。

これまで、夫や子どもたちの「死」の哀しみを語る妻や母、すなわち女性たちによってのみ語られてきた御巣鷹山の悲劇。しかし、私は、父の遺体の確認に向かった当時の“子どもたち”の25年後を追った。

訪ねてきた私に、何人かは取材を拒否し、何人かは応じてくれた。胸の内を吐露してくれた男たちの凄まじいドラマに、私は取材の過程で何度もペンを止め、さまざまな思いに耽った。

取材を終えて感じたのは、「人間とは素晴らしい」ということである。家族の愛情の壮烈さにも圧倒された。時間の壁の向こうに封じ込まれつつあった人間ドラマを、本書を通じて是非知って欲しいと願う。

カテゴリ: 事件, 随感

緻密な取材と資料収集を

2010.07.28

今日は、ひっきりなしに事務所に来客があった。最後は、今年マスコミに入った早稲田野球部のOBだ。

フレッシュマンの彼は、しばらく見ない間に“社会人”、そして“マスコミ人”になっていた。話は、取材のやり方から歴史問題、高校野球、大学野球、そしてプロ野球にまで及び、時間が経つのを忘れた。

若い人と話すといろいろな刺激がある。最大のものは、ジャーナリストに最も必要な相手から吸収しようとする「意欲」を思い出させてもらえることだ。目がギラギラしていた自分自身がフレッシュマンだった頃を久しぶりに思い浮かべた。

今日はそれと共に、来週発売になる新作のカバーと刷り出しが事務所に届いた。多くの方に取材に協力いただき、やっとでき上がったものだけに感慨深い。

私の作品は、人間讃歌が多い。凄まじい生きざまを示した毅然とした日本人を描くのがテーマの一つだからだ。4月末に出した「この命、義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡」は発売3か月足らずで、もう累計7万部を突破した。来週発売の新刊も、是非この勢いでいきたいものだ。

いつも書くことだが、ノンフィクションというのは、いかに「自分」を消せるかにかかっている。客観的に人物と情景をいかに描写できるかがポイントだ。作者の思い入ればかりが鼻につくノンフィクションが幅を利かす中、いかにそれとは正反対の作品を生み出せるかが私の課題である。

来週発売の作品は、まさにそのことに徹したものだ。これからも緻密な取材と資料収集を旨として、このような作品を次々と生みだしたい。

カテゴリ: マスコミ, 随感

スラッガーを発掘せよ

2010.07.26

3日前のブログで書いた二人の孤高のエースは、甲子園への厚い壁を破ることができなかった。そして、その両投手を破った強豪が昨日今日と、相次いで甲子園へ名乗りを上げた。

高知の明徳義塾と西東京の早稲田実業である。両チームは、ピッチャーのタイプや打線のつなぎ方が極めて似ている。都会的なスマートさ(早実)と、田舎の泥臭さ(明徳)の差こそあるが、両チームは今大会のダークホース的存在になりそうだ。

さて、今日は、世界大学野球選手権に出場する大学日本代表チームとプロ野球の若手選抜が激突した。今や大学球界ナンバー・ワンの左腕にのし上がった東洋大学の藤岡貴裕がプロ選抜の打線を5回無得点に封じ込めた。プロの打者といえども藤岡の速球とスライダーは打てない。また注目の東海大学の菅野智之が153㌔のスピードボールを連発するなど、観衆を湧かせた。

試合は、プロ選抜が4対0で勝ったが、大学球界の好投手がマウンドに上がれば、プロの打者でもそうは打てないことが証明された。

しかし、ここ10年以上つづく大学球界のスラッガー不足はいよいよ深刻だ。中央大学の体重100㌔の巨漢・井上晴哉が打線の4番に座り、振り幅の大きい豪快なスイングで注目を浴びたが、ほかは小粒で、プロのピッチャーからライナーを飛ばすことなど、とても望めないレベルだった。

アメリカやキューバといったキレとスピードで勝負してくる本格派投手を大勢抱えるチームとどうやって戦うのか、極めて心もとない。

投手力では世界屈指となりながら、スラッガー発掘に苦戦をつづける日本球界。なんとか救世主が現れて欲しいものだ。

野球の魅力は、なんといっても鋭いライナーが外野を抜けていくスピード感にある。基本はやはりスラッガーのパワーである。才能ある打者たちには、地道な努力でパワーアップを果たしてもらいたいものである。

さて、夏が来ると、ブログも自然と野球関係が増えてくる。迷走する菅政権についての論評もあす以降させてもらうが、国民の目が政治から別に向いていることで辛うじて菅さんも権力の座に踏みとどまっている感じがする。

支持率が下がれば終焉を迎える菅さんにとって、暑い夏こそ正念場だ。

カテゴリ: 野球, 随感

孤高のエースは甲子園へ行けるのか

2010.07.23

夏の甲子園大会の予選が各地で佳境を迎えている。高校生活3年間の総決算である夏の選手権大会は、特に予選がおもしろい。筋書きのないドラマが展開され、いつになっても手に汗を握らされる。

特に孤高のエースがマウンドを守るチームは、つい応援にも力が入る。夏は過酷な炎天下の中で連投となるため、複数エースを擁する伝統校が、やはり最後に笑うことが多い。

たった一人でマウンドを守り、最後は連戦の中、伝統校に力尽きて敗れていくエースの姿を私はこれまで数多く見てきた。力及ばず、壮烈な最後を遂げて高校野球を卒業していくエースたちの姿はいつ見ても感動的だ。

高校野球は人生の中で3年間だけしか許されない“限定された闘い”である。それだけに、勝つ側も負ける側も、試合にぶつける思いは強烈で、そこから死力を振り絞った筋書きのないドラマが生まれるのである。

私は明日(土)、伝統校に立ち向かう二人のエースに注目している。西東京の早稲田学院、千葉投手と高知・岡豊高校の田内投手である。

二人は共に171センチと、昨今のピッチャーの中では小柄な部類に属する。早稲田学院の左腕・千葉がスクリューボールやスライダーを駆使して打者を翻弄し、最後はずばりと内角を突く思いっきりのいいピッチングを身上とするのに対して、岡豊の田内は、強靭な足腰のバネを武器に、140㌔台のストレートとキレのあるあるスライダーを武器に真っ向から打者を切ってとる右の本格派だ。

この小柄な左右の両エースは、強豪をなぎ倒して準決勝まで進出、それぞれベスト4で伝統校と激突する。早稲田学院は、姉妹校の早稲田実業と、岡豊高校は強豪・明徳義塾との闘いである。共に全国制覇の経験のある伝統校に対して、連投のエースが挑むのである。

千葉は5回戦、準々決勝と連続完封を成し遂げ、特に東亜学園との我慢比べになったベスト8では、スクイズで挙げた1点を、ピンチに耐えて守り切った。一方の岡豊・田内は、昨秋、今春の四国大会で快速球を披露して上位へ進出し、春の選抜への出場要件を満たしながら選抜されなかった悲運のエースである。

共に炎天下の中、強豪校に挑む二人。彼らのような孤高のエースが、すでに全国で次々と姿を消している。沖縄から春夏連覇に向かって名乗りを挙げている興南のエース島袋に檜舞台の甲子園で闘いを挑む孤高のエースは誰か。その雄姿を早く見てみたい。

カテゴリ: 野球, 随感

菅内閣、ジリ貧への道

2010.07.20

参議院の議長ポストをめぐって駆け引きが続いている。これを菅政権は独自に決める力さえないそうだ。

衆院と参院で与野党の勢力が逆転する「ねじれ国会」となり、参院では自民党などが議長ポストを要求、調整が難航しているのだ。

世論調査でどのメディアも菅内閣の支持率が40%前後となり、不支持率はそれを上まわって45%前後となり、初めて「不支持」が「支持」を上回ったことを報じている。

国民の支持率が唯一の政権の原動力だった菅内閣は、完全にジリ貧への道を進んでいる。選挙直後に内閣改造もおこなわず、国民が選挙で示した“民意”への対応はゼロ。菅政権は短命に終わることを自ら選択した愚かな政権と化してしまった。

このまま世論調査ごとに支持率が低下していくのは必至で、そのたびに“反主流”の小沢グループと連携しようとするグループが党内に出て来るだろう。そしてやがては反主流の数が主流派を上まわり、政権は立ちいかなくなるのである。

座して死を待つ方策を選んだ菅首相とそのブレーンたちの政治センスを疑いたくなる向きは少なくあるまい。あとは小沢氏と検察との闘いの結果次第という、他人まかせの状態というのが情けない。

韓国から金賢姫元死刑囚が来日し、トップシークレットを持って来たが、もともと親北朝鮮の菅首相には、その情報を生かすこともできないだろう。サプライズのない“老いたる元市民運動家”は、この暑い夏をどう乗り切るつもりなんだろうか。

サミットでは、「中国をサミットに参加させよう」と提案し、先進国首脳に鼻で笑われた菅首相。人権と民主主義を共有する先進国でつくられたのがサミットであることすら菅首相は知らないのである。

日本をどこへ引っ張っていくかわからないような人は、確かに早々と退いてもらう方が国民のためかもしれない。

カテゴリ: 政治, 随感

悩める若者に勇気を

2010.07.14

今日は、事務所に千客万来だった。単行本の締切が終わった後、そのまま地方出張に行ったため、たまりにたまった用件が一挙に押し寄せた感じだった。

フジテレビの「ザ・ノンフィクション」の番組スタッフが私のコメント録りのために、やって来た。昨年、台湾&金門島にまで一緒に行ってもらったスタッフである。

「この命、義に捧ぐ――台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡」がすでに5刷・5万部を超えたことは以前、このブログでも書いた。今度は、この根本中将について、フジテレビが8月15日の終戦記念日にドキュメンタリー番組を制作して放映してくれるのである。

「門田さんはなぜ根本中将を書こうとしたのか」「なぜ台湾で根本さんのことが歴史上から消されていたのか」「それをどうやって掘り起こしていったのか」……さまざまな観点から質問が飛んだ。

毅然とした日本人像を描くことをテーマとしている私には、根本さんのように“義”に命を捧げ、毅然と生きた人の生涯を描くことは最大の喜びだ。こういう題材に出会った時の嬉しさは何事にも代えがたい。

取材での苦労話も交えながら、いろいろとコメントさせてもらった。スタッフは「あまりに描かなければならない事柄が多過ぎて、放映時間(1時間)が短かすぎます」と嘆いていたが、今から放映が楽しみである。

出版界でノンフィクションが“冬の時代”であるのと同様、テレビの世界でもドキュメンタリー番組はバラエティーやドラマに押されている。彼らの奮闘を祈らずにはいられなかった。

毅然と生きたかつての日本人の姿を「現代」に蘇らせて欲しい。根本さんの生きざまは、人生に悩み、挫けそうになっている若者にも必ず勇気を与えてくれるものと思う。

カテゴリ: マスコミ, 随感

幻想は消えた

2010.07.11

民主党の敗北が決まった。昨年8月の衆院大勝利から10か月余。この国民の審判は何だったのか、と思う。昨年の自公政権への痛烈な国民の“ノー”と、今回の民主党への“ノー”が何だったのだろうか、ということである。

私は、今回の国民の意思表示は、奥の深いものだと思っている。あれだけの期待をもって誕生した昨年の民主党政権を、私は冷めた目で見ていた。あの時のブログを見返してみても、ここまで言うか、というぐらい民主党政権に辛辣な言葉を用いている。

その理由は、民主党に完全に政権を委ねて日本は果たして立ちゆくのか、という根本的な疑問があったからである。民主党政権の政策をひと言でいうなら「日本を日本でなくす」ということである。

「日本列島は日本人だけのものじゃない」と言ってのけた鳩山さんの発言を見るまでもなく、民主党政権はひたすら“日本”というものを無色化しようとしてきた。

そのことに「たちあがれ日本」をはじめ、いくつかのミニ政党が異を唱え、“日本”を前面に押し出して、愛国心に訴えようとした。

しかし、「たちあがれ日本」は票を集めることができず、その中で「みんなの党」がそれを吸収した形となった。

「とりあえずチャンスを与えるからやってごらん」。国民は昨年、あまりにひどい自公政権に愛想を尽かし、民主党にチャンスを与えた。しかし、繰り返される失態に、「日本はこのままで大丈夫か」ということを多くの国民が本気で考え始めたのである。

外国人参政権や人権擁護法という問題法案が今回の参院選にかかっていた。民主党が勝てば、多くの法案が国会を通過し、「日本が日本でなくなる」ペースは一挙に加速しただろう。

それをぎりぎりで阻止した今回の選挙結果に、国民のバランス感覚の絶妙さを私は感じている。昨日も書いたように、少なくとも借金をしてでもバラ撒きをしようという無責任政策は国民の痛烈な“ノー”を突きつけられたのである。

民主党に対する“期待”という名の幻想は完全に消え去ったのだ。

カテゴリ: 政治, 随感

前門の虎、後門の狼

2010.07.10

今日は、福岡県の京都郡みやこ町勝山で、93歳の零戦の元パイロットを取材させてもらった。そのまま汽車と新幹線を乗り継ぎ、広島にやってきた。明日は「戦艦大和」の生き残り乗組員にお会いする。

今週の水曜日に東京を出て早くも4日経った。出発前に「期日前投票」を済ませてきたが、いよいよ明日は参院選の投票日だ。民主党政権ができて以来、初めての本格的な国政選挙である。

菅首相が自らの首をしめた形になった消費税引き上げ問題。おそらく菅首相は、政権を担う責任ある立場として、消費税引き上げが避けられないことを国民に理解してもらうために敢えてこれに「言及した」のだろう。

だが、国民が怒っているのは、単に「引き上げが嫌だから」だけではないことを菅さんも知った方がいい。片や子ども手当に何兆円も使ってバラ撒きを平気でやっておきながら、一方では、税収不足だから消費税を引き上げてこれを補おうとしているのである。

その発想に「いい加減にしろ」と、国民は怒っているのである。子孫にツケを残すバラ撒き策と、消費税引き上げという2つが「セット」になったために、「ああこの政権はダメだ」と、批判が噴き上がったことを見誤ってはならない。

しかし、だからといって「自公政権に戻したい」という声が上がってこないところも興味深い。自公政権下で昨年実施された定額給付金でもわかるように、バラ撒きの発想は自公政権も変わらないのだ。

あの定額給付金でも実に2兆円の国民の税金が消えた。公明党がくっついている限り、自民党もこの手のバラ撒き政策からは逃れられないわけで、その意味でせっかく民主党批判が高まっても、自民支持への大きなうねりとは成り得ないのである。

このマグマのような国民の怒りと不満を吸収できる政党がないところが寂しいかぎりだ。みんなの党が比較的、健闘しているようだが、獲得議席をどこまで伸ばせるか注目だ。

仮に獲得議席が二桁に乗るようなことがあれば、一気にこの党の発言力と存在感が増す。今後の混乱政局のイニシアティブをとるようになるだろう。

菅政権が選挙に敗北すれば、民主党内で小沢一派が息を吹き返すことも注目だ。そうなれば、9月の民主党代表選は修羅場と化すだろう。

菅首相にとってはまさに“前門の虎、後門の狼”。泣いても笑っても明日の結果がすべてを決める。

カテゴリ: 政治, 随感

真実にこそ感動がある

2010.07.08

昨日は東京から佐賀、長崎、そして今日は夜、福岡にやって来た。明日は福岡市内の取材の後、小倉に移動する。証言者を訪ねて九州行脚である。

太平洋戦争“生還者”の証言に日々、感動を新たにしている。極限の「生と死」の場にいた人々の述懐は、やはり重い。うわべだけの正義を振りかざしてきた戦後ジャーナリズムの浅薄さが浮き彫りにされるようだ。

拙著「この命、義に捧ぐ」が発売2カ月で5万部を超えた。ともに12万部を超えた「甲子園への遺言」と「なぜ君は絶望と闘えたのか」を上回るペースだ。

「なぜ君は絶望と闘えたのか」は、江口洋介が主役となってドラマ化させることになった。この秋に放映されるそうだ。新刊「この命、義に捧ぐ」も、フジテレビの「ザ・ノンフィクション」が8月15日の終戦記念日に取り上げてくれることになった。

自分の作品が次々とテレビ化されることは嬉しい。多くの方にこの主役たちの生きざまを知ってもらえるからだ。

以前にも書いたが、出版界がノンフィクションを軽視し、個人の特殊な体験や告白ものばかりを囃したてるようになって久しい。そういうものなら出版社は費用をかけずに作品を生み出せるからだ。

しかし、やがてノンフィクション全体が読者にソッポを向かれ、本格的なノンフィクションの絶対数が少なくなっていった。

その結果、手間ヒマとお金がかかるノンフィクション作品が生まれにくくなるという悪循環に陥った。今、まさにノンフィクション界はその地獄の中にいる。出版界自体がノンフィクションを貶め続けているわけである。

しかし、「この命、義に捧ぐ」で取り上げさせてもらった根本博中将、「甲子園への遺言」の“伝説の打撃コーチ”高畠導宏さん、「なぜ君は絶望と闘えたのか」の本村洋さんなど、凄まじい生きざまを示した人間、あるいは感動を覚えずにはおられない出来事や現象はいくらでもある。

こういう人物や出来事を描けるのは、ノンフィクションだからこそである。真実ゆえに読者が「共感してくれる」のだと私は思っている。

本を1冊仕上げるごとに「人間とは素晴らしい」と思う。毅然と生きた日本人をまた自分の手で紹介できた、という喜びは何物にも代えがたい。

小説の世界に大きく水をあけられているノンフィクション界をどうか応援して欲しいと思う。真実ゆえに必ず生きる勇気と気力を与えてくれるはずだ。そういう題材があるところに私はどこへでも行く。

カテゴリ: マスコミ, 随感

家族愛と使命感、責任感の物語

2010.07.02

このところ単行本原稿に追われ、昼夜逆転の生活をつづけている。原稿用紙にして500枚。2週間でこれを書き上げる。

今回の作品は、極限に置かれた時に発揮された家族愛の物語である。今年は日航機墜落事故から、ちょうど「四半世紀25年」の節目の年にあたる。

突然の不幸に見舞われた人々がそれにどう立ち向かい、どう克服していったか。多くの人が登場する家族愛と使命感、責任感の物語は、25年の時を経ても色褪せることがない。

四半世紀に及ぶ沈黙を破った人々の感動のノンフィクションを近々、お届けしたい。

カテゴリ: 随感

参院選も佳境に入った

2010.06.28

世の中はワールドカップ一色のようだが、参院選も実はヒートアップしている。毎回、参院選の前が来ると雨後のタケノコのごとく、新しい政党が生まれたり、タレント擁立が話題になったりする。今回も例外ではない。

しかし、以前のブログにも書いたが、今回の参院選の意味は大きい。衆院で圧倒的な勢力を誇る民主党が今回の参院選で勝利すれば、国会運営は何の問題もなくなる。好きなだけ「法案を成立」させることができるようになるのである。

しかし、過半数を制することができなければ、逆に衆参のねじれ現象が生じる。菅政権は、妥協の中でしか法案を成立させることができなくなるわけである。

先日、私の事務所からほど近い新宿西口で「たちあがれ日本」と「民主党」が“激突”していた。先週の木曜日(24日)のことである。

あらかじめ許可をとって演説をおこなっていた石原慎太郎、与謝野馨、中畑清の各氏らを尻目に、民主党の比例代表候補の白真勲氏の選挙カーが現われ、大音量で演説をスタートさせ、その上、“白真勲コール”まで始まったのだ。

小田急百貨店前と京王百貨店前での演説合戦である。与謝野氏が白氏の宣伝カーのところに行き、「公党間の約束で決めた場所に入って来るな」と抗議すると、「公道で演説をやってどこが悪い!」と拒絶し、対立はますますエスカレート。怒った石原氏が演説の途中で、「日本人ならルールを守れ!」と白氏の選挙カーに向かって叫ぶ騒動となった。

いま新宿は、いつ行っても選挙カーの大音響の只中にある。混沌とした政治情勢は、ここを歩くだけで、ひと目でわかる。以前は敵陣営の選挙カーを見ると、「ご健闘を祈っております」とひと声かけて走り去り、少なくともそこに割り込んで演説をおこなうことなどなかった。

しかし、今は違う。国会の中であろうと外であろうと、ルールなど二の次だ。あれだけ強行採決を批判してきた民主党が、今では強行採決はお手のものだ。

こういう意識の議員ばかりの中で、単独独裁政権の怖さをつくづく感じる。鳩山前首相は「日本列島は日本人だけのものではない」と言ってのけて、人々を唖然とさせたものが、イラ菅と言われる菅首相が、もし、衆参ともに単独で圧倒的勢力を得た場合、国会はどんな事態になるのだろうか。

菅首相は先日の衆院本会議で、過去に北朝鮮による拉致事件の実行犯、辛光朱(シンガンス)元死刑囚の嘆願書に署名したことについて謝罪した。「彼の名が入っていたことを確かめずに署名したことに反省している」と述べたのだ。

これはあまり大きくは報道されなかったが、菅首相の基本姿勢を見る点で参考にはなる。中国や北朝鮮への基本的な立ち位置を見ていると、大いに心配になるのは私だけだろうか。

それを意識してかどうか、サミットの席上、菅首相は、中国の胡錦濤国家主席に北朝鮮への強硬姿勢を迫った。もしこれが本気なら「その意気やよし」だが、実際には心もとない。

民主党が単独政権を樹立した場合、外国人参政権問題をはじめ、懸案事項が一気に動き出すのは確実だ。悪名高い人権擁護法案という名の言論圧殺法案も再び動き出しかねない。取り調べの“全面可視化”も一気に実現に向かうだろう。

国民は民主党の単独過半数を望むのか望まないのか。自分たちの一票が、実は今後の日本にとって、とてつもなく大きいことを認識しなければならない、と思う。

連日連夜、目にクマをつくってワールドカップだけに一喜一憂している場合ではないのである。

カテゴリ: 政治, 随感

どん底を見た「強さ」

2010.06.25

大方の予想を覆して、サッカーワールドカップの日本代表が決勝トーナメントへ進出した。本田や遠藤、松井、阿部、闘莉王、中沢らの必死のプレーに胸を熱くした。

しかし、岡田監督への礼賛が次々と湧き起こっているのには違和感を覚える。チームを崩壊寸前まで追い込み、「辞任は冗談」発言でファンはおろか、選手たちをも絶句させたのは、わずか1か月前である。

国民を失望させつづけた岡田監督によって、ファンが「誰も期待しない」というところまで追い込まれた日本代表の選手たち。そこから「なにくそ」と立ち上がったのは選手たち自身であり、岡田監督の功績でも何でもない。

Twitterや2チャンネルでは、「みんなで謝ろう!」「罵倒してすいませんでした。逆境のリーダーとして付いていきます」などと、例によってお詫びメッセージが殺到しているという。

チームがバラバラになって以降、闘莉王、中沢らベテランがどん底から這い上がるべく必死の努力を続けたさまが、今大会の試合ぶりからもよくわかる。

また、通訳もトレーナーも連れず、武者修行によって自らの肉体と精神を鍛え上げてきた本田圭祐のような選手が脚光を浴びるのは素晴らしい、と思う。スポーツを目指す子供たちに大きな勇気を与えるだろう。

日本代表が活躍できているのは、あの“どん底”を知ったからこそ、と改めて思う。韓国に0対2で敗れ、「辞任は冗談」発言でチームを崩壊せしめた指揮官。そして、それからわずか1か月で、屈辱をバネにチームをまとめ上げたベテランたち。

最後にはチームが崩壊してしまったフランスと、それはあまりに対極の現象だった。この稀有な復活劇を成し遂げた闘莉王、中沢らベテランたちに、私は大いに拍手を送りたい。

カテゴリ: サッカー, 随感

今回の参院選はおもしろい

2010.06.24

本日、参院選が公示され、17日間の選挙戦がスタートした。私の事務所がある新宿では、朝からヘリコプターの音が絶え間なく聞こえていた。

新宿の東口・西口には選挙戦スタートと共に党首クラスが姿を現すのが常だ。今日もそれを上空から映すためにマスコミのヘリが殺到したのだろう。

私は今回の参院選はおもしろいと思う。国政選挙が公示、あるいは告示される時には、通常はその選挙戦の予想は「大体ついている」ものである。

しかし、今回の参院選は普段と違って予測が難しい。鳩山前政権が国民の失望を極限まで浴びて退陣した後、菅政権は、見事にバトンタッチに成功した。

国民が支持する「反小沢」という絶対的なカードを前面に押し出し、支持率をV字回復させたのである。

しかし、そこまではよかったが、有権者もいざ現実に戻ると、民主党政権がこの9か月でやってきた数々の失態が改めて想起されたに違いない。そもそも政治とカネの問題は、なにひとつ解決していない。そんな中で、「このまま菅政権を支持していいのか」という思いが多くの有権者に頭をもたげてくるのは不思議でも何でもない。

内閣支持率がわずか1週間で10%近く下落しているのがおもしろい。国家の根幹を揺るがす施策を次々と打ち出した民主党政権が、菅内閣でその傾向を強めることは確実だ。しかも、就任直後の支持率の“ご祝儀相場”は終わったばかり。あとはどっちに振れるか、である。

これからの17日間次第で、勝敗はどうにでも転がる。特に小沢前幹事長によって立てられた民主党の“二人区”は、共倒れが続出するだろう。私は、与党の過半数確保は、至難の業と見る。

予測が難しい国政選挙ほどエキサイティングなものはない。国民が右に動くか左に動くか。今回の選挙には、私の知り合いも多数出馬している。しばらくは、選挙戦の動向から目を離せない。

カテゴリ: 政治, 随感

7月場所開催など論外

2010.06.21

底知れぬ広がりを見せている相撲界の暴力団汚染は、国民を唖然とさせている。言うまでもないが、相撲協会とは、相撲に関する伝統文化を保持するために設立された文部科学省所管の「特例財団法人」である。

国技である相撲道を「研究」し、相撲の技術を「練磨」し、その指導普及を図り、相撲道の維持発展と「国民の心身の向上」に寄与することを目的とする、と定められた法人だ。だが、昨今の相撲協会を見て、その目的が「果たされている」と考えている国民はどのくらいいるだろうか。

力士間の八百長疑惑から始まって、時津風部屋での“しごき”死亡事件、朝青龍の数々の不祥事、現役力士による大麻事件、さらにはドーピング騒動、暴力団への砂かぶり席横流し事件……等々、今回の野球賭博事件の発覚を俟つまでもなく、すでにこの協会が「公益」をはかるような団体でなくなっていることは誰の目にも明らかだ。

日本人同士のなれあいの中で生きてきた相撲界が、いつの間にか外国人力士に席捲され、しかも、水をあけられた日本人力士は“小遣い稼ぎ”に狂奔し、暴力団が胴元の野球賭博に手を出していたというのである。

長年、相撲を欠かさず観戦し、土俵に一喜一憂している年老いた生粋の相撲ファンを私は数多く知っている。その人たちの失望はいかばかりだろうか。

報道陣に気色ばむ武蔵川理事長の愚かな姿や右往左往する協会幹部たちの姿は、もはや滑稽ですらある。臭いものに蓋をして生き残りをはかり、自分たちの利益を今後も確保しようとする協会幹部たちに“ノー”を突きつけるのは、われわれ国民の側である。

信賞必罰の毅然とした姿勢を貫けなければ、日本人そのものの質が問われる。7月場所開催など、もはや論外というほかない。

カテゴリ: 相撲, 随感

信じられない「2つの事件」

2010.06.19

信じられない事件(あえて「事故」とは言わない)があるものである。昨日、浜名湖で起こったボート転覆事件で、女子中学生が亡くなったのは、「あり得ない出来事」と言える。

湖面に白波が立ち、強い雨風が吹いていた悪天候の中で、教諭と生徒だけを乗せて、湖面に漕ぎだし、転覆し、死者が出たのである。

私は1984年4月に山梨県の山中湖で、新人歓迎合宿に来ていた東大生6人の乗るボートが転覆し、5人が死亡した事故を取材したことがある。しかし、あの時は、漕ぎだしていった本人たちにも責任があった。

しかし、今回の死亡事件は、被害者となった中学生には何の責任も落ち度もない。大人たちの常識の欠如と危機管理のなさが引き起こした事件である。

悪天候の中で、まったく素人の教諭と生徒だけが湖面に漕ぎだすとは、自殺行為に等しい。静岡県教育員会によると、転覆したボートには、専門家である青年の家の職員も乗っておらず、大人は教諭2人のみで、無線で指導を受けながら訓練していた、という。

これだけの大人がいて、雨と強風の中、生徒たちは“決死の訓練”に出て行かされたのである。無線で、「ひどい船酔いでこれ以上漕げない」と連絡があり、モーターボートで曳航されている途中に転覆し、亡くなった女子中学生はひっくり返ったボートの中に閉じ込められた形になり、溺れ死んだと思われる。

何から何まで信じられない事件である。報道によれば、この女子中学生を救出するのに「約2時間半もかかった」という。ボートの下に潜り込んでしまった人を助けるのにこれほどの時間がかかるわけがない。

これは転覆事故という事態に遭遇しながら、乗船していた生徒の人数を把握できなかったことを意味している。悪天候の中を漕ぎだし、指導員もおらず、さらには転覆後も生徒の人数さえ把握できなかったこと……数々の大失態が積み重なって、将来ある中学生の命が失われたのである。

