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東京を勝たせたのは「復興への祈り」だった

2013.09.08

「ああ、結局、大震災が東京を勝たせてくれたなあ」――私は、「東京決定」が決まった瞬間、そう思った。逆境は人を育てるというが、あの東日本大震災という日本にとって大変な試練こそが、IOC委員に「東京」への1票1票を入れさせた最大の理由になったのだと感じた。

土壇場で福島第一原発の汚染水問題などが現地で大報道され、2日前には、韓国が、「海のない」群馬県を含む8県の「水産物の輸入を禁止する」という露骨な「反東京招致」キャンペーンをおこなったにもかかわらず、日本は圧倒的な勝利を収めた。

この汚染水問題だけでなく、4月にあった猪瀬都知事のイスタンブールに対する失言など、まさに山あり谷ありの中での勝利だった。だが、最後はやはり、あの「大震災」こそが、東京勝利の最も大きな要因になったのだと思う。

私が東京のプレゼンテーションで印象深かったのは、冒頭で挨拶された高円宮妃久子さまの大震災の被災地へのIOCによる支援への感謝の言葉と、それにつづくパラリンピアン佐藤真海さんの「私がここにいるのは、スポーツによって救われたからです」「津波が私の故郷の町を襲いました」というスピーチだった。

そして、滝川クリステルさんがフランス語でおこなった「おもてなし」という言葉の説明と、両手を合わせて拝む姿は、大きなインパクトをIOC委員に与えたと思う。招致委員会の竹田恒和委員長とフェンシングの太田雄貴氏の気迫のスピーチも素晴らしかった。

この時点で、財政赤字のマドリード(スペイン)と反政府運動の懸念を抱えたイスタンブール(トルコ)を「大きく引き離した」ことは間違いないだろう。汚染水問題を糾弾されていた東京は、国のトップである安倍首相が、自らその懸念を払拭するスピーチと質疑をこなして、勝利を「決定的にした」のである。

あの1964(昭和39)年の東京オリンピックで忘れられないシーンが私には3つある。1つは、当時、徳島市に住んでいた6歳の私の目の前を白煙を上げながら聖火ランナーが走っていったことだ。

聖火ランナーは全国の津々浦々を走ったが、私の眼の前の国道11号線も走っていった。そして、その聖火ランナーに“ご近所”が総出で繰り出し、手が痛くなるほど叩いて皆が声援を送ったのである。

2つ目は、その聖火の最後のランナーが、開会式で国立競技場スタンドの一番上に立つ聖火台への長い長い階段を上がっていった時のことだ。自分の眼の前を走った聖火が、最後にあれほどの長さの階段を登らなければならないことに私は言葉を失った。胸が苦しくなって、そのランナーに「頑張れ」「倒れるな」と必死に祈りながら、それを見守ったことを思い出す。

3つ目は、閉会式の時の感動である。開会式で整然と行進した各国の選手たちが、閉会式では一転、みんなが肩を組んだり、手を握り合って、一緒になって行進を始めたのだ。

「ここには、国境も、肌の色も、何もありません!」とアナウンサーが叫び、テレビの前に座っている6歳の私も、その画面を見ながら、感動に満たされた。

あれをきっかけに、日本の経済は“爆発”し、20世紀の奇跡と言われる高度経済成長を成し遂げていく。いま考えてもすごいオリンピックであり、経済効果だった。

前回の東京五輪は、「戦争」と「復興」が決定の最大の要因だったのではないかと思う。連合国と戦った枢軸国の日・独・伊の3国は、ローマ五輪(1960年)、東京五輪(1964年)、ミュンヘン五輪(1972年)で次々と五輪の開催地となっていった。オリンピックの決定には、世界の“優しさ”が込められていたのである。私は、今回は「大震災」と「復興への祈り」がIOC委員の投票行動を決めたと思う。

果たして、今回の東京五輪はどうなるのだろうか。前回のブログでも書いたように東京は、大地震の懸念を抱えている。そして、隣国には、日本への憎悪を剥き出しにする中国と韓国という国も存在し、今後もいろいろな嫌がらせが予想される。