静岡県警はきちんとした捜査をおこない、責任の所在を明らかにし、 検察は起訴すべき人間をきちんと起訴して、裁判の中でこの事件がなぜ引き起こされたかを明確にしていく必要がある。そうでなければ、理不尽な死を余儀なくされた女子中学生の魂が浮かばれない。

一方、果てしない広がりを見せている大相撲の野球賭博汚染には、言うべき言葉が見つからない。日本人力士が外国人力士に相撲で圧倒されている中、その日本人力士を代表するべき立場にある大関・琴光喜らが、野球賭博にうつつを抜かしていたのである。

しごきによる“殺人”がおこなわれた時津風部屋をはじめ、この広がりがどこまでいくのか想像もつかない。ただ言えるのは、外国人力士がほとんど関与しておらず、汚染が「日本人力士が中心になっている」ということである。

相撲で圧倒される日本人力士が、それを悔しがってひたすら「精進する」方向に向かうのではなく、暴力団が胴元となった野球賭博で小遣いを稼ごうということに向かっていたのである。巨額のお金が取り引きされていたことに驚くのではなく、そこまで力士たちの精神が腐っていることを、私たちは認識すべきなのべきである。

「国技」と言われる日本の相撲は、一度、解体して出直すしか道はない。もはや理事長以下、協会幹部を力士出身者が占めること自体が許されないだろう。

カテゴリ: 事件, 随感

特攻と「生と死」

2010.06.16

今日は、鹿児島中央駅から朝7時51分発の列車に飛び乗った。まわりは、高校生たちばかりだ。通学列車である。これに乗って、薩摩半島の突端にある開聞(かいもん)へ向かう。

指宿の次の山川駅が列車の終点だった。仕方なく、そこでタクシーをチャーターし、開聞の海岸線にある「花瀬望比(はなせぼうひ)公園」へ向かった。

太平洋戦争で日米の陸軍の正規軍同士が激しい戦いを繰り広げたフィリピン。ルソン島・レイテ島などで日本軍は四十万人以上の戦死・戦病死者を出して、敗北した。

その犠牲者を追悼する地が花瀬望比公園である。はるかフィリピンの方角を望む母子の像や、兵士たちの像が立っている。

真っ青な太平洋の海原と薩摩富士と呼ばれる開聞岳がマッチし、爽やかさと厳かさを併せ持った公園だった。

この夏から始める某月刊誌の連載の取材で、太平洋戦争のゆかりの地を訪ね、90歳を前後する生還者たちに話を伺っている。

鹿児島は、ルソン・レイテ両島で死闘を展開した陸軍の第71連隊があった地であり、また沖縄戦で特攻していった戦闘機乗りたちが根城にした飛行場が、いくつも存在する。要するに、太平洋戦争で多くの犠牲者を出したのが、ここ薩摩なのである。

幕末、西南戦争、日清・日露戦争、そして日中戦争から太平洋戦争へ。それぞれの戦争で、薩摩はいつも先頭で戦い、多くの犠牲者を出してきた「歴史」を持っている。つまり、戦争を描く時に必ず訪れておかなければならないのが薩摩なのである。

私は開聞のあと、知覧に向かった。知覧では特攻ミュージアムに赴き、19歳、20歳で死んでいった特攻隊員たちの遺書や寄せ書きを見た。特攻という手段は、美化されがちだが、これほど理不尽な戦闘手段が美化されるべきではない、と私は思う。

昨年出版した「康子十九歳 戦渦の日記」(文藝春秋)で私は書いたが、この本の主役・粟屋康子さんは当時、「特攻に行く人は誇りです。でも、それを強いるのは国の恥です」と、ズバリ語っている。「特攻はあくまで目的であって、手段であってはならないと思うの」とも康子さんは特攻を志願しようとする若者に対して語っている。

私は、特攻で死んでいった若者に深い敬意を払う人間だが、それでも、この「特攻という手段」を敢えてとった軍の上層部たち、すなわち「軍官僚たち」に怒りを覚えずにはいられない。

月曜日(14日)に鹿児島市内でお会いした元零戦の搭乗員(海軍)は、こんな秘話を明かしてくれた。過去に1日の空戦で実に敵機「13機を撃墜」したことがある歴戦の飛行士が仲間への特攻命令に対して、こう怒ったというのだ。「なぜ爆弾をハンダづけするんだ! オレたちは一度だけでなく、何度でも出撃して敵船を沈めてやる。こんな(一度だけの攻撃で終わるという)無駄なことをさせるな!」と。

知覧から出撃していった陸軍の特攻隊員たちは、そういう反抗もないまま黙々と“任務”を遂行していったという。特攻ミュージアムの中に飾られている出撃直前の底抜けに明るい若者たちの笑顔を見て、改めて人間にとって「生と死とは何か」ということを考えさせられた。

カテゴリ: 歴史, 随感

ドラマ史に残る感動の作品に

2010.06.11

今日は、この秋に放送されるドラマの陣中見舞いに調布の日活撮影所に行って来た。

まだ情報解禁を許されていないので、私のどの作品のドラマ化かは残念ながら書けない。しかし、今日の撮影現場を見て、素晴らしい作品になることを確信した。

張りつめた空気の中、俳優や女優が真剣な眼差しで食い入るようにモニターを見入っていた。主役の江口洋介さんをはじめ、今日来ていた小澤征悦さん、眞島秀和さん、市毛良枝さんなどが収録に入ると、スタジオ全体に緊張感が漂った。

ヘビースモーカーの石橋冠監督のメリハリのある声がスタジオ内に響き、スタッフがきびきび動く姿が印象的だった。

家族の愛情と司法の正義、そして毅然とした日本人の生きざまがこのドラマの主題である。“役づくり”に入る役者さんたちに、「プロフェッショナル」という言葉を思い浮かべた。

我々の取材現場が「真剣勝負」なら撮影現場も同じだ。ドラマ史に残る感動の作品に仕上がって欲しい、と願う。

カテゴリ: 随感

なぜ「義」が注目されるのか

2010.06.09

4月末に発売された拙著「この命、義に捧ぐ―台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡」(集英社)の4刷目が本日、決まった。発売40日足らずで、もう3万部を突破した。

好調な売れ行きで、あちこちで「どこへ行けば手に入るんだ?」という嬉しい問い合わせが続いている。今の世に「義」をテーマにしたことに対して、当初“時代遅れ”のように感じた人もいるかもしれないが、私はまったく違う考えを持っている。

「義」とは、いうまでもなく恩義の「義」であり、義理の「義」である。その昔、日本人は「義」のためには、命を捨てることを厭わない人たちが少なくなかった。「義を返す」ことを、日本人はそれほど大切にしていた。

本書の主役、根本博・陸軍中将は脈々とつづく、そういう日本人の一人である。古(いにしえ)の人たちは、きっと命よりも大事なものを求めていたのだろう、と思うが、ほんの60年前に見事な生きざまを見せた根本氏もその一人だったのだ。

根本中将は、一部の研究者の間では、それなりにネームバリューがあったが、一般的にはほとんど無名だった。それは、日本の戦後ジャーナリズムが物事を類型化し、レッテル貼りをおこない、軍人イコール悪という固定した価値観をつくり上げ、そこから一歩も出ようとしなかったことと無縁ではないと思う。

今回、取材をしてみて「根本博」という人物は、そんな戦後のジャーナリズムがひと括りで論じることのできる単純な存在ではなかったと思う。彼は、陸軍内にあって、中国のことが「好きで好きでたまらない」という極めて特異な“支那派”だったのだ。

根本氏ほど中国人と交流を持った“支那派”は少ない。本当の意味での「五族協和」を実現しようとする根本たちは、陸軍内ではおそらく少数派だったと思われる。

私は、この作品を書くにあたり、「風景」を大事にした。いや、この作品に限らず、私の作品を読んでくれる方はお気づきだと思うが、風景、すなわち情景を私はいつも最重視している。

私の取材に同行してくれた方が仰るのは、細かくしつこいぐらいに私が「情景」を聞くので、「呆れてしまう」ということだ。

ノンフィクションがおもしろくない、とよく言われる。しかし、そんなことはない。現実にこれほど凄まじい人間の生きざまがあるのに、小説の方がノンフィクションよりすごいはずはないと私は思っている。

それは、ノンフィクションの書き手が、自分の思い入れの「殻(から)」に閉じ籠もり、書き手が自己満足しただけの作品ばかりが世に出ていることに原因があるのではないか、と思う。実際に今も、そういう作品ばかりをノンフィクション界がもてはやそうとする傾向がある。

私は今回の作品を書くにあたり、根本氏が遺した手記の描写に感嘆した。原稿用紙に換算すれば、数百枚ではとてもきかないほどの手記を根本氏は遺している。この中身が実に素晴らしい。昨年、文藝春秋から出した「康子十九歳 戦渦の日記」の粟屋康子さんの日記もそうだ。

いずれも、当時の情景がそのまま浮かぶ文章が遺されている。当時の人々の教養の深さもさることながら、その表現力には感心させられた。

私は、遺された手記に新たな「取材」を加え、淡々と“風景”を描写することだけを旨とした。その時に、自分自身の思い入れはできるかぎり排除した。なぜなら、それは読者に感じてもらうことであり、そこに作者が「分け入るべきではない」と思うからである。

ノンフィクションはおもしろい。それは実際の人間の生きざまがそれほど素晴らしいからだ、と私は思う。ノンフィクションに携わる人間として、できるだけ多くの読者にそのことを知ってもらい、作品から「勇気」や「生きざま」を感じとってもらえれば、作者としてこれほど嬉しいことはない。

カテゴリ: 随感

「奇兵隊vs壊し屋」の行方

2010.06.08

丹波&城崎の取材を終えて本日、帰京した。城崎では、取材先でお話を長時間伺わせていただいた上に、夜、地元料理もご馳走になり、美味しいお酒も堪能させてもらった。

文豪・志賀直哉が愛した城崎温泉の湯にもつかり、すっかり旅の疲れと汚れを落とさせてもらった。お礼の言葉もない。

取材の成果は、夏に出版するノンフィクションの中で詳しく書かせていただく予定だ。

さて、夕方帰京すると、菅内閣発足のニュースで東京は持ちきりだった。見事、支持率をV字回復させた菅氏の手腕は、市民運動家からスタートしたとはいえ、数々の修羅場をくぐり抜けてきた経験に裏打ちされた“何か”を感じさせる。

哲学、思想、知識、いずれも極めて乏しかった前首相に比べ、国民はある種の頼もしさを感じているのだろう。60%になんなんとする支持率は、それへの期待感と言える。

しかし、1年以内で総理が変わるという“失点合戦”の様相を呈している日本の政界で、菅体制が1年以上続く保証はどこにもない。

懸念材料の最大のものは、「次」を狙うリーダーがいつ小沢グループと手を結ぶか、にある。幸いに岡田克也、前原誠司両氏など、「次」のリーダーたちは今のところ、悉く閣内に取り込まれている。

菅氏による「小沢グループの孤立化」という戦略が徹底されているだけに、この不安がかなりの部分小さくなっているのは事実だ。

しかし、“壊し屋”の異名をとり、怨念をいつまでも忘れない特異な人間である小沢氏は、党を“割る”ことも視野に入れているだろう。すなわち中間勢力や、自民党の一部と連携することなど、これからは小沢氏も倒閣戦略を「なんでもあり」で立ててくるに違いない。

その時、自民党の中のどのぐらいの勢力を連れてくることができるのか、彼の手腕が問われる。その前に検察の動き次第で彼は窮地に陥る可能性もあり、予断は許さない。その点では菅内閣が総力を挙げて検察に小沢捜査を「貫徹させる」かもしれない。興味は尽きないのである。

いずれにせよ、すべては国民の支持率次第。そのことをよく知っている菅首相が果たして次々とどんな支持率アップ策を打ち出してくるのも注目される。

菅首相は、自らの内閣を高杉晋作の「奇兵隊」になぞらえていたが、哀れな末路を辿った奇兵隊と、早世した高杉の二の舞にならないよう祈るばかりだ。

カテゴリ: 政治, 随感

丹波の山あいの町にて

2010.06.06

丹波の山南町(さんなんちょう)という山あいの町にやって来た。イノシシと松茸が名物の兵庫の山の中である。明日は、日本海側の城崎温泉まで足を延ばす。

今年は、日航機墜落事故から四半世紀(25年)という節目の年である。その関係で今、さまざまなご遺族とお会いしている。

今日もあの時、凄まじい経験をしたご遺族にお会いした。明日の城崎温泉でも、一人お会いする予定だ。

これまで活字になったことがない痛烈な家族愛と使命感の物語に、私自身がここのところ感動を新たにしている。ノンフィクション作品として近くお目にかけることができるようになれば幸いだ。

さて、政界では、週明けから菅新体制が話題を独占する。菅体制のサプライズは、“反小沢”の民主党7奉行が、揃って重要な役職を占めることにあった。

菅氏は、民主党の人気凋落の元凶でありつづけた「小沢一郎」という人物をターゲットにすることによって、逆にV字型の人気回復を策したのだ。

菅氏の戦略は見事に功を奏した。マスコミの世論調査は、60%という支持率になって現われつつある。

直前の鳩山内閣の支持率が20%を切っていたことを思えば、そこまで民主党の足枷(あしかせ)になっていた「小沢一郎」という存在に改めて溜息が出る。

小沢氏は、これから自らの生き残りをかけて「対菅直人」、そして「対検察」という戦争に臨むことになる。

“怨念”をエネルギー源にしてこの20年間、政界に陰に陽に影響力を及ぼしてきた小沢氏。これからの「お手並み拝見」と言いたいところだが、なにかここへ来て哀れささえ漂い始めている。

息を吹き返した検察の対小沢戦争の行方が注目される。

カテゴリ: 政治, 随感

新政権のキーワード

2010.06.05

次第に全貌が見えてきた菅直人新首相の体制が興味深い。キーワードが“反小沢”であることが明白になっているが、これが半端なものではないのだ。

旧鳩山体制の車の両輪が、小沢一郎氏(小沢グループ約120人~150名)と輿石東氏(旧社会党系の横路グループ約30人)だとすると、菅体制は、「反小沢グループ」の集合体である。

官房長官に仙石由人氏、党幹事長に枝野幸男ら、出て来る名のキーワードは、すべて“反小沢”。これを政権の求心力にしようというわけである。

永田町では、プロ筋から「さすが、菅だ」という声が上がっている。約420名の民主党国会議員の内、これまで反流派はわずか100名に過ぎなかったが、今度は、逆に小沢グループそのものが非主流に追いやられたのだ。

菅首相の考えは明快だ。150人近い小沢グループが“単独で”非主流派となる限り、「怖くない」というのが、基本的な考え方なのだ。車の両輪どころか、車輪も車体もすべて「反小沢」でつくりあげれば、最大派閥の小沢グループといえども、菅は「怖くない」のである。

ここに2つのポイントがある。1つは、「反小沢」を強烈に打ち出すことによって、世論調査で小沢の辞任を求めた80%の人々を支持者として取り込み、かつ、仮に今度の検察審査会でまたも「起訴相当」の結論が出ようと、政権への打撃を最小限に食い止めることができることである。

もう1つは、膨れ上がった小沢グループに「小沢に代わるリーダー」、つまり「次」がいないため、小沢自身の政治生命が危うくなった段階で、このグループは草刈り場となり、一気に叩きつぶせるというプロらしい“読み”である。

これまで、候補者に対する公認権を手離さないことで大量の“小沢チルデレン”をつくってきた小沢氏だが、周知のように彼らの実態はほとんどが政治のイロハも知らないような素人集団だ。

これからは、人事から干され、政党交付金を自由に使えなくなった小沢氏からの資金提供もやがて途絶えがちになるだろう。そうなれば、彼ら小沢チルデレンの結束は揺らいでいく。菅首相はそこを見越しているのだ。

小沢グループを人事で優遇するから「小沢氏の影響」を排除できないわけで、これを完全にやめれば、小沢グループの影響が弱まるだけでなく、このグループに所属するメリットそのものがなくなり、揺さぶりがいくらでもかけられるのだ。

つまり菅首相は国民に必ず支持されるであろう“反小沢”で正面突破と政権の浮揚をはかり、求心力を自ら作り上げたのである。

小沢氏が今後やることは目に見えている。他のグループのリーダーを担ぐことで、そのグループとの連携をはかり、民主党国会議員の過半数を制しようとするだろう。

だが、人事で干されれば、それも容易ではなくなる。結局、9月の代表選ではせいぜい田中真紀子を代表候補として擁立するぐらいで終わるだろう。それも、小沢氏が数々の疑惑によって身柄を捜査当局に「抑えられていない」ことが前提だが……。

菅vs小沢。並び立つことのできない両雄の激突は、この新政権最大の“呼び物”になるに違いない。それにしてもかつての田中派がそうであったように、膨れ上がり過ぎた派閥は「自壊」するしかなく、その意味でまさに“歴史は繰り返す”のである。

カテゴリ: 政治, 随感

いよいよ参院選へ

2010.06.04

たった今、民主党の新代表が決まった。菅直人氏が樽床伸二氏を「291票対129票」で破って当選を果たした。

勝敗については予想通りの結果だが、樽床氏が3ケタの票数を獲得したことは、菅氏への無言の圧力になったと言えるだろう。

小沢グループが土壇場で存在感を誇示するために「樽床支持」にまわった、という情報が流れた。結果は、樽床氏が129票を獲得した。小沢グループの票が相当数、樽床氏に流れたことを表わしている。

当選直後の演説で菅氏は、「樽床さんに入れた方も、私に入れてくれた方も、これからは一致団結して戦っていきたい。ここで、ノーサイドの宣言をさせていただきたいと思いますが、いかがでしょうか」と問いかけた。会場には「おう」という声が上がった。

これは、小沢グループへの菅氏の痛烈な問いかけでもある。党内最大派閥で120人とも150人とも言われる小沢グループを“敵”にまわしては「政権を安定させることはできない」という菅氏の悲鳴に近い願望でもある。

新政権誕生によって、いよいよ待ったなしの参院選突入である。そんな中、旧知の弁護士、後藤啓二氏から携帯に電話が入った。「私、選挙に出ることになりまして……」。不意なひと言にびっくりした。

慌てて彼のホームページ( http://www.law-goto.com/ )を見てみたら、確かに出ている。後藤弁護士は、元警察官僚で、退官後、弁護士に転じ、犯罪被害者の権利拡大のために邁進してきた人物である。私とは、犯罪被害者のシンポジウムで共にパネラーを務めたこともある。

私は、これまで「裁判官が日本を滅ぼす」「なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日」「激突!裁判員制度 井上薫vs門田隆将」など、司法と犯罪被害者に関わる著作を発表しているため、後藤弁護士とは接点が少なくない。

後藤氏自身も「なぜ被害者より加害者を助けるのか」「日本の治安」など、私と同じジャンルの著作を持つ。昨年の後藤氏の出版パーティーにも出席させてもらったが、会場には、奥さんと、まだ赤ちゃんのお嬢ちゃんの姿もあった。

私は「平穏に暮らす人々をいかに守るか」ということが、国家にとって最も大切なことだと思っている。この時の後藤ファミリーのようすを見て、彼が犯罪被害者の支援を懸命におこなっている理由が何となくわかったような気がした。

「どこ(の政党)からですか?」と私が問うと、「みんなの党です」とのこと。比例からの出馬だそうだが、菅新首相の誕生で参院選の様相は一変している。

支持率を伸ばしている「みんなの党」といえども、赤絨毯(じゅうたん)への道は平坦ではないだろう。世間の片隅で泣いている犯罪被害者のために後藤氏がいかなる闘いを展開するのか見守りたい。

カテゴリ: 政治, 随感

政界の激動を横目に

2010.06.03

今日は、政界の激動を横目に、新宿でコアな野球人たちの集まり「甲子園会」の飲み会が久しぶりにあった。

昭和50年夏の甲子園で大活躍した上尾高校の4番で元巨人の中村昭氏(現・ジャイアンツアカデミーコーチ)や、スポーツジャーナリストの佐野正幸さん、瀬川ふみ子さん、そして現役の明治大学野球部の面々まで、異色の野球人たちが揃った。

「龍馬伝」人気にあやかったのか、近く「長宗我部」という新刊を出す元共同通信の長宗我部友親さんまで飛び入り参加し、ソムリエ日本一の濱田知佐さんらも加わり、わいわいガヤガヤと3時間にわたって楽しく飲んだ。

話題は、「野球」から「歴史」まで広範囲にわたったが、かくいう私も、1か月前に「この命、義に捧ぐ―台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡」(集英社)を出したばかり。幸いにすでに3刷となり、順調に部数を伸ばしている。

来月(7月)には、「新潮45」に1年間連載したスポーツドキュメント「あの一瞬」を大幅に加筆したスポーツノンフィクションも出るので、大いに宣伝をさせてもらった。

政界の激動は、菅直人・新首相の誕生で収まりそうだが、“鳩山後継”を強調する菅直人氏が、民主党の子供じみた“幻想的政策”をどこまで現実へと修正できるのか、注目だ。

幸いに社民党の連立離脱で、足枷(あしかせ)が一つ取れたことは事実。しかし、市民運動家出身の菅氏が、先祖がえりをするなら、この国の悲劇は「鳩山後」も続くことになる。

安全保障問題をはじめ、市民運動家の理解を超える事態がアジアでは進行している。新首相には、毅然とした道を歩んで欲しい。

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じり貧で“退場”するぐらいなら

2010.06.01

鳩山総理の“抵抗”が続いている。すでに退陣への道筋はついているが、本人だけはどうしても諦めきれないのだ。最高権力者の座から降りることを自分に納得させることとは、それほど難しいのである。

自分を支えてきた小沢一郎幹事長と輿石東参議院幹事長の2人が見限っても、鳩山総理は首をタテに振らなかった。車の両輪を失っても、まだ走り続けようというわけだ。

権力の座にしがみつこうとするこの姿は、痛ましさを越えて滑稽だ。だが、悲鳴を上げる参院の候補者たちは、こんなボンボン政治家に付き合っていられるか、というのが本音だ。

あとは「(退陣は)時間の問題」と、街頭演説に必死に走りまわっている。“裸の王様”と化した鳩山総理は、惨めな最後に向けて突き進むだけなのである。

参院本会議での問責決議案は、提出されたらおそらく「成立」するだろう。誰も支えてくれない中で、鳩山総理は最高権力者の座がいかに脆くて孤独なものであるかを思い知るに違いない。

さて、参院選を乗り切れる民主党の新たな“顔”は誰だろうか。衆院での圧倒的な議席を誇る民主党は、7月の参院選を乗り切りさえすれば、盤石の政権を築くことができる。

その意味で「次の政権」こそ、民主党の真の本格政権と言えるかもしれない。次の政権の誕生を阻止したい鳩山総理が、唯一できることは“衆院解散&ダブル選挙”である。そういう姿勢を鳩山総理が見せた時、本当の意味で民主党内に激震が走るだろう。

昨年8月30日に怒濤の如く当選して来た民主党の新人たちは、ダブル選挙となれば軒並み議席を失うことになる。これこそ政界激震である。

鳩山さん、じり貧で“退場”するぐらいなら、最後にそれだけの開き直りを見せて欲しい。解散・ダブル選挙で、最後くらい世間をアッと言わせてくれ。

カテゴリ: 政治, 随感

政界激震で最後に笑うのは

2010.05.31

いよいよ鳩山総理の「退陣」が強まった。権力者が国民の支持を失った時ぐらい惨めなものはない。選挙を控えているとなれば、余計そうだ。

社民党の又市征治副党首が本日、BSの番組で、「首相退陣はあす(1日)か、あさって(2日)だと思う」と語り、政界の注目が一気に“ポスト鳩山”に移った。

動き出した流れは変えられない。参院選が鳩山政権で戦えない以上、退陣はむしろ遅きに失した感がある。かつて「日本列島は日本国民だけのものではない」と言ってのけたフシギな政治家が、ついに総理の地位を追われることになる。

国家の安全保障の根幹もわからないまま迷走の末の退陣である。誰からも同情の声は起こらないだろう。だが、ここからがおもしろい。退陣が不可欠となった時、鳩山首相、小沢一郎、輿石東の3者が集まり、急遽対策を練ったのは、言うまでもなく「今後」の対応を話し合うためだ。

まず鳩山続投の可能性を探り、それが不可能と見るや一転、“次”を狙ってくるだろう。民主党内の最大派閥小沢グループは衆参合わせて約120人、鳩山グループは50人弱、輿石ら旧総評系労組グループは約30人いる。この主要3派に旧民社系や羽田グループを加えて、民主党の主流派は圧倒的な勢力を誇っている。

非主流の菅グループや前原・野田グループは合わせて、やっと100名に過ぎない。小沢氏など主要3派が“主流派”を構成していこうという意思が揺るがない限り、どんなに小沢氏が世間の非難を浴びようが、与党内でイニシアティブを握ることは可能だ。

だが、果たして今の状態で3派が「結束を維持」できるかどうか、極めて疑わしい。なぜなら、今回も小沢氏が数にものを言わせて「次の総理」を決めることになれば、国民の失望がさらに広がり、参院選の敗北がより確実になるからである。

主流3派が「臥薪嘗胆」の策をとり、ここは一時期、他の勢力が推す有力者を担ぐのか、それともあくまで正面突破を目指すのか、そこが興味深いのである。

菅直人、岡田克也、前原誠司の非主流の有力者が、いかに主流3派とわたり合うのか。この時、ポイントになるのは、すでに参院選に向けて新党を結成している面々との連携であり、自民党内部へのパイプである。

独裁者・小沢氏に立ち向かうという意味では、彼ら非主流派も野党も差はない。一挙に政界再編成の可能性も秘めて、永田町が激動を始めた。

カテゴリ: 政治, 随感

ジャーナリズムは冒険を

2010.05.24

大阪取材4日目。今日も茨木市で、日航機墜落事故ご遺族の貴重な25年目の証言を得ることができた。着々と貴重な証言が積み重なっている。充実した内容のノンフィクションになりそうだ。

夜、取材の帰りに、梅田で大阪読売新聞の元記者で、かつての“黒田軍団”の重鎮と飲んだ。

黒田軍団の解体からすでに約20年が経つ。ナベツネの露骨な大阪社会部切り崩し工作で失われた社会部の勢いは、今も戻ってきていない。

かつてのパワーあふれる軍団のエピソードを聞きながら、私はマスコミ全体の“変化”を感じざるを得なかった。単なるエリート集団と化した今のマスコミ・ジャーナリズムに、地を這うような調査報道は皆無となってしまった。

今のマスコミを称して「巣で口に餌(えさ)を放り込まれるのを待つひな鳥」と語る向きもある。それほど今のマスコミは当局に見事に飼いならされているということだ。最近は、エリート学生が「官僚志望」と「マスコミ志望」という信じられない“かけもち”をやるケースが増えているという。

新聞記者が書くノンフィクションの傑作にも、最近、とんと出会えないでいる。安定ばかり求め、冒険を忘れきった日本のジャーナリズムの世界に、「明日」はやってくるのだろうか。ジャーナリズムの将来を憂うる二人の中年男の飲み会――ホテルに戻ってきたら、すでに日付が変わってしまっていた。

カテゴリ: マスコミ, 随感

変貌を遂げた道頓堀

2010.05.22

昨日から大阪に取材に来ている。日航機墜落事故のご遺族から貴重な証言をいただいている。人間の使命感と家族愛がいかに素晴らしく、同時にいかに凄まじいものであるかを改めて教えてもらった。

夜、久しぶりに道頓堀を歩いてみた。大阪一の名所・戎橋(えびすばし)の変貌に驚く。護岸工事がなされ、遊歩道が道頓堀沿いにでき、かつての汚い河のイメージが一掃されている。橋自体も新しくなり、土曜日ということもあって若者でごった返していた。

今年、某テレビ局に入社した早稲田野球部のOBが大阪に赴任していたので、久しぶりに会った。底抜けに明るいこのフレッシュマンは、仕事での苦労をまったく意に介していない。逞しいかぎりだ。これから着実に雄々しいマスコミ人へと成長していくだろう。

さて、明日は京都で取材、あさっては茨木で取材と、息つく暇がない。朝鮮半島の緊張や、週明けのニューヨーク株式市場の動きなど、気になることは目白押しだが、こちらは目の前の取材を着実にこなしていくだけである。

普天間基地問題は結局、当初の辺野古案に事実上、戻って日米が大筋合意した。一国の領袖とはとても思えない幼稚な考えしか持たない鳩山さんの支持率は、一体どこまで落ちるのだろうか。

だが、政界は通常国会が残り1か月を切り、いよいよ参院選モードだ。民主党は、鳩山さんを担いで本当に選挙を戦うつもりなのだろうか。

普天間関連の「公約不履行」で鳩山さんに「退陣して欲しい」と願っているのは、実は民主党の人たちであり、野党である自公両党は「このまま鳩山さんが選挙を!」と願っている。

鳩山首相が民主党の“選挙の顔”である限り、野党の勝利が見えているからだ。1年ごとに国家の領袖の顔をすげ変えることが当たり前になった日本。世界中が笑っていると思うと、なんだか情けない。

カテゴリ: 政治, 随感

不穏な空気が世界全体を覆い始めている

2010.05.20

今日は、“歴史の証言”を訪ねて長野まで行って来た。

今夏94歳になる零戦の元飛行士である。真珠湾攻撃に参加し、ミッドウエー海戦でも九死に一生を得て、ガタルカナルの戦いでは、敵機ともつれあいながら同島に墜落している。

生きていたのが不思議な状況の中、その度に“生還”してきた人だ。氏の話を伺いながら、人間には「運命」というものがあることをつくづく考えさせられた。

それと共に、殺し合いの無意味さと平和の尊さを必死に訴える氏の姿に心が動かされた。だが夜、東京へ帰ってきたら、韓国の哨戒艦が北朝鮮の魚雷によって沈没していたことが「正式に発表された」というニュースが流れていた。

当ブログでも指摘してきた通り、いよいよ“一触触発”の事態である。「韓国の捏造」と主張する北朝鮮の言い分に耳を傾ける人は国際社会で皆無だ。

この事件では、なんの罪もない韓国兵士たちの命が46人も喪われている。かつて北朝鮮がおこなった大韓航空爆破事件やラングーン事件などの暴挙が思い出されるが、彼らは、過去自分たちがやってきたことを反省することすらない。

北朝鮮国内の飢餓状態への兵士たちの怒りと焦りが、今回の魚雷発射に現われていると、私は思う。すでに金正日による軍部への統制が崩れ始めているという見方もできる。

暴発の予兆というべきか、それとも、これは「宣戦布告」なのか。北が“攪乱”のためのテロ行為に走り始めた場合は、東京も無傷ではいられまい。

ニューヨーク株式市場が崩れ始めたという深夜のニュースを聴きながら、不穏な空気が世界全体を覆い始めていることを感じる。


カテゴリ: 歴史, 随感

学生の間に培わなければならないもの

2010.05.17

関西の取材旅行から帰り、今日は久しぶりに明治大学でのマスコミ講座があった。今日の授業は、和泉校舎での1、2年生が対象だ。もうこの講座の講師を担当するようになって10年ほどになる。

毎年、マスコミに人材を送り込んでいるこの講座のお陰で、私も、マスコミ各社に随分と教え子が増えた。昨年、夏の甲子園大会を取材をしている時も、この講座出身の教え子と甲子園の取材現場で遭遇し、いろいろと情報交換をおこなったことを思い出す。

私の母校・中央大学よりマスコミに人材を送り出すことに熱心な明治が、大いにマスコミに勢力を張っていることを実感した。

今日も、目をキラキラさせたフレッシュマン(1年生)から、マスコミ受験を目前に控えている3年生まで、百名ほどのマスコミ志望学生にさまざまな話をさせてもらった。

私の授業は目的が明確だ。マスコミ・ジャーナリズムとは何で、いかにしてそのマスコミ・ジャーナリズムの世界に入るか、である。

そのために物事を見る視点や感性、はたまた精神力などについて、どう身につけ、どう養っていくか、という実践的な話をさせてもらった。

私は、作文の書き方についても実践的に方法論について指導をするが、授業が終わっても熱心に具体的な質問をしに来る学生もいて、なかなか頼もしかった。

授業をおこなう度に、将来のジャーナリストたちを育てる意義を感じる。人間の情感と情念を描き、毅然とした生きざまを表現し、そして巨悪に立ち向かっていく闘志を、若い人たちには身につけて欲しいと思う。

学生の間に培わなければならないものは、あまりに多い。がんばれ学生諸君!