1988年のソウル五輪を阻止するためにさまざまなテロをおこなった北朝鮮の問題もある。また、酷暑の「夏の東京」でのマラソンなど、選手の健康上の心配点もある。

しかし、オールジャパンで英知を結集し、さまざまな問題を乗り越えて欲しいと思う。長くつづく経済低迷とデフレからの脱却、そして震災からの復興――東京五輪をきっかけに、かつてのパワーを日本が是非、取り戻して欲しいと願う。

カテゴリ: オリンピック

敗者にこそ現われる“真心”

2012.08.10

女子サッカーと女子レスリングが終わって、日本人にとってのロンドン五輪の熱狂も「ヤマを越えた」気がする。今日は、朝方までつづいた女子サッカーの熱戦に、睡眠不足に陥った人も多いだろう。

ここのところ締切が相次いでいたが、私も夜中から明け方にかけての中継に釘づけにされた。今朝のレスリングの吉田沙保里の闘志と、女子サッカーの爽やかで諦めない戦いぶりには、感激した。

男子柔道をはじめ、闘う“魂”が観る側のこちらにまったく伝わってこない不甲斐ない男子選手たちを見ていると、各競技の女子選手の踏ん張りが実に爽快だ。銀メダルを獲得した福原愛さんら女子卓球選手も素晴らしかった。

敗れていった選手の中にも、感動のアスリートがいた。私が心を揺さぶられたのは、女子マラソンの重友梨佐さんだ。岡山県備前市出身の重友さんは、期待にこたえられず「79位」の惨敗に終わった。

自己の本来の記録より17分も遅い2時間40分6秒という結果に終わった重友さんは、それでも「応援してくれたみんなのために」と、ボロボロの体調のなか、途中棄権をせず最後まで走り通した。

ふらふらになって走る重友さんは、スピードランナーとしての“プライド”ではなく、これまで支えてくれた人たちへの“感謝”によって、フィニッシュまで辿り着いたことになる。

私が感動したのは、ついに足を引きずりながらゴールする時、彼女がそれまでの苦しい表情ではなく“笑顔”を見せたことと、そのあとうしろを振り返り、たったいま通過したばかりのゴールに向かって深々とお辞儀をして、何かを呟いたことである。

精根尽き果てた重友さんが、そのまま報道陣の前を通り過ぎようとした時、テレビのインタビューがおこなわれた。記者が、笑顔でゴールした理由を質問すると、彼女はマイクに向かってこう言った。

「私は、どんなことがあっても笑顔でゴールしようと思っていました。せっかくもらったチャンスで、こういう舞台で走れる機会もたくさんはないと思うんですね。やっぱり最後まで絶対に何が何でもゴールしたいという気持ちで、応援してくれている人もたくさんいたので、絶対に頑張ろうと思って走りました……」

重友さんはそう言ったあと、ゴールに向かってお辞儀をした理由を聞かれ、こう答えた。「自分にはひと区切りついたので、コースや応援してくれた皆さんに対して、お辞儀をしました……」

この時、重友選手の顔は、汗と雨と涙でぐちゃぐちゃになっていた。大会前の故障もあってレースは惨敗に終わったものの、それでも、彼女は、自分を支えてくれた人や応援してくれた人のことを語ったのだ。

その表情から見える誠実な人柄と、一生懸命、質問に答えようとする姿勢が、なぜかあの“惨敗”にもかかわらず、観る側のこちらの気持ちを爽やかにさせてくれたのである。

スポーツの格言に「敗者には何もやるな」というものがある。勝負の世界の厳しさを示す言葉でもあるが、私は「敗者にこそ現われる“真心”がある」と思っている。重友選手のインタビューは、久しぶりに私にそのことを思い出させてくれた。

金メダルには「何」が必要か

2012.07.31

今回のオリンピックでも、いつもと「変わらなかったこと」がある。大会前のマスコミの過剰な盛り上げ方だ。国民は、“いつも通り”、マスコミに異常なまでに「期待」を抱かされて、大会に突入した。