カテゴリ: マスコミ, 随感

東京は「火の海」にならないのか

2010.05.15

鹿児島から和歌山、大阪、兵庫と“転戦”している。この夏刊行予定のノンフィクションの取材である。

連日、取材対象者から素晴らしい言葉が出て、「人間」という存在そのものに対してさまざまな思いがこみ上げてくる。それらは8月出版予定の作品の上で詳細に紹介させていただくつもりだ。

それと共に、ここへ来て、さまざまな面で風雲急を告げる事態が起こってきている。私は、それが気になって仕方がない。

ひとつは、小沢一郎民主党幹事長への検察の3度目の事情聴取であり、もうひとつは、韓国の海軍哨戒艦沈没事件だ。

小沢氏の問題はここでは措(お)くとして、韓国の沈没事件は、まさに一触即発といっていい。沈没原因を調査していた軍・民間合同調査団は、すでに爆発原因を「魚雷」とほぼ断定している。

果たしてこのまま「北朝鮮からの攻撃」ということが証明された場合、韓国の李明博(イミョンバク)大統領はどんな政治決断をするだろうか。

正式発表は20日とされるが、「北朝鮮の関与」についての決定的な証拠が出れば、激しやすい韓国国民が大統領に対して強行決断を促すに違いない。

魚雷によって艦船が攻撃を受ければ、言うまでもないが、これは一種の宣戦布告である。報復≒戦争勃発であり、極東情勢は一気に混沌となる。

昨年実施のデノミ政策の無残な失敗と、飢餓状態の食糧事情――北朝鮮は、金正日自ら、中国に“物乞い”に行かなければならないほど追いつめられている。この国がどこまで暴発を回避できるのか、甚だ疑問なのだ。

また、韓国が北朝鮮の蛮行をこのまま見逃すことができるのか。「ソウルは火の海」と北朝鮮が軍事的優位を誇って脅したのは、今から16年前、1994年3月のことだった。

ソウルだけではない。東京が「火の海」にならない保障はどこにもない。平和ボケの日本人を嘲笑うように、普天間基地問題も、そしてこの魚雷撃沈事件も水面下でマグマが爆発を待つかのようにふつふつと音を立てている。

目を離すことは許されない。

カテゴリ: 北朝鮮, 随感

死して「名」を残す

2010.05.13

夜、出張先の鹿児島から帰ってきた。ぎりぎりまで有意義な取材ができたと思う。

鹿児島市内で取材の合間に、西郷隆盛と大久保利通の生誕の地に行ってみた。二人の生誕地はわずか200メートルほどしか離れておらず、“維新三傑”の内の二人がこれほど近い場所の幼な馴染だったことに改めて驚きを禁じ得ない。

いやそれだけではない。鹿児島中央駅からほど近い加治屋町というこの場所からは、「これでもか」というぐらいの明治の元勲や軍人たちが出ている。

東郷平八郎、村田新八、大山巌、山本権兵衛、西郷従道……等々、まさに枚挙に暇がない。半径200メートル以内で「日本が動かされていた」と言っても過言ではない。

しかし、私は同時に明治政府の薩長藩閥政治の凄まじさを垣間見た思いもした。長州もそうだが、薩摩も、これほど狭い地域から「偉い人」が出るのは、逆にいえば、それだけ露骨な身贔屓(びいき)人事が政府部内で罷り通ったということである。

私の故郷である土佐では、この薩長藩閥政治への反発から“自由民権運動”が育っていった経緯がある。何事にも露骨すぎる人事が好影響をもたらすことなどはあり得ない。その点で、鹿児島市加治屋町という“偉人街”は、人事に対する戒めと警鐘の街と言える。

それと共に、私は今日、大久保利通がいかに薩摩で粗末に扱われているかを知った。駐車場の端っこに気づかれないほどにひっそり立つ大久保の生誕地の石。それに比べ西郷のそれはいかにも立派だった。

西南戦争で“賊軍”となった西郷と、権力は恣(ほしいまま)にしたが、今に至るも地元でかえりみられることがない大久保。人は、“死して名を残す”ことが必要なのだろうか。

カテゴリ: 歴史, 随感

マスコミ人の談論風発

2010.05.11

昨夜は、拙著「この命、義に捧ぐ」でもいろいろ協力してもらった台湾のテレビ局のスタッフが東京を訪れていたので、夜遅くまで会合をした。

新宿で会食した後、5人が西新宿の私の事務所を訪れ、談論風発の楽しい飲み会となった。

来年は、台湾にとっては、あの孫文の「辛亥革命」からちょうど百年という記念の年だ。台湾のテレビ局としてもさまざまな企画を考えているようだ。それに絡んで、東京、そしてこの後、アメリカでも取材してくるという。

及ばずながら、私もいくつかの企画を出させてもらった。「日本側のレポートは門田さんが是非やってください」と言われ、「いいですよ~」と二つ返事をしてしまった。拙著の取材では多大な協力をしてもらっただけに、少しでも役に立ってあげたいと思う。

それにしても、国は違ってもマスコミ・ジャーナリズムに携わる人たちのバイタリティは、やはり共通している。話していても時間が経つのをつい忘れてしまった。

さて、今日は取材で鹿児島に飛ぶ。ここのところ出張つづきで腰が温まる暇がない。夏に出すノンフィクションの取材が佳境を迎えているのだ。休んでいる暇はない。

カテゴリ: マスコミ, 随感

国家の領袖には何が必要か

2010.05.05

鳩山首相の沖縄訪問が終わった。鳩山首相は、仲井真知事との会談で「すべてを県外にということは難しい」と県内移設の考えを表明した。

しかし、驚くべきは、記者会見で鳩山さんが記者団に語った次のひと言である。「昨年の衆院選当時は、海兵隊が抑止力として沖縄に存在しなければならないとは思っていなかった。学べば学ぶほど(海兵隊の各部隊が)連携し抑止力を維持していることが分かった」。

聞いていた記者も、いや国民全員が唖然としたに違いない。そんなことも知らずに、オバマ大統領に「プリーズ・トラスト・ミー(私を信用して下さい)」と語り、「最低でも県外移設」と言っていたのか、という感想を持った人が大半だろう。

昨日、私はTBSの夕方の報道番組「Nスタ」にコメンテーターとして出演していたので、スタジオで鳩山さんの沖縄訪問の映像を見ていた。しかし、その時は、この記者会見の言葉はまだ飛び出してはいなかった。

それでも、私は「国家の領袖としての資格」が鳩山さんにあるのかどうかを短いコメントの中で表現させてもらった。

国家の領袖には、絶対的な使命がある。国民の「生命」と「財産」を守り、「領土」を守ることだ。それ以上に重い国家の領袖の任務は、ほかにない。

しかし、鳩山さんは、同盟国であるアメリカが自国内(沖縄)に置いている「海兵隊の抑止力」について、今回、学ぶまで「知らなかった」というのである。

そんな国家の領袖を担ぐ日本国民の不幸は、改めて言うまでもない。しかし、国民が自分たちで選んだ領袖であることを忘れてはならない。

能力が決定的に不足したこの人物を、国家のリーダーに押し上げた国民の責任は免れないだろう。

情けない自公政権の失点ぶりに国民が愛想を尽かしたということもあるが、それでも70%の内閣支持率がわずか8か月で3分の1に急落するような政権が出来ることを「許した」責任は考えなければならないと思う。

それにつけても痛感するのは「小沢一郎」という人物の罪である。昨年5月の民主党代表選で、この能力が欠如した人物を代表の座につけたのは、小沢一郎その人である。

124票対95票。鳩山さんは、岡田克也・現外相に「29票の差」をつけて代表選に勝利した。この29票は、小沢氏の力によって生じた“決定的な差”だった。

小沢氏がなぜ鳩山さんを支持して代表の座に押し上げたのか。それは、自分の言いなりになる“扱いやすい”人物だったからにほかならない。

アメリカが自国内(沖縄)に置いている「海兵隊の抑止力」さえ知らない人物なら、たしかに小沢氏にとっては扱いやすいに違いない。

検察審査会の「起訴相当」という結論が出た今も「幹事長」の職に居座るこの人物に、日本という国は、どこまで愚弄され続けるのだろうか。

沖縄訪問の鳩山首相の姿を見て、そんなことを感じた国民は少なくないだろう。

カテゴリ: 政治, 随感

台湾よ、どこにいく

2010.05.03

連休真っ只中、東京も初夏らしい季節を迎えている。約1週間の関西取材を終えて帰京した私を迎えたのは、1日中ラッシュアワー並みにごった返している交通機関の大混雑だ。

昨日は、上海万博に関して、台湾の知人から電話をもらった。台湾が中国に呑み込まれつつあることに対する危機感を訴えるものだった。

“中国の一部”としての出展としか思えない「台湾館」の存在を嘆くものだが、それよりも深刻なのは、来年の「中華民国100年記念」に関する話だった。

1911年の辛亥革命による建国からちょうど100年。その記念の年に台湾は、「民国建国百年」という言葉で祝うべきところを、中国に遠慮して「建国」という言葉を使わずに祝うのだそうだ。

代わりに使われるのが、「民国猜彩百年」という言葉である。「猜彩」とは意味がわかりにくい言葉だが、要するに百年を“称賛する”という意味なのだろう。

「建国」百年を謳えないほど、台湾は今、中国に遠慮しているのである。事例はほかにもある。4月上旬に麻生前総理が訪台した折も、同時期に訪れていた上海市長のそれとはまるで違う質素な歓迎ぶりだった。さらに麻生さん一行には「馬総統のことを“総統”とは言わず、“先生”という言い方で呼んでください」と、注文がつけられたという。

つまり、「国」であることを自ら否定するようなことを台湾政府はおこなっていると、この知人は嘆くのだ。氏によれば、「今の国民党は三つに分かれている」という。

中国共産党との第三次国共合作に突き進もうとする勢力と、これに真っ向から反対する共産軍と実際に戦った世代、もうひとつは台湾で独自の道を進もうとする現実路線の人たちだ。

氏の話を聞くと、台湾が果たしてどこまで「自立自存」を維持できるのか、心もとなくなってくる。私の新刊「この命、義に捧ぐ―台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡」(集英社)は、60年前に共産軍と戦い抜き、台湾と台湾海峡を守った根本陸軍中将のドキュメントである。

その根本中将らの思いも、やがて無に帰することになるのだろうか。世界にパワーを誇示する中国と、それを象徴的に表わす上海万博。私は、ゴールデンウィークの日本をどんより覆い始めた中国の黄砂を例年以上に重く感じている。

カテゴリ: 中国, 随感

「上海万博」とは日本人にとって何なのか

2010.04.30

明日、上海万博が開幕する。40年前の大阪万博を思い起こさせる“昇龍”の大デモンストレーションとなるビッグイベントである。

人民元切り上げが噂される中、中国がどこまで経済規模を拡大させるか、世界中が注目している。人民元が切り上げになっても、輸出企業が当初打撃を受けるくらいで、おそらく中国はすぐにこれを克服するだろう。

その背景にあるのは、中国の恐るべき「内需」だ。小さい時には“小皇帝”と呼ばれた「80后(バーリンホゥ)」と呼ばれる30歳までの若者世代が、自信と購買力を兼ね備え、猛然と社会の中心になりつつある。

いや40代も、50代も、巨大な購買層を構築している。「80后(バーリンホゥ)」とは、言葉通り、1980年代生まれの若者を指すが、おもしろいのは、この同じ世代の日本の若者は、バブル崩壊以後の「ロストジェネレーション」と呼ばれる人たちであることだ。

両者は、活気と情熱、自信がまるで違う。この世代の日本の若者に「気概が感じられない」と思う人は少なくないだろう。

「世界二位ではいけないのですか?」という蓮舫参議院議員の言葉に代表されるように、トップを目指したり、がむしゃらに進むことがむしろ“悪”とさえされる日本。中国には、そんなこととは無縁のバイタリティに溢れた若者が満ちているのだ。

若者に活気のある国は伸び、それが感じられない国は衰退する。私が最初に中国を訪れたのは、今から30年近い前の1982年のことだ。まさに「80后(バーリンホゥ)」が生まれ始めた頃である。

当時の「人民公社」に見学に行った時、私たち訪問者に愛想笑いを浮かべながら、活気のかけらもなかった中国の若者の姿が思い出される。まだ改革開放路線が定着していなかった時期で、中国の若者には気迫も気概も感じられなかった。文化大革命の後遺症はそこまで大きかったのである。

しかし、この30年の間に日本と中国は完全に“逆転”してしまった。このまま日本の若者に気迫と気概が生まれて来ないなら、日本は中国に膝を屈する21世紀を歩むしかない。

上海万博は、中国のデモンストレーションの場ではない。再びアジアを牽引するため、「日本人」が負けず魂を奮い起こさせる貴重な誓いの場であるべきなのである。

カテゴリ: 中国, 随感

壮絶な男たちのドラマ

2010.04.26

本日、拙著「この命、義に捧ぐ―台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡」が発売になった。朝、新聞を開くと、全5の広告が目に飛び込んできた。

2年間に3度の海外取材を経て出来上がったノンフィクションだけに感慨深い。主役の根本博将軍は、私のテーマである“毅然とした日本人像”という点で、最もふさわしい人物だと思う。

終戦時に受けた恩義を返すために、命を捨てて小さな漁船で密航してまで台湾を助けに行ったその行動は、“義”を重んじるかつての日本人の姿を彷彿させるものである。

本書には、2つのヤマ場がある。ひとつは、終戦時、根本将軍が駐蒙軍司令官として、大本営からの武装解除命令を拒否し、殺到するソ連軍と戦い抜いて内蒙古在留の4万もの邦人の「奇跡の脱出」を成功させるところだ。

それは、武装解除を受け入れ、全満州でソ連軍によって居留邦人が掠奪、レイプ、虐殺……というあらゆる苦難に遭遇した関東軍のそれとは対照的な行動だった。

そして、もうひとつは、その時、邦人を守ることに協力してくれた蒋介石と国府軍が4年後、国共内戦に敗れ、金門島まで追い込まれたまさにその時、26トンの小さな漁船に乗って、これを助けにいったことである。

数々の作戦を立案し、金門島の激戦で勝利に貢献した根本将軍の功績は、長く秘されたままで歴史の闇の中に埋もれていた。それは、大陸から移って来た外省人が本省人(台湾人)を支配するという複雑な政治情勢ゆえの現象といえる。

しかし、多くの取材協力者のお力によって今回、私なりに“謎”を解明することができた。台湾と台湾海峡がなぜ今も存在しているのか。そして、そこに命を捨てることを恐れず、「義」のために生きた日本人がどうかかわったのか。

国境を越えてひとつの目的に向かって突っ走っていった人たちの壮絶なドラマに、取材の過程で私自身が何度も身体が震えるような感動を覚えた。

私は、歴史、事件、スポーツ、司法……さまざまなジャンルのノンフィクションを発表しているので、こんな質問をされることがよくある。「作品のジャンルがこれほど多岐にわたっているのはなぜですか?」。

その時、私はいつもこう答えている。「私は、“毅然とした日本人像”を描くことが最大のテーマ。その対象の人物がそれぞれ異なるジャンルにいるだけのことです」と。

今日から大阪に出張だ。毅然とした生き方をされている人たちにお会いすることは、いつも心が洗われる。次作にもご期待ください。

カテゴリ: 歴史, 随感

産経新聞が「根本博」の功績を紹介

2010.04.23

今日の産経新聞(23日付)の朝刊に、26日に発売になる私の新刊に関する記事が掲載された。3面の総合面に「台湾存立の戦いで勝利導く 根本元中将の功績 国防部が公式認定」というタイトルで、全6段の大きさで報じたのだ。

26面の第2社会面にも、「蔣介石と根本元中将 花瓶に込められた友情」と題して、蔣介石が根本に贈った花瓶のことが写真付きで報じられていた。新聞としては、異例の扱いである。

これまで、公式には認められていなかった根本博・元陸軍中将(北支那方面軍司令官)の金門戦争への功績。拙著「この命、義に捧ぐ―台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡」(集英社)の中で記述した昨年10月の金門島での“ある場面”に産経新聞が注目したのだ。

私はこの時、台湾・国防部の黄奕炳常務次長(陸軍中将)が、「わが国が一番苦しい時に日本の友人、根本さまたちにしていただいたことは永遠に忘れません。わが国には『雪中に炭を送る』という言葉があります。一番困ったときに根本さまたちはそれをやってくれたのです」と語る場面に同席した。

60年間にわたって秘され、歴史の彼方に追いやられていた事実が浮かび上がった瞬間だった。真実とは、往々にして闇に埋もれたまま浮上しないものだが、根本中将の功績は、60年という気の遠くなるような歳月を経て、ついに明らかになったのである。

黄常務次長のこの発言を受けたのは、第7代台湾総督、明石元二郎の孫の元紹氏、根本将軍の通訳を務めた吉村是二の長男、勝行氏の二人だ。彼らは、根本将軍密航と金門戦争にかかわった人間のご子息であり、国防部は二人に公式に根本将軍の功績に対して謝意を伝えたのだ。

真実に迫ろうという意欲が衰えない限り、歴史の謎は必ず最後に微笑みかけてくれる。私はこれまでの経験から、そのことを知っている。

そこにこそ、ノンフィクション作品の醍醐味がある。

本日、私は、次の作品の取材資料を求めて、何人かの関係者とお会いした。こちらは、まだ光明がまったく見えてこない。

しかし、最後にはやはり“勝利の女神”が微笑んでくれるに違いない。そう信じて、ひたすら前進、いや、ひたすら取材していくしかない。私はそう思っている。

信念のある人間がこの世に存在するかぎり、埋もれた感動のドラマは数限りなく存在する。一つでも多く、それらを掘り起こしたい。

カテゴリ: 歴史, 随感

台湾と台湾海峡は誰によって守られたのか

2010.04.20

本日、集英社で来週月曜日に発売になる新刊の発送準備をおこなった。「この命、義に捧ぐ――台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡」である。

取材からずっと同行してくれた集英社インターナショナルの高田功・編集企画部編集長と一緒だ。取材協力者だけで70人以上いるが、一人一人にお礼の手紙を書き、一冊一冊にサインをさせてもらった。

取材に苦労しただけに感慨もひとしおだ。高田さんは、汗を拭きながら私がサインした本に落款(ハンコ)を捺して作業を手伝ってくれた。

それにしても、よくこの歴史の謎を解明するためにここまで付き合ってくれたものだと思う。3度の海外取材と、日本全国への取材。ノンフィクション冬の時代に、これほど集英社が社を挙げて支援してくれたことに感謝の言葉もない。

手間ひまをかければかけるだけ、この手の“積み上げ型ノンフィクション”は深みと厚みが増していく。そのことを今回は改めて実感した。

「台湾」と「台湾海峡」はなぜ今も存在し、誰によって守られたのか。

「義」を返すために命を捨てることも厭わなかった男の凄まじい生涯。現代史の謎に挑んだノンフィクションを近くお届けできることが嬉しい。

カテゴリ: 歴史, 随感

「なぜ君は絶望と闘えたのか」

2010.04.18

昨日、北九州で講演があった。テーマは、「なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日」である。光市母子殺害事件を描いた私のノンフィクション作品の題名そのままの講演だった。

旧知の佐木隆三先生が「北九州文学館」の館長をされており、そこの主催だ。講演のあとには、佐木先生と私の対談もあった。

犯罪被害者の絶望。想像はできても、その重さや深さは誰にもわからない。この難問に対する考えと、司法を変えた男としての本村さんについて、話をさせてもらった。

夜、本村さん本人が光市から駆けつけてくれた。会うのは2年ぶりである。遅くまで飲みながらさまざまなことを話し合った。本村さんと私が最初に会ったのは、ここ北九州である。

1999年8月11日、山口地裁での初公判を終えて故郷・北九州へ帰ってきた本村さんに、私は初めてインタビューをさせてもらった。以来、11年。よくもこれほど長い付き合いをしてくれたものだと思う

11年前には学生のようだった本村さんが、今は会社でも重要なポジションにいるだろうことは、あの頃とはまるで違う落ち着きぶりや雰囲気でわかる。時の流れを感じる。

一夜明けて、今日は、弥生さんと夕夏ちゃんのお墓参りもさせてもらった。久しぶりに本村さんのご両親ともお会いできた。

「なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日」が発売になって2年。現在、20刷で、ドラマ化の話もある。

真実の重みと絶望から這い上がる人間の強さを、多くの方に知って欲しい、と心から思う。

カテゴリ: 事件, 随感

異常気象の年は……

2010.04.17

寒い。とにかく寒い。

いったいどうなったのだろうか。まるで真冬である。夜、渋谷で用事があり、帰りにウオーキングもかねて明治通り沿いを歩いてみた。

みぞれまじりではないか、と思われる冷たい雨が降り注ぎ、通りはほとんど誰も歩いていない。今朝方には降雪があったそうだ。41年ぶりという観測史上最も遅い降雪の記録である。

今年はまったくどうかしている。花冷えどころか、“厳寒”だ。

こういう異常気象の年は、政治・経済など、さまざまな分野で混乱が起こるものだ。すでに鳩山政権のベクトルは瓦解の兆しを見せているが、波乱の年になることは間違いない。

経済で言えば、中国の人民元引き上げ問題が気にかかる。リーマン・ショック以降、陰りを見せない中国の経済成長によって世界経済は支えられてきた。

不当に“安い”人民元が、中国が「世界に商品を提供」できる根源となり、それが世界経済を牽引してきたのは事実だ。

しかし、オバマ大統領から露骨な「人民元切り上げ」の要請を受けた以上、いつ人民元が切り上げられるか、世界のエコノミストたちの関心の中心となった。日本が1985年のプラザ合意で経験した円高不況が思い出される。

今日は、北九州で講演があり、飛行機で飛ぶ。夜もその流れで会合だ。今日のテーマはまったく違うものだが、夜の会合では、そんな話題も出てきそうだ。

今日は久しぶりに会う約束の人がいる。地方の講演は、そういうところが楽しみだ。明日のブログでは、そんな話も書いてみたい。

カテゴリ: 随感

ついに“危険水域”の混沌政権

2010.04.12

世論調査の結果が興味深い。最新のANNの世論調査で、鳩山内閣の支持率がついに28・5%となり、3割を切った。完全に危険水域である。

調査は10日(土)と11日(日)の2日間おこなわれたもので、鳩山内閣の支持率が今回も下げ止まらなかったことを示し、さらには、「夏の参議院選挙でどちらに勝ってほしいか」という質問に対しては、初めて「自民党中心の野党」とする人が「民主党中心の与党」とする人を上回ったという。

いよいよ来たか、という感じである。鳩山首相が自ら期限とした5月末までに米軍の普天間基地移転問題が決着するとも思えないだけに、政権投げ出しの危機さえ取り沙汰されている。

小沢問題やバラ撒き予算への批判なども抱え、民主党の右往左往ぶりはますます深まっている。しかし、民主党離れの層を自民党が吸収できているわけでもなく、ここへ来て「みんなの党」が支持率を5・6%に伸ばし、公明党の3・0%、共産党1・9%、社民党1・6%、国民新党0・4%をはるかに上まわっているというから、おもしろい。

ブームを狙った「たちあがれ日本」は1・6%にとどまり、スタートダッシュに完全に失敗した。 「総理大臣として最もふさわしい人」については、自民党の舛添前厚生労働大臣が鳩山首相を抜いて初めて1位になったというのも注目される。

まさに混沌である。これだけのチャンスをもらいながら、支持率上昇につなげられない谷垣禎一自民党総裁の不人気は深刻だ。育ちの良さと地味さが、“乱世”には向かないのだろう。宗教政党の公明党と共同歩調をとっていることも有権者の広範な支持を得られない理由とも思われる。

このままのペースでいけば、鳩山政権の支持率が20%を切るのもそう遠いことではない。以前のブログでも書いたように、参院選に向けて、これから各政党が次々と独自色を打ち出してくる。与党内でも、普天間基地移転問題で一気に憤懣が爆発するだろう。

さしずめゴールデンウィークは、嵐の前の静けさである。永田町から、ますます目が離せない。

カテゴリ: 政治, 随感

東京六大学の開幕

2010.04.10

今日、東京六大学が開幕した。花冷えの日が続いていた東京は、気温が20・2度まで上昇し、汗ばむほどの陽気となった。朝夕は、コートさえ必要だった昨日までが嘘のような五月初旬の気候である。

私は今日、神宮球場の一塁側スタンドにいた。早稲田を今年卒業した面々と早稲田対立教の一戦を観るためである。今日のスタンドには、NHKに入った高屋敷仁君や電通に入社した武石周人君、野村証券に入社した小松優介君など、卒業したばかりの野球部OBがずらりと顔を揃えていた。

「開幕のせいなのか、動きが硬いですね」とは、隣に座っている小松君の言だ。試合前の早稲田側のフィールディングが妙にぎこちなく、“先輩”の厳しい目は、フィールド内の後輩たちの細かな動作に心配気に注がれていた。

初回から140㌔台後半の速球をびしびし決めた斎藤投手も、5回にコントロールミスの一球を立教の4番・岡崎君にレフト中段に放り込まれた。

まだ、試合勘が戻らず、甘さを感じさせる投球だった。だが、試合は、3対2で早稲田のサヨナラ勝ち。ストッパーとして出てきた大石投手の150キロ台連発のストレートと共に球場は大いに湧いた。

スタンドには、この3月末まで早稲田実業で野球部のコーチをしていた旧知の江口昇さんもいた。見れば、隣に早稲田実業の和泉実監督もいる。

久しぶりだったので、試合を観戦しながらお二人といろいろ話をさせてもらった。「教え子の活躍を見に来た」と仰る二人が羨ましい。やはり球場に来た“野球人”はそれだけで生き生きしているように見えた。

江口さんは今年72歳だが、とてもそんな歳には見えない。白髪の老人たちが数多くいるネット裏の方角を見ながら、江口さんは「私なんか神宮へ来たら、まだまだ“小僧”ですよ」と笑いながら言っていた。

70歳を超えてもまだ“小僧”とは、さすが早稲田野球部、伝統校である。脈々と受け継がれてきた「伝統」の重みを感じさせてもらった。

ひと振りに賭け、一投に思いを託してきた選手たちのドラマ。今年も楽しませてくれそうだ。

カテゴリ: 野球, 随感

伯仲した決勝戦を

2010.04.02

今日はプライベートでは息子の大学の入学式があり、夜は、高校の先輩であり、ノンフィクションの世界の先輩でもある塩田潮さんのパーティーがあるなど、腰を落ち着ける暇がなかった。

塩田さんのパーティーには出版界や新聞の世界などの旧知の人が多く、会場でいろいろと話し込んだ。中には20年ぶりぐらいに会った人もいた。

私がサラリーマンの世界に終止符を打って、独立したのは2年前。この2年間で文庫も含めると5冊出版させてもらった。しかし、今日の塩田さんのパーティーは、なんと「50冊」の出版記念というものだった。

今月下旬に出るものでやっと「10冊目」になる私にとって、塩田さんの精力的な執筆活動は驚異である。しかも、政治と歴史に特化し、今も取材対象者に直接取材をつづける塩田さんの姿勢には頭が下がる。いつかは追いつきたいものである。

さて、明日はいよいよ甲子園の決勝。興南と日大三の強豪対決となった。あれだけ「1勝」が遠かった興南の島袋投手が、初の「1勝」を挙げると、一挙に頂点が見えるところまで駆け上がってきたのだ。

173センチとは思えないほど大きく見える島袋君は、左腕から繰り出す剛速球とスライダー、そしてトルネード投法が特徴だ。文句なく大会ナンバーワン左腕だ。

これに、常にフルスイングを続ける日大三の“けれん味にない積極バッティング”がどこまで通用するか。驚異の打線を持つ日大三は、小倉全由監督の指示で、早いカウントから積極的に打ってくるだろう。

フルスイングとおっつける打法が共存する日大三打線。興南・島袋が序盤を無失点で切り抜ければ、俄然有利になる。1回から3回までの両監督の采配が興味深い。

久しぶりに強豪対決の伯仲した決勝戦を見られそうだ。

カテゴリ: 野球, 随感

いよいよ目が離せない「甲子園」

2010.03.31

昨日は、TBSの夕方の報道番組「Nスタ」にコメンテーターとして出演させてもらったが、スタジオの広さといい、工夫を凝らした小道具といい、実に素晴らしかった。堀尾・長峰両キャスターの息のあった掛け合いや、スタッフの明るさも印象に残った。おもしろい番組になりそうだ。

さて、今日の甲子園はベスト8の激突だけあってどれも見ごたえがあった。中でも、昨日のブログでも書いた通り、興南―帝京戦は、やはり面白かった。

帝京は、1、2回戦を投げた大会屈指の本格派右腕、2年生の伊藤投手を先発させず、背番号1の鈴木と10番の山崎という両3年生投手を登板させた。

しかし、2人の140㌔台の速球とキレのあるスライダーも興南打線には通じなかった。ヒジをたたんでおっつけてくる興南のバッティングに、帝京は点差を広げられた。

帝京の唯一の弱点ともいうべき捕手のスローイングを突き、要所で興南が決めた盗塁が“優勝候補筆頭”の帝京の息の根を止めた。

大会ナンバー1左腕の島袋と右のナンバー1、帝京・伊藤との投げ合いが見られなかったのは残念だが、それでも今年の高校球界を代表する両校の熾烈な攻防は見ごたえがあった。

強豪激突は、やはりベンチワークを含む総合戦がおもしろい。前田監督(帝京)は消えたが、阪口監督(大垣日大)や小倉監督(日大三)など、高校球界の辣腕監督が揃ってベスト4に残った。

選抜甲子園も残り2日。いよいよ目が離せない。

カテゴリ: 野球, 随感

警視庁史上最大の汚点

2010.03.30

前代未聞である。

本日時効が成立した15年前の国松孝次・警察庁長官銃撃事件で、警視庁は「捜査結果概要」を公表し、「容疑グループ」をオウム真理教とした。

オウムの元幹部や警視庁の元巡査長ら8人が事件に関与したことを明確に裏付ける証拠や証言はないにもかかわらず、わざわざ青木五郎公安部長が記者会見し、「オウム真理教の信者グループが、組織的、計画的に敢行したテロであったと認めました」と語ったのである。

唖然とした人は少なくあるまい。

立件できなかったから時効が成立し、実行犯さえ割り出せなかった。それなのに「これはオウムの仕業だ」と発表する――その理由を問われた青木公安部長は、「国民の生命を守るため必要と判断した」「テロの悲劇を二度と繰り返さないことが大事」「個人の生命、公共の安全と秩序を守る警察の責務」と語ったのである。

刑事部と公安部が対立しつづけたこの捜査は、こうして最後の最後まで“迷走”したのである。

オウムに固執した公安部と、現在79歳の元過激派のテロリストにこだわった刑事部。両者の面子だけが独り歩きし、ついに今日、前代未聞の記者発表に至ったわけである。

実は、昨年12月から今年1月にかけて、警視庁公安部は、今回のオウムのメンバーを「共犯」として“実行犯不詳”のまま秘かに検察に「立件可能かどうか」事前相談をおこなっている。

結果は、検察に一笑に伏され、「突き返されている」のである。当然だろう。実行犯が特定できず、その共犯だけを被告人として、公判をどう維持するつもりだったのだろうか。

かつて狙撃を“自供”した元巡査長は、当時、徹底捜査され、「妄想によるもの」と結論づけられている。事件直後に本富士署内で元巡査長本人が目撃されているという“アリバイ”があったのである。また自転車で逃走した犯人とぶつかりそうになった婦警の目撃談も、いつの間にかかき消されてしまった。

2004年に別件で逮捕されたオウムの信者たちも、結局、長官狙撃で立件することができず、釈放されている。要するに、警視庁公安部が仮想する「ホシ」たちは、一度も犯人であると「証明されたことはない」のである。

それにもかかわらず、警視庁は当事者たちをイニシャルにして勝手に「ホシ」にしてしまったのだ。おいおい大丈夫か、と多少でも事情を知る者なら、誰でも声を上げたくなるだろう。

この事件は、結局、警視庁史上最大の汚点となってしまった。

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“生みの苦しみ”と人の成長

2010.03.29

今日の興南vs智弁和歌山の強豪対決は興味深かった。

西川遥、山本ら強打者が揃い、甲子園最多勝利監督ともなった智弁和歌山の高嶋仁監督が、どう興南の快速左腕・島袋を攻略するか、その攻防に注目していた。

昨年、島袋投手の悲運ぶりは多くの高校野球ファンの目に焼き付いている。春の選抜では、富山商業から19奪三振を奪いながら延長戦の末、サヨナラ負け。夏の選手権では、大会初日に3点先制しながら大分の明豊に4対3でこれまたサヨナラ負け。

「1勝が遠いです」と涙した島袋君がひと冬越えて、ひとまわりもふたまわりも逞しくなって帰ってきたのだ。その島袋君が今日、智弁和歌山から11三振を奪って7対2で下し、ベスト8進出を決めた。

私は昨夏の甲子園でのブログで、“島袋投手は、「1勝」さえすれば一気に頂点に駆け上がる力を持っている。彼のこれからの「精進の日々」が注目される。今日サヨナラヒットになったボールがなぜ「バットに合わされた」のか。そこを島袋君には考え抜いて欲しい”と書いた。

その課題の「1勝」を挙げた島袋君は、強豪・智弁和歌山相手に「力に頼らず打たせてとるピッチング」を披露した。そして今日の「いざという時にとる三振」を観ていて、怪腕・島袋は去年の島袋とはまるで違う存在となったことを実感した。


“生みの苦しみ”とは、それが大きければ大きいほど「人を成長させる」ものだ。力みの中にあった昨年のピッチングと、力を抜く術を知った今年のピッチング。同じピッチャーでありながら、それはまるで別人である。

だが、島袋君の前には、強豪・帝京が手ぐすねを引いて待っている。明日、帝京が三重を破れば、島袋(興南)―伊藤(帝京)という大会を代表する左右の本格派投手同士の対決になる。

上級生にならなければ会得できない「何か」を掴んだ島袋と、その「何か」をまだ掴めていない新2年生の伊藤。将来の日本の野球界を背負って立つ可能性を秘めた「二人」の激突を是非見てみたい。

カテゴリ: 野球, 随感

変わりつつある司法

2010.03.27

司法が変わりつつある。

昨日の足利事件の再審判決公判のニュースは感慨深かった。公判の最後に宇都宮地裁の佐藤正信裁判長は、菅家利和さん(63)に対して、謝罪した。

「事件につきまして自戒の意味を込めて菅家さんに謝罪させていただこうと思います」

「菅家さんの真実の声に十分に耳を傾けられず、17年間の長きにわたり自由を奪ったことを再審公判を担当した裁判官として謝罪します。申し訳ありませんでした」

「二度とこのようなことを起こしてはいけないとの思いを強くしました。今後の菅家さんの人生に幸多きことをお祈りします。菅家さんの思いを胸に刻み、再審公判を終わります」

こう述べたあと、佐藤裁判長以下、3人の裁判官は起立し、菅家さんに深々と頭を下げたのだ。

それは、これまでの裁判官では、とても考えられない行動である。自分とは関係のない過去の判決に対して、再審公判を担当した裁判官が謝罪する――それは「司法が変わりつつあること」を証明する象徴的なシーンだった。

黒い法衣をまとい、人より一段高いところから判決を下し、自らを“神様”と思っているのか、というぐらいに「傲慢な存在」だった日本の裁判官。その彼らが“国民の目”というものを意識しなければならない時代が「ついに来た」のだと思う。

拙著「裁判官が日本を滅ぼす」で描写した数々の実例は、「判決がすべて」というひと言ですべての責任から逃れてきた裁判官の驕りと思い上がりを指摘するためのものだった。

今回の謝罪は、もはやそれでは国民の理解が得られないことを彼らが悟ったことを表している。「裁判の内容に国民の社会常識を反映する」という司法制度改革審議会の最終意見書をきっかけに動き出した裁判員制度が、ここまで「裁判官の意識を変えた」とも言える。

司法の世界ですら変わらざるを得なくなったのである。政治も、経済も、あらゆるものすべてが「殻を脱していく時代」が来ているということだろう。

その足利事件の再審判決公判があった昨日、夜になって、早稲田大学野球部の面々が事務所にやって来た。大学の卒業式を終え、いよいよ社会人になる面々と、今まさに就職試験の真っただ中にいる新4年生、あわせて8人だ。さっそく事務所で焼き肉パーティーを挙行した。

ひとつの道を突き進んだ彼らが、どんな社会人になるのか楽しみだ。野球から、歴史から、就職の話まで、酒を酌み交わしながら、彼らと夜遅くまで話し込んだ。何人かはそのまま泊まっていったが、若い人たちの意見はいつ聞いても新鮮だし、刺激になる。

人間というのは、知らず知らず、型にはまってしまうものだ。いつも自分を戒めて、新たなものを書いていきたいと思っている私も、それは同じだ。若い人たちの意見を刺激にしながら、新たな作品への意欲が湧いてきた1日だった。

カテゴリ: 司法, 随感

「金嬉老」死去

2010.03.26

いま「金嬉老死去」のニュースが入って来た。昭和43年、暴力団幹部ら2人を射殺し、寸又峡の温泉旅館に立てこもった「金嬉老事件」の当事者だ。

30年を超える獄中生活を経て、平成11年に仮釈放された金嬉老氏は、韓国の釜山に住み、ここで余生を送った。前立腺がんの治療を受け、最近、体調を崩していたというが、まさかそこまで容態が悪かったとは知らなかった。

私は、雑誌の編集部に勤務していた頃、金嬉老氏の手記を担当し、釜山の自宅に何度もお邪魔したことがある。

氏の強烈な個性は、歳をとってからも変わらず、民族差別への強い思いを何度も聞かされた。手記は、「われ生きたり」(新潮社)という本となった。

その後、時折、思い出したように私の携帯に氏から国際電話がかかってくることがあった。意気軒昂で、衰えを知らない闘志に感心させられることが多かった。

釜山でも、相談を受けていた女性の境遇に同情し、その旦那がいる家に乱入して逮捕されたこともあった。日本と韓国、両方で獄中生活を経験するという破天荒な人生を送った人である。

凶悪な犯罪を起こす激しい性格と、それとは逆の人間的な優しさ。両方が一個の肉体に共存し、不思議な雰囲気を醸し出す老人―それが「金嬉老」だった。

享年81。ご冥福を祈りたい。

カテゴリ: 事件, 随感

気分が若いと「歳をとらない」

2010.03.25

今日は、今年88歳になる元陸軍中尉に取材させてもらった。昭和20年、沖縄の慶良間諸島で、「マルレ」という水上特攻艇の部隊を指揮していた人物だ。

4時間にわたって当時の話を伺った。熊本出身の氏は、陸軍士官学校57期にあたる。250キロの爆弾を積んで多くの仲間が水上特攻艇で命を散らした。

九死に一生を得て生き延びたさまは、まるで映画のシナリオのようだ。海岸に流れ着いた兵士の遺体を荼毘に伏し、その遺骨を軍服の胸に縫いつけ、復員後、遺族に返すシーンなどは、事実だけが持つ重みがあった。将来、この方の話を活字にさせていただこうと思っている。

夜は、テレビのプロデューサー2人と赤坂の料理屋で会合。その店の女将とは以前から知り合いだったので、久しぶりに女将と再会し、話をした。以前とまったくかわらない女将の若さに驚いた。

元陸軍中尉といい、この女将といい、気分が若いと「歳をとらない」ことがよくわかる。私にとっては、歴史の証言者との対話は“時間との闘い”でもある。ご高齢の諸先輩には、いつまでも若さを保って欲しい、と心から願う。

カテゴリ: 歴史, 随感

剣が峰に立つ鳩山首相

2010.03.24

今日の東京は、気温5度と真冬並みの寒さだった。道ゆく人も、冷たい雨に打たれて、吐く息が白くなっていた。

甲子園も雨で順延。昨日、泥んこの中での試合で、やっとPL学園の中村監督が持つ「監督通算勝利記録」を更新した智弁和歌山・高嶋監督のコメントがスポーツ紙には踊っていた。高野連も、あの悪コンディションの中で試合を続行させて非難を浴びたため、さすがに2日つづけて泥の中で試合はさせられなかったらしい。

政界もここへ来ていよいよ混迷の度を加えている。5日前のブログで「民主党の致命傷になる可能性」を示唆した生方幸夫副幹事長の解任劇がマスコミ各社の世論調査に反映され、内閣支持率が急落したのだ。

いよいよ支持率が危険水域の30%を割り、政権発足半年で、ちょうど“半減”したことになる。

普天間基地移設の右往左往ぶりも国民を呆れさせている原因だろうが、あまりの急落に慌てた小沢執行部が、急遽、生方副幹事長の“解任を撤回”したのは滑稽だった。

加えて、明日発売の週刊新潮には、中井洽国家公安委員長の女性スキャンダルまで報じられるそうだ。女性に議員宿舎のカードキーを渡していたという告発記事だが、当の中井議員は「独身の私が女性にキーを渡してどこが悪い」と怒りのコメントを発した。

たしかに独身者が女性にキーを渡して悪いという法はない。どんな騒動に発展するのか、それとも何事もなくスキャンダルが無視されるのか、要注目だ。

やることなすこと、すべて国民の失望の対象となり、発足半年ですでに末期症状を呈している鳩山内閣。冷たい雨をより一層冷たく感じているのは、ほかならぬ鳩山総理に違いない。

当事者能力のない、うつろな目を見ていると、総理の神経は、いつまでもつのか心配になってくる。政権投げだしだけは、国民としてもご勘弁いただきたい。

カテゴリ: 政治, 随感

球春、真っ盛り

2010.03.21

昨日、プロ野球のパ・リーグが開幕し、今日は高校野球の選抜甲子園が開幕した。いよいよ球春真っ盛りだ。昨日の西武・涌井と千葉ロッテ・成瀬の投げ合いは見応えがあった。

甲子園の開幕戦では、強豪・天理が早くも4対7で敦賀気比の軍門に降り、一方、第三試合で日大三高が前半の苦戦を後半、挽回して14対4で山形中央を粉砕した。相手左腕ピッチャーのクセを見抜いてから一気に打線が爆発するあたり、ベテラン小倉全由監督の面目躍如と言える。

第二試合では、前評判が高く、旋風が期待された沖縄の嘉手納が花咲徳栄に4対0で完封負けを喫した。主催社の毎日新聞は痛かったに違いない。

勢いに乗ってその大会を代表するチームになるのはどこか、それを見極めるのが高校野球観戦の醍醐味だ。嘉手納が注目を浴びていたのは、その有力候補だったからだが、1点もとれずに敗退したのは、やはり勝負の厳しさを感じさせるものだった。

私はといえば、ゲラチェックの締切で一日事務所に缶詰め。甲子園に行くこともできず、少々フラストレーションがたまっている。東京は強風が吹き荒れ、事務所に閉じこもっている私の耳から一日中、風の音が離れることはなかった。

台風並みの“春一番”は勘弁してほしい。同じ風でも、甲子園でのさわやか旋風を期待したい。明日から、どんなドラマが展開されるのか、楽しみだ。

カテゴリ: 野球, 随感

悲しみと情念は風化しない

2010.03.20

今日、地下鉄サリン事件から「15年」が経った。いまテレビでは、この事件を扱ったテレビドラマが放映されている。

リアルな映像に当時の状況を思い出す。あの日、雑誌の編集部で徹夜で原稿を書いていた私に、旧知の警視庁公安部の警部から電話が入った。朝9時前だったと思う。

「地下鉄でオウムがサリンをまいたぞ!」。警部は電話口でそう叫んでいた。それがすべての始まりだった。

その時点では、もちろん地下鉄で「オウム」が「サリン」を「まいた」などとは、何もわかっていない。つまり、そのベテラン警部は“何段階も先”の事実を私に伝えてくれたのだ。

その瞬間、私は自宅に電話して「雨戸を閉め切って、今日は外には出るな」と家族に伝え、会社の警備の人間には、「会社のシャッターを閉め切ってください!」と言った。咄嗟に、オウムがサリンを空中散布するかもしれない、と思ったからである。

あとで、その判断が正しかったことがわかった。オウムは実際に空中からの都内サリン散布を計画していた。

以来、15年。今も逃亡中の犯人がいる。一方で、すでに10人もの死刑判決確定者がいる。私は多くのオウム裁判を傍聴し、アーナンダこと諜報省大臣の井上嘉浩死刑囚とは、東京拘置所で何度も面会した。

今年1月、最後の面会をした時、井上死刑囚は私に「すべての罪は、わが身にあります」と語った。誤った師を正すことができなかった罪を、彼はそういう表現で私に伝えたのだ。

一部始終は、いま発売されている月刊「Voice」4月号に「オウム凶悪犯罪15年の修羅」と題して書かせてもらった。目黒公証人役場事務長拉致事件の被害者・假谷清志さんの長男・実さんへのインタビューも交じえてのレポートだ。

時の流れに、人間の悲しみと情念は決して風化しない。私は、15年を経ての取材でそう感じた。いつかオウム事件における人間ドラマを本として残さなければならない、と思う。

カテゴリ: 事件, 随感

参院選と“第三極”

2010.03.19

“隣の国”では、経済政策の失敗を口実に責任者が処刑され、日本では、政権与党内で執行部批判をした党の副幹事長が解任された。

民主主義国家の「言論の府」において、執行部批判を口にした途端、解任されるという前代未聞の事態は、すでに執行部が「まともな判断ができる状態にない」ことを物語っている。

小沢一郎氏の独裁体質は、「批判を許さない」という一点において、“隣の国”の領袖と瓜二つだ。しかし、そのレベルは、彼(か)の国のそれより、はるかに低い。

なぜなら、隣の国では、歴史上、一度も“民主主義”というものを経験したことがなく、独裁者の圧政こそが「日常」であったからだ。

しかし、日本は違う。民主主義、特に言論の自由という憲法に保障された世界で生きてきた60年余という歴史がある。だが、政権を握った民主党がこの半年、繰り返してきたことは、その歴史を否定し、国民を失望させることばかりだ。

執行部批判を口にした民主党の生方幸夫副幹事長の解任劇は、「民主党にとって致命傷になる」可能性を孕んでいる。「モノ言えば唇寒し民主党」の実態を以前のブログでも書かせてもらったが、今回のことは、まさにそれを地でいった。これで、ますます内閣支持率が下がることは間違いない。

長崎県知事選の衝撃的敗北を教訓にすることなく、独裁政治を国民の前面に押し出してしまった小沢執行部。検察との闘いのためには、どうしても幹事長職を降りたくない小沢氏は党内の批判封じ込めというやってはいけないことに手をつけてしまったのだ。

小沢体制は、もはや最末期である。これ以上の居座りは、参院選の大敗北を意味する。第三極結成に向かって自民党内部も、そして民主党の一部勢力も今、猛然と動いている。参院選までの政界の離合集散から目が離せない。

これからの永田町では、何が起こっても驚かないことだ。

カテゴリ: 政治, 随感

中山北路の四川料理

2010.03.17

台北へ来て4日目。明日はもう帰国の日になってしまった。相変わらず、タイトなスケジュールが続いている。元国民軍の老兵、学者、マスコミ関係者、出版社の社長……等々、さまざまな人と連日会ったり、取材をさせてもらっている。

来月、台湾で翻訳本が出版される「なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日」のゲラもちょうど届いた。

「なぜ君」刊行のほぼ10日後には、小生の新刊も台湾で出版されることになるだろう。今年は日本でも、外国でも、拙著が多数出されることになると思う。ありがたい限りだ。

今日は、友人・早田健文(台湾通信発行人)や中国文化大学教授の陳鵬仁さんらを招いて、今回の台湾取材の報告と出版の翻訳その他の依頼の会合をおこなった。

中山北路に面したホテルの12階にある四川料理屋で、同店自慢の料理に舌鼓を打ちながら、延々と話はつづく。10時過ぎにやっとお開きになったかと思うと、今度は林森北路のバーに場所を移して、新たに加わったテレビ局の女性ディレクターも交えて、さらに議論が白熱――。

気がつくと日付をまわっていた。明日は朝一番の飛行機に乗って東京へ。また東京では激務が待っている。疲労困憊になっている暇はない。

カテゴリ: 国際, 随感

体力と根気との闘い

2010.03.14

今日は、朝6時に起きて9時40分成田発の中華航空で台北にやって来た。午後からさっそく2件の取材をこなした。

単行本の「詰め」の取材をおこなっているが、ここへ来て新たな情報も出始めている。ノンフィクションは時間との闘いでもある。明日以降もエキサイティングな毎日になりそうだ。

夜、林森北路の台湾料理屋で一杯。同行している集英社の高田功さんも朝早かったせいか、疲労の色が濃い。

明日、あさっても用事がぎっしり詰まっている。時間との闘いより、ひょっとして“体力と根気”との闘いかもしれない。やるしかない。

カテゴリ: 国際, 随感

活字ジャーナリズムの“談論風発”

2010.03.12

昨夜は、新聞記者、月刊誌編集者、週刊誌デスクの3人が事務所を訪ねてきてくれた。そのまま「飲み会」に突入、夜中まで談論風発、さまざまなことを話し合った。

いずれもマスコミの最前線で活躍する40代のばりばりの人たちである。政治、歴史、事件……等々、あらゆることが俎上に乗った。

さすがに活字ジャーナリズムの第一線で働く面々とあって、話題には事欠かない。記事には書けない話もいろいろ飛び交った。外に飲みに行って、また事務所に戻って飲んでいる内に、気がつくと午前2時になっていた。

嬉しいのは、私が来月に出版する本の内容にそれぞれが関心を持ってくれたことだ。記事の面でいろいろ応援してくれるという。

あさってからその単行本の詰めの取材で台湾に行く。歴史ノンフィクションの醍醐味を私自身が味わいたい。

カテゴリ: マスコミ, 随感

文藝春秋(4月号)がおもしろい

2010.03.10

今日発売の文藝春秋(4月号)がおもしろい。読み応えのある記事がずらりと並んでいる。自民党の与謝野馨氏の新党結成宣言ともとれる一文は、一般のニュースでも報じられたが、私はむしろそのほかの記事に注目した。

天皇の執刀医・北村唯一東大名誉教授の直言として掲載された「小沢一郎よ、あなたは陛下のご体調を考えたことがあるのか」は強烈だった。

北村教授は、天皇の病状も知らないまま「陛下の意を勝手に忖度した」小沢氏の記者会見とその態度を、痛烈に批判している。

小沢氏は記者会見で「陛下のお体がすぐれないならば、それよりも優位性の低い行事をお休みになればいいことじゃないですか」とも発言した。

これに対して、北村教授は「小沢氏は自分の命じたことは優位性が高いのだからこれに従え、と言っているがごとくである」「陛下のご体調一つ想像できない政治家が、国家の計、国民の生活について考えをめぐらせることができるのだろうか。悲しく、残念なことである」と、天皇の手術をおこなった執刀医ならではの危機感から、厳しい小沢批判が展開されている。

またジャーナリスト松田賢弥氏の「小沢一郎“57億円略奪”の黒い霧」という告発レポートも興味深い。当ブログでも何度も指摘してきた通り、小沢氏の脱税疑惑の核心は、自由党解党の際の政党交付金の行方にある。

しかし、松田氏は、さらに以前の経世会分裂の際に消えた資金から問題を掘り起こしている。当時、経世会の金庫から「6億円」が消えた事実を、かつての盟友・野中広務氏の発言によって明らかにし、小沢氏の巨額の不動産購入資金の「原資」に対する疑惑を検証している。

ひたすら小沢擁護に終始するテレビのコメンテーターたちは、これらの核心レポートをどう読むだろうか。

月刊誌が次々と廃刊に追い込まれる中、老舗・文藝春秋は一人、気を吐いている。その役割はますます大きくなっているといえる。

雑誌ジャーナリズムの“灯”を絶やさない奮闘を次号でも期待したい。

カテゴリ: 政治, 随感

人間にとって「生」と「死」とは

2010.03.09

東京に横なぐりの雪が降っている。3月のこの時期、いったいどうなったのか。プロ野球のオープン戦も真っ盛りで、昨日も西武のルーキー、菊池雄星のプロ初登板が報じられたばかりだ。

私はと言えば、2日続けての月刊誌の締切で、またも「昼」と「夜」が逆転してしまった。今日は単行本のゲラを通読する日に充てようと思っていたが、事務所の窓から見える雪を見ているうちに“労働意欲”を失ってしまった。

音楽を聴きながら窓から雪の東京の風景を見ていたら、あっという間に時間が過ぎてしまったのだ。時の流れ――この速さに最近、驚かされることが多い。

あのオウム事件から今月、ついに丸15年が経過するのもその一つだ。いよいよ残っていた事件も「時効」となるのである。私は、この節目の時期に、月刊「宝島」(4月号)と月刊「Voice」(4月号)にオウムの記事を掲載させてもらった。

「宝島」は作家・麻生幾氏との8ページの対談記事であり、「Voice」は、「オウム凶悪犯罪“15年”の修羅」と題した12ページに及ぶ長編の特別レポートである。

昨年から今年にかけて、私はオウムの井上嘉浩死刑囚と4度にわたって面会した。14年前、井上死刑囚は自ら罪を被るのを厭わず、初めて法廷で“リムジン謀議”を暴露した。あの衝撃の法廷の時、井上はまだ26歳だった。私は20代の井上を法廷で何度も見た。

一審・無期懲役、二審・死刑。一審と二審で判断が分かれた唯一の法廷となった井上裁判は昨年12月、最高裁が井上側の上告を棄却したことにより、「死刑が確定」した。

井上は40歳となった。東京拘置所の狭い面会室で、私は井上死刑囚とさまざまな話をした。詳細は、「Voice」をお読みいただきたいが、そこには、「死」と向かい合った人間にしか語れない言葉があった。

先週、私は広島拘置所で光市母子殺害事件のF被告とも面会している。久しぶりの面会となったFは、私が訪ねたことを喜んでくれた。私は、Fが会うたびに優しい目となっていくことを感じている。

「生」と「死」とは何か。死刑囚は、そのことを知る貴重な証言者でもある。いつか、人間にとって永遠の、そして最大のテーマであるこのこの問題を書かなければならない、と思う。

カテゴリ: 事件, 随感

日本サッカーが最も輝いた瞬間

2010.03.05

今日は、サッカー界の重鎮・岡野俊一郎氏とお会いした。とても78歳とは思えない若々しさで、1960年代の日本のサッカーの秘話をいろいろと教えていただいた。

1968年、奇跡の銅メダルをとった日本代表チーム。日本サッカーが最も輝いた瞬間を、岡野氏独特の語り口で再現していただいた。

釜本邦茂、杉山隆一、横山謙三、小城得達の各氏と、今日の岡野氏。メキシコ戦士たちが、なぜあの奇跡を成し遂げることができたのか。だんだんとわかって来た。

日本人が限りなく強靭で、真摯だったあの時代でなければ、やはり奇跡は起こらなかった。感動のノンフィクションは、近く発表したい。

夜は、知人の傘寿(80歳)のお祝いのパーティーに出席した。会場ですっかりご無沙汰していた知人とも再会。杯を傾けている内に時が経つのを忘れてしまった。

明日は静岡での講演。テーマは、「伝説の打撃コーチ・高畠導宏を語る」だ。ここのところ司法や歴史関係の講演が多かったので、久しぶりのテーマで嬉しい。講演というより、できるだけディスカッションを楽しみたい。

カテゴリ: サッカー, 随感

ジャーナリストの“命綱”

2010.03.04

昨日、今日と広島に取材に行って来た。「新潮45」の連載取材である。出張から東京に帰ってそのまま夜、飲み会に参加した。場所は新宿、相手は、若き台湾・中国問題の研究者2人である。