事前の報道を見るかぎり、日本が金メダルを20近く、少なくとも二桁は獲得するだろうと誰もが信じていたに違いない。しかし、まだ序盤とはいえ、現実はまったく異なっていた。

期待された選手は次々と敗退し、金メダルは夢と消えている。マスコミ、特にテレビが煽(あお)り、つくり上げられた雰囲気は、やはり“バブル”に過ぎなかったことを視聴者はいやでも気づかされている。

期待に応えられなかったという意味では、絶対的な力を持っていた体操の内村航平ですら例外ではなかった。3連覇を狙った北島康介も、ピークが今年の「春」に来てしまい、身体のキレが春とはまるで違う下降気味の最悪の状態で本大会を迎え、100メートル平泳ぎで惨敗してしまった。

いかにオリンピックで力を発揮することが難しいか、彼ら日本の名選手の失敗が物語ってくれている。世界中から注目される最高の檜舞台で、彼らですら緊張やプレッシャーなど、言葉では形容しがたいものに押しつぶされていくのである。

これをいかに克服するかは、アスリートたちの永遠のテーマでもある。拙著『あの一瞬―アスリートはなぜ奇跡を起こすのか』(新潮社)で、私は、アジア最多の金メダル8個を持つ体操の加藤沢男選手の“失敗する練習”のことを書かせてもらったことがある。

これまで当ブログでも何度も書かせてもらっているので詳細は省かせていただくが、要は、加藤選手は、日頃の練習で、どれほど緊張し、筋肉が硬直し、心理的にガチガチになっている時でも、「それでもおこなうことができる演技」を探るために、ひたすら“失敗する練習”を繰り返したのである。

その究極の状態でもできる演技を、加藤さんは「命綱」と表現した。その「命綱」を獲得するために、逆に「どうやったら失敗するか」ということを身体が覚える“失敗する練習”をつづけたのである。

私は、加藤さんの話を伺いながら、加藤さんが今も破られないアジア最多の金メダル8個を持つ理由が少しわかった気がした。

日本選手団初の金メダルを獲得した柔道女子57キロ級の松本薫(24)の昨夜の戦いを見て、私は、彼女には「どうしても金メダルを獲って欲しい」と心から願った。

彼女は“けもの”だった。24歳の女性に“けもの”という表現は失礼だが、試合に臨む前の彼女の敵を喰い殺すような闘志と気迫は、人間というより、やはり“けもの”と表現した方がいいと思う。

それほど彼女の気迫は凄まじかった。試合前、自分自身に何かを言い聞かせるようにひとり言を呟き、それに一回一回、「はい」と返事している彼女の姿を映像は捉えていた。そして、虚空を睨み、まさに“けもの”のように何かに喰いつくように彼女は何度も口をあけた。

まわりの喧噪も、プレッシャーも、なにも感じないほどの「自分だけの世界」に自身を追い込む鬼気迫る表情に、私はテレビ画面に吸い寄せられた。私は、彼女が本当に敵を喰い殺すのではないか、と錯覚した。それほどの怖さを彼女は身体中から“発散”させていた。

私は、「この選手はオリンピックが持つ独特の空気と重圧を克服する方法を持っている」と思った。そして、その通り、これまで誰もなし得なかった「女子柔道57キロ級」の金メダル獲得という偉業を彼女は成し遂げた。

闘志がまるで伝わってこない不甲斐ない男子の柔道選手の姿を見つづけていただけに、私は、この金メダルがより価値の高いものだと思った。

重圧の中で金メダルを獲得するには「何」が必要なのか。松本選手は、そのことの答えのひとつを示してくれている。それだけに、表彰の場で見せた24歳の女性の破顔一笑が、より爽やかに見えた。

カテゴリ: オリンピック, 柔道

忘れられない一人のアスリート

2012.07.28

開会式が終わり、ロンドン五輪は、正式にスタートした。さまざまなドラマを刻んできた世界最大のスポーツ・イベントがいよいよ始まる。

私には、かつてオリンピックに君臨した忘れられない一人のアスリートがいる。それは「君臨」という名に最もふさわしい選手だった。このオリンピックを前に、つい先月(6月)、その選手はこの世を去った。今日は、その選手のことを少し書いてみたい。