中国、台湾、日本の3国の現代史に通じた研究者との会合は3時間に及び、さまざまな情報と見解が飛び交った。

来月刊行予定の小生の作品にも協力してもらっている研究者なので、実に楽しく、有意義な話ばかりだった。

昨夜は、広島で中国新聞の幹部二人と飲み会をこなし、これまた有意義な話を聞かせてもらった。

連日の飲み会で、肝臓はかなり傷んでしまったが、ノンフィクションの世界に生きる私にとっては、こういう情報交換の場こそ“命綱”である。

さまざまなヒントをもらって、新たな作品の構想も浮かびつつある。ありがたい限りだ。飲み屋を出ると冷たい雨。足早に帰宅を急ぐサラリーマンと共に、私も深夜、やっと家に帰り着いた。

カテゴリ: 歴史, 随感

「康子十九歳 戦渦の日記」

2010.03.02

今日は、BSイレブンの「インサイドアウト」という番組にゲスト出演させてもらった。夜10時からの1時間番組である。

拙著「康子十九歳 戦渦の日記」(文藝春秋)を取り上げてもらい、歴史への思いと毅然とした日本人の姿について、話をさせてもらった。

もともと番組プロデューサーが大学時代の友人だったこともあって声をかけてもらったが、番組終了後、屋台のおでんやで一杯やって大いに盛り上がった。

別に、民放局からの出演依頼もある。それもまた大学時代の関係からの誘いであり、いろいろとありがたい限りだ。

しかし、私が語らせてもらうことは難しいことは何もない。物事の本質を見る目と毅然とした日本人について、である。私は、そのことについて、さまざまな現象や事件をあてはめて話をさせてもらっているに過ぎない。

人間のありようを話したり、文章で描いたりする時に、あっちへ、あるいはこっちへ、とフラフラするマスコミ人や編集者は実は少なくない。

コメントするたびに「自分だけはそうありたくない」と思う。同時に、そう思い続ける限り、世に作品を問い続ける資格は少なくともあるのではないか、とも思う。

いつまでそれが続くか、自分との闘いでもある。

カテゴリ: マスコミ, 随感

御巣鷹山から25年

2010.02.27

今日は、御巣鷹山の日航機墜落の時に活躍した習志野空挺団の元自衛隊員が、わざわざ事務所を訪ねて来てくれた。

決死の覚悟で事故現場に降り、そして生存者を救出した元自衛隊員である。今年であの事故から25年、ついに「四半世紀」が経つことになる。

昭和60年のあの出来事は、私にとっても思い出深い。来る日も来る日も「忌中」の札をくぐって遺族まわりをした日々を思い出す。

生と死のドラマと言えば、あれほどの強烈な出来事は、私の記者生活でほかにはない。今日訪ねて来てくれた元自衛隊員の話を伺いながら、あの「奇跡の救出劇」からもうそれほどの年月が経ったのか、と「時の流れ」に思いを馳せざるを得なかった。

元自衛隊隊員からは、今日、5時間近くにわたって貴重な話を聞くことができた。次にまた事務所を訪ねて来る約束をしてくれたので、これからも興味深い話が聞けるだろう。今後が楽しみだ。

新たなノンフィクションの構想を練りながら、今日は充実した土曜日の午後をおくらせてもらった。やはり事実は、小説より遥かにおもしろい。

カテゴリ: 事件, 随感

老兵たちの証言

2010.02.25

ここのところ月刊誌の取材、締切、校了、講演……等々が立て込んでブログを更新することもできなかったが、今日は89歳になる元兵士にお会いして、いろいろなお話を伺った。

16歳で旧満洲国軍の兵士となり、旧満洲から山東省にかけて中国軍と戦ったという稀有な経験をお持ちの方だ。最後は、飛行機乗りとして青島の航空隊にいた彼は、もう少し「終戦」が先だったら、間違いなく命を落としていた。

旧満洲国軍時代、中国軍との戦闘で腕時計を吹っ飛ばされた時にできた傷痕が今も左手首に残っていた。70年以上前にできた傷が、当時の過酷な戦闘を現代に伝えている。

今年は、時間をできるだけつくって彼のような元兵士の証言を集めさせてもらおうと思っている。終戦から65年。第一線の兵士たちの年齢は、すでに90を前後している。年齢の壁を越えて貴重な証言を可能なかぎり記録にとどめていきたいと思う。

夜は、そのための貴重な“協力者”と青島ビールで乾杯。どういう人物にこれからお会いするか、いろいろと知恵をめぐらせた。どのような証言を老兵たちから引き出せるか、当ブログでも逐次、報告していきたい。

カテゴリ: 歴史, 随感

オウム事件の「総括」は終わっていない

2010.02.21

今日は、15年前のオウム拉致事件の被害者となった目黒公証人役場事務長、仮谷清志さんのご子息、実さんとお会いした。地下鉄サリン、国松長官狙撃など、一気に暴発したオウム事件の端緒となった拉致事件である。

目撃者もあり、オウムによる犯行であることはわかっていても、警察は家族の訴えに耳を貸さず、緊急配備もかけないまま上九一色村のサティアンに仮谷清志さんは連行され、殺害された。

しかも、この事件は最後まで「監禁・致死」としかされず、その死が「殺人」として立件されることはなかった。善良な市民「一人」の命を救うために警察が存在するなどと、夢にも思ってはいけないことをこの事件は示している。

相手が宗教法人である限り、坂本弁護士一家失踪事件でも、假谷さん拉致事件でも、警察はこれを積極的に摘発することはしない。言い換えれば“野放し”である。

警察上層部の保身と事なかれ主義の前では、国民の命など吹けば飛ぶようなものなのだ。「信教の自由」などと一言でも言われたら思考停止するレベルのキャリア官僚の情けない実体を国民の前に見事に晒した事件だった。なんのために自分が警察官僚となったのかを、彼らはあの事件で果たして教訓にしたのだろうか。

今日、假谷さんへの取材は、気がつくと4時間を超えていた。拉致した側の井上嘉浩死刑囚とも私は東京拘置所で何度も面会をしている。私なりのオウム事件15周年のレポートを近く月刊誌で発表させてもらうつもりだ。

事件を風化させてはならない。警察を含め、多くの総括がまだまだ済んではいないのである。

カテゴリ: 事件, 随感

過ぎし事件から何を学ぶか

2010.02.18

先日、阪神・淡路大震災の15周年ということで、テレビも新聞も大特集を組んでいたが、この3月は、かの「オウム事件から15年」ということで、ジャーナリズムもそこへ向けて動き出している。

民放では特別ドラマも放映され、また出版界ではオウム事件に関する単行本も出版されるそうだ。未解決のまま残っていた事件が15年を迎えて「時効」になるわけで、たしかにけじめの時期ではある。

19世紀から20世紀にかけて生きた科学者ニコラ・テスラの地震兵器を研究するためにオウムはあの時、ヨーロッパに幹部を何人も派遣した。

ある幹部は、持ち出し不可のそのテスラの“高周波理論”の資料を持ち出すためにテスラの文献を収めた「史料室」から、該当ページを破って持ち出そうとしたが、職員に発見されて騒動になっている。

また羽田空港横のガスタンクに航空機を自爆テロで突っ込ませる計画も立てるなど、オサマ・ビン・ラディンも真っ青のテロ計画をオウムは持っていた。

サリンだけでなく、炭疽菌やボツリヌス菌のバラ撒き計画など、首都を大混乱に陥れる内乱計画が実際に進行していたのが、わずか15年前だったというのは、なにか不思議な気がする。

15年後、そのオウム幹部たちはすでに10人もの死刑確定者を出している。私は今週から来週にかけて、事件の関係者たちに面会することになっている。

過ぎし事件からどんな教訓を学ぶか。大量報道が終われば「あとは知らない」では、ジャーナリズムの存在意義を問われる。

この15周年を機に、もう一度、ゆっくりあの出来事を振り返ってみたい。

カテゴリ: 事件, 随感

「歳月の重さ」とは

2010.02.14

単行本原稿を終えると、気分がすっきりして、今週は久しぶりにゆったりした感じがする。金曜日には某誌の対談で、作家の麻生幾氏と久しぶりに顔を合わせた。司会はジャーナリストの黒井文太郎氏である。

原稿に追われていると、どうしても慌ただしすぎて「過去」を振り返る余裕がなくなる。だが今回、麻生氏や黒井氏と15年前のオウム事件を振り返り、国松長官狙撃事件などの未解明事件を語り合う内、なぜか新鮮な気分が湧き起こってきた。

お互いが持っていた当時の情報を突き合わせると、15年も前の事件とはとても思えない臨場感を感じた。当時は見えなかった事実が時間の経過と共に現われているせいもあるだろう。15年といえば「時効」の年月である。国松長官狙撃事件もいよいよ時効か思うと、お互い感慨もひとしおだった。

週刊文春のスター記者だった麻生さんと、週刊新潮でデスクをやっていた私とは、情報面ではライバル関係にあったが、組織を越えていろいろな面で麻生さんに助けてもらったものだ。

15年の歳月によって、二人とも組織から無事、独立を果たした。まだ元気があった頃の雑誌媒体の話も楽しかった。

開幕したバンクーバー五輪でも歳月というのは重いものと感じる。「4大会連続出場」とか「5大会連続出場」の選手の声を聞くと、それだけで「がんばれ!」と叫びたくなる。

なにしろ「5大会連続出場」といえば、スタートはオウム事件の前年(1994年)のリレハンメル五輪である。この長い年月、トップアスリートして自己の肉体をいじめ抜いた精神力を思うと、ただただ拍手を送りたくなる。

今日も、「4大会連続出場」のモーグルの上村愛子選手が、見事「4位」に食い込んだ。あと一歩、銅メダルには及ばなかったが、この「4位」にこそ、価値がある。

7位、6位、5位、4位と、4大会で「1位づつ」順位を上げていき、それでもメダルに届かなかったからこそ、上村の戦いには価値があるのだ。

メダルに対してここまで限りない、そして純粋に執念を燃やしつづけたアスリートとして、上村は日本のスポーツ界に記憶と名前を両方とどめたと言える。

それは、実際に銅メダルを取ることよりも素晴らしいのではないか。4位という成績によって、よりそれが際立ったと思う。今日は、上村選手の涙に日本中が感動をもらった。次は、「5大会連続出場」の岡崎朋美選手の番だ。オウム事件よりも前からオリンピックに出つづけている選手である。

思い残すことなく、爽やかに滑り切って欲しい。岡崎、がんばれ!

カテゴリ: スポーツ, 随感

中国と小沢一郎の“ホンネとタテマエ”

2010.02.12

今朝、面白いコラムを読んだ。産経新聞の伊藤正・中国総局長による「対米“ホンネとタテマエ”」と題された同紙の不定期連載コラム「ちゃいなコム」である。

オバマ大統領の訪中で米中蜜月が喧伝されてから3カ月、いま両国関係は「新冷戦」とも言われるような状態に陥っていることが冷静な筆致で描写されている。

それによれば、対立が顕著になって来たのは、昨年12月のCOP15で、温家宝首相が米中協議への出席を拒否してからだそうだ。今年に入って、米グーグル社の中国撤退問題や台湾への米の武器輸出問題など、中国の怒りが爆発するような事態がつづいているのは、周知の通りだ。

伊藤氏はコラムの中で、2月4日に中国の「環球時報」に寄せられた中国国防大学の劉明福教授の論文を取り上げている。

劉教授は、この事態が「米国の一貫した“中国制御”が背景」にあり、「米国は10年足らずで日本を、ロシアは半世紀がかりで押さえ込んだが、中国とは100年がかりの力比べになる」「それに勝つ知恵が米国にあるか」と、述べているという。中国の自信と驕りが表われた論文である。

中国がこういう強硬論に支配される一方で、中国の報道官は「自分たちは発展途上の国」「現代化の道のりは遠い」「国際協調こそ必要である」と、タテマエだけの記者会見をつづけていることを、伊藤氏はコラムの最後に記している。

ホンネとタテマエの国である中国の「現状」が窺えて興味深い。今や米国に次ぐ超大国となった中国の動向は、言うまでもなく21世紀の自由主義国家群にとって最大の脅威である。

中国が、自由と民主主義を重んじる国なら脅威とはなり得ない。しかし、それとはまるで逆の国であり、対立する組織(国家も含めて)や人物を徹底的に叩き、つぶし、蹂躙するのが中国の基本姿勢であることを想起すれば、暗澹たる気持ちになる。

また、国際世界から指摘を受けても、逆に態度を硬化させ、余計弾圧の姿勢を強化し、間違ってもそれが“改善”されることはない。今も中国国内でおこなわれている少数民族を含む中国人民への徹底した人権弾圧と管理の凄まじさは、そのことをよく表している。

中国に最もひれ伏している日本の政治家といえば、民主党の小沢一郎幹事長である。昨年12月の総勢600人を超える胡錦濤国家出席への“拝謁訪中”は、世界の良識ある外交関係者たちを唖然とさせた。

独裁と人権弾圧の国に跪(ひざまず)くために142人の民主党議員を連れていった感覚は、一国の政治を牛耳る政治家がおこなうこととは思えない。

その小沢氏は年明け以降、検察との戦いに明け暮れている。俄かにアメリカとの戦いが勃発した中国とどこか似ている。

小沢氏は検察との戦いに、ひとまず勝利している。だが、再三このブログでも指摘しているように、戦いは今も続いている。もし、小沢氏が完全勝利すれば、それから敵対する検察を徹底的に叩き、つぶし、蹂躙する可能性は高い。

中国と似たもの同士である小沢氏が、徹底した人権弾圧と管理の基本姿勢を持っているからである。日本と中国で、独裁者が好き勝手にできることを、両国の国民は誰も望んではいないだろう。

小沢氏の“ホンネとタテマエ”をきちんと見分ける目が今、国民には求められている。

カテゴリ: 中国, 国際, 随感

オウム事件から15年

2010.02.11

今年は、オウム事件から15年という節目の年だ。そのせいか私のもとにもオウムに関するコメント依頼など、いろいろ来ている。

そんなこともあって、今日は退官している警視庁のかつてのエース取調官と久しぶりに昼食を共にして、いろいろ話し合った。

お互い記憶が曖昧になっている部分もあるが、さすがに史上最悪の事件だけあって、未解決の案件や立件されることなく闇に消えたものも多く、興味深い話のオンパレードだった。あの時の緊迫の場面がいろいろ思い出されて、時間が経つのを忘れてしまった。

亀戸道場の屋上からバラ撒かれようとした炭疽菌事件も、ひとつ間違えば、万単位の死者が出てもおかしくなかった事件である。ほかにも、ハルマゲドンのためにオウムが計画していた事柄が本当に実行に移されていたら、被害者が「どのくらい出たか」背筋が寒くなるような話がいくつもある。

明日は、某誌でオウム事件に関して「対談」がある。当時の記憶を思い起こしながら、あの歴史に残る恐怖の事件を静かに振り返ってみたい。

カテゴリ: 事件, 随感

単行本600枚、無事脱稿

2010.02.07

本日、単行本原稿600枚を脱稿した。昨年7月の「康子十九歳 戦渦の日記」(文藝春秋)に次ぐ、歴史ノンフィクションである。

今回は、台湾を救った陸軍中将の壮烈な生きざまな描いたドラマである。戦争をテーマにしながら、ヒューマニズムが根本となる爽やかな物語だ。集英社からこの春に出版される。どんな装禎の本になるのか今から楽しみである。

さて、締切でブログを更新できない間に、小沢一郎の不起訴、朝青龍の引退、プロ野球選手の自殺……等々、書かなければいけない話が目白押しだった。

原稿に追われて、ブログの更新ができなかったことをお詫びします。これからまた“いつものペース”に戻ります。

よろしくお願いします!

カテゴリ: 随感

球春はそこまで来ている

2010.01.30

連日の徹夜で昼か夜か、わからないような生活をつづけている。来週金曜日(2月5日)脱稿予定の単行本原稿の最後の追い込みである。

目標の600枚まであと少しだ。単行本が、「体力」「気力」「根気」の勝負であることがよくわかる。私にとって、文庫も含めると、ちょうど10冊目となる作品だけに思い入れも深い。なんとか、多くの人に読んで欲しいものだ。

さて、昨日は、第82回選抜高校野球大会の出場チーム32校が決まった。大会は3月21日から12日間、甲子園球場で開かれる。

21世紀枠に、和歌山の向陽高校が選ばれたのには驚いた。あの伝説の左腕・嶋清一を生んだ旧海草中学のことである。嶋は、5試合全完封、しかも準決、決勝の2試合を連続ノーヒットノーランで優勝し、“天魔鬼神”と謳われた怪物投手だ。

嶋投手は残念ながら戦死したが、もし生きていれば野球界にとてつもない記録を残していたに違いない。その学校が、久しぶりに登場するというのだから、和歌山は久しぶりに盛り上がるだろう。

しかし、好投手・田内君を要する高知の岡豊(おこう)高校が選抜から漏れたのは、なんとも残念だった。桑田・清原のPL学園を破って、伊野商業を全国制覇に導いた名将・山中直人監督が率いる学校だっただけに、選んで欲しかった。

夏春連覇を目指す中京大中京や、初出場ながら実力派の沖縄の嘉手納高校など、今大会の見どころは少なくない。

冬場の走りこみは、まだこれからだ。しっかり基礎体力をつけて、檜舞台でケレン味のない豪球豪打を是非見せて欲しい。球春はそこまで来ている。

カテゴリ: 野球, 随感

研ぎすました鋭敏な感覚

2010.01.26

徹夜続きで原稿執筆に追われている。そんな中、旧知の台湾・文化大学史学研究所教授の陳鵬仁氏が事務所を訪ねてきた。台湾から来日中とのことで、「久しぶりに会おうよ」ということで私の西新宿の事務所に来てくれたのだ。

いつもは、私が台北の陳氏の事務所を突然訪れるのに、今日は逆である。政治学者、歴史学者として台湾で名高い陳氏は、かつて閣僚級ポストである国民党党史委員会主任委員だったこともある。

私の研究や取材に、国民党の要人という地位を離れてこれまでもいろいろな協力をしてくれた。今年12月には満80歳になるというのに、陳氏はまだ70前と言ってもおかしくないほど若々しい。

歴史、政治について、昼食を挟んで3時間以上も話し合った。陳氏は日本の政治状況に殊に関心が深いようで、私にさまざまな質問をして帰っていった。

小沢問題や今後の政界の再編問題など、たしかに今の日本は「予想がつかない」ことばかりだ。現在執筆中の私の原稿に対しても、陳氏から鋭い意見を頂戴した。さっそく拙稿に生かすつもりだ。

鋭敏な感覚を研ぎすましている学者は本当に「歳をとらない」ものである。大いに刺激と発奮材料をもらい、原稿へのパワーをもらうことができた。

さて、あとはひたすら「書く」しかない。

カテゴリ: 政治, 随感

日本の「正義」が死んだ日

2010.01.24

小沢一郎氏と検察との戦いは、小沢氏に軍配が上がった。4億円の不動産購入資金は「個人の資産から出した」そうな。そういう言い逃れで来ることはわかっていたにもかかわらず、それを突き崩す材料も説得力も「特捜部にはなかった」のである。

あれほど大騒ぎして、現職の衆議院議員を含む3人を逮捕しておきながら、政権与党から大反撃を食らうと忽ち士気阻喪してしまった検察。「長い(強い)ものには巻かれろ」と、外交上も中国などに睨まれたら何もモノ言えないのが日本だから、“現代の風潮”をそのまま表わしているのかもしれない。

心の中を寒風が吹き抜ける思いがする。テレビで小沢擁護、検察批判を繰り広げるコメンテーターたちにお付き合いするつもりはないが、今回の“事件”の本質を当ブログでもう一度だけ指摘しておきたい。

何度も書いてきたように、これは脱税問題である。そこを立証できるか否かにポイントがあった。「小沢一郎」名義で4億円もの土地購入がなされたことに対して、その原資解明が特捜部には託されていたわけである。

では、なぜその解明が大切なのか。それは、その陰に胆沢ダム工事受注の見返りのカネがあり、政党解党の際の巨額の政党交付金があったのではないか、という疑惑が存在していたからだ。

特捜部の“見立て”がそこにあった。工事受注の見返りにカネが渡ったことも特捜部は提供側から言質をとっていた。さらには、政党交付金という名の国民の税金が小沢氏の政治団体に流れ込んでいたことも特捜部は掴んでいた。

胆沢ダムの工事で職務権限があるはずのない小沢氏を「収賄で追及できない」ことはとうにわかっていた。だからこそ、「脱税か否か」に焦点が絞られていたわけだ。

しかし、特捜部には、小沢を「落とす」力量はなかった。わずか3年前の記者会見で、小沢氏は自ら土地購入の原資を「政治献金でまかなった」と説明していた。しかし、今度は「貯金など自分の個人資産を貸し付けた」と180度言うことを変えたのだ。それでも今の特捜部は「落とせない」のである。

重大な部分で、言うことがこれほどコロコロ変わる政治家も珍しい。今の政界では、やはり鳩山首相と小沢氏が双璧だろう。しかし、特捜部はその言い逃れさえも突き崩せないのだ。

では、自由党を解党した際の政党交付金はどこにいったのか、それを小沢氏はどう使ったのか、政治団体への15億円もの簿外の入金は何だったのか。小沢氏に是非、問うてみたい。

言うまでもないが、政治団体に「法人格」はない。国民のために政治活動をおこなう非営利組織である政治団体は、そのために法人税など納税義務も免除されている。そこに集まったカネで、個人名義の不動産購入がなされることなど無論、許されない。

特捜部よ、あなた方は、本当に小沢氏の「(不動産購入は)個人資産でまかなった」という説明に納得したのですか?そして、それを崩す材料もないまま今回の捜査を展開していたのですか?

私は、90年代初めにあった東京佐川急便事件を思い出す。あの時、小沢氏の親分の金丸信は、東京地検からの事情聴取の出頭要請を拒否し、「政治資金規正法」違反を認める上申書を提出した。

東京地検はそれだけで引き下がり、金丸に事情聴取しないまま略式起訴で終わらせ、国民から凄まじい非難を浴びた。検察庁の看板に黄色のペンキがぶっかけられたのもこの時のことだ。

しかし、半年後に東京地検は、別件の「脱税」で金丸を逮捕して威信を取り戻した。だがこの時、金丸は議員を辞職し、竹下派会長も辞任していた。つまり、金丸は政界官界への影響力が低下した“ふつうのお爺さん”に近い存在となっていた。だからこそ、踏み切れた逮捕劇だった。

それを間近で見ていたのが、ほかならぬ小沢氏である。彼が幹事長職にここまで固執し、権力を手放さなかった理由はそこにある。

忠実なしもべである鳩山首相に何度も“指揮権発動”と思われる発言をさせ、検察に繰り返し圧力をかけつづけた小沢氏は、これで枕を高くして寝るために、「検事総長」の民間登用に本気で乗り出してくるだろう。つまり、彼らにとっての“検察浄化の人事”に着手するに違いない。

そして、これまた当ブログで何度も指摘している「取り調べの完全可視化」に乗り出してくる。かくして、日本は権力者が何をやっても許される社会となるのである。

日本の正義が死んだ日。東京地検特捜部の実力低下、威信喪失で、今回の出来事は、後世、そう言われるようになるだろう。

カテゴリ: 政治, 随感

締切まで残り2週間

2010.01.22

ここのところ徹夜の連続で締切間近の単行本原稿に追われている。そんな中で、今日は、この原稿でいろいろ相談に乗ってもらっているさる研究者に貴重な資料を新宿まで持って来てもらった。

そのまま飲み会になってしまったが、いろいろ参考意見を聞かせてもらって大変役に立った。歴史とは、視点が定まってしまっては「一面」しか見えないものだ。

多角的に、かつ柔軟な発想で見ていくと、これまで見えなかった歴史の一面も眼前に現れてくる。この若き研究者と話していて、改めてそれを感じた。

氏は、3月にスタンフォード大学に台湾関係の貴重な資料を見に行くという。私も本当はスタンフォード大学に行って調べなければならない案件をいくつも持っている。羨ましいかぎりだ。

さらなる協力を約束してもらって11時過ぎに新宿駅で別れた。最後に「原稿がんばってください」と、応援のひと言をもらった。締切まで残り2週間を切った。書くしかない。

カテゴリ: 歴史, 随感

やがてこの世から「疑獄が消える」

2010.01.20

今朝、ある弁護士から携帯に電話をもらって飛び起きた。名前を聞いたら誰でも知っている著名な弁護士である。

開口一番、彼は「日本は大丈夫なのか」と問いかけてきた。言うまでもなく小沢問題に対する政界やマスコミの動きについての感想である。

「千葉法相がまさか“指揮権”を発動するとは思えないが……。そういう圧力があった場合は、即座に辞任してそのことを世間に問うて欲しい」と、この老弁護士は言った。

彼が懸念するのは、政権与党である民主党のレベルだ。「彼らは、検事総長を民間から登用すると言っているが、これは本気。小沢というのは何でもやる男だから、実際にそこへ向かって突き進むだろう」と言う。

検事総長は、検察のナンバー・ツーである東京高検の検事長が就くのが慣例だ。しかし、今の高検検事長の定年は6月で、ここで現・樋渡利秋検事総長より先に退任させたら、樋渡検事総長のあとに「民主党は民間人を登用してくる腹積もり」と老弁護士は推測する。

「戦後、思想検事への反省から民間より検事総長に登用された人が3人いる。しかし、今回の民間人登用問題はまったく違う。これは、取り調べの完全可視化の問題とも絡んでいる」と、老弁護士は言う。

逮捕された石川議員も全く真実を話していない。「取り調べの可視化」が進めば、今後、疑獄事件が完全にこの世から「葬られる」。なぜなら疑獄とは「権力者がターゲット」だから、可視化した取り調べの中で「真実を供述させること」など到底不可能なのである。

なぜ民主党が「可視化」と「民間人の検事総長登用」に熱心なのか。今回の出来事がその意味を教えている。

「検察の監視」という表現を平気でしてしまう人たち。民主主義の本来の意味がまったくわかっていない上に、「言論・表現の自由」「国民の知る権利」まで否定する政権党の人たちに、背筋が寒くなるのは私だけだろうか。

カテゴリ: 事件, 政治, 随感

笑いモノは「検察」か「小沢」か

2010.01.16

本日、注目の小沢一郎氏が民主党大会で「幹事長続投」を表明した時、有権者はもちろん民主党の面々も仰天しただろう。

民主党では、誰もが心の中で、「地位に留まれば組織がはかり知れない打撃を受ける。ここは潔く民主党のために敢えて“身を引いてくれる”だろう」と、思っていたからだ。

しかし、挨拶に立ったご本人は、「党大会の日に合わせたかのように、逮捕が行われている。私はこのようなやり方を容認できない。私は毅然として自らの信念を通し、戦っていく決意でございます」と、検察との全面対決を宣言したのだ。

小沢氏は、組織を存亡の危機に陥れても“わが身だけはかわいい”のである。だが、本当に国民が驚愕したのはそれからではないか。その直前、小沢氏と首相公邸で会談した鳩山首相は、本人に向かって、「どうぞ検察と闘って下さい」と述べていたことが明らかになったのだ。

さらには、党大会で挨拶に立った首相は、「私は小沢さんを信じています」と言いきった。行政の長が、自分の配下の組織に対してプレッシャーをかけ、“指揮権発動”と取られても仕方ない発言までやってのけたのである。鳩山さん、あなたは国家の領袖としての意識がおありなのか、と聞きたくもなるだろう。

極めつけは、民主党内部で、「これは検察をトップとする官僚機構と、国民の代表である民主党政権との全面的な戦争だ」(民主党 森裕子参院議員)との発言まで飛び出したことだ。

政治資金規正法違反で次々と元秘書が逮捕されることを「官僚機構との全面戦争」と捉えるレベルは恐ろしい。小沢氏が政党を“解党”した際の23億円にものぼる政党交付金の行方や、マネーロンダリングのために預金の現金を担保に同額の融資(しかも4億円という高額)を組んだ不可解さ。それでも、これらの行為を民主党は「正当なもの」と強弁するのである。

そこまで民主党は、政党として最も必要な「平衡感覚」がないのだ。これから民主党は自らの首を絞めつづけ、自分の愚かさに気がついた時には、おそらく“取り返しのつかない事態”に陥っているに違いない。

昨日のブログでも指摘した通り、いま永田町で盛んに蠢動している政治家たちの水面下の合従連衡工作が果たしていつ浮上するか。永田町から、ますます目が離せなくなってきた。

カテゴリ: 政治, 随感

さまざまな若者の姿

2010.01.08

昨夜は、事務所に早稲田大学野球部の4年生が5人も来て、大宴会となった。いずれも一流企業に内定を出した面々だ。それぞれの思いで4年間、早稲田の野球部を支えた努力家ばかりである。

3か月後には社会人になる彼らは、現時点ですでに社会人2、3年生、いやそれ以上の貫録がある。やはり、ひとつのことに打ち込み、やり遂げた若者は独特の雰囲気を持っている。

多くの企業が体育会の学生を競って採用したがるのも、なんとなくわかる気がする。締切に追われて連日四苦八苦している私も、こういう飲み会は新たなやる気が湧いてくるので、嬉しいものだ。

一夜明けて、今日は、小菅の東京拘置所にオウムの井上嘉浩に面会に行ってきた。井上被告は、最高裁で死刑判決(上告棄却)を受けてやがて1か月になる。間もなく面会制限に入るので、今日が最後の面会だった。