男の名は、テオフィロ・ステブンセン。キューバのヘビー級ボクサーである。私は、オリンピックのボクシング史上、これほど圧倒的な強さを発揮した選手を知らない。

世界最強の男を決めるヘビー級には、伝説的な強さを発揮した男が数々、いる。もちろんプロの世界でのことである。

“褐色の爆撃機”と呼ばれたジョー・ルイスをはじめ、ジャック・デンプシーやロッキー・マルシアノ、モハメド・アリ、ジョー・フレージャー、ジョージ・フォアマン、マイク・タイソン……歴代の最強王者たちの名を挙げればきりがない。

実は、オリンピックとプロのヘビー級王者との関係は深い。ヘビー級の場合、オリンピックの金メダリストは、そのままプロ入りして、一気にチャンピオンに駆け上がる例が少なくないのだ。

ローマ五輪のカシアス・クレイ(モハメド・アリ)、東京五輪のジョー・フレージャー、メキシコ五輪のジョージ・フォアマンは、いずれも、金メダリストとして鳴り物入りでプロに転向し、そのまま全勝でヘビー級の世界王者になっている。

これは、言いかえれば「ボクシングの世界で、いかに五輪の金メダリストになるのが難しいか」ということを物語っている。ローマ、東京、メキシコの金メダリストがそのまま世界ヘビー級王者になったため、当時、ボクシング界では、「次」の五輪ヘビー級王者に世界中の注目が集まっていた。

そして、その後のミュンヘン、モントリオール、モスクワという3つのオリンピックでヘビー級の金メダリストとなったのが、キューバのテオフィロ・ステブンセンだったのである。

当時、五輪のヘビー級は、アメリカの独壇場だった。金メダリストがそのまま世界チャンピオンに駆け上がるのだから無理もない。

だが、彗星のごとく現れたこのキューバの黒人は、アメリカをはじめ欧米のボクサーを次々と粉砕していった。身長197センチ、体重が100キロを越えるこの巨人は、大袈裟に言えば、ほかの国の出場選手をあたかも“子供扱い”した。

大人が子供とボクシングしているのか、と錯覚するほど、その強さは別格だった。巨体を生かしてロングレンジから、破壊力抜群のストレートを繰り出すボクシングスタイルは、無敵を思わせた。

70年代のプロボクシングのミドル級を圧倒的な強さで支配したカルロス・モンソンというアルゼンチンの強打者がいる。“ライフル”と形容された左右のストレートを持ち、14度連続防衛を果たして、そのまま引退した比類なき強さを誇ったチャンピオンだ。

私は、ステブンセンは、このモンソンを大きくし、さらに破壊力を増したボクサーではないか、と思っていた。あれは、モントリオール五輪の決勝戦だったと思うが、たまたまステブンセンの試合がテレビで中継されたことがあった。

私は、身を乗り出してステブンセンの試合を見た。やはり、カルロス・モンソンを大きくして、さらにパンチ力を増したかのような“大男”がそこにいた。ルーマニアの選手がステブンセンの強打を恐れ、腰を引いてアウトボクシングに徹していた時、いきなりそのステブンセンの右が飛んできた。

私には、その右がルーマニアの選手のテンプルを“こすった”ように見えた。しかし、相手は、それだけでもんどりうって倒れたのである。勝負は決した。五輪2連覇の頃のステブンセンは、まさに全盛時代である。私は、息を呑んでそのKOシーンを見つめていた。

ステブンセンは、次のモスクワ五輪でもヘビー級を制し、オリンピック3連覇を果たした。アリ、フレージャー、フォアマンと続いた五輪王者の「次」は、圧倒的な強さを持つステブンセンが君臨し、五輪ヘビー級3連覇という信じられない偉業を達成したのである。

ステブンセンの強さは、世界のスポーツジャーナリズムの注目を集めつづけた。しかし、社会主義国のキューバでプロになるには、「亡命」しか方法はない。だが、ステブンセンは、「私が愛するキューバを去ることはあり得ない」と、それを一蹴し、事実その言葉通り、故郷を去ることはなかった。