暮れに40歳となった井上被告は、最後の面会ということもあって、私にさまざまな話をした。なぜ自分は誤ったのか、どうして多くの被害者を出すようなことになってしまったのか……等々、自分の弱さについて彼は淡々と語った。

オウムで“修行の天才”とまで言われ、過酷な難行を次々とこなしていった井上被告。しかし、その行き着いた先は、あまりに無残なものだった。いつか、私も「人間・井上嘉浩」を書く時がくるだろう、と思う。

ヨガやチベット密教に興味を持ち、オウムと出会ってしまった井上被告もまた、“ひとつのことに打ち込んだ若者”だった。しかし、その打ち込んだ宗教が、多くの被害者を出してしまうカルトだったのである。

カルトが持つ狂気と、その怖さ。オウム事件の被害者の無念を思うと共に、狭い独居房でひたすら贖罪の日々を送る井上被告も、また痛ましく思う。

カテゴリ: 事件, 野球, 随感

真っ向から人生に挑む尊さ

2010.01.06

本日午後6時から、NHK BSハイビジョンでプロ野球界伝説の打撃コーチ・高畠導宏を描いたNHKドラマ「フルスイング」の第1回が再放送された。毎週水曜日の同じ時間帯に、同じチャンネルで2月10日(水)まで全6回で放映される。

原案となった拙著『甲子園への遺言』が発売になったのは、もう5年前である。「フルスイング」が土曜ドラマとして最初に放映されてからも2年が経つ。一昨年暮れにも再放送されているので、正確には今回の放映は「再々放送」ということになる。

これほどの時間が経ったのに、いまだにこの作品が愛されていることに感慨を覚える。改めてゆっくりドラマを観てみると、最初の放映の時、「14%」という土曜ドラマとしての最高視聴率を記録したのもわかるような気がする。

『甲子園への遺言』も文庫を合わせると、今では20万部近い部数になっている。人生において、正面突破を目指すことの大切さをこのドラマは教えてくれる。

モデルになった“高さん”こと高畠導宏さんの生きざまが、いまだに悩みを持つ多くの若者に勇気をもたらしているのだと思う。甘えや癒しの中に逃げ込むことを“よし”とする昨今の風潮と、高さんの生き方は対極にある。60歳で癌で逝った高さんは、そのことの大切さを教えてくれる。

真っ向から人生に挑む尊さ。そのことを改めて感じた1時間だった。

カテゴリ: テレビ, 随感

淡々と、それでいて逞しく……

2010.01.05

お正月休みも終わり、ビジネス街はそろそろ仕事モードに入りつつある。事務所が西新宿にあるせいか、ビジネスマンが気ぜわしく歩く姿に、いよいよ2010年が実質的にスタートしたことを実感する。

かくいう「私」はと言うと、締め切りで余裕のかけらもない。単行本原稿と月刊誌の連載原稿を抱え、正月もお屠蘇気分にはなれなかった。これからも徹夜で原稿執筆である。しばらく“地獄の日々”が続きそうだ。

原稿執筆は、箱根駅伝の「5区」に似ている。ご存じ、小田原から一気に箱根の山を駆けあがり、芦ノ湖の元箱根まで突っ走る地獄のコースである。

アップダウンの激しいこのコースは数年前の「コース変更」で距離も全コースの中で最長となった。長さも起伏も「最大」になったわけだ。一度離れた選手が後半、追いすがってきたり、ぶっちぎりで独走していた選手が突然失速したり、毎年、このコースは何が起こるかわからない。文字通り、魔のコースである。

何度もペースが乱れたり、悩んだり、アップダウンに悪戦苦闘しながらゴールに辿り着く選手の姿を見ていると、単行本執筆に「瓜二つ」だと、いつも思う。

昨年、今年と柏原竜二選手(東洋大学2年)というスターが現われてこの難コースは攻略され、箱根駅伝史上に燦然と輝く大記録が樹立された。そして、かつて1度も優勝経験のなかった東洋大学が2連覇という偉業を果たしてしまった。

私も、柏原選手とまでは欲張らないが、淡々と、それでいて逞しく、難コースに挑んでいきたい、と思う。私が「挑む」のは600枚という膨大な量の真っ白な原稿用紙である。

カテゴリ: 随感

「龍馬伝」に思う

2010.01.03

鳴り物入りの大河ドラマ「龍馬伝」を観た。岩崎弥太郎役の香川照之の熱演に圧倒された。坂本龍馬役の福山雅治もぎこちなさがあったが、なかなかいい味を出していた。「容疑者Xの献身」の福山雅治との違いに目を見張った。

制作が、拙著『甲子園への遺言』をドラマ化(土曜ドラマ『フルスイング』)してくれた鈴木圭プロデューサーだっただけに、特に力を入れて観させてもらった。ちょうど、『フルスイング』が来週からBSハイビジョンで6週間にわたって再放送されるのも何かの縁だろう。

『フルスイング』の時も思ったが、鈴木プロデューサーは第1回に“勝負をかける”制作者である。一気にスタートダッシュをかけて、その勢いで突っ走るのだ。

私は、大河ドラマで育った世代だ。子供の頃からNHKの大河ドラマで歴史を立体的に捉えさせてもらって育ってきた。大河ドラマ史上、「名作を3作挙げよ」と言われたら、私は、「太閤記」(昭和40年)、「竜馬がゆく」(昭和43年)、「天と地と」(昭和44年)という昭和40年代の3作品を迷わず挙げさせてもらう。

のちに話題作はいろいろあったが、大河ドラマが国民的人気を獲得した昭和40年代初期の作品が、やはり他の時代を圧していると思う。

しかし、今日の「龍馬伝」第1回はそれに匹敵する、いやそれ以上の作品になる可能性を感じさせるものだった。まるで映画のような迫力を感じさせる滑り出しである。「高知」の坂本龍馬と「安芸」の岩崎弥太郎が「近所」の幼なじみのような描き方をされていたのには驚いたが、それもご愛嬌だろう。

ここのところ民放を尻目にNHKのがんばりが目につくが、このドラマを機に、一気にその差が広がるかもしれない。これから「龍馬伝」がどんな展開を見せていくか、大いに楽しみである。

カテゴリ: テレビ, 随感

もはや“常識”は通用しない

2010.01.02

正月2日は、箱根駅伝とラグビーの日である。東京では、これが同時に楽しめる。箱根駅伝では昨年、スーパー1年生として箱根の山登りで驚異的な記録を樹立した東洋大学の柏原竜二選手が、今年も快走した。

昨年の記録を10秒縮める走りで先行する6人を一気に抜き去り、東洋大学に逆転の往路優勝をもたらしたのだ。同じ距離を走った区間2位の選手に4分以上の大差をつける圧倒的な走りだった。これほど“山登り”に強い選手は2度と出て来ないのではないか、と思うほどの実力だ。

優勝候補に数えられていた早稲田大学は4区、5区が伸びず、7位に沈んだ。実力ランナーを揃えても、いざ本番で力を発揮できるかどうかは精神力をはじめ、違う要素が顔を出してくる。すべてを克服できたチームだけが「最後に笑う」ことができる。勝負とは過酷なものだとつくづく思う。

かつては箱根駅伝で上位に食い込むことなど想像もできなかった東洋大学が優勝する時代である。これまでの伝統に胡坐をかくチームが勝利を手にすることはとてもできなくなった。

今日、私は国立競技場に大学ラグビー選手権準決勝(慶應大学vs東海大学、明治大学vs帝京大学)を観にいったが、この2試合を観ても、そのことを感じた。

対抗戦グループの伝統校、慶應大学と明治大学は、それぞれ東海大学と帝京大学に敗れ、決勝進出はならなかった。

名前だけを聞けば、ラグビーのオールドファンなら「まさか」という結果だろう。だが、グランドで観ていると、かつての伝統校が「歯が立たない」ぐらいの実力差が生じていたのは事実である。

“新興勢力”は伝統校の壁を打ち破るために、よりひたむきな精進を要求される。そもそも伝統校の方に優秀な人材が流れるから、伝統校の壁を破るには彼らの何倍も努力をしなければならないのだ。

今日、国立競技場で伝統校に挑戦した2校には、そのひたむきさがあった。これはラグビーに限ったことではない。いま日本はさまざまな分野で“変革の時代”を迎えている。

一例を挙げるならば、「官僚統制国家・ニッポン」も否応なく変革を迫られている。自分たちの利益だけを追求して世界に類を見ない天下り天国をつくりあげた日本の官僚たちも、これまでのような好き勝手放題の時代ではなくなりつつあることを感じているだろう。

これまで日本で“常識”とされていたことが段々、そうではなくなってきたのである。東海大学と帝京大学が大学ラグビー日本一をかけて戦うこと自体がその“変革の時代”を象徴するものでもある。

私自身も、常識にとらわれず、新たな視点でいい作品を書いていきたいと思わされた1日だった。

カテゴリ: スポーツ, 随感

波乱の年が始まる

2009.12.31

今年60回目を迎えた紅白歌合戦が放映されている。家族全員でそれを観ている。いつもの、そして、典型的な日本の大晦日。もう年越しそばも食べた。

こうして、平穏な1年を感謝し、来年も同じような1年であって欲しいと思う。それが伝統の日本の大晦日だ。

ニュースは、日本列島が強い冬型の気圧配置となり、どこも大荒れになっていることを報じている。平穏な日々を望む国民とは裏腹に、来年は今日の天気のようにアップダウンの激しい“厳しい年”になるだろうと予想する。

国債発行残高は637兆円、戦後初めて国債発行額が税収を上まわる年。それが2010年だ。小泉時代の“発行額30兆円の攻防”が遠い昔のような気もする。なにしろ税収37兆円に対して、国債発行額が44兆円なのである。

歳出総額92兆円のほぼ半分を国債、すなわち借金に依存するわけである。家族単位で考えれば、家計のほぼ5割を借金でまかなうという破産状態が、来年の日本である。

コンクリートから人へ――という耳ざわりのいいキャッチフレーズと、一方で子孫にツケをまわす予算編成。国債発行の増加によって、来年は長期金利が上昇するという見方が一般的だ。

だが、永田町の「デフレ脱却」要求に日銀は抗せないという見方も一方にある。とすれば、日銀が金融緩和政策をとり、「金利上昇はない」ということになる。

金利がどうなるか、ということだけでも、これだけ正反対の予想が存在する。それだけ2010年は予想不可能な年だ。

波乱の年が間もなく始まる。“年明けカウントダウン”である。今年1年ありがとうございました。2010年も、何卒よろしくお願いします!

カテゴリ: 経済, 随感

激動の2009年

2009.12.30

今年も残すところ、あと1日となった。激動の2009年がもうすぐ終わる。政治、国際社会、事件、スポーツ……あまりに多くのことがあり過ぎて、今年が一体どういう年だったのか危うく見失いそうになる。

いつものように多くのヒーローが生まれた年だった。だが、「2009年のヒーロー」が果して10年後、20年後にどのくらい生き残っているかを考えると心もとない。

ひたすら原稿書きにいそしんでいる私も、今日は年末の東京に出てみていろいろ観察してみた。帰省客で人口密度の低くなった東京はそれだけで、日頃の“あくせく感”がなくて、なんだか心地いい。

今年は田舎(高知)の両親が東京に出てきて、こちらで寝正月を決め込むという我が家にとって初めての試みがおこなわれる。

今日はその両親も東京に到着した。土佐のお正月と東京のお正月。まったく異なる文化の融合にわが子たちもわくわくしている。

麗らかな東京の年末。激動の2010年の幕開けを間近に控えた大都市・東京は、おそろしいほどに穏やかだった。


カテゴリ: 随感

御用納めの1日

2009.12.28

今日は御用納めだ。その関係もあってか、事務所は千客万来だった。鉢合わせになったお客さんもいた。

ユニークだったのは、年齢が50歳も違う人が事務所で遭遇したことだろうか。「新宿に来ているから」と元日本共産党の兵本達吉さんがやって来られたのは午後1時過ぎ。それから20分もしない内に、今度は現役東大生(4年)の清水章弘くんがやって来た。

清水君は現役学生ながら、教育関係の会社を立ち上げた学生経営者だ。先週、処女作の『習慣を変えると頭が良くなる』(高陵社書店)というユニークな本を出版したばかりだ。その本を持って、報告がてら事務所に寄ってくれた。

71歳の兵本さんと21歳の清水君の年齢差はちょうど50である。兵本さんは京大法学部在学時代に入党したバリバリの日本共産党員だった。長く議員秘書を務めた「国会の生き字引」だが、なんといっても北朝鮮拉致事件を発見し、追及した人物として知られる。

兵本さんが奔走したことによって拉致問題が明らかになり、梶山静六・国家公安委員長(当時)の「北朝鮮による拉致の可能性が極めて高い」という有名な国会答弁を引き出した。彼の活動がテレビドラマになったこともある。

そんな二人が事務所で遭遇し、交わされる話は、共産主義革命から子供の教育問題まで多岐にわたった。私も原稿執筆の手を休めて、話に参加させてもらった。

兵本さんは身に覚えのない嫌疑をかけられて、のちに共産党から除名されている。どの組織も、優秀な人間には嫉妬が集まり、さまざまな障壁が立ちはだかるものである。だが、兵本さんはその時のエピソードをユーモラスに話すので、清水君にはいい勉強になったのではないか、と思う。

御用納めの日ならではのユニークさだが、こういう「出会い」こそ貴重だし、人生にとって糧になるものだと思う。今年もあと3日。来年もこういう多くの出会いがある年であって欲しいと、心から思う。

カテゴリ: 随感

「集まること」が大事

2009.12.03

今日は、東京は終日雨だった。事務所から眺める新宿、池袋の風景は、雨にけぶって視界不良。なにやら前途に暗雲が垂れ込めている鳩山政権の行方を憂えるかのようだ。

昨夜は、大学時代の友人(秩父写真館の武藤芳行)が富士フイルム主催の全国コンテスト営業写真コンクールで「金賞」を受賞したので、そのお祝いに仲間が集まって大いに飲んだ。彼は大学時代にゼミもサークルも一緒だった親友だ。

髪の毛はすっかり白くなったが、ついに「日本一」になったという喜びがひしひしと伝わってきた。サークルの仲間が20人以上集まって、神保町にあるかつての溜まり場に繰り出してわいわいガヤガヤ。ちょうど忘年会シーズン突入とあって、二次会、三次会と、はしご酒となった。

「集まることが大事」とは、私たちのサークルの創設者の言だ。何があっても「集まること」ができる仲間はたしかに強い。大学を卒業して四半世紀以上経っても、白髪が目立ち始めた中年の男女が「すぐに集まってくる」のは、やはり濃密な人間関係と、物事に対する“熱さ”が失われていない証拠だと思う。

昨今、日本人の人間関係が希薄で、人と人との「絆」が失われつつある、との指摘は多い。歳を重ねようが“熱さ”が消えたら、たしかに終わりである。そんなことを考えながら杯を傾けていたら、気がつくとすっかり外が明るくなっていた。

カテゴリ: 随感

バラまきの「ツケ」どこまで

2009.11.28

鳴り物入りの行政刷新会議の事業仕分け作業が9日間で終わった。「天下りを廃す」「税金の無駄使いを許さない」という民主党政権の基本姿勢には大いに拍手を送りたい。

だが、その「理想と現実」とのあまりの乖離に首を傾げる国民は少なくないだろう。民主党政権が、中身の伴わないパフォーマンス政権であることは次第に明らかになりつつある。今回の事業仕分けも、マスコミの報じ方だけを意識し、「大ナタを振るっている」というイメージを国民に植えつけるための「パフォーマンス」の側面が極めて大きかった。

しかし、野党・自民党の側が「パフォーマンスにはパフォーマンスで」と、真っ向から噛みついたのはおもしろかった。ノーベル化学賞受賞者の野依良治博士を引っ張り出し、科学技術の予算大幅削減に対して、「科学技術は生命線。コストと将来への投資をごっちゃにするのは見識に欠ける」「(民主党政権は)歴史の法廷に立つ覚悟があって言っているのか」と言わせて全面対決に入ったのだ。

族議員が跋扈し、各省庁の高級官僚の言いなりになってきた自民党には確かに私も勘弁して欲しい、と思う。だが、それでもこの「大ナタ」が、一方のバラまき予算の反動から来ていることに「我慢ならない」向きも決して少なくないだろう。

わずか70億円ほどで済んだ自衛隊のインド洋での給油支援活動をやめるかわりに、アフガニスタンへの4500億円の民政支援をおこなうという鳩山政権。また、これまでも書いてきたように、所得制限なしの子供手当や、働く母子家庭よりも収入が多くなる母子加算、44兆円もの新規国債発行……等々のバラまき予算を聞いていると、「パフォーマンスもたいがいにしろ」と言いたくもなる。

産経新聞にジャーナリストの黒岩祐治さんが寄稿しているが、事業仕分けでは、「漢方薬まで健康保険の適用から外された」そうだ。こうなると、もうメチャクチャである。

臨床医の8割近くが漢方薬を処方しており、漢方薬がもはや「普通の薬」となっていることは疑いない。黒岩氏によれば、「漢方をもっと普及させていこうというのが医学界の流れ」であり、実際にその効能は末期がん患者をはじめ多くの方々の臨床結果によって証明されている。

それが健康保険からバッサリ切り捨てられれば、これは「本末転倒」も甚だしい。インド洋の給油(70億円)をやめてアフガニスタンへの民政支援(4500億円)に転じたがために、内臓疾患に悩み漢方治療に頼る多くの国民が「犠牲になる」としたら、それを国民の誰が許すというのだろうか。

「故人献金」や「母親からの9億円献金」に対して、知らぬ存ぜぬを通す鳩山首相に、そろそろ国民の目も冷めかけている。一体、民主党得意のパフォーマンス政治はどこまで国民に「通じる」のだろうか。

カテゴリ: 政治, 随感

風化しない「オウム事件」

2009.11.19

朝10時頃からぽつりぽつりと降り始めた雨は、午後には次第に強さを増していた。私が千代田区隼町の最高裁判所南門に着いた時、すでに傍聴を求める希望者の列が雨を避けるテントの中に3列になってできていた。

今日午後1時半から、オウムの諜報省大臣で地下鉄サリン事件等にかかわった井上嘉浩被告の最高裁の弁論が開かれた。私は傍聴希望者の抽選がおこなわれる予定の12時50分の寸前に最高裁にすべり込んだ。

最高裁第一小法廷での弁論に傍聴券41枚に対して希望者が68人並んだが、無事、私は傍聴券を得た。第一小法廷の最前列の席を得た私の隣には、井上被告の両親が座っていた。私はかつて井上被告の獄中書簡の特集記事を週刊新潮誌上で発表したことがある。

そんなわけで井上被告のお父さんとは、以前から親しくさせていただいている。今日は、弁護側、検察側双方の弁論があり、一審の無期懲役と二審の死刑判決という「判断が分かれた」注目の井上裁判の最後の審理となった。

地下鉄サリン事件をはじめとする一連のオウム事件から実に14年という年月が過ぎている。井上被告の両親も初めてお会いした頃に比べ、顔の皺がすっかり深くなった。加害者家族の苦悩の歳月が窺える。

今日の弁論では、特に仮谷さん拉致をめぐる監禁致死の攻防が興味深かった。果たして仮谷さんの死に対して、井上被告の監禁致死は成立するのか否か。仮谷さんが村井秀夫と中川智正に引き渡された時、村井が「塩化カリウムでも打つかな」と言って殺害を仄めかすくだりなどは、戦慄を覚えるシーンと言える。また地下鉄サリン事件の前夜から当日にかけての実行者たちとのやりとりもリアルに再現されていった。

事件から14年以上が経過しても、まだまだ風化しない重みがオウム事件にはある。その中で重要な役割を演じた“アーナンダ”こと井上嘉浩。獄中で反省の日々を送る息子に、一縷の“生”の望みを託すご両親、そして被害者席に顔を見せた遺族たちの表情には、逆に今も癒されない複雑な思いが見てとれた。

さまざまな思いが交錯する最高裁第一小法廷で、井上被告の“最後の審理”は終了した。私は、この狂気の集団でさまざまな役割を果たした井上がその後、獄中で送った壮烈な悔恨の日々をいつかは描かなければならないと思っている。

最高裁を出た私は、その足で母校中央大学に向かった。「裁判員制度が問いかけるもの」というテーマで講演が予定されていたからだ。

午後7時。予定の2時間を過ぎても、熱心な学生から私にはまだ質問が浴びせられていた。学生の探究心に「さすが」という思いがする。その後、立川に場所を移して打ち上げの飲み会。中大の後輩たちに、久しぶりに若さとパワーをもらった1日となった。

カテゴリ: 司法, 随感

「JAL」も「ANA」も同じか

2009.11.14

日本航空(JAL)の9月期中間連結決算が「1312億円の赤字」であることが明らかになった。日本政策投資銀行などから「1250億円」のつなぎ融資を今月にも受けることになった。

確かに世界的な景気の悪化と新型インフルエンザの影響による旅客の減少も理由にはあるだろう。しかし、JALの驚くべき高さの「人件費」が経営の足を引っ張ったことは間違いない。JAL社員の厚遇については、さまざまなメディアが報じてきたので、ご存知の方も多いと思う。

たとえば、機長の月収は平均200万である。また企業年金は、一人当たり年間300万円にもなる。企業年金とは、基礎年金と厚生年金という「公的年金」とは別に、「企業が積み立てる私的年金」のことだ。

よく「2階建ての年金制度」が説明されるが、この私的年金の場合は、「3階建ての3階部分」ということになる。通常、公的年金は年間250~300万円ほどになるので、彼らはこれに企業年金を足した計600万円近い年金を年間に受け取っているのである。

600万円といえば、月額は「50万円の年金支給」ということになる。年金の少なさに四苦八苦している一般の人たちにとって、これは仰天の金額に違いない。いまこの年金が減額されることにJALのOBたちが猛反発し、「憲法違反だ」「減額は許されない」と、税金での補填が要求されている。

まったく本末転倒も甚だしいと思う。企業が倒産すれば、その企業年金がアウトになるのは当たり前のことだ。それが私企業の「運命」であり、「宿命」でもある。そのために、企業年金のある会社では、OBが現役の社員に対して、「君ら、しっかり頑張ってくれ。俺たちの年金分を稼いでくれよ」と、声をかけるものだ。

しかし、JALのOBは違う。自分たちの「3階建ての3階部分」の年金が減額される時に、なんと税金を使ってでも「補填せよ」と言ってのけるのである。「3階建ての3階部分」の年金を持たない国民が、自分たちの税金でこれを補填しなければならないようなことが現実になれば、まさに「木の葉が沈み、石が浮く」事態と言える。

JALの厚遇は金額面だけではない。機長クラスは、乗務の行き帰りは「タクシーやハイヤーの送り迎え」である。都内から成田までは、タクシー代が2万円ほどになる。横浜なら軽く3万円を超す。かつて、これが「ハイヤーではなくタクシーにする」という話が持ち上がった時、機長らが猛反発したことを思い出す。

また、運航乗務員や客室乗務員(スチュワーデス)に与えられる「パーディアム」というシステムもJALにはある。システムというより悪弊といった方がいい。簡単に言えば、旅先で使用する食費を会社が負担するシステムである。

たとえば、客室乗務員なら、国内ステイで一泊7000円ほどが支払われてきたそうだ。国内ステイは、夜到着したら、翌日の昼前後に出発というのが、基本運航パターンだが、その間に7000円の食事代が出るのだそうだ。言うまでもなく、機長の金額はそれよりも多い。一泊だけの国内出張で、これだけ食事代を会社が負担してくれるところはそうはないだろう。

もちろん、外国でのステイの場合は、滞在する高級ホテルのレストランの食費をもとに計算されるため、さらに大きな額が支給されるそうだ。JALの長年の放漫経営というのは、実はこうした「社員の厚遇」から来ている。

各労組の強さと、ストライキを武器にした威圧的交渉がJALの名物だ。乗客サービスそっちのけで、自分たちが持つ既得権益、待遇の維持ばかりを求め続けた結果が、今回の破綻劇であったことを国民は忘れてはならない。

実は、もうひとつの巨大航空会社・ANA(全日空)にも、機長の増長とそれを許す会社の甘い体質がある。

ANAでは、驚くべきことに機長が「コックピットに入る時間」のマニュアルが存在しない。なんと彼らは「出発時刻の30分から40分程前に到着する」のが常なのだそうだ。つまり、ほとんど客と同じ時間に、彼らはコックピットに入ってくるのである。

先日、私はANAを利用した際、「コックピット内の不具合が発見されたため、機体交換を致します」とのアナウンスがあり、乗客が座席についた後、全員が改めて外に出され、機体交換されるという不手際に遭遇した。

「コックピット内の不具合」がなぜ客が座席に座ってから発見されるのか不思議に思っていたところ、やはりANAには、「機長がコックピットに入らなければならない時刻等を定めたマニュアル」が存在しないことがわかった。ANAでは、客とほぼ同時間に機長らが当該機にやって来ることを容認しているのだ。

そこには、「客の命を預かっている」というプロとしての意識が垣間見えない。見えるのは、ただ「便を運航しさえすればいい」という機長らの驕りである。そして、そういう増長を許す体質は、JALもANAも同じなのではないか、と思う

ANAもやがてJALと同じ道を歩んでいくことになるだろう。今回のJAL破綻劇の顛末を国民は注視し、JALだけでなくANAに対しても監視を忘れてはならないと思う。その度に、公的資金注入という名の「税負担」をわれわれが被ることを許してはならないからだ。

カテゴリ: 経済, 随感

秋雨に霞む東京

2009.11.11

今日の東京は雨だった。事務所から眺める「秋雨に霞む東京」の風景もいいものだ。そんな事務所に先月一緒に台湾・金門島に行った75歳の吉村勝行さんが訪ねてこられた。

わざわざ大阪から出てきてくれているのに雨に祟られ、なんだか申し訳ない。今日は、吉村さんと集英社、フジテレビ、それに私で、根本博・元陸軍中将のご遺族の家にお邪魔した。60年前の国共内戦の激戦地・金門島。両軍最大の激突の場となった「古寧頭(こねいとう)村」への訪問結果を、根本中将のご遺族に伝えるためだ。

報告を終え、吉村さんは肩の荷を下ろしていた。昨日発売の「週刊プレイボーイ」には、「蒋介石を救った日本人将軍の影を追う」と題して私が根本将軍のレポートをしている。いよいよ歴史に埋もれていた真実が徐々に明らかになってきた手応えがある。

それから新宿に場所を移して飲み会。楽しい数時間が過ぎた後、外に出ると雨は嘘のように上がっていた。先週から今週にかけて2日おきに「3本」の締切に追われていた。そのため、ブログも更新できず、おまけに疲労が蓄積していた。しかし、楽しい飲み会は、疲労などどこかにすっ飛ばすパワーがあるらしい。飲み会が終わったら、肩や頭の疲労感がすっかり消えてなくなっていた。ありがたいものである。

今日はテレビのチャンネルをひねると、リンゼーさん殺害事件の容疑者・市橋達也が捕まったニュースばかりが流れている。島根女子大生バラバラ事件や恐怖の“婚カツ”殺人事件など、ここのところ大きな事件がアトを絶たない。それぞれの担当の記者たちは大忙しだろう。

それにしても、なぜ市橋は最後まで自首しなかったのか。整形写真が公開されても、それでも逃げ切れると思ったのだろうか。彼の逃亡生活は謎だらけだ。が、市橋が、時効成立直前に逮捕されて獄中で死んだあの福田和子に負けない話題を巻いたのは確かだ。

市橋の「逃亡記」は是非読んでみたいと思う。四半世紀も雑誌の世界にいた私は、世間の耳目を集める大事件の際には、どうしてもそんなことを考えてしまう。

カテゴリ: 随感

世の中の流れに抗する人々

2009.11.04

今日11月4日は、61年前の昭和23年、極東国際軍事裁判(東京裁判)の判決言い渡しが始まった日である。判決文朗読と判決言い渡しは、9日間もかけておこなわれ、すべてが終了したのは11月12日のことだった。

英文1212ページにも及ぶ膨大な判決文は、ウィリアム・F・ウエップ裁判長が読み上げた。戦争犯罪人としてこの軍事裁判にA級戦犯たちが起訴されたのは昭和21年4月29日のこと。すなわち裕仁天皇の誕生日(戦前は「天長節」と呼ばれた)であり、また裁判終結後、絞首刑の判決を受けた7人が「刑を執行」されたのは、昭和23年の12月23日。すなわち現在の明仁天皇の誕生日である。

極めて“見せしめ”の意味合いが強かったこの裁判で、11人の判事の中で唯一、インドのラダ・ビノード・パール判事だけが「この裁判自体が国際法からみて問題がある。東京裁判において、日本を裁く法的地位はどこにも存在しない」として、被告人全員の無罪を主張している。勝者が敗者を裁く政治ショーの様相を呈していた東京裁判に、パール判事は敢然と異を唱えたのだ。

世の“流れ”に逆らうことは簡単なようで難しい。極東国際軍事裁判所には、「少数意見の内容朗読義務」が存在したにもかかわらず、パール判事の「意見書」は、ついに読み上げられることがなかった。

しかし、法学者として世界の趨勢に惑わされることなく、自らの意見を堂々と開陳したパール判事の功績は今も色褪せない。いつの時代にも、そしてどこの国にも、毅然と生きる人物が存在することに私は大きな勇気を感じる。拙著「裁判官が日本を滅ぼす」等々で、日本の官僚裁判官の堕落を指摘してきた私には、パール判事の姿勢が今も新鮮に感じられる。

さて、世の中の流れに抗する、という意味では、今日の産経新聞におもしろいエッセーが載っていた。作家の曽野綾子さんが書いた「透明な歳月の光」だ。曽野さんは、言わずと知れた文壇の一言居士。女性であり、クリスチャンでもある曽野さんに「居士」という表現は失礼だが、要は、誰にも迎合しない毅然とした物言いの人、という意味である。

その曽野さんが、自身が日本郵政の社外役員になって以降の感想を「辞令も説明もない緩んだ組織」と題して、エッセーの中で痛烈に日本郵政批判を展開したのだ。

亀井静香郵政担当相と斎藤次郎日本郵政社長が自宅に来て、社外役員就任の要請をおこなった様子や、その後、辞令も担当者からの説明もなく、唯一の連絡が、「給与を払い込むための郵便貯金の通帳の番号を聞いて来た」ことだけだったことを曽野さんは暴露している。いまだに外部の人に渡されるパンフレットさえ、曽野さんは渡されていないというから驚く。

曽野さんは、このエッセーを「もしこれが西川体制の元で作られた甘い構造なら、斎藤新体制は一刻も早く組織を引き締めなければならない」と締め括っている。

日本郵政が、民間企業とは名ばかりの、いかに緩んだ“お役所”であるかが垣間見られるが、要は、曽野さんを起用した亀井氏や斎藤氏の目的が、「国民に対するイメージ戦略」だけであることがはからずも透けて見えたということだろう。

彼らにとっては、会社の中身など曽野さんに「知ってもらう必要」などなく、黙って「座っていてください」という本心が思わず露呈してしまったのだ。

だが、“官僚の中の官僚・斎藤次郎”が社長を務める日本郵政で、曽野さんがこのまま“お飾り”で終わるとも思えない。国民のために、曽野さんには、いつもの鋭い嗅覚と観察眼で次々と日本郵政の問題点を炙り出していって欲しいと思う。

“官僚の中の官僚”vs“文壇の一言居士”――両者の激突を興味深く見守っていきたい。

カテゴリ: 歴史, 随感

人生における“ひとつの時代”が終わる時

2009.11.01

今日は午前中、松山坊ちゃんスタジアムで、高校野球秋季四国大会決勝の今治西対高知戦を観戦。途中から降り出した雨が“土砂降り”になる中、延長11回今治西の逆転サヨナラ勝ち(6対5)となった。

最悪のコンディションの中で選手たちには気の毒な結末だった。ここのところ地盤沈下する四国野球。かつて全国をリードした四国野球も最近ではすっかり他の地区の後塵を拝している。

甲子園の勝率ナンバー・ワン県(高知)とナンバー・ツー県(愛媛)の激突のわりには、投攻守すべてにおいて物足りなさを感じたのは私だけではあるまい。四国野球「復活」には、まだまだ道遠し、の感を強くした。

雨の中、宿泊先のホテルに帰ってくると、NHKで早慶戦がテレビ放映されていた。だが、早稲田大学は昨日につづいて慶応大学に敗れ、東京六大学の優勝は明治大学に決まった。2連敗で優勝を逃したことは、早稲田にとって痛恨事だった。

しかし、1対7と大差をつけられた早稲田が最終回に見せた粘りはすばらしかった。代打で出てきた4年生が粘りに粘って安打を連ねて3点を奪った。テレビは、4年生やベンチの選手が涙を流している様子を映し出していた。

子供の時から一生懸命野球をやってきた彼らの“野球人生”がこれで終わる。プロや社会人で野球を続ける4年生もいるが、大半は野球と離れることになる。来年からは、野球部の「最上級生」から、内定をもらっている企業で「社会人1年生」となるのである。

大学の4年間だけでなく、ひたすら努力と鍛錬を続けてきた彼らが、その野球人生が終わる時、万感の思いがこみ上げてくるのは当然だろう。それだけの努力を彼らはしてきたのだと思う。

気がつくと試合後、3年生の齋藤佑樹投手が涙の4年生たちの中で、これまた目を赤く泣き腫らしていた。世話になった1年上の先輩が泣く姿に斎藤君も感極まったのだ。クールな斎藤君には、珍しいシーンである。

夜、かねて知り合いの早稲田野球部のその4年生の一人から携帯に電話が入った。「長い間、お疲れさま。よく頑張ったね」と私が言うと、彼は「ありがとうございました」と答えたまま、言葉に詰まった。そして、震えるような泣き声が受話器の向こうから響いてきた。

試合に出ようが出まいが、ひたすら努力を続けて自己を磨き、彼が悔いなく野球を続けたことを私は知っている。それは、ひとつの物事をやり抜いた男にだけ流すことが許される涙だったと思う。

人は、人生において“ひとつの時代”が終わる時、ある種の感傷に捉われる。それは誰もが持っている感傷ではないだろうか。私も大学時代にそういう経験がある。

ひとつの物事に打ち込むことの大切さ。そして、それを貫いた若者たちが流した涙。今日は、爽やかなものに触れさせてもらって、なんだか嬉しくなった。日本の若者も、まだまだ捨てたものではない。


カテゴリ: 野球, 随感

土光敏夫よ、再び

2009.10.21

昨日の西川善文・日本郵政社長の辞任会見を見て、「あーあ」と溜息を洩らした人は少なくないだろう。

「これが国民の貴重な財産の上に成り立った企業のトップか……」。私も会見の映像を見ながら、そう思った。

「カメラは出てけ!」「音がうるさくて話せない」「カチャカチャすると、やってられない」。イライラした西川氏は、そう言って報道陣に何度も嚙みついた。そこには、国民の共通財産の上に初めて成り立った“民間企業”のトップという意識はかけらもない。報道陣の先にいる国民に対する謙虚な姿勢も皆無だ。浅薄な氏の人間性が、全国民の前に晒された瞬間である。

私はその映像を見ながら、「この人を守るために麻生政権はつぶれたのか……」という複雑な思いが込み上げた。

西川氏は「私がこれからやろうとすることに大きな隔たりがあるので、もはやこの職にとどまることは適切ではないと考えた」と述べたが、これまでも当ブログで指摘してきた通り、西川氏が信念をもって厳正かつ公平無私な態度を貫いた人物とはとても思えない。

出身母体の三井住友銀行から「チーム西川」と呼ばれる子飼いを引き連れて日本郵政に乗り込み、言葉は悪いが「好き勝手放題やってきた」人物ではなかったか。

西川氏は、それまでわずか0・2%のシェアしかなかった三井住友カードを郵貯銀行のカードの委託先にまず選んだ。その選定の中心人物は、「チーム西川」の元三井住友カード副社長である。ほかにも「チーム西川」のメンバーが、三井住友銀行の社宅に「住んだまま」、日本郵政に“出向”していたことも国会で追及された。

大きな非難が巻き起こった「かんぽの宿」売却問題は典型的だ。総額で約2400億円もの巨額の建設費をかけた施設を、20分の1にも満たない約109億円で売り飛ばそうとした。

「かんぽの宿 鳥取岩井」の売却では、「レッドスロープ」なる東京の不動産会社に「1万円」で売却され、直後に福祉法人に「6000万円」で転売された。しかも、その不動産会社は幽霊会社で、さらに、設立間もない会社だったことが明らかになった。

国民が怒ったのはほかでもない。国民の“最後の財産”を、一部の利権屋が貪り食った図式が、はからずもマスコミや国会議員の力によって国民の前に露わになったからである。

問題が明るみになって苛立った西川氏は、記者に逆上して、「失礼なことをいうな!」と、怒声を浴びせかけたこともある。

鳴り物入りの郵政民営化に対して、この程度の人物しか選べなかったところが国民の不幸だったのである。公平に物事を進めるためには、自分の利益を優先したり、自分の主観で判断することは絶対に避けなければならない。かつての第二次臨調の土光敏夫会長のような人間がいないことが、なんとも惜しいと思う。

しかし、日本郵政の後任社長に鳩山政権が持ってきた人間が「斎藤次郎・元大蔵次官」というのもこれまた滑稽譚である。“陰の総理”小沢一郎氏の盟友で、かの細川政権が瓦解するきっかけになった深夜の国民福祉税構想発表をやってのけた剛腕事務次官である。

私が雑誌のデスク時代、「むかし陸軍、いま総評」「むかし東条、いま斎藤」という言葉を霞が関で聞いたのは90年代の前半ではなかっただろうか。それだけの異名が奉られるほど斎藤氏は“ミスター官僚”“官僚の中の官僚”だったのである。

官僚、そして天下りと全面対決するはずの鳩山政権が、よりによって細川政権を崩壊せしめた官僚の中の官僚であり、“小沢の盟友”を引っ張り出したのである。

「あーあ」。国民の溜息は2日つづいてしまった。

土光さんが唱えた「増税なき財政再建」「中央・地方一体になっての行革推進」がなつかしい。90兆円を超える一般会計と、50兆円近い国債発行という“バラまき政権”が誕生した今、土光さんが生きていたらどんな感想を漏らすだろうか、是非聞いてみたいと思う。そして、果たして鳩山政権がどこまで子孫にツケをまわすか、じっくり監視していきたいと思う。

さて、明日から私は台湾と金門島に再び取材に出る。現地レポートをご期待ください。

カテゴリ: 政治, 随感

「時間の流れ」の違い

2009.10.06

今日は、花巻からJR釜石線に乗って、はるばる釜石までやって来た。釜石線の愛称は、銀河ドリームライン。前身である岩手軽便鉄道が、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』のモデルと言われていることに由来する。

釜石は、かつて、新日鉄の“城下町”として栄え、人口が十万人を超えたこともある東北有数の都市だった。新日鉄の関連で働く人は最盛期には数万人にも達したらしいが、今では十分の一にも満たない。製鉄所の高炉の火が消えると同時に釜石という町の灯も消えてしまったのである。

花巻から2時間も列車に揺られた私は、この最果ての町に降り立った。「鉄のふるさと釜石へようこそ」の駅の垂れ幕に迎えられた私は、かつての新日鉄釜石ラグビー部が汗を流した松倉グランドへと赴いた。

兵(つわもの)どもの夢の跡は、ひっそりとしていた。地獄の猛練習を繰り返して、叩き上げの東北の高校ラガーマンたちを“日本一のラガーマン”へと成長させていったこのラグビーの聖地は、北上山系の山々に見下ろされ、再び栄光の時代が訪れることを静かに待っているかのようだった。

ロックの瀬川、スクラムハーフの坂下など、V7戦士で今も釜石に残る選手は少ない。ラガーマンの取材もここで打ち止めだ。今も寡黙でニヒルなスクラムハーフ・坂下功正さんの話を伺いながら、はてV7の栄光はついこの間の出来事ではなかったか、という錯覚に襲われた。

釜石からの帰路、車窓の外の田園風景に目を奪われる。すでに稲刈りが終わった田と、絨毯を敷きつめたように黄金色の稲が溢れる田……それは、まるで時間の流れが止まったかのような風景だった。

東京とは明らかに時間の流れ方が違う――窓の外を見ながら、私にはこの地の「時間」が妙に羨ましく感じられた。


カテゴリ: ラグビー, 随感

吹き抜けていた東京湾の潮風

2009.09.24

昨日は、大学時代のサークルの集まりがあった。中央大学の「グループH」というサークルで、中大では最もマスコミ・ジャーナリズム界に人材を送り出してきたサークルである。

私も大学時代、2年からこのサークルに属していた。当時の仲間20人ほどが、顧問だった小谷哲也氏のマンションに集まり、50歳前後になった“元若者”が真っ昼間から酒を酌み交わした。

芝生のバーベキュー会場まで持つ高級マンションは珍しい。80歳近くになり、肺を悪くしている小谷氏は、鼻に酸素ボンベのチューブを通しての参加である。一見、悲壮な感じだが、ご本人は至って意気軒高。逆に参加者たちを昔と同様、盛んに叱咤していた。

小谷氏曰く、「“集まる”ということが重要なんだ」。何かがあれば「集まる」。確かに昔からこのサークルは、ワイワイガヤガヤ、何かがあれば集まっては、議論し、面白がり、そして協力し合ってきた。

卒業後30年近く経つのに、今も何かがあるたびに集まっているのだから、現役の学生たちから見たら、なんともヘンな集まりだろう。髪の毛がすっかり白くなったオジサン・オバサンたちの中には、拙著「康子十九歳 戦渦の日記」や「なぜ君は絶望と闘えたのか 本村洋の3300日」等々を読んでくれている人もおり、さまざまな感想を聞かせてもらった。大いに参考になると共に、やり甲斐を頂戴した次第である。

上に上がれば、レインボーブリッジも一望でき、バーベキュー会場には東京湾の潮風が吹き抜けていた。海外取材から帰って間もない私にとって、初めてシルバーウィークなる「休日」を実感できる一日となった。

カテゴリ: 随感

記者の基本は何か

2009.09.20

今日は二人の人物が事務所を訪ねてくれた。

一人は、明石元二郎・元台湾総督の孫で、今上陛下のご学友でもある明石元紹さん。次回のノンフィクション作品で重要な役割を果たしてくれる人物だ。

歳を感じさせないお元気さと洞察の鋭さは相変わらずで、今日も単行本執筆の際に役立つエピソードを沢山教えてくれた。来月下旬には、私と一緒に訪台することになっている。

夜は、某テレビ局に内定した早稲田大学野球部の4年生部員が内定の報告に来てくれた。シャンパンを開けて彼の前途を祝した。

私はジャーナリズム論やマスコミ突破のための面接・作文などを時々、大学等で講義しているので、この時期が来ると、マスコミに内定した学生たちが報告に来てくれる。嬉しい限りだ。

記者の基本は「人に好かれること」である。ネタ元ができるかどうか、すべてはその記者やディレクターの「人間性」による。今年マスコミに内定した学生たちは、そのことを忘れず「人間性」を磨いていって欲しいと思う。

話は変わるが、私はシルバーウィークという今回の連休がどうもよくわからない。無意味に休日だけをつくってこの国は一体どうするんだろうか。

「休み」だから事務所を人が訪ねてきてくれるのだろうが、それにしてもいつも原稿や取材整理に追われ、「休暇なし」の私にとって、こうした連休は迷惑そのもの。「働きすぎ」と「休みすぎ」のバランスをうまくとる方法はないものか、といつも私は考えてしまう。

カテゴリ: 随感

38年ぶり「同窓会」

2009.08.16

昨日は小学校卒業以来の“初めて”の同窓会があった。50歳の大台を迎えたかつての悪童、悪女(?)たちが高知県安芸市の山登家旅館に集まり、時が過ぎるのを忘れて酒を酌み交わした。

白髪が目立つものもいれば、すっかり禿げ上がったのもいる。歳を感じさせない若さを発散するパワーの持ち主もいる。38年という年月が乾杯の瞬間に一気に吹き飛んだ。

わざわざ金沢から駆けつけてきた友人は、その昔、喧嘩が一番強かった。多くの武勇伝を持つ男だ。一つ一つのエピソードに笑いと懐かしさが込み上げた。

“美女軍団”とも時を忘れて話し込んでしまった。さすがに小学校の時とは印象が変わり、かつて抱いていたイメージとの乖離に、驚かされる場面もあった。

昨日は64回目の終戦記念日。靖国参拝、戦没者追悼式典など、歴史を振り返り、先人の犠牲のもとに現在の繁栄が成り立っていることに日本人が思いを馳せる日でもある。戦没者追悼式典に出席された天皇陛下もさすがにお歳を感じさせる足取りが目についた。

38年ぶりの同窓会に集った我々など、まだまだ「若僧」に過ぎない。私たちの世代にこそ、「歴史を語り継ぐ」役割が課せられている。そんなことをしみじみ感じさせられた一日だった。

カテゴリ: 随感

原爆記念日に想う

2009.08.07

今日は、早朝からニッポン放送「上柳昌彦のお早うGoodDay!」にゲスト出演した。裁判員裁判第1号の判決を受けて、4日前に続いての出演である。

昨日は、原爆記念日でもあり、また裁判員裁判第1号の判決の日でもあり、意義深い1日だった。拙著「康子十九歳 戦渦の日記」(文藝春秋)もフジテレビの「ザ・ノンフィクション」で取り上げてくれたこともあり、原爆記念日と相俟って反響が大きくなっている。本日、文藝春秋から重版の朗報も届いた。

一発の原爆が生んだ悲劇を康子さんの日記は克明に記している。粟屋家を襲った64年前の悲劇と、戦時下の青春群像を描かせたもらった私は、この日をいつもの年以上に厳粛な気持ちで迎えたのである。

64回目の原爆記念日は、日本の司法にとっても画期的な1日でもあった。国民注視の中で裁判員裁判で判決が出たのだ。検察側の懲役16年に対して判決は「懲役15年」。これまでの官僚裁判官制度ならば、「求刑の8掛け」というのが相場であり、懲役12年か13年という判決が下されていたに違いない。

しかし、新しい裁判員裁判では、日本の司法の悪弊であるこの“相場主義”が見事に打破されたといえる。正義を見失った日本の官僚裁判官に対して痛烈なアンチテーゼとも言えるこの制度。生まれたばかりのこの制度を国民が今後どう生かしていくのか、注目したい。

今日は、午後、「新潮45」の連載「スポーツドキュメント“あの一瞬”」の取材で那須塩原温泉まで行ってきた。昭和38年9月場所の大鵬vs柏戸全勝対決の秘話を取材するためである。

和泉屋旅館の田代社長には、本日、随分お世話になった。この日の取材で得られた知られざるエピソードを是非「新潮45」誌上でご紹介したい。

明日からいよいよ甲子園開幕。今年はどんなドラマが生まれるのか、グランドを凝視していきたい。


カテゴリ: 司法, 随感

フジ「ザ・ノンフィクション」500回記念で「康子19歳」放映

2009.07.31

あさって「8月2日(日)午後1時45分~」、フジテレビの「ザ・ノンフィクション」が500回の記念番組を迎える。

バラエティー番組ばかりが幅を利かすテレビ界で、硬派のジャーナリズム路線、いや「人生、人情、愛」路線を頑なに守ってきた番組だ。

「日曜の昼間にサラリーマンが見られるドキュメンタリー」を目指して平成7年10月にスタートして500回。その記念番組に拙著「康子十九歳 戦渦の日記」(文藝春秋)が選ばれた。

本自体は3週間前に発売されたので、徐々に私のもとに反響が寄せられている。「驚いた」「今の若い人に読んで欲しい」というものが多い。

粟屋康子さんの短かった人生。しかし、その生きた証(あかし)が今も海の向こうの台湾で「赤いバラ」となって生き続けている奇跡。毅然とした日本人と、生と死の狭間で生きた太平洋戦争下の青春群像を少しでも多くの方に知っていただければ、と思います。

きっと勇気をもらえると思います。是非ご覧ください。

カテゴリ: 歴史, 随感

「特選 天国に誓う白球」放映

2009.07.18

いよいよ夏の甲子園の予選も佳境に入ってきた。全国で甲子園を目指して死闘が繰り広げられている。汗と涙の季節がいよいよ本番だ。

そんな中、明日(19日・日曜日)午後1時45分からのフジテレビ「ザ・ノンフィクション」で1時間にわたって「特選 天国に誓う白球」が放映される。

4年前、私がプロ野球界伝説の打撃コーチ・高畠導宏さんの生涯を描いた「甲子園への遺言」(講談社)を出版した時、フジテレビがドキュメンタリー「天国に誓う白球」を制作・放映してくれた。感動のドキュメンタリーで、多くの視聴者から絶賛の声が寄せられ、やがてそれがNHK土曜ドラマの「フルスイング」につながっていった経緯がある。

その「天国に誓う白球」から4年を経て、関係者の“その後”も追い、「特選 天国に誓う白球」を今回、放映してくれるのである。フジテレビの味谷和哉チーフ・プロデューサーや制作プロダクションの大島新プロデューサーと田村慎平ディレクターという“手ダレ”が揃ってつくってくれたドキュメンタリーだけに、観る側に感動と希望を与えてくれる内容になっている。

がむしゃらに前進していくことが「人間にとって」いかに大切なことか。そのことを思い出していただければ、と思う。是非、チャンネルを合わせてもらいたいものだ。

カテゴリ: 野球, 随感

「康子十九歳 戦渦の日記」発売

2009.07.10

いよいよ本日から拙著「康子十九歳 戦渦の日記」(文藝春秋)が発売になった。取材をスタートさせて4年近くを要した、私にとって初の歴史ノンフィクションである。

主人公は東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)附属専攻科の女学生・粟屋康子さん。時は戦争末期、昭和19年から20年である。東京・十条の第一陸軍造兵廠に勤労動員された康子たち女学生と、同じくここに動員されていた中大予科の男子学生たちの青春群像を描いたものだ。

「特攻に行く人は誇りです。しかし、それを強いるのは国の恥だと思います。特攻はあくまで目的であって、手段であってはならないと思うの」――これは、康子さんが特攻を志願しようとする中大予科の学徒に向かって語った言葉だ。

私は、康子さんの日記に記されていたこの言葉に衝撃を受けた。誰もが「国のために」と一心不乱に働いた戦争末期、康子もまたそうした“軍国少女”の一人だった。しかし、彼女には、命をもって敵艦に突っ込んでいく特攻を「誇り」と捉え、同時に「国の恥」とも見る理性と感受性があった。そして、人間の命というものに対する愛惜の情があった。

死と隣り合わせの時代に生きた若者たちは何を考え、どう死んでいったのか。私は、彼女の妹・徳山近子さんが60余年にわたって大事に保管してきた康子さんの日記によって、これまでほとんどわからなかった当時の若者の真実の思いを知ることができた。

この4年近く、私は、康子さんの日記に記されていた人間を訪ね歩いた。多くが80代の老境を迎えていたが、彼らの口から語られる「人間」と「時代」への思いは感動の連続だった。

原爆で即死した粟屋仙吉広島市長(ゴー・ストップ事件の時の警察側当事者=大阪府警察部長=)の次女だった康子さんは、原爆を受けてなお生き残った母親を助けるために、東京から焦土と化した広島に向かう。

広島で二次被爆する康子さんは、「日本の未来」と「家族の愛」をなにより信じた乙女だった。彼女が残した日記や手紙は、涙なしでは見られない。私は拙い筆ながら、それらの文献と取材をもとにこの歴史ノンフィクションを一気に書き上げた。

是非ご一読ください。

カテゴリ: 歴史, 随感

野球談議と「永田町」

2009.07.07

昨日は、92年夏の甲子園に出場した明徳義塾の投打の柱だった河野和洋さんと岡村憲二さんと飲んだ。有名な「松井の5敬遠」で話題をさらった時の明徳義塾のメンバーである。

場所は、浅草橋の「四国のげんさん」という居酒屋。四国出身の津川さんというご主人が豪快な魚料理を出してくれる楽しい店だ。津川さんは、現在、パ・リーグの審判をしている元ヤクルトスワローズの津川力さんのお父さんだ。父子鷹で、長く野球をやってきただけあって、野球のウラオモテに精通している。

現在、河野さんは森田健作・千葉県知事が率いるクラブチーム「千葉熱血MAKING」の監督兼3番バッター、岡村さんは明治安田生命野球部のヘッドコーチを務めている。

野球の最前線でばりばり活躍している二人だけに、小生と津川さんが加わって、有意義な野球談議となった。今度、明徳義塾の「松井5敬遠」に関してドキュメントを書かせてもらうので、その面でも大いに参考になった。

日付がまわった頃、場所を新宿に移して、河野さんと「2次会」、「3次会」をやってしまった。朝まで開いているゴールデン街の飲み屋をハシゴして、すっかり朝になるまで飲み続けてしまった。スポーツをやり抜いた猛者との飲み会はやはり楽しいものである。

そんな中、永田町のテンヤワンヤはもはや収拾不能状態に。自民党による東国原大分県知事への出馬要請は完全に裏目に出ているし、自民党内は、「都議選に惨敗したら、総裁選前倒しは必至」と、総裁候補が誰になるか、ソワソワして“心ここにあらず”だ。

昔も今も、政治家の習性とは、「勝ち馬に乗って、いいポストにつく」ことだ。どう“ポスト麻生”の総裁候補を見極めるか、政治家としての“出世”と“生き残り”がかかっている。

選挙まであとわずか。都議選の結果を含め、「波乱」がもうそこまで来ている。

カテゴリ: 政治, 随感

“バカ”になりきることができるか

2009.06.28

今日は、今週観られなかったテレビ番組をまとめていくつか観た。平日の夜は、締切や会合でどうしても番組を観ることができないので、週末に録画してあったものをまとめて観ることになってしまう。

おもしろかったのは、金曜日(6月26日)の夜にNHKの「特報 首都圏」でやっていた「俺たちの学び舎〜東京大学応援部〜」だ。

連戦連敗のチームを応援し続ける東京大学応援部の中にカメラが入って、そこで活動する学生たちの姿を追った番組である。

東大だから応援部といってもそれほどキツくないだろう、などと考えるなかれ。掌(てのひら)の皮膚が裂けるまで練習する過酷さ、どれほど頑張っても上級生のおしかりと厳しい指導が待つ辛さ……番組を観ながら、なぜこんなところにわざわざ身を投じるのだろう?と首を傾げる人も少なくなかったに違いない。

実は、東大応援部の団長である小田くんとは、先月、「甲子園会」というコアな野球人たちの集まりで一緒に飲んだばかり。彼が番組に出るかと思って注意深く観ていたら、彼よりも同じ4年の「リーダー長」を中心にした番組だった。

そのリーダー長の迫力と、下級生の必死さに、おもわず見入ってしまった。連戦連敗のチームをひたすら応援しつづけ、試合に負けたのは「自分たちの応援が足らないせいだ」と反省する応援部員たち。

汗を迸らせながら、叫び、泣き、走る姿に、圧倒される。しかし、観ているとやはりハッとさせられるものがある。人間ここまで“バカになりきれるものか”ということだ。

理不尽を絵に描いたような上意下達の、いや、徒弟制度以下の奴隷制のような中で、ひたすら、礼儀と上下関係を重んじ、真正面から勝利を信じ、見返りを何ひとつ求めず、大の男が、ただひたむきに応援に没頭するのである。

ひとつのものにここまで賭けることのできる青春群像。言い訳や甘えの中に逃避し、閉じこもる若者ばかりになってきた現代の世相とのあまりの乖離(かいり)ぶりに、ふと、考えさせられてしまった。妙に彼らの必死さが、清々しく感じられてしまったのだ。

ひとつのことに打ち込み、突き進むパワー。ひょっとしたら、今の日本の若者に最も欠けているのは、“バカになりきること”なのではないか。そんなことを考えさせてもらった。

さて、明日から北陸出張(石川)だ。「新潮45」のスポーツドキュメン「あの一瞬」の取材だ。こちらも、若者に負けてはいられない。ひたすら「突き進む」だけである。

カテゴリ: 随感

「書くこと」の喜び

2009.06.24

昨夜はあるパーティーに出席させてもらった。「母(があ)やん」を処女出版した川奈凛子さんの出版記念の宴だ。

日本橋の高層ビルのパーティー会場には、紳士淑女(?)が多数集まっていた。川奈さんは、小生の大学の先輩でもある元特捜検事の妹さんだ。丸山さんというその特捜検事は、のちに弁護士となり、バブル紳士華やかなりし時に、弁護士として辣腕を振るった。

私が出版社勤務の頃から丸山弁護士と川奈さんには大変お世話になった。お二人は、私のことを独身だと思い込んでいたようで、若い時に、お二人に「お見合い」をさせられたこともある。私は結婚指輪というものが嫌いで、それをつけたことがないので、おっちょこちょいのお二人は小生を独り身と誤解して、お見合いの場を設定してくれたのだ。

そうとは知らずレストランに行ってみると、そこには妙齢の某大手新聞社の女性記者が来ていた。話がなんとなくおかしいので、これは見合いなのではないか、と思って、あとで「オレ、既婚で子供もいるんだけど……」とお二人に言って大笑いになった。ちなみに私にとっては、それが生涯たった1度のお見合い体験だった。

その丸山弁護士も何年か前に病気で亡くなった。東京女子医大に見舞いに行った時の寂しそうな丸山弁護士の表情が忘れられない。

川奈さんは赤坂で「川奈」という小料理屋をやるようになり、そこにもよくお邪魔した。川奈さんには二人の娘さんがいて、この美女二人が店を手伝っていたものだから、店は大いに繁盛していた。パーティー会場で久しぶりにお会いしたが、相変わらずの美しさだった。

川奈さんがその店をたたんでまで賭けた処女作である。是非、多くの人に読んで欲しいと思う。パーティーで私はスピーチをさせられたが、そこで「デビュー作の大切さ」を言わせてもらった。

私は、処女作の「裁判官が日本を滅ぼす」も、出版社独立後第1作目となった「なぜ君は絶望と闘えたのか-本村洋の3300日」も、幸いにマスコミが取り上げてくれたおかげで話題となり、うまく“離陸”することができた。離陸さえできれば、あとはなんとかなるものだ。

自分が書いた本ができ上がることぐらい嬉しいことはない。その喜びとやり甲斐は、経験したものにしか、わかってもらえないと思う。

川奈さんは今回、その素晴らしさを知ってしまった。この魅力に取り憑かれて、きっとひたすら「書きつづける」だろう。努力と精進で、素晴らしい作品を次々生み出していって欲しいと思う。

カテゴリ: 随感

「講師を囲む会」と締め切り

2009.06.19

今日は、月刊誌の締め切りと明治大学での基礎マスコミ講座の「講師を囲む会」の予定が重なった。

締切の合間に抜け出して、午後6時半に御茶ノ水の明治大学リバティタワー23階の会場に着くと、講師陣およそ10名と、基礎マスコミ講座の学生たち約100名がひしめいていた。立食形式のパーティーである。

講師であるマスコミ各社の第一線ジャーナリストたちに挨拶する間もなく、私はスピーチに「指名」されてしまった。

大慌てで壇上に上がり、スピーチした。昨年のこの会では、私は25年間勤めた出版社から独立したばかりだった。もう10年近く講師をさせてもらっているが、やはり違う立場での講義は新鮮だった。

年々、学生たちの実力も意識も充実してきているように感じるのは気のせいだろうか。私は、講演でたまに地方に行くが、その地に必ずこの明治の基礎マスOBがいる。そこでよもやま話をしたり、飲みに行くこともある。この講座がマスコミにしっかり根を張り、大きなネットワークになっていることを感じることが多くなった。

人脈がいかに大切か、そして、そういう交友の中からこそ「スクープが生まれていく」ことを話させてもらった。また、物事の「本質」を見る眼の大切さを大学時代に学んでいって欲しいという私の希望も言わせてもらった。

スピーチのあと、心配していた学生が無事、就職が決まったことがわかった。なかなかやり手の女子学生だ。男子学生より、女子学生の方が何事にも積極的だが、彼女はなかなか就職が決まらなかった。「先週、やっと希望のところに内定が出ました」と報告を受け、ホッとした。

そのあと私のまわりに来た学生の中には今年1年生になったばかりの女子学生もいた。高校生といってもおかしくない。聞くと、まだ18歳だという。

大学というのは学問をするところだけではない。学外の経験こそ、人間を鍛えてくれる。特にマスコミに入るには優等生でいる必要はない。これからのキャンパスライフで、大いに経験し、大いに議論していって欲しいと思う。

この中から、希望通りマスコミの門を叩く人間がどのくらい出るのか、楽しみだ。もちろん講師として、微力ながらそのために「役に立つ」講義をさせてもらうつもりである。

がんばれ明治の学生たち!