世界ヘビー級王者のモハメド・アリとの試合が実現しないか、亡命以外のさまざまな方法が考えられた。キューバの独裁者、フィデル・カストロがアリとの試合を「容認した」という情報が乱れ飛んだこともある。しかし、ついに夢の試合は実現しなかった。

ステブンセンの訃報は、今年6月に流れた。「心臓病により死去」という簡単な訃報だった。まだ60歳という若さだった。五輪史上に残る最強のボクサーは、五輪以外では世界の注目を集めることもなく、こうしてひっそりと世を去ったのである。

間もなく86歳になる独裁者カストロは、パーキンソン病に苦しみながら、まだ生きている。ステブンセンとの対戦を世界から待ち望まれていたモハメド・アリも、70歳となった今、パーキンソン病に苦しみ抜いている。

時の流れは残酷だ。オリンピックという世界の檜舞台で栄光を勝ちとった人間にも、幸福の女神が微笑むとは限らない。私は今日の未明、そんなことを考えながら、開会式で「ヘイ・ジュード」を歌う老いたポール・マッカートニーの姿を見ていた。

「あの一瞬」 アスリートはなぜ“奇跡”を起こすのか

2010.07.18

新潮社から『あの一瞬 アスリートはなぜ「奇跡」を起こすのか』が発売になった。2009年4月から「新潮45」に1年間連載したスポーツドキュメント「あの一瞬」に大幅に加筆し、2部構成として生まれ変わらせたノンフィクションだ。

◎第1部 「オリンピックという魔物」
第1章 最強ランナー「瀬古利彦」はなぜ破れたのか
第2章 女子ソフト「悲願の金」をもたらした女の輪廻
第3章 極限の緊張を凌駕した「加藤沢男」の大逆転劇
第4章 山下泰裕を揺るがせた「遠藤純男」の執念
第5章 サッカー日本代表はなぜ「銅」を獲得できたのか

◎第2部 アスリートの原風景
第6章 「ファイティング原田」が演じた世紀の番狂わせ
第7章 日米野球の因縁と「怪物スタルヒン」の涙
第8章 「新日鉄釜石vs同志社」史上最強激突の意地
第9章 大鵬・柏戸「昭和最高の決戦」秘話
第10章 明徳義塾ナインが「松井五敬遠」で見た風景

1年間、連載を続けたものをもとにしているだけに無事、上梓できた喜びは格別だ。サッカー、ボクシング、柔道、野球、マラソン、ラグビーなど、さまざまな競技から歴史に残る名勝負をピックアップし、勝敗を分けた「一瞬」に至るまでのアスリートの心の軌跡に迫った。

第1章の瀬古さんをはじめ、挫折から這い上がる人間の壮絶なるドラマは必ず生きる勇気を湧き立たせてくれると思う。

折しも梅雨明け宣言を待っていたかのように全国で高校野球の予選が開幕した。いよいよスポーツ本番。今年も暑い夏がやって来た。

アスリートはなぜ「奇跡」を起こすのか

2010.06.23

今日は、青山のフランス料理屋で昨年4月から今年4月まで1年にわたって「新潮45」に連載した「スポーツドキュメント あの一瞬」の打ち上げをマラソンの瀬古利彦さんと柔道の山下泰裕さんにしてもらった。

モスクワ五輪がボイコットされた時、「柔道の山下、マラソンの瀬古」両氏は世界に君臨した“王者”だった。ボイコットがなければ、高い確率で二人は、モスクワの空に日の丸を高く掲げただろう。

ボイコットから30年以上が過ぎ去ったが、あの時の悔しさは、私にも忘れられない。モスクワに賭けたお二人にとっては、人生を左右する大きな出来事だった。

「あの一瞬」は7月に単行本となって新潮社から発売される。アスリートたちの心の葛藤と、気迫と闘志の物語である。これまでになかったスポーツノンフィクションに挑戦したつもりである。

二人の絶えることのない前向きな話に、時間が経つのを忘れてしまった。「あの一瞬 アスリートはなぜ奇跡を起こすのか」――スポーツファンだけでなく、全ノンフィクションファンに手にとってもらえれば、と思う。