カテゴリ: 随感

“改革”とは何だろう

2009.06.15

なぜ国民は怒らないんだろう。不思議に思っていたら、そうではなかった。国民はやはり「怒っていた」のだ。これを報じる側のマスコミの方がおかしかったことが、やっと明らかになってきた。

毎日新聞が今回の鳩山更迭劇のあと6月13、14日に実施した全国世論調査で、麻生内閣の支持率が前回調査から5ポイントも急落し、19%になったことを伝えている。

日本郵政の西川善文社長の進退問題で鳩山邦夫前総務相を更迭した麻生首相の判断について、「評価しない」という回答が67%を占め、「評価する」は22%にとどまったというのである。

およそ7割の人が麻生首相の判断が間違いであると認識していたのである。その数字を見て、私は少しホッとした。なぜ国民はこの問題に怒らないんだろう、と不可思議でならなかったからだ。

いうまでもなく郵政民営化は、これを争点に総選挙までおこなわれ、国民注視の中でおこなわれたものだった。しかし、今年になって次々と明らかになった事態は国民を絶句させた。公正におこなわれるべきその「財産の処分」が不透明としかいいようがなかったのである。

典型的なのが「かんぽの宿」売却問題だ。総額で約2400億円もの巨額の建設費をかけた施設を、20分の1にも満たない約109億円で売り飛ばそうとしていたのだ。

もっともわかりやすい例が、「かんぽの宿 鳥取岩井」の売却劇である。「レッドスロープ」なる東京の不動産会社に「1万円」で売却されたこの施設は、直後に福祉法人に「6000万円」で転売され、現在、改装されて老人ホームとして立派に運営されている。

この「1万円売却」「6000万円転売」を知った関係者は「いったい背後に何があったのか」と仰天した。マスコミがその不動産会社の住所に行ってみると、そこは幽霊会社で、しかも、設立間もない会社だったからである。

そもそもそんな会社が入札に参加できること自体がおかしな話で、国民の“最後の財産”ともいうべき郵政資産にハゲタカたちがあの手この手で近寄り、貪り食っていた図が、はからずも国民の前に露わになってしまったのである。

この問題の解明は、実はストップしたままだ。社長である西川氏がそのまま居座っているからである。彼がいなくなれば、その過程でおこなわれていたことが白日の下に晒される可能性がある。彼らにとっては、「それはどうしても避けなければならない」ことだろう。

そこに、万難を排しても「西川社長が続投する」必要性があった。小泉・竹中連合も必死だ。彼らは、「郵政民営化に逆行してはいけない。改革を断行しよう」と、得意の論理のすりかえで対抗し始めた。それに「乗った」のがマスコミである。

「西川続投」と「郵政改革」はなんの関係もない。西川社長でなければ郵政改革はできないのか、という話だからだ。そんなバカなことはない。これは国民の財産が「不正に」売っ払われることを許すか許さないか、という極めて単純な問題であり、こういう不正が明らかになった上に、なお社長の地位に居座ることを許すか許さないか、という日本人の「けじめ」と「倫理」の問題なのである。

呆れ果てた麻生首相の決断に国民は「怒っていた」。おかげで「西川続投」を当然と捉えていたマスコミの論調も今日あたりから変わり始めている。

問題の核心にやっと気づき始めたのだろう。本質を見抜けないマスコミ・ジャーナリズムより、国民の方がよほど鋭敏な感覚を持っている。

「“改革”とは何だろう」と、つくづく思う。

今の日本は、「カラスが鳴かない日はあっても、政治家が“改革”を叫ばない日はない」と言われる。私は、“改革”を叫ぶ人間に対しては、まずウラに何があるのかを考えてみることにしている。利権であったり、私欲であったり、今の日本で、「改革」を声高に叫ぶ人間には、なにか別の目的がある例があまりに多いからだ。

物事の本質を見ようとする目。なにより大切なのはその姿勢だ。“混迷”としか表現しようのない価値観の乱れの波間を彷徨っている日本で、今、国民のより透徹した目が求められている。

カテゴリ: 政治, 随感

悪いのは鳩山大臣か?

2009.06.06

昨夜は、マスコミ関係者が集まって私を「励ます会」をやってくれた。といっても、私を酒の肴にして10人ほどが集まった単なる飲み会である。

店は、新宿2丁目にある奄美の焼酎の店。書籍編集者、雑誌編集者、ジャーナリスト、カメラマン、週刊誌記者、スポーツ紙記者……などが集まり、ガヤガヤと時を過ごした。それぞれが追っているネタがあり、話題もあっちへ行き、こっちへ行き、だった。やはり業界の飲み会は楽しいものだ。

2次会では、夜中2時まで飲んでいたが、そこで失礼した。ここのところ朝まで飲む機会が多く、さすがに疲労が蓄積している。月刊誌の締切を迎えているので、朝までというわけにはいかなかった。

それはそうと、鳩山邦夫総務相が「西川善文日本郵政社長の続投は認めない」と当然のことを言っても、党内にまで反発があるというから驚く。国民の財産が“ただ同然”で特定業者に売却されるという現代の官有物払下げ事件の責任者が、「責任をとる」どころか「続投」しようというのだから、呆れる。

ジャーナリズムもなぜか矛先は、鳩山大臣に向かっている。おいおい、あの「かんぽの宿」問題の時の怒りを忘れたのかい?

マスコミよ、筋を通せ。

カテゴリ: 随感

学生の熱い視線

2009.06.02

昨日は、明治大学の基礎マスコミ研究室の講義に和泉校舎に行ってきた。あらかじめ与えられていたテーマは、「現在の出版事情について」だったが、ちょうど裁判員制度が始まったこともあって、まず司法問題から入った。

大教室はほぼ満杯。熱心な学生が多く、私の逆質問にも鋭い答えが返ってきた。「なぜ国民の手を借りなければならないほど司法は堕落したのか」ということを実例を挙げてわかりやすく講義すると、熱い視線と共に耳を傾けてくれた。

そのあと、出版事情や、ボーナスが何割もカットされている大手マスコミの現状を説明すると、ほとんどの学生がマスコミ志望だけに、これまた関心度は高かったと思う。

講義のあと、数人の学生と明大前の居酒屋へ。大新聞に無事、内定を出した4年の女子学生も加わって、ワイワイがやがやと、ひと時を過ごした。歴史からジャーナリズム、さらには男女問題まで、話はあっちこっちに飛んだ。やはり若い人と話すと新鮮だし、いろいろと書く上でためになる。

また本日は、一転、秋川まで「新潮45」のスポーツドキュメントの連載の取材で行ってきた。取材対象は、明治安田生命野球部の岡村憲二コーチである。明徳義塾から専修大学を経て明治生命に入社した岡村コーチは現役時代、力強さと左右に打ち分ける巧さを併せ持つ好打者だった。

岡村氏は、明徳の馬渕門下生である。明徳時代の地獄の猛練習や、野球に対する深い思いを聞かせてもらった。取材結果は近く、「新潮45」の連載で書かせてもらうつもりだ。

明日も取材が立て込んでいる。当分、息をつく暇はなさそうだ。

カテゴリ: 随感

「ハリー・ポッター」の風景

2009.05.29

昨日、事務所を古い友人が訪ねてくれた。イギリスのヨークに住むK女史で、かつて帝国データバンクに勤めていたキャリアウーマンである。

情報・資料面でいろいろお世話になった頃から20年近く経過したが、いまだに交流が続いている。昨日は、久しぶりに日本に帰国したので、イギリス人のご主人も一緒に、私の雑然とした事務所を訪ねてきてくれた。

久しぶりなので話はあっちこっちに飛んだが、イギリスの自宅の映像をグーグルのストリート・ビューで見たり、すっかりイギリス旅行をした気分になってしまった。まるで、映画の「ハリー・ポッター」に出てくる風景そのままだった。いながらにしてイギリスの自宅の映像が見えるなど、すごい時代が来たものである。

夜は、7月に出版するノンフィクション作品について、担当編集者Sさんと某民放キー局のプロデューサー、制作プロダクションのプロデューサー、私の4人で、打ち合わせ兼飲み会となった。

昭和19年から20年にかけて戦時下の若者の姿を描く歴史ノンフィクションだ。この作品に対するそれぞれの熱い思いを聞けて、勇気が湧いてきた。

発売は7月10日、出版社は文藝春秋である。是非、多くの人に読んでもらいたいものだ。


カテゴリ: 随感

ゴールデンウィークと豚インフルエンザ

2009.05.01

わいわい、そわそわ……この時期の東京を表現すると、そんな言葉がふさわしいだろうか。ゴールデンウィークの真っ只中、しかも明日から「5連休」に突入するとあって、街を歩く人それぞれが、妙に浮き浮きしているのである。

今日、九段で某社の編集者Oさんと打ち合わせをしたが、Oさんは普段のネクタイ姿ではないラフな格好の上に“でっかいマスク”をしていた。「豚インフルエンザではありませんので、ご安心を」と、Oさんは開口一番そう言った。

Oさんが豚インフルエンザだったら、「2メートル以内」に近づいた私はさっそく「隔離」ということになる。それは困る。7月に出版する歴史ノンフィクションの「締切500枚」が6日後に迫っているのだ。ここのところ徹夜、徹夜の連続だが、まあ、なんとかなるだろう。

豚インフルエンザも心配だが、これから気温がだんだん高くなっていく時期であったことはありがたい。爆発的流行は「気温20度以下」の方が、可能性が高いそうだ。

今回の騒動、6年前のSARSの時と似ている。あの時、ちょうどゴールデンウィークに台湾に取材に行った私は、台北のSARS騒動に巻き込まれてしまった。

滞在していたホテルが、その騒動の発端となった中華路の台北市立和平医院に近かったからである。連日、テレビが「和平医院 隔離人員“情緒崩壊”!」と、泣き叫ぶ隔離患者たちの姿を映し出していたのを思い出す。

一方、生き馬の目を抜く「兜町」は、各企業の決算発表時期を迎えている。豚インフルエンザ関連株を物色しようという連中が、「決算自体が悪かったら、せっかく(株を)仕込んでもパーだよ」と嘆きながら、さかんに蠢いている。

東京のゴールデンウィークはおもしろい。

カテゴリ: 随感

草彅事件の興味深い「反応」

2009.04.25

SMAPの草彅剛の逮捕騒動は、おもしろかった。ただし、おもしろいのは、彼がとった行動ではなく、それに対する「反応について」である。

鳩山邦夫総務相が、「最低の人間だ。絶対に許せない」と顔をこわばらせて記者たちに言い放った時、「おいおい大丈夫か?」と思った人は少なくないだろう。

政治家の言葉は決して軽いものではない。まして鳩山氏は現職の閣僚である。日々、「言葉」をもって国民にメッセージを伝えるのが彼の仕事だ。その政治家が、あえて言わせていただくと「この程度のこと」で「最低の人間だ。絶対に許せない」という表現を使ったのである。

最大級のこの表現で草彅を非難した鳩山氏。さてこの人は、もし金正日が日本列島のどこかにテポドンをブチ込んだら、果たしてどんな言葉を使って金正日を非難するのだろうか。酔っ払って騒ぎ、逮捕された草彅の犯罪でこれだけの言葉を発するなら、さぞテポドンで国民の間に犠牲者が出た時、国民のために「ものすごい言葉」を探し出してくれることだろう。

そう思っていたら、やはり政治家のあまりの「言葉の軽さ」に怒り心頭の国民から抗議の電話が殺到したのだろう。発言翌日には、恥も外聞もなく鳩山氏はこれを撤回してしまった。

この事件に関するなら、鳥越俊太郎氏のコメントも啞然としたのではないか。テレビで鳥越氏が「午前3時の公園で誰もいないところでしょう。公衆の面前じゃないんだから公然わいせつにはならないと思う。逮捕までしなくてもいいのでは?」と発言したという。

住民からの110番で出動して「公然わいせつ」のうえ夜中に騒いでいる男、しかも「全裸でなにが悪い!」と警察官に抵抗する男を、逮捕しなくていい、というのはどういう感覚なんだろうか。

鳥越氏は、そのままその男を放置して、警察は「身柄の確保を放棄しろ」と言いたかったのだろうか。しかし、そこで「犯罪」が再発したら、その警察官こそ職務放棄として「警察官失格」ではなかったか。

相手がスターだから、と妙に同情したり、迎合するコメントを発する「ジャーナリスト」は、なんだか恥ずかしい。

カテゴリ: 随感

歴史に埋もれている「日本人」

2009.04.20

11月に出版する歴史ノンフィクションの打ち合わせに某社の編集者Tさんが事務所に来た。ほぼ同世代、1980年代からの旧知の編集者である。

当時は、ともに週刊誌業界にいた。業界が活気に溢れていた頃だ。雑誌の雄・週刊新潮が今回のようなお粗末な虚報をやってしまうことなど、当時なら考えられなかっただろう。編集力の劣化がいかんともしがたいところに来ていることは衆目の一致するところだ。

Tさんとは、お互い記者仲間だっただけに必要最小限の打ち合わせ以外はやらない。「ジャーナリスト同士、がっちりいこう」――口には出さずともわかっているはずだ。

とにかく突き進むしかない。歴史に埋もれている「毅然とした日本人」を描こう。そのためには、夏の海外取材をなんとしても成功させたい。

がんばりましょう、Tさん。

カテゴリ: 随感

国の名誉を背負う「時」

2009.04.07

本日、ヤンキースの松井秀喜が初の開幕4番でホームランを放つというニュースが飛び込んできた。じっくりキャンプで調整し、満を持しての開幕戦だった。一方、マリナーズのイチローは、胃潰瘍で開幕から戦線を離脱している。両方のニュースを聞いて、皆さんはどちらに「感動」を覚えるだろうか。

イチローと共にWBCを闘ったマリナーズの同僚、城島選手によれば、「(WBCの)2次ラウンドからイチローさんは“よく眠れない”と言っていました」という。決勝戦の最後の最後に「優勝を決めるタイムリー」を放ったイチローだが、それまでの不振ぶりは確かに見ていて痛々しいほどだった。

事実、何度も「心が折れそうになった」とイチロー本人が語っている。あれほどの名選手が、そこまで思い詰めてプレーしていたのである。自分のチームからは「WBCに選手を出さない」球団があったり、自ら「WBCには出ない」と広言する選手もいたり、また、自チームの若手に経験を積ませるために、有力選手を落として実力のない自軍の選手を選出する監督がいたり……感動と共にいやなことも少なくなかったWBCだった。

しかし、そんな中、イチローは胃から出血するほどのプレッシャーを受けながら、懸命に闘っていたのである。イチローがそこまで日の丸を背負う重さを示してくれたことは、今後のWBCの日本チームに、はかり知れない影響を与えるのではないか。人間の責任感、そして祖国愛は、やはり美しい。イチローはそのことを教えてくれた。

カテゴリ: 国際, 随感

ノンフィクション冬の時代の中で……

2009.04.06

今日は、第40回の大宅壮一ノンフィクション賞の受賞作発表の日でした。拙著『なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日』(新潮社)が最終選考の「4作」の中に残っていたのですが、僅差で落選になりました。

この作品は、光市母子殺害事件の遺族である本村洋さんがいかに「絶望」と闘ったかを描きながら、本村さんが問いかけた「正義とは何か」「法とは何か」、そして「人間にとって罪と罰とは何か」という根源的な問題について私なりに迫ったものです。

読者の皆さまからたくさんの励ましや感動のお手紙をいただき、発売以来、12万部を超すベストセラーに育ててもらいました。現在、映像化の話も来ており、反響の大きさに、筆者である私も、そして当の本村さん自身も驚いております。

今回は残念ながら僅差での落選となりましたが、ノンフィクション冬の時代と言われる今、活字できちんと事実を書き残してもらいたいと、悲しみをこらえながら9年間も取材に応じ続けてくれた本村さんのような毅然とした日本人がいる限り、私は「人間」を掘り下げるノンフィクション作品を書きつづけたいと思っております。

次作は7月、その次の作品は11月、さらにその次の作品は来年3月に発表の予定です。皆さま、どうかご期待ください。

カテゴリ: 随感

「絶対国防圏」と北朝鮮

2009.04.04

昭和19年7月7日は、日本の太平洋戦争の敗北が事実上、決定した日である。この日、日本のサイパン島守備隊が、最後の“バンザイ突撃”を敢行し、玉砕した。サイパン陥落が意味するのは、日本の「絶対国防圏」の崩壊だ。

この小さな島が米軍の手に落ちた瞬間、日本の絶対国防圏は崩れ、日本全土が米軍機の空襲に晒されることが決まった。近代戦において、自国領土の制空権を失った国が戦争に勝てる見込みはほとんどない。

サイパン陥落の翌日、今上天皇である当時10歳の明仁殿下は、疎開していた静岡県沼津の御用邸から、さっそく栃木県の日光へと「再疎開」されている。日本が、この日から多くの犠牲を払った末に、実際に敗戦を選択するのは、それから1年余りのちのことだ。

今回の北朝鮮のミサイル騒動は、これまでの似通った過去の出来事と少々、趣きを異にしている。発射実験の発表の仕方や、日本をはじめ国際社会への嚙みつき方にどこか「余裕」が感じられないのだ。

これは昨年夏、脳梗塞で倒れ、一時は危篤に陥っていたとされる金正日の心理状態と無縁ではないだろう。一度、死にかけた将軍さまが、弾道ミサイルをはじめ、多くの懸案事項に「性急な結果」を求めてくるのは当然である。それだけに今回の騒動には、これまで以上の“必死さ”が感じられるのである。

昨日ブログに書いた北朝鮮による「核弾頭の小型化」と「起爆装置の開発」の問題。これに北朝鮮が成功することは、すなわち現代の日本の「絶対国防圏」の崩壊を意味する。そうならない内に、日本国民にはどんな選択と意思表示が必要なのか、よく考えなければならない。初日のミサイル発射がなかったことや誤探知などに一喜一憂している場合ではないのである。

カテゴリ: 北朝鮮, 政治, 随感

「死に急いだ」大投手

2009.04.01

今日は、午前中に麻布台の外交史料館や御茶ノ水のニコライ堂などで、NHK「こだわり人物伝“野球は僕のパスポート(スタルヒン)”」の最終ロケをおこないました。

夕方には、スタルヒンが40歳の若さで事故死する世田谷区内の旧玉川電車「三宿駅」跡にも行ってきました。ここでスタルヒンの運転する外車が停車中の玉川電車の後部に激突。スタルヒンは即死しました。昭和32年1月12日、夜10時半頃のことです。

渋谷から三軒茶屋に向かう国道246号線(玉川通り)は今日も激しい交通量で、車の騒音にスタッフとの会話もままならない感じでした。しかし、現場で50年以上前のこの事故に遭遇した人にも話を聞くことができました。

ちょうど追突された玉川電車に乗り合わせ、事故の目撃者ともなったHさんは当時、卒業を間近に控えた早稲田大学理工学部の4年生。事故の直後、顔に傷ひとつなく、大破した車の中で眠るように座っていたスタルヒンの姿を今も記憶していました。

しかし、驚くべきはそのHさんが、スタルヒンを生んだ「旭川」の出身だったことです。郷土の英雄の「死」にたまたま遭遇するという恐ろしいほどの偶然。数奇な運命を辿った「スタルヒンの最期」の目撃者と�しては、ふさわしかったのかもしれません。

撮影終了から間もなく降り始めた雨は、やがて雷まで伴うような激しいものとなりました。断続的にほぼ1か月に及んだロケもこれで終了。容赦なく傘のないサラリーマンたちを打ちつける雨の中で、私は、戦中戦後を苦労だけして「死に急いだ」この大投手の無念を考えていました。

カテゴリ: 野球, 随感

「京都日帰り」出張とPL学園

2009.03.28

今日は、朝8時過ぎの「のぞみ」に乗って、京都に日帰り出張をしてきました。行き先は、西京極球場。NHK「こだわり人物伝」で取り上げるスタルヒン投手ゆかりの地として行ってきました。昭和30年9月4日、スタルヒンが日本のプロ野球史上初の「300勝」を達成した場所です。所属していた「トンボユニオンズ」のチームメイトだった滝良彦さん(79)にもわざわざ名古屋から来ていただいての収録でした。

この球場は昭和9年、旭川から連れてこられた18歳のスタルヒン少年がベーブ・ルースら全米チームと戦う「全日本軍」に初めて合流した地でもあります。水原、三原、苅田、浜崎ら職業野球の黎明期を支えることになる錚々たるメンバーに迎えられたスタルヒン少年は、小脇に木彫りの熊を抱えて不安そうに先輩たちに挨拶したといいます。こつこつ精進をかさねたスタルヒン投手は、それから21年という歳月をかけ、ついに「300勝」という前人未踏の大記録を打ち立てたのです。外野席は今も芝生。歴史を感じさせる西京極球場では、今日も社会人野球の大会が開かれ、乾いた硬球の音が響いていました。

夜、東京で用事があったため、撮影が終わるとそのまま「のぞみ」に飛び乗りましたが、気になるのは甲子園。2週間ほど前に訪問したPL学園が2回戦に登場するからです。1回戦で怪物・秋山拓巳投手を擁する西条を1対0で下し、今日の南陽工業との2回戦に臨んだPLの大黒柱は何と言ってもエース中野隆之君です。私が訪問した時、左腕投手の中野君はちょうど右打者の膝元にクロスファイヤー気味に食い込むストレートを集中的に投げ込んでいました。指からボールが離れる時にピシッと音がするようなキレのあるストレートがキャッチャーのミットに連続して吸い込まれていました。

昨夏の中野君は左ひじが下がって、お世辞にも「本格派投手」とは言えませんでした。しかし、ひと冬を越えて中野君は逞しく成長していた。この日も、ストレートとスライダー、カーブ、チェンジアップを駆使し、南陽工業打線につけ入るスキを与えず、なんと9回を終わって「ノーヒットノーラン」の快投を見せました。

しかし、味方の援護がなく、PLも0点。0対0のまま延長に突入して10回表に致命的な2点を奪われ、結局、PLは1対2で敗れてしまいました。優勝候補の西条を完封し、2回戦も9回までノーヒットノーラン・ピッチングを見せた中野君。将来性抜群のピッチャーと言えます。私は2週間前、中野君に「気持ち(気迫)で負けなければ、君は勝てる」と短いアドバイスをさせてもらいました。かつてのPLからは想像もできない“貧打”で苦しんだ今年のチームでしたが、今後、課題の打力さえ整備すれば、夏が楽しみなチームです。PL学園に「名門復活」の日は近い——?

カテゴリ: 野球, 随感

「遠藤死す!」の衝撃

2009.03.25

本日、「遠藤死す!」の報に衝撃を受けました。
「遠藤」とは東京五輪の体操個人総合で金メダルを獲得した遠藤幸雄さんのことです。
アジア人として最多「8個」の金メダルを持つ体操の加藤沢男さん(現筑波大学教授)から一報をもらいました。
遠藤さんと加藤さんは、体操の名門・東京教育大学(現筑波大学)の先輩と後輩。加藤さんは遠藤さんの体調不良を知り、近く見舞いに行こうとしていた矢先でした。

東京(遠藤)、メキシコ(加藤)、ミュンヘン(加藤)という3つのオリンピックの個人総合で金メダルを奪取した2人の闘いぶりは今も忘れられません。
金メダルへの「極限の緊張状態」と闘った2人の偉業は50代以上の日本人にとって、忘れることのできないものでしょう。

東京五輪で遠藤さんが背負ったものの大きさは想像もつきません。「ご苦労様でした。そしてありがとうございました」と言わせて欲しいと思います。
取材滞在中の旭川で、遠藤さんの偉業に思いを馳せながら「献杯」させてもらいます。

WBC2連覇の余韻もさることながら、民主党の小沢一郎代表の続投に絶句した人も多いのでは?「俺は辞める」と公の場で宣言した末に居座ったあの騒動から、およそ1年5か月。結局、このヒトには恥も外聞もない。言うまでもないが、民主党にとってこの「続投」は致命傷だ。だが、それでも続投が許される政党に「明日がない」ことは疑いない。

カテゴリ: 体操, 随感

東京マラソンとWBC

2009.03.22

今日から「門田隆将オフィシャルサイト」がスタートしました。ちょうど『激突!裁判員制度 井上薫vs門田隆将』(WAC)が出版されたばかりですので、いいタイミングとなりました。昨年、25年間のサラリーマン生活にピリオドを打って独立してから、ほぼ1年が経ちました。昨年7月には『なぜ君は絶望と闘えたのか—本村洋の3300日』(新潮社)、11月には『神宮の奇跡』(講談社)を出版しましたので、ほぼ4か月ごとに新作を発表していることになります(ほかにも、12月には『甲子園への遺言』をリニューアルして講談社文庫から出版しました)。来月からは、ある月刊誌で連載をスタートさせますし、7月には、某社から新作の書き下ろし単行本を出す予定です。次々と作品を発表していきますので、皆さまのご支援をよろしくお願い致します。
 
さて本日、東京は「東京マラソン」で盛り上がっていました。雨もまじった冷え込みの中、多くの市民ランナーが“自分自身”に挑戦していました。小生の知人も出ていました。47歳、新聞記者。タイムは、6時間24分21秒。見事に完走しました。普段は、そんな頑張りとは無縁の男なのに、いきなりド根性を見せつけられました。「やればできる」を行動で示してくれました。小生も負けてはいられませんね。

さて、明日から北海道の旭川にテレビ関係のロケと取材に行きます。WBC準決勝の日米決戦をゆっくり観たいところですが、いろいろやりながらの観戦となりそうです。「原ジャパン」については、書きたいことも沢山ありますので、また稿を改めます。

とにかく、ここまで来ると理屈ではありません。勝負は「気迫」で決まります。言うまでもありませんが、アメリカを倒すことは多くの野球人の夢であり、悲願でした。昭和9年に、ルー・ゲッリック、ベーブ・ルース、ジミー・フォックスら、大リーグ史上に残る大スター軍団が来日し、これに沢村栄治やビクトル・スタルヒンらが立ち向かいました。それから「75年」という気の遠くなるような歳月が流れました。その年、スタートした日本の職業野球(現在のプロ野球)が、やっと本当の意味でアメリカと「雌雄を決する」ことができるところまで来たのです。

東京ドームの丸の内線「後楽園駅」側の一角に、戦没野球選手を追悼する『鎮魂の碑』があります。石碑は2つあって、右側には沢村投手ら、山野に散った69名の職業野球人の名前が記され、左側には特攻隊員として戦死した石丸進一(名古屋軍・現中日)の遺族の一文が刻まれています。

<二十年五月十一日正午出撃命令を受けた進一は、白球とグラブを手に戦友と投球。
よしストライク十本
そこで、ボールとグラブと“敢闘”と書いた鉢巻きを友の手に託して機上の人となった。愛機はそのまま南に敵艦を求めて飛び去った。
「野球がやれたことは幸福であった
忠と孝を貫いた一生であった
二十四歳で死んでも悔いはない」
ボールと共に届けられた遺書にはそうあった。
真白いボールでキャッチボールをしているとき、進一の胸には生もなく死もなかった>

多くの先人が「この一戦」を観ている。平和であるからこそ、こういう「檜舞台」が許された。

勝て!ニッポン。

カテゴリ: 野球, 随感

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