道を極めた人たちの「言葉」

2009.12.07

本日は、群馬県の高崎市まで行って来た。女子ソフトボールの宇津木妙子さん、宇津木麗華さん、上野由岐子さんの3人に会うためである。

高崎市郊外に彼女たちが所属する「ルネサステクノロジ」があった。寮もグラウンドも会社に併設されており、広大な工場の敷地内にある。まわりは畑や住宅が点在するだけで、ソフトボールに打ち込むにはもってこいの環境である。

シドニー、アテネ、北京と続いた女子ソフトの「金メダル」への死闘と執念について聞かせてもらったが、3人とも「道」を極めた人たちだけに、それぞれが深い「言葉」を持っていた。やはりこういう深い思いがあってこそ、あの金メダルへのドラマが生まれたことをつくづく感じさせられた。

まだオモテに出たことのない話もたくさんあり、どこにスポットをあてるべきか迷うほどだった。勝負の世界に生きるアスリートにしかわからない執念や因縁は、やはりそれだけで大きな感動を呼び起こす。

平々凡々と毎日を過ごす一般の人にも是非、彼女たちアスリートの話に耳を傾けて欲しいと思う。また、それだけの素晴らしいエピソードがたくさんあった。近くスポーツドキュメントとして、まとめるつもりだ。

女子ソフト知られざる金メダルまでの因縁を綴ったノンフィクションを乞うご期待――。


カテゴリ: オリンピック

残念なり、五輪「東京」落選

2009.10.03

2016年夏季五輪の開催地はリオデジャネイロに決定した。東京落選である。1964年以来の半世紀にわたる悲願は成らなかった。

日本は1964年の東京、1972年冬季大会の札幌、1998年冬季大会の長野と、夏冬合わせ3度五輪を開催している。しかし、1988年夏季大会は名古屋が敗れ、2008年夏季大会は大阪が敗れ、これで3連敗となった。

理由は、オリンピックの利権化である。1984年のロス五輪以来、夏季大会は異常なまでに商業化が進み、大会の開催自体が大きな利権となった歴史がある。以来4半世紀、オリンピックはサッカーのワールドカップと共に世界最大のコマーシャリズムの大会と化した。高騰の一途を辿るテレビ放映権料をはじめ、世界の名だたる企業が大スポンサーとして資金を提供するなど、巨額マネーが飛び交う世界最大の祭典となってしまったのだ。

“ミスター・アマチュアリズム”と言われた故ブランデージIОC会長が知ったら目をむきそうな実態がそこにはある。巨大な利権を争奪する「戦争」で、日本の“真心(まごころ)戦略”は今回も敗北したことになる。巨大ビジネスという“競売物件”を落とすために遮二無二突き進んでくる外国勢に今回、またしても日本は苦汁を舐めたのだ。

メディアは「五輪の顔」がなかったことが最後まで響いた、と報じている。しかし、たとえ皇太子ご夫妻が全面的に招致運動に乗り出してくれていたとしても、東京が勝利する保証はなかった。戦争とは、それほど「勝つことが難しいもの」なのである。

2016年に東京でオリンピックが開催されれば、実に52年ぶりになるところだった。あの時、高度経済成長に突き進んでいた日本は、東京五輪を機に一気に世界の“一等国”として復活した。やっと第二次世界大戦の惨禍を払拭できたのである。

あの時、全国津々浦々を走った聖火をほとんどの国民が拍手と共に目撃した。遠くから見えてくる聖火の煙、目の前を通過するランナー、それを警護する白バイ……幼き日に、手が痛くなるほど拍手してこれを見た時の感激を昨日のことのように思い出す。

あれほど国民誰もが思いっきり手を叩き、熱狂したことがほかにあっただろうか、と思う。

日本人全体が勢いと気迫を失っている現在、「もう一度、東京でオリンピックを」と願っていただけに、東京落選は残念でならない。落選、そしてリオデジャネイロ決定の報に、夜中、私は大きな溜息をついてしまった。

カテゴリ: オリンピック

